ビジネス

2011/06/24

格差社会の中での自分探しとフォーカシング(togetter)

このtogetterは、坂井 素思・岩永 雅也 (編著) 「格差社会と新自由主義」を読んで、経済学・社会学的見地から今の日本の生きづらさと解決の方向性について考えさせられ、引き続き、池上正樹(著)「ドキュ メント ひきこもり -<長期化>と<高年齢化>の実態-」を読んで感じた、世代や社会人経験を問わず、自分のあり方について熱心に内的に追求する層 こそ引きこもり=永遠の失業者に陥る現状に刺激を受けて、今度はそうした現代の「自分探し」の堂々巡りの解決のための具体的方法論としてのフォーカシングの可能性という、カウンセラーとしての私の専門領域での実践活動に到るまでを紹介するという、かなり越境領域的なツイートの連鎖です。

フォーカシングの名教師・アン・ワイザー・コーネルさんの"Radical Acceptance of Everything"(邦題:「すべてあるがままに」)で述べられた諸見解について、私なりに噛み砕いた紹介にもなっています。

途中、唐突にテーマが 変わるかに見える部分があるかと思いますが、繰り返して読み返していただければ、私の思考と連想の過程が浮かび上がるかと思います。

こちらからどうぞ。

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2010/02/22

働いたに値する収入を得ていると感じられるかどうかは難しい。

 今の私のように、「家族を支えるために」働いているという意識がなくなる状態に回帰してみて、最近つくづく思うのは、自分には、働いた分に値する収入を得ていると感じられていた時期がほどんど全くないということである。

 前の記事でも登場した、私の中に住んでいる、情け容赦ない「内なる審判官」に言わせれば、私が大学で常勤職をしていた数年間までの間、私は私の要求水準からみて、受けるに値すると感じられる以上の賃金を受け取っていたとしか感じられていない。「それだけの仕事をできてはいなかった」としか思えない。

 そしてそういう真の「手応え」感のなさ=ある種の「空虚感」のために、そういう自分にまるで刑罰でも与えるかのように浪費を重ねた時期の方が長いように思われてならないのである(念のために言うが、常勤職を獲得する以前の私の年収は280万円前後であった)

 日本におけるフォーカシングの研究実践者としては、論文や著作の本数こそ足りないかもしれないが、ある意味で第一線を走ってきた自負はある。しかし、振り返ってみれば、半年前の自分の水準は問題だらけとしか感じられないことを繰り返してきたように感じている。

 最近でこそ、昔の文を読み返して、結構まともなことを積み上げてきたかなと振り返れるようにもなったが、それはあくまでも「文章として」読み返した場合である。その文章で書かれたことを「実体として」どれだけできていたかの水準は実際にはかなり劣るものだったと思う。

 文章としてだけなら、人間、結構立派なことを書けるものだと、我ながら感じ続けている。

 そして何より、フォーカシングの専門家であることと現場臨床の援助的専門家としてクライエントさんのお役に立っていることとシームレスにつながっていた場合に初めて意味があるというのが私の信念であり続けてきた。

 それこそ、時価6000円で、多少のばらつきはあっても100点満点の70点以上のお役に立てていることがコンスタントに多いかなとほんとうに感じられるようになってきたのは、この1年以内の出来事のように思う(それでも、時々大反省することがある)。・・・・・これですら私の思い込みかもしれない。

 その意味で、今の私の実力ならもう少し、現場臨床、および臨床教育の分野でそこそこ収入があってもいいのではないかという逆方向のギャップ観をあまりゆるぐことなく、かといって感情的にもならずに感じられるようになってきたのは、本当に、本当に、ごく最近のことという気がする。

 もっとも、面接数が増えたら一つ一つの面接が雑になりはしないかという自分への不信感は拭えない(勤務カウンセラーだった時代から今日まで、あるライン以上にクライエントさんが増えると「何らかの不注意」をやらかしてきたおかげで一定数のラインを容易には超えないということを繰り返してきたという思いがある。困ったことに、今でも、ちょっと前までの自分はこのことがどうしてできなかったんだろうという反省ばかりがしきりである)。

 だから、ある意味で、「分相応」との感じ方に限りなく近い点では、相対的に見て、我が生涯で現在が一番肉薄しているのかもしれない。

 自分は、クライエントさんのお役に立てる専門的な援助をした有効な分だけは、「食べさせて」いただいているというリアルな手応えである。

 そういう意味で、しばらく前・・・・少なくとも昨年の夏までにあった、ある種の屈折した「ルサンチマン」のようなものは、私の中からもはや抜け落ちてしまっている。

 それを実感できるために、一度「都落ち」まで追い詰められないと気づけなかった私も情けないものではあるが。

 関係者は関係者なりに自分の職場のことで手一杯なのであり、別に私は特に貶められてもいないし、わたしがいろんなことで「やり過ぎ」であるがゆえに遠ざけられているとまで思い込み過ぎるのも、もはや自意識過剰としか思えなくなってきているのである。私も、動くべきチャンスだった時に見逃したケースもあるし。

 この不況の下で、専門職キャリア30年近くて今年50歳の「ツブシが効かない」カウンセラーなるものを敢えて「雇おう」となると、同業種ばかりか他業種の人にとっても二の足を踏む存在となっていたことも十分に理解できる。

 いずれにして、やっと、等身大の自分を手に入れつつあるな・・・・と感じだしてはいるようなのである。

 しかし、そのことを実感するためには、切り立った山々の尾根歩きのような、あるいは冬季オリンピックのアスリートたちがともかく「完走」できるだけの「際どさ」のようなものをくぐり抜けるしかないとは。

 あの、失敗したら最後、雪か氷に叩きつけられるしかないアスリートの心境、今回のオリンピックぐらい、その瞬間の凍える寒さと孤独と「空虚」が身に染みて伝わる思いをしてテレビ観戦している年はない。

 もとより、今のところ全く矍鑠(かくしゃく)としているとはいえ、老いた両親に、恩返しまでは行かなくとも、少なくとも私が今後それなりに十分にやって 行ける様を十分に安心して見届けて欲しいという切なる願いは抱いている。

*****

 そういえば、容易に実体が伴わない映画制作進行過程を延々と描き続ける、フェリーニの映画、「8 1/2(はっかいにぶんのいち)」を今日たまたまBSで初めて観た。カーリングがドイツに負けてきてるなと感じたあたりで思わず切り替えてしまったら、どうやらはじまったばかりだった(^^;)

 その高度なメタフォクション性につきあうことと、マルチェロ・マストロヤンニ演じる主役の「映画監督」の心境がじりじりと伝わってきて、結構しんどいものがあったが、あのオチの付け方・・・・・ありがちという人もあろうが・・・・に、ちょっとだけ救われる思いをした私だった。

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2010/01/21

NHK クローズアップ現代、「 “助けて”と言えない ~共鳴する30代~」

 正確にはこの番組はホームレス問題についての「続編」である。

 前回登場した入江さん(仮名 32歳)の姿が見られなくなった。どうしていたかというと、結局生活保護受給申請にに踏み切り、月に79.940円を受け取るようになって、やっと路上生活ではなく、ネットカフェで寝泊まりできるようにはなっていたのである。

 それ以前は、2日に一個、100円のおにぎりに切り詰めつつも、食費を切り詰めた分、洗濯をはじめとした身奇麗さには気を配っていた、二枚目といっていい方で、確かに当時のたたずまいでも誰もホームレスとは思わないだろう。

 現在も求職活動は続けているが、「住所がない」ことのために容易に働き口が見つからない。

 この、彼が前回の番組で発した、「(結局は)自分が悪いんです」という言葉がネット界では大反響を呼んだ。共感のメッセージが満ち溢れたのである。

 現在30代になった人たちは、就職戦線が大変厳しい中、「自己責任」と「成果主義」を刷り込まれて社会に巣立った人たちである。

 「助けて」と言えないのだ。心を開けないのだ。言ったらおしまいだと思っている。

 経済情勢の中でそうやすやすとは業績が上がらなくても、全部「自分のせい」と思い込む。中には、親に介護が必要になったのに、介護休暇の申請ができないまま無理をするうちに退職したり、うつ病になった人の例も紹介されていた。

*****

 

しかし、ホームレスの人の大半は、別に天涯孤独な身の上ではない。実家があり、親もいるのだ。

 ゲストの、作家、平野啓一郎氏は語る:

「別に親子関係が希薄になったとばかりはいえないのではないか。むしろ、幼児期から築きあげた親の前でのイメージを崩したくないのだ」

 だから、再び社会人として稼げるようにならないと、実家には本当のことは話せない・・・・

 北九州でホームレスの人たちのためのNPOを運営している奥田知生(ともや)さんは語る:

「自己責任は大事だが、それはあくまでも社会が個人への責任を果たしてから、はじめて強調すべきことのはず。今の時代、「絶望」や「希望」が、自己完結した世界の中で語られ過ぎている。希望とは社会的なものであり、人との関係の中で初めて抱けるものであることに気づいて欲しい」

 私も、多くのクライエントさんとの関わりの中で痛感するのは、

自信がない
→自信がない自分が悪い
→自分で自信をつけねばならない
→自分で自分に自信をつけられない自分が悪い
→・・・・

・・・・という果てしない悪循環の上で、やっとカウンセリングを受ける気になった人のあまりの多さである。

 中には、「どうしてそこまで自分に自信がないんだ?自信を持てよ」などと親しい人や恋人から繰り返し言われて、更に自己嫌悪して、「私は相手のお荷物になっているのに、情けをかけられているだけの存在ではないか?」と思い詰めて行き、ひとつ間違うと、それまでの人との絆ですら切れるに任せかねない人すらいる。

 確かに、他人が自分に自信をつけてくれるとか、地位や身分や何かの成功が自分に自信をつけさせてくれると単純に言っていいかというと、決してそういうものではない。

 自分のいだいている自己イメージと、具体的な他者がいだいている自分へのイメージが、かなり深い次元でまで一致している、しかもそこに継続的な連関性があるという確信が得られた時に、人はある安定を獲得する。エリクソンがアイデンティティということを言い出した際の、本来の意味はそういうことである。

 しかし、それは、孤立した人間どおしの「思い込み」の次元での表層的なものにとどまっていては、その人を結局のところ追い詰めるだけなのだ。

 我々は真空の宇宙を漂う孤立した惑星のような自我を築くにとどまるべきではない。バリントふうに言えば、地水火風といった「形のない、自分を包み込んでくれるもの」を介して、互いに「息=ギリシャ語でいう「プネウマ」=たましい」の交流をして、相互に浸透しあっている時、はじめて「やさしさにつつまれた」社会に生きていると感じるのである。

 平野氏はこうも付け加えた:

 「法律で制定された国からの給付となると、税金をいやいや取り立てられた人のお金を分けてもらっているという後ろめたさを感じるのだと思う。むしろNPO団体への寄付などを通して、『お互い同士で融通しあう』感覚になれば多少は気が軽くなるのではないか。寄付の形であれば所得税控除にもなるし」

*****

 なお、NPOに寄付して大丈夫かという思われる方もあるかもしれないが、NPOに対する会計監査は大変に厳しく、問題があれば実に厳格に解散命令が出る。収益は上げていい。しかし、NPOをやめる時にはNPOの収益や備品はすべて寄付することでしか処分できない。

 私の居住する地域近郊でも、最近4つものNPOがそうやって解散処分を受けているくらいである(地域のNPO研修会で学んだことである)

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2010/01/19

伝説の学会発表、「浜崎あゆみとスピリチュアリティ」完全公開!!(Ver.1.48)

 YouTubeで、浜崎あゆみさんのプローモーションビデオ全作品公式に公開されました(何と、貼付けも自由です!! avexの太っ腹さに感銘をうけました)。

 これを期に、日本人間性心理学会第23会大会(於:文教大学)の自主企画として私が催した、「浜崎あゆみとスピリチュアリティ」のパワーポイントファイル全体をウェブ上で公開することにしました(YouTubeの該当曲やその他の映像への個々のリンク付きにバージョンアップ!!)。

●浜崎あゆみとスピリチュアリティ  -プロモーションビデオにみるその精神の軌跡-(阿世賀浩一郎のホームページ)

学会大会論文集に掲載した文章こちらでそのまま閲覧できます。

*****

 なお、私が確かめたところ、どのブラウザでも「一応の閲覧」はできますが、ブラウザ上でスライドショーまでできる、完璧な再現(ワン・クリックごとの文字の出方まで忠実に再現できる)のは、Internet Explorer8、およびそれをレンタリングエンジンとする(=Trident系)、Lunascape、Grani(動作が軽快なので超お勧め)などに限定されます。

 もっとも、困ったことに、Windows版FirefoxのオリジナルのGeckoエンジンとは、文字表示上、かなり相性が悪いようです。文字が折り重なる現象が見られます(^^;)

 しかし、IE Tabというアドオンの追加をして、ブラウザの左下隅に表示されるFirefoxのシンボルマークをクリックして"e"マークに変更すると、その後は何の操作をしなくても、IEと全く同じ使い心地になります(^^)

 以前も書きましたが、このアドオンを追加インストールすれば、Firefoxを使ってのMicrosft updateにも対応出来てしまうのですね。

 それ以外のブラウザは、画面はほぼ適正に表示されますが、いずれの場合も、左側のフレームから1ページずつめくっていただくことで対応できます。 

 このやり方で、Google ChromeやWindows版Safari,Operaの場合は画面自体は、「小さく」て「静的に」ですが、綺麗に表示されますよ(^^)

*****

◆Ver.1.01→Ver.1.05の修正点(10/01/17 15:04)

  • IE系ブラウザのスライドショーでクリックだけで次のページに移行しない箇所の問題をとりあえず解決しました(ただし、各ページの「リンク先のページ」を一度クリックしてしまうとスライドショーには回帰できません。これは仕様上やむを得ないことのようです)。

◆Ver.1.05→Ver.1.06の修正点(10/01/17 18:00現在)

  • 途中に他の場所のファイルが2枚紛れ込んでいたので削除しました。もし文章の全くないページが出たら、もう一回クリックしたら表示されるのが私のプレゼンの意識的仕様です。

◆Ver.1.06→Ver.1.17の修正点(10/01/17 19:59現在)

  • すべての動画をYoutubeの埋込み動画表示として表示することに対応しました!! それに伴い、Windows Media Playerの呼び込みによる,wmvファイルの再生そのものを廃止しました。

◆Ver.1.17→Ver.1.48の修正点(10/01/18 14:17現在)

  • YouTube動画を一件追加 しました。
  • YouTube埋め込み動画とリンクテキストが折り重なって表示されないように調整しました。
  • 全ページにプレゼンの際のメモを記入しました。
  • アルファベットの全角文字を半角に修正しました(まだ見落としがあるかもしれません)。

◆現バージョン(1.48)でも残る問題点(10/01/18 14;17現在)

  • なぜが今回の段階で、YouTube動画への「テキストリンク」の一部が表示上文字化けに転じました。もっとも、リンクそのものは適切に機能します。

 おそらくMacユーザーの皆様の場合だと(これもまたブラウザ間格差が予想できます)、OSの使用フォントそのものの違いの関係で、文字表示がはみ出したり隠れたり、重なるなどの見づらさがあるかもしれないことを、どうかお許しください。スライドショーは機能しないと思います。

*****

●浜崎あゆみ / Dearest ~Acoustic Piano Version(YouTube)

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2010/01/15

不滅の名指揮者、トスカニーニ

 イタリア出身のこの往年の名指揮者は、圧倒的な要求水準でオーケストラを鍛え上げ、今日に至るまで誰も達成しえなかった全く贅肉のない演奏スタイルを誇った。

 まるでひとりの人間がすべてを演奏しているかのような、一糸乱れぬ演奏の凄まじさを堪能するためには、ますはヴェルディの歌劇「運命の力」序曲の鬼気迫る磨き上げの数分間がふさわしいだろう。

(↓以下の映像、多少ナレーションがだぶる箇所があるが、曲の勘所をうまくかわしているのが幸いである)

●Toscanini FORZA Overture

 ↓おそらくこの曲のリハーサルの時の圧倒的熱弁が以下の録音。

●TOSCANINI EN COLERE

*****

 次は、本来ラジオ放送専門のオーケストラだったNBC交響楽団が、カーネギーホールでライブを行うようになった時の貴重な映像記録の中でも最も有名な、ベートーヴェンの第5ハ短調交響曲、すなわち「運命」の第1楽章。

 この曲は、主観を排してひたすら客観的に演奏した場合に真の迫力が出るのだが、その典型のような名演である。

●Beethoven Symphony No. 5, 1st mvt--Arturo Toscanini/NBC Symp

*****

 続いて、またもやウェルディだが、「レクイエム」より「怒りの日」の前半。

●Verdi Requiem - Toscanini: Dies irae (part1)

 おしまいに、これまた永遠の名盤の誉れ高い、ウラディミール・ホロヴィッツのピアノと共演した、チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番の第1楽章。

●Horowitz: Tchaikovsky Piano Concerto No. 1 i. (1943)

運命の力~オペラ序曲集

ベートーヴェン : 交響曲第5番 「運命」・第6番 「田園」・第7番・第8番

ヴェルディ:レクイエム&テ・デウム

*****

 ところで、実は今の私がやる気がないなどと勘違いしている読者がおありのようだが、今の私は起きている間、一分一秒たりとも無駄に過こしていない(^^;)

 時々イレギュラーに記事を書くこともある(この記事もイレギュラーのひとつ)けど、実は一ヶ月先まで、いつ、どういう内容の記事を書き、いつ沈黙するのかについて、ほぼスケジュールはできています(^^)

 そうした一方、父親に、確定申告のための帳簿の完成をせっつかれているので、そっち進めている。

 ついに自力で(!)複式簿記のつけ方を会得した。

 経理の超専門家の父も、そういうことに関しては何も教えず、全部私が自力で身につけることを要求してくるのである。私も何一つ質問はしない。

 以前も書いたが、カール・ヒルティいわく、

「仕事の対象を分散させ、一度にでなく、少しずつ、代わる代わるにやるのがいい」

 また1月になって新規の相談お申し込みの方が増えていることにも感謝申し上げます。

 要するに、遊ぶときは遊ぶ、仕事の時は仕事というのを10分単位で切り替えるのが私のライフスタイル。自営業だからできることですが。

 そして、夜はしっかりぐっすり寝ます(^^)

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2009/12/23

「肉食系」的なやさしさ (第2版)

・・・・・というものがある気がしてきた。

 それは、いわゆる「草食系」のやさしさとは何か次元が違うのだけれども、今の日本(の特に若い男性)に、再度賦活されていく必要があり、それが今後の日本の舵取りの鍵を握ると思えるのである。

 Wikipediaによれば、「草食系男子」というのは、200610月に深澤真紀が『日経ビジネス オンライン』で連載している「U35男子マーケティング図鑑」(2007年に『平成男子図鑑』として単行本化)で「草食男子」として命名されたのがことのはじまりであるとのことだが、私はその原典やその後に続いた著作を読んでいるわけではない。

 しかし、広い意味で女性一般の方は何らかの意味で「肉食系」の側面を発現し続けて来た人が多い(これは見かけ上大人しめであるかどうかとは無関係。そのことに気づかないでいる男性がいるとすればちと御目出度すぎる)ものだから、余計に浮かび上がってきた現象ではないかと考えている。

 そして、私なりのネットフィールドワークの結果到達したのは、(数年前の小林よしのり信者がたくさんいた頃はまた別かもしれないが)、少なくともここ2,3年のネットのプチ〇翼の若者は、実は揃いも揃って「草食系」である、いや、「草食系男子」の心性と非常に親和的なものとしてプチ〇翼というスタンスが、非常に広範な若者に、ネットでこの種の発言をする匿名ピープルよりも相当に裾野が広い形で浸透しているというのが私の結論である。

 彼らはもはや、例えば小林よしのりや石原慎太郎に当たるような特定の「頭目」を押し立てることすらしない。フラットランド化したネットの2次情報,3次情報をシェアするだけで群れている、徹底的に「顔のない」集団である。

 ・・・・ちなみに私は"SPA!"を離れる以前の「ゴーマニズム宣言」の愛読者で、感想をしきりと送っていた人間であり、その頃のよしりん氏に「八王子の阿世賀浩一郎は凄い! 参考になる」と、コマの欄外でコメントされ(今刊行されている単行本のバージョンにも載っているかどうかは確認していない)、公式「ゴー宣」本にかなり長い感想文が実名で載っている人間である。

 "SPA!"との関係を辛抱し切れなくなったところで、小林氏はあるバランス感覚を喪失したというのが私の意見だが、それでも、「新しい歴史教科書をつくる会」との関係を絶つ時でしたか、「日本のこの種の人たちがアメリカとの関係ということになると急に態度を変えるのが納得がいかない」という趣旨の発言をしたことに関してはある共感を覚えた。

 ちなみに、よりのり氏も私と同じ福岡県出身である。最近の私のネット上での物言いに、思想それ自体というより、発言スタイルの点で、時々「ゴー宣」調のノリが無意識のうちにも出てしまってるあたりに我ながら苦笑している。福岡県人独特の、いざとなると嵩(かさ)にかかって斬り込む、直裁な「喧嘩節」の伝統という点では共通のルーツなのかなと(^^)

 宮崎哲弥さんが久留米出身で、今年初めて久留米で講演会を開いた時のことはこちらの記事で書きましたが、そういえば、今、自民党内部を引っ掻き回す発言をしている舛添要一さんも、(その政治姿勢にすべて賛同するわけではないが)北九州(八幡)出身の苦労人だものな・・・

*****

 実は、そういう、「いざとなると嵩(かさ)にかかって攻め込む」気概をむき出しにできる人間にしか発現しない、「肉食系のやさしさ」というものがどうもあるようだ、という気がしてきたのだ。

 少なくとも私の中で、明らかに、そういう意味での、潤いある「やさしさ」と「包含力」、むしろ「献身性」ですらあるものが、ここしばらくの間に、特にリアルワールドにおけるクライエントさんやオフィシャル・プライベートを含む人間関係の中で発現してきている気がする。

 それは決して「暑苦しくて」「脂肪分が多い」、「押し付けがましい」ものではないようなのだ。それは、狩人をしていない時の豹の母親が子供たちに対して示すような、何かそういう質の、静かな「母性」に近いもののようにすら思う。

*****

 それとどこまで関係あるかどうかわからないのだけれども、昨日東京に日帰り出張した時に、ANAの機内誌、「翼の王国」12月号を読んでいたら、「日本"山水”探訪記」というグラフィック特集で、「熊本・鹿児島編」として、「南九州の空と土」という記事に大部が割かれていた(pp.40-63。文・絵:堀越千秋 写真:阿部雄介)。

 装飾古墳として著名な熊本県山鹿市のチブサン・オブサン古墳、延々と続く謎の地下トンネル遺跡として著名な玉名郡菊水町の「トンカラリン」、鹿児島県南九州市川辺町の「清水(きよみず)磨崖仏群」、熊本県人吉市の青井阿蘇神社、熊本県上益城群山都町の、江戸時代を代表する潅漑用水道路の要というべき、古代ローマの水道橋を思わせる、時々の放水で著名な「通潤橋」などが取り上げられていた。

 それらの記事を眺めている時に、私は何ともいいようがない次元での、ほとんど元型的な次元での「血の共感」を覚えずにはいられなかったのである。

 すでに何回も書いてきましたが、福岡市から南に向かい、大野城市のあたりの地峡を越えて筑紫平野に入り、筑前の国から筑後の国に入り、更に筑後川を渡ってしまった久留米に入った途端に、同じ福岡県でも、古代からの文化の質は一変して、むしろ熊本県とも通底する「中九州」文化圏の北限に位置した土地ととらえる方が自然である。

 厳密には博多弁と久留米弁はかなり異なり、久留米弁はアクセントが明瞭ではないという点では日本の方言の中でも特異な位置を示す。(わかりやすくいえば「橋」と「箸」の音韻上の区別というのは、久留米人は学校教育を経ないとできるようにならない)。

 その「異様に平坦に」流れるような早口は、我が郷土の生んだ、本名「蒲池法子」さんに、実例をお示しいただこう(^^)(この番組、放送された時に観た記憶があります)

●松田聖子の久留米弁 その1(YouTube)

●松田聖子の久留米弁 その2(YouTube)

 ・・・・・私は父親が「大陸育ち(標準語圏)」だし(かなり久留米弁を戦後身につけましたが、母親の「ネイティブな」古式ゆかしき久留米弁ほどではない)、私自身は「久留米附属」(「久留米大付設」ではありません。聖子さんの確かお兄さんが「付設」出ですよね)という、教員養成大附属小中学校という、地域社会とは切り離された中で成育し、更に30年も関東暮らしをしたので、とてもとても聖子さんのように鮮やかなギアチェンジができる人間ではありません(^^)

 でも、私が「異様に早口でのっぺりした標準語」で延々と話す時があることは、ライブこういちろうをご存知の、特に同業者の皆様は、時々、ついて行けなくお困りのことがあろうかと思います(^^)

*****

 ・・・・話を本題に戻すと、久留米南部地域というのは、大和時代の豪族、磐井の乱(525年)でも日本史に名を残すように、ヤマト政権からは独立性が高い、ダイレクトに大陸側(新羅と書かれていますが)との交渉を維持した勢力が、かなり後の時代まで維持された土地柄です。

 記紀の世界で「熊襲(くまそ)」とされた民(ヤマトタケルの征伐神話からすれは一応2世紀頃に相当するが、これはどうみても「前倒し」の可能性が高いが)は熊本県球磨地域に一応同定されている。一応、「熊襲」よりも、その勢力はしぶとく残ったことになるとも言えるわけである。

 いくら当時までのヤマト王権の正当化のための歪曲ありとはいえ、「磐井の乱」を伝えた日本書紀は、物語的な古事記と異なりまだしも歴史書としての体裁がしっかりしており、編纂時から遡っても「200年未満」の時点で起きた事件についての著述には、何らかの史実の裏づけは濃厚と思える。

 私自身は、邪馬台国九州説は根拠薄弱という立場です(オーソドックスに、奈良県桜井市の纏向遺跡(まきむくいせき)を卑弥呼の墳墓とみなしたい)が、大和地域よりは、黒潮に乗った東南アジア、南洋地域、中国南部、そして朝鮮半島寄りの経路で中国北部との頻繁な交渉がダイレクトに早期から形成されていたであろう九州の持つ政治的独立性は、実際には九州北部沿岸のごくごく一部の地域を点と線でつなぐ形でしかヤマト政権の安定した覇権を置き得ない状況に、少なくとも663年の白村江の戦いの直前の頃まではあったのではないかと思います。

 なぜ天岩戸伝説を日向の高千穂峡天孫降臨の神話を同じく日向の高千穂峰(もっとも、前者には異説がある)に同定しなければならなかったのか? これもそれだけ南九州にもともと強大な勢力があり、それを実際の歴史上は大化の改新(646)以降、天智・天武朝の頃にやっと臣従させた上で、その地域の神話(むしろ朝鮮か南方由来)と中国神話を加味して歴史を「数百年遡って塗り直す」だけの必然性があったればこそでしょう。

*****

 いずれにしても、久留米以南の中九州・南九州文化圏には、ちょうどヨーロッパ諸国が、ローマ帝国以前の原住民やゲルマン民族の歴史をキリスト教で塗り消し、地下に潜伏させたのと同じように、後のヤマト政権が上塗りして完成された「ヤマト民族主義」を一皮向けば、より古い層の元型的な無意識の世界が容易に溢れ出す地域性というものが潜伏しているのではないかと思います。

 それが、幕末における薩摩や佐賀を中心とする倒幕・維新勢力、あるいは真木和泉守ら、久留米の勤皇の志士に活躍の舞台を与える原動力にもなり、筑豊炭田で鉱夫たちが使う地下足袋の大量生産に起源を発する、ブリジストンの創業者、石橋正二郎(鳩山金脈の元はここにある!)をはじめとする日本の主要ゴム3社の発祥の地を久留米とし、そして、今日に至るまで、井上陽水、武田鉄矢、チェッカーズ、松田聖子や浜崎あゆみをはじめとする芸能界から、政治に至る様々な人材を関東に送り続ける、過激なまでの「上京指向」の人材バンクとして福岡が機能し続ける原点にあるのだと思います。

 私も、そのような福岡の久留米が生んだ「異能者」(?)として、関東での30年をむしろ「踏み台にして」、今後、地元久留米に根を張って、はじめて「地に足が着いた」形で、50代という一番脂が乗り切ったこれからの10年、身体が衰えを感じないうちに、本来のパワーを発揮し尽くせることを祈っています。

 BGMは、「エヴァンゲリオン」の、高橋洋子による、高橋洋子 - 魂のルフラン/心よ原始に戻れ - EP「魂のルフラン/心よ原始に戻れ」 以上にぴったりなの、ないでしょ?

そして、高橋洋子 - 残酷な天使のテーゼ 2009VERSION - EP「残酷な天使のテーゼ」もまた、久々に「封印を解いて」聴き返して、「肉食系の母親」の歌なんだとつくづく感じて、ふと目頭が熱くなったこういちろうである・・・・

 私がこのブログで、ずっと封印してきた、過去の軌跡、「エヴァ」。

・・・・・というわけで、もはや私には1円の稼ぎにもならない(・・・・あ、アフィリエイトで中古買ってもらうと少しはポイントになるのか・・・・)本の宣伝も久々に(^^;)

阿世賀浩一郎/エヴァンゲリオンの深層心理―「自己という迷宮」

*****

 更に、まさに我が母校に教育実習においでの際に、リアルのお姿を拝見した、「武田先生」に捧げる(?)、海援隊 - Acoustic Live ~君の住む町へ~ - 母に捧げるバラード「母に捧げるバラード」(Live)

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2009/12/19

「減価償却」できればよし!!

 これまた、特に久留米に私が帰ってからは、星飛雄馬に対する、中日コーチ移籍後の星一徹の如き、経営の「鬼軍曹」と化しつつも、実は私への精神的溺愛が全然止まっていない、久留米一のスーパー経理職人とうたわれた我が父から、子供の頃から聞かされ続けた定番の台詞である。

 ・・・・ほんと、幼稚園時代から「げんかしょうきゃく(原火焼却?)」とか「すいとうちょう(水筒長???)」、「げんせんちょうしゅう(源泉超臭?)」という魔法の呪文を日々浴びせられながら育ったのだが。

 ここでいう、父が時々比喩として連発してきた「減価償却」とは、本来の意味よりもかなり幅広くとらえて欲しい。

 「一端購入した物品は、そこへの投資のもとを取るまでじっくりとしつこく使い切ればそれでよし

 という、ある種の堅実なプラス思考の実践哲学である。

*****

 「乗りかかった船」という言葉があるが、特にうつ病をはじめとする気分障害圏の人は、自分の自発的衝動からものごとをやった(買った)結果、それを周囲に承認されなかったり、思うように行かなくなると、一転してすごく自責的になり、「自分の内発的な欲求」に基づく行動全般に否定的になりやすい。

 そうしたことを繰り返すうちに、「周囲にうけいれられているかどうか」の方が圧倒的な行動規範になり、自分の内発的欲求(Want)とは何かということ自体つかめなくなる。

 その後遺症として、回復期に至っても、自分から何かを始めて、少しでも周囲と摩擦を起こすと、突如それを白紙撤回してあっさりとやめてしまう傾向にとりつかれやすい。

 それは、端から見ると「のんきで気まぐれで無責任な気分屋」のようにすら見えかねないが、実は本人の中では、内発的な欲求の芽生えを感じると、それが容易に「周囲からの拒絶や無関心」を内在化した超自我と結合してしまい、むしろ「不快な、振り払いたい、自分の中から除去したい感覚」としてしか体験できないという、不幸な条件反射が成立している、非常に苦しい堂々巡りなのである。

 なのに、家族からは「どうせまた長くは続かないよ」「また余計なものを買って」などと、冷ややかな目で、はじめからみられる。・・・・もう、悪循環である。 

 こうした人に対して、私は、この父からの言葉、「いっそのこと、減価償却するつもりでやり続けてみたらどうだろう?」をプレゼントすることがある。

 これは、「一度始めたことはやり通せ」などという、ありふれた道徳規範とは似て非なるものである。

 これは架空の例ですが、買うつもりのなかった服を衝動買いした女性が、買った後、急に自責的になり、それを返却しようかと悩んでいたとします。

 私は、

「その服は今でも気に入っているのですか?」

と尋ねます。

 それに対して、女性が、「ほんとうに欲しくてたまらないくらいに好きだったし、今も気に入っていることには変わりがない」との気持ちをはっきり語ったら、

 「それなら、その好きな服を着て、自信を持って外を出歩くと、思いもよらない新しい出会いを引き寄せるきっかけとなるかもしれない。それともあなたはそれを清算して、前の自分のままに戻ることを選ぶのですか? 前向きに減価償却してみようとしてもいいと思いますよ」

などと提案してみるわけですね。

*****

 こうした人たちは、いわば精神的な「過食嘔吐」状態にはまり込んでいるわけです。摂食障害についてご存知の方には知れ渡っているかもしれませんが、単なる「過食」よりも「過食嘔吐」の方がよほど厄介な事態にはまり込んでいます。

 ほんとうにかなえられたいのは、自分の内発的衝動への、親や交際相手からの、静かな、節度ある共感的承認と受容なのだと思います。しかし親の態度そのものは容易に変え難いわけですね。

 こうした時、仮に最初は代理満足でも何でもいいから、まずは(精神的)「過食」状態を受容してしまうというアプローチ、ありだと思うのです。もとより、そのことで本人がほんとうに「満たされて」いるのか、「味わえて」いるのかについての共感能力を治療者はセンサーとして失ってはなりませんが。

 

そうやって治療者が親の代わりに「見守って」いたら、あら不思議、いつの間にか、ほんとうに欲しいものだけを、直感的に選び抜いて買う方向に本人は自然と軌道修正し始めるんですよ。

 本人自身が、自分なりの試行錯誤の中で「経験から学ぶ」能力が賦活されるのです。

 

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「おい、しっぽを振れ!」

 これは、私の父親が、相手を侮辱的に軽蔑する時の「最終兵器」として、用いてきた言葉である(小声で、完全に相手に白けきったような調子で言う)。

 子供の頃、私がいじめを受けたりしてめそめそしている時、父がこの言葉を、「やさしさ」を込めて「逆説的に」つぶやいてくれた時の声は、今も私の耳底から離れない。

******

 ちなみに、私が使う最大限の最大級の皮肉は、

「私が自分の人生に失敗した時、あなたは『それみたことか!』とあざ笑う、いっときの快楽と癒しに身を委ねることができます。その快楽と癒しを提供して差し上げたのは私だということぐらいには、その時、少しは感謝していただけるとありがたく存じます。どうかローマのコロセウムの『外野席の』観客としてお楽しみくださいませ」

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「協調性」についての誤解

 「協調性」とは、断じて、周囲の目を気にするあまり「単に控えめにすること」ではない。

 人と積極的に、新たな「関係をつけ」、「切り拓く」能力である。

 その際に必要なのは、単に「相手に嫌われないか」という行動原理ではない。相手がその日常(生活、家庭、職場)の中で、どういう心境と実感で生きているのかに対する感情移入的想像力を最大限に駆使して、相手のニーズを想定し、それに応えようという方向で、むしろ自分から相手に「声をかけていく」ことなのだ。

 もとより、いつも言うように、他者の気持ちに対する人の想像力など結局はたかが知れている。実際に他者の言い分を訊けば、自分の思い込みは容易に脱錯覚させられる。

 しかし、そこから先、相手の言い分をきいて対話し続ける時、はじめて相手との対等な絆と連帯と協働の世界が「リアルに」築かれ始めるのである。

 それこそが、他者との絆を「信じる」ための自己投企である。

 もはや、自分の「空想の世界」での他者配慮の一人相撲で堂々巡りする、「一応集団の中に入れてもらっている中での孤独」に、別れを告げよう。

*****

 BGMは、中島みゆきの中島みゆき - I Love You, 答えてくれ - 本日、未熟者「本日、未熟者」

●本日、未熟者(YouTube)

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2009/12/16

勝負を自ら「引き受ける」ということ -岡田監督の講演より-

●岡田武史氏が語る、日本代表監督の仕事とは(msnマネー)

 この、岡田監督の講演の言葉ひとつひとつに、いたく共感する私がいました。

 長くなりますが、抜粋して引用させていただきます。

=========引用はじめ=========

 本当にのた打ち回るほど苦しんだのですが、「よく考えたら自分自身の腹のくくりがなかったから当たり前だ。W杯予選が大変だと知っているのに、何て俺は甘いんだ。しょうがない。俺はもう自分のやり方でやるしかない。秘密の鍵もくそもない。誰がどう言おうが今の俺にできること以外できねえんだから、 俺のやり方でやるしかねえんだ」とその時に開き直った。

 「開き直り」という表現は悪いかもしれないですが、これはある意味どんな仕事でも トップやリーダーになったら、一番大事な要素かもしれないですね。「監督の仕事って何だ?」といったら1つだけなんです。「決断する」ということなんです。「この戦術とこの戦術、どっち使う?」「この選手とこの選手、どっち使う?」ということです。

 ただ、「この戦術を使ったら勝率40%、この戦術だったら勝率60%」「この選手だったら勝率50%、こっちの選手だったら勝率55%」、そんなもの何も出てこないんです。答えが分からないんですね、それをたった1人で全責任を負って決断しないといけない。

  例えばコーチを集めて「お前どっちだと思う?」と多数決をとって、「3対2だから、はいこっち」と絶対いかない。全員が反対しても、たった1人で全責任を 負って決断しないといけない。これがW杯出場が決まるかどうか、優勝が決まるかどうかという試合だったらとても怖いです。「この決断1つですべてが変わる」と思うと滅茶苦茶ビビります。考えに考えます。論理的に考えても答えは出ないのですが、必死に考えます。「相手がこうしたらこうだ。こうなったらこう だ」と考えても答えは出ません。

 じゃあ「どうやって決断するか」といったら“勘”なんですよ。「相手のディフェンスは背が高いから、ここは背が高いフォワードの方がいいかな」とか理屈で決めていたらダメなんです。勘なんです、「こいつ(を使うん)だ」と。

●素の自分になって決断できるかどうか

岡 田 じゃあ全部勘が当たるかというと、そう当たりはしないですね。でも、当たる確率を高くする方法があるんです。それは何かというと、「決断をする時に、 完全に素の自分になれるかどうか」ということです。「こんなことをやったら、あいつふてくされるかな」「こんなことやったら、また叩かれるかな」「こんな こと言ったらどうなるかな」、そんな余計なことを考えていたら大体勘は当たりません。本当に開き直って素の自分になって決断できるかどうか、これがポイン トなんです。

(中略)

 手っ取り早く無心になる方法が1つだけあるんです。何かといったら、どん底を経験するんです。

●遺伝子にスイッチが入る

岡 田 経営者でも「倒産や投獄、闘病や戦争を経験した経営者は強い」とよく言われるのですが、どん底に行った時に人間というのは「ポーンとスイッチが入る」 という言い方をします。これを(生物学者の)村上和雄先生なんかは「遺伝子にスイッチが入る」とよく言います。我々は氷河期や飢餓期というものを超えてきた強い遺伝子をご先祖様から受け継いでいるんですよ。ところが、こんな便利で快適で安全な、のほほんとした社会で暮らしていると、その遺伝子にスイッチが入らないんです。強さが出てこないんですよね。ところがどん底に行った時に、ポーンとスイッチが入るんですよ。

(中略)

 よく標語が書いてあるカレンダーがあるじゃないですか。ジョホールバルから帰ってきた後、吊るしてあったのをたまたま見ると、「途中にいるから中途半端、底まで落ちたら地に足がつく」と書いてあったんです。その通りなんですよ。苦しい、もうどうしようもない、もう手がない。でも、それがどん底まで いってしまうと足がつくんですよ。無心になんか中々なれないけど、そういうどん底のところで苦しみながらも耐えたらスイッチが入ってくるということです。

●目標はすべてを変える

岡 田 そうやって開き直って無心に近い状態で決断すると大体当たる。そうでない時にはやっぱり外れる。僕はバーレーン戦で負けた時に昔を思い出して、完全に開き直れたんですね。それからは「自分の思った通りやる。秘密の鍵もくそもねえ。自分の今やれることをやるんだ」ということで、コンセプトを作って、何とか3次予選を突破しました。

(中略)

 明確な目標はもちろん「W杯本大会でベスト4入ることに本気でチャレンジしねえか」ということ。みなさんはいろんな成功の書とか読んで「目標設定って大事だ」と思っているでしょうが、今みなさんが思っている10倍、目標は大事です。目標はすべてを変えます。

 W杯で世界を驚かすために、パススピードを上げたり、フィジカルを強くしたりと、1つずつ変えていくと、かなりの時間がかかります。

  ところが、一番上の目標をポンと変えると、オセロのように全部が変わります。「お前、そのパスフィードでベスト4行けるの?」「お前、そんなことでベスト4行けるのか?」と何人かの選手にはっきりと言いました。「お前、その腹でベスト4行けると思うか?」「夜、酒かっくらっていて、お前ベスト4行ける?」 「しょっちゅう痛い痛いと言ってグラウンドに寝転んでいて、お前ベスト4行けると思うか?」、もうこれだけでいいんです。

(中略)

 日本代表選手になるくらいの奴は子どものころ、「俺にボールよこせ」「俺にボールよこせ」とお山の大将です。プロだろうが日本代表だろうがW杯だろうが、そのサッカーを始めた時の喜びやボールを触る楽しみを絶対忘れてはいけないということです。

  大人になってくると、「今、ちょっとボールいらない」とだんだんなってきます。なぜか? 「プレッシャーが強いし、ミスをしそうだ」ということで守りに入っているからです。そうしてうまくなった選手を今まで見たことありません。相手を恐れておどおどプレーしたり、ミスを恐れて腰の引けたプレーをしたりする姿は絶対見たくない。「みんながピッチの上で目を輝かせてプレーする姿を見たい」ということです。

●「Enjoy」とはどういうことか

 (前略)Enjoyの究極はどういうことかというと、自分の責任でリスクを冒すことなんです。日本の選手は「ミスしてもいいから」と言ったら、リスクを冒してチャレンジをするんです。ところが「ミスするな」と言ったら、途端にミスしないようにリスクを負わなくなるんです。

  例えばギャンブルで、大金持ちのお金を分けてもらって「それで遊んでいいよ」と言われて大もうけしても失っても、面白くもくそもないでしょ。自分のなけなしの金を賭けるから、増えたら「やったー」と思うし、なくなった時に「うわ、やばい」と思う。要するに「ミスするなよ」と言われている中でいかにリスクを自分の責任で負えるか、それが本当のスポーツのEnjoyなんです。

 本当にEnjoyするためには何をしないといけないかというと、「頭で考えながらプレーするな」ということです。どういうことかというと、脳は(大脳)新皮質と(大脳)旧皮質からできていて、脊髄からつながっているところ が旧皮質で、簡単に言うとどんな動物でも持っている本能のようなところです。そして、人間と一部の動物が発達しているのがその周りの新皮質で、ここは物事を論理的に考えたり、言葉を喋ったりするところです。

 ところが、コンピュータの演算速度で例えると、新皮質は演算速度が非常に遅い。例えば、新皮質で考えながら自転車には乗れない。右足のひざをこの辺まで曲げて、このくらいまでいったら体重を左にかけて……なんて考えながら乗れないですよ ね。キャッチボールもできない。ひじを伸ばして、ボールが来たから指を開いて、次に閉じて……と考えていたら間に合わない。旧皮質で感覚的にやっていかないといけない。スポーツというのは旧皮質でやらないといけないんです。

 ところが日本人はどうも教えられ慣れているので、ボールが来たから 胸でトラップして……と新皮質で考えながらやってしまう。だから、向こうでは全然大したことないようなブラジル人がバンバン点を取る。あいつら何も考えていない。来たボールをボンと蹴るだけ。ある意味そういうことも大切。練習では考えてやらないといけない。でも、「試合ではそれを頭を使ってやるな。自分が感じたことを信じて、勇気を持ってプレーしなさい」、それがEnjoyです。

(中略)

●人を変えることは簡単ではない

岡田 これは日本人だけではないのかもしれないですが、「教えてくれない」「育ててくれない」と何でも他人任せの人がいます。「アホちゃうか」と思うんですけどね。人を育てるとか変えるとかそんなことできないですよ、本人が本気になって変わろうとしない限り。

(中略)

 何に集中するかといったら「今できることに集中しろ」ということです。「動物は今を精一杯生きている。でも人間は、済んだことを悔やんで今できない。 先のことを心配して今できない。俺はそういうのは大嫌いだ。今できることをやってくれ」という言い方をします。そう簡単にいっても中々できないんですけど。

 勝負の鉄則に「無駄な考えや無駄な行動を省く」ということがあります。考えてもしょうがないことを考えてもしょうがない。負けたらどうしよう。負けてから考えろ。ミスしたらどうしよう。ミスしてから考えたらいい。「余計なことを考えて今できない、なんて冗談じゃない」と言います。できることは足元にある。今できること以外にない。それをやらないと、目標なんか達成できないんです。

 それでは選手が今できることは何かというと、日ごろのコンディション管理、集中したすばらしい練習をすること、試合でベストを尽くすこと。「この3つをきっちりやらないで、優勝しますとか、ベスト4行きますとか冗談じゃねえ」と言います。小さいことにもうるさいですよ。「100%使え」と言ったら98%じゃダメ、100%なんだと。

 選手にも話すのですが、何でそういうことを言うのかというと、運というのは誰にでもどこにでも流れているんです。 それをつかむか、つかみ損ねるかなんですよ。俺はつかみ損ねたくない。だから常につかむ準備をしている。自分でつかみ損ねていて、「運がない」と言っている人をいっぱい見てきました。「俺はそれをつかみたい。お前がたった1回ここで力を抜いたおかげでW杯に行けないかもしれない。運を逃してしまうかもしれない。お前がたった1回まあ大丈夫だろうと手を抜いたおかげで運をつかみ損ねて、優勝できないかもしれない。俺はそれが嫌なんだ。パーフェクトはないけど、そういうことをきっちりやれ」と言います。

 僕は「勝負の神様は細部に宿る」という言い方をします。試合に勝った負けたといった時には、大上段に構えた戦術論やシステム論が取りざたされます。それは大事ですが、勝負を分けるのは往々にしてそういう小さなことの積み重ねなんです。これは もう僕の信念ですね。concentrationではそういうことを言っています。

(中略)

●人間万事塞翁が馬

岡田 僕は色紙などに「座右の銘を書いてくれ」と頼まれたら、大体“人間万事塞翁が馬”という言葉を書くんです。 ご存じでしょうが、中国の城塞におじいさんがいて馬を飼っていたと。馬は当時貴重なものだったのですが逃げてしまった。周りの人が「おじいさん、大変な災いでしたね」と言ったら、おじいさんが淡々と「いやいや何を言う。この災いがどういう福をもたらすか分からん」と言っていたら、逃げた馬が雌馬を連れて 帰って財産が2倍になった。

 「おじいさん、良かったですね」と周りの人が言ったら、おじいさんが淡々と「いやいや、この福がどういう災いをもたらすか分からん」と答えたら、連れてきた馬に乗った息子が落馬して足を悪くした。「いやあ災難でしたね、おじいさん」と周りの人が言うと、またおじいさんは「いやいや、この災いがどういう福をもたらすか分からん」と。そして、戦争が始まって、村中の若者が駆り出されて全員戦死したのですが、その息子は足を悪くしていたので、戦争に行かずに生き残ったというように話が続きます。

 僕は「バーレーンに負けなかったら、どうなっていたんだろう」「ウルグアイに負けなかったら、どうなっていたんだろう」といろいろなことを今思います。そういうことが続いてくると、何か問題やピンチが起こった時に「これはひょっとしたら何かまたいいことが来るんじゃないか」と勝手に思うようになるんです。もうすぐ発表になりますが、今回もスケジュールで大変になることがまたあるんです。それは確かに大変かもしれない。でも、「ひょっとしたらこれでまた何か良いことが生まれるんじゃないか。強くなるんじゃないか」 とだんだん考えるようになってくるんです。

 ずっと振り返ってみると常にそういう連続でした。「バーレーンに負けたおかげで今がある」と思います。そして、ふと自分の手元を見てみたら、僕がずっと探し求めていた秘密の鍵があったんです。これは秘密の鍵ですからお話しできませんけどね。秘密ですから(笑)。恐らく僕があの後、どれだけ机の上で勉強してもつかめなかっただろう秘密の鍵が、のた打ち回りながらでもトライしていたら、手の上に自然と乗っていたんです。

 僕はその時にふと「淵黙雷声(へんもくらいせい)」という言葉を思い出しました。僕は曹洞宗で座禅をするので総本山の永平寺に行った時、宮崎(奕保)※さんという禅師さんに謁見する部屋の掛け軸に書いてあった言葉です。弟子がお釈迦さんに「悟りとはどういうものなんですか?」と聞いたら、深く黙した(淵黙)。しかし、その淵黙が雷のような大きな声を発したように聞こえたと。お釈迦さんは「ここにいて悟りがどうのこうのと能書きを垂れているくらいなら、修行して一歩でも悟りに近づくように踏み出しなさい」ということを無言で伝えたんです。僕はその言葉を思い出しました。自分はああだこうだと頭で考えたり勉強したりしましたが、よく言われる「ともかくやってみろ」「ともかく始めてみろ」ということは本当なんだなという気がし ました。

※宮崎奕保(みやざき・えきほ)……曹洞宗大本山永平寺第78世貫首。2008年逝去。

=========引用おわり=========

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