振り返ってみれば
春を迎え、新年度の新たな状況を見据えた時に、目に映る景色がこれだけかわってみえてしまうものなのかということに我ながら当惑するあまり、最近では一番長期間、記事を書くことをお休みしてしまった。
ふと我に帰ってみると、いつの間にか、嘉代子先生に戒められたはずの「ひらひら」モードが復活していて、自分でそのリバウンドをしみじみと感じていたといえばいえる。それでも、以前に比べたら、慎重に、状況を見て・・・・というつもりでものを書いてきたつもりではあったが。私はまだまだ時としてある種の慢心がほとばしり出る存在なのだと。
念のために言い添えると、どなたからかクレームかついたとか、そういうことではない。すべては現実状況の変化の中で、私自身の「内心のプロセス」としてかんじるようになったことだ。
視点・・・・パースペクティヴががらりと別アングルになった。そうすると、前の視点から見ていた時に、見ないようにしていたものとか、自分が自分に信じさせようとしていた「物語」とは何だったかが、「客体」として初めて観察できるようになる。
>「自信があること」ではなく、「今日できる最善のこと」を尽くすこと。
そう、私はすぐに、「自信があること」にだけ傾倒してしまい、「そこ」だけで強行突破してしまおうとする悪い癖がある。改めて味わい直してみて、先生見事に看過しておられたなと思う。
私はいつの間にか、今度は通院中の気分障害の皆さんに関して少し詳しいカウンセラーであるということ、まさにその点だけで「一点突破」しようという方向にのみ傾倒してしていたとも言えるかもしれない。
少なくとも今の私は、「今日できる最善のことを尽くす」となると、そのことばかりに「しがみついて」いるわけにはいかないということを、ようやく受け入れることができるようになって来ているとも言えそうだ。
ピアジェふうにいえば、自分の中の既存のシェマと適合する方向に経験を消化しようとする「同化」優位から、「調節」機能の再賦活の狭間にいるとも言えるだろうか?
もとより、こうしたことは一生繰り返していくバイアスの変化なのだろうと思うし、逆に「変わらねはならない」という意識が強すぎてもバランスを見失い空転するだろう。「自分が」今日できる最善のことを尽くすということは、やれもしないことをやろうとして空転する事態をむしろ避けることもできるということをも内包すると、私なりに思う。
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私が今のような形で生きていられていることは、さまざまな状況が重なりあった結果として生じていること。そのこと自体の幸せという観点から、自分のやっていくことを見つめなおして行きたい。






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