2009/05/06

本日の「久留米探訪記」追加 : 祇園山古墳と高良山参道入口近辺

●卑弥呼の墓説もある祇園山古墳

●高良山 その1 -高牟礼の誇り-

(いずれも「カウンセラーこういちろうの久留米探訪記」サイトより)


Image501b
↑高良玉垂宮参道 二の鳥居。歩いて登山して参拝なさる方のみならず、ここからが絶好のトレッキングコースでもあります。


 もっとも、残念ながら、30数年ぶりに、


●こういちろう、キジネコ軍団のリーダーとして高良山にツーリングして、打ち上げ宴会で盛り上がるの巻 (こういちろうの夢日記)


に一気に再チャレンジすることまでは、高良山の山の神様と対話した結果、取りやめました(^^;)


Image502
↑ 実は今回は、まさにこの高良山を取り囲む「結界」としての、「高良山神籠(こうご)石」のある箇所までは登り、下り坂のライダー気分はそこそこ堪能したのですが。




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2009/04/17

「なればいいのよ、あなたがなりたかったような、そういう大人に」


コネタマ参加中: あなたのTOUCHING WORD(大切な言葉)を教えてください!


 この言葉については、かなり以前に記事を書きました。


●なりたかった大人になればいい


 アニメ映画「メガゾーン23 PartII 秘密く・だ・さい」(板野一郎監督 1986年)

で、その世界を司るバーチャル・アイドル、時祭イヴ宮里久美に完全に中森明菜もどきを歌わせたことでも著名な作品)が、クライマックス直前に主人公に語るせりふです。

メガゾーン23 DVD-BOX(初回限定版)


 ジョージ・オーウェルの「1984年」も下敷きにしていたであろう、あまりにも、あまりにも、時代を先取りした作品でした。

 詳しくはgoo映画の私のレビューを読んでね!!

●メガゾーン23 PARTⅡ 秘密く・だ・さ・い(1986) - goo 映画


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2008/09/12

「素朴な夢分析でもカウンセリングに生かせる」、開業サイト記事として改訂の上で転載

 すでにこの「雑記帳」記事として公表したこの記事に更に細かく手を入れたものを、開業サイトにも転載いたしました。

 ●素朴な夢分析でもカウンセリングに生かせる(久留米フォーカシング・カウンセリングルーム)

 この「雑記帳」での掲載記事よりも明快な内容にすることを心がけました。

 きっと、再度お読みいただくに値すると思います。

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2008/08/13

「私はカウンセリングを受けに行っていいのでしょうか?」


 いきなり、少し奇妙に見えるタイトルのつけ方をさせていただきました。

 普通なら、


「カウンセリングはほんとうに私の役に立ちますか?」


だとか、


「私はカウンセリングに向いていますか?」


というタイトルにしそうなところで、このようなタイトルに敢えてしてみたのです。


 ・・・・といいますのは、皆様の中に、カウンセリングを受ける、ということに、いろいろな情報や既成概念から生じる「しり込み」があるのではないかと感じたからです。


例えば、


「カウンセリングを受ける人は、『心の病気』にかかっていないとならない」

「カウンセリングを受けるには、具体的で、『深刻な悩み』を持っていなければならない」


.....というふうに思われている皆さんは少なくないのではありませんか?

******

 更に、思いつくままに例を挙げてみましょうか:


「純粋に経済的な問題(クレジットカードの支払いができなくなった)や、法律が絡みそうな問題(「アダルトサイトにアクセスしたら、高額の料金を請求された」の域から、「離婚」や「遺産相続」に関係することなどを含む)を、心理カウンセラーに相談するのは筋違いでしょ?」

「自分の学校(勤務先)にカウンセリングルームがあり、週〇回カウンセラーがいるのに、そこに通う勇気が出なくてここに来ました」

「カウンセラーは、話をじっくりときいてくれるのが仕事で、結局は、私自身が解決への答えを見つけないとならないのですよね?」

「家族や身近な友人や上司や恋人同僚に相談できないこと自体が問題で、カウンセリングを受けるしかできないというのは、それだけで恥ずかしいことと思えて」

「私は、これまで、精神科医や他のカウンセリング機関でけむたがられ、厄介者扱いされてきた気がします。こんな私でも引き受けてくださいますか?」

「これまでのカウンセラー(精神科医)に不満を持っているのですが、まだ止めてしまう決心がつきません。とりあえず『セカンド・オピニオン』をうかがうために来談する...なんて、ズルいやり方ですか?」

「私、ある歌手が本人のブログで、私のファンレターを意識しながら記事を書いている気がしてならなくて。これを友たちに話すと、『妄想も程々にしたら?』と言われてしまって。私って『精神病』なんですか?」

「私は今この問題が解決したら十分と感じていて、私自身が人間として変化したり成長する必要はないと感じているんですけど」

「私の住んでいる地域に便利な精神科医やカウンセラーを紹介して欲しいためにだけ、相談するなんて非礼なことですよね?」

「うちの子供は引きこもったままで、決して自分からはカウンセリングに出向こうとはしないみたいです。問題の当事者がカウンセリングに出向かないようでは何の解決にも結びつかないですよね?」

「カウンセラーって、カウンセリングの勉強は十分なさってきたでしょうけど、世間のことはよくご存じないと思うので、相談しても失望するだけではないかという不安も消えなくて....」

「私は、カウンセラーや精神科医の前でも言いたいことがいえないんです。そのことであとでムシャクシャして、感情的になり、カウンセリングや医療が長続きしたことっがないんです。先生のカウンセリングを受けても結局そうなっちゃうかもしれない。それが悩みなんですけど」

「熊本県の八代から、先生のカウンセリングに月一回だけ通おうなんていうの、無理ですよね?」

「実は、私の友人がカウンセリングに行こうかどうか迷っているのでそのことについて相談に乗っているんですけど、私は自分が体験したものでないと信じない主義です。だから、ともかくカウンセラーというものに会ってみたいので申し込んでみただけなんです。その子は別に先生のカウンセリングを受けたいといっているわけでもないのですがが、いいですか?」

「要するに私は愚痴の聞き手が欲しいだけです。自分から問題を解決しようという意欲なんてない、根性なしですから。だから、私をいい方向に改善しようなどとはしない、という条件でカウンセリングを引き受けて下さいますか?」

「この世の中には、私よりもっと苦しんでいる人、がんばっている人がたくさんいると思います。私は自分に甘えているだけです。こんな私にはカウンセリングを受ける資格などなく、ほんとうに悩んでいる人たちからの相談に、先生の時間を使っていただくのが筋だと思います」

「私の仕事は、毎週休める日が変わる勤務体制です。突然休日が変わることもあります。これでは『定期的に』通うことなんてできないなと思っているのですが」

「私は、何が何でも『認知行動療法』のセラピーを受けたいんです。でも、先生は『フォーカシング』がご専門ですよね....」

「私は会社の人事課長なんですけど、いつの間にかいろんな職員の悩み相談担当みたいな役割を背負わされて困っています。そういう際に役立つアドバイスを伺いたいのですが....」

「私自身が教師(看護士、医師、僧侶、警察官、社長、カウンセラー!)なんです。むしろ人の相談に乗り、人を支え、指導しなければならない立場です。こんな私がカウンセリングを受けることなど許されないことのような気がします」

「職場や家族に黙ったまま、その人についてよそでベラベラ相談するなんて、よくないんではないかと......」

「ともかく私の見たすごい夢について、一度、心理の専門家である先生に解説してもらいたいだけなんですけど、友人に『そんな占い師みたいな扱い、プロの心理の先生に失礼だよ』と言われてしまって...」

「この年になって、実は童貞なんです。こんなこと、カウンセラーさんに相談してもどうにもならないでしょ」

「私はクリスチャンですが、自分の信仰に疑問を持っています。こういうことを相談されてもお困りですよね?」

「カウンセラーを『金で買う』なんて、精神的な売春婦(ホスト)に金を払うようなものという気がする」

「カウンセリングって、何十回も、定期的に通い続けないとならないものなんでしょ?」
「私、カウンセラーになりたいんです!! ....なんていう動機で相談するなんて、ありですか? 」

「心の問題を見つめるなんてやりたくない。私の症状はストレスから来ている面が大きいと感じていますけど、症状だけ軽くなることを目指す、なんて不謹慎ですかね?」

「カウンセリングに通い続けていたら、最後にはそのカウンセラーの流派のカウンセラーになるように勧誘されるかもしれないと不安なんです」

.....以上の例の中には、


「うん、うん、自分もそうしたことを気にしたことがある」


というお感じの例もあるかもしれませんが、

その一方、


「そんなことを気にする人もあるの?」


とお感じの例も多いかもしれません(^^)


私は感じます:

「そういう不安をお持ちの方こそ、気軽にお問い合わせいただきたいなあ」

....と。

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2008/08/03

久留米フォーカシング・カウンセリングルーム 公式サイトはこちら

 久留米での開業再開情報です。


 久留米フォーカシング・カウンセリングルーム 公式サイト

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2008/07/16

素朴な夢分析でもカウンセリングに生かせる(第3版)

 夢フォーカシングを開業カウンセリングルームの柱の一つとしてうまくヒットさせられなかったことも、私の心残りのひとつである。

 夢フォーカシングの基本的なやり方を実践的にマニュアルとして改めて書いてみることも、関東を離れる前にやってみたいことである。

 しかし、これを機会に、まずは、「夢フォーカシング」技法云々以前の問題として、そもそも、カウンセラーなら、流派を問わず、面接の中でクライエントさんが報告する夢を、面接内で役立てることは実はそんなに難しいことではないのではないかということについて問題提起したい。


*****


 クライエントさんが夢を語った場合に、それを単に受容的に聴き、面接記録にとどめ、事例検討会やスーパーバイザーに、「この夢にはどんな意味があるのか」と問いかけるだけしかしないカウンセラーの方は、現実には少なくないようである。

 たいていのカウンセラーは、見た夢の意味についてクライエントさんに面接の最中に問いかけられたら「引いて」しまい、その場ではj柔軟かつ積極的には取り扱えないという現実があるように思う。

 これからカウンセリングを受けようという皆様。
 意外かもしれないけども、この点では期待はずれに終わることが少なくないと覚悟したほうがいいと思う(^^;)


*****


 はっきりと断言したいが、フロイトやユングの夢分析についての体系をきちんと学ばなくても、現場カウンセラーとしてそこそこの域にある人は、クライエントさんの夢を面接場面で生産的に活用できる。

 面接場面での夢の扱いにおいて、解釈のための知識ほとんどまったく必要ないと断言したい。


*****


 夢の意味を知るとは、夢に意味について、まるで辞書を引くようにして答えを出すこととはほとんど関係ない

 たとえば、


A:「狭い洞窟(や長い穴)をもがきながら必死にどこかに行こうとしている」


という夢を見たからといって、


「子宮から膣を通って外に出ようとしている。親離れしたい気持ち、生まれなおし、死と再生」


などという知識を単に「知っている」ということだけでは、ほとんど何の意味もないと思う。

 カウンセラーは、クライエントさんが、その夢の中で、具体的にどんな気持ちで、どんな風に実感しながらその体験をしていたかに、身体ごとクライエントさんの身になって追体験して味わってみるつもりになるといい。


A1:「井戸みたいなところを登ろうとしていて、地上から光がかすかに差しているんだけど、上から誰かが土を少しずつ入れて来るのか、口のなかに土が入ってきて、ジャリジャリして、それを吐き出すだけで、一向に登れないんです」


.......とクライエントさんが夢体験を語る場合と、


A2:「私の身体は横向きみたいなんだけど、壁は何かゴムみたいで、ぬるぬるしていて、いくら前に進もうとしてもなかなか進まない。でも、私はそのぬるぬるを感じながら、少しは前に進めるかなともがいているだけでも、何か希望のようなものは感じていて、その状態が、不安というより、何か心地いいんですよ」


.......と語る場合とでは、実感の上でかなり別次元の、その時そのクライエントさんなりの実感体験を夢の中でしていた可能性があるのではなかろうか。

 いきなりその人の夢体験を、一般化、抽象化し過ぎないことである。


 ここまで追体験できるためには、クライエントさんがまさにその夢の中でどんな体験をしていたのかについて更に語ってもらう必要があることが少なくないことはいうまでもなかろう。


●「その夢を観て自分ではどう思った?」

●「夢の中ではどんな気持ちでいたの?」


 この水準の問いかけですら、クライエントさんに試みていないことが少なくないようにも思う。


 これだけですら、夢についての更に詳細な本人の描写や、夢の中での(あるいは、夢についての)本人の気持ちが語られ、(現実のクライエントさんの状況を含めた)クライエントさんの心情の理解が深まることは多い。


 また、を本人がどう受け止めるかそのものに、その人がすでにカウンセリングの中で語ってきた現実状況の受け止め方と共通の認知様式が見出せることも少なくないものである。

 更に、クライエントさんの夢の中での体験の実感を、カウンセラーが自分の身体に呼び起こすつもりで受け止めていたら、それだけでいろんな連想がカウンセラーの中にも生じるはず。

 そこから、クライエントさんに何らかの応答をする糸口が開けるはずです。


******


*そういう時の、カウンセラー側からの誘発的な質問のヒント:

●1.夢の中のどの部分が一番印象的だった?


 長い夢でも短い夢でも、クライエントさんにこのように聞いてみると、カウンセラー側の想像とは別の、あらすじからは省略そうな一見地味な部分をクライエントさんは語り出する場合があります。

A1:の場合だと、

例えば、


ア:「地上からさし続ける一筋の光が何より印象的でした」

イ:「その光が時々さえぎられてチラチラするのが不思議と面白かったです」

ウ:「実は光そのものではなくて、紺碧の空の色に惹かれていたことに気がついた」
(井の中のかわず大海を知らず、されど空の青さを知る.....などとカウンセラーが連想したりして)

エ:「実は口の中に入ってくる土のじゃりじゃりする感じはうっとおしかったけど、上から土を投げ入れる人らしきもの......実は姿は見えないんです......への恐怖とか憎しみとか、このまま埋まってしまうじゃないかという不安は感じていなかったんですよ」


..........などと、カウンセラーの予想外のことを言い出す可能性があります。

 こうした場合、カウンセラーが自分なりの解釈のこだわりとしての「これが重要だ」という理解に固執するべきではないと思います。

 そではもはやクライエントさん自身の夢体験を大事にしながら相手をしているのではなくなります。

 カウンセラーは、クライエントさんの反応に基づき、改めて感じなおして味わってみる必要が出てくるかもしれません、その結果、それまで自分なりに身になって感じてみていた感覚それ自体が大幅に変化するかもしれません。

 そして、仮に今述べた、エ:のパターンだったとすると、

Co:「ジャリジャリ感が印象的だった?」
Cl:「ええ、それをウザイと感じたんですけどね」


****


 ここで、


●ヒント2:夢の中での実感と同じような感じを現実場面でも味わったことがあるかどうか?

夢の中で感じてたような、そういうウザさって、最近でもいいし、以前にでもいいけど、実際に感じたことありそう? ちょっと探してみるのも面白いかも」


 これに対して、クライエントさんは、例えば、

そういうウザさ........そうですねえ。ある気がする。すぐにおもいうかばないけど」

カウンセラー:「しばらく探してみたら?」

「こういうウザさか。.......(沈黙20秒)......何か言おうとすると、いろんな横槍が入るように感じるんです。横槍って言っても、その人たちは私を言い負かそうとか、押しとどめるとか、批判しているしているわけではなくて、私と関係ない話を自然に投げ出しているだけ。......そう、そういう人たちは、ごみをゴミだめの穴にポイと捨てるような世間話のつもりで話しているだけで、その下に私がいるとかも気がついていない。......そういう世間話を聞くだけで、ウザイんですよね。最初言いたかったことをそのまま口をついて出なくなって。そういう人たちを別に憎いとは思わないんだけど、それくらいで言いよどむ自分が情けなくて。なぜそういう世間話だけでウザイのかとなると自分でもわからなくて」

などと話し始めるかもしれません!


 夢の中での体験が、その人の現実生活の暗喩になっていることをクライエントさんが鮮やかに語りだすわけですね。


 こうなると、カウンセラーが多少更にアシストさえすれば、もはやカウンセラーのありきたりの解釈では到達不能で、ひょっとしたらそれまでのカウンセリング全体で話題にすらなっていなかった、


 週刊誌的な俗っぽい話を耳にするだけで調子が狂う自分って潔癖すぎるの? 

 私の仕事への姿勢は純粋すぎるのだろうか? もっと「『泥』臭さ」も必要?

 仕事にも恋にも、「清『濁』あわせ呑む」したたかさがいいのだろうか?


 .......などというさまざまなテーマについて、カウンセリングが進み出すきっかけになるかもしれないのです。


*****


 同じシチュエーションで可能そうな、カウンセラーからの別の問いかけ:

●ヒント3:クライエントさんの実感に即して、夢のストーリーを三題話くらいに要約して提案してみることもできます:

「何かを必死にやっていた。
 一歩足を踏み外すとおしまいだ(奈落の底に落ちてしまう)と感じている。
 何かが自分に降りかかってくるのがウザイ」

 すると、クライエントさんのほうは、

「いや、夢の中では、そんなに一歩誤ればおしまいになるような恐怖はないんです。結構「踏ん張れている」なと。多少はいろいろ降りかかってはくるけど、口の中のシャラシャラがウザイ、ぺっぺっ、くらいでしのげている自分がいるんですねえ」

 こういう展開でも、何も問題がない。

 カウンセラーにとって、思いのほかしたたかなクライエントさんの一面にはじめて気がつくきっかけになるかもしれません。これだけでも生産的でしょう。


*****


 ●最後にもうひとつ、これはクライエントさんの対話では直接言わないとしても、役立つヒント:


 クライエントさんの語るいくつかの夢を、シリーズとして捕らえてみることはいろいろな連想を生みます。

 特に、内容が一見別の夢のようでも、実は共通のパターンが隠れていることがあります。


 「自分が再受験をして、思いもよらないくらいにいい大学に入れた夢を見ました。学生や教授も歓迎してくれます。でも、私は、いつ、自分の能力がその大学にふさわしいものではないか、化けの皮がはがれることを少し恐れているようです」

 「私は戦闘ゲームの世界の住人になっています。自分の身体にビームが打ちこまれる痛みを何回も感じているのですが、なぜか死なないでゲームに参加し続けているみたいです。幽霊になったのかな? それだけでも凄い急迫した恐ろしい体験なのに、そのゲームがバージョン・アップしたらしく、敵の攻撃が更に恐ろしい兵器に変わって行くのです」


この二つの夢の共通パターンとして、あなたは何を連想しますか?

****


私が、クライエントさんが見た夢を題材にしてカウンセリングを深めるのには「知識」は要らないと申し上げた意図が、少しは伝わるでしょうか?

 もっと別の種類のカウンセラーの柔軟さと感性の豊かさなんですね。

*****

.......なお、

    この記事(第3版追加部分)には、

    異次元ワープじみた余談がある。 


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2008/07/14

治療は患者の権利であって義務ではない。

昨日の朝、長い夢を見た。その夢の最後で、関東でお世話になったある先生との対話の中で私の中に思い浮かび、自分でも得心した途端に目を覚ました言葉である。

ここでは、私はカウンセラーを生業としているのだから、当然心理療法を含むセラピー全般をまずは指しているのだが、どうも夢の中の私は、そこに薬物療法も含意していたようである。

ひろく医療全般にすら拡張してみると興味深いのだが。


*****


例えば、鬱状態を「治療する」のは誰のためなのだろう。

家族や職場などに「迷惑をかけない」ためなのだろうか?

職場復帰のための労働者としての「義務」なのだろうか?


認知症の治療は家族や社会に悪影響を与えないとことまで老人が回復する「義務」があるからか。

医者や心理療法家は、患者やクライエントを「治癒すること」(健全な生活に戻すこと)を強いるのが「正当」なのだろうか?


カウンセラーや精神科医の提起した、成熟や人格的成長についてのある具体的な到達目標を、クライエントや患者は目指「さねばならない」のか。

社会に害悪をもたらす犯罪者や、働かない人間は、「セラピー」によって改善されることを甘んじて受けねばならないのだろうか。

患者やクライエントさんは、治療者の意図する治療目標に同意し、協力する「義務」があるのだろうか?


*****


単に社会的身分や給与や休暇の保証、治療機関や治療スタッフの整備という観点を超えたところで、個々人の行使可能な「権利」の保証という観点から、治療を受けること、カウンセリングを利用することをとことんとらえてみたら、どうだろう。

ひとつの逆説として。

肉体的/精神的健康とは何かを我々は専門家から押し付けられ、それに従わねばならないのか?

あなたは、医者やカウンセラーの言われるがままに「治されねばならない」のか?

「治したい」と思わねばならないわけではない。


現状の精神的/身体的な苦悶や苦痛や差し障りを、自分なりに「何とかしたい」ので、あなたが精神科医やカウンセラーを専門技能者として「雇う」のである。

その「雇用費用」を補償したり援助したり調整したり肩代わりするために、企業や団体や行政機関やNGOが資金を出したり、専門家を「雇い」そのための場と機会を整備するのだとすれば?


.........以上、ひとつの思考実験として。

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2008/02/11

箸休め:私のYouTubeのプレイリスト。

 ●おまけ:私のYouTubeのプレイリスト

 実は結構ポリシーがあること、続けてご覧頂くとおわかりになるかと(^^)

 更に詳しくは、拙書「エヴァンゲリオンの深層心理」の第1章をお読み下さい(^^)


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2008/02/10

自分の夢を実現するということ

 以前も書きましたけど、私は、フォーカシングの世界に入ったら、いろんな先達の素晴らしい先生がいて、疑問があればそれらを皆すらすらと教えてくれると進じていたんですね(^^;)

 ところが、現実にはそうでなかった。

 しかし、私はそれでもフォーカシングの可能性を信じ続けたわけです。

 つまり、私のイメージ通りのフォーカシング....現場臨床場面にも、さりげなく、柔軟に使えるフォーカシングというものを、ある意味で20年かけて、「1から創造した」のです(^^;)

 一見既成の技法通りのレディ・メイドに見えても、実は私の手作りのセルフ・オーダーメイド。

 つまり、ブランド品と寸分違わぬものを、自分の手作りで作れるようになってしまった(^^)

 そして、それに対して、とっくに資格製造元からお墨付きもらっちゃってるわけだから、私=正規ブランド、模造品にあらず、なんです(爆)

 ある意味では、特定の流派にコミットして、更にそこから突き抜ける形で自分の臨床の世界を見つけるというのも、好ましいあり方だと思っています。

 その意味では、分析系の人が、本格的な精神分析訓練を受けた上で、敢えてそれを突き抜けるところまで行って欲しいと念じています。

 学会発表もしない、「地上の星」の臨床家の中に、そういう人がたくさんいたのではないかという件については、全く賛成ですね(^^)

 only oneであると言うことは、「他人と違う」と言うことではない。

 ユングのいう「個性化」は、むしろ人生前半での「アクの強さ」=自我(ego)の偏りが一見失われ、平凡化していくかに見える過程。

 それが、「自己(self)」の全体性への統合の過程なのだから。

 だんだん、自分がロジャーズの論じたとおりの面接でも現場で通用し、クライエントさんが着実に自分の道を見つけていくと感じるようになった、今日この頃。


 BGMはもちろん、槇原敬之さんの、槇原敬之 - NORIYUKI MAKIHARA SYMPHONY ORCHESTRA “cELEBRATION” - 世界に一つだけの花「世界でひとつだけの花」

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2008/01/23

「もうひとつの私の人生」TimeLine版、登場!!(第2版)

 この記事で言及した、私の大学生の頃の「白日夢」の体系を、そのまんま紹介する上で、@niftyのTimeLineサービスがいかに使い勝手がいいか、気がつきました。

 これ、歴史小説とか、年代記的ファンタジーを構想していく上で、ひどく興味深いメディアかもしれない。書き込める人をひろく一般に開放したり、数名の共同制作にすれば、もう、むっちゃくっちゃエキサイティングなコラボレーションでクリエイティビティを発揮するではないですか!!



さあ、皆さんも、これで自分だけの物語を作ろう!!


*****


 ちなみに、この内容、浜崎あゆみさんが登場しますが、これは私が後に(.....おいおい^^;)実際に浜崎あゆみファンになったからつじつまをあとで合わせたのではないのです。私の昔からの妄想にあまりにぴったりな歌手がayuだったから、ayuを好きになったというほうが正しい(きっぱり)

 彼女の浜崎あゆみ - I Am... - Dearest"Dearest"が本来、「犬夜叉」のエンディングでもあったということを知ったのは、ayuファンになって一年近く経ってからでして、その時は物凄いショックを受けました。「彼女」は「人気アニメ」のエンディングを歌って有名になる人でないと困るのに、マジにそうだったからです(^^;)

 ちなみに、この「もうひとりの私」の世界では、現実のayuが大活躍を始めた西暦2000年に、もう一人の私は享年40歳で不慮の死を遂げることにもともとなっていました

 それに免じて、この「パラレルワールド」で、私が「彼女」を残して先に死んでしまうという結末に至るあたりまで、敢えて「浜崎あゆみ」という名前を使うことを、ファンの皆様、同じayuを愛する同志として、どうかお許しください。

 ayuと同世代か、もう少し上のayuファンの男性諸君、一度もそういう妄想をしたことがないとは言わせませんぜ!!


******


 なお、この中の個々の記事をクリックすると、私の好きなクラシックの名曲の私の好きな名演奏へのAmazon推薦リンクにもつながっているわけです。どうかご活用を!!

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2008/01/13

大船でフォーカシングを学ぶ会 1/13報告

 本日の「大船でフォーカシングを学ぶ会」も、無事に終了いたしました。

 今日は【A日程】。通常の通常の第1日曜日より、1週間遅れて開催。
 (おかげで来週日曜の20日には続けて【B日程】開催となります)

 今日については早くから予約満員御礼でしたが欠員も出ましたので、少し会場に余裕がありました。


*****


 今回は、久しぶりに内容のパターンが変化しました。

 第1部:「こころの天気」(全体)
 第2部:身体感覚中心のclearing a 短縮版
 第3部:参加者から出された「感じを感じられない」こと、および、瞑想体験とフォーカシングの体験と類似性についてのフリー・ディスカッション。
 第4部:阿世賀オリジナルの、中断した夢をホールボディ・フォーカシングで完了に導く新技法の紹介

という構成でした。

 第2部の、土江正司さんの「こころの天気」の当「学ぶ会」での実施ははじめてだったのですが、私は、参加メンバーの中の、その時「こころの天気」の自分の絵をプレゼンテーションする人に、

「他の参加者に質問を求める権利」
「参加者にどういう質問をして欲しくないかを事前に提示する権利」

を保証するためのファシリテートの原則を独自に即興で編み出しました。その結果、絵をプレゼンテーションする人に主導権を委ね、全員が主導権を持ち回るということを、初学者の方を含めて、全く円滑に実現しました。

 その結果、一枚の絵を巡ってのやりとりが、プレゼンターの人を主役とする、グループ・インターラクティヴ・フォーカシング的な場になり、非常に密度の濃い相互作用になることをお互い見出しました。

 第3部の2つのテーマは、自然発生的に、質問タイムが発展して成立したのですが、「瞑想とフォーカシング」「感じられない感じ」についての話題が、まさにそのテーマの口火を切った人が主役になれる、インターラクティヴな場になるように、私が場をファシリテートすることがうまくいきました。

 はじめての参加者すら、「場の主導権を持ち回れる」「先生役が取れる」という、いよいよ私の理想としていたスタイルに近づいてきました。

 この第3部でのディスカッションの内容の一部は、参加者の皆様にご承諾いただきましたので、記事を改めてご紹介します。非常に大胆な仮説が、皆様とのディスカッションの中で生まれましたので。


******


 次回は、前述の通り、1/20(日)【B日程】ですが、まだ若干空きがありますので、エントリーお持ちしています。

 2月は、

【A日程】2/3(日) 13:00-18:00
【B日程】2/17(日) 14:45-19:00

の予定です。


*****


 継続的な参加を必要とする内容にはいたしません。

 第1、第3日曜のいずれかのみ参加、
 敢えて月2回とも参加、
 更に、ランダムに参加されること等、ご自由に選んでいただければと思います。

 ただし、開催日前日夕刻までに、どの日にご参加希望かのエントリーを、継続者の方も、メール・ファクス・電話等で必ずお願いいたします。8人定員を遵守いたします。

******


 更に付言しますと、第1日曜の「学ぶ会」開催日については、夜19:00以降の個人カウンセリングの新規申し込み、第3日曜については、15:30までに終了するカウンセリング・フォーカシング個別指導・ケーススーパービジョンの新規申し込みも受け付けています。
 

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2008/01/09

もうひとつの私の人生(^^)

セーイチさんのブログのコメントで、私が中学時代に「実際少し交際した」上で失恋して以来、ずっと抱いていた白日夢をカミングアウトしています。

http://purely0307.blog79.fc2.com/blog-entry-199.html#comment1073

 このコメントをしたセーイチさんのエントリーと皆さんのコメントそのものが興味深いもので、その脈絡で2度目は読んで下さい(^^)

 この白日夢を読むと、私のいろんなことが納得いくかもしれない(^^;)


 ayuのファンになることすら、予定されていたできごとなのでっす(^^)


 ・・・・・ちなみに、この白日夢の詳細を、「のだめ」「ピアノの森」に続く作品を探しておられる出版社にお売りしてもいいです(爆)  

  実は中編小説にすぐに書けそうかけそうなくらいに、個々のシーンや台詞、そして一種のメタフィクション構造、および、語り手の登場人物によって、芥川の「藪の中」のように物語が異なって見えてしまう様式まで、詳細そのものに妄想体系が確立してますので。

 詳しくはこのページをご覧下さい(よくここまで公開するね全く^^
;)

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2008/01/06

夢:こういちろう、ものすごいサクラ応援システムを背景に、発達障害の卒業生の裁判に協力するの巻

 恒例、「夢日記」ブログの方です。

 さっきこのブログで言及した夢は、もちろん非公開

 今朝にかけて観た、もうひとつの別の夢ですね(^^;)

   http://blogs.yahoo.co.jp/kasega1960/866341.html

 私の夢は、覚えているのはたいていSFじみていると同時に、妙に私の未来を予言している気もする。


 今回の夢は、バーチャルな今のネット社会についての、象徴的な夢ともいえますが、私の後味としては、非常にしたたかでポジティヴな夢です。

 是非、読んでみてください。

なぜ「ベン・ハー」かは、記事を読めばわかります!!

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今年の恋愛への抱負:敢えてとことん高望みしてみる(第3版)

 このように言うと、これまでお付き合いしたり、結婚してきた女性にたいへん申し訳ないのだけれども、今朝の夢でひとつ悟ったこと。

 私には、どうも、私からすると物足りない側面があると最初から気づいている女性と交際を進めたくなる傾向があるようである。

 それでも交際を始めてしまうのは、私の「自尊心の低さ」「卑屈さ」であると気がついた(誤解されるのを覚悟でこの表現を使おう)

 もとより、平均的な人とは何か異なる一貫としたポリシーが必ずあるんだけど、たいていの場合、私から見て、ある独特の「了見の狭さ」「柔軟性の乏しさ」があることに、早い段階から気がついているのである。

 ポリシーがあることと、ある種の狭量さは、表裏一体のものかもしれないし、実はそれは私にも別の形であるかもしれないのだけれども。

 そして、別の男性にとっては、その女性は十分に魅力的な、かけがえのない、末永く続く女性になれるのかもしれない。だとすれば、そういう彼女の時間を奪い、心や身体をもてあそんだことには、むしろ罪悪観を感じるし、そういう私に付き合ってくれたことに感謝もしています。

 ただ、今にして思えば、そうした面での「私にとっての」違和感を早くから覚えているのに、交際を深めようとしたことそのものに、実はその女性への「不誠実さ」があったともいえる気がしてきた。その意味で、ほんとうに「申し訳ない」と感じてもいる


******


 今後は、私から見て、ほんとうに尊敬と賞賛に値する側面(「かなわない」と感じるくらいの面)が歴然とある女性と出会うまで、交際を深めたい欲望を抑えようと思う。

 もちろん、どんな人だって、何らかの意味では私にとって物足りないかもしれないし、この点ではお互い様というのは承知である。

 でも心から敬意を払える「何か」を持った人。
 それはどういう領域でもいいと思う。
 まだ、そういう人とはつきあってないと気がついた。

 極論すれば、それが私から見ての美貌であろうと、プロポーションの美しさであろうと、セックスのうまさであろうと!!

 言うまでもなく、職業や自分の夢への姿勢でもいい。

 ちなみに、私は性的には、何より女性に心から(身体ごと)満足していただくことが絶対ポリシー(^^)
 こういう私の鼻を明かすというケースも、ありかもね(^^)

 あるいは、ものすごーいセックス嫌いで、他の点では私にとって非の打ち所がないとか(^^)

 いずれにしても、これは「敢えてとことん高望みしてみる」ということ。

 その結果、むしろ、多くの人からみても、すごく平均的な女性との恋に苦悩しても、それはそれでいいと思うのね。


****


 今朝の夢の中の女性は、かつての学友であった。みんなからは、「○○がうつる」といじめの対象になっていた。でも、私はその人がだめな人だとは内心全然感じていなかった。しかし、彼女をかばうこともなかったのである。

 彼女とは卒業した後で偶然ホントに再会している(......などといっても、そういう女性だけで何人かいますからネ!!)。そんなに金周りはよさそうでなかったが、それ相応にファッションはキメまくり、ちょっとスレてるけど、何か輝いていて、少し年上みたいな魅力をその時感じてドキドキした(^^;)「ああ、この人は自分の居場所をやっと見つけたんだ」......そう感じたのもよく覚えている。

 夢の中で、彼女と恋愛してたのではなく、ただ、「2度目の高校生」として商業高校に通っている途中が一緒という設定で、もうひとり男の元同級生と一緒だったのだが、その夢の中の3人の間には、何の分け隔てもない「ダチ」意識があった。

 まるでアニメ版「時かけ」みたいだけど。

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2008/01/02

私の「初夢」

 元旦に日付が変わってから寝ましたから、立派に初夢でしょう(^^)

 「夢日記」サイトでとなります。


●初夢:都心に新設された、巨大「すべり台」交通システムの謎に迫る!!

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2007/12/28

夢のお告げを信じますか?

この設問での投票を、「こういちろうの夢日記」の方ではじめてみましたので、興味のある方はどうぞ投票してくださいませ(^^)

 夢ものコミックといえば、清水玲子「秘密」を思い出します。

 そしてもちろん、「うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー」

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2007/12/18

大学内にある賃貸マンションで寝泊まりするこういちろう、カンガルー飛びで疾走し、高校生に果てしなく追いかけられるの巻

「こういちろうの夢日記」の方をご覧下さい(^^)

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2007/12/17

手塚治虫の「百物語」とファウスト

 以前、手塚治虫の最初の「ファウスト」のことを、今でも時々ベスト20にカムバックする、長期人気記事のひとつ、"ディック・ミネ、「瀬戸の花嫁」を叱るの巻"でご紹介した。

 この記事を、新ブログ、「こういちろうの夢日記」に転載する際に、ふと、やはり手塚治虫の「ファウスト」は単行本で欲しいと思って買い求めたのだ。朝日文庫版である。

 手塚氏21歳の時の「ファウスト」が、ゲーテの原作のマンガ化としては、わずか120ページほどの作品なのに、ゲーテの長大な2部構成の戯曲を、何とも巧妙に圧縮し、原作のスピリットを再現している傑作であることはその時に書いた。

 しかし、この単行本の後半3分の2を占める、「百物語」という、1971年の作品も、遺作「ネオ・ファウスト」との間をリンクする、日本の戦国時代を舞台とする、「ファウストもの」3部作のひとつであることが、巻末の長谷川つとむ氏による解説を先に読んでしまったので、そのことに気がつく楽しみを失ってしまった(^^;)

 一気に一読したが、確かに、これまた見事な「ファウスト」翻案である。原作のスピリットと、手塚氏の少し毒があるが清々(すがすが)しい持ち味が高度な次元でブレンドされ、いかにも日本的な伝奇物語として、たいへん完成度が高いと感じた。

 ともかく、原作と映像化の関係において、ここまで幸せな関係は、そんなにしばしばは見られないようにも思う。

 

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2007/12/12

またまた新ブログ、「こういちろうの夢日記」

 もちろん私の観た夢を公開するブログです(^^;)

 場所はこちらです。

 今晩中に、こちらのブログでの代表作を、いくつかそちらに転載します。

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2007/11/28

浜崎あゆみとベートーヴェン(第2版 聴覚障害について追加)

 今朝、夢を見た起き抜けにいろいろ連想するうちに思ったこと。

 ayuは、ほんとうに、姿の見えないファンとの交流(もちろん、ライヴでの顔の見える交流を含めて)に、生き甲斐を見いだしていて、ファンに向けて語る言葉は真摯なものなのだろうということ。

 そして、私のネット活動だってそうなんだ、ということ。

 何かメダカがクジラに共感するような大げさなたとえなんだけど、私の中でcrossing(交差 ジェンドリン用語)したから。

 今回の夢の中には登場しなかったけど、ayuさんは私の夢の中にひょこひょこ登場するほとんど唯一の有名人です。すごく「日常的な舞台で」登場する傾向があるのは以前も「ayu様降臨」で書いた通り。


******


 ......で、さっきまで、現代の最も天才的な巨匠ピアニスト、マウリツィオ・ポリーニの演奏でMaurizio Pollini - Beethoven: Piano Sonatas, Op.2ベートーヴェンの最初の3つのソナタ(Op.2 No.1-No.3)を聴いていて思ったんだけど。

 ベートーヴェンって、実はすごく偏屈な人でもあったけど、実はものすごい執着気質的でもあり、ひとつの動機から曲をどのように発展させるかという技能に関しては、キャリアの初期から、とてつもない域に自分を磨き上げていた。

 ハイドンから受け継いだ古典派の様式感覚に、モーツァルトの天才性のきらめきに自分なりにインスパイアされ、むしろ、古典派を飛び越して、むしろバロック様式の執拗な繰り返しや、饒舌さ、即興性との近縁すらあり、それを「伸縮する時間感覚」と仮に名付け、それはハイドンにはほとんどないものというのが、昔、シューマン専門コーナー、「ロベルトの部屋」で展開した私のベートーヴェン論の要旨なんだけど(現在残しているアーカイブではそこまで入ってないかも?)。

Pollini_beethoven_op2いかにもイタリア人によるギリシャの乾いた空気の中で大理石の彫刻のようだけど、若い頃よりずっと柔軟性を増した、ポリーニの「第3番ハ長調」ソナタの華麗な演奏を聴いていて思ったのは、このソナタ、ベートーヴェンの初期作品では、その圧倒的ゴージャスなピアノの響きという点では別格

 凄い技巧を要する点では、やはりリヒテルやポリーニの演奏は見事なものだと感じると同時に、後の作品に比べるとまだ未整理で饒舌過多かもしれないけど、奔放に走りそうになるのを見事に構造化していくあたりの、実に細やかな転調を繰り返すあたりに、ベートーヴェンのすでに肌に染み付いた厳しい作曲技能を思い知らされる、たいへんな力作だと思った次第。こんなピアノソナタ、これ以前に誰も書けなかった。

 そして、ベートーヴェン一代で尽い終た、ピアノソナタこそピアノ曲の中心という時代は、彼のソナタの最初から最後までそうだったのだと、改めて思い知らさせれた。

Beet8hokanでも、例えば、第3楽章や第4楽章の中間部(別な作曲家の手で編曲されてドイツリートにもなってます。何とヘルマン・プライの独唱版がアルヒーフのLP(archiv 2533121)にかつてあったのね。私これ若い頃にFMで聴いてます)など、初々しいコケティッシュな魅力に満ちた部分もあるので、おすすめ。

(このプライ盤の映像資料は、"ユニバーサル真空管アンプ 「富嶽」とその仲間達のページ
by かずさん"
このページより)


*****


 で、私が思ったのは、こういう崩れそうで崩れない厳格さというのが、実は私の持ち味かもと思ったの(^^;)

 ayuも、ブレない!!(^^)


*****

※第2版で追加:(08/01/07)

 浜崎あゆみの片耳難聴が報じられてから、この記事までアクセス数、増えています。ベートーヴェンも耳が聞こえなくなったのは著名ですから、目ざといネットサーファーは検索おかけになるのかも(^^)

 それが何より証拠には:
Ranking080108

 以下に書くことは、医者ではない私の、限られた情報からの推測です。

 しかし、臨床心理士ではありますので、目まいや耳の難聴、変な音が聞こえるというクライエントさんからの訴えについての一応のアセスメント(見立て)が出来ねばならない立場での専門性はあります。

 以下、王子のきつねさんサイトで書いたコメントをそのまま転載します:

 恐らく聴神経腫瘍ではないでしょう。「avexの大事な商品」である限り、脊髄検査まで受けているはずだし、平衡感覚の障害はayuについては聞いたことありませんよね。

 外リンパ瘻なら、それこそ、最初のコンサートツアーの第1幕と第2幕の間のayuの2000年の入院期間に手術できたのでは?

 その意味では、メニエール病の可能性の疑いは今も捨て去られていないのではないでしょうか。

 いずれにしても、今後ayuが突然目まいで倒れたとか、ステージでバランスを失ってしまったということがあると、黄信号でしょう。

 あれだけダンスができるというのも、実は平衡感覚の点でのハンディを克服しての、並々ならぬ努力の産物なのかも。

 要は内耳における、水がたまるなどの所見がすでにあるかどうかです。こうなれば平衡をつかさどる三半規管に影響が出て当然です。

 さもなければ、平衡感覚の障害には至らないという点で、診断確定できないままなのかもしれません。

 ひょっとしたら、ベートーヴェンの遺体解剖の際に得られた所見のように、むしろ「聴神経の萎縮」の方なのか、それとも器質的な変化の所見なしかのどちらかでしょうね。

Archiv_2アルヒーフ ニュー・ベスト50 
※アフィリエイトにはならないが。



HMVジャパン

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2007/11/27

私はなぜネット活動に熱心なのか?

 今朝、ものすごく長大でリアルな夢をみた。その内容はここでは詳しく書かないつもりだけれども、その中のあるシーンで、

「主催者を差し置いて、そこまで大きな声で議論の中心になるのは、もはや法律違反である」

という文書が主催者に回されてきたのを見せられて、私は、

「そう思うなら、私をどうかこの集いへの出席禁止を総会で議決していただいても結構です」

と答えた。それは挑発ではないつもりだった。私への態度の煮え切らなさにけじめを付けたくれた方がその集いのためでもある、という思いが込められていた。

 それに対して、主催者は、顔色を曇らせたが、しかしそこには、私のそれまでの苦境をすでに察してはいる、でも困っているのだという表情がにじみていて、私はちょっと言いすぎたかなと感じた。


*****


 なぜ、私はここまでネット活動に熱を入れるのか。

 その基本には、私の能力を認めて欲しいという思いが込められているとうに思う。いい気で好き勝手にやっているように見えるだろうけど、その背後で、どれだけの探求心とこだわりを発揮してきたかを形にして示したいのだと思う。

 もちろん、それは特定の組織や団体についてを超えた意識として。

 もはやナルシシズムなどではくくれない。

 それをどう受け止めて下さるかは、完全に読者の皆様に委ねるしかないと心に決めているが。


*****


 やっぱり人間が形になってくるのって30くらいからだと思うんだよね。特に男の人はね、30代半ばくらいから本当の個性みたいなものが出てくるよね。一番いい時期が始まるというか。

 メガネっ娘ひっきーさま、そういう期待に応えるには更に10年老けてますが、精進いたします.....

Utada / Exodus(輸入盤)

 これもちょっと慣れると悪くない。宇多田ヒカル - Kiss & Cry - Single - Kiss & Cry"Kiss & Cry"の原型(?)が入っているのに驚いた。

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2007/11/17

安倍川もちに継投してもらう

 きのうから今日にかけては、恒例の、四日市での「東海フォーカシング研究会」でしたが、先日ご紹介した夢フォーカシングについて、「コーチ法」(セッションにコーチがリアルタイムで介入したり、ガイド側がコーチにヒントをもらうやりかた)を取り入れながら参加者にやっていただき、体験を共有する時間をたっぷり取りました。いろい生産的な議論になりました。

 ......で、結局大船へのおみやげは「赤福」から「安倍川もち」になりました。隣の県になってしまうけど(^^)

 名古屋駅の売店の主役がいないのはやはりさびしい。

 ちなみに、四日市へのお土産にした、小田原の「月のうさぎ」も好評でした。鎌倉系の和菓子してるとの意見も。


●楽天市場 「もち あん 和菓子」へのリンク

楽天トラベル株式会社

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2007/11/12

夢フォーカシングのコツ(第2版)

 夢フォーカシングについてまとまった記事を書くのはこの時以来で、内容は一部重複しますが、1年半たって、もっと描き込める気もしましたので、この記事をお読みになる価値はあると信じます。

ジェンドリン/夢とフォーカシング(村山正治 編訳)

 夢フォーカシングについては、福岡大学の田村隆一先生が日本では特にお詳しく、セミナーや「フォーカサーの集い」などで繰り返し講義やワークをなされていますが、どうも、ジェンドリンが上記の著作で書いているままの個別セッションを引き受ける態勢にある場となると、日本ではたいへん限られているようです。

 日本における夢フォーカシングの紹介は、比較的早く、「夢とフォーカシング」(原題が"Let Your Body Interpret Your Dream".....「自分の身体に夢の解釈をしてもらう」)翻訳に続いて、池見陽先生編で、実は私も分担執筆している「フォーカシングへの誘い」に、森あい子さんによる、大変わかりやすい、迫真的かつユーモラスな(?)実例が掲載されています。

 しかし、インタラクティヴ・フォーカシングや、こどものためのフォーカシング、ホールボディ・フォーカシングについては、日本に既に何カ所か拠点があり、活動が盛んなのに比べますと、以外と地味な展開のように感じています。

 夢フォーカシングは、フォーカシングの経験がない皆様にも堪能できるものです。個人的には、夢のワークとして、これだけおもしろいものは滅多にないと思っていますが、フォーカシングの経験をある程度積まれた方の場合、通常のフォーカシングよりも軽快なプロセスでありながら、プロセスがいきいきと展開し、通常のフォーカシングでは超えられなかったDead Endを易々と超えていくほどの体験になる場合もあります。

*****

 ところが、ジェンドリンの上述の本に書かれているのは、一見、20近くの「質問」が並列的に記載されているように見えてしまい、段取り的にはどうなるのかとか、質問をどういうタイミングで、どのように繰り出すのいいのか、見当がつきにくいのですね。

 そのことが気になっていた私は、すでに1993年の段階で、

 ●「夢フォーカシング技法の面接場面への適用に際しての幾つかの実用的示唆」
  人間性心理学研究 第11巻 第2号

 という論文を書いていました。

 そこで、私は、まず、順序として、3つのステージに区切り、

1.夢を話してもらい、途中で少しずつ内容を投げ返し、話者に助言者の理解に間違いがないかどうか、丁寧確認していく。

2.話者に、その自分の夢についてどう感じるか、どう理解するか、自由に話してもらう部分

3.助言者が、様々な示唆的な質問を一つずつ提案し、話者が、気に入った質問を自由に試してみる部分

としてみました。

 そして、この3.の部分の《質問》群を更におおまかに3つの方略に分け、

3a) 場所の方略
3b) あらすじの方略
3c) 登場人物のの方略
3d) その他の方略

.....これらの方略それぞれに分類できる幾つかの《質問》に、平易で無理がないものから、更に高度なものへという深め方の提案順序が、Level 1 からLevel 4まであるというふうに整理しました。

 夢フォーカシングの20あまりの《質問》は、すべて提案してみる必要はなく、ほんの幾つか幾つかやってみるだけで自然と大きな展開が生じ、十分堪能できるものになることが少なくないかと思います。

 逆に、その柔構造な側面が、技法を学ぶ際に見当つきづらく感じさせるようです。そのための目安としてのチャートを作ったつもりです。

 実は私の夢フォーカシングへの習熟は、この1993年に一応完成されていたのですね。


******


 思いつきで、ひとつだけ示唆します。

 私が「登場人物の方略」の一番アドバンスなものに一応位置づけた、ジェンドリンの「登場人物になってみる」という質問がについてですが、この時、ジェンドリンは、見知らぬ登場人物や、場合によってはさりげなく場面に登場登場している「無生物」になってみるのが面白いと明言しています。

 夢の話の中で。話者が自発的に具体的に言及したアイテムなら、なんでも素材になり得る。

 例えば、
 
 「私は、普段はまず行かないようなしゃれた店で、ワインを片手に、赤いレンガの壁のそばの席で、中学時代の片思いの人とデートしている夢を見ました。キャンドルが美しくて雰囲気よかったですね。でも、その対話は結構ヘンな対話で.....(以下略)」

という夢が報告されたとします。

 夢について語った人が具体的に明言したアイテムなら、登場人物が対話している建物の「壁になる」とか、「テーブルの上のキャンドルになる」とか、「飲んでいるワイン」になるというような、一見唐突なアイデアです。

 最初は素っ頓狂に思えるでしょうが、好奇心半分で,」ユーモラスに、それらのアイテムの「身になって」場面を感じてみると、予想もしない展開に爆笑したり、思いもよらない深い体験ができることもある。

 例えば、夢の中のけんか相手に「なってみる」などという、いかにも正攻法な思いつきをあっさりやってみるのではなくて、搦(から)め手から遊び心でやってみると結構面白く、夢フォーカシングの体験そのものが苦しいものになる危険を大幅に軽減しています。

 それこそ、なぜか、この提案を話者がやってみたら、その、夢の中での「片思いの相手との奇妙な会話」の含蓄が、夢を見た人に、その人の一見夢の内容と無関係な現実状況と一気にスパークするみたいな洞察をもたらし、身体までスッキリす
ことなんて、結構あるのです。

 リスナーで提案の助言者である側の人物には、夢フォーカシング技法を、普段から柔軟に自分に使い込んでいるからこその余裕と、遊び心、そして、いわば芸人が観客を舞台にあげて、決して傷つけない形で爆笑の対話の場とできるようなセンスが必要かと思います。


******

 .......というわけで、湘南フォーカシング・カウンセリングルームの「フォーカシングによる夢分析」コースは、1時間わずか4,500円で、すごく贅沢な時間を過ごせるかもしれない場なのですが.....

 私は、完全にジェンドリンが上記著作で書いている通りの技法を自由に使いこなせます。

 条件はただひとつ。できるだけ最近みた新鮮な夢であること。

 詳しくは思い出せなくて、断片的で、ワンシーンだけしか覚えてなくていいです。それでも1時間堪能できる場合もあります。


※追記

↓うちの弟子がネット上でこんなこともやっていたりするので。

●夢分析(夢フォーカシング)のプロのカウンセラーです。 (Ameba リクエスチョン)


*******

 ちなみに、ユング派の夢分析や、ボスナックのdreaming body(ご本人のワークショップに出ました)、あるいはゲシュタルトのワークとどう違うの? ....とお感じの皆様、皆様がこれらの体験に慣れ親しんでおられても、まさにそういう皆様にこそ新鮮なものになるか思います。 


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2007/10/04

夢のただ中で体験過程を推進できるか?

 ジェンドリンは、「人格変化の一理論」の中で、

 極度に構造に拘束された様式は相互作用過程が大きく削減された時に常に生ずる 夢,催眠,精神病,CO2とLSD,及び刺激遮断のすべてに共通する要素が少なくとも一つある。

 夢,催眠,精神病,刺激遮断及びLSDで得られる現象に共通の他の特徴は、自己という感覚の喪失である。夢で我々が知覚することは自己(あるいは自我)の統制,解釈,所有を超えている。

......と述べている。

*******

 この部分は、この論文の中で私がもっとも異論がある場所である。

 確かに、夢を観ている最中、われわれの知覚が狭められていることについては認めざるを得ない。しかし、毎日の日常生活の中でフォーカシング的に内面に注意を向け、フェルトセンスをセンサーにして、刻々とその場その場の言動を統御し、「自分を取り戻しつつ」やっていくことが生活の中でかみ合う状態でいられる時期には、少なくとも起床直前の夢の場合、夢の中での判断と行動の過程が、日常のそれとほとんど違いがない形で可能な場合が、確かにある気がする。

 ある意味で、夢の中で、受身ではない形で、プロセスを進め、自己を刻々と更新しながら「生き切る」ことができる時がある。「反復強迫」を超えて振舞えるのである。

 実は、夢の中でのこうした体験過程の推進の営みとの相互作用の中に、「昼間の生活」での体験過程の推進がある気がしてならない。

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2007/09/11

ayu様降臨

 ayu様は、昨晩私の夢に降臨されました。

 「てめーらが勝手にめんどうな患者さんの相手してろ」という感じの性格悪い開業精神科医の先生の下で、私と一緒に、試行錯誤の病院臨床の助手をしてました。(他に若手数名)。

 なぜかお顔にパックをしたままだったのでありまする。
 (余計目立つではないか!!)

Clipboard01

 そうだよ。夢にしか降臨しないの。
 もし、そうでなければ、重大な対人関係上の問題が、今は生じる(?)

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2007/07/11

「レベッカ」は名作だと思う。

 実は「第三の男」と一緒に買ったのが「レベッカ」だった。

 根拠は何もない。名画らしいと知りつつも、観たことなかったから(^^;)

 典型的な「500円」商品なので何度も手に取ることまではしていたのだが。

 ヒッチコック監督作品ですけど、珍しく脚本にはタッチしていない。でも、観てみたら、やはりヒッチコック的な心理サスペンス劇として、実に見事なもので、映像の古さを全く意識させない、ドンデン返しの連続。ストーリーテーリング、カメラワーク、俳優の心情演技の細やかさ。一級品であり、観てよかったと思う。

 この当時は無名だった、ヒロイン役のジョーン・フォンテインが、突如貴族(ローレンス・オリヴィエ)との恋に落ち,結婚することとなった庶民的な女性が、不慣れな大邸宅での召使いたちに囲まれた生活と、レベッカという先妻の亡霊(ほんとにでてくるのではないあたりがミソ)に精神的に追いつめられて行くあたりの描き方がひどくリアルというか、現代の感性で観ても全然つくりものめいていない。何かホントにその孤独感が痛々しくて。

 ......と思ったら、実は、「リアル」になるようにヒッチコックが撮影の際に追い込んでいたらしい。つまり、撮影現場でも彼女をスタッフから疎外させ、現実と虚構を一致させてしまう策略に出た。

オリヴィエとしては、当時の恋人であるヴィヴィアン・リーを[ヒロインとして]共演させたかったので、撮影中ジョーン・フォンテインにはつらく当たった。この仕打ちにフォンテインはちょっと恐れを抱いた。ヒッチコックはそれを利用して、スタジオにいる全員に対して、フォンテインに対してつらく当たるように伝えた。これによって、フォンテインから恥ずかしがりで打ち解けられないという演技を引き出したのであった。(wikipediaより)

 .......あのなー、といいたくなるけど、ヒッチコックが、こういう、スタッフを巻き込むどっきりカメラもどきのいたずらが好きな人らしいことは、「裏窓」のDVDについていたヒッチコックの関係者へのインタビューに拠るドキュメンタリーで描かれていましたっけ。

 何か、ヒッチコックの、ヒロインへの、サド的ともいいたくなるけど同時に愛おしむような「愛」を映像から感じてしまう気がするのだが。

 この映画を観てつくづく思ったのは、人は、思い込みを超えて現実に出会うことで,解放されて行く....みたいな思い。ヒロインも、終わりの方、随分逞しくなってるというかね。

 敢えてあの後のふたりがどうなったかをラストまで描いていないけど、二人とも,前向きに生きられたことは確かと思う。冒頭の夢のシーンは、その後についてのの暗示としてみても、いろいろな解釈を許容すると思うけど。

 なぜか、ayuさんも、歌手になった頃にはこれくらい周囲の芸能界の世界を「肌になじめない」ものと感じていたのではなかろうか? .....とか、妄想してしまったこういちろうであった。


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2007/07/06

こういちろう、キジネコ軍団のリーダーとして高良山にツーリングして、打ち上げ宴会で盛り上がるの巻

BlogPet 今日のテーマ いぬねこワンニャン
「猫と犬 どちらが好きですか?」
 そりゃ、ネコです。前も書きましたけど(^^)

 先日、夢の話をエヴァで書きましたけど、(今日、定休日でして)昼寝の際に,ホントはその種のネタに格好そうな夢を見ました。

 私は実家の久留米に帰省しているのですが、子供の頃家で飼っていたネコたちの末裔とおぼしきネコが30匹ほど住んでまして。ほとんどがキジネコ。

 どういうわけか、私はその連中を引き連れて、

「さあ、今からみんなで高良(こうら)山にのぼろう!!」

「オウ!!」

.....とネコたちは答えて(.....答えたんだよ!!)まるで暴走族のように(^^;)隊列をなして耳納(みのう)スカイラインを駆け上がるわけであります。

 高良会館前駐車場(高良大社下)まで来ると、すぐにUターンして、今度は怒濤のように下り始める。

 マラソンと同じで、かなりペースが遅れているネコたちもいて、下る途中ですれ違う。

 最後の3匹はまだ山の麓のあたりをのぼり始めたばかり。見ると、その3匹は生まれて2ヶ月ぐらいの子猫たちでして。ヨチヨチとのぼって来ている。

 私は、こんな連中までいたのかと,驚き、小さいのに感心だな.....と思って

 「おい、大丈夫か?」

と声をかけるが、

 「よいしょ、よいしょ」

と声を出しながら真剣にのぼる様に、こいつらのやりたいようにやらせようと思う。

 「遅れて来てもいいからな。下で待ってるから」

と声をかける。


****

 
 次のシーンでは、
山を下りた我がキジネコ軍団は、
そのまま明治通りから一番街あたりの飲み屋に終結して、
机を並べた座敷席に並んで、
コップを片手に(両手だったかもしれないが)ビールで乾杯している!

 打ち上げ?????


(シュールな映像だ....)


 すると、となりの列にも、30代ぐらいの会社員の20名ぐらいの団体さんがいて宴会していたところから、

「おう、にいちゃんたち(ニャーちゃんたち?)、
 盛り上がってるねえ!!」

と声がかかり、意気投合して和気あいあいと交流が始まる!!

****

その頃、別の飲み屋では、私の実家の親戚一同数十名がこれまた飲み会をやってまして(^^;;;)

 そこに、私と、先発隊の3匹のネコが到着。

私は、

「どうもすみません、遅れまして。
 今、高良山までみんなとちっと走って来まして。
 別なところで飲んでたもので。

 そこで別な会社の人たちと盛り上がってしまってねぇー。

 残りもまもなくこっちに合流しますから」



するとまたもや会場から


 「うぉーーーーーー!!」


という歓声が上がる。


******


 ネコも親類縁者のメンバーで当然!! というこの夢の中の常識は、ちょっと異様な、でも妙な「豪快さ」のある光景であった。

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(↑)酔いつぶれたネコ軍団(......のわけない!!。以前も紹介しましたけど、ほんとうに身体をよせあってとぐろを巻いて冬の北風の中で昼寝していた30匹ほどの野ネコ軍団の貴重な写真です)


070706a

.....こんな夢、おまえとばっかりここで掛け合い漫才しているせいかしらん?、「あゆさま」。


.......「山」に一気に駆けのぼり駆け下りた「私」が、今、「世間の中に」帰り着いた......というのは、ある一つの実感としては、私なりに腑に落ちます。

 恐らく、私の行動スタイルの、まさに「今」、直面している「転機」と一致している気がします。


(↑)これ、他の人が作ってた質問ですけど、ここにも貼れるので。

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2007/07/04

夢(今日のテーマ)

BlogPet 今日のテーマ 夢
「最近見たおもしろい夢、不思議な夢、こわい夢など教えてください。」
 私なりの「エヴァンゲリオン(ヱヴァンゲリヲン?)劇場版新作「最終回」(何年先だ?)を観る夢、というのはここ数年(つまり、ほんとに今度制作・公開される以前から)しつこく観ている気がする。

 同じく、「うる星やつら」今度こそほんとの劇場版「完結編!!」 の夢というのも(アニメはなぜかこの2本の限定される。性(さが)よのう)。

 終わるようで終わらない作品だから、どちらも....

 ちなみに、最新の「私の夢の中の」劇場版完結編は、実写と3Dとセルアニメの合成作品で、海から上陸した、最後の使徒、「エヴァ××号機」が、人が誰もいない夜の繁華街のネオンサインの大通りを旋風と瘴気をまき散らしつつ歩いているのをシンジくんとミサトさんが追いかけてまして、これで世界が終るかもしれないという状況。

 シンジくんは例によって「♪生きるってなんなーのか♪(c)浜崎あゆみ)」浜崎あゆみ - MY STORY - Inspireを果てしなく果てしなく果てしなく自問していて、エヴァに乗る決心がついてなくて、ミサトさんはそのシンジくん相手に例によってもっともらしいお説教を果てしなく果てしなく続けているのであった......


.....な、何を迷っているのだ、こういちろう?

 何をためらっているんだ、こういちろう?

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い・う・な!!

 それでも、もう印税にならなくても便乗するこういちろう。

......中古価格、無茶苦茶上がってる.......

(↑)こっちも直接ブログパーツにできるようにいつの間にかなっていたのね(^^;)

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2007/06/23

「夢」についてのフォーカシングについての代表作は.....

 前の記事で、私が寝た時に「『夢』を招き寄せる」方法を身につけていることを書きましたけど、私は、福岡大学の田村隆一氏と並ぶ、「夢フォーカシング」に関しては日本の第一人者を自負しています。

 これについてはいくつか記事を書いてますけど、代表作は、時々「ベスト20」にも最近入ってくるようになった、

「ディック・ミネ、『瀬戸の花嫁』を叱るの巻」

です。タイトルがタイトルなので、意外とそういう認識を持たないまま読み過ごしておられる方もあるかもしれないと思いつつ。

 もう一つは、本部ページの「フォーカシング入門」の方の「夢とフォーカシング」でしょう(^^)

  「湘南フォーカシング・カウンセリングルーム」では、この「夢フォーカシング」体験コース」もあるんですけど、どういうわけか、このコースを名指しで申し込んでいただいた方は過去1名様だけです.....

 世間一般の夢占いの比ではないくらいにエキサイティングでおもしろいと自負しているのですが、その醍醐味は、「フォーカシング個別指導コース」や、一般のカウンセリングの中で夢を語って下さった方しかしらないのですね(別料金はこうしたケースではいただきません)。

 これを機会に宣伝しておこうかと。


※追記

↓うちの弟子がネット上でこんなこともやっていたりするので。

●夢分析(夢フォーカシング)のプロのカウンセラーです。 (Ameba リクエスチョン)


 どういう著作があるかについてなどの情報は、こちらも参照。

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宝物(今日のテーマ)

BlogPet 今日のテーマ 宝物
「あなたが大切にしている宝物ありますか?」
「物」でなくていいというのなら、結局、他ならぬ私自身がフォーカシングを使いこなせること....ということになるかと思います。

そんなに魔法のように人生の課題が解決するわけではない。しかし,結局、自分をこれ以上深く見つめさせてくれ、ものごとを深く味あわせてくれるものはない。

私のフォーカシングの「最終兵器」的使い方は、寝る前に、自分の中の漠然とした言葉にならない感じそのものを十分につかみ、それとただ共にいる形で,いつの間にか寝てしまうのでよしとすることなんですね(^^;)

 そうすると、たいてい、とんでもないくらいに奇想天外な夢を見ることができる。

 意識的にフェルトセンスをつかんだ上でいつの間にか寝入ってしまう時と、それをしないままに夢を見る時とでは、夢の生産性の質が違うとははっきり感じてます。世の中に、自分が「覚えていられる夢を見たい」という願望を意識的にかなえることができるテクニックは、あまりないと思いますが(^^) フォーカシング身につけている人みんながそうかはどうかはわかりませんけど。

 ちなみに「フォーカシングしながらいつの間にか寝入る方が、それをしないまま眠り込むよりマシ」という主張は、私がフォーカシング業界に文章でデビューした、「日常におけるフォーカシング」フォーカシング・フォーラム 第4巻 1号 日本フォーカシング研究会事務局 1987で、つまり、ちょうど20年も前にすでに書いていることです。

 目が覚めて来て、その余韻をじっくり味わうだけでも、自分の中の「何か」がまだ果てしなく生産的な活動をして、自分の人生と全身全霊で戦い、味わえる森羅万象を味わい尽くそうとしているのはわかります。

 自分の心とからだはまだこんなにも必死にいきいきと活動し、体験を消化しようとしている。しかもその内容と展開のバラエティと新鮮さは、どこまでも果てしないもの。

 仮に昼間の現実生活が膠着し,活路が見出せない時でも、夢の中では、スリルとサスペンスに満ちたファンタジックなRPGが毎晩一からライブで生成されているみたいなものです。起きてから夢でよかったとほっとするくらいにスリリング過ぎる内容のことも多いのですが(^^)

 これだけ含蓄の多い夢を連発で見続けられる限りは、私の心身はまだ可能性に満ちていると思えてしまう....

****

 そういう、フォーカシングとの「パーソナルな」絆が強過ぎることが、私に人に頼ることに対する消極性や,外的な行動面での抜本的な思い切りのなさを生み出してはいまいかとすら思う時もありますけど。

 でも、「自分の(自分のための)」フォーカシングに対するある種の「片意地さ」(早い話、自分以外の「誰も」その点では信じていないとすらいえる)ってのが、結局私の最後の「砦(とりで)」という気はします。

 その私なりのフォーカシングへのこだわりと折り合えるところにしか、私の未来は開けないでしょう(^^)

 それまでは、しぶとく「生き延びる」と思います。


****


 あと「物」的に言えば、書物で言えば、結局、中井久夫先生の著作が、最後には一番虚心に読める、癒される著作群と感じます。

 そして、すでに10年近く前に1000枚を超えていたクラシックのCD群。そしてそれを新鮮な形でiPodで聴きなおせる、遂に出会った究極のお気に入りヘッドフォン、ALESSANDRO(アレッサンドロ) MUSIC SERIES PRO(「今現在は日本に「入荷済み」の店はない??? あればめっけものです。ここで「予約注文」はしてますが)ということになりますでしょうか。

 音の質は、敢えて言えば「すごくスピード感があって透明度も高く、分解能もいい、しかもタンノイのスピーカーのような音」。プラスティック系の部品で作られた部分がほとんどなく、フライホイールがマガボニー削りだしであること、UHPLC銅線がそういう音の印象に相当影響しているはず。弦やヴォーカル、ピアノの音の、ボディのしかりとした繊細な生々しさは、滅多にない水準でしょう。でも、「やわらかい、おだやかな」音ではない。

このヘッドフォンの最近気がついた使用ノウハウ追加。付属の延長ミニブラグを使う場合は、ステレオ標準ブラグとそれを差し込む標準ジャック側の内側を、少量の接点復活材で「これでもか!!」というくらいに磨き上げること!! 銅メッキによると思える緑青の青さが綿棒などに全くつかなくなる域までそれをやると、驚くほど透明度が向上するのである。基本的に音楽ジャンルはオールラウンドで、本場ドイツのトランス・ミュージックとかの解像度と瞬発力もたいしたものですが、アナログマスタリングのクラシックのCDが、ほんとにアナログレコードを思い出させる繊細なニュアンスがiPodで聴けることがあります。マスタリングが冴えない古いCDと思っていたものほど,このヘッドフォンを通すと驚く新鮮さになることが多い。
 

Alessandro

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2007/05/23

こういちろう、博士後期課程に入学する夢。

 この3日間は、私の現在の本来のあり方.....といいますか、本業の面接がコンスタントに入り続け、毎晩帰りにコンビニで万札を預金し続ける....という展開だけで毎日が廻っていました(^^) 

 以前も書きましたが、預金口座というのは、あくまでも現金を「預金」し続けるためにある、というのが、自営業である私の本来のあり方なのであります。

 「業務」そのものは、極論すれば人と対話しているだけですから、お客様からいただいた料金は即収入なわけですが、マンションだって、自宅と職場、2軒借りてるわけだし、光熱費や電話代、ネット代も2軒分。そうしたものは情け容赦なく自動引き落としで消えていくわけですから。

 要するに、ちょっと前まで、「減る一方」をしのいできたのが現実です(^^;)

 おかげで、about me やらBlogPetをネタとした記事でつないでいく形で何とか連続掲載記録は2ヶ月間堅持して、本格的な新規記事を書く余力のなさをカバーしている間も、当部ブログへのお客様は減るどころか、実数的には増加傾向維持のままなのには感謝申し上げます。


*****


 幸い、明日の定休日を前にして、本日分の面接までは終わったので、久々に「オリジナルの」記事を書いておきます。

 以前夢の世界の中でだけ当然となっている状況設定というのを、誰でもひとつやふたつは抱えているのではないかということを書きました。夢の中でだけ行ける場所だとか、夢の中でだけ、自分が生きているパラレルワールド的な具体的状況です。

 夢を見始めると、例えば「そこに行くとそれがあるのは当然」「そうだったそうだった」になってしまうということですね。

 私の場合、しつこく出てくる設定のひとつは、私が、実際には大学院の博士前期課程で修了しているのに、数年を経て、出身校とは別の、しかもなぜか北海道の新興の実在しない大学の指定校大学院の博士後期課程に、秋の入試で合格した筈.....という設定なんです。

 (私は、恩師が急に大学を移ったために、そうでなければ師の構想に既にあった、博士後期課程への進学の夢が破れた人間なのですが、むしろそれこそが、私にとって、その後の人生にプラスになる、波瀾万丈の展開を呼び込み、自分を小さくまとまらずに済ませたのではないかということは、何回か書いて来ました)

 私は夢の中で、そこに合格して、新年度からはそこに通うことになっているということに期待をかけていろんなことを進めようとしているのに、そこを本当に受験したのか、ほんとうに合格したのかすら、夢の中ではどんどんあやふやになってくる。

 そして、私自身も、夢の中の登場人物も、私がそういう「曖昧な、はっきりした根拠がない未来」をあてにして「平然と」日々を送っていることをおかしなことだと責めてくる.....みたいな展開になることが多かったのです。

 ところが、今朝方の夢では、ほんとうにそこにこれから出発するということになっている。私は、合格を証明する書類すら手元にない。でも、もうすぐ入学なので、その前に顔合わせするために出てこいとの知らせは入ったことになっています。

 私は自分でも確信がないままに、北海道に向かう。大学にたどり着き、受付らしきところから、ある場所に向かうように案内されても、それでも確信がない。

 ある部屋に、どういうわけか、それぞれの合格者は、名前ごとにこの下にいるようにという、名前を書いた紙が四方の壁のあちこちにばらばらに貼ってある。そこに確かに自分の名前が貼ってあるのをみつけて、私はやっと少し「これはほんとなのか」という気持ちになる。

 そこには、なぜか、私が出願の際に提出した、たいへん分厚い研究計画書が措いてある。中を開けてみると、私が提出したその論文のあちこちに、脚注のようにして、少し小さな活字で書き込みがしてある。

 どうも、そのままでは「博士論文」としてのその大学の基準を満たす上ではいろいろ問題があることを、個々の箇所ごとに指摘してくれているようである。

 まあ、「北海道では行動療法が強い」から、実証的な論文としての体裁をなさない箇所の指摘だろうと想像する(楽屋ネタだ....)

 実際に個々の「添削」を読んでみると、確かにそうした性質のものなのだが、そのひとつひとつは「この件については、以下の資料のこのデータをもとに例証すればいい」などと、ご丁寧に、具体的な資料や既成研究論文の名前を挙げて、まるで「これをここで引用すれば実証研究として認め、博士論文として認定することにする」と、逐一、選考委員の教授会の先生方が、よってたっかって私に「救いの手」を差し伸べてくれているかのような内容なのであった!! 私は、その「添削」のあまりの安直さに苦笑してしまうが、これらを補足すれば、博士後期課程入学どころか博士論文として認める
という、どえらく先回りの親切をありがたく活用させてもらうことにする。

 そのうちに、隣の張り紙の下にいる、他の、同じ時に入学する院生の様子がわかってくる。内容は忘れたが、かなり個性的な社会経験を経て再び院生になった人だとわかり、私は感心すると共に、そういう人と一緒に刺激を与えながらやっていくのもおもしろそうだと感じる。

 そして、なぜかそばのスクリーンでは、その人がかつてどういう経歴を経たかをまとめたビデオがスクリーンで上映されている。体育会系らしく、大学時代の部活の時の様子の記録のようなのだが、何か珍妙な内容である。廊下に次々といろんな部活の人が現れてこちらに向かって群れをなして歩いてきて、そいつらと「対決」するしかなくなる映像。

 (起きてから気がついたのだが、それは、たまたま昨日ネットで見つけた、「学校の階段」の予告編(本編は見てません)の影響をもろに受けた内容だと理解してつじつまがあった(^^)

 そして、その予告編を見た時、こういう奇抜な、本来は「しゃれ」のごとき発想で映画を見事に一本作れてしまうという今の時代は、上の世代が思っているよりも未来への可能性を秘めているのではと感じたことを思い出したのである)。

 そして、気がつくと、亡き恩師村瀬孝雄先生が、そのレセプション(?)に東京から駆けつけて来られていて、レセプションにおいでいただけだけでも光栄だと思っていたら、「今度、この大学に、夏頃集中講義に来ることになったから」ともお話になる。

 .....ここで夢は終わりである。


******


「曖昧な、はっきりした根拠がない未来」をあてにして「平然と」日々を送っている=

「端から見たら、何の保証もないはずの独立開業後の私の生き方」
  

.....ととらえると、私がここ2年間、このパターンの夢に繰り返し悩まされてきたことがすごくわかりやすくなる。

 そして、私の無意識が、やっとそれに「合格」のサインをほんとうに出す気になってきたのかもしれない。

 「今回のは、一時的なお客さんの増加ではない」

......という。


●「学校の階段」オフィシャルサイト


USEN

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2007/04/02

たった今観ていた夢

 私はある第3世界の国で開かれている国際会議に参加している。分科会の時間には、私が敬愛する30代のホープ、F氏が、をめぐっての発表をすることになっている(完全に楽屋オチ)。だが、彼は時間になってもなかなかはじめようとしない。人の集まりもなぜか悪い。

 何か会場に外部から通報が入る。彼は「やっぱりこんなことをやっている場合ではなかったか」と諦めたようにつぶやく。

 外に出てみると、空に巨大な飛行船が2つ浮かんでいて、超巨大な拡声器で「我々は○○国の△△国への侵略への報復として、○○国の同盟国であるこの国にこれから軍隊を投入する」と宣言する。

 (そんなことを、しかも飛行船などという一発で爆発する危険のあるものを都市上空に飛来させて宣言した上で侵略を始めるなど、非現実の極みだが、夢を見ている人間が「私の名はゴア、地球を征服する」とのっけから宣言するために画面に現れ、主人公の少年にピピピロピーと笛を吹かせてマグマ大使のロケットが打ち上げられることを毎週繰り返す作品を子供心に観ている世代だからどうにもなるまい)

 とたんに私の頬を空からの銃弾が掠める。

 皆は散り散りになり、私は泥にまみれてひたすら匍匐前進しながら、逃げまどう群衆が兵士に追い回されるのを視野の上に眺めながら果てしなく街から郊外の日本人集結地への移動を開始する。

 いつものように頭の中には地図が入っている。勘さえ外れなければ、絶えず匍匐前進すれば24時間でその場所にたどり着ける確信がある。

 一度兵士につかまりかかる。私は異国で死ぬ運命を覚悟する。しかし、私の姿を見るなり、「お前のようなのはどうでもいい」といわれる。鏡に映して見ると、私はぼろをまとった、はげ上がった頭の異国の行者の姿をしている。

 しばらく行くと、今度は、背中に誰かがまたがって、私をロバ代わりに使っている。見ると、現地の神父さん。私の正体はわかっているからというのを態度で示し、しばらくロバしていろと目でサイン。

 彼は密かに営まれている日本料理屋に私を導く。そこから私は知り合いの日本人(現実の知り合いではない)に電話をかけるが、

 「残念だが、私は、現在侵攻中の軍隊に協力して作戦を遂行する一員になってしまった。しかし、君のいる場所から先の、目的地までの警備網と危険について(情報を横流しして)教える」

 その情報に基づく状況を、画面は鳥ののアングルで次々と映し出していく。いや、私が鳥になっているのである。夢の中ながら、「この展開は、反則だ、ずるすぎる」と私は感じている。しかし、その危険地帯を抜けると、眼下には雪で閉ざされた麦畑が果てしなく続く。

 「寒いな、やはり」

 .....で、目が覚めてみたら、いくら2日前があんなに湿っぽくて暖かかったとはいえ、日が暮れてしまうと暖房が欲しい気温になっていた。

*****

.....で、ネットを開いてみると、2時間前に出した、ayuについての新作「予告」記事に、ごていねいに、3つもトラックバックのエントリー。

 「そうか、これが『外国軍隊侵入』という夢のお告げであったか!!」

と得心した私は、

 ああ、たかが一歌手ごときにために記事を書くのに時間使ったり、嫌がらせのトラックバックを送ることに情熱を注げる国、現在の日本に共に生きていられる喜びを噛みしめつつ、

 いつものように、コントロールパネルの削除ボタンを3つ押すという、数秒で終わる「たいへんな手間」なんてまるでかからない作業をさっさと済ませるのであった。

 それにしても、単にRSSで集めてアフィリエイトを貼るだけでお金がそんなに儲かるのなら、誰も苦労しない。私は、私の記事や私の関心のある題材についてのその種のリンク集に過ぎない可能性があるものですら、「役に立ちそう」ならトラックバック受諾としてありがたく「利用」させていただくことにしている(^^;)。私のサイトの「情報源としての付加価値」を高めるご協力には感謝する次第である。

 例えばの話だが、楽天で月6000ポイントアフィリエイトで稼ぐためには、大抵のアフィリエイト料率が1%だから、何と月60万円のお買い物をしていただく必要があるのが現実である。

 さて、ayu様ネタは、明日の午後3時まででいいので、ぼちぼちのんびり書きますか。 

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2007/03/21

今日は映画三昧じゃ!!(あるいは,今朝みた夢の話)

 今日が祝日(基本的に絶対に休業。ただし日曜が祝日の場合には日曜営業、月曜のみ休業)、木曜日が定休の「休業日」ですから、私にとってはたいへんに希少価値の「連休」ということになります。

 我ながら、こうして「連休」というものが普段の生活の中にないということ自体、結構ストレスになっているなとは感じています。

 来週になると、春休み期間なので、教員関連の人たちのための、ちゃんと講師料が出る地方出張が立て続けに入るモードにもなる。

 それで、とりあえず今日は、レンタルとAmazonの中古セルでかき集めた、観たかった映画のホームシアター三昧で過ごそうかと思ってます(^^) ayuやマドンナのライヴも観なおすかもしれませんが。音楽はともかく、映像作品となると、平日のオフの時間に繰り込む気持ちの余裕はなかなか取れなくて。

***

 昨日は、茂木さんの威光を借りたせいか(すみません、失礼でぶしつけだったら)、ayuに特化した当サイトの「ガイドライン」を公開したせいかわからないけど、このブログの文章記事だけで予想をかなり超えた375アクセスを頂きました。ありがとうございます(^^)

***

 ちなみに、私はayuのパンチラとかには欲情もしなければ嫌悪も感じない人間なのだ。そりゃ、「女性は」パンティはいてるでしょ、ってぐらいで。

 一度女性と一つ屋根の下に暮らした男とはそんなものでありますよん。それより、Popteenのお写真(現在Amazonに入ると表紙拡大画像「入手」可能!!)で「この人、どうしてこんなにかわいくもなれるわけ?」ということにひたすら「敬意と感動と共に」ときめいてしまう「快感」の方がよほど大きいのである(^^)

***

 今朝の夢。

 夢の中では私は単車の免許を持っている十代の少年である。いつの間にか、有料でレース場で走ることを「趣味」にしている。そのレース場で、「兄貴分」とか、年下の、なぜか私を慕う、私より腕が更に未熟な弟分までできている。

 どころが出来心から、カートレースみたいなののコースをカートに乗って爆走することにも手を出す。

 なぜか、この段階で、私が(カートではなくて)「単車を」趣味にしていることが久留米の父親にはじめてばれます。

 私は、「無駄遣い」をしているのではないかと責められるのかと覚悟しましたが、私の子供の頃はいつもバイクで外回りをしていた父は、「私にそれだけの単車の運転技量があるのか」という点のみに関心を持ち、レース場までやってきて(!)実地検分をはじめる......というもの。

 .......あまりにも私らしく、
 なおかつ私の父親らしく、
 そして今の私の状況と見事に「交差(crossing)」している、
 痛快な夢であった。

 そして、交通事故で入院したのをきっかけに、ぷっつりとバイクをやめ,経費がかかるのに,タクシーでの外回りしかしなくなった、父親の思いはどんなものだったかな.....と、連想をふくれませ、味わうだけで十分なのでした(^^)

Apple Store(Japan) Apple Store(Japan)


 実は昨日、父親と、「経営上の」重大な話し合いを電話でしたのも引き金になっているだろう。
 ......モチ、いい話です。

 経済的・事務的経験値のすこぶる高い父親が「経営参謀」というのは、幸せなことだと肝に銘じております(^^)

 

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2007/01/19

夢の「補償」作用(第2版)

 最近、自分の見た夢を公開するという、身も蓋もないことを敢えてやっていますが、私にとって、夢とは、正直すぎるくらいに自分の状態を見つめさせてくれるもので、ホントに自分の夢に感謝しています。

 ユング派の夢分析というのは、集合的無意識(collective unconsciousness)の「解釈」の問題になると凄い博識が必要になることを別にすれば、基本的に凄くシンプルな夢理解の原則を持っているという点で、個人的には好みです。

 一言で言えば

夢の中に登場するものは、人間であろうと、動物だろうと、植物だろうと、無生物であろうと、建物であろうと、自然であろうと、すべて自分の分身、自分の自我に十分統合されていない自分のあらわれだ」

「自我の偏ったあり方を『補償』し、再統合の機会を与えてくれ、『自己(Self)』の全体性のバランスを取るために夢は貢献している」

ということに尽きるのだと思います。

 原則同性の登場人物を『影』といい、異性の登場人物の場合を(男の人なら)『アニマ』、(女の人なら)『アニムス』ということは皆様もご存じでしょう。『影』というのはネガティヴなものではなく、むしろ個性化を進めるポジティヴな面をも持つこと。ただし、それは常にある危険性を併せ持つことも確かだということも、一般に知られているでしょう。

 だから、先日の夢の中の、ライブを抜け出して、抽選で選ばれた男性ayuファンと「謁見」することになっていたayuは、私のアニマ像の投影であると同時に、何らかの私の「影」の側面を内包するし、登場した他の男性のayuファンも、私の「影」だし、「唄うayu人形」も私の分身だし、3人の女子小学生も私の分身であることには変わりがないことになります(夢に登場したayuと謁見する男性ファンは、私を含めて3人であり、女子小学生の数と一致していることにお気づきで、「意味深」と感じた方は、すでに読者の中においででしょう)

 この夢をどう理解するかは、マジに読者の皆様におっぽり出して、好きにいじくってもらって結構ですが(^^;)、

(私は夢分析というものは、ご本人との実際の相互作用のない場での「一般論」としては語り得ないと思ってますので。そうなると、夢解釈「する」人の内面が夢解釈に「投影」される側面が濃厚になるだけのものに留まります。ですから、「どうぞお好きに」と言えちゃうのですね)

 むしろ、ここでもう一つ、私の今朝の夢を紹介しましょう。

*****

 題して、

 「親父の逆襲」

(^^;A.....やっぱりそうなるか.....ってか?)


 ......相変わらず、私は出来の悪い引き籠もり気味で鬱っぽい高校生である。3年生に進級することはできたが、父親は、今後を心配して、今度は、私を外に連れ出して、運動をさせ、鍛えようと私に迫ってくるのであった!!(星一徹モード)

 私は親父から逃げ出すように大学に向かう(え? 高校ではないの? そーなんです。ここで私は大学3年生にすり替わる)。

 通うのは、実際の母校、法政大学市ヶ谷校舎である。雰囲気からして、私が在学当時、つまり25年近く前である。

 私の「同級生」として、私と「同じ」か「少し年上」の全国のフォーカシング関係者の中の何名かがいることになっている(.....さ、さすがに名前はお控えします)。
 時期は4月。進級したばかりで、これから「履修登録」までの期間ということになっている。

 月曜日の午後の時間帯は、3コマぶっ通しで、(ここでは敢えて名前をお出しします。怒られないだろうし)日本のフォーカシング関係者にはおなじみの、村里忠之先生のフォーカシングのゼミということになっています(村里先生は、現実に東京で大学での教壇にもお立ちです。別な大学ですが)。

 みんなはそれに既に一回出たといいます。私は、関心は持ちますが、午前中に予習の必要な外国語必修科目の「英語」のひとつをとらなければならないのに加えて、このディープなゼミ(^^;)に参加するのは、ちょっとしんどいかなと逃げ腰です。

(......ほとんど業界の楽屋ネタですね。現場カウンセリングの経験も豊富で、誠実な、博識ある、日本を代表するフォーカシングの研究・実践家のひとりです。関係者の皆様、笑って許して!!

 しかし、そんなふうに迷ってばかりでいたら、科目登録前に希望する講義をひとまわり試しに聴けなくなるではないかと思いつつも、なかなか出る科目を決めて、実際に出てみる決心がつきません。

 追い詰められた私は、突如久留米の実家の父の元を訪ねて(久留米まで帰る経過なんて出てこない。時空を超えてワープしたとしか思えない)、父の前で両手をついて、次のように宣言します。

「一年間休学させてください!!
 その間、フリーターとして働いてみます!!」

 私は、夢の中で、自分の口をついて出た言葉に驚いています。

 そして、

「フリーターとして働くと先に宣言してしまえば、無理に運動させようしてとした父の機先を制したことになる。「運動」の代わりに「働く」と言ってしまえば父は文句を言えないはずだ」

と、自分のアイデアに感心したりしています。

 そして、更に、

自分からここまで決然と『働きます!!』と言い切れたことなんてこれまでないよなあ。これならホントに、明日からでもフリーターとして働きはじめてもいいかもな......

......などと連想するうちに、目が覚めます。

******

 意外かもしれませんが、私にとっては、何か凄く爽快な夢でした。科目登録から逃げ出し、父親の運動への鞭からも逃げ出すための窮余の選択のようでいて、実は夢の中の自分は、一番新鮮で、適切な、これまでのステップを踏み越えた態度を取れていると感じたのです。

(恐らく、私は夢のただ中でも、現実の日常でと同じように、フォーカシングのモードに当たり前のように入れるのでしょう。だから、一見内容と矛盾するかに見える、夢の中での「フリーターをさせてくれ!!」と言えた瞬間のさまざまな心の動きや「妙な」爽快感を、あっさりスキャンして『みとめてあげる(acknowledging)』ことができてしまうんでしょう。だから、「夢フォーカシング」でいう、「バイアス・コントロール」をあとであまりしなくていいのだと思います。そこまでやってみても、それはそれでおもしろく、ステップは更に進むはずですが.....と書きながら、すでに今「バイアス・コントロール」まではじめてますが、そっちの内容までは略。)

 明日からバイト探しはしませんが(^ ^ ;)、来年の「非常勤一日の求職活動」はとっくにしはじめているのはホントですが。これも私の独断です。すでに「結果待ち」の段階。

 でも、何か「お金を稼ぐ仕事のために」、もっと前向きにできることはいっぱいあるではないか、とは気がつきました。それがなぜか爽快だったんですね。

 なぜ、カウンセリングルームのための「本格的な」パンフレット作りにここまで億劫がって来たのか? デザインはともかく、文章は、既にウェブサイトに掲げたものを整理すれば十分とわかっているし、写真は十分あるし、高速プリンタと、少し上質の用紙も、とっくに安価で手に入れている。Publisherだってとうにインストールしているのに?

 できていて当然のこと、まだやってないでしょうか?....と。

******

 相変わらず、普通なら悪夢っぱくなりそうなな夢を、最後の最後に、夢の中で、むしろ「起死回生の転換点」にできてしまう印象的な夢にできてしまうパターンが続いていることには変わりがありません。

 これはこれで、私の、自分の無意識とのつきあい方が、ある円滑さを持ち、普段から、フォーカシングで、自分の内なる声を確認しながら、毎日の「一切のこと」を決めているがゆえの、無意識との「友好関係」ゆえの、無意識からの「はからい」のような気がします。

 夢が、適切なタイミングで、次のステップを導いてくれるのです。

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2007/01/17

こういちろう、ayu様と言葉を交わしそこなう「夢」の顛末(^^;)

 もうここまで来たら、

 それが「ベテランカウンセラー」の書くことか?

といわれようとどうしようと、

> はさむなら口でも何でもご自由にお気の済むまで
> そんなものに揺らいだりはしない

浜崎あゆみ - Secret - 1 LOVE"1 LOVE" (アルバム"Secret"所収)

でまいりましょう!

(え? とっくにそうやってるじゃんか!!...って?)

*****

夢ネタの続きです。

.....私は、ayu様と直接お言葉を交わすことを許されるひとりに抽選で選ばれます。

 それはなぜか代々木体育館前の歩道橋の下あたりとなっております。

 ayu様は、コンサートの最中に、神宮球場にかつて存在し、来年度の東京6大学の早稲田戦で復活するとかしないとかの噂の"荒木トンネル"ならぬ"斎藤トンネル"ならぬ、"ayuトンネル"を使っているのかどうかしらないけど、ご苦労様なことに、幕間ごとに現れて、園遊会のごとく、ひとりひとりとお言葉を交わすことになっているようでした。

 だいたい、私より若い、20代、30代の男性のみがなぜか選ばれているようでした

(現実にはあり得ん。幕間はayu様にとって一秒の隙もない気持ちの切り替えと衣装替えタイムだし、今のayuだと、十代向け女性誌のタイアップ企画とかで、万が一、あり、ぐらいだろう....)

私は「3番目」ということになっています。

1巡め。この時にayu様に会釈だけはします。えらく緊張してシャイになっている自分に気がつきます。

(.....最近こんな感覚で、素面で人に会うことって、なくなったよなあと、夢の中のこういちろうは自分の緊張し具合に驚いています。半年ほど前、元巨人・ヤクルトの角さんと対談させていただけた時(これは現実)も、全く平常心だったのに....と)

(私は、今は人前では随分社交的で、そつがなくなってきたなと思いますが、酒が入るとハイになるか、シャイになります)

1人目は、全く紳士的に言葉を交わしています。

2回目にayu様が現れる前に、2人目の男性は、

「やっぱり、こうやってayuと直接言葉を交わすなんて、他の多くのファンに対して失礼な抜け駆けだ。たとえ抽選に当たったとはいえ。僕はやはり客席から応援します」

と語ると、代々木体育館の方に向けて歩み去ります。

妙に感心な奴だなあ、と思って私はそれを見送ります。

 2巡めのayu様は、それを知ってか知らずか、数十メートル先の地下鉄の入り口か何に、唄いながら忽然と現れ、再び忽然と姿を消します(それが会場のスクリーンにも中継されているらしい。どういう「奈落」、もとい、「地下要塞」、もとい、「ayuトンネル」の構造になっているのやら)。

 私は、3巡めにほんとうにayu様が私の前に言葉を交わしに現れるかどうかにたいへんな不安を覚えます。

 その時が来た!!

 ところが、ayu様は、突然、私の背後から、唄いながら(!)現われ、怒濤のダッシュをしながら私を通り過ぎ、私はayu様が横断歩道を走り去る後ろ姿を呆然と見送る形になります(^^;)。

 ayu様が横断歩道を渡リ去る時、向こう側から、小学校4-5年生と思われる、通学帰りの小学生の3人組の女の子たちがやってきていて(.....おい、こんな夜中に下校は危ないんでないかい?)、その3人の間を突き抜けるようにしてayu様は唄いながら横断歩道で交差するのですが、

 小学生たちは、

「あ、ayuだ、ayuだ」

「えーっ!! ayuってこんなに小さいんだ!!」

と叫びます。

その小学生たちより身長が少し低いんですね。

 私は、その小学生3人組に対して、
実はここ3年のファンに過ぎないのに、図々しくも、

「そうだよ、ayuの身長は、実際には156cmくらいなんだよ」

と、知識をひけらかします。

(この身長サイズは、ほんとうにそうらしいです。もっと低いという説すらある。とてもそこまで小さいとはステージでは見えませんが)

 しばらくすると、ayu様が再び代々木体育館の方から(どういう「奈落」の構造になっているのやら)駆けてまいります。

 しかし、近づいてくるはずのayu様の「見かけのサイズ」がいつまでたっても大きくならない

 え? これじゃ90cmもないことになってしまうではないか????

....と思った次の瞬間、

 目の前にたたずむayu様は、

Ayupanningyo
.....これよりは2倍ぐらいのサイズでしたが(^^;)、

ゼンマイ仕掛けの「唄うayu人形」

...に、なっていましたとさ!!


フィギュアではない、断じて!! .....木か何かでできている、昭和30年代末のおもちゃ風だったと思う。デザインは写真のayupanのように目が大きくはなかったですが)。

(なお、上の写真のayupan人形は、ayuの卓上カレンダーのおまけのひとつです。購入はミュウモ・ショップでどうぞ。今年のは卓上カレンダーサイズの方にしないと、迫力ありすぎるサイズで、と、とても職場では飾れなかった。なお、卓上カレンダーのayuの写真は標準版と同じものです)

******

.......これが数日前のであります。

 読者の皆様、
 どうかご自由に、
 こういちろうの深層心理をご解釈下さい!!

****

ひょっとして。

> ねえちょっと微笑んで 言葉を交わしただけ
> そんなんでまるで全て わかったような気に
> なってるそこの人 大きな間違い

(浜崎あゆみ - Secret - until that Day..."until that day...")

.....ってか?

 夢の中で、実の父親には負けなくなっても、ayu様には、まだ完全に「気合い負け」している、
こういちろうのようではある.....

 まあ、今度は、「双眼鏡なし」で、ご尊顔を間近に仰げそうだから。

*****

(.....あ、↑このアフィリエイトは、ジャケットデザインではなくて、アットマークジュエリーさんの「仮の映像ファイル」です。もちろん)

最新映画、話題作を観るならワーナー・マイカルで!

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2007/01/15

夢の中のパラレルワールドでの問題解決

 私は、最近、わざわざ「夢フォーカシング」まですることが減っています。

(何か、夢フォーカシングするのが普通みたいな言い方ですが、私の場合は文字通りそうです。夢を覚えていたら、片っ端から一日のどこかで自分でやるのが通常です)

 夢を見るプロセスそのものの中で、夢が悪夢に終わらず、夢の中の私が、それまでにないがんばりを示した結果、夢の中の相手の態度が変化してしまう、という、結構エネルギーはいりますけど、達成感のある夢見を、1,2週に一度、コンスタントに見ることができているんですね、なぜか(^^;)

 夢の中でだけ出てくる、夢の中でだけ行き着ける「お決まりの場所」や、夢の中では自明の前提となっている「状況設定」というものがあり、夢の世界に入ると、「あ、いつものこと」と当然のように認識してしまうという、夢の中の「パラレルワールド」といいたくなる世界を持っている人は少なくないのではないか、という話題は、本部サイトのこの記事で書きました。

 このような現象があるからこそ、夢を見ているのは「私」なのか、現実の「私」は、夢の中で自分がなった蝶の夢なのか、という「胡蝶の夢」の故事が著名なのでしょうが(こちらのサイトに原文があります)。

*****

 私の場合に「夢の世界」でまだ「卒業」していない「状況設定」は、

「高校時代の私は、一時間目と最後の時間の数学と体育の授業を休んでしまう(その時間が終わって登校したり、その時間になると勝手に下校してしまう)クセがあるが、普段はそのことを思い出さないようにしている。だが、教師はそのことについて時々警告を発して、このままでは進級できないことを思い出させて来る」

という状況設定でした(^^;)。.....そりゃ、体育と数学は大の苦手でしたけど、現実にはそこまではしていません。

 昨晩の夢では、その現実が、まだ税理士事務所をきりもりしている(高校時代は実際にそう)父親にバレてしまい、税理士事務所の、約30人の職員の前でそのことを告発され(あの....現実の事務所は、久留米市一大規模で顧客数ナンバー1でしたど、6人以上事務員さんがいたことはありません....)、このブログの活動を停止しろと要求されるのです(^^;)

 高校生であり、なおかつ現在の私だったりするわけですね(^^;)

.....で、父は、久留米市内に外出する私の後をつけまわっては、「ブログやめろ(そうすれば勉強する時間があるはずだ)」を説教してくる。

 私は断固として父を無視して父を巻いてしまおうとする(こんな、父を無視するなんて、現実の私はやったことないです.....)。

 この追っかけっこが延々と久留米市内で繰り広げられた挙げ句、私は激蒿して、父に

「私はやりたいようにしかやらない!!」

という意味のことをはっきり言葉で宣言します。

 .....その翌日現れた父は、私を許すような調子に一変していて、

「まあ、時には勢い余って言い過ぎたことも(ブログでは)あるのではないか」

などという言い方で、私に理解を示します。

*****

 .....で、今日目覚めて、しばらくゆったりして、その夢を徒然なるままに回想するうちに、「忽然と」、今日、大増補改訂した、鬱の記事の改訂のアイデア(吉良先生の「主体感覚」の考え方と結びつけられるではないかということ)が思いつき、空き時間に怒濤の作業をしてしまった......ということになります。

 何か、最近の私って、夢の中のこういう「大勝負」で、底力を発揮して、それまで「夢の世界でも、現実にも」その相手に言ったことがないことを言い遂(おお)せる、というパターンの夢を、月に一度ぐらい見ます(^^) そのたびにリフレッシュしているのですね、何かが。

 そういう時というのは、ほんとうに現実の対人関係が大きく変化したのと同じくらいの影響が、私自身に残るようです。

*****

 私の中に、まだまだ実態と見せかけが解離していることへの不満と罪悪感があるのだろうかとも思います。

 確かに、おかげさまで、以前より繁盛していて、一日あたりの「現金での」収支では黒字になってます。つまり、銀行には「預金」の方がかろうじて多くなってきてます。

 しかしお忘れなく。現金収入にほぼ依存する「自営業者」は、自動引き落としの料金をすべて「預金」できるようになった時こそ、黒字だ、ということ。ATMは、出金ではなく、預金のためにこそ存在する筈。

(ちなみに、楽天で、アフィリエイトしてもいない高額商品をこのブログを窓口にお買い求め下さる皆様(楽天のシステム上、それでもアフィリエイト料金は発生します)、誠に感謝申し上げます m(_ _)m ネットショップに特化しないでブログやらせていただいている割には、コンスタントに、そこそこのポイントを獲得させていただいているほうに入るみたいですので)。

.....そうした中、たまたま今週は先週までより少し予約が少ない。(来週以降になると既にご予約コンスタントにいただいています)。

 これでは久々に週あたり赤字になるではないか!.....そのことが夢にかなり影響していた気がします。


*****


 ちなみに、現実の私の父親は、いくら私がネットのことについて吹聴しても、インターネットそのものを使おうとしません(^^)。パソコンは、今も細々と続けている経理の仕事(私と同じで、誰にもパソコンの基礎は学んでおりません)と、ゴージャスな一眼レフデジタルカメラを使った写真の印刷のためにのみ存在します(だから、プリンタは、私の手が届かない、Canonの最上クラスの機種です)

 ....まあ、「このブログをいつ突然読まれてもいい」、というつもりでしか書いてはいませんが。

*****

.....というわけで、今回のアフィリエイトは、こういうテーマの場合の、私の世代のアニメファンのお約束(?)

劇場版「うる星やつら 2 ビューティフル・ドリーマー」(押井守 監督・脚本)

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2006/10/06

「幻想」vs.「幻滅」? 「錯覚」vs.「脱錯覚」? [後編]

.....で、前回の続きです(^^)

 日本語でいう「錯覚」という言葉には少しnegativeな響きがあります。でも英語の"illusion"は、某サーカス的パフォーマンスの名称に使われていたことからもわかるように、否定的なニュアンスは必ずしもないのですね(^^)

 ところが、日本語で「幻滅」という言葉になると、明らかにnegativeな響きになる。このあたりが、"illusion"という言葉、ましてや、否定形("dis-")である、"disillusion"という言葉の翻訳を、更にデリケートな問題にしてしまうのであります(^^;)

少なくとも、

「幻滅」よりは

  「脱錯覚」
  「脱幻想」

の方がニュートラルな感じで、好ましいでしょう。

*****

 しかし、この際、「日本語心理臨床」を更に突き詰めて行くなら、

(き、北山修先生! .....皮肉や悪意は何もないです。浜崎あゆみの「曲は知らない」と去年の日心臨の懇親会で言われて"disillusion"したことなんて、ぜーんぜん気にしてません、信じてください!!..........なーんて書いたらダブルバインド......ではなく、ウィットとして理解して下さるでしょう(^^;)。このへんが、日常会話ほどネットの文字ではニュアンスが伝わらないということの厄介さ!!)

 例えば、

”disillusion”=「醒(さ)める」こと

なんていかがでしょう?

夢から「醒める」という時の、「醒める」です。

    「醒める」ことは、
   「劇的な」プロセスではなく、
   秘(ひそ)やかに、
   静かに、
   生じる

ことという気がしますので(^^)

*****

推薦BGMは、もちろん、


en-Ray - Chai Chai サントリー烏龍茶ソングコレクション - あの素晴らしい愛をもう一度「あの素晴らしい愛をもう一度」

ということで(^^)

 オリジナルではなく、en-Rayの「中国語」カバーを引っ張ってきましたので、若き日の北山先生のお声ではありませんが.....(^^)v!

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2006/08/16

ayuの見果てぬ夢か?  ~浜崎あゆみ/"BLUE BIRD""Beautiful Fighters"によせて~(第2版)

■送料120円 Cタイプ■浜崎あゆみ■CD+DVD【BLUE BIRD】■'06/6/21発売"浜崎あゆみ"BLUE BIRD"/"Beautiful Fighters" 浜崎あゆみ - BLUE BIRD - EP

 前の記事のコメントで、ぽろっと書いたことを、やはり独立した正規記事として、もう少し詳しく書きましょう。

【送料無料】浜崎あゆみ/A Song for ××"A song for ××" 浜崎あゆみ - A Song for XX - A Song for XX

 「居場所がなかった

 と歌ったayuが、

 遂(つい)に"、

 "BLUE BIRD"で
 
 「居場所がいつもここにあった

 と歌ったことの意味。

 そして、

浜崎あゆみ/Endless sorrow"Endless Sorrow" 浜崎あゆみ - I Am... - Endless Sorrow (Gone With the Wind Version)で、

 「僕に片方だけでも翼があれば君と一緒に」.

 と歌った彼女が、

 この"BLUE BIRD" で、

詞の脈絡まで丁寧に読まない人には気づかれないような「巧妙な」形で、

「片方だけの翼を『もらう』」側に自分を立たせたことが、

どれだけ深い、

彼女の、

永年のayu ファンへの

「暗号通信」か、

わかってる人、どれくらいいるのかな...

*****.

 実は、このマキシアルバムのDVDのプロモーションビデオの内容は、ある意味でayuが全く異なるステージに向けて歩みだしたことを如実に示している。

 ここ3年の「夏向けソング」である、

浜崎あゆみ/INSPIRE(DVD付) "inspire"浜崎あゆみ『INSPIRE』(Winユーザ向けダウンロード版)

 浜崎あゆみ/fairyland(DVD付)"fairyland"浜崎あゆみ『fairyland』(Winユーザ向けダウンロード版)

のPVと比較して観ていくと、ひとつの愕然とする事実に気がつかされる筈なのだが...... 

******

 そして、実はそのことは、もう一曲の"Beautiful Fighters"という、まるでセーラームーン/劇場版 美少女戦士セーラームーンR「セーラームーン」の主題歌にも使えそうな曲(^^)のプロモーションビデオ(ちなみPVの中で中央に立ってる女性、ayuを含めて5人だったりする....さすがにこれは偶然かも?)にも、共通項として反映している。(ちなみに上記「劇場版R」の学会発表の内容はこちら!!)

 もう、ayuは「みんな(ダンサー)の中のひとり」に過ぎないんですよね。
 
 そして、ほんとうに、「聴衆と同じ目の高さに」立とうとしている。しかもその聴衆たちは....

 だから、ドジな「フ○ー○ー」の「中の一人」の役もするわけだし、もはや「ステージとの段差」がない空間で、しかも「すでに日常接していた」聴衆に囲まれて歌うわけです!!!

 突然ですが、

> 昼間俺たち会ったら
> お互いに「いらっしゃいませ」なんてな

なーんて(^^)

 
中島みゆき - 親愛なる者へ - 狼になりたい中島みゆき「狼になりたい」

******

 でも。

 "BLUE BIRD"のPVの最後で3秒ぐらいだけ、ふとみせるayuの表情と、クルーザーでの集団シーンと交互に現れる、「独(ひと)り『頂点』にいる」、歌うayuにこそ、「ほんとうのayu」がいるわけですね。

 「青い鳥」=”見果てぬ夢”


......あの、他にいないんでしたら、「同じ孤独」を知る、私がしあわせにしますけど.....(爆)

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2006/08/12

「すべては偶然なんかじゃなく、すべては必然なコトばかりなのかも知れない」(第3版)

 先週もご紹介した、msnの「のだみ流・働(はた)楽(らく)論!」 の連載、、第12回 「計画された偶発性」の実践(前編)は、に続く、第13回の「後編」も、いよいよ素晴らしい内容です。

> クランボルツ教授は、
> 数百人のビジネスパーソンのキャリアを分析した結果、
> 「キャリアの80%は予期しない偶然の出来事によって
> 形成されている」という興味深い結論を導き出しました。

> 絶世の美女と付き合いたいなら、青山を歩け。

******

 すでにここでも詳しく書いたように、私の生涯そのものが、まるで「神様が仕組んでくれた偶然の積み重ね」めいたところがあります。

 そこでも書いたように、フォーカシングと、当時立教の村瀬孝雄先生との出会いそのものが、ほとんど「神がかり的」な偶然でした。

 更に、その孝雄先生(奥様の嘉代子先生と区別するためにこの言い方で通させていただきます)が、「不本意ながら」東大に引き抜かれてしまうという、更なる運命の転機。

 孝雄先生ご自身は、東大に移られることを「栄転」などとは全く考えておられず、立教の教授として勤め上げることしか考えていなかったのですね。

 そのくらい、学会政治的には無関心、ただ研究者としての己れの良心に誠実でありたいと願うという点では、ほんとうに「永遠の青年」のようなピュアさをお持ちでした。 「だからこそ」、一介の「フォーカシングおたく」に過ぎなかったはずの私を院生として迎えて下さったのだと思っています。

 私が決して忘れない光景。

 「これで私の人生設計はすべて無茶苦茶になった!!」

と、孝雄先生は、立教の研究室で、院生たちを目の前にして、公式発表の場で口にした途端、「号泣された」のです!!

 それは、当時M2だった私にとっても、将来への決定的危機でした。

 「村瀬あっての阿世賀の立教大学院入学」だったのだから!!

 「もし、私が立教に残っていれば、君を博士後期まで面倒見て、研究者としての道を開いてあげられたのになあ.......」

 私が博士後期課程の試験に不合格になった(これは、当時の教授会の「全く適切な」判断だったと思います。残された教授陣にフォーカシングを指導できる先生がおられなかった以上)その日、二人だけの時に、孝雄先生自身が漏らされた言葉です。

*****

 私はここで、孝雄先生自身すら考えも及ばなかった「生き残り策」探しを始めます。
 
 どうして「その時」そこまで勇気が出たのか今も思い出せません。

 「東大の大学院研究生になれないか??」

 この調査は、何と孝雄先生にも内緒、当然「置いて行かれる」他の院生にも内緒の「隠密行動」でした。

 自分で赤門をくぐり、東大大学院の入試課を訪れ、大学院研究生の募集要項を手にする。
 
 基本的には、東大の教育学研究科の教育心理専攻の博士前期課程修了者でないと資格がないことを示唆する内容が、必要条件の「第2項」までには書かれていた。

 ところが、それに続いて、次の「第3項」があるのを私は見落とさなかったのです。

> 3.これらと同じ水準にあると認められる者

 私はこのことを確認した時点で、はじめて電話で、孝雄先生に「東大の大学院研究生になれないか?」と打診しました。

「無理ではないか」

と最初言っていた孝雄先生の電話口の声が、私が、先ほどの「第3項」を伝えた瞬間に突如明るくなります。

「うん、それなら君を連れて行けるな!!」

 私が東大大学院研究生3年間という、実質博士後期満期退学に近い最後の学歴「のようなもの」を獲得し、東大や九大をはじめとする旧帝大系の心理教育相談室出身者と同等のキャリアと人脈という「財産」を手に入れるきっかけは、たったこれだけの、向こう見ずな勇気のなせる技でした。

  「フォーカシング研究者」としての阿世賀は、ここでこの決断をしなくてもこの世に存在したかもしれない。

しかし。

「開業カウンセリングにおいても十分にその能力を発揮できる、現場臨床家」

としての私は、現在、この世に存在しなかったと思います。

その後、村瀬孝雄先生が早世された「逆境」すら、私は「運」に転じてしまいました。

 亡くなった以上、自分の師に甘えられない。でもそれは、師に拘束されないということでもあります。

 それだけ自立心の強い存在になるしかない。

*****

 私の両親の健勝と経済的安定が私を支えた「だけ」ではないか、と感じる方には申し上げたい。

 仮に両親が同じ状態にあっても、私が大学院浪人のまま、ただの駄目社会人でアニメおたくであるに過ぎない人間に留まる確率は、いくらでもあったでしょう? と。

 両親が健勝で経済的に安定していさえすれば夢がかなうほど、世の中は甘いものではないでしょう? と。

 敢えて言います。両親の健勝を支えているのは、実は私がある意味で「逆境に対して不屈」で、すべてを「運」に変える力を発揮してきた「から」、でもあるのではないか?と!!

第3坂で増補:
 
私はアニメファンを決して軽蔑はしていないつもりですし、アニメおたく、即社会人として駄目とか全然思っていませんので、誤解のないように。若いフリーターの皆さんにも、「私にできない生き方をしている」と心から敬意を払っています。

 ayuファンがアニメファンより上級という意識もないです。私がayuの熱烈ファンで、コンサートにも行き、学会発表までしたと知ると、大半が受験秀才であるに過ぎない若い院生たちの大半が「引く」のを学会の場でいくらでも体験してきましたしね

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 きっと、私がayuファンというだけでスーパーバイズを受けようかどうか迷っている人たちがきっとたくさんいるでしょうけど(^^;;;;;;;)、アニメへの詳しさという点だけなら、私が斎藤環先生に全然かなわないのは間違いないです。何しろ直接の面識があり、今ご紹介した本にあたる内容の講演も、ものすごいアニメの図版集付きのパワーポイントのプレゼン付きでお聴きし、エヴァンゲリオンの深層心理私のエヴァ本ですら「とっくに」読んでおられましたから。

「だからさ、今日の講演の企画者の中にあなたがいるとわかっていたから、今日は『エヴァ』ネタ多めにしておいたでしょ?」

私はむしろ、私の存在のあり方そのものを、

「アニメおたくでayuおたくだって、
何にだってなれるかもよ。
私の後に続け!!」

励みにしてもらえれば、とすら、思ってます。

 .....これこそ「傲慢な」言い方に写るかもしれませんけど、私が「おたく」ではあっても「エリート」でないことは、このブログの読者の皆様は、もうおわかりでしょ? 私は一介の「フォーカシングおたく」としての「出自」を決して忘れないつもりです。)

******

 実は、こうした成り行きをまるで「神秘」のように感じていることそのものが、私を最終的には傲慢に陥らせない「謙虚さ」を保たせています。つまり、

「神様は、私がそれにふさわしくないと思われたら、いつでも『容赦なく』私からその役割を取り上げてしまわれるに違いない」

と感じています。

では、「私に」できるのは何か?

自分にその時与えられた状況をすべて「神の意志」とみなして

「必死に『神の声』=『フェルトセンスの声』を聞き漏らさない生き方をすること」

だけなんです。

神(=フェルトセンス)が私に「開業せよ」と命じたから開業しただけです。

私は特定の宗教の信者ではありませんが、神の「臨在」は確信しています。

*****

 なお、「神との対話」とフォーカシングの関係については、スイスの偉大な法律家にして、「幸福論」「眠られぬ世のために」で著名な宗教的著述家、カール・ヒルティについて私が書いたことをご参照下さい。

 この記事のタイトルは、浜崎あゆみの
浜崎あゆみ - I Am... - Daybreak
"Daybreak"
の歌詞より取らせていただきました。

浜崎あゆみ/I am...4rdアルバム "I am..." 収録

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2006/07/30

ちなみに、今の私が一番思い入れのある中島みゆきの曲は.....

【CD】中島みゆき / Singles II <2004/7/21>中島みゆき/歌でしか言えない"Maybe"です。
中島みゆき - 歌でしか言えない - Maybe

 恐らく、カラオケで今歌えといわれたら、最後まで「冷静に」歌い通せる自信はないですね(^^)

 でも、この歌ぐらい、深い癒しがある曲はないと思いますよ。

Interactivebooks_1
インタラクティヴ・フォーカシング
でいう、

"compassion"(=痛みを-共にする-こと)

極致の曲の一つ
だと思います。

 この歌と、この歌を好きだという人を、どのように受容できるか?

 そこに、そのカウンセラーの力量もろにあらわれると思います。

少なくとも、その場に居続けるのもつらくなる人や、表面的な「同情」の言葉しかかけられないようなら、そのカウンセラーは現場に出る資格はないと、私は確信していますが。

 逆に、この歌を、かっこいい、希望に満ちた歌だ....としか感じない人も、どんなもんでしょうかねぇ.......

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すでにiMix送信はしました

 あとは、iTunes Music Store側の処理を待つだけです。

 どれが私のiMixかは、私が掲載を確認した時点でお知らせします。

 でも、わかる人にはiMixのタイトルだけでもろわかりと思います。

 相当に、選曲と「曲順」にこだわりましたので、興味のある方はよろしく!!

 ちょっと「前期」に選曲が偏っているのは、同時代ファンから一度離れた「中期」以降がまだ聴き込み不足のせいです。このあたり、今後アップデートしていくと思います。

 iTunes Music Store(Japan)

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2006/07/24

ネット上の、鬱病克服、社会復帰の秀逸な記事のご紹介(第3版)

msnのこのページにあります。

ここまでリアルで詳細なのは珍しい!!

 この人の場合、

   自分の気持ちを大事にし、
   決してあきらめず、
   安易に妥協することなく、
   自分の仕事のあり方の、
   「理想」と「現実」のギャップと「戦い抜き」、

   そしてキャリア形成の上で、
   大変いいコンサルタントと巡り会えた
   「出会い」の意味も大きかった

ようですね。

******

そうそう、

「お風呂に入るの面倒になる」んですよね全く!!

 私は自分で入浴法に工夫を凝らし、正味10分、しかも入浴が楽しみになる「動機付け(motivation)を高めるように、男の癖して、わざとマルセイユリキッドソープ リフィル オリーブ(ラベンダーの香り) 1000mlちょっと凝った入浴剤☆天然のスポンジ(海綿)☆5個買うと1個プレゼント!!送料も無料!!「海綿様」を購入したのを思い出しました。

今はもう、その入浴剤使いません(でも、皆様結構薬局とかでご覧になったことあるはずの泥炭石3ヶセット泥炭石鹸使ってるのです。確かに毛穴まできれいになる感覚ありますよ)が、あの当時は何とも有効な「投資」だったと思っています)。

そうそう、私の本部ページの記事に、

「フロイトと海綿の対話」

という、「不朽の名作」があります(これこれこれも参照)。

これ、何と「学会発表」を「実演付き」で昨年やって、大受けしたのですが。

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@niftyココログでカテゴリーが多い人が即座に画面に新規記事や更新を反映する裏技!!(第2版)

 ・・・・・というわけで、「オリヴィア・ニュートン・ジョン」すらカテゴリーへの直接リンクが「ベスト20」に食い込むという、予想外の事態を迎えましたので、歌手別ではこれまでカテゴリーを持たなかった、

「井上陽水」「カーペンターズ」「Queen」、更に、夢フォーカシングとの関わりが密接な「ゲシュタルト療法」(ジェンドリン自身、そこから影響を受けていることを著作の中ではっきり認めている)の4カテゴリーを増設させていただきました。

*****

 この@niftyココログのいいところは、カテゴリーの増設が無限に許されていることなんだけど、そうなると、トラフィックがひどくなると、新規記事や記事の更新、コメントの掲載がなされなくなるという弊害を抱えています。先日の2日をかけたメインテナンスでかなり改善されましたが。

 そこで、そういう、カテゴリーの多さでこの問題に苦しんでいる人向けに、「裏技」対策をお知らせします。結構気づいておられる方も多いかと想いますが。(「ブラス」コースの場合の例です)

1.記事を投稿して"Proxy Error"が出たら、「管理ページ」→「ブログ一覧」に入り、該当するブログを選ぶ

2,「設定(の変更)」→「表示設定」を選び、実際には何の表示設定も変えないまま「変更を保存」を押す

3.すると「サイトに反映」の表示が出るのでそれをまたクリック。

4.すると小さなウィンドウが開く。ここでまず「メインページのみ」を押す。

5.「反映終了」の表示が出たら、今度は「個別バックナンバーのみ」反映を選択する。すると40ページずつ反映されていく様子が見れます(私の場合、この記事が450番目ですから、何と12回画面がこの時点で自動的に変わるわけですね。私はだいたいこれに総計2.3分かかります。

6.同じことを次は「月別バックナンバーのみ」反映でくり返す。これは400ページをひとまとまりとしてやりますので、私の場合、2つめの「401-450ページに反映する」まで画面が一度だけ切り替わるわけです。だいたい今の私はこれの完了のみで40秒前後。

7.同じことを最後に「カテゴリーバックナンバーのみ」反映で繰りかえす。これはブロードバンド光回線の私の場合すら、数分後に”"Proxy Error"が出て未完に終わるのですが、実際にはカテゴリーの大半に反映済みのようです。

*****

 なお、これと同じことは2.の時点で「デザインの設定」に入って、実際にはデザインを変えないまま「設定を保存」にしても、あとは、4.以下の形で同様にできますが、私の経験では、この「デザイン設定」の保存し直しより「表示設定」経由の方がトラフィックが楽なようです。

 もっとも、ワールドカップの時はこのやり方すら通用しない時間帯がありました(^^A

 @nifty側も更に根本的な対策(=データーペースの分散化)を計画しているようですので、それを待ちましょう。

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2006/07/21

「人生が二度あれば」vs.「命のリレー」 (第3版)

 この直前の「引きこもり」現象についての記事、「後編」までの間の「間奏曲」

井上陽水の代表作の一つに井上陽水 ベスト・コレクション「人生が二度あれば」という歌
井上陽水 - 井上陽水: シングル・コレクション - 人生が二度あれば
がありますよね。老いて行く、自分の父母への思いを歌った歌です。
 
 平凡な、多忙な人生を送って老いつつある両親のことを思う時、アングラ時代から音楽の道一筋に突っ走り、放ったらかして、迷惑ばかりで、親孝行できなかった自分への後悔の念がこもった歌、というのが、一番自然な受け止め方でしょうかね。

 でも、この歌、「人生が二度あれば」
 と高らかに繰り返し歌い上げこそすれ、
 「もし2度あれば、どうしたいのか」ということまでは、
 言葉で具体的に語っていない。

 ......などという言い方は野暮の骨頂で
 
    「もう、取り返しがつかないんだ!!!」

ということこそ、この歌の言葉にならない深い思いなんだとおもいます。

 そして、実はその絶望的な思いと「直面した」瞬間、実は「癒し」が微かに始まるのかもしれない。

******

 これに対して、中島みゆきの比較的最近の作品、中島みゆき/転生「命のリレー」(スタジオ録音版はアルバム「転生」収録、
中島みゆき - 転生 - 命のリレー
2004年「夜会」ライブバージョンは、帰れない者たちへシングル「帰れない者たちへ」
中島みゆき - 帰れない者たちへ - Single - 命のリレー <'04夜会ヴァージョン>
に収録)

 自分という「個体」の果たし得なかった夢や願いは、後続世代にバトンタッチするしかない。

 そして、自分の見ている夢や願いそのものが、実は「過去の世代の」無念の思いを引き継いだに過ぎないものなのかもしれない。

******

 私は、散々親に甘え、迷惑をかけてきた。
 気がついたら両親が年老いている。
 そのことへの深い、いいようのない罪悪感は一方にある。

 しかし。「独立開業」という道を歩み出した時、「経理」「心理」という、まるで違う畑ではあるが、父の「後継者」になったといえる。

 父(祖父)を戦争で失い、大陸から無一文で引き上げ、学歴も何もないまま市役所の小僧から叩き上げた、顧客数、久留米近辺随一といわれた「経理の職人」の父の「血」と、「生き様」が、今の私を支えている。

 税理士事務所の仕事とは、中小企業の「経営」の実態を、裏の裏まで知り尽くすということだ。

 その父が、今、私の「経営・経理部門」最強の「参謀」なのである。

 教員やカウンセラーの世界しか知らない人の常識を越えているかもしれない「個人開業」の手法そのものは、私が自分で、ほんの2,3時間で考えたものである(独立開業を思いたった正真正銘「直後の」書き込みこれである。現実の現在のWebsiteと比較していただくと、ほとんどそのまんま!!

 しかし、何らかの契約締結などの際には、常に父の助言を参考にし続けている。

 父から学び続けられる日々、そしてその父を支え続けた母との日々が、末永く続くことを、祈り続ける息子なのである。


 iTunes Music Store(Japan)

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2006/07/20

今後、大学学生相談において、従来の「社会的引きこもり」に相当する学生についての相談は減って行く可能性がある(1) [第2版]

 30歳前後までの若い世代が陥りやすいとされていた問題として、「摂食障害」と、「引きこもり」が代表的なものとされてきたことに異論を挟む人は少なくないだろう。

 これら2つは、その時代の文化や社会、経済・雇用情勢や学校教育、マスコミの報道のあり方と密接に結びつき、ほとんど10年から12年という短期間のスパンで見ても、世代によって、その中心となる病態(私は「引きこもり」に対して「病気」という言葉を使うことに著しい抵抗感があるが)が、驚くほどのスピードで変化して来たことに特徴がある。

 摂食障害は、まずは「拒食症」(神経性無食欲症 anorexia nervosa)が注目を集めた。

karen そのひとつのきっかけが,1983年、カーペンターズ
Carpenters - The Carpenters: The Singles 1969-1981
のカレン・カーペンターがこの病の末に心臓発作で亡くなったことがマスコミで大きく取り上げられたことがが大きかったことを覚えておられる世代の方は少なくないだろう。

 なお、カーペンターズの伝記としては、
「カレン・カーペンター -栄光と悲劇の物語-」(レイ・コールマン著)
が、生育歴、音楽面、
私生活、カレンの病状を含めて、
たいへん秀逸である。

 しかし、摂食障害は、病態の中心を次第に、いわゆる「過食症」、すなわち「神経性大食症 Bulimia nervosa」に病態を移して行く。
 .....というか、「拒食症と過食症を往復する」形で、著しい体重の増減を繰り返す事例が多かった時代があるように思う。

 そして更に、無茶食いと自発的嘔吐を衝動的に「一気に引き続いて」行う、「過食嘔吐」を中心とする時代へと移行して来たように思われる。なお、過食嘔吐をする人は、実際には拒食症と近い、脳や身体の生理学的状態にあるとされることが多いようである。

 私は、20年弱におよぶ大学学生相談のカウンセラーとしての経験の中で、これらすべての病態のクライエントさんとお会いでき、その中心となる病態の変化をすべて体験できた世代である。

*********

 さて、これと似た、比較的短期間における、主たる様式の変化があったのが、大学における、いわゆる「退却神経症」である。

 大学生における退却神経症は、古典的な分類においては、「1.選択的退却」「2.全面退却」とに分類されていた。私はこれらに加えて「3.進路選択延期型退却」という分類も考えてみたい。

 1.「選択的退却」とは、

 「学生における本分である(???)学業、すなわち、講義への出席と試験、レポートの提出をほとんどやれない状態になっているが、アルバイトやサークル活動などの形での集団や社会への参加には積極的であり、しかも卒業後のそなえての求職活動はほとんどしないまま、ずるずると卒業を延期するが、すっぱりと大学をやめてしまったり、他大学や他学科、専門学校などへの転学をするわけでもなく、今日で言う「フリーター」としての生き方や、少なくとも自分がほんとうに就きたい職業を目指しての積極的活動(大学院受験、小説家や漫画家や、インディーズであってもミュージシャンとして生計をたてることをめざしての活動、職人への弟子入りなど含む)を「積極的に」していくわけでもない学生たち」

といったあたりであろうか。

*******

 2.これに対して大学学生相談における「全面退却」とは、

「学業のみならず、大学の対人関係そのものになじめず、友達もできず、サークルも、入ったとしても短期間のうちにやめてしまい、かといってアルバイトもほとんどしないまま、大学や社会に『居場所がない』と感じつつ、ずるずると進級→卒業を延期する学生。得てして自宅やアパートに引きこもり、近くのコンビニや買い物以外の活動はできず、主なる生活資金は親からの援助に依存している

......こういった場合である。

 私は、この「2.全面退却」型の中に、更に、

2-a.「特定の趣味などへの強烈な好奇心と、そのための『消費活動』(ネットブログや掲示板への書き込みにも積極的)という形で、限定された接点ではあるが、外の世界や対人関係への強烈な関心と『経済活動』『社会参加』はできるタイプ」

と、

2-b.「好きなものは何か? と尋ねられても答えに困惑するばかりで、毎日をテレビやネットの『閲覧』のみで『漫然と』過ごすタイプ」

が更に分類でき、これらのの二つのサブ・タイプはかなり異質だと、学生相談現場での経験から、感じ続けていた。

 (最近は、それこそアフィリエイトのネットショップネットオークション、中古市場取引で利ざやを稼ぐ人や、有料会員制のサイトの運営、ソフトの制作・販売などのインターネット活動は積極的に繰り広げる中で、生活資金は自前で見事に稼いでいるという人たちも増えて来た。このタイプの人は、この2つの「古典的な」退却神経症のイメージにはまらない、独特の社会「適応」・社会経済活動への「積極参加」の様式と考えられるが、そうしたケースはここではまだ詳しく論じず、別の機会に譲りたい)。

********
 3. さて、もう一つのケースとして私が提案する、「進路選択延期型退却」というのは、

「大学での学業には非常に積極的に関与し、成績も得てして優秀であり、講義やゼミへの出席率もきわめて高い。しかし、自分からのブライベートな対人関係の形成や、自分からの自発的なバイト探しはできず、大学内部を離れると友人関係は、高校や中学時代からの友人に限定される。かといって、大学院に進学するなどして研究者や専門家(司法資格や臨床心理士)への道を踏み出そうという、「積極的な努力」にはなかなか踏み切れない。そして、就職活動に対しては極めて消極的で、自分が「一般社会」で大人として生きて行けるかどうかに不安を抱えたまま、「卒業延期」したり、「卒業しても」、他大学や大学院、司法試験に向けての積極的な「受験勉強」にはなかなか「身が入らない」

 はっきりいいますが、すでにここで書いた通り、私は3.タイプの学部学生でした。A獲得率92%、いわゆる「落とした」単位ゼロ、講義やゼミへの無遅刻無欠席。就職課に入ったことなし。所属したサークルは「臨床心理自主ゼミ(この自主ゼミはその後、実際の臨床心理士や福祉専門職ばかりではなく、「意外な」業界の「意外な」人材を何名も輩出するのだが)」、心理療法やカウンセリングの本は山ほど読んでいるけれども、他大学の心理学大学院への「受験勉強」、特に「非・臨床系」の勉強には内的葛藤が激し過ぎて、現役合格似失敗。(心理学系の大学院は「その当時」その大学になかった)
 でも、卒業はしてしまい、親に許しを得て、「専業大学院浪人」となり、幾つもの大学の心理系の聴講生となる。
 私の場合には、そうやって実質「プータロー」になりたての年の5月、ジェンドリンの著書「フォーカシング」との運命の出会いがあり、フォーカシングの専門の先生のもとでフォーカシングを更に深く学ぶためなら、実験系や学習心理、社会心理、統計などの「非-臨床系」の心理学を独学で勉強することにも積極的になろう、と思えたところで、やっと人生の方向がとりあえず定まったことはすでに別の記事で書きました。

 この時点では、「研究者」を目指すか、「現場臨床家」を目指すかは判断がつきませんでした。ただ、本音のところでは、優秀な「現場臨床家(psychotherapist)」の方が「臨床心理学者(clinical psychologist)」よりも偉い!!(^^;A .......となぜか感じていましたね。そちらになれる自信は「まるで」なかったのですが。

 その後、非常勤12年、そして「常勤」の学生相談カウンセラーを5年務め、フォーカシングでは、「国際資格認定資格者」としてまで認めていただき、そして独立開業したわけですから、私は、職業面では、すでに自分の人生の最大の夢の実現者です。

 あとは、職業人としては、

現場臨床家としての腕を『生涯、絶えず、更に』磨き続けたい」

ということと、

「も少し生計安定したい」

そして、

「自分が学んで、身につけて来たものを、きちんと後続の世代に遺産として残したい」

だけですね。

 ま、3つめは、いつ私が死んでも、「このブログを遺著として編集して出版して欲しい」という遺言だけは、『すでに公然と』このブログ自体で繰り返して書いて来た通りです。
 もちろん、生きられるなら100まで絶対生きたいし、許されるならば、身体が動くうちに、世界の私が本でしか知らない国々を、実際に旅してまわって、観てみたいのですが。優先順位は、イスラエル、ドイツ・オーストリア、スペイン・ボルトガル、スイス、ペルー・チリ、アイルランド、イギリス、オーストラリア、オランダというあたりかな。

************

 ちょと一息、私のフェルトセンスが「一息つきたい」と言い出しましたたので、未完のままでとりあえずアップします。

 続き、すなわち、今後これまでの意味での「引きこもり」は、少なくとも「大学の学生相談の対象としては」確実に減少する、という、私の肝心な見解の部分は、また今度に。

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2006/07/16

夢フォーカシングについて(第3版)

そういえば、私、このブログで最近、

Dreamfocusing_1
「夢とフォーカシング」村山正治編訳 福村出版

については何度も引き合いに出しつつも、ジェンドリンの「夢フォーカシング」についてはまとめて一度も紹介したことがなかったと気がつきました(^^;A
 
 私の専門とするフォーカシングにおける夢理解は、ユング的、特にドリームワークボスナックの"Dreaming Body"(ボスナック氏来日時に一日セミナーを受講しています)、あるいはエンプティ・チェアの心理臨床ゲシュタルト療法のempty chair(倉戸ヨシヤ先生ご自身をはじめとして、どういうわけか日本人間性心理学会を通して、日本の関西のゲシュタルト療法の関係の諸先生方と親しくさせていただく機会が多かった私です。もっとも、ゲシュタルト療法のワークショップそのものには1回しか出席させていただかないままです)との類似性が高いのですが、ジェンドリンは、

 「夢を見た当人は、日常の中でと同じような仕方で夢解釈をしようとする傾向が強い。だから夢解釈が役立たない(悪夢はただの「反復強迫」に終わる)のだ。それを超えるには、"bias control"をかける必要がある」

と述べ、夢の中の、あまり重要で「なさそうな」登場人物に「なってみて」、その「登場人物」を「演じる」つもりになり、内側から感じてみる、などを推奨しています。

 場合によってはその夢の中にさりげなく立っていた「木」でもいい、とすら。

 まさに自分自身の「影」や「アニマ」に「なってみる」というやり方ですが、精神分析の脈絡に置き換えれば、これなんて、ラッカーの「補足的同一視」の自覚的再体験によって治療者自身の自我の再統合をはかる、ということに当たるのかなと思います。
 
Esprit410hyoushi_1
 なお、ラッカーの「補足的同一視」と、フォーカシングにおける「治療者の逆転移の活用」との関連については、私の先輩に当たる、学習院大学の伊藤研一先生が、現代のエスプリ 410 「治療者にとってのフォーカシング」(伊藤研一・阿世賀浩一郎 編  目次はこちら)の中の伊藤先生自身による論考、「『治療者のフェルトセンス』と『逆転移』」で、詳しく論じておられます。

******

Izanai
公刊された著作に書かれた、
日本人による
夢フォーカシングの実例としては、
「フォーカシングへの誘い」池見陽 編/サイエンス社

における、
関西の代表的フォーカシング・トレーナーである森あい子さんがお書きになった自験例が、「もう、これ以上にわかりやすいものはない」というくらいの、抱腹絶倒の「傑作」です。

 ちなみに、私の本部ページの「フォーカシング入門」のひとつの章で、「夢フォーカシング」についての私自身による解説を試みていますが、そこでこの森さん自身の夢フォーカシング体験の概要を引用させていただいています。

 更に言えば、私自身、夢フォーカシングについての論文を書いています(学術論文寡作の私にしては珍しい例外!!)

阿世賀 浩一郎「夢フォーカシング技法の面接場面への適用に際しての幾つかの実用的示唆」 人間性心理学研究 第11巻 第2号 1993

 更に忘れてならないことを言えば、今現在、日本で一番熱心に「夢フォーカシング」に取り組んでおられるのは、これまた私が大学院時代からの知り合いの、福岡大学人文学部の、田村隆一先生です(私と同じThe focusing Instituteのコーディネーターの資格をお持ちです)。
 私も参加した2005年のトロントでのフォーカシング国際会議でも、田村先生ご自身が、夢フォーカシングの分科会を持たれました。
Focusingworkbook_1 田村先生による、「夢フォーカシング」についての紹介と論考のうち、
一般の方にも入手しやすい文献ととしては、
左のブックレビューにも掲載している、「フォーカシング・ワークブック」
「夢のフォーカシング」という、
4ページに凝縮されたマニュアルがありますし、

Esprit382hyoushi現代のエスプリ 382 特集「フォーカシング」
(村山正治編 目次はこちら)に、「フォーカシングと夢分析 -臨床上の有効性と留意点」
という一章があります。

 最初に言及したジェンドリン自身の著作に加えて、こうした資料や専門家をおあたりになると、なぜ私が、
ispot ココロとカラダの癒しすぽっと検索
「支店」Websiteの方の、「メニュー」のコースごとの詳しい解説で、「夢フォーカシング」コースについて、

フォーカシングを活用した夢分析。
それは、この世に多く出回っている「夢解釈」のように、
「海に浮かぶ」=「おかあさんの子宮の中に戻りたい」
みたいな、
夢の内容から、まるで「辞書を引くように」
答えを見つけるものではありません。
あなたと一緒に、
夢の中でどんな「感じ」でいたかを丁寧に振り返る中で、
あなたもびっくり、カウンセラーの私もびっくり!!
みたいな、
予想もしない答えを一緒に見つけていくものです。
フォーカシングの経験がなくても大丈夫!!
占い気分でやってみたら、
あなたをスリルとサスペンスと爆笑にみちた、
アドベンチャーゲームにご案内します。

などと解説したのか(この「女性誌文体」も私自身が書いた文なんです.....)、おわかりいただけると思います(^^)

*********

 ところで、私は、クライエントさんについての夢はほとんど見ないタチです。
 きっと、むしろ、クライエントさんとは一見無関係な内容の夢の中の「他の」登場人物が、それこそ「共通の布置」を持つ「代理人(?)」として、クライエントさんとの関係性、そして私個人のいろんな人との関係性に関わる「夢作業」として課題を私に突きつけているのでしょうね。

 夢フォーカシングについては、こちらにも詳しい記事があります。

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2006/07/01

フォーカシング・ワンダーランド!!(第2版)

 日本フォーカシング協会に「メンバー」(年会費3000円)として入会していただければ(加入資格は特にありません)、年4回発行されるニュースレターを購読できます。

 その中の、「ワークショップ情報」のページをご覧になると、北海道から九州、四国まで、日本全国で、フォーカシング関係のワークショップやセミナー、小さな民間の研究会・勉強会や、個別指導に応じてくれる団体や個人が、特定の日時を月一回など決めたものを含めて、一年で延べ100件近く掲載されている情報に接することができます。

 皆様が想像されているたより、よほどフォーカシングを学べる場所は多いでしょ? これに、フォーカシングを研究・実践する先生のいる大学の研究室やゼミや特殊講義での学生たち相手の実践、それらの先生が講師をする「市民大学講座」みたいな催しまで含めると、実数はこの倍に近いと思います。

 スクールカウンセラーや幼児教育・保育関係の方々で、子供との関わりのためにフォーカシングをさりげなく生かしておられる方も、すでに、一般に想像されるよりは遙かに普及していて(「フォーカシング」という名前を使ってないだけなんですね)、かなりの数にのぼります。

*****

 そういう中で、我が「湘南フォーカシング・カウンセリングルーム」は、恐らく東京の日本・精神技術研究所心理臨床センターのオープン・プロガラムを例外として、特定の常設の相談機関が、休業日を除いて、常時「フォーカシングの個別指導」を受け付ける、全国で「唯一の」相談機関ということに現状ではなります。

しかも、私のフォーカシングの指導法は非常に柔軟です。

「フォーカシング個別指導」コースをご希望になる大抵の方は、私をトレーナーとして、まずは通常のフォーカサーとしての体験を積むことをお求めになることがもちろん多いのですが、

Focusingworkbook先日ご紹介した、この著作収録の"Focuser as Teacher"も、
ホールボディ・フォーカシングホールボディ・フォーカシングも、
Interactivebooksインタラクティブ・フォーカシングも、
「藤嶽法」(第一法、第二法)も、
Dreamfocusing_1夢フォーカシングも、
それどころか、
迷う心の「整理学」あくまでも増井先生流」の「こころの整理法」も、
イメージ体験の心理学「あくまでも田嶌先生流」の「壷イメージ法」も、
更には、
土江正司さんの「こころの天気」も、
横山体真先生が最初の開発者で、今では岐阜の蒲生紀子さんが特に実践しておられる「こころの壷」も、
相互スクイグル(ウィニコットが開発した「なぐり書き描画法」)をフォーカシングチックに遊ぶことも、

いつでも「個人セッションで」臨機応変に体験できる
「週5日以上開業、開業時間8時間の、常設の」フォーカシング学習の場なんて、

「日本では他にまだない」

ことをお忘れなく!!

(椅子の都合で、私を含めて6名さままでならグループ指導もできる態勢があり、その場合のグループ割引もいたしますが、さすがに6名となると「寿司詰め」になりますので。)

******

 何しろ、「今日何をやりたいか」そのものを、

 「学ぶ人に」

 最初に

 「ショートフォーカシング」

 してもらって決める、「圧倒的柔軟さ」を誇ります。

 「ショートフォーカシング」とは、「今日私は何をやりたいのかな」と自分の内側に沈黙して2,3分問いかけて、身体からの反応を味わってみてもらうことです。
 「フォーカシングがまだ自分でできている自信がない」方も、2,3分時間をもらって、「あれがいいかな、これがいいかな」と思いを巡らす時間を差し上げるだけでも、貴重な時間と感じていただけるようです。
 まさに、レストランの入り口のショーウインドで、「どれがおいしそうかな? 食べたいのかな?」と迷う時間にあたるものです。

 (この「レストランで何が食べたいか」という喩え話は、日本最初のジェンドリンの直弟子であられ、現日本フォーカシング協会会長をお務めの、関西大学の心のメッセージを聴く池見陽先生が、初心者向けによくお使いの言い方を拝借させていただきました)

最後は「勘」で、えいやっ!!と決めてもらうのでいいのですね。

 「初級」も「中級」もあったもんじゃない勝手気ままさ!!

インターラクティブ・フォーカシングのような、一般には「上級コース」とされるフォーマットですら、フォーカシング未体験の初心者ですら、わくわく「楽しんで」もらえるものにできるんですよね、実は)

 まさに、「フォーカシング・ワンダーランド」!!

******

 これで、一般の皆様からの「通常のカウンセリング」を申し込んでいただくと、「正統派クライエント・センタード」のベースを崩さない(認知行動療法や山上行動療法もたまに混ぜますが)で、私の方からフォーカシングをクライエントさんにお勧めすることには「禁欲」を貫き、そして、医療や法律など、実際的なガイダンスやコンサルテーションもする、

「町の現場カウンセラー」そのものに「豹変する」

のが私のとりえです。

 ちなみに「他流派の」カウンセラーの方からのケーススーパービジョンのお申し込みも、決してお断りしないことをポリシーとしております。

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2006/06/30

フォーカシングを学ぶ人はトレーナーの教示に従い続けねばならないわけではない

 以前の記事で述べましたが、フォーカシングとは、あくまでもフォーカシングをする本人(フォーカサー、自分の問題をみつめる、いわばクライエント側の人)の権利が優先され、トレーナー(リスナー、ガイド)はその「サポーター」に過ぎないということを、如実に表わした、創始者、ジェンドリン自身のの発言を次に引用します:

「教示に従わないための教示」

 「私が示してきたこの方法が唯一、あなたにとって必要だとか価値があるということではありません。もし私がこれが唯一の方法だと言っていたとすれば、私が言ったことは間違いだと皆さんが思ってくださるように望んでいます。

 「また、教示(=フォーカシングの手順の公式的フォーマット)は成文化されてしまうと誤解を避けることができません。あらゆる人に合うような公式はないのです。とにかく、(フォーカシングをする)それぞれの人が独自の方法を見つける必要があります。」

 「あなた自身、そしてあなたのからだ(の内側の曖昧な感じ)そのものに注意を向けてみましょう。(その結果、)健全で広がりがある(気持ちがおおらかになったり、安らいだり、落ち着いた気分になる)体験のみが価値があるものと考えてください。

 あなたの身体の中でおかしな(違和感のある)感じがしたとき、教示に従うのをやめ、少し自分(自身)を取り戻し(、一息ついて)みましょう。 
 
 これらはまさに教示に従わないための教示です。

 ですから、もちろんこの教示(=「教示に従わないための教示」)自身にも当てはまります」


Dreamfocusing_1
「夢とフォーカシング」村山正治編訳 福村出版 第20章 訳書p.164-165より抜粋。(  )内は阿世賀による補足。

*****

 ジェンドリンは、何と、自分の書いたフォーカシングの独習用の教科書(この本はあくまでも「夢」についてのフォーカシングのやり方に特化した本ですが)で、

   自分の技法体系のフォーマットを
   延々説明してきた挙げ句に、

   この短い最終章で、

     「あなたの実感が”No!”というのなら、
     私の教示に従ってはならない

と釘を刺すばかりか、それに更に屋根屋を重ねるがごとく、

 「あなたはこの『教示に従わないための教示』そのものに従わない権利がある」

とまで言い放っているのです。

 この最後の、ほとんど禅問答みたいなジェンドリンの発言の意味、どういうことかですって?

  「あなたが、もし自分の中で違和感を感じる教示でも、興味本位に、遊び心と冒険心をもってチャレンジする自由はあなたに保証されている。でも、それは自己責任でやって、『ヤバイ!』と感じたら自分でやめてくださいね」

ということだと私は理解しています。

   フォーカシングを学ぶ人は、
   ひとりひとりが、
   自分にあった、
   「使い勝手のいい((c)日笠摩子)」形に
   フォーカシングを「創造」し、
   「改良」し、
   「臨機応変に即興で使い分ける」
   権利と自由を持つのです。

 教示通りにやらなくなった時、フォーカシングは、あなたにぴったりの「オーダーメード」の服を「自分で」縫い上げたことになります。

   そのための
   「お手伝い」
   「アイデア『提案者』」であること

それが、わたしのような、フォーカシングのトレーナーの仕事です。

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2006/04/14

「我が青春に悔いな~し!!」の由来(第4版 二重チョンボ修正版)

前の記事でも使った、

「我が青春に悔いな~し!!」

の元ネタが、高橋留美子の『うる聖やつら』

うる星やつら TVシリーズ 完全収録版 vol.40 ◆20%OFF!179話、「青春おじさん登場! 輝け夢の大喫茶店!!」(DVD vol.40収録)や、第157話キツネとしのぶの話の2つ目(DVD Vol.34収録だが絶版)の中に出てくる台詞(せりふ)だとすぐわかる人がいるとは、とても思えずも、敢えて使っている、かつての超絶『うる星』ファンの阿世賀です。

(上記の部分、第3版で誤りを修正しました m(_ _)m

 181話は、しのぶとキツネのエピソードの第4作」です。

これも傑作ですが、幸か不幸か、同じVol.40収録の179話にも「同じ台詞」が出てきたので許してください。「本放送」ビデオは持ってても、DVDは持ってないので、ネットのみの調査でミスしました)

*****

今や、高橋留美子さんっていえば、『犬夜叉』であり、『らんま』すら知らない若い人が多いですからね。(浜崎あゆみが『犬夜叉』のエンディングで


浜崎あゆみ - Dearest - Dearest"dearest"

歌ってたのは知らないくらいに、ある時期以降のアニメと無縁なんですが)

実は、いまや巨匠視される押井守さんがチーフディレクターの時代よりも、やまざきかずおさんの時代の前半ぐらいまでが好きだったという、変わり者なんですが。

そりゃ、20%OFF対象外東宝 うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー劇場版の「うる星やつら2 ビューディフル・ドリーマー」は超傑作だし、

その原型の、うる星やつら TVシリーズ 完全収録版 vol.20 ◆20%OFF!「みじめ、愛とさすらいの母(101話)」(DVD vol.20収録だが絶版)が初放映された時なんて、よくテレビでこんな前衛的なのやったなと喝采しましたが(^^)。

この回、何と、「現在の私がやってること」が登場するわけで(爆)、実は私は四半世紀かけて、「なるようになった」だけの人間なのかもしれません(^^;)

****

いずれにしても、上記にご紹介したTVシリーズの4話分ずつのDVD3本は、押井監督時代、やまざき監督時代、それぞれの、一番油が乗り切った時代のものです。

vol.20は98話「そして誰もいなくなったっちゃ」を含み、

vol.34は島本須美さん演じる、男嫌いの水乃小路飛麿の妹、飛鳥初登場の、天才アニメーターもりやまゆうじ節大爆発の傑作娯楽編の前後編(何と原画の一人が「エヴァ」の庵野秀明さんです)という、全くキツネとは異質の世界が同時に堪能でき、

vol.40は第180話、「ダーリンのやさしさが好きだっちゃ」(原作でも「最後のデート」というタイトルで、印象深いエピソードの一つ。それを原作のスピリットそのままの叙情詩として、もうこれ以上ない水準で完璧にアニメ化)

を含みます(完全に四半世紀タイムスリップした形で「記憶の引き出し」が開いている)。

当時のテレビシリーズアニメとしてはアナーキーでシュールでしかも繊細そのものの、そこはかとない痛み(悼み)に満ちた世界を、若い世代のアニメファンの方にも堪能していただく「お試しコース」としてはいいかもしれませんね。

私の永遠のテーマの「思い込み」というテーマの、ひとつの原点かな。

***

そうそう、やっと初代「ガンダム」TVシリーズが、やっとDVD化されるらしいですね。

やはり、このへんにはまった世代だから、今の私があるのだと、つくづく思います。

*****

最近、このブログにおいでの方は、この記事ごとのノンジャンルぶりに「あっけ....」だとわかってますが、これも、検索エンジンによる「予想外の顧客層」に関心を持っていただくきっかけにもなればと思い、自分の精神的「全資産」を総動員して運用しているだけです。

まあ、少なくともアウトドア派でないことはバレバレですが.....

でも、知ってる人はm上記の作品群って、みんな内容的に「深い」でしょ?

『ガンダム』の「ニュータイプ」なんてトランスパーソナルチックだともいえる。

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2006/01/11

「過去の遺産」はここにある(^^;)

この前、私のアニメ論関係の「過去の遺産」の一部は今でもRPG的に「たどりつける」と明言しましたが、そろそろ「公然と公開」をしてもいいやという気持ちになりました(^^)

すでに検索エンジンとかで探り当てた方もあるかもしれませんが、実は

ここ

です(^^;)

ここに到達するには「どうすればこれまでもたどり着けた」かを、今度は見つけてください。

今のアニメ世代とは別世界かとはおもいますが(^^;)

超ディープなシューマン専門コーナー、「ロベルトの部屋」は、もはや店頭にはないCD(少なくとも型番が変わってしまったGD)の羅列となるし、アフィリエイト張るとなるととてつもない時間がかかることになる.....というより、日本で売ってない,アフィリエイトしようがないもの)が多いと思うので、”My Favorite Disk"での、新たな形での再登場をお待ちください。

「エヴァンゲリオン論考」はもう本にしたから再開あり得ません。

1年ぐらい前まで買えたのが自分でも不思議だった、今確認したらやっと在庫が底をついたらしい、拙書エヴァンゲリオンの深層心理「エヴァンゲリオンの深層心理」を「中古で」お買い求めください(^^)。

AMAZONここです。

楽天フリマは今のところ出品がないみいたいですね。でも、事前登録しておけば出品あり次第メールが届くシステムがあります。

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2006/01/10

夢はきっとかなう? -浜崎あゆみ”Pride”に寄せて-(第3版)

私が大学院に入った頃、フォーカシングは(今でもそうですが、今よりずっと)カウンセラーの間でも知られていませんでした。

(今は、「フォーカシング」と「体験過程」について最低限数行ぐらいは書けないと、臨床心理士資格試験の1次試験向け受験勉強としては、明らかに不十分です。つまり、若い「臨床心理士」がフォーカシングについて「何も知らない」というのはモグリです.....と断言します)」

focusing_hyoushi
左サイドの"My Fovorite Books"でも紹介している、ジェンドリンの著作、「フォーカシング」の項でも書きましたが、私にとっては、フォーカシングとの出会いは、それこそ、電撃が走る「運命の出会い」でした。

法政大学市ヶ谷校舎の大学の生協(今はきっとすでに2回ぐらいは店舗改築してて、当時の見る影もないのでは?)で立ち読みしていただけなんですから。

それまでも、おととしだったか、亡くなられた、小此木啓吾先生の著作を入門書とする形で、精神分析の本はかなり読んでいたし、自由からの逃走新版「自由からの逃走」で著名だった、エーリヒ・フロムの本は当時出ていた訳書を全部読んでいました。

(フロムの本で私の一番のお勧めは、"Man for Himself"(当時の翻訳タイトル「人間的自由の本質」です。すでに絶版、図書館で探してください)。

今とは違い、ユングには何かピンとこなかった。

なのに、このジェンドリンという人は、私が読んできた「すべての」心理学者が見落としていた事柄について見事に捕らえている!!!

「言葉にならない曖昧な『感じ』そのもの(=フェルトセンス)が一番大事なんだ!!」

これは、私にとっては、それこそ「ニュートン力学」から「アインシュタインの相対性理論」への跳躍に匹敵する「パラダイム」の変換、心理療法の世界における「大革命」としか思えなかったのです。そのことに気づくのに、ページをめくりだして5分もかからなかったんですね。

しかし、その時の私は、臨床心理の他大学の大学院を受験して落第したばかりの、一大学院浪人生(法政や早稲田や都立大学の正規の聴講生はしていました)に過ぎなかったのです。

そして、何とすでに「先ごろ」受験したばかりの立教におられる村瀬孝雄先生が、前述の訳書にも共訳者として名を連ねる、日本のフォーカシングの第一人者知らないまま、「一回目」の大学院受験を立教ですでにしていたことに気づいて呆然としたのです!!

****

それからの3年間は、先日書いたような、実験心理や行動主義心理学などを含む、心理学全般についての私の学力が独学で上昇して、村瀬先生「以外の」立教研究室の先生方が、

「阿世賀の合格、やむなし」

と「根負け」するまでの我慢比べ(爆)になったわけです。

*****

そこまでが凄かったですよ。2年目の村瀬先生を含む教授会面々を前にした面接で、私は、

「どうして私を合格させないんだ!!」

と叫んだくらいです。

*****

これ、「思い込み」がそれだけ強かったとか、「自信過剰のナルシスト」だからではないのです。

私なりにその段階で日本人の研究者が書いたフォーカシングの論文に目を通してみたら、

「そもそもジェンドリンの著作を『きちんと』読んでいたらこのような『誤解』をするわけがない」

という水準のものばかりであることに気がつき始めていたからでした。

それは私にとっては悪い「冗談」としか思えない状況でした。

たかが一大学院浪人の私が、当時の日本のフォーカシング研究者「全体」よりもジェンドリンを正確に理解している「らしい」

こんなことが許されていいのか!!!

(これは、ある種の「恨み」と「悲しみ」「呪詛」すら秘めた感情です。だって、ことフォーカシングに関しては、ほんとうに「甘える」ことができる「先達」が誰もいないということですから)

私は、その時点で、自分が思いもよらない「十字架」を背負わされたことに気づき始めていたのです。

まさに、● 浜崎あゆみ ”Duty ”CD (2000/9/27)"duty"ですね(^^)

****

この段階で、私は目標を「ステップアップ」し始めていました。

「ここまでは、日本中の研究者に『馬鹿馬鹿馬鹿!!」

と叫びたくなるくらいに「予想外にあっさり」クリアーできた。

もう、日本のフォーカシングの『研究者』として大成するだけでは『つまらない』。

ただのフォーカシングの「トレーナー」にとどまるのも「嫌だ」。

『現場臨床のカウンセラー』としても、第一線で活躍できることを目指そう!!

そこまでたどり着けなかったら、フォーカシングそのものが「無意味」である。

しかし、フォーカシングの可能性は必ず「現場カウンセラー」として役立つものを秘めている。

たとえジェンドリン自身がそこまでたどり着けなくても、私は「そこ」まで目指す!!

精神分析が、フロイト以降、メラニー・クラインやバリントやウィニコット、ビオンなどによって更に発展して行ったように。

フォーカシングを「輸入学問」にさせてたまるか!!

もちろん、日本や世界のフォーカシング研究者や実践家のさまざまな挑戦の中で、「私にとって」ほんとうに刺激的で、可能性を秘めたアプローチはどしどし「参考にする」し、そういう人たちとはお互い刺激し、切磋琢磨しあう「ライバル」関係にすすんでなろう。

でも、何より最後には、「自分の」試行錯誤、そう、私自身が「フォーカシング」を重ねる中で、フォーカシングそのものが刻々と「更新」されていくはずだ!!

「南海の」野村捕手ではないけど、

「生涯1フォーカサー」

であり続けよう.....と。

****

夢を見続けるには、

安易に妥協せず、

(少なくとも心の中では「不満な自分」を認めてあげて(aknowledging))

「絶望」し続けられる「能力」が必要なのです。

(この部分、絶望「しない」能力、と書いていないことがミソです)

時には、妥協した「フリ」だけして、ゲリラ戦的に「チャンスをうかがう」方が効果が゙ありますが(^^;)、

「ミイラ取りがミイラにならない」ようにするのもたいへんです。

そのためのコツは、「自分の盲目的な信奉者になる」弟子を決して作ろうとしないことだと思います。

(私は「さる筋」からの情報で、ジェンドリン自身がそういう考えであることを知っています。単に自分の「寵愛を受ける愛弟子」になろうという人を遠ざけ、他の人には「あの人にはオリジナリティがないから」と本音を漏らす人だということを。私はそれでけで、「自分の限界を踏み台にして、自分の死屍(しかばね)を『食って』、踏み越えてでも、更に先に進め」と本音のところでは思っている人というだけで、ジェンドリンを尊敬します)


私は、見込みがある人ほど、ある意味で「突き放し」ます。

その人自身が、「その人自身」の十字架を背負うことを願って。

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BGMは、■送料無料 初回盤■浜崎あゆみ CD+DVD【(miss)understood】 06/1/1【11/30発売 新作CD】浜崎あゆみ /Bold&Delicious/Pride(CD+DVD)<2005/11/30>浜崎あゆみの”Pride"でした。

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2006/01/08

ayuの"Bold & Delicious"は,オイルヒーターより「熱かった」!!

昨日私の書いた、

ayuの"Bold & Delicious"

(というより、アンチayuファンを含めたayuファンみんなへの「政治的煽動』に等しい宣言)

は、固定リンクでのアクセス解析をすると、発表から18時間の間に関していえば、ここのところ延々15%のあたりで不動の1位の座を譲らなかったオイルヒーターの記事を上回り、ここまでのピーク時で何と41%のシェアを達成、現在も4%オイルヒーターより上回っています。

何しろ、「この」記事を書くまでは、先ほどのayu論がブログのトップ記事だったわけですから、固定リンクではない形で読んで頂けた方を含めると、これをはるかに上回る方にお読みいただいたことになるのでしょう。

これでやっと、このブログは、本来目指していた、ひとりのカウンセラー、阿世賀浩一郎が、おのれの生き様をさらしながら、ひたすら本音でパフォーマンスし続ける"ayuサイト"への道を歩んで行けるでしょう。

どうか、よろしくゥ!!

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2006/01/03

そろそろ帰省からお帰りの常連読者の皆様、わずか数日の間の新規記事の多さにビビらないでくださいね!!

裏を返せば、年末になるまでは、私がそれなりに、本業のカウンセリングの仕事も「していた」ということの証左でもあるかと思います(^^)。

私って、食って寝て、ブログの記事さえ書いていればよい状況に置かれたら、これくらい文章書いたり、ブログの再構築作業が出来る人だったりする(^^;)

カテゴリーの再構築って、ブログのおもて側の表示に全く立ち寄らすに、コントロ−ルパネル側からだけでできる作業なので、今日なんて、普通の日よりも、「自分自身によるアクセス回数」ほとんどないはずなのに、午後8時台ですでにアクセス数200楽々突破しました!!

ありがとうございます。


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アクセス解析をすると(以前も書いたけど、このアクセス解析って、「どなたが」アクセスして来たかまで特定できないので、ご安心を)、

この中の数分の1は、明らかに、@niftyココログトップページから、新たにおいでいただいた方々です。

私のブログの記事に、少しでも興味を持って、来て頂いただけでも感謝いたしします。

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私のブログの大まかな内容とポリシーについては、半年近く以前、やっとpingサーバへのトラックバック機能を活用し始めた時に書いた、当時の皆様への改めてのご挨拶の文章がすでにありますので、それを持って代えさせて頂きますので、よろしく。

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まだ、カテゴリーの再構築は、数パーセントの進捗度でして、全体への反映にはほど遠い段階です。少しずつ無理のないペースで進めていきますので、ブログ内でのカテゴリー検索のあまりにも不完全な現状を、どうかお許しください。

どれだけ膨大なカテゴライズ増設に吹き切ったかは、

↓こちらをご覧になればわかりますよね(^^)