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父母

2016年7月22日 (金)

母親とayumi hamasaki ARENA TOUR 2006 ~(miss)understood~を視聴した

このライブ、私は長野と代々木の楽日2回参戦していて、ayuのライブでは出色の出来と思っている。

DVDで持っていたのだが、引っ越しの際にいろいろ処分する際に手違いしたようで、Disk2のアンコール編を紛失していた。

つい先日ケーブルテレビチューナー兼HDD/BD録画・再生機に切り替えたばかりということもあり、これを機会に改めてB-ray盤を再購入したのだが。

私の家には居間にしかテレビとB-rayプレーヤーはない。母の主なる居場所でもある。

数日前、水樹奈々のライブ

を再生した時には、母(93歳)は、どうも面白くないようで、すぐに席を外した。

私がアニメ観だしたら大抵そうなるのは承知していた。でも、水樹奈々なら演歌の出なので大丈夫かと思ったのだが。

 

・・・ところが、今回はずっと席を立たすに見通してくれたのである!!

私:「浜崎あゆみというのは福岡出身なんだよ。僕は実際この録画が収録された日にライブに行ったんだよ」

母:「・・・なら、まだ東京に住んでいたころ? この人、全国でやっているの?」

私:「そうだよ。2万人は入る会場でやるんだよ」

母:「歌詞が画面に出ない」

私:「NHKの歌番組ではないからね」

母:「物語みたいなものはあるの?」

私:「そういう演出になっているよ」

母:「それにしても、2時間近く、よく声が枯れんねえ」

私:「必ずしも喉が強い人ではなくて、当たり外れがあるんだけど、どういうわけか楽日には最高のコンディションになるの」

・・・まあ、こういう会話をしながらですが(^^)

それにしても、このライブ、2006年、10年前になってしまった。歳を取るのが早過ぎるよー orz

なお、ayuのアルバム、総レビューの記事がこちらにあります。

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2016年7月13日 (水)

天皇陛下の「生前退位」

皇室典範の改正は昭和22年、日本国憲法第100条及び第2条、第5条に基づき、日本国憲法施行前に、枢密院の諮詢及び帝国議会の協賛を経て施行されたとのことだが。

摂政は,皇室典範の定めるところにより置く(憲法第5条)。 天皇が成年に達しないときは,摂政を置く。また,天皇が,精神・身体の重患か重大な事故により,国事行為をみずからすることができないときは,皇室会議の議により,摂政を置く(皇室典範第16条)とされている(宮内庁ホームページより)。

・・・それより進んだ形を、陛下はお望みなのだろう。

・・・いずれにしても、こちらでも書いた通り、父母は今上天皇、つまり当時の皇太子殿下と美智子様のご成婚の日に「あやかり結婚」して、今の皇太子殿下が昭和35年に私が生まれ、「浩宮」の一字をもらって「浩一郎」という名前になったことからして、「浩宮様」が天皇陛下になるスケジュールが既定路線になるということは、まことに感慨深い。

母は大正生まれなので、昭和、平成に続く4代めの御代まですこやかに生きてくれることを願う次第である。

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2016年7月 9日 (土)

伝えられない医療改革、あらゆる世代が負担増に これでいいの?国民的議論がない参院選 (JPExpress)

http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/47249

・・・・・投票前日ですが、最近読んでいて一番気になった記事です。

  • この4月から、「かかりつけ医ではなくて、大病院に紹介状なしで受信する場合、初診料は5000円になっている」そうです。・・・いくら日本で「大病院」と「かかりつけ医」の分業が曖昧なままで、大病院で待合室がごった返していて長時間待っての3分診療がまかり通りすぎ、日頃の通院は、患者の全体像を熟知しているかかりつけのお医者さんにひとりひとり丁寧に時間をかけて診てもらえる方がキメの細かい医療になるとはいえ、このやり方は強引と思います。大病院の方も「これからあとはかかりつけ医に診てもらいなさい」と患者を率先して差し戻すことがどれだけ普及しているか?(うちの母にはそういう対応をする大病院の医師に二人連続あたりました)。 またいわゆる「セカンドオピニオン」を自由に取りにいくことへの制約ともなります。日本ではセカンドオピニオンをとることが「医師に嫌がられる、影でこそこそやること」みたいにとらえられる風潮がまだ根強いのも問題なのですが。「・・・じゃあ紹介状書くよ」とオープンに請けおってくれると感じさせる医者が増えればいいのですが。
  • 同様に、「入院時の食事代の患者負担額も『1食あたり260円から460円へ』と70%もの値上げ」も4月から実施されています。
  • そして今後、

  • 保険給付は後発医薬品(ジェネリック)までとし、先発医薬品(オリジナル)との差額は自己負担。・・・ジェネリックって、安いのにオリジナルと同じ成分に見えますが、実際には効き目が異なることが少なくない。そしてきちんと在庫を整え、安定供給し続けてくれるかにも不安があるとのこと。
  • 「入院時の居住費(水光熱費)の負担増」
  • 「市販類似医薬品の負担増や保険外し」
  • 「70歳以上の患者負担上限額引き上げ」
  • 「介護利用料の1割から2割負担へと、負担上限度額引き上げ」
  • 「『軽症者』の福祉用具貸与などの保険外し」
  • ;結局、患者の自己負担が増えるばかりの政策なのですね。

    ある意味では、高齢化社会を抑制するために、貧しい人たちは病気を放置して早く死んでくれと求めているようなものです。

    ;いくら医療費の抑制が危急の課題とはいえ、こうしたやり方でいいのかについての議論はなされるべきかと思います。

    医療費の本当の無駄(例えば、出さなくてもいい薬を幾つもの病院に同時に通いながら多剤処方している傾向が強いのは事実)をシェイプアップした分、社会保障費は確実に引き上げる・・・というのなら、わからなくもないですが。

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    2013年1月14日 (月)

    ついに「過去ログ再掲シリーズ」終了しました。

    最終日は一気果敢にラストスパートをかけてしまいましたが、これで、旧「カウンセラーこういちろうの雑記帳」からのエッセンスの再掲シリーズ、終了いたしました。

    これで「クリーン再インストール」完了です。

    大体過去記事の15分の1くらいのものを精選しました。

    あまりに再掲のテンポが速いので、読者の皆さんのキャパを超えてしまっているかと思いますが。

    また、全部の記事を再掲していないこともあり、あちこちにリンク切れが放置されています。応急処置は大事な記事についてはしましたが、これ以上細かくはやらないままとなるでしょう。

    どうかゆっくりと、時折めくって下さいませ(^^)

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    2013年1月 4日 (金)

    我が内なる「二宮尊徳」を賦活すること(再掲)

     「誠(まこと)の道は、学ばずしておのづから知り、習はずしておのづから覚え、書籍(しょうじゃく)もなく記録もなく、師匠もなく、而(しこう)して人々自得(じとく)して、忘れず。

     是(これ)ぞ誠の道の本体なる。

     渇(か)して飲み飢(うえ)て食(くら)ひ、労(つか)れていね(=寝て)さめて起く、皆此(これ)類(たぐい)なり。

     古歌に

     水鳥のゆくもかへるも跡たえてされども道は忘れざりけり

    といへるが如し。

     夫(それ)記録もなく、書籍(しょうじゃく)もなく、学ばす習はずして、明らかなる道にあらざれば誠の道にあらざるなり。

     故(ゆえ)に天地を以(もっ)て経文(きょうもん)とす。

     予が歌に、 音もなくかくもなく常に天地(あめつち)は書かざる経(きょう)をくりかへしつつ とよめり」 (『二宮翁夜話』)

    *****

     この前の二宮尊徳の記事の補遺として、幾つか尊徳自身の言葉を覚え書きにしておきたい。

     二宮金治郎というと、薪を背負って『論語』や『大学』『中庸』などの四書五経を熟読し、諳(そら)んじてしまった、儒教の教養あふれる勉学の人というイメージができあがっているかもしれない。

    彼が、父の家がまだ傾いてしまう前に、農家のせがれとしては珍しく古書に接する機会があり、家が破産し父が死んで、叔父の家に預けられた後も、「百姓のせがれに学問などいらない」という叔父の目を盗んで、持ち込んだ本を読んだり、奉公先の武家の子弟向けの学問講義をふすまの向こうで立ち聞きしていたのは確かなようだ。

     しかし、実際には、学者というにはほど遠い、空理空論を嫌う徹底的な実際家、現実主義者であり、残された著作に示された思想的なものも、いわば自分の考えを人に伝えるための方便として生まれたもののようである。

     そして、自分が経験の中から自分の力で見いだした実践知にたいして大きな自信を抱いていた。精神主義からは最も遠い人なのである。

     「夫(それ)世の中に道を説きたる書物、算ふるに暇(いとま)あらずといへども、一として癖なく全きはあらざるなり。

     如何(いかん)となれば(=なぜならば)、釈迦も孔子も皆人なるが故なり。

     経書(けいしょ=四書五経)といひ、経文(きょうもん=仏典)といふも、皆人の書きたる物なればなり」

     ・・・・こうして儒教も骨抜きである。

     徹底的な非権威主義、神聖不可侵なロゴスの権威など信じていなかった人である。

    「男なければ女なし、女なければ男なし」

    「君なければ臣なし、臣なければ君なし」

     また、中井久夫先生も指摘しているように、「天道」と「人道」を単純に一致するものと考えなかった。

     

    「天道」とは、人間のことなどお構いなしの自然法則に過ぎない。

    「人道は田畑を開き、天道は田畠を廃す」

    ・・・・ようするに、自然界の法則(天道)は、せっかく整えた田畑を、エントロピーの法則に従って崩壊させようとするようにできている(酒匂川の洪水で父の田地が一気に流失した幼児体験の大きさの可能性を中井先生は指摘する)。

     だから人は田畑の手入れを続けないとならない。これが「人道」である。  しかし、「天道」は、ある程度予測可能な法則性を持っているので、それを活かす方向に「人道」を為せば、 「天道は人道と和し、百穀実法(みのり)を結ぶ」

    *****

     「分裂病と人類」を読んで、どちらかというと、自分をS親和者と感じ、執着気質的な尊徳的な生き方から遠い存在とばかり長年思ってきた。

     私は、躁鬱気質からは明らかに遠いとは思うけど、体型的には、分裂気質的というより、明らかに闘士型=執着気質的だと思う。この点は、およそ観念性というものからはほど遠い、むしろそうしたものを忌み嫌う父親もそうである。

     私は、経験に即して書物を理解しようとはしても、書物に即して経験を理解することには、ストイックなまでの警戒心が強い人間だとは思う。

     書物を自己流に「ひとりよがりに」読むことへの警戒心も強いつもりだけれども。  


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    2012年12月22日 (土)

    ユーミンのデニーズ伝説 III (再掲)

    これは、鳥インフルエンザ、というものが話題となった最初の年のことと記憶します。

    「だめよ!! きちんとつけてないと風邪悪くなっちゃいますよ!!」

      内科病院の待合室。 「いや、いや!!」 と泣きわめく小さな男の子。

     男の子が身体をバタバタさせるのを必死に抱え込み、 口にマスクをつけさせようとする若い母親。

     まるで、その男の子の様子を周りの待合室の患者に必死に「隠す」かのように。

     「風邪の方は念のためマスクの装着をお願いします」 と、病院側が、待合室の風邪の患者さんひとりひとりに紙製のマスクを配布するということをしていたのです。

     この様子を知ってか知らぬか、周囲の人は気にもとめていないようなふるまい。病院スタッフも。

    ******

     私は決心しました。

     その男の子の方に回り込み、腰をかがめて、目と目をあわせて、言いました。

    「それ(マスク)つけてると、むずむずして、キモチワルイんだよね」

    その子は途端に泣きやみ、じっと私の目をみました。

    わたしは、

       

    「♪じゃーねー♪」

    みたいにちょっとその子に手を振って、自分のもといた席にさっさともどります。

     「どうもすみません」 と私に振り向いて母親。

     しかし、その後、その子はずーーーーっと泣くのをやめたきりで、おとなしくしていたのです。

    *****

     私は病院からの帰り道で、いろんな連想をしました。

    あんな子供ですら、ほんの一言、その子の「身になって」、共感的な言葉かけをするだけで、あそこまで一変することがある

    むしろ、そういう子供の変化に、私の方が「学ばせていただいた」とすら感じました。

    *****

     それにしても、なぜ、それまであの子は泣きやまなかったのか???

      お母様は、泣き出し、じたばたする我が子の姿に狼狽していたばかりではなく、 そうやって我が息子が大声を上げて泣いていることが、「周囲の方のご迷惑になる」ことに気持ちをとらわれていた。

     そして、そうやって子供を黙らせることができない母親であることを、周囲の目にどう見られるかという焦りにばかりとらわれていて、子供の気持ちそのものに、子供の身になって共感して一言かければそれだけで子供は落ち着くという、「コロンブスの卵」のあやし方を、狼狽の中で、たまたま思いつけなかったのでしょう。

     お母さんも、男の子自身も、この待合室の場の中で「孤立無援」(helplessness)だったんだなと、ふと思ったんです。

     どうして、むしろ普段はそんなことをするのが苦手な筈の私が、この時に限って、この母子に助け舟を出さずにいられなくなったのか?

    ********

    >  私ほんとうは目撃してしまったんです きのう電車の駅、階段で
    >  転がり落ちた子供と 突き飛ばした女の薄笑い
    >  私驚いてしまって 助けもせず 叫びもしなかった
    >  ただ怖くて逃げました 私の敵は私です
    >  ファイト! 戦う君の唄を 戦わない奴らが笑うだろう
    >  ファイト! 冷たい水の中を 震えながら上って行け

    中島みゆき「ファイト!」(アルバム予感「予感」収録)

    何より、私は、 私自身を、 そして、 「私の中の」その母と子の、 「味方」をし、救いたかったんでしょう      iTunes Music Store(Japan)

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    2012年12月17日 (月)

    フォーカシングとスピチュアリティ(再掲)

     10年以上前、アメリカからフォーカシングの有力なトレーナー、エルフィ・ヒンターコフ(ヒンターコプフ)が来日して東京でもワークショップを開いた。そのワークシップが非常に面白かったので、そのことを書こうと思う。

     このヒンターコフという人は、アメリカ生まれだが、ヴイーン大学で、先年(1997)亡くなった、ナチの収容所体験とその極限状況下において生の意味を見いだせる人たちについて考察した『夜と霧』(みすず書房)で有名な、実存分析の大家、フランクルのもとで学んだ後、文化人類学に専攻を変え、ネイティヴ・アメ リカンについてのフィールドワークに打ち込み、更にシカゴ大学のフォーカシングの祖、ジェンドリンのもとでフォーカシングを学び、今や心理療法家、フォーカシングの代表的トレーナーとして活躍中の方である。

     ヒンターコフ自身の著書、"Integrating Spirituality in Counseling: A Manual for Using the Experiential Focusing Method"(邦訳「いのちとこころのカウンセリング―体験的フォーカシング法」 日笠摩子・伊藤義美訳 金剛出版)によれば、厳格なファンダメンタリズム(聖書を字義通りに理解し、進化論も否定する)の家庭で育ったが、13歳の時、やりたかったダンスを取るか宗教を取るかを決断せざるを得なくなり、彼女はダンスを選んだ。何事も「すべき」か「すべきでない」かでとらえようとするキリスト教の風土は彼女にとって無意味に思われた。それ以来彼女は宗教を拒絶したが、日常の中で、ある「無意味感」を抱え続け、彼女が「意味の探求」と呼ぶものをはじめたという。

     前述のフランクルは、生の意味は自分の内側からくみ取るしかないと諭したが、それがどういう意味なのか、この時点での彼女には実感としてはわからなかったという。「わたしは、内側から意味を見出すには何をすればいいのかわかっていなかった」。平和部隊に参加して訪れたインドではヨガの導師に教えを請い、瞑想を学んだが、瞑想をしている最中は安らぎが得られるものの、日常に帰ると、また再び、以前からの葛藤に翻弄されてしまったという。
     
     ジェンドリンとフォーカシングに出会って後、フォーカシング体験を積む中で、はじめて彼女は、以前フランクルが諭した「自分の内側から生の意味をくみ取る」ということ、すなわち、「内側からの、静かな、かそけき声」を聴くということ体験的に理解できるようになった。そして、更に、フォーカシングを深く進める中で、「神、人間、森羅万象と自分が共にある」という体験に至り、仕事や他者との関わりや余暇の過ごし方において、自分の実感を大切にしながら生活することができるようになったとのことである。

    ***

     さて、ヒンターコフの来日セミナーのテーマは「スピリチュアリテイとフォーカシング」というものだった。このテーマは、ひとつには、今述べてきたような、彼女の精神的遍歴と強く結びついたものなのであるが、それにとどまらず、およそ欧米で心理療法やカウンセリングに関わる限り、避けて通れない重大な問題と結びついている。

     ご存じの方も少なくないかも知れないが、欧米では、クライエントに、セックスに関する質問を面接の中でしても、日本でに較べれば遙かにフランクに話してくれることが少なくない。だが、相手の信じる宗教は何かについて訊ねることは、日本人からは想像がつかないくらいにタブー視されがちとのことである。

     ところが、それにも関わらず、広い意味での宗教的なことに関わるテーマが、多くの面接の中で不可避に登場する。違う宗派の人間同士の結婚にとどまらず、同じ家族の中で、それぞれ信じる宗教が異なり、3つも4つもの宗派に分かれてしまうことも稀ではない。

     しかも、そのような家族や周囲との宗教の違いが互いの葛藤に影を落とすことがあるばかりではない。クライエント個人が語る悩みのあり方そのものに、日本人ではあまりみられないものが頻繁に登場する。例えば、

    「重要なのは、イエス・キリストと私がどんな関係にあるかということなんです」
    「私は神に対して否定的な感情しか持てないでいます」
    「私はこれまでの生涯でずっと信心深い人間だったつもりですが、実は一度も神を体験したことがないんです」
    「私が前世で体験したことが今の私を支配しているんです」

    などということが、カウンセラー相手の悩み相談のテーマとしても、かなり頻繁に登場するらしいのである。

     それに輪をかけて事態を厄介にするのは、カウンセラー個人が抱いている宗教的な信念と全く受け入れがたいクライエントの発言をいかに受け止めるかという葛藤も生じることだ。だが、このようなクライエントの発言を避けて通ることは、クライエントとの関係を基本的なところで傷つけるものになりかねない。

     人間の移動が激しくなり、家族関係の枠がゆるみ、神秘思想や従来の欧米以外に由来する宗教に関心を持つ人も増え、違う価値観の人が密接に交渉を持たざるを得ない状況が進む中で、もはや欧米でも、宗教的な問題を心理療法の現場で扱いづらいものとしてタブー視するだけでは済まされない状況がいよいよ進展し、臨床心理関係の学会でも重要なテーマとして取りあげられることが少なくないとのことである。

     最近はやりの言葉で言えば、心理療法の現場も、マルチカ ルチュラリズム(多文化主義)的な発想を必要とするようになって来ているのが時代の要請なのである。

    ***

     こうした中で、ヒンターコフは、まず、"religiousness(宗教性)""spirituality"(霊性。以下の文中では特に断りがない限りカタカナで「スピリチュアリティ」と表記する)を区別することを提案する。

     "religiousness"とは、「ある特定の、組織的な宗教団体や教会などの信念と実践を守ること」である。それに対して、"spirituality"とは、「超越的(transcendent 常識的・合理的な判断を越えた)」次元での、独特の、個人的に意味深い体験」全般のことを指す。

     このようにとらえると、個々の具体的な神秘思想や宗派を信じると言うより、遙かに広範な経験が「スピリチュアリテイ」の名のもとに包括されることになる。例えば、自然や芸術作品を味わう中で生じた深い感動なども含まれてくる。

     だが、これは後者が前者よりも幅広い、包括的な概念であり、"religiousness"が"spirituality"の部分集合として含まれてしまうことを意味するわけではない。つまり、"religiousness"であっても"spirituality"ではないという次元も存在する。 これは、すでに掲げた、

    「私はこれまでの生涯でずっと信心深い人間だったつもりですが、実は一度も神を体験したことがないんです」

    という例にも示されているように、形の上では熱心に宗教儀礼をしているつもりでも、「常識的・合理的な判断を越えた次元での、独特の、個人的に意味深い体験」の方はその人に得られていない場合などに典型的にあらわれている。

     では、ヒンターコフは、「スピリチュアルな」体験をどのように定義するのか。

    1. 漠然とした意味を含んだ、(何か意味ありげだが、何なのか当人はすぐにはうまく言葉が思い浮かばない)微妙な、身体で感じられる感じがあり、
    2. その感じの中から、新たな、はっきりとした意味が啓示される体験があり、
    3. 超越的(transcendent)な次元での成長過程を伴う

    この3つの条件を満たす必要があるとのことである。

     実は、この中の1.と2.は、フォーカシングで言う、

    1. 身体で漠然と感じられたフェルトセンス(felt sense)に注意が向き、
    2. その感じの中から、身体の感じの変化と共に新たな気づきをもたらすfelt shiftが生じる

    ということに他ならず、通常のフォーカシング体験や、生産的なカウンセリング場面、あるいは創造的な表現や発見の現場ではごく普通に生じている現象である。

     だが、このような「身体で感じられた曖昧なモヤモヤした何かの中から、身体の感じの解放と共にその個人固有の意味が啓示される」という実感ある体 験が、いくら信心しても得られていない人は少なくないらしい。仏教的に言えば「悟り」の経験が得られたという実感がないということにあたるかも知れない。

     しかも、それが通常のフォーカシング的体験ではなくて「スピリチュアルな」体験と言えるためには、

      3..超越的(transcendent)な次元での成長過程を伴う

    が加わることとなる。

     ヒンターコフはこの「超越的」体験のことを、

    「今までの自分の準拠枠(frame of reference)を越えて新しい次元に進んでいくこと」

    「深いところから命を前に進めるエネルギー(life forward energy)があふれ出し、自分の中の何かが動き出すこと」

    などとも説明している。いわば「世界」の体験の仕方そのものが全体としていきいきと変容していくような経験であるとも言えるかも知れない。

    ***

     ヒンターコフは、このようにスピリチュアルな体験をフォーカシング的に定義する上で、体験の「内容(content)」ではなくて体験の「過程(process)」という観点を重視した。

     つまり、「スピリチュアルな」体験の中で、具体的に「何を」体験し、それをどのように意味づけるかは人それぞれである。ある人はそれを「悟り」と 呼び、ある人は「神の臨在を体験した」と呼ぶだろう。ある人は「前世の自分の記憶を思い出した」といい、ある人は「宇宙と自分との合一を体験した」といい、あるひとは「イエスが神でありなおかつ人であり、いつも自分と共にあることが実感できた」というかもしれないし、ある人は「全てが<無>であることがはじめてほんとうにわかった」というかも知れない。

     それらを聞いていて、「内容」や「具体的な意味づけ」に感情移入できないどころか、抵抗や嫌悪すら感じる場合もあるだろう。

     しかし、「それは『あなたにとって』どういう意味があるのですか」などと、更に具体的に、そこに到る個人的な心情のひだの動きを更に傾聴していけ ば、かなりの程度まで、その人個人の中でどういう「感じ」が生じ、それがどのように変容していったのかが実感を持って共有できる可能性が開けてくるのである。つまり、はっきりしない漠然とした感じの中から生起した何かが、身体感覚のシフトを伴う気づきを生み出したプロセスそのものにシンクロし、共有することはかなりの程度可能になる場合がある。

     ヒンターコフは、このようなスピリチュアルな体験の「プロセス」の次元でならば、特定の宗教や神秘思想の用語への違和感などに振り回されずに共有可能と考えたのである。この人は「こんな」感じの中から「こんな」感じが生起してきた体験を、例えば「神の実在を体験した」と名付けているのだ、その名付け方には自分はなじめないが、その人にとっては、「その」体験をつなぎ止めるためのhandleとして、それを「神の実在体験」と呼ぶのがどうもぴったりらしいことは受容しよう……という形で接点を作るわけである。

     その体験をどのような「名前」で呼ぶかは、その個人固有の領域なのである。

     大事なのは、そこに身体感覚の変化と、その人にとって漠然と意味ありげに感じられていたものの中から何かがはっきりとした意味として実感できるようになる過程そのものを、相互作用の中で共有できることそのものなのだ。

    ***

     

    「果たして、スピリチュアリティというテーマで人が集まるかのか?」

     このような疑問を抱いていた人は少なからずいたようである。私もその一人である。多くの日本人の宗教との関わりが形骸化している中で、果たしてピンと来てもらえる人がどのくらいいるのか?

     その時の東京セミナーは、幸いにして定員いっぱいの50名近い参加者に恵まれた。インターネットでの日本フォーカシング協会のホームページ経由の宣伝によって関心を持って参加して下さった方も数名おられた。

     当初、やはり「スピリチュアリテイ」の定義について若干の質疑応答があった。 ヒンターコフ自身、欧米では「スピリチュアリティ」とさえ言えば多 くの場合自然と共通理解が得られる問題に、日本人が必ずしも易々とは反応してくれない可能性を感じた瞬間があったようである。

     ・・・が、前述したような、「例えば自然や、詩や、音楽への感動体験の場合にもスピリチュアルな体験と言える場合がある」というような説明の中で、「ス ビリチュアルな体験」とは、予想していたより幅広い範囲の体験を包含していいのだという共通理解が生まれてはじめて、ワークショップは順調に進みはじめたように私には思われた。

    ***

     さて、以上のような、ひとわたりのレクチャーが終わったところで、休憩をはさんで、全員一緒のワークがはじまる。

     最初はヒンターコフの教示に従い、全員一緒に行い、その後で数名の小集団に別れて互いの感想を共有、最後に、再び全体会で、自分の体験を全体で共有していいという人の自発的発言を求める。

     最初のワークは、英語版のパンフには

    「聖なる言葉についてのフォーカシング」

    と書かれ、

    「まずは、あなたにとって聖なる意味を持つ言葉(sacred text)をまずはひとつ選んで下さい」

    と書いてある!

     これだけでは大半の日本人は乗れそうにないところだが、ヒンターコフはすぐに付け加えた。

    「これは、あなたに感銘を与えた詩の一節や、ことわざ、あるいは自然の風景などでもいいのです。『まだはっきりとした意味はわからないけれども、そこには<何か>がある』という印象を残したようなものがいいと思います」

     私にはこの、ヒンターコフが最後に付け加えた、

    「『まだはっきりとした意味はわからないけれども、そこには<何か>がある』という印象を残したようなものがいいと思います」

    という示唆にピンと来るものがあった。

     そんなに内面をまさぐらなくても、そのヒンターコフの言葉にインスパイアーされるようにして、ここ2,3年、しばしば私の脳裏に甦り、時々反芻してきた、ある光景と、その時の「説明しがたい身体の実感」がいきいきと浮かび上がってきてくれたのである。

    ***

     私の体験について語る前に、ヒンターコフがワークショップで、せいぜい15分前後のワークとして用いる際のワークの手順のひとつをここで示してみよう。

     以下の教示をひとつずつ、じっくりと間合いを置いて、相手の応答に即して提示していく。ひとりがこれを読み上げる形で集団で行うこともできる。

    1. 自分が選んだ言葉やイメージを思い出して下さい。
    2. 自分自身にその言葉やイメージをゆっくりと繰り返しましょう。自分の中に生じてくる「感じ」や「気持ち」に気づいて下さい。
    3. その言葉やイメージを繰り返し想起し、味わいながら、そこで生じてくる「気持ち」をしっくりと表現するちょうどいい言葉を探してみましょう。
    4. あなたの中に生じてきた、その「気持ち」や「感じ」とじっくりと一緒にいてあげてみて下さい。そこに、もっと「何か」がそこにあるという感じが感じられないかどうかに注意を向けてみて下さい。
    5. その「感じ」と一緒にいながら、その「感じ」に向かって次のように問い掛けてあげることもできるかもしれません:

       「この言葉やイメージの何が、私に<こんなふう>に感じさせるのだろう?」
       「この言葉やイメージの何が、私にとって最高なんだろう。あるいは、凄く意味深く感じさせるんだろう」

      こんな質問をして、「感じ」の方から「あなた」の方に、何か応答のようなものがやってくるのを待っていましょう。
       そのような応答が返ってきたら、それを繰り返し自分の中で味わい、その応答が自分の実感にしっくりくるものかどうか確認して下さい。
    6. そして、最初の言葉やイメージに戻ってみて、今の自分がそれをどう感じているか感じなおしてみて下さい。新しい自分の「感じ」や「気持ち」があれば、それを表現してみて下さい。

     ここでは詳しくは説明しないが、これらは、通常のフォーカシングのプロセスとそれぞれ対応している。つまり、

    2.フェルトセンスを掴む
    3.フェルトセンスにとりあえず実感の上でぴったりな付箋となるような言葉を見
      つける(get a handle)
    4.フェルトセンスと一緒にいる(being with)
    5.フェルトセンスに問い掛けて応答を待つ(asking)
      →生じてきたものを受け止める(receiving)

    となる(詳しくはジェンドリン「フォーカシング」 福村出版 参照)。

    ***

     さて、私がこのワークで選んだのは、3年前の夏の終わり、蔵王に行った時の体験である。

     当時の私には、終末の仕事の帰りに、思いついたように一人旅に出たことが時々あった。帰り道の駅からビジネスホテルに電話して予約して、新幹線でその日のうちに移動できるところまで移動してしまう。あとは出たとこ勝負である。

     その時はその日のうちに新潟に出て、翌日米坂線まわりで山形に移動、山形の宿を確保した上で、蔵王に日帰りで向かうことにした。季節運行の山頂まで登れるバスがまだ出ていると知ったからである。

     8月29日、バスとリフトを乗り継いでたどりついた蔵王の山頂は、かなり風が強く、やや肌寒くすらあった。夏の山によくあるように、日は射しているけれども、雲が速いスピードで流れていき、いつ天候が崩れて雨になってもおかしくない感じだった。観光客はまばら。

     行かれた方はご存じのように、山頂の近くの展望台から、火口湖、お釜が見渡せる。見渡せると言っても眼下に間近にあるわけではない。1キロ近くは 彼方のやや斜め下に見下ろせる。その間には荒涼とした稜線が次第に落ちていき、お釜の右手の方は硫黄が吹き出す緩やかな谷となっていたと思う。

     日は射しているにもかかわらず、上空の雲を映して、「お釜」の水面はむしろ鉛色というのに近く、そのまま灰色の稜線と溶け込んでいた。

     なぜか私は、その時、遠くに見えるそのお釜の鉛色の水面と、右手に見える白っぽい谷が次第に地平線に向けて高度を下げている光景に「不気味な怖さ」のようなものを感じたのである。

     私は、海か山かと言われれば、山派だろう。九州に住んでいたから、霧島や阿蘇・九重・雲仙などには何回も行っているし、火口湖や噴火口の光景にも小さい頃から馴染んでいる。その私が感じたことがない、奇妙な「怖さ」だったのである。

     おかげで、それ以来、その時の光景が、この3年間の間、何回も自分の脳裏に自然と蘇り、反芻されていたのである。

     すでに述べたように、言葉やイメージを選ぶ際、ヒンターコフは、「『まだはっきりとした意味はわからないけれども、そこには<何か> がある』という印象を残したようなものがいいと思います」という示唆を付け加えた。この示唆の言葉に触発されて、全く自然に脳裏に喚起されたのは、この三年前の、蔵王のお釜を見下ろした時のイメージと「体感」だったのである。

    ***

     その、目に焼き付いた光景とその時の「体感」を自分の中に繰り返し反芻しながら味わった。(2.)

     すると、最初それは「不気味」あるいは「こわい」という言葉が、とりあえずふさわしいように思われた。(3.)

     だが、それだけでは言い尽くせないsomething moreが、その言葉にならない実感の中にはあると思えた。

     しばらく「その」実感と一緒にいてあげる(4.)うちに、身体に感じられている感じの質が少し別のものに変容してきた。

    「不気味」あるいは「恐い」……というより、

    ……「厳しい」

    そう、何か一種の「厳しさ」「畏怖」のようなもの。

    その方が実感には近い。

     私は「厳しさ……のようなもの」という言葉を自分の中の記憶の光景と実感に重ねあわせながら、この言葉だけで実感にしっくりかどうか再度確認していく。

     ……これでもまだ不十分だ。まだ「先」がある。説明され尽くしていないエッセンスの核心、「何か」がそこにはある。

     そのうち、その心の中の蔵王の風景を眺めている私の身体の前面の方が、何かある独特の緊張感で満たされてくるのがわかる。身体前半分の皮膚がピリピリしてくる。まるで蔵王の風景に圧迫されるかのように。

    そして、なぜか、目頭だけが熱くなる。

    「絶対的に、そこにある」

    「どうしようもなく、そこにある」

    という言葉が浮かぶ。

     なぜか、この蔵王でお釜を見下ろした時だけ、「もし、仮にこの風景をハイビジョンの映像として眺めても、ここまでありありと<そこに-ある>という感じはしないだろうな」などということを連想していた自分がいたことを、この時やっと思い出しした。

     これは「映像」ではない

     湖は、<そこに-ある>

     谷は、<そこに-ある>

     どうしようもなく、<そこに-ある>

     私の中に、その、確かに<そこに-ある>光景に圧倒されつつ、ほとんどそれに涙を流しながら「ひれ伏したい」というのに近い思いがあることに気が付く。

     (後で、全体でshareする際に、拙い英語力でヒンターコフにこの時の感じを伝えるのに私が選んだ言葉は、

    ”surrender(降伏する)”

    だった)。

     しばらくその感じと共にいた。

    「こうふうふうな感じにさせるのは何なんだろう?」と内側に問い掛け、返事を待つ(5.)。

     しばらくして浮かび上がった言葉は、自分でも意外なものだった。

     「……絶対的父性……

      ……絶対的父性 ???」

    この私の中に、絶対的な父性にひれ伏したいという感情のようなものがあるのだろうか?

     これは意外だった。というのは、私は、むしろ「絶対的父権」のようなものを心の中で軽蔑してきたとずっと思っていたからである。

     私は更に、6.の教示、つまり、

    > 6.そして、最初の言葉やイメージに戻ってみて、今の自分がそれをどう感じているか感じなおしてみて下さい。新しい自分の「感じ」や「気持ち」があれば、それを表現してみて下さい。

    に進むことになる。再びお釜を前にしたときの私のイメージと体感に戻ってみる。

     すると、これまた予想外なことに、私の身体にしみ通るように感じられてくるのは、先ほどまでの、あの、「恐い」「不気味」「厳しい」などという感覚とは打って変わって、ある柔らかくて、潤いと親しみに満ちた感覚だった。

      「その」感覚にぴったりの言葉を敢えて探し求めるならば、……そう、

    「愛おしい」

    というのがかなり近いという感じだろうか。愛する人やペットへの何とも切ない感覚に近い何か。

    ***

     恐らく、この私のフォーカシング体験の中で問題になるのは、ありふれた「父性復権」についての議論などではない。

     私が「絶対的父性」という言葉でとりあえずつなぎ止めている私の中の「体感」が含蓄するもののみが、私にとって重要なのである。 

     おそらく、

    「どうしようもなく、そこにある」

    という言い方の方こそが、肝心な本質に肉薄するものだろう。

     そこには、確かにあるひとつの布置(constellation)がある。つまり、私のおかれた状況が、非常に多重的な意味で、ある共通の構造を持って、その言葉と響きあっている。

     現在の私には、いくつもの意味で、以前よりも責任を負わされつつある。 様々な役職。結婚に際しての、実家との関係の変化。いずれ自分が父になるかもしれないこと。

     だが、何より、私自身が、私自身の「存在感(presence)」に、何か基本的なところで不満なのだ。

     あるいは、もっと、既成の経験ある先達に素直に心を開き、学びたい気持ちを押し殺して強がっていたのかもしれない。

     もちろん、こうした言い方は「ひとつの解釈」にすぎない。蔵王の光景とその時の理屈抜きの体感についてフォーカシングする中から私の中に生じてき た身体感覚そのものの変容は、このような特定の「意味づけ」だけに押し込めるわけには行かない、something more としてまるごと味わい続けるべきものなのだと思う。

     「そこ」から、無限に、果てしなく、意味が交差(crossing)し、あふれ出してくるのだ。その全てが、何らかの意味で、その時の私にとっては「的確な」象徴化のステップである。

     だが、その時その時の言葉の意味内容にしがみつくことはむしろ避けた方がいい。このことはジェンドリンも「夢とフォーカシング―からだによる夢解釈」などで繰り返し述べるとおりである。

    Okama

     ご存じのように、蔵王は山岳信仰の地でもある。もとより、私の場合、ほとんど思いつきで、バスとリフトで背広姿のままでお気楽に昇ってきた人間の印象にすぎないわけだが、やはり、昔の人も、あの目の前の光景から何らかのその人なりの啓示を受けたのかも知れないとは思う。写真もない時代に、遠方からやって来て、苦労して自分の足で登った昔の人に与えたインパクトは遙かに大きなものだったのではなかろうか。

     ただ、私の場合、その時の光景から体感された「言葉にならないもの」を自分なりに消化することをはじめられるまでには、こうして3年間も反芻するしかなかったのである。

     ヒンターコフのワークを体験させていただいたことは、その停滞していたプロセスが再び化学反応をはじめる触媒として、私にとって、 確かに役に立っている。

    ***

     ヒンターコフは、ワークショップの後半で、もうひとつのワークを示した。彼女が持参した、世界各地の美術館の名画の絵はがきの中から、自分の中の何かを触発するものを選び、それを手元でじっくり観た上で、その中から生じてくる曖昧な実感そのものにフォーカシングするというものである(「ポストカード・セッション」と呼ばれる)。

     これは、心理療法の現場にも応用し易いだろう。既成の絵でもいいが、絵画療法や箱庭療法の中でクライエントが作った作品についてこの様なことをクライエント自身にやってもらうのも面白いかも知れない。

     あるいは、俳句や短歌の鑑賞にも応用できないだろうか。自分がなぜその句が気に入ったのかを、虚心に振り返り、ことばにしていくための。

     ちなみに、こちらのワークで私が選んだのは、北斎の富嶽三十六景の一枚と思われる武蔵野の光景だった。一面のススキの原の彼方に小さく富士が見える、青が基調のもの。

     絵そのものをみるとそんなでもなく見えるのだが、私の瞼の内側でのその光景は、強風で煽られてススキが激しくざわざわと音を立てている様になっていた。その激しさには、暗さというより、あるエネルギー感のようなものが伴っていたように思う。

     「何か」が、激しく、騒いでいる。

     残念ながら、このワークショップの中では、その意味まで開示できなかったが、その絵を見たときの感じは今も残っている。蔵王に代わる、私の新たな「宿題」だったのかもしれない。


    参考文献:

    Hinterkopf,Ph.D.,
    Integrating Spirituality in Counseling: A Manual for Using the Experiential Focusing Method,Amarican Counseling Association,1998.

    邦訳
    エルフィー・ヒンターコフ著
    「いのちとこころのフォーカシング ~体験的フォーカシング~」
    (日笠摩子・伊藤義美訳 金剛出版)

     なお、本文中で紹介したエルフィのワークのマニュアルの日本語訳については、当日配布された日英対訳のブックレットの、日笠摩子さんによる訳を参考にさせていただきました。

    エルフィー・ヒンターコフ/いのちとこころのカウンセリング―体験的フォーカシング法

    Integrating Spirituality in Counseling: A Manual for Using the Experiential Focusing Method

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    2012年12月16日 (日)

    親鸞の「歎異抄」の精神とパーソン・センタード・アプローチ(短縮の上で再掲)

     私は実際に浄土真宗の家に生まれていますけど、親鸞については、ほんとうに日本史の教科書的な記述以上のことはほとんど何も知らなかったんです。「他力本願」「悪人正機説」、僧の妻帯を認めた、一向一揆と、その後の本願寺への権力者による弾圧、ぐらいのことで。

    ところが、人間性心理学会のシンポジウムで、シンポジストとのひとりの山折哲雄先生がいわれたことで、不思議と気に入った(実は、この言葉を聴いた瞬間に居眠りから醒めたのであった....)のが、その時点では出典すら記憶になくてメモにも取らなかった。、

    「彌陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとへに親鸞一人がためなりけり」

    という言葉のうろ覚えが私の中でなぜか響きあい、実際にネットで「歎異抄」を調べ始めて、実際に原文を読み通してみて、いよいよ興味深くなったという順序なんですね。

    *****

     「歎異抄」という著作そのものは、実は親鸞自身のものではありません。唯円という僧が、若い時代に関東からはるばる京都の親鸞のもとを学友と訪ねた時に歓迎され、滞在時に伝え聞いた話ををまとめたものである。

     書かれたのは、親鸞唯一の直弟子となった、親鸞の入滅後30年、唯円自身が亡くなる前、1年以内とされる。

     梅原猛氏の説によれば、恐らく、第3門主に覚如(親鸞の曾孫にあたる)が就く際に、再び京都に赴き、彼に親鸞の真意を伝えることによって教えが風化しないことを祈って事前に書き留めた上で講釈したのではないかと推理している。本来「ただひとりの人間」にのみ伝えるつもりの「秘伝」だったらしい。

     親鸞自身は、実は師の法然の忠実な継承者に過ぎないと思っていた。法然も親鸞も天台宗の総本山、比叡山で修行を積んだ。学問や厳しい修行がなくても、「南無阿弥陀仏」と唱えれば、「誰でも」浄土に行けるという思想そのものは法然が既に確立したものである。法然自身が叡山で危険視されたが、あまりの博識と、僧としての持戒の深さ(伝統的に僧が犯してはならないとされる戒めをきちんと守ることの潔癖さ)のために一目置かざるを得なかったようである。

     もとより、法然の時点では、「悪人も」「肉食妻帯者も」、念仏さえ唱えれば浄土に行けるという教えだったのだが、親鸞に至り、僧の肉食妻帯を「公然と」認めた(「非公然に」ならば、実際にはなされることが多かったのは、そもそも天台の始祖、最澄自らが歎いていた現実だった。天台宗そのそのものが、最初は既成仏教への改革運動そのものだったのである「阿・吽」というコミック参照)。

    親鸞は、師を超え、「悪人の方が浄土に近い」という大逆説まで公然と唱えるようになっていくこととなる。

     若い頃は、法然の兄弟子たちの間すら「無学な過激派」とみられていたが、法然自身は弟子たちの集まった前で、「親鸞の念仏は自分の念仏と同じ信心である」と、親鸞が若い頃にすでに公式に発言したという。
     
     宮中の侍女たちとの弟子たちのゴシップを体のいい理由づけにされて、弟子4人は死罪、法然と親鸞は遠隔地に流罪となっている。法然はすぐに京都に戻ったが、親鸞は福井に俗人として長期間滞在し、妻子を設ける。
     
     そして次に歴史の舞台に現れた時は、常陸の国を中心とする関東で長期間布教活動をして、中年期を過ぎてやっと京都に戻る。もっとも、知り合いのところをあちこち点々とするという、地味な暮らしぶりだったらしいが,何と90近くまで生きることになる。

     その頃には、親鸞の弟子や「また弟子」たちが、各地で勝手に親鸞の教えを広め、お互いに誰が真の弟子かを競い合う混乱状態が生じていた。しかも、妻帯を公然と認めたものだから、必然的に宗主は、子孫や親族たちの後継者争いになり、それはそれぞれが当時の有力諸候と癒着した生臭いものになる。(親鸞自身は、まさに「異説を広めた帳本人」として長男を廃嫡するしかなかった)。

     それは、時代を下るにつれて、時の権力者をも脅かす政治勢力としての性格を強めるしかなくなった。「浄土真宗」と「浄土宗」の分化は完全に歴史の産物なのである。親鸞自身が独立した宗主を自認する発言は全くしていない。親鸞の墓所が正式に本願寺として成立するまで数代、本願寺が独立宗派の総本山と自他共に幅広く認められる存在になるのは、革命的布教者で、かの「石山本願寺」を建てた8代めの蓮如の代である(蓮如は歎異抄を暗記するほど読んでいたが、「危険な書」とも感じていたらしい)。この連如ですら一度は焼き討ちにあい,各地を転々としている。

    「本願寺」そのものが、数回場所を変えて建立されるしかなかった。秀吉に京都に本願寺を移すように命じられ、跡地に大阪城作られてしまい、更には家康にそそのかされて東本願寺が分離独立した時点で、浄土真宗は、大勢力ではありつつも、政治家に屈服してしまうのである。

     結果的に、単なる無名の地方の僧侶だった唯円が著者だということそのものが歴史に直接は残らなかった。幸い、本山に「お蔵入り」はされていて、唯円という僧についての他の行跡の断片的記録を照合すると、「点と線」は見事につながり、著者唯円が、親鸞自身から聴いたことを書き留めたのは間違いないことは,学界でも宗学の上でも『今は』ほぼ定説化している。

     少なくとも、新約聖書の4大福音書の成立(2世紀ぐらい)までに比べたら、直弟子だった人物のまとまった唯一の記録として、親鸞の生の発言が忠実に反映されている度合いが格段に高いとされている。

     しかし、この書の存在は長い間知られず、学問的・教学的吟味がはじまったのは、江戸時代中期、本居宣長らによって古事記をはじめとする古い文献への文献学的再吟味が始まった潮流に乗って以降である。この時点で著者唯円説を説得力ある形で唱えた学僧ははいたが、あまり問題にされなかったようである。

     この書を有名にしたのは、明治時代になってから、清沢満之とその門弟たち(金子大栄はそのひとり)が真宗改革運動の乗り出す際にこの著作を重視してからであり、それまでは、そもそも「布教に使われることのないまま」埋もれていた。その内容が、基本的に教祖の親鸞自身が「教団」というシステムそのものを否定する、激越な内容を含んでいたためである。

     要するに、親鸞が若い熱心な弟子に向かって、問わず語りに、おそらくかなりくつろいだ気分で、ざっくばらんに繰り返し語った「ホンネ」集みたいなもの。

     鎌倉時代の、しかもかなり口語的にくだけた文語なので、徒然草よりもかなり平易だと思う。古文に普段なじんでいなかった人でも、実はほとんど使われていない仏教用語そのものすら前後の脈絡から何となく推理でき、現代語訳で解説的に「翻訳」されてしまうと失われる「泥臭いまでに生身の人間の匂いがする」味わいがダイレクトに堪能できるのではないかと思います。

     何しろ、私がはじめて「読破」した仏教についての単著がいきなりこの原典、というくらいです。

     岩波の金子大栄氏校注は、昔でいう★の厚さにしかならないもので、原文だけならほんの20ページで終わってしまうでしょう。

    ****

     私が妄想した、ある光景。

    「だってさあ、そうだろ、お前。わかるかあ? 阿弥陀様は、こんな俺のことだけを思って救って下さろうとしたのではないか、とすら感じた気持ち。これって、一見傲慢だろうけどさ、自分が本当に救われた、それは私の意志やがんばりなんかではなくて、師匠の法然様が救ってくださったのですらなくて、本当に、人間の思慮分別を超えた阿弥陀様というものがおられて、何でかわからんけど私なんぞを「救って下さった」というしかない、って。自分を超えた「何か」の「はからい」がないとこうなるわけない!! と心底感じたから、阿弥陀様に念仏を唱えずにいられないわけだよ。」

    「俺は「弟子」なんてひとりも持った覚えはないから。俺の教科書をありがたがって知識として「勉強する」だけの奴らなんて何もわかってないの!! ホントぞっとするね(きはめて荒涼のことなり)。そうやってただの生身の人間であるに過ぎない私を崇拝する奴らなんて!! 俺をありがたがるなよ!! 凄いのは阿弥陀様であって俺ではない。俺であってはならないわけ!!」

    「 そして、信者たちにありがたがられて、まるで自分が救い主みたいな自己陶酔するなっつーの!! そういうのが俺の高弟でごさい、みたいな態度取ってると虫酸が走るよ。救ってくださるのは阿弥陀様であって、連中が、努力や修行を積んでいけば人々を「救える」ようになりたいと「願う」ことのがそもそも傲慢だよ。どこまでいっても人間はこの世では煩悩から抜け出せないよ。阿弥陀様だけが、俺たちを含む人間の救済を本当に「願う」(本願)力を持っている。「祈って」待つしかないんだ。阿弥陀様の慈悲がその人をお救いになることを。人が人を救える、自分もそういう人間に修行を積めばなれる、なんて発想そのものが、そもそも不届きで傲慢で「煩悩そのもの」なんだよ」

    「そういう人間は、自分は徳を積んだ善人だと確信犯してるからいよいよどうにもならん。阿弥陀様もえらいモンだよ。そういう「独善的」エゴイズムにとらわれた人間すら念仏「させてくださって」。いろんな欲や感情にとらわれ、悪いことをして生きていくしかない、そのことへの自嘲と絶望を密かに感じている人間の方が、本当に人を超えた何かに救われたいという思いに近いとすら思うね。(「善人なほもつて往生をとぐ、いはんや悪人をや」・・・・いわゆる「悪人正機」説

    「......もっとも、逆に、どんな悪いことをしても、色と欲に開き直っても、阿弥陀様は念仏しさえすれば救ってくださると開き直る連中も、逆方向にどんでもない勘違いしている。念仏ってのはさ、実は自分の意志で「する」か「しない」か自由に決められるものだと思ってるだろ、そいつら。念仏「できる」ことのものが、阿弥陀様の慈悲あってのものだっていう、肝心なことに気がついてない」

    「.......え? 『念仏していても全然幸せな気持ちになれないし、そもそも極楽浄土って、そんなにいい場所なんでしょうか?』って? .........正直な奴よのう、お前。......実は、わしもそう思う時がある(爆)。でも、そうやって煩悩や迷妄にとらわれる存在でしかないからこそ、救っていただけるありがたみがあるんじゃないかの? 念仏するかしないかは、勝手にすればあ? としか思ってないんだけどね。」

    「....実は、俺すら、この程度の人間だから、阿弥陀様がまっすぐ極楽に連れて行ってくれる保証はないと思うね。すべては阿弥陀様の手の内にありだし、どうみても、一度は地獄行きでもしかたない程度のものだと思うし。でも、そうなっても先生の法然様が俺をたぶらかしたなんて、師のせいにして一切恨まないからね。すべては阿弥陀様の手の内にある、その慈悲にすがるしかないってのは、俺の人生かけて悔いはない帰結なんだからから」

    *****

     「歎異抄」とは、自分本来の教えの意図がが右にも左にも誤解されて『異』なった姿で論じられるようになったことへの師の『嘆(なげ)き』に共鳴した弟子が、師に繰り返し言われたことの核心を要約してまとめ(『抄』録し)、後続の章で、唯円自身による解説を付記した書物なのである。

     ここからは、現段階での私の想像です。

     どうも身近な弟子たちは私に媚びてるので信頼ならない。でもはるばる関東の地からやってきたこいつ(唯円)なら、情熱はあるけど頭でっかちではなくて全然スレてない。「浄土ってそんなにすばらしいところか信じられない時もあるんですけど」、とか、無礼な質問すら平気でしてくる誠実さを持っている、こいつなら気を許せる、と見込まれてしまって、飲み屋での老人の繰り言のように、熱弁をふるい出す師の話に「繰り返しつきあわされる」みたいな状態だった唯円。

     京都滞在時代の若い頃を思い返すうちに、いよいよ混迷し、政治にも巻き込まれて変節していく教団のありようと引き比べるうちに、師の語った「逆説の山」の真意をいよいよ悟っていった。

     親鸞の直接の教えを受けた人たちがみるみる世を去り、直弟子唯一の生き残りとなったところに、関東の外れに「無名だが、直弟子がまだひとりだけ存命」と知った京都の本山からお呼びがかかったが、あまりに過激なその内容に、唯円が精魂込めて書いた持ってきたテキストは、あっさり「お蔵入り」となってしまった。

    *****

     「他力本願」というのは、実はカウンセラーに必要な究極の姿勢ではないかと思う。

     カウンセラーは、自分が修行を積めば人を「救える」ようになるなどとうぬぼれてはならない。「願って」もならない。

     ましてや、自分の流派が優れているとか、自分こそが真の弟子だとか論争するのは、恐らくカウンセリングを受けるクライエントさんにすら有害な、もっての他である。
     
     実は相手が以前よりいい状態になることを『願う』ことそのものが、カウンセラーの煩悩であって、身勝手なのではないか。

     我が身を振り返ってみろ。そんなに幸せか? そんなにものごとをうまくやれているか? 時には色んな欲や感情に振り回され、ごまかしをし、先生や先輩として慕われることにいい気になり、逆に先達の機嫌を損ねないために媚びへつらい、自分の業績へのこだわりから他人を批判する。身近な人たちを傷つけ、失望させ、他人の命をむしり取るようにして生きている、いつまでたってもそんな人間ではないか。

    ******

     私は、自分が現場カウンセラーが「天職」な人間などとはほとんど思っていません。でも、それは周囲と比較してのの劣等感とか、そんなものでもないのです。むしろ、少し前まで思っていたより、カウンセラーの実力差など、実は「ない」のではないかとすら感じ始めています。

    *****

     「クライエントさんは、自分の力で治っていく」という言い方も、結局行きすぎだと思います。

     なぜかしらんけど、そのひとの「状況」が味方をし始めた、としかいえないことって、多い気がして。

     そこまで、クライエントさんを何とかしようという「悪魔の誘惑」にも負けてしまわず、クライエントさんに何も変わらないという絶望を感じさせ、クライエントさんに見捨てられたと感じる無力感からも目をそらさず、「なぜか」関係が維持されていることそのものに感謝を覚えなから、何か活路が生じることを「祈る」ことしかできない。

     ちょっと、カウンセラーを「変えよう」と力んでいた私が恥ずかしくもなっています。

     出口は、常に「向こうから」やってくる。

     そう感じている人だけが、技法に「使われる」ことなく、技法を「なぜか無理なく有効に使えてしまう」ようにも思います。

    *****

     ともかく、たまたま浄土真宗の家に生まれたことも、何かの巡り合わせかなと思いました。

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    2012年12月13日 (木)

    父の生涯

    ここしばらくの間で最大の事件は父の急死でした。

    齢79歳ですから寄る年波には勝てないとも言えますが、母と同居するマンションの風呂場で浴槽につかったまま意識不明、救急車で久留米大学救急救命センターに運ばれ、数日間ICUでの集中治療を受けた後、3月8日に死去しました。

    年金生活を送っていましたが、税理士関係の仕事をまだ何件かは続けていて、あと少しで年度末の確定申告関係の仕事が終わる直前でしたので、実際にはかなり疲労していたのではないかと思います。

    *****

    父は昭和7年に東京市淀橋区で生まれたが、4歳の時に中国東北部、いわゆる満州に関東軍の軍属となった祖父と家族と共に渡った。

    哈爾濱(ハルピン)のそばの「阿城」というところに住んでいたらしく、今度の引っ越しの時に、十五年ぐらい前に再訪した「阿城」駅の写真、そして阿城から通学していた哈爾濱中学までの定期券の実物が発見できた。Chichiteikikenn

    もっとも、その定期券の有効期限は昭和20年の10月13日までであり、すでに終戦を迎えていたことになる。何かやはり当時の遺品として大事に持っていたのであろう。

    「軍属」というのが何を指すのかよくわからないでいたのだが、今回の引っ越しで、満州時代の父の父の書いた本が表紙がない形で本文だけ「発掘」された。

    学校の生徒や教育関係者への訓示を思わせる格調の高い文章。

    だから、「視学官」だったのではないかと思える。

    いわゆる「大東亜共栄圏」「五族協和」について高らかに歌い上げるというより、実際に満州にいる中で人は何ができるかについての思索の跡が伺える、かなり理想主義的な文章である。

    父たちはソ連軍の戦車が来襲する前に大連の港を目指して集団で逃避行となったわけだが、ある宿営の晩、父の父は、「お母さんのところへ行っていなさい」と言い残してその場を離れたという(生前には父から直接聞けなかったが、母から父の死後伝え聞いたこと)。

    その後に一発の銃声が聞こえた。

    その後、祖母と父は大連で足止めを食らい、約1年間日本への引き揚げ船に乗れなかった。饅頭売りなどをして「人生の底辺を嘗め尽くした」という。

    いつでも自殺できるように青酸カリが配られていたが、ほんとうに日本に帰れそうだとなった時点で回収されたという(これは父から聞いていた話)。

    日本に帰り一族の本来の故郷である現在の久留米市北野町の本宅に帰り着いた時には、母子二人ともやせ細っていたそうだ。私の曽祖父は「トモエと彦四郎が帰って来たぞ」とふれて回ったとのこと。

    父の兄(私の叔父たち)は一人は早稲田大学、一人は玉川大学を出て、二番目の兄のエッセーが収録された文集なども残っているので、中産階級の頭がいい家系ではあったと思う。徴兵後に数年遅れて帰国した長兄の方は、市役所の議会事務局まで務めあげ、30年におよぶ年金生活を悠々自適に送って、昨年98歳で亡くなったが、次男の方は最後は上海の阿片窟で死んだらしいことを父はいろいろ文献を集めて探り当てていた。

    父親に進学を進める声もあったが、父の母は「この子にばかり贅沢はさせられない」と言い切り、父は旧制中学一年で中退のままで簿記学校へ通う。その後で当時の北野村の経理指南役にすぐに上り詰めて以降、経理の「超」職人としての人生が始まる。ともかく5人分の仕事をこなせたらしい。雇っている事務員たちのペースがまどろっこしいのだ。

    しかも、父は誰よりも早く事務所に「出社」して、部屋の掃除をして冬は暖房をいれておく甲斐甲斐しさも併せ持っていた。「頭は低く、でも技は人一倍に」というのが父の処世術だったようだ。

    そういう勤務先で知り合ったのが、10歳も年上の母だったという。母はまさかこの人と結婚する展開なるとは全く思っていなかったようである。

    そうした中、二人は今上天皇、つまり当時の皇太子殿下と美智子様のご成婚の日に「あやかり結婚」する。その名前が新聞に出たものも残っている。

    そして、今の皇太子殿下が実際には昭和35年の2月23日生まれなので学齢的には一つ私の方が下になるが、「浩宮」の一字をもらって「浩一郎」という名前になったわけである。

    *****

    父の特徴は、万事自分でお膳立てしてしまう「先回りの良すぎる」ところである。「甘やかされた」のではない。私は父の先回りに「甘んじて」いたのである。私自身そういう父から離れないと成長できないと感じたので東京の大学に進んだのだが、私も学生時代に金銭的に不自由したことはない。でも「そこまでしてくれなくてもいい」「自分なりにやらせてほしい」と言い出せないままだったのは私の責任でもある。

    その結果、実社会に出て人との関係にもまれるということが遅すぎる形になっていたと思う。若いころバイトは正直に言って一回しかしたことがない。それも友人のコネでである。

    晩年の父は、「そうやっていつも先回りしようとするから」みたいなことを私が言ったとたんに「おまえは俺のポチか?」と感情を高ぶらせた。

    ポチでいたくはなかったなかったけれども、ポチに成り下がってもいたと思う。

    母も、「いつでも『うちんと(父)』がお膳だてするけん、私も世間知らずのままでよくなってしまっていた」と最近語ることが多い。

    *****

    父は、自分が時代に流されて必死に生きるしかなかった分、果たせなかったことを他人にはしてあげることによって自分の生きがいを見出すタイプだったと思う。

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    トロントだより

    • 050601_0957
       The Focusing Instituteの第17回国際大会(2005/5/25-31)の開かれた、カナダ、トロントの北の郊外(といっても100キロはなれてます)、Simcoe湖畔のBarrieという街に隣接するKempenfelt Conference Centreと、帰りに立ち寄ったトロント市内の様子を撮影したものです。

    淡路島縦断の旅

    • 050708_2036
       「フォーカシング国際会議」が、2009年5月12日(火)から5月16日(土)にかけて、5日間、日本で開催されます。
       このフォトアルバムは、その開催候補地の淡路島を、公式に「お忍び視察」した時の旅行記(だったの)です(^^)。
       フォーカシングの関係者の紹介で、会場予定地の淡路島Westinという外資系の超豪華ホテルに格安で泊まる機会が与えられました。しかし根が鉄ちゃんの私は、徳島側から北淡に向かうという、事情をご存知の方なら自家用車なしには絶対やらない過酷なルートをわざわざ選択したのであります。
       大地震でできた野島断層(天然記念物になっています)の震災記念公園(係りの人に敢えてお尋ねしたら、ここは写真撮影自由です)にも謹んで訪問させていただきました。
       震災記念公園からタクシーでわずか10分のところにある「淡路夢舞台」に、県立国際会議場と一体になった施設として、とても日本とは思えない、超ゴージャスな淡路島Westinはあります。

    水戸漫遊記

    • 050723_1544
       友人と会うために水戸市を訪問しましたが、例によって鉄ちゃんの私は「スーパーひたち」と「フレッシュひたち」に乗れることそのものを楽しみにしてしまいました(^^;)。
       仕事中の友人と落ち合うまでに時間があったので、水戸市民の憩いの場所、周囲3キロの千破湖(せんばこ)を半周し、黄門様の銅像を仰ぎ見て見て偕楽園、常盤神社に向かい、最後の徳川将軍となる慶喜に至る水戸徳川家の歴史、そして水戸天狗党の反乱に至る歴史を展示した博物館も拝見しました。
       最後は、水戸駅前の「助さん、格さん付」の黄門様です。
       実は御印籠も買ってしまいました。

    北海道への旅2005

    • 051012_1214
       日本フォーカシング協会の年に一度の「集い」のために小樽に向かい、戻ってくる過程で、他の参加者が想像だに及ばないルートで旅した時の写真のみです。かなり私の鉄ちゃん根性むき出しです。  表紙写真は、私が気に入った、弘前での夕暮れの岩木山にしました。

    神有月の出雲路2006

    • 20061122150014_1
       11月の勤労感謝の日の連休に、日本フォーカシング協会の「フォーカサーの集い」のために島根県の松江に旅した時の旅行記です。https://focusing.jp/  
      ご存じの方は多いでしょうが、出雲の国には日本全国の神様が11月に全員集合することになってまして、「神無月」と呼ばれるわけですが、島根でだけは、「神有月」ということになります。(後日記:「神無月」は10月でしたよね(^^;A ........旧暦なら11/23前後は10月でせう....ということでお許しを.....)  
      ちょうど紅葉の時期と見事に重なり、車窓も徒歩もひたすら紅葉の山づくしでした。このページの写真は、島根の足立美術館の紅葉の最盛期です。

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