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音楽

2019年7月13日 (土)

中島みゆきの「エレーン」「異国」

やっぱり「カウンセラーこういちろうの雑記帳」のネタばらし少ししておきましょうか。

みゆきのアルバム、「生きていてもいいですか」に入っている「エレーン」と「異国」という対になった2曲について。

私の今度出版する本では、著作権許諾の上でこの2曲の歌詞を引用しつつ論じた章があります。

これら2曲の背景に、みゆき自身が体験した、ヘレンという名の外国人娼婦との逸話があることは、知ってい折る人は知っているけど、知らない人は知らないのではなかろうか?

このエピソードについては以下のみゆきの本に述べられている:

みゆきの曲の中でももっとも暗い曲に部類するかもしれませんが、これほど深い「共感」と「悼み」の曲は珍しいかもしれません。

いや、私がこの歌を題材にしたのは、この曲が「カウンセラーにありがちな浅薄な『共感』」など吹き飛ばす曲だという観点からのものでした。

 ●中島みゆきさんの「エレーン」という曲( 鮎沢郁弥の夏のカケラ)

 

 

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2019年7月10日 (水)

ちーちゃんは悠久の向こう

やっと書くという約束を果たせる。

なぜこの作品と巡り合ったのかはもう忘れた。たまたまネットサーフィンしていて出食わしたのは確かだが。

私はが「ちーちゃん」という名前に過剰反応したのは確かだ。

「セーラームーン」の前作品であった「きんぎょ注意報」に出てくるお嬢様キャラ、藤ノ宮千歳のあだ名が「ちーちゃん」である。

私はこのキャラについて「アニメージュ」の読者投稿欄におちょくる投稿を何回かした。

そして私のハンドルネームの"chitose"というのも、一応故郷久留米を流れる筑後川の別称、「千歳川」からとったことにしているが、実は「きんぎょ注意報」の藤ノ宮「千歳」も意識している。

・・・・まあ、この小説と、これを原作とする映画とは全く無関係のことだが。

*****

この作品は日日日(あきら・・・と読む。「晶」に置き換えて「日」3つに崩して表記したもの。1986年生まれ)という人が、まだ高校生時代に書いた2005年の作品であり、新風舎文庫大賞を受賞している。これを原作とする映画は2008年。以下では映画について述べる。

ちーちゃんとは怪談が好きな「千草」という女の子。幼馴染のもんちゃん(久野)に布団の中で怪談をして怖がらせていた。

その二人は高校一年生になり、クラスメート。

もんちゃんは弓道部に、ちーちゃんはオカルト研究会に所属するようになる。

オカルト研究会には林田という女生徒がおり、一年留年したのを引きこもりだとかうつ病だったと噂されていたが、実は脳梗塞のリハビリだった。

ちーちゃんともんちゃんは毎日屋上でちーちゃん作った弁当を食べるのを習慣としている。

二人は、「学校の七不思議」と呼ばれる場所を探検するが、何も起こらない。

ところが、もんちゃんは、弓道部の先輩の武藤と微妙な関係になる。それに嫉妬するちーちゃん。

ある日、林田は再び脳梗塞を起こして死んでしまう。「人は死んだらどこに行くのだろう・・・」とつぶやくちーちゃん。

すったもんだのあげく、ちーちゃんは見てはならないものをみてしまう。それは・・・

ここからどんでん返しがはじまり、感動のラストへと向かうのだが、それはオフレコね。

****

ちなみにちーちゃんは若き日の仲里依紗が演じている。

彼女は前年公開のアニメ版「時をかける少女」(細田守監督)の声のヒロイン役でもあるが、何とエンディングが・・・聴いて一声でわかったが、「時かけ」と同じ奥華子である。

非常にピュアーな青春映画であり、ストーリーメイクも達人である。これが同年代の高校生が書いたものとは信じがたい(アマゾンレビューによれば「原作と違う」という指摘もあるが、おおむね好評である)。中高生世代には必見だろう。

2019年7月 7日 (日)

高いビルの工事現場の足場の上に出て恐怖を感じる夢

またもや私のみた夢の話にお付き合いください。

******

私は大学学部か大学院生である。

私は知り合いの大学生、あるいは大学院生(女性。私は彼女に片思いしているようだ)自分の書いた資料を渡そうとして、相手を探している。

相手のいる場所の目算はついた。

しかしそこに辿り着くには、高いビルの外側に張り出した工事中の足場を通るのがいいことに気がつく。

その足場は、鉄パイプを組み上げた上に木製の板を約1.5メートルぐらい「張り出させた」ものである。柵はない。

私は、通れると思いその上に乗って歩こうとするのだが、数歩先は地上までの「奈落」であることに気がつき、しりごみしてしまう。

足場はしっかりしたもので、下さえ見なければ渡れそうなのはわかっている。

何度も試みようとして、板の手元の方にまで出てみるのだが、下の方が見えてしまいそうなところまで出るのに躊躇して、結局伝え歩きでそうなのにそれ以上一歩を踏み出せない。

結局私はビル内に戻り、大食堂とも大会議室ともとれる広い空間へと行く。

そこには正方形の大きな机が整列して置かれ、それぞれの机ごとにまわりに椅子が数個置かれ、学生たちがその周りに座っていろんな討議をしながら「プロジェクト」を進めている。

そうした机は本来予約制になっており、その終了時間はあと1時間のようだ。

私は空いている大テーブル(2つしかない)に座って作業を進めようとするが、そこを「占有」することに躊躇を感じている。

ここで場所は一転する。

大きなダークグレーの壁や床で囲まれた抽象の高い閉じられた広い空間。ただしその空間は多面体のようで、垂直の角がない。

その真ん中に衛星放送の映るデジタルテレビが置かれている。画面が映っているのだが、非常に粒子が荒い、電波の弱いところのアナログテレビ並み。私は「衛星放送ってこんなに粒子が荒かったっけ?」と怪訝な気分になる。

「マクロス7」の第一話の放映が始まる。

最初の方は私が知っている通りにストーリーが進む。

ところが途中から私の知らないシーンの展開が始まる。

私は、「こういう展開なのを覚えていなかたのか?」という気分になる。

・・・ここで目が覚める。

*****

さて、夢フォーカシングをこれを書きながらライブで進めよう。

書いたレポートを好意を持っている大学院生に読ませたがっている・・・実際の私は当時、片っ端から周囲の女の院生に求愛して、振られてばかりであった。

レポートの内容によって相手に評価してもらおうとしていたようだが、今思い返せば、こんなのは求愛になってない。恋愛と学術的評価なんて別の次元のもの。

夢の中で求愛の相手になっているのは私がこれまで求愛してきたのとは別の、知らない女性のようだ。非常にアニマ臭いが、私が今度の本の魅力によって、院生でなくてもいいから、誰か私に好意を抱いてくれ、懇(ねんご)ろな関係にならないかという「下衆な」期待をしている面があることも確かしれない(^^;)

高い足場の上の綱渡り・・・似た場所は? 

一つは私が勤務していた法政大学多摩キャンパスの面接室の窓から見た光景。もう一つは私の父母が住んでいた高層マンションから見渡した風景。

正直いって、私は、父の死の後、世をはかなんで、母を残したまま、こっそりエアコンの室外機まで乗って、飛び降りられないかを何度も試みてみたことがある。

繰り返すうち、そこに真剣みが薄れ、半ばお遊び化していたが。

外壁を使った「綱渡り的」移動・・・下さえ見なければ実は安全にできるはず・・・これは、私がやろうとしている3冊連続刊行という「博打」のことだろう。

「無意識的には不安と恐怖にかられている」が、実際には「歩き通せる」・・・成果は目に見えているはず・・・ということの暗示か?

*****

「大会議室の大きな机の並んだ、みんなが討議している空間」・・・私が羨望を感じている、周囲の同業者の在り方だ。私は「予約なしで」、残された2つのテーブルのどちらかをひとりで占有しようとしているがそのことに躊躇している・・・これは現実とは異なる。今度の松江の日本フォーカシング協会の「集い」では、私は、今度出す「入門・フォーカシング」を教科書にする「出店」を早々に申し込み、受理されている(「予約」している)。ひとりぼっちで「テーブルを占有しようとしてる」のは確かだが。

******

さて、厄介なのは「マクロス7」である。

ダークグレイの抽象度の高い多面体の角のない部屋というのは、「電脳子宮空間」の暗示だと思う。

「粒子が荒いハイビジョンデジタルテレビ」という矛盾。これは古い私のネット上の論考を「今の舞台」に載せようとしている私のありようと一致する。

たとえ敵味方が退却しても、無伴奏でも、「俺の歌を聴け~!!!」という熱気バサラのありようはあり方は私そのもの。

「途中から私の知らない展開になる」というのは、著作を刊行した後に生じる展開が、まさに「予想外の」、しかも結構しょぼい展開になる(少なくともそうなりはしないかと恐れている)・・・ということの暗示かもしれない。

更に言えば、6月30日に地上波で全国放映されたらしい、「君の名は。」を観そこなったことへの後悔とも関連するだろう。

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2019年7月 6日 (土)

「素直」と"Let it Go"の違い

「素直」というと、「人の言うことに従う」というニュアンスがあり、「自分を見失う」不安を引き起こしかねないと思う。

かといって「あるがままに(as it is)」というと、何か仏教の境地みたいで、何か違う。

「アナと雪の女王」に出てくる"Let it Go"なのだ。「なるようになるさ」

これはビートルズの"Let it be"とも近いが、"Let it be"は状況をさすのに対して、"Let it Go"は感情をさすようだ。

「アナと雪の女王」はミュージカルでもあるし、心理分析のネタとしても興味深いのだが、いつになったらこのネタ、書けるだろう?

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2019年7月 4日 (木)

制服姿の森昌子に歌を披露してもらう夢

今日も若干うつ気味だった。

うつと疲労感の違いが私にはわかる。

どうもここしばらく、ある種の神経伝達物質を偏った消耗の仕方をしていたように思う。

*******

また夢を見た。

今日もそのことについて書こうかと思う。

*******

夢の中でも、私は母校の西南学院高校の生徒である。

この高校は、私が通っていた当時は男子校で、地元の名門校、公立修猷館高校に不合格になった、スぺり止め組の、比較的頭のいい生徒がいる一方、ガラの悪い留年する生徒も一部いる男子高校だった。私も久留米の名門校、明善高校を不合格になってのすべり止めだった。(現在は男女共学で、結構進学校のようだ)。

私は教室で、教師から現代国語のレポートを褒められている(実際には世界史の先生だった人から。実際の私は世界史と古典が得意だった)。

しかし私は内心褒められすぎと感じていた。

夢の中でも、私はまもなく3冊の本を出すことになっているが、そのうちの一冊に途中で行き詰り、未完成のまま編集部に回したことになっていた。

先生の前ではそのことは語らないが、先生は結局そのレポートを私から回収して持って行ってしまう。

そのあと、私はクラスメートの男女数名(ヤンキーが多かった気がする)にその事実を明かし、いろいろな話をする(内容は忘れた)。

そのうちに放課後は遅い時間となり、窓から夕陽が差し込むようになる。

私は学校を後にしようとするが、カバン、体操服入れ、そしてどういうわけか鍋、フライパンその他、金属製の食器類が入った大きな袋、都合3つを持って帰らねばならないことに気が付き、それじゃ難渋なので一袋だけ教室の個人ごとの棚(扉はついていない)に置いて帰ろうかと思う。

そうすると、さっきの男子生徒の一人から、

「持って帰らないと明日までに他の生徒に持ち逃げされるから」

とアドバイスを受ける(その人の面影はよく知っている。結構仲のいい生徒会仲間だった。「ヤマト」を私に教えてくれたのも彼)。

学校の校舎を出る頃は、すでに日が暮れている。

階段を下りていると、女子生徒たちが、

「今度ここも共学やめるってさ、それじゃおつきあいもできなくなるよね」

という話をしている。

階段を降りきる前に、階段下に、制服姿の森昌子はいる。

私に向かって、

「先日はお父様に琴の会場のことで随分お世話になりました」

と挨拶してきて、それから一曲歌い出す。

その歌は知らない歌で、平易で魅力的なメロディであった。

・・・・ここで目が覚める。

=======================

さて、夢フォーカシング

私の夢の中で、あまり柄の良さそうではない連中の吹き溜まりのような私立共学校の生徒となっているのは「定番」である。

現実の私は、すでに述べたように、西南大学への推薦入学も多いが、上の大学に進学できる奴らもいて、その一方で結構不良も多い高校の出身者である。

生徒会副会長でもあった私は、結構そういう生徒たちに、時にはいじられながらも結構話が通じる相手として一目置かれてもいたように思う。

ただ,私のように、早慶でもない、東京の他の六大学クラスに進学するものは稀であった。

私は学部→博士前期→大学院研究生と進むうちに、さらに一気にレベルアップできたのだが、実際の私よりも分不相応な道を歩めたのではないかという「正体を見破られはしまいか」という不安にさいなまれていた。

そういう私の「影」となり、無意識的に「補償」する方向で、ガラの悪そうな共学校が出てくるのだろうとは常々感じていた。

ところが、今回ははっきりと「西南学院高校」である。夢の中では、私が通っていた当時よりはグレたのが多いみたいだけど。共学校なのは違うが、これまでの夢のパターンよりは現実に近い「等身大」である。

このことは今の私はそんなに無理をしないでいることの証しかもしれない。

******

夢の中で「今度3冊の本を出すことになっている」のは現実と同じである。実は「途中で行き詰った未完成の部分を残したまま原稿を編集部に回していて、焦っている」というのは、思い返してみれば、私の夢の定番である。

しかし、今回の三冊については、完成度が高いと思っている。

ただし、前著のエヴァ本を再刊してくれた幻冬舎(心理学に疎い編集担当者だった)は、その本が前の出版社から発売されていたのと「まったく同じ」仕様になるように印刷屋と掛け合うなど尽力してくれたが、欲を言えば若干「機械的な」編集・出版作業だったと思う。

これに対して、鳥影社編集部は、私の著作を「理解」「共感」して、評価をしてくれるのはいいが、ちょっと「褒められすぎ」と感じているところもある。(これが夢の中の現代国語のレポートについて、「褒められすぎ」と感じたことにもつながるかも)

三冊目、すなわち「カウンセラーこういちろうの雑器帳」は、ちょうどこれから初校に入るが、少し省略したい個所はある。でも、夢の中とは異なり、完成には特に困ってはいない。

ただ、3冊の中で編集部から一番評価してもらっているにも関わらず、ちょっと「背伸び」した、私にとっての「理想像」を、さも私が日ごろ実現できているかのように書いた部分もある、ええかっこしいだという点に若干の罪意識はある。むしろ必要以上に「完成度が高すぎる」ように見せかけている気もするのだ。

そういう思いは、特に一冊目、「入門・フォーカシング」にはない。完全に私が現実にやっていること身の丈「そのまんま」だという自負があるから。

「セーラームーンの精神分析」も、オタク論としては若干古いかもしれないが、20数年前の私が目一杯の全力投球で書いた密度の高い論考であり(「エヴァンゲリオンの深層心理」なんてこの論考に比べれば愚作である)、悔いはない。

*******

さて、夢の中のクラスメートとの本をめぐってのおしゃべり(その中には批判もあったと思う)は、実際にこれらの本を「一人だけ」の孤独の中で書き上げ、誰かからのアドバイスなしであったことへの願望の表れだろう。批判でもいいから聞きたかったのだが。

*******

「どういうわけか、鍋、フライパンその他、金属製の食器類が入った大きな袋」というのは、老いた母のために最近冷凍食品にばかり頼らずに若干料理もしているのだが、「もっと自分で作れ」という無意識からの声かも知れない。

*******

さて、問題の森昌子である。

私は彼女より一歳年下だから、デビュー最初から、そして桜田淳子、山口百恵と共に「花の中三トリオ」と呼ばれた当時から注目していたし、中学時代の、まだ演歌っぽくない彼女の歌にも馴染でいるし、彼女が制服姿(実際にはそういう姿で歌ったことはないと記憶するが)というのも得心がいく。

歌の歌詞は、目が覚める瞬間までは覚えていたが、忘れてしまったのは残念だが、ともかく平易な歌だったと思う。

一つ思い出すのは、私が最近「オペラ座の怪人」にはまったこととの関連である。あえて言えばクリスティーヌの歌う"Think of Me"に似ている素朴な曲かもしれない。

「制服」という面にこじつければ、ここしばらく欅坂46に結構ハマっていることとも関係するか?

彼女が私のアニマだとすると理解しやすいし(実はカラオケ好きだ)、もっと「檜舞台」で「表現」したい自分がいることも確かだろう。

*****

さて、最後に、なぜ森昌子は私の亡き父に感謝するのだろうか? 父は、琴の世話をしたことはないが、母親や関係者の日本舞踊には過剰なまでの世話焼きであったし、知り合いの保育園へのいろいろな、お節介に近い援助とか、いろいろな人たちに感謝されていた。

私ももっと他人のために「おせっかい」スレスレのお手伝いをしたり、地域のために貢献するようにということなのだろうか?

2019年6月30日 (日)

クリムトとムンク

現在東京都美術館で、「クリムト展 ウィーンと日本 1900 Gustav Klimt: Vienna – Japan 1900」展が開かれているそうですね。

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( ↑ 展覧会公式画像。「ユディト」)

私も東京時代にクリムト展は観にいきましたよ。

あの「金色」との対比の中で浮かびあがる人物像は、完全に自然光の反射を計算づくで取り入れたもので、実物をみないとその核心に迫れません。複製では駄目。

会場の照明がどうなっているかが成否を分けそう。ライトで照らしたりしたら最悪。

私が観た時の展示は、どこの美術館かは忘れましたが、自然光の入るオープン・スペース中心でした。 

クリムトは父親がボヘミア人なので、少し東欧系の香りが融合されています。美しくて、そんなに退廃的とは感じませんでした。

確か同じようにボヘミアの血も流れている同時代の作曲家・指揮者マーラーとも相性が良かったようです(どこかでほとんど「関係者」だったはず)。

クリムトはベートーヴェン・フリーズで有名ですか、

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(部分)

CDでマーラーの交響曲全集の各表紙をクリムトでまとめたのはクーベリックだったかな(クーベリックは生粋のチェコ人)。

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*****

一転して、ノルウェーの画家、ムンクのことを書きましょう。

私は2回ムンク展に行ったことがあります。

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「叫び」があまりにも有名で、独り歩きをしていますが、ここで「叫んで」いるのは真ん中の人物ではない。

実際にムンク展(一回目)に行った時に、カンバスの裏に回って目に入ってきたのですが、ドイツ語で、確か、

"Ich hörte die Welt weinen."

とありました。

「世界が叫んでいるのを私は聴いている」

なんですよね。

耳を抑えているとも、聴いているとも受け取れる構図にはそういう意図があります。

実は「叫び」の絵はムンクは大小取り合わせて数枚、同じ構図で描いています。

一回目の展覧会は、オスロ美術館からムンクの全作品を借り受けたもので、全部揃っていました。

晩年の作品は、ほとんど殴り書きの未完成なものが多く、ムンクの精神荒廃(統合失調症?)がうかがえます。

・・・それはそれとして、私が好きなムンクの絵に、「思春期」と題するものがあります。

Image

これは少女の初潮をあらわしたものと言われています。ベッドのシーツに赤いしみのようなものがありますよね。

後ろの黒い影が、まるで魂が抜けだしているかのようで、気になりますが、ムンクは多くの絵にこういう「影」をつけます。

この絵は一回目のムンク展のチケットに印刷されていまして、私はパスケースに入れていつも大事に、お守りのように持ち歩いていました。

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2019年6月29日 (土)

「入門・フォーカシング」と「カウンセラーこういちろうの雑記帳 -若い臨床家のために-」刊行によせて(日本フォーカシング協会ニュースレターに掲載予定)

〇〇〇〇〇〇 TR(久留米フォーカシング・カウンセリングルーム)

このたび、鳥影社より、2冊の本を連続して刊行させていただくことになりました。 

このニュースレターが刊行される頃には、前者がすでに発売中、後者が遅くとも11月中旬発売の状況だと思います。

2冊をこれだけ短期間に連続して刊行できることが異例ともいえますが、どちらも10年から20年以上前にインターネット上で書いたものが原型ですから、原稿をちょっとだけ手直しすればよかったのです。

編集部に最初に持ち込んだのは「入門・フォーカシング」の方でした。文芸・学術論文専門の出版社でしたが、「文章に強い説得力がある」と評価され、あっさり刊行に向かいました。

この本はWord原稿で30ページほどのささやかなものですが、私がフォーカシング個別指導やワークショップでやっていることを「そのまんま」書いています。つまり1時間で実際にしている内容なんですね。

基本的には、フォーカシングの名教師、アン・ワイザー・コーネルさんの影響が濃いのですが、冒頭の身体の感じを順次確かめる実習や、「フェルトセンスに問いかける」の部分に私なりの工夫が盛り込まれています。

さて、この本の刊行が決まった時点で、編集部に、「あのー、個人ブログにこんな記事を書き連ねて来たんですけど・・・」と打診したのが「カウンセラーこういちろうの雑記帳」の方です。

「カウンセラーこういちろうの雑記帳」は、私の個人ブログのタイトルそのものでした(現在は「カウンセラーchitoseの雑記帳」と名前を変えています)。

このブログは何でもやりたい放題でして、カウンセリング・心理療法のみならす、音楽(クラシック、J-pop、ミュージカル、ロック)から実写映画、テレビドラマ、アニメやコミック、テレビドラマどころか歴史経済経済にいたるまで思いつくままに書いてきたものなのですが、どうも若いカウンセラーへのメッセージとも受け取れるエントリーが少なくないことに気づきました。

私自身まだいろいろな欠点のある、発展途上のカウンセラーだと思うので、何ともエラソーなのですが、カウンセリング業界への苦情(フォーカシングは一切批判していませんよ)から、フォーカシング技法・体験過程理論の様々な応用編、私なりのフォーカシング指向心理療法の紹介もしています。

ところが、元のやんちゃなブログの性格も残していて、なぜか中島みゆきがやたらと出てきます。そして「ユーミンのデニーズ伝説」三部作という、私が日常の中で遭遇したちょっとした光景を描いたエッセイも収録されています。

この本で一貫しているテーマは、「共感」とは何だろう?ということでしょうか。「共感」とはお互いの「錯覚」を乗り越えていくことではないか・・・と繰り返しています。

まあ、わかりやすい文章のつもりですから、気軽に読んでいただければ幸いです。

======================

・・・実はこの2冊の間に「セーラームーンの精神分析」を8月20日ごろ出す予定なので、一層「異例な」刊行ペースなのだがそのことについては一切言及していない。

2019年6月24日 (月)

レビューに依存してものを買うことの良し悪しについて。

他の人のTLそのまま拝借してすみません。個人的には「日本国紀」のAmazonレビューの著しい偏りがわけわからん。

こちらからどうぞ。

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2019年6月16日 (日)

レ・ミゼラブル

私が観たのは演奏会形式の25周年記念ライヴです。

コゼットの絡むシーンとかは生田絵梨花さんのTV映像で知っていたのですが、意外とコゼットの登場シーンは少ないのですね。

むしろエポニーヌの歌と演技の印象が濃いですね。

 「オペラ座の怪人」「キャッツ」のロイド・ウェバー作品のような官能的色香とは違う作品で、下手に歌うと特に前半一本調子になる危険があるたいへんな作品という気がしました。

映画版も観てみたいですね。

↓ 有名なスーザン・ボイルのオーディション番組での歌唱。

踊り場のステレオ装置

こっちの方は洗練されてるでしょ。

Img_0193

装置はコストパフォーマンス最高の名器、ケンウッドのコンパクトコンポーネントシステム ブラック EX-S5-B。

より以前の記事一覧

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トロントだより

  • 050601_0957
     The Focusing Instituteの第17回国際大会(2005/5/25-31)の開かれた、カナダ、トロントの北の郊外(といっても100キロはなれてます)、Simcoe湖畔のBarrieという街に隣接するKempenfelt Conference Centreと、帰りに立ち寄ったトロント市内の様子を撮影したものです。

神有月の出雲路2006

  • 20061122150014_1
     11月の勤労感謝の日の連休に、日本フォーカシング協会の「フォーカサーの集い」のために島根県の松江に旅した時の旅行記です。https://focusing.jp/  
    ご存じの方は多いでしょうが、出雲の国には日本全国の神様が11月に全員集合することになってまして、「神無月」と呼ばれるわけですが、島根でだけは、「神有月」ということになります。(後日記:「神無月」は10月でしたよね(^^;A ........旧暦なら11/23前後は10月でせう....ということでお許しを.....)  
    ちょうど紅葉の時期と見事に重なり、車窓も徒歩もひたすら紅葉の山づくしでした。このページの写真は、島根の足立美術館の紅葉の最盛期です。

淡路島縦断の旅

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     「フォーカシング国際会議」が、2009年5月12日(火)から5月16日(土)にかけて、5日間、日本で開催されます。
     このフォトアルバムは、その開催候補地の淡路島を、公式に「お忍び視察」した時の旅行記(だったの)です(^^)。
     フォーカシングの関係者の紹介で、会場予定地の淡路島Westinという外資系の超豪華ホテルに格安で泊まる機会が与えられました。しかし根が鉄ちゃんの私は、徳島側から北淡に向かうという、事情をご存知の方なら自家用車なしには絶対やらない過酷なルートをわざわざ選択したのであります。
     大地震でできた野島断層(天然記念物になっています)の震災記念公園(係りの人に敢えてお尋ねしたら、ここは写真撮影自由です)にも謹んで訪問させていただきました。
     震災記念公園からタクシーでわずか10分のところにある「淡路夢舞台」に、県立国際会議場と一体になった施設として、とても日本とは思えない、超ゴージャスな淡路島Westinはあります。

水戸漫遊記

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     友人と会うために水戸市を訪問しましたが、例によって鉄ちゃんの私は「スーパーひたち」と「フレッシュひたち」に乗れることそのものを楽しみにしてしまいました(^^;)。
     仕事中の友人と落ち合うまでに時間があったので、水戸市民の憩いの場所、周囲3キロの千破湖(せんばこ)を半周し、黄門様の銅像を仰ぎ見て見て偕楽園、常盤神社に向かい、最後の徳川将軍となる慶喜に至る水戸徳川家の歴史、そして水戸天狗党の反乱に至る歴史を展示した博物館も拝見しました。
     最後は、水戸駅前の「助さん、格さん付」の黄門様です。
     実は御印籠も買ってしまいました。

北海道への旅2005

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     日本フォーカシング協会の年に一度の「集い」のために小樽に向かい、戻ってくる過程で、他の参加者が想像だに及ばないルートで旅した時の写真のみです。かなり私の鉄ちゃん根性むき出しです。  表紙写真は、私が気に入った、弘前での夕暮れの岩木山にしました。

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