コメント・トラックバックについて

  • このブログのコメントやトラックは、スパム防止および個人情報保護の観点から認証制をとらせていただいております。これらの認証基準はかなり緩やかなものにしています。自分のブログの記事とどこかで関係あるとお感じでしたら、どうかお気軽にトラックバックください。ただし、単にアフリエイトリンク(成人向けサイトへのリンクがあると無条件で非承認)ばかりが目立つRSSリンク集のようなサイトの場合、そのポリシーにかなりの独自性が認められない場合にはお断りすることが多いことを、どうかご容赦ください。

最近のコメント

Twitter

リンク

父母

2019年7月19日 (金)

九州芸工大の学生になる夢

しつこく夢の話。

私は九州芸術工科大学の学部に入学したことになっている。

そしてどういうわけか芸工大に心理学コースがあることになっている。

そこでは私にとってはすくし物足りないほどに平易な講義や課題がなされている。

私は、"It rain"と同じような構文で表現できる可能性のある構文の例探しがなかなかでいないのに苦悶している。私の語学力はしょせんその程度かと。

同級生に男女二人のクラスメートがあり、いろいろ話し合っている。

「九大と統合されて、もともとの吸収工科大学の生徒はそ学力のギャップに苦しんでいる」という噂が流れている。

:*****

こんな程度の短い夢である。

 

夢フォーカシング。

九州芸工大は偏差値が高い大学で、私のいた西南学院高校からは、同学年ひとり現役合格しただけだった、当時の九大とどのくらい偏差値に差があったかは寡聞にして知らないが、私の同学年からは結局ひとりも九大への現役合格者は出ず。一狼で合格した人がひとりいたくらいである。

私の当時の学力からすれば、芸工大には1浪してもとても無理だったろうと思う。

講義もレポートも、とても私にとって平易なものではなかったろう。それが夢の中ではちょっと物足りない水準のものになっている。

夢の中に出出てくる二人の男女は、私の少し後輩にあたるが実際には九大の心理学系大学院を出て、現在大学で要職についているが、私に敬意を今も払ってくれているし、私もふたりの研究業績には一目置いていて、学会とかではフロアからいつも好意的なコメントをしてきた。

私は学部を法政文学部哲学科→立教大学院心理学専攻博士前期課程→東京大学大学院研究生(博士後期課後期課程相当)と何とも無茶なステップアップを分不相応にできたものなのだが、これはフォーカシングの領域で故・村瀬孝雄先生に評価され、英語力などからだけではとても及ばないところを、先生の東大への転出に伴い引き上げて行ってもらえたから可能になったこと(これゆえに旧帝大系の九州大学の前述の2人の院生と出会う機会を持てた)に過ぎない。

実際には教育調査統計については法政の夜学で学ぼうとしたものの、相関係数のところですでに行き詰まり、因子分析とかを自分で使うことなど全然足元にも及ばなかったか、幸い他の人の発表でそれらを使われても何とか理解できる下地にはなっている。

ちなみに私が立教大学院に合格するためには行動主義から認知心理学とか社会心理学まで独学で「原文で」読めるところまで何とか2狼して村瀬先生以外の実験系の教授たちをねじ伏せて乗り越えて可能になったものだ。

そのため、その後いくつかの大大学で非常勤講師として教養課程の心理学の非常勤講師を務めさせていただいたが、我ながら「凝った」、踏み込んだ内容のものを私なりにかみ砕いて講義することはてきたと思う。立教に当時の大学院に入るためには帰属理論(🏧ttibute Theory)についてまなり踏み込んだ理解ができていないと入れなかったから、教養の心理学でも、平然とそのへんまで教えていた。

自分なりに私の中学から高校当たりの成績は、得意不得意の差が異様に激しかったが(若干学習障害の気はあったかと思う)、親が自分の成績が良い科目(国語と世界史はダントツ)について全然褒めてくれない、そもそも私の成績に無関心で私の進路にもあまりに不干渉なゆえに私自身が「勉強すること」の意義についてあそこまで悩み苦しまなければもっと成績は取れたであろうアンダー・アチーパーだったとは思う。

東大大学院の講義や実習などでも、理解できなくて苦しむとかなくて、生粋の東大出身者を「頭の回転だけは優秀だな」というくらいにみていたから。

******

・・・何か自慢話的なものが長くなったが、夢の中で"It rain"的な構文の応用を探していて苦悶するというのは、恐らく、フォーカシングの領域で「雨ーが降る」という構文で言う「それ」が主語になる構文が「私は・・・と感じる」という構文における、日本語での「腹ーがー痛い」などという構文の「腹」の主語化の問題と関連している。

これはフロイトがいう"ES""(それ)いうものの"Ich"(私)とのの問題とも関連しているのだが、結局はフォーカシングにおけるフェルトセンスの、「私」についての主語と目的語についての問題に結びついている。

すなわち、フォーカシングにおいては、「私」がどう感じるかではなく「フェルトセンス(「その」感じ)が」どう感じているかについて「私は」どう感じるか、ということが肝心なのである。

・・・・何か、書いていて、これだけでは読者に独り言を書いている気がしてきたが、これらの問題については「入門・フォーカシング」と「カウンセラーこういちろうの雑記帳」では実に平易に解説していることなのでご心配なく、読んでみてください。

2019年7月 7日 (日)

父親が家に帰還する夢

しつこく夢の話。

著作を3冊出す今の私にとっては、自分を律していくのには、夢という「無意識の世界」という「他者」からのメッセージを大事にすることは、何より精神衛生上大事なことのようだ、

*****

母親と父親が外出している。

私も家に帰ろうとしている。

お宮の鳥(家から400メートルぐらい、子猫の夢に出て来たのと同じ天満宮のお宮さん)の鳥居のあたりで、通りかかる人全員に丸い綿菓子のようなもの(柄はない。薄いビニール袋に入っている)が2個ずつ配っている。

私は、自分は貰わなくてもいいと思い、よけて通ろうとする。

すると、町内会のおばさんと思しき人から、

「あれは全員がもらうしきたりなの。それをもらわないなんて、あなたのお父さんとお母さんの教育はどうなっているの?」

という叱責の言葉がかかる。

私がそのあとその綿菓子を家に帰ったかどうかは夢の中では定かではない。夢の展開からすれば、家に自分の分は持って帰ったように思う。

家に戻ってしばらくすると、父と母がいっしょに帰ってくる。ふたりの手にも綿菓子状のものは持って帰られていた。

父は何か私に向かって始めた(指示を出してきた)ようであったが、その具体的内容は夢から覚めたら覚えていない。

父は3週間ぐらい入院していたようにも思えた。

私は父が帰ってくると知ってはいたが、いよいよとなるとそれを面倒な、重石のように感じている。

ここまで。

短い夢である。

===============

夢フォーカシングを始めるぞ。

起きた瞬間に感じたのは、

「ああ、父はもうとっくに死んでいるじゃないか、父が死ぬ前は確かに『こんなふうな』重圧を自分は感じていたな」

と、父が生きていた頃の「居心地」のようなものを今更のように思い出す。

ぼっとすると同時に、父がいないせいで不自由感からは解放されて、自分が思うがままに決断して動けているのだが、「監視の目が行き届かなくなって、私が危険な暴走を始めても歯止めというものが効かないのだな」という思いである。

確かに、父のような、ある意味で干渉的な「まなざし」を一方で自分で自分に向け続けるのも大事なことのように思われた。

ある意味で世間体を気にしながらも、リアリストで、自分からの冒険をしなかった父。

でも、父親も結構無計画な散財家だったことが父の死後、随分明らかになったっけ。

それはその後の私に似ている。私にとって最後の散財は、本が売れて、印税を得る以前の問題として、読者が私のカウンセリングを受けに来る数が増えて、生活が安定することだ。それまでは辛抱が必要だ。

こうした「辛抱」に関しては、父親だけでは済まされない、自力で獲得できなばならないことだ。

「夢の続き」はどうなっただろう。

以前の私なら父親に隠れて好きなようにやりその後でしくじった後で父親が介入していた。

今の私なら、当初から自分のやりたいことを打ち明けいろいろ批判されながらも、きちんと話し合って、両者納得ずくでことを進めたのではなかろうか。

それは「今からでも遅くはない」のである。父のような慎重さと世間体への配慮、仕事熱心さも自分なりに手本にして、「ここで父ならどうするか」を確認しながらでもいいのではないか。

父に「なってみる」と?

・・・結構「私」のことを善意で心配している。・・・そして、父親は父親なりの生活パターンを、私のことは気にし過ぎずに、守り通すであろう。そういう、いい意味での個人主義性は確かにあっていいことである。

母親は? ・・・結局父と私に思いのままについて行くだけかな。全状況を把握できないまま、亡き父=今の私にすべてを委ねっぱなしだろう。

*****

さて、順序が逆になるが、お宮さんでの「通過儀礼」としての丸くて白いふわふわした綿あめ状のものを最初私はもらわずに通り過ぎてしまおうとしていた私について。

私はいつも「このような」面がある、当然の「通過儀礼」だと周囲がしきたりとしているものを「通り抜けないで」先にすすむところ。

これが周囲に人に疎んじられ、ムラ社会からよく思われてはいまいこと。

「もらわないなんて、あなたのお父様とお母さまの教育はどうなっているのかしら」

( ̄∇ ̄;)ハッハッハ。

でも、そうやって素通りできるからこその今の私なんだけどね。

私は「関門」を「正面突破」しようとしたのではない。脇に広い「抜け道」があったから活用しようとしたまでだ。

もちろん、お宮さんでの「神聖なもの」を受け取ることを「回避」していることそのものは、いずれ私にその分の「対価」となる災いをもたらす可能性があるので、注意すべきことだろうとは思う。

夢の中ではお宮さんの綿菓子だが、それはカトリックのミサでの聖体拝領のパン(ビスケット)のようにも思われてきた。

なんという不信仰なものだとうか!!

最後に、綿菓子に「なってみる」。

「・・・おれ、おいしんだぜ。食ってくれよ」

・・・・わかったわかった。

JAL 日本航空 国際線航空券 G-Tune

高いビルの工事現場の足場の上に出て恐怖を感じる夢

またもや私のみた夢の話にお付き合いください。

******

私は大学学部か大学院生である。

私は知り合いの大学生、あるいは大学院生(女性。私は彼女に片思いしているようだ)自分の書いた資料を渡そうとして、相手を探している。

相手のいる場所の目算はついた。

しかしそこに辿り着くには、高いビルの外側に張り出した工事中の足場を通るのがいいことに気がつく。

その足場は、鉄パイプを組み上げた上に木製の板を約1.5メートルぐらい「張り出させた」ものである。柵はない。

私は、通れると思いその上に乗って歩こうとするのだが、数歩先は地上までの「奈落」であることに気がつき、しりごみしてしまう。

足場はしっかりしたもので、下さえ見なければ渡れそうなのはわかっている。

何度も試みようとして、板の手元の方にまで出てみるのだが、下の方が見えてしまいそうなところまで出るのに躊躇して、結局伝え歩きでそうなのにそれ以上一歩を踏み出せない。

結局私はビル内に戻り、大食堂とも大会議室ともとれる広い空間へと行く。

そこには正方形の大きな机が整列して置かれ、それぞれの机ごとにまわりに椅子が数個置かれ、学生たちがその周りに座っていろんな討議をしながら「プロジェクト」を進めている。

そうした机は本来予約制になっており、その終了時間はあと1時間のようだ。

私は空いている大テーブル(2つしかない)に座って作業を進めようとするが、そこを「占有」することに躊躇を感じている。

ここで場所は一転する。

大きなダークグレーの壁や床で囲まれた抽象の高い閉じられた広い空間。ただしその空間は多面体のようで、垂直の角がない。

その真ん中に衛星放送の映るデジタルテレビが置かれている。画面が映っているのだが、非常に粒子が荒い、電波の弱いところのアナログテレビ並み。私は「衛星放送ってこんなに粒子が荒かったっけ?」と怪訝な気分になる。

「マクロス7」の第一話の放映が始まる。

最初の方は私が知っている通りにストーリーが進む。

ところが途中から私の知らないシーンの展開が始まる。

私は、「こういう展開なのを覚えていなかたのか?」という気分になる。

・・・ここで目が覚める。

*****

さて、夢フォーカシングをこれを書きながらライブで進めよう。

書いたレポートを好意を持っている大学院生に読ませたがっている・・・実際の私は当時、片っ端から周囲の女の院生に求愛して、振られてばかりであった。

レポートの内容によって相手に評価してもらおうとしていたようだが、今思い返せば、こんなのは求愛になってない。恋愛と学術的評価なんて別の次元のもの。

夢の中で求愛の相手になっているのは私がこれまで求愛してきたのとは別の、知らない女性のようだ。非常にアニマ臭いが、私が今度の本の魅力によって、院生でなくてもいいから、誰か私に好意を抱いてくれ、懇(ねんご)ろな関係にならないかという「下衆な」期待をしている面があることも確かしれない(^^;)

高い足場の上の綱渡り・・・似た場所は? 

一つは私が勤務していた法政大学多摩キャンパスの面接室の窓から見た光景。もう一つは私の父母が住んでいた高層マンションから見渡した風景。

正直いって、私は、父の死の後、世をはかなんで、母を残したまま、こっそりエアコンの室外機まで乗って、飛び降りられないかを何度も試みてみたことがある。

繰り返すうち、そこに真剣みが薄れ、半ばお遊び化していたが。

外壁を使った「綱渡り的」移動・・・下さえ見なければ実は安全にできるはず・・・これは、私がやろうとしている3冊連続刊行という「博打」のことだろう。

「無意識的には不安と恐怖にかられている」が、実際には「歩き通せる」・・・成果は目に見えているはず・・・ということの暗示か?

*****

「大会議室の大きな机の並んだ、みんなが討議している空間」・・・私が羨望を感じている、周囲の同業者の在り方だ。私は「予約なしで」、残された2つのテーブルのどちらかをひとりで占有しようとしているがそのことに躊躇している・・・これは現実とは異なる。今度の松江の日本フォーカシング協会の「集い」では、私は、今度出す「入門・フォーカシング」を教科書にする「出店」を早々に申し込み、受理されている(「予約」している)。ひとりぼっちで「テーブルを占有しようとしてる」のは確かだが。

******

さて、厄介なのは「マクロス7」である。

ダークグレイの抽象度の高い多面体の角のない部屋というのは、「電脳子宮空間」の暗示だと思う。

「粒子が荒いハイビジョンデジタルテレビ」という矛盾。これは古い私のネット上の論考を「今の舞台」に載せようとしている私のありようと一致する。

たとえ敵味方が退却しても、無伴奏でも、「俺の歌を聴け~!!!」という熱気バサラのありようはあり方は私そのもの。

「途中から私の知らない展開になる」というのは、著作を刊行した後に生じる展開が、まさに「予想外の」、しかも結構しょぼい展開になる(少なくともそうなりはしないかと恐れている)・・・ということの暗示かもしれない。

更に言えば、6月30日に地上波で全国放映されたらしい、「君の名は。」を観そこなったことへの後悔とも関連するだろう。

JAL 日本航空 国際線航空券 G-Tune

2019年7月 4日 (木)

制服姿の森昌子に歌を披露してもらう夢

今日も若干うつ気味だった。

うつと疲労感の違いが私にはわかる。

どうもここしばらく、ある種の神経伝達物質を偏った消耗の仕方をしていたように思う。

*******

また夢を見た。

今日もそのことについて書こうかと思う。

*******

夢の中でも、私は母校の西南学院高校の生徒である。

この高校は、私が通っていた当時は男子校で、地元の名門校、公立修猷館高校に不合格になった、スぺり止め組の、比較的頭のいい生徒がいる一方、ガラの悪い留年する生徒も一部いる男子高校だった。私も久留米の名門校、明善高校を不合格になってのすべり止めだった。(現在は男女共学で、結構進学校のようだ)。

私は教室で、教師から現代国語のレポートを褒められている(実際には世界史の先生だった人から。実際の私は世界史と古典が得意だった)。

しかし私は内心褒められすぎと感じていた。

夢の中でも、私はまもなく3冊の本を出すことになっているが、そのうちの一冊に途中で行き詰り、未完成のまま編集部に回したことになっていた。

先生の前ではそのことは語らないが、先生は結局そのレポートを私から回収して持って行ってしまう。

そのあと、私はクラスメートの男女数名(ヤンキーが多かった気がする)にその事実を明かし、いろいろな話をする(内容は忘れた)。

そのうちに放課後は遅い時間となり、窓から夕陽が差し込むようになる。

私は学校を後にしようとするが、カバン、体操服入れ、そしてどういうわけか鍋、フライパンその他、金属製の食器類が入った大きな袋、都合3つを持って帰らねばならないことに気が付き、それじゃ難渋なので一袋だけ教室の個人ごとの棚(扉はついていない)に置いて帰ろうかと思う。

そうすると、さっきの男子生徒の一人から、

「持って帰らないと明日までに他の生徒に持ち逃げされるから」

とアドバイスを受ける(その人の面影はよく知っている。結構仲のいい生徒会仲間だった。「ヤマト」を私に教えてくれたのも彼)。

学校の校舎を出る頃は、すでに日が暮れている。

階段を下りていると、女子生徒たちが、

「今度ここも共学やめるってさ、それじゃおつきあいもできなくなるよね」

という話をしている。

階段を降りきる前に、階段下に、制服姿の森昌子はいる。

私に向かって、

「先日はお父様に琴の会場のことで随分お世話になりました」

と挨拶してきて、それから一曲歌い出す。

その歌は知らない歌で、平易で魅力的なメロディであった。

・・・・ここで目が覚める。

=======================

さて、夢フォーカシング

私の夢の中で、あまり柄の良さそうではない連中の吹き溜まりのような私立共学校の生徒となっているのは「定番」である。

現実の私は、すでに述べたように、西南大学への推薦入学も多いが、上の大学に進学できる奴らもいて、その一方で結構不良も多い高校の出身者である。

生徒会副会長でもあった私は、結構そういう生徒たちに、時にはいじられながらも結構話が通じる相手として一目置かれてもいたように思う。

ただ,私のように、早慶でもない、東京の他の六大学クラスに進学するものは稀であった。

私は学部→博士前期→大学院研究生と進むうちに、さらに一気にレベルアップできたのだが、実際の私よりも分不相応な道を歩めたのではないかという「正体を見破られはしまいか」という不安にさいなまれていた。

そういう私の「影」となり、無意識的に「補償」する方向で、ガラの悪そうな共学校が出てくるのだろうとは常々感じていた。

ところが、今回ははっきりと「西南学院高校」である。夢の中では、私が通っていた当時よりはグレたのが多いみたいだけど。共学校なのは違うが、これまでの夢のパターンよりは現実に近い「等身大」である。

このことは今の私はそんなに無理をしないでいることの証しかもしれない。

******

夢の中で「今度3冊の本を出すことになっている」のは現実と同じである。実は「途中で行き詰った未完成の部分を残したまま原稿を編集部に回していて、焦っている」というのは、思い返してみれば、私の夢の定番である。

しかし、今回の三冊については、完成度が高いと思っている。

ただし、前著のエヴァ本を再刊してくれた幻冬舎(心理学に疎い編集担当者だった)は、その本が前の出版社から発売されていたのと「まったく同じ」仕様になるように印刷屋と掛け合うなど尽力してくれたが、欲を言えば若干「機械的な」編集・出版作業だったと思う。

これに対して、鳥影社編集部は、私の著作を「理解」「共感」して、評価をしてくれるのはいいが、ちょっと「褒められすぎ」と感じているところもある。(これが夢の中の現代国語のレポートについて、「褒められすぎ」と感じたことにもつながるかも)

三冊目、すなわち「カウンセラーこういちろうの雑器帳」は、ちょうどこれから初校に入るが、少し省略したい個所はある。でも、夢の中とは異なり、完成には特に困ってはいない。

ただ、3冊の中で編集部から一番評価してもらっているにも関わらず、ちょっと「背伸び」した、私にとっての「理想像」を、さも私が日ごろ実現できているかのように書いた部分もある、ええかっこしいだという点に若干の罪意識はある。むしろ必要以上に「完成度が高すぎる」ように見せかけている気もするのだ。

そういう思いは、特に一冊目、「入門・フォーカシング」にはない。完全に私が現実にやっていること身の丈「そのまんま」だという自負があるから。

「セーラームーンの精神分析」も、オタク論としては若干古いかもしれないが、20数年前の私が目一杯の全力投球で書いた密度の高い論考であり(「エヴァンゲリオンの深層心理」なんてこの論考に比べれば愚作である)、悔いはない。

*******

さて、夢の中のクラスメートとの本をめぐってのおしゃべり(その中には批判もあったと思う)は、実際にこれらの本を「一人だけ」の孤独の中で書き上げ、誰かからのアドバイスなしであったことへの願望の表れだろう。批判でもいいから聞きたかったのだが。

*******

「どういうわけか、鍋、フライパンその他、金属製の食器類が入った大きな袋」というのは、老いた母のために最近冷凍食品にばかり頼らずに若干料理もしているのだが、「もっと自分で作れ」という無意識からの声かも知れない。

*******

さて、問題の森昌子である。

私は彼女より一歳年下だから、デビュー最初から、そして桜田淳子、山口百恵と共に「花の中三トリオ」と呼ばれた当時から注目していたし、中学時代の、まだ演歌っぽくない彼女の歌にも馴染でいるし、彼女が制服姿(実際にはそういう姿で歌ったことはないと記憶するが)というのも得心がいく。

歌の歌詞は、目が覚める瞬間までは覚えていたが、忘れてしまったのは残念だが、ともかく平易な歌だったと思う。

一つ思い出すのは、私が最近「オペラ座の怪人」にはまったこととの関連である。あえて言えばクリスティーヌの歌う"Think of Me"に似ている素朴な曲かもしれない。

「制服」という面にこじつければ、ここしばらく欅坂46に結構ハマっていることとも関係するか?

彼女が私のアニマだとすると理解しやすいし(実はカラオケ好きだ)、もっと「檜舞台」で「表現」したい自分がいることも確かだろう。

*****

さて、最後に、なぜ森昌子は私の亡き父に感謝するのだろうか? 父は、琴の世話をしたことはないが、母親や関係者の日本舞踊には過剰なまでの世話焼きであったし、知り合いの保育園へのいろいろな、お節介に近い援助とか、いろいろな人たちに感謝されていた。

私ももっと他人のために「おせっかい」スレスレのお手伝いをしたり、地域のために貢献するようにということなのだろうか?

2019年7月 2日 (火)

子猫を鳥かごに入れて放置する夢

最近少し「飛ばし過ぎた」反動なのか、この2日間は疲労を感じ、若干うつ状態に陥って、過眠状態に陥っていたように思う。

そうした中で、さっきまで見ていた夢。

私は家で飼っていたと思しき子猫を鳥籠に入れて近所のお宮さんのあたりに放置してきてしまう。

しかしどうしてもそのことが気になってしまう。

私は籠の中にキャベツを入れておいたのだが、ネコにとってキャベツが餌として禁忌(ということになっている)であり、死なせてしまうのではないかと気になって様子を見に行く。

幸い、子猫は生きていたが、やはり子猫のえさは別のものがないかとか、そもそも子猫を鳥籠から出してあげないとならいのではないかと、気が気ではない。

シーンは突然飛ぶ。

(すでに亡くなった)父の税理士事務所のパソコン(結構高性能)が旧型になったので最新型に変えるべきだと思い、ちょっとお金がかるのを覚悟で注文してしまう。その場所には見知らぬ大人の40代ぐらいの男性が立ち会っている。

・・・そんな夢である。

******

私は夢フォーカシングすることにした。

私自身は、どうみてもネコ型だと思う、先日みた「キャッツ」にも容易に感情移入できたしね。

「鳥籠に入った子猫」・・・明らかに私自身であろう。私は新たに改修した自分の部屋を持っている。新たな私はまだ「産声を上げた」ばかり。

子供の頃、自分の家で、生まれたばかりの子猫をもて遊んでいるうちに、ほとんど虐待となり、それが原因で死なせてしまったのではないかと時々思い出しては後悔している自分がいることも思い出す。

私は最近「自分自身を虐待」しているのか?・・・まあ、少し背伸びして、「自分をいじめて」いることは確かかな。

本当の私はまだ「鳥籠の中に」いる? 。。。そうかもしれない。実際にはまだ世間知らずなのかもしれない。

でも、「鳥鍵」であって「壺」とかの密閉容器ではない。窒息する危険はないし、「世間」に開かれてはいるようだ。

子猫に対して「致死性の」食べ物を与えて放置している不安・・・ちょっといろいろなものに手を付けすぎて、「消化不良」になっているかな。商売っ気丸出しになっているし。

でも子猫は生き続けている。

「子猫」ときいて、遠くにいる息子たちのことも思いだす、実は夢の中で鳥籠にいれて放置していた子猫は二組の籠で、一匹ずつ入れていたような気がする。でも二人は実際には16歳と18歳になっている。もう子ネコではない。

そういえば、昨日部屋をあさっている中で、小さい頃の2人の写真が発掘され、母とともに懐かしく見ていったっけ。

子猫を放置したのが「お宮さん」だっというのも大事だろう。本当に歩いてしばらくのところに「櫛原天満宮」があり、私はそこに子猫・・・自分自身を置いたままにしているのだがそこは「神聖な」場所でもあるのだ。しかも「天満宮」であるから「学問の神様」でもある。

子猫に「なってみる」と、確かに「閉塞感」はあるし、自分ではそこから抜け出せない。でも「もうひとりの私」という「心配している存在」をあてにすることはできる。

*****

父親の事務所・・・実際に昔父親が私が子供のころ開業していた部屋そのものを私は今度自分の居場所にすることにした。

ただし、私のパソコンは2台とも、Pentium5iと7iのもので、メモリも32G積んでいる、せいぜい1年未満のものだ。ゲームもバリバリできそうな、オーバースペックの最新のものに近い。

エアコンだけは最新式のものに付け替えたが。

「見知らぬ男」の立ち合いとは何だろう?・・・ネット上での知り合い(顔にはモザイクがかかっている写真でしか知らないが)の背丈に似ている気がする(実は私とは同年代だが)。

本当は結構新しいのに、旧式になったと私が買い替えようとしているパソコンは、私自身か?。結構現状でもクレパーだと思う。これ以上焦って「新規更新」する必要は、実はない。私が独り相撲でしきりにアップデートを焦っているだけだ。もっとマイペースで本とかビデオとか楽しめばいいじゃないか。

******

ここまで夢フォーカシングしたら、若干頭に潤いが戻り、何も焦る必要がないことに少し気づけたような気がした。

更にこの夢についてのフォーカシングがアップデートできたら、このエントリーで補足します。

2019年6月24日 (月)

認知症の親を抱えた時には家族へのサポートが必要である。

 私の母もレビー小体型認知症で、幻視、幻聴がありますが、周囲に迷惑をかけないので、このTLに乗っているたいていの人たちと比べたらそれほどでもない思います。

こちらからどうぞ。

2019年6月19日 (水)

96歳の母親でもスラスラ読める「入門・フォーカシング」

JAL 日本航空 国際線航空券

G-Tune

2019年6月 5日 (水)

chitose、激高す。

今度日本舞踊の師範をしていた母の25畳はある前面鏡張りの練習場を人に貸すべく不動産屋に嘱託したことまではすでに書いたが、東側、南側の家は大邸宅で、玄関までの敷地もやけに広い。道路を間に挟み距離も遠く、日本舞踊にしろバレエにしろピアノ教室にしても迷惑がかからない(壁には吸音材が入っている)。

問題は北隣だ。当然以前からお付き合いがあるので、もはや子供が巣立ち、連れ合いも早く亡くなっていて一人暮らしの未亡人のAさんに、

「今度2階の舞踏場を久しぶりに人に貸すことにしました(8年ぶり)。また少し音が伝わることがあるかもしれないのでお許しください」

と前もってあいさつに伺った。

「あらそう。わざわざ言いに来てくれてありがとう」

・・・そこまではいい。

「ねえちょっと、私の土地の上をあなたの家の電線が通過しているの。どけてくれません?」

ぽかーん。

私が東京から帰ってきてから8年間の間にそんなこときり出されたことないわい!!

母の話によると、今から30年前にそのことでAさんとトラブルになった切りだそうで、そのことを今更のように蒸し返すとはあきれてものが言えなかった。

地図でご欄になればわかるように、私の家は踊り場以外は1963年に立てられ、道路に面しておらず、Aさんと共有する北側の私道を通らないとたどりつけない現在の建築基準法に違反した家の建て方をしている。Ws000001_2

 しかもAさんの家も私の家と同じ茶色のトタンぶきである。

そのため、私のクライエントさんが誤ってAさんの家の玄関に上がり込むというアクシデントが2,3年前に生じた。

そこでその時、「久留米フォーカシング・カウンセリングルームはこちらです」という、矢印を付けた掲示板を設置した(当然Aさんの許可を得ている)。Img_0175 Img_0173

なのになぜ30年前のことを蒸し返すのか? 

とりあえずはその気持ちを抑えて自宅に戻る。

****

10分後、今度はAさんがうちにやってくる。

Aさん:「あの、電線のこと、何とかしてよ」

私:「どこかの人の土地を通さなきゃならない点では同じです」

Aさん:「それはあなたが考えることでしょ」

バカいってんじゃねえよ!!!!

私はキレた。

…というより、徹底的に「キレた」演技をすることにした。

私:「あのね、この8年間の間にそういう苦情言いましたか?それにあなたの家から、夜、あなたに怒鳴り散らす娘さんの声がこっちにも響いてくるんですよ。情けない。娘さんの教育どうなってるんですか? その件についてもこれまで私たち苦情入れましたか?それに以前娘さんが小さい頃、グランドピアノの音が響いてくるのに父母は一度も文句言わなかったそうです。あんたバカあ?うちが大人しくしているからなめてるんだろ。念のため付けくわえておくと、俺は東大大学院なわけ。こんな事続けるようなら縁切りますからね」

すごすごと引き下がり玄関から出るAさん。

私はわざとバタン!!と閉めた。

chitoseという人間は、普段は決して他人を怒ったりしない。批判をしない。喧嘩もしない。むしろ私にない長所を相手に感じたら敬意をとことん払う。

だから得てしてナメられるのだが、相手の人間を見る目には自信があるのだ。

2019年5月29日 (水)

ボヤき

私の作るtogetterの幾つかは軽く20,000viewを超えてしまう。

しかし私のカウンセリングルームは全然流行っていない。

ネットとは頼りにならないものだとつくづく思う。

しかし今度家の大改造をした。

不動産屋にも20畳ある母の日本舞踊の稽古場を貸し部屋に頼むことにした。これは親戚にも吹聴する。

そういう弟子たちにも、カウンセリング受けたい人は出てくるかもしれないし、子供や知り合いまで枠を広げれば口コミは広がるだろう。

だいたい私の親戚にですら、私が独立自営のカウンセラーであることを積極的に伝えていない。

それに、自慢になるが、プロフィールに示しているように、私の学歴は、法政→立教大学院を経て、東京大学大学院研究員まで上り詰めていることをたいていの人が知らない。老母すら、「あら、そうだったの」と言い出すくらいである。

これからは遠慮なくこの経歴を吹聴しまくります。

楽天トラベル G-Tune

2019年5月23日 (木)

「万引き家族」・・・見る時間なくなった(^^;)・・・自宅の大改造計画、始動!!!

ともかく今日は自宅のことでどんどん「補完計画」・・・じゅなくて「改造計画」を次々にアイデア湧いてきて実行に移したので、「万引き家族」どころではなくなった。

  1. まず、自宅2階狭い方の部屋に通販のせいで天井までうず高く積みあがった段ボール箱除去計画。段ボール回収会社は「2階から降ろしてください」「きちんとたたんでください」と注文を付けてきて、2、3万円取ろうというので永らく放置していた。母は、「家が火事になったら一気に燃えてしまう」と心配してたが、「火の気はどこにもないよ」「この家を捨てる時に処分する」と応えていた。そこで「ゴミ屋敷」解消業者に頼めばどうだろう?というアイデアがひらめき、電話したら「1万円」とのことで拍子抜けした。
  2. 次に、そうやって空いた部屋の利用方法を思いつく。そこを近所の工務店に頼みフローリング床、エアコンもつけてもらう。これで2階の夏のとんでもない暑さが改善して居住空間となる。
  3. その部屋を私の「昼間の」居場所にしてしまう。パソコンは自作のPentium7iのものをHDがSDDより信用できないという理由だけで放置していた。ネットはWi-Fiで一階から飛ばすことにする。このためには小さなUSB差し込み周辺機器だけで対応できる。
  4. 更に、パソコン用スピーカーは買い足したばかりなので、パソコン机さえ買えば2階は居住区となる。
  5. こうして、一階の個室は完全に面接室として機能するようになる。これまではスカイプ面接以外はネットカフェのファミリールームを借りていた。壁には地震対策用にしっかり柱に固定したCD/DVDラックが貼りついているが、クラシックの輸入盤中心で「文化人」っぽいのでそのままとする。カンバスに書かれた永田カビ先生のイラストも貼りだしたままにする(ちょっとグロいが)。
  6. 寝る時だけは、面接室のは「ソファベット」なので下に降りる。(母の声が聴こえるように)。
  7. FAXの子機も2階に準備するつもりだったが、FAXの子機そのものが電池切れではない故障をしていたので、NECに問い合わせたところ「すでに部品在庫なし」とのことだったのでパナソニックのを注文。
  8. ここで2階の母が日本舞踊の師匠をしていた時に増築された20畳はある壁面鏡張りの稽古場を誰かに日本舞踊、バレエ、ピアノ教室のために賃貸することを思いつき、マイナビ賃貸に申請する。

・・・ああ、くたびれたorz 

でも、これで自宅を最小限の出費でパフォーマンスを最高にすることは完了できる。

G-Tune

 

フォト
2019年7月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      
無料ブログはココログ

最近のトラックバック

トロントだより

  • 050601_0957
     The Focusing Instituteの第17回国際大会(2005/5/25-31)の開かれた、カナダ、トロントの北の郊外(といっても100キロはなれてます)、Simcoe湖畔のBarrieという街に隣接するKempenfelt Conference Centreと、帰りに立ち寄ったトロント市内の様子を撮影したものです。

神有月の出雲路2006

  • 20061122150014_1
     11月の勤労感謝の日の連休に、日本フォーカシング協会の「フォーカサーの集い」のために島根県の松江に旅した時の旅行記です。https://focusing.jp/  
    ご存じの方は多いでしょうが、出雲の国には日本全国の神様が11月に全員集合することになってまして、「神無月」と呼ばれるわけですが、島根でだけは、「神有月」ということになります。(後日記:「神無月」は10月でしたよね(^^;A ........旧暦なら11/23前後は10月でせう....ということでお許しを.....)  
    ちょうど紅葉の時期と見事に重なり、車窓も徒歩もひたすら紅葉の山づくしでした。このページの写真は、島根の足立美術館の紅葉の最盛期です。

淡路島縦断の旅

  • 050708_2036
     「フォーカシング国際会議」が、2009年5月12日(火)から5月16日(土)にかけて、5日間、日本で開催されます。
     このフォトアルバムは、その開催候補地の淡路島を、公式に「お忍び視察」した時の旅行記(だったの)です(^^)。
     フォーカシングの関係者の紹介で、会場予定地の淡路島Westinという外資系の超豪華ホテルに格安で泊まる機会が与えられました。しかし根が鉄ちゃんの私は、徳島側から北淡に向かうという、事情をご存知の方なら自家用車なしには絶対やらない過酷なルートをわざわざ選択したのであります。
     大地震でできた野島断層(天然記念物になっています)の震災記念公園(係りの人に敢えてお尋ねしたら、ここは写真撮影自由です)にも謹んで訪問させていただきました。
     震災記念公園からタクシーでわずか10分のところにある「淡路夢舞台」に、県立国際会議場と一体になった施設として、とても日本とは思えない、超ゴージャスな淡路島Westinはあります。

水戸漫遊記

  • 050723_1544
     友人と会うために水戸市を訪問しましたが、例によって鉄ちゃんの私は「スーパーひたち」と「フレッシュひたち」に乗れることそのものを楽しみにしてしまいました(^^;)。
     仕事中の友人と落ち合うまでに時間があったので、水戸市民の憩いの場所、周囲3キロの千破湖(せんばこ)を半周し、黄門様の銅像を仰ぎ見て見て偕楽園、常盤神社に向かい、最後の徳川将軍となる慶喜に至る水戸徳川家の歴史、そして水戸天狗党の反乱に至る歴史を展示した博物館も拝見しました。
     最後は、水戸駅前の「助さん、格さん付」の黄門様です。
     実は御印籠も買ってしまいました。

北海道への旅2005

  • 051012_1214
     日本フォーカシング協会の年に一度の「集い」のために小樽に向かい、戻ってくる過程で、他の参加者が想像だに及ばないルートで旅した時の写真のみです。かなり私の鉄ちゃん根性むき出しです。  表紙写真は、私が気に入った、弘前での夕暮れの岩木山にしました。

banner

  • 携帯アクセス解析
  • Google Sitemaps用XML自動生成ツール

フォーカシングの本1

フォーカシングの本2