抗うつ薬で眠くなるのは「副作用」? -そもそも「副作用」という概念をどうとらえるか-
しばらく前にご紹介した、精神科医、泉谷閑示氏の「8人に1人が苦しんでいる! うつにまつわる24の誤解」シリーズの中の、
●クスリに頼るのは悪いこと?――「抗うつ薬」の効用と限界――「うつ」にまつわる誤解 その(10)
で、いくつかの点で重要な示唆が示されているのでご紹介したい。
> もし患者さん自身が、クスリの使用に何らかのためらいや後ろめたさを持っている場合には、「クスリに頼っている」のではなく、「クスリを活用している」のだと捉え直していただくことが必要になります。
この件に関しては、私も何回か取り上げてきました。
治療をお医者さんや薬に単に「委ねている」という意識だけが強いうちは、薬というものは安定した効き目を発揮しにくいように私は感じています。
薬というのは、それを飲みさえすれば、すべての悩みや問題を解決してくれるほどには「便利な」ものではない。しかし、うまく活用すれば、自分の「身を守る」ために、大きな働きをする「武器」なんです
(敢えてこの物騒な言い方を使わせてもらいます)。
「武器」の使用には、常に「危険性」が伴います。また、使い方については、自分の身体になじませるための相当な訓練が必要です。
医者に相談することもなしに、服薬をやめたり、調整したり、ましてや個人輸入の薬を飲むことは避けるべきですが、それでも、薬を「使いこなす」主体は自分自身、参謀が「医者」なのだ、という意識があるだけで、こころに影響する薬の効き目にかなりの差が出てきて、薬との無理のない「同盟関係」が成立することが少なくないことは、敢えてお伝えしておきたい事柄です。
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そうした観点からの延長として触れてみたいのが、薬の「副作用」という概念です。
ありがちな「副作用」への誤解は、薬の中の「毒の成分」が身体を害することである、というものかと思います。
しかし、少なくとも現代の高度な化学合成技術で作られた薬の場合、薬に「不純物」に過ぎないものが組み込まれ、毒性を発揮するということは、もはや考えにくい水準に達していると思います(かつての薬害エイズ事件を例外として)。
以下に、「副作用」についての、より重要な次元での視点だと私に感じられているものをいくつか取り上げてみたいと思います:、
1.ある症状を緩和しようとする薬の効能が、ある均衡した効き目のレヴェルを超えると、今度は逆方向の症状を引き起こす場合?
このタイプの例としては、過緊張や不安や対人恐怖を緩める抗不安薬の多くが、気分を楽にして、リラックスさせてくれる筈なのに、それを通り越して、「ボーっとしてしまう」「集中できない」という悩みを引き起こす場合です。
ところが、この種のケース、その人のその時の心身状態にとって薬が多すぎたということであり、少し少なめに量が調整されれば済むのか? というと、そんなに単純に解決しないことが多いことは、服用を経験した皆様の少なからぬ部分が体験した現実かと思います。
しかし、それが抗不安薬の効能の「限界」であるとばかりいえるのかどうかと、私は感じています。
そういう皆様には、実は多少の休養が本当に必要な時なのかもしれません。
多少の休養を取ってみると、その後再び以前の生活に復帰しても、同じ量の抗不安薬が、今度は、気分を落ち着けてはくれても、ぼーっとさせてり集中力を低下させたりはしなくなることなく、活動への支障になりにくい状態が結構持続することに拍子抜けする皆様もあろうかと思います。
こうした時、休息を取らずに、ただ抗不安薬をあれこれ代えてもらったり、服用量を増強してもらおうとばかりすることは、むしろ悪循環の引き金になることも少なくないでしょう(筋のいいお医者さんなら、こうした点で間違った判断はなされないことかと思います)
同じように、睡眠導入剤を飲んで、以前よりは眠れるようになっても、朝寝覚めが悪いという場合、薬が強すぎる=薬の効能が朝まで残っているからそうなっている・・・・ということは、昔の睡眠薬ならともかく、最近処方されている新しいタイプの眠剤の場合には考えにくいかと思います。
むしろ、単に睡眠の改善補助だけではどうにもならないくらいに、その人の心身の疲労やストレスが慢性化し、(例えば)うつ状態の入り口に立っているためとみる方が自然でしょう。
更に例を挙げれば、鬱の診断を受けて、「抗うつ剤」の飲み始めた初期の心身の反応として、むしろ余計に欝になったと体験される皆様も非常に多いです。そしてしばらくすると今度はやや躁的になる人も稀ではない。その後また押ち込み気味になるわけですが、こうした心身の変動に耐えながら、抗うつ薬が安定した効き目になるまでの苦労は患者さんにとって結構たいへんな場合が少なくありません。
こうしたことを引き起こすのは、薬が心身になじむまでの初期副作用ともいえることも多いいのでしょうが、私は、その段階での心身の基本的な消耗が薬の効果を「暴れさせる」のではないかという思いを、最近強くしています。
いずれにしましても一般的に言って、「薬の効き過ぎ」での「副作用」であると本当に見なしていいケースは、多くの人にそう感じられている程には多くないのではないかとも思います。
敢えて言えば、「心身が過剰に疲労しているので、薬が効き過ぎる」という言い方はできるかもしれませんが。
薬という「リトマス試験紙」を身体に投入してみることではじめて自分の実感として、はっきり意識的に受け止めるが可能になった、慢性的な心身の消耗なのかもしれません。
・・・・こうした可能性も含めて、お医者さんと更に話し合ってご覧になることをお勧めします。
多分に逆説的な言い方なのは承知ですが、薬が「効き過ぎる」という体験は、その人が長年「抑圧」してきた辛さに「気づかせてくれる」きっかけとしての「効能」を持ったのだ、と肯定的に受け止めてもいいのかもしれません。
もう一度繰り返しますが、十分に休養がとれ、実際に心身が慢性的な消耗からある程度回復してくると、薬が「効き過ぎる」のではなくて、「ちょうどよく」なくことも少なくないのですね。
身体に、薬を「生かす」体力が回復するのかもしれないと思います。
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2.その物質の投与は、ある症状の緩和に確かに貢献する。しかし、その物質が、症状とは一見無関係な、生体の別の機能のバランスを崩してしまう。
多くの薬は、肝臓に負担をかけます。緑内障を亢進する可能性がある薬が少なくないことも知られているでしょう。ドグマチールは、女性の月経をいったん止めてしまう場合がありますし、湿疹もよく見られます(飲むのをやめると再開するという点では全く心配が要らないそうです)
同じSSRIでも、過食や便秘や肥満を引き起こしやすいタイプ(パキシル)や、下痢を誘導しやすいタイプ(ジェイゾロフト)があるなどについては以前書いたとおりです。
これにはかなりの体質差があります。
恐らく、厳密な意味での、狭義の「副作用」というのはこうした領域のものを指すとみておくのがいいのではないかと思います。
しかし、やはり、心身に十分な休息が欠けていると、こうした身体面中心の症状すら、一層亢進しやすいのも確かかと思います。
どんな身体症状でも、心身症としての側面はありますので。
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3.その薬の効能は、病気の治療や症状の軽快という観点からすると十分に発揮されているのだが、その人がその薬によって期待している改善の効果の「理想像」とズレているために、その人が薬の効能を自己受容できないでいる「心身自己不一致」状態を、薬の「副作用」と見なしている場合。
この3.のケースは、そうやって薬の効き目が指向している身体そのものの「安定状態」と「頭」での理想的な治癒のイメージが「心の中で」葛藤しはじめるという、一種の二次的な神経症状態にはまり込んでいることになります。
例えば、躁的な過活動傾向の面を持つ人が、抗躁剤や気分安定薬(気分スタビライザ。「抗不安薬」と混同してはならないことはこのサイトで繰り返し書いてきました。リーマスやデパケン)を服用すると、薬を飲む前のように、勢いづいたら止まらない、気分は高揚して頑張り続けられる・・・・というふうには、「なれなくなる」わけですね。
躁的な人は、自分がそうやって躁状態で頑張れていた時にはじめて社会的承認を受けや収入を確保できるような活動ができていたという思いが強いので、心の中で、薬のこうした効き目と「喧嘩(葛藤)」状態になりやすい。
もっとも、実は躁的な人は、実は単にルンルンで活力あふれ、湯水のようにわきあがる発想や、ものごとを享楽するこを「楽しめて」いるかというとそうではないわけです。そうした人の心中には、躁的状態の只中においても、自分が独特の抜き差しならない「何か」に衝き動かされているという悲愴感に近い何かがブレンドされて「いた」ことに、少なくとも後から振り返ってみると、ご本人は気づけることも少なくないようです。
躁状態というのは、ご本人にとっても、ある意味では「苦しい、牢獄のような」体験であり、だからこそ、更に活動をエスカレートさせる形で「破局に陥らせる」という手段で「抜け出そう」とする結果を、一部のそうした方々に招きやすいとすらものだとすらいえます。
でも、人間の意識的自我というのは、そうした十分の心の中の複雑にブレンドされた綾のようなものをシンプルに割り切りたがるところがあります。つまり、躁状態、過活動状態の時
の「苦しさ」の方は意識から抑圧してしまいやすいのですね。
こうして、「気分安定薬を飲んだら、昔ほどやる気が出なくて働けなくなった」ことに苦しむばかりか、(お医者さんとのコミュニケーションや信頼関係が良好でないと)、「気分安定薬の『副作用』で以前のようには働けない。薬を代えられないか」と訴える皆さんも少なからず出てくることになります。
気分安定薬のデパケンは、単剤処方(恐らくリーマスとの併せ技の場合も含む)だと、少なからぬ人の場合(特に双極性II型寄りの診断を受けた人の場合)、躁と鬱の間のプラスマイナスゼロではなくて、マイナス1くらいのごく軽度のうつ状態のあたりで、躁鬱の波が静まる形になりやすいようです。その、ごく軽度の抑うつ感が、デパケンを飲みだす前の調子のいい時には可能だった活動水準にもはや至れない自分に対する悲哀感のようなものを呼び起こしやすいように思います(デパケンは量を増やしすぎると、むしろ欝を深める場合があるらしいこともお伝えしておきます)。
でも、実は、その人は、そうした過活動状態にはまっては、何らかの意味で行き詰る(仕事を辞めるなど)ことを一定周期で繰り返してきたケースが多いわけです。
デパケンを飲んで心身に無理が生じない水準のライフスタイルをリラックスして自己受容してしまうことになじむと、その制約の範囲では、存外に安定してコツコツと仕事ができます。
(他ならぬ私がそのタイプで、一日8時間労働を週4日以上やれといわれれば絶対に心身がつぶれると思います。しかし、こうしてほそぼそと開業している限りは、まあ、湘南時代に比べても、今の方が多少はましなカウンセラーとして活動できているかなとは感じています)
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・・・・・などと、いつの間にか、私自身の考え方の方ばかりをどんどん書いてしまいましたが,、ここで、このエントリーで本来私が一番紹介したかった、泉谷さんの見解について紹介します。
=========以下引用==============
>抗うつ剤を飲んだら眠くなったのは副作用か?
「抗うつ剤を処方されて飲んだけど、すぐに眠気がひどく出たので、自分には合わないと思って飲むのを止めました」
薬物療法開始時に、このような理由で服薬を中止される方がいます。しかしこれは、副作用が出て薬を中止したのだから適切な判断だった、とは言えないところがあるのです。
以前から使われていた古典的なタイプの抗うつ剤(三環系や四環系と呼ばれる種類)では、確かにそのような可能性もあることは否定できませんが、近年主に使われている新しいタイプの抗うつ剤(SSRIやSNRIといわれる種類)では、古典的なタイプでしばしば問題になったような副作用(眠気、口の渇き、排尿困難など)がかなり改善されており、眠気が副作用ではなく「作用」によって生じた可能性も大いにあると考えられるのです。
治療を受け始めるまでは、患者さんは慢性的な精神の緊張状態にあり、内部にはかなり蓄積した疲労を抱えているものです。そこに、抗うつ剤が投与されたことによって、精神の緊張が突然ゆるみ、蓄積していた疲労が一気に噴き出してきて、それが眠気として顕在化することは珍しくありません。
ですからこの眠気は、むしろ望ましい変化の現われである可能性も大いに考えられるわけです。
この点についての見分けは専門医でなければ難しいことも多いので、独断による服薬の中止はリスクが高いと言えるでしょう。
=========引用終わり==============
SSRIを飲んだ後で「眠気」が出る場合、実は十分な休息が取れないまま無理をし続けていた状態に働いた、薬の「主作用」の現れであらわれである可能性があるというのは、私自身の過去の経験と全く見事にマッチングします。
更に私は現在も眠剤代わりにデジレルを少し飲んでいます。デジレルはSSRI誕生までの過渡期の中間的な薬で、今は主剤として使われることはほとんどなく、SSRIや気分スタピライザを飲んでいる人に「睡眠導入剤代わりに」使われる用途が多いかと思います。
ところが、この薬を飲んですぐに眠くなる(私はほんの20分もかかりません)のは、私がやや無理を重ねた時期と一致しています。しかも、そうした消耗期に飲むこの薬の飲み心地は、何か独特の、「脳や胸の辺りに少し不快な」感じもつきまとう。
無理をしなくなると、この薬を飲んでも、そうした「いやな感じのする眠気」はなくなって、単に「気持ちがストンと落ち着く」かな・・・というぐらいの、全く不快感のない、水みたいな薬になってしまうんですね。そして、特にこの薬に頼ったという自覚なしに、無理なく眠れるようになります。
こうした、さまざまな身体的な指標に敏感になって、薬といい同盟関係を結んで、無理のない範囲で仕事をして、慎ましやかなライフスタイルを静かに送るのが、今の私のささやかな満足でしょうか。
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wikipediaより。「姫投げ」はこの後の出来事とされる。












