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宗教

2016年8月19日 (金)

勇めや、はらから

いさめや、はらから くらき路にも
しるべの星あり あおぎて進め。
はるけき行く手に こころ落とさず
み神にたよりて 進め、すすめ
おおしくすすめ。
たくみとてだてを 全くうちすて
勝敗わすれて まさみち進め。
党派をたのまず 首領(かしら)によらず
み神にたよりて 進め、すすめ
ただしくすすめ。
誉れにまよわず 人にひかれず
慣(なら)いになずまず まさみち進め。
おもねりそしりの さかいを離れ
み神にたよりて 進め、すすめ
ますぐにすすめ。
み神にたよりて まさ道ゆけば
平和とよろこび こころにあふる。
いさめや、はらから くらき空にも
しるべの星あり、 あおぎ進め
おおしくすすめ。
(賛美歌447番 Hymn:"Courage, Brother"

・・・・高校時代、ミッション系だったので、毎日の朝礼で賛美歌を歌ったのですが、私が一番好きだった曲です。

かなり憂鬱な気分になった後、今日のフォーカシングをする中で最後に浮かび上がってきたのがこの曲でした。Youtubeでメロディーを聴いた瞬間、涙が溢れました。

まさに今の「しるべの星」になりそうな賛美歌です。

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2016年1月30日 (土)

リチャード・ローボルト編著「スーパーヴィジョンのパワーゲーム -心理療法家訓練における影響力・カルト・洗脳」の要約と感想 その1(togetter)

まだ3分の1ぐらいしか要約できていませんが、とりあえずupします。

こちらからどうぞ。

続きを読む "リチャード・ローボルト編著「スーパーヴィジョンのパワーゲーム -心理療法家訓練における影響力・カルト・洗脳」の要約と感想 その1(togetter)" »

2013年1月14日 (月)

ついに「過去ログ再掲シリーズ」終了しました。

最終日は一気果敢にラストスパートをかけてしまいましたが、これで、旧「カウンセラーこういちろうの雑記帳」からのエッセンスの再掲シリーズ、終了いたしました。

これで「クリーン再インストール」完了です。

大体過去記事の15分の1くらいのものを精選しました。

あまりに再掲のテンポが速いので、読者の皆さんのキャパを超えてしまっているかと思いますが。

また、全部の記事を再掲していないこともあり、あちこちにリンク切れが放置されています。応急処置は大事な記事についてはしましたが、これ以上細かくはやらないままとなるでしょう。

どうかゆっくりと、時折めくって下さいませ(^^)

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2013年1月 9日 (水)

スイスの宗教的エッセイスト、「幸福論」のヒルティとフォーカシング (再掲)

最近自分でもやっとはっきり気がついてきたのは、 「ひとつの対象にずっとのめりこむ」とエネルギーが容易に枯渇する、 という、当たり前のことです。

「仕事の対象を分散させ、一度にでなく、少しずつ、代わる代わるにやるのがいい」 とは、スイスの宗教家、カール・ヒルティ幸福論(第1部)「幸福論」第一巻の 「仕事の上手な仕方」という、「幸福論」の中でも、ドイツ語の教科書として使われるくらいに有名な文章の中でも語っていることでした。

ヒルティという人は、第一次世界大戦の直前に亡くなった、スイスを代表する法律家で、ハーグの国際司法裁判所の初代判事までやった「実務家」なんですが、キリスト教への信仰が深く、今日では宗教的著述家として名前を知られています。
眠られぬ夜のために(第1部)改[版]「眠られぬ夜のために」という、誰だったか、JーPOPのアルバムのタイトルにすらなった著作も有名。

そして、ヒルティも、基本的にはプロテスタンティズ厶の立場に立ちつつも、「神」との関係がひどくパーソナルです。 ヒルティがいう「神の声を聴く」というのは、 スピリチュアルなナチュラル・フォーカサーに近い人ではないかとも。この点は後で詳しく書きます。

「幸福論」、第2巻以降は宗教色が強いですけど、第1巻は、19世紀末のドイツ語圏の第一級の碩学が書いたエッセイとして、お勧めです。私は「三大幸福論」といわれるアラン、ラッセルと比較しても、文句なく一番好きなんです。

私は中学生の時に、岩波文庫を3冊まとめて自分で製本しなおして、繰り返し読んでいました。 ジェンドリン、そしてフォーカシングと出会うまで、私の「心の師」だった人です。

私が一見「守備範囲」がすごく広く見えるのは、ひとつには、根っからの歴史好きというのもありますが、実はヒルティがこの本の中でに繰り返し紹介してくれる、古代から近世までのヨーロッパ文化のエッセンスに、中学生という、むやみに早くから接したせいが大きいと思っています。

******

「宗教的著述家」と紹介したので、まるで隠者みたいな人をイメージされかねないですけど、正反対です。

19世紀の後半3分の2ぐらいを生きて、第一次世界大戦直前に亡くなった、スイスのベルン大学の国際法の教授にして国会議員、ついにはハーグに設立された国際仲裁裁判所の初代判事(というと、私の「浩一郎」という名前の由来である「なるちゃん」の奥さんの「おわちゃん」のお父さんの大先輩?!)、スイスを代表する法律の大家でした。

アプサントというお酒がある。このお酒、当時大流行して、印象派の絵の題材とかにもなっているけれども、中毒になると精神症状が生じて犯罪にも走るものが大量に出て社会問題になった。

このアプサントを生み出した国がスイス。そのスイスで1907年「アプサント禁酒法」が成立してから、国際的な規制が始まったそうだけど、この法律の制定に尽力した立役者が、当時国会議員をしていたヒルティらしい。

ヒルティは永世中立国スイスの国際法の大家として、どうすれば国際平和が保てるかにも尽力していた。要するにバートランド・ラッセルとかの先駆者でもある。だからこそハーグの裁判所の初代判事にもなることになる。

******

つまり、すごい「実務家」でむちゃくちゃに勤勉な人。一日10時間完全に規則的に働いた。75歳の祝賀会を大学が開こうとしたら「もっとも都合のよいのは朝の7時」と応えた逸話は当時有名だったらしい。

でも、古今東西の書物に通じた恐るべき読書家でもあった。もちろん最終的には聖書を何より大事にするんだけど、コーランでも中世の神秘思想家でもギリシァ・ローマの古典でも、当時「現代人」だったニーチェやドストエフスキーからマルクスの「資本論」まで何でもかんでも読んでいた、スイスの法曹界の「中井久夫」のような人である。

(私が中井先生の本をあっさり愛読した背景には、ヒルティという下地があったのだと思う)。

フロイトに間に合わなかったのが残念ではあるが、結構心理学的なエッセイも書いている。

そして、

「これから一度は労働者が支配階級となる時代が来ると期待して誤りない。しかし、彼らが他人の労働で利札を切る怠け者になってしまえば、結局滅びるより他ないであろう」

「たとえば福音書、コーラン(!!!)、『アンクル・トムの小屋』などは、『資本論』が読まれなくなっても読まれるであろう」

などという、完璧に時代を先取りした言葉も残している。

      (いずれも「幸福論」第一巻より)。

******

では、ヒルティとジェンドリンをつなぐ接点は?

それは、ヒルティが、ヒンターコフ「スピリチュアリティとフォーカシング」でいうところの、

既成宗教の儀礼に従う"religiousness"よりも、

自分個人の体験としての"spirituality"

を徹底的に大事にする宗教観の持ち主だったからだろう、と今では思う。

この点では、同じスイスの、ほんの少しあとの世代、ユングにも似ているが、ヒルティは、まあ、ユングよりは、正統派信仰の枠を大事にします(私のユングへのシンパシーの背景も、やはりヒルティとの共通風土なのだろう)

例えば、次のような言葉:

「ひとは祈りに対する神の答えが聞こえなければならない。そのためには普通の『祈る人』たちよりもかなり鋭い耳を持ち、我欲の少ないことが重要である。答えを期待しもせず、また得られもしない祈りは、単なる無益な形式であって、やめても一向にさしつかえない」

「真の祈りは『ききいれられること』それ自身をのうちに含んでいるが、人間の心があらためて神にすっかり自己を委ねようとする意志行為である(中略)。そういう祈りは、地上の最も偉大な二つの力を、はじめから味方につけており、だからこそ実現の保障をそれ自身のうちに持つのである」

「神の実在のまことの証拠は(中略)、神の力がしばしばただ一瞬の間に、しかも永久にわたって、人間を解放しうることである。この場合、その人はそのことをひとつの出来事として、また、これまでしばしば試みながら無駄であった自己改善の決意とは全く異なるものとして、感ずる。このことに決して思い違いはおこらない」

これ、フォーカシングで言う「フェルトシフト」(身体感覚の変化を伴う真の「洞察」体験)と、あまりにも似ています。

(幸福論(第3部)「幸福論」第3巻 最終章「より高きをめざして」 岩波文庫 草間平作訳より) 

どうみても、ヒルティは実質的にフォーカシングを「していた」!!

ひょっとしたら、ジェンドリンのほうこそ、ヒルティで私が潜在的に学んでいたものに、具体的な方法という道を指し示してくれた「だけ」なのかもしれない。

*****

おまけで、おもいつくままに、ヒルティの箴言。

前も書いたように、昔、日本でもドイツ語のテキストとしてよく使われたという、「幸福論」第一巻の最初の章、「仕事の上手な仕方」より:

「仕事の対象を分散させ、一度にでなく、少しずつ、代わる代わるにやるのがいい」

「働きの喜びは、自分でよく考え、実際に経験することからしか生まれない」

「わがスイスの美しい谷々は病院ばかりになったが、この病院もやがては、この安らぎを知らぬ多数の人々のために一年中開業することになるであろう。彼らはここかしこに休息を求めて動き回るが、どこにもそれを見出さない……なぜなら、仕事の中に休息を求めないからだ」

「よく働くには、元気と感興がなくなったら、それ以上強いて働き続けないことが大切である」

「あすはひとりでにやってくる。そして、それと共に明日の力もまた来るのである」

そして、極めつけ!!

「本当の勤勉は、ただ休む暇もなく働き続けることではなくて、頭の中の原型を目に見える形に完全に表現しようという熱望をもって仕事に没頭することである」

「言葉にならない『何か』、その曖昧なモヤモヤを、少しずつ「自分の」言葉にしていく、という、

「フォーカシングの真髄」そのものである!!

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2013年1月 6日 (日)

カウンセラーとしてしか生きられないからカウンセラーをしているだけ?

 確か中井久夫先生がどの著作かでお書きになっていたことなのですが、

 「他科の医者から精神科に転じた医者というのはたいへん多い。しかし、精神科から他科に転じた医者というのはほとんどいない」

 私はこの言葉がずっと気になっていました。  「他の職種の社会人経験を経てカウンセラーになった人は実に多い。しかし、カウンセラーを捨てて他の職種の社会人になったという人の話は滅多に聞かない」  というのも真実な気がして。

*****

 文筆業を別にすれば、「精神科医」としての経歴もあって、他の業界でも成功した人、というのは、世界的に見ても、滅多に聞かない気がします。

 既に亡くなった指揮者のジュゼッペ・シノーポリも、精神医学を学んだ経歴はありますが、現実の臨床現場に出た経験がある、という叙述を少なくとも私は知りません。博士の学位をいくつもの分野で取ることそのものは、ヨーロッパのインテリではありふれたことですから。カール・ベームも「法学博士」だったと思いますし。

*****

 精神科医が医者全体の中で占める比率は、人数的にはたいへん少ないと聞いたことがあります。しかも、欧米の方が必ずしも精神科医のシェアが高いというわけでもないとすら。

 カウンセラーは、精神科医よりはるかに新興のprofessionです。もともとカウンセラーの実人数が人口比的に少ないから、「カウンセラー出身」の他業種でもひとかどの人材になった人のことが話題にならないだけかもしれません。臨床心理士ですら確かまだ1万数千人ですから。

 

少なくとも、「人生の達人だから」カウンセラーになるわけではない。

 それなら、当然のごとく、カウンセラーを廃業して他分野で成功して有名になる人がもっと出てきてもいいはずと思います。(繰り返しますが、著述業は除きます)

 カウンセラーとしての有能性が、その人の社会人としての適応の良さを前提としないことは確かです。

 もとより、どんな分野でも、自分の専門を離れたら、生きる術をまるで見失う人は多いと思いますので、ことカウンセラーが特別ではないとも言えるでしょう。

 でも、「大学の先生」でも「著述業」でもない形で、そして単に現場臨床への挫折感を体験して他業種に転じるのでもない形で、「カウンセラー時代」を人生のひとつのステップとして、広い意味での「援助職」以外の別な領域で生きるようになったことに自負を感じている人(有名である必要はないです)に、実際に巡り会って、お話をうかがってみたいと感じている私がいるのも確かです。

できれば、自分もそうなりたいと、私は今でも思っているのかもしれない。

 向こう10年は、「一介の現場カウンセラー」として、どこまでやれるのか試してみたいのですが。

 45歳になり、人が一生にできることは、たいへん限られたことだと実感を持って感じつつも。

 でも、ユングが「人生の後半からが真の個性化だ」、といったことも真実かな? とも、最近感じます。

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2013年1月 2日 (水)

「おくりびと」・・・・臨床ということ(再掲)

「臨床(clinic)」とは、本来「ベッドのそばにたたずむ」という意味のみならず、「死に至る患者さんのそばに臨(のぞ)み続ける」という含蓄が込められていた言葉であるという。これは確か中井久夫先生の著作のどこかで読んだことである。

*****

 私の業界では、「臨床」という言葉を意識的に使う時には、カウンセリングや心理療法などを通して、ひとりひとりのクライエントさんと向き合う現場を持っている・・・という含蓄で使われることが多い。

 つまり、机上の学者などではないということである。

*****

 広末涼子が演じる妻は、本木雅弘演じる夫がやっているのが納棺師だと気づく前は、直前に絞(し)めて捌(さば)いたばかりの鶏を目の前にすることに何の抵抗もなかった。それどころか、買ってきた蛸が「まだ生きている」ことに気がついた時に悲鳴を上げた。

 つまり、私たちの多くが、普段肉食(にくじき)をする際に、それが「死体」に他ならないことを忘却しているのと同じ次元に生きていたのである。

 この映画で殊に印象的なシーンのひとつが、社長と主人公たちが、

「うまいか?」

「困ったことに」

などと対話しながら、進んで肉食を繰り返すシーンであることは衆目の一致するところであろう。

 私はベジタリアンを貫こうとする人を揶揄する気はもともとない。中には健康上の理由からベジタリアンを貫くひともあろうが、欧米ではベジタリアンでありながらもキリスト教徒である人は少なくないかと思う。

 ところが、キリスト教という宗教そのものが、「我々の罪を背負って十字架にかかって下さった主イエス」への信仰であるばりか、多くの宗派において、「聖餐」という儀式を大変重視するものである。

 これは聖書に伝えられる「最後の晩餐」におけるイエスの発言に基づき、ワインをイエスの血、パンをイエスの肉として口にする儀式である。多くの宗派の公式の教義では、聖別されたワインとパンは、まさにイエスの肉体そのものなのであり、決して「象徴的な表現」などと見なしてはいないそうである。

 実はイスラム教徒は、このあたりを指して、「キリスト教は教祖の人肉を食らう野蛮な宗教」と喧伝した時代もあるとのことである。

****

 こうして私は、敢えて仏教的・東洋的な発想から一定の距離を取ったままこの映画についての小考察を進めてきたが、そろそろ、私なりの言葉で、今回書きたかったことの核心に触れていこう。

 人は、他者の生命の犠牲の上に立ってしか生きていない存在である。

 いかに自立・独立を尊ぶ人でも、一切の衣食住をすべて自分で賄(まかな)って生きる、ロビンソン・クルーソーのような生き方をしているわけではあるまい。

 人は幼年期を脱した後も、何らかの意味で他者に「寄生して」生きているのである。収入を得られるいうことは、回りまわって、誰かがお金を出してくれたということである。

 誰もが「人の生き血を吸って」生きている。このことに貴賎はないと思う。

 臨終から葬儀、火葬、埋葬、そして追供養と続く一連の儀式は、悲しむための儀式ではない。むしろ悲しみが感謝に昇華される過程となるのがふさわしいのだろう。

 「愛(いと)し」「恋し」「哀(かな)し」といった古語の意味を探っていくと、これらが自然と融合する接点が出てくるようである。

 死や病が日常世界から隠蔽され、不死と無限の健康へのファンタジーが満ち溢れかねない時代(今度の不況で、そこに少しブレーキがかかったかとは思うが)であればこそ、病や死と日常の間にある、目に見えない「門」をつなぎ、その間にさ迷うしかなくなっている、個々人の「成仏できない思い」の仲介者となる「渡し守」が職業としても必要な時代なのだとも思う。

 それはむしろ、個々人日常生活の中に、そうした「愛(いと)し」「恋し」「哀(かな)し」の思いが行き交う世界が復興するための、ささやかなお手伝いなのだと思う。

*****

 BGMは、中島みゆきの中島みゆき - 歌でしか言えない - 永久欠番「永久欠番」ということで。

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2012年12月17日 (月)

フォーカシングとスピチュアリティ(再掲)

 10年以上前、アメリカからフォーカシングの有力なトレーナー、エルフィ・ヒンターコフ(ヒンターコプフ)が来日して東京でもワークショップを開いた。そのワークシップが非常に面白かったので、そのことを書こうと思う。

 このヒンターコフという人は、アメリカ生まれだが、ヴイーン大学で、先年(1997)亡くなった、ナチの収容所体験とその極限状況下において生の意味を見いだせる人たちについて考察した『夜と霧』(みすず書房)で有名な、実存分析の大家、フランクルのもとで学んだ後、文化人類学に専攻を変え、ネイティヴ・アメ リカンについてのフィールドワークに打ち込み、更にシカゴ大学のフォーカシングの祖、ジェンドリンのもとでフォーカシングを学び、今や心理療法家、フォーカシングの代表的トレーナーとして活躍中の方である。

 ヒンターコフ自身の著書、"Integrating Spirituality in Counseling: A Manual for Using the Experiential Focusing Method"(邦訳「いのちとこころのカウンセリング―体験的フォーカシング法」 日笠摩子・伊藤義美訳 金剛出版)によれば、厳格なファンダメンタリズム(聖書を字義通りに理解し、進化論も否定する)の家庭で育ったが、13歳の時、やりたかったダンスを取るか宗教を取るかを決断せざるを得なくなり、彼女はダンスを選んだ。何事も「すべき」か「すべきでない」かでとらえようとするキリスト教の風土は彼女にとって無意味に思われた。それ以来彼女は宗教を拒絶したが、日常の中で、ある「無意味感」を抱え続け、彼女が「意味の探求」と呼ぶものをはじめたという。

 前述のフランクルは、生の意味は自分の内側からくみ取るしかないと諭したが、それがどういう意味なのか、この時点での彼女には実感としてはわからなかったという。「わたしは、内側から意味を見出すには何をすればいいのかわかっていなかった」。平和部隊に参加して訪れたインドではヨガの導師に教えを請い、瞑想を学んだが、瞑想をしている最中は安らぎが得られるものの、日常に帰ると、また再び、以前からの葛藤に翻弄されてしまったという。
 
 ジェンドリンとフォーカシングに出会って後、フォーカシング体験を積む中で、はじめて彼女は、以前フランクルが諭した「自分の内側から生の意味をくみ取る」ということ、すなわち、「内側からの、静かな、かそけき声」を聴くということ体験的に理解できるようになった。そして、更に、フォーカシングを深く進める中で、「神、人間、森羅万象と自分が共にある」という体験に至り、仕事や他者との関わりや余暇の過ごし方において、自分の実感を大切にしながら生活することができるようになったとのことである。

***

 さて、ヒンターコフの来日セミナーのテーマは「スピリチュアリテイとフォーカシング」というものだった。このテーマは、ひとつには、今述べてきたような、彼女の精神的遍歴と強く結びついたものなのであるが、それにとどまらず、およそ欧米で心理療法やカウンセリングに関わる限り、避けて通れない重大な問題と結びついている。

 ご存じの方も少なくないかも知れないが、欧米では、クライエントに、セックスに関する質問を面接の中でしても、日本でに較べれば遙かにフランクに話してくれることが少なくない。だが、相手の信じる宗教は何かについて訊ねることは、日本人からは想像がつかないくらいにタブー視されがちとのことである。

 ところが、それにも関わらず、広い意味での宗教的なことに関わるテーマが、多くの面接の中で不可避に登場する。違う宗派の人間同士の結婚にとどまらず、同じ家族の中で、それぞれ信じる宗教が異なり、3つも4つもの宗派に分かれてしまうことも稀ではない。

 しかも、そのような家族や周囲との宗教の違いが互いの葛藤に影を落とすことがあるばかりではない。クライエント個人が語る悩みのあり方そのものに、日本人ではあまりみられないものが頻繁に登場する。例えば、

「重要なのは、イエス・キリストと私がどんな関係にあるかということなんです」
「私は神に対して否定的な感情しか持てないでいます」
「私はこれまでの生涯でずっと信心深い人間だったつもりですが、実は一度も神を体験したことがないんです」
「私が前世で体験したことが今の私を支配しているんです」

などということが、カウンセラー相手の悩み相談のテーマとしても、かなり頻繁に登場するらしいのである。

 それに輪をかけて事態を厄介にするのは、カウンセラー個人が抱いている宗教的な信念と全く受け入れがたいクライエントの発言をいかに受け止めるかという葛藤も生じることだ。だが、このようなクライエントの発言を避けて通ることは、クライエントとの関係を基本的なところで傷つけるものになりかねない。

 人間の移動が激しくなり、家族関係の枠がゆるみ、神秘思想や従来の欧米以外に由来する宗教に関心を持つ人も増え、違う価値観の人が密接に交渉を持たざるを得ない状況が進む中で、もはや欧米でも、宗教的な問題を心理療法の現場で扱いづらいものとしてタブー視するだけでは済まされない状況がいよいよ進展し、臨床心理関係の学会でも重要なテーマとして取りあげられることが少なくないとのことである。

 最近はやりの言葉で言えば、心理療法の現場も、マルチカ ルチュラリズム(多文化主義)的な発想を必要とするようになって来ているのが時代の要請なのである。

***

 こうした中で、ヒンターコフは、まず、"religiousness(宗教性)""spirituality"(霊性。以下の文中では特に断りがない限りカタカナで「スピリチュアリティ」と表記する)を区別することを提案する。

 "religiousness"とは、「ある特定の、組織的な宗教団体や教会などの信念と実践を守ること」である。それに対して、"spirituality"とは、「超越的(transcendent 常識的・合理的な判断を越えた)」次元での、独特の、個人的に意味深い体験」全般のことを指す。

 このようにとらえると、個々の具体的な神秘思想や宗派を信じると言うより、遙かに広範な経験が「スピリチュアリテイ」の名のもとに包括されることになる。例えば、自然や芸術作品を味わう中で生じた深い感動なども含まれてくる。

 だが、これは後者が前者よりも幅広い、包括的な概念であり、"religiousness"が"spirituality"の部分集合として含まれてしまうことを意味するわけではない。つまり、"religiousness"であっても"spirituality"ではないという次元も存在する。 これは、すでに掲げた、

「私はこれまでの生涯でずっと信心深い人間だったつもりですが、実は一度も神を体験したことがないんです」

という例にも示されているように、形の上では熱心に宗教儀礼をしているつもりでも、「常識的・合理的な判断を越えた次元での、独特の、個人的に意味深い体験」の方はその人に得られていない場合などに典型的にあらわれている。

 では、ヒンターコフは、「スピリチュアルな」体験をどのように定義するのか。

  1. 漠然とした意味を含んだ、(何か意味ありげだが、何なのか当人はすぐにはうまく言葉が思い浮かばない)微妙な、身体で感じられる感じがあり、
  2. その感じの中から、新たな、はっきりとした意味が啓示される体験があり、
  3. 超越的(transcendent)な次元での成長過程を伴う

この3つの条件を満たす必要があるとのことである。

 実は、この中の1.と2.は、フォーカシングで言う、

  1. 身体で漠然と感じられたフェルトセンス(felt sense)に注意が向き、
  2. その感じの中から、身体の感じの変化と共に新たな気づきをもたらすfelt shiftが生じる

ということに他ならず、通常のフォーカシング体験や、生産的なカウンセリング場面、あるいは創造的な表現や発見の現場ではごく普通に生じている現象である。

 だが、このような「身体で感じられた曖昧なモヤモヤした何かの中から、身体の感じの解放と共にその個人固有の意味が啓示される」という実感ある体 験が、いくら信心しても得られていない人は少なくないらしい。仏教的に言えば「悟り」の経験が得られたという実感がないということにあたるかも知れない。

 しかも、それが通常のフォーカシング的体験ではなくて「スピリチュアルな」体験と言えるためには、

  3..超越的(transcendent)な次元での成長過程を伴う

が加わることとなる。

 ヒンターコフはこの「超越的」体験のことを、

「今までの自分の準拠枠(frame of reference)を越えて新しい次元に進んでいくこと」

「深いところから命を前に進めるエネルギー(life forward energy)があふれ出し、自分の中の何かが動き出すこと」

などとも説明している。いわば「世界」の体験の仕方そのものが全体としていきいきと変容していくような経験であるとも言えるかも知れない。

***

 ヒンターコフは、このようにスピリチュアルな体験をフォーカシング的に定義する上で、体験の「内容(content)」ではなくて体験の「過程(process)」という観点を重視した。

 つまり、「スピリチュアルな」体験の中で、具体的に「何を」体験し、それをどのように意味づけるかは人それぞれである。ある人はそれを「悟り」と 呼び、ある人は「神の臨在を体験した」と呼ぶだろう。ある人は「前世の自分の記憶を思い出した」といい、ある人は「宇宙と自分との合一を体験した」といい、あるひとは「イエスが神でありなおかつ人であり、いつも自分と共にあることが実感できた」というかもしれないし、ある人は「全てが<無>であることがはじめてほんとうにわかった」というかも知れない。

 それらを聞いていて、「内容」や「具体的な意味づけ」に感情移入できないどころか、抵抗や嫌悪すら感じる場合もあるだろう。

 しかし、「それは『あなたにとって』どういう意味があるのですか」などと、更に具体的に、そこに到る個人的な心情のひだの動きを更に傾聴していけ ば、かなりの程度まで、その人個人の中でどういう「感じ」が生じ、それがどのように変容していったのかが実感を持って共有できる可能性が開けてくるのである。つまり、はっきりしない漠然とした感じの中から生起した何かが、身体感覚のシフトを伴う気づきを生み出したプロセスそのものにシンクロし、共有することはかなりの程度可能になる場合がある。

 ヒンターコフは、このようなスピリチュアルな体験の「プロセス」の次元でならば、特定の宗教や神秘思想の用語への違和感などに振り回されずに共有可能と考えたのである。この人は「こんな」感じの中から「こんな」感じが生起してきた体験を、例えば「神の実在を体験した」と名付けているのだ、その名付け方には自分はなじめないが、その人にとっては、「その」体験をつなぎ止めるためのhandleとして、それを「神の実在体験」と呼ぶのがどうもぴったりらしいことは受容しよう……という形で接点を作るわけである。

 その体験をどのような「名前」で呼ぶかは、その個人固有の領域なのである。

 大事なのは、そこに身体感覚の変化と、その人にとって漠然と意味ありげに感じられていたものの中から何かがはっきりとした意味として実感できるようになる過程そのものを、相互作用の中で共有できることそのものなのだ。

***

 

「果たして、スピリチュアリティというテーマで人が集まるかのか?」

 このような疑問を抱いていた人は少なからずいたようである。私もその一人である。多くの日本人の宗教との関わりが形骸化している中で、果たしてピンと来てもらえる人がどのくらいいるのか?

 その時の東京セミナーは、幸いにして定員いっぱいの50名近い参加者に恵まれた。インターネットでの日本フォーカシング協会のホームページ経由の宣伝によって関心を持って参加して下さった方も数名おられた。

 当初、やはり「スピリチュアリテイ」の定義について若干の質疑応答があった。 ヒンターコフ自身、欧米では「スピリチュアリティ」とさえ言えば多 くの場合自然と共通理解が得られる問題に、日本人が必ずしも易々とは反応してくれない可能性を感じた瞬間があったようである。

 ・・・が、前述したような、「例えば自然や、詩や、音楽への感動体験の場合にもスピリチュアルな体験と言える場合がある」というような説明の中で、「ス ビリチュアルな体験」とは、予想していたより幅広い範囲の体験を包含していいのだという共通理解が生まれてはじめて、ワークショップは順調に進みはじめたように私には思われた。

***

 さて、以上のような、ひとわたりのレクチャーが終わったところで、休憩をはさんで、全員一緒のワークがはじまる。

 最初はヒンターコフの教示に従い、全員一緒に行い、その後で数名の小集団に別れて互いの感想を共有、最後に、再び全体会で、自分の体験を全体で共有していいという人の自発的発言を求める。

 最初のワークは、英語版のパンフには

「聖なる言葉についてのフォーカシング」

と書かれ、

「まずは、あなたにとって聖なる意味を持つ言葉(sacred text)をまずはひとつ選んで下さい」

と書いてある!

 これだけでは大半の日本人は乗れそうにないところだが、ヒンターコフはすぐに付け加えた。

「これは、あなたに感銘を与えた詩の一節や、ことわざ、あるいは自然の風景などでもいいのです。『まだはっきりとした意味はわからないけれども、そこには<何か>がある』という印象を残したようなものがいいと思います」

 私にはこの、ヒンターコフが最後に付け加えた、

「『まだはっきりとした意味はわからないけれども、そこには<何か>がある』という印象を残したようなものがいいと思います」

という示唆にピンと来るものがあった。

 そんなに内面をまさぐらなくても、そのヒンターコフの言葉にインスパイアーされるようにして、ここ2,3年、しばしば私の脳裏に甦り、時々反芻してきた、ある光景と、その時の「説明しがたい身体の実感」がいきいきと浮かび上がってきてくれたのである。

***

 私の体験について語る前に、ヒンターコフがワークショップで、せいぜい15分前後のワークとして用いる際のワークの手順のひとつをここで示してみよう。

 以下の教示をひとつずつ、じっくりと間合いを置いて、相手の応答に即して提示していく。ひとりがこれを読み上げる形で集団で行うこともできる。

  1. 自分が選んだ言葉やイメージを思い出して下さい。
  2. 自分自身にその言葉やイメージをゆっくりと繰り返しましょう。自分の中に生じてくる「感じ」や「気持ち」に気づいて下さい。
  3. その言葉やイメージを繰り返し想起し、味わいながら、そこで生じてくる「気持ち」をしっくりと表現するちょうどいい言葉を探してみましょう。
  4. あなたの中に生じてきた、その「気持ち」や「感じ」とじっくりと一緒にいてあげてみて下さい。そこに、もっと「何か」がそこにあるという感じが感じられないかどうかに注意を向けてみて下さい。
  5. その「感じ」と一緒にいながら、その「感じ」に向かって次のように問い掛けてあげることもできるかもしれません:

     「この言葉やイメージの何が、私に<こんなふう>に感じさせるのだろう?」
     「この言葉やイメージの何が、私にとって最高なんだろう。あるいは、凄く意味深く感じさせるんだろう」

    こんな質問をして、「感じ」の方から「あなた」の方に、何か応答のようなものがやってくるのを待っていましょう。
     そのような応答が返ってきたら、それを繰り返し自分の中で味わい、その応答が自分の実感にしっくりくるものかどうか確認して下さい。
  6. そして、最初の言葉やイメージに戻ってみて、今の自分がそれをどう感じているか感じなおしてみて下さい。新しい自分の「感じ」や「気持ち」があれば、それを表現してみて下さい。

 ここでは詳しくは説明しないが、これらは、通常のフォーカシングのプロセスとそれぞれ対応している。つまり、

2.フェルトセンスを掴む
3.フェルトセンスにとりあえず実感の上でぴったりな付箋となるような言葉を見
  つける(get a handle)
4.フェルトセンスと一緒にいる(being with)
5.フェルトセンスに問い掛けて応答を待つ(asking)
  →生じてきたものを受け止める(receiving)

となる(詳しくはジェンドリン「フォーカシング」 福村出版 参照)。

***

 さて、私がこのワークで選んだのは、3年前の夏の終わり、蔵王に行った時の体験である。

 当時の私には、終末の仕事の帰りに、思いついたように一人旅に出たことが時々あった。帰り道の駅からビジネスホテルに電話して予約して、新幹線でその日のうちに移動できるところまで移動してしまう。あとは出たとこ勝負である。

 その時はその日のうちに新潟に出て、翌日米坂線まわりで山形に移動、山形の宿を確保した上で、蔵王に日帰りで向かうことにした。季節運行の山頂まで登れるバスがまだ出ていると知ったからである。

 8月29日、バスとリフトを乗り継いでたどりついた蔵王の山頂は、かなり風が強く、やや肌寒くすらあった。夏の山によくあるように、日は射しているけれども、雲が速いスピードで流れていき、いつ天候が崩れて雨になってもおかしくない感じだった。観光客はまばら。

 行かれた方はご存じのように、山頂の近くの展望台から、火口湖、お釜が見渡せる。見渡せると言っても眼下に間近にあるわけではない。1キロ近くは 彼方のやや斜め下に見下ろせる。その間には荒涼とした稜線が次第に落ちていき、お釜の右手の方は硫黄が吹き出す緩やかな谷となっていたと思う。

 日は射しているにもかかわらず、上空の雲を映して、「お釜」の水面はむしろ鉛色というのに近く、そのまま灰色の稜線と溶け込んでいた。

 なぜか私は、その時、遠くに見えるそのお釜の鉛色の水面と、右手に見える白っぽい谷が次第に地平線に向けて高度を下げている光景に「不気味な怖さ」のようなものを感じたのである。

 私は、海か山かと言われれば、山派だろう。九州に住んでいたから、霧島や阿蘇・九重・雲仙などには何回も行っているし、火口湖や噴火口の光景にも小さい頃から馴染んでいる。その私が感じたことがない、奇妙な「怖さ」だったのである。

 おかげで、それ以来、その時の光景が、この3年間の間、何回も自分の脳裏に自然と蘇り、反芻されていたのである。

 すでに述べたように、言葉やイメージを選ぶ際、ヒンターコフは、「『まだはっきりとした意味はわからないけれども、そこには<何か> がある』という印象を残したようなものがいいと思います」という示唆を付け加えた。この示唆の言葉に触発されて、全く自然に脳裏に喚起されたのは、この三年前の、蔵王のお釜を見下ろした時のイメージと「体感」だったのである。

***

 その、目に焼き付いた光景とその時の「体感」を自分の中に繰り返し反芻しながら味わった。(2.)

 すると、最初それは「不気味」あるいは「こわい」という言葉が、とりあえずふさわしいように思われた。(3.)

 だが、それだけでは言い尽くせないsomething moreが、その言葉にならない実感の中にはあると思えた。

 しばらく「その」実感と一緒にいてあげる(4.)うちに、身体に感じられている感じの質が少し別のものに変容してきた。

「不気味」あるいは「恐い」……というより、

……「厳しい」

そう、何か一種の「厳しさ」「畏怖」のようなもの。

その方が実感には近い。

 私は「厳しさ……のようなもの」という言葉を自分の中の記憶の光景と実感に重ねあわせながら、この言葉だけで実感にしっくりかどうか再度確認していく。

 ……これでもまだ不十分だ。まだ「先」がある。説明され尽くしていないエッセンスの核心、「何か」がそこにはある。

 そのうち、その心の中の蔵王の風景を眺めている私の身体の前面の方が、何かある独特の緊張感で満たされてくるのがわかる。身体前半分の皮膚がピリピリしてくる。まるで蔵王の風景に圧迫されるかのように。

そして、なぜか、目頭だけが熱くなる。

「絶対的に、そこにある」

「どうしようもなく、そこにある」

という言葉が浮かぶ。

 なぜか、この蔵王でお釜を見下ろした時だけ、「もし、仮にこの風景をハイビジョンの映像として眺めても、ここまでありありと<そこに-ある>という感じはしないだろうな」などということを連想していた自分がいたことを、この時やっと思い出しした。

 これは「映像」ではない

 湖は、<そこに-ある>

 谷は、<そこに-ある>

 どうしようもなく、<そこに-ある>

 私の中に、その、確かに<そこに-ある>光景に圧倒されつつ、ほとんどそれに涙を流しながら「ひれ伏したい」というのに近い思いがあることに気が付く。

 (後で、全体でshareする際に、拙い英語力でヒンターコフにこの時の感じを伝えるのに私が選んだ言葉は、

”surrender(降伏する)”

だった)。

 しばらくその感じと共にいた。

「こうふうふうな感じにさせるのは何なんだろう?」と内側に問い掛け、返事を待つ(5.)。

 しばらくして浮かび上がった言葉は、自分でも意外なものだった。

 「……絶対的父性……

  ……絶対的父性 ???」

この私の中に、絶対的な父性にひれ伏したいという感情のようなものがあるのだろうか?

 これは意外だった。というのは、私は、むしろ「絶対的父権」のようなものを心の中で軽蔑してきたとずっと思っていたからである。

 私は更に、6.の教示、つまり、

> 6.そして、最初の言葉やイメージに戻ってみて、今の自分がそれをどう感じているか感じなおしてみて下さい。新しい自分の「感じ」や「気持ち」があれば、それを表現してみて下さい。

に進むことになる。再びお釜を前にしたときの私のイメージと体感に戻ってみる。

 すると、これまた予想外なことに、私の身体にしみ通るように感じられてくるのは、先ほどまでの、あの、「恐い」「不気味」「厳しい」などという感覚とは打って変わって、ある柔らかくて、潤いと親しみに満ちた感覚だった。

  「その」感覚にぴったりの言葉を敢えて探し求めるならば、……そう、

「愛おしい」

というのがかなり近いという感じだろうか。愛する人やペットへの何とも切ない感覚に近い何か。

***

 恐らく、この私のフォーカシング体験の中で問題になるのは、ありふれた「父性復権」についての議論などではない。

 私が「絶対的父性」という言葉でとりあえずつなぎ止めている私の中の「体感」が含蓄するもののみが、私にとって重要なのである。 

 おそらく、

「どうしようもなく、そこにある」

という言い方の方こそが、肝心な本質に肉薄するものだろう。

 そこには、確かにあるひとつの布置(constellation)がある。つまり、私のおかれた状況が、非常に多重的な意味で、ある共通の構造を持って、その言葉と響きあっている。

 現在の私には、いくつもの意味で、以前よりも責任を負わされつつある。 様々な役職。結婚に際しての、実家との関係の変化。いずれ自分が父になるかもしれないこと。

 だが、何より、私自身が、私自身の「存在感(presence)」に、何か基本的なところで不満なのだ。

 あるいは、もっと、既成の経験ある先達に素直に心を開き、学びたい気持ちを押し殺して強がっていたのかもしれない。

 もちろん、こうした言い方は「ひとつの解釈」にすぎない。蔵王の光景とその時の理屈抜きの体感についてフォーカシングする中から私の中に生じてき た身体感覚そのものの変容は、このような特定の「意味づけ」だけに押し込めるわけには行かない、something more としてまるごと味わい続けるべきものなのだと思う。

 「そこ」から、無限に、果てしなく、意味が交差(crossing)し、あふれ出してくるのだ。その全てが、何らかの意味で、その時の私にとっては「的確な」象徴化のステップである。

 だが、その時その時の言葉の意味内容にしがみつくことはむしろ避けた方がいい。このことはジェンドリンも「夢とフォーカシング―からだによる夢解釈」などで繰り返し述べるとおりである。

Okama

 ご存じのように、蔵王は山岳信仰の地でもある。もとより、私の場合、ほとんど思いつきで、バスとリフトで背広姿のままでお気楽に昇ってきた人間の印象にすぎないわけだが、やはり、昔の人も、あの目の前の光景から何らかのその人なりの啓示を受けたのかも知れないとは思う。写真もない時代に、遠方からやって来て、苦労して自分の足で登った昔の人に与えたインパクトは遙かに大きなものだったのではなかろうか。

 ただ、私の場合、その時の光景から体感された「言葉にならないもの」を自分なりに消化することをはじめられるまでには、こうして3年間も反芻するしかなかったのである。

 ヒンターコフのワークを体験させていただいたことは、その停滞していたプロセスが再び化学反応をはじめる触媒として、私にとって、 確かに役に立っている。

***

 ヒンターコフは、ワークショップの後半で、もうひとつのワークを示した。彼女が持参した、世界各地の美術館の名画の絵はがきの中から、自分の中の何かを触発するものを選び、それを手元でじっくり観た上で、その中から生じてくる曖昧な実感そのものにフォーカシングするというものである(「ポストカード・セッション」と呼ばれる)。

 これは、心理療法の現場にも応用し易いだろう。既成の絵でもいいが、絵画療法や箱庭療法の中でクライエントが作った作品についてこの様なことをクライエント自身にやってもらうのも面白いかも知れない。

 あるいは、俳句や短歌の鑑賞にも応用できないだろうか。自分がなぜその句が気に入ったのかを、虚心に振り返り、ことばにしていくための。

 ちなみに、こちらのワークで私が選んだのは、北斎の富嶽三十六景の一枚と思われる武蔵野の光景だった。一面のススキの原の彼方に小さく富士が見える、青が基調のもの。

 絵そのものをみるとそんなでもなく見えるのだが、私の瞼の内側でのその光景は、強風で煽られてススキが激しくざわざわと音を立てている様になっていた。その激しさには、暗さというより、あるエネルギー感のようなものが伴っていたように思う。

 「何か」が、激しく、騒いでいる。

 残念ながら、このワークショップの中では、その意味まで開示できなかったが、その絵を見たときの感じは今も残っている。蔵王に代わる、私の新たな「宿題」だったのかもしれない。


参考文献:

Hinterkopf,Ph.D.,
Integrating Spirituality in Counseling: A Manual for Using the Experiential Focusing Method,Amarican Counseling Association,1998.

邦訳
エルフィー・ヒンターコフ著
「いのちとこころのフォーカシング ~体験的フォーカシング~」
(日笠摩子・伊藤義美訳 金剛出版)

 なお、本文中で紹介したエルフィのワークのマニュアルの日本語訳については、当日配布された日英対訳のブックレットの、日笠摩子さんによる訳を参考にさせていただきました。

エルフィー・ヒンターコフ/いのちとこころのカウンセリング―体験的フォーカシング法

Integrating Spirituality in Counseling: A Manual for Using the Experiential Focusing Method

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2012年12月16日 (日)

親鸞の「歎異抄」の精神とパーソン・センタード・アプローチ(短縮の上で再掲)

 私は実際に浄土真宗の家に生まれていますけど、親鸞については、ほんとうに日本史の教科書的な記述以上のことはほとんど何も知らなかったんです。「他力本願」「悪人正機説」、僧の妻帯を認めた、一向一揆と、その後の本願寺の権力者による抑圧、ぐらいのことで。

ところが、学会のシンポジウムで、シンポジストとのひとりの山折哲雄先生がいわれたことで、不思議と気に入った(実は、この言葉を聴いた瞬間に居眠りから醒めたのであった....)のが、その時点では出典すら記憶になくてメモにも取らなかった。、

「彌陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとへに親鸞一人がためなりけり」

という言葉のうろ覚えが私の中でなぜか響きあい、実際にネットで「歎異抄」を調べ始めて、実際に原文を読み通してみて、いよいよ興味深くなったという順序なんですね。

*****

 「歎異抄」という著作そのものは、実は親鸞自身のものではありません。唯円という僧が、若い時代に関東からはるばる京都の親鸞のもとを学友と訪ねた時に歓迎され、滞在時に伝え聞いた話ををまとめたものである。

 書かれたのは、親鸞唯一の直弟子となった、親鸞の入滅後30年、唯円自身が亡くなる前、1年以内とされる。

 後述する梅原氏の説によれば、恐らく、第3門主に覚如(親鸞の曾孫にあたる)が就く際に、再び京都に赴き、彼に親鸞の真意を伝えることによって教えが風化しないことを祈って事前に書き留めた上で講釈したのではないかと推理している。本来「ただひとりの人間」にのみ伝えるつもりの「秘伝」だったらしい。

 親鸞自身は、実は師の法然の忠実な継承者に過ぎないと思っていた。法然も親鸞も天台宗の総本山、比叡山で修行を積んだ。学問や厳しい修行がなくても、「南無阿弥陀仏」と唱えれば、「誰でも」浄土に行けるという思想そのものは法然が既に確立したものである。法然自身が叡山で危険視されたが、あまりの博識と、僧としての持戒の深さ(伝統的に僧が犯してはならないとされる戒めをきちんと守ることの潔癖さ)のために一目置かざるを得なかったようである。

 もとより、法然の時点では、「悪人も」「肉食妻帯者も」、念仏さえ唱えれば浄土に行けるという教えだったのだが、親鸞に至り、僧の肉食妻帯を「公然と」認めた(「非公然に」ならば、実際にはなされることが多かったのは、そもそも天台の始祖、最澄自らが歎いていた現実だった。天台宗そのそのものが、最初は既成仏教への改革運動そのものだったのである)。親鸞は、それどころか、「悪人の方が浄土に近い」という大逆説まで公然と唱えるようになっていくこととなる。

 若い頃は、法然の兄弟子たちの間すら「無学な過激派」とみられていたが、法然自身は弟子たちの集まった前で、「親鸞の念仏は自分の念仏と同じ信心である」と、親鸞が若い頃にすでに公式に発言したという。
 
 宮中の侍女たちとの弟子たちのゴシップを体のいい理由づけにされて、弟子4人は死罪、法然と親鸞は遠隔地に流罪となっている。法然はすぐに京都に戻ったが、親鸞は福井に俗人として長期間滞在し、妻子を設ける。
 
 そして次に歴史の舞台に現れた時は、常陸の国を中心とする関東で長期間布教活動をして、中年期を過ぎてやっと京都に戻る。もっとも、知り合いのところをあちこち点々とするという、地味な暮らしぶりだったらしいが,何と90近くまで生きることになる。

 その頃には、親鸞の弟子や「また弟子」たちが、各地で勝手に親鸞の教えを広め、お互いに誰が真の弟子かを競い合う混乱状態が生じていた。しかも、妻帯を公然と認めたものだから、必然的に宗主は、子孫や親族たちの後継者争いになり、それはそれぞれが当時の有力諸候と癒着した生臭いものになる。(親鸞自身は、まさに「異説を広めた帳本人」として長男を廃嫡するしかなかった)。

 それは、時代を下るにつれて、時の権力者をも脅かす政治勢力としての性格を強めるしかなくなった。「浄土真宗」と「浄土宗」の分化は完全に歴史の産物なのである。親鸞自身が独立した宗主を自認する発言は全くしていない。親鸞の墓所が正式に本願寺として成立するまで数代、本願寺が独立宗派の総本山と自他共に幅広く認められる存在になるのは、革命的布教者で、かの「石山本願寺」を建てた8代めの蓮如の代である。この連如ですら一度は焼き討ちにあい,各地を転々としている。

「本願寺」そのものが、数回場所を変えて建立されるしかなかった。秀吉に京都に本願寺を移すように命じられ、跡地に大阪城作られてしまい、更には家康にそそのかされて東本願寺が分離独立した時点で、浄土真宗は、大勢力ではありつつも、政治家に屈服してしまうのである。

 話を遡ると、3代めの覚如は、教団の維持に都合の悪いところは無視して、でも「歎異抄」をもろに剽窃して、自分の書いた「口伝抄(親鸞から、2代めの如信に口伝されたものを『如信から』3代めの自分に口伝されたものの抄録)」として公式に示すことにより、女系の曾孫という、血縁的には遠い自分こそが親鸞の後継者という位置づけを強化したのだろうと梅原氏は推測している。

 結果的に、単なる無名の地方の僧侶だった唯円が著者だということそのものが歴史に直接は残らなかった。幸い、本山に「お蔵入り」はされていて、唯円という僧についての他の行跡の断片的記録を照合すると、「点と線」は見事につながり、著者唯円が、親鸞自身から聴いたことを書き留めたのは間違いないことは,学界でも宗学の上でも『今は』ほぼ定説化している。

 少なくとも、新約聖書の4大福音書の成立(2世紀ぐらい)までに比べたら、直弟子だった人物のまとまった唯一の記録として、親鸞の生の発言が忠実に反映されている度合いが格段に高いとされている。

 しかし、この書の存在は長い間知られず、学問的・教学的吟味がはじまったのは、江戸時代中期、本居宣長らによって古事記をはじめとする古い文献への文献学的再吟味が始まった潮流に乗って以降である。この時点で著者唯円説を説得力ある形で唱えた学僧ははいたが、あまり問題にされなかったようである。

 この書を有名にしたのは、明治時代になってから、清沢満之とその門弟たち(金子大栄はそのひとり)が真宗改革運動の乗り出す際にこの著作を重視してからであり、それまでは、そもそも「布教に使われることのないまま」埋もれていた。その内容が、基本的に教祖の親鸞自身が「教団」というシステムそのものを否定する、激越な内容を含んでいたためである。

 要するに、親鸞が若い熱心な弟子に向かって、問わず語りに、おそらくかなりくつろいだ気分で、ざっくばらんに繰り返し語った「ホンネ」集みたいなもの。

 鎌倉時代の、しかもかなり口語的にくだけた文語なので、少なくとも源氏物語を読もうとするのに比べれば(徒然草よりもだと思う)、古文に普段なじんでいなかった人でも、そんなに多くはない独特の仏教用語そのものすら前後の脈絡から何となく推理でき、現代語訳で解説的に「翻訳」されてしまうと失われる「泥臭いまでに生身の人間の匂いがする」味わいがダイレクトに堪能できるのではないかと思います。

 何しろ、私がはじめて「読破」した仏教についての単著がいきなりこの原典、というくらいです。

 岩波の金子大栄氏校注(現代語への非常に解説的な意訳付き)で、昔でいう★の厚さにしかならないもので、原文だけならほんの20ページで終わってしまうでしょう。

****

 私が妄想した、ある光景。

「だってさあ、そうだろ、お前。わかるかあ? 阿弥陀様は、こんな俺のことだけを思って救って下さろうとしたのではないか、とすら感じた気持ち。これって、一見傲慢だろうけどさ、自分が本当に救われた、それは私の意志やがんばりなんかではなくて、師匠の法然様が救ってくださったのですらなくて、本当に、人間の思慮分別を超えた阿弥陀様というものがおられて、何でかわからんけど私なんぞを「救って下さった」というしかない、って。自分を超えた「何か」の「はからい」がないとこうなるわけない!! と心底感じたから、阿弥陀様に念仏を唱えずにいられないわけだよ。」

「俺は「弟子」なんてひとりも持った覚えはないから。俺の教科書をありがたがって知識として「勉強する」だけの奴らなんて何もわかってないの!! ホントぞっとするね(きはめて荒涼のことなり)。そうやってただの生身の人間であるに過ぎない私を崇拝する奴らなんて!! 俺をありがたがるなよ!! 凄いのは阿弥陀様であって俺ではない。俺であってはならないわけ!!」

「 そして、信者たちにありがたがられて、まるで自分が救い主みたいな自己陶酔するなっつーの!! そういうのが俺の高弟でごさい、みたいな態度取ってると虫酸が走るよ。救ってくださるのは阿弥陀様であって、連中が、努力や修行を積んでいけば人々を「救える」ようになりたいと「願う」ことのがそもそも傲慢だよ。どこまでいっても人間はこの世では煩悩から抜け出せないよ。阿弥陀様だけが、俺たちを含む人間の救済を本当に「願う」(本願)力を持っている。「祈って」待つしかないんだ。阿弥陀様の慈悲がその人をお救いになることを。人が人を救える、自分もそういう人間に修行を積めばなれる、なんて発想そのものが、そもそも不届きで傲慢で「煩悩そのもの」なんだよ」

「そういう人間は、自分は徳を積んだ善人だと確信犯してるからいよいよどうにもならん。俺はいろんな欲や感情にとらわれ、悪いことをして生きていくしかない、そのことへの自嘲と絶望を密かに感じている人間の方が、本当に人を超えた何かに救われたいという思いに近いとすら思うね。阿弥陀様もえらいモンだよ。そういう「独善的」エゴイズムにとらわれた人間すら念仏「させてくださって」救ってくださろうっていうんだから(「善人なほもつて往生をとぐ、いはんや悪人をや」・・・・いわゆる「悪人正機」説

「......もっとも、逆に、どんな悪いことをしても、色と欲に開き直っても、阿弥陀様は念仏しさえすれば救ってくださると開き直る連中も、逆方向にどんでもない勘違いしている。念仏ってのはさ、実は自分の意志で「する」か「しない」か自由に決められるものだと思ってるだろ、そいつら。念仏「できる」ことのものが、阿弥陀様の慈悲あってのものだっていう、肝心なことに気がついてない」

「.......え? 『念仏していても全然幸せな気持ちになれないし、そもそも極楽浄土って、そんなにいい場所なんでしょうか?』って? .........正直な奴よのう、お前。......実は、わしもそう思う時がある(爆)。でも、そうやって煩悩や迷妄にとらわれる存在でしかないからこそ、救っていただけるありがたみがあるんじゃないかの? 念仏するかしないかは、勝手にすればあ? としか思ってないんだけどね。」

「....実は、俺すら、この程度の人間だから、阿弥陀様がまっすぐ極楽に連れて行ってくれる保証はないと思うね。すべては阿弥陀様の手の内にありだし、どうみても、一度は地獄行きでもしかたない程度のものだと思うし。でも、そうなっても先生の法然様が俺をたぶらかしたなんて、師のせいにして一切恨まないからね。すべては阿弥陀様の手の内にある、その慈悲にすがるしかないってのは、俺の人生かけて悔いはない帰結なんだからから」

*****

 「歎異抄」とは、自分本来の教えの意図がが右にも左にも誤解されて『異』なった姿で論じられるようになったことへの師の『嘆(なげ)き』に共鳴した弟子が、師に繰り返し言われたことの核心を要約してまとめ(『抄』録し)、後続の章で、唯円自身による解説を付記した書物なのである。

 ここからは、現段階での私の想像です。

 どうも身近な弟子たちは私に媚びてるので信頼ならない。でもはるばる関東の地からやってきたこいつ(唯円)なら、情熱はあるけど頭でっかちではなくて全然スレてない。「浄土ってそんなにすばらしいところか信じられない時もあるんですけど」、とか、無礼な質問すら平気でしてくる誠実さを持っている、こいつなら気を許せる、と見込まれてしまって、飲み屋での老人の繰り言のように、熱弁をふるい出す師の話に「繰り返しつきあわされる」みたいな状態だった唯円。

 京都滞在時代の若い頃を思い返すうちに、いよいよ混迷し、政治にも巻き込まれて変節していく教団のありようと引き比べるうちに、師の語った「逆説の山」の真意をいよいよ悟っていった。

 親鸞の直接の教えを受けた人たちがみるみる世を去り、直弟子唯一の生き残りとなったところに、関東の外れに「無名だが、直弟子がまだひとりだけ存命」と知った京都の本山からお呼びがかかったが、あまりに過激なその内容に、唯円が精魂込めて書いた持ってきたテキストは、あっさり「お蔵入り」となってしまった。

*****

 「他力本願」というのは、実はカウンセラーに必要な究極の姿勢ではないかと思う。

 カウンセラーは、自分が修行を積めば人を「救える」ようになるなどとうぬぼれてはならない。「願って」もならない。

 ましてや、自分の流派が優れているとか、自分こそが真の弟子だとか論争するのは、恐らくカウンセリングを受けるクライエントさんにすら有害な、もっての他である。
 
 実は相手が以前よりいい状態になることを『願う』ことそのものが、カウンセラーの煩悩であって、身勝手なのではないか。

 我が身を振り返ってみろ。そんなに幸せか? そんなにものごとをうまくやれているか? 時には色んな欲や感情に振り回され、ごまかしをし、先生や先輩として慕われることにいい気になり、逆に先達の機嫌を損ねないために媚びへつらい、自分の業績へのこだわりから他人を批判する。身近な人たちを傷つけ、失望させ、他人の命をむしり取るようにして生きている、いつまでたってもそんな人間ではないか。

******

 私は、自分が現場カウンセラーが「天職」な人間などとはほとんど思っていません。でも、それは周囲と比較してのの劣等感とか、そんなものでもないのです。むしろ、少し前まで思っていたより、カウンセラーの実力差など、実は「ない」のではないかとすら感じ始めています。

*****

 「クライエントさんは、自分の力で治っていく」という言い方も、結局行きすぎだと思います。

 なぜかしらんけど、そのひとの「状況」が味方をし始めた、としかいえないことって、多い気がして。

 そこまで、クライエントさんを何とかしようという「悪魔の誘惑」にも負けてしまわず、クライエントさんに何も変わらないという絶望を感じさせ、クライエントさんに見捨てられたと感じる無力感からも目をそらさず、「なぜか」関係が維持されていることそのものに感謝を覚えなから、何か活路が生じることを「祈る」ことしかできない。

 ちょっと、カウンセラーを「変えよう」と力んでいた私が恥ずかしくもなっています。

 出口は、常に「向こうから」やってくる。

 そう感じている人だけが、技法に「使われる」ことなく、技法を「なぜか無理なく有効に使えてしまう」ようにも思います。

*****

 ともかく、たまたま浄土真宗の家に生まれたことも、何かの巡り合わせかなと思いました。

 梅原猛先生の訳注の、はるかに分厚い「歎異抄」を読みました。すでに更なる読み返しの最中です。梅原先生の本を読むことすら初めてのこの私(^^;)

 金子大栄氏の岩波版は、現代語訳が親切に「意訳」しすぎて、逆に原文の生々しさが薄れて、洗練され過ぎている気がしましたが、梅原先生の現代語訳は、より逐語的でありつつも、平易で、原文の情熱が伝わる訳と感じました。もうちょっと下品でもいいかなとは個人的には思いますけど。解説は、ちょっと親切すぎるくらいだけど、歴史考証も含めて、たいへん読み応えがあります。

*****

【2012/12/15 後記】:うちは浄土真宗大谷派ですが。父の葬儀以来、お寺さんとは深い付き合いになり、正式な「門徒」になりました。大谷派が唯円の「嘆異抄」をどう位置づけているかまではお坊さんにまだ伺っていませんが。

【更に追記】:調べてみましたけど、清沢満之らの「真宗改革運動」による「歎異抄」復権は、まさに真宗大谷派の中から生じたようです。しかし、東本願寺における近代的な教育制度・組織の確立を期して種々の改革を建議・推進し、しばしば当局者と対立し、宗門からの除名処分を受けたとのこと。

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フォーカシングの本1

フォーカシングの本2

トロントだより

  • 050601_0957
     The Focusing Instituteの第17回国際大会(2005/5/25-31)の開かれた、カナダ、トロントの北の郊外(といっても100キロはなれてます)、Simcoe湖畔のBarrieという街に隣接するKempenfelt Conference Centreと、帰りに立ち寄ったトロント市内の様子を撮影したものです。

淡路島縦断の旅

  • 050708_2036
     「フォーカシング国際会議」が、2009年5月12日(火)から5月16日(土)にかけて、5日間、日本で開催されます。
     このフォトアルバムは、その開催候補地の淡路島を、公式に「お忍び視察」した時の旅行記(だったの)です(^^)。
     フォーカシングの関係者の紹介で、会場予定地の淡路島Westinという外資系の超豪華ホテルに格安で泊まる機会が与えられました。しかし根が鉄ちゃんの私は、徳島側から北淡に向かうという、事情をご存知の方なら自家用車なしには絶対やらない過酷なルートをわざわざ選択したのであります。
     大地震でできた野島断層(天然記念物になっています)の震災記念公園(係りの人に敢えてお尋ねしたら、ここは写真撮影自由です)にも謹んで訪問させていただきました。
     震災記念公園からタクシーでわずか10分のところにある「淡路夢舞台」に、県立国際会議場と一体になった施設として、とても日本とは思えない、超ゴージャスな淡路島Westinはあります。

水戸漫遊記

  • 050723_1544
     友人と会うために水戸市を訪問しましたが、例によって鉄ちゃんの私は「スーパーひたち」と「フレッシュひたち」に乗れることそのものを楽しみにしてしまいました(^^;)。
     仕事中の友人と落ち合うまでに時間があったので、水戸市民の憩いの場所、周囲3キロの千破湖(せんばこ)を半周し、黄門様の銅像を仰ぎ見て見て偕楽園、常盤神社に向かい、最後の徳川将軍となる慶喜に至る水戸徳川家の歴史、そして水戸天狗党の反乱に至る歴史を展示した博物館も拝見しました。
     最後は、水戸駅前の「助さん、格さん付」の黄門様です。
     実は御印籠も買ってしまいました。

北海道への旅2005

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     日本フォーカシング協会の年に一度の「集い」のために小樽に向かい、戻ってくる過程で、他の参加者が想像だに及ばないルートで旅した時の写真のみです。かなり私の鉄ちゃん根性むき出しです。  表紙写真は、私が気に入った、弘前での夕暮れの岩木山にしました。

神有月の出雲路2006

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     11月の勤労感謝の日の連休に、日本フォーカシング協会の「フォーカサーの集い」のために島根県の松江に旅した時の旅行記です。https://focusing.jp/  
    ご存じの方は多いでしょうが、出雲の国には日本全国の神様が11月に全員集合することになってまして、「神無月」と呼ばれるわけですが、島根でだけは、「神有月」ということになります。(後日記:「神無月」は10月でしたよね(^^;A ........旧暦なら11/23前後は10月でせう....ということでお許しを.....)  
    ちょうど紅葉の時期と見事に重なり、車窓も徒歩もひたすら紅葉の山づくしでした。このページの写真は、島根の足立美術館の紅葉の最盛期です。

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