演劇

2009/09/03

「カウンセラーこういちろうの雑記帳」の主要過去記事を一番簡単に一覧するには

 このブログって、すでに創設4年9ヶ月、過去のエントリー記事総数が、「この」記事で1,914本め、なのに一日あたりの新エントリー、平均1.10本以上を現在も維持、しかも長文が多いという、へヴィー級ブログです。

 おかげで、もはや@ニフティココログが割り振ってくれているサーバー負荷が相当なものになっているせいか、

  • 私の方からトラックバックを送ることがもはや機能しない
  • pingも自動では飛ばせない(その割には随分多くの読者の皆様が、新記事アップ直後においでいただけることを幸いだと感じています)
  • カテゴリーにすべての記事が反映しない(カテゴリーによっては300から400エントリー分表示されようとするわけで)

・・・・・という、新しくおいでいただいた読者泣かせのブログになっていると思います m(_ _;)m

****

 もちろん、バックナンバー全体を表示してくれる、『アーカイヴ』ページ(自身がココログユーザー以外の読者の皆様、お気づきでしたか??? 右フレームの「バックナンバー」という文字そのものをクリックするとたどり着けます)というものも、あるにはあるわけです。

 しかし、このページにお行きになっていただいたとしても、過去の個々のエントリー記事のタイトル一覧があるわけですらない

 このページからの「〇年〇月」を全部めくっていただくだけでも(全く休眠した数ヶ月を除いても、現在50か月分ほどあるわけですね(^^;)。その50ヶ月分、それぞれ月ごとに、毎月30から40エントリーずつはあるわけですから・・・・・

 つまり、私がこのサイトでこれまで書いてきた主要記事がどんなものか、新しい読者の皆さんにおおよその見当をつけていただくには、もうデタラメにご不便をおかけしていることと思います   il||li _| ̄|○ il||li

*****

 この問題を一気に解決し、

  • 新記事の方が上に来る形で、
  • 過去の記事に関しては私がある程度絞り込んでセレクトしたものを、
  • 数百記事ばかり、1ページをスクロールできる形で
  • ブログのような表示の重さがない形で一覧したいただける

そういうページが、実はずっと以前から存在します!!

●阿世賀浩一郎のホームページ/index

 開設1995年12月(つまりWindows95発売直後)開設、日本において、インターネットで個人サイトを作ることが本格的に普及し始めた黎明期から、何と基本的なデザインを変えないまま運営し続けているサイトです。

 かつては、ネットを代表するエヴァ・サイトのひとつ、「エヴァンゲリオン論考」で著名だった時代もありますけど、幸いにして著作化させてもいただきましたので、そのコーナーは全面削除いたしておりますが(「ちーちゃんの部屋」というアニメコーナーがかつて存在したことを覚えておられる方もあると嬉しかったりして ^^;)・・・・

そのトップページから、このブログでの新エントリー記事を書く度ごとに、固定リンクへのリンクを、たいてい速攻の連続作業でお貼りしてもいるのです。

 恐らく、皆様のRSSリーダーに反映するスピードの比ではない「即時性」で「新着情報」が掲載され続けています。

 同一エントリー記事の更新(改版)情報すら、可能な限り早くお伝えしています。

 

そこに並んでいる、当ブログ個別記事へのリンク数は、常時数百あるはずです(古いものから時々、精選のための「ダイエット」をかけますので、一定数以上には増えません)。

 しかし、敢えて今でも、基本的には「素朴なhtml言語の手打ち」に依存し、javaスクリプトすらないに等しいということで、このトップページそのもののバイト数の多さの割には、表示が圧倒的に軽い筈です(このブログのトップページを表示するよりは軽いと思いますよ)

 
当方のアクセス解析によって、「こっちのページで新着情報見つけるほうが手っ取り早い」ことにお気づきの、毎日数名以上の固定ユーザーの方がおられることは掌握しています(感謝!!)。

 しかし、そうした方の占める比率が以前よりもかなり減っているようにも思いましたので、改めてご紹介させていただきました。

 

今後とも、「カウンセラーこういちろうの雑記帳」をよろしくお願い申し上げます。

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2008/09/24

昨日からにほんブログ村に参加しています。どうかよろしく!!(第2版)

 すでにお気づきの方もあるかもしれませんが、やっと昨日午後から参加しています。

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 私のプロフィールはこちらです。


 《2008/9/25 19:08更新》

・メンタルヘルスランキング 573位 -5167サイト中
 └心理カウンセリングランキング 14位 -130サイト中
・音楽ランキング 1022位 -9033サイト中
 └女性ミュージシャン応援ランキング 8位 -60サイト中
・ニュースランキング 392位 -2540サイト中
 └ニュース批評ランキング 60位 -226サイト中
・総合ランキング 29793位 -218968サイト

です(^^)

今後は、以下のクリック、どうかよろしく!


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2008/09/20

「成仏」してもらうためには、「悪霊退散!!」だけではうまくいかない。

 これは、フォーカシングについてのこわーいお話です(^^)


******


 ある位の高い貴族がいました。源の某(なにがし)としましょう。

 彼は以前、出世のために、それまでつきあっていた幼なじみの女性を見捨て、別の女性と政略結婚するばかりか、今後の出世に響きかねない、政治上の秘密をいろいろと打ち開けて来たその女性の存在そのものが厄介と感じましたが、殺すには忍びなかった。

 そこで、その女性の実家そのものにいわれなき大罪を着せ、父母を死罪、一族を、その女性もろとも島流しにしてしまいました。

 女性は、若くして流刑先で寂しく生涯を閉じました。


*****


 ちょうどその頃、源某がついに右大臣に登り詰めたその晩から、怪異な現象が頻発するようになったのでした。

 まず、幾人かいた某の子供が次々と病気になりました。都の彼の屋敷の近辺では、狐火を見たという噂が絶えなくなりました。更に、天候不順で日本中が不作に陥りました。

 こうした中、某自らも塞ぎの虫に取り憑かれ、政務にも出ず、自宅に籠る日々が増えました。

 彼は国内安堵の加持祈祷をたくさんの僧侶に求めました。
 しかし効果は全くありません。

ついには、政(まつりごと)にさし触るという理由で、帝(みかど)から若くして引退し、出家することを勧められるまでになりました。

 そうした晩、枕辺に、おどろおどろしい九尾の狐(王子のきつねではありません.....といっても落語のタイトルにもあらず......)の霊があらわれました。

 彼は恐れおののき、稲荷大権現に参拝し、献金し、更にさまざまな祈祷師に頼みますが、夜な夜なきつねの霊は彼の枕辺に現れ、彼の眠りを妨げるに至りました。


*****


 そうした中、小康を得て、久々に某は少数の家来を伴い外出しました。

 ある他家の屋敷の門前で、門番に厄介払いされ、傷ついたぼろぼろな装束の旅の僧侶を不憫に思った某は、その僧のそばに行き、食べ物と若干のお金を施しました。

 その僧から、

  「凶相が出ておいでです」

と云われた某は、更に彼を屋敷に招き、新しい衣服を与えました。


 僧は云います。 


「その九尾のきつねは恐らく仮の姿に過ぎませぬ。狐の霊が何を伝えようとしているのか、虚心に向き合おうとされましたら、何か答えてくれるかもしれませぬ」 


 某は、その僧にわずかばかりの領地を与え、近隣に住まわせるようかと思いました。

 最初、その僧に大きな寺を寄進しようかと持ちかけますが、僧いわく。


 「小さな庵(いおり)で結構でございます。あとは日々の衣食足りれば」


 某は云われた通りにして、時々僧の庵にお忍びで足を運ぶようになりました。


******


 某は、毎晩、狐の霊が現れる度に、恐れることなく、その霊と対峙しようと試み始めました。

 最初は、狐のおどろおどろしい姿に身の毛が振るえ、布団から顔を出すこともできませんでした。


 「我ながら情けない。どうしたものかのう?」


 と翌朝僧に尋ねますと、


 「しかたありませぬな。最初は布団をかぶったままでもいいでしょう。
 
  ただ、


 『そのへんに狐様がお見えなのは気づいております。

 お姿を拝謁する勇気が出ない私を、どうかお許しください』


 と念じて,そのまま眠りにつくだけでもよろしいでしょう」


 と僧は申します。


 その晩、枕辺に狐が現れた時に、某は僧の言われた通りにしました。

 すると、狐の霊がそばにたたずんでいることに気づきながらも、そのまま安眠することができました。

****


 毎晩のようにきつねの霊は某の枕辺に現れました。

 そのうち、狐の霊を見つめることが怖くなくなってきました。

 最初は怖いばかりと思っていた狐の姿が、実は自分を脅かそうとする様子はなく、静かに、ただ、こちらを見つめているだけであることにも気がつきました。

 「狐様は何を私におっしゃりたいのですか?」

と声をかけてみましたが、返事はありません。

 そのまま沈黙の長い時を、狐の霊と向かい合ったまま、意外なまでに怖さを感じずに過ごすうちに、いつの間にか寝入ってしまう。

 そういう晩が幾晩か続きました。


****

 某は、再び僧の元に出向き、

 「狐様から何の答えも返してもらえないのです。

 そのまま寝入ってしまうことを繰り返しているようでは、

 何か狐様が新たな罰を加えて来られるのではないかと心配になってきました


 僧は答えます。


 「そういう殿の思いをそのまま狐に実際に返してあげてはいかがかのう?」


******


 その晩も狐の霊は現れました。

 そこで、某は、僧の助言通り、

 「狐様のご返事が得られないままであることを、
 まだお許しが得られないのかとも感じ、
 それがしは焦りを感じております」

 と伝えます。

 すると、どこからか女性の声で、

 「きつねは獣じゃ。口をきくわけがございますまい。
  『気配』で伝え、『気』で察するしかありませぬ」

 と。

 それはそうかと得心して、再び狐の霊の方を見ますと、

 そこには、もはや、九尾のきつねではなく、一匹の野ギツネが、じっと座っているだけのように見えました。

 その毛の色は、金色に輝いてはおりましたが。


*****


 某は、そうやって野ギツネに変化(へんげ)した狐の霊と、毎晩出会い、沈黙のまま共に過ごすようになりました。

 もう、怖いという気持ちが薄れ、毎晩キツネが「会いにくる」ことを孤独の中の心の癒しとすら感じ始めました。


 ある晩、思わずキツネに語りかけました。

 「キツネ様は、まるで私を守るために毎晩現れて下さっているようにすら感じるようになりました。私を警護して下さる、番犬のようですらある、こんな番犬なら、現実に飼ってみたいものだ、などという不謹慎な連想すらしてしまいましたが」


 キツネの目が一瞬更に細くなり、満月に照らされて、背中の金色の毛並みが一層輝くかに見えたのは、某の気のせいだったのかどうか?


*****


 その晩、某の夢の中に、あのなつかしい女性の若い日の姿が現れました。


 思わず飛び起きた某は、涙を流しながら、すべてを察しました。


 「お前こそ、そばにずっといて欲しかった人。

  そして、私を守って、魂を癒してくれた、その人であったのに......」 


******


 昔話ではありませんので、この後、源の某がどのように生きたかは、皆様のご想像にお任せしましょう。


 ただ、ひとつだけ言えるのは、僧は、某が再び訪問した時、


 「当面の旅のための蓄えの分だけを謹んでいただきます」


 という置き手紙を残したまま、何処かへと旅立っていたということです。


*****


 これは,フォーカシングを学ぶ人のための、私の創作童話です(^^)


 狐の霊=あなたの中の正体不明のモヤモヤ、フェルトセンス


 ........これだけの説明で、フォーカシング学習者には、更に付け加える言葉は不要かと。


 更に言えば、アン・ワイザーさんの「こころの宝探し(Treasure Map)」ふうかもしれませんね(^^)


●アン・ワイザー・コーネル/フォーカシング ニュー・マニュアル


※関連記事:

●対話で解決しようとばかりする前に(久留米フォーカシング・カウンセリングルーム)


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2007/12/17

手塚治虫の「百物語」とファウスト

 以前、手塚治虫の最初の「ファウスト」のことを、今でも時々ベスト20にカムバックする、長期人気記事のひとつ、"ディック・ミネ、「瀬戸の花嫁」を叱るの巻"でご紹介した。

 この記事を、新ブログ、「こういちろうの夢日記」に転載する際に、ふと、やはり手塚治虫の「ファウスト」は単行本で欲しいと思って買い求めたのだ。朝日文庫版である。

 手塚氏21歳の時の「ファウスト」が、ゲーテの原作のマンガ化としては、わずか120ページほどの作品なのに、ゲーテの長大な2部構成の戯曲を、何とも巧妙に圧縮し、原作のスピリットを再現している傑作であることはその時に書いた。

 しかし、この単行本の後半3分の2を占める、「百物語」という、1971年の作品も、遺作「ネオ・ファウスト」との間をリンクする、日本の戦国時代を舞台とする、「ファウストもの」3部作のひとつであることが、巻末の長谷川つとむ氏による解説を先に読んでしまったので、そのことに気がつく楽しみを失ってしまった(^^;)

 一気に一読したが、確かに、これまた見事な「ファウスト」翻案である。原作のスピリットと、手塚氏の少し毒があるが清々(すがすが)しい持ち味が高度な次元でブレンドされ、いかにも日本的な伝奇物語として、たいへん完成度が高いと感じた。

 ともかく、原作と映像化の関係において、ここまで幸せな関係は、そんなにしばしばは見られないようにも思う。

 

2007/12/08

ayuはセルフ・プロデューサー(第3版)

●Ayu is a SELF Producer : Super TV (Youtube)

●投稿者の解説:

This is documentary of Ayu's sfaff meeting on making a promotion vodeo,"Fly High",probably 1999.


●私のコメント:

The completed promotiotion video is very famous.In the PV,Ayu plays duplicated rolls,"a SINGER-Ayu"and "a Audience-Ayu"."a Audience-Ayu"'s glace is very very cold!!

 そして、実際に完成したのが、この「冷たく客席からみつめるもうひとりのayu」で有名な、このプロモーション・ビデオです。(Dailymotion)


 これを観てから、下のサムネイルをクリックして下さい。

Jhppvflyhigh


 更に、こちらの記事、参照。

●こういちろうのおすすめayu/Fly High


*******


このプロモーションビデオ収録のDVD:

※内容は相当重複しています。前者の「全集」の方が新しいマスタリングの可能性もある?
 後者には確か「公式」メイキングも含みます。

2007/11/20

アメリカの作曲家、サミュエル・バーバーのこと(第2版)

 バーバー(Barber)と言っても理髪店ではない。1910年から1981年まで生きた、アメリカの作曲家である。

 日本では、本来、3楽章からなるエマーソン弦楽四重奏団 - Ives & Barber: String Quartets - Adagio for Strings, Op. 11: II. Molto adagio「弦楽四重奏曲」の第2楽章として書かれたものを、オーケストラの弦楽用に自身が編曲した「弦楽のためのアダージョ」のみが突出して知られている。

 この、「バーバーのアダージョ」は、映画「プラトーン」(オリバー・ストーン監督)で使われたことによって、クラシックファンのみならず、多くの人にポピュラーなものになった。そしてクラシックの名曲集的なCDの定番収録曲になった。

 しかし、アメリカ以外では、この作曲家に注目する人が少なく、日本でも入手が容易なナクソスレーベルにまとまった「管弦楽曲集(交響曲・協奏曲なども含む)があるのを除くと、Amazonですら、入手可能なCDはかなり限定される。まして、バーバーのみで一枚まとめたCDとなるとほんの限られた範囲でしか入手できない。

 そうした中で、Amazonですら手に入らないバーバーのCDを、私は数年前、フォーカシング国際会議でカナダに行った時に、帰り道のトロント・ピアソン空港の売店で衝動買いしていた。

Bestofbarber"The Best of Barber"(米Terac CD80632 HMW Japan一般価格¥1,565)

 このアルバムは、たいへん選曲が優れている。

 弦楽合奏版の「弦楽のためのアダージョ」を冒頭に置く。

 そして、クラシック通には知られている、特に第2主題から経過句にかけてのからみつくようなチャーミングさが親しみやすい、Detroit Symphony Orchestra & Neeme J?rvi - Barber: Symphonies Nos. 1 and 2, The School for Scandal Overture & Adagio for Strings - The School for Scandal, Op. 5: Overture演奏会用序曲「悪口学校」。アイルランド出身のリチャード・ブリンズリー・シェリダンの喜劇に基づく。

 原題は("The School for Schandal"なので、「スキャンダルの学校」の方がいいかも? 

 イギリスでは、シェイクスピアに次いで上演回数の多い著名な喜劇とのことで、内容のクオリティは大変に高い、上流社会の風刺劇のようだ。これ以上戯曲についての解説は読めないままでの推測だけど、曲想は決して皮肉や辛らつなウィットやあてこすりを連想させるものではない。むしろ「反骨の恋のスキャンダル」みたいな空気を何となく感じる。

 松田 弘子さんによる上演日記をつづったサイトで、ティーズル令夫人という16歳の少女の役について「松浦亜弥みたいな声で」と、演出家から指示が出たとある。

 「そうあの方(老婦人)、お酢と水割の牛乳だけで生きてるんですのよ、馬に引っ張らせてコルセットの紐をおしめになって。こないだ、その馬が暴れて止まらなくなっちゃって、ハイド・パークまで引きずられてあやうく胴がちぎれて死にかけるところだったんですって」(わたなべなおこ版戯曲による)。

 この曲の固有の美しいメロディーにはこの少女のイメージが重ねられているのか??? もっとも原作の岩波文庫版(再販未定)があるので、シェイクスピアは好きな私も、今度そっちも読んでみようかと思う。いずれこの件は補足したい。

 さて、さっきのCDの紹介の続き。

 このCDでは、更に、かなり著名なバイオリン協奏曲ピアノ協奏曲の特定の章、オーケストラつき歌曲を経て、「アダージョ」にラテン語のミサ曲の詞をつけたHarry Christophers & The Sixteen - Barber: Agnus Dei - An American Collection - Agnus Dei合唱曲「アニュス・デイ(神の子羊)」という、珍しい曲で終わる。

 CDの構成は実に優れており、バーバーの全体像のコンパクトな入門の一枚として、これ以上のCDはないだろう。演奏者も、スラットキン/セントルイス響をはじめとして一流で、録音もテラークらしい、潤いに満ちた生々しさがある。

******

 一方、Samuel BarberiTunesで手に入るのは、このCDとはほとんど重複しない、限られた曲だが、Barberpianosonataetcピアノ・ソナタ(これは珍しく2種類登録されているが、John Browningの方をお薦め)やチェロ・ソナタ(この曲はブラームスっぽい)など、室内楽・器楽系が多いので、先ほどのCDを補完する「衝動聴き」にはもってこいである。

 自身、コンサートにはほとんど立たなかったが、ピアニスト・バリトン歌手でもあったことから、管弦楽曲のみならず、ピアノ曲・歌曲の分野にも佳作が多い(歌曲はiTunesにはないが)。

******

 彼の曲は、ある意味ではかなり保守的ともいえるが、非常に透明でウェットな、しみじみとした曲が多く、私にとっては、同世代のアメリカの作曲家、コープランドやアイヴズよりははるかに身近である。意外と、ラヴェルの響きに近いと感じるが、大曲はもっと構成的で、ドイツ的伝統に根ざしているが、決して晦渋にならない。

 特に、アメリカの作曲家は苦手、という方にこそ、おすすめ。

 なお、ピアノソナタに関しては、先述のBrowningの演奏の方が個人的には好みだが、「ピアノ独奏曲集(Piano Solo Music)」と題した、ナクソス・レーベルのDaniel Pollack - Barber: Complete Published Solo Piano MusicDaniel Pollack盤も、なかなか聴いていて癒される小品がたくさん入っていて、お薦めである。

 これから、海外廉価盤で出ている交響曲、協奏曲も全曲聴いてみるつもりである。購入はHWM Japanサイトが一番幅広く対応しているようである。

HMVジャパン

2007/04/06

中島みゆきの、夜会 Vol.8、「問う女」

 

 我ながら、自分の、いいものを「目利きで」選ぶセンスには、もっと自信を持ってもいいのかもしれないと思った(^^)

 「問う」
 「話す」
 「聞く」
 「聴く」
 「訊く」
 「通じる」
 

.......こうした事柄について、これだけいろいろな思いを招き寄せる作品を味わえることは、私にとって何とも幸せな体験である。

 言葉を「防壁」にして生きていた女性が、
 言葉の「通じない」女性に
 自分の気持ちを「通じさせたく」なった時、
 彼女は、人生の鍵と、人生の悲劇に真に直面する。

......これ以上は、no more words。

******

 細かい公演日時までは確認していないが、2000年発売ということは、最低で8年前。

 .....ということは、今の私と同い年あるいはそれ以下のみゆきさんということになる。


.......か、かわいい!!


 いいかね、ayu様、

 何をやって生きて行くにしても、40代後半になっても、こういう点ではみゆきお姉様という先達のことを忘れてはなりませぬぞ(^^)

 それを心して、香港公演も成功させなされ!!

 (ayuが「かわいい」というのを褒め言葉と感じるらしいと雑誌で読んだので、半分「わざと」書いてしまおう)

※なお、みゆきさんが放送局のシーンでつけているのは、90年代末期のパイオニアのヘッドフォンだと思います(^^).....持ってたことはないですが。

******

.......ということで、またもや恒例、記事にちなんだ、こういろう愛用の品、アフィリエイト。

 タイ国にちなみまして、

三角枕 マットレス一段つき

 行ったことないけど、タイのおみやげの定番のひとつらしいですね。

 写真から想像されるより、この3角形は大きい。30センチ近い高さになる

 つまり、真っ先に想像されるであろう、この三角形の「頂点に」首筋をのせるという使い方、可能だけど、写真だけから想像されるほど、実際には不自然な姿勢は求められません。

 綿がいっぱい詰まっているロールをつないだみたいな形なので、ウレタンやマットレス製でこうした形を作った場合を想像するよりはよほど「硬くてしっかりしていて変形もしない」ともいえるし、骨材になるものは何もないので、「思ったより柔らかくて肌になじみ、長時間肌が接していても程よく暖かいけど汗ばまない」とも言えます。

 写真のバージョンは、「座椅子」として使うのに最適なマットの長さ。

 さっきも言ったように、芯材とかないので、これを使って「雑魚寝」みたいな態勢をとっても、意外と段差は邪魔になりませんが、ほんとにゆったりしたい人は、マット2段組み、3段組みの製品が(値はその分張りますが)いいかも。

 使用時に長過ぎる分は、それこそ体育館のマットみたいに「折り畳んで」背もたれの一部にししてしまえばいいわけで。

 これ、「膝枕」くらいの形で、片肘ついて、横寝して、本やテレビやラップトップパソコンいじる、床やたたみの生活が実は一番心地いいのに.....というものぐさな人には、ベストの角度です!!

 世の中には「膝枕のための『膝だけまくら』」も売られていることは知ってます(持ってません!)が、こっちだと、よほど抵抗ないかと思います(^^)

2007/04/01

「夜会の軌跡 1989-2002」に途中停車

 久々にみゆきお姉の方です(^^)

 「夜会」については、少し前にやっと「Vol.13 24時着 0時発」をDVDで観た(その時の感想はこちら)のと、数年は前にNHKのBSで組まれた番組の中で出てきた分しか知らないままだったのですが、一種のオムニバス盤みたいのものなんでしょうが、「夜会の軌跡 1989-2002」を中古市場で入手いたしました。

 Vol.13を観てただけでも、こうやって特定の場面だけを切り出されても、何となくストーリーの展開やメッセージの質が予感できる気がして、何も違和感なく堪能できてしまいました(^^)

  それにしても、この人は最初から最初から演技の才にも恵まれていて、曲の持つイメージと一分の隙もなくステージ(というか、舞台というか)で表現できるという点では希有な才能の持ち主だとつくづく思わされた次第である。

 完全に自分の中でビジョンが見えているというか、自分がどのように客席から映っているのかを、幽体離脱して観客の中に憑依して観察もできてしまい、自分の期待した効果を瞬間瞬間に実際に上げていくことができているという感じなのではないかと思う。表情、仕草、声の出し方、すべて皆そういう感じ。ある意味では、「あざとさの極限」なんだけど、それが極限だからこそ、少なくともみゆきのファンにとっては、「はい、これが私の望んだとおりのみゆきお姉でごさいます」とばかりに歓喜のままに受け入れるしかなくなる。

 逆に言うと、みゆきのファンではない人には、それが鼻について仕方がなくなるだろうけど、そういう人は、すでにみゆきの曲や詞の醸し出す「体臭」そのものが苦手な人が多いだろうから、そういう意味では絶妙に「棲み分け」が成立するだろう(爆)

 ともかく、ここまで視聴覚総動員した表現者として「みゆきワールド」を提示できる才覚に彼女が恵まれていたことそのものが、お姉のファンになれた人にとっては、実はものすごい希有で贅沢な賜物として感謝するしかなかろう。

 これからも、個々の過去の夜会で映像が残っているものについては、焦らず、マイペースで収集して味わい、このブログでも感想を書いていくつもりである。

 今回に関しては、Vol.8「問う女」よりの「あなたの言葉がわからない」が、特にみゆきチックと感じて印象に残った。何か私好みのテーマ性がありそうなので、次はこれでいくか!!


 

2007/03/03

「誠意がない」=究極の「いじめ」と「支配」の言葉?(第2版)

 あまり時事ネタやらないタチだけど。

 1.もし、「おふくろさん」に前奏をつける際に、川内氏の了承を得るプロセスを踏まないままだったというのなら、それはレコード会社とプロダクションの手落ちである。

2.川内氏が、森さんがコンサートでこのバージョンを既に前から使っていたことを紅白歌合戦の時以前に掌握していた、と、私は報道で理解してますが。なぜその段階で川内氏は抗議しなかったのか。

3.あのバージョンを「紅白で歌ったから」問題にしたのだとすれば、紅白歌合戦という番組を「神聖視」しずぎていることにならないか。紅白で歌った歌手とそうでない歌手は別の「階級」であるという法律的根拠でもありますか?

4.森さんは紅白以外のテレビ出演であのバージョンを歌ったことがあるのかないのかの情報を私は知りませんが、もし、著作権上、「コンサートで歌う権利」と「テレビ放送で歌う権利」は、別ものという法律的根拠があるのかしら? あるとすればそれが論じられるべき。

5.「おふくろさん」をはじめとする川内氏作詞の森さんの曲を聴けなくなることを歓迎する日本の歌好きなどどこにもいないでしょうに。

6.早い話、契約上の段取りに過去問題があったとして、今後前奏付きの「おふくろさん」は歌わない、という約束と若干の慰謝料で問題解決する以上のことは法律的にも考えられないのでは?


7.著作権問題という「正義」のため?

「権利ノ濫用ハ是ヲ許サス」

と民法第1条第3項にもあります。

(私の「紙の」六法全書は大学学部生時代のだから古い表記のままとします)。

実は、民法典が健全に機能するためには、それがどれだけいい方向に改正されようと、条文解釈と実際の適用に絶えざる議論と吟味が必要であろうと、この条文がいちばん重要なのだと思う。ないとえらいことになる条文なのだ。


8.敢えて問う。川内氏は、過去、お忍びで「自腹で」森さんのコンサートを聴きに行ったことがあるかどうか?

「誠意がない」

って言葉、凄く「危険な」言葉だと私は感じている。

人を果てしなくいじめるために使える言葉。

 逆を考えるといい。

自分が常に「誠意ある」生き方してきたって言い切れる人間ほど、信頼できない人間はいないでしょ?

 あと、似たような言葉で言うと、私がでえええっきらいなのは

「全力を尽くしたか?」

というものの言い方でして。

「私は全力を尽くしました」と言える人間は、まだ全力を尽くしていない余力がある、という論理はいくらでも立てられる。

気絶するまでがんばったら人は全力尽くしたのか?

その人が死んでしまっても「なぜ死なずにがんばらなかったのか」

という論理を使えたりするかも。


*****


この川内さんという人は、

「自分が死んだ後も他の人間は生き続ける」

ということそのものを憎んでいるのかもしれない。

自分が死ぬのが怖いだけなのかもしれない。

「生きること」に「土壇場まで追い詰められている」のは川内氏の方である。

あるいは、大往生の直前に「寛大に許す」日の自分のことを想像して自己陶酔するぐらいしか残された生き甲斐がないのかな?

あるいは、(2chふうシミュレーション)「実は森進一の人気回復のためにぐるになって『芝居』してあげている」のですか? だとすればすばらしい師匠ですね。


****


空を見上げたら、いつまでも空で暖かく見守ってくれるからこそ、先達なんですが。

「世の中の傘になる」とは、いつまでも「支配者でいる」ことだったのかしらね。


あなたがいじめているのは、森進一ではない。

森進一の「おふくろさん」を聴きたい、日本中の人たちなのだ。


あなたのような人がいるなら、みんなまねして子供のいじめが増えるよ。

これは、ゆゆしき「教育問題」である(^^;)

「師には絶対服従せよ」

というのが理想の教育であるというのならともかく。


......以上、寝ようと思ったら、この記事見つけてしまったので。


   この世界はすべてこれ一つの舞台、
  人間は男女を問わずすべてこれ役者にすぎぬ、
  それぞれ舞台に登場してはまた退場していく、
  そしてそのあいだに一人一人がさまざまな役を演じる。
..


シェイクスピアの「お気に召すまま」の、確か幕切れのセリフですね (小田島雄志訳による)。


*****


べートーヴェンが死ぬ前に最後につぶやいたとされる言葉が、

終油の秘蹟を受けたあとで、以前注文していたワインがやっと届いて、

「残念、残念、遅すぎた」

だったと思う。

(最後の秘蹟の後は、ワインもパンも口にできませんから)

 これも、シンドラーとかが脚色した伝説かもしれないけど、

これこそあっぱれな最期の言葉という気もする。


******

●追記:

BGMは、「同じ」紅白でブレイクした、新垣勉さんの、「千の風になって」
新垣  勉 - 千の風になって - Single - 千の風になって

 これって、受け取りようによれば、第2の「おふくろさん」みたいな歌のような。性別を超えてますけどね。もとより、この曲ができた時点では森さんのお母様は存命だったのは知っていますが。

「おふくろさん」へのreplyの曲として聴いてみるのもいいかも。

.....などというあたりで、お二人が「仲良く喧嘩したで終わることを祈ることには代わりがない、平均的日本国民のメンタリティの私なのであった。

2007/02/23

シェークスピアはラブコメの古典でもあるのだ。そして......

 恋愛物語の中で「三角関係」を描く上での人間関係の上での図式には、大きく分けて二通りある。

1..Aという登場人物がいて、B、Cという二人の人間が、Aという人物をめぐって恋愛の上で競争関係にあるケース。

2.AはBを好きなのに、BはCを好きで、CはAを好きという形で葛藤が生じる。

......なるほど、そうだよねえ.......

.......などと、あっさり納得しないように(^^;)

2.の場合、Aが女性だとするとBは男性のことが多く、そのBが恋するCは女性のことが多いということになる。
.....となると、Cが恋しているAは、男性のことが多い筈ということになる!!

 「同性」に恋愛感情を抱く登場人物を登場させない形で、このタイプの三角関係を「異性への」愛の連鎖としてのみ物語を描くには、どうすればいいのでしょうか?

ア:Aは実は「二人の」異性の人間である。(たとえば、そっくりの双子で、あに-いもうと、あね-おとうとであることに誰かが気づいていない)

イ:ひとりは、(素性を隠すなどのため)何らかの意味で自覚的に、異性の扮装やふるまいをしている。

ウ:ひとりは、少なくとも思いを寄せる人から見た外見やたちふるまいと、本人が自己意識している性別が全く異なっている。

エ:ひとりは、(本人は望まないまま)親などからの外部的強制で異性として教育を受けたり、振る舞わされたりしている。

オ:ひとりは、お湯をかけると異性になる(^^;)


 こうした、「順送り型」三角関係ラブコメディの古典のひとつ、それがシェイクスピアの「十二夜」である。

 男が女装したり、女が男装することで相手の目を欺く計略、というテーマそのものは、多くの国に古代以来神話や伝説として数限りなくある。ヤマトタケルノミコトですら、女装してクマソタケルを油断させたことになっている。

 シェイクスピア時代は、日本の歌舞伎と同じように女が役者をすることを禁じられていたので、「男のフリをする女性の登場人物を、男性俳優が演じる」という、しちめんどくさいことになった。ある意味では、女優を禁止していることへの揶揄や皮肉も込められていたのかもしれないけど、この、ジェンダーの超越という主題は、結果的に時代を超えて一人歩きしていく潜在力があったように思う。

 この種の話は、「どうしてこの人が異性だってそう簡単にはバレないんだ!!」ということにこだわると面白みの核心がなくなる。

 たいてい、会話のシーンで、相手方が、

「女(男)なんて、女なんて、信じられないや でええっきらいだ!!」

とぶちまけることになる(なぜなら、その人の恋する相手は他の男性(女性)に首ったけだったりするので)。その相手を慰めたり、「いや、あなたは女性(男性)の心がわかっていません」と時には説き聞かせ、場合によってはそれをもとに喧嘩になる。でも実は、目の前にいるその人を愛していて、自分の気持ちと裏腹に、その愛する男性(女性)の恋愛の手助けすらしなければならなくなるあたりの屈折。

 このあたりを、いかに細やかに表現できるか、あるいは、例えば敵国同士、民族や宗教や身分・経済格差や性差別の問題、などという設定を加えてどのように生かすか。更に他の登場人物の恋愛や奸計などのエピソードを交えて、起伏に富んだスリリングな展開にできるか。

 この前記事を書いた、「恋に落ちたシェイクスピア」は、「ロミオとジュリエット」と「十二夜」を完全合成して、更にメタフィクション化するという、高度な脚本術に基づいているので、「恋に落ちるシェイクスピア」を観た後で、「十二夜」単独の(?)映画をを観るというのは、妙に、もの足りなくもなってしまった。

 でも、いかにもイギリスという美しい自然と、敢えて19世紀後半ぐらいに舞台を移してみていること。そしてスキンヘッドの道化役(!)の俳優の存在感、いかにも古くからのイギリス民謡風だけど、敢えて19世紀的な楽器編成で唄われる挿入歌。加えて、ヒロインでは「ない」方のお姫様役を、かなり現代的な、コケティッシュな雰囲気のわがまま娘にしたことで、エキセントリックさは乏しいが、気品ある内容になっているとは思う。

*****

 ちなみに、ローレンス・オリヴィエがヒースクリフを演じるモノクロの「嵐が丘」も同時に観たんですけど、実は私、「嵐が丘」って、原作もどんな内容かもしらなかったのです (^^;)

 これまた、シリアス系のメロドラマの、永遠の「古典中の古典」そのもののストーリーではないか。

 ご存知の方には、何を今更.....でしょうけど(^^)

 

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