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2019年7月 7日 (日)

父親が家に帰還する夢

しつこく夢の話。

著作を3冊出す今の私にとっては、自分を律していくのには、夢という「無意識の世界」という「他者」からのメッセージを大事にすることは、何より精神衛生上大事なことのようだ、

*****

母親と父親が外出している。

私も家に帰ろうとしている。

お宮の鳥(家から400メートルぐらい、子猫の夢に出て来たのと同じ天満宮のお宮さん)の鳥居のあたりで、通りかかる人全員に丸い綿菓子のようなもの(柄はない。薄いビニール袋に入っている)が2個ずつ配っている。

私は、自分は貰わなくてもいいと思い、よけて通ろうとする。

すると、町内会のおばさんと思しき人から、

「あれは全員がもらうしきたりなの。それをもらわないなんて、あなたのお父さんとお母さんの教育はどうなっているの?」

という叱責の言葉がかかる。

私がそのあとその綿菓子を家に帰ったかどうかは夢の中では定かではない。夢の展開からすれば、家に自分の分は持って帰ったように思う。

家に戻ってしばらくすると、父と母がいっしょに帰ってくる。ふたりの手にも綿菓子状のものは持って帰られていた。

父は何か私に向かって始めた(指示を出してきた)ようであったが、その具体的内容は夢から覚めたら覚えていない。

父は3週間ぐらい入院していたようにも思えた。

私は父が帰ってくると知ってはいたが、いよいよとなるとそれを面倒な、重石のように感じている。

ここまで。

短い夢である。

===============

夢フォーカシングを始めるぞ。

起きた瞬間に感じたのは、

「ああ、父はもうとっくに死んでいるじゃないか、父が死ぬ前は確かに『こんなふうな』重圧を自分は感じていたな」

と、父が生きていた頃の「居心地」のようなものを今更のように思い出す。

ぼっとすると同時に、父がいないせいで不自由感からは解放されて、自分が思うがままに決断して動けているのだが、「監視の目が行き届かなくなって、私が危険な暴走を始めても歯止めというものが効かないのだな」という思いである。

確かに、父のような、ある意味で干渉的な「まなざし」を一方で自分で自分に向け続けるのも大事なことのように思われた。

ある意味で世間体を気にしながらも、リアリストで、自分からの冒険をしなかった父。

でも、父親も結構無計画な散財家だったことが父の死後、随分明らかになったっけ。

それはその後の私に似ている。私にとって最後の散財は、本が売れて、印税を得る以前の問題として、読者が私のカウンセリングを受けに来る数が増えて、生活が安定することだ。それまでは辛抱が必要だ。

こうした「辛抱」に関しては、父親だけでは済まされない、自力で獲得できなばならないことだ。

「夢の続き」はどうなっただろう。

以前の私なら父親に隠れて好きなようにやりその後でしくじった後で父親が介入していた。

今の私なら、当初から自分のやりたいことを打ち明けいろいろ批判されながらも、きちんと話し合って、両者納得ずくでことを進めたのではなかろうか。

それは「今からでも遅くはない」のである。父のような慎重さと世間体への配慮、仕事熱心さも自分なりに手本にして、「ここで父ならどうするか」を確認しながらでもいいのではないか。

父に「なってみる」と?

・・・結構「私」のことを善意で心配している。・・・そして、父親は父親なりの生活パターンを、私のことは気にし過ぎずに、守り通すであろう。そういう、いい意味での個人主義性は確かにあっていいことである。

母親は? ・・・結局父と私に思いのままについて行くだけかな。全状況を把握できないまま、亡き父=今の私にすべてを委ねっぱなしだろう。

*****

さて、順序が逆になるが、お宮さんでの「通過儀礼」としての丸くて白いふわふわした綿あめ状のものを最初私はもらわずに通り過ぎてしまおうとしていた私について。

私はいつも「このような」面がある、当然の「通過儀礼」だと周囲がしきたりとしているものを「通り抜けないで」先にすすむところ。

これが周囲に人に疎んじられ、ムラ社会からよく思われてはいまいこと。

「もらわないなんて、あなたのお父様とお母さまの教育はどうなっているのかしら」

( ̄∇ ̄;)ハッハッハ。

でも、そうやって素通りできるからこその今の私なんだけどね。

私は「関門」を「正面突破」しようとしたのではない。脇に広い「抜け道」があったから活用しようとしたまでだ。

もちろん、お宮さんでの「神聖なもの」を受け取ることを「回避」していることそのものは、いずれ私にその分の「対価」となる災いをもたらす可能性があるので、注意すべきことだろうとは思う。

夢の中ではお宮さんの綿菓子だが、それはカトリックのミサでの聖体拝領のパン(ビスケット)のようにも思われてきた。

なんという不信仰なものだとうか!!

最後に、綿菓子に「なってみる」。

「・・・おれ、おいしんだぜ。食ってくれよ」

・・・・わかったわかった。

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高いビルの工事現場の足場の上に出て恐怖を感じる夢

またもや私のみた夢の話にお付き合いください。

******

私は大学学部か大学院生である。

私は知り合いの大学生、あるいは大学院生(女性。私は彼女に片思いしているようだ)自分の書いた資料を渡そうとして、相手を探している。

相手のいる場所の目算はついた。

しかしそこに辿り着くには、高いビルの外側に張り出した工事中の足場を通るのがいいことに気がつく。

その足場は、鉄パイプを組み上げた上に木製の板を約1.5メートルぐらい「張り出させた」ものである。柵はない。

私は、通れると思いその上に乗って歩こうとするのだが、数歩先は地上までの「奈落」であることに気がつき、しりごみしてしまう。

足場はしっかりしたもので、下さえ見なければ渡れそうなのはわかっている。

何度も試みようとして、板の手元の方にまで出てみるのだが、下の方が見えてしまいそうなところまで出るのに躊躇して、結局伝え歩きでそうなのにそれ以上一歩を踏み出せない。

結局私はビル内に戻り、大食堂とも大会議室ともとれる広い空間へと行く。

そこには正方形の大きな机が整列して置かれ、それぞれの机ごとにまわりに椅子が数個置かれ、学生たちがその周りに座っていろんな討議をしながら「プロジェクト」を進めている。

そうした机は本来予約制になっており、その終了時間はあと1時間のようだ。

私は空いている大テーブル(2つしかない)に座って作業を進めようとするが、そこを「占有」することに躊躇を感じている。

ここで場所は一転する。

大きなダークグレーの壁や床で囲まれた抽象の高い閉じられた広い空間。ただしその空間は多面体のようで、垂直の角がない。

その真ん中に衛星放送の映るデジタルテレビが置かれている。画面が映っているのだが、非常に粒子が荒い、電波の弱いところのアナログテレビ並み。私は「衛星放送ってこんなに粒子が荒かったっけ?」と怪訝な気分になる。

「マクロス7」の第一話の放映が始まる。

最初の方は私が知っている通りにストーリーが進む。

ところが途中から私の知らないシーンの展開が始まる。

私は、「こういう展開なのを覚えていなかたのか?」という気分になる。

・・・ここで目が覚める。

*****

さて、夢フォーカシングをこれを書きながらライブで進めよう。

書いたレポートを好意を持っている大学院生に読ませたがっている・・・実際の私は当時、片っ端から周囲の女の院生に求愛して、振られてばかりであった。

レポートの内容によって相手に評価してもらおうとしていたようだが、今思い返せば、こんなのは求愛になってない。恋愛と学術的評価なんて別の次元のもの。

夢の中で求愛の相手になっているのは私がこれまで求愛してきたのとは別の、知らない女性のようだ。非常にアニマ臭いが、私が今度の本の魅力によって、院生でなくてもいいから、誰か私に好意を抱いてくれ、懇(ねんご)ろな関係にならないかという「下衆な」期待をしている面があることも確かしれない(^^;)

高い足場の上の綱渡り・・・似た場所は? 

一つは私が勤務していた法政大学多摩キャンパスの面接室の窓から見た光景。もう一つは私の父母が住んでいた高層マンションから見渡した風景。

正直いって、私は、父の死の後、世をはかなんで、母を残したまま、こっそりエアコンの室外機まで乗って、飛び降りられないかを何度も試みてみたことがある。

繰り返すうち、そこに真剣みが薄れ、半ばお遊び化していたが。

外壁を使った「綱渡り的」移動・・・下さえ見なければ実は安全にできるはず・・・これは、私がやろうとしている3冊連続刊行という「博打」のことだろう。

「無意識的には不安と恐怖にかられている」が、実際には「歩き通せる」・・・成果は目に見えているはず・・・ということの暗示か?

*****

「大会議室の大きな机の並んだ、みんなが討議している空間」・・・私が羨望を感じている、周囲の同業者の在り方だ。私は「予約なしで」、残された2つのテーブルのどちらかをひとりで占有しようとしているがそのことに躊躇している・・・これは現実とは異なる。今度の松江の日本フォーカシング協会の「集い」では、私は、今度出す「入門・フォーカシング」を教科書にする「出店」を早々に申し込み、受理されている(「予約」している)。ひとりぼっちで「テーブルを占有しようとしてる」のは確かだが。

******

さて、厄介なのは「マクロス7」である。

ダークグレイの抽象度の高い多面体の角のない部屋というのは、「電脳子宮空間」の暗示だと思う。

「粒子が荒いハイビジョンデジタルテレビ」という矛盾。これは古い私のネット上の論考を「今の舞台」に載せようとしている私のありようと一致する。

たとえ敵味方が退却しても、無伴奏でも、「俺の歌を聴け~!!!」という熱気バサラのありようはあり方は私そのもの。

「途中から私の知らない展開になる」というのは、著作を刊行した後に生じる展開が、まさに「予想外の」、しかも結構しょぼい展開になる(少なくともそうなりはしないかと恐れている)・・・ということの暗示かもしれない。

更に言えば、6月30日に地上波で全国放映されたらしい、「君の名は。」を観そこなったことへの後悔とも関連するだろう。

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2019年7月 4日 (木)

制服姿の森昌子に歌を披露してもらう夢

今日も若干うつ気味だった。

うつと疲労感の違いが私にはわかる。

どうもここしばらく、ある種の神経伝達物質を偏った消耗の仕方をしていたように思う。

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また夢を見た。

今日もそのことについて書こうかと思う。

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夢の中でも、私は母校の西南学院高校の生徒である。

この高校は、私が通っていた当時は男子校で、地元の名門校、公立修猷館高校に不合格になった、スぺり止め組の、比較的頭のいい生徒がいる一方、ガラの悪い留年する生徒も一部いる男子高校だった。私も久留米の名門校、明善高校を不合格になってのすべり止めだった。(現在は男女共学で、結構進学校のようだ)。

私は教室で、教師から現代国語のレポートを褒められている(実際には世界史の先生だった人から。実際の私は世界史と古典が得意だった)。

しかし私は内心褒められすぎと感じていた。

夢の中でも、私はまもなく3冊の本を出すことになっているが、そのうちの一冊に途中で行き詰り、未完成のまま編集部に回したことになっていた。

先生の前ではそのことは語らないが、先生は結局そのレポートを私から回収して持って行ってしまう。

そのあと、私はクラスメートの男女数名(ヤンキーが多かった気がする)にその事実を明かし、いろいろな話をする(内容は忘れた)。

そのうちに放課後は遅い時間となり、窓から夕陽が差し込むようになる。

私は学校を後にしようとするが、カバン、体操服入れ、そしてどういうわけか鍋、フライパンその他、金属製の食器類が入った大きな袋、都合3つを持って帰らねばならないことに気が付き、それじゃ難渋なので一袋だけ教室の個人ごとの棚(扉はついていない)に置いて帰ろうかと思う。

そうすると、さっきの男子生徒の一人から、

「持って帰らないと明日までに他の生徒に持ち逃げされるから」

とアドバイスを受ける(その人の面影はよく知っている。結構仲のいい生徒会仲間だった。「ヤマト」を私に教えてくれたのも彼)。

学校の校舎を出る頃は、すでに日が暮れている。

階段を下りていると、女子生徒たちが、

「今度ここも共学やめるってさ、それじゃおつきあいもできなくなるよね」

という話をしている。

階段を降りきる前に、階段下に、制服姿の森昌子はいる。

私に向かって、

「先日はお父様に琴の会場のことで随分お世話になりました」

と挨拶してきて、それから一曲歌い出す。

その歌は知らない歌で、平易で魅力的なメロディであった。

・・・・ここで目が覚める。

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さて、夢フォーカシング

私の夢の中で、あまり柄の良さそうではない連中の吹き溜まりのような私立共学校の生徒となっているのは「定番」である。

現実の私は、すでに述べたように、西南大学への推薦入学も多いが、上の大学に進学できる奴らもいて、その一方で結構不良も多い高校の出身者である。

生徒会副会長でもあった私は、結構そういう生徒たちに、時にはいじられながらも結構話が通じる相手として一目置かれてもいたように思う。

ただ,私のように、早慶でもない、東京の他の六大学クラスに進学するものは稀であった。

私は学部→博士前期→大学院研究生と進むうちに、さらに一気にレベルアップできたのだが、実際の私よりも分不相応な道を歩めたのではないかという「正体を見破られはしまいか」という不安にさいなまれていた。

そういう私の「影」となり、無意識的に「補償」する方向で、ガラの悪そうな共学校が出てくるのだろうとは常々感じていた。

ところが、今回ははっきりと「西南学院高校」である。夢の中では、私が通っていた当時よりはグレたのが多いみたいだけど。共学校なのは違うが、これまでの夢のパターンよりは現実に近い「等身大」である。

このことは今の私はそんなに無理をしないでいることの証しかもしれない。

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夢の中で「今度3冊の本を出すことになっている」のは現実と同じである。実は「途中で行き詰った未完成の部分を残したまま原稿を編集部に回していて、焦っている」というのは、思い返してみれば、私の夢の定番である。

しかし、今回の三冊については、完成度が高いと思っている。

ただし、前著のエヴァ本を再刊してくれた幻冬舎(心理学に疎い編集担当者だった)は、その本が前の出版社から発売されていたのと「まったく同じ」仕様になるように印刷屋と掛け合うなど尽力してくれたが、欲を言えば若干「機械的な」編集・出版作業だったと思う。

これに対して、鳥影社編集部は、私の著作を「理解」「共感」して、評価をしてくれるのはいいが、ちょっと「褒められすぎ」と感じているところもある。(これが夢の中の現代国語のレポートについて、「褒められすぎ」と感じたことにもつながるかも)

三冊目、すなわち「カウンセラーこういちろうの雑器帳」は、ちょうどこれから初校に入るが、少し省略したい個所はある。でも、夢の中とは異なり、完成には特に困ってはいない。

ただ、3冊の中で編集部から一番評価してもらっているにも関わらず、ちょっと「背伸び」した、私にとっての「理想像」を、さも私が日ごろ実現できているかのように書いた部分もある、ええかっこしいだという点に若干の罪意識はある。むしろ必要以上に「完成度が高すぎる」ように見せかけている気もするのだ。

そういう思いは、特に一冊目、「入門・フォーカシング」にはない。完全に私が現実にやっていること身の丈「そのまんま」だという自負があるから。

「セーラームーンの精神分析」も、オタク論としては若干古いかもしれないが、20数年前の私が目一杯の全力投球で書いた密度の高い論考であり(「エヴァンゲリオンの深層心理」なんてこの論考に比べれば愚作である)、悔いはない。

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さて、夢の中のクラスメートとの本をめぐってのおしゃべり(その中には批判もあったと思う)は、実際にこれらの本を「一人だけ」の孤独の中で書き上げ、誰かからのアドバイスなしであったことへの願望の表れだろう。批判でもいいから聞きたかったのだが。

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「どういうわけか、鍋、フライパンその他、金属製の食器類が入った大きな袋」というのは、老いた母のために最近冷凍食品にばかり頼らずに若干料理もしているのだが、「もっと自分で作れ」という無意識からの声かも知れない。

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さて、問題の森昌子である。

私は彼女より一歳年下だから、デビュー最初から、そして桜田淳子、山口百恵と共に「花の中三トリオ」と呼ばれた当時から注目していたし、中学時代の、まだ演歌っぽくない彼女の歌にも馴染でいるし、彼女が制服姿(実際にはそういう姿で歌ったことはないと記憶するが)というのも得心がいく。

歌の歌詞は、目が覚める瞬間までは覚えていたが、忘れてしまったのは残念だが、ともかく平易な歌だったと思う。

一つ思い出すのは、私が最近「オペラ座の怪人」にはまったこととの関連である。あえて言えばクリスティーヌの歌う"Think of Me"に似ている素朴な曲かもしれない。

「制服」という面にこじつければ、ここしばらく欅坂46に結構ハマっていることとも関係するか?

彼女が私のアニマだとすると理解しやすいし(実はカラオケ好きだ)、もっと「檜舞台」で「表現」したい自分がいることも確かだろう。

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さて、最後に、なぜ森昌子は私の亡き父に感謝するのだろうか? 父は、琴の世話をしたことはないが、母親や関係者の日本舞踊には過剰なまでの世話焼きであったし、知り合いの保育園へのいろいろな、お節介に近い援助とか、いろいろな人たちに感謝されていた。

私ももっと他人のために「おせっかい」スレスレのお手伝いをしたり、地域のために貢献するようにということなのだろうか?

2019年7月 2日 (火)

子猫を鳥かごに入れて放置する夢

最近少し「飛ばし過ぎた」反動なのか、この2日間は疲労を感じ、若干うつ状態に陥って、過眠状態に陥っていたように思う。

そうした中で、さっきまで見ていた夢。

私は家で飼っていたと思しき子猫を鳥籠に入れて近所のお宮さんのあたりに放置してきてしまう。

しかしどうしてもそのことが気になってしまう。

私は籠の中にキャベツを入れておいたのだが、ネコにとってキャベツが餌として禁忌(ということになっている)であり、死なせてしまうのではないかと気になって様子を見に行く。

幸い、子猫は生きていたが、やはり子猫のえさは別のものがないかとか、そもそも子猫を鳥籠から出してあげないとならいのではないかと、気が気ではない。

シーンは突然飛ぶ。

(すでに亡くなった)父の税理士事務所のパソコン(結構高性能)が旧型になったので最新型に変えるべきだと思い、ちょっとお金がかるのを覚悟で注文してしまう。その場所には見知らぬ大人の40代ぐらいの男性が立ち会っている。

・・・そんな夢である。

******

私は夢フォーカシングすることにした。

私自身は、どうみてもネコ型だと思う、先日みた「キャッツ」にも容易に感情移入できたしね。

「鳥籠に入った子猫」・・・明らかに私自身であろう。私は新たに改修した自分の部屋を持っている。新たな私はまだ「産声を上げた」ばかり。

子供の頃、自分の家で、生まれたばかりの子猫をもて遊んでいるうちに、ほとんど虐待となり、それが原因で死なせてしまったのではないかと時々思い出しては後悔している自分がいることも思い出す。

私は最近「自分自身を虐待」しているのか?・・・まあ、少し背伸びして、「自分をいじめて」いることは確かかな。

本当の私はまだ「鳥籠の中に」いる? 。。。そうかもしれない。実際にはまだ世間知らずなのかもしれない。

でも、「鳥鍵」であって「壺」とかの密閉容器ではない。窒息する危険はないし、「世間」に開かれてはいるようだ。

子猫に対して「致死性の」食べ物を与えて放置している不安・・・ちょっといろいろなものに手を付けすぎて、「消化不良」になっているかな。商売っ気丸出しになっているし。

でも子猫は生き続けている。

「子猫」ときいて、遠くにいる息子たちのことも思いだす、実は夢の中で鳥籠にいれて放置していた子猫は二組の籠で、一匹ずつ入れていたような気がする。でも二人は実際には16歳と18歳になっている。もう子ネコではない。

そういえば、昨日部屋をあさっている中で、小さい頃の2人の写真が発掘され、母とともに懐かしく見ていったっけ。

子猫を放置したのが「お宮さん」だっというのも大事だろう。本当に歩いてしばらくのところに「櫛原天満宮」があり、私はそこに子猫・・・自分自身を置いたままにしているのだがそこは「神聖な」場所でもあるのだ。しかも「天満宮」であるから「学問の神様」でもある。

子猫に「なってみる」と、確かに「閉塞感」はあるし、自分ではそこから抜け出せない。でも「もうひとりの私」という「心配している存在」をあてにすることはできる。

*****

父親の事務所・・・実際に昔父親が私が子供のころ開業していた部屋そのものを私は今度自分の居場所にすることにした。

ただし、私のパソコンは2台とも、Pentium5iと7iのもので、メモリも32G積んでいる、せいぜい1年未満のものだ。ゲームもバリバリできそうな、オーバースペックの最新のものに近い。

エアコンだけは最新式のものに付け替えたが。

「見知らぬ男」の立ち合いとは何だろう?・・・ネット上での知り合い(顔にはモザイクがかかっている写真でしか知らないが)の背丈に似ている気がする(実は私とは同年代だが)。

本当は結構新しいのに、旧式になったと私が買い替えようとしているパソコンは、私自身か?。結構現状でもクレパーだと思う。これ以上焦って「新規更新」する必要は、実はない。私が独り相撲でしきりにアップデートを焦っているだけだ。もっとマイペースで本とかビデオとか楽しめばいいじゃないか。

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ここまで夢フォーカシングしたら、若干頭に潤いが戻り、何も焦る必要がないことに少し気づけたような気がした。

更にこの夢についてのフォーカシングがアップデートできたら、このエントリーで補足します。

2019年6月29日 (土)

「入門・フォーカシング」と「カウンセラーこういちろうの雑記帳 -若い臨床家のために-」刊行によせて(日本フォーカシング協会ニュースレターに掲載予定)

〇〇〇〇〇〇 TR(久留米フォーカシング・カウンセリングルーム)

このたび、鳥影社より、2冊の本を連続して刊行させていただくことになりました。 

このニュースレターが刊行される頃には、前者がすでに発売中、後者が遅くとも11月中旬発売の状況だと思います。

2冊をこれだけ短期間に連続して刊行できることが異例ともいえますが、どちらも10年から20年以上前にインターネット上で書いたものが原型ですから、原稿をちょっとだけ手直しすればよかったのです。

編集部に最初に持ち込んだのは「入門・フォーカシング」の方でした。文芸・学術論文専門の出版社でしたが、「文章に強い説得力がある」と評価され、あっさり刊行に向かいました。

この本はWord原稿で30ページほどのささやかなものですが、私がフォーカシング個別指導やワークショップでやっていることを「そのまんま」書いています。つまり1時間で実際にしている内容なんですね。

基本的には、フォーカシングの名教師、アン・ワイザー・コーネルさんの影響が濃いのですが、冒頭の身体の感じを順次確かめる実習や、「フェルトセンスに問いかける」の部分に私なりの工夫が盛り込まれています。

さて、この本の刊行が決まった時点で、編集部に、「あのー、個人ブログにこんな記事を書き連ねて来たんですけど・・・」と打診したのが「カウンセラーこういちろうの雑記帳」の方です。

「カウンセラーこういちろうの雑記帳」は、私の個人ブログのタイトルそのものでした(現在は「カウンセラーchitoseの雑記帳」と名前を変えています)。

このブログは何でもやりたい放題でして、カウンセリング・心理療法のみならす、音楽(クラシック、J-pop、ミュージカル、ロック)から実写映画、テレビドラマ、アニメやコミック、テレビドラマどころか歴史経済経済にいたるまで思いつくままに書いてきたものなのですが、どうも若いカウンセラーへのメッセージとも受け取れるエントリーが少なくないことに気づきました。

私自身まだいろいろな欠点のある、発展途上のカウンセラーだと思うので、何ともエラソーなのですが、カウンセリング業界への苦情(フォーカシングは一切批判していませんよ)から、フォーカシング技法・体験過程理論の様々な応用編、私なりのフォーカシング指向心理療法の紹介もしています。

ところが、元のやんちゃなブログの性格も残していて、なぜか中島みゆきがやたらと出てきます。そして「ユーミンのデニーズ伝説」三部作という、私が日常の中で遭遇したちょっとした光景を描いたエッセイも収録されています。

この本で一貫しているテーマは、「共感」とは何だろう?ということでしょうか。「共感」とはお互いの「錯覚」を乗り越えていくことではないか・・・と繰り返しています。

まあ、わかりやすい文章のつもりですから、気軽に読んでいただければ幸いです。

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・・・実はこの2冊の間に「セーラームーンの精神分析」を8月20日ごろ出す予定なので、一層「異例な」刊行ペースなのだがそのことについては一切言及していない。

2019年6月13日 (木)

「カウンセラーこういちろうの雑記帳」発売決定!!

「入門・フォーカシング」「セーラームーンの精神分析」に引き続いて一気に三冊目となります。

実はこのブログに収録されたカウンセラー向けのエントリ―を並べなおして推敲しただけです。

流派を問わず若いカウンセラー向けの本です。「入門・フォーカシング」を読んだ人への応用編にもなっていて、Fucuser as Teachaer、インタラクテブ・フォーカシング、体験過程尺度、体験過程インタビュー、更に私なりのフォーカシング指向心理療法のご紹介にもなってい ます。

お楽しみに。

2019年6月 4日 (火)

面接官に「なぜバレエでプロになるのを諦めたの?」言われて傷ついた女性へのコメントまとめ

あまりに暖かい(心を込めた厳しさもある)コメントが多いので勝手にまとめさせていただきました。

こちらからどうぞ。

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2018年7月 3日 (火)

父親に親戚の葬儀に行かなかったことを褒められる夢

"chitiseの部屋"で私の長大なシューマン論(ちなみに私はピアノも弾けない、音楽学も学んでいない人間である、主として外国語盤のCDの英語のライナーノーツと自分の見解を書いている)や浜崎あゆみ論「セーラームーン」論の長大さと「粘着性」に圧倒されるばかりで、正直言って付き合わされるのかたまらない読者の方も少なく無いかと思う。

 

しかし、これが20年‐30年前の私の文のスタイルである。すでに書いたように、今の私には、これだけ長文の文章を書く才能は枯渇している。

 

だが、どういうわけか、自分の見た夢についてだけなら連投できるので、今度も書いてみようかと思う。

 

 

 

******

 

 

 

火曜日は母がデイ・ケアに通う日なのだが、月曜日の夜は衣装選びが大変である。母はそれくらい衣装持ちなのだ。

そして「もう行く時間やろ」と言って深夜3時ぐらいには起きてくる。

おかげで、97歳の母と一緒に先日のワールドカップの日本×ベルギー戦を観るという珍妙な光景が繰り広げられてしまった。

 

実は対ポーランド戦の時も時も一緒に観ていて、母の

「どうしてゴールの前に人が立っとると? あれじゃ点が入らなかと?」

....とか、

ポーランド戦で

 

「なぜ負けとるのに勝っとると?」

とか、頓珍漢な質問に応えねばならなくなる。

対ポ―ランド戦で日本が決勝トーナメントに進めたのは、ご存知の通り、勝ち点で並んだセネガルとイエローカードの数で少なかったという理由だったが、

「選手が乱暴なプレーをすると審判は黄色い札を出すんだよ。その数が日本は前に戦ったアフリカのセネガルという国よりすくなかったから次の試合に進めたんだよ」

....というところから説明しなければならなくなる。

・・・・少し話が脇道にそれたが、こういった具合なので、私も月曜の晩は午前様となる。

そして母親がデイ・ケア中に、もしものことがあったら大変なので、私はカウンセリングルームの仕事を火曜日が定休日にしている。

そして、火曜の昼は寝て過ごすというわけだ。

以下に示すのは、今日火曜日の昼寝の、できたてホヤホヤの夢である。

 

****

 

 

 

私はどういうわけか、その時間久留米の家を抜け出して、何と仙台-京都間を走る538系の16両編成の在来線の特急列車に乗っている。

 

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(実は私は右サイドの「旅」系フォトアルバムで示すように「鉄っちゃん」でもある。私のオタク系の趣味の広範さに呆れられるかもしれないが)

・・・それが普通の乗り方ではない。

 

列車の外側の窓枠の上に延々とレールのようなものが敷かれ、それを大勢の人がぶら下がりながら辿っているのである!私はその両隣の人としきり会話をしている。

その過程で、車内では、市長の殺害という事件が昔のアクション映画のように繰り広げられている。

私は終着駅に着いた後にも延々と続くレールのようなものを滑るようにだどっている。

こうした「脱走」が終わって家に引き返すと、亡き父が電話をかけてくる。

そして、親戚の一人が今日死んだことを言ってくる。

当然その日の昼の間に葬儀など行われるわけがないのだけれども、

「どうして葬儀に参列しなかったのだ!」

と私を責めてくる。

私は、(実際には家から「逃亡」していたのに)、

「だってお母さんの身に何かあった大変じゃないか!」

・・・・と言い返す。

そうすると、父は、

「そうか、よくやった。お母さんのことを大事にする方が大事だ」

と褒めてくる。

 

 

 

・・・・まあ、そんな夢である。

:****

この夢の解釈にはいくつかの示唆がある。

ます、夢の中の私は母のデイ・ケアの間、実は家に大人しくいなくて、鉄道なんぞに「現実逃避」している。しかも夢の中では非常にスリリングな形で。

この「現実逃避」というのが今の私にぴったりだと思う。「過去の遺産」に依存して新規の記事など書かない。

そして(詳しくは書かないが)今の私は、現実世界の中で、非常にスリリングな戦いに直面している。

 

更に言えば、私の父は、「エヴァンゲリオン」のシンジの父、ゲンドウのように、優秀だが、およそ何を考えているのかわからない家の独裁者であった。

およそ父は私を褒めてくれることがなかった。どんなに私がいい成績を残しても。お金は出してくれるが、ともかく褒めることを知らない。おかげで私は勉強する意味を見失い、最初は哲学、続いて大学院では心理学に転じるに至る。。

(このへんの私のゲンドウ論は、私の書いた「エヴァンゲリオンの深層心理」を読んで下さい)

その父が、夢の中とは言え、私を「褒めた」。

私の中の「超自我」が、現状の私が現実世界の中でやろうとしている「大挑戦」のスタンスと決意に、支持を表明したように思える。

 

.

 

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2018年6月27日 (水)

「セーラームーン」の月野うさぎちゃんと生き残る夢

今朝の夢は、ともかく学校(中学校か高校ぐらい)で大爆発(空襲?)が生じる夢だった。

私以以外全員死亡と思われたが、ただひとり、外廊下の柱に傷だらけながら寄りかかっているのが「セーラームーン」の月野うさぎちゃん!!

(彼女だけが二次元である)

意味は・・・夢分析の専門家でもある私でも意味わからん。

ちなみに、私には、

「二つの母性の相克 -「美少女戦士 セーラームーンについての精神分析対象関係論に基づく考察-」

という学会発表論文がある。

長大なものだが、その中の一部分は、当ブログの

●成熟の過程で人は何を失う危機に立たされるのか -「魔法少女まどか☆マギカ」についての臨床心理学的小考察- 

で読めます。

この「セーラームーン論文は、最近は「転るピングドラム」でおなじみ、あの幾原邦彦氏の出世作、劇場版「セーラームーンR」についての徹底的な分析なのですが、私は幾原監督にこの論文を送り付け、何と返事をもらった経験があります。

月野うさぎちゃんの幾原さん直々のイラスト付きでしたが、イラストは引っ越しの際に行方不明になり、ここでご披露できないのが残念ですwwww

この論文は大作ですが、ネット上で全文公開はしていないので、今度挑戦しようかな。

ちなみについでに宣伝しますと、私は「エヴァンゲリオンの深層心理 -自己という迷宮」の著者 でもあります。20年前のものですが、多少手直しして、この度幻冬舎から「改訂版」を再刊しましたのでどうかよろしくwww

紙の本(初版Amazonで売り切れ間近www)だけではなく、電子書籍でも読めますよ。

******

後半の夢は、なぜか内容が飛んで、高校の数学のテスト準備が全然できていないで焦っている自分。

この種の夢は皆さんおなじみで、いくつになっても観ますよね

こっちは意味が分かる。

この前も書いたように、、今の私は人生最大の危機に直面しようとしているから。

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2018年6月26日 (火)

「東京大学物語」の主役に抜擢される夢

今朝見た夢は豪勢(!)だった。

 

 

 

;私が「東京大学物語」(江川達也)実写版映画で主人公、村上直樹に抜擢されるのである。

 

 

エピソードは直樹が東大受験当日に会場にたどり着けない、あのエピソード。

 

村上の高校時代の男友達は多数出演。

 

 

残念ながら、ヒロインの水野遥ちゃん役は出て来ませんでしたが・・・

 

 

そして、直樹の父親役として、私の亡き父親も出演!!

 

やたらと怖い父親として描かれていた。現実の父親と性格は似ていて、死の直前の頃の髭を生やしている。

なのに(矛盾するが)、映画完成後、直樹というあまりに無茶苦茶なキャラクターで私を映画に出演させたことについて、直樹の男友達の役者たちが、久留米まで、「共同責任」で「お詫び」に訪れようという算段となる。

 

私は結局JR久留米駅で選抜された男友達の一人の自転車の背に揺られながら自宅にたどり着く。

 

 

 

まずは母親(繰り返すが87歳で存命)が応対。当然今より若い)がやさしく接してくれる。

 

 

 

次は税理士としての仕事場の二階にいる亡き父親にいよいよ会わねばならないという緊張が私と友人役に走り始める。

 

・・・・というところで夢は終わる(^^)

 

スリリングな夢であった。

 

:*****

 

幾つか思い当たる,ことがある。

 

別れた妻も「東京大学物語」のファンで、「スピリッツ」を私が読んだら手渡していたこと。

 

そんなある日、

 

 

「遥ちゃんカットでしょ?」

 

・・・・と、美容院に行ってきた髪を見せびらかしたが、私はぞんざいにしか反応しなかったこと

 

(このことは妻に対する一番愛情に欠けた応対だったと後悔していて、今でも時々思い出す)。

 

 

・・・・・そして、(詳しくは書けないが)私はこれから数か月、非常に困難でスリリングな問題と、立ち向かわねばならないことである。(ただし、妻子関係ではない)

 

 

 

 

 

 

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