北山修

2009/07/05

July 1stならぬJuly 5th(第2版)

 今日は九大西新パレスでの北山修先生の講演会に行ってきた。

 福岡市早良区西新は、私の出身校、西南学院高等学校があるところ。

090705_1151001

 約四半世紀ぶりに行ってみたら、当時のチャペルは「西南学院博物館」の名の元に残っていたけど、校舎は少し離れた場所に移築になっていた。

 大正時代に作られた、このチャペルのレンガ造りにデザインを一致させる形で、周囲の西南大学関連の施設がみんな同じようなレンガ造りの外観に統一していたのには感心した。


*****


 講演会の内容については後日ご紹介するとして。

 講演会が終わった後、久しぶりに百道(ももち)の浜まで歩いてみようかと思った。

 私が在学していた当時は、高校のグラウンドのちょっと外まで出ると砂浜だった。

 それがそれから15年もたたないうちに、海岸線は埋め立てられて、ウン百メートル先になり、ベイエリアのビル群の向こうに人工海浜が作られるという「福岡市のお台場」というしかない土地に変貌していた。

090705_1158002
↑このグラウンドの向こうの松林の向こうがすでに砂浜だったと思いねえ。

 その砂浜に、大相撲九州場所の時は各部屋の合宿所があり、お相撲さんたちが稽古をしていて、高校の校舎の周りの道でよくすれ違ったものである。

(遠くに見えるタワーがベイエリアにそびえ立つ福岡タワー。タワーのすぐ右隣(手前の大きいのに非ず)高層ビルがテレビ西日本フジテレビ系列なので、そこまでお台場に似せるか!! といいたくなるくらいだが)

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↑今度は海岸側からみたテレビ西日本社屋と福岡タワー。

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 ↑人工海浜の突端にある、海の中道海浜公園行きの観光船乗り場(マリゾン)より振り返る形で撮影。すでに結構海水浴客があふれていました。ドーム状に見える大きな施設は、もちろんソフトバンクホークスの本拠地、福岡ヤフードームである。その手前に鋭くそそり立つのがシーホークホテル。

●far away(王子のきつねOnline)

 ↑このページに行くと、航空写真で、どのくらい海岸線が沖に移ったかわかります(^^)
 この写真の段階ではまだ福岡タワーも人工海浜もできていません。

 ↓ですから現在の地図をおまけします。

大きな地図で見る

 浜崎あゆみの出身も早良区でして(西新より少し海から離れた六本松地区。私が高校を卒業した直後にayuは生まれている)、幼い日に離婚をきっかけに離れ離れになった父親との数少ない記憶の地が百道の浜だとのこと。

 実は、年齢的に見て、ayuの幼児期の百道の浜は、埋め立てより前の「昔の」海岸線だったはず・・・・ということにはなるのですが。

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2009/07/03

明日から2日間、宮崎哲弥氏と北山修先生の講演会を続けて聴講予定。

 評論家の宮崎哲弥さんが、実は、我が故郷、福岡県久留米市の出身であることをご存知の方もいらっしゃること思います。

 明日4日、久留米青年会議所の主催で、「『日本』、そして『久留米』に元気を! ~私たちが変える~」と題して講演会が開かれるので、それに参加することにしました(すでに応募締め切りです)。

【追記】参加報告はこちらです。


****


 更に、翌日の5日、九州大学の北山修先生を講師とする、「九州大学対人援助職スキルアッププログラム」の一貫として、「人生物語 (ライフ・ストーリー)の読み方 -精神分析入門-」と題した講演会が開かれます。

(こちらもすでに参加募集締め切りです)

 今の私は福岡市まで出向くことはそんなに機会が多くありませんが、福岡市近郊のの臨床心理士の皆様、私を見かけたら気軽にお声をおかけくださいませ。

 この2つの行事参加のため、私の開業カウンセリングルームは、この土日の2日間、臨時休業とさせていただきます。

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2008/10/14

ウィニコットの"good enough mother(ing)"をどう訳すか(第3版)

 これまた、直前の記事の後半で、ウィニコットについて書いたことから、心理療法家、特に精神分析系の、臨床心理先攻の心理学科学部学生以上にとっては十分に有益な情報をひとつ。

 ウィニコットには、もはやカウンセラー(特に分析系)だときちんと理解していないとモグリだといわれかねない水準の、指定校大学院博士前期コースを出た出た人だと、臨床心理士資格認定試験の受験勉強には欠かせない水準の概念として、

●移行対象(過渡対象)
●錯覚(illesion)/ 脱錯覚 or 幻滅(disillusion)

(わざと、資格試験のために最低限これくらいかなという素朴な水準の定義にリンクしました)

そして、

●good enough mother(ing)

の3つがあると思います。

 実は、直前の記事で紹介した「偽の自己(false self)」などを資格試験や大学院の入試に出題するのは、学生や臨床心理士資格受験者には酷と思います。

なぜなら、

1.J-Popなどでも歌われ、世間の人一般が思っている「偽せものの自分」「ほんとうの自分」という次元での用法(私はこれを軽視しているのではなく、むしろ専門家の側がこれを尊重せよと強く言いたい)

2.ウィニコット自身が言っている本来の意味あい(専門家ならこれを十分理解しておけ、といいたい)

3.それを「誤読」したマスターソンが使った意味あい(臨床家の卵だと、本来は乳幼児発達心理学者マーラーが言い出した「見捨てられ(分離)不安」と関連づけて結構ありがち)

4.ウィニコットをある意味では継承したけど、これまたオーバーランしたきらいがあるR.D.レインにおける意味あい(3.よりマニアックなぶん、アマチュアの心理好きも知っていることあり

 最低この4つぐらいを、臨床系の大学の有名な精神分析の先生ですら、一緒くたにしていたり、この中のどれかに強い感化を受けている可能性があるので、「正解」をどの範囲とするか、受験生と採点の先生の「趣味」があわないと、あまりに不確定になるからです。

(もっとも、北山修先生や松木邦裕先生、福本修先生、狩野力八郎先生、妙木浩之先生、私も多少親交がある藤山直樹先生クラスの先生(精神分析系の院生なら、どの程度の水準か見極めていただけますよね)が採点して下さればそうした心配はないと思います、むしろ「自分はウィニコット/マスターソン/レインの次元で書いている」と自己申告して勝負を挑むのもいいかもしれません)


****

 次に「錯覚(illusion)」と「幻滅(脱錯覚 disillusion))」の関係についてはすでに何回か書きましたし、同じくウィニコットのいう有名概念のひとつ、

●ひとりでいられる能力(ability to be alone)

についてもこのブログで何回も言及しましたが、これも指定校大学院入試や臨床心理士資格試験に出題でもされたら、問題を考えた先生に「酷です」といいたい。

 ウィニコット自身が書いた意味とは全く別のニュアンスで日本の臨床家全体に流布していますから。

 この点だけ、端的に正解を書きます。

△=孤独で、一人きりでいられる能力、引き蘢れる能力、「自閉する能力(=すごく有意義な臨床概念だが、神田橋條治先生の独創に近い)」

○=親しい人(親や恋人)と一緒の空間にいながら、しかも自分の世界に没頭できること

 このふたつは奥でつながっている場合も多いのですが、あまりにアングルが異なるでしょ? 恐らく筋のいい教育を受けた人なら後者に近い形で理解しておられるはす(20代のかけだし臨床家の皆さん、ほっと胸を撫で下ろした人が50%はいるでしょう)

(........自分の畑ではないフロイト以降、いや、クライン以降の精神分析の理論においてですらこの水準の的確な理解と使い分けが大事といいだす私という人間が、ことフォーカシングの世界で、すでに25年間ライフワークにして来たジェンドリンや体験過程理論の理解にどこまで厳密さを求めているかは推(お)して知るべしと想像して下さい。......でも私を恐れないで(爆)!! フォーカシングを学ぶ皆さんがどういう本を読んでどこで誰に学んで(外国を含む)どういう脈絡で使っているかまで、私は瞬時に汲み取って、無理なく、それこそ、「お互いに、いい意味でgood enoughに」対話しますから)


****


 さて、問題の、"good enough mother(ing)"です(^^)


 30年前の訳書では、「適切な母親」(「適切な養育」)と訳されました

 しかしこの訳語は誤解を招くという意見が高まり、ある一時期は、全くの直訳ふうに、


  「ほぼ十分な母親(養育)」


と訳されることが全盛を極めた次期があるかと思います。


*****

 でも、実用的な英語を学んでいる人なら、good enoughを「ほぼ十分な」と訳するのは大学受験生までにしてくれとおっしゃりたい方がすくなくないかと(^^)

 ちなみに、英会話スクールBerlizのサイトでは、このページで次のように解説されています:

 今日はこの中にある“good enough”という言い回しに注目してみます!

 “good enough”は、「良い」という意味の“good”と、「十分な」という意味の“enough”からなる言い回しで、直訳すると、「十分に良い」となりますが、会話では、「十分」「満足」という意味で使われます。“enough”だけでも「十分」という意味があるのですが、捉え方によっては、「それ以上はいい」という意味になってしまうこともあり、“good”を付けることで、「満足」というニュアンスを加えることができます。


つまり、

「コーヒーもう一杯どう?」

ときかれて、


「もう十分いただいたわ( ^ ^ )」

から

「結構( ^^;)」


と答える時まで広げられるかな?

 字幕や吹き替えでは、場面と脈絡に応じて、「ありがとう、もうOKよ」とか「もういいわ」とか訳しているのでは?

 「かすかな拒絶」が優勢なニュアンスの時と、「心からの感謝を込めて」のニュアンスで受けとめてかまわない時があるでしょうね。


 仕事の出来についての感想だったら、

「十分よ!( ^ ^ )v 」
「まずまずだな」
「一応いいか!」( ^ ^ ; )
「ま、いいでしょ(- _-)」
「問題ないね」

ぐらいに訳し分けられるかも。

 ある意味では、日本語でいう、「適当」という言葉が「いい加減!」「手抜き!」から、「まずまず!」「そこそこいけてる!!」「いいんじゃないの?」といった複雑なニュアンスを内包できるのに似ている。


****


 いずれにしても、ウィニコットの"good enough"の訳語として、わたしがこれまで著名な先生方の日本語訳として気にいったのは、


「まずまずの」

とか、

「そこそこの」

と訳した例でした。

(後者は、私が共立女子大学非常勤講師の時代に使った、酒木保先生(コラージュ療法で著名)の教養過程の心理学向け教科書だったと思います)


*****


 これ、実は「ありふれた」とか「普通の」に、限りなく近いのです。

 日本人って「適切」という言葉に凄く構えてしまい、「適切な水準」を目標に掲げ、強迫的に探し求める罠にはまりやすいので。


******


 .......このように書くと、「自分は"good enough mother"か??」と真剣に悩み抜いておられた女性のある部分はあっけにとられるでしょうね(^ー^) 

 決してそういう方々への揶揄でいうのではありませんが、「自分は『普通の』人間のなのだろうか?」と真剣に悩み抜いて来た方々のある部分を別にすれば、少しは安心して下さるのではないかと

 つまり、これだけでは「気休めにもならない」皆様が少なからずおられるのも私は心から受け止めます。少なくとも「数年前の」浜崎あゆみにとってはそうかもしれない。今もクラくなると彼女はそう感じているかも(少なくとも、ayuの歌詞に共感できる皆さんには、こういう言い方で通じますよね)。

 特に日本人には「普通に」という言葉を「無神経」、「デリカシー」がないと受け止められてもしかたないくらいに「普通さ」に過敏な面があると思います。

 それはこの言葉の濫用のせいも大きいと思います。鬱病、統合失調症、ボーダーライン、発達障害とされる人に安易に使わないデリカシーを、good enoughなカウンセラーの皆様なら持っている筈と思います。


*****
 

 ほんとうは、こういうニュアンスまで汲み取れないと成り立たないのが、それこそ"good enoughな"カウンセラー・マインドだと私は感じています(^^)

 これは読者の皆様への「謎かけ」ではなくて(^^;)、

 こう書くと「いい塩梅(あんばい)で="good enoughに"」伝わるかと( ^ ^ )


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2008/08/31

久留米フォーカシング・カウンセリングルームまでの詳細なアクセス・マップ

●「アクセス」カテゴリー〈久留米フォーカシング・カウンセリングルーム)


 Googleマップから地図Z、街の案内地図をデジカメで撮ったものなど、ローテクを交えて、手法総動員です。

 実は、久留米は北九州より熊本からの方が近い(50分)、それどころか、九州新幹線部分開業のおかげで、鹿児島中央からですら2時間という現実があるのですね。

 
 

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2008/03/02

大船でフォーカシングを学ぶ会、今後第4土曜日にも開催!!

 恒例、「大船でフォーカシングを学ぶ会」開催報告です。

 その前に告知!!

 この「学ぶ会」には、かなり遠方からの日帰りの参加者の方が多い(片道2時間半クラス)ことに気がつきました。
 更に、もし「土曜日開催」ならおいでになれる方も増えるのではないかというご意見も頂きました。

 そこで、とりあえず試行的に、今月の第4土曜日、3/22(土)に【B日程】で急遽開催することを思い立ちました。

 この後、第4土曜に継続開催しようという気持ちは強いのですが、【B日程】で続けるかどうかは、皆様のニーズに基づいて判断します(【A日程】の時間帯と比べて、どちらが参加者の便宜になるか判断がつかないからです)


*****


 さて、本日、3/2(月)は、久しぶりに大人数、私を含めて参加者7名でしたが、初参加の方もすでに既成のフォーカシングの勉強会に参加されている方で、くつろいだ中にも密度が濃い内容にできたように思います。

 前回、少人数ということを生かして実現した懇切丁寧なプログラムが、こういう大人数でも無理なく実施できるかが、私の課題になりました。


●第1部:身体感覚中心のclearing a space スペシャルバージョン(ホールボディ・フォーカシングつき)

 前回と同様に、7名様で、1時間をゆうに超える時間を要した、集団法clearing a speceの中ではかつてない丁寧さを持ったコンテンツ!!


 どういうことかといいますと、

1.身体の各部分ごとに丁寧に「今申し分のない感じでいれれるか?」と身体に問いかけてもらうことの、もっとも詳細なやり方。

 胸→背中→お腹→腰→あし(太ももからつま先まで)→腕・手先→肩・首筋→首から上→周囲の空気→各人が自由に身体のあちこちを感じてもろう、という私のフォーマットでのフルコースを、参加者が各部分を味わうことに完全に十分と感じるペース(一箇所3分-5分以上!!)で、個々の参加者に確認を取りながら進めた。


2.ホールボディ・フォーカシングの統合

 それぞれの部分を感じる際に、楽でいられる安全基地の確認を重視、「そこ」を大事にしながら、身体の実感を大事にして、身体がどういう姿勢や筋の伸ばし方を求めているのかをじっくりと試してもらう。これはホールボディ・フォーカシングの応用だが、各人が「心地よい身体の姿勢」を主体的に探してもらい、自由に味わう時間をたっぷり取って、私を含めた参加者7人が納得がいく体験をしたことを確認した上でしか、次の身体の部分を中心に感じてもらうことに進まない。これが、ひとつの身体の部分だけで5分近くかかるという長大化の要因ともなった。


3.ひとつの身体の感じを味わった後に、それを言語化する権利の保障、言語化しない権利の保障

 大人数だとこのことを確認する余裕がなくなるかなと思いましたが、それでもここまでまで含めて、参加者に了解を取って進めることにチャレンジしましたが、存外に順調に進みました。結果的には途中でどなたも言語化の権利を行使しなかったのだが、これは、言語化する権利を保障したからこそ生じた状況であり、それぞれご自身の中では体験を言語化するというプロセスが生起していたという逆説があったと今回も思います。

「今何分やってたのかしら?」
「10分ぐらいかな?」

という雑談が出たことに私は内心苦笑していました。ホントは1時間かけたんですよ!!


4.それぞれの身体の感じを味わううちに自然と生じた日常場面の回想日頃の悩みとの関連を身体の感じと無理のない範囲で行き来して味わい、無理のない体験的距離を見つけて、それぞれを「認めてあげて(acknowledging)」、あとで必要あればもう一度関わることを約束するプロセスの丁寧な実施。

 私の見出した分類における「外共鳴(external resonating)」を無理のない体験的距離を見出すまでじっくりやっていただいたことになる。


 .....こうなると、1時間を超えるclearing spaceが、各参加者のペースを尊重した、自由で伸び伸びしているけれども、深い身体と心の落ち着きが獲られるプロセスとなる。

 参加者の多くに、ほとんどここまでで、その日参加した十分な満足感を感じ、身体も心も普段にない充足感や、日常の気がかりについての生産的な気づき、最低でも「焦点化」して無理のない「体験的距離」を見出すブロセスが生じたようである。


●第2部:藤嶽法第1法フルバージョン


 何しろひとりの語り手に6人もの人間が、相手の身になった応答を返してくれるという、インタラクティブ・フォーカシングのラウンドロビン・フォーマットとしては超豪華版!! カードを媒介とするのでひとまわりするのに2時間以上かかりました。

 この前と同じように、最初のひとり二人の語り手が終了し、3人目に持ち回る頃には、皆さんやり方のコツをわきまえてしまい、段取りの進め方がポーカーゲームのようにスピードアップ!!カードで文字や絵で表す共感的な応答にセンスがどんどん上がるし、皆さん絵を描くの早くなる!!

 その結果、前回と同じように、フォーカサーの提示する絵画と、リスナーが提示する絵画の一致度、リスナー相互間のカードの一致度が、奇跡的なまでに上がっていくのですね。

 もう、お互いに全然ズルしてないのに、そっくりの絵を提示したリスナー同志が驚いてしまう域にまで達しました。

 もう、言葉以前の次元で、集団全体が「おなじ花を見て、同じ美しさを感じて」いる驚異の水準ともいえました。

 凄いのは、「漢字の一致」すらはじまったことです。

ひとりのリスナーが、

「留(どと)める」

と書いたカードを出して、

次のリスナーが、

「溜(た)める」

と書いたカードを出した時には、みんなその象形文字の一致に驚愕しました(^^)

 そして、微妙なずれそのものを味わい直すことが、フォーカサーとリスナーの体験過程のステップを更に促進するという、理想的な展開になりました。

藤嶽法は、文字でマニュアルを理解してもらおうとすると煩雑ですが、「体験的に」コツをつかむのは、「フォーカシングの初心者でも」実に簡単なんです。もっとも、「トレーナーが熟達していれば」の話です....自戒ならぬ自負を込めて)


*******


●今後の予定:


 今後は、


【B日程】3/16(日) 14:45-19:00
【B日程】3/22(土)《新設》 14:45-19:00
【A日程】4/6(日)  13:00-18:00

の予定です。


*****


 継続的な参加を必要とする内容にはいたしません。

 第1・第3日曜、第4土曜のいずれかのみ参加、
 敢えて月2回、3回の参加、
 更に、ランダムに参加されること等、ご自由に選んでいただければと思います。

 ただし、開催日前日夕刻までに、どの日にご参加希望かのエントリーを、継続者の方も、メール・ファクス・電話等で必ずお願いいたします。8人定員を遵守いたします。

******


 更に付言しますと、第1日曜の「学ぶ会」開催日については、夜19:00以降の個人カウンセリングの新規申し込み、第3日曜、第4土曜については、14:30までに終了するカウンセリング・フォーカシング個別指導・ケーススーパービジョンの新規申し込みも受け付けています。

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2007/04/30

患者から学ぶ(第2版)

 ケーススーパービジョンにおいて、カウンセラー(スーパーバイジー)は、スーパーバイザー「から」事例の進め方を学ぶのではない。

 カウンセラーのクライエントさんとの相互作用の中からの学びをサポートする存在に過ぎないともいえる。

 その意味では、もし、スーパーバイザーも、スーパーバイジーのカウンセラーや、そのカウンセラーのクライエントさんから新たに学ぶ何ものをも見いだせなかったとしたら,恐らくそこでなされているスーパーヴィションは、偽物の「何か」であるに過ぎない。


*****


※この書き込みは、ケースメントの「患者から学ぶ」(まだ感想が書けるほどには読めているとはいえません)とは無関係な、私個人のスーパービジョン観ですので,念のため。

 ケースメントの「内なるスーパーバイザー」の育成の問題とはリンクするかもしれませんが。

 更にいえば、むしろ、
Jungpsychotherapy
こうした思いを私に抱かせるきっかけは、ユングの「心理療法論」に収められた「心理療法と世界観」という論文にある、

 「患者と治療者の真に治療的な関係は『弁証法的』過程である。さもなければ単なる『暗示療法』であるに留まる」

という言葉からの応用問題として脳裏に浮かんだと理解していただく方がいいでしょう。

 以前も一度引用しましたが、(林道義 訳 p.68 改行、下線はこういちろうによる。):


 世界観は療法家の人生を導き、彼の治療の精神をかたちづくる。それは最も厳密な客観性を持っているとはいえ、何よりも主観的なものであるため、恐らく何度となく、患者の真実に触れて砕かれ、そしてその真実によって新たに再建される。

 すなわち、信念は容易に自信に変わり、そこから悪くすると硬直に変わる。硬直化したのでは生きているとは言えない。信念が強いということは、それが柔軟で修正がきくということであり、あらゆる高度な真理と同様に、信念が皆に認められるのは自らの誤りを認めることによってである。


 ....ゆえに、ケーススーパーバイズにおいても、スーパーバイジーのカウンセラーから、クライエントさんとの関わりの話を聴く中で、スーパーバイザーにも「弁証法的な」新たな発見がなければ、表面的な,通りいっぺんのものになっていると想定できるわけですね。


 なお、この記事もご参照ください。

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2007/01/03

クライエントさんの真の洞察の瞬間、カウンセラーはクライエントさんに「追い越される」。

 このタイトルの意図を説明するには、もう一度、体験過程尺度について書いた記事の、私の仮想実例を読んでみていただくのが望ましいのですが。特にstage 6ですね。

 再引用します:

「........(1分06秒沈黙)........そうか、そうだよね.......そうなんだ。(カウンセラー:「.......何? どうしたの?」)「おせっかい」過ぎるんだ、私って。バカだね。(カウンセラー:「おっせかい過ぎる」.......何?)........自分自身に誰よりおせっかいなんだよ。バカ、『自分で自分をそうやって追いつめるなっつーの!!』 アホ!! .......私の中に、恐怖の『おせっかいババア』が住んでるの(笑)。いつのまにか、そうだったの。今頃気づいた。........(36秒沈黙)...
[以下、略]

 ......この部分で、今太字でご紹介したカウンセラーの発言からわかること。それは、クライエントさんの中では、すでに自分のあり方の核心に関わる気づきが生じているのに、カウンセラーの方は、その展開に全然ついて行けていないということです。

 だから、

「.......何? どうしたの?」

「『おっせかい過ぎる』.......何?」

と、クライエントさんに問い返すはめになるのです。

......仕方ありませんよね、クライエントさんは、

そうか、そうなんだよね、そうなんだ」

......と、「そう」としか言っていないのに、「何か」がわかった、という態度をいきなり取ってくるんですから(^^)

 実は、この瞬間、クライエントさんの中でも、その「何か(something)」が「何なのか」,具体的な言語化は、まだ思い浮かんでいないことが多いと思います。

 でも、すでに漠然と感じられた心身の感じそのものとしては、すでに以前と全然変化してしまっている。いわば「心像風景」ががらりと変わったことは認知されている。

 この瞬間が、ひらけ(unfolding)とか、シフト(shift)と呼ばれるものです。その心象風景が「どのように」変わったかの具体的な説明は、カウンセラーという聴き手に向かって話そうとする過程で、はじめて少しずつ、整理された、具体的な言葉がクライエントさんの中で思い浮かんで行くわけですね。

 一般には、こうやってクライエントさんが言語化した後の「再体制化された(reconstructed)認知」の言語化のことを、「洞察」と呼んでいますが、実は、これは、すでに「そうか、そうなんだ」と感じた瞬間の心身感覚の基本的な変化の「随伴現象」、「副産物」に過ぎないわけです。

 このことを明らかに指摘したのが、ジェンドリンの体験過程理論最大の功績のひとつです。

(試しに、上記のリンク先の論文(全文ひとつのファイルになっています)を、ブラウザの「ページ内検索」で「副産物」、あるいは「心像風景」と入力してみて下さい。該当箇所にあっさり出ますから)

******

 これは、精神分析認知行動療法ですら同じことのはずです。

 精神分析においても、いわゆる「解釈」とは、実は、クライエントさんの無意識の深層心理について,クライエントさんより早く「洞察できていたことを意味しません。
 「早過ぎた解釈」は、それだけでは、クライエントさんの『抵抗』に遭うか、単なる頭での『同意』=『知性化(intellectualization)』しか引き起こさす、本人に真の変化は生じない、とよく言われます。

1.「解釈」がクライエントさんに真に通用するには、どうも適切な「タイミング」というものがあり、そのタイミングは、その場で生じる相互作用の場の雰囲気からカウンセラーは直感的に感受するしかないこと。

2.仮に解釈がクライエントさんに受け止められなくても、カウンセラーは、その後のクライエントさんの反応をまずは受容的に傾聴すること

 ......これらのことは,現場経験の深い精神分析系のカウンセラーの皆様にとっては、経験知的に気づかれ、身についていることではないかと思います。

 そして、

3.カウンセラーの「解釈」が「適切な」場合には、クライエントさんが、単にその解釈を受け入れるばかりでなく、それをきっかけに、カウンセラーにとっても思いもよらず、クライエントさん自身もそれまで意味があるとも考えず、思い出してもいなかった過去や現在の体験や感情を、生き生き語り出す場合である。

4.仮に、カウンセラーの解釈が否定されても、「いえ、そうではなくてですねえ....(....not....,but....)」という形で、クライエントさんが、カウンセラーの発言を修正する過程を受容的に傾聴する中で、カウンセラーにも思いもよらず、クライエントさん自身もそんなことを話すのに意味があるとも感じていなかった事柄が、意味を持つ形で,はじめて生き生きと具体的に語り出されるとすれば、その『間違った解釈』をしたことには意味がある

 このことをも、臨床的な経験値としている分析系のカウンセラーだけが、クライエントさんに自分の見解を押し付けようとし、クライエントさんは、それに『抵抗』し、さらに『症状化』し、時には面接に来なくなるという『受動的攻撃性(passive aggression)』の泥沼にはまる、というだけにならない面接の進展を喚起できているでしょう。

 確か、北山修先生だったと思います、

「解釈は否定されるためにある」

という逆説を述べられたのは。
(...間違って違っていたらすみません)

 .....つまり、結果的に自分のクライエントさん理解に不十分なところがあったと気づかせてくれることをクライエントさんが言い出してくれてこそ、そのカウンセラーは「的確な解釈」をしていたということになる、という、大逆説が現場臨床にはあるはずです。

*****

 これは,認知行動療法も同じでしょう。例えば、時間軸に沿って詳細な形で過去の行動とその時の感情の連鎖を振り返る時点で、クライエントさんが、カウンセラーにとって事前に予想もできない事実や、その時の感情を具体的にいきいきと語り出してくれないことには、この療法はまるっきり成立しないわけですね。クライエントさんに、その領域についてかたくなに口をつぐまれたら、もうおしまいということになります。


*****

 こういうわけで、クライエントさんの心と現実について、自分はまだ知らないことが多かったことに謙虚にふるまえるかが、カウンセラーの「専門性」である、という逆説が、どの流派でも成立します。

 逆に言えば、私たちの日常での対人関係が、いかに、お互いの,相手への「決めつけ」と自分の「判断の誤りを認めない」態度によってこそ不幸を生み出しているかということでもあります。

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2006/10/06

「幻想」vs.「幻滅」? 「錯覚」vs.「脱錯覚」? [後編]

.....で、前回の続きです(^^)

 日本語でいう「錯覚」という言葉には少しnegativeな響きがあります。でも英語の"illusion"は、某サーカス的パフォーマンスの名称に使われていたことからもわかるように、否定的なニュアンスは必ずしもないのですね(^^)

 ところが、日本語で「幻滅」という言葉になると、明らかにnegativeな響きになる。このあたりが、"illusion"という言葉、ましてや、否定形("dis-")である、"disillusion"という言葉の翻訳を、更にデリケートな問題にしてしまうのであります(^^;)

少なくとも、

「幻滅」よりは

  「脱錯覚」
  「脱幻想」

の方がニュートラルな感じで、好ましいでしょう。

*****

 しかし、この際、「日本語心理臨床」を更に突き詰めて行くなら、

(き、北山修先生! .....皮肉や悪意は何もないです。浜崎あゆみの「曲は知らない」と去年の日心臨の懇親会で言われて"disillusion"したことなんて、ぜーんぜん気にしてません、信じてください!!..........なーんて書いたらダブルバインド......ではなく、ウィットとして理解して下さるでしょう(^^;)。このへんが、日常会話ほどネットの文字ではニュアンスが伝わらないということの厄介さ!!)

 例えば、

”disillusion”=「醒(さ)める」こと

なんていかがでしょう?

夢から「醒める」という時の、「醒める」です。

    「醒める」ことは、
   「劇的な」プロセスではなく、
   秘(ひそ)やかに、
   静かに、
   生じる

ことという気がしますので(^^)

*****

推薦BGMは、もちろん、


en-Ray - Chai Chai サントリー烏龍茶ソングコレクション - あの素晴らしい愛をもう一度「あの素晴らしい愛をもう一度」

ということで(^^)

 オリジナルではなく、en-Rayの「中国語」カバーを引っ張ってきましたので、若き日の北山先生のお声ではありませんが.....(^^)v!

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2006/10/04

"My Favorite Books"大幅な増補改訂しました。

 主として中井久夫先生の著作中心に、これまでブログ本文の記事としては紹介してきた著作を中心に、「左サイドの常時表示されるコーナーに、大幅に相補しました。

 私が、フォーカシングと共に、25年前から中井先生の著作を支えとして生きて来たといっても過言ではないことが、「単なるフォーカシング教師」「単なるカウンセラー」を超えたスタンスを早くから育(はぐく)み、今日の私のアイデンティティを築き上げてきたことをしみじみと感じる、今日このごろです(^^)

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2006/04/14

カウンセリングの時間以外もカウンセラーはクライエントさんと交流し続けている

クライエントさんとお会いしているのは、多くても週に1時間だけです。

忘れてはならないのは、

カウンセリングの1時間は、残りの24×7-1時間のためにある

ということかなと、ふと今朝から思っていました。

いわばお月様みたいなものですね。

その月は雲に隠れているかもしれない。

昼間の間、さりげなく、その人の頭上にぼんやりとあるのかもしれない。

二人とも、恐らく同じ時間に同じ月を見上げていることはない。

でも、二人は、月下に共にいるのかもしれない。

それだけでいい場合、いや、それこそが大事な場合があるのかな、と、ふと思ったのです。

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2006/02/04

「医療心理士」と「臨床心理士」と「医師」についての資格問題の記事、重要な増補改訂

前回の、上述の問題についての記事本日改訂の「第3版」で、重要な増補改訂をしましたので、是非お読みください。

これは狭い意味での「資格相互間の問題」ではなく、

「資格を所持すること」、

そして、

およそ「法的にみて」人を指導する立つ権限を持つこと

全体についての、

私なりの「倫理観」と「実践」具体的に述べた、重要な書き込みのつもりです。

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2006/01/18

直前の、ストーカー関連の記事の「続編」のほう、装いも新たに大増補改訂

直前の、ストーカー関連の記事「続編」のほう、装いも新たに大増補改訂し、タイトルも改めました。

特に若いカウンセラーの皆さんは、「絶対に」勉強になるので、読んで下さいね!!

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2006/01/03

そろそろ帰省からお帰りの常連読者の皆様、わずか数日の間の新規記事の多さにビビらないでくださいね!!

裏を返せば、年末になるまでは、私がそれなりに、本業のカウンセリングの仕事も「していた」ということの証左でもあるかと思います(^^)。

私って、食って寝て、ブログの記事さえ書いていればよい状況に置かれたら、これくらい文章書いたり、ブログの再構築作業が出来る人だったりする(^^;)

カテゴリーの再構築って、ブログのおもて側の表示に全く立ち寄らすに、コントロ−ルパネル側からだけでできる作業なので、今日なんて、普通の日よりも、「自分自身によるアクセス回数」ほとんどないはずなのに、午後8時台ですでにアクセス数200楽々突破しました!!

ありがとうございます。


*****


アクセス解析をすると(以前も書いたけど、このアクセス解析って、「どなたが」アクセスして来たかまで特定できないので、ご安心を)、

この中の数分の1は、明らかに、@niftyココログトップページから、新たにおいでいただいた方々です。

私のブログの記事に、少しでも興味を持って、来て頂いただけでも感謝いたしします。

****

私のブログの大まかな内容とポリシーについては、半年近く以前、やっとpingサーバへのトラックバック機能を活用し始めた時に書いた、当時の皆様への改めてのご挨拶の文章がすでにありますので、それを持って代えさせて頂きますので、よろしく。

****

まだ、カテゴリーの再構築は、数パーセントの進捗度でして、全体への反映にはほど遠い段階です。少しずつ無理のないペースで進めていきますので、ブログ内でのカテゴリー検索のあまりにも不完全な現状を、どうかお許しください。

どれだけ膨大なカテゴライズ増設に吹き切ったかは、

↓こちらをご覧になればわかりますよね(^^)

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新春お年玉企画!! blog 「カウンセラーこういちろうの雑記帳を「最初から」読みたい方のために

この@niftyのココログの、3フレーム縦割り設定にした時の、左サイドへの「バックナンバー」の表示のされ方の性質上、かなり古い記事(1年前に過ぎませんが)の検索が「一見」しにくくみえます。

実は左の「バックナンバー」という文字の部分さえクリックすれば、果てしなく過去に遡って「月別/カテゴリー別のリンク集」に出ます。

(...ということに、私も今気づいたばかりだったりして(^^;)。1年やって今日はじめて「スキナー箱のネスミ」の「試行錯誤」を経てに気がついた。はっとその可能性を「洞察」しただけ、ネズミよりは利口かもしれない

*****

まあ、それでも、私のブログ「カウンセラーこういちろうの雑記帳」を、敢えて「最初の記事」から順に読んで、私の成長の跡をたどりたい、という「奇特な」読者の皆様のために、感謝を込めてサービスします。

この記事(2004/12/19)が創刊号です。

当時はブログで何をできるのかほとんど無知なまま、まだカテゴリー分けもしていませんが、興味のある方はどうぞご活用下さい。

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2006/01/02

ブログのカテゴリー分けをより具体化させる形に徐々に更新していきます(第10版)

@niftyのココログって、一度凝り出したらカスタマイズがし放題に近く、しかも文の長さにも制約がないので、ある程度HTMLタグを自分で打ち込めるくらいのホームページ制作能力があれば、凝り出したら切りがないのが特徴です。

同時に複数のカテゴリーをいくつ指定してもいいし、オリジナルカテゴリーも無尽蔵に作っていいみたいなんですよね(^^)


私のブログって、私の文章の「ワープ」的越境能力をとことん駆使してやろうという方針ですから、一つの記事について10幾つものカテゴリーを設定するという「荒技」を駆使してきました。

しかし、現在の@niftyココログのシステムからすれば。例えば「心理学」「心理療法」「精神療法」「カウンセリング」「開業カウンセリング」「サイコセラピー」「セラピー」などというふうに微妙な表現の間の違いでも、例えばこれらの言葉と「ヘッドフォン」との間にある差異と同じくらいに、「意味論的差分」の上で等価的/並列的に別のカテゴリーになってしまうことにもなります。

私はこれを、インターネットが「フラットランド」と呼ばれるものであることの「諸刃の剣」の側面についてのひとつの理解であると思っています。

ちょっと難しい言葉でいうと、「階層的分類」というものには、実は凄く個人的な側面があり、どうしても、誰もが納得する分類分け(パソコン風に言えば、「ツリー構造」)などあり得ないということになります。

その意味では、実はカテゴリーのパーソナライズを、完全に増えるに任せて野放しにしている@niftyのココログの方針は、「現実主義的に見て」、無難でしょう。さもないとクレームの山に忙殺されてしますでしょうから。

****

もっとも、記事をアップする前に、内容から自動的にカテゴリー「候補」を選び出し、作者に表示するまでなら、単語のデータベースとかと連動させれば、今のサーバー管理コンピュータでも容易にできるでしょう。

もっとも、アップロードまでのトラフィックがいよいよ渋滞する危険は高いですが(^^;)

しかし、今のコンピュータは、まだ、文章の本格的な「意味論的解析」という点では、まだ開発の歴史の初期段階なのは確かでしょう。最優秀といわれる自動翻訳ソフトの現状をみればどなたもお分かりですよね(^^)

「心理療法用語をまるでひとつも使わずに」カウンセリング関連の奥深いエッセイを仕上げるなんて、少しキャリアをつめば、ある程度できるようになりますから。


******

いずれにしても、私のブログ、カテゴリーの設定の個別化・具体化・パーソナライズという点では、これまでほとんど手を付けていない分、新たな読者の皆様を増やし、読みたいタイプの記事を過去に遡って検索して頂くには実に不便な状態だったと思います。

なんらかの意味でカウンセリング・マインドに関わる記事については、敢えて「手作業で」、「ウェブ上のカウンセリング論集 index」を制作してあり、右側(この点改訂)のテーブルの、ずずずず〜っと下の方に常設の入り口があります(以外と気づかれてなかったりして)。

でも、これじゃ、純粋の音楽系、例えば「J-POP」や「歌手別」の検索や、「オーディオ系」の記事は、はみ出してしまうわけですよね。


*****


そこで、本日、オリジナルカテゴリーの大量設定に踏み切りました。

先ほど述べたような理由で、極論すると、「心理療法」「精神療法」「サイコセラピー」「セラピー」という用語の間の違いですら、これらの言葉と「ヘッドフォン」「HDCD」という言葉の間にある差異意味論的「差分」の上で「等価」というのでやむなしというのが@niftyココログの「方針」(個人の「パーソナルな世界観」を尊重する開かれたネットワークを目指す限りこの方針はぜひ守り続けて来ださい!!)のようである限り。

私は敢えてこれらの「同義」の言葉を並列的に別のカテゴリーとして登録することに決断しました。

カテゴリーのリストがかなり長大化することは、どうか皆様お許しください。

なお、この記事で「だけ」、今後私が普段使用するカテゴリー「ほとんどすべて」にリンクを張っています。@niftyココログの「標準カテゴリー」の中で、ここにに含まれていないのは「ギャンブル」「スポーツ」「ファッション・アクセサリ」「グルメ・クッキング」など、ほんの幾つかということになりますが、こらら幾つかのカテゴリーですら、過去すでに適切と判断して使ったことがあります。

「ギャンブル」で意識的に私がどの記事でリンクを張ったか、すぐに思い当たる方は、相当ディープなこのブログの読者の方ですね(^^)

しかし、こういう「告知記事」でそこまで含めるのはそのカテゴリーの読者に迷惑なだけと考えて、敢えて今回は外しているだけです。

普段はもっとすっと短いので、どうかご安心を、

******

もっとも、私のブログの場合、個々の記事について、カテゴリーの再分類をするのは、なにしろこれが1年ちょっとなのに、すでに272件、しかも長い文が多い私のブログの性格上、とても一気にはできません。

最近の、しかも皆さんの関心を引く度合いが高そうな記事からカテゴライズの再構築をボチボチしていきますので、どうかじっくりお待ちください。

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2005/10/02

「共感的に」人の話を聴くとは?(入門編)

さて、前回の、カウンセリング場面で、クライエントさんを受容・共感することと、カウンセラー自身が「自己一致」していることをどうやって両立させていくかについて、私がカウンセリングの現場で用いている技法について具体的に説明していきます。


まずは、「共感的理解」についての、私なりの入門講座からスタートします。


*****


私は、「共感」ということは、一般に考えられているより、はるかに精緻な事柄と思っています。

これは、すでに"7.11 Asega Doctrine"のなかでも、その中の「プロ・カウンセラーの第3の条件」として書いていることにもつながるのですが、

例えば、恋人に振られて「傷ついて」いる人がいるとして、その人に「共感的理解」を示すとは、とういうことを指しますか?


1.同情深げに、ともかく相手の話を「うん、うん」と聴いてあげることでしょうか?


なるほど、自分の意見を差し挟まずに、まずは相手に話したいだけ話させてあげること、それは「受容的傾聴」の基本です。

現実の友人関係とかでは、相手の話途中でさえぎって自分の意見を述べたり、

「あたしの場合はね~」

......とかいう調子で、「自分の」失恋談義に「すり替えて」しまう(^^;)とかが普通です。


カウンセラーは、まずはそういう聴き方を「超える」ことができねば「存在意義」はありません。


ただ、できれば、一方的に、「うん、うん」というだけで延々黙って聴いているのではなく、

時々、「クライエントさんの身になって」、自分の解釈や意見を差し挟まずにクライエントさん自身が使ったキーワードはそのまま大事にしながら、要点だけでも「伝え返し」をして、カウンセラーの理解と、クライエントさんの伝えたいことにズレが出てきていないかを照合することは大事です。

今、「クライエントさんが使ったキーワードはそのまま大事にしながら」と書きました。

例えば、クライエントさんが

「悔しくて」

という言葉を使ったところについて、カウンセラーが不用意に、

「腹が立って」

置き換えてしまうのは、実質的には無害なことも多いですが、時には、それだけでも、いつのまにかクライエントさんとの間に気持ちの溝ができてしまうこともあります。

ただし、こういう「言い換え」の微妙な危うさ、カウンセラーが体験的な実感として理解していないうちに、ただ「相手の言ったことをそのまま『鸚鵡返し』する」ようなことをドグマのようにカウンセラーの卵に教え込むのは、クライエントさんにカウンセラーが、非人間的な、ただの「鸚鵡返しロボット」のように感じさせてしまい、話を「聴いてもらっている」気がしない状態に陥らせる危険があります。

カウンセラーは、クライエントさんの気持ちに「触れようとする」という基本姿勢を失ってはならず、言葉の上での「理解」や「言葉の返し方」の技術講座になっては意味がありませんから。

この辺の勘所をつかむには、カウンセラーがフォーカシングをフォーカサーとして学ぶ経験を積み上げると、その「塩梅(あんばい)」が体験的に身につきます。

一言で言えば、カウンセラーがクライエントさんに同じ言葉で伝え返しをするのは、クライエントさんにその言い方で自分の実感にぴったりか照合してもらうためだけではなくてカウンセラー自身が、自分の身体にそのクライエントさんの言葉を発声しながら「響かせる」ことによって、クライエントさんへの「感情移入的なフェルトセンス」カウンセラーの中に「擬似的に」喚起するための手助けである、と私は考えています。

このことはたしかすでに治療者にとってのフォーカシング「現代のエスプリ 治療者にとってのフォーカシング」のどこかで私は書きました。

*****


2.「共感的理解」とは、クライエントさんの失恋体験とカウンセラー自身の失恋体験と重ね合わせて、その傷つきを共有することでしょうか?

カウンセラーとクライエントさんの心は、パソコン同士がネットワークでつながっているようにつながっているわけではありませんので(^^;)、クライエントさんの感じている「傷つき」を、カウンセラーに「転送」するわけにはいきませんよね。

その意味では、カウンセラーは、クライエントさんの話の内容や話しぶり、声の調子、身体言語などから受け止められるものを、自分の想像力と感受性を総動員して、自分の過去の類似の体験の時に自分がどんな「感じ」になったかとも重ね合わせながら「擬似的に」追体験しようとするしかありません。

場合によっては、クライエントさんが振られるまでの、具体的なエピソードとか、その時その時の思いを、さらに詳しく話しをしてもらうように、クライエントさんに促さないと、カウンセラーは、十分なリアリティと臨場感のある形で、クライエントさんの失恋の傷つきを「追体験」して「感じ取ろうとする」ことはできないかもしれません。

しかし、忘れないでくださいね。

どこまで行っても、カウンセラーの「失恋体験」と、クライエントさんの「失恋体験」は、別のものだということ。

私が、北山修先生の3000円以上購入で全国送料無料!(一部地域除)ザ・フォーク・クルセダーズ/戦争と平和「あの素晴らしい愛をもう一度」を引き合いに出した、「黄金のトライアングル」で述べたように、

> 同じ花を見て 美しいといった二人の

感じていた「美しさ」すら、実は「同じ」体験ではないのかもしれない。

まして、あなたの「花(恋愛体験)」とその人の「花(恋愛体験)」は別々のものでしょう?

でも、カウンセラーがそのことを謙虚にわきまえながら、なおも、クライエントさんの失恋体験の話を共感的に傾聴し続けている時、クライエントさんの間に、ある独特の「絆」が生まれ始めることが多いのは確かです。

******

次回は、この、受容と・共感的理解が、できなくなって行く方向に追い詰められていく、現場カウンセラーの赤裸々な現実を暴露しましょう。


(うーん、書き始めてみたら、この一連のテーマ、かなりの長期連載になりそうな気がしてきた)


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2005/09/09

北山修先生は浜崎あゆみの「歌」まではご存じなかった!!

心理臨床学会、3日目(これを書いている今からするとあととい)、の夕刻は「懇親会」でした。色々な旧知の先生方に、今度開業したことをお伝えできました。

「今度クライエントさんや、スーパーバイズの必要な院生を紹介するよ」といっていただけたし、若手の方何人かだけではなく、意外な中堅の先生から「ブログ読んでますよ」といわれて面食らったり。


さて、今回の懇親会のひとつの目標は、懇親会で北山修先生を捕まえ、一言、『ある重大な質問』をすることでした。

幻滅論『幻滅論』好きです。特に『共同注視』論。私のブログでも詳しく紹介させていただいてます(「黄金のトライアングル」

というあたりまでは、

「そうかい、ありがとう」

ですんなり進みましたが、

「ところで、日本を代表する作詞家として、『浜崎あゆみ』をどう評価されますか?」

となると、

「浜崎あゆみ? そりゃ名前は知ってるけど、曲までは知らんからねえ.....」


........残念無念、夢破れたり!!


******


この日の二次会ではは前日と同じ永野先生と、○○大学の、フォーカシングに関心のある院生たちと飲んでいたら(といっても私は体への配慮から一貫してノンアルコールです)、あっという間に過ぎ、午前1時になりました。

それにしても、今回の学会はすべての「夜の部」で、有益な出会いができた(なかなか3晩ともそううまくはいかない)のが嬉しかったです。

昼の部での興味をもてた発表やシンポについても、守秘義務抵触しない範囲で今後折を見て言及させていただくことになるでしょう。

去年と異なり、フォーカシング関連の発表がゼロというのは残念でしたが、私がフロアから参加した、質問タイムのある催しのすべてで、全く自然に湘南フォーカシング・カウンセリングルームの阿世賀です」と名乗りをあげ、しかもそれらのコメントが皆、それぞれの座長や発表者に、発表の場に生産的なコメントとして受け止めていただき、「私の参加した分科会で私がつまらないと感じた分科会ひとつもなし」という充実した時すごせたことを嬉しく感じています。

さまざまな出会い、さまざまな諸先輩方からの叱咤激励、発表者や座長、シンポジスト、コメンテーターの諸先生方、そして事例に登場する、快く発表者の発表を承諾されたクライエントさんたちから学ばせていただいたことに感謝いたしております。

フロアのみとはいえ、これまでで一番「最善を尽くせた」学会でした。

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2005/08/14

カウンセリングがうまく進んでいる時とは? ~黄金のトライアングル~

答え:

カウンセラーと相談にこられた方が、実際には向かい合って座っていても、気持ちの上では、45度から90度の角度でたたずみ、二人の「前にある」相談に来られた方の「悩みの全体」を、まるで二人がお互いに「全く同じ」気持ちや感じ方をしながら「味わい、眺めつつ」語り合っている「かのような」気分に「お互いに」なれる瞬間が面接時間の「かなりを」占めるようになった時です。

こうなれば、たとえその時点で、カウンセラーも、相談に来られた方も、悩みや問題の具体的な解決の方向が見えて「いなく」とも、遠からず、二人とも満足の行く 、思ってもいなかった出口にたどりつける可能性が高いです。

つまり、いわば細長い二等辺三角形の鋭角の頂点に、相談に来られた方の「悩み」があり、そちらを二人で、少し距離を置いて「一緒に眺めて」いるような状態ですね。

(わかりやすいようにあとで図を補足します)

要するに、

> あの時、同じ花を見て
> 美しいと 言った二人の
> 心と心が 今は もう通わない

のではなくて、ある程度以上の出現率で「通い合う」状態で「あり続ければ」、そのカウンセリングは、絶対にいい方向に向かいます。

******

音楽の教科書にも載り、もはやかなりのお年寄りを除いては、日本中で知らない人は珍しいだろう、日本のフォークの歴史に残る記念碑的作品、

「あの素晴らしい愛をもう一度」

オムニバス/青春歌年鑑’71 BEST30●3000円以上購入で全国送料無料!(一部地域除)中澤裕子、後藤真希、藤本美貴/FOLK SONGS 3●3000円以上購入で全国送料無料!(一部地域除)
NOTHING/大人へのパスポート

などなど、オリジナル以外に、若い世代の歌手もカバー・バージョンをいくつも出していますし、

あの「エヴァンゲリオン」庵野秀明監督の初実写映画、ラブ&ポップ村上龍原作、ラブ&ポップ 愛蔵版 ◆20%OFF!「ラブ & ポップ」のエンディングで主役の女の子たちが○○を行進していく印象的なシーンでも、その子たちによって歌われてます。

(今週からはじめると宣言した「エヴァ」ネタとは、もちろんこのことではありません。まあ、「前ふり」にはなるかなという思いもほんの少しはある)

*******

実は、この歌を、カウンセリングや精神療法の世界で論じたのは残念ながら私ではありません。

何と、この歌を作詞し、歌っているにもかかわらず(?)、その後イギリスに留学、今や日本の精神分析の世界で第一人者となった、九州大学教授、「北山修」その人なんですよね。

そして、ご自身の著作、幻滅論「幻滅論」(みずず書房)の、クライマックスといえる箇所で、ここぞとばかりに、著作権所有者ご本人がこの歌詞を引用し、大論陣を張るという、他の誰にも不可能な、なんともうらやましいこと(?)をなさっています。

北山先生.......どーしても私なんかはこうお呼びしてしまいます。北山先生、去年の心理臨床学会での先生のワークショップで、フロアから3回も長い質問して、先生を困らせたのはこの私です(^^;)

(実はこのブログに実に繰り返し「北山修」で検索しておいでの方がいるので、その方が同一人物とは限りませんけど、ひょっとしたらフォーカシングにも縁の深い九大の北山ゼミの学生さん・院生さんあたりじゃないかとも思い、勝手に伝言を依頼します)


*****

さて、北山先生は、「幻滅論」で、私にも負けないくらいに予想外の脈絡からこの歌詞を引っ張り出します。

江戸時代の浮世絵に描かれた母子像に、たとえば月だとか花火だとかを一緒に見ている姿が、ひとつのパターンとして多い、ということに北山先生は着目します。

子供はお月さんとかを指差してたりもするわけですね。

おそらく、こういう場面で、まだ言葉が話せない子供だったとしても、

「あー」

とか何とか叫び月を指差し、お母さんが、

「あ、お月様、きれいねえ」

とか会話をしているかもしれません。

こうした瞬間、母親と子供は、まさに

「同じものを見て、同じように感じている」

一体感の世界にいます。

こうした経験の繰り返しが発達早期の親子関係に決定的な意味を持つ、などということは、北山先生が留学されたイギリスで盛んな「対象関係学派」と呼ばれる精神分析の流派の人たち、たとえば精神分析の方法(1)ビオン(Bion)とかが、アルファとかベータとかcontainerという小難しい用語を使って説明しているのですが、北山先生は、いかにも日本を代表する作詞家らしく、「日本語で考える」臨床心理・精神医学の樹立の大切さを訴え続けています(その点では、「甘え」の構造新装版「甘え」理論の土井健郎先生の流れを汲むともいえます)。

そこで、これらの浮世絵の構図をもとに「共同注視」という、北山先生独自の概念を生み出したわけです。

つまり、母子の何かの対象への「共同注視」が生じている時には、

あたかも

「同じ花を見て」、

同じように

「美しい」

と感じている「かのような」状態が生じている。


****

ここで大切なのは、単に母子両方が「美しい」と感じるかどうかではないということです。

二人ともお互いに、

「同じような」感触、「同じような」質感の「美しさ」

として

感じ、味わい、体験している

という、

「共同幻想(illusion)」

がもてるかどうか、ということです。

これは、お互いの勝手な思い込み、「錯覚」かもしれない。

でも、その「錯覚」こそが、人と人との<絆>の原点です。

哲学の世界で、仮に同じ色刺激、それこそ、”FF 00 00"としてデジタル記号化して共有できる色についても、
Aという人が体験している「赤」と、Bという人が体験している「赤」がはたして「同じ」体験なのか、ということは、古典的な認識論の命題です。

まして「美しい」とか「悲しい」とかいった、人間のものの感じ方そのものをあらわす体験を「共有する」とはいったいどういうことなんでしょう。

人が他者から切り離された実存的「個」としての自我を持つということは、まさにそのような感情体験の「共有」という「幻想(illusion)」が壊れ、それは「錯覚」だったのではないかという「幻滅」にも耐えていかねばならないということでもあります。

「脱錯覚」「幻滅」どちらも英語で言えば"disillusion"です。そして北山先生の本のタイトルが「幻滅論」であり、そこで北山先生が言わんとしている意味での「幻滅」とは何かということと、深くかかわりあうことになります。

jochohattatsu
"disillusion"とは、イギリスの対象関係学派の中でも、特に最大の大家というべきウイニコット(Winicott)にとって決定的な鍵概念です。

過度に単純化しすぎる危険を敢えて冒せば、人が「他者」から切り離された「個」として生きる上で避けがたい、他者とかかわりにおけるこうした「幻滅」体験が、特に赤ん坊時代の母子関係で深刻な傷としてのみ残るか、それとも「確かに『思い込み』が壊されて傷つくこともあるけど、少なくとも相手によっては、そして理解し合おうというという探索(まさぐり)の過程がお互いにうまく噛み合えば、

たとえそれが、

「一瞬の接点」

であったり、あるいは

「お互いの感じ方が『どのように違うか』わかりあえた」

などという逆説的な「共有」であろうとも、

「時には」可能なのだ、自分にも生み出せるのだ、という「わずかな希望と人間信頼」であろうと、人が生きていく支えとなることがあるのだと私は思っています。

カウンセリングの場とは、カウンセラーと相談に来た方が、

「同じ花を見て、同じ『美しさ』(悲しさ、大変さ....)を感じている」

と感じられる、「共同注視」の「黄金のトライアングル」体験を、共に築き上げていく、共同作業の場だと思います。

当然そこには、お互いの勝手な「思い込み」→「幻滅」から生じる「小競り合い」もあるかもしれません。

そういう危機を何度もしのぎ切って、「以前よりは」お互いに理解しあえた、という小刻みなプロセスをどこまで積み上げられるか。

これは、カウンセラーと、来談に来た方との「真剣勝負」です。

しかし、それをいくつも乗り越えて、カウンセラーとの<絆>を維持できるところまで辿り着けたとしたら、きっと、現実世界での恋愛とかでも、同じ「思い込み」→「幻滅」というつらい体験のくり返しの輪から抜け出せるのではないかと思います。

......というと、劇場版NEON GENESIS EVANGELION -DVD-〔送料無料キャンペーン中〕劇場版「エヴァンゲリオン」での葛城ミサトが最期にシンジに伝えた

「私も、『ぬか喜び』と『自己嫌悪』の繰り返しだった。それでも前に進めた気がする」

というセリフに通じるものだと思うのです。

はっきり言って、エヴァンゲリオンの深層心理拙書「エヴァンゲリオンの深層心理」(Amazonはこちら)は、書き終わってみれば、このことを言いたいがために書いたみたいなものでした。

そして、やっと最近になって、そういう相談に来られる方双方の「思い込み」と「幻滅」の振幅にある程度耐え切れ、支え切れることも増えてきたかな、くらいです。

*****

この『黄金のトライアングル』(一般には「治療同盟の成立」といわれることの、更なるエッセンスのつもりです)については、この後も形を変えて書いていきます。

例えば、フォーカシングの祖、ジェンドリンの先輩格の共同研究者、日本のカウンセリングの流れに大きな影響を残した、来談者中心療法の祖、ロジャーズ選集(上)ロジャーズ選集(下)カール・ロジャーズ入門カール・ロジャーズ「治療の3要件」として掲げた、

「感情移入的理解」
「無条件の肯定的関心」
「治療者自身の自己一致」

かすべて共に達成された状態はまさにこの状態だともいえます。


******


更に言えば、フォーカシングを「ひとりでも」できるようになるには、「内なるクライエント」としてのフェルトセンス(言葉にならない曖昧な感じ)、「内なる来談者中心療法セラピスト」として、フェルトセンスに、注意と関心を向け、フェルトセンスからのメッセージを傾聴しようとする「私(I)」との「内的な二者関係(Annのいうinner relationship)」だけではなくて、

「内なるコーチ」「内なるスーパーバイザー」としての、公平なまなざしを持つ「3人目」「脱同一化(disidentification)」して存在し、「内なる『黄金のトライアングル』」=「内なる三者関係」が必要ではないのか。

focusingnyumonfocusinhguide
ここまでなら、

「それは、
この著作や、

この著作、

そして、

やさしいフォーカシングこの著作で、

Ann Wiserが、

「内なるリスナー」と「内なるクライエント」とが

脱同一化(disidentificate)された

"inner relationship"形成

としてのフォーカシング論を展開する際に述べた、

「Larger "I"(より大きな『私』」

という概念に通じるのではないか、

といわれるかもしれません。

しかしAnnは、私の理解では、アンは確かに、前二者を「包含する」あるいは「俯瞰する」視点として取らえているとはいえるかもしれませんが、
「三者関係」として位置づけてしまうことはしていなかったように思います。

(敢えて「内的なトライアングル状の<三者関係>」として位置づけることにどのような意味があるのか? それは、「内的な互いの役割が自由に入れ替わってしまうことがあり得る」という観点を導入できるからなのですが、これについては、おそらく8月下旬中には「ホームページ本部」「私のフォーカシング」久々の「新作」として発表となる実例を読んでいただかないと、何を言いたいのか見当もつけてもらえないでしょう。請うご期待!!

*******

更なる仮説を提起します。

フォーカサーとリスナー(ガイド)が別々にいる、2人でやるフォーカシング・セッション(フォーカシング・パートナーシップ)でも、実はこの各々「内なるスーパーバイサー」=「内的な3人目」を二人が「共有」できているというillusionが必要なのでないか???

そこには、フォーカサーの「私」、リスナー「私」、双方の「内なるス-パーバイザー」のillusionとしての「共有地点」という、もうひとつの「黄金のトライアングル」の存在を仮定するということになります。

ここまでくると、おそらく世界のフォーカシングの世界でも最前衛といっていい発想(はっきり言って、今年の私の人間性心理学会第24回大会での個人発表の中身にもろにかかわります!!)かもしれないものにもつながります。

それらをすべて「包括して」図にするとどんな形になるか? これは、focusing-netの読者にはすでに公開しましたが、学会発表で使うことになる図版いきなりPDF FLASHPAPERで、ついに転載しました!!


*******

kanjakaramanabu更に屋根屋を重ねて、
精神分析的対象関係論の領域での最新の潮流で言うと、
オグデンの「第3主体」論

とか、

ケースメントが、「患者から学ぶ」で書いた、

「内なるスーパーバイザー」

ともリンクし始め、

まさに、流派を超えて、およそ心理療法の分野における最先端の議論にすらなるはず、

という、壮大な構想が私の中にはあります。


******


「エヴァ」ネタ解禁も、これだけではもちろん終わりません!!

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2005/08/01

「湘南フォーカシング・カウンセリングルーム」の「カウンセラーこういちろうの雑記帳」をよろしく

えーっと、永らくの読者の方には何をいまさらということになるんですけど、実は「プラス」コースにアップグレードした時点でいろいろ高度な設定ができ,RSSリーダやらpingサーバーの設定、更新通知などの機能をぜんぜん生かしていなかった、ということに気がつき、これを機会にご新規様もおいでになるかと思いますので、改めてこのブログについて紹介させていただきます。

私、阿世賀浩一郎(あせが・こういちろう)は、神奈川県の大船で「湘南フォーカシング・カウンセリングルーム」という名前で独立開業している臨床心理士(心理カウンセラー)です。

しかし、根っから性格がクロスオーバーしてまして、心理やカウンセリングの話がいつの間にかayuこと浜崎あゆみ、中島みゆき、ユーミン、ELTなどのJ-POP、それどころかクラシック音楽の話題にすり替わったり、iPODの音質向上対策の話になったり、社会保険の任意継続制度の話になったり(未だに毎日1件はこの用語で検索してこのページに確実にお見えになる方、いるもんなあ)、アニメの話になったり、鉄ちゃん系の話題になったり、英語ができないままの無謀な海外旅行の話になったりします。

本部の個人WebSite、「阿世賀浩一郎のホームページ」に行けば、野猫ウォッチャーに凝った時期もあることがお分かりになります。

そういう自分の節操のなさを、実はいろんな検索用語にひっかかり、予想外の分野からの「お客様」の増加にもむすびつけようというせこい魂胆もないとはいいません!!

しかし、お読みいただければわかりますが、実際には、カウンセリングや心理療法の本質について、私がup to dete に感じていること、換言すれば、フランスの現代音楽作曲家・指揮者のピエール・ブーレーズの言葉を借りれば"Work in Progress"、つまり、まだ目に見えぬ、曖昧な「何か(something)」としてしか感じられないもののcompleteに向けて、ひたすらギリギリ限界の思索の試行錯誤を、遊びながら、かつ心身をすり減らしながら構築していく、"Thinking at the Edge(TAE)"の「実験現場」を公開しているのであり、しかもそれが生半可な「有名」心理学者や精神分析医の大半よりもスリリングで新鮮で生き生きとした文章で綴られていると自負してもいます。

というわけで、興味をもたれた方は、半年分たまっているバックナンバーを読んでみてください。


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恒例、今回の「強引アフィリエイト」ネタ。

ピエール・ブーレーズの指揮で私が一番好きな、【音楽CD】ストラヴィンスキー:バレエ《ペトルーシュカ》(1911年原典版)バレエ《春の祭典》ストラヴィンスキーの「春の祭典」「べトルーシュカ」がひとつ。ほんとは私、旧盤の方が好きです。

もうひとつは、私が専門としていてトレーナー養成・認定国際資格を持っている「フォーカシング」という技法こそ、マジに、まだ自分の中ではっきりしない、言葉にならない心身のモヤモヤ、まさに"something"との対話を深め、その人独自の完成に導く技法である、ということと関連付けて、もろ、【Rock/Pops:ヒ】ビートルズBeatles / Abbey Road(CD) (Aポイント付)The Beatles の"something"です。

これはこじつけでも何でもなく、今年5月に出席したトロントでのフォーカシング国際会議で、会議最後の「フォリー」と呼ばれる、いわば「打ち上げお楽しみ会」で、フォーカシングの名教師として著名なAnn Weiser女史が、ホントに歌ったのです!!

もっとも、途中から、だんだん曲がおかしくなり、恐らくAnnさんのお好きなオペラのコロラトゥーラのアドリブに化けていってしまったのですが(^^)。

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