臨床心理士

2012/01/04

「こころの天気」のご紹介

島根県松江市でフォーカシング・トレーナーをなさっている土江正司さんは、活発にグループワークやワークショップを開催されており、独自のユニークな技法をいくつも実践しておられる注目すべき存在です。

もっとも著名なのは、「こころの天気」と呼ばれる描画法的アプローチです。

この技法は、非常にシンプルであり、小学校低学年を含む学校教育現場でも十分活用できます。

詳しくは、土江さん自身のサイトでわかりやすく解説されているので、以下のサイトを御覧ください。

●こころの天気描画法(by 心身教育研究所)

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2011/12/20

「こども達とフォーカシング」書評

共著者のひとり、マルタ・スタルベルツは、長年、発達障害の子が沢山いる学校で、児童心理士として活躍しておられた方である。

しかし、本書は、子どもや親や学校の関わりのみならず、大人自身が、様々な個人的現実世界や、組織・施設の中で、フォーカシングをいかに役だてられるかにも様々な示唆を与えてくれる。

フォーカシング関連の書物の中でも、訳はたいへん秀逸な部類に入ると思う。原著そのものに、難解さがない、流れるような自然さがあるであろうことも容易に想像がつく。

多少フォーカシングに馴染んだ人であれば、全くスムーズに読めるであろう。

著者は、こども達と関わる上で、普段思わず使ってしまうような物言いをほんのちょっと控えてみて、親や教師の側が、まずは自分の内側の感じに注意を向け、心のスペースを取り戻すことの重要性を説く。そして、子どもの傍らにいる中から生じてくるボディ・センスに感情移入的に注意を向け、丁寧に気持ちを察しながら言葉を返していく(これを「ミラーリング」と呼ぶ)、それだけでも、子どもとの関係性が、たとえそれが赤ちゃんとの関係ですら変わることを示唆する。

そして、子ども自身が自らのボディ・センスに注意を向け、程よい間合いを見い出すことで、自らにやさしい関係を作り、それが行動(かなりの問題行動すら含む)の好転を無理なく促すことに結び付けられるかを、様々なケースについて、思春期に至るまで、年代別に注意すべきポイントを少しずつ変えながら解説してくれる。

子どもがボディ・センスから自分の細やかで複雑な感情や状況を表現するために、言葉だけではなく、絵画や文字などを媒介することを子どもに提案すると、相互作用が深まる様も、こども達の描いた豊富なイラストを挿入ながら理解できる仕様になっている。

また、技法が決して押し付けにならないように、いかに細やかに関係性を築いていくかが前提になっているかについても、非常に示唆に富んでいるだろう。子供達といかに寄り添うか。それは、子ども自身が自分のボディ・センスに親和的になるかと感応しあっているかのようである。

学校教育の現場では、SSTやアサーショントレーニング、認知行動療法的アプローチ、いじめ対策のためのワークがなされている場合も多いであろうが、ここで述べられたフォーカシングの活用は、それらの技法と矛盾したり取って代わるものではない。むしろそうした技法と統合され、しなやかなエンジンオイルを供給するものといえるだろう。

本書の事例を読んでいると、言語の発達や学習障害、自閉、多動、感情の統制などという点で、実は全く平均的児童との隔てがない関わり方の次元があることが生き生きと伝わってくる。本当に「現場型」でフォーカシングの教師としても有能な人たちが書いた本だと思う。       

「ここの部分は◯◯技法に似ている」などと安易に類型化して読まないで欲しい。本書の行間に身を委ねて味わって欲しいと思う。そこにはpersonとしての大人と子ども、「人と人」との豊穣なコミュニケーションの世界が広がっているのに気づくだろう。

===========

以上、未だ途中までの読みかけですが、とりあえずアップ。読み進めるうちに必要を感じれば増補改定します。

2011/11/19

児童福祉施設内での暴力に対する「安全委員会」方式についてのとりあえずのまとめ(togetter)

児童福祉施設内での暴力問題というと、施設職員から入所児童に対する暴力がまずは問題として表面化した。

しかし、近年、児童間の暴力、児童から職員への暴力も問題であることが言われ始めている。この問題についてこの10年ほど臨床心理士とし関わってきた九州 大学教授の田嶌誠一先生が提唱する「安全委員会」方式については、著書「現実に介入しつつ心に関わる」「児童福祉施設における暴力問題の理解と対応」に詳 しい。

以下のまとめは、そこで述べられた内容をネット上でどう紹介するのか、とりあえずの大雑把な備忘録に過ぎず、未だ言葉足らずで説明不足ですが、まとめてみました。

こちらからどうぞ。

これに関しては拙ブログの、

http://kasega.way-nifty.com/nikki/2009/12/post-0b71.html

http://kasega.way-nifty.com/nikki/2011/11/post-3b4f.html

を、まずはお読みいただければ幸いです。

*****

このtogetterはまだ私の備忘録的なものであるの過ぎません。「安全委員会方式」は、半可通でわかったつもりになると相当な誤解を招く可能性があります。

今後、前掲書と丁寧に付きあわせて間違いのないように更に推敲し、拡充して当ブログでまとめてご紹介する機会を作りたいと思います。

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2011/06/20

格差社会とカウンセリング

 カウンセラー、殊に臨床心理士の多くは、高い学費を払って博士前期まで出ているのに、非常勤の寄せ集めで意外と低収入のガツガツで暮らしている(平均収入230万円前後という統計がある。若い層だけ引き出せばもっと低いだろう)。

 あけすけな話、親からの経済的援助すら受けながら(!)、やっとカウンセラーしている層、ないし、「連れ合い」の高収入あってこそカウンセラーできる層は実はかなり少なくないはずである。

 更に4,5年毎の資格維持(いわゆる「ポイント15点」分達成)のために、毎年数回は出席必要な研修費や旅費宿泊費も全部自費の層も少なくない。

 つまり、格差社会の意外と低層部に、多くのカウンセラーはいる。

*****

 一方、カウンセリングを受ける場合の料金のことを考えてみよう。スクールカウンセラーや児童相談所や施設等、公的機関でのカウンセリングは無料だが、これは多くの一般の方からは縁遠い世界だろう。

 病院等でカウンセリングを「併設」している場合でも、一時間、保険外適用で6000円というあたりが安い場合での相場であろう。

 臨床系大学の附属機関でのカウンセリングですら、1時間4000円-5000円かかるのが普通であろう。

 これらの場合、人件費のことを考えれば、カウンセリング部門は赤字な機関がほとんどである。

 

 とある旧帝大系のNPO外来カウンセリング機関は、実に優秀な人材を揃え、立派な面接室を持ち、料金4,500円であるが、利用者は少なく、一口5,000円の賛助金集めに大変苦労して、かろうじて運営されている。

 ましてや、カウンセリング専門の「開業」機関は?・・・一時間1万円以下であれば、相当に安い料金であろう。

 ここ私が示している料金例ですら、かなり控えめな価格である可能性は高い。あとはネットで全国のカウンセリングルームの料金体系を検索してご覧になることをお勧めしたい。

*****

 さて、流派にかかわらず、カウンセリングが一応の成果をあげるまでは、最低で10回ぐらいのカウンセリングは必要なものだ。しかも間隔はそこそこ間を開けない方が良く、最低ラインで月2回というペースが理想であろうか。

 こうなると、カウンセリングを受けるためには、最低で月あたり1万円、悪くすると3万円以上の出費が必要となる。 

 格差社会の現状で、人に話を聞いてもらうためだけに、このお金を継続的に支払おうというお気持ちになれる層が、どのくらいおられるであろうか???

 カウンセリングとは、これからいよいよ「ブルジョア」のためのものに過ぎなくなるのではないでしょうか?


*****

 さて、今度はカウンセラーの皆様自身に胸お尋ねしたい。胸に手をあてて考えていただきたい。

 自分のカウンセラーとしての業務1時間、いくらの「商品価値」があると自分で「値付け」なさいますか?

 私は、1時間4000円、となら、胸をはって言えますが。

*****

 このブログエントリーの原型となったTwitter上のやりとり(同じタイトル)をこちらでまとめています(togetter)

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2011/05/25

故郷を求めて -NHKスペシャル:「虐待カウンセリング 柳美里 500日の記録」-

 作家、柳美里さんの息子さんへの虐待問題は、彼女がそうせずにいられなくなる心情を自身のTwitterで赤裸々に発信していることにネット上ではとっくに毀誉褒貶の嵐が吹き荒れていたことは私は知らなかった。

 子供に虐待をする親は、得てして、親自身が子供時代に虐待を受け、更に親の親もまた・・・という不幸の連鎖があることは結構知られていることかと思う。

 彼女がそのカウンセリングの過程の「一部」(録音のみの公開となった部分もある)をこうして映像で公開したのは、彼女が私小説的な作風の作家だからこそ許されたことだろう。

 ただ、先取り的に書いてしまうと、そういう「有名作家の被虐待児」として育った、ドキュメンタリーにもなったことを「今後」背負って生きていかねばならない、これから思春期に入る息子さんのことを思えば、彼は同じ過ちを繰り返さないとしても、それだけでたいへんだろうなあとは思う。

*****

 彼女は、15歳で家出、31歳でシングルマザーとなる。彼女は完璧な母親を目指した。そうこうするうちに、息子が食べ残しをするだけでも激しい怒りを感じるようになる。

 歯磨きに一日5回、計3時間費やさせないと気が済まない。さもないと歯ブラシで喉を突いたという。

 息子と適切な距離を取らないとやっていけないのはわかっていた。そういう中で、虐待専門のカウンセラーのカウンセリングを受けるようになる。

 (敢えてカウンセラーの先生の名前はここでは伏せる。ただでさえNHKスペシャルが放映されてその名が知れ渡り、翌日からは相談が殺到したことが想像できるからである、カウンセラーでも、精神科医でも、その名が知れ渡り過ぎると、どうしてもキャパを超えはじめる。クチコミで久留米一人気が集まった精神科クリニックが3分診療に追い込まれた現実がある。ほんとうの名医は宣伝されることを避け、精神科クリニックとは思えない佇まいのひっそりとした外観の建物で、精神科ということを表記しないままで営まれている場合もある)

*****

 まずテーマとなったのは、父親との関係である。パチンコ屋の釘師であり、しつけと称して彼女に暴力をふるった。彼女の母は教育熱心だったが、彼女はそれに反抗し、家出や自殺未遂を繰り返した。

 母に繰り返された暴言は「産まなきゃよかった」であり、「殺して責任を取る」と包丁を持ち出されたこともあったという。

 カウンセラーは問いかける:

 「お父さんからなされていたのは、『虐待』ではないですかね?」

 ここで「虐待」という言葉をもらって、彼女ははじめてそれを受け止めることができた。

 「私が悪いことをしている時に殴られるのだと思っていた」

 カウンセラーは答える。

 「かなり洗脳されてますね」

******

 番組はここで一度柳さんのことを描くことから離れ、カウンセラーの所属組織が主催する「親子連鎖を断つ会」よいう、集団カウンセリングの参加者のひとりのことを取り上げる。

 「親はやさしかった」

 だが、Aさんは、

 「『やさしい』って、どんな感じですか?」

・・・と問いかけられる、沈黙し、当惑する。「やさしい」という言葉にフィットする「実感」の方は探しても見つからないのだ。

(当ブログの読者の皆様は、ふと、フォーカシングのことを連想してしまうだろう)

 カウンセラーは更に言葉を吟味する。

 「お母さんのこと、『好き』だった?」

 こうして彼女は、「親に対しては『気持ちが動かない』ことに気がつく。

 カウンセラーは解説する。

 「『悲しい』、『寂しい』を抱く場面で何も感じていないということなんです。そして、そういう、『葬られた』感情が今度は子どもに向けられることになる」

 Aさんは、継母から躾と称する虐待を受けていた。

 父からは、

 「家の雰囲気が悪いのはお前のせいだ」と、よく、突然叩かれた。こうなると、もう、何が悪いのかわからない。

 どこまで気を使い、どこまで尽くせばいいのかわからない。

 Aさんの子供は不登校になったが、そういう息子に、彼女は暴力を振るうようになり、時々寺で気持ちを落ち着かせるしかなくなった(番組では、その寺の住職に再会する場面が描かれている)。

 集団カウンセリングの中で、虐待の記憶が蘇るにつれ、彼女は、幸せそうな家族を見ると吐き気を感じるようになる。会に参加しようとすると、死ぬしかないという思いが生じ、自傷行為に走る。足の裏の指の皮を、歩けないくらいにひりひりするまでめくっていったという。自己処罰行為である。

 なぜ自分は虐待されたのか? 親戚を回って調べ始めたという。

(こういう展開を知ると、カウンセリングが単に密室の中で進行するものではなく、現実世界の中での他者との無理のないところとからの新たな関係形成が両輪になる必要があることが示唆できる。自分探しは、具体的に過去の現実と、勇気をふるって、白紙で向かい合おうとするなかでしか進行しない)

 継母は、実は子を産めずに離婚された経歴を持っていた。

 父は、大病を患い生活が苦しかった。そのため子供を望んではいなかった・・・そうしたことがわかってきた。

 それを知らされると、「自分が悪い」という感情がなくなっていったという。

 「ずっと操られていた。全く『自分』を生きていなかった」

 そのことが、Aさん自身が子供の成長を見守れないことにもつながったのだと。

 「親からの『卒業』」。

 それ以来、子供と適切な距離を取り、感情を抑え、大目に見ることができるようになっていったという。

 結局、息子さんは、不登校から抜け出し、大学を卒業、プログタマーとして働いているという。

 Aさん曰く、「4年がかりでした。ペット感覚だったんですね」

*****

 さて、柳さんのカウンセリングのその後の展開を見よう。

  カウンセリングを始めて1年が経過していた。

 柳さんは、両親と久しぶりに会って対話してみようと思うように徐々になっていた。

 しかし、実際の母との対話には動き出せなかった。

 「お母さんとの対話に動き出すことはリスクは伴うかも」

・・・とカウンセラーが示唆すると、柳さんは、

 「壁を壊したら母も私も決壊してしまうのではないかと怖い」

 この頃から、柳さんの精神状態は不安定になる。それを思わすTwitterで発信した。

 フラリと家を出て、帰ってこないこともあった。

 以前は忠実だった息子は反抗的になり、他方、お手伝いさんには退行して甘えるようになった。

 「私には、母を『お母さん』とつぶやいたことはありません」

*****

 カウンセラーは、まずは父の過去を直接聴いてみることを柳さんに勧める。

 「娘であるあなたには知る権利があるんじゃないでしょうか?」

 柳さんは、父と久々に面会するのが怖かった。

 父はすでに72歳であった。

 面会の場に現れたのは、飄々とした学者風の好人物そうですある父の姿。

 だが・・・・

 父は、

 「娘(柳さん)を『虐待』したことはない」

・・・・とばかり。

 (画面のその様子は、言い訳をしているというより、ほんとうに記憶がない、乖離しているかのように私にはみえた)

 3回目に会った時、柳さんは、迷った挙句に、言葉を紡ぎ出すようにして、次の質問を父に向ける。

 「人生に何か悔いはありませんか」

 父は答える。

 「僕は出世したかった。学問を学んで。知らない人がいないくらいに有名になりたかった」

 柳さんは問い返す:

 「そうなれなかったのが一番の悔い?」

 父は、やっと、多少の感慨を込めて返事をする:

 「悔いは、そういう僕のせいで家庭が壊れたのだとすれば・・・・柳もたいへんみたいだね。それも僕の責任じゃないかと思う」

*****

 折も折、父の姉の十三回忌が営まれた。柳さんは敢えて法事に参列した。父のことを更に知りたい思いがあったから。

 「私は、父の娘というタガにはめられているんです。42歳ではなくて。まるでお地蔵さんになって立ってるみたいに、『怖い』になる」

 その法事の中で伝聞したんのは、以下のようなこと。

 柳さんの父はギャンブルにのめり込み、それに愛想を尽かして母は家を出た」。ところか今度は母自身が虐待を振るう側に回った。

 (ここで柳さんの15歳の頃の写真が画面に映る。私が驚いたのは、現在の柳さんとほとんど変化のない顔立ちだったことだ。実際彼女はまだ子供のままなのである!)

*****

 そして、ついに、老いた母が面接室に現れる時が来た。

 母が「大丈夫」という言葉を面接室に入って思わず繰り返すことにカウンセラーは気づく。

 「本当は大丈夫ではなかったのでは?」と問いかけるカウンセラー。

 母の母は継母だった。

 「一番肝心なことは口にしたこともありませんよ」

 「過酷・・・としかいいようがない」

 母は、2回だけでカウンセリングを拒むようになる。

*****

 柳さんは、自分の親の生い立ちを知らないことに気がつく。そして、父の生い立ちを知るために、父と一緒に、父の生まれた韓国の故郷に行ってみたいと思うようになる。

 カウンセラーもその旅に同行する。

 この条件で、その気になれたのだ。

*****

 父の故郷、山清(サンチョン)。

 父の語る思い出話は、小学校時代のこと。

 薪(まき)を打っていた。それで生計を立てていた。

 実は、父の父は資産家だった!!

 日本でも成功した、

 だが、韓国に戻り、一気に転落した。梁の中の竹林に掘っ立て小屋を立てて、薪を売った。家族総出で田畑を耕した。

 兄嫁に会いに行く。

 兄嫁は、日本で生まれ、父4歳の時に結婚した。以下、彼女の話:

 父の父は怖い人で、すぐに叩く人だった。兄嫁の夫も叩かれた。それどころか尻に刃物を刺されたこともある。

 「自分より子は優れていないとならないのに、、息子は自分より落ちる。そんな息子は竹槍で殺す」

 そういう父(父の父、兄嫁の義父)の言うとおりにしないと怖かった・・・という。

*****

  こうした中で、柳さんの中に、次のような感慨が生じる:

 「今まで父に対する時は子供のままでいる気がしていた。でも、子供だった父の姿が見えてくると、そういう子供の父がかわいそうだと思えるようになってきた

 カウンセラーは付言する:

 「それは、柳さん自身の中の子供の部分への『かわいそう』という感情にはつながらない?」

 柳は応える:

 「・・・・かなしい」

カウンセラー;「柳さんの中で、初めてお父さんに関することで感情が動いたみたいですね」

柳:「自分と父の土壌は、地続きのようでいて地続きではないんだ」

*****

 この後、柳さんの子供への接し方に徐々に変化が現れる。

 息子が塾の入試で不合格になっても、柳さんは落ち着いていられた。

*****

 このあとは、このエントリーの冒頭で「先取り」して書いたように、柳さんと息子さんのかかわりの変化は、まだはじまったばかりであり、これから、ひと山もふた山もあるであろうことを示唆して、番組は終わる。

*****

 ・・・すでに放送されて一週間以上立っているが、私は録画したものを見返して書いているんではない。番組を見ながらの速記録を再現しているだけである。多少の言葉の相違があってもお許し頂きたい。

 だが、これはそのまま私の面接記録のとり方のスタイルである。彷彿とさせる再現力に一目置いていただければ幸いである。

 単に面接を終えてからの記録なんて、肝心なことはほとんどそぎ落としているものだ。

*****

 NHKスペシャルの詳しい紹介は、私のブログの定番であり、きっと多くの読者に読んでいただけるであろうと思う。私は画面込みでの「再現」に専心し、あまり主観的な感想はのべないままでいようと思う。

 ただ、それでも付言したいのは、単に「虐待の連鎖」などというふうに図式的にのみ教科書的に習い覚えるだけでは、とてもとてもこういうカウンセリングは進められないだろうということだ。

 彼ら、彼女らは、薄皮一枚剥がせば深い人間不信をかかえて生きてきている。表面的な受容や、さりげない仕草だけで容易に安定した関係は崩れるであろう。

 それどころか、こうした人達と面接する中で、そうした「負の連鎖」がカウンセラーをはじめとする援助者の日常にまで影響する可能性は大変高いことを肝に銘じるべきと思う。援助者自身の家庭で、思いも寄らない件で少し諍(いさか)いが出るとか、施設内でいつの間にか、利用者に暴君的に振舞ってしまうなど、大いにあり得ることを覚悟すべきである。

*****

 私は、やや子煩悩過ぎる父母のもとに生まれたが、不思議と父に「褒められた」記憶がない。それは、多感な頃に中国大陸で終戦を迎え、一家没落に耐えて経理の超人となった父の生育歴と大いに関わると思う。

 おのれのことをあまり話さない寡黙な父だが、それでもいくつか、私の子供時代に、辛辣な大陸時代から引き上げ(父の父は馬賊に銃殺されている)、戦後初期のエピソードは伝えてくれていた。故郷久留米に帰った今も、ポツリポツリとそうした言葉を聞けている。

 まさに、父と土壌は繋がっているようでいて、違う時代を違う土地、関東で30年生きた。

 父と共有する「土臭さ」、祖父の代までの教養の高さの「血」を受け継いでいるlことそのもの(ただし学歴とは無関係に父の広範な読書パワーは驚異の域)を、誇りに思う一方で、父とは違う、でも父にも「よくやったな」と言ってもらえる人生を、私なりに故郷久留米でこれから創りあげたいと思っている。

 そうそう、最近、大工の娘にして女学校を出た、大正生まれの母が笑いながら電話口でこぼした言葉。

 「私は女学校時代、国語だけは成績優秀やったけんね」

・・・・はじめて聞いた話。

 ここに、漢字の書き取りと古文の品詞分解以外は、何の努力もせずに、共通一次テスト200点満点だった息子がいるのだが。  

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2010/11/25

「1カ所限定『どこでもドア』、行き先はどこにする?」

ブログネタ: 1カ所限定「どこでもドア」、行き先はどこにする?参加数拍手

 今回のお題への私の答えは、「東京駅丸の内口」でしょうかね。

 30年も関東に住みましたが、ひとつ思い入れのある場所を思い浮かべようとすると、こうなってしまう。八王子と横浜と鎌倉に住んでいたんですけど、ひとつには、月一度ぐらいの非常勤の勤務先が九段下でして、神奈川県在住時代に、横須賀線か東海道線で東京駅に出て、東西線の大手町駅まで丸の内口から地上を数百メートル歩いていた印象が強いからかもしれない。

 あと、有楽町駅との間にある「東京国際フォーラム」が、学会とかの行事が頻繁にある場所だったことも大きいかもしれない。

 八王子時代は新宿に出向くこと多かったですけど、鎌倉・大船時代は新宿とは縁遠くなって滅多に行かなくなっていたし。

 今は、倹約して生活すれば時間だけは有り余っている。

 ですから、関東への「恋しさ」の象徴は「東京駅」ということで。

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2010/11/24

「思わずツッコミを入れてしまうのは?」

ブログネタ: 思わずツッコミを入れてしまうのは?参加数拍手

  1.  ちょっとこの人、「小山の大将」っぽくて、自分の領域に閉じていて、その割には知ったかぶりなことをボロっと書く人には「横槍」をややこまめに入れることもあります。でも、基本的には「各論主義」で、接点があると感じたらそれを大事にします。
  2.  リアルワールドでは、真っ向から相手につっこむことは珍しいです。私の中学校以来の「書物を通した心の師」である、カール・ヒルティの教えを守り、「まずは賛成意見として論を始める(つまり、相手の発言意図について共感・評価できる部分に敬意を表して明言し、その後で、一見「付加的に」異論を唱え始めていく)」スタイルを好みます。
     これは、「ほめ殺し」スタイル、というだけはなくて、相手のいいところを認めながらも、こっちが誤解して違和感感じているだけかも知れず、そこからコミュニケーションが開けることを期待してでもあります。

 心の中でだけ相手にツッコミ入れとく方が賢い場面では沈黙して、後で裏で動くのが懸命とみなすことも多いことは少し前にも書きました。

 でも、なにより大事なのは「他人の言動にツッコミ入れる前に、自分の言動にウィットを込めてツッコミ入れ続ける「脱同一化(disidentification)」できるこころの余裕(ケン・ウィルバーおよびアン・ワイザー・コーネル用語)だと思いいます。

 これって、単なる「自己批判」ではなくて「ちびまる子ちゃん」のナレーターの「おいおい」的一人つっこみだと思っていただくといいかと。

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2010/11/19

「あなたの勘って、当たるほう?」

ブログネタ: あなたの勘って、当たるほう?参加数拍手

 基本的に言うと、物事を深刻に受け止める方向に「勘」のバイアスはかかっていて、実際にはそこまでひどい事態ではなかった・・・ということがやや多いかとは思いますが、それは自分で若い頃からそれなりにわきまえてきたつもりです。

 ですから。冷静に補正する意味で、「他の見方もできないか」数通り検討した上で、それでも最終的には自分の「勘」を信じる方ですね。

 でも、物事は自分の予想する白でも黒でもなく、黄色だったり、緑だったり、紫色だったり、「金銀パールプレゼント!」(古い)だからこそ、人生はスリリングであり、他者と「出会い」の意味があると思っていることは、当ブログの古いこの記事で書いてきた通りです。

 結局、全然「思い込み」はない・・・などという客観性など幻想であり、自分の「勘」を頼りにとりあえず動いてみることを果てしなく繰り返す中で、「経験値」は上がっていく。

 そして、自分は物事や世間が見えるようになった、もう予想外の事態は滅多にない・・・などと「悟った」ような心境になった時は、実は「成熟」ではなくて「成長」の停止、「老化」のはじまり、その「決めつけ」が人をないがしろにしはじめることに気づいていないだけかとも思います。

 以上、自戒を込めて。

 まだまだ50歳、自分の人生に何が起こるかわからない。

 ・・・まあ、これでも、昔よりは、あっさり人に意見を伺うことも増えてきたかと思いますが、結局最終判断をするのは自分ですので。

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2010/11/16

池見 陽 著「僕のフォーカシング=カウンセリング」評

 以前にも、知人に「見せていただいた」段階での「ご紹介」記事を書きましたが、自分で実際「手に入れて」感想をお書きするまで、随分時間が空きました(^^;)

 池見先生が徹底的に「自分の言葉で」お書きなのに非常に好意を持ちました。そうでないと「人に伝わらない」のです。

池見 陽/僕のフォーカシング=カウンセリング

 鹿児島でのワークショップへの旅立ちから大阪への飛行機での帰着までの、池見先生の内面を含む「実況中継」をメイン・ストーリーにした、池見先生の、早過ぎる「自叙伝」みないな雰囲気で一貫してますね。

 驚いたのは、参加者8名全員に公開フル・セッションを行なうために鹿児島に行かれたという、そのやり方です。「ライブ・セッション」をして見せてはじめて関心を持ってもらえるわけというのは私も同意見、早々に「ペアになってやってもらう」ばかりでは上達しません。

 更に言えば、カウンセリングにおける受容とか共感についての「大学での講義」や模擬面接、事例検討会、あるいは単なるグループ・集団型のワークショップだけでは伝わらない次元のものが「迫って」くる印象です。

 本書でお書きになっておられますが、楽器の演奏でもスポーツでも基本の「型」があるし、それに馴染んで「身につけて」いること基本前提です。しかしそれを現実のパフォーマンスとして「プレイ」する時には無意識のうちに縦横無尽に使いこなせないと本物にならない。

 そういう「アドリブの仕掛け」まで解き明かしてくれているあたりが、これまでのフォーカシング関連の著作を超えた、たいへんな功績だと思います。

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2010/11/12

人を見て、「これだけはしないでおこう」と思ったことは何?

ブログネタ: 人を見て、「これだけはしないでおこう」と思ったことは何?参加数拍手

  1.  単なる二次情報の受け売り。
  2.  周囲の様子ばかりをうかがって、「大人しく」ふるまう「だけ」になること。

  「独創性」というのは、コンテンツ(内容)」の次元では幻想なのかみしれません。

 でも自分の内側の曖昧な実感(フェルトセンス)から生き生きと紡ぎ出される、過程進行中(In Prosess)で自己駆進的(self propelling)な体験過程様式の中で生まれてきた言葉なら他人様に対して説得力のある表現になるはずです。

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