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2018年7月 3日 (火)

父親に親戚の葬儀に行かなかったことを褒められる夢

"chitiseの部屋"で私の長大なシューマン論(ちなみに私はピアノも弾けない、音楽学も学んでいない人間である、主として外国語盤のCDの英語のライナーノーツと自分の見解を書いている)や浜崎あゆみ論「セーラームーン」論の長大さと「粘着性」に圧倒されるばかりで、正直言って付き合わされるのかたまらない読者の方も少なく無いかと思う。

しかし、これが20年‐30年前の私の文のスタイルである。すでに書いたように、今の私には、これだけ長文の文章を書く才能は枯渇している。

だが、どういうわけか、自分の見た夢についてだけなら連投できるので、今度も書いてみようかと思う。

******

火曜日は母がデイ・ケアに通う日なのだが、月曜日の夜は衣装選びが大変である。母はそれくらい衣装持ちなのだ。

そして「もう行く時間やろ」と言って深夜3時ぐらいには起きてくる。

おかげで、97歳の母と一緒に先日のワールドカップの日本×ベルギー戦を観るという珍妙な光景が繰り広げられてしまった。

実は対ポーランド戦の時も時も一緒に観ていて、母の

「どうしてゴールの前に人が立っとると? あれじゃ点が入らなかと?」

....とか、

ポーランド戦で

「なぜ負けとるのに勝っとると?」

とか、頓珍漢な質問に応えねばならなくなる。

対ポ―ランド戦で日本が決勝トーナメントに進めたのは、ご存知の通り、勝ち点で並んだセネガルとイエローカードの数で少なかったという理由だったが、

「選手が乱暴なプレーをすると審判は黄色い札を出すんだよ。その数が日本は前に戦ったアフリカのセネガルという国よりすくなかったから次の試合に進めたんだよ」

....というところから説明しなければならなくなる。

・・・・少し話が脇道にそれたが、こういった具合なので、私も月曜の晩は午前様となる。

そして母親がデイ・ケア中に、もしものことがあったら大変なので、私はカウンセリングルームの仕事を火曜日が定休日にしている。

そして、火曜の昼は寝て過ごすというわけだ。

以下に示すのは、今日火曜日の昼寝の、できたてホヤホヤの夢である。

****

私はどういうわけか、その時間久留米の家を抜け出して、何と仙台-京都間を走る538系の16両編成の在来線の特急列車に乗っている。

Img_3244

(実は私は右サイドの「旅」系フォトアルバムで示すように「鉄っちゃん」でもある。私のオタク系の趣味の広範さに呆れられるかもしれないが)

・・・それが普通の乗り方ではない。

列車の外側の窓枠の上に延々とレールのようなものが敷かれ、それを大勢の人がぶら下がりながら辿っているのである!私はその両隣の人としきり会話をしている。

その過程で、車内では、市長の殺害という事件が昔のアクション映画のように繰り広げられている。

私は終着駅に着いた後にも延々と続くレールのようなものを滑るようにだどっている。

こうした「脱走」が終わって家に引き返すと、亡き父が電話をかけてくる。

そして、親戚の一人が今日死んだことを言ってくる。

当然その日の昼の間に葬儀など行われるわけがないのだけれども、

「どうして葬儀に参列しなかったのだ!」

と私を責めてくる。

私は、(実際には家から「逃亡」していたのに)、

「だってお母さんの身に何かあった大変じゃないか!」

・・・・と言い返す。

そうすると、父は、

「そうか、よくやった。お母さんのことを大事にする方が大事だ」

と褒めてくる。

 

・・・・まあ、そんな夢である。

:****

この夢の解釈にはいくつかの示唆がある。

ます、夢の中の私は母のデイ・ケアの間、実は家に大人しくいなくて、鉄道なんぞに「現実逃避」している。しかも夢の中では非常にスリリングな形で。

この「現実逃避」というのが今の私にぴったりだと思う。「過去の遺産」に依存して新規の記事など書かない。

そして(詳しくは書かないが)今の私は、現実世界の中で、非常にスリリングな戦いに直面している。

更に言えば、私の父は、「エヴァンゲリオン」のシンジの父、ゲンドウのように、優秀だが、およそ何を考えているのかわからない家の独裁者であった。

およそ父は私を褒めてくれることがなかった。どんなに私がいい成績を残しても。お金は出してくれるが、ともかく褒めることを知らない。おかげで私は勉強する意味を見失い、最初は哲学、続いて大学院では心理学に転じるに至る。。

(このへんの私のゲンドウ論は、私の書いた「エヴァンゲリオンの深層心理」を読んで下さい)

その父が、夢の中とは言え、私を「褒めた」。

私の中の「超自我」が、現状の私が現実世界の中でやろうとしている「大挑戦」のスタンスと決意に、支持を表明したように思える。

.

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2018年6月27日 (水)

「セーラームーン」の月野うさぎちゃんと生き残る夢

今朝の夢は、ともかく学校(中学校か高校ぐらい)で大爆発(空襲?)が生じる夢だった。

私以以外全員死亡と思われたが、ただひとり、外廊下の柱に傷だらけながら寄りかかっているのが「セーラームーン」の月野うさぎちゃん!!

(彼女だけが二次元である)

意味は・・・夢分析の専門家でもある私でも意味わからん。

ちなみに、私には、

「二つの母性の相克 -「美少女戦士 セーラームーンについての精神分析対象関係論に基づく考察-」

という学会発表論文がある。

長大なものだが、その中の一部分は、当ブログの

●成熟の過程で人は何を失う危機に立たされるのか -「魔法少女まどか☆マギカ」についての臨床心理学的小考察- 

で読めます。

この「セーラームーン論文は、最近は「転るピングドラム」でおなじみ、あの幾原邦彦氏の出世作、劇場版「セーラームーンR」についての徹底的な分析なのですが、私は幾原監督にこの論文を送り付け、何と返事をもらった経験があります。

月野うさぎちゃんの幾原さん直々のイラスト付きでしたが、イラストは引っ越しの際に行方不明になり、ここでご披露できないのが残念ですwwww

この論文は大作ですが、ネット上で全文公開はしていないので、今度挑戦しようかな。

ちなみについでに宣伝しますと、私は「エヴァンゲリオンの深層心理 -自己という迷宮」の著者 でもあります。20年前のものですが、多少手直しして、この度幻冬舎から「改訂版」を再刊しましたのでどうかよろしくwww

紙の本(初版Amazonで売り切れ間近www)だけではなく、電子書籍でも読めますよ。

******

後半の夢は、なぜか内容が飛んで、高校の数学のテスト準備が全然できていないで焦っている自分。

この種の夢は皆さんおなじみで、いくつになっても観ますよね

こっちは意味が分かる。

この前も書いたように、、今の私は人生最大の危機に直面しようとしているから。

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2018年6月26日 (火)

「東京大学物語」の主役に抜擢される夢

今朝見た夢は豪勢(!)だった。

;私が「東京大学物語」(江川達也)実写版映画で主人公、村上直樹に抜擢されるのである。

エピソードは直樹が東大受験当日に会場にたどり着けない、あのエピソード。

村上の高校時代の男友達は多数出演。

残念ながら、ヒロインの水野遥ちゃん役は出て来ませんでしたが・・・

そして、直樹の父親役として、私の亡き父親も出演!!

やたらと怖い父親として描かれていた。現実の父親と性格は似ていて、死の直前の頃の髭を生やしている。

なのに(矛盾するが)、映画完成後、直樹というあまりに無茶苦茶なキャラクターで私を映画に出演させたことについて、直樹の男友達の役者たちが、久留米まで、「共同責任」で「お詫び」に訪れようという算段となる。

私は結局JR久留米駅で選抜された男友達の一人の自転車の背に揺られながら自宅にたどり着く。

まずは母親(繰り返すが87歳で存命)が応対。当然今より若い)がやさしく接してくれる。

次は税理士としての仕事場の二階にいる亡き父親にいよいよ会わねばならないという緊張が私と友人役に走り始める。

・・・・というところで夢は終わる(^^)

スリリングな夢であった。

:*****

幾つか思い当たる,ことがある。

別れた妻も「東京大学物語」のファンで、「スピリッツ」を私が読んだら手渡していたこと。

そんなある日、

「遥ちゃんカットでしょ?」

・・・・と、美容院に行ってきた髪を見せびらかしたが、私はぞんざいにしか反応しなかったこと

(このことは妻に対する一番愛情に欠けた応対だったと後悔していて、今でも時々思い出す)。

・・・・・そして、(詳しくは書けないが)私はこれから数か月、非常に困難でスリリングな問題と、立ち向かわねばならないことである。(ただし、妻子関係ではない)

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2018年6月17日 (日)

妻子と再会する夢

先ほど長大な夢を見た。

十数年間一度も再会していない(居場所もつかめない)妻子の夢である。

実際には大阪近辺に住んでいる筈だが、なぜか岡山市。

行程は2泊3日で、その岡山市に1目、妻子の親戚全体に紹介され、一緒に山に登ぼる。

;なぜか妻子の家にはテレビがない。

翌日、私はプレゼントを買っていなかったことに気がつき、なぜか岡山市から広島市まで新幹線で移動しようとする。

ところが新幹線がのぞみ号ではなくて各駅停車で、駅も実際よりやたらと多い。

私はそのことを、別れた妻に連絡しようかと焦っている。

・・・・そんな夢だった。

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2017年3月25日 (土)

「日本会議」から弾劾裁判を受ける夢

今朝見た夢は空前の悪夢。

日本の悪の組織(日本会議?)のドンとその取り巻きに「裁判」受け「死刑」を求刑される。

訴状は私のクライエント2人からのもので、事例(成功例)を脚色して引用しているという。

だが、就職するクライエントとの別れのシーンは感動的なもの。

そして、私の罪への反証が一気にはじまる。

実は私のこの夢は、私にとって節目となる、「通過儀礼」的な、タイヘン象徴的な「夢作業」ではなかったかと思える。

むしろ「悪魔の誘惑」に打ち勝つ夢なのだろうと思う。

もとより、私は、当ブログで実際のクライエントさんの事例をブログで全く引用せず、創作であるか、私自身の体験を他人の体験として書いている。

一例だけ、これくらいは許され、本人も感謝してくれると確信してると思えるものを場面を切り取って紹介している。それが以下の記事:

●鬱に陥った人の休養期の衝動買い現象

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2013年1月10日 (木)

ディック・ミネ、「瀬戸の花嫁」を叱るの巻(再掲)

今日は、少し文化人類学的話を前ふりにしましょう。

実は、このブログ左の欄のブックレビューの、「岩波講座 宗教」第5巻の、我が敬愛する田嶌誠一先生の論考にものっけから出てくる話なんですが。

自分を自身を悩ましていた「悪霊」を鎮魂し(?)、癒す能力が高まると、その「悪霊」は、必ず「守護霊」へと変容して、自分を守ってくれる最大の味方になります。そういう人は、シャーマンとして、地域社会で尊敬される存在になることも稀ではない、ということは、どの文化圏にも見られます。

ただし、一度「守護霊」とのそういう関係を築いたら、得てして人は慢心に流されやすくなり、ちょっとでも油断すると、「守護霊」は再び「悪霊」のふりをしてその人を「試練」でもって悩まし、「守護霊」との関係をもう一度丁寧に大事にするように「教育的制裁」をかけてきますので、その「守護霊」からの「教育的制裁」を甘んじて受けて、「守護霊」からの信頼を取り戻さねばなりません。

さもないと、その人自身が、他の人に対して「にせ守護霊」という名の「悪霊」をばら撒きまくる、一番厄介な「にせシャーマン」になってしまいます。 つまり、一度「守護霊」との関係を築いたら最後、「本物のシャーマン」として絶えず耐えず「守護霊」からの「試練」に耐えて精進に励むか、「偽シャーマン」として、世間からも救いの道を求めるものを悪の道に引きずり込み、たぶらかす怪しげな存在とみなされ、「本物のシャーマン」すらそういう「偽シャーマン」と同じ程度の存在でないかという世評を生み出して迷惑を賭ける存在になるかの、「2つにひとつ」の人生しか歩めないのではないかと思います。

....で、「偽シャーマン」によって植え付けられた「悪霊」から人を再び救い出すだけで「本物のシャーマン」は日々手一杯となるのでありまする。

以上、何より自戒を込めて。

*****

今述べたことについて、ユングは、「自我と無意識」(レグルス文庫)で、

「自我肥大」の危険

という言い方で書いています。

(訳者のひとり、渡辺学氏による「前書き」がご自身のHPにアップされていて、これだけでも読み応えがあります)

これは、一言で言うと、その人の意識と無意識の対話が進み、影やアニマからのメッセージと円滑な相互作用がはじまると、その人は、以前より内界、外界からのメッセージに敏感になり、以前なら気がつけなかったことまでどんどん気付けるようになるという体験をするようになります。 「共時性」的な体験(一見偶然のようでいて、何か必然的な摂理が働いたかに思える出会いや事件との遭遇)」もやたらと増えると感じられる。

そうなると、その人は、世界の摂理がみんな見通せるかのような錯覚と傲慢に陥る。これをユングは『自我肥大』といいます。

しかし、ユングの考え方によれば、「意識(自我 ego)」というのは、どこまでいっても、「自己(self)」という、巨大な恒星、とても全体を汲みつくすことなど一個人に不可能な心の領域の周りをまわる小さな惑星に過ぎないので、こうした「自我が自己を覆い尽くせたかのような」錯覚や傲慢には、必ずバランスを回復させるための、無意識のうちでの「補償」作用が始まる。

例えば、現実の他者の上に投影された形での、以前より深い次元での「影」や「アニマ」からの誘惑や、トラブルに巻き込まれるなど。

これはその人が更に成長するための試練にもなる代わりに、一歩間ま違えると、その人自身の破滅や、その人自身がいつの間にか「善の仮面をかぶった悪」として、たとえば悪しきカルト宗教の教祖になったり、有名だけど、実はクライエントさんの人生に悪影響の方を強く残すことが多い、厄介な「著名セラビスト」になったりする引き金となるわけです。

****
それこそ、ゲーテのファウスト(第1部) ( 著者: ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ / 池内紀 | 出版社: ...「ファウスト」ファウスト(第2部) ( 著者: ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ / 池内紀 | 出版社: ...のはじめの方、「世界のすべてを極めつくした」ものの、空しさに駆られて自死を選ぼうとするファウスト博士の前に現れた、悪魔メフィストフェレスの誘惑に当たるもの(この悪魔、神様と、ファウストについて「賭け」をする、というあたりが序幕で描かれるわけですが)。

ユングは実は「ゲーテのご落胤の孫である」という噂が絶えず、ユングもそれを敢えて否定はしなかったというのは結構知られた話ですが、 どうか、「ファウスト」だけは、みなさん、手塚治虫の漫画版だけでもいいから(私も最初はそこから入りました)、目を通すことをお勧めします。

手塚治虫は、若いころに「ファウスト」、晩年に、確か未完に終わったネオ・ファウスト (1)「ネオ・ファウスト」ネオ・ファウスト (2)と、何回もファウストのテーマに挑んでますが、私が読んだのは若い頃のファウスト「ファウスト」だけです。

*****

さて、やっと本題です(^^;)

実は、今朝、こんな夢を見ました。

「NHKのど自慢」だと思うんだけど、中年のおばさんが、それはそれはきれいな声で、青春ヒット大全集小柳ルミ子の「瀬戸の花嫁」を歌うんです。

同然、鐘は

「キンコンカンコンキンコンカンコン、キン、コン、カーン」

アナウンサーは、「おめでとうがさいます、合格です」 といつものように駆け寄るのですが、その日のゲスト審査員のディック・ミネさん(平成3年にお亡くなりです)

が、予想もしない、凄く険しい表情で

「あなたは表面上きれいに歌っているだけで、全然魂がこもっていない!!」

と猛烈な歯に衣着せぬお説教をはじめる。

それが延々続くものだから、司会者も番組進行が滞り、大変な事態になっていく…… というのをテレビで私が見ている夢でした。

****

この夢は、まず素直に受け止めると、内なるディック・ミネさんという「守護霊」からの
「思い上がるなよ、『自我肥大』するなよ、おまえはまだまだだからな」
という警告のメセージとして、まずは謹んで受け止めました。

ディック・ミネさんというと、まさに酒と女と歌にまみれた人生を送った人で、世間の汚濁にまみれつつ生きていた人という印象があります。 でも、きっと、その歌手が「本物」かどうかを見抜く目は、すごく厳しい人だったんじゃないかと。

****

しかし、夢解釈は、ここまででは実はまだ道半ばまで来ていないんですね。 ここからが 「バイアス・コントール」 と呼ばれる部分です。

誰もが、自分の夢を解釈しようとする時、自分自身の日常について、自分が理解するのと同じようなスタイルで理解しようとします。

この例でいえば、自分に自信がない人だと、すぐに、ディック・ミネに吊るし上げを食らう「中年おばさん」の側にあっさり自分を「同一化(identify)」させて、

「自分はやはり見かけだけで中身がないということなのだ。本当はみんな私の中身のなさを見透かしているに違いない」

などと自己嫌悪し、「悪夢」を見たとしか受け止めないでしょう。

そこで、そういう自分自身への通常のものの見方の固着した「偏り(bias)」とは違ったアングルから夢を味わうための刺激剤としての示唆的教示のことを、「バイアス・コントロール」というのです。

ユングには、夢の中の登場人物、それどころか動植物から、家具や岩や壁などの「無生物」に至まで、すべてが自分の「影」、すなわち、すべて自分の分身、今の自分にはまだ実現されていない、自分でも自覚していない成長可能性すらもが現れていると考えます。

「影」というのは決してそれ自体としては邪悪な部分ではなく、その「影」と、その人の関わり方しだいで、その人の「内なる悪霊」にもなれば、その人を更に成長させる方向への「導き手」にもなります。

その意味で、「影」とどう付き合うかは、その人を善にも悪にも導く、大変に慎重かつ厳粛な別れめなんですが。

「自分の中に、夢の中の『ディック・ミネ』的な部分はあるか?」

……ある、ある、おおあり!!

周りの流れなんて考えないで、延々「辛口コメントはさむ」ところとか。 酒と女はともかく、煙草とコーヒーとチョコレートに目がなく、カラオケ好きなのは、私の知り合いはよく知っている。

「実は、ディック・ミネ的な部分が、『まだ足りない』とすれば?」

(爆)「そうかもしれないし、それだけではないかもしれない」(^^;;;;)

****

そして、次に、敢えて、 「なぜ、『瀬戸の花嫁』か」 にも探りを入れました。

自分の中に「小柳ルミ子」的なところがないか、もできそうだけど、これは略。

個人的には、

> 若いと誰もが 心配するけれど

の部分と、

> 男だったら 泣いたりせずに
> 父さん母さん 大事にしてね

の部分に、私の中の何かか「共振」しました。

今は、それを味わえば、十分です。

******

「夢フォーカシング」についてはこちらを参照ください。

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2012年12月19日 (水)

夢とフォーカシング ―からだによる夢解釈ー(Amazonレビュー版)

By こういちろう VINE™ メンバー
 夢分析というと、夢の中に出たきた題材について、まるで辞書を引くかのように「象徴解釈」するものであるというイメージが、多くの方には強いのではないかと思う。

 本書で示された夢へのアプローチは、そうしたありがちな夢分析の本とは全く性質が異なる。原著のタイトルに、"Let Your Body Interpret Your Dreams"(あなたの身体に夢を解釈してもらう)とあるがごとく、16の質問を用いて、夢を見た本人が自分の身体に実感に問いかけていく中から、思いもよらない洞察にたどり着くことができる。その展開は、夢について専門的に知識がある専門家の予想能力を超えた、たいへんにダイナミックな形となることが多い。

 つまり、夢をみた人を相手にする「専門家」の側の方が、夢についての詳しい知識を持っているという既成概念を、ものの見事に打ち破る。

 そこには、著者ジェンドリンが開発した「フォーカシング」技法のエッセンスが生かされているのであるが、実際に活用してみると、フォーカシングの学習暦が全くない人においても、非常に安全度が高く、怖い思いも苦しい思いもせずに、むしろスリリングでユーモラスでありながらも、人生のペーソスをしみじみ味わえる、貴重な体験の場を提供できる。

 ジェンドリンは、この技法の中で、ユング派の夢分析やゲシュタルト療法からもヒントを得ており、夢と関わるためのツールとしての「統合性」において、独自の存在意味を持つものだと思えてならない。

 そこで尊重されるのは、ロジャーズのパーソン・センタード・アプローチに共通する、夢の理解をしていく主体はあくまでも夢を見た本人であり、夢フォーカシングのトレーナーは、あくまでも控えめで何かのヒントになる「提案」を試みる存在であるに過ぎない(その提案がピンと来なければ夢を見た本人はそれを活用しなくていい)という関係性である。

 すでに述べたように、この技法は、わずか16項目の「質問(提案)」項目に、「バイアス・コントロール」と呼ばれる、夢を見た人当人が自分の夢を日常をとらえるのと同じ認知様式で「自動思考」して済ませてしまうに留まらないための、控えめな介入の仕方という非常にシンプルなものにまとめられている。

 16項目の質問をすべて手使いこなせる必要などない。普段使いとしては、自分の肌になじむいくつかの質問を、夢をまだ覚えている起き抜けに試みてみるだけでも、ただ自分なりに夢を回想して意味づけるだけの場合とは全く異次元の夢理解と心身の解放が生じることに驚かれるかもしれない。

 悪夢に思われた夢ですら、大抵の場合、思わず自分でも苦笑するような、人生のウィットに富んだ予想外の気づきに結びつくことが多いのである。

 本邦訳の難点を敢えて述べれば、原著と構成の順序が入れ替えられたことが果たしてほんとうに明快さに貢献したのかどうかいう思いは個人的にはある。

 更に言えば、付録Aの「理論編」の翻訳が、何か原著を完全に消化していないとも感じさせられる生硬さがあるのが残念である。

 星1つの減点はそのせいであるに過ぎないと思って欲しい。
******
 こちらの記事も参照。

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2012年12月18日 (火)

夢フォーカシングのコツ(再掲)

ジェンドリン/夢とフォーカシング(村山正治 編訳)

日本における夢フォーカシングの紹介は、比較的早く、「夢とフォーカシング」(原題が"Let Your Body Interpret Your Dream".....「自分の身体に夢の解釈をしてもらう」)翻訳に続いて、池見陽先生編で、実は私も分担執筆している「フォーカシングへの誘い」に、森あい子さんによる、大変わかりやすい、迫真的かつユーモラスな(?)実例が掲載されています。

 

しかし、インタラクティヴ・フォーカシングや、こどものためのフォーカシング、ホールボディ・フォーカシングについては、日本に既に何カ所か拠点があり、活動が盛んなのに比べますと、以外と地味な展開のように感じています。

夢フォーカシングは、フォーカシングの経験がない皆様にも堪能できるものです。個人的には、夢のワークとして、これだけおもしろいものは滅多にないと思っていますが、フォーカシングの経験をある程度積まれた方の場合、通常のフォーカシングよりも軽快なプロセスでありながら、プロセスがいきいきと展開し、通常のフォーカシングでは超えられなかったDead Endを易々と超えていくほどの体験になる場合もあります。

ところが、ジェンドリンの上述の本に書かれているのは、一見、20近くの「質問」が並列的に記載されているように見えてしまい、段取り的にはどうなるのかとか、質問をどういうタイミングで、どのように繰り出すのいいのか、見当がつきにくいのですね。  そのことが気になっていた私は、すでに1993年の段階で、

 

●「夢フォーカシング技法の面接場面への適用に際しての幾つかの実用的示唆」   人間性心理学研究 第11巻 第2号  という論文を書いていました。

そこで、私は、まず、順序として、3つのステージに区切り、

1.夢を話してもらい、途中で少しずつ内容を投げ返し、話者に助言者の理解に間違いがないかどうか、丁寧確認していく。

2.話者に、その自分の夢についてどう感じるか、どう理解するか、自由に話してもらう部分

3.助言者が、様々な示唆的な質問を一つずつ提案し、話者が、気に入った質問を自由に試してみる部分
としてみました。

そして、この3.の部分の《質問》群を更におおまかに3つの方略に分け、

3a) 場所の方略

3b) あらすじの方略

3c) 登場人物のの方略

3d) その他の方略

.....これらの方略それぞれに分類できる幾つかの《質問》に、平易で無理がないものから、更に高度なものへという深め方の提案順序が、Level 1 からLevel  4まであるというふうに整理しました。

夢フォーカシングの20あまりの《質問》は、すべて提案してみる必要はなく、ほんの幾つか幾つかやってみるだけで自然と大きな展開が生じ、十分堪能できるものになることが少なくないかと思います。  逆に、その柔構造な側面が、技法を学ぶ際に見当つきづらく感じさせるようです。そのための目安としてのチャートを作ったつもりです。  実は私の夢フォーカシングへの習熟は、この1993年に一応完成されていたのですね。

思いつきで、ひとつだけ示唆します。

 私が「登場人物の方略」の一番アドバンスなものに一応位置づけた、ジェンドリンの「登場人物になってみる」という質問がについてですが、ジェンドリンは、見知らぬ登場人物や、場合によってはさりげなく場面に登場登場している「無生物」になってみるのが面白いと明言しています。  夢の話の中で。話者が自発的に具体的に言及したアイテムなら、なんでも素材になり得る。

例えば、

「私は、普段はまず行かないようなしゃれた店で、ワインを片手に、赤いレンガの壁のそばの席で、中学時代の片思いの人とデートしている夢を見ました。キャンドルが美しくて雰囲気よかったですね。でも、その対話は結構ヘンな対話で.....(以下略)」

という夢が報告されたとします。

夢について語った人が具体的に明言したアイテムなら、登場人物が対話している建物の「壁になる」とか、「テーブルの上のキャンドルになる」とか、「飲んでいるワイン」になるというような、一見唐突なアイデアです。  最初は素っ頓狂に思えるでしょうが、好奇心半分で,」ユーモラスに、それらのアイテムの「身になって」場面を感じてみると、予想もしない展開に爆笑したり、思いもよらない深い体験ができることもある。

例えば、夢の中のけんか相手に「なってみる」などという、いかにも正攻法な思いつきをあっさりやってみるのではなくて、搦(から)め手から遊び心でやってみると結構面白く、夢フォーカシングの体験そのものが苦しいものになる危険を大幅に軽減しています。

それこそ、なぜか、この提案を話者がやってみたら、その、夢の中での「片思いの相手との奇妙な会話」の含蓄が、夢を見た人に、その人の一見夢の内容と無関係な現実状況と一気にスパークするみたいな洞察をもたらし、身体までスッキリす ことなんて、結構あるのです。

リスナーで提案の助言者である側の人物には、夢フォーカシング技法を、普段から柔軟に自分に使い込んでいるからこその余裕と、遊び心、そして、いわば芸人が観客を舞台にあげて、決して傷つけない形で爆笑の対話の場とできるようなセンスが必要かと思います。

******

条件はただひとつ。できるだけ最近みた新鮮な夢であること。  詳しくは思い出せなくて、断片的で、ワンシーンだけしか覚えてなくていいです。

それでも1時間堪能できる場合もあります。

※追記

*******

ちなみに、ユング派の夢分析や、ボスナックのdreaming body(ご本人のワークショップに出ました)、あるいはゲシュタルトのワークとどう違うの? ....とお感じの皆様、皆様がこれらの体験に慣れ親しんでおられても、まさにそういう皆様にこそ新鮮なものになるか思います。

こちらの記事も参照。

 

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トロントだより

  • 050601_0957
     The Focusing Instituteの第17回国際大会(2005/5/25-31)の開かれた、カナダ、トロントの北の郊外(といっても100キロはなれてます)、Simcoe湖畔のBarrieという街に隣接するKempenfelt Conference Centreと、帰りに立ち寄ったトロント市内の様子を撮影したものです。

神有月の出雲路2006

  • 20061122150014_1
     11月の勤労感謝の日の連休に、日本フォーカシング協会の「フォーカサーの集い」のために島根県の松江に旅した時の旅行記です。https://focusing.jp/  
    ご存じの方は多いでしょうが、出雲の国には日本全国の神様が11月に全員集合することになってまして、「神無月」と呼ばれるわけですが、島根でだけは、「神有月」ということになります。(後日記:「神無月」は10月でしたよね(^^;A ........旧暦なら11/23前後は10月でせう....ということでお許しを.....)  
    ちょうど紅葉の時期と見事に重なり、車窓も徒歩もひたすら紅葉の山づくしでした。このページの写真は、島根の足立美術館の紅葉の最盛期です。

淡路島縦断の旅

  • 050708_2036
     「フォーカシング国際会議」が、2009年5月12日(火)から5月16日(土)にかけて、5日間、日本で開催されます。
     このフォトアルバムは、その開催候補地の淡路島を、公式に「お忍び視察」した時の旅行記(だったの)です(^^)。
     フォーカシングの関係者の紹介で、会場予定地の淡路島Westinという外資系の超豪華ホテルに格安で泊まる機会が与えられました。しかし根が鉄ちゃんの私は、徳島側から北淡に向かうという、事情をご存知の方なら自家用車なしには絶対やらない過酷なルートをわざわざ選択したのであります。
     大地震でできた野島断層(天然記念物になっています)の震災記念公園(係りの人に敢えてお尋ねしたら、ここは写真撮影自由です)にも謹んで訪問させていただきました。
     震災記念公園からタクシーでわずか10分のところにある「淡路夢舞台」に、県立国際会議場と一体になった施設として、とても日本とは思えない、超ゴージャスな淡路島Westinはあります。

水戸漫遊記

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     友人と会うために水戸市を訪問しましたが、例によって鉄ちゃんの私は「スーパーひたち」と「フレッシュひたち」に乗れることそのものを楽しみにしてしまいました(^^;)。
     仕事中の友人と落ち合うまでに時間があったので、水戸市民の憩いの場所、周囲3キロの千破湖(せんばこ)を半周し、黄門様の銅像を仰ぎ見て見て偕楽園、常盤神社に向かい、最後の徳川将軍となる慶喜に至る水戸徳川家の歴史、そして水戸天狗党の反乱に至る歴史を展示した博物館も拝見しました。
     最後は、水戸駅前の「助さん、格さん付」の黄門様です。
     実は御印籠も買ってしまいました。

北海道への旅2005

  • 051012_1214
     日本フォーカシング協会の年に一度の「集い」のために小樽に向かい、戻ってくる過程で、他の参加者が想像だに及ばないルートで旅した時の写真のみです。かなり私の鉄ちゃん根性むき出しです。  表紙写真は、私が気に入った、弘前での夕暮れの岩木山にしました。

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フォーカシングの本1

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