医学

2009/06/29

抗うつ薬で眠くなるのは「副作用」? -そもそも「副作用」という概念をどうとらえるか-

 しばらく前にご紹介した、精神科医、泉谷閑示氏の「8人に1人が苦しんでいる! うつにまつわる24の誤解」シリーズの中の、

●クスリに頼るのは悪いこと?――「抗うつ薬」の効用と限界――「うつ」にまつわる誤解 その(10)

で、いくつかの点で重要な示唆が示されているのでご紹介したい。


> もし患者さん自身が、クスリの使用に何らかのためらいや後ろめたさを持っている場合には、「クスリに頼っている」のではなく、「クスリを活用している」のだと捉え直していただくことが必要になります。

 この件に関しては、私も何回か取り上げてきました。


●心に効く薬と「眼鏡」のように付き合うサイボーグ

●薬物治療の能動的な主体であれ!!


 治療をお医者さんや薬に単に「委ねている」という意識だけが強いうちは、薬というものは安定した効き目を発揮しにくいように私は感じています。

 薬というのは、それを飲みさえすれば、すべての悩みや問題を解決してくれるほどには「便利な」ものではない。しかし、うまく活用すれば、自分の「身を守る」ために、大きな働きをする「武器」なんです

(敢えてこの物騒な言い方を使わせてもらいます)。

 「武器」の使用には、常に「危険性」が伴います。また、使い方については、自分の身体になじませるための相当な訓練が必要です。

 医者に相談することもなしに、服薬をやめたり、調整したり、ましてや個人輸入の薬を飲むことは避けるべきですが、それでも、薬を「使いこなす」主体は自分自身、参謀が「医者」なのだ、という意識があるだけで、こころに影響する薬の効き目にかなりの差が出てきて、薬との無理のない「同盟関係」が成立することが少なくないことは、敢えてお伝えしておきたい事柄です。


*****


 そうした観点からの延長として触れてみたいのが、薬の「副作用」という概念です。

 ありがちな「副作用」への誤解は、薬の中の「毒の成分」が身体を害することである、というものかと思います。

 しかし、少なくとも現代の高度な化学合成技術で作られた薬の場合、薬に「不純物」に過ぎないものが組み込まれ、毒性を発揮するということは、もはや考えにくい水準に達していると思います(かつての薬害エイズ事件を例外として)。


 以下に、「副作用」についての、より重要な次元での視点だと私に感じられているものをいくつか取り上げてみたいと思います:、


1.ある症状を緩和しようとする薬の効能が、ある均衡した効き目のレヴェルを超えると、今度は逆方向の症状を引き起こす場合?

 このタイプの例としては、過緊張や不安や対人恐怖を緩める抗不安薬の多くが、気分を楽にして、リラックスさせてくれる筈なのに、それを通り越して、「ボーっとしてしまう」「集中できない」という悩みを引き起こす場合です。

 ところが、この種のケース、その人のその時の心身状態にとって薬が多すぎたということであり、少し少なめに量が調整されれば済むのか? というと、そんなに単純に解決しないことが多いことは、服用を経験した皆様の少なからぬ部分が体験した現実かと思います。

 しかし、それが抗不安薬の効能の「限界」であるとばかりいえるのかどうかと、私は感じています。
 
 そういう皆様には、実は多少の休養が本当に必要な時なのかもしれません。

 多少の休養を取ってみると、その後再び以前の生活に復帰しても、同じ量の抗不安薬が、今度は、気分を落ち着けてはくれても、ぼーっとさせてり集中力を低下させたりはしなくなることなく、活動への支障になりにくい状態が結構持続することに拍子抜けする皆様もあろうかと思います。

 こうした時、休息を取らずに、ただ抗不安薬をあれこれ代えてもらったり、服用量を増強してもらおうとばかりすることは、むしろ悪循環の引き金になることも少なくないでしょう(筋のいいお医者さんなら、こうした点で間違った判断はなされないことかと思います)


 同じように、睡眠導入剤を飲んで、以前よりは眠れるようになっても、朝寝覚めが悪いという場合、薬が強すぎる=薬の効能が朝まで残っているからそうなっている・・・・ということは、昔の睡眠薬ならともかく、最近処方されている新しいタイプの眠剤の場合には考えにくいかと思います。

 むしろ、単に睡眠の改善補助だけではどうにもならないくらいに、その人の心身の疲労やストレスが慢性化し、(例えば)うつ状態の入り口に立っているためとみる方が自然でしょう。


 更に例を挙げれば、鬱の診断を受けて、「抗うつ剤」の飲み始めた初期の心身の反応として、むしろ余計に欝になったと体験される皆様も非常に多いです。そしてしばらくすると今度はやや躁的になる人も稀ではない。その後また押ち込み気味になるわけですが、こうした心身の変動に耐えながら、抗うつ薬が安定した効き目になるまでの苦労は患者さんにとって結構たいへんな場合が少なくありません。

 こうしたことを引き起こすのは、薬が心身になじむまでの初期副作用ともいえることも多いいのでしょうが、私は、その段階での心身の基本的な消耗が薬の効果を「暴れさせる」のではないかという思いを、最近強くしています。


 いずれにしましても一般的に言って、「薬の効き過ぎ」での「副作用」であると本当に見なしていいケースは、多くの人にそう感じられている程には多くないのではないかとも思います。

 敢えて言えば、「心身が過剰に疲労しているので、薬が効き過ぎる」という言い方はできるかもしれませんが。

  薬という「リトマス試験紙」を身体に投入してみることではじめて自分の実感として、はっきり意識的に受け止めるが可能になった、慢性的な心身の消耗なのかもしれません。

 ・・・・こうした可能性も含めて、お医者さんと更に話し合ってご覧になることをお勧めします。

 多分に逆説的な言い方なのは承知ですが、薬が「効き過ぎる」という体験は、その人が長年「抑圧」してきた辛さに「気づかせてくれる」きっかけとしての「効能」を持ったのだ、と肯定的に受け止めてもいいのかもしれません。

 もう一度繰り返しますが、十分に休養がとれ、実際に心身が慢性的な消耗からある程度回復してくると、薬が「効き過ぎる」のではなくて、「ちょうどよく」なくことも少なくないのですね。

 身体に、薬を「生かす」体力が回復するのかもしれないと思います。


*****


2.その物質の投与は、ある症状の緩和に確かに貢献する。しかし、その物質が、症状とは一見無関係な、生体の別の機能のバランスを崩してしまう。

 多くの薬は、肝臓に負担をかけます。緑内障を亢進する可能性がある薬が少なくないことも知られているでしょう。ドグマチールは、女性の月経をいったん止めてしまう場合がありますし、湿疹もよく見られます(飲むのをやめると再開するという点では全く心配が要らないそうです)

 同じSSRIでも、過食や便秘や肥満を引き起こしやすいタイプ(パキシル)や、下痢を誘導しやすいタイプ(ジェイゾロフト)があるなどについては以前書いたとおりです。

 これにはかなりの体質差があります。

 恐らく、厳密な意味での、狭義の「副作用」というのはこうした領域のものを指すとみておくのがいいのではないかと思います。

 しかし、やはり、心身に十分な休息が欠けていると、こうした身体面中心の症状すら、一層亢進しやすいのも確かかと思います。

 どんな身体症状でも、心身症としての側面はありますので。


*****


3.その薬の効能は、病気の治療や症状の軽快という観点からすると十分に発揮されているのだが、その人がその薬によって期待している改善の効果の「理想像」とズレているために、その人が薬の効能を自己受容できないでいる「心身自己不一致」状態を、薬の「副作用」と見なしている場合。


 この3.のケースは、そうやって薬の効き目が指向している身体そのものの「安定状態」と「頭」での理想的な治癒のイメージが「心の中で」葛藤しはじめるという、一種の二次的な神経症状態にはまり込んでいることになります。

 例えば、躁的な過活動傾向の面を持つ人が、抗躁剤や気分安定薬(気分スタビライザ。「抗不安薬」と混同してはならないことはこのサイトで繰り返し書いてきました。リーマスやデパケン)を服用すると、薬を飲む前のように、勢いづいたら止まらない、気分は高揚して頑張り続けられる・・・・というふうには、「なれなくなる」わけですね。

 躁的な人は、自分がそうやって躁状態で頑張れていた時にはじめて社会的承認を受けや収入を確保できるような活動ができていたという思いが強いので、心の中で、薬のこうした効き目と「喧嘩(葛藤)」状態になりやすい。

 もっとも、実は躁的な人は、実は単にルンルンで活力あふれ、湯水のようにわきあがる発想や、ものごとを享楽するこを「楽しめて」いるかというとそうではないわけです。そうした人の心中には、躁的状態の只中においても、自分が独特の抜き差しならない「何か」に衝き動かされているという悲愴感に近い何かがブレンドされて「いた」ことに、少なくとも後から振り返ってみると、ご本人は気づけることも少なくないようです。

 躁状態というのは、ご本人にとっても、ある意味では「苦しい、牢獄のような」体験であり、だからこそ、更に活動をエスカレートさせる形で「破局に陥らせる」という手段で「抜け出そう」とする結果を、一部のそうした方々に招きやすいとすらものだとすらいえます。

 でも、人間の意識的自我というのは、そうした十分の心の中の複雑にブレンドされた綾のようなものをシンプルに割り切りたがるところがあります。つまり、躁状態、過活動状態の時
の「苦しさ」の方は意識から抑圧してしまいやすいのですね。

 こうして、「気分安定薬を飲んだら、昔ほどやる気が出なくて働けなくなった」ことに苦しむばかりか、(お医者さんとのコミュニケーションや信頼関係が良好でないと)、「気分安定薬の『副作用』で以前のようには働けない。薬を代えられないか」と訴える皆さんも少なからず出てくることになります。

 気分安定薬のデパケンは、単剤処方(恐らくリーマスとの併せ技の場合も含む)だと、少なからぬ人の場合(特に双極性II型寄りの診断を受けた人の場合)、躁と鬱の間のプラスマイナスゼロではなくて、マイナス1くらいのごく軽度のうつ状態のあたりで、躁鬱の波が静まる形になりやすいようです。その、ごく軽度の抑うつ感が、デパケンを飲みだす前の調子のいい時には可能だった活動水準にもはや至れない自分に対する悲哀感のようなものを呼び起こしやすいように思います(デパケンは量を増やしすぎると、むしろ欝を深める場合があるらしいこともお伝えしておきます)。

 でも、実は、その人は、そうした過活動状態にはまっては、何らかの意味で行き詰る(仕事を辞めるなど)ことを一定周期で繰り返してきたケースが多いわけです。

 デパケンを飲んで心身に無理が生じない水準のライフスタイルをリラックスして自己受容してしまうことになじむと、その制約の範囲では、存外に安定してコツコツと仕事ができます。

(他ならぬ私がそのタイプで、一日8時間労働を週4日以上やれといわれれば絶対に心身がつぶれると思います。しかし、こうしてほそぼそと開業している限りは、まあ、湘南時代に比べても、今の方が多少はましなカウンセラーとして活動できているかなとは感じています)

 
******


 ・・・・・などと、いつの間にか、私自身の考え方の方ばかりをどんどん書いてしまいましたが,、ここで、このエントリーで本来私が一番紹介したかった、泉谷さんの見解について紹介します。

=========以下引用==============

抗うつ剤を飲んだら眠くなったのは副作用か?

「抗うつ剤を処方されて飲んだけど、すぐに眠気がひどく出たので、自分には合わないと思って飲むのを止めました」

 薬物療法開始時に、このような理由で服薬を中止される方がいます。しかしこれは、副作用が出て薬を中止したのだから適切な判断だった、とは言えないところがあるのです。

 以前から使われていた古典的なタイプの抗うつ剤(三環系や四環系と呼ばれる種類)では、確かにそのような可能性もあることは否定できませんが、近年主に使われている新しいタイプの抗うつ剤(SSRIやSNRIといわれる種類)では、古典的なタイプでしばしば問題になったような副作用(眠気、口の渇き、排尿困難など)がかなり改善されており、眠気が副作用ではなく「作用」によって生じた可能性も大いにあると考えられるのです。

 治療を受け始めるまでは、患者さんは慢性的な精神の緊張状態にあり、内部にはかなり蓄積した疲労を抱えているものです。そこに、抗うつ剤が投与されたことによって、精神の緊張が突然ゆるみ、蓄積していた疲労が一気に噴き出してきて、それが眠気として顕在化することは珍しくありません。

 ですからこの眠気は、むしろ望ましい変化の現われである可能性も大いに考えられるわけです。

 この点についての見分けは専門医でなければ難しいことも多いので、独断による服薬の中止はリスクが高いと言えるでしょう。


=========引用終わり==============


 SSRIを飲んだ後で「眠気」が出る場合、実は十分な休息が取れないまま無理をし続けていた状態に働いた、薬の「主作用」の現れであらわれである可能性があるというのは、私自身の過去の経験と全く見事にマッチングします。

 更に私は現在も眠剤代わりにデジレルを少し飲んでいます。デジレルはSSRI誕生までの過渡期の中間的な薬で、今は主剤として使われることはほとんどなく、SSRIや気分スタピライザを飲んでいる人に「睡眠導入剤代わりに」使われる用途が多いかと思います。

 ところが、この薬を飲んですぐに眠くなる(私はほんの20分もかかりません)のは、私がやや無理を重ねた時期と一致しています。しかも、そうした消耗期に飲むこの薬の飲み心地は、何か独特の、「脳や胸の辺りに少し不快な」感じもつきまとう。

 無理をしなくなると、この薬を飲んでも、そうした「いやな感じのする眠気」はなくなって、単に「気持ちがストンと落ち着く」かな・・・というぐらいの、全く不快感のない、水みたいな薬になってしまうんですね。そして、特にこの薬に頼ったという自覚なしに、無理なく眠れるようになります。

 こうした、さまざまな身体的な指標に敏感になって、薬といい同盟関係を結んで、無理のない範囲で仕事をして、慎ましやかなライフスタイルを静かに送るのが、今の私のささやかな満足でしょうか。

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2009/06/21

泉谷閑示氏の連載:「うつにまつわる24の誤解」シリーズに注目!! 【速報】

 本日の「はてな」サイトの総合ランキングベスト10で、当サイトの、

●NHK「ためしてガッテン」、-「うつ病よサラバ!脳が変わる最新治療」-

が突如大ブレイクし、19:38現在、本日だけですでに6,855名様という、信じられないほどの数の皆様にご来訪いただける「ドミノ倒し」が生じています(追記:24:00までに7,501アクセスとなり、6/20全体の、私のココログ系3サイトの総記事アクセスはついに10.432アクセス(8,219名様)となりました。

Hatenaranking0906201627
16時25分の時点の「はてな」トップページ。記念にスクリーンショット撮ってしまいました(^^)さすがに今現在(20:40)ではもうトップページ表示ではなくなりましたが。


 おいでいただきました皆様、ブックマークに登録して下さった150名以上の皆様、まことにありがとうございます。


*****


 そうした中でトラックバック下さった方の記事の元記事で紹介されていたサイトなのですが、

●8人に1人が苦しんでいる! 「うつ」にまつわる24の誤解(by 泉谷閑示 Diamond online)

この連載、まだ連載は完結していないのですが、とりあえず今、ざっと目を通した段階ですが、ここで書かれている、精神科医の泉屋先生の一連のご指摘は、少なくとも私がこれまで目にした欝関連のネット上の記事の中では、出色の高水準のものであることは間違いないと感じました。

 まずは、「ガッテン」がらみの直接の記事として、

●「ウツ」を“心の風邪”と喩えることの落とし穴 ――「うつ」にまつわる誤解 その(4)

この記事からだけでもお読みになることをお勧めしたいと思います。


 他の記事をつまみ読みした範囲でも、西洋医学的な「治療」論への批判、「身体からのメッセージ」として症状をとらえることへの勧めなど、私にとって、これから精読する意欲をかき立てる、全くエキサイティングなコンテンツだと思います。

 ・・・・・以上、とりあえず速報まで。

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2009/06/18

「治療」と「養生」の違い。人類は鬱になった人に「恩」を感じ、「感謝」を忘れてはならないということ(第4版)

 精神科医、神田橋條治先生の用いるキーワードのひとつとして、「養生」という言葉があることは、臨床家に知れ渡っているかもしれない。

 この言葉は、広く使われる、「治療」という言葉に対するアンチテーゼとしての側面を強く持っている。

 「治療」とは、

  1. 専門の治療者(医師、セラピスト)が、患者(クライエント)に対して施す行為。
  2. 「治療」行為の具体は、特別な専門家のみが継承する「秘儀」としての性格を持つ。
  3. 「健康な」状態を「正常」とみなし、それが傷害されたり、失調した「異常な」状態を「病気」とみなす。「健康」状態は、まるで生命が永遠に続くかのようにして維持されることを理想とする。
  4. 治療とは、その「異常な」状態から、以前の「正常な」状態に「回復」させる行為。
  5. 「異常な」状態は、いわば機械の故障や部品の脱落のようなものであり、それを専門家が「修理」しない限りは「回復」しない。
  6. 治療行為は、非日常的な、専門家がいる「特殊空間」で、「回復」するまでなされる、終わりある、一時的行為である。

・・・・・おおよそ、こうした含意があるように思える。

 これに対して、「養生」とは、

  1. 養生する主体は一般の生活者自身である(「養生の助言者」は存在し得るにしても)。
  2. 養生の心得は生活者の間で伝承される「オープンな生活の知恵」の一部である。
  3. およそ、生命体は、ある一定の状態を維持するものではなく、内的・外的な要因で絶えず「調子の波」があるものとみなす。そして、その「調子の波」が、何かの弾みで「調子がよすぎる」方向や「調子が悪すぎる」方向にはまり込み、容易に抜け出せなくなることは、誰にでも生じる可能性があり、生涯のうちに何らかの形でこうした状況に陥り、乗り切る必要がことが出てくることは、必然であるとみなす(その最大のものは、誰にでも寿命があるということである)。
  4. 養生においては、状態が悪くなる以前の状態にまで復することを必ずしも求めない。以前とは別なライフスタイルとなり、以前よりも制限された生き方しかできなくても受けとめる。これは単に「耐え忍ぶ」「諦める」ということではなく、以前無理が効いて何でも思い通りにできた頃の自分のライフスタイルこそ、バランスを欠き、「不養生」だったからこそ可能だったものに過ぎないとすら達観する。敢えて言えば、「養生しつつ生きる」人間の方が、「健康な」ライフスタイルに到達したとみなす逆説がある。
  5. 生体は、調子を崩すと、自然と、普段の活動状態から退却し、休息をとったり、身体に必要な滋養を補給しながら、自然な回復力が徐々に発現するまで「無理をしない」ことをおのずから行なうものであるという前提がある。人間は本来持っている筈の自然な自己治癒力が「退化」した存在なので、文化として「養生」術が伝承されるしかなくなった存在であるに過ぎない。
  6. 「養生」は、生活場面の中、あるいはせいぜいその延長といえる領域まで出向くのに留まる形で、形を変えながらも生涯続く「生活術の一部」として、なされ続ける。

 これは、私なりの理解をまとめなおしたもので、神田橋先生の著作のどこにも、そっくりそのままの部分は出てこないかと思います(^^)

神田橋條治/精神科養生のコツ 改訂版

 

*****

 私は、実は「単に『健康で』あり続ける人間」よりも、「『養生』しながら、新たなライフスタイルを模索してきた人間」の方が、無用な紛争や経済的な軋轢を生み出さず、多様な他者のあり方を受容し、痛みを分かち合い、地球環境も大事にする、これからの人類に必要な資質に富んだ人たちだとすら思いますが。

 

・・・・実は淘汰される弱者ではなくて、「どっこい生きてる」生存率の高い遺伝子保持者であるとすら。

 中井久夫先生が『分裂病と人類』でお書きですが、確か、ダーウィン派の進化学者、ジュリアン・ハックスレーが、「なぜ統合失調症の人は遺伝的に淘汰されず、一定の比率で生まれ続けるか?」という命題を掲げ、それに「貧窮困苦への耐性」という仮説を立てたそうです。

 これに対して、中井先生自身は、自ら「性的伴侶の獲得において有利な形質を持つから」ではないかと述べ、社会が大きな危機に瀕し時、社会の前景に躍り出て、先例にとらわれず、かすかな兆候から、変化を刻々と先読みしながら(=微分回路認知能力)、先見の明で時代を切り開けるは「S(分裂病)親和者」であるから・・・という仮説を提示したわけですが。

中井久夫/分裂病と人類

 

 

 うつ病になってしまうほどの几帳面に努力できるまじめな人たちに実は有形無形で支えられていたから、多くの家族や集団や企業は成り立っていた。

 上司や同僚は、まずは何より、「それまでの」その人の働きと功績に心からの「感謝」を伝え、労(ねぎら)いの言葉を形にすべきです(この実はシンプルなはずのことが、現実にはいかに抜け落ちたままのことが多いか)。「早く良くなって帰ってきてね」も余計です。

  極論を申し上げると、もし、鬱の素質がある人を全部最初から遺伝子レヴェルで受精直後に排除したりしたら、人類の滅亡は更に急速に早くなるでしょうね(・・・・勘違いしないで下さいね、鬱の皆さん。これは、あくまでも、鬱の人への恩を忘れ、困ったものだとみなす人たちへの皮肉です^^)

 これは、おそらく、いわゆる「こころの病気」を持つ人全体に言えることでしょう。

 ヒトゲノム計画における遺伝子の「意味づけ」って、実は常に一面的な意味づけであり、一見「病気を引き起こす因子」と見えるものが、同時に、「ある特定の状況下では、その個体をサバイバルさせる因子」、あるいは少なくとも、「自分は犠牲になっても他の個体を生かすための活動ができる因子(人類という種全体を維持しようとする因子)」としても働くという、「両価的な」ものである可能性が見過ごされないか、心配です。

 優生学とヒトゲノム計画を安易に同一視するつもりはありませんが、遺伝子の選別、いや場合によっては「遺伝子『治療』」という発想を常に注視しなければならないのは、それが単に人間の平等や人権に反する危険があるからばかりではないと思います。

 実は、上記の理由で、人類が存続するのに実は必要な大事な「表裏一体の」形質の遺伝子を「修正してしまう」結果、気がついたら、システムとしての人類全体を「弱体化」させるというパラドクスを秘めている可能性があることまで考えねばなならない。

 神ならぬ人間自身の浅知恵なんて、そんな水準のものを容易に越えられないのではないかと。

 仮に、人類が、いずれ衰亡するする運命にあるにしても(^^;)、そうした、人類全体への「治療」めいた形で、いよいよ衰亡を早めることなく、スロー・ライフで「養生しながら」地球と共存して生き長らえるのでいいのではないかと。

*****

 誤解なきように最後に言い添えますが、私が基本的に薬物療法の積極的支持者であることはこのブログで明言し続けている通りです。神田橋先生自身が、薬物療法の「超職人的な」使い手であることを忘れてはならないかと。

 しかし、ある物質を体内に投入しさえすれば精神疾患が治療できるというのは、恐らくどんな時代が来ても夢のまた夢でしょう。

 なぜなら、精神疾患に親和的な人たちとは、常に、文明と文化が生み出す歪みの結果であり、なおかつ、新たな文明と文化を生み出し、維持するエネルギーとなる人たちの供給源であり続けると考えられるからです(この発想の点では、私は中井先生の影響を強く受け続けていますね)。

 そして、薬という「異物」によって心身に生じる反応は本人に「違和」を引き起こしがちなものです。そういう薬剤によって変化させられる心身の反応を患者さん本人が「受容し」「消化して」、自我に統合し続ける過程というものが、結局は薬の効能の成否を決めるものであり、それを支えるのは、やはり、薬の効能にも通じた治療者との関係性であり、更に言えば、薬物療法を理解しながら見守る、家族やパートナーとの日常的な信頼関係なのだと思います。

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2009/06/01

NHKのクローズアップ現代・「抗うつ薬の死角 ~転換迫られるうつ病治療~」について(第3版)

 本日(6/1)19:30に放送された内容に基づいて、速報します。

 SSRIの副作用として稀に見られる、衝動性・暴力性誘発という問題について踏み込むと言うことは事前に知っていましたが、それでも全体としては、当ブログでも大々的に連載を組み、ご愛読いただき続けている、3/7放送のNHKスペシャル「うつ病治療 常識が変わる」の補足的・復習的続編という色彩が強いだろうとは思っていました。

 その意味では、番組の構成的にも全く予想通りに進行してしまって、押さえて欲しかったポイントはほぼすべて押さえてくれ、前回の番組で誤解を招きかなかった側面(認知行動療法だけを積極的に描きすぎていた面)はうまく調整されていたと思います。

 医者や臨床心理士や看護士にとどまらず、栄養士すら含むさまざまな役割のスタッフが、皆、患者さんをケアし、見守る援助資源であり、誤診や状態の変化に対応できるチーム医療の上でいかに重要かを改めて強調していた点についても好意が持てました(薬を必要以上に出さないことは大事ですが、この番組後半で紹介されていた事例が、画面を見る限り、入院治療である点に注意すべきかと思いますし、薬物療法をやはり大事にしている点も見逃すべきではありません)。

 また、番組内でも繰り返しテロップすら出して強調されたのは、この番組を観て不安にかられるあまり、自分だけの判断で薬にやめてしまうと非常に危険なので、疑問があればお医者さんに相談してください、ということでした。これも適切な配慮でしょう。


*****


 さて、今回の番組の前半で中心として取り上げられたのは、先述の、抗うつ、SSRI)が、人によっては、攻撃性や衝動性を誘発する副作用が出る可能性があることを、この4月に、厚生労働省が、製薬会社に注意書きとして掲載することを義務付ける通達を出したという点でした。

 日本では、SSRIの投与が現実の衝動的な暴力事件と因果関係を厚生省が正式に認定されたケース事件はまだ4件しかありません。

 この番組でも紹介された、1999年の、機長を殺害し、精神鑑定の結果無期懲役に減刑された、全日空61便ハイジャック事件で、抗うつ剤大量服用による心神耗弱が無期懲役への減刑理由となったことはかなり知られているかと思います。

 全日空事件に関しては、そもそも、通院していた医者の当初の診断も理解しかねる(統合失調症ではなくて、この段階では詐病していた疑いがあることは当時も報道されたかと)し、結果として出されていた薬のリストを見ると、医者ではない、限られた知識の私の目から見ても、もう、どういう判断でこうした薬がここまで大量に出ていたのか、目を疑う内容が列挙されていますので、判決のように「『抗うつ剤』の大量服用の副作用」だけ認定したというのは何か腑に落ちないといいますか、医者の診断と投薬のあり方そのものが大きく問われる事例と思えてならないあたりが、今回の番組では不十分な描き方と思えますが、その部分を詳しく描きすぎても番組のバランスを崩したでしょうから、敢えてクレームをつけるに及ばないかと思います。

 そして、アメリカの、あの「コロンバイン高校銃乱射事件」(1999年)の犯人のひとりもまた、犯行直前に、大量のルボックスを服用していたことが、この番組で紹介されます(wikipediaによれば、犯人の遺族からの製薬会社の告訴による訴訟においては、薬との因果関係は立証されなかったものの、2002年にこの薬はアメリカ国内では販売中止になっているそうです)

 アメリカでは、すでに2004年の段階で、SSRIがその副作用として攻撃性を誘発するか可能性があることを注意書きに明記する命令が製薬会社に出されていました。


*****


 もとより、こうしたSSRIが攻撃性を誘発する副作用を人によっては発揮する可能性については、こうした大犯罪事件のみならず、数多くの、もっと地味な犯罪・警察沙汰の事件、そして現場医療の中で気がつかれた患者さんの衝動性の高まりなどの行動変化についての、少なからぬ症例に基づいて浮かび上がってきた事柄です。

 番組では、日本での2つのケース、すなわちパキシル投与後、言動が攻撃的になり、ついにはコンビニに包丁を持って強盗に押し入り、現金20万円を奪取した事件、そして、配偶者を殴って10針の傷を負わせた事件という、2つの事件における、診断と投薬の過程の問題点が、ご本人と家族への取材映像を含めて紹介されていました。

 前者のケースは、投薬開始後早い段階から、家族に対して衝動性・攻撃性が増していたにもかかわらず、医者は、まずはパキシルを3倍にまで2段階かけて増量し、その段階で「効かないから」という訴えを受けて、一転して投与全体を中止。それから数週間後には再び、かなりの量の投与を再開、更に増量(当初の4倍)という、実に頻繁な投与量の増減がなされていた点が、番組で、重要な問題点として指摘されました。

 SSRIを飲むことを「急にやめてしまう」ことは、実は非常に危険であり、身体面でのリバウンドの危険も大きいばかりか本人を更に不安定にする引き金ともなるのです。ですから、患者さんが勝手な判断で飲むのをやめてしまうことは是非避けるべきです。お医者さんの指導の下で徐々に減薬していった上で、別の薬等の治療に置き換えて行くのが適切です。

(私自身、お医者さんが何を思ったかパキシルを突如全部やめてしまってデパスのみに置きかえるという、常識はずれの処方をしてきて、その際に身体がどのくらいリバウンド食らうかの恐ろしさを体験しています)
 
 もうひとつの後者のケースは、すでに以前もご紹介したように、実は双極性障害の「うつ状態」のはずなのに、単極性障害とのみ誤診され、気分調整剤ではなくてSSRIのみが中心的に処方されたケースでした。この患者さんは、おかげで躁鬱の波が余計に悪化するというパターンにはまって、奥さんに暴力を振るってしまったのですね。

↓「NHKスペシャル」で用いられた図の再掲です。今回の番組で掲載されたのは「双極型障害Ⅰ型」についてのもので、躁状態方向への波の振幅も高まっていたので、少し違う図になるのですが、参考までに転載します。
Bp2b_2
Bp2c_2

 この番組の中で、単にSSRIそのものに不安や緊張の低下と同時に、衝動性抑制の神経伝達物質代謝まで緩んでしまう作用を起こす可能性の示唆にとどまらず、お医者さんの側に、適切な診断の下で、薬を的確に使いこなせていない未熟さがまだ見られることが大きな原因であることを強調していた点は、重視すべきでしょう。


 この取材に応じ下さった患者さんお二人が異口同音に語った事柄が印象的です。


「そういう時には、まるで自分が自分ではないみたいな、独特の感じなんです」

「何かにムカついてきて、イライラが高まる時のイライラとは全然違うものなんですよ」


****


 今回の番組の中で、ゲストの医療ジャーナリストの小出五郎氏は、日本の薬事法における、薬の副作用についての国への報告システムの問題点を指摘していました。製薬会社や大病院からそうした副作用報告を吸い上げるパイプは制度として整備されているのですが、個々の医師(開業医を含む)や患者・家族から、そうした、薬の副作用についての情報を、たとえ曖昧で確証がなくてもいいから吸い上げるまでの公式のシステムが制度的に存在しないそうです。 

「副作用情報はいったい誰のためのものかということです。何よりまずは患者さん、そしてご家族にとってなくてはならないはずのはず。そうした情報を専門家と共有するためのネットワークの整備が制度的にも急務」

というのが、小出さんが最後に強調した点でした。


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2009/05/21

みんなでマスクすれば、患者さんはいじめられないかも?(第3版)

 新インフルエンザの日本上陸、神戸から関西全域、そして関東へと感染者確認が広がりつつあります。

 関西では、一斉休校になった途端にカラオケルームに生徒たちが怒涛のように押し寄せるという、これでは感染予防にまるでならないではないかという事態もニュースになりましたね。

 私の知り合いがネット上の某仮想空間で遭遇したエピソード。

 成り行きで、関西の女子中学生のたまり場スペースに入り込んでしまったら、みんなで「わーい、休校だ、休校だ!!」と踊り狂っていて、そのエネルギーに圧倒されたとか(^^;)

 インフルエンザウィルスはコンピューターウィルスに変異する可能性はないでしょうからcoldsweats01ネット上の仮想空間でたむろできることは、むしろこうした場合には、むしろ「有効な感染予防対策」であろうかとも思われます(^^;)

 高校生世代が特に感染しやすく、他方、高齢者の感染率がかなり低く、最新情報によれば、1957年より前に生まれた人には免疫抗体が存在している可能性があるということです(・・・・ギリギリで圏内に入れなかった)。タミフルをはじめとする薬の投与や配給の問題、開業医での受診拒否問題、他地域の自治体首長が、関西での教訓を生かして、特定の中核病院に患者さんが押し寄せるのではなく、軽症者は地域の開業医に分散受診し、自宅静養を促す方向へと、事前に広報上・行政指導上の対策をとりはじめるように指示をした旨会見したというニュース、新ワクチン配布の見通しについてなど、いろいろな情報や意見がネット上でも飛び交っていますが、このエントリーではそうした、すでに語り尽くされている切り口はご遠慮するとして・・・・・

 そうそう、大阪での浜崎あゆみや倖田來未や大塚愛のライブコンサートも中止になってしまったんでしたよね。すでにかなり前からライヴコンサート重視にシフトしているavex(アーティスト所属事務所と、CD制作会社と、ライブ公演興業会社がすべてavexグループの構成部分という、総合的な企業体なのである。こういう形態の会社は珍しい)、こういう時には律儀だから、感染が収まったら、同じプログラムの代替公演、今回残念な思いをした人優先でチケット準備してくれると思いますので。

 追加公演に関する現在の最新の進行状況(5/22)は、


●コンサート中止に伴うご案内(5月22日現在)(avex公式サイト)


で読めます。追加公演「最終調整」段階とのこと。

 ライブの場合、もちろん若い人が観客に多いということもありますが、実際にはその特定の狭い地域からのみ観客が集まるわけではなく、追っかけの人も少なからずいるため、実際には日本各地の人が来ているともいえます。そうなると、感染した人は日本各地にウィルスを持ち帰るわけです。更に言えば、そうした遠方組は、体力的にも無理をする強行軍を組んでいることも少なくないのではないかとも思えます。そう考えると中止もやむなしかなと思いますね。


*****


●「マスク」 新型インフルエンザで需要急増 予防効果なし!?「過剰防衛」  (msn=産経)


 この件についても、実際の感染者からの飛まつ感染の危険を押さえたり、鼻や喉、呼吸器の炎症を緩和することに効果があっても、予防効果はないので、特に日本で顕著な、マスク品薄現象は(罹患して本当に捜し求めている人には行き渡らないわけだし)無意味なものであるという意見は、すでに多くのサイトで語られています。

 中には、これもひとつの「経済需要」呼び起こしの効果があるとまで開き直った意見までありますけれども(^^;)

 私なりに思うのは、日本の、こういう時になると、ものの見事に付和雷同する集団主義のいい側面は、こうやってみんながマスクをつけて街を闊歩してくれれば、すでにほんとうに罹患しているのに、どうしても事情があって外出するしかない人たちが、白い目でみられ、心苦しい思いを味わうストレスを若干でも軽減するかもしれない????

 もとより、こうした場合に、調子が悪いなと思ったら、「新インフルエンザ」であるかないかに関係なく、できるだけ仕事や学校を早めに休む決断をして、身近な適切な医療を受診をした上で、自宅静養する早期決断であることには変わりないかと思います。


*****


 「うつ病は心の風邪」という言い方をあまり好きではない私ですが(だって、1週間でうつ病が軽快する人がいたら、うつ病とは呼ばずに済むと思うし、何年も何年も鬱に苦しみ、病院やカウンセラーめぐりをしている人の心情、まるで逆撫でしかねないから)。

 でも、こういう時は、風邪にかかった人に、欝の人にお医者さんがまずおごそかに宣言することと同じことをお勧めしたいです:

 「休んだ場合の職場への迷惑とか、あとのことを気にし過ぎず、ともかく、休みましょう!!」

と。


【第3版で追記】

 こんな記事もありますね。

●【Re:社会部】明日はわが身と思えますか(msn=産経)


==========引用はじめ==========

 「まるで黴菌(ばいきん)扱いされているようでした」

 新型インフルエンザの取材を通じて思いだすのは結核にかかった元男性患者の言葉です。

 結核は感染症法上「2類」に分類され、保健所は感染のおそれがある人をリストアップして感染しているかどうかを調べます。この際、患者の実名を明かすことはありませんが周囲の知ることになり、男性のように疎外感を感じることが少なくないようです。

 新型インフルエンザでも感染者は同様の思いを味わったのではないでしょうか。成田空港の水際対策で生徒らの感染がわかった大阪府の高校に誹謗(ひぼう)中傷が寄せられました。感染拡大を防ぐことは重要ですが。日本では極端にいえば、感染者を「病原体」と見てしまう傾向にあるように思いました。

 産経新聞も含め主要メディアは、神戸市で国内発生が今月16日に確認されてから感染者が通う学校名を報じました。

 不正確な情報で不安や風評被害を広げてはならないという判断だったのですが国はこれまでと同様、学校名を公表していません。「社会的受容ができておらず時期尚早」という考えです。

 「新型」は季節性並みという見解が示されました。明日はわが身として「共感」できるかどうか、自分自身が試されていると思うのです。(杉)

==========引用おわり==========


*****


【第2版で追記】

 次のような報道もある:

●【新型インフル】マスク着用、すべきか否か(msn=産経)


==========部分引用はじめ==========

 制服組は着用率が高い。百貨店やスーパー店員、鉄道係員などは、マスクが制服の一部と化している。通勤電車のサラリーマンにも多い。同僚の観察によると、阪急京都線における朝のラッシュ時の着用率は約8割。感染者が多く出た高校近くの駅からは、マスク組がどっと乗り込んでくるという。

 ところが産経新聞大阪本社がある大阪・ミナミの街頭を昼間に歩くと、マスク着用率は2割もあるかどうか。多くの通行人は5月の風を心地よさそうに吸い込んでいる。報道は重点的で特異現象を探しがちだから、同じ関西でも時や場所によって大きく違うことまでなかなか伝えられない。着用率の濃淡は新型インフルエンザとはまた別のテーマだ。

 欧米ではマスク着用率が低いという。8日付小欄で「マスクから日本人が見える」と書いた。またiza(イザ!)などブログにも、〈トイレットペーパー買い占めを思いだす〉〈集団心理〉など日本人の特性とマスク着用を結びつける意見が目立つ。しかし自分の目で観察ができるようになって、国民性に帰する見立てはどこまで有効なのかやや心許なくなってきた。

 米国では政府そのものがマスク着用を推奨していないという。対して日本の厚生労働省はずっとマスクの着用を呼びかけてきた。自治体や企業もそれに従って指針を立て、社員らに着用を義務づけたり促したりする。当然、強制力のある組織に属する人たちの間で着用率は高くなるはずだ。

  さて、この原稿を書いている産経新聞大阪本社編集局。見渡しても、マスク着用者は数えるほどしかいない。ここは日本なのだろか。(坂本英彰)

==========部分引用終わり==========


・・・・この人は、産経新聞の記者さんなのだろうか?(爆)


この記者さんの語る脈絡、読み取りようによっては、日本人であることよりも、自由闊達で反骨な大阪人気質の方にプライドを持っているみたいで、何かエールを送りたい気もする(^^) 


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2009/05/12

第12回 乳幼児てんかん研究会国際シンポジウム 2日めの報告 [第2版]

 お待たせいたしました。コーヒーブレイク(ラーメンブレイク?)をはさみまして(^^;)、前回の報告の続き、2日めです。

Image01500
↑筑後川にかかる久留米大橋(国道3号線)から遠望する、久留米大学医学部の諸施設。


 2日めの圧巻は、ランチタイムセミナーにおける、イタリアのMichele Zappella博士による、"Autistic Regression with and without EEG Abnormalities Followed by Favourable Outcome"と題する講演だったと思う。

 タイトルが示すように、EEG(脳波測定)という物差しを用いて、自閉症スペクトラム(ASD)と診断された534名についての、長期的なフォロー・アップ・データに基づき、脳波異常があるケースとないケースを比較することによって、その差異を考察したものである。

 この発表で強調されたのは、てんかんにしても、自閉症スペクトラムにしても、遺伝的な「宿命の病」と見なされることが多い現状に対して、「良性の転機を迎える」一群の人たちが明らかにいることの指摘であった。

 まずは過去の研究のレビューだが、1997年の調査研究では、自閉症がその後消失したケースは1.7%というたいへん低い数値であった。しかし、2007年の研究では17%、2005年の別の研究では47%が消失という調査データすら登場するようになる。

 この原因としては、時代を経るにつれての、自閉症についての臨床研究の深まりと、現場臨床での認識の深まりの中で、診断基準そのものが洗練され、早期発見がなされ、早期に言語・社会的な訓練が開始されるようになったなどの要因が当然考えられる。

 博士は更に、施設の態勢が貧困だったり、虐待家族のもとで育てられたケースが救済されることが増えたために、いわば2次症状としての、attachmentの障害が克服されていくと改善に向かう、遺伝的負因が相対的に低かったと判断できる一群があることを示唆した。

 今回の博士の2000-2008年にわたる縦断調査研究の中で報告された、脳波異常の消失例(39例/446例。結節硬化症やflagile Xの患者は除外)は、ただ1例を除いて、自閉的退行があった症例である。

 具体例としては、3歳児で、てんかん発作の開始と共に急速に退行が始まったが、診断を受けて1年後にバルプロ酸ナトリウム(デパケン)の投与がはじまってから急速に回復、現在12歳で、一貫して普通学級で教育を受け、若干のサポートは必要だが、言語的・コミュニケーション的な適応はほぼ完治といっていい水準に達しているという。そしてそれはその途中の期間に、脳波上の部分発作が繰り返しあったにもかかわらず生じた回復だった。

 博士の説によれば、こうした、(薬物投与以外)「自発的回復」に近い形で自閉症スペクトラムからの転機を迎える事例がかなりの数ある以上、安易に特殊教育の場でのみの集中的な介入の形で、言語的・コミュニケーション訓練の場に置いて純粋培養しようとだけするのは、ノーマルな子供たちとの接触の自然な接触の中で得られる刺激から遠のけることになるのではないかということであったが、これについては、「早期発見・早期介入」を強調する他の参加者との間で白熱した議論がなされて行った。

 ただ、このディスカッションの成り行きを、乏しい英語力で必死に追いかけていく中で、私の中に生じていたのは、そもそも議論がかみあっていないというか、言語的・社会的コミュニケーションが円滑に進んでいない(^^;;;;)のではないかという思いであった。

 学会発表の場を活性化するためのフロアからのピンポイントの介入的質問が大好きな私であるから、もし私が英語に堪能だったら、絶対に途中で「危機介入」していたことだろうcoldsweats01

 こうしたフロアからのコメントについての私の基本スタンスは、Aoyama Masanoriさんの、


●事例検討のレジュメ(Walk Don't Run  ゆっくりいこうよ)


というエントリーに、僭越ながら、私のコメントとして詳しく書かせていただいています。

 博士も、ABA応用行動分析の積極的効果については繰り返し強調する答弁をしていた。個人的に思うに、ABAは、ベーシックな用いられ方をする場合、あくまでも患者の家族の側の、患者との相互作用を改善する戦略で用いられることになる。つまり、治療者が、患者自身に、患者自身が耐え難い水準でインテンシヴな介入や訓練を押し付けてしまうことによる「二次障害(三次障害?)化」のリスクからも遠い。

 恐らくこの点が博士がABA支持の発言を繰り返す背景にあったと想定できるのだが、とてもとてもこうしたことを英語で噛み砕いて説明できるほどの語学力は私にはないものだから。

 博士の次の発言が印象に残っている:

遺伝負因の発現をむしろ抑止する遺伝子というものが存在し、一度始まった自閉症的(てんかん的)退行からの自然発生的な回復の誘因となっている可能性があるのではないか」

「大事なのは、その患者にあわせて、適切な時間軸において、tailor-madeな形での治療的な介入がなされていくことだ」

 知人に訊いたところ、"tailor-made"という言葉は、今や「オーダーメイド」という和製英語に代わって、日本でも広まってきた言い方だという。

 これを中井久夫先生流に言い換えると、「一品料理」としての治療、ということになる。

中井久夫/精神科治療の覚書 (からだの科学選書)

 なお、てんかんをわずらった患者さん自身による、「てんかんを生きる」とはどういうことかについての、実に整理された、わかりやすい論考があります。

(この圧倒的な几帳面さが、いかにもてんかん性格の人らしい!!)


●あるてんかん患者の日常心理(by Y-Shigeyamaさん)


 たいへんな労作だと思います。てんかんに関心がある皆様は、せひお読みください。


******


 いずれにしましても、自宅間近な、故郷久留米の大学で、こうして、発達障害とてんかんの医療と基礎医学に関わる、世界最先端を行く研究者や臨床家の議論を聴く場を、心理臨床家にも開かれた形で与えてくださった、久留米大学小児科の松石教授をはじめとする、関係者の皆様と、パンデミックの危険も何のその、久留米の地までおいでいただいた、諸外国の臨床医学者の皆様に、厚く御礼申し上げます。

It's Exciting!

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2009/05/10

Centre for Evidence-Based Ramenology in Kurume University

 またもや、てんかん国際シンポジウムの2日めの紹介に入る前に、この会議場のロビーに掲載されていた、スペシャル・ポスター・プレゼンテーションの方をご紹介しておきます。

 なお、この「センター」の所長は、今回のシンポジウムの準備委員長の、松石豊次郎教授、その人です(^^)


 敢えて、クリックしたら、リサイズしていない、文字がしっかり全文読める、高解像度の写真が表示されるようにしました。

 どうか、「画像を保存」した上で、irfanview等の、軽快な画像閲覧ソフトで「オリジナルサイズ表示」にして、全文をじっくりとお楽しみください(^^)

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2009/05/09

第12回 乳幼児てんかん研究会国際シンポジウム 1日めの報告

「第12回 乳幼児てんかん研究会国際シンポジウム」(5/9-10 福岡県久留米市)、まだ1日めが終わったばかりですが、何しろ会場が私の自宅から徒歩でもほぼ直進15分、自転車でだと5分しかかからない、久留米大学医学部の筑水会館ですから、朝からフル参加してきたのに、余裕綽々なので書いてしまおう(^^)

K3100131
↑久留米大学医学部本部

K3100132
↑学会会場入り口の掲示

 私がお医者さんの学会に出るのは2回目である。1回めは日本心身医学会で、何と連名発表までしている(業績一覧参照 ^^;)。当時若かった、私を引っ張り出してくださった井出雅弘先生と大林正博先生は、心療内科の世界では大立者におなりなので、恐縮の至りです。

 しかし今度は、「コメディカルの人たちにも積極的に参加して欲しい」という主催者の先生の特別な計らいで、コメディカル特別料金5,000円(2日間のランチボックスつき)という大盤振る舞いに便乗させていただく形となった。

 私は発達障害の専門家でもないし、てんかんに至っては素人、唯一てんかんのプロと言えるのは、私自身が、抗うつ薬を、本来抗てんかん薬として開発され、気分スタビライザーとしての認可も降りたデパケン(バルプロ酸ナトリウム)に切り替えたことで一気に快方に向かった患者としてだけである。

 そして、まだ作用機序が未解明らしい、「どうして抗てんかん薬が双極性障害に効くのか」について、(その効き目のあまりの率直さに感動している人間がここにいる!!)何か最新情報をダイレクトに得られないかというのが本当の参加の動機だったわけであります(^^)

Image523
↑会場の筑水会館


******


 この国際シンポジウム、原名を、

The 12th Annual Meeting of the Infantile Seizure Society
International Symposium on Epilepsy in Autism Spectrum Disorders and Related Conditions (ISEASD)

つまり、

「第12回幼児期てんかん発作についての年次大会:てんかんの、様々な自閉症スペクトラムと関連事象との関わりについての国際シンポジウム」

というタイトルにピンと来ない心理の専門家の方すら少なくないかと思いますので、今回の学会で、"Autism and Epilepsy:Historical Perspective"(自閉症とてんかん:歴史的視点)という基調講演された、Roberto Tochmann博士の発言を元に少し解説。

 てんかんが、一種の脳波異常放電であるという学説が主流になったのは、1920年代に脳波計が開発されて以降、1930年代に入ってからです。

 それまでは、血流に関する血管の異常という説が有力でした。この「脳波異常」の発見と共に、クレッチマーの偉大な業績にみるような、「統合失調症」「躁うつ病」と並ぶ「三大精神病」と呼ばれていたてんかんの臨床研究は、精神科医の手から、神経生理学者の手に委ねられるようになりました。

 もっとも、現実の現場臨床では、少なからぬ場合、精神科医がてんかんを診断したり、投薬する現実に変わりがなかったにもかかわらず・・・です。

 てんかんという疾患において厄介なのは、単に大発作を起こして倒れるなどといったことではなく、多くの場合乳幼児期に最初の発作を起こし、それと共に知能や記憶力の障害、運動能力や対人関係能力の発達も阻害されること、そして、発作という脳の異常放電の繰り返しの結果として、脳や神経系、身体的な運動機能そのものに、不可逆的な障害がむしろ引き起こされていく悪循環が進むのが経過観察されることそのものでした。

 更に、てんかん発作は、思春期から20歳ごろに、「第2の」発作頻発のピークを迎えることも観察されていました。これによって、心身が再び急激に発達を始めるその時期に、知能や運動機能や衝動コントロールの障害がむしろ悪化し、退行(神経症の一時的退行とは異なります)すらはじめること、特にそれが、乳幼児期に最初の発作を確認できなかった人たち(見落とされた可能性もあるが)において、予後がよくない展開を招くことが多いことにも気づかれていくことになります。

 その一方で、1943年にカナー、1944年にアスペルガーの手によって、それまで「幼児分裂病」と呼ばれていた疾患の中から、言語能力や対人共感能力(非言語コミュニケーション能力)の独特の障害を持つことを基準に、「早期幼児自閉症」という疾病分類が形を成していきます。

 それが、単なる失語症や知能障害、脳性まひ(ダウン症)とも異なる、独特の発達上の障害であり(「高機能自閉症」の存在など、知能の遅れは必然ではない)、慎重な鑑別が必要であること、生活上のさまざまなサポートや訓練が、これらの人たち、および家族向けの固有な形で必要であること、そして、少なからぬケースにおいて、脳波異常も観察され、てんかん発作の既往歴を持つ人も少なくないことにも徐々に気がつかれて行きます。

 しかし、それでも、早期幼児自閉症は、長期間にわたり、非常に発生率の低い発達障害と見なされていて、そうした状況は1990年ごろまで変わりませんでした。1960年-70年ごろには、統合失調症と並び、反精神医学や「家族病因説」が優勢だった時代だったということもあります。

 それが一気に急展開したのは、膨大な臨床的行動観察と、それを基にした心理テスト・行動観察マニュアルの進歩、診断基準(criteria)の詳細化の中で、「注意欠損・多動性障害(ADHD)」「レット症候群」「学習障害(LD)」など、発達障害に様々なサブ・グループことが認識され(いわゆる自閉症スペクトラム ASD)、ICD-10とDSM-VIで相次いでそれらの成果が国際診断基準として反映した、1990年代になってからでした。

 シナプスにおける神経伝達物質についての神経生理学的・化学的研究の精度が上がり、更にそこにDNA解析に伴う詳細な遺伝学的研究が照合されるようになった時、こうした成果は一同に会して、更に大きなうねりを起こし始めます。

 こうして、ニューロンの間の物質代謝と、そこに関わる遺伝子の特定がひとつずつ進むいう次元で、詳細に、てんかんと自閉症スペクトラムの類似性と鑑別についての関心が大ブレイクしたのは、21世紀突入という、「汎・発達障害主義」とすらいえる、幼児精神医学と発達心理学の大革命と機を一にしてのことだったのです。

 ところが、DSMでは今でもてんかんについての記載が全くない、神経医学との「棲み分け」状態を維持しているため、殊に心理の専門家の間では、「発達障害」にはにわかに関心が高まっても、それをてんかんの問題と結びつけることはひどく立ち遅れているという不均衡が、今現在も続いていることになります。

 少なくとも、てんかん発作の経歴ある人に、発達障害になる人が統計的に有意に多いこと、発達障害の人にてんかんの発作が反復されると、その人の言語・非言語コミュニケーション能力ばかりか、きちんと調律された運動能力や衝動コントロール能力の発達が阻害され、殊にレット症候群に顕著に見られる、いったん獲得した知的・言語的・対人相互作用的能力の低下という「退行」すら生じることは、もはや統計的には明らかな現実があります。


*****


 私が今回口頭発表の中で一番刺激的だったのは、アイスランドのEdvald Saemundsen博士による、国内の全児童を対象とする定期健診と治療のカルテを活用した、"Epidemiology of ASD and Epidelepsy"と題するリサーチでした。

 小さな島国にわずか32万人しか人口しかないけれども、スカンジナビア諸国らしい高福祉国家(おかげで、世界的大不況の今、国家破産の危機と戦っているのはニュースでおなじみ)であるアイスランドには、数十箇所に及ぶ、無料の公立の小児科医療とカウンセリングのセンターが置かれています。この点ではイギリスと同じくらいに、国民の医療とメンタルヘルス問題を国が「抱え込んで」いるわけすね。

 このことはひとつ間違うと、イギリスでの認知行動療法だけの優遇という弊害と同じような「1984年」的管理国家の弊害のリスクも背負っているわけですが、その分無駄のない緻密な予算配分で政策を行なえるメリットはあります。また、リサーチで統計を取る際に、「サンプル調査」なんていう生ぬるいものではなくて、統計的には圧倒的な信頼性のある、「全数調査」を、そんなに圧倒的な研究調査費用をつぎ込まなくても可能にしているわけです(調査の対象となる、その病院やセンターをを受診・利用するというだけで、いろいろなバイアスがかかってしまう可能性を排除できる)。

 こうして抽出された、てんかんの患者さん、自閉症スペクトラムの患者さんは、国全体で数百名にも満たない数字となる。

 そこから出された結論。

「少なくとも、自閉症スペクトラムとてんかんという診断に関して、別々の(独立)変数とみなすことを有意味とする統計的根拠は何も見出せなかった」

 ・・・・控えめな言い方ですが、これは、てんかんと自閉症スペクトラムが、全く共通の「神経生理学的・遺伝的要因」×「認知=言語的要因」×「社会=行動的要因」のもとで生じている可能性を示唆するものです。


*****


 1日目の最後の基調講演、アメリカのデンバーからおいでの、本来はてんかんが専門で、シナプス受容体におけるGABA受容体についてのスペシャリストであるAmy Brooks-Kayal博士の、"Epilepsy and ASD:Are There Common Developmental Mechanisum?"に至っては、最新(1ヶ月前のものすら含む)の遺伝学的・神経生理学的実験リサーチを縦横無尽にレビューしながら、更に過激に走りました。

 てんかんと自閉症スペクトラム(ASD)の、発達上の障害の背景に、共通の神経生理学的な基盤があるとすれば、それは何か?


1.シナプス可塑性(Synapic Plasticity)

 シナプスは、ある一定条件のもとで興奮し、神経伝達物質をシナプスの間で交換するうちに、興奮や抑制について、ちょうどいい形にコントロールできる方向へと、シナプスの組成そのものを別の形に自己変化させていく力があるという最新の学説を「シナプス可塑性」と呼ぶそうです。この可塑性が有効に機能しないと、その個体の安定した心身の発達そのものがありえない(運動機能の中枢的統御もつかさどるから)。

 しかし、このシナプスの可塑性そのものが、神経受容体が何らかの理由(例えばてんかん発作!!)でノックダウンされた時、その結果をむしろ悪循環的に反映させていく形で硬化する可能性も秘めている、諸刃の剣でもあるそうです。

神経の興奮や抑制に関してのアンバランスな回路がその人の中で固定化されて「自己増殖」していくわけです。こうした回路の中には、デパケン(バルプロ酸ナトリウム)がもっぱら作用するとされる、GABA受容体における神経伝達物質代謝の不安定化も含まれています。

 少なくとも、てんかん発作の際に、GABA受容体はアップ・レギュレーションしてしまい、そのことへの反動として柔軟性が失われ、生涯にわたる自発性低下などの要因となる可能性は、動物実験と、シナプス内部の電子顕微鏡次元での化学物質バランスの観察から推測できる仮説とのこと。

 この結果生じる脳の異常興奮が、今度は更に、ひとつの方向としてはてんかん発作の発生を「促す原因」となり、もうひとつの方向としては、自閉症スペクトラムに特有な認知障害(過覚醒など)を生み出す可能性がある。

つまり、この2つの一見別の「障害」は、実は、少なくともその途中のプロセスのかなりの経路においては、全く同じ病態生理学的機序で生じている可能性も否定できない。


2.「脆弱性遺伝子」(fragile X)

 これは、ニューロンから伸ばされる神経繊維の質そのものを悪くするものであるらしく、当然、神経の興奮や抑制の質の悪化を招きます。しかもRNAに4%が転写される形で遺伝的に継承されていく。


3.ARX遺伝子の突然変異(mutation)がシナプス可塑性を奪う引き金になる場合がある。


4.神経細胞における結節性硬化症(Tuherous Sclerosis)の進展

 これは、この障害は進行性であることが遺伝的にも証明されており、特に点頭てんかんとの関わりが注視されている。


*****


 このBrooks-Kayal博士が、さりげなく「抑うつ」だとか「自発性低下」という言葉を口にされ、GABAのスペシャリストであるのをいいことに、質問タイムに質問したら他の方の時間を奪いそうだったので、講演終了後に、敢えてお声をおかけして、例によって「すごい英語」でお尋ねしました。

「先生がGABAのスペシャリストと見込んでお尋ねします。双極性障害に、抗てんかん薬が有効なのは知られている通りですが、私は、自閉症スペクトラムと、てんかんと、双極性障害を同じ機序でとらえるgrand theoryが今後展開されるのを期待しているのです」

 女史はほほえみ、

「そうね。てんかんの人の30%は双極性感情障害でもあるしね」

・・・・これを伺えただけで、私はこの学会に参加した意義がありました。


*****

Image518
↑ なお、この日のランチボックスと同時通訳機(限られた催しのみ)リースの提供は、デパケンでおなじみ、協和発酵の医薬でした(^^)

(このボールペンももらえて喜んでいる、開き直ってミーハーな私)


●2日めの催しへの感想→
●その前に昼食タイム!! という方へ→

 

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2009/05/03

精神神経科・心療内科の薬の効き心地の「実感」についての本。

 神田橋條治先生たちが、精神神経科の患者さんたちが飲む代表的な薬剤について、その「効き心地」とはどんな実感なのかについて、医者たちの経験値や患者さんたちの意見を元にまとめた本を出しているという噂は耳にしていた。

 しかし、それが現実には次の本であるということは、今回はじめて気がついた。


●神田橋條治・兼本 浩祐・熊木 徹夫/精神科薬物治療を語ろう―精神科医からみた官能的評価

●熊木 徹夫 /精神科のくすりを語ろう―患者からみた官能的評価ハンドブック

 実はこれから注文して読んでみる段階であるから、具体的な感想は先送りにしたいのだが、すでに別の記事で私が書いたように、精神神経科や心療内科で出される薬物について、薬ごとに、実に精妙にその効能(および副作用)の実感が異なり、患者さんどうしは、その、薬ごとの効き心地の実感の違いを、実に精妙に間主観的に共有できるコミュニケーションが成立している(=お互い通じる言葉で語り合える)ことは間違いない。

 例えば、パキシルをジェイゾロフトに変更するとどのように飲み心地が変わることが多いか? 私の得ている情報からだけで、こららの本からの知識なしに敢えてブラインドで書いてみると以下の通り。

 ジェイゾロフトの方には隠れた軽いドーパミン再取り込み抑止効果があるため、朝の目覚めがすでにすっきりしていると訴える人が少なくない。ただし、副作用としてありがちなのは、過食からむしろ食欲低下や下痢にシフトすることであり、いわば「肉食系」から「草食系」へのライフスタイルの変更を求められることを自己受容できるかどうかが分かれ目となりやすい。

 恐らく、パキシルよりはジェイゾロフトの方が、日本人向きの、効き目もピュアで副作用も少ないことが多いSSRIではあるのだが、ジェイゾロフトには、ある種妖しげなまでに飲む人の心を虜にする嗜癖性が隠れている気がする。それは、いわば、タバコ飲みの人が、タバコを飲まないでいると、言葉使いの精妙なセンスや、細やかな注意力が低下するので、タバコを止められなくなるのと類似した質のaddictionの体験であるようだ。 

 それまで単極性うつ病との診断の元にSSRI中心の処方を受けていた人が、双極性II型ないし、気分変調症という診断が正しかったという判断の元に、ベーシックな薬を、気分スタビライザーのデパケンに変更することはよくあり得る。デパケンに変更すると、抗うつ剤にのみの時に生じていた、「鬱になるにしても、やり気になるにしても、自分の心身の重荷にゆすられるリバウンド現象から心身が見事に解放される場合があり、数年間不可能だった社会復帰がいともあっさりと現実化することすら稀ではない。

 だが、こうしてデパケンをメインに切り替える過程で、何らかの意味で、それまでのような、繊細で細やかな感性が自分から失われ、平凡な日常と現実の中に、ひたすら埋没できても平気となってしまい、と一種の「俗人化」が生じることをむしろつらく感じる人も少なくないらしい。

 そういう人のために、例えば、ジェイゾロフトを一日一錠夜だけ残すというのも、職人的な精神科医が患者さんによく提案するやり方らしい。そうやっておくと、いわば「タバコを止めない」ことで集中力や感性の敏感さを維持するのと類似した効果が期待できる。

 しかし、誠実なお医者さんなら、次のことをはっきり、インフォームド・コンセントする。

 「本当は、デパケンだけで済むなら、そのほうが回復全体は順調に進むはずです。もうあなたは、《プラス5の絶好調》も体験しないかわりに、《マイナス10の耐え難い絶望や抑うつ》に苦しむこともなくなります。ただし、あなたはいつでも単調なまでに《「気分どっちかというとマイナス1》状態で日々を送ることになります。そういう生活に、せいぜい《プラス2》ぐらいまでにしかハイになれない変わりに時には《マイナス3》ぐらいに気分が沈むくらいの潤いと張りと心身のゆさぶりを、一錠のジェイゾロフトは維持させてくれるかもしれない。・・・・・どちらを選びますか?」

 ちなみに、私はデパケン「だけ」を選んだのですが(^^)。 存外、私なりの繊細な感受性や言語表現力の精妙さは奪われなかったどころか、程よい軽妙さとユーモア、そして、迷いなく率直である態度という、もっぱら肯定面のみ。

 しかも、医者からは「永遠のマイナス1の安定」といわれていたのに、実際には、むしろプラス0.5くらいの安定という、ほのかな明るさの中に過ごせているという、思いもよらない結果なのですが、それを可能にしているのが、デパケンだけの力ではないこと、つまり、生身のニンゲンとの絆という薬あってのことであることは、重々自覚しつつ感謝しています(^^)


******


 いずれにしても、この2冊については、すでに毀誉褒貶がすさまじいものがあります。かなりの程度「主観的」であり、脳神経薬理学的な裏づけに乏しいというのです。この点は、熊木氏が単独で執筆した続編では、エビデンス・ベースドな方向を徹底して、かなり改善したようです。

 それでもなお、「患者がこんなふうな効き目を味わいたいという方向に誘導することにばかりなるのでは?」という批判などがあるみたいですが、少なくともこれだけは断言します!!

 患者さんが、医者の言うことを「おとなしく」きいていて、黙って薬を飲むという形でのプラシーボ(偽薬)効果に依存して薬物療法がなされる時代だけは、もう終わりにしてもいいのではないでしょうか?

患者さんが、自分の薬に効き目を自分の中で絶えず実感上モニターしていて、医者はそれを聴く耳を持って好意的に受け止めて刻々と役立てるという、患者さんと医者との薬を媒介としての信頼関係がいったん樹立されてしまいさえすれば、これほど治療効果が上がり、お医者さんにとっても負担が少なくなる治療関係はないのです。

 私は、この問題について、カウンセラーという立場から介入し、サポートするための方法論という、ある意味で、単なる医者もカウンセラーも超えた視点からの専門家であるための具体的方法論の確立を、今、模索しています。

 それは、こうした著作での、神田橋先生たちの「官能的評価」と呼ばれた次元での試みを、すでに過去のスタティック(静的)なパラダイムに過ぎないものとして、踏み越えて、更に先に進むことになるやもしれません。

 かつてただの一度も神田橋先生の信者になる気にはならなかった、一臨床家として。

 「中井久夫信者」といわれることについては、全然違和感ありませんけどね・・・・・・

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2009/04/29

豚インフルエンザに対する、舛添厚生労働相の今後の発言への注目点!!(第2版)

●豚インフルの疑い、メキシコ死者103人 カナダも確認(asahi.ocm)

 【ワシントン=勝田敏彦、ロサンゼルス=堀内隆】豚インフルエンザの拡大を受け米政府は26日、全米に公衆衛生上の緊急事態宣言を出すとともに、5千万人分備蓄している抗ウイルス薬のタミフルとリレンザの4分の1を配ることを決めた。メキシコでは豚インフルエンザの疑いのある死者が100人を超えた。カナダでは初めて6人の感染が確認され、感染地域は3カ国に広がった。

 緊急事態宣言についてナポリターノ米国土安全保障長官は記者会見で、財政支出をはじめ態勢を整えるハリケーン対応などと同じ手続きであることを強調。過剰反応しないよう求めた。

 米疾病対策センター(CDC)のリチャード・ベッサー所長代行は、手洗いの励行など、普通のインフルエンザ対策と同じ注意を呼びかけ、「米国内の流行はメキシコほど深刻ではない」と述べた。CDCは当初、米国内の感染者の数を21人と発表したが、20人に修正。同所長代行は、米国の感染者の症状が軽いことについて原因究明を進める方針も示した。

 しかし、「ウイルスの変異は非常に予想しにくいし、状況に応じて国民が取るべき行動は変わる」として注意を呼びかけた。豚インフルエンザに対応するため新たなワクチン生産の検討に入ったことも明らかにした。

 一方、メキシコのコルドバ保健相は、豚インフルエンザの疑いがある死者が26日、メキシコ市や北部ヌエボレオン州で6人確認され、全国の豚インフルエンザの疑いがある死者が103人になったと発表した。うち22人が豚インフルエンザと確認された。感染者数も1614人に増えた。カルデロン大統領は国民向けメッセージで、患者の大半が退院したことを明らかにし、冷静になるよう呼びかけた。

 また、カナダ保健当局などによると、感染が確認された6人のうち4人はノバスコシア州の私立高校生で、4月上旬にメキシコへの修学旅行に参加。2人はブリティッシュコロンビア州で確認された。いずれも症状は軽い。

 感染が疑われる例も各国で増えている。メキシコから戻った高校生10人に豚インフルエンザ感染の疑いがあるニュージーランドでは、別の学校の3人もインフルエンザ症状を示していることが分かったほか、米国から帰国した2人にも感染の疑いが出ている。

 また英スコットランド自治政府の医療当局は26日、メキシコから先週帰国した2人が豚インフルエンザに感染していないか検査を受けていることを明らかにした。

この件についての、非常に「コアな記事」を紹介します。

問題は、ミフのことです。(注:フミは亀田某に負けた[負けてあげた?]ボクサーの名前!!)

この薬、鳥インフルエンザの特効薬といわれつつ、実は副作用問題で日本でもたたかれ続けたわけですが。

wikipedia「タミフル」の項より引用:

=====引用はじめ======

「タミフル」の全世界での使用量のうちおよそ75%を日本での使用が占めており、世界各国のうちで最も多く使用されている上、同2位のアメリカ合衆国と比べ、子供への使用量は約13倍とされる。これは2003年頃にインフルエンザ脳症の危険性が大きく報道されて国内での使用量が急増したことに加えて、国民皆保険制度により患者の金銭負担が少なくて済むことも原因である(「タミフル」は高価なため、海外では富裕層でないと使えない)。

# 2007年2月28日、「タミフル」服用後に仙台の中学生がマンションから転落死するなどの事故の報告が続いたことから、厚生労働省は「インフルエンザ治療に携わる医療関係者の皆様へ[8]」という文書を発表し、「現段階でタミフルの安全性に重大な懸念があるとは考えておりません」としつつも、医療関係者に対し「万が一の事故を防止するための予防的な対応として、特に小児・未成年者については、インフルエンザと診断され治療が開始された後は、タミフルの処方の有無を問わず、異常行動発現のおそれがあることから、自宅において療養を行う場合、(1)異常行動の発現のおそれについて説明すること、(2)少なくとも2日間、保護者等は小児・未成年者が一人にならないよう配慮すること」と患者や家族に説明するよう、注意を喚起することとなった。

2007年3月22日、厚生労働省が十代の未成年患者の使用制限を緊急発表。「タミフルは01年2月の国内発売以来、のべ約3500万人が使用した。昨年までに服用後の死亡が報告されたのは54人で、転落などの異常行動で、2007年2月28日までに死亡したのは5人。5人の死亡時の年齢は12~ 17歳。」(一部意訳修正済み)

# 2007年9月29日、(私立)ワシントン大学精神医学教授の和泉幸俊らは、オセルタミビルおよびその代謝産物を、若いラットより摘出した脳細胞に浸すと、神経細胞が一斉に興奮(発火)することを報告した。実際の組織内濃度をはるかに超えた状態で行われた実験のため、これが臨床的意味を持つものかどうかは未確定である。これらの成分が生体内において、血液脳関門を通過し実際に脳に至るとは証明されていない(現時点では、血液脳関門を通過できないとみられている)[10]。

# 2007年12月25日、厚生労働省の薬事・食品衛生審議会安全対策調査会は、前年冬にインフルエンザと診断された17歳以下の患者約1万人を対象とした疫学調査の結果、異常行動の発生率は「タミフル」を服用しなかった患者(22%)に対して服用患者では10%で、10~17歳でも同様とした上で、生命にかかわる異常行動では発生率に大きな差が見られなかったことから「まだ解析の余地があり、タミフルと異常行動の因果関係は現時点で判定できない」として、十代への使用制限措置を「妥当」とする見解を発表[11]。

============引用済み===========


この知識を前提として、次の記事をお読みのこと。

●豚インフルエンザ感染拡大は、タミフル在庫処分を目的の一つとして起こした騒動(言の葉の幹を捜す)


==========リンクが切れてたら=======

 そもそも「タミフル」は、感染が流行すると考えられていた「鳥インフルエンザ」のH5N1亜型[注:A (H5N1)とも表記する]ウイルス対策用に開発されたものです。そして、今回メキシコで発生した「豚インフルエンザ」のウイルスは、H1N1亜型[注:A (H1N1)とも表記する]です。

 日本を代表する防疫研究組織の国立感染症研究所は、今年の1月19日に「H1N1亜型」ウイルスの98%が、タミフルの効かない耐性ウイルスであると発表したのに、4月24日に米国疾病予防管理センター (CDC) が人から人へと感染したと発表した後、国立感染症研究所感染症情報センターのHPに掲載されている、「ブタインフルエンザとあなた Q&A」の中では、何と治療薬として「タミフル」を推奨しています。 

 (以下転載)
 ブタインフルエンザの治療薬はありますか?
ブタインフルエンザの治療薬はあります。CDCはブタインフルエンザウイルスの感染の治療や予防にオセルタミビル(訳註:商品名タミフル)またはザナミビル(訳註:商品名リレンザ)の使用を推奨しています。
抗ウイルス薬は処方薬(錠剤、液体または吸入)であり、体内でインフルエンザウイルスの増殖を防ぐことによりウイルスと戦う役割をします。もしも感染したら、抗ウイルス薬が症状を和らげるか回復を早くすることが可能です。また、抗ウイルス薬はインフルエンザの重篤な合併症を予防できるかもしれません。治療のために、発症後すぐ(症状が出てから2日以内)に抗ウイルス薬の使用を開始すれば、抗ウイルス薬は最善の効果が期待できます。
 (転載終わり)

参照:インフルエンザH1N1型、98%がタミフル耐性(Tout est bien qui finit bien.)

 なのに昨日(4月27日)舛添厚生労働相は、豚インフルエンザ用のワクチン開発を急がせると発表したのです。 もしも何らかの感染症の効果的な治療薬があるのならば、ワクチンの開発を急がせる必要など全く無いはずです。

 要するに、今回のメキシコ発の豚インフルエンザ感染拡大は、すでに業界関係者の一部からインフルエンザ治療薬としては欠陥薬だとの烙印が押されている「タミフル」の在庫処分を目的の一つとして起こした騒動だということであり、その片棒を日本政府も担がされているということです。

============引用終わり=========


 念のために、まずこの記事への重要な異議を明記します。

豚インフルエンザ流行そのものが虚構の作り話ということはますありえませんし、とりあえずの緊急対策としてタミフルを「ダメもとで」緊急配布していることを、上記のブログの執筆者のように「在庫処分」のため、とまで決め付けるのはどうでしょうか? ちょっと陰謀論的でありすぎる気も。

しかし、アメリカにしても、日本にしても、一方で「新型ワクチンの開発が急務」という公式見解を発表した上で動き出している点にこそ問題の核心があります。この点ではこの方の指摘は全くあたっていると思う。

万が一、日本でも豚インフルエンザの症例が発見された時、厚生労働省が「実際に」どう動くか?

結論から言えば、タミフルの供給に関しては、日本はすでにストックがありすぎるし、更に言えば、日本の薬事行政は、全体としては、あの、HIV非加熱製剤「薬害エイズ事件」を悲惨で醜悪な、痛恨の超例外にすれば、アメリカに比べるとかなりいい意味で慎重かつ健全です。

私の畑で言えば、SSRIプロザックをはじめとして、アメリカで頻繁に使われている抗鬱薬や抗精神薬の幾つかが、結局日本では未承認のままのものが多いこと、あるいはMAO阻害薬のようにパーキンソン病の治療を除いてむしろ改めて認証取り消しになったりしたことについては、たいていの場合、深い意味と、それ相応の「積極的な」理由があります。個人輸入についてのサイトに踊らされる前に、次の記事を是非お読みください!!

●プロザックの秘密(ADBUSTERS)

つまり、アメリカの製薬会社の思惑に抵抗して、新薬とされる薬を容易には認証せず、治験を徹底的にやるという「防波堤」として、相当「頑張っている」ことはかなり信頼していいです。

そもそも体格も食生活も気候風土も違う日本人だと、薬の用量や副作用の出方がかなり異なることは言うまでもないので。

そういう意味で、舛添厚生労働相の今後の発言を、こうした観点から徹底的に注視すべきかと思います。 


※参考記事;

●【豚インフル】効果期待のワクチン製造、でも実現は… (msn=産経)

【第2版での追記 09/05/06】:

 その後、今回のウイルスは幸いにして、鳥インフルエンザよりも弱毒性という報告が、幸いにも、流れているようですね。一方で「レヴェル6」への引き上げも検討とのことですが、事態の展開を冷静に見守りたいものです。ここで書かれているように、変種が出て毒性が増す可能性は視野に入れるべきでしょうし:

●【新型インフル】新型ウイルス、正体が徐々に判明(msn=産経)

===========リンクが切れていたら=========

人類にとって未知のウイルスである新型インフルエンザウイルス。米国疾病予防管理センター(CDC)による4月24日の感染発表以降、ウイルスの正体が徐々に判明しつつある。


◇弱毒性ウイルス

 一番の安堵(あんど)情報は、ウイルスが弱毒性である可能性が高いことだ。世界保健機関(WHO)の緊急委員会にも参加した国立感染症研究所の田代真人氏は、「弱毒性の可能性が高い」と繰り返し情報を発信している。

 メキシコでの致死率が高いものの、他国では深刻な症状となった例は少ない。メキシコでも、進行中の調査でインフルエンザ以外の死因が判明した例があるなど、死亡件数は絞り込まれている。

 今回発生したウイルスは、豚由来のH1N1型と呼ばれるタイプ。一般にH1型のウイルスは弱毒性とされる。H1型ではウイルスの構造から、体内への侵入が呼吸器や消化管にとどまるからだ。強毒性のウイルス(H5型、H7型)だと、全身の細胞に入りこんで重症化する。新型への変容が懸念されている鳥インフルエンザは強毒性のH5型で致死率も高い。

人類にとって未知のウイルスである新型インフルエンザウイルス。米国疾病予防管理センター(CDC)による4月24日の感染発表以降、ウイルスの正体が徐々に判明しつつある。

◇第2波の懸念

 弱毒性とはいえ、懸念すべき点も多い。ウイルスが変容を繰り返し、毒性を増す可能性もあるからだ。

 1918(大正7)年から世界中で4000万人とも言われる犠牲者を出したスペイン風邪(H1N1)は、流行中にウイルスが変容したことが、被害を大きくした原因と指摘されている。

 しかし、田代氏はWHOでの議論などから「病原性が若干強くなる可能性はあるが、鳥インフルエンザのように強毒型になる可能性はない」と断言しており、安心材料となりそうだ。

 CDCによるウイルスの解析でも、今回のウイルスがスペイン風邪ウイルスが保有していた病原性に関する遺伝子は持っていないことが判明。スペイン風邪より病原性が弱い可能性を示している。

 
◇ルーツは10年前

 毒性と感染拡大は全く別。新型インフルエンザは例年の季節性インフルエンザ並みの強い感染力を持っているとみられている。CDCなどは「第1波の押さえ込みに成功したとしても、今冬、あるいはそれ以前に、第2波となる流行が発生する可能性もある」と警告している。

 また、米コロンビア大などの研究チームでは、ウイルスが「北米の豚」「アジアの豚」「欧州の豚」など少なくとも4種類のウイルスが混合して生まれたとの解析結果をまとめた。「北米の豚」のウイルスには鳥と人に由来するウイルスの遺伝子も交じっていた。

 チームは過去の検出状況から、1998(平成10)年ごろまでには北米の豚の体内で、豚、鳥、人のウイルスが混合したのではないかとみている。ウイルスの解析は、今後の治療などに役立つものと期待されている。

===========引用ここまで(記事全文)=========


******


以上、「王子のきつねOnLine」の、

●パンデミック?!

への私のコメントより、若干増補の上で転載します。

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2009/04/18

脳内物質の不足を超えたところに生じる「鬱」こそが.......

●(2/3) 非暴力コミュニケーション マーシャル・ローゼンバーグ その2(YouTube)

このインタビューの、2分19秒以降のセクションで語られているのは、私が当サイトの鬱関連の記事で繰り返してきた、「人は鬱になることで鬱になる」ということの叡智的表現であろう。

そして、ここには、認知行動療法が好ましい形で活用された場合の最良のエッセンスが含まれていると思う。


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2009/04/06

すてんか・らーじん!!


コネタマ参加中: ここぞというときの「おまじない」ある?

 これは以前も一度自分でこのブログのネタにしたことがあるんですけど、私は、小学生時代に、帝政ロシア時代の盗賊のリーダーで、ツァーリにはむかう抵抗のシンボルとして民衆の間で伝説的英雄となった、ステンカ・ラージン(スチェパン・ラージン)についての有名なロシア民謡、

♪ヴォルガの流れ流れは、果てなく続き....

の歌詞の直訳を最後まで通して読んだ時、船上のラージンは、ペルシャ遠征で虜にした姫を自分が寵愛する姿に、部下たちが嫉妬交じりの陰口を言っていることにいくら気がついたからといって、なぜ突然ヴォルガの流れに姫を放り込んでしまうのかということがどうにもわけがわかんない!!! と、一種独特の戦慄と恐怖と共に感じ取った時以来、自分が窮地に陥ったり、理解不能な現実に直面するたびに、心の中で「すてんか・らーじん」といつの間にか唱えるようになったのですね。

Surikov1906wikipediaより。「姫投げ」はこの後の出来事とされる。

ヴォルガの舟歌~ロシア愛唱歌集

 私にとっての、「あんびりーばぼー」や"Oh,my God!!の代わりといえば言えます(^^;)

 「超時空要塞マクロス」のぜんとら語で言えば、「でかるちゃー!!」というところでしょうか。


 大人になった今の私から振り返ると恐らく、ロシア時代からソビエト時代においては、部下たちの恨みを買うぐらいならば、自分の宝物を犠牲にしてしまうことも厭わないラージンの姿に、民衆のためのヒーローというファンタジーを読み込んだのだと思います。確かラージンは石川五右衛門みたいな義賊であったという伝説もあったと思いますが。

思わずこの映画"GOEMON"のブログパーツ(^^;)


 しかし、私は今では全然別の解釈をしています。彼にはてんかんの素質があり、そのために普段は静けき人、むしろぼーっとして何を考えているのかよくわからないような人でも、突如火山のように乱心する性質があったのだと。

 つまり、突如の脳内異常放電の結果として我を失い、前後不覚にああいうことをやらかしたのだと。

 更に言えば、「欠神(けっしん)発作」。 実は姫を「投げた」のではなくて、抱いていた両腕から、ヴォルガ川に「落とした」のかもしれないと。

 実は、このようにとらえるあたりが、私が子供時代に歌詞を読んで感じた、あの「狂気に等しい仕業」という戦慄感と一番リアルに一致する気がするのである。

 クレッチマーの体型三分類による性格論的に言えば、てんかん質の人は筋肉や骨格系が発達した「闘士型」の体格を持つとされます。大盗賊の首領だったラージンがこのような骨格であった可能性は決して低くないでしょう、残されている肖像画(wikipedia参照)をみても、ずんぐりむっくりの「闘士型」体型に見える気がしなくでもない(想像画の可能性もあるのだろうが)。

  ......で、私が、なぜ「すてんか・らーじん!」がパニック時の呪文になったのか?

 そう!! 私に隠されたてんかんの素質があったからに違いない!!

 この言葉をつぶやくことによって、私の脳内異常放電は抑止されるのである!!

 この、全然科学的根拠のない、論理の飛躍を重ねた大仮説を検証すべく、私は久留米での国際的なてんかん医学会に参加することにしたのです (3分の1ぐらいはマジにそれが理由です)。

 (だって私自身、現に、ハルプロ酸ナトリウムだけにしたら、ここまですっきり、あっさりと元気になったんだもの!! こんなに効き目の安定した薬は未体験ゾーンだったわけです)


※なお、私のてんかんについてのまだまだ知識や臨床体験の乏しさを暴露してしまうようなことを書いているのかもしれませんが、少なくともこれは、実際にてんかんで苦しんでいる皆様やご家族を誹謗中傷する意図は全くございません。この点でお気に障る皆様がいないことを祈っています。



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2009/04/04

なぜ本来抗てんかん薬であったデパケンが双極性障害に効くのか

 この問題についての、素人の独断的な仮説ですが。

 私の知る範囲では、このことの薬理学的・脳生理学的作用機序はまだはっきりしていないとのことです。

 次の版での改訂を期待しているのですが、現行のDSMの最大の欠点のひとつは、どこのページをめくっても、てんかんについての診断分類がない、という、ウソみたいな事態です。

 ちなみに精神医学だけの疾病分類ではないICD-10の方には当然あります。

 これは、てんかんが、「精神疾患」ではなくて、あくまでも脳の異常放電としてとらえられるという、20世紀後半の動向の結果として生じた、診断上の「棲み分け」なのである。実際には精神科医が薬物療法を伴う治療を行なうわけであるから、もうこれ以上の不思議はないわけですね。

 コメディカルな立場から勉強していく、私のような臨床心理士の立場から見ても、「てんかん発作との鑑別」という大事なことを学ぶことがおろそかになりそうで、この事態はもう、何とかしてくれといいたいばかりです。


*****


 さて、近年、精神医学や臨床心理学の世界を覆い尽くしつつあるのは、自閉症スペクトラムやADHDをはじめとする障害からはじまった、いわば「汎・発達障害主義」としか言いようがない現象です。

 誤解なきように言いますが、私はこれを否定的にはとらえてはいません。

 かといって今更、この「業界」にも流行がある、アダルトチルドレン、パニック障害、新型うつ、今度は双極性障害かえ? などという陳腐なお話をここで繰り返すつもりはありません。

 私は、あるひとつのオリエンテーションから、それまでのすべてのいわゆる「精神障害」についてスクリーニング的に見直してみて、それまでの診断や治療のあり方を根源からみなおしてみるという試みは、むしろ臨床学(医学・心理学問わず)の世界では徹底的になされるのが正しいと思っているからです。


*****


 その結果浮かび上がってくるのは、もう、皆さん、ご想像できるかと思いますが(^^)


てんかんも発達障害である 
双極性障害も発達障害である。
ゆえに、抗てんかん薬は、双極性障害にも効く。


 この、あまりにも乱雑な三段論法を、科学的根拠に基づく(!)ものとして検証していくことが大事な過程であるのは言うまでもないことです(^^)

 私は、この点についての、精神医学的・薬理学的研究の展開を見守りたいと思っています。


 ......こうしたわけで、5月に開催される、久留米大学でのてんかん国際学会の催しに、「非公式協賛」させていただくことにしたのです。

 (どうして私の場合、「公式お忍び視察」とか、こういうのが多くなるのか....)

 私の趣旨を、主催者の先生が快く汲んでくださったのには、さすがにびっくりしましたが.......



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2009/03/30

5月8-9日に、久留米大学で、発達障害とてんかんに関する国際学会が開かれます。

 正式名称は、

The 12th Annual Meeting of the Infantile Seizure Society
International Symposium on Epilepsy in Autism Spectrum Disorders and Related Conditions (ISEASD)

という名称の催しで、来年に国際学会として正式に設立とのことでした。


 臨床心理士なとの、コメディカルな専門家の参加も歓迎

 しかも、コメディカルの専門家の参加料金は、今回大ディスカウントで5,000円とのことです。


 「自閉症スペクトラム障害や関連疾患とてんかん」がテーマの催しです。

 「てんかんとは、アスペルガーなどと同じような発達障害の脈絡でとらえるのが適切」という国際動向の最先端が反映されているようです。

 使用英語は英語なんですが、今回、主要な3つの催しについて同時通訳がつくことになりました。


 更に詳しいことは、まずは私の開業サイトの次の記事、

●「第12回 乳幼児てんかん研究会・国際シンポジウム」(5/9-10 福岡県久留米市)のお知らせ
(久留米フォーカシング・カウンセリングルーム)

をお読みください。これは主催者公認で書かせていただいた紹介記事です。

 さすがお医者様の国際学会ですね。そこから更にリンクさせていただいた公式サイトには、日本語表示は全くありません(^^)

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2009/03/25

ガストの夜

 昨日の晩、例によって鬱のクライエントさんへの通院開始へのアドバイスのための、急な面接が終わり、ガストにくらいは立ち寄れる「現金」ができたのですが、そこでこれまで一度も体験したことがない衝動に襲われました。

インド人の知的そうな若い女性が赤ん坊を抱いて入ってきて、その向かい側に、伴侶と思える若くて浅黒い男性が座りました。私の席から5メートルぐらいです。

実はこのガストは、A大学医学部から500メートル、

「留学生夫婦か」

....私は、ふと立ち上がって、そのカップルに声をかけたい衝動に襲われたのです。

こんな衝動は「日本では」全く初めてでした。

「留学してきた医学生の方ですか」
「そうです」
「ご専門は?」
「脳外科です」
「なるほど、実は私はこの近くで開業しているサイコロジストでしてね」

このくらいのやり取りをしてみたくなっている「新しい自分」に気がついたのです。

アメリカだったら、これは全く当たり前。今の私なら、本当にやっているだろう。
そういう空気を開放的で心地よいと感じるだろう。

でも日本では? 

実は赤ん坊が「あまりにも日本人」そのものの顔立ちで、ご主人が浅黒いけど日本人だと気がついた瞬間、そうした思いは寸止めになりましたが(^^)

私自身が、実はフォーカシングを私なりに極めてきた中で、やっとそういう挨拶ができる空気を求めるのが「全くフィットする」段階に来たのかと、深い感慨で感じたのです。

そして、今、フォーカシング国際会議のためにボランティアで尽力している皆様、特に欧米滞在経験が長い皆様が、日本のファミレスの空間の中で、どんな思いで過ごしているかの一端が「やっとわかった」気が、全く自然にしたのです。


....日本では、「うっとおしく」て、「寂しいばかり」ではないかと。


 残念ながら、このあとのインターラクティヴな応答とシェアまでは、このブログでは進まないわけですけど、それはネットで結ばれた、皆様との「多重の共感の時」の空間のなかでの楽しみということで。

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2009/03/24

フォーカシング技法を活用した、鬱状態のクライエントさんのための「主導型積分的フェルトセンス照合」スキルアップトレーニング(案) [第2版]

 自分のフェルトセンスと「ふたりぼっち」で主体的に生き抜いた日々の思い出は、仮に欝状態に陥っても簡単には死にたくなったり、虚妄と感じるようにはならないものである。
 
 「自分が欝になったことから生じる憂鬱」
(私はこれをも「二次症状」と呼ぶ)
の部分は、すでに経験を積んだフォーカサーなら、
フォーカシングでかなり緩め得ると思う。

 フォーカシングが「無理のし過ぎ」を助長するか、
 薬物療法の援助として機能するかは、
 その人なりに経験値を上げていける事柄だと思う。

 そうやって経験値を上げるためには、

* 同じ薬について、薬を飲むたびごとに毎回比較する。
* 薬を変えたり、追加した際に、前の薬の飲み心地とある程度経過を追って比較する。
* 毎朝起き心地の質、毎晩眠りの質を比較する。

など、さまざまな基準を作り、過去のフェルトセンスと現在のフェルトセンスを連続的に具体的に比較するための「枠組み(table)」を自分なりにはっきりさせてみると効果的だろう。

 まずは、

1.「パーソナルな」指標の選択
2.その選択した指標への、本人の実感に即した「命名」

ということをする。

「パーソナルな指標」とは、鬱になって以来繰り返して体験してきた特徴的な現象のことで、それをともかく思い出すままに列挙するという手続きである

(フォーカシング関係者向け:クリアリングスペースのことですね)

 ただし、そうした際に、ありきたりの医学用語などはできるだけ避ける。仮に使ったとしても一ひねりするとよい。

 むしろ、自分の実感に即し、「こんなこと医学的に見て『症状』として認められているのかいな???」と思うようなものすら、自分的に印象的なものは採用してみて、更に、ユーモラスですらある(!)「自分だけの命名」を試みるといいだろう。

(フォーカシング関係者向け:フェルトセンスのハンドルをみつけるにあたることですね)

例えば、

「はじめてジェイゾロフトを飲んだ時に、飲んでからわずか二時間で体験でき、その後も朝起き抜けに時々は体験できてきた、頭の中にミネラルウォーターが湧き出したような感じ」

「パキシルを飲んで、その後ちょっと無理をすると生じ始める、まるで昔のFMチューナーで、放送局を別の放送局に切り替えようとする時に聞こえた、頭の中で「ジャッ、ジャッ」と音がするみたいな感覚」

(↑【注】これを患者から聴いて、「幻聴では?」という仮説しか浮かばない医者がもし居たら、即刻見捨てるべきです。パキシルを減薬するときの副作用のひとつとして「頭の中のシャカシャカ感」と明記しているお医者さんも居ますので!!)

「この日、物を置き忘れる」

(↑【注】一般の人もでしょうが、欝になるとこれがひどくなる傾向があるのは実におなじみのことかと。どこまでが鬱のせいでどこまでが薬のせいかはともかく

「孫悟空ーーー!」

(↑【注】うつの人には申し上げるまでもなく、医学的には「被帽感」「緊張性頭痛」と呼ばれるもの。ズキズキ脈を打ちません。この感じが弱い人は、ほんとに頭にティアラか何かを載せてるくらいに感じるんですが、一方、生まれてこの方この感じを体験したことがない人もいます。そういう人や家族が下手に精神医学の本とかを斜め読みすると、「た、体感幻覚では?」という方向に心配するというのは結構よく聞く話だと思います。しかし、うつの人にとっては、年中帽子をかぶってるようなもので、他の症状に比べるともはや症状のうちには入らないと思っている人も少なくないでしょう。もちろん例外もあるかもしれませんが。しかし、この「孫悟空の輪っか」が頭に出ている時には、「まだエンジンがかかっていない」とか「疲れてきたかな」という警告サインとしていつの間にか大事にしている欝の人は凄く多いはずです。そして、薬をかなり異質のものに切り替えなどがあると、「これまでの『輪っか』だけじゃなくて、鋼鉄のフレームがつき、蜂の巣状に脳に刺さってきそうな『帽子』になった」などと、程度だけではなくて質の変化を明瞭に感じる人もあるかもしれません)

「この状態で外出したらトイレに間に合わないという大惨事に至る危惧すら思える下痢の予感」

ゆったりとした潤いが頭蓋骨の脳室の底に広がってたまっていく落ち込みもどき。これは疲労というよりデジレルを飲んでしばらくすると生じてくることが多い。要するにデジレルの睡眠薬的効果なのに、私は時々誤解して、その落ち込みもどきに落ち込みそうになる。眠気と落ち込みの区別がつきにくいって、あなたにピンときてもらえるかな?」

不眠タイプA 前門のトラ後門の狼タイプ。眠ろうとすると寝られず、起きてしまうと今度は横になりたくなるという果てしない葛藤に陥る。」

「私のうつの純度100%系。自分の内側の感じに触れようとして、触れることはできるけど、感じそれ自体から私が注意を向けたことにまるで『応答』するかのような反応が返ることが決してない。最初にこの体験をしたときにイメージとして浮かんでいたのは、灰色の干からびた雑巾が土の中の断層に引っかかっている」というものであり、そのイメージさえ浮かべればそのときの、感触を擬似的にうっすらとだがいつでも呼び戻せる」

私のうつ、これならぐっすり眠れ、翌日は結構大丈夫系。ともかく仰向けに横になって内側に注意を内側に向けると、内側からあたたかくてほっと緩むような応答あり。ああ、昔はこれで何とかなったのになあ」

「私にとっての『典型的軽そう状態』に固有な脳内の『殺伐とした』感じ。これと似ているけど区別できる気がするのは、うつになる前からあった、まるで脳の中に乳酸がバリバリで出ているときの感じ。これそのものはただの『無理して寝不足』のようだが、いつの間にか後者が前者に化けることがあることに要注意なのだ」

単なる『無気力な』感じというのは、考えてみたら、欝になってからは一度も経験していないなあ.....。『おっくう』というのは、『無気力』とはまた違う感じなんだよ。それ以外に『純粋の鬱感覚』ってのは確かにあるの。私の場合は、『焦り』すら感じようがなくなった『純粋の鬱感覚』ってのは、意外としのぎやすい。『死にたい』じゃないんだ。すでに自分がこの世の人たちが喜んだり悲しんだりしているのをよーわからんときょとんとして眺めているようなものだし」

などなど。


*****


 さて、薬についてフェルトセンス的に体感するとはどういうことかという話に進みます:
 
 同じSSRIでも、薬ごとに飲み心地が異なることは、うつの患者さんにとっては、フォーカシングを体験的に知らずとも、全く常識次元の事柄のようだ。

 その薬を飲んだ後の感覚の違いは、ある程度は他のうつ患者と間主観的に共有可能な側面もあるが、フォーカシングを学ぶことで生じる何より重要な変化は、本人自身の中で、内部感覚を実に細やかに識別して感じ分け本人にとってぴったりのフェルトセンスのハンドルといえる言葉やイメージを見出す力が高まることだ。

 例えば(あくまで例です)、

「パキシルの抗鬱作用(ひょっとすると軽躁まで反転した時)は、何が地面の下から自分の身体を支える台が張り出してきたという感じで、やや暑苦しくて『肉食系』」

「ジェイゾロフト抗鬱作用(ひょっとすると軽躁まで反転した時)は、すっきりと透明に、まるでハーブキャンディのように冴えるというのに近い。パキシルが『暑苦しい熱血漢』なのに比べると『クールで草食系』。

「以前はパキシルのある種の『力強さ』『泥臭さ』が懐かしかったんだけど、今は変えた後のジェイゾロフトの『洗練味』に『落ち着き』を覚える」

「パキシルからデパケン(気分調整薬)に変わったんだけど、ある意味ではパキシルでうまくやれていた時代が懐かしくもある。そりゃ、躁鬱の揺れに振り回される度合いがどんどん大きくなって苦しかったけど、それを自分なりにしのげていた頃は、明るいにしても落ち込むにしても、情動の持つ「泥臭さ」とか「ねっとりとした」味わいがあったようにも今では思う。その誘惑がヤバイとも今では思っているけどね。デパケンになじむ、確かにジェットコースターのような振幅はなくなって、いつもコンスタントに8割の状態を維持できるし、以前よりも無理した後のリバウンドはなくて、まるで以前は盲腸のような袋小路で悪循環していたエネルギーがちゃんと進行方向とは反対に噴射して私の身体を前に押してくれるようにして、気力も持続するけどね。何か、上からも下からも押し込まれた間の狭苦しい空間に、ゴシック体の自分が居るみたいな感じなのよ」

などといったものです。

 「薬を飲む前と飲んだ後の自分の内側の全体的な感覚をフェルトセンスとして感じてみる」......それは、単なる身体感覚だとか重苦しい気分にどっぷりと浸ることとは異なる。いわゆる薬の「官能検査」とも異なる(薬の味の報告ではないし)

 その具体的な違いについてはジェンドリンやアンの技法書に譲るとして、「フェルトセンスとして少しだけ触れる」というだけなら、実は一見否定的な感じであっても実は心地よいという矛盾が両立する(ジェンドリンが『フォーカシング』で書いていることです!!)。基本的に重い情動にただ浸るよりは「軽い」感じられた質を持ち、繊細な微妙な言語化・イメージ化が可能で、実は同じ処方であり続ける限り、自分の背景にある基本的な感覚(background feeling=背景感覚)として変化しにくい感覚を、薬ごとに(!)捕まえることができる(はずである)。

 「ああ、昨晩と同じまた『この』感じだ」とか、「以前のと似ているけど、何か違う質の感触が混じった。何か少し濁ったかな?」などと識別しやすいのである。

 そして、この後に述べるように、日ごろの悩みなどという次元を脇において、主に薬を飲む前と飲んだ後の内部感覚というテーマに集約・限定して、一定時間(2時間、6時間、就寝前)を開けて再度「ちょっとだけ」感じてみるという課題を明確に規定することにより、深い抑うつやひどい焦燥感にただ巻き込まれる状態になりにくくする予防効果もある。


*****


3. さて、ここからが、フォーカシングでいうとフェルトセンスをt『共鳴させる』の部分なのだが、過去のフェルトセンスと現在のフェルトセンスを比較するということを意識的に導入します。

 しかもそこに、3つの次元での躁鬱のサイクルが同時に進行していて、患者自身はその複合・錯綜したものを体験しているというとりあえずの仮定の下に、患者さんと一緒に多次元で解析していくわけです:

A.短期的な変動(1,2時間から一日程度)・・・・広義の「日内変動」を質的差異としてパーソナルにとらえる(メランコリー型固有のものを「狭義」として)
B.1週間程度の変動(現実の日常生活の疲労サイクルを仮定)
C.その人が双極性障害だと仮定した場合の躁鬱のサイクル


*****


 まずはA.の次元(短時間)から話を始めますが。

 すでに薬物療法とフォーカシングにに慣れている人の場合、この感度は、新たな薬を初めて飲んでからわずか1時間-2時間の時点で感じられる新たな感覚が、新たな薬の効き目が安定した2週間後の感覚と同じ質でであったと正確に感じ得るほどの精度を持つ場合がある(これは全然大げさではない!! 何と飲んで10分後に体験された感覚が、2週間たっても時々現れると報告する人もいる)

 それところが、数時間の間にも進行する気分や調の変動(日内変動)のただ中でも、あるベースラインの質感が『背景感覚』としてずっと維持されていることにまで気がつけることも少なくないのだ。

 いわば旋律やメロディがどう変わっても、一番下のパイプオルガンの基低音は実はずっと持続的に同じ音色で鳴り続けていたことに気がつけるみたいなことことも少なくないのである。

 こういう『背景感覚』をつかむのは高度な課題だと思っているフォーカシング関係者も少なくないかもしれない。だが、むしろ個別的な感覚が現れては変化していくことを逐次報告できねばならないというフォーカサー側の強迫的ともいえる思い込みが邪魔をしていただけで、実はずっと「背景感覚」を感じていたのに、それを言語的に報告していいことに気がつかないだけだった(いわば、イメージの背景のスクリーンの色は報告の対象ではないことを自明の前提にしていたけれども、実はイメージよりも背景の方がその人にとって自然に無理なく報告できるものだった)というケースは予想外に多い。要するに、その人は「たいへんそうな感じ」を一気に「またぎ越して」背景の感じ全体に触れるということにいきなり習熟してのである。

 そうとわかってしまうと、鬱についての話を延々と繰り広げるよりも、「こころと気分の背景の感じ(その人が好きな名前をつければいい)」にアクセスしてちょっとその質感を確認することの方がはるかに簡単で、負担も感じないという人も多いのである。

(このへんは、フォーカサー自身が自分に無理のない形に創意工夫していいし、リスナー/ガイドの臨機応変の提案がフォーカサーの援助になることも少なくないはずである。更に、フォーカサーの側のフォーカシングがうまく進む時は、実はフォーカサーの側のリスナーやガイドといい関係性を作る潜在能力にガイド・リスナー側が支えられていること(......逆にあらず)を忘れるべきではない)


*****


 私はこうしたいくつものタイムスパンで、しかもいくつかの具体的観点からフェストセンスの質感的な変化を読み解くことを、仮に「フェルトセンスへの積分的照合の構え(orientation)」と名づけることとする。 ※数ヶ月前から練りこんできた、この概念の初公開です (C)阿世賀浩一郎

 なぜここで敢えて「積分的」という言い方をしてみるかというと、もし、その人がそれまでもっぱら「今これからどうするか」という点での迷いを解決するためにフォーカシングする習慣が強かった場合には、「今のこの行き詰まりの感じが、いつ、どのように変化(シフト)を起こしはじめるか」に敏感であったことになる。

 こうした人は、それまでは、いわばフェルトセンスの照合の際に「微分的」あるいは「差分的」な構え(orientation)が強かったことになる。

 (この発想が、中井久夫先生の「分裂病と人類」に基づくことは、こっちのブログではもはや繰り返す必要、ありませんよね!)

 私の経験では、前述の「積分的構え」で具体的にいくつかの観点と、短期から長期に至るタイムスパンでフェルトセンスの感じられた質の変化を同時並行的に検証することに意図的に「なじむ」つもりにならないと、うつ状態の下で、自分の内部感覚全体を立体的に適切な遠近法で「俯瞰しつつ味わう」ことに熟達しないようにも思われている。


*****


 さて、先ほど、薬を途中で変更したり追加した場合について、

> すでに薬物療法に慣れている人の場合、この感度は、新たな薬を初めて飲んでからわずか2時間の時点で感じられる新たな感覚が、薬が安定した2週間後の感覚と同じであったと感じ得るほどの精度を持つ場合がある。

> ところが、数時間の間にも進行する気分や体調の変動(日内変動)に比べると、あるベースラインとなる背景感覚が、具体的な薬ごとに、基本的には維持されていると体験されることも少なくないはずである。

 と書いたが、 これに対して、

 (Aサイクルの日内変動ではなくCサイクル=双極型の人特有の躁と鬱の中期的なうねりが前に進んで(carry foward)生じた変化は、そうした背景にある基本感覚そのものががらりと変質することが多いように思う。

 例えば、実は3カ月おきの躁鬱の中期的な波がある人が、それまで生じていた、基本的には軽躁的な中で生じている「頑張っている時」と「疲労がたまった時」という、毎週末ごと(Bサイクル)の、似たような感じられた質の推移を伴う小変動(もしこれだけなら、薬に支えられているとはいえ、薬が「維持療法段階」に達した後の安定状態ともみなせる)を3回繰り返せた時点で、さてまた4回目に入るかなと思っていたら、突如、全然別次元での不調(例えば、それまで未体験なくらいの下痢と起き上がり不能な深刻な状態)になり、それまでの3週間のそこそこの安定期は、その後数年にわたる経過の中で、二度と同じような体験の質としては戻ってこない、というようなことである。

 (もとより厳密には、躁鬱の急速交代型(ラビッドサイクラー)のケースだと、日内変動と周期的な波の区別がつきにくいことは承知している。しかし、私が患者さんから聞いた範囲では、ラビットサイクラーの診断は安易に使われがちで、双極性障害II型の診断が適切なのに、気分調整剤ではなく抗うつ薬!! が多めに処方され(リーマスは出ていてもあまりにも量が少なすぎて有効血中濃度に届いているはずもない)、その「抗鬱薬」副作用としての不規則な軽躁状態との慎重な鑑別が医師によって必要なことが少なくないようにも思う)

 つまり、双極型でいう躁鬱の波の変動そのものが、ひとサイクル進行すると、そのたびごとに、躁状態でもうつ状態でも、それまでと同じ薬の効き目や副作用についてのフェルトセンスが、本人に予想もできない、あさっての方向へと感じられた質felt quality)そのものが別の状態に激変していることすら少なくないのである!!


****


 え? 薬の変更よりも、躁鬱の周期的な波の変化の繰り返しの方が毎回同じように質的にも体験されるのではないか?.....ですか?

 当然生じる疑問である。

 しかし、考えてみて欲しい。もし躁鬱の周期的な波(日内変動ではなくて)を本人が同じような繰り返しとして、容易に「すでにお馴染みの感じられた質の感覚」の再来として体験でき、薬の変化の方を新鮮な質的体験として感じられるのなら、患者自身、薬を変えたことによる変化と、自身の躁鬱の繰り返しの感覚の質的違いによほど容易に気がつけるはず.....ということになりはしまいか?

 つまり、双極性の患者本人の体験世界の中で、そううつの波の体験は、単なる堂々巡りの繰り返しではない「質感的差異」を伴う「質的に新しい」体験として認知し続ける、一群の人たちがいる可能性、むしろそのことが鍵なのではないか。

 そしてこうした現象は、実は双極性障害なのに単極性うつ病と診断され、抗うつ薬しか処方されず、その結果、波が進み、一度躁転してから鬱にはまるたびに副作用が悪化し続けてきた双極II型の人に独特のフェルトセンス体験様式の推移ではないか、とも思えるのである。

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↑ こうして、もう一度、以前解説したしたNHKスペシャルの図を再表示することになります。

 気分障害の診断と薬物のAPA標準処方について、基本的なことをすでにご存知というハードルはありますが、この水準が、おそらく、フォーカシングの専門家向けの学会発表や学会論文として幅広い人に読んでいただける妥当なまとめ方かと思います(^^)

 更にいえば、こうしたやり方が、ある意味でフォーカシング指向心理療法的な認知行動療法的アプローチのバリーエーションのひとつであることは、認知行動療法の体験者の皆様にもご想像できるのではないでしょうか。(別の認知的バリエーションとしてすでに書いたものは、ひとつはここにあります。)

 しかし、何より、この発想のアイデアの源泉になったのは、中井久夫先生のもうひとつの不朽の業績、統合失調症の患者に生じる身体的なさまざまな兆候と精神症状の兼ね合いについての継時的臨床研究であるということについても、言及させていただきます。

精神科治療の覚書 (からだの科学選書)


(とりあえずここまで掲載します)

*****

※この記事の著作権は阿世賀浩一郎にあります。そのことを明示してくださる限り、ネット上でのご紹介、一部の引用、リンクは自由といたしますが、トラックバック等があれば感謝いたします。なおこの記事に基づく学会発表を2009年度中に行ないます。この記事を参考文献として明示して下さった上で学会発表に役立て下さる方があれば、ご批判も含めて、歓迎いたします。 (C)阿世賀浩一郎


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2009/03/23

フォーカシング・ピープルに望むこと。 

 まさに「あなたの」、言葉にならない違和感を「あなた自身のために」尊重して欲しい。
 仮にそこに友好的な聴き手がいなくても、あなた自身だけは、自分の友好的な聴き手であり続けることを。

 そして、どんな境涯にあっても自分の聴き手であることを大事にし続けた人間は、
 フォーカシングを、

  「あいつ、何かうまく言葉にできないけど、違和感を感じさせる奴だね」
  「そうだね、場の安全を脅かす奴だね」

 という域で活用しかねない、実はフォーカシングを学んだ人間ならすべてが体験する「悪魔の誘惑」に乗ってしまうこを、自戒を込めて恐れ続けるだろう。

  (少なくとも、フォーカシングの外部の人間やフォーカシングにうまくなじめなかった人に、そのような誤解を与える危険があるということについて配慮すること。フォーカシング内部の人向けに安全を守っているつもりが、実はフォーカシングのグループの「適応者」を守り、クループでうまくやれない人疎外するシステムに容易になり得ることを忘れずに)

******


 普段は、次のような耳に心地いい(?)発言は軽率と感じ、控えているのですが:


 J-POPの歌の歌詞にしましばみられるような、


 「どんな境遇においても決して諦めない」

だとか、

 「自分のものさしを大事にする」

とか(久々のayuネタです)、

 「自分を見捨てない」

とか、

 「まずは自分を愛していないと」

ということを、

単なるお題目ではない形で、苦難のただ中で、具体的に自分の中にどうすれば実現できるか。

 さらに、実際にそうした苦難の場面のただ中で心の余裕を取り戻し、具体的にどうすればいいかを一歩一歩見出していくのに役立てられるところまで、その人の中で磨きあげる域に達しうるスキルだと思う。


 「人に癒してもらう」

のではなく、

「自分で自分の聴き手になれる」

ということの真の深みに触れ、

更に、

自分がほんとうはどのような他者との交流を日々の日常の中で実現したいのかにも目覚めていける。


........それが、フォーカシングを身につけることです!!


フォーカシングとは、厳しい現実社会を生きるための、実戦兵器です。

 それこそ、厳しい経済情勢の中で、行き場のない思いを感じて生きる、フリーター派遣の人にこそふさわしい!!

 だから、私が開業カウンセラーとして食べていける以上の料金は設定しないでいるのです。


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2009/03/20

医者に鬱病と診断され薬物療法も受けている人へのフォーカシングの適用について。 [第4版]

 この問題について、日本に十数名いる、The Focusing Institute(日本語版サイトはこちら)の認定コーディネーター(狭義のフォーカシング技法の「トレーナー」、および、「フォーカシング指向心理療法セラピスト」の訓練資格認定そのものの資格の所持者である私が、個人的見解であるにしても、こうした場で表明することは、たいへんな責任を伴うことを私は十分自覚しています。

 私以外のコーディネーターやトレーナー、一般のフォーカシング学習者の皆様からのご意見は誠実に尊重させていただきます(個人メールでも結構です。匿名でも歓迎です)。

 もとより、個人情報保護の観点から、ご本人から主体的に公開の意思を表明された場合を除き、ネット上でその趣旨を、一般論としてすら、公開することはいたしません。


*****


 まず、端的に、私なりの当面の結論を、解説抜きで列挙させていただきます。その上で、一項目ごとに詳しい説明と、情報提供をいたします。その結果が連載の形をとる可能性も十分考えられます:

1.日本のこれまでの趨勢としては、鬱状態にある人への、「単一技法体系」としてのフォーカシングの学習には慎重な意見が多かった。

2.特に、フォーカシング学習者の主体性尊重が十分でなく、専門家側ががみだりにフォーカシングを学ぶことを勧め、フォーカサー(フォーカシングを学習し、身につける人。クライエント側)が受身にフォーカシングを学ぶような形は回避すべきとされている。

3.国際的には、マクガイアの「自殺念慮のある重篤な欝状態にあるクライエントに対するフォーカシングの適用」という論文(私は約20年前にこの論文の英語オリジナルを個人的に日本語に全文訳してみました。その頃からこの論文にかなり大きな影響を受けています。英文がネット上で見つかればリングを張りますし、いずれ日本語で概要を紹介します)を古典とする形で、殊にヨーロッパでは、鬱を含む重篤な状態にあるクライエントへの、フォーカシング指向心理療法的なアプローチがなされて来ており、それらの中には、「試行的段階」を超えて、臨床キャリアを積み重ねた現場実践者も増え、論文も確実に増えている段階である。

4.日本では、特に増井武士田嶌誠一という、現場心理臨床に卓越した、フォーカシングと一線を画するスタンスを保ってきた臨床家(二人共に福岡で活躍してきた)により、うつ状態や統合失調症などの重篤な患者さんにフォーカシングをそのまま学んでもらうことの問題点と、その原因についての仮説が具体的に究明され、ジェンドリンの体験課程理論そのものへの批判と新たな理論構築、更に、そうした欠点を解消できる独自の技法的アプローチについて早くから公表され、すでに臨床現場で幅広く適用されているている(増井の「こころの整理法」、田嶌の「壷イメージ療法」)。 

5.私、阿世賀の私見によれば、増井・田嶌両氏は、臨床実践的には非常に鋭い着眼(増井の「にせフェルトセンス」論を含む。私の理解では、その本質は「関係性」論である)と、新たな平易で効果的な技法体系の提案と、その日本での普及という点で、たいへんな功績がある。しかし、一部ジェンドリンの体験過程理論への誤解に基づく側面があり、日本のフォーカシング「インサイダー」の研究実践者に、概念や用語の理解の上で、むしろ混乱の火種を蒔いているともいえる。もし、このような、フォーカシング「インサイダー」陣営と、この両氏の間で、専門用語の定義と相互誤解についての相互了解(論理実証主義的な問題解決)が深められていくと、日本の心理臨床全体に大きな貢献をすると私は考えている。(ちなみに、私は臨床家になりたての頃から、この先輩お二人と、懇意です!!)

6.薬物療法なしでも、フォーカシングが、その代わりとして、単独で、うつ状態の解決に貢献するという発想は決してとるべきではない。

7. 恐らく、欝状態になる前から、すでにひとりで日常の中でもフォーカシングをすることに慣れ親しんで来ていて、人生の最重要クラスの困難の解決にフォーカシングが役立った経験もそれまでに積み、それゆえにこそ、自分にとってのフォーカシングの効用の限界と、「無理のない形での」フォーカシングの役立て方にも習熟したフォーカサーの場合には、鬱とつきあい、克服していく上で、フォーカシングを学んでいたことによるメリットの方がデメリットより大きいのではないかと思う。

 ● このメリットがどのようなものであるかについて:

A.医者や家族とのつきあい方を改善する可能性
B.症状や、薬の効果・副作用についての自己認識と表現能力の洗練
C.鬱病の「二次症状」としての様々な感情を自分で細やかに識別し、言語化でき、自分の中に生じてくるそうした諸感情に振り回されにくくなり、比較的自然に受容するためのセルフスキルを主体的に持っているという効力感(efficiency)、自己統御への安心感を獲得できる可能性がある。

  ●具体的に考えられるデメリット

A.鬱が軽いうちは、フォーカシングである程度緩和できてしまうことも少なくないために(!)、医療の受診や専門的カウンセリングにつながるのが遅れる可能性。

B.言語的(絵画的表現など)に自分の状態を表現するのがすでにしんどいうつ状態の人が「実感にぴったりの言語化(絵画などの表現)が必要」と過剰に思い込んで、結果的に心身を疲労させる可能性(これは、トレーナーの側の技法的熟練があればさまざまのやり方で回避できるはずと私は考える)
.
C.前よりもフォーカシングがやりにくくなった時には、それだけ以前より心身が消耗している証しであり、むしろフォーカシングを試みるのをやめて、休息をとったり眠ってみようとするための内側からのサインとして歓迎する方がいいということまで、フォーカシングのトレーナーやセラピストが(一般論としては伝えていても)、いざと言う時にフォーカサー(クライエント)自身が思い出せるような十分に実践的なたちでは教え切れていないことが少なくない現状があるのでは?

 (更に言えば、そうやろうとしても、今度は休息をとったり眠ったりできないという新たなジレンマにはまることも少なくなく、その切実度が半端ではないということを、トレーナーやセラピストは、仮に頭で知っていても、フォーカサーが安心する形で受容できるだけの経験に乏しいことが現段階では多いだろうと予測する)


*****

 ここからナンバーリングを7.の続きに戻そう:

8.うつ状態の人が、病院やカウンセリングルーム、あるいはフォーカシングの集いの場に通うということだけすでに消耗し、更に帰宅の際に消耗するということへの、本人を傷つけない形での配慮が十分になされていない現状があるように思われる。

 具体的に言えば、その配慮とは、

 「病気なので断られて医者に回された」

だとか、

鬱(軽躁)状態の人間が感じるフェルトセンスはすでに病的である、あるいは、現実吟味能力が低下しているので、フォーカシングでは解決できない

などと主催者やトレーナーに判断されたと、参加者が思い込んでしまわないための配慮である。

 なお、ジェンドリン自身が、

「フォーカシング・スキルを学ぶ能力はのその人の『病理水準』とは無関係である。つまり、例えば統合失調症の人の中に、スキル上達が早い人と大変な人がいて、同様に、いわゆる『神経症圏』の人の中に、スキル上達が早い人と大変な人がいて、いわゆる『健常者』の中にスキル上達が早い人と大変な人がいる。そうした違いの方がよほど大きい」

と明言するのを日本で聞いた数十名の中の一人が私でもあります。

 (ことフォーカシングに「全然」限らないが、NHKの鬱特集の番組でも描かれたとおり、医者やカウンセラーの中に、「古典的なうつ病患者(メランコリー型)はおとなしくて文句を言わず従順なので相手をしやすい」という感じ方をする人たちが少なくない。そうした医者やカウンセラーの側に、患者(クライエント)が従順に従わないというだけで、「双極性障害」「非定型うつ病」「境界性人格障害」というふうに、ひとつの差別的な含蓄すら込めて誤診することへの悪魔の誘惑が生じる危険は少なくない現状があるだろう。境界例人格障害の診断が「ほんとう適切な」人に対してすら、気分障害的な側面については「気分調整剤」の処方がまずなされるべきというのが最新のAPA国際的標準処方とのことです)


9.日本では、個別セッションにしても、グループの場合にしても、リスナーやガイドを相手としてのフォーカサーのフォーカシング体験が、そのフォーカサー個人の生活や日常における悩みや心身の状態よりも、セッションのその場の雰囲気や、リスナー・フォーカサーとの関係性の影響を、より強く受ける可能性という問題についての認識がまだまだ不十分である。

 もっとも、「関係性が大事」ということを、フォーカシング関係者も、まるでお題目のようにすでに繰り返している。しかし、それを、セッションの只中でhere and nowな形で臨機応変に形成していく技量がトレーナーやカウンセラー個々人の中にどれだけ育成されているかとなると、あまりにもばらつきが凄いといわざるを得ない。


10. 面接室や会場を出て、一人になった後や、家に帰ってしばらくしてから生じる、フォーカシングの場で体験者したことがことごとく虚妄と感じ、現実感そのものがまるで失われる場合があるという「リバウンド現象」を、私はちょうど20年前、学会誌掲載処女論文「セッションの『反動』」と名づけて以来警鐘を鳴らし続けてきた。

 しかし、未だにこの件について具体的にどう対処するかという議論は全くもって成熟していないと私は思う。

 
11.これと関連するのだが、

 「大きな洞察と気づきの体験は、いわゆる「健常者」の場合ですら、一時的軽躁状態に類似している面がある

ということを、フォーカシング関係者も、もはやあっさりと認めた方がいいと思う。

 少なくとも、うつ病の人に、カウンセラーや医師、家族、そしてフォーカシングの仲間たちに、少し元気になったり鬱を脱してくると、安易に「躁状態になった」というネガティヴなレッテルを貼られたと感じている人は決して例外的ではないように思われる。

 そうやって人の心理状態を安易に型にはめず、虚心に感じなおしてみて、言語化すら性急に目指さずに、「その感じ」そのものと無理なく共にいられるスタンスを自分で作れるようになる方向にフォーカサーを援助するという点にこそ、フォーカシング・トレーナーのベーシックな務めであるはずなのにである。

 そうやって躁にせよ鬱にせよ、気分障害と診断されている患者さんへの日本独特のトレーナー側の気おくれが生じているのは、先輩からの「うつ状態の人のフォーカシングを深めさせると悪化する」という忠告をただ鵜呑みにしているためだと思われる。「患者に害を与えないことが最大の治療」ということは真実ではあるが、トレーナーを目指す人なら、少なくとも自分で自分のためにフォーカシングをやり過ぎるほどやってみて、フォーカシングを深め過ぎると、どういう副作用や弊害が出るかについて自分に試してみるくらいの好奇心と探究心は持ってほしいと私は念じている。

(これらの点については、フォーカシングに限らず、洞察的あるいはリラクゼーション重視のセラピー全般において考慮されるべきことだろう。


12. 更にく言うと、前述の「セッション後の反動」体験に深刻な次元ではまった人は、自分のフォーカシング学習が未熟であるという、実は誤った劣等感に陥ったり、そもそもフォーカシングを学ぶ場に二度と現れないのではないか。

 そして、フォーカシング指導者の側も「もともと自我が弱い人、躁鬱のある人、あるいは境界例人格障害っぽい人」だから不向きなのだ、という循環論法で済ませているのだと思う。


13.こうなると、何と、脳内の神経伝達物質上のメカニズムの仮説として、わたしのいわゆる「セッションの『反動』」が説明できる可能性があることに、最近やっと、はっきりと私は気がついた。

 フォーカシングのセッション(特にシフト体験)そのものに、セロトニンとノルアドレナリン、ドーパミンの分泌を、それぞれ促進(抑制)する作用がある可能性を真剣に検証すべきではないか。

 それがいいバランスで生じると、弱いにしても「抗うつ剤的な作用」を若干果たし、その人の鬱の改善に貢献している場合もあるだろう。

 しかし、その一方、今度は、薬理作用という物質的なバックアップがないままで、脳内物質の過剰分泌のスイッチが入ることで、その「反動」として、数時間後にはそれらの物質の枯渇(あるいはバランスの変化)がはじまり、急激にうつ状態を喚起したり、鬱的とはいえない、鬱と誤解されやすい、別次元での心身反応を引き起こしたとしても何もおかしくないではないか?

 つまり、フォーカシング「成功した」学習体験そのものが、不適切な抗鬱薬の投薬と同じようにして、躁鬱の素質がある人ばかりか、もっぱら単極性の鬱だった人にすら躁鬱の波を「喚起する」可能性については、今後研究調査が重ねられるべきである。


****


 もとより、く今日の技術水準の限界もあるかもしれない。しかし、脳内神経伝達物質レヴェルでの直接の検証とまでは言わなくても、せめて、NHKスペシャル「うつ病治療 常識が変わる」で実際に描かれたような、脳の血流量を脳の部位ごとに比較し、映像化する技術すでに存在するではないか。

[第4版で追加] 番組で紹介された技術は、恐らく、理化学研究所のfMRI (functional magnetic resonance imaging) というニューロイメージング手法である。
 
 そうした測定法をうまく活用すれば、フォーカシングセッションをライブで進めながら、脳内変化を「ある程度間接的に」かもしれないが、継続的に測定し、統計的分析を加えること、すでに容易なはずである。


(続編はこちらです)
 

Nhkadd1
Nhkadd2
Nhkadd3

******


 ここで問題提起したことが、実は、こと「技法としてのフォーカシング」を学ぶことや「フォーカシング指向心理療法的」アプローチに限らず、すべての心理療法アプローチにあてはまることに、すでに皆さん気づいていただいているかと思います(^ ^)

●関連記事(久留米フォーカシング・カウンセリングルーム)

* カウンセリングに熱を入れすぎると欝症状が悪化する?

   .......今回の記事とは少しだけアングルが異なる部分があります。


* 読売新聞での紹介記事 -心は更地 安らぐ表現-

   ......私自身が担当した、通院中のうつのクラクィエントさんに対する認知行動療法的ともいえるフォーカシング指向心理療法的アプローチの実例。この記事に関して私(阿世賀)の側は一切取材を受けず、クライエントさんに入った読売の取材そのままの内容である。
 ジェンドリンの直弟子、日本フォーカシング協会前会長でもある、関西大学の池見陽先生のコメントもその記事に掲載されているが、まさかこのような形で新聞の上で遭遇するとは、クライエントさんも私も池見先生も、実際記事を読むまで想像していなかったという裏話がある。
 この記事に対する追加コメントとして、薬物療法や鬱の人へのフォーカシングの適用について、池見先生の見解が研究室サイトに更に掲載されたが、その記事へのリンクはこちら


*****

※この記事の著作権は阿世賀浩一郎にあります。そのことを明示してくださる限り、ネット上でのご紹介、一部の引用、リンクは自由といたしますが、トラックバック等があれば感謝いたします。なおこの記事に基づく学会発表を2009年度中に行ないます。この記事を参考文献として明示して下さった上で学会発表に役立て下さる方があれば、ご批判も含めて、歓迎いたします。 (C)阿世賀浩一郎



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2009/03/19

感謝!! 3月19日0時過ぎ、連載がGoogleサイトでついに首位掲載!!

 この記録は、このブログ=「カウンセラーこういちろうの雑記帳」バージョンではなく、職場サイト、「久留米フォーカシング・カウンセリングルーム」サイトのバージョン(このサイトのバージョンよりもまじめで、表現も推敲されています)で達成されました。

 恐らく、深夜時間帯の限られた時間にとどまり、また首位を明け渡すとは思いますが。自分でもびっくりしました!! ご愛読ありがとうございます!!

Google090316
↑NHK公式サイトの情報を抜いてしまったんですね(^^)

 いずれウェブページとして整理しなおし、わずらわしい改版履歴も削除して「決定版」掲載しますが、とりあえずここまでの連載の目次を表示します:


● 連載:NHKスペシャル 「うつ病治療 常識が変わる」への感想

1.(副題なし)
2.双極性障害(躁うつ病)と単なるうつ病とでは薬の処方が全く異なる
3.医者選び、ここに注意
4.投薬の全面的見直しの際に注意すること
5.番組で「非定型うつ病」を積極的に取り上げなかったこと
6.認知行動療法について
特別編1.統計上の問題など。
特別編2.今回の番組を「ネットでは常識水準」と言ってしまうことの副作用
特別編3:ご紹介:読売新聞の「医療ルネサンス」 更に、援助的専門家自身のメンタルヘルスについて
医者に鬱病と診断され薬物療法も受けている人にフォーカシングは危険か?


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2009/03/18

ご紹介:読売新聞の「医療ルネサンス」 更に、援助的専門家自身のメンタルヘルスについて -NHKスペシャル 「うつ病治療 常識が変わる」への感想(ボーナス・トラック3)-

 前の記事までにご紹介したうつ状態に限らず、発達障害や統合失調症、身体疾患についても、誤診→投薬の不適切ということがよく見られることは言うまでもない。

 読売新聞の長期連載コラム「医療ルネサンス」は、単行本化された「私のうつノート」と共に、すでに定評ある、この種の問題を掘り下げた試みであるが、読売新聞公式サイトでもバックナンバーを読むことができる。

 この「医療ルネサンス」のバックナンバーから、

●シリーズこころ これ、統合失調症? 耳傾けた心理士 誤診修正

を紹介したい。

 いじめを受けていたことを親にも内緒にしたかったために、「悪口を言われている気がするだとか、「誰かにつけられているのでは」という訴えを、統合失調症における妄想状態であると医者に誤診されていた例である。

 話をじっくりと聞いてくれた臨床心理士によって、このあまりに初歩的な誤診の可能性について示唆を受け、別の精神科病院で幸い正しい診断を受け、回復したとのこと。

 数名以上の統合失調症が疑われるクライエントさんとじっくり面接した経験があるカウンセラーであれば、若手でも、こうした際に妄想であるかないかについて、かなりはっきりした見立てをすることができるものである。

 大学学生相談をしていると、私に限らず、

1.母国の国際紛争で前線の兵士になり、実際に諜報活動に従事したことがあるらしい留学生が「自宅に盗聴器が仕掛けられている」「誰かが監視のために付きまとっている」と訴えたが、しかし帰国後、本当に統合失調症との診断が適切だったことをご家族から報告してもらえたケース。

2.帰り道で誰かに付きまとわれていると訴えた男子学生が、医師に一度は統合失調症を疑われたが、実際に、ほとんど面識がない女子学生(!)からのストーカーを受けていて、診断が変更されたケース。

3.家での親の仕打ちについて、とても現実にありそうにないとも思えることを話していたが、実際に親に接してみると、とてつもないモンスター・ペアレントであり、なおかつDV常習者であり、なおかつ学生本人は、実際に、「妄想型」ならぬ「解体(破瓜形)」統合失調症的側面があり、しかもPTSDではないことも医者によって慎重に鑑別診断され、それでも親は頑固なまでに娘の病気を否認し続け、結局地域精神保健と連携して、精神障害者認定と生活保護で実家から別居してもらうのが適切となり、その後デイケアの仲間たちと、やっと安定した境遇にたどり着いたケース。

などを担当したカウンセラーは決して稀ではないと思う(プライバシー保護のため、一部脚色して、しかも四半世紀前のケースを例示した)

 しかし、こうしたケースを見立てる力は、すでに述べたように、実はそんなに高度な専門的勉強や経験を積み上げなくても、現場カウンセラーなら身についているはずである。

 これらに比べると、双極性気分障害II型と、単極性うつ病の鑑別診断の方がはるかに難しい。

 考えてみれば、精神神経科は、聴診器も当てず、脳のCT検査も心電図も、意外なまでに滅多にとらないままに、幸運にして長い場合でも初診20-30分でとりあえずの診断と投薬をはじめるという点では、もの凄い職人芸の世界である。


****

 更に、業界では結構知られている話。

 医者本人がうつ病や統合失調症でも、日々の患者さんへの診断や投薬は適切な場合も多い。

 一般に、妄想的な傾向が強い人は、他人の言動が妄想的かどうかには十分敏感で、「現実吟味の行き届いた適切な判断ができるものである (中井久夫「説き語り 妄想症」による。、病者と社会 (中井久夫著作集―精神医学の経験)に所収)

 もちろん、良心的な医局がある病院だと、そうした疑いがある医師を、本人を傷つけない形でさりげなく現場最前線から外すものである。

 しかし、そうした病院内部の周囲の人間の対応が中途半端で、当人の不信をあおるだけの対応しかしなかった場合、そういう精神科医が「外部のカウンセラー」に通った挙句、自殺するという現象も、決して稀れではない。

 国立がんセンターに勤務する医師が、がんで死亡することも珍しくないのと同じ次元で、こうしたことはクールにとらえるのがいいと私は思っている。

 そして、医師に限らず、看護士、保健士、介護福祉士、ケースワーカー、そして臨床心理士などのカウンセラーをはじめとする専門的援助職に従事する人たち(学校教師も加えていいだろう)こそ、まさに「感情労働職」の典型として、燃え尽きたり、鬱の発症の危険にさらされている人たちである。

 いろんな関係者の話を聞くと、こうした「対人援助職従事者のメンタルヘルス」の問題で、現在の日本で一番対応が遅れているのが、臨床心理士という意見も多い。

 これは、そもそも素質のない人に簡単に資格を与えないというスクリーニングなどで解決する問題ではない。まじめで熱心なカウンセラーほど、「まさかあの人が」という形で、」一度は倒れたり、うつ状態やストレス性の疾患で仕事を長期的に休む危険に直面しているようである。

 私はそうした専門援助職の従事する皆様からのご相談も、その方の資格を問わず、大事にしているつもりです。


※ボーナストラック3終わり。最新の関連記事がこちらにあります。



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2009/03/16

今回の番組を「ネットでは常識水準」と言ってしまうことの副作用 -NHKスペシャル 「うつ病治療 常識が変わる」への感想(ボーナス・トラック2)- [第2版]

  番外編、 その1に続いてその2です。 


 今回の番組における双極性II型と気分調整剤の取り上げ方そのものがまだ一面的であるとお感じの方が、ネット内外、専門家・非専門家を問わずたくさんおられることは承知しております。

でも、

  ●問題点1: 「ネットでは常識水準」という発言を読んでいると、そういう皆様はすでに「事情通」の部類に属するように私には思われてしまえて(^^;)

「この番組で描かれた水準の内容をこれまで知らなかった、今更この番組に感心している人たちは、無知過ぎる」と、「事情通」のプライドがある人が、実は「多数派」であるのはまちがいないネットユーザーを愚弄しているかのように感じる人が少なからず(決して少数派ではなく)いるはずです(^^)


  ●問題点2: 「ネットではこのくらい常識だ」という論調を読んでしまうと、この番組を観ないで済ませ、詳しい内容を知りたい、自分なりに判断してみたいと感じる人たちの「意欲を削ぐ」だけとも思います。


  ●問題点3:  ネット上での、専門家と思われる皆さん「ここで描かれているほど単純ではない」という一般論を述べることは、読者にとって今更何か役に立つと言えるのでしょうか??? 

 私が思い当たる、専門家のこうした発言の効用は、すでに自分への医療に納得している患者さんに、この番組を観たことをきっかけとして生じた不安を軽減するということです。

 しかし、その一方で、専門家のこうした水準に留まる発言の副作用(!)は、一般のネットユーザーの少なからぬ部分に、

  「結局こうやって、専門家たちは責任回避しているんだ」

と感じさせたり、

  「医者は結局自分の処方は実際に繰り返し診察し、薬の効果を確認しながら進めているので大丈夫だと言い訳したいのだ。カウンセラーは結局、自分は医者ではないのでといういつもの責任回避、あるいは保身に走るのだ」

と、ため息を伴う無力感の堂々巡りを感じさせるj可能性は決して低くはないということです。

 敢えて我田引水すれば、私は私のネット上でのスタンスが、現実世界での私のカウンセラーとしての評価に影響する可能性を、私なりに引き受け続けてているつもりです。

 そして、私は、ものごとへの姿勢として、

「初心に帰って、一度頭を真っ白にして、番組や著作を正確に読み解こうとする」

というスタンスを自分から買って出る「専門家」がいなければならないことを確信しています。


*****


 そして、そういう意味で、専門家に逃げ場を与えず、患者さんを起点に、現実の社会行動を促すといった「そこそこ絶妙な」効果を、ひょっとしたら製作サイドか予想もしなかった形で(^^;)発揮する効能がある点で、

この番組そのものが、社会全体への「薬」として計算外の効能がすでにあった

と感じています。


*****


 評論家的にはいびつで不完全な作品との評価を当初受けていた映画や音楽が、長期的には名作と認められるのもありふれたことです。

 ドグマチールが最初胃腸薬の一種として開発され、気分調整剤デパケンが最初抗てんかん薬だったわけです。


 歴史は繰り返す。


........え? 少し次元が違っている? ^^;)


(以上、ボーナストラック2 終わり。ボーナストラック3はこちら




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2009/03/14

特典映像? -NHKスペシャル 「うつ病治療 常識が変わる」への感想(ボーナス・トラック1)-[第5版]

 前の記事、最終回は、少しまるくおさめ過ぎ、皆様の期待を裏切ったかもしれませんので、最後にこれだけは画像つきで書いてしまおう!!

 番組の後半、認知行動療法についての部分には、大きな自己矛盾が内包されている!!

 NHKサイトの、この番組についての公式ページでは、次のようにこの番組のことを紹介している:


*****


(前半略).....こうした中、薬の処方を根本的に見直す取り組みや、難しい診断が一目でできる技術の研究が進んでいる。また、「うつ先進国」のイギリスでは2年前から、国を挙げて抗うつ薬に頼らず、カウンセリングでうつを治す「心理療法」を治療の柱に据え、効果を上げている。うつ病治療の最前線に迫る。


*****


 この番組の後半を実際に見ても、どうも番組制作サイドではこういうふうな流れでまとめたかったみたいなんだけど、その過程で、いくつか凄い勇み足を同時にやってしまっている。

 以下の図版をまずはごらんあれ:

Nhkspomake1
 ↑どう見ても大学の心理学の教科書!!大学生なら学部に関係なくおなじみの、実にありがちの内容です!!

 (心理学って、教養課程でも人気科目だものね!! 私はいくつかの大学で、実験心理から臨床心理まで内容に含めた「心理学入門」を教えた経験がありますが、全学部の全学生の半分ないし80%の人に科目登録され、最高で800人が実際に提出したレポートと学期末試験を丁寧に採点していた時期があります。はっきり書こう、専修大学出身の皆様、共立女子大学出身の皆様、阿世賀はこうして「生き延びて」いるぜ!!)

 この画面で表示されているのは、ロジャーズ派カウンセリング=来談者中心療法についての、心理学の教養課程向けの教科書ですら実は結構見られる水準の解説の文章の断片ですね。

 ここにオーバーラップして、ナレーションは、

「うつ病に対して、受容と共感的傾聴とする旧来の心理療法よりも優れた新しい技法として認知行動療法が認められて来ています」

と入る。

 うつ病に対する認知行動療法の優位性は、日本でも十数年前からとっくに唱えられていたんだけれども、それは置いといて!!


*****


 【ここから第2版で追加】  そもそもこの番組、どの内容が最新トピックななのかの序列がわかりにく過ぎます。

 すでにこの連載エントリーで具体的に示した話題に限定すると、恐らく、時系列的には、

1.うつ病における認知行動療法アプローチに、日本のカウンセラーにも関心が高まる
     downwardleft
2.「非定型うつ病」への関心が高まる。
     downwardleft
3.欧米で双極性障害II型と単純なうつ病では、薬物の標準処方が全く異なるという認識が確立する。
     downwardleft
4.イギリスで、認知行動療法を、公に、うつ病の標準処方とする法律が国会で可決され、各地に公立で無料の「臨床心理センター」が開設され、公費での認知行動療法カウンセラーの養成がはじまる。
     downwardleft
5.日本で、双極性障害II型と単純なうつ病では、薬物の標準処方が全く異なるという認識が広まり、心ある現場の医者の中に、そのことを実現するための十分なスキルが実現され始める。

 ........恐らく、こんな順序のはずですが(^^)

 どうです? 番組の流れに全然一致しませんよね。 【ここまで第2版で追加】


******


 番組の流れは、イギリスでは、地域の、精神科医ですらない一般開業医に欝と診断されると、薬物療法ではなくて、地域の臨床心理センターの認知行動療法カウンセラーにまずは回されるという法律がすでに国会で成立している、ということを映像で描いていくのだが、この脈絡のなかで、次のような統計グラフを提示してしまった!!

Nhkspomake2
 ↑ここで示された統計グラフは、「薬物療法だけ」の場合、「薬物療法と認知行動療法を併用した場合の再発率を比較したものである。


*****


 Q : さて、教養課程で統計入門を学んだ、心理学に関心ない理系や社会科学系の大学生の皆様、この場面で比較のためには、実は最低もうひとつ、厳密には更にもうひとつ、もーっと念を入れると更に更にもうひとつのデータを加えて相互比較すべきなのですが、それはどういうデータでしょう? 

 A : 

* 最低限絶対必要 : 「薬物療法と来談者中心療法併用した患者の再発率」

* これもあったほうが厳密 : 「薬物療法を用いずに認知行動療法のみ適用した患者の再発率

* ここまでやったら完璧 : 薬物療法を用いずに来談者中心療法のみ適用した患者の再発率

 百歩譲って、「薬物療法を用いない形で実験することは、人道的に許されない」というのなら(凄い!! 二人きりで密室で過ごすことは絶対に大丈夫なんだ!)、最初のひとつをだけでも加えて最低3群の比較をすべきではないでしょうか???


*****


 次にこの4群の調査資料ががすべてそろったします。もとより、サンプル数の違いも統計的に問題ないとします。すると次のような結果のパターンのシミュレーションができますよね。

1.薬物療法なしだと、認知行動療法の再発率が来談者中心療法よりも明らかに高い/同じくらい/むしろ低い

2.薬物療法ありだと、認知行動療法の再発率は来談者中心療法よりも明らかに高い/同じくらい/むしろ低い

3.薬物療法なしの場合とありの場合で比較すると、認知行動療法においては再発率の違いがより大きい/同じくらい/小さい/反比例(逆相関)する(4. と比較して)

4.薬物療法なしの場合とありの場合で比較すると、来談者中心療法における再発率の違いがより大きい/同じくらい/より小さい/反比例(逆相関)する(3.と比較して)

5.薬物療法がない場合、認知行動療法の方が来談者中心療法のよりも再発率が低い/同じくらい/むしろ逆


 そして、極めつけは、


6.薬物療法も認知行動療法も来談者中心療法もすべでやらない場合自然治癒を経た後の再発率が一番低い!!

 (更に、2番めに再発率が低いのが、「認知行動療法と薬物療法の併用」というケース)

…というシミュレーションが結局正解(統計学的にも有意)の可能性が、全くない、とはいえないのが統計学なのです!!

 (実際には、そうした多角的な統計を取ったのかもしれませんけど ^^;)


*****


 もう皆様お気づきでしょうが、どんな心理療法を適用しても、薬物療法の併用が同じくらい効果が上がる可能性だってあるわけですね(^^)

 いや、薬物療法にサプリを足したら、心理療法オールスター連合軍(?)との併用より再発率が低かったらどうしよう?

 薬物療法とバナナ(もちろん食用)を併用したらどうかな?

 いや、こんにゃくゼリーとの併用という、すでに少しネット界では旬を過ぎたネタをやってみたらどうだろう?)


 イギリスでも、このような統計のマジックにだまされて(ごり押しされて)、法案は通過した.....ということだけはいくらなんでもないとは信じたいところです。

 もしそうなら、全く別の意味でのスキャンダラスのドキュメンタリー、今流行りの「国策捜査、もとい、「国策調査(統計)」になってしまいます(^^;)


*****


 そして、そもそも日本うつ病学会理事長の野村医師の発言だけを追うと、どうも認知行動療法を特に推奨しようとする番組製作サイドの方向性に、あたかもブレーキをかけるようなアドリブ発言が各所に見られます。

 認知行動療法について番組内で「解説」しているのは、よーく観ると、ナレーションと、取材対象の、日本とアメリカの認知行動療法専門のカウンセラーだけなんですね!!)


 一方、野村先生は、

 「認知行動療法だけではなく、他のカウンセリング技法を含めて」

だとか、

 「薬物療法は、、ひとつの選択肢に過ぎないという捉え方も必要だけど、重要なものであることには変わりがない」」

といったアドリブ発言を、番組の最後まで繰り返しているわけですね(^^;)


 私には、

 「認知行動療法もいいけどさあ、そもそもお医者さん自身がじっくり話をきくという、セラピー云々以前の基本中の基本がなってないようではカウンセラー以前の問題だよ。正確な診断も投薬もできないとすれば、その医師は、カウンセラーも適材適所で有効活用できないんじゃないかなあ・・・・」

 という野村医師の心のボヤキ(この表現は決して失礼ではないと信じます)が聞こえてきてもおかしくないなと想像したのですが、思い込みすぎでしょうか?


 【ここから第2版で追加】 

 少なくとも、「こんな思い込みも可能では?」と提案をしてみることは、「物事の認知の枠組みを変え、生産的な方向で別の可能性を示していく」、という意味において、すこぶる「メタ認知行動療法的」アプローチかと思いますが(^^;)

 最も善意に解釈すると、番組スタッフと出演者の間で、「番組制作を進めるうちに、当初の方向性とは思いもよらない形でバランスが狂ってしまった」という共通理解が成立していて、

もう手直しが間に合わないので、野村先生、アドリブでそのへん、できるだけ修正くださいますか」

などどいう談合が成立していたのかもしれません(^  ^;)

.......え、今度はスベッた???

 (以上、ボーナストラック、終わり!! ボーナストラック2へ続く)



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2009/03/13

認知行動療法について -NHKスペシャル 「うつ病治療 常識が変わる」への感想(6 一応の最終回)- [第5版]

 さて、いよいよこの連載、前回に引き続き、このエントリーで最終回です。

 前回で紹介した、「非定型うつ病」の現在の診断基準と、その具体的治療法については、実に様々なサイトですでに詳しく言及されておりますので、そうしたサイトをご覧になる読者のご判断にお任せいたします。


*****


【ここから第2版で追加】

 でも、「非定型うつ病の人は、認知行動療法によってアサーティブさ(自己主張能力)を身につけることが必要

という意見を読むと、

「日本人は、うつ病に限らないこととして、むしろ心理療法全般を受けることによって自己主張能力を身につけたおかげで、周囲との摩擦に耐え、孤高の道を歩む苦しみを感じているんじゃないか」

とも思うし、その一方、

「今の若い世代は、生きる糧を得るために働くという経験に乏しく、自己主張的になっているので(!)、昔の人のように、典型的(=DSM-IVで、過去の遺物から突如復活(^^;)した、「メランコリー型」)うつ病になれなくなっている」

という全く正反対の記事を読むと、

「ああ、オヤジの『今の若い者は』のバリエーションに過ぎなくなってる。要するに、古典的うつ病の人のほうが従順で、扱いやすかったという医者本位の愚痴なんじゃない?」

と感じてため息をつくのは、私だけではないと思います。

 繰り返します。DSM-IVでの診断基準に適う意味での「非定型うつ病」と同じ病態の人は、昔も今もたくさんいただけです....と。


 【ここまで第2版で追加】


*****

 さて、いよいよ、番組後半で取り上げられた「認知行動療法」に関してですが。

 認知行動療法についても、この番組に関する、しないにかかわらず、様々なサイトを見ていくと、バランスのいい記事もたくさん見受けられます(お医者さんによるもの、実際認知行動療法を受けた人の体験談etc.)ので、多くはそちらにゆずるとします。


【ここから第5版】

 私としての推薦は、

●【認知行動療法とは】 (インチキWriterの棲みか by isshy☆さん)

 うつの人のじゃないけど、ともかく「プロのライターさん」がマジになって書いたら、専門家の入門の文でもなかなか読めないような、これだけ小気味いい紹介の文章になるというあたりが見もの(?)です(^^)


【ここから第4版】

 ただし、英語ですが、次の記事の存在は是非お知らせしておきます:

●Petition Against Over-Regulation of Psychotherapy(心理療法への過剰規制に反対する嘆願書) (Moving Toyshop)

この記事は、裕さんのサイトの、

* イギリスにおけるセラピーに対する国家の規制

というエントリーで紹介されていたものです。 


 これについての私の意見はこちらの記事で紹介。


【ここまで第4/5版】

 そして、次の点だけ、開業臨床心理士としての私のスタンスを明言させていただきます。

 私は、基本的に、ある特定の心理療法が他の心理療法と比較して優れているかどうかという論の建て方に懐疑的です。

 いいカウンセラーにめぐり合えば、それが精神分析でも行動療法でも箱庭療法でもフォーカシング指向心理療法でも(!)、さらに特定の心理療法流派を標榜しないカウンセラー(例えば村瀬嘉代子先生や増井武士先生.....来年度から九州産業大学です....)でも、うつ病に関するカウンセリングに関して、的確な見立てと、個々のクライエントさんにふさわしいカウンセリングの進め方、医療の必要性まで、クライエントさんの考えも尊重して、一緒に納得のいく解決を模索していく力があります。

 このNHK特集でたっぷりと矢面に立たされたお医者様たちへの公平のために申し上げれば、カウンセラーや臨床心理士の場合にも、専門能力として不十分な場合が「同じくらいにたくさん」見られる点では同じかもしれません。私もまた、多くのクライエントさんに、「未熟なカウンセラー」として記憶に残っていることも少なくないであろうことは十分認識しています。

 しかし、それでも敢えて断言します。

 標榜する心理療法の流派やアプローチの違いと、「現場」カウンセラーとしての力量とは無関係だと。

 むしろ、カウンセラーは、経験を積めば積むほど、

「他の流派のカウンセラーでも、現場臨床的に力量がある人は、根本的なところでは自分と共通のことを自明の前提としてやっている」

ことに気づき、そうした技法についても実際に謙虚に学んでみる姿勢を保てるカウンセラーこそ、実は、その人の標榜する心理療法に限定しても、奥の深い現場臨床での実力を持っているものです。

●参考記事 : 「「オモテ」技法と「ウラ」技法 または収穫逓減の法則(久留米フォーカシング・カウンセリングルーム)

 誠に僭越ながら、私が目指しているのも、まさにそのような、他の心理療法や技法に偏見のないカウンセラーに他なりません。

 私がそういうカウンセラーにどのくらいなっていて、現場臨床でも有能かを評価するのは、おいでいただくひとりひとりのクライエントさんに他ならないと思います。

 それどころか、クライエントさんに限らず、どんな人間同士でも、他人が自分のことを「誤解する権利(!)」が保障されていなければ、それは「支配」を原理とするファシズムであり、むしろお互いに更に理解を深めるきっかけを失ってしまうものだと確信しています。

(もちろん、「理解を深める」なんてしてほしくない、というクライエントさんの訴えがあれば、それも大事にしたいと思っています。自発的に訴えて下さらなくても、「私はこのクライエントさんにすでに踏み込み過ぎ、それを苦痛とのみ感じさせてはいまいか?」という自問自答はいつもして、チェックしているつもりではいます)

 クライエントさんからのどんな苦情や不信の念もぶつけてもらえることを、「クライエントさんが心の中でいつまでも抱え込んでいるだけにならずに済んで良かった」と、少なくとも心の中の「一方の自分」は受け止め、仮に、「他方で」、クライエントさんの誤解を解きたい気持ちがどうしてもカウンセラーの中にある場合にも、そのことでクライエントさんとの溝を深めるだけにはならないだけのことができること。

 更に、それが単にクライエントさんの「言いなりになる」ことではなく、クライエントさんにほんとうに役立つ援助へと前進するきっかけになるということが、絵に描いた理想ではなく、試行錯誤を重ねつつも、クライエントさんと共に実現に近づけるカウンセラーでありたいと思いながら、ひとりひとりのクライエントさんと毎回お会いしているつもりです。

 そして、「どうしてすぐに治してくれないの?」というお話に対しても、一方的な説明にとどまることがないように努めているつもりです。

 これを読んだ私のクライエントさんたちへ:

 今度お会いした時に、これを機会にこれまで言えなかった本音をいってくださっても歓迎します(^^) 
 今度ではなくて、もう少し先のいいタイミングで言ってみよう、でも自分の中で決して忘れないではおこう、というのも歓迎です(^^)


*****


 更に、私のカウンセリングルームの宣伝めいたことも、もう少しさていただくことをお許しください(^^)

 私は、まだまだ不十分かと思いますが、精神分析、行動療法、認知行動療法(まもなくこれに「最新の」臨床動作法が加わる予定です)など、様々な心理療法流派の、現場で一流という評価がある先生方の研修会に参加するように努めてきました。

 私の『普段の』カウンセリングをお受けになったクライエントの皆様の中には、私のカウンセリングを、例えば「認知行動療法」っぽいなと感じた方も少なくないようです。

 別の方は「まるでユング派みたいだ」とお感じかと思います。

 更に別の方は「ゲシュタルト療法みたいだ」とお感じの方もあるようです。

 なんだ、普通のロジャース派(来談者中心療法)と何も変わらないではないか、とお感じの方もあるでしょう。

 通常の面接の際には、「どこがフォーカシングなのか見当もつかない」とすら言われます。

 なのに、フォーカシングを技法として教える教師としては、

 「これほど理論や技法に厳格で、実践的な指導を具体的にしてくれるトレーナーにはこれまで会ったことがない。どんなぶしつけな質問をしても答えてくれる」

というご意見と、

 「こんな和気あいあいの自由なフォーカシングを学ぶ場を体験したことがない」

というご意見が両方あるのです。

 更に、

 「私の個性が強過ぎる」

というご批判と、

 「ネットの記事から想像していたよりは、よほど控えめな方ですね」

という感想も両方いただきます(^^)


*****

 しかし、このように、おいでいただいた皆様によって全然異なる感想をいただけることは、「フォーカシング指向心理療法」本来の性質に、ある意味で厳格に従っている結果だという少なからぬ自負もあります。

 「フォーカシング指向心理療法」という著作のなかで、創始者ジェンドリンは次のように繰り返して書いています。


 「フォーカシング指向心理療法は、単に技法としてのフォーカシングを面接のさなかに時々部品として差し挟むような次元にとどまるものではない

 「フォーカシング指向心理心理療法は、それがどんな技法的アプローチであるかに関係ないものである。さまざまな技法的なアプローチをそれぞれ別種の「エンジン」だとすれば、フォーカシング指向心理療法はどのエンジンであるかに関係ないで生かせる「エンジンオイル」のようなものだ。


 「フォーカシング指向心理療法」の特に下巻は、まさに、そうやってさまさまな流派ややり方にフォーカシングをさりげなく生かすための、ジェンドリンなりのヒント集です。

 この下巻の、「認知行動療法的アプローチ」に関する章は、私が特に熟読して来た章のひとつです。

【ここから第3版への追加】

 私なりの部分的には認知行動療法的といえるアプローチのバリエーションのいくつかの具体は、こちらこちらで紹介しています。

【ここまで第3版への追加】

 もとより、私よりもより優秀な「認知行動療法」本来のセラピストが、皆さんのより身近にもいらっしゃることを、私は心から祈っています。


*****


 ●謝辞●

 この記事を書くために何らかの意味で参照させていただいたサイトは、記事の途中でご紹介したサイトのみならず、非常に多くのサイトです。

 しかし、この記事を書くそもそものきっかけとなったのは、Lithiumianさんという方から3ヶ月ほど前にいただいた、私のプライベート・サイトのある記事への厳しいご批判でした。その方から、推薦サイトをいくつかご紹介いただいたことがそもそものきっかけです。Lithiumianさんには、特に篤く御礼申し上げます。

 更に、「ブログ論壇」というサイトを運営されている、ともあきさんから、最初は別の記事にいただいたトラックバックの記事の内容にも励まされました。この「精神療法の荒廃」と題するエントリー記事では、このNHKの番組の再放送を含む放映日程が詳しく紹介されているばかりか、この番組についての様々なコメントも掲載され、更に、ともあきさんご自身の認知行動療法体験についても、簡潔に自己レスコメントをされています。

 実は、私の方からも、今回の連載が進むたびに、繰り返しトラックバックをともあきさんサイトに差し上げ、ともあきさんからもトラックバックをそのたびごとに返していただきましたが、私の方のトラックバックの欄に見かけ上同じ記事からのトラックバックが並び過ぎてしまいますので(^^;)、私の勝手な判断で、私の方の表示はふたつに集約させていただきました。ともあきさん、どうかお許しください。

 更に、これまた少し以前の別の記事にトラックバックをいただきました、このサイトでもすでに具体的にご紹介した、ご自身精神科医である猫山司さんのブログ、「メンタルクリニック.net」の、他の様々な記事もたいへん参考になりました。私の愛読サイトになりました。ありがとうございます。


*****


 最後に、私は福岡県南部(筑後地方)に、私が知らないだけの、十分な診断と薬の処方をしてくださるお医者様が少しでも多いことを信じたいと思っております。

 筑後地区の病院のお医者様、あるいはこの地区の病院に通う患者様の中で、ご不快であったり、ご不安を増してしまわれた皆様もあるかと思います。

 まだ実際にクレームをいただいた例はございませんが、これからも、不適切な表現が見つかりましたら、できるだけ変更してまいります。 


****


 そして、何より、これまで私のカウンセリングルームに相談して、話を聞かせてくださったクライエントの皆様にこそ、ほんとうに厚く御礼申し上げます。

 この3ヶ月の間、この問題について私なりに猛勉強する中で私の認識が急に変化したことは、もう読者の皆様もお気づきかと思います。

 ここに書いたような、恐らくまだ不完全であろう認識すら不十分だった、久留米での開業初期にお会いした皆様、神奈川・大船開業時代のクライエントさんを含めた皆様、「もし現在お会いしていたら、まだ何かお役に立てたのでは?・・・」という後悔の念を禁じ得ないでいます。どうかお許しください。


(実はこの連載、ここで終わりませんでした


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番組で「非定型うつ病」を積極的に取り上げなかったこと -NHKスペシャル 「うつ病治療 常識が変わる」への感想(5)- [第5版]

 さて、前回に続く連載を、一気に第5回である。

 (そう簡単なことでは、番組後半の認知行動療法の話題に到達しないのが、この連載の最大の持ち味である^^;)

 今回のNHKスペシャル、「最近はうつ病の診断ももいろいろな種類に分化してきた」とまで解説しながら、ついに新型うつ病としてこの数年喧伝されてきた「非定型うつ病」については、この診断名そのものは一度だけ画面表示されナレーションに流れただけで、わずか2秒で済まされ、スタジオの参加者も言及しなかった(この部分、第2版で改訂)。

 まさにこの点もこの番組のひとつの快挙であると私は考えている。

 (ひとつの逆説として述べているのであり、決して皮肉ではない

 双極性II型単極型うつ病診断と投薬の違いについて番組でここまで詳しく紹介したことの方が、はるかに優先事項だったともいえる。

 「双極性II型」については、日本においても、後述の「非定型うつ病」よりは、はるかに投薬のしかた(標準処方)が確立していることも大きいだろう。

 つまり、誤診の影響がはなはだしいことが医師の共通理解にすでになっているべき緊急性の高さがある。

 しかし、私はそれよりも以下の点を指摘したい。


*****

 
 実は、「非定型うつ病」についての診断基準は、DSMーIIIの段階から、1994年にDSM-IVに改訂される段階で大改訂され、非常に具体的に定義されるようになりました。

 非定型うつ病について解説されたサイトの少なからぬ部分では、

「1994年に診断基準が確立された

 と書かれています。

 私はこれはたいへん誤解を招きやすいところがあります。

 なぜなら、DSM-III(アメリカ精神医学会診断基準 第3版)の段階(1994年以前)でも、「非定型うつ病」という診断名は存在したからです。

 手元の「DSM-III日本語版」の方から引用します:


****

       ●非定型うつ病 Atypicai Depression

 これは抑うつ症状を持つ患者で、「大感情障害」または「その他の特異的感情障害」、あるいは「適応障害」と診断することができないものに対する残遺カテゴリーである。例としては以下のものがあげられる:

(以下略)

****

 DSMという診断基準は、うつ病に限らず、すべてのジャンルで、いろいろと具体的に定義できる診断名と診断基準を掲げていった後で、最後に「これらの診断基準に十分あてはまらない場合」のための「残遺カテゴリー」を設置する、という構造を持っている。

 つまり、DSM-IIIまでに関しては、「非定型うつ病」とは、まさに"atypical"=「典型的ではない」うつ状態という意味でしかなかったのである。

 ところが、1994年のDSMの改訂において突如、「非定型うつ病」は、それ自体厳密で具体的な診断基準をもつ、独立した積極的な診断カテゴリーへと、急変してしまったのです。
 
 これは、「以前は曖昧だった診断基準が具体的に定義された」なんていうものではないというべきです。、

 DSM-IIIの段階とDSM-IVになってからでは、同じ「非定型うつ病」という病名でも、かなりの程度、別のタイプのうつ状態を指す名称になった、という方が適切といいたくなるくらいなのですね。

 (実はこのようなことになったのにも、わけがあります。DSM-IVで細かく定義された意味での病態については、すでにかなり以前から、専門家の間では「非定型うつ病」の名のもとに議論されていたという「歴史的経緯」があるのです)

 そもそもこのことを、いくら一般の人向けの「わかりやすい」解説だとはいえ、まるで、時代の変化によって「新種の」うつ病が新たに「発見」され、蔓延するようになったみたいに解説する(これではインフルエンザウィルスの新種発見みたいである)のは、それこそ医師以外の非専門家をナメています(^^;)

 そこまでいわなくても、新たな誤解の火種をまく危険がある、とは申し上げていいでしょう。

 実は、DSM-IVにおける「非定型うつ病」にあたる病態は、「昔から存在していた」というのが適切であろう。

 そして、はっきり言いたい。

 少なくとも、具体的な診断基準を細やかに決めるなら、もはや「非定型」なんていう名称ではなく、新しい具体的な診断名ぐらいはつけるべきである!!

 「境界性人格障害」という名称が、本来「精神病と神経症の中間状態」を指すものだったのに、過剰に濫用されるようになった歴史をまた繰り返したいのか!!


*****


 更に思うこと。

 今回のNHKスペシャルは、「そうか、最近は、うつ病もいろいろ診断や治療法が多様化しているんだな」という印象を視聴者に残すだけに留まるだけでよしとしていない企画だと思います。

 控えめに言っても、番組企画当初の意図を、取材を進める中で越えて行ってしまい、その結果、ありがちなこの種の番組のパターンを超えたところまで行ってしまった番組と理解するほうがいいと思います。

 実際、予想もしない内容に「いつの間にか進化した」ゆえの構成上の歪みと、番組スタッフと、スタジオ出演のうつ病学会会長、野村医師の見解が少し違い、両者のせめぎあい(あるいは番組スタッフの間のせめぎあい)まで、注意深くこの番組を観ていると、透けて見えるあたりこそ、この番組を観る際の面白さであり、そして残念なまでの不完全さなのです。

 【第4版で追加】このような、番組が思わずさらした不整合の具体例は、この記事で書きました!!


*****


 私がこの記事で、DSM-IV以降の「非定型うつ病」の診断基準や治療法を具体的に引用することをなかなか始めないのも、実は意図的なんです。この番組の真にすばらしい面を皆様と再度確認したいからです。

 つまり、

1.うつ病の診断と治療においては、医者の側に的確な診断能力が現状では意外なまでに不足している。

2.その原因としては、初回の投薬時からあまりにたくさんの薬を同時処方したり、患者さんが不調を訴えると、どんどに薬を増加させるために、もはや患者さんの症状のどこまでがうつ症状自体の表れで、どの薬が副作用を起こしているのかすら、名医ですらすぐには判断不能な状況が蔓延している。

   downwardleft

 そうした状況で、「非定型うつ病」を今さら紹介しても、その非定型うつ病の診断そのものが的確になされている可能性もまた低いのだから、

何を今さら!!

.........ということになる。


 これこそ、この番組の重要な隠れメッセージなのである!!


(第6回へ続く) 

*****

 以下は、番外のコラムです。(第3版で表現を大改訂しました)

Nhksp5a
↑ あの.....開業臨床心理士(あ、しまった。「私設心理臨床の」臨床心理士といわないと....)だったらある意味でこういう発言もあたっていますけど、これから開業しようという精神神経科や心療内科のお医者さんには考えていただきたくない発想です(^^;)

 なるほど、院外処方箋で投薬は済ませられるというのは理解できます。でも、いろんな身体の病気の結果として欝状態になることは決して珍しくないので、CTやMRI、超音波診断の装置、血圧計、尿検査設備・心電図、脳波、血液検査の設備、睡眠時無呼吸症候群(SAS)との鑑別診断のための小型睡眠時呼吸脈拍血圧測定器という設備投資は、そのお医者さんに経済的余力があれば可能です。

(患者の皆様、そういう検査のための追加料金を払うぶんには、誤診で薬代がむやみに増える場合に比べれば、結局のところ経済的かもしれない)

 もっとも、良心的な開業クリニックに、こうした設備がないところも現実には少なくありません。そのための設備やスタッフを雇うだけでも経営が成り立たない開業クリニックも少なくないと思います。

 開業クリニックに関しては、

「古い貸しビルの限られたフロアで開業し、広告とかはあまり出していないのに、なぜが口コミで患者さんが多い病院の中にこそ、名医がいる」

という逆説がちまたでよく言われるくらいなんです。

 そして、そうした設備のない開業クリニックでも、問診の段階でこうした「身体病の可能性」を前もって確認してくれていて、少しでも疑問があれば(何回も診察するうちに疑問が出てくれば)、積極的に別の総合病院に精密検査を依頼して検査をする手続きを取ってくれます(きっぱり)。

 実はそのクリニックのお医者さん自身は何も儲からず、むしろ手続きの手間を増やしているだけなので、その点に関してはむしろ良心的なお医者さんだといえます。




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2009/03/12

投薬の全面的見直しの際に注意すること -NHKスペシャル 「うつ病治療 常識が変わる」への感想(4)-[第5版]

 さて、NHKスペシャルを引き合いに出して、フォーカシングという特定の心理技法のトレーナー認定国際資格も持っている、コアな心理療法家(?)かつ地域の草の根開業カウンセラーをめざす臨床心理士が、欝状態における医師による薬物用法のほんとうの問題点に数回シリーズでこまかく解説の上で、更に突っ込んで細かく口出しまでしてしまうという、恐らく全国の臨床心理士の読者の皆様にスリルとサスペンスを提供している(かもしれない^^;)連載記事、前回に続いて、第4回め、佳境に入ってまいりました(^^)

(繰り返しますが、今受けている欝の治療に十分成果を感じている皆様を不安に陥れることは私の本意ではありません。どうかお許しください)

 すでに、私が、薬物療法か心理療法かという観点を超えて、徹底的に各論是々非々のスタンスを取っており、薬物療法支持か不支持かなどという二者択一的見地自体を狭量なものとみなしていることは、おおよそ伝わっているのではないかと思っています(^^)。

 臨床心理士である私が直接クライエントさんに投薬そのものをしてしまわない限り、何ら法律違反にはならない(投薬行為そのものをしたら、臨床心理士資格を剥奪されます!!)、こうした小さなブログでの試みぐらいで、もし万一臨床心理士国家資格化の障害になってもいいのかなどとお考えの方があれば、正直言って、誇大妄想であるか、考え過ぎの過剰防衛であると確信しています。

 「餅は餅屋に」以前の問題として「餅屋が意外と不確かな餅屋である」ことが実は多い現実について、精神科医師以外の援助職が、どれだけお医者様と患者さんの役に立てるかという、差し迫った現実的な問題解決の提案をしているだけのつもりです。

 むしろ、現在日本の現状を踏まえての、非常に実際的で具体的な、医師とカウンセラーの新たな連携の可能性を、泥臭く草の根的に探求しているつもりです。

 ここでお書きした内容について具体的に「ここが不正確だ」というご指摘は、むしろ大歓迎しています(^~)


*****

 さて、すでにこれまで書いてきましたとおり、このNHKスペシャルの中では、

1.あまりに多種類の投薬を受けていることが多いために、何が効いているのか、何が副作用なのか、ほんとうに有能な医師でもわからなくなっていることに由来する、うつ病治療の長期化・遷延化・むしろ悪化。

2.特に単極性うつ病と双極性II型の鑑別診断と、実は「まったく別」と言っていい適切な投薬(気分安定剤を処方するかどうか)ができる医師の不足により、欝の波にはまるたびに症状の長期化症状の悪化が生じる悪循環にはまっていることが疑われるケースが多いこと

.......この2つの理由で、医師の指導の下でそれまでの薬物処方をいったんすべてやめてしまった上で、投薬の見直しをしていく必要がある、ということが番組の中で描かれていきます。


【第5版で追加】

(ここでは「双極性II型」を中心に取り上げていますが、「急性交代型」や「気分変調症」、「双極スペクトラム障害」などが疑われる場合にも、確定診断が難しく、投薬の方針を大きく変える必要がある場合があります。)

【ここまで、第5版で追加】

 こうした投薬の全面的見直しの結果、それまで10年間欝に苦しんでいた患者さんが、数ヶ月で明らかに軽快の方向に向かう実例すら、この番組では取り上げられています。


*****


 さて、ここからが、この番組の欠点、描き方不足と私に感じられた点の指摘、その1に入ります。


 実は、この番組で取り上げられた、そうした「薬の抜本見直しのため、薬の服用を一度すべてやめてしまう」という医師の判断が描かれている事例3つのうち2つまでが、薬をやめて経過を見る段階で、むしろ断薬の結果、患者さんに、むしろ感情が激しく乱れる時期や、生活に支障が出る身体面に及ぶ様々な症状が出る時期を迎え、その段階で入院治療に切り替えるという対策を早急に医師がとった(あるいは入院態勢があることが十分インフォームド・コンセントされていた)事例であるということです。

 そうでないひとつの例(スタジオ出演された、中年の女性の方の例)は、恐らく、患者さんがすでにずっと自宅静養を続けていて、更に、ご家族が介護に全力を尽くされていることによって、緊急対応が容易であったため、入院の時期を必要としなかったのではないかと推測できます。

 更にいえば、恐らく、こうした断薬→くすりの見直しを始める前に、断薬のしばらく後に、そうやって入院を含む緊急対応が必要なくらいに心身が混乱する可能性がある時期があることについて、医師の方から患者さんとご家族にくわしくインフォームド・コンセントがなされ、患者さんも同意していることもほぼ間違いないのですが、そういうシーンは残念ながら描かれていません(私の元クライエントさんから、実際にインフォームド・コンセントが事前に丁寧になされていたので、こうした処方への不安が軽減されたという経験をうかがいました)


【第5版で追加】

 この件に関連して、この番組に取材出演された患者さんのうちのおひとり(男性の、ベッドで横になっておられた方です)から直接メールをいただきました。お医者様から、実際に、丁寧にインフォームドコンセントを頂き、入院についても説明を受けていたとのことでした。なお、この方の診断は「双極スペクトラム障害でないか」とお医者様から言われているとのことでした。

 詳細な情報をいただけましたことに、ネットへの掲載も、ご本人の方から事前に許諾を申し出て下さった上で以上のことを伝えてくださいました。心から感謝申し上げます(09/06/15)。

【ここまで、第5版で追加】


******

 つまり、この番組がその点にまで踏み込まないままだと、テレビを見た患者さんの中に、医師の了解も得ず、自分だけの判断でそれまでのくすりをすべてやめてしまった上で、はじめて新たな医療にかかろうと判断してしまう方がたくさん出てくる可能性もあるという気がします、

 断薬後の心身の変調は、場合によっては断薬後しばらくはむしろ快調そのものの時期を経た上で、突然思いもよらない症状として生じることもあります。そうした「急転直下」の可能性まで、事前にインフォームド・コンセントができるのが、こうした対処のスキルを磨いた信頼できるお医者さんです。

 どうして新たな薬にすぐに一気に切り替えないかというと、以前の飲んでいた薬の成分が身体から抜けてしまうまで、あるいは、そのくすりによって生じていた心身の状態が元に戻るまで、薬によっては2週間ほどかかるのが普通だからです。抜いた後、「まずは薬の副作用の軽減の実感が最初に生じ、その後ではじめて薬が効いていたから安定していた側面が顕わになることも多いのです)そして、そうやって薬が十分に抜けた状態での心身の状態を丁寧に診ることをしないと、新たな薬の処方を最終的に決めることがお医者さんにもできないからです。


*****


[ここから第4版で追加]


 では、単極性鬱病と誤診され、(敢えて素人なりに病名を新設?すると)

「本来双極型II型の診断が正しいはずなのに、気分調整薬が処方されず、もっぱら抗うつ薬のみ処方された結果としての、薬物副作用・相互作用の累積が原因と推測される、慢性的なうつ病『的』症候群」

という診断の「医源病」の解消のために、例えば入院対応の施設のない開業クリニックにおいて十分な対応ができるかという、皆様が関心を抱かれるであろうテーマについて。

 もちろん、個人差が大きいことです。特に危険度が高い人の場合にはお医者さんも慎重にしてくださるでしょう。


 しかし、それまでの単極性鬱病という誤診とその後の投薬経過の個人史において、


1.多剤処方と副作用体験が著しく累積しているわけではなく、比較的シンプルな処方、限定的な範囲での副作用にとどまっていた人。

2.特に肝臓をはじめとする血液検査領域で著しい障害が発見されないこと。

3.休職中、あるいはそれに順ずる自宅静養状態にあり、本人の体調も気遣う家族が身近にいること


などといった条件が満たされている場合には、抗うつ薬の断薬にかける期間を最小限(例えば2週間)にして、その一方で並行して気分調整薬を徐々に増量しはじめることをスタートするという治療方針を、慎重にインフォームドコンセントをした上でお取りになるお医者様も少なくないようです。

この場合、いざとなればいつでもそこから数日休養することを開始できるくらいの体制をあらかじめ準備しておいた方がいい気がします。

 恐らく、生活の中で突如、めまいやふらつき、悪心、意識障害、気を失うこと、平衡感覚喪失、動悸など、これだけ取り出したら、パニック発作に近いものと「誤診」される危険がある症状がが突如襲いかかることを一番警戒すべきかもしれません。

 更に、それを事情を知らない別の救急担当医がマジにパニック障害の発症などとのみ診断して「対症療法」だけを始めそうな予感もします。

 脅すつもりはありませんが、以前私が患者として処方変更をした時には、睡眠中、気分調整剤が血液成分中で「臨界期に達する」頃と思いますが、ごく短時間、ほとんど急性精神病状態の時と同じような幻覚や幻臭・幻聴を伴う、変性意識状態での悶絶を体験しました。

 勉強はしていた、統合失調症急性発症時とかなり類似した体験を、むしろ「セロトニンにやや依存し過ぎ症候群」から脱することと引き換えに「薬理作用的・限定的に疑似体験」ように思います。

 恐らく人によっては、この状態をしのぐためだけに、仮入院して、医師からのジフレキサやリスパダールのそこそこ量の緊急投与すら必須だったでしょう(気分安定剤とのあわせ技は有効らしい)。たいていのケースなら、入院してもベッドで静穏に寝ている中でそういうエピソードが通り過ぎるのを静かにしのぐくらいで経過を見るのかな???


[ここまで第4版で追加]


(......ということまで、事前にきちんとインフォームド・コンセントとして単に説明するばかりか、その説明によって患者さんの不安を実際に軽減できるところまでできてはじめてこうした対処を患者さんが信頼してもいい医師である可能性が高いということになります。こうした話になるとあやふやになる医師は、こうした治療を頭で知っていても、様々な事例で成功をおさめた経験に乏しい可能性があるわけですね。)

*****


【以下、第3版で追加】


●参考サイト:
気分調整剤(気分スタビライザー) サイト「ルボックス[デプロメール]を使いこなす」(オリジナルは笠陽一郎医師のページの「薬箱」)

 この記事で見る限り、現在認可されている気分調整剤は、どちらかというと抗躁剤としての処方がまずは確立されたものが多いとのこと。鬱傾向と不眠がある人の場合にはデパケン、鬱主体で元気がない人にはリーマスが向いているとのこと。抗鬱剤と気分調整剤の併用は避けた方がいいとのこと。

 私が聴いた範囲では、気分調整剤は当初緊張性頭痛や眠気の上昇、気分の悪さなどみられるが、これは一時的で、急にSSRIをやめて切り替えると、SSRI中心の時の、もっぱら気分の重たい落ち込みが強く出る人と、気持ちの波そのものは静まるけれども、躁鬱の人が抗うつ剤だけを飲んだ時に独特の、躁にせよ鬱にせよ、独特のねっとり感(パキシル)あるいはさらりとした潤い感(ジェイゾロフト)のある、気分や体調の不安定な揺れの感覚の代わりに、気分的には安定しているけれども、決して10の力は出せず、7か8ぐらいでの安定をコンスタントに維持することは、抗うつ薬の頃よりはるかに無理なくできるが、ある意味では単調で、人生のドラマが消えてしまうかのような体験になることが少なくないようである。

 問題は、まさにこの、「安定しているが、人生からスリルとサスペンスが消えてしまったかのような感覚」にとどまれなくなる人も出てきてしまうことかと思う。
 
 もっとも、恐らくこの点では個人差が大きいだろう。鬱の波がほとんど軽躁のほうにまでは振れない人で、地道にこつこつひとつのことを頑張る側面がもともと強かった人だと、この、

「以前とはテイストが違うけれども安定した状態」

を、

「肩の力が抜け、余計な力みがなくなり、状況全体を俯瞰した上で、クールで大人の対応ができる自分へと一皮向けて行ける」興味深いチャンスが自分に与えられた

........ととらえなおすことが比較的無理なくできるかもしれない。

 これに対して、ギャンブルや酒などへの嗜好があったり、自分の中に、公私問わず、物事の解決や成功のための「勝利の方程式」をある程度見出せているという自己信頼がない人だと、気分調整剤を飲み続けるモチベーションを維持する上での困難も大きく、維持療法に入る以前の段階では、薬物療法的にも、医師の高度な処方テクニックが必要となるのではないかと思う。

 今後、ラモトリジンという、むしろ抗鬱作用が強い薬が気分安定薬としても日本で認証される可能性はあるそうですが、まだ現状は、その一段階前、抗てんかん薬としての治験の段階とのことです。

Nhksp4a
Nhksp4b
↑同じ患者さんが同じ時期に一気に5つの病院を受診した結果、病院によって、これだけいろいろな量と種類の薬の処方をされた!!

Nhksp4c
↑そのことについて、NHKの取材を受け、慎重に言葉を選びながら返事をする、厚生労働省の技官(^^;) 

(第5回に続く)


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医者選び、ここに注意 -NHKスペシャル 「うつ病治療 常識が変わる」への感想(3)- [第2版]

 前回に続き、連載3回目である。

 前回までに述べて来たような理由で、実は、うつ病治療において最優秀クラスの病院ですら、患者さんを相当程度長い経過で診たり、場合によっては、それまでの過去の他の病院での処方を全面的に再検討しないと、適切な診断と適切な投薬はできないものなのである。

 当然ながら、診断は適切でも薬の処方が不適切な病院、あるいは、誤診こそが問題で、もし誤診でなかったとしたら、その診断に「適切」といえる投薬をしている病院も多数みられることになる(得てして、診断と投薬の両方に問題がある)。

 例えば、前回述べた、双極性II型という診断が正しいのに、単極性うつ病と誤診されてきていたことを「長期的に」判断し、更に、躁鬱の波そのものを緩和する「気分調整剤」中心の処方に切り替えていくための投薬スキルが十分な病院は日本にどれだけあるか?

 地域差もあり、番組で描かれたとおり、医師の間でもこの点についての学会あげての研修が急速に広まりつつあるとはいえるが、「4つにひとつ(25%)」という数字を挙げてもまだ高すぎるという意見も出そうなくらいなのが現状らしい。

 仮にその地方で有名で、かなり大規模で、入院設備もある精神科の単科専門病院であっても、予想外にこうした状況にない。恐らく、評判もいい開業クリニックや専門病院のなかのごく一部+意外と無名な開業クリニックの一部に、こうした点で優秀な病院が散在しているというべきだろう。

 私が久留米でカウンセラーとして開業して、特にこの3ヶ月ほどの間に、主として福岡県南部=「筑後地域」、プラス福岡市南部を含めた領域から来談されたクライエントさんからの相談を受けて検討してきた範囲では、この点で、診断および薬の処方の面で順調と確実に判断できたケースは、今のところ、まだ多くはない。

 [第2版で追加] やっと、久留米フォーカシングカウンセリングルームにご連絡頂ければ、福岡市と久留米市の開業クリニック数件をご紹介できる体制を確保いたしました。

 特にここ数ヶ月、私が勉強を重ねた結果としての「現在の」私の知識水準(そこにたどり着く過程で勉強不足をこれまで何回か当ブログでも露呈したようにも思います)から振り返って判断しても、神奈川県横浜市南部と鎌倉市の境界(大船)で開業していた当時、この点で信頼おける病院に通う、(関東全域から)私のカウンセリングルームに来訪したクライエントさんは、何人かは、確かにおられたように思う。

 もとより、久留米に開業カウンセリングの地を移して、まだそうした「うつ病で通院中」のクライエントさんからの相談は10件程度の時点なので、もっと情報が集れば、そうした優秀な病院が徐々に発見できていくとは思っています。

 専門家の方・非専門家の方からを問いません、特に筑後地区でこの水準を満たす病院についてメールでの情報提供歓迎します。


******


 さて、日本うつ病学会理事長の野島総一郎医師自身が、番組の中で紹介している「医者選び、ここに注意」のリストを紹介しよう。

以下のような項目に当てはまる医師には要注意!!ということである。
(恐らく、うつ病に限らず通用する)

Nhkdep3

1.薬の処方や副作用について説明しない。

(野村氏の口頭による補足:「薬を渡す際に薬局で同時に手渡される薬の効能についてのやさしい解説文だけでは、医師自らがきちんと言葉で説明したうちには入りません


2.いきなり3種類以上の抗うつ薬を出す。

(抗うつ薬以外の抗不安薬や睡眠誘導剤まで含めると、もっと数が増えることもありますが、投薬初回において、抗不安剤も3週類、睡眠誘導剤2種類も同時処方となると、どの薬が効いているか、その薬が副作用なのか判断しようがないので、要注意!!)


3.薬がどんどん増える


4.薬について質問すると不機嫌になる

(患者さんからの訴えは感謝すべき貴重な情報のはずである!!)


5.薬以外の対処法を知らないようだ

(野村医師がここでいう、「薬以外の対処法」とは、薬も大事だが、お医者さん自身の話の聞き方、信頼関係の築き方なども、治療に大きな影響を当えている.....という、何とも初歩的な次元でのことを指す。これすら認識していない医師が現場にたくさんいるということである)


(第4回に続く)


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2009/03/09

双極性障害(躁うつ病)と単なるうつ病とでは薬の処方が全く異なる  -NHKスペシャル 「うつ病治療 常識が変わる」への感想(2)- [第5版]

 NHKスペシャルのうつについての番組についての感想、前回の続きです。

 番組上での構成の上では前回ご紹介した部分の直接の続きではなく、更に少し後の部分で言及される内容なのだが、重要な問題でもあるので、早めに取り上げたい問題がある。

 それは、双極性障害(躁うつ病)と、単極性うつ病では、薬の処方が全く異なるということである。

 番組の中でも、何名かの患者さんに関して取り上げていたとおり、この点での誤診→薬の処方の見当違いは、日本の精神医療の現場では、現在も非常にありふれたことなのである。

 これはなぜか? それは、たいていの患者さんは、うつ状態の時に受診なさるからである(当然のことですが)。

 双極性障害の中でも、典型例、つまり周期的に強い躁状態になる人については、周囲の一般の人も、それをうつ状態からの回復と誤解することは意外と少ない。

 番組ではこの点までははっきり描きだれていなかったので補足すると、周囲の一般の人も、その「不自然な元気のよさ」に漠然と違和感を感じることが多い。

 具体的に指標をいうと、

1.周囲の人は「元気になった、よかったよかった」と最初の頃は感じていたとしても、さほど立たないうちに、その人のノリにあわせていると、「妙に疲れる」と感じるようになる。

2.(これは番組の中でも映像で紹介されていましたが)その人と対話しようとすると、会話の途中で割り込む由がないくらいに、強引なまでにせっかちに一方的に話し続けようとする(ただし、そうした傾向は、以前の普段のその人にはあまり見られなかった場合)

である。

 一般の人でも、こうした「躁状態」が、例えば基本的にはうつ状態の人が、周囲に心配をかけまいとして「元気そうに振舞う」場合とは区別でき、似て非なる、独特の「不自然さ」があることに気づけるようになることはさほど難しくはない。

 ご本人も、そうした「不自然なまでのルンルン状態(人によってはムカムカ状態)」について、あとから振り返ってならば気がつけ、自覚できる場合も、実は結構見られる。


*****


 ところが、双極性障害には、大きく分けると実は二通りあるのである。

目に見えて顕著で、周囲の人を巻き込み、社会活動の面でも様々なトラブルが生じかねない域の、顕著な躁状態と、重いうつ状態を反復するという形で大きな躁鬱のうねりを周期的に繰り返すタイプ....「双極性I型

●いい時でも、せいぜい軽い躁状態、場合によっては躁でも欝でもなく、まさに欝病からいい形で回復したかに、ご本人も家族や友人にも特に違和感なく感じられてしまう状態と、うつ状態を、周期的に繰り返すタイプ......「双極性II型

 実は、今回の番組で取り上げられていたのは、この中の後者のタイプ(II型)の患者さんである。

Bp2a_3

 そして、現在では、実はこの双極性「II型」と診断するのが適切なケースの方が、実は「I型」よりもかなり多い可能性があるように思われる。

 【以下、第2版で増補-1】

 番組では述べられていなかったが、私が開業カウンセリングの現場でクライエントさんから通院・服薬歴をうかがった経験からすると、実は、この「双曲II型」の人の中に、調子が上向いた時に、軽欝ですらなく、ほんとうに「通常の状態」ぐらいまで回復したかに見えるというサイクルをお持ちの方も多い。特に、うつ状態のときに通院を開始し、しばらく立つと調子が良くなった気がしたので、服薬も通院(入院)も自分の判断でやめてしまい、しばらくたつとまた欝状態になったので、今度は他の病院を訪れるということを、1年ないし数ヶ月の間に2回以上繰り返された皆様は、実は「隠れ双極性II型」なのに、病院をどんどん変えていくので医師にも気づかれにくくなっている場合が少なくないと思われる。

 医者の方が初診の段階で過去の症状の変遷と服薬歴を丁寧に問診する習慣があればある程度までは防止できる可能性もあるが、この際、他の病院で受診再開されたりセカンドオピニオンを求めに行かれる場合は、ご自身で、前もって症状の変遷と当薬歴を時系列的に具体的にリストにして紙に書いて持参し、医師に読んでいただだくという形の自己防衛策をお取りになることをお勧めしたいくらいである(そうやって、せっかく書いてきた診断→当薬歴をその場でぞんざいにしか扱わないお医者さんは「論外」、お代えになった方がいいかもしれない。

【以上 第2版増補-1 終わり】


*****


 更にいうと、この中の双極性II型の方は、相当に経験がある精神科医ですすぐには気づきにくいのである。つまりある程度長い経過をみて、はじめて判明することが少なくない。

 現在の日本の精神医療の現実では、一日の通院患者を、精神科医ひとりあたり50名以上抱えておりというのはごく普通なので、初診の際にすら、20分以上患者さんや家族の方から、それまでの経過をじっくりとの聴く時間が取れない場合が、恐らく過半数である。

 もちろん、技量の優れたお医者さんだと、そうした限られた時間の中で、双極性I型かII型か、あるいは単極性の欝病なのか識別するための効果的な問診をコンパクトで効果的な形で初診でおできになることは少なくない(ただし、そうしたお医者さんにめぐり合える確率が50%あるかどうか、現状では疑問である)。

 そして、そうした対応に習熟したお医者さんですら、こうした職人芸だけでは短期間で鑑別できないことも少なくないくらいに、一般的に言って、鑑別診断は実際難しいのである。

 番組の中でも紹介されたが、日本ではなくて、アメリカにおいての統計でも、この「双極性II型」を通常のうつ病と誤診する率は37%とたいへん高い数値を示している。

Bp2d_2

 私個人も、日本でも、特にこの1,2年ほどの間に、こうした誤診と投薬処方の間違いの問題が、精神科医の間で大きな話題になり始めているとはきいている。

 その理由のひとつは、番組の中でも指摘されていたように、患者さんが医師の前で短時間の間に示す態度というのは、立場上の上下関係にあるため、「お医者さんに気に入られたい」という当然の思いから本音そのままではないことが多いということもある。

 何しろ、番組で紹介されていた例ですら、臨床心理士やPSW(精神保健福祉士)など、様々な専門性を持ったスタッフがチームとして連携できる体制を十分に持った病院で、更に、通院のうつ病の患者さんたち同士のクループ活動(デイ・ケア)も院内で催している病院でもあり、そのデイ・ケアのスタッフとして立ち会っていたPSWの人が、その「うつ病のためのクループ活動の中での」患者さんのやる気まんまんのふるまいそのものに違和感を感じて、お医者さんに報告したることで、かろうじて、やっとのことで(単なるうつ病から)双極性II型への診断の変更のきっかけになったという例である。それくらい、的確な診断は難しくてたいへんだということになる。

 番組の内容からは踏み出すが、私が思うに、臨床心理士やPSWやケースワーカー、保健士、看護士、デイケアスタッフなとを単にそろえているだけで安心とはいかない。実は、そうした様々なスタッフが、ひとつのチームとして十分に機能するまで練り上げられていない病院も、現段階では過半数の可能性が十分にある!!

 .......ここまで指摘してもこのブログに苦情が入ることは恐らくないと断言できるくらいに、医師を含む現場専門家の間ですら知れわたっていることであろう。もしこのブログをお読みの欝の患者さんで、そうした多角的な病院のアプローチが役立っているという実感をお感じの皆様は、幸いにして、(かなり控えめにいって)いい方の3分の1の病院にめぐり合えたということであろう。

 私の知る限り、例えば病院臨床の現場で働く臨床心理士の皆様のなかにも、自分が「まるでカウンセリングも受けたいという患者さんのニーズにこたえるためだけに」雇われているみたいで、(つまり、自分のところに「まわされて」来る患者さんは、いわば、ホテルにおけるマッサージ師のサービスのような存在に過ぎす、病院の経営的見地からの「接客業的」な追加料金が必要な「特別オプショナルサービス要員のように本音では感じていて、、お医者さんに専門性を持った「チームの一員」として認められているとは感じていない方は少なくないと思う。

 もっぱら心理テストや心理検査のためのスタッフとして雇われている臨床心理士の方も、「現実には、精神科医の先生の多くが、診断や治療の上でそうしたテストや検査の結果を、ほとんどあてにしていない」のが普通ということをお感じになっておられると思う。ロールシャハ検査などの「へヴィーな」検査は、ひとつ間違うと、患者さんに大きなストレスを与え、病状を悪化すらさせる危険ももあるといったマイナス面も考慮して、個別かつ慎重に、検査を実施するかどうかそのものを判断すべきというのは、もはや専門家の間の常識だろう。

 もっとも、発達障害や知的障害、児童臨床や、老人認知症に力を入れている病院では、心理検査を大事にし、有効活用している病院も比較的多いかと思えます。なぜなら、こうした領域だと、心理検査が役立つことが実際に多いからです(^^)。一般にあまり知られていないかもしれませんが、殊に神経症や統合失調症、欝病などの診断に、心理検査は必要ないと感じている精神科医が大多数です。そしてそれは、お医者さんの側の認識不足などでは決してなく、「患者さんに負担をかけ、治療に悪影響を与えるリスクを天秤にかけると、手間がかかる割には診断や治療には役立たない」というのが、本当に臨床現場で有能なお医者さんのかなりの部分の本音であり、それは現場臨床的に見てかなりの程度真実でもっともであると私も感じています。 例えば、

●kyupinの日記(精神科医のブログ)

の中の「臨床心理士」というカテゴリーでkyupinさんがお書きの一連の記事の内容、熟読していくと、臨床心理士の私にですら十分共感したくなる一面があります(^^) ただ、kyupinさんが


>このように、心理療法士と僕のように薬物療法を重視した精神科医は、かなり住んでいる世界が違うのである。


とまでお諦めにならないで欲しいなあ.....と私は感じています(^^)。


*****


 話題がかなり、病院臨床に携わる臨床心理士の役割を多くのお医者さんはどのように見ているかの現実の方向に脱線しましたので、そろそろ本題に戻りたいと思います。

 実は、双極性気分障害全般において、その人の欝状態がひどくなった時期には、単極性のうつ病と同じような、いわゆる「抗うつ剤」(三環系、四環系、SSRI)が処方されることもあります。

 しかし、現在の精神科薬物療法においては、双極性障害の場合、躁うつの周期的な変化がどの状態にあろうと一貫して処方され続けるベーシックな薬は、「気分安定薬」と分類される薬物なんですね。「感情(気分)調整剤」「気分スタピライザー」などどいう言い方もなされます。

 具体的に言いますと、日本で認可されている薬の中では、リーマス(=リオマチール)、デパケン(=バレリン =ハイセレニン、いわゆるジェネリック(後発薬)まで含めると、エスタブル、セレブをはじめとしていくつかの商品名があります)、テグレトール(=テレスミン、レキシン)という、基本的にはたった3種類の薬のみが、今のところ「気分安定剤」グループです。

 恐らく一番の多数派は今ではデパケンでしょう。 リーマスは、有効血中濃度を一定水準に維持するための定期的な血液検査が並行してなされているのが望ましく(デパケンでももこの測定を行なう病院もありますが)、デクレトールは、薬があう人とそうでない人の個人差が大きいとのことですし。

 この「気分安定薬」は、単にうつ状態を持ち上げようとしたり、躁状態を緩和させるだけではなく、躁鬱の周期的な波の振幅そのものを、まるでうねうねした曲線線を両側から引っ張って中庸のまっすぐに近づけようとするかのような薬、つまり、躁鬱の波全体を沈静するような働きがあります。


**** 


 ところがそもそもこの「気分安定薬」という分類名そのものが、一般の皆様や、数年以上前に精神科の薬について学んだっきりの、かなりの部分の臨床心理士にとってすら、誤解を招きやすいところがあります。

 まずは、「精神安定剤(トランキライザー)」という、実は現在の薬品分類では正式にはもはや使用されていない分類と誤解されやすくなる。

 かつて「メジャー・トランキライザー」と分類された薬は、統合失調症傾向がある患者さんに処方されても、躁うつ病やうつ病の患者さんに処方されるケースは例外的でした。この種の薬は現在「抗精神病薬」と分類されています。

 同様に、「マイナー・トランキライザー」と分類された薬は、もっぱら「神経症圏」の患者さんに処方されるものでした。実は「神経症圏」のうつ状態にも処方されることが現在でも少なくないので、話が更にややこしくなるのですが、この種の薬は、現在「抗不安薬」という名前で呼ばれています。

 ところが更に、「気分安定薬(調整剤)」という名称を、「抗不安薬」の別の言い方であると、一般の人が誤解しても、そうした皆様を責められないではありませんか!


(↑一家に一冊最新版を!!)


*****


 実は、単極性うつ病、ないし双極性感情障害のどちらの場合にも、補助的に「抗不安薬」(、あるいは「その他の抗うつ薬」に分類されるデジレル=レスリン=アンデプレ笠陽一郎氏によれば「抗焦燥剤」。多くの医師はうつ状態の人の眠剤代わりに、他の抗うつ剤の補助という形で処方される))が同時に処方されることはごくありふれています。そして、それが実際に効果的という患者さんもたくさんいます(処方が不適切な場合も少なくないようですが)。

 より具体的には、例えば双極性II型が適切な診断の患者さんに、デパケン(気分安定薬)とデパス(抗不安薬)の二種類が処方されていることは、ごくありふれて見られ、そうした投薬が治療の上で実際に効果的という患者さんはかなりの数にのぼるかと思います。

 同様にして、単極性うつ病が的確な診断の患者さんに、パキシル(SSRI)とデパス(抗不安薬)が処方されていることはありふれていますし、その処方に効果を実感している患者さんもたくさんいるはずです。

 (なお、デジレル(=レスリン)とパキシルはやや効果を打ち消しあう面があり、デジレルとジェイゾロフト(=サートラリン)の組み合わせの方が、朝の目覚めのすっきりさとそれ以降の穏やかさが見事なブレンドになる場合も少なくないようです。特に女性)。

 ところが、本当は双極性II型の診断がふさわしい人が、当初単なるうつ病と診断されるリスクはある程度止むお得ないことは、すでに述べたとおりです。恐らく本当は単極性うつ病と診断されるべきなのに双極性II型と「誤診」されるという逆のケースの方はそんなに多くないと思いますので、問題は、双極性II型のはずなのに単極性うつ病と「誤診」され、更に、通常の抗うつ薬が(うつ状態のひどい時の補助程度ではなく)ベーシックな主剤として処方され続けた経歴はあっても、気分安定薬をベーシックな主剤としては全く処方さた経歴のない患者さんの場合です。

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 今回のNHKスペシャルの一番画期的なところは、こうした誤診→薬剤の誤処方が実際になされるとうなるのかという典型的な実例について幾例も取材し、更に、的確な図版も用いて、実に説得力ある形でレポートしたことにあるのではないかと私は感じています。

 結果は、時がたつにつれて、うつ状態が長引き、軽い躁状態でいられる期間が短くなるばかりか、欝の時期に入る度に、一層欝状態がひどくなるという悪循環がどんどん進行していくのです。

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 【以下、第2版で増補-2】

 特にパキシルの場合、最初に服薬してからかなり長期間,、躁状態に転じる危険が他のSSRIよりも高いといわれています。これは双極性のみならず単極性のうつ病の場合でも診られる傾向です。

 この番組の中でもさりげなく付言されていましたが、むしろパキシル投与が引き金となる形で「双極性障害II」が発症してしまう危険すらあるようです。

【以上 第2版増補-2 終わり】


*****


 これと類似したケースを、「メンタルクリニック.net」の猫山司医師は、

● 「双極性障害(躁うつ病)の診断と治療 ―典型的な治療失敗例(疑)を通じて―」

と題する10回以上の長期連載記事で詳しく解説しておられます。

 開業カウンセラーである私自身、久留米で開業してから以降に限定しても、おふたりほど、まさにこうした疑いがあるクライエントさんに実際お会いしました。

 そのうち一件については、新たに紹介する病院に向けて、これまで、欝が軽快したと感じるたびに医療を中断し、再び欝になったら別の病院を受診するということを繰り返していた、それまでの数年におよぶ長大な治療暦を、各病院における具体的投薬も列挙して(結局、「気分調整薬」を処方されたことは一度もない!!)、かなり長い紹介状を、クライエントさんの同意のもとに共同で作成しました。

(もちろん、双極II型と診断するかどうかはお医者様にお任せすることを、丁重にしたためました)。

 私は、こうしたことまでなら、臨床心理士が医療に向けて情報提供しても僭越ではないと確信しています。


(第3回に続く)


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2009/03/07

NHKスペシャル 「うつ病治療 常識が変わる」への感想(1) [第2版]

 さて、直前の記事で予告した、この内容への感想を、今、本放送時のHDDビデオレコーダーで再生して、細かいポイントを再確認したので、本格的に書いてみよう。

 この番組には、ゲストとして、日本うつ病学会の理事長である野村総一郎医師以外に、自身が10年前に軽度のうつ状態を体験したという、政治学者の姜尚中(カン・サンジュン)氏、そして、欝体験(および、欝を家族として支えた体験)を持つ3名の一般市民の方をスタジオに招かれている。

 この番組の特徴は、日本の精神医療における欝治療(特に薬物療法)の危なっかしい側面を、恐らくこの種のテレビ番組としてはこれまであまり描かれたことがなかったくらいにつっこんだ次元で、説得力ある形で、しかし、感情的な医師悪玉論や偏見に満ちた薬物療法批判にはならない形で、クールに描き出したことであろう。


*****


 番組の最初には、欝の治療が何年にも及ぶまま成果が出ないような患者さんに、実は症状を悪化させすらする形でしか薬物の処方がなされていない場合がかなり含まれるのではないかということについて検証していく。

 先述の野村氏が指摘するのは「薬を増やせば症状を抑えられる」という誤った認識が現場の医師の多くにあるのではないかということである(この番組では明言されていないことを補足すると、いわゆるSSRI(セロトニン再取り込み阻害薬)の場合、「用量依存性」は少ない、つまり、量を変えても効果の変化が少ないという性質を持ち、原則として単剤を、徐々に増やしたりせず、最初から一定量ドカンと処方するのが適切とのことである。徐々に増やすというやり方で、薬が身体になじんでいるために、増やした分だけの効果増強は実は出なくなる。それなら最初からまとめて出す方が効果があるということです)。

 これは同じ薬のだけではなくて薬の種類にも及ぶものであり、極端な場合、初診の段階から数種類以上の薬を出すことももあるというのでは、どの薬が効いていて、どの薬の副作用が生じているのかがわかりようもなくなるはずということが指摘されている。

  野村氏は、「抗うつ剤の処方は単剤処方が原則.....少なくとも3種類以上同時に抗うつ薬を処方するのは回避すべき」と明言する。

 (ここで、「抗うつ剤の」処方は、と書かれている点に注意。うつの人に出される薬全体のことではない。。双極性障害(躁うつ病)でないうつ病に関していえば、抗うつ剤、抗不安剤、(不眠があれば)睡眠導入剤の3種類が同時に処方されることはかなり一般だろう。これらの中の抗うつ剤ジャンルだけで3種類はまずあってはならない、ということである。私見では、抗うつ剤2種類以下、抗不安剤2種類以下、睡眠誘導剤1種類、しかもこれらトータルで4種類以内でまとまっている処方なら、そこそこ適切であることが少なくないかと思う)。


*****


 私が臨床心理士として開業していて現段階で一番多く受けている相談は、実は「うつ状態で長年通院して薬物療法を受けているが、医師の処方に疑問を感じ始めた」という皆様である(実はこうして久留米に居を移してからいよいよ比率が高まった)。

 もとより、精神医学的な診断を正式にできるのは医師のみであり、薬物の処方は医師にしかできない。しかし、カウンセラーが一定以上の水準の薬物療法についての認識を持っていることは、現場臨床において不可欠であると考えている。医者と患者さんのコミュニケーションが良好で効果的なものになるための実践的アドバイスをしていくスキルを、現場の(特に)開業カウンセラーは十分に身につけておく必要があるはずだ。

 この件については以前にも書いたが、現段階での私の考え方は、それを書いた当時よりもかなり踏み込んだものになって来ている。つまり、前の記事では「薬についての知識がそんなになくとも」と書いていたが、今の私は「カウンセラーでも、かなりの程度の知識があったほうがいい」と考えるに至った(もとより、お医者さんを横槍を入れられたと怒らせたりしない形での伝え方のコーチというのも、そうしたコミュニケーション改善のためのアドバイスのスキルの重要な一部である ^ ^;)

 鬱に関していえば、例えば、SSRIの中でよく処方される「抗鬱薬」に、ルボックス(=デプロメール)パキシル、そして最近はジェイゾロフトがある。これらの薬は、基本的にはSSRIであるにもかかわらず、欝に対して共通の働きの面も大きいのだが、消化器関係の副作用がまるで正反対なのだ。

 個人差はあるが、一般的に言って、ルボックスとジェイゾロフトは体重増加を招きにくいのに対して、パキシルは体重増加を生じやすい。パキシルは、便秘がちになりやすいばかりか、ストレス解消のための無茶食いを喚起しやすいようにも思う。これに対して、ジェイゾロフトの副作用としての展開中の典型は下痢と食欲低下ということになる(人によってはほんとうにひどい下痢が続くこともある)。

 だからといって、これらの正反対の薬を一緒に飲めばお腹の調子がちょうど良くなるなどというふうには都合よくいかない。薬の効き目や副作用はは単なる足し算引き算では説明できないことが多い。同時に飲むと「相互作用」を起こし、思いもよらない副作用を引き起こす可能性も高い直前の記事で紹介した笠陽一郎医師は「ルボックスとパキシルを同時処方するなどもっての他」と、ご自身のサイトで辛口コメントしている(前述の、今日日本でSSRI系の抗うつ薬として使われている3種類についての笠医師の比較がこのページにある)。

(もとより、効き目には個人差がありますから、併用処方で欝が改善し、消化器系もバランスが保てている患者さんを不安に陥れるつもりはありません!)。

 かといって、例えばジェイゾロフトを処方されて下痢になった3日目にゾロフトの処方をいきなり中止して、更には別の抗うつ薬に切り替えてしまうお医者さんがいたとしたらこれまた疑問符だと思う。投薬最初期のみであっさりおさまる副作用もあるわけだし、まるで患者さんの「注文」のままに目先の苦痛除去をしていくことが治療であると勘違いしておられるのではないかと想像したくもなるお医者様もおられるからである。

 ひどい場合には、患者さんと見解が対立すると、両者の考えに沿った薬物をどちらも同時に二重処方し、「好きにしたら」と様子をみる、患者さんに博打を打たせるお医者様も現実にある。「お持ち帰り用ケーキバイキングコース」あるいは「闇鍋」ではないのだから、仮に2つの診断仮説の薬を全部同時に飲む患者さんがいたらたいへん危険だと思うのだが。こうした場合と、「頓服」というはっきりした服用指示があるというのは全く異なることではないか。

 一般論とすれば、副作用止めを同時に出すことは、できればなしで済ませられるに越したことはないとはいえる。しかし、殊にご本人が、主剤の抗うつ薬について、「欝の軽快には効果があるみたい」とすでに実感していた場合、薬理学的相互作用を起こしそうにない消化剤や止瀉薬を出したらバランスが取れたというのであれば、それはそれでそこそこ現実的というケースもあるはずである。この点は抗不安薬などの副作用止めを「安易に」幾つも出す場合ほど弊害はないと良心的な医師なら考えるだろう。

 2週間ぐらい経過を見てはじめてその患者さんの身体に安定した薬理作用が生じるよう薬も多いのである。ジェイゾロフトの場合、数週間単位で経過を見ると、欝の改善につれて、いつの間にか止瀉薬を飲まなくても下痢をしにくくなっていく患者さんも少なくないようだ。

(患者の皆様、こうした場合も、市販薬に自分勝手に頼らず、精神科や心療内科の医師に、通院予定日を繰り上げてでも診断を受けたうえで消化剤や止瀉薬を出してもらう方が、適切な薬を調合してもらえる可能性があるかと思います。保険適用で安価になるはずですし)。


**** 


 さて、抗うつ薬の併用や徐々に増加させていくことの弊害についてて、番組の中で、野村医師は、図版を示しながら、次のような説明をする。

セロトニンが増えすぎても問題を起こすことが多いのです。今度はドーパミンが減り始める。そうなると、その人は無気力になる。それを医師が欝の悪化と誤解して更に抗うつ剤を処方するという悪循環に陥る」

Nhkdepression1

 こうして、単に無気力になるばかりか、記憶が抜け落ちたり、倒れたりなど、患者さん自身ははいよいよ苦しい心身の不調に苦しむことになるわけです。

 (この点について補足しますと、以前にも書きましたが、重度の欝というのは、実は「無気力」な場合とは、程度の違いだけではなく、かなり異なったの体験であることを患者さんは実感上識別できる場合も多いのです)

 私は薬の専門家ではありませんが、SNRI(セロトニンおよびノルアドレナリン再取り込み阻害薬)や三環系・四環系抗うつ薬のいくつかにおいて、体内でにドーパミンを産出するために必要なノルアドレナリン再取り込み阻害という効果がある薬が少なくないのも、単なるセロトニン再取り込み阻害だけではドーパミンが減り出してしまうことを前もって計算に入れている面があるのかもしれないと個人的には感じました。

 更にいえば、現在日本で認可された最新のSSRIであるジェイゾロフトに、実はこのドーパミンの減少を抑止する作用もあることは、ネット上の薬情報のサイトではあまり書かれていないことのように思えます。このことに言及しているのは私が見つけた範囲では、wikipediaでの記述のみです。

> セルトラリン(=ジェイゾロフト)の一つの性質は軽いドパミンの再吸収阻害効果である。
 
 この記述を素直に読むと、効能の上で、ジェイゾロフトにはSNRIにも通じる隠れた作用があるようです(日本で認可された唯一のSNRIとしてのトレドミンは、次第に医者の間でも次第に評価が下がっているようですが、その一方、日本でもこの1年ぐらいの間にジェイゾロフトの評価が高まり、ネット上の記事も一気に増えたのは偶然でしょうか?)

 私のお会いした人の中には、「パキシルからジェイゾロフトに薬が変わったことによって、寝覚めのすっきり度が目に見えて変化した。ただし以前に比べると、食べ物をおいしく感じられなくなったし、無理をして頑張ることもできなくなった」などと表現した人もあります。


*****


 更に最新情報を書きますと、すでに時代はSSRIやSNRIの先に進みつつあります。NaSSA(Noradrenergic and Specific Serotonergic Antidepressant ノルアドレナリン作動性・特異的セロトニン作動性抗うつ剤)という新しいタイプの抗うつ薬が、日本でも2011年の商品化を目指して治験中のようです。

 このことについて詳しく言及している日本語の記事は、今のところ

●新型抗うつ剤「NaSSA」販売で、明治製菓と日本オルガノンが契約(「うつ病ドリル」サイト)

●NaSSAの利用(教えて!goo)

.......この2つしかないようです。

(【注】.....日本語サイトで”NaSSA”を検索すると、現状ではしっかりした説明文はこのサイトにしかないので「紳士的に」サイト名を示し、リンクも張りましたが、この「うつ病ドリル」サイトは、うつ関連の多様な情報サイトのように見せかけつつ、実際には、すべてのページの一番目につく箇所に、ある特定業者からサプリを購入するように仕向ける強迫的なまでの仕掛けを持っており、この点で、うつ関連サイトの中では「問題サイト」であると私は判断しています。実は、この執拗な繰り返し構造そのものが、実はうつに悩む人を商品を買うように誘導するために受けさせる「ドリル」なのかもしれない(^^;)サプリそのものがうつ改善に役立つ人も少なくないことは確かなようですが、手法が悪辣です。ちなみに、私があるクライエントさんから聞いたことですが、このサイトの掲示板にまじめに批判的なことを書いたら即刻削除されたとのこと!!)。

 前者によれば、

>NaSSA (ミルタザピン)とはセロトニン・ノルアドレナリン両対応の薬だが、SNRI とは違って再取り込みを阻害するものではない。センサーをだましてセロトニンとノルアドレナリンの備蓄を放出させる薬。

>具体的には、セロトニンがどれだけでているかのセンサー(α2ヘテロ受容体)と、ノルアドレナリンの同様のセンサー(α2受容体)をふさぎ、セロトニンやノルアドレナリンが出ていないと錯覚させる。するとセロトニンやノルアドレナリンの備蓄が出てきて濃度を上げようとする。

>また、セロトニンに関して言えば精神安定に作用する5-HT1という受容体にセロトニンが結びつきやすくするために、5-HT1以外のセロトニン受容体をふさぐことでセロトニンが5-HT1へ流れていく確率を上げる(セロトニン受容体は14種あることが分かっているが、5-HT1以外の13種全てをふさげる訳ではない)。
つまり、再吸収口をふさぐのではなく、うつ病に関係しない受容体をふさぐ


 ・・・・・つまり、この新薬は、セロトニン濃度を「実際に高める」のではなくて、出ていると「錯覚させる」。これにより、セロトニン過剰によるノルアドレナリンの減少という副作用をなくすことを狙っているわけですね。
 夜先に述べた、番組内での野島医師の発言は、こうした今後の展開をご承知の上でなされているものかと推測します。


*****


 このエントリー、思ったよりかなり長大化してきたので、ここで一度区切って、連載にしたいと思います。

(続く)



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NHKスペシャル 「うつ病治療 常識が変わる」、本日13時半からBS2で再放送

 NHK総合で先週日曜日夜に放送されたこの番組、NHKスペシャルという枠としてはかなり大胆で踏み込んだ、本音の問題提起をしている内容だったと思っていました(確か1時間15分ほどの長さです)。

******

 もっとも、恐らく、インターネットで最良質の欝に関するサイトを掌握しておられる方にとってはご存知の内容かと思います。

 例えば、この番組の中盤で取り上げられている、鬱病と双極性鬱病(と境界例人格障害)の鑑別診断が十分できていないと、投薬そのものが全く見当はずれのものになり、症状を悪化させるという問題については、

●メンタルクリニック.net(by 猫山司さん)

 特に「双極性障害(躁うつ病)の診断と治療 ―典型的な治療失敗例(疑)を通じて―」と題する10回以上の長期連載記事で詳しく述べられている内容と共通の視座に立つものです。

 また、同じ患者さんに対して、医者によってどれだけ投薬内容が異なるか、あるいは、一度に多くの種類の薬を出し過ぎることによって、どの薬が効果を上げて(副作用を生じて)いるのかわからなくなってしまっていることが少なくない点については、

●毒舌セカンドオピニオン(by 笠陽一郎さん)

でも取り上げられて来ています。

 このNHK特集は、映像やグラフを含めて、これらのサイトで述べられてきた諸問題を更に補完する内容を数多含んでいますので、欝の問題に関心のあるすべての専門家や患者さんに必見のものだと思います。

*****

 もっとも、この番組が誤解を与える可能性、描き切れていない側面などもある気がしています。それらを含めて、詳しい内容について、できれば本日中に追加アップしたいと思います。


●関連記事

* 5分診療の神経科・心療内科の現実といかに対処するか (久留米フォーカシング・カウンセリングルーム)



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2009/02/07

欝状態になれた=やっと自然治癒のプロセスが始まった?

 そもそも欝の「本質」とは何か?

 当ブログを代表する記事である、「この」記事の進化形を書いてみようかと思う。

 実際に欝になった人の少なからぬ部分は、それ以前に自分が予想していた「うつ病とはこんなもの」というイメージとは何か別次元での状態になった時に、医者から「欝」の診断が下ったことに当惑する.......という経験をしているはずである。

「へえ、これが欝なの?」

 つまり、それまで欝という言葉から想像していた「落ち込んだ状態」や「物事に悲観的になる」状態が、強烈かつ持続的になったもの......というには何かまるで別の次元での心身の状態なのである。

 恐らく、それまでどれだけ専門的な勉強と臨床経験を積んでいても、欝のクライエントさんや患者さんと面接を重ねていたカウンセラーや医者自身が実際に欝と診断される事態に至って、我が身に生じた事態に「自分はこれまで欝についてほとんど何もわかっていなかった」といいたくなるケースも少なくないと思う。

 そういう診断を受けるまでは、その人は自分のことを「結構元気に活動し続けてきた」と感じていることすら多いはずである。後から振り返ってみれば、つらさや無理というものを実感できていないまま突っ走ってきたと感じる人も多いだろう。

 「欝」と診断されて、医者からともかく休めと勧められ、休んでも雇用保険をはじめとする諸制度によって当面の収入はかなりの程度まで維持されると知って、実際に休み始めてみたら、ブレーカーが一気に下りて、途端に「動けない自分」に豹変してびっくりすることもあるだろう。

 私は、そうやって療養のための休暇をとり始めた1日目に、リビングで座っていて、椅子から立ち上がれば1,2歩でドアに手が届く冷蔵庫の中に確かバナナがあったはずと気がついて、バナナを取り出そうと朝から思い続けていたのに、「眠たくなる」というより、座ったままいつの間にか「意識が遠のいて」いて、意識が戻るとその度ごとに時計が3時間も4時間もいつの間にか過ぎていて、気がついたら、冷蔵庫の扉を開けないまま、即日の朝まで、同じ姿勢で24時間座ったままだった、忘れられない経験をしている。

 「これは疲れとか無気力とか落ち込みという言葉では全然実感とフィットしない。身体と意識が以前とは全く異なるモードに入ったようだ。欝ってすげーなー」

.......などと、不思議な冷静さの中で静かな感慨に浸った。

 「心身のブレーカーがいきなり見事にoffになった」

 感情の高ぶりとか絶望とか自己嫌悪とか落ち込みといった、「感情(emotion)」や「気分(feeling)」の次元での変化は何も感じなかった。欝とは「こころ」の変化ではなく、全身の「身体的な反応」なのだ、ということを、ひどく醒めた感覚の中で体験していたように思う。

 重い欝状態とは、実はそれまで麻酔がかかるようにして麻痺していた心身の疲労と消耗についてのセンサーの麻酔が切れて、一気に身体次元で冬眠状態にスイッチングするようなもの。そう感じた。

 つまり本当の障害は、無理を無理と感じ取るセンサーの故障そのもの。自分がいつの間にか「非常事態切り抜けモード」とでもいうか、動物が、短期間なら、生き残りをかけた「闘争と逃走」のために発揮できる「火事場のくそ力」状態を、日常的な普通の状態だといつの間にか感じる「異常事態」に、長期的・慢性的に入り込んでいたことそのものではないのか?

 ある意味で、その反動として「欝になれた」ことは、その「無理を無理と感じない」という異常事態(disorder)からの自己治癒的回復過程が、生体の恒常性の摂理としてやっと作動し始めたということでもあるのではないか?

 ストレスの結果として「脳をはじめとする中枢神経系の心身症状態」が欝なのであり、癌や脳梗塞や心不全や消化器官の障害などの「身体の心身症」になった場合よりは幸いなのかもしれない......とも。

 動物がこれと近い状態になったら、恐らく、「元気がなくなり」、活動量を減らして、捕食活動すら抑制して、じっと休息している時間がぐっと増えることが自然と生じるだろう。動物の睡眠時間は人間よりもたいてい長い。犬や猫にしても(特に家の中で変われている場合)、ほとんど20時間近くの睡眠時間を持つらしい。

 ところが、農耕社会になって以降の人類は、日が高い間は規則的に一定の労働をし続ける社会に順応するしかない状態に置かれた。そうした中で心身に無理をかける状態こそが「適応状態」であり、欝という「まったく自然な自己治癒的生体メカ二ズム」が不適応な障害として捕らえられるようになった。

 「人は、欝になったことについて欝になる」

 欝になった自分とのつきあい方について「欝」になっていく。

 前者の「欝」と、後者の『欝』は、実は内実が異なるのだが、その次元の違いごた混ぜに体験しているのではないか。

 あるいは、欝の「症状」と呼ばれるもののかなりの部分は、一度欝という名の「自然な休息状態」と、規則性を尊ぶ人間社会との折り合いをつける際の軋轢から生じた「二次症状」に過ぎないのではないか。

 もしそうした「二次症状」の部分をうまく解決できたら、「欝状態」そのものは、意外なまでに静かで、淡白なまでに淡々とした、治癒(軽快)に向けてのプロセスとしてを経過するものなのなのかもしれないと思う。

 私の見たところ、例えば、「自殺念慮」というのは、「二次症状」に過ぎないと思う。これに対して、朝が、まるでコールタールの中に浸かって動き出そうとするような心身の重さ、鈍さとして体験される一番つらいひと時となる「日内変動」というのは、睡眠の後で覚醒して、日の光を浴びてはじめて徐々にじっくりと増えていくらしいセロトニンの分泌のメカニズムに一致した本質的な側面かもしれない(非定型における「午後の方がつらい」というのは、夜の眠りの浅さの結果として生じる「遅延した」事態であるに過ぎないのではないか?)

 自分にとって自然な作用がある薬と出会え、医者への自然な信頼関係を持て、一人でいいから心を許せる(できればプライベートな)他者との絆、そこに寝心地のいい睡眠をたっぷりとる方向に自分を徐々に導ければ、欝は自然治癒する。

 自分を一種の「過活動」に連続的に追い込むことで強引に脳内のエンドルフィンやドーパミン、ノルアドレナリンや身体全体の乳酸を過剰に高濃度(しかも、セロトニン不足による、不安定で不均衡な状態)をキープして、心身の無理についての感覚センサーを麻痺させる悪循環の回路への繰り返しの依存(一種の脳内麻薬慢性中毒状態)こそが、恐らく「いわゆる欝」の本体だと思う。

 心身の無理の度合いをセルフモニタリングする心身のスキル、および自分で自分をリラクゼーションさせるスキルを、以前のものからかなりバージョンアップできれば、再発防止(少なくとも以前よりもしなやかに付き合える状態への移行)にもなるだろう。

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 「非定型うつ病」という診断名への違和感についても書きたかったのだけれども、これは今後に回すこととしたい。一言で言えば、「非定型」というのは、DSM-IIIまでのように、どのようなタイプにも当てはまらない場合にのみ用いられるべきで、DSM-IVのように、ある特定の病型を具体的に定義するために用いられるべきではないと思う

 それにしても、「過眠」という概念については、睡眠時間の長さの問題ではなく、本当は「質の良い睡眠を取れないので、睡眠の質が浅いままずるずると長引く」状態なのである。そのような睡眠になることは、「質を量でカバーする」という自然な生体の戦略ですらあるのではないか。ナルコレプシーでも睡眠時無呼吸症候群でもなく、更に「特発性」でもない場合、「過眠はよくない」というとらえ方はいよいよ悪循環を生み出すのみだと思う。「短くしよう」という努力は不毛なものだろう。

 一方で、「ああ、すっきりとした眠りを取り戻したい!!」と感じる自分も静かに受け止め、他方、欝が寛解すればいつの間にか自然と短くなるだろう、のというくらいに、「あるがままに」過眠を自己受容できるぐらいでよかろう。

 実は、このことは「不眠」についても同じようにいえることかもしれない。

 「深く、気持ちよく眠れた」という後味を残すのであれば、長時間の睡眠はむしろ回復過程が相当順調に進んでいることの典型的な証しではないか。深く、気持ちよく眠れる度合いが増せば、人は、昼間は結構起きてしまえるように自然となる気がする。

 症状を消そうとすることが、即、治癒につながるわけではないはずである。それは、かさぶたを繰り返しはがすことが傷の治癒を促進すると思い込むようなものだ。単に「規則正しい睡眠」をすれば欝は改善するわけではない。「そこそこ規則正しく」というのは、欝の回復が相当程度進んでからでも遅くないのではないか。睡眠についての強迫神経症状態(?)というか、絵に描いたような「理想化された睡眠」を追求する完ぺき主義とその挫折の悪循環という二次的症状に陥り、堂々巡りるする状態にはまり込むようでは、欝の治療過程としては袋小路なのだと思う。

 
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