福岡

2009/07/12

久留米でフォーカシングを学ぶ会、次回は7/26(日)に臨時開催

 「久留米でフォーカシングを学ぶ会」、本日12日、参加者6名様という、過去最多の参加者においでいただき、にぎやかに開催させていただきました。

 全身の「大船でフォーカシングを学ぶ会」時代には、最終的には毎月3回まで開催日を増やしましたので単純比較はできませんが、実はたいていの回に、参加者は多くても3,4名という形で開催していました。しかも、参加メンバーが常に流動的で、常連の方が少ないことが多く、参加者の過半数(時には全員)がフォーカシングの初心者、あるいはそれに近い皆様のことが多いという状況で開催していました

 私は主として1対1の個別指導という形でキャリアを積んで来ましたので、限られた数時間の間にそうした数名以上の皆様にどういう援助ができるか、試行錯誤してきましたが、今にして振り返ると少し「力み過ぎ」になって空回りしがちでなかったかという反省があります。

 今回は、その轍は踏むまいと、志新たに、できるだけ肩の力を向いて、参加者の皆様のフォーカシング経験の多寡に関係なく、グループとしての無理のない自然な流れをサポートする方向に徹する意識で臨みましたが、幸い、それは参加した皆様全員に好評を持って受け止めていただいたようで、主催者としてほっとしています。

 「シェアリングの中で他の参加者の方が自分の体験の中で感じていたことをを聴いていく中で、それを自分の実感と自然と照合するプロセスが進んで行き、そうしたグループの場の空気に助けられて、自分の身体の内側からの反応をしっかりと確かめられた」 

というご感想をいただけたことは、今後十分に大事にしていきたい事柄です。

 「そうやって参加者ひとりひとりが自分の実感に触れながら言葉にして行こうという場の空気の中にあれば、それに触発されて、自分の実感に触れようとするスタンスが形成されやすいのかもしれませんね」とお答えしました。


 第1部:自分がこの場に参加してどんな感じでいるか、何をやりたいと感じているか。実際に感じている居心地と、自分が理想ならばこうでありたいと感じている居心地のギャップを感じてもらうワーク

→自己紹介を兼ねて、先ほどのワークの中で体験したことの中で、他のメンバーに伝えたいことを1人ずつ話してもらう。

→ひとりの参加者が語るごとに、グループファシリテータである私が、その参加者の身になっての応答(インタラクティヴ・フォーカシングのリスナーに求められる「体験的傾聴と応答」スタイル)と、その参加者と私の体験の共通の接点になるのではないかと実感上感じられた連想を応答をしていく。

→参加者同士のシェア。

(全体で 約1時間)


(5分休憩)

 第2部:ホールボディーフォーカシングの「腕を上げるワーク」→シェアリング(全体で 約1時間20分)

(昼食と歓談 約1時間)

第3部:2つのグループに分かれてのフォーカシング・パートナーシップのセッション(1時間20分)→シェアリング(20分)

(休憩10分)

第4部:インタラクティブ・フォーカシングのラウンドロビン・フォーマットによる集団法(藤嶽法的にカードも活用 1時間40分)


 1名の方はフォーカシング初体験の、かなり遠方からおいでの臨床心理士の方、1名は断続的に長年フォーカシングを学んで来られた、すでに本「学ぶ会」常連の一般社会人の方、4名の方はフォーカシングの自主的な勉強会サークルをお作りの臨床心理士の有志でしたが、そうした皆さんの中の複数の皆様から、

 「これまで、生じてきたからだの感じに対して何か積極的な意味づけをしなければならないのではないかと思い過ぎて、性急に意味付けを探していたようだ」

という感想が語られたのが印象的でした。

「フォーカシングのセッションの中でシフトや洞察が完結しなければならないと思っていたようです。セッションが終わった後の振り返りのシェアリングの中で自然と気づきに至る人もいることや、日常に帰った後に、続きが自然と生じるのに任せるという発想を知った。シフトまで生じなくても、自分の中に言葉にならない違和感やモヤモヤがあることに気がつければ、それと取り組むのは日常に帰ってからでいいという参加者の方もおられるのですね」


 実は、この「フォーカサーは、意味づけを中途半端に頭でひねり出していないか?」ということを、私は若い研究者の方がフォーカシングのセッション記録を明示する形で発表されている場合の、少なからぬ部分に危惧していたことなのです。

 実はそうやって意味づけを焦る結果、フォーカシングのプロセスがむしろ上滑りになり、「自分はフォーカシングをしていたといえるのだろうか?」という確信を何年経っても持てないままの皆さんが少なからずおられる気がしてなりませんでしたから(ある段階の習熟に達すれば、この点で迷うことはまずありえなくなります)。

 私は、「意味は向こうから浮かび上がって来るもので、探さなくてもいいのです。何か自分の生活や存在とどこかで何か響きあっている言葉にならない実感が感じられているという体験ができ、その感じを無理のない距離感で共にいられるるだけで、ホントは十分なんですよ。時にはセッションの度ごとに結局同じ感じに直面し、繰り返し相手をしていく中ではじめてはっきりした変化にたどり着ける場合もありますが、現実の人間関係でも、何回も相手と接する中でやっと信頼関係の糸口が見つかることは少なくないではありませんか。自分の内側の感じとの関わりも同じですよ」

などとお答えしました。

 
*****


 「学ぶ会」は、通例ですと毎月第2日曜に開催しますが、次回は、2週間後の7/26(日)に臨時開催させていただきます。

 その次は、通例の開催日、8/9(日)に開催予定です。

 フォーカシングについての学習経験が全くない方の新規参加も歓迎しております。

 参加エントリー、お持ち申し上げております。 

 詳しくは、こちらをご覧下さい。

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2009/07/11

インターネット音声動画通信(Skype,Windows live messenger)によるフォーカシング有料個別指導コース、正式に開設いたします。

 「久留米フォーカシング・カウンセリングルーム」で、これまで試行的に幾名かの皆様と試みておりました、インターネット音声動画通信(テレビ電話)によるフォーカシングのセッションの試みに順調な成果があると判断いたしましたので、「有料個別指導コース」として、正式にスタートしたいと思います。

 パソコンとブロードバンド接続環境をお持ちなら、あなたも、自宅にいながらにして、インターネットを通して、テレビ電話のような形で、フォーカシングの体験学習を進めることができます!!

 実はこの試みは、インターネットになじんでいる、日本や世界のフォーカシングを学んだ人たちどうしの間では、すでに決して珍しい方法ではなくなっている・・・・はずですcoldsweats01。(意外と普及していないとすれば、もったいないことです)。

 メールやチャット、電話によるフォーカシングセッションというのは、すでにかなり以前から、特に欧米では盛んに行なわれていることでしたので、これはネット技術の進歩に伴う必然的な展開であるといえるかと思います。

 もっとも、日本において、フォーカシングの国際資格を有するトレーナーが、オープンに募集をかける有料のプログラムとして提供することを公表したのは、今のところ、不肖私が最初のケースではないかと思います。

 すでに過去25年、フォーカシングの全くの初心者の方相手にセッションを持った数という点では日本でも有数のキャリアを持つトレーナーが、これまでフォーカシング全く未体験、本などでの予備知識がないとういう皆様が、一からフォーカシングを学ぶ場合すら含めて、お手伝いをいたします。

 フォーカシングをすでに全国各地で学習された皆様が、リスナー/ガイドとして私をご活用くださることも歓迎いたします。

**** 

 Skype(スカイプ)Windows Liveメッセンジャーを代表とする、インターネット上の無料音声動画通信。あまりご存じない方のために申し上げますと、ブロードバンドのインターネットの接続環境をお持ちの方であれば、同じ通信ソフト(フリーソフトです)をインストールしている人どうしでしたら、通信費を別料金を払うことなく活用できる、非常に便利な媒体です。

 つまり、これを使えば、親しい友人と、何時間でも、通信料金を全く気にせずに、「テレビ電話」ができてしまう・・・・そういうツールなんですね。

 ウェブカムと通称される小型映像カメラと、ヘッドセット(マイクつきヘッドフォン)にあたる装備が必要ですが、これらの装備はセットで実売2,000円前後という、たいへん安い価格で、実用上十分な性能のものが購入できます。

 よほどのマニアの人でなければ、

●ロジクール キューカム コネクト ウィズ ヘッドセット ワイルドシルバー QVP-61HSSV

↑例えばこの製品で、スカイプやメッセンジャーの使用に全く不満はないはすです。

 もっとも最近のラップトップ型パソコンの場合、パソコン本体にマイクとスピーカーが最初からついていることがほとんどかと思いますし、ウェブカメラも内蔵機種が少なくないでしょう(スピーカーだけではなく、内蔵マイクも実は見えないところに装備されていることに気がついていない皆様も結構あるかと思いますcoldsweats01)。そうした場合には、とりあえず初期投資ゼロ円で済むということになります。ヘッドセットを頭につけなくても、手ぶら(ハンズフリー)で音声動画通信を楽しめるわけですね。

(しかし、私の考えでは、そうした「ハンズフリー」環境をすでにお持ちの方の場合でも、ヘッドセットの購入はお勧めいたします。それは、音質のよさを求めるという意味ばかりではありません、パソコン本体の内蔵マイクは、おパソコンそのものや、部屋中の騒音を拾う性質を持っています。ネットを通して伝送する際に、そうした雑音までデジタル情報に変換することになります。それが映像通信の質に、思いもよらないくらいの負荷を与え、画像の滑らかさを損なうばかりか、回線の中断というアクシデントも増やすことはあまり知られていません。もっとも、ご使用のパソコンが最近購入の、十分にメモリー搭載したハイ・スペックのものでしたら、あまり影響はないかもしれませんが、ADSL通信の比較的低速回線で契約されている皆さんや、XP時代からの機種を今もお使いで、メモリーが1GB以下の場合には、思いもよらないくらいの通信性能の違いとして実感できる方も少なくないかと思います

 ヘッドセットだけの購入でしたら、

【16時までのご注文完了で当日出荷可能!】【62%OFF】パソコン用マルチメディアマイク付イヤフォン エレコム MS-HS59SC

 例えば、この製品で十分かと思います。製造元が同じで、全く同じデザインと性能としか思えない商品がLogitecからも発売されています。全国のパソコン関係の商品が多い家電量販店で、実売500円台で売られています。この機種は、片耳に引っ掛けるのタイプの中では、左右の耳どちらにも対応、柔軟に形を変形でき、耳へのなじみがいい方でしょう。耳に「きちんと差し込む」ことにとらわれず、「引っ掛けておく」ぐらいの感覚でいいかと思います。もっとも、耳たぶや耳道に炎症を起こしやすい人の場合、両耳タイプの方がいい場合もあるかと思いますが)。

****

 SkypeやWindows Liveメッセンジャーの音声動画通信の性能は、ここ1,2年の間にも急激に向上しています。画質や音質の向上も著しく、以前に使ったことがあっても、しばらく実用から離れておられた方にとっては、ソフトを最新のバージョンにアップデート(および、Microsft updateのカスタム・アップデートを活用してウェブカメラ側の最新のデバイスソフトへのアップデート)してみると、ここまで画質がなめらかで、音声も美しくなったのか!!と驚かれる方が少なくないかと思います(つい先日、Logitec系のウェブカメラのデバイスの少なからぬ機種にアップデートがあったかと思います。この結果生じた画面解像度の向上には目を見張るものがありました。)

 もっとも、一枚の画面としてみた時のくっきりとした美しさ(解像度)ではLiveメッセンジャーがかなり優勢、動画の「滑らかさ」ではSkypeが優勢という違いがあるかと思います。

 Skypeにはmac版があり、Windowsのスカイプユーザーとも、全く何の支障もなく通信できます。Windows Liveメッセンジャーには、音声動画通信ができるmac版が存在しません。

 いずれにしましても、今度開設する、ネット上のフォーカシング個別指導コースに関心を持たれた皆様の中で、これらの音声動画通信について、そのソフトのインストールや機器の調整、通信開通まで、無料でお手伝いいたします。

*****

 

 次に、この、「テレビ電話形式によるフォーカシングのセッション」の長所と短所について、実際にそれを体験したユーザーからのご意見を参考にしてまとめてみましょう。

  • 短所

    同じ空間、同じ場の空気を共有して、お互いの非言語的なメッセージすら細やかに共有しながらセッションを進めるという点では、やはり目の前に人がいるライブよりは生々しさが薄いともいえる。

  • 長所

  1. 場所や機会が限定された、フォーカシングを学ぶ場やフォーカシングのコミュニティーに出向く必要がない。フォーカシングの実体験がより身近で手軽なものとなり、反復して練習する機会も増える。
  2. 自分の住む地域にはフォーカシングを体験的に学べる場そのものがかなり遠出しなければ存在せず、しかも年間に限られた回数しか開かれない。そうした場だけでは不十分な体験学習の機会を増やす意味で役に立つ。
  3. そろそろこれまでフォーカシングを学んできたトレーナーや仲間たちとは別の人ともセッションの体験を持ちたいと思っていた。そうした機会を提供してもらえる。

    ・・・・・ここまでは「ネットは地理的な制約を越える」「フォーカシングのセッションを持つ相手へのアクセス性を高める」という方向で共通点があるでしょう。
  4. 自分の生活や日常により近いシチュエーションで、生活や日常の実感と身近な状態でセッションを重ねることができるため、フォーカシング体験が日常との連続性があるものとして定着し、自分個人のためにほんとうに「身についていく」「役立っていく」実感が着実に味わえる。
  5. 最初はネットでの画像つきのやり取りに戸惑ったが、少し慣れてくると、目の前にリスナー/ガイドがいるという生々しさが減じることで、むしろ恥ずかしさや緊張を感じずに、自分の内側の実感とじっくりと向き合い対話できるというメリットの方を強く感じるようになった。リアル世界での対面セッションよりもストレスが低い気すらする。
  6. 「普段着の自分のままでフォーカシング体験をしている」と感じられる。
  7. メールやチャット、電話を通してのフォーカシング・セッションの経験はあったが、やはり画像を通してのライブのコミュニケーションも進めているというだけで大きく印象は異なる。上半身だけであっても、相手の表情やたたずまいが見えているというだけで、安心もするし、相手の気配を察しながらの細やかなやりとりができる気がする。
  8. セッションそのものや、フォーカシングについての質問などについてのやりとりに集中できる場を作りやすく、それ以外の余計な無駄話もなく、フォーカシングを学ぶ場での「社交」などを気にしなくていい、構造化の度が高い、割り切ったシンプルな関係性の場だと感じる。

******

■内容

  • 全くのフォーカシング初心者の方が、ともかく「フォーカシングとはどのようなものか」、フォーカサーとして体験してみあるためのセッションをお引き受けします。
  • フォーカシングをすでにどこかで学ばれた方に、更に体験を深めるための個別セッションの機会を提供いたします。
  • すでにフォーカシングに習熟された方からの「ガイディングは要らないからリスナーをして欲しい」というご要望にもお応えします。
  • 原則として実際の1対1のセッションを重視いたますが、フォーカシングについての質問やアドバイスを求める場としてもご活用下さい。
  • リスニング(傾聴)やガイディング(教示のしかた)の練習をしたいという方には、私がフォーカサーとなる形で、その場を提供いたします(focuser as teacher)
  • 夢フォーカシング、インタラクティブ・フォーカシング、壷イメージ療法のセッションにもお答えします。


■お申し込み方法

 原則としては、当カウンセリングルームへの通常の申し込み方法に従います。くわしくはこちらをご覧下さい。

 申込用紙をご利用の方は、申し込みコースの選択記入欄の「フォーカシング個別指導」の部分に、「ネットによる」「skypeによる」などと付記お願いいたします。

 だたし、ネットを用いるコースの場合、以下の点について事前にご了解ください。

  1. 実名でお申し込みいただくこと、住所メールアドレス、スカイプやメッセンジャー上のハンドル名(まだ未定の方は決まった段階で)、電話連絡先をお知らせいただくこと、開始前に通常の電話(0942-48-8797)で打ち合わせをさせていただくこととします。
  2. 料金は1回単位、あるいは3回セット(割引あり)の形での指定講座への前納制とします。
  3. 前納料金の有効期限は(1回の場合)翌月の同一日までとします(3回セットは3ヵ月後の同一日)。それまでに実際のセッションを行使されなかった場合には、料金はそのまま徴収させていただきます。
  4. フォーカシング・セッションを実際に行なう日時は、遅くとも前日までの予約制とします。
  5. 万一行き違いが生じないように、日時についてのお話し合いは、メールも用いず、通常の電話で行ないたいと思います。
  6. 私はskypeやliveメッセンジャーには、必要な要件がある際にログインするという使い方しかしていません。申し訳ございませんが、仮にログインしていたとしても、お申し込みやセッション日時の打ち合わせのために応答することは致しませんことをお許し下さい。どうか、まずはお電話で一報いただければと思います。
  7. 事前の打ち合わせ、音声動画通信回線開通までのサポートを除いた、音声動画通信を用いた実際のフォーカシングセッションは、すでに日時をお話し合いして「仮決定」していた場合でも、料金振込みの確認を持って始めて正式に発効します
  8. 約束の時間になりましたら、ご面倒でも、まずはお電話で、「これからセッションを始めたいと思います」と、念のためご一報ください。
  9. セッションの当日のキャンセルについては、キャンセル料としていただきます(3回セットでしたら、1回分を消化したものと見なします)。前日までのキャンセルでしたら、その日から更に1ヶ月間、有効期限を延長いたします。
  10. 実際に料金を振り込まれた後、テスト段階で音質や画質にご満足いただけなかった場合や、当日、ネット通信状態の不測の悪化がセッション続行不能と判断できた場合、私側の事情でスカイプやメッセンジャーでの通信が当日不可能になった場合にはご希望に従い、払い込みいただいた料金のご指定講座への返還、あるいは次回セッション料金への振り替えに応じさせていただきます。

■料金

※指定講座への前納制とさせていただきます。

1回 60分 4,000円

  • 割引制度(併用可)

* 日本フォーカシング協会メンバー割引 -500円
* 大学院生以下割引(心理関係の学生に限定しません) -500円
* 3回ワンセット料金 3回で-1,000円

 つまり、日本フォーカシング協会メンバーの方で、大学院生、3回ワン・セットで前納いただくと、3回で8,000円=1回あたり2,667円となります。

* 日本フォーカシング協会メンバー割引を希望される方は、お申し込みの際に、会員証ないしニュースレターを送付してきた封筒の宛名書きの部分を、FAX(0942-48-8797)あるいはスキャナ取り込みの添付ファイルメールの形でご送信下さい。

■セッション予約可能時間

 毎週木曜日を除く10:30から21:00までの間で、他の業務に支障がない時間帯。

■担当者

阿世賀浩一郎についての詳しい情報はこちらをご覧下さい。

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久留米でフォーカシングを学ぶ会、明日12日分、2名様まで追加募集いたします。

 「久留米でフォーカシングを学ぶ会」明日、7/12(日)に開催分に、ご都合等で2名様のキャンセルがありました。

 そこで、直前ではありますが、2名様まで、追加募集させていただきます。

 引き続き、2週間後の7/26(日)の臨時開催枠での募集も続けさせていただいております。

 フォーカシングについての学習経験が全くない方の新規参加も歓迎しております。

 詳しくは、こちらをご覧下さい。

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2009/07/05

July 1stならぬJuly 5th(第2版)

 今日は九大西新パレスでの北山修先生の講演会に行ってきた。

 福岡市早良区西新は、私の出身校、西南学院高等学校があるところ。

090705_1151001

 約四半世紀ぶりに行ってみたら、当時のチャペルは「西南学院博物館」の名の元に残っていたけど、校舎は少し離れた場所に移築になっていた。

 大正時代に作られた、このチャペルのレンガ造りにデザインを一致させる形で、周囲の西南大学関連の施設がみんな同じようなレンガ造りの外観に統一していたのには感心した。


*****


 講演会の内容については後日ご紹介するとして。

 講演会が終わった後、久しぶりに百道(ももち)の浜まで歩いてみようかと思った。

 私が在学していた当時は、高校のグラウンドのちょっと外まで出ると砂浜だった。

 それがそれから15年もたたないうちに、海岸線は埋め立てられて、ウン百メートル先になり、ベイエリアのビル群の向こうに人工海浜が作られるという「福岡市のお台場」というしかない土地に変貌していた。

090705_1158002
↑このグラウンドの向こうの松林の向こうがすでに砂浜だったと思いねえ。

 その砂浜に、大相撲九州場所の時は各部屋の合宿所があり、お相撲さんたちが稽古をしていて、高校の校舎の周りの道でよくすれ違ったものである。

(遠くに見えるタワーがベイエリアにそびえ立つ福岡タワー。タワーのすぐ右隣(手前の大きいのに非ず)高層ビルがテレビ西日本フジテレビ系列なので、そこまでお台場に似せるか!! といいたくなるくらいだが)

090705_1608001
↑今度は海岸側からみたテレビ西日本社屋と福岡タワー。

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 ↑人工海浜の突端にある、海の中道海浜公園行きの観光船乗り場(マリゾン)より振り返る形で撮影。すでに結構海水浴客があふれていました。ドーム状に見える大きな施設は、もちろんソフトバンクホークスの本拠地、福岡ヤフードームである。その手前に鋭くそそり立つのがシーホークホテル。

●far away(王子のきつねOnline)

 ↑このページに行くと、航空写真で、どのくらい海岸線が沖に移ったかわかります(^^)
 この写真の段階ではまだ福岡タワーも人工海浜もできていません。

 ↓ですから現在の地図をおまけします。

大きな地図で見る

 浜崎あゆみの出身も早良区でして(西新より少し海から離れた六本松地区。私が高校を卒業した直後にayuは生まれている)、幼い日に離婚をきっかけに離れ離れになった父親との数少ない記憶の地が百道の浜だとのこと。

 実は、年齢的に見て、ayuの幼児期の百道の浜は、埋め立てより前の「昔の」海岸線だったはず・・・・ということにはなるのですが。

浜崎あゆみ - Rainbow - July 1st浜崎あゆみ/July 1st
 
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2009/07/04

宮崎哲弥氏、久留米に「たがみ書店」や「リズムレコード」がなくなったことを嘆く

 さて、先日の記事でご紹介した、久留米青年会議所主催の、久留米出身の評論家、宮崎哲弥氏の講演会(正確にはパネルディスカッションと対談)、「『日本』、そして『久留米』に元気を! ~私たちが変える~」、面白かったので、早速速報を書きましょう。

 会場となった久留米のホテルの大広間は、開始30分前の段階でほとんど満席、主催者発表で660名。

 おおおおーっ、日本心理臨床学会大会でもここまで早々に人が集まってる催しはそんなにはないぞ!! 

 いくら青年会議所とそのバックボーンにある商工会議所の動員力、そして宮崎氏に知名度があるとはいえ、福岡県南部最大の30万都市、久留米のパワーをこれだけ実感できたことは、帰郷してほぼ1年の間にはじめてのこと。早めに整理券予約をしておいてほんとうによかった!!

 宮崎さんは、久留米で生まれ、予備校時代までを久留米で育っている。私と2つ違いの方である。これまでも久留米での講演依頼もあったとのことだが、実際に引き受けたのは今回がはじめてとのこと。

 宮崎さんがマスコミの表舞台に登場したのは、オウム事件における若者心理について意見を求められることがきっかけだが、あの上祐氏も宮崎氏と同い年、今では久留米市に編入された地域の生まれである。


 「最近は政治や経済の評論家とみられてしまうことが多くなったけれども、もともとは若者文化問題や宗教問題から出発した存在に過ぎないので」ということをまず最初に前置きされた上で、司会者に促されて、話は「地方分権」問題へとまずは向かいました。


 「東国原知事や橋下知事、全国知事会の発言や提言で、地方分権問題に関心が集まるきっかけとなることはいいことだが、今度の総選挙の争点として見た場合、果たして『地方分権』問題が一大論点とすべき事柄なのであろうか?

 まず優先すべきなのは、日本全体の景気底上げ対策であり、それが一定の効果を示さないうちに、単に地方に『権限』と『財源』の委譲を、今、行うだけでは、地域間の格差がひたすら広がるだけになる。地方分権そのものはこれから推進されていくのがふさわしいし、実際勧めていく潮流は動かないであろうにしても」


(司会者:国のそうした政策を単に待っているのではなく、地方の側からできることは何かないでしょうか?)


 「いったん景気の底上げがなされた後、それをどのように維持し、展開させるかは各地方の自己責任ということになるだろう。

 『内需拡大』という言葉がよく使われるけれども、地域内部における『内需拡大』のサイクル、つまり、その地域内での需要に応える形で、その地域で生産し、その地域で消費活動をするという良循環のサイクルが拡大・成長する必要がある。

 そのことが成立するためには、「ここ」にしかない魅力、言い換えれば、「ここ」に住まないと得られない「唯一性」のようなものが、住民に魅力として感じられる必要がある。

 久留米もそうした地域自立性の高い経済圏として長年発展してきた歴史を背負っているはず。父祖から受け継いだそうした地域固有のアイデンディディをどのように展開していくかが肝心だろう」


*****


 話題はここで一度地域経済の問題を離れ、教育問題に転じることとなる。


今の時代ほど、世代ごとの情報環境が劇的な格差と隔絶を持つ時代は、かつてなかったと思う。

 私の久留米での中高生時代は、ちょうど、テレビゲームが、ゲーセンから家庭内ゲーム機へと一気に転換する時期と重なった。

 次の世代は、インターネットに接続されたパソコンによるコミュニケーションを身につけているという意味で、上の世代とは大きくコミュニケーション様式が異なっている。

 更に次の世代は、今度はケータイ文化という、大人から見るといよいよわからないコミュニケーション様式を備えている。

 これほどのコミュニケーション様式の世代感の隔絶は、人類史上かつてない次元のものなのではないか。

 この結果、家庭内の価値観伝達機能はほとんど機能しなくなってしまう危機に瀕している。

 以前ならば親の背中から学ぶ、ということがまだしも通用した。親と子の「個体間接触」から子供は学んだ。そして本やテレビを通して、親からの価値観とは異なるものを学んでいた。

 しかし現在の若者は、遠隔地のネット上の匿名の他者という、個としての存在がたいへんあやふやな存在に、あたかも身近な他者であるかのように依存しながら価値観を形成していく。

 単に背中を見せるだけの親など、価値伝達機能を果たす上では、存在しないのも同然なのである。

 これは子供との関係に限らない。自分から言葉でコミュニケーションをとろうとしなければ、相手にとって自分は存在しないも同然で、自分からどんどん離れていくことになりかねない、そんな時代なのではなかろうか」


 司会者から、倫理や道徳の問題について振られて、


 「『天知る、人知る、我知る』という言葉かある、『天』とは、お天道さまが見ているそ、ということで、『人』とは地域社会の目のこと。しかし私は、『人が止めるから駄目だ』だけでは今の時代不十分なのだと思う。『そういうことをやっていて、おまえ自身が恥ずかしくないか』という個人倫理の形成が大事ではないか。個人倫理の形成は、個人としての自我形成と表裏一体のもののはずである。


 司会者から、現在の私たちの知識が情報の渦に巻き込まれている点について問われて、


マスメディアであろうと、ネットでの口コミであろうと、それを鵜呑みにしないことがまずは大事なのではないか。まずは疑ってかかること。この、疑ってかかる力が、今、弱まっている気がする。

 まずは自分の常識と照合すること。実体験と照合すること。今の時代、情報の渦の中で、何が実体験なのかわからなくなっているは確かだが、たとえ自分の判断がいろんな常識に毒されているとしても、人はそれを基に『健全な懐疑』をしていくしかないのだと思う。

 新聞に書かれていることであろうと、たとえ信頼できる親友が語ることであろうと、『何かこの話はおかしくはないか?』と違和感を感じたら、心の中でいじくりまわしてみることだ。

 多くの詐欺や悪徳商法の勧誘とは、そうした身近な人間への信頼感につけ込むものであることを思い出してみてもいいかもしれない。そのような、親しい間柄での対面的な人間関係ですら、自分で吟味していく必要があるのだ。

 そうした積み重ねが、個人として強くなる自我形成なのだと思う」


 ・・・・・この部分なんて、私も、激しく同意!! の域ですね(^^)


*****


 ここから休憩を挟んで第2部、「久留米の地域、そして可能性」に入ります。

 司会者から、まずは、久留米の明治通りを中心とする旧市街地のさびれようについての言及がありました。

 この件については、私も、


●にほんじんは、せんそうのしかたをしらない?


・・・・・という、見かけ上物騒なタイトル(?)の記事で詳しく触れました。

 久留米市の商業的中心は、かつては一面の水田とレンコン堀だった、合川地区の「ゆめタウン久留米」を中心とする、高速道路のインターチェンジ近くの、ショッピングモールの一群に、この30年の間に、見事に奪われているわけですね。

 こうした前提を聴衆がみんなわかっているという前提で、以下の部分をお読みください。


「私は高校時代まで、たがみ書店リズムレコード(共に明治通りに並行して今も存在する久留米最大のアーケード街、「久留米一番街」を代表する、久留米最大の書店とレコード店だった)に足繁く通っていましたが、もう今はないんですね。


 リズムレコードって、奥に扉で仕切られた、色々試聴できるクラシックコーナーがありましてね。私はそこに足繁く通って、店長にクラシック音楽の手ほどきを受けたんです」


 ・・・・・わ、私も同じです・・・・・

 きっと、2歳違いの私も、宮崎さんを宮崎さんと気がつかないまま、同じ店内で何回も遭遇しているはず・・・・


 「先ほども言いましたけど、まさにたがみ書店やリズムレコードには、この久留米にしかない固有の文化というものがあったと思う。そういう、他にはない、「ここ」にしかない、豊穣な経験の場となることが必要なのだと思います。

 ところが、今、地方で進んでいるのは、全国どこにでもあるような、メガ・ショッピングセンターができることなんですね。

 もちろん、コンビニ文化にもインフラとしての意味があります。どこに行ってもほぼ同じ品揃えの商品が手に入るということの。

 でもそれだけだったとしたら、なぜ『この』地域に住まうのか? という『唯一的なもの』がないままなんです。

 久留米に生まれ、成長し、死ぬことの意味と魅力が大事。そのためには、久留米の中で生産したものを久留米にいて消費することに意味を感じられないと。

 地方都市を単に「ミニ東京」化することばかりが進んで行っては、この町で生きていくことの意味がわからなくなる。そして、例えば福岡(市)に需要を奪われるばかりということになるわけですね。
 
 結局、『制度的な』地方分権ばかりではなく、『マインドの』地方分権こそが本質なのだと思います。

 最近、プロ野球の球団も地域が応援するという方向が強まっています。若者音楽の分野でも、ミュージシャンが、有名になって、ヒットチャートに乗る様になっても、自分の拠点となる出身地域から離れないまま活動を続けるというケースが増えています。ヒップホップグループにも、「この町」を大事にするメッセージを発信し続けながら全国区になることが生じている。

 そうやって、自分の生まれ育った街から離れたがらない若い人たちが増えてきた。そういう若い子たちの後押しを地域がしていくことが大事で、そうした意味で地域の青年会議所の果たす『黒子』としての役割は大切だと思います。

 こうしたことをしていくためには、単なる利潤追求の市場経済原理のどこかで対抗していく必要も出てくるはず。でも、それこそが『地方主権』ということだと思う。

 そうでなければ楽しくない。この町にいて『楽しい』と思えるかどうか。主人公は一般の久留米市民なんだと思う。

 久留米で生まれたのが必然で、久留米で死ぬのが必然であると市民が自然に感じられるような地域づくりになることでしょう。私も、引退したら久留米で死にたいと思うかもしれませんので、その時は不肖の息子をどうか迎えてくだされば」


・・・・・・久留米に30年ぶりに舞い戻った私の心に響く締めくくりでした。

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2009/07/03

明日から2日間、宮崎哲弥氏と北山修先生の講演会を続けて聴講予定。

 評論家の宮崎哲弥さんが、実は、我が故郷、福岡県久留米市の出身であることをご存知の方もいらっしゃること思います。

 明日4日、久留米青年会議所の主催で、「『日本』、そして『久留米』に元気を! ~私たちが変える~」と題して講演会が開かれるので、それに参加することにしました(すでに応募締め切りです)。

【追記】参加報告はこちらです。


****


 更に、翌日の5日、九州大学の北山修先生を講師とする、「九州大学対人援助職スキルアッププログラム」の一貫として、「人生物語 (ライフ・ストーリー)の読み方 -精神分析入門-」と題した講演会が開かれます。

(こちらもすでに参加募集締め切りです)

 今の私は福岡市まで出向くことはそんなに機会が多くありませんが、福岡市近郊のの臨床心理士の皆様、私を見かけたら気軽にお声をおかけくださいませ。

 この2つの行事参加のため、私の開業カウンセリングルームは、この土日の2日間、臨時休業とさせていただきます。

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2009/06/22

久留米でフォーカシングを学ぶ会、次回7/12(日)開催分、定員に達しました。

 「久留米でフォーカシングを学ぶ会」、次回、通例通り第2日曜、7/12(日)に開催しますが、定員の8名様にエントリーが到達いたしました(感謝!!)

 12日分の申し込みを停止させていただき、引き続き、2週間後の7/26(日)の臨時開催枠で募集を続けさせていただきます。

 フォーカシングについての学習経験が全くない方の新規参加も歓迎しております。


 もし、7/12日枠でエントリーのキャンセルが生じましたら、このサイトで告知させていただきます。 


 詳しくは、こちらをご覧下さい。

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2009/06/14

久留米でフォーカシングを学ぶ会、次回は7/12(日)開催、更に7/26(日)に追加開催予定。

 「久留米でフォーカシングを学ぶ会」、次回は、通例通り第2日曜、7/12(日)に開催しますが、すでに「団体様」6名のご予約を頂き(感謝!!)、更に別の方もエントリーいただきました。

 そこで、2週間後の7/26(日)にも臨時開催させていただきます。

 フォーカシングについての学習経験が全くない方の新規参加も歓迎しております。
 参加エントリー、お持ち申し上げております。 

 詳しくは、こちらをご覧下さい。

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2009/06/12

次回の「久留米でフォーカシングを学ぶ会」は明後日、6/14(日)です。

 「久留米でフォーカシングを学ぶ会」、次回は通常通り、明後日、6/14(日)に開催いたします。

 すでに参加エントリーしてくださった方はありますが、定員に相変わらず余裕十分の状況が続いていますので(^^;)、もう一回声をおかけしたおきますね。

 参加者何名でも、それにふさわしいスタイルを柔軟に地道にやっていくことには何ら変わりがありません(^^)・・・・「学ぶ会」に関しては、とっくに焦りとか、そういう境地は超越し切って澄み渡っているこういちろうです。


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2009/06/11

壷イメージ療法とフォーカシング(第2版)

 以前にもご紹介したかとも思うのですが、改めて、現在九州大学で奉職されている、田嶌誠一先生(研究室情報はこちら。先生のメッセージもあります)の開発した「壷イメージ療法」について取り上げてみたいと思います。

 まず、壷イメージ療法についての田嶌先生ご自身の著作(単著、およびそれに準ずる著作)は次の二つです。

壷イメージ療法―その生いたちと事例研究(成瀬悟策監修)

 専門家向けの包括的な著作としては結局この本に勝るものはないのですが、中古市場でたいへんな高値がつく状況です。もちろん、伝統ある臨床心理系の大学院のある図書館には結構所蔵されている可能性が高いでしょう。

 研究会の、シンポジウム形式での発表と討論の記録という体裁をとっているのですが、そこで討論者に指定された先生方が超豪華です。

 倉戸ヨシヤ先生・栗山一八先生・中井久夫先生・増井武士先生・(我が恩師、亡き)村瀬孝雄先生。(司会はもちろん田嶌先生の恩師、成瀬悟策先生です)

 ・・・・もう、これだけで、一読したい若手臨床家の皆さんは少なくないかと(^^)


イメージ体験の心理学 (講談社現代新書)

 この本は、壷イメージ療法についての解説書というよりも、イメージ体験全般が人の変化に持つ意味についての平易な解説書という側面が強いので、「壷イメージ療法」の臨床現場での適用についての解説本を期待された読者には少し物足りないかと思います。

 ただ、田嶌先生の「イメージの体験様式の変化」論について、そのおおよそを掌握したい人には向いているかと思います。


*****


 この中の前者の著作で書かれていますが、壷イメージ療法のルーツは、あくまでも、田嶌先生の恩師である成瀬悟策先生のイメージ療法催眠療法です。いつの間にかフォーカシングのバリエーションとして生み出された技法であるかのように受けとめる人が増えていますが、この点は安易に混同すべきではないでしょう。

 更に、壷イメージ療法を、

1.気になる事柄について、
2.それを入れるのにぴったりの壷を思い浮かべて、
3.の中にその気がかりを入れて
4.蓋をして封印して、
5.置き場所を決めて「距離をとる」

・・・・そういう技法だと思い込んでいる皆様も少なくないようです。

 すでに10年以上前になりますが、私は、田嶌先生ご自身が講師のワークショップに参加して、こうした理解がいかに一面的だったかに重々気づかせていただきました。

 それ以来、私は、フォーカシングのインサイダーであるにもかかわらず、壷イメージ療法を行なう際には、田嶌先生のエッセンスを絶対に外さない、オリジナルほぼそのままを使うようにしています。

 現場の日常のカウンセリングでも「壷イメージ療法」は全くの「普段使い」の技法のひとつですし、「久留米でフォーカシングを学ぶ会」や「フォーカシング個別指導」の場でも、ご希望があれば、いつでも「オリジナル・バージョン」のままでお伝えしています(^^)

 そこで、ネット上にいくつかある、「壷イメージ療法」についての解説記事よりも更にメリハリを明確にして、できるだけシンプルに、この技法の勘所の私なりの解説を試みてみたいとお思います。


*****


1.深呼吸などをして、リラックスできる態勢を作ってもらう。


2.「あなたのこころの中のことが入っているた、壷のような『容れもの』があると想像してみるのはいかがでしょうか?・・・・・・しばらくすると、浮かんできますよ」。

【Tips 2-1】・・・・・ここで肝心なのは、標準技法においては、先に、「こころの中のこと」が具体的に何なのか想像してもらい、次に、それを入れる壷を想像してもらうのではないということです(このことは、田嶌先生に直接ご質問してはっきりと確認済みです)。

 のっけから「自分のこころの中のことが入っている壷」をいきなり想像してもらうわけですね、こころの「内容(content)」は何なのかに意識的に注意を向けるように誘導することをむしろ回避し、contentは曖昧のまま、それを包含する「容れもの(container)」の方をイメージしてもらう方向に仕向けているあたりに大きな鍵があります。

 もちろん、こうした教示の結果、クライエントさん自身が、壷のイメージを見つけ出す前にせよ、見つけ出した後にせよ、自分から、「これは、○○についての壷」などと命名することはあるかと思いますし、それは当然受容的に受け止めていくことになりますが、それが何についての壷なのか、クライエントさん自身にずっとピンとこないままでも、壷イメージ療法を進める上では何も障害にはなりません。

 田嶌先生は、「あなたのこころの中のことが入っている」って何? と怪訝な様子のクライエントさんには、そこすらすっ飛ばして、ともかく壷を思い描いてみることを勧めてみることすらあると言われていたと記憶します。

(もちろん、応用編として、具体的な、扱いづらい課題や感情について、それを入れる壷を思い浮かべるという方法はあり得るわけですが)


【Tips 2-2】・・・・・「壷」という指定イメージは、たいていの人にとって思い浮かべやすいものなのですが、「いれもの」のようなものであれば、壷ではなくて、ビンだとか、袋だとか、箱だとか、ともかく、「容器めいた形状」であればいいことを多少示唆するサポートが役に立つクライエントさんも少なくないようです。


******


3.壷が浮かんできたら、少なからぬクライエントさんは、簡単な誘いかけだけで、「どんな壷か」について、形状や、そのたたずまい(かもし出す雰囲気)、更には、眺めているとどんな気持になるか、それに似た壷を以前どこかで見たことがある・・・・・などという話を、自分から物語り始めるので、それを受容的に受け止める(ロールシャハでいう「自由反応段階」みたいなもの)。

【Tips3-1】 大きさや形、色、陶器か磁器か、表面の材質、触り心地の感触など、いくつかの具体的観点から、セラピスト側から、控えめに若干質問してみるくらいはいいだろう。

 私(阿世賀)個人は、こういう時に、「どんな『感じ』がしますが」という言い方をオープン・クエスチョンで一般的な形で軽率に使いすぎること自体を回避したい気持ちが強い。それなら、せめて、「壷を眺めていてどんな気持ちがしますか」ぐらいに設定を明確にしたい。

 なお、私は、フォーカシングの場合には、フォーカサーがイメージ的な象徴化をしても、イメージそれ自体について、「大きさは?」「色は?」などどいう、イメージの具体的な詳細化を直接求める問いかけをすることをほとんど禁忌とすらしている。 

 フォーカシングにおいてイメージは不可欠に必要な過程ではない。アン・ワイザーのいうがごとく、イメージは、身体感覚や情動や、気になる事柄についての具体的な語りなど、フェルトセンスが響きあういくつかの側面の中のひとつであるに過ぎない。

 フェルトセンスをとりあえずつなぎとめるためのハンドルとして生起したイメージは、リスナーやガイドからの具体的な詳細化の求めがあると、フォーカサーのフェルトセンスから離れて「一人歩き」し始める、むしろフォーカサーに体験過程の軌道を見失わせるからである。

 ところが、壷イメージ療法の場合には、壷のイメージをリアルに具体化させる方向に若干誘導することそのものが、促進的なブロセスとみなしていいようだ(そもそも、壷という課題を提示したのは治療者の側であるため、クライエントさんの中で固有のイメージ化のプロセスを具体的に促進する援助が必要ということにもなるのだろう)

 この点で、私は壷イメージ療法とフォーカシングとでは、そもそもイメージについての質問や応答のしかたそのものをはっきりと使い分けている。

 もっとも、クライエントさんの語りを丁寧に受け止めていけば、そのような喚起的質問は最小限でも、クライエントさんは、思いの外自発的に、細やかにこうした語りを紡いでいくものであり、性急に質問を繰り出すのは、本人のプロセスを妨害するだけであることは、両技法共に変わりがない。


******


4. 「他にも浮かんでくる壷はないか?」と問いかけ、2..-3.までの段取りを繰り返す。

 田嶌先生自身、「ひとつしか壷が思い浮かばない人の場合の方が注意を要する」と、1つ目の著作でお書きである(p.57)。「1つの壷の中に多様なものを含みすぎている状態であろうと思われる。ただし、『他にもあるけどはっきりしない』とか『たくさんあるけど一個だけはっきりしてる』という場合はこの限りではない」(pp.57-8)という示唆は興味深い。

 私の経験では、意外と少ないのは、個数が2個で終わるケースである。3個や4個というケースは、壷の形状とそこから語られる連想もバラエディに富み、セッションとしてまとまりがいい気がする。「序・破・急」あるいは「起・承・転・結」ということを連想させる不思議な順序で壷自体が浮かぶのである。

 つまり、単にこころのいろんな側面の表れというより、新たな壷について語られ出した時、新たな体験過程のステージが開かれていくばかりか、治療者がそれにうまく付き添う限り、新たな壷の登場そのものが、そのセッションで可能な範囲での無理のない「人格再統合」すら暗々裏に指向しているかのようなのである。

 (ここまでは田嶌先生は言われていない。ただ、私の場合、フォーカシングにおいても、clearing a spaceを進めていくことは、思いよらない新たな気がかりに『気づいて』いくことであり、丁寧にclearing a spaceが進むと、すべてを積み出した時には、単にすっきりしたというのを超えた大きな気づきを伴うシフト体験にすでになっていて、それ以降のフォーカシングの部分は不要とフォーカサーも感じていることが少なくない現象を早くから指摘してきた立場(阿世賀,1992)なので、私が療法家として新たな壷を思い浮かべていってもらう過程でも、類似のことが生じやすいとも想定できるかもしれない)


******


 5. とりあえずの、ちょうどいいいくらいの壷の「置き場所」について「相互調整」してもらう。

 【Tips4-1】田嶌先生のオリジナルに従えば、一つ一つの壷に「ちょっと入ってみて」配置を決めるのだが、私は、壷を眺めていての心地だけで決めてもらうことしかやったことがない。

 一般的に言えば、なじみやすい壷を手前に置くことになるだろう。「ちょっと奥に置いて眺めてみるのもいいし、右手寄りでもいいし、左手よりでもいいし・・・・」ぐらいの曖昧な示唆しか与えない。置き場所に高低の「段差」があったほうがいいので「台」や「棚」や「スロープ」を自発的に設定してしまう人もいる。

 この段階で、自発的に、「実家の土間に置いてあるイメージが浮かぶ」とか、自発的に具体的なことを語る人も出てくるし、中には「腕の中に抱えていたい」などと、思いもよらないことを言い出す人もあるが、受け入れている。


******


6.一番入りやすそうな壷を選んでもらい、壷の中にゆっくりと入ってみて、じばらく中の居心地を味わってみる→出てきてもらう→壷に蓋(ふた)をする

 田嶌先生自身、これは無理な人にやってもらう必要はないことを強調している。このステップを最初から省略する前提でもいいように思う。田嶌先生自身短いワークショップではこの部分を割愛している。

 この「入ってもらう」体験は、一般に思われているよりは、恐ろしい体験として本人に体験されることは少ないようである。

 ただし、仮に壷に「入ってもらわない」ままで済ませたとしても、個々の壷との関わりの終了の前に、「蓋(ふた)を見つけてもらう」ように促すことは大事なことである点は強調したい。

 しかも、どんな蓋がいいかを吟味してもらうプロセスが大事である。 コルクの栓という人もいれば、油紙やラップを何重にも重ねたものを壷の口に載せ、紐でぐるぐる縛りあげる人もあるかもしれない。

 このことと延長して、壷そのものの「梱包」まで進むのが自然な人も少なくない。「壷が本来入っていた木箱に納めたい」というような人も少なくない。

 私の場合には、個々の壷の栓のしかたと、その日のセッションの段階でのその壷の「置き場所探し」は、連続的な手続きとして進めてもらうことが多い。

 「置き場所探し」に関して、私は「それは現実の場所でもいいですし、空想上の場所でもいいです。この面接室の中のどこかでもいいです。(小さな壷の場合)もし、持ち歩きたいというのでしたら、それを入れるための空想上のバックやポーチをしつらえてもいいですよ」

などとアドバイスします。少し変わった例では、「その壷を置いた建物の『外観』を写真に撮ってパスカードに入れて持ち歩くつもりでいたい」というような例もあった。

 「栓のしかた」と「置き場所探し」は、私の見たところでは、実は別々のことではなくて、多くの人にとって、相互補完的なワン・セットの段取りのように思う。

 中には、「別に蓋をしなくても大丈夫です、実家の神棚のお神酒のところに置いてあるつもりになれば」などと、置き場所にだけこだわれば十分という人も珍しくはないように思う。これは、私の場合、以下に述べるとおり、壷に「入ってもらう」ことを滅多に行なわないことも深く結びついているのではないかとも思えている。


 実は、私の場合、この「入ってもらう」段階は、面接現場ではほとんどの場合省略している。それは、ここまでのプロセスですでに十分すぎるほどのことがクライエントさんとの間で進んでいる気がしてならないことが多いからである。

 少なくとも、この「入ってもらう」部分を、壷イメージ療法におけるクライマックスとして想定する必要はなく、むしろ、可能な人向けの追加オプションと見なしてもいいのではないかとすら私は判断している。

 では、壷イメージ療法の中で一番肝心なことが生じているのは?

 実は、壷を思い浮かべて、無理のない距離感で、しばらく壷の様子を味わった、その段階だと私は思っています(^^)

 この点では、フォーカシングにおいて、フェルトセンスをつかまえ、無理なくしばらくそのそばに『共に-居られた』経験それ自体を繰り返し可能になれることが大事で、後のことは無理して引き起こすことではないというのと似ているかと思います。


******

 
7. 次の壷に入りたければ、6.と同じようにして入ってもらう→壷の置き場所を見つけてもらう。

8.そのセッションで相手をしなかった壷についても、蓋をしたり、置き場所を見つけたりが必要なものもあるだろう。強迫的にすべての壷の封印や置き場所探しは不要で、「目を開ければ消えてしまう」ということでいいという壷もあるかもしれない。

 しかし、セッションの中で不快な、あるいは不気味な印象のみを残したり、混乱させたり、後味の悪い壷については、封印や置き場所探し、あるいは、田嶌先生自らが「補助的技法」として紹介している「金庫に入れて、鍵は治療者が預かる」という厳重なやり方、更には「次にこの面接室に来て、また開ける気になった時まで、その壷を一人で家で開けてみたりは決してしない」という約束などが重要なこととなるだろう。

 私は、この「この面接室だけで壷の蓋を開けよう」という約束を興味深く思っている。面接室の中で、クライエントさんが壷との関わりでそこそこ安全な体験をできたのも、実は、治療者がクライエントさんの内面の"container"(ビオン的な意味を込めてもらっていい)としての役割を果たし、更に、面接室とい特殊な心理=社会的かつ物理的な「容れもの」空間にも保護されていたからだと言えるかと思う。

 面接室の一歩外に出たら、あの冷たい世間の風なのだ。あるいは、家に帰ったら、家族との関わりの中で心の壁にたくさんの弾痕ができている人も多い。そういう人が、面接室と同じような調子で壷のふたを開けたら、自分自身のこころのcontainerだけでは中からあふれ出してくるものに対応できない可能性は高い。仮に時折壷を思い出しても、外側から眺めたり、撫でてみる程度までにとどまっていれば、実は安全度が高い形で、日常に裏面的なプロセスを持ち帰っていることになると思える。


******


 壷イメージ療法の最大の逆説は、心の"内容(content)"に具体的に注意を向け、言語化し、表現し、説明・分析していくという、対話的心理療法の方向性を逆手に取り、「壷」という、誰にとっても視覚イメージが喚起しやすいばかりか、ディティールが細やかで皮膚感触的な感覚性も高く、太古的・原型的で、人間の身体構造のアナロジーともなる絶妙な指定イメージのもつ、

「具体的な中身(content)を包み隠しつつも安全に保持するが、密閉はされていない『容れもの(container)』」

を思い浮かべて味わうことに、巧妙にすり替えている点だと思う。

 「すり替えて」という言葉は今の私にとってもぴったりではないが暫定的に採用したい。

 少なくともここで私が言う「すり替えて」とは、いい意味での「すり替え」なのだ。ただのガムの銀紙を金箔に「すり替える」みたいな方向での。

 目に見え、触ることもできる『容れもの』をイメージ的・身体感覚的に観照し、味わい、体験することは、ユング風に言えば、その『容れもの』の中で胚胎され、発酵していく、たましい(soul)そのものの変容過程という、目に見えないし、言葉で説明しきれないものに関わるのだと思う。

 神田橋先生ふうに言えば、実はファントムに過ぎない「言語化まみれ」の泥沼から「こころ」を救出するひとつの営みなのだと思う。

神田橋條治/「現場からの治療論」という物語―古稀記念


 壷イメージ療法の効能について、旧来の心理学や精神医学の力を借りればさまざまな説明ができる。でも、それらによって説明し尽くそうとすることと、この優れたアプローチを、現場で臨床家がどう職人的に役立て得るかは別次元の問題であろう。

 どうも、フォーカシングの方が、壷イメージ療法よりも「難易度が高い」技法のようだとは、私すらも感じています(^^;)


****


 なお、田嶌先生が理事長をお務めになる形で、NPO法人として、開業カウンセリングルームが、福岡市の西新プラザで開設されています。

 詳しくは、

●九州大学こころとそだちの相談室

サイトをご覧下さい。
    

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2009/06/08

後日談:内なる紀香の「ご褒美」要求にいかにこたえたか

 昨日の話の続きである(^^)

 どうも私が今の段階で「我が内なる藤原紀香」が求めているのは、キャッシュのチャージではなくて(「食べる」くらいには稼げてますし)、どうも、久留米に帰ってこれまでの「労に報いる」ご褒美であり、それはお金には換算できないものらしいと気がつけたことは、私にとって意外と大きなシフト=気づきであった。

 ともかく「ご褒美」という、内なる藤原紀香でもないと使いそうにないボキャブラリーが私の気持ちを表す言葉としてしっくりきたのが何とも興味深かったのである。

 さて、今日になって私がどうふるまったかということを、こうして夜になって振り返ってみると、・・・・・・お金ではなくて、ものでもなくて、そういう「形にならないご褒美」をもらえるように自分を仕向けるという行為だったように思える。

 私に必要なのは、ある種の情緒的なチャージを受けることによる余裕感の回復だったようである。

 「その方たち」に下手にご挨拶するのは、まるで「何か仕事ありません?」とお頼りするみたいで申し訳ないと、延々と躊躇していた。

 ただ近況報告して、元気付けていただいた・・・・それだけである。

「君は久留米のような田舎で自分の考えをじっくりと深める方が似合っていると思うよ。東京なんかの、頭の大きな人たちを相手にしていたらおかしくなるだけだ!!」

 しかし、それで我が内なる紀香は大満足して、昨日のやや鬱的で無気力なモードから一変して、お役所への「あるお伺い」を、いそいそと、やすやすとこなしていたことだけは間違いない(^^)


******


 ジェンドリン曰く、


「物事がうまくいかないのは、多くの場合、そのことを中途半端にしかやっていないためである」
 (『フォーカシング』のどこかに書いてある言葉のはず)


 バラ・ジェイソン曰く、

「クライエントは、うまく行っているものは何か、うまくいくものをもっと行なうためにはどうすればよいかに気づくように促される」(邦訳p.55)

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2009/06/02

「こころ相談.com」で、うつ病の時のこころの状態についてのインタビュー記事、掲載していただきました。

 少し以前から予告させていたいておりましたとおり、本日、開業カウンセリングルーム検索サイト、「こころ相談.com」の「こころインタビュー」コーナーに、「うつ病の時のこころの状態」と題しまして、インタビューを掲載していただきました。

 PDFファイルの形式で、この記事を独立して読んでいただき、保存することも可能です。

A_btn056_2067_001.pdf

 今の時代らしく、skypeを通してのインタビューでした。

 校正段階での私のいろいろな注文に丁寧に答えてくださる形で、かなり長時間のインタビュー内容を、読みやすい、美しいレイアウトで編集してくださった、担当者のHさんに感謝申し上げます。

 このブログでずっと展開してきた、精神医療と鬱の患者さんとのかかわりに対して、一介のカウンセラーが何ができるかというテーマの、現段階での集大成にできたかと思います。

 ご意見、ご感想も、お待ち申し上げております。

*****


 「こころ相談.com」は、日本を代表する、全国の開業カウンセラー検索サイトであるのみならず、さまざまな企画を立てて、登録カウンセラーにエッセイ等の執筆の機会を与えてくれ、一般の皆様が、心理カウンセラーひとりひとりの持ち味に触れる機会を提供し続けている、ネット界で得がたいサイトであると思っています。

 まだサイトをご覧になったことがない皆様、一度アクセスしてみてはいかがでしょうか。




こころ-e-フェア


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2009/05/29

浜崎あゆみと中島みゆきとアラニス・モリセットの共通項(第3版)

 久々にayuネタを書くかと思ったら、ここまで搦め手から来るか? と思われる方もあるだろうなあ・・・・coldsweats01

 でも、J-Popと洋楽の両方に詳しい人だと、もっともな着眼だ!!と、あっさり言われそうな気もする。

 実は知りあいから紹介されて、最近聴いているんだけど。

 最初に、ベスト盤の、" The Collection"から聴いた。

ザ・コレクション(スペシャル・エディション)(DVD付)
 
 曲想は、結構、私の好きなオリヴィア・ニュートン=ジョンを思わせるところもある曲も少なくなくて、マドンナの起こしたレーベルからデビューした人にしては、意外とオールド・ファッションだなあと感じたけど、私にとっては非常に入りやすいスタイル。本人がギターやハーモニカなど、幾つも楽器をこなせる人だから、全く自然な成り行きなのだろうし、それとこの人、カナダでのインディーズ・デビューがわずか10歳らしかったから、ベースにある音楽スタイルっていうのが、年齢の割には古いあたりにあったんだと思う。

 私って、洋楽を聴いていて、耳で歌詞のverbalな意味が読み取れるような英語力ではない。でも、歌詞カードを読むと、何か、凄ーーーーく「婉曲な」形で、プライベートなメッセージをぼろぼろと書いていくタイプの人であることに気がつく。添付の和訳は、そこらへんの「含みの多さ」の一面しか訳すことができていない。質は違うけど、どこかでayuの詞を思い出させるところがあって。

 いきなり「誰にでも感情移入できる」普遍的な言葉で詞を書く人ではないのだ。「特定の人」を強く意識した書き方だから。

 でも、最初、「この人何をぶつぶつとグチ言ってるんだ」と思いながらも話を聴くうちに、多くの人に共感できる接点が拓け出てくる・・・という、じんわりと効き目が聴いてくるタイプの詞なのだと思う。

(もっとも、2枚目以降のオリジナルアルバムでは、一転してシンプルな歌詞のものも増えてくるようですね)

 でも、内容の自己披瀝的な赤裸々な側面は、むしろみゆきの系譜に近いかもしれない。
 

***** 


 そして、全世界で2400万枚というセールスを記録したという、ファースト・アルバムの"Jagged Little Pill"に聴き進むわけですが。

ジャグド・リトル・ピル

 ベスト盤では、この、一曲ごとのアプローチの変化はとてもわからなかったなあと思う。そして何より、リスニングが無っ茶苦手で、意味は、ながら聴きだと全然伝わってこない私なのに、iTunesに入れて何かの作業をしていると、この人の声が、それこそ、

 ♪ワケのわからぬこと話してる

(浜崎あゆみ/independent)


・・・・というだけで、もう、何か訴えよう、訴えようとしているのが、(サリヴァンふうにいえば)"verbal"にではなくて"vocal"に伝わってきて、見事にinterruptされるわけである。

 声の質として、エキセントリックなのではない

 むしろ不器用ですらある声だと思う。

 なのに、それを総動員して、くどくどくどくどと叫びを上げるのだ、この人は。

 このような感覚に襲われたことは、あまりない気がした。


 まさに、「角張った小さなタブレットを飲み干す」ひっかかかりというか、絶妙なアルバムタイトルである。

*****


 2枚のCDのライナーノーツによると、この人、先ほど述べたように、10歳でのカナダでのインディーズ・デビュー、カナダ国内でのメジャー・デビュー、そして、上述のアルバムを引っさげての国際的なメジャー・デビューという階段を歩んできたみたいだけど、それぞれいろいろ賞をもらって高評価の中で次のステージに進んだのに、「何か、何か違う」と違和感を感じ続けていたみたいである。「周囲は大人ばっかりだったし」とインタビューにも答えているらしい。

 このあたりも、10代初めに福岡ですでにモデルやCMの仕事をはじめ、上京してから「未成年」「闇のパープルアイ」「ツインズ教師」などで演技力にも注目され、avex以前に一度は歌手デビューしているayuのかかえ続けた「違和感」とも何か通じるところがあるのではないか???

 まだ、確定情報ではないので、情報リソースは明かしませんが、ayuのプロモーション・ビデオの中に、アラニスののそれに相当影響を受けているという説があるものもあるらしくて、もし仮にayuが好きなアーティストとしてアラニスを掲げる発言をどこかで公言していたとしても、何も違和感がない気もします。

 以前、ayuの好きなアーティストについての何かのインタビューでの情報に接して、「私の知らない洋楽女性シンガー」がそこに含まれていたのだけど、なんとなくそれがアラニスという気もしてきた・・・・誰か教えてくだされ!!


*****


【第2版で追記】

「王子のきつね」さんにこの件をネットでお尋ねたら、実にあっさりと返事をいただきました(^^)

少なくとも、この"Thank U"のPVがayuの"Loveppears"のジャケットに与えた影響は大いにありそうです。

●Alanis Morissette - Thank you (subtitulado en español)(YouTube)

浜崎あゆみ/Loveppears


*****


 彼女の曲は、iTune Storeで十分に整備されていますね。

Alanis MorissetteiTunes StoreのAlanis Morissetteコーナー


*****


  おしまいに、YouTubeから、アラニスのファンに、「このバージョンをいきなり紹介するのは反則!!」といわれるのを承知で、メロディーの美しさと詞の悲しさが好対照の、"Your House"を。

(アラニス自身の声ではなくて、あくまでもカバーですが)


Lyrics | Alanis Morissette lyrics - Your House lyrics

 やっぱり、この曲の、オリジナルアルバムへの収録の際の手法を、ayuさん、まねてるんじゃない?? 上記のアルバムの浜崎あゆみ - Kanariya - Kanariya (Original Mix-Radio Edit)あの曲で?

ジャグド・リトル・ピル~アコースティック

 "Your House"をフツーに聴くなら、10年後に再録された↑このアルバムということになるのかな?

Alanis Morissette - Jagged Little Pill Acoustic - Your House"Your House" Acoustic Version


*****


 そうそう、ayuよりみゆきより、何より矢井田瞳さんなんて、作風的に、アラニスともろにかぶるという点で、日本では代表的な人の筈・・・・ですよね?

 iTunes Music Store(Japan)


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2009/05/24

こういちろうはいかに短期療法に入門したか(後編) -ライブ・コンサルテーションという名のケース・スーパービジョン-

 前編の続き、第82回日本産業衛生学会における、日本短期療法学会元理事長、長崎純心大学教授、児島達美先生による、産業保健領域(EAP)における短期療法的アプローチの具体について報告したい。

 児島先生が、講演の後半の1時間を費やしたのは、「ライブ・コンサルテーション」と呼ばれる形式でのケース・スーパービジョンのデモンストレーションだった。
 
 コンサルテーションとは、クライエントにあたる人物とカウンセラーの直接の一対一の面接ではなく、むしろ問題を抱えた人物=いわゆるクライエントと関わる、援助的側面を持つ当事者(カウンセラー、上司、家族、配偶者、友人など)に対して、専門家が、クライエントさんにいかに対応するのかについて助言する場合を指す。

 (私の書いたこの記事における分類をご参照ください)

 助言する専門家のことをコンサルタントと呼び、助言を受ける人物のことをコンサルティーと呼ぶ。

 つまり、コンサルテーションにおいては、通常のカウンセリングとは異なり、クライエント/クライエントに関わる援助者(コンサルティー)/助言する専門家(コンサルタント)・・・という三者関係が布置されていることになる(クライエントさん自身はその場に同席しなくても)。

 これは、クライエントさんとの面接過程について、カウンセラーが、更に経験あるカウンセラーに有料契約で助言を求める、ケーススーパービジョンと呼ばれる枠組み基本的には共通である。つまり、

スーパーバイザー=コンサルタント
スーパーパイジー=コンサルティー

と読み替えて、一応差し支えはない。


 ただ、ケーススーパービジョンにありがちな光景は、

1.スーパーバイジーが綿々とケース記録を読み上げ、(ああ、聴いていると退屈!!)

2.スーパーバイジーは、クライエントさんの病理や面接過程についての分析や考察を、あくまでもスーパーバイジーの中での「思い込みの物語」としてとうとうと語り、

3.どのようにケースがうまく行かないのかについて、スーパーバイジーは、自分の未熟さについて、ひたすら自虐的で内罰的な自己分析を重ね、

4.・・・・かと思うと、今度は、「クライエントさんの自我水準がボーダーラインだからうまくいかない」「担当医がデリカシーに欠ける応対をクライエントさんにしてくれていない」などという「外罰的な」責任転嫁に転じ、

5.そうしたスーパーバイジーの防衛のヨロイを更に突き崩さんとばかりに、スーパーバイザーの先生は、スーパーバイジーがまだ気がついていない問題点を洗い出し、詰問し、

6.もしそれがグループスーパービジョンだったら、他に参加者も、スーパーバイザーの先生に「同一化」して、他の人の事例の「揚げ足の取り方」にだけ習熟の技を磨き、

7.結局、そうやっってスーパーパイジーが語った、主観的で都合のいい切り取られ方をした面接の報告という「フィクション」に基づいてなされた、一面的で主観的で、人のことはなんとでもいえるけどねえといいたくもなる、意外と無責任であてずっぽうで思いつきに過ぎないな「見当違いの」助言が、スーパーバイジーに雨あられと降り注ぎ、

8.そうした助言に従って面接場面でクライエントさんに向かって動いてみようとしたら、スーパービジョンを受ける前よりも、クライエントさんとの関係は余計に混乱し、収拾がつかなくなり、

9.カウンセラーは、いよいよ自分の感性と判断で、腹を据えて面接に臨めなくなり、

10.そういうカウンセラーの自信なさげな様子を、クライエントさんは、たよりなく感じて、カウンセラーに更に苦情を言ったり、罵詈雑言を重ねたり、ついには無断キャンセルにして来なくなったり、相談機関窓口に「カウンセラーさんを変えてください」と電話を入れたりして、いよいよカウンセラーはアイデンティティーの危機に陥り、

11.次のケーススーパービジョンで、1.から7.までをもう一度繰り返して、更にスーパーバイザーの叱正を受けたり、壮絶な自己嫌悪のトラウマを深め、

12.そうこうするうちに、「こんなスーパーバイザーに指導を受けているから自分は駄目になったんだ」と内罰から外罰に転じ、

13.気を取り直して、そのカウンセラーは、別の「もっと優秀な」スーパーバイザーを探して、

14.以上、1.から13.を2回も3回も4回も繰り返した挙句、

15.今日も新たなスーパーバイザーを求めて、路頭をさ迷うのでした。


・・・・・という現実が、ちまたに見られるわけである(^^;)


*****


 そういう、ありがちなスーパービジョンと、児島先生のような達人によるライブ・コンサルテーションは何が違うか。

1.仮に事前にケース記録をまとめてきたとしても、コンサルティー(助言を受ける人)は、それを読み上げるのではなくて、あくまでもライブで話せる範囲で、今、クライエントとの関わりで生じている行き詰まりや、何を解決したいのかを物語る。コンサルタント側も、その内容について、文書等を含めて、事前に一切予備情報を受け取らない。

2.コンサルタントは、事例に対する助言をするというよりも、いわば「ある人との対人関係に悩んでいるクライエント」に応対するかのように、短期療法的な面接過程そのものを、コンサルティーとの間で繰り広げていく(そこには、間接的に、コンサルティ自身をクライエントの身に置いて役割交換をした上での、間接的だが体験的な技法の学習を暗々裏に促すという側面が内包されることになる)。

3.短期療法の性質上、それは「問題の原因探し」的な探求や分析ではなく、コンサルティーが「今、何に、どう困っているか」「これからどうしたいのか」という点に絞ってやり取りは勧められていく

4.私の見たところ、コンサルタントは、コンサルティーの発言を受容的・共感的に受け止め、コンサルティーの発言の流れを押しとどめて水を差すことはむしろ回避しているが、さりげなく話しに水を向ける際に「あなたはそれをどう感じ(思い、考え)ましたか」などと内省を深める方向に焦点を絞るのではなく、「それで、あなたは、クライエントさんにその後どう振舞いましたか」などという、その人の認知・思考・行動面での「問題解決」のありようの話題を引き出そうとしているように見えた。

5.しかし、そうした際に、はた目から観て、そのコンサルティの問題解決様式に一定のかたくなな固着があり、クライエントさんとの間に悪循環的な相互作用があっても、コンサルタントである児島先生はそれをすぐさま指摘して修正を促すことはしていない。まるで、そうしたコンサルティーの認知の固着や、相互作用的な悪循環が繰り返し自然と浮かび上がり、コンサルティー自身が、その悪循環について暗々裏に少しずつ気づき始めるまでは、むしろそうした悪循環パターンそのものを思うがままに自由に語らせ、ふるまうに任せ、それをやさしく「抱える」ようなスタンスで応対されているかのように感じた。この点での児島先生の、どっしりとした、安心感を漂わせた、少しユーモアすら漂わせたプレゼンスには、臨床家として、大いに見習うべきものを感じた。

6.こうした流れの中で、まるで「時が満ちた」間合いを見計らうかのようにして、児島先生は、「ところで、○○さん、ちょっと次のようなことを、今、ここで試してみてはどうかと思うんですけど?」というような調子で、コンサルティーに、独特の「思考実験」のようなものを提案する。それは独特の意外性があり、まるで、面白いゲームに誘(いざな)うような問いかけである(後で知ったが、こういうのを「ミラクル・クエスチョン」というんですね。)


*****


 この部分から、実際に目の前でなされたライブ・コンサルテーションの内容をご報告するのがふさわしいだろう。

 クライエントさんは、企業に勤める中年のサラリーマンであり、うつ病で、休職と復職を繰り返してきた。産業医は、ともかく毎日会社に通うことが習慣化することを、EAPカウンセラーであるコンサルティーに求めている。しかし、クライエントさん自身も激務に復帰することに不安を抱いているし、その一方、上司の自分への対応に不満を抱いてもいる。コンサルティーは、そうしたクライエントさんにどのように対応していくのが援助的かに、さまざまな迷いを抱き、時にはクライエントさんに色々反論したり意見したくなる衝動と戦ってもいる。

 ・・・・・この水準までなら、EAP(従業員援助プログラム)領域でのサラリーマンの復職支援として、非常に典型的な状況ですから、個人が特定できる心配は全くないかと思います(^^;)


 さて、児島先生は、上記の1.から5.にあたるやりとりが、20分ほどかけて進んできたあたりで、水を向けるわけですね。

6.「どころで、今、ここまで私たちがこの場で繰り広げてきたやりとりを、○○さん(クライエントさんの仮名。その場でつけてもらうあたりも興味深かったが)が、実は私たちのうしろの「このへん」にいて、みんな聴いていたと想像してみるのはいかがでしょう? ○○さんは、どんな感想を言ってくれると思いますか?

 コンサルティーのAさんは答えます:

「そうですねえ、うーん・・・・・・○○さんは、いつでも、私との面接の後で、お礼を言ってきます。きっと、いままでの私の話を聴いていても、『いえいえ、カウンセリングは十分に役に立っていますから』などと、答えてくださるのではないでしょうか?・・・・・・(沈黙)・・・・・・・でも、ほんとうのところ、そのように感じてくださっているかというと、自信がないんですよ」


 児島先生は、もう一度、類似の質問を投げかけます。

「なるほど・・・・・・それでは、今度は、今、お話になった、そのことまで○○さんが、このやりとりのそばにいて、お聴きになっていたたとしますね。 ○○さんは、どんな感想を言って下さると思いますか?


「きっと、『いえいえ、本当に感謝していますから』と言ってくださるとは思うんですが・・・・・・(この後、Aさんに思い出された、関連事項についての記憶については割愛します)」


 児島先生は、更にもう一度(!)、類似の質問を投げかけます。

「なるほど・・・・・・それでは、もう一度やってみましょう、今、お話になった、そのことまで○○さんが、このやりとりのそばにいて、お聴きになっていたとしますね。 ○○さんは、どんな感想を言って下さると思いますか?

「・・・・・・どうも私は、○○さんが実際に示している態度や言っていることを、額面どおり信じられない、ほんとうは、凄く違和感や欲求不満をを感じているのに、それを言えないまま溜め込んでいるはずだとどうしても感じてしまうんですよ。そして、私は、そうした○○さんの求めにどう答えていいか、困惑してしまっているようですね」


 ここで児島先生は、突如、ご自身の経験談を問わず語りにお始めになります:


「私が若い頃、スーパーバイザーの先生に事例の報告をしている時、『クライエントさんの本当の気持ちがわからない』ということをふと漏らしたんですよ。そうしたら、先生が次のように言われたのが凄く印象的でした。

『クライエントさんの本当に気持ちを確かめることって、それほど重要なことなのかね?』

 そのように言われたことが、私の頭の中に意外なくらいに残り続けていましてね。そうこうするうちに、クライエントさんの言葉の「ウラを読もう」という構えが私の中からいつの間にか抜け落ちていったみたいでね。・・・・・気がついてみると、そういう私の側のスタンスの微妙な変化みたいなものが、何となくクライエントさんに面接室で伝わるようになって行ったんじゃないかとも思うけど、クライエントさんも感じたままに私の前で思ったことを言ってくれているなと思えることがいつの間にか増えて、面接の力みが、いい意味で抜けて行った気がしているんですよ」


 これを聴いていた、コンサルティーのAさんは、ふと思い立つように、次のように語りだします:

「先生のお話を聴きながら、私が○○さんの言うことを「信じられない」のはなぜかなあ?・・・・と思いを巡らせていたんですが・・・・・いま、ふと、思い浮かんだのは、そもそも私のほうが、○○さんに、感じたままのこと、思ったままのことを全然言っていないじゃないか?・・・・・って」


******


 フォーカシング的に言えば、児島先生が3回繰り出した問いかけ(私が質問タイムに確認したところ、この質問は、短期療法の世界で「関係性の質問」と呼ばれるもののバリエーションンだそうである)は、フォーカシング技法でいう「フェルトセンスに問いかける(asking)」と実に似通った質問である。

 フォーカシングの場合には、内的な対象としての、フェルトセンス=身体の感じそのものからの応答を誘発するものであるのに対して、児島先生のなさったのは、その場にいないクライエントさんと、イメージ上で対話するという形でこそあれ、外的な現実の他者、しかも3人目の他者がどのように応答してくるかという実験である点に重要な違いがある。

 しかし、例えば、フォーカシングで、

ガイド:「何かが『引っ込んで』いる・・・・・そういう言い方でしっくりくるかな? とお腹の感じに尋ねてあげてみたらいかがでしょうか」

フォーカサー:「・・・・・(沈黙)・・・・・『一応はいいよ』と答えてくれています」

ガイド:「なるほど、『一応はいよ』と答えてくれているんですね。それでは、『何かがそこに引っ込んでいるんだね、わかったよ、そこにいるのは』みたいに声をかけてがげてみるのはいかがでしょう」

フォーカサー:「・・・・・(沈黙)・・・・・何か感じが変わってきました」

ガイド:「・・・ほう、・・・・というと?」

フォーカサー:「・・・・・さっきまでは、引っ込まないでいると傷つくので、やむなく引っ込むという感じで、きゅうっと締まるような苦しさが先にたっていたんですけど・・・・・・どういうわけか、さっき、「そこにいるのはわかったよ」といってあげてみたら、その部分が何か緩んで、少しずつ暖かくなってきたんです。・・・・・おや?「いやいや、引っ込んでみているのも結構いいものだよ」とまで言ってくる(笑い)」


・・・・などという展開が生じる時の、体験過程のステップの刻まれ方とあまりに似ていると思えたのです。


 別の質問者が、「児島先生が途中からご自身の体験談という形にされたことが印象的でした。そこにもひとつの大事な意味がありそうだと思ったのですが?」と水を向けると、

 「こういう時に『それはひとつの気づきですねえ』なーんていうふうに、上から押し付けるようなあり方はどうかな?と思っています。コンサルティーにとってそれがこのライブ・セッションの中ではっきりと定着した理解になるかどうかなんて、本当に大事なことなんでしょうか? だから、私は、自分にもそういうことがあったんだよ、という、コンサルティと同じ目線での経験談という間接的な示唆にとどめて、そこから何を汲み取るかは、お任せしてしまいたいと言う気持ちもあったんだと思います。・・・・ここまで説明してしまうと、これ自体があと付けの理屈っぽくなりますけど」


 ここで更に、司会もなさっていた島根大学の足立智昭先生(同じ島根の、「こころの天気」で著名な土江正司さん・・・・フォーカシング関係者にはおなじみ・・・・・の盟友でもあります)が、


「児島先生は、ここで、ご自身のスーパービジョンの先生という「4人目」をライブセッションの場の中に呼び込まれたということが大事なのではないでしょうか?」


という絶妙の示唆をして下さいました。

 コンサルティーのAさんも、


「これまでの事例検討を受けて一度も味わったこともない不思議な体験をしました」


と感慨深げでした。


 思うに、同じ事例を、ありがちな精神分析系の事例検討会が扱えば、「転移」や「逆転移」、「投影同一視」などという用語が果てしなく飛び交うにかかわらず、

「この事例って、むずかしい事例だよねえ・・・・」

という徒労感が、参加者全体の中にどよーんと覆い尽くすことが必至の事例だったと思います。


 その意味で、この「公開ライブ・コンサルテーション」、わずか40分ほどでしたが、まさに「奇跡(ミラクル)の40分」、短期療法の真髄を見せていただけたと感じております。

 改めて、講師の児島先生、事例提供者のA先生、この企画をご準備くださった、産業衛生学会産業心理技術研究会のスタッフの諸先生方に、厚く御礼申し上げます。



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2009/05/23

こういちろうはいかに短期療法に入門したか(前編)

 このタイトル、「こういちろうによる短期療法入門」などというあまりにおこがましい形を避けたことがミソです(^^;)

 今朝方の記事に書いたように、私はバラの本の速読と、今回の日本産業衛生学会総会の催しでの、児島達美先生のレクチャーと、ライブ・コンサルテーションを通して、全くはじめて短期療法や解決指向心理療法について知ったというのが現実である。

 この、実質的「ワークショップ」では、単に短期療法についてのものではなく、産業保健活動(EAP)における臨床心理士の果たす役割というテーマと密接に関わりあっており、それは短期療法の本質と切り離しえない側面があり、それについてもいろいろ感想を述べたい気持ちもあるのだが、内容が錯綜しかねないので、、今回のこのエントリーでは、敢えて、短期療法それ自体の魅力という方向性から、以下のことを書いてみたいと思う。


*****


 短期療法(ブリーフセラピー)というと、「セラピーを短期間で終わらせる療法」というふうにとられかねない。確かに「時間制限心理療法」という、最初から12回のセッションに限定する約束で行なう心理療法が、今日言う意味での「短期療法」の先駆みたいにして存在するんだけど、実は、この「時間制限心理療法」の「外面的な」設定についてだけが教科書的な知識として広まったおかげで、短期療法は、クライエント中心療法や精神分析的技法などの、長期間かけて人格の変容を促す技法を主に学んだ人たちから、不要な偏見にさらされることになったように思える。

 念のためにいうと、「短期療法」というのは、ある特定の心理療法流派というより、一群の心理療法流派が共有する特性を総括したグループ分けのようなものと見たほうがいいようだ。

 代表的なものとしては、狭い意味では、

ミルトン・エリクソンの心理療法
○神経言語プログラミング(NLP)
○MRIアプローチ
○解決志向(指向)心理療法
○家族療法のうちのいくつかの流派
○ナラティブ・セラピー

こうしたあたりを指すことになり、広義に解釈される場合には、

○論理療法
○認知行動療法
○応用行動分析

などまで枠を広げることになるようだ。

 しかし、児島先生のレクチャーとデモに接して痛感したのは次の点である。

短期療法とは単に心理療法の分類でもなければ流派でもない

 むしろ、現実の臨床実践(コンサルテーション)場面で、クライエントさんや、クライエントさんと関わる当事者(家族や上司)、そしてカウンセラーという3者が、いかに不毛な堂々巡りを(それぞれの中で、それぞれの相互間で)し過ぎることなく、悪循環的な相互作用を脱し、良循環的相互作用の関係に転じることを、無理なく、自然に、しかも現実的に必要な「そこそこの」水準で成し遂げていくか、そしてそのことのために、最小限の介入でありながら、使えるものは何でも使うというスピリットに基づいてなさていれば、それは短期療法的アプローチである。

 ・・・・・このように定義するのがアクティブでリアルな理解だ!! ということだった。


どうも、

「効率性」
「過去でなくて現在をテーマとする」
「洞察や気づきではなく、問題解決重視」

などという言葉を下手に振り回すと、実は短期療法についての誤解を広めるだけだとすら感じました。

 短期療法の中でも、クライエントさんは深い気づきや洞察は体験することは決して珍しくはないですし、クライエントさんを単に受身に服従させるだけの効率性重視など、まがいものの、一番唾棄されるべき短期療法のあり方だと見なされている気がします。

 もとより、洞察や気づきが生じることを自己目的的に礼賛することは短期療法ではあり得ないわけですが。


*****


 いずれにしても、上に述べたベースラインを踏み外してしまったならば、認知行動療法の名の下になされる場合ですら、「短期療法」の名に値しないし、逆に、ある「フォーカシング指向心理療法セラピスト」によって、この点をしっかり押さえて実践されていれば、「フォーカシング指向心理療法」だって、立派な「短期療法」であるといえるのである。

 恐らくこのことは、ひとつの独立した技法体型としてのフォーカシングのトレーニングのことしか知らず、フォーカシング指向心理療法を、単にそれを現場臨床場面に適用・応用したものであるかに過ぎないようにまだ思い込んでいる人には、全く気づかれない、思いもよらない事柄かもしれない。

 フォーカシング指向心理療法は、いったいこれのどこがフォーカシングなのか、ほとんど痕跡をとどめないくらいに解体され、カスタマイズされ得るのである。そしてそれがブリーフ・セラピー的な技法と自由に行き来できるところま到達したら、熟達したブリーフ・セラピストの実践と、全く判別不能の域になってしまうだろう。

 私は、児島先生の発言や、ライブ・セッションから。そのことを痛烈に感じ取ることになる。

 
*****


 興味深い人には興味深いテーマでしょうから、私がここまで書いたことまででとりあえずアップしてしまい、児島先生のレクチャーとライブ・セッションからの具体的ご紹介は「後編」にまわしたいと思います。

 ・・・うう、児島先生が言われた次の教えに一番反する順序で紹介してしまったのかもしれないcoldsweats01


 「先に理屈をつけて、特定の方法や技法を学んでも、結局身につきませんからね!」


 ・・・・「はじめにブリーフセラピーありき」で、ブリーフセラピーをどんな形で、どんな領域で、どんなクライエントさんに適用できるか、などと考えて学んでいるううちはモノにはならないわけです。

 同様に、「はじめにフォーカシングありき」で、フォーカシングをどんな形で、どんな領域で、どんなクライエントさんに適用できるか、などと考えて学んでいるううちはモノにはならないわけです(^^;)。



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豚骨ラーメンちょっちゅう食べても脱メタボ・減量できる?

 本日、これからまだ外に出てひとつやることがあるこういちろうですが、今日久々に体重計に乗ってみる機会がありました。

 少なくとも過去20年で一番低い数値でした(^^)

 もうちちょっとで、夢の「王台割れ」に到達ですが(何十キロ台かは秘密)

 昨日の学会で久々に会った知り合いからも、「ずいぶんスマートになられましたね」とのお言葉を頂き(^^)

 この数ヶ月、久留米の豚骨ラーメンにはまっていて、それ以外を含めて、以前よりも脂っこいものが好きになっているにもかかわらず、私のいろんな検査数値の中で唯一イエローだった血中中性脂肪濃度もイエローを脱して、メタボ体質から遠ざかりつつあります。

●ラーメンカロリー算出表

↑のはずで(しかも大砲ラーメンの昔ラーメンのひいきで、いつも替え玉せずにいられないの)ですがcoldsweats01

 大船時代と違い、職場オフィスと自宅が同じになったにもかかわらず、更には自炊のままなのに、外出頻度は遥かに増加、自転車でちょっしゅう、久留米の郊外、ゆめタウンより向こうの東合川の量販店街まで飛ばしていることも大きいでしょう。

 もう少し資金的余裕ができたらコアリズムに挑むという噂もある???


Selfportrait090509
↑2週間前の近影

 
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フォーカシング指向心理療法と短期療法のベースには共通点があり過ぎる!!

 日付が変わって昨日になってしまいましたが、以前予告しておりましたように、福岡国際会議場で開催された、第82回日本産業衛生学会の関連行事、第2回産業心理技術研究会に参加してまいりました。

Image573

 長崎純心大学の児島達美先生を講師にお迎えして、

「産業保険活動をより効果的に進めるための心理的支援
 -ブリーフ・セラピー、システムズアプローチの視点から-」

というテーマでのものでしたが、産業保健領域でのうつ病のクライエントさんの就労支援についての「ライブ・コンサルテーション」と呼ばれるものの実演に接したことが、私にとって非常に大きなインパクトになりました。

 ここでなされている相互作用は、すこぶる、すこぶる、フォーカシング的なものだったのです!!

 実はこの催しにあわせて、泥縄で、最近、日笠先生の監訳で邦訳が刊行されたばかりの、バラ・ジェイソン著、「解決指向フォーカシング療法―深いセラピーを短く・短いセラピーを深く」を斜め読みして臨んだのですが、そこから予想されていたものを遥かに超えた水準で、短期療法の達人(日本ブリーフセラピー学会元会長)、児島先生のライブ・セッションは、成功裏に進むフォーカシング・セッションと、あまりに共通のマインドと、驚くべき「ライブ性」を備えていました。

 その内容については、守秘義務には慎重に配慮した上で、当ブログでもご報告します。

 こちらに前編があります。

 博多駅近くの水たき屋での、参加者の皆様との二次会の懇談もたいへん充実した、楽しいひとときでした。

 お会いできた皆様、これからもよろしくお願い申し上げます。


****


 そして。

 もう、決めました。
 先述のバラの本これから数日で読破です。
 もう、現場実践で盗みまくらせていただきます。

 私の中に、それを受け入れるだけの準備は、実はいつの間にか、最近の私の目指す方向性の中に暗々裏に含まれていたことにも驚きました。

 数日後までには、いきなり、この本の詳しい「書評」を、かなりまとまった完成度でこの場でお書きできることでしょう!!


追記:書評にまではなりませんでしたが、まずとりあえずは、こちらの記事をどうぞ!!

●「すべてのことには、時がある」

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2009/05/18

「私はフォーカシングができているのでしょうか?」

 先週開催されておりました、「第21回国際フォーカシング会議in淡路島」は、参加者数300名近くを集め、無事、成功裏に終了したことを、大会準備委員会メーリングリストでの池見陽準備委員長のご報告を通して知りました。

 久留米への移住問題を抱えていたことと、申し込み当時の体調・経済(^^;)不安定要因も考慮し、ご迷惑をおかけしないために、私は残念ながら参加を見送る選択をしましたが、多くの若い院生の方が参加されたとうかがっています。

 会場となったウェスティン淡路は、ある意味で「日本にいるのを忘れてしまう」くらいの、すべてにおいて国際規格のリゾートホテルです。明石海峡を越えた、比較的「孤立性の高い」場所にあるこの地は、日本人参加者にとっても、外国からおいでになる方と同じくらいに「異国に来ているかのような」錯覚に陥れる場所だったはず。関西空港からのアクセスも良く、神戸の市街地や京都や姫路に足を伸ばすアクセスにも恵まれていましたしね。

 実は、池見先生の提案を受け、候補地を最初に下見をして、選定の段階で積極的に関与した私が注目したのは、この地のそうした無国籍性でした。

 「日本にいるのにもかかわらず、あたかも外国の国際会議に出席したかのような擬似体験になること」

 敢えて、外国からの参加者を「ジャポ二ズム」に引きずり込みたくなる誘惑から意識的に遠のけ、日本からの参加者と外国からの参加者が対等にコミュニケーションできる場を設定することが、私の深謀遠慮だったのです。

 だって、例えば、「ドイツ的フォーカシングのあり方」なんていう話、聴いたことありませんでしたからネ!!

 お医者さんに比べると、臨床心理系の国際会議に参加する機会は、日本ではあまり多くないかと思います。そうした中、体験された貴重な経験を、殊に若手の臨床研究者の皆様、現場カウンセラーの(・・・をめざす)皆様、どうか、今後への刺激として是非生かしていただければと思います(^^)


*****


 昨日も、「久留米でフォーカシングを学ぶ会」をささやかに開催しました。そうやって国際会議で刺激を受けた若手の皆様が、九州の福岡県の久留米という、日本の中でひどく偏った土地にいる私ですが、今後うまく利用してくださることを歓迎いたしております(^^)

 昨日も感じたのですが、大船での「学ぶ会」時代から常々感じていたことをひとつ書いてみましょう。

 表題の、

「私はフォーカシングができているのでしょうか?」

 という質問を、こうした催しの中で頻繁にいただきます。フォーカシングを学び始めて数年以上を経た方からも結構うかがうことです。

 私はそうした問いに接するたびに、「なぜこうした問いが繰り返されるのか?」ということに思いをめぐらせて来ました。

 いくつかのことを述べてみたい心境です。

1.フォーカシングがあなたにとって成果を上げているのかを判断できるのは、あなたの実感だけです。フォーカシングを先に勉強してきた人やフォーカシングのトレーナーがそれについてどのように答えてくるかをすべて脇において、あなたの実感だけで判断していいのです。

2.仮に、体験過程のステップが前に進むということについて、的確に観察し、判断する方法論があったとします。そして、その基準に基づくと、あなたの中にステップが生じていたことになるらしいことが「理解できた」としますね。でも、それがあなたにとって何か言葉にならない違和感や欲求不満をもたらしたり、確かに自分のもの見方、感じ方が「落ち着いた」とか「変化した」とか、「その場に居やすくなった」という実感を感じさせてくれないままだとしたら、それはあなたにとってどんな意味があるというのでしょうか??

3.ジェンドリン自身、どの著作かで、「フォーカシングだけが人生に役立つわけではない」という、ある意味でひどく当たり前のことを書いていたと記憶します。フォーカシングでうまく成果が上がらなければ、たとえばちょっと休憩したり、ストレッチしたり、音楽を聴いたり、ひとりになってみたり、そうしたことを自由にやっていくのは全く自然なことです。

 毒舌に響くかもしれませんが、今回の国際会議や、あちこちで開かれているフォーカシングの集い(私の主催するものをも含む)やワークショップに参加してみて、それまで抱いていたフォーカシングへの関心がむしろ醒めてしまったり、幻滅してしまった人すらあるかもしれない(この世にある「イベントへの参加」とは、ayuのライブ体験から新装開店のスーパー、異性とのデートまで含めて、およそそのような参加者を「ある一定の比率で」含むはずのことでしょうし)。

 そうした時に、フォーカシングと関わることを一度止めてしまったりしてみるのも健全な選択でしょう。ただ、あるひとつの場での、一回の印象で、その対象や相手についての判断を生涯にわたって恒久的に決め付けてしまうことだけはしないで欲しいなあ、というのが、私の自然な思いでもあります。


*****


 こうした一般論を書いた上で、それでも敢えて、当初の問いかけに答えてみましょう:

1.フォーカシング技法において、教示というのは、あくまでの刺激剤であるに過ぎません。一つ一つの教示がピンとこなかったとしても、それはフォーカサーとしてのあなたの責任では全くありません。

 教示の進行と関わりなく、体験過程のステップは、セッションの中の、いつ、どこでも刻まれ始め可能性があるのです、それは「向こうからやってくる」ものであり、「引き起こす」ものではありません。

 いや、敢えて言いましょう。

セッションが終わった後の雑談の中で、
ふと、ひとりでお手洗いに立った時に、
帰り道の電車の中で、
夜寝る前に、
数日後、職場の中で、

突如ステップの進行が実感できることなど、ありふれているということを。

「お告げ」は、その人がその人が何をしているかなんかにお構いなく天から降ってくるから「お告げ」らしいのかも。教会でのミサの祈りのさなかにではなく(^^)

 フォーカシングのセッションのただ中で、自分がシフト体験できないとならないなどという思い込みは、むしろ捨ててしまう方がいいと思います。そうした思いは、フォーカシングの集いの「優等生」として認められたいという「煩悩」に過ぎないとすら思い定めてもいいかもしれない。


2. フォーカシングに伴う身体の感じや居心地や気分の変化というのは、それが一見かすかなものだったとしても、一度体験してしまえば、生じたかどうかについて迷うことは生じません。

 それが持続性に乏しい、短時間の変化や安らぎに過ぎず、しばらくたつと移ろい去ったり、見失うことはよくあることです。

 そういう時には、そうした変化や安らぎや変化が生じた少し前のところまであなたの記憶と実感のビデオを巻き戻してみるのはいかがでしょうか。

「ここまで」は以前と同じ、「こんなふうな」感じだった、「ここ」で、思いもよらないきっかけで「こういう」感じやイメージや連想が自分の中に生じて、その後で、自分の身体の感じや居心地が「こんなふうに」変わった。 

 そのときの実感が、仮に今はかすかな痕跡、ないし余韻のようにしか「再現」できなかったとしても、こうした「反芻(すう)的な味わいなおし」を何回か繰り返してみるだけで、それをしないよりは、その後に何かいい影響が残るものです。

 「反芻する」うちに自然と実感がよみがえり、更なる続きのプロセスが勝手にはじまることもありふれていますし、少なくとも次にセッションを持つ機会があった時、前回の続きをやろうと全く意識しなくても、セッションの展開がいつの間にか前回の続きになってしまい、少しだけ前回より先まで展開するなどという可能性を増してくれるかと思います(^^)


******


 日本のフォーカシング関係者の大半の皆様、私と最後にお会いしてから2年近く立っておられる方がほとんどかと思います。皆様もきっとお変わりかと思いますが、私もまた、皆様の記憶の中にあるこういちろうとはどんどん別人になってきているかと思います。

 そうしたあたりの片鱗は、ネットでの私の文体のトーンまで含めて、実は現れているとお気づきの方もあるかもしれませんが(^^)

 再びお会いできる日を楽しみにしております。

*******


「久留米でフォーカシングを学ぶ会」次回は、普段どおり、第2日曜日、6/14に開催の予定です。

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【楽天トラベル】愛されて1億人突破!大感謝祭
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「久留米探訪記」はさりげない更新を続けているのだ。

 ご当地ブログ、「カウンセラーこういちろうの久留米探訪記」の方、さりげなーく、地味に、一日20-30アクセス程度ですが、意外と確実に更新しています。

 外出の時にはいつでも、高性能の方のカメラつき携帯を持参していて、外出するたびに何かを撮っているという状況、実はまだ紹介していない写真の方が多いくらいです。

 ともかくまずは、私が高校生まで過ごした時点で親しんでいた場所の再訪を中心に、史跡や様々な公共施設、観光名所、出身校(!)などを紹介し、地道に、久留米地域全体の写真データベース化の野望を実現して、地域社会にささやかな貢献をしたいと思っております。

 まだこのブログで紹介していない最近の分は、

●久留米大学医学部
●西鉄花畑駅とキムラヤ花畑店
● 西鉄久留米駅東口
● 篠山城(久留米城)跡
●あかつき幼稚園

・・・・・と、何とも渋いラインナップですが、最後の幼稚園は、私の43年前の出身園ですね。クラウンドの位置が変わり、田んぼばかりだった周囲が、広大な久留米中央公園として見事に整備されたものの、当時と園舎の建物どころか配色にも基本に変化がなかったことに、30数年ぶりに目にした時、言いようのない感動がありました(^^) こういう点で、この40年間の間に大改築しないままってこと、なかなか今の日本ではないことだから。

 ちなみに、クラシック・バレエのファンの人に向けて言うと、この幼稚園は、「あの」人気ダンサーと、意外な関連があるのですよ。詳しくは記事参照。

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2009/05/12

「久留米でフォーカシングを学ぶ会」、5月は17日(日)開催です。

 以前の告知に少しだけ手を入れて再掲いたします(^^)

 「久留米でフォーカシングを学ぶ会」、次回は、通常より1週遅れて、5/17(日)に開催します。

兵庫県淡路市でのフォーカシング国際会議(5/12-16)、残念ながら私は今回参加できませんが、スタッフの準備の皆様の、ただならぬご尽力は、準備委員会のメーリングリストを通して、陰ながら応援申し上げておりました。ご盛会を心からお祈り申し上げております。


(ここからは、会議の準備を最後までお手伝いできず、参加も見送るしかなかった私からの、フォーカシング・ピープルへの最大限の、ウィットを込めたエールと思ってお読みください!!)  


 残念ながらこの会議に参加できなかった皆様、この「久留米フォーカシング・カウンセリングルーム」があります!!

 いや、これを期に、世界のフォーカシング・ピープルの皆様、フォーカシング国際会議のアフター・オプショナル・ツアーとしてどうぞ。

成田・関空から久留米へのアクセスについては、なぜかこちらにむやみと詳しい英語解説があります(^^;)

 なお、JR新神戸駅から博多駅のアクセスについては、省略させていただきますことをお許しください。

 以上、久留米大学から徒歩10分久留米フォーカシング・カウンセリングルームより(^^)

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●↓ カウンセラーの皆様が国際会議やワークショップ・セミナーご出席の際、あるいは日常の面接記録作成(クライエントさんご本人の許可を取らないで録音してはなりませんが)のための必需アイテムのアフィリエイトコーナー : 時すでに今回は遅し!?


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第12回 乳幼児てんかん研究会国際シンポジウム 2日めの報告 [第2版]

 お待たせいたしました。コーヒーブレイク(ラーメンブレイク?)をはさみまして(^^;)、前回の報告の続き、2日めです。

Image01500
↑筑後川にかかる久留米大橋(国道3号線)から遠望する、久留米大学医学部の諸施設。


 2日めの圧巻は、ランチタイムセミナーにおける、イタリアのMichele Zappella博士による、"Autistic Regression with and without EEG Abnormalities Followed by Favourable Outcome"と題する講演だったと思う。

 タイトルが示すように、EEG(脳波測定)という物差しを用いて、自閉症スペクトラム(ASD)と診断された534名についての、長期的なフォロー・アップ・データに基づき、脳波異常があるケースとないケースを比較することによって、その差異を考察したものである。

 この発表で強調されたのは、てんかんにしても、自閉症スペクトラムにしても、遺伝的な「宿命の病」と見なされることが多い現状に対して、「良性の転機を迎える」一群の人たちが明らかにいることの指摘であった。

 まずは過去の研究のレビューだが、1997年の調査研究では、自閉症がその後消失したケースは1.7%というたいへん低い数値であった。しかし、2007年の研究では17%、2005年の別の研究では47%が消失という調査データすら登場するようになる。

 この原因としては、時代を経るにつれての、自閉症についての臨床研究の深まりと、現場臨床での認識の深まりの中で、診断基準そのものが洗練され、早期発見がなされ、早期に言語・社会的な訓練が開始されるようになったなどの要因が当然考えられる。

 博士は更に、施設の態勢が貧困だったり、虐待家族のもとで育てられたケースが救済されることが増えたために、いわば2次症状としての、attachmentの障害が克服されていくと改善に向かう、遺伝的負因が相対的に低かったと判断できる一群があることを示唆した。

 今回の博士の2000-2008年にわたる縦断調査研究の中で報告された、脳波異常の消失例(39例/446例。結節硬化症やflagile Xの患者は除外)は、ただ1例を除いて、自閉的退行があった症例である。

 具体例としては、3歳児で、てんかん発作の開始と共に急速に退行が始まったが、診断を受けて1年後にバルプロ酸ナトリウム(デパケン)の投与がはじまってから急速に回復、現在12歳で、一貫して普通学級で教育を受け、若干のサポートは必要だが、言語的・コミュニケーション的な適応はほぼ完治といっていい水準に達しているという。そしてそれはその途中の期間に、脳波上の部分発作が繰り返しあったにもかかわらず生じた回復だった。

 博士の説によれば、こうした、(薬物投与以外)「自発的回復」に近い形で自閉症スペクトラムからの転機を迎える事例がかなりの数ある以上、安易に特殊教育の場でのみの集中的な介入の形で、言語的・コミュニケーション訓練の場に置いて純粋培養しようとだけするのは、ノーマルな子供たちとの接触の自然な接触の中で得られる刺激から遠のけることになるのではないかということであったが、これについては、「早期発見・早期介入」を強調する他の参加者との間で白熱した議論がなされて行った。

 ただ、このディスカッションの成り行きを、乏しい英語力で必死に追いかけていく中で、私の中に生じていたのは、そもそも議論がかみあっていないというか、言語的・社会的コミュニケーションが円滑に進んでいない(^^;;;;)のではないかという思いであった。

 学会発表の場を活性化するためのフロアからのピンポイントの介入的質問が大好きな私であるから、もし私が英語に堪能だったら、絶対に途中で「危機介入」していたことだろうcoldsweats01

 こうしたフロアからのコメントについての私の基本スタンスは、Aoyama Masanoriさんの、


●事例検討のレジュメ(Walk Don't Run  ゆっくりいこうよ)


というエントリーに、僭越ながら、私のコメントとして詳しく書かせていただいています。

 博士も、ABA応用行動分析の積極的効果については繰り返し強調する答弁をしていた。個人的に思うに、ABAは、ベーシックな用いられ方をする場合、あくまでも患者の家族の側の、患者との相互作用を改善する戦略で用いられることになる。つまり、治療者が、患者自身に、患者自身が耐え難い水準でインテンシヴな介入や訓練を押し付けてしまうことによる「二次障害(三次障害?)化」のリスクからも遠い。

 恐らくこの点が博士がABA支持の発言を繰り返す背景にあったと想定できるのだが、とてもとてもこうしたことを英語で噛み砕いて説明できるほどの語学力は私にはないものだから。

 博士の次の発言が印象に残っている:

遺伝負因の発現をむしろ抑止する遺伝子というものが存在し、一度始まった自閉症的(てんかん的)退行からの自然発生的な回復の誘因となっている可能性があるのではないか」

「大事なのは、その患者にあわせて、適切な時間軸において、tailor-madeな形での治療的な介入がなされていくことだ」

 知人に訊いたところ、"tailor-made"という言葉は、今や「オーダーメイド」という和製英語に代わって、日本でも広まってきた言い方だという。

 これを中井久夫先生流に言い換えると、「一品料理」としての治療、ということになる。

中井久夫/精神科治療の覚書 (からだの科学選書)

 なお、てんかんをわずらった患者さん自身による、「てんかんを生きる」とはどういうことかについての、実に整理された、わかりやすい論考があります。

(この圧倒的な几帳面さが、いかにもてんかん性格の人らしい!!)


●あるてんかん患者の日常心理(by Y-Shigeyamaさん)


 たいへんな労作だと思います。てんかんに関心がある皆様は、せひお読みください。


******


 いずれにしましても、自宅間近な、故郷久留米の大学で、こうして、発達障害とてんかんの医療と基礎医学に関わる、世界最先端を行く研究者や臨床家の議論を聴く場を、心理臨床家にも開かれた形で与えてくださった、久留米大学小児科の松石教授をはじめとする、関係者の皆様と、パンデミックの危険も何のその、久留米の地までおいでいただいた、諸外国の臨床医学者の皆様に、厚く御礼申し上げます。

It's Exciting!

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2009/05/10

Centre for Evidence-Based Ramenology in Kurume University

 またもや、てんかん国際シンポジウムの2日めの紹介に入る前に、この会議場のロビーに掲載されていた、スペシャル・ポスター・プレゼンテーションの方をご紹介しておきます。

 なお、この「センター」の所長は、今回のシンポジウムの準備委員長の、松石豊次郎教授、その人です(^^)


 敢えて、クリックしたら、リサイズしていない、文字がしっかり全文読める、高解像度の写真が表示されるようにしました。

 どうか、「画像を保存」した上で、irfanview等の、軽快な画像閲覧ソフトで「オリジナルサイズ表示」にして、全文をじっくりとお楽しみください(^^)

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2009/05/09

第12回 乳幼児てんかん研究会国際シンポジウム 1日めの報告

「第12回 乳幼児てんかん研究会国際シンポジウム」(5/9-10 福岡県久留米市)、まだ1日めが終わったばかりですが、何しろ会場が私の自宅から徒歩でもほぼ直進15分、自転車でだと5分しかかからない、久留米大学医学部の筑水会館ですから、朝からフル参加してきたのに、余裕綽々なので書いてしまおう(^^)

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↑久留米大学医学部本部

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↑学会会場入り口の掲示

 私がお医者さんの学会に出るのは2回目である。1回めは日本心身医学会で、何と連名発表までしている(業績一覧参照 ^^;)。当時若かった、私を引っ張り出してくださった井出雅弘先生と大林正博先生は、心療内科の世界では大立者におなりなので、恐縮の至りです。

 しかし今度は、「コメディカルの人たちにも積極的に参加して欲しい」という主催者の先生の特別な計らいで、コメディカル特別料金5,000円(2日間のランチボックスつき)という大盤振る舞いに便乗させていただく形となった。

 私は発達障害の専門家でもないし、てんかんに至っては素人、唯一てんかんのプロと言えるのは、私自身が、抗うつ薬を、本来抗てんかん薬として開発され、気分スタビライザーとしての認可も降りたデパケン(バルプロ酸ナトリウム)に切り替えたことで一気に快方に向かった患者としてだけである。

 そして、まだ作用機序が未解明らしい、「どうして抗てんかん薬が双極性障害に効くのか」について、(その効き目のあまりの率直さに感動している人間がここにいる!!)何か最新情報をダイレクトに得られないかというのが本当の参加の動機だったわけであります(^^)

Image523
↑会場の筑水会館


******


 この国際シンポジウム、原名を、

The 12th Annual Meeting of the Infantile Seizure Society
International Symposium on Epilepsy in Autism Spectrum Disorders and Related Conditions (ISEASD)

つまり、

「第12回幼児期てんかん発作についての年次大会:てんかんの、様々な自閉症スペクトラムと関連事象との関わりについての国際シンポジウム」

というタイトルにピンと来ない心理の専門家の方すら少なくないかと思いますので、今回の学会で、"Autism and Epilepsy:Historical Perspective"(自閉症とてんかん:歴史的視点)という基調講演された、Roberto Tochmann博士の発言を元に少し解説。

 てんかんが、一種の脳波異常放電であるという学説が主流になったのは、1920年代に脳波計が開発されて以降、1930年代に入ってからです。

 それまでは、血流に関する血管の異常という説が有力でした。この「脳波異常」の発見と共に、クレッチマーの偉大な業績にみるような、「統合失調症」「躁うつ病」と並ぶ「三大精神病」と呼ばれていたてんかんの臨床研究は、精神科医の手から、神経生理学者の手に委ねられるようになりました。

 もっとも、現実の現場臨床では、少なからぬ場合、精神科医がてんかんを診断したり、投薬する現実に変わりがなかったにもかかわらず・・・です。

 てんかんという疾患において厄介なのは、単に大発作を起こして倒れるなどといったことではなく、多くの場合乳幼児期に最初の発作を起こし、それと共に知能や記憶力の障害、運動能力や対人関係能力の発達も阻害されること、そして、発作という脳の異常放電の繰り返しの結果として、脳や神経系、身体的な運動機能そのものに、不可逆的な障害がむしろ引き起こされていく悪循環が進むのが経過観察されることそのものでした。

 更に、てんかん発作は、思春期から20歳ごろに、「第2の」発作頻発のピークを迎えることも観察されていました。これによって、心身が再び急激に発達を始めるその時期に、知能や運動機能や衝動コントロールの障害がむしろ悪化し、退行(神経症の一時的退行とは異なります)すらはじめること、特にそれが、乳幼児期に最初の発作を確認できなかった人たち(見落とされた可能性もあるが)において、予後がよくない展開を招くことが多いことにも気づかれていくことになります。

 その一方で、1943年にカナー、1944年にアスペルガーの手によって、それまで「幼児分裂病」と呼ばれていた疾患の中から、言語能力や対人共感能力(非言語コミュニケーション能力)の独特の障害を持つことを基準に、「早期幼児自閉症」という疾病分類が形を成していきます。

 それが、単なる失語症や知能障害、脳性まひ(ダウン症)とも異なる、独特の発達上の障害であり(「高機能自閉症」の存在など、知能の遅れは必然ではない)、慎重な鑑別が必要であること、生活上のさまざまなサポートや訓練が、これらの人たち、および家族向けの固有な形で必要であること、そして、少なからぬケースにおいて、脳波異常も観察され、てんかん発作の既往歴を持つ人も少なくないことにも徐々に気がつかれて行きます。

 しかし、それでも、早期幼児自閉症は、長期間にわたり、非常に発生率の低い発達障害と見なされていて、そうした状況は1990年ごろまで変わりませんでした。1960年-70年ごろには、統合失調症と並び、反精神医学や「家族病因説」が優勢だった時代だったということもあります。

 それが一気に急展開したのは、膨大な臨床的行動観察と、それを基にした心理テスト・行動観察マニュアルの進歩、診断基準(criteria)の詳細化の中で、「注意欠損・多動性障害(ADHD)」「レット症候群」「学習障害(LD)」など、発達障害に様々なサブ・グループことが認識され(いわゆる自閉症スペクトラム ASD)、ICD-10とDSM-VIで相次いでそれらの成果が国際診断基準として反映した、1990年代になってからでした。

 シナプスにおける神経伝達物質についての神経生理学的・化学的研究の精度が上がり、更にそこにDNA解析に伴う詳細な遺伝学的研究が照合されるようになった時、こうした成果は一同に会して、更に大きなうねりを起こし始めます。

 こうして、ニューロンの間の物質代謝と、そこに関わる遺伝子の特定がひとつずつ進むいう次元で、詳細に、てんかんと自閉症スペクトラムの類似性と鑑別についての関心が大ブレイクしたのは、21世紀突入という、「汎・発達障害主義」とすらいえる、幼児精神医学と発達心理学の大革命と機を一にしてのことだったのです。

 ところが、DSMでは今でもてんかんについての記載が全くない、神経医学との「棲み分け」状態を維持しているため、殊に心理の専門家の間では、「発達障害」にはにわかに関心が高まっても、それをてんかんの問題と結びつけることはひどく立ち遅れているという不均衡が、今現在も続いていることになります。

 少なくとも、てんかん発作の経歴ある人に、発達障害になる人が統計的に有意に多いこと、発達障害の人にてんかんの発作が反復されると、その人の言語・非言語コミュニケーション能力ばかりか、きちんと調律された運動能力や衝動コントロール能力の発達が阻害され、殊にレット症候群に顕著に見られる、いったん獲得した知的・言語的・対人相互作用的能力の低下という「退行」すら生じることは、もはや統計的には明らかな現実があります。


*****


 私が今回口頭発表の中で一番刺激的だったのは、アイスランドのEdvald Saemundsen博士による、国内の全児童を対象とする定期健診と治療のカルテを活用した、"Epidemiology of ASD and Epidelepsy"と題するリサーチでした。

 小さな島国にわずか32万人しか人口しかないけれども、スカンジナビア諸国らしい高福祉国家(おかげで、世界的大不況の今、国家破産の危機と戦っているのはニュースでおなじみ)であるアイスランドには、数十箇所に及ぶ、無料の公立の小児科医療とカウンセリングのセンターが置かれています。この点ではイギリスと同じくらいに、国民の医療とメンタルヘルス問題を国が「抱え込んで」いるわけすね。

 このことはひとつ間違うと、イギリスでの認知行動療法だけの優遇という弊害と同じような「1984年」的管理国家の弊害のリスクも背負っているわけですが、その分無駄のない緻密な予算配分で政策を行なえるメリットはあります。また、リサーチで統計を取る際に、「サンプル調査」なんていう生ぬるいものではなくて、統計的には圧倒的な信頼性のある、「全数調査」を、そんなに圧倒的な研究調査費用をつぎ込まなくても可能にしているわけです(調査の対象となる、その病院やセンターをを受診・利用するというだけで、いろいろなバイアスがかかってしまう可能性を排除できる)。

 こうして抽出された、てんかんの患者さん、自閉症スペクトラムの患者さんは、国全体で数百名にも満たない数字となる。

 そこから出された結論。

「少なくとも、自閉症スペクトラムとてんかんという診断に関して、別々の(独立)変数とみなすことを有意味とする統計的根拠は何も見出せなかった」

 ・・・・控えめな言い方ですが、これは、てんかんと自閉症スペクトラムが、全く共通の「神経生理学的・遺伝的要因」×「認知=言語的要因」×「社会=行動的要因」のもとで生じている可能性を示唆するものです。


*****


 1日目の最後の基調講演、アメリカのデンバーからおいでの、本来はてんかんが専門で、シナプス受容体におけるGABA受容体についてのスペシャリストであるAmy Brooks-Kayal博士の、"Epilepsy and ASD:Are There Common Developmental Mechanisum?"に至っては、最新(1ヶ月前のものすら含む)の遺伝学的・神経生理学的実験リサーチを縦横無尽にレビューしながら、更に過激に走りました。

 てんかんと自閉症スペクトラム(ASD)の、発達上の障害の背景に、共通の神経生理学的な基盤があるとすれば、それは何か?


1.シナプス可塑性(Synapic Plasticity)

 シナプスは、ある一定条件のもとで興奮し、神経伝達物質をシナプスの間で交換するうちに、興奮や抑制について、ちょうどいい形にコントロールできる方向へと、シナプスの組成そのものを別の形に自己変化させていく力があるという最新の学説を「シナプス可塑性」と呼ぶそうです。この可塑性が有効に機能しないと、その個体の安定した心身の発達そのものがありえない(運動機能の中枢的統御もつかさどるから)。

 しかし、このシナプスの可塑性そのものが、神経受容体が何らかの理由(例えばてんかん発作!!)でノックダウンされた時、その結果をむしろ悪循環的に反映させていく形で硬化する可能性も秘めている、諸刃の剣でもあるそうです。

神経の興奮や抑制に関してのアンバランスな回路がその人の中で固定化されて「自己増殖」していくわけです。こうした回路の中には、デパケン(バルプロ酸ナトリウム)がもっぱら作用するとされる、GABA受容体における神経伝達物質代謝の不安定化も含まれています。

 少なくとも、てんかん発作の際に、GABA受容体はアップ・レギュレーションしてしまい、そのことへの反動として柔軟性が失われ、生涯にわたる自発性低下などの要因となる可能性は、動物実験と、シナプス内部の電子顕微鏡次元での化学物質バランスの観察から推測できる仮説とのこと。

 この結果生じる脳の異常興奮が、今度は更に、ひとつの方向としてはてんかん発作の発生を「促す原因」となり、もうひとつの方向としては、自閉症スペクトラムに特有な認知障害(過覚醒など)を生み出す可能性がある。

つまり、この2つの一見別の「障害」は、実は、少なくともその途中のプロセスのかなりの経路においては、全く同じ病態生理学的機序で生じている可能性も否定できない。


2.「脆弱性遺伝子」(fragile X)

 これは、ニューロンから伸ばされる神経繊維の質そのものを悪くするものであるらしく、当然、神経の興奮や抑制の質の悪化を招きます。しかもRNAに4%が転写される形で遺伝的に継承されていく。


3.ARX遺伝子の突然変異(mutation)がシナプス可塑性を奪う引き金になる場合がある。


4.神経細胞における結節性硬化症(Tuherous Sclerosis)の進展

 これは、この障害は進行性であることが遺伝的にも証明されており、特に点頭てんかんとの関わりが注視されている。


*****


 このBrooks-Kayal博士が、さりげなく「抑うつ」だとか「自発性低下」という言葉を口にされ、GABAのスペシャリストであるのをいいことに、質問タイムに質問したら他の方の時間を奪いそうだったので、講演終了後に、敢えてお声をおかけして、例によって「すごい英語」でお尋ねしました。

「先生がGABAのスペシャリストと見込んでお尋ねします。双極性障害に、抗てんかん薬が有効なのは知られている通りですが、私は、自閉症スペクトラムと、てんかんと、双極性障害を同じ機序でとらえるgrand theoryが今後展開されるのを期待しているのです」

 女史はほほえみ、

「そうね。てんかんの人の30%は双極性感情障害でもあるしね」

・・・・これを伺えただけで、私はこの学会に参加した意義がありました。


*****

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↑ なお、この日のランチボックスと同時通訳機(限られた催しのみ)リースの提供は、デパケンでおなじみ、協和発酵の医薬でした(^^)

(このボールペンももらえて喜んでいる、開き直ってミーハーな私)


●2日めの催しへの感想→
●その前に昼食タイム!! という方へ→

 

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2009/05/07

たそがれの久留米市役所(第2版)

Kurumeshiyakusho

 日本建築界の大御所、菊竹清訓(私の高校時代の学友の父)設計による。

 高さ91m、地下2階、地上20階。
 ある時期まで九州一の高層ビルだった。

 JRでも、西鉄でも、福岡市から筑紫野市近辺を過ぎて、筑後平野が見渡せはじめると、20キロは遥かかなたからそそり立って見えて来る、久留米のシンボルである。

Image570
↑上のほうにあるUFOのように張り出した部分が、よりによって市議会会議場

 その上の最上階はカフェテラスで市民の憩いの場。展望台にもなっている。
Image569

 当然、筑後地区随一の眺望を誇るのだ。


Image568
↑画面を奥を斜めに横切って、向こうの山並み(脊振山地)に吸い込まれていく高架の鉄路は、2011年開業予定の、九州新幹線、久留米ー新鳥栖-筑紫トンネル(11.6キロ。九州新幹線最長)までの工事中の線路である。トンネルを抜けると、そこは福岡市だった・・・となるわけで、久留米からわずか12分の最短ルートとなる。鉄ちゃん向けに言いますと、このパノラマは久留米市役所ビルでしか味わえません(^^)


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後日撮影した、昼間の姿。


●久留米市庁舎(建築のページ-Architecture Guide-)

●菊竹清訓のページ


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2009/05/06

「久留米フォーカシング・カウンセリングルーム」のアクセスマップ、さらに改良

 私の開業サイトである、「久留米フォーカシング・カウンセリングルーム」のアクセスマップ、ここしばらく繰り広げてきた、久留米インターチェンジから久留米東バイパスを経てたどり着くベスト・ルートについての実踏調査に基づき、綿密な修正を加えさせていただきました。

  ・・・それを、免許持ってない私は自転車でやっているsweat01

 実は昨日も、高良山からの下り暴走族をやったあとで、そのまま久留米インターチェンジまで実際に出向いて(!)、久留米ICから自宅まで走破しているのである(^^;)

 これは、全く計画的な走行経路で可能である。

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  ↑昨日の走行経路マップdash

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本日の「久留米探訪記」追加 : 祇園山古墳と高良山参道入口近辺

●卑弥呼の墓説もある祇園山古墳

●高良山 その1 -高牟礼の誇り-

(いずれも「カウンセラーこういちろうの久留米探訪記」サイトより)


Image501b
↑高良玉垂宮参道 二の鳥居。歩いて登山して参拝なさる方のみならず、ここからが絶好のトレッキングコースでもあります。


 もっとも、残念ながら、30数年ぶりに、


●こういちろう、キジネコ軍団のリーダーとして高良山にツーリングして、打ち上げ宴会で盛り上がるの巻 (こういちろうの夢日記)


に一気に再チャレンジすることまでは、高良山の山の神様と対話した結果、取りやめました(^^;)


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↑ 実は今回は、まさにこの高良山を取り囲む「結界」としての、「高良山神籠(こうご)石」のある箇所までは登り、下り坂のライダー気分はそこそこ堪能したのですが。




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2009/05/05

今日の記事更新は「久留米探訪記」のほうをご覧下さい。

● JR南久留米駅と久留米大学前駅

●久留米市「御井町」の名の由来

(ともに、「カウンセラーこういちろうの久留米探訪記」サイト)

・・・・実は今日は、やっとGWらしくアウトドアの一日になってまして、ここで紹介したのはまだ序盤に過ぎないのですが、写真の紹介の仕方にいろいろなトピックを織り込む予定で、写真整理と仕込みが必要なので(基本的には完全に予定を立てて、記事の内容まで想定して、計画的に写真を撮って掲載していってますが)24時までに間に合ったのはこの2つの記事だけです(^^)

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↑久留米の「トトロの森」?




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2009/05/03

精神神経科・心療内科の薬の効き心地の「実感」についての本。

 神田橋條治先生たちが、精神神経科の患者さんたちが飲む代表的な薬剤について、その「効き心地」とはどんな実感なのかについて、医者たちの経験値や患者さんたちの意見を元にまとめた本を出しているという噂は耳にしていた。

 しかし、それが現実には次の本であるということは、今回はじめて気がついた。


●神田橋條治・兼本 浩祐・熊木 徹夫/精神科薬物治療を語ろう―精神科医からみた官能的評価

●熊木 徹夫 /精神科のくすりを語ろう―患者からみた官能的評価ハンドブック

 実はこれから注文して読んでみる段階であるから、具体的な感想は先送りにしたいのだが、すでに別の記事で私が書いたように、精神神経科や心療内科で出される薬物について、薬ごとに、実に精妙にその効能(および副作用)の実感が異なり、患者さんどうしは、その、薬ごとの効き心地の実感の違いを、実に精妙に間主観的に共有できるコミュニケーションが成立している(=お互い通じる言葉で語り合える)ことは間違いない。

 例えば、パキシルをジェイゾロフトに変更するとどのように飲み心地が変わることが多いか? 私の得ている情報からだけで、こららの本からの知識なしに敢えてブラインドで書いてみると以下の通り。

 ジェイゾロフトの方には隠れた軽いドーパミン再取り込み抑止効果があるため、朝の目覚めがすでにすっきりしていると訴える人が少なくない。ただし、副作用としてありがちなのは、過食からむしろ食欲低下や下痢にシフトすることであり、いわば「肉食系」から「草食系」へのライフスタイルの変更を求められることを自己受容できるかどうかが分かれ目となりやすい。

 恐らく、パキシルよりはジェイゾロフトの方が、日本人向きの、効き目もピュアで副作用も少ないことが多いSSRIではあるのだが、ジェイゾロフトには、ある種妖しげなまでに飲む人の心を虜にする嗜癖性が隠れている気がする。それは、いわば、タバコ飲みの人が、タバコを飲まないでいると、言葉使いの精妙なセンスや、細やかな注意力が低下するので、タバコを止められなくなるのと類似した質のaddictionの体験であるようだ。 

 それまで単極性うつ病との診断の元にSSRI中心の処方を受けていた人が、双極性II型ないし、気分変調症という診断が正しかったという判断の元に、ベーシックな薬を、気分スタビライザーのデパケンに変更することはよくあり得る。デパケンに変更すると、抗うつ剤にのみの時に生じていた、「鬱になるにしても、やり気になるにしても、自分の心身の重荷にゆすられるリバウンド現象から心身が見事に解放される場合があり、数年間不可能だった社会復帰がいともあっさりと現実化することすら稀ではない。

 だが、こうしてデパケンをメインに切り替える過程で、何らかの意味で、それまでのような、繊細で細やかな感性が自分から失われ、平凡な日常と現実の中に、ひたすら埋没できても平気となってしまい、と一種の「俗人化」が生じることをむしろつらく感じる人も少なくないらしい。

 そういう人のために、例えば、ジェイゾロフトを一日一錠夜だけ残すというのも、職人的な精神科医が患者さんによく提案するやり方らしい。そうやっておくと、いわば「タバコを止めない」ことで集中力や感性の敏感さを維持するのと類似した効果が期待できる。

 しかし、誠実なお医者さんなら、次のことをはっきり、インフォームド・コンセントする。

 「本当は、デパケンだけで済むなら、そのほうが回復全体は順調に進むはずです。もうあなたは、《プラス5の絶好調》も体験しないかわりに、《マイナス10の耐え難い絶望や抑うつ》に苦しむこともなくなります。ただし、あなたはいつでも単調なまでに《「気分どっちかというとマイナス1》状態で日々を送ることになります。そういう生活に、せいぜい《プラス2》ぐらいまでにしかハイになれない変わりに時には《マイナス3》ぐらいに気分が沈むくらいの潤いと張りと心身のゆさぶりを、一錠のジェイゾロフトは維持させてくれるかもしれない。・・・・・どちらを選びますか?」

 ちなみに、私はデパケン「だけ」を選んだのですが(^^)。 存外、私なりの繊細な感受性や言語表現力の精妙さは奪われなかったどころか、程よい軽妙さとユーモア、そして、迷いなく率直である態度という、もっぱら肯定面のみ。

 しかも、医者からは「永遠のマイナス1の安定」といわれていたのに、実際には、むしろプラス0.5くらいの安定という、ほのかな明るさの中に過ごせているという、思いもよらない結果なのですが、それを可能にしているのが、デパケンだけの力ではないこと、つまり、生身のニンゲンとの絆という薬あってのことであることは、重々自覚しつつ感謝しています(^^)


******


 いずれにしても、この2冊については、すでに毀誉褒貶がすさまじいものがあります。かなりの程度「主観的」であり、脳神経薬理学的な裏づけに乏しいというのです。この点は、熊木氏が単独で執筆した続編では、エビデンス・ベースドな方向を徹底して、かなり改善したようです。

 それでもなお、「患者がこんなふうな効き目を味わいたいという方向に誘導することにばかりなるのでは?」という批判などがあるみたいですが、少なくともこれだけは断言します!!

 患者さんが、医者の言うことを「おとなしく」きいていて、黙って薬を飲むという形でのプラシーボ(偽薬)効果に依存して薬物療法がなされる時代だけは、もう終わりにしてもいいのではないでしょうか?

患者さんが、自分の薬に効き目を自分の中で絶えず実感上モニターしていて、医者はそれを聴く耳を持って好意的に受け止めて刻々と役立てるという、患者さんと医者との薬を媒介としての信頼関係がいったん樹立されてしまいさえすれば、これほど治療効果が上がり、お医者さんにとっても負担が少なくなる治療関係はないのです。

 私は、この問題について、カウンセラーという立場から介入し、サポートするための方法論という、ある意味で、単なる医者もカウンセラーも超えた視点からの専門家であるための具体的方法論の確立を、今、模索しています。

 それは、こうした著作での、神田橋先生たちの「官能的評価」と呼ばれた次元での試みを、すでに過去のスタティック(静的)なパラダイムに過ぎないものとして、踏み越えて、更に先に進むことになるやもしれません。

 かつてただの一度も神田橋先生の信者になる気にはならなかった、一臨床家として。

 「中井久夫信者」といわれることについては、全然違和感ありませんけどね・・・・・・

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2009/04/30

ご当地ブログ、「カウンセラーこういちろうの久留米探訪記」開始!!

 最近の私が、こうやって30年ぶりのUターンをしてきた故郷、福岡県久留米市についての記事をたくさん書き出していることは、読者の皆様、お気づきかと思います(^^)

 このブログでそうした記事を書くことは、今後も重視したいのですが、この際だから、ネットの世界におけるご当地コミュニティを、もっと大事にしたいと思って検索したら・・・・

 ありました!!


●久留米の地域情報ポータルサイト 久留米タウン(by e-まちタウン)


 このサイトそのものが「e-まちタウン」という全国的規模のサイトの一部なんですけど、システムがしっかりしているので早速登録。

 ええい、こうなったらこのサイトでもブログ新設だ!! 

・・・・・というわけで、突貫工事でとりあえず誕生させたのが、


●カウンセラーこういちろうの久留米探訪記


でっす。

 こういちろうは、いくつサテライトブログを立ち上げれば気が済むのかといわれそうですが(^^;)

 この「久留米探訪記」サイトでは、

 私が久留米に帰郷してこの半年間の間に撮り貯めた未公開の写真のみならず、今後、運動も兼ねて自転車で再訪するであろう、かって知ったる久留米の町並みや史跡や名所や自然、そして、私にとっては新しい、浦島太郎のようにして体験する、新しい久留米の姿について、このサイトとは別のコンセプトで、ボチボチと気軽に取り上げて行きたいと思っています(^^)

20080813172100
↑未公開写真のひとつ、櫛原天満宮境内。太宰府天満宮を知っている人だと、境内の配置や置いてあるもの(御神牛とか)が似ていることに気がつかれるかと思います(^^) でも、そのひとつひとつに、大宰府にですらない、「苔むした」魅力ってありますでしょ?

 ・・・・・こうして、運動へのモチベーションを無理やりにでも維持する、行動療法家としてのこういちろう(?)であった(^^)


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2009/04/28

カウンセリングルームの今年度ゴールデン・ウィーク中の開室日について

 私の開業する久留米フォーカシング・カウンセリングルームは、平成21年度のゴールデン・ウィーク期間中、原則として開室とさせていただきます。

 当カウンセリングルームへのお問い合わせ等を含めて、積極的にご活用いただけましたならば幸いです(^^)

 もちろん完全予約制のカウンセリングルームです。私も皆様にお断りなく外出している場合もあることはお許しください。

 これに伴い、担当カウンセラーが所持している携帯電話番号のひとつもパブリックに公開することにいたしました。

 いつもお返事できるわけではありませんが、カウンセリングルーム不在時のお問い合わせ等にお応えしたいと思います。皆様も、社会良識に基づいてご活用ください。


●お問い合わせ・お申し込み

TEL & FAX : 0942-48-8797
携帯TEL:070-5593-8584
Email:kurumefocusing@live.jp


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2009/04/25

久留米市寺町界隈のつつじ、そして高山彦九郎の生涯

 久留米の旬のつつじシリーズ第3弾です(実は前の回の写真もすでに増えてますよ)。

 今回は、今朝散歩してきた、久留米市寺町界隈です。私の家から徒歩5分ぐらい。

 この土地には、江戸時代から、城下町のお寺さんが集められていました。そういう古くからの風情が比較的残っていて、この季節から秋にかけての週末には、結構ハイカーの人たちで賑わいます。

 西鉄久留米駅西口から北上、蛍川通りとクロスする交差点から、今回の写真集を始めましょう(次第に私の家に近づく方向になります):


大きな地図で見る

 まずは、蛍川通りとの交差点から寺町通りにほんの少し入ったところにある、何ともさりげない、中華チマキと肉まんのお店、知味斉をご紹介。

K3100097
 ご覧のように、何ともささやかな間口と面積の店舗なんですが、土曜日の朝9時半の段階で、お客さんこそ私一人でしたが、お店の中では次々とせいろでチマキや豚まんを蒸していく活気が感じられ、昼ごろにはかなりのお客さんが立ち寄られるのだろうなというのが伝わりました。

 「知味斉(ちみさい)」という名のお店は、実は中華家のお店としては全国に散在しています。ある意味では中華系ではありがちな名前に属するみたい。「知味」という字を書く大きなチェーンもありますが、ここでご紹介するのは、久留米ラーメンの老舗、西鉄花畑駅近くにあった同名の店に由来する、全国にも名前が知れ渡り、遠方からおいでの方も多い(ウェブサイトの掲示板をご覧になるとわかります)、知る人ぞ知る老舗です。

Chimisaimap2お店のチラシ

 私は10年近く横浜近郊に住んでいましたので、中華街の肉まんの名店はいくつか知っていますが、そういう場所のに比べると、肉まんはややあっさりめ、そう、ベトナム料理の生春巻きをどこか連想させるあっさり感がある気がします。西鉄久留米駅から徒歩5分でたどり着けますが、時間がない方は十分に場所の下調べをしておいてください。東西を走る蛍川通りから来る人にも目に入りやすいのぼりを立てていますので、そののばり目印にするといいかもしれませんね。

 ちなみに「売り切れ御免」のお店ですので、その点もご注意ください。


*****


K3100114
↑この店の辺りから北に向けての、両側にお寺が軒を並べる、あまり広くはない通りが寺町です。

K3100098
 週末、土曜日の朝ということもあってか、通りにこうしたのぼりを次々に立てていく、町内会有志の皆様(?)がおられました。


*****


 さて、そうやっていくつかのお寺を左右に見ながら北上していくと、徒歩2,3分で、久留米を代表する寺院のひとつ、庭園で有名な遍照院にたどり着きます。

●遍照院(㈱サンセレモ 寺社探索)

K3100099

 1622年の開山だから、筑後国久留米藩21万石の城下町でも、江戸時代初期、大坂の陣で戦功があった藩祖有馬豊氏が丹波国福知山から転封されて来て2年後に遡り得る古いお寺に属するが、このお寺を有名にしているのは、「寛政の三奇人」のひとりといわれた高山彦九郎の墓(国指定史跡)があるからである。

 高山彦九郎といっても、かなりの日本史ファンでも今では思い浮かばないかもしれない。しかし、京都の京阪三条駅前=三条大橋のたもとで土下座のようなことをしている銅像」がその人、とまで説明すると、思い出してくださる人も結構あるかな?

Takayama_hikokuro_statue
↑この銅像を、京都観光の際に観た人は結構多いと思います(^^)

 戦前の国定教科書では、吉田松陰の先駆者、つまり、ペリー来航よりかなり以前、外国船が日本沿海にそこそこ出没しはじめたばかりの頃の、尊王・謹王運動の初期、日本中を説いて回った「伝道者」のような存在として、この三条大橋からの皇居望拝のエピソードが描かれ、戦争終結までの数十年に関しては、日本でこの名前を知らない人は珍しかったくらいの「偉人」あつかいだったとのこと。

●頼山陽 高山彥九郎傳現代語訳(日本漢文の世界)

 しかし、次第にそうした活動に、この段階では朝廷をあくまでも幕府の管理下に置こうとしていた、未だ強大な幕府からの締め付けが加わるようになり、久留米の地に生涯3回目に立ち寄った際に、自刃して果てた。

K3100113
↑私が幼稚園の頃から、通園途中にその前を通り過ぎる際に、言い様のない怖さがふと兆す瞬間があった、市指定史跡「高山彦九郎終焉の地」(遍照院から北東400m)の写真。

 彦九郎がその終焉の地を久留米に選んだのは、その頃の久留米には、少し時代を下ると、水天宮総本宮の神官にして、京都蛤御門の変の長州藩の実質的総大将になった真木和泉守など、その後の尊王の志士の重要な活動舞台となるだけの土壌があったことと関連することだけは間違いない。時の有馬家藩主が将軍から嫁を迎えるという事態がなかったならば、久留米は薩長土肥と並ぶ倒幕と明治維新の「5番目の」立役者になったことはほぼ間違いないと歴史家は語る。

 彼は一種の扇動的デマゴーグだったともいえる。幼少時から周囲からのひどい扱いに耐え忍び、「太平記」を読んで感銘を受け、勤皇の遊説士となったいきさつには、周囲に流されずに孤高と保ち、彼なりの理想に生きる、強烈な分裂気質パーソナリティを感じさせる。

 頼山陽が書き残したように、大名をはじめとする自分よりも身分が上の者にも、礼節を貫きつつも媚びへつらわず、一度心を許した知り合いには心を開き、深く交わる対人関係様式、更には、どうして突如自分の腹に刀を突き立てたのか、イマイチ理解不能な振る舞いなども、分裂気質パーソナリティの特性を見事に描き出している生々しさがある。

 頼山陽の父は江戸や京都・大阪のあちこちで繰り返して彦九郎の遊説活動に接し、頼山陽は幼少時に繰り返し父からその時の体験談を聞かされていたということなので、彼の証言は、伝記としては、伝承に塗(まみ)れる以前の「リアル彦九郎」のプレゼンス(存在感)を、実に生き生きと伝えた、準一級史料といえると思われます。

K3100102
↑これが明治になって立てられた、境内の銅像です。

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↑建物の奥の真ん中に小さく見えるのがお墓です。

 さて、ここに付属している庭園は、実際には戦後に整備されたもの。

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↑案内板

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 百年公園の品種よりも、少し渋めの花の色なのも、歴史のなせる技でしょう(^^)


*****


K3100110_3
 ↑自宅近くまで帰り着いた時に見つけた、石垣の間に慎ましやかに咲いていた、いかにも野生のすみれの花。

 何か、私のカウンセリングルームのポリシーを象徴してくれるようなので、公式サイトのトップページの下段にも掲示することにしました(^^)


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2009/04/22

性懲りもなく、すぐに立ち直ることを繰り返す、「アメリカ人」というものの、光と影を象徴  -『風と共に去りぬ』についての「自我同一性地位」の観点からの考察-

 たとえ何が生じようとスカーレットは立ち直る。

 たとえ何が生じようと、スカーレットはアシュレーと自分との恋という幻想を振り払うことができないままでいた。少なくともアシュレーの夫となった従姉妹メラニーが死んでしまうその時までは。

 スカーレットには、非常に根本的な次元で、アシュレーの抱く心の闇、現世へのペシミズムへの基本的共感性が欠落しているから。(もとより、アシュレーはまだ死んでいない以上、スカーレットがこの煩悩からほんとう目覚めたのかどうかすら定かではない)

 この点からすれば、レッド・バトラーは、そういうスカーレットに巻き込まれたひとりの等身大の男性であるに過ぎない。

 彼ですら、暖かい家庭を夢見た。子煩悩そのもので、結婚後、地域の人と折り合うためなら、柄にもなく会釈を繰り返した。

 かなり久しぶりにBSで全編を通して観た時、レッドの最後の捨て台詞、

「そんなの知ったことか!!」は、

決して冷たいものではないばかりか、むしろスカーレットに残せる、精一杯の屈折した愛の言葉にすら響いた。


 それに比べるとスカーレットは何を考えているのだ?


 「そうだ! タラに帰ろう!」sign02 

1860年代当時、タラはオハラ家にとって、いったい何年前からのふるさとだ???

どんなに長く見積もっても、1世紀前に移民していた(ましてや、タラにたどり着いていた)わけではあるまいに。

.......言いたかないけど、究極的にはネイティヴの住民から搾取した土地でしょうが。


****


 そういう、半ば幻想とごまかしに満ちた、フィクションとしての自らの「ルーツ」へと、スカーレットは、「ご破産で願いましては」とばかりに立ち返っては、周囲を巻き込んで、一から出直し、工場主の妻になっていたかと思えば農園主になりなど、やれることは何でもやって、そのたびごとに立ち直ってしまう。

 それはどこか、青年期のモラトリアムにおける「役割実験」の繰り返しのようだ。ある観点からすると、スカーレットには決してアイデンティティの確立に行き着くことはない。

 なぜなら、自分が周囲を巻き込んでしでかしたことへの根本的な反省と、そうした「業(ごう)」を背負っての再出発の中で、以前と似た螺旋をめぐるようでいて、ある種の深みが増していくというプロセスまでは、彼女に見受けられないからである。

 そしてこれこそ、多くのアメリカ人が背負い込んでいる、「歴史を反省する能力」が基本的な欠落したまま、「性懲りもなく同じ過ちを繰り返す」傾向のまさに典型的・象徴的な表現なのだ。

 その意味で、この映画ほどにアメリカ人を感動させる映画はあり得ず、同時にアメリカ映画というもののいやらしさをこれほど完璧に描き切ったと感じさせられる形で立ちはだかる、我々にとっての「大きな壁」というべき"The Movie"である。


*****


 しかし、アイデンティティ論のエリクソン自らが明言している。

 アイデンティティを、青年が社会に出立してさほど立たないうちに一度確立されれば生涯を保障してくれる「達成」のように誤解してもらっては困る....と。

エリクソン/幼児期と社会 1 (1)

エリクソン/幼児期と社会 2 (2)

 ある観点からすれば、人は、いったん確立されたかにみえるアイデンティティに安住できないまま、再び「役割実験」に踏み出す一生を、生涯の間に何回か繰り返す。

 戦争や経済、産業、科学の進歩の伴う社会変動、天災・事故、別れ、年齢や体力の衰え、子供の巣立ちなどの中で、人はそれまでの自分のやり方が通用しなくなるのを感じ、新たな「危機」に直面し、リスクを背負ったチャレンジをはじめる。

 その意味からすれば、スカーレットの生き方は、我々の、等身大の写し身であり続けるだろう。

 心理=社会的アイデンティティの確立そのものが、そうやって、生涯にわたって少しずつ更新されていくしかない、状況との相互作用としての「体験過程」のステップなのである。それこそがエリクソンのいう意味での、心理=社会的「ライフサイクル」ということになる。

 恐らく、我が師、村瀬孝雄の生涯の最後の数年が、エリクソンとフォーカシングの両方にささげられたことの核心は、師が、両者のこの「接点」に深く気付いていたからこそだろう。

エリクソン(著)、村瀬孝雄・近藤邦夫(訳)/ライフサイクル、その完結

●風と共に去りぬ(1939) - goo 映画


*****


 現代日本の行き詰まりは、そうした個人や社会の更新過程の必要な危機に際して、むしろ、「モラトリアム」→「アイデンティティの確立」→「モラトリアム」→・・・・・というらせん状のバリエーションとして前に進めるプロセスが停滞し、横道に入り込んで袋小路に行き着き、固着(fixed)しやすいという点で、他の多くの国や地域以上に危機的な状況にあることかもしれない。


 では、その横道の袋小路の具体とは?

 実は、それを更に明快に2タイプに分類した、研究者には知れ渡っている業績がすでにある。

 Marcia,1966は、自我同一性の問題への対処の仕方を4つに類型化し、「自我同一性地位(Ego Identity Status)」と名づけた(図表参照)。

 (詳しくは、波戸香織「青年期の自我同一性の達成に関する研究動向 -現代日本における同一性形成要因を探る-」学校教育 A00-1835 参照)

 現代日本とは、この4つの同一性地位の中の残り2つ、すなわち、

「同一性拡散」(Identity Diffusion)と、「早期完了」(Foreclosure)の間を、青年期以降はひたすら悪循環的に性懲りもなく往復するだけの、成熟を知らぬ時代である。

 何しろその「同一性拡散」と「早期完了」の往復しかできない、今の日本の典型的人物が、(直系ではないが)二世議員でもある、我が郷土、福岡と縁が深い、現「総理大臣」なんだから、あまりも象徴的ではないか!!

「同一性拡散」から、あるいは「早期完了」から、再び「モラトリアム」的役割実験のステージに立ちなおすという、細くて曲がりくねった獣道のような隘(あい)路(ボトルネック、難関)を潜り抜ける勇者が(世代や年齢に関係なく)少なからんことを!!

そして、「早期完了」に過ぎない人たちが、まるでアイデンティティを確立した大人であるかのように振舞い続けることを打ち砕くだけの、社会の柔軟性という土壌と、神のご加護がありますことを!!


****

 なお、「同一性拡散」と「早期完了」という、この2つの概念のうち、今日、この中の"Foreclosure"の定訳扱いをされている「早期完了」とは、先述の、恩師村瀬孝雄の案出した訳語である。

 そこにジェンドリンの体験過程理論において”incomplete"を「未完了」と訳さずにいられなかった村瀬の中で、こだまのように響きあっていた言語連想があると想像することは、決してこじつけとはいえまい。

 {見かけ上「完成されて(complete)」いるが、実は、内的葛藤のworking throughを経ずして先行世代の規範を取り入れただけで、実は真の心理=社会的相互作用の過程を経ての自己確立ではない}体験過程の状況との相互作用が真に推進しないままでincompleteにとどまっているのが、まさに"Foreclosure"だからである。


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2009/04/20

久留米つつじまつりより

昨日、行って来ました。

久留米のつつじは今こそ見頃でしょう。

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人出も実に多く、交通渋滞も凄い。

こうした会場とショッピングモールが隣接していて、ハイカーもいれば、屋台をあてにした若いカップルもいるという賑わい。

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 ↑このタイプのお好み焼きは関東で見たことがなかった。
 「はし巻き」というらしい。1本200円。
 単に形状の違いだけではなく、広島ふうよりも、白身を少し減らし、半熟ふうに薄く巻き上げるという、しっとり感のある仕上げのように思う。


無理に動員をかけなくても、地元の一ヶ月も続くイベントにこれだけ人が集まるという点では、久留米はいい形での市民の憩いが確立していると思う。

ちょうど、受付開始後真っ先に申し込んだ市民への定額給付金の実際の交付(口座入金)がはじまった直後というのも大きかったろう。



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2009/04/18

久留米はつつじ真っ盛り

Tsutsuji090417a

つつじは久留米の名物のひとつ。

私の住んでいるところから2キロほど東の、久留米百年公園では、ゴールデンウィークまでの一ヶ月間、「久留米つつじまつり」のシーズンです。

●久留米つつじまつりin百年公園(BLOGわん)


今日土曜日(4/18)と明日日曜日には、中央公園で、「第12回久留米つつじマーチ」が開かれます。

追記 : 4/18に私が行って撮ってきた写真はこちらにあります。


●第12回久留米つつじマーチ<(久留米市役所公式ページ)


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2009/04/14

うどんのウエストとかしわめし弁当(と大砲ラーメン) [第4版]



コネタマ参加中: オススメの駅弁や“ご当地グルメ”を教えて!

 久留米ご当地ネタもうひとつ。

 久留米っつーたらラーメン発祥の地、久留米ラーメンという話になりそうなんだけど、あの、かぐわしい、呼び戻しによる豚骨・白湯系のニオイが店の入り口や屋台から漂うラーメンがラーメンだと子供の頃から当たり前のように思って育った人間(しかもラーメン発祥地説がピンポイントで濃い通外町から東櫛原町一帯こそが根城だったからね)ですから、この際、それこそ「中華思想」に徹させてもらって、あまり薀蓄を書かないことこそ、ご当地のプライドと言わせてもらおう(^^)

●Centre for Evidence-Based Ramenology in Kurume University(当サイト内に転載)

●福岡県久留米市久留米ラーメン観光地図(Googleマップ)
●ラーメン九州ドットコム


●【ラーメンWalker】(YouTube)


【追記】

Taihoramen_2
 ↑ .......といいつつ、翌日(4/15)には大砲ラーメン本店(久留米市通外町11-8西鉄久留米駅より北東徒歩5分。こういちろうん家から南東徒歩12分)に行って来てしまったこういちろう(^^)

【送料無料】福岡・久留米の名店の味(8食入)大砲ラーメン

 「昔ラーメン」の大盛りセットで替え玉までして860円くらいだったか。私には、これで全然脂っこく感じない。そして、2代目店主になって、これでも昔に比べるとずっーーーと洗練されてしまったと感じる。つまり、この世の[ラーメンなるもの」の大半は、単なる「和風中華そば」である!! ayuさん帰福時ご用達の、いわゆる「長浜ラーメン」も含めて!!

Mukashiramenお店のチラシより。

*****


 ラーメンの話題はさておき。

 こっちに戻ってきて感心したのは、福岡由来のチェーン店であるウエストのうどんである。一見ファミレス感覚で、交通量の多い国道(たとえば3号線)だと、郊外地にあたりまえのように支店があるんだけど、これが、関東から戻ってきた私のような人間には目からうろこ(舌から舌サック?)とも言いたくなるくらいの絶妙な味加減・舌触りなのである。

Image481
↑ウエストうどん諏訪野町店


大きな地図で見る

 まず、うどんの麺そのものが卓抜。この繊細な舌触りのよさ。むしろ「腰が弱い」。もちろんこれは麺が延びているという意味ではない(^^;)舌の中で「砕けて」いく感触がすばらしいのね。極論すれば、スープもだしもない素うどんとして湯がいてもはっとする水準と思う。

 そして、関東系のしょうゆ味ではなくて、あくまでもだしだけで勝負する薄味の味付けバランスが実にいい。私は基本的にはそば党なので、うどんに関してはよほどのことがないと味に記憶が残らないのだが、私の体験で言うと、JR高松駅の立ち食い讃岐うどんですらここまで驚かない、ありふれた「腰の強さ」系うどんだった。

 そこに敢えて、ドッピング(90円)のかき揚げ(もちろん作り置きのしけったのではない。目の前で時間をかけてからっと揚げてくれる。しかもそれがびっくりするほど大きい!!)を載せて、混ぜながら食べる。至福である。

Image482
↑牛丼セット+かき揚げドッピングの配膳時のお姿(^^)。注文して2分でした。


 [第3版で追記]:

 うどんのウエストは、09.05/03、FBS日曜夜22:30の人気番組「ナイトシャッフル」でも紹介されましたね。この番組でもやはり、かき揚げのドッピングは別格であることを見事に紹介しておりました。

*****


 さて、JR久留米駅の駅弁といえば、明治25年創業を誇る中央軒「かしわめし弁当」が全国にその名を知られている。

 久留米中央軒が廃業して鳥栖に拠点が移ったことは残念で、しかも、久留米駅の在来線ホームからそもそも売店が撤去されたままなのがわびしい。新幹線開業と共にコンコースの売店という形で本格的に復活することを祈っている。

 ちなみに、かしわめし弁当として、福岡県内の各所の駅で販売にされているのは、北九州の一部を除いて、たいてい「東筑軒」系のものである。中央軒系は鳥栖駅と久留米駅のみ。ちょっとだけ華がある印象は東筑軒系でしょうけど、惣菜もシンプルで安くて「味で勝負」はやはり中央軒と感じるのは地元の身びいきでしょうか(^^)


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2009/04/13

にほんじんは、せんそうのしかたをしらない? (第6版)

(のっけから、雑記帳恒例の、挑発的な一言)

 日本人は、どうも殖産興業のあり方についても、未だに高度経済成長時代の計画の歪みと戦い続けている。

 九州自動車道の久留米ICに隣接する東合川地域の総合開発事業の一環としての、「ゆめタウン久留米」を中心センターとする商業コンプレックスは、旧市街地から車で数分、筑後川堤防沿いの水田地帯の広大な敷地に、九州でも最大級の一大ショッピングモールを建設するという計画であった。

K3100039_2

 それは幸いにして、久留米では大成功をおさめた。シネコンプレックスや大ゲームセンターなど、久留米の若者の娯楽の中心そのものを旧市街から大移転させることにまんまと成功、今や中学生ですら、久留米市内の市街地を徘徊しない。福岡県南半分、筑後地区最大の商業・娯楽施設群である。

 九州内の全鉄道駅で乗降客数第5位を誇る西鉄久留米駅からは、夜23時まで毎時最低3本、休日には日中毎時6本のシャトルバスによるピストン輸送体制があるので、中学生でも比較的健全に近場で娯楽やショッピングを楽しめる体制が整っているわけである。

Nishitetsukurume西鉄久留米駅西口

K3100116
↑だが、そのぶん、明治通りを中心とする、西鉄久留米駅とJR久留米駅の間の旧市街地の地盤沈下は進み、創業80年を誇った、久留米井筒屋(旧旭屋デパート)は、今年2月でついに閉店となった(地図参照)。


大きな地図で見る

 2年後に迫ったJR久留米駅への九州新幹線の開通に関しても、JR駅のごく周辺部での、博多駅までわずか12分という、福岡市の衛星都市化を見越しての高層マンションの建設ラッシュが進むばかりであり、商業圏としての明治通りルート(旧東西ルート)は見捨てられたかのようである。

S35meijistreet
↑昭和35年の明治通り、西鉄久留米駅側から西=旧国鉄久留米駅方面に向けての眺望。一番奥に見える中層のビルが当時の久留米井筒屋デパート。

大砲ラーメン本店に設置のチラシより転載)


 このままでは、明治通りルート(旧東西ルート)に抜本的な対策が取られないまま、旧市街地北郊外の、櫛原バイパス-久留米東バイパスを通って、

「JR久留米駅-久留米大学医学部-百年公園-ゆめタウン-久留米IC」

という「新」東西ルートを通しての、マイカー利用中心の商業圏(このルートを貫通する公共バス路線もできそうにない)がこのまま確立しそうなことに危機感を抱く市民はたいへん多いはずである。

K3100089_2
↑久留米東バイパス・百年公園前陸橋より、東側、ゆめタウン久留米・久留米IC方面を臨む。遠くに見える山は高良(こうら)山。


● 国道322号線#2(福岡県久留米市東合川~久留米市宮ノ陣町八丁島) [YouTube]

(↑この映像は、久留米インターチェンジそばから、西方向の久留米東バイパス[国道210号線]経由で久留米市街地方面ではなくて、逆の北方向、旧北野町方面(今は久留米市の一部)に向かう道路、国道322号線の映像です)。

 日本はほんとうに、裕さん出身の群馬県みたいに〈おいおい勝手にばらしていいのか)、アメリカ的な車社会=郊外型ショッピングモール中心社会になっていいのか?

 神奈川県大船時代には考えられなかったのは、私の現在のカウンセリングルームにおいでになるクライエントさんのほとんどがクルマでしかおいでにならないということだ。福岡市からでも、鹿児島県からですら!! 

 .......いずれにしても、こういちろうが多少なりとも経済的に安定したら、本格的都市型開業オフィス(?)を何件か支店まで構えたくなりそうな物件が、明治通りを歩いてみると、よりどりみどりでごろごろしている(当面借りませんって ^^;) 

 もっとも、こういちろうの現在のオフィス、久留米フォーカシング・カウンセリングルームも、その櫛原-久留米東バイパスによる「新東西ルート」が、久留米市を貫通して「南北に」伸びる国道3号線とクロスする、「東櫛原第1交差点」という、久留米市で実は一番交通量の多い交差点(その場所も、アルペン系のSPORTS DEPO久留米櫛原店を中心とする小さなショッピング・コンプレックス化しているので各館無料大駐車場完備!!)からわずか徒歩2分という、マイカーでおいでになる方にとってはすでに圧倒的なロケーションであることにお気づきの方はまだ少ない(^^)

Kfcmap1a

↓もっと拡大(^^)
Kfcmap2_2

●NTT西日本 eタウンページ 久留米フォーカシング・カウンセリングルーム 周辺地図

Image02600
東櫛原第1交差点を、北から南に臨む。向かって左が久留米東バイパス(IC・ゆめタウン久留米方面)、右が櫛原バイパス(久留米大学医学部・JR久留米駅・大牟田方面)、直進すると国道3号線で、2キロ先に西鉄久留米駅、更に南下すると、八女・山鹿・熊本方面)

Image550
↑ 国道3号線吉原橋交差点(手前の信号機の場所。私のカウンセリングルームから徒歩1分!!)から、今度は北向きに、SPORTS DEPO久留米櫛原店のある東櫛原第1交差点方面を臨む。


****


 それはさておき、こういちろうの本日の斥候、もとい、調査研究「営業」活動の舞台は、明治通りやゆめタウンにとどまってはいなかった。

 西鉄久留米駅、岩田屋側の新しい東口から国道3号線沿いに南に広がる諏訪野町にかけての一帯は、以前から税務署、ハローワーク、旧久留米市公会堂など、筑後地区のさまざまな官公庁が軒を連ね、古くからの学校の跡地も連ねる(?)一角であったが、そこに忽然と建設された、巨大総合公共施設が、「えーるピア久留米」である。

K3100037_2

 この施設は、ひろびろした立派なエントランスを持ち、

* 生涯学習センター
* 男女平等推進センター
* 人権啓発センター
* 消費生活センター

が置かれている。

 開業カウンセラーの私が、本日これらのセンターを巡回して担当者にご挨拶申し上げたとしても、それは、地域密着の、営利を超えた公共性重視の活動として、至極当然で、遅すぎたくらいであることはいうまでもありません(^^)

 付言すれば、「男女平等推進センター」とは、DVやモラハラやストーカーなどの諸問題についての筑後・久留米地区の公的な相談窓口の中心であり、「消費者センター」とは、ネット詐欺や通販・キャッチセールス等の解約問題・それに伴う借金問題と関連する、同地区の公的な相談窓口の中心である。

 大学学生相談(出身)のカウンセラーで、この種の公的組織との連携や、クライエントさんの紹介の経験が一度もないという専門家がいたら、基本的な認識不足であろう。


 更に、いずれ、不肖ながら私を講師とさせていただく、講演会や地域コミュニティの「会場」とさせていただくことなろうことを、この場で久留米近郊の皆様にお伝えしても、早すぎることはございますまい。

 ・・・・・・さて、これで、もう一枚、「最後のカード」の話だけが残っているが、当然このカードは当面守秘されてしまい、秀吉の墨俣一夜城的な形で、その公然化の時を待つことになろう。


****


 繰り返します。

 必要なのは、実は戦争の技術でも訓練でも、老獪な外交でもありません!!

 地域における「殖産興業」と「失業者対策」、
更には、「田地開発」と「潅漑・治水」、
年貢や租税の厳密な管理、(うちの父親は久留米最高のフリーの「勘定奉行」テクノクラートとして鳴らした。現在も私専属で留任)、
 「観光事業」(この記事も久留米の宣伝!!)、
そして「○○○○」に貢献した者のみ、
真のよき領主となるのである!!

 「天地人」で脚光を浴びた直江兼続真の功績は、実はそのあたりにこそあるのである。

 それが兼続の主君(米沢上杉家)の遠縁ともいえる、吉良上野介の、領地三河国幡豆郡での評価と類似していることを知る人も少なくないかと思う。

 もっとも、米沢上杉家にとって吉良は、上杉鷹山による藩政改革までは米沢藩の藩財政を窮乏させる要因のひとつであり、むしろこの三河の領地でのみの評判は、一種の「判官びいき」では?という見解がwikipediaには紹介されているが。


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2009/04/07

第82回日本産業衛生学会総会(福岡市)関連行事:第2回産業心理技術研究会 に参加します。

この5/22の行事は、一種の自主企画のようなもので、正式の学会プログラムには入っていないようです。

●第82回産業衛生学会公式サイト(2008/5/20-23 福岡国際会議場)


《追記》

当日の模様の、とりあえずの速報はこちらをご覧下さい。



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2009/04/06

このサイトはping送信にほとんど対応していません(^^;)

 これまでに1745というエントリー記事数、しかも長文記事がほとんどと、あまりにもコンテンツの量が多く、更に何より、カテゴリー分類を、心理学統計で言う、オズグッドのSD法(意味微分法)チック(あくまでも「...チック」です)に活用するポリシーを意識的に立てて、カテゴリー指標をたいへんに多くしているために、アップロードが異常に重いのです。

 「トップ」→「個別バックナンバー」→「月別バックナンバー」→「カテゴリー別バックナンバー」という順で、手作業でひとつのエントリー記事を掲載したり更新したりしています(15分はかかる ^^;) アップロードの際に自動のトラックバック送信をココログサイト側で行なうことがとっくに不可能なブログなんですね(^^;)

 ですから、このサイトから他のサイト様記事へのトラックバックをしようにも、今ではもう飛ばせません。

 このデメリットを、「日本ブログ村」をはじめとする、各種の、サードパーティーのping送信仲介サービスサイトを仲介させてある程度はカバーしていますが、恐らく、お手持ちのブラウザやメールソフト付属、あるいは「はてな」をはじめとするRSSリーダーに直接このブログを登録して下さった、継続的愛読者の皆様にこそ、最新記事や記事の更新の反映が遅い(遅い場合には3-4日かかります)という形で、大きなご迷惑をおかけしていることかと思います。 どうかご容赦ください。

 なお、この現象は、開業サイトの方では、まだコンテンツが少ないので全く見られません。

 私は現在、「雑記帳」をプライベートサイト、およひカウンセリング関係のベンチャー的な記事(?)をとりあえず書くためのものとして、開業サイトとある程度使い分けるポリシーを進めています。開業サイトのほうが、同じ内容の記事でも、ずっと推敲されたフォーマルな文体に変更しています。

 こちらのサイトでのような、

 「歌って(ayuライブで)踊れるカウンセラー、こういちろうのワンマンライブ こういちろうワールドへようこそ!!」

 とは区別しています。

 この結果、すでにアクセスシェアの上で、開業サイトが3.5割をコンスタントに占めるところまで変化して来ました。私の目論見どおりといえます。

 それでも、ココログ系の私のサイトだけでも、一日全体で500アクセス近く(2月中旬までの「沈黙の数ヶ月」ですら200アクセスキープ)いただいていることにつきましては、心から感謝申し上げます。


*****


 「緩やかな形でしか公私の区別をネット上でしない」というのが、私が1995年パソコン通信時代にネットデビューして以来変わらない、一貫するポリシーということは、もはや繰り返すまでもないでしょう。

 それでカウンセラーとして食いっぱぐれるなら、我が人生に悔いなしとしか思っていませんし。最後の手段としては生計はバイトしてでも何とかするということですし。


 もっとも、カウンセリング関係の記事で、開業サイトのみにあって、こちらで言及されていないものは、ごく事務連絡的なニュースを除くと全くありませんよ(^^)

・・・・この種のことは、年に一度ぐらいは、新規の読者の皆様のためにお書きしています。


 今度、ささやかながら「宮仕え」もいたしますので(^^)


****


 あと、「私がまだ切っていないカード」<strong>のひとつが、開業カウンセラーなら地域密着するための定石ルートである、「地域の公民館等での講演会」であることは、そろそろこういう場所のこういう記事!で、さりげなーーく示唆し始めていい頃かな?(^^)
 


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2009/04/04

2/7(土)-2/8(日)の第59回臨床心理士研修会(熊本県・八代市)参加報告....のはずが。

 ああ、この「参加報告」は、もはやあまりに旬を逸してしまっている(^^;)

 しかしこれは、私がネットから姿を消していた沈黙の数ヶ月が実はたいへんリア充な日々だったことのささやかな傍証になるであろう。

 ホント、この研修会での私のロビー活動の成果が一気に全開しているのが、ここしばらくの、このブログの快進撃の秘密なのである。


 マジに「ロビーで」、お酒もなしにドーパミン出しまくりで盛り上がった、まさか出会えるとは思えなかった先生方。

 阿世賀がこうしてあの日、いろいろご相談した成果を生かし続けていることをネットを通してご照覧でしょうか。

 S先生、K先生、M先生、そしてあまりに予想外の出会いだった水俣のT先生。

 私は先生方から、このエネルギーをいただきました。


 先生方は、私はその時お示ししたカードを、まだいくつも切らないままということにお気づきかと思います(^^)

090208k3100024_2
↑我がJR久留米駅

090208k3100027_2
↑新八代駅の九州新幹線、つばめ号

090208k3100028_2
↑同じホームの向かい側に止まるリレーつばめ号

K3100019_s
↑ん?

K3100020_s

K3100022_s

K3100024_s
↑少しぶれてるけど、2月限定で、本来上下2段式の2人掛けシートなのを3人掛けの指定席にするためのシールでした。この、寝台を使っていない時間帯の、ほんとんど「庶民的なセミ・コンパートメント」みたいなくつろぎがたまらないブルトレファンは多いよね(^^)

K3100025_s
↑これも手ブレですみません。こういう懐かしいタイプの洗面スペースも見納めか?

090208k3100050_2

090208k3100047_2
↑あの、2月限定、ブルートレイン「はやぶさ」号お別れ記念、熊本ー博多間上り一般席扱い指定乗車券をもろに使って、八代からの研修会の帰り、熊本から久留米に帰り着いたわけですね。


 ●富士・はやぶさ 上り一部区間で寝台券なしで乗車可(鉄道コム)

=====引用はじめ=====

JR九州は、寝台特急「富士」「はやぶさ」の上り列車の一部区間において、期間限定で普通車指定席の特急券を発売する。

設定日は2月1日~28日で、設定区間は、富士が大分~小倉間、はやぶさが熊本~博多間の東京行き上り列車。発売席数は1列車あたり45席で、富士の6号車、はやぶさの12号車が対象となる。

同列車の乗車には通常、乗車券や特急券のほかにB寝台券(6300円)などの寝台券が必要となるが、期間や号車など限定で、乗車券と特急券(指定席)のみでB寝台車両に乗車できる。なお、座席は3人がけとなり、寝台としての利用はできない。

きっぷは、乗車日の1か月前の午前10時から、全国のJRのみどりの窓口等で発売される。

同下り列車では、下松~大分・熊本間で、各列車30枚の立席特急券が、従来通り発売されている。 

=====引用終わり======

 この日、日曜日ということもあってか、他の車両も熊本からほぼ満員でした。結構、お年寄りのグループとかも多かったのは、団体旅行枠もあったのかな?


****


 大学合格以来、30年間の東京・横浜との往復の日々、何回も乗りました。

 「東京行き」が久留米のホームにもう入らないことは、心の底から残念です。

 はやぶさは、久留米と東京がひとつにつながっていることを安心させてくれていた、これぞ私の移行対象、いや、アンピリカル・ケーブルでした。

K3100011_s
↑こういうラストシーンにしてしまうと、映像演出上、狙い過ぎといわれるのは承知です。なお、よそ様のお子様ですので(新八代駅 ^^)


 BGMは、もちろん、みゆきの「ホームにて」しかないね(^^)

Ticket_to_ride_hayabusa



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2009/04/03

久留米でフォーカシングを学ぶ会、次回は、4/12(日)に開催。更にその次回は......

 「久留米でフォーカシングを学ぶ会」、次回は、通例通り第2日曜、4/12(日)に開催します。

年度はじめという、皆様お忙しいさなかかと思いますが、むしろチャンスかも知れませんよ!! 
エントリーお待ちしています。


*****


 なお、更に次回、5月に関しては、日程を5/17(日)に変更させていただきます。

もう、こうなったら大風呂敷だ!!

(以下の文面、いうまでもなく、ウィットとしてお読みください!!)


 兵庫県淡路市でのフォーカシング国際会議(5/12-16)に参加なさらなかった、フォーカシング・ピープルの皆様、これを期に、是非久留米においでください!!

 いや、これを期に、世界のフォーカシング・ピープルの皆様、フォーカシング国際会議のアフター・オプショナル・ツアーとしてどうぞ。

成田・関空から久留米へのアクセスについては、なぜかこちらにむやみと詳しい英語解説があります(^^;)

 なお、JR新神戸駅から博多駅のアクセスについては、省略させていただきますことをお許しください。

 以上、直前に国際てんかん学会(私も参加)が開かれる久留米大学から徒歩10分久留米フォーカシング・カウンセリングルームより(^^)


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2009/04/02

SART(主導型リラクセイション・セラピー)のセミナー報告、予告編!! [第3版]

 福岡市で行なわれた、臨床動作法の新たな流れというべき、SARTの体験セミナーに出席して2週間半もたってしまいました。