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心理

2017年5月11日 (木)

●天神でフォーカシングを学ぶ会、中止のお知らせ。

6月18日(日)、7月23日(日)、9月24日(日)、いずれも13:00-17:30に予定しておりました「天神でフォーカシング学ぶ会」の全日程を、当方の都合により中止させていたくことにしました。

誠に申し訳ございません。

2017年4月18日 (火)

「傾聴・心理臨床学アップデートとフォーカシング―感じる・話す・聴くの基本」

この本を先に読んでおくべきだった。

この内容の水準は極めて高い。

自分がこれまで書いてきたことが恥ずかしくなった。

ここで行われているP.122-p.127のClearing  a Spaceは「奇跡の8分間」とでもいうべき強力なもので、それがクライエントのその後の日常に決定的な影響を残している。

私自身はclearing a Spaceの際にここまで気がかりの「置き場所」を誘導することはないが、ここでは確かに強力な効果を発揮している。決して押し付けではない、大変クリエイティブなプロセスである。この著作の中では「セラピスト介在型CAS」と呼ばれていて、「ビギナーの場合には有効である」と説明されている。

実はジェンドリン自身は、著書「フォーカシング」の中では、個々の気がかりについて「置き場所」探しを具体的にしていくことまで求めてはいない。「少し離れたところから眺めてみる」ぐらいのことである。

私は、日本では具体的な置き場所探しをすることに拘泥し過ぎではないかと考えてきた。

それよりは、ひとつ身体のモヤモヤや気がかりな事柄を見いたしたら、「それが『いる』のはわかったよー」と一声かけてあげるようにフォーカサ―を誘導して、「それを別にすると、あとは申し分のない感じかな」と身体に聴いてみる、ということを繰り返す段取りを重視していた。

「どこに置くか」より、積み出した「後の」空間に何が出てくるのかをひとつひとつ認めて行き、(積み出した後も残る、何についてとは言えない漠然としたモヤモヤも"Background Feeling"として積み出してもらい、最後に広大な空間が残るのを味わってもらうことを優先していた。

私の場合には、壺イメージ療法を原法通りに活用する場合に、置き場所の提案を示唆的に誘導することがあるだけであった。

とにかく、この本はいろいろな意味でインパクトが強い本である。

技法家としてのアイデンティティをもろに揺るがされた。

学会口頭発表も取りやめようかと思う。

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2017年4月14日 (金)

「身体症状」そのものについてのフォーカシング

はっきりした「身体症状」そのものについてフォーカシングするのは結構慎重に進めなばならない。

むしろそうした身体症状とは「距離を取って」、身体の中の楽な部分(ニュートラルな感じの部分)と共にいる体験をじっくりするのが長期的には望ましいケースも少なくない。

 

このことをわきまえていないと、下手なフォーカシングらしきものを進めると、症状を悪化させる場合もある。

あるいは、症状を入れておくための壺などを思い描くのもいいかもしれない。

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2017年4月 8日 (土)

ジェンドリンの「クライエントのクライエント」日本語訳、読めるようになりました。

私がThe International Focusing Institute日本語版サイトに、すでに邦訳があることを指摘し、掲載を要請していた、久羽康、吉良安之、両吉良先生がお訳しの、"The Client's Client"がアップロードされていました!!

●Eugene T. Gendlin (1984) The Client’s Client: The Edge of Awareness.クライアントのクライアント:意識の辺縁

少し抜粋すると:

フェルトセンスは、私たちの内なるクライアントである。通常の意識的な自己がセラピストであるが、このセラピストはしばしばひどく指示的で、内なるクライアントをいつも邪魔している場合がある。このようなセラピストは敵意をもって攻撃を加えることがしょっちゅうであり、そうでなくとも古い情報ばかりに頼って、自分はクライアントよりも賢いと主張し、ずっとしゃべっていて、邪魔をし、合ってもいない推論や解釈のために時間を使い、そして「クライアント」が話せないでいることにはほとんど気づかない。この「指示的なセラピスト」は、クライアントがそこにいることにほとんど気づいていない。このような「セラピスト」は古いジョークで言うようにクライアントなしで物事を始め、どこまでもクライアントなしで進んでいく。

調査が明らかにしたのは、自分のフェルトセンスに対してクライアントセンタードの態度で接するクライアントはうまくやれるということである。

もちろんこれは、人の中にもうひとり人がいるということではない。それはある種の自己応答的なプロセスである。ただ、これを「自分自身に対して」クライアントセンタードである、と言うのは不正確だろう。むしろ必要なのは、その人の内側における、通常の自己とフェルトセンスの区別である。クライアントセンタードの応答が向けられる部分はまさに後者である。

・・・・こんな調子の、わかりやすいたとえを使っています。

それこそ、ひとりでフォーカシングする際のヒントになるのではないでしょうか。

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2017年4月 7日 (金)

巣立たれること。

クライエントさんとの面接終結後も、いざとなればいつでも戻って来れるように門戸を開いておくことは大事だが、いずれ治療者のことなど忘れ去られてしまって、日常の中で、自分で元気になったと思われるくらいの存在になることは覚悟しておいたほうがいいと思う。

クライエントさんが巣立つのを、ちょっと寂しく、ちょっと傷つけられると感じるくらいが、ちょうどいいのである。

それは子供が成長して、巣立つ時の寂しさと共通のものであろう。

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2017年3月31日 (金)

カウンセラー同士の人間関係

流派を問わず、カウンセラーには、クライエントさんに対してまずはじっくりと話を聴き、受容的であることが求められる。認知行動療法ですら、伊藤絵美先生の実践を見る限り、そうである。行動療法の山上敏子先生ですら、クライエントさんへの共感力は基本のベースになっている。

精神分析ですら、しょっぱなから「解釈」を振り回すことはしない。「自由連想」というのはある意味でクライエントさんへの受容の態度と相通じるものがある。

もっとも、古典的精神分析の場合には、思い浮かんだことを何でも話すように強制される枠組みであったともいえる。語るのを拒むことは「抵抗」とみなされた。・・・もっとも、面接の初期には自由に思ったことを語るのが普通であろうが。

精神分析では、こうした「中立的な」対応(古典的にはクライエントさんはカウチに横たわり、分析家はその背後に立つ)は、徐々に幼少期からのクライエントの対人関係様式へと「退行」させ、「転移」という状態が生まれるとされる。最初は分析家への称賛と理想化、愛着が生じ、次にふとしたきっかけからそれは憎悪と反発、好ましくない行動化へと逆転する。これを「陰性転移」と呼ぶ。

こうした理想化から憎悪への急展開は、精神分析以外の面接でも、特に境界型人格障害の場合に顕著に現れるとされる。

こうした際に、治療者の側にも焦りやいらだちや無力感が生じるもので、それを「治療者の逆転移」と呼び、もっぱら治療者自身の過去の内的葛藤の未処理に基づく場合と、クライエント側に要因がある場合があるとされるが、人格的に成熟しきった完璧な治療者などいないわけなので、こうした区分は形式的なモデルであろう。

現在の精神分析の流れは、この「治療者の逆転移」を積極活用する立場にたつ分析家が少なくない。

これをフォーカシング的にアレンジするとどうなるかは、伊藤研一・阿世賀浩一郎編著の、現代のエスプリ 410 「治療者にとってのフォーカシング」で詳しく述べた。

このブログでも、「受容と自己一致の相克」シリーズと銘打って連載しているので参考にしていただきたい。

*****

さて、私が今回問題にしたいのは、カウンセラー集団の中での「受容性」が弊害をもたらす場合である。

クライエントさんに対してはやさしいカウンセラーでも、大学院内でカウンセラーの卵たちにとっては、腫れ物に触るような存在で、罵詈雑言を浴びせ、感情的にしかふるまえないセンセー方も少なくない(^^;)。それがほんとうの厳しさなのか、ほとんど訓練生への「心理操作」に過ぎないのかは、密室での出来事であることが少なくないのではっきりしないことがある。

この問題については、リチャード・ローボルト編著、太田裕一訳「スーパーヴィジョンのパワーゲーム」が格好の著作だろう。

なお、この著作には、好ましいスーパーヴァイザーに救われた事例も載っている。

こうした師弟関係のみならず、カウンセラー同士の人間関係というのも、「えせ受容」と自己愛を傷つけられまいとする心理操作の場になりはてていることが少なくない。

表面的に「受容」していて、いざとなると「村八分」にするという、日本社会の縮図が、カウンセラー業界でも量産されている。

最初から「率直に」意見してくれていれば受け入れられたのに、いきなりの「村八分」というのはとんでもない傷つきになる。それでカウンセラーになるのを諦めてしまった層というのは確かに存在すると思う。

実のところ、カウンセラー業界でしか通用しない、自分の矮小な自己愛が傷つけられることへの恐怖から防衛しているのが問題だと思われるが、いかがだろうか?

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藤嶽法についてのエントリーは削除いたしました。

共同発表者の意向で、「藤嶽法」についてのエントリーは削除しました。

「天神でフォーカシングを学ぶ会」で実演するのは歓迎だそうですので、お楽しみに。

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2017年3月25日 (土)

「日本会議」から弾劾裁判を受ける夢

今朝見た夢は空前の悪夢。

日本の悪の組織(日本会議?)のドンとその取り巻きに「裁判」受け「死刑」を求刑される。

訴状は私のクライエント2人からのもので、事例(成功例)を脚色して引用しているという。

だが、就職するクライエントとの別れのシーンは感動的なもの。

そして、私の罪への反証が一気にはじまる。

実は私のこの夢は、私にとって節目となる、「通過儀礼」的な、タイヘン象徴的な「夢作業」ではなかったかと思える。

むしろ「悪魔の誘惑」に打ち勝つ夢なのだろうと思う。

もとより、私は、当ブログで実際のクライエントさんの事例をブログで全く引用せず、創作であるか、私自身の体験を他人の体験として書いている。

一例だけ、これくらいは許され、本人も感謝してくれると確信してると思えるものを場面を切り取って紹介している。それが以下の記事:

●鬱に陥った人の休養期の衝動買い現象

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2017年3月21日 (火)

発達障害についての現時点での私のスタンス。(第2版)

これまでの私は、発達障害について、当ブログでは、

●欝(気分障害)の時代の次には、発達障害の時代が来る。

この7年前のエントリーでしか触れていない。

ここで書いたことは、それから2年とたたないうちに現実になってしまった。

いわゆる「コミュニケーション強者」というのは、自分のために周囲に取り入るのがうまいだけのエゴイストが多い。ほんとうにコミュニケーションが深い人というのは、実は相手の行動の背後にある感情に感情移入し、一見問題行動も「相手の視点に立ったらどのようにやむを得ないのか」について熟考する。

私は発達障害については、大学学生相談時代にひとり学習障害と思われる事例を扱っただけ。当時は学生相談の日常で高機能発達障害が問題視される黎明期だった。セミナーで出席者の中で私一人しか経験がある人がいないくらいだった。3年後その先生は大学学生相談の世界で引っ張りだこになっていた。

それでも、私なりにその後勉強してきて見えてきたことは、発達障碍者の「内側から」とらえると、他の人があたりまえにできることを自分ができないことに、いかに苦悩しているかということだ。そのため健常者とのコミュニケーションそのものから「自閉」するという、二重の二次症状が生じるのだと思っている。

そして、気分障害と診断されている人の中には、実は発達障害が潜在している場合があると思います。二次症状としての鬱なのですね。

*****

あとひとつ、増井武士先生が、「治療関係における「間」の活用―患者の体験に視座を据えた治療論 」の中で取り上げているエピソードが印象に残っている。

増井先生は、「自閉症とは外の世界に閉じている」と思い込んでいる研修生に、「それなら後ろからそっと忍び込んで抱きしめようとしてごらん?」と勧めたそうである。

研修生は、抱きしめても殻のように閉じて、何の反応もしないだろうと予想していた。

しかし、その子はその気配を察するや否や、脱兎のごとく逃げ出したのである。

これについて、増井先生は

『自閉症』とは、外の世界に開かれ過ぎた『自開症』なのだ」

・・・と述べている。

これは、ちょっと自閉症を一般化しずぎているきらいもある。細かく類型化していけば、「選択的感覚過敏への防衛」というあたりがふさわしいのだとは思う。

しかし、文章力あふれる高機能自閉症者の文章に接すると、彼ら/彼女らの内面世界には、どれだけ豊饒な『感覚世界』が広がっているかに気づかされる。それに侵入され、強制されることに対しての防衛としての「自閉」という側面は確かにありそうなのだ。

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フォーカシングと創造性

フォーカシングを学んでいると、自分の心境について、自分の心と体が一体となった深い次元での気づきを伴う言葉やフレーズを短く凝縮して生み出すことに慣れ親しめるようになります。

そして、そうした言葉は、読み手の奥底にも響く言葉になります。

おそらく、俳句や詩の達人は、ナチュラル・フォーカサ―として、そうした才能を発揮して、読者の心を虜にしていくのではないでしょうか。

文学ばかりではなく、絵画や彫刻、陶器の製作においてもそうだと思います。

最近では、「漢字フォーカシング」というのが案出されて、漢和辞典を用いて自分の思いとぴったりそうな漢字を見出して更に感じてみるという試みもなされているようです。漢字とは、一種の象形文字でもありますから、気づきをを深めるのには効果的でしょう。日本人と中国人の特権でもあります。

もとより、カウンセリングにおいても、クライエントさんの心に響く応答ができるセンスが上がります。

このブログで、何回となく、インタラクティブ・フォーカシングを紹介してきました。

インタラクティブ・フォーカシングについて

●インタラクティヴ・フォーカシング

●単なるロールプレイよりも効果的なカウンセリング訓練

●インタラクティブ・フォーカシングの実際

この技法の特徴は、話し手の語りをじっくりと傾聴した後、語り手とリスナーが、「二重の共感の時(double empathiic moment)」を持ち、語り手は自分の内がわの感じを再吟味し、聴き手は語り手の身になって感じてみるのですね。

この後言語化するのは、聴き手の方からなのです。

しかもその際、一つの言葉、せいぜい2.3のフレーズ、ひとつのイメージに凝縮して話し手に差しだすことが求められます。

そうした聴き手の投げ返しが、話し手の心身に新鮮な気づきをもたらすことがあります

しかし、話し手の側にピンとこなくても一向差し支えありません

「・・・・そうではなくて私としては・・・」

という語りが始まれば、お互いの相互理解は深まることになるでしょう。

なお「天神でフォーカシングを学ぶ会」の第2回でも、インタラクティブ・フォーカシングについての実習を予定しています。

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フォーカシングの本1

フォーカシングの本2

トロントだより

  • 050601_0957
     The Focusing Instituteの第17回国際大会(2005/5/25-31)の開かれた、カナダ、トロントの北の郊外(といっても100キロはなれてます)、Simcoe湖畔のBarrieという街に隣接するKempenfelt Conference Centreと、帰りに立ち寄ったトロント市内の様子を撮影したものです。

淡路島縦断の旅

  • 050708_2036
     「フォーカシング国際会議」が、2009年5月12日(火)から5月16日(土)にかけて、5日間、日本で開催されます。
     このフォトアルバムは、その開催候補地の淡路島を、公式に「お忍び視察」した時の旅行記(だったの)です(^^)。
     フォーカシングの関係者の紹介で、会場予定地の淡路島Westinという外資系の超豪華ホテルに格安で泊まる機会が与えられました。しかし根が鉄ちゃんの私は、徳島側から北淡に向かうという、事情をご存知の方なら自家用車なしには絶対やらない過酷なルートをわざわざ選択したのであります。
     大地震でできた野島断層(天然記念物になっています)の震災記念公園(係りの人に敢えてお尋ねしたら、ここは写真撮影自由です)にも謹んで訪問させていただきました。
     震災記念公園からタクシーでわずか10分のところにある「淡路夢舞台」に、県立国際会議場と一体になった施設として、とても日本とは思えない、超ゴージャスな淡路島Westinはあります。

水戸漫遊記

  • 050723_1544
     友人と会うために水戸市を訪問しましたが、例によって鉄ちゃんの私は「スーパーひたち」と「フレッシュひたち」に乗れることそのものを楽しみにしてしまいました(^^;)。
     仕事中の友人と落ち合うまでに時間があったので、水戸市民の憩いの場所、周囲3キロの千破湖(せんばこ)を半周し、黄門様の銅像を仰ぎ見て見て偕楽園、常盤神社に向かい、最後の徳川将軍となる慶喜に至る水戸徳川家の歴史、そして水戸天狗党の反乱に至る歴史を展示した博物館も拝見しました。
     最後は、水戸駅前の「助さん、格さん付」の黄門様です。
     実は御印籠も買ってしまいました。

北海道への旅2005

  • 051012_1214
     日本フォーカシング協会の年に一度の「集い」のために小樽に向かい、戻ってくる過程で、他の参加者が想像だに及ばないルートで旅した時の写真のみです。かなり私の鉄ちゃん根性むき出しです。  表紙写真は、私が気に入った、弘前での夕暮れの岩木山にしました。

神有月の出雲路2006

  • 20061122150014_1
     11月の勤労感謝の日の連休に、日本フォーカシング協会の「フォーカサーの集い」のために島根県の松江に旅した時の旅行記です。https://focusing.jp/  
    ご存じの方は多いでしょうが、出雲の国には日本全国の神様が11月に全員集合することになってまして、「神無月」と呼ばれるわけですが、島根でだけは、「神有月」ということになります。(後日記:「神無月」は10月でしたよね(^^;A ........旧暦なら11/23前後は10月でせう....ということでお許しを.....)  
    ちょうど紅葉の時期と見事に重なり、車窓も徒歩もひたすら紅葉の山づくしでした。このページの写真は、島根の足立美術館の紅葉の最盛期です。

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