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日記・コラム・つぶやき

2019年7月20日 (土)

政治的なことをエントリーすると訪問者が減るなあ。

ま、これもあと1日の辛抱だ。

2019年7月19日 (金)

エリオット S.ヴァレンスタイン著「 精神疾患は脳の病気か?―向精神薬の科学と虚構」(2)

前回の続きである。

たいへん読みやすい本なので、残りの3分の2を2時間あまりで一気読みできてしまった。

もとより、それは私がこれまでの経緯上、心理カウンセラーとしては精神科薬物療法の基礎について学べてきた機会が多かったからかもしれない。

これを機会にカミングアウトしておくと、私自身、15年以上前の離婚後にうつ状態から心療内科医から「適応障害」の診断を受け、SSR!であるパキシルの服用を始めたもののそれが「濁った(としかいいようがない)」軽躁状態を引き起こし、周囲にいろいろな迷惑もかけ、同じくジェイゾロフトをしばらく飲んでいたものの、軽躁と鬱を繰り返す経過が続いていたところに、NHKスペシャル 「うつ病治療 常識が変わる」を観て、自分が双極性II型障害であると判断し、薬を抗てんかん薬系の気分安定薬、デパケンとラミクタールの飲み合わせに変えてもらった(当時の医者は私に言われるがままに変えてこれました。無責任だなー)経歴を持つ。

そうした中でも、精神科医kyupinのブログではいろいろと勉強させていただいて来たし、「今日の治療薬」の愛読者でもあった。

もっともそれでも気分の波があり、このブログ自体、実は数か月にわたる休眠期間と復活を繰り返してきたことはバックナンバーをみればわかるとおりである。

そうした波の中でも私は「経験の蓄積」は続けて現実感覚は身につけており、今回、過去の遺産総動員の3冊連続刊行によるひとまずけじめ付けと、要するに私は見栄っ張りなんだな(というか、天真爛漫な子供っぽさ丸出しだった・・・ただし自分にないものを持っている人には謙虚だったけどね)と気がついたところで20年の総決算ができたと感じている。

非常に矛盾することだけど、私の40歳ぐらいまでの生産性がむやみに高かった時期というのは、今の軽躁どころか更にハイテンション!でのウェルバランスだったことにも気づいてきている。調子がいい時と疲れやすさのギャップがひどかった。会議でも少しでも退屈すると居眠りしていたが。

ちなみに、話題の飛びやすさ(「転導性」)は私の性格ですからお許しください。

まあ、20年年取ったからその頃と同じとはいかないでしょうけど、これからは再びオリジナルな長い文も増えていくと思います。恐らく以前ほど「粘着的」ではなく、あっさり書くし、YouTubeなどのビジュアル、フル活動で見やすくするでしょけどね。

これから当面ブレる心配はないと思いますが、ちょっとある「大人の事情」がありまして(^^;)、突如しばらくブログを中断し「雲隠れ」する時期があるかもしれませんが(その時もTwitterとFacebookは続けていると思う)、ご心配なく。

******

・・・などということは置いといて、本書の後半3分の2なんですけど。「私にとっては」実に読みやすい。前にも書いたが「通史」として読むと頭の整理がつくが、実は私にとって目新しいことは何も書いてないに等しいのである。

内容は、精神疾患におけ神経伝達物質仮説がとこまで信頼でき、どこからが曖昧かという方向に進みます。具体的に言えば、統合失調症のドーパミン仮説と躁うつ病におぇるセロトニン・ノルアドレナリン仮説です。

実はこれらの仮説に基づいて作られた薬は60%ぐらいの人にしか効かないことが提起されます。

そして、原因が脳の「機能的」変化だけではなくて「器質的」特性に期起源をもったり、実際に「器質的変化」が環境因や薬そのものによって引き起こされる可能性について(海馬の萎縮とか)。

DSM(アメリカ精神医学会診断基準)の成立過程で、精神分析などの力動心理学と薬物療法を中心とする精神科医がどう折り合って来たのかとか、その「政治的」側面も。

大規模精神病院への長期入院の経済的コストを軽減する目的での薬物療法の推進。

製薬会社のプロモーションにどれだけ精神科医が依存しているか、一般大衆が感化されているか。

学会のスポンサーとしての製薬会社の影響力の強さ。(私自身てんかんと自閉症についての国際学会でしたが、実際出てみてどれだけ製薬会社のバックアップが大きいかに驚きました)

心理療法と薬物療法、両陣営の間での確執。特にアメリカでの保険適用における薬物療法の優位性の問題について。

心理朗報に関しては、ロジャーズのことも出て来ますし、認知行動療法や行動療法、対人関係療法の効果についても出て来ます。

そうそう、ADHDとリタリンのことも出てきますよ。

いずれにしても、筆者のスタンスは、決して薬物療法批判ではなくて、中立的な見地からその限界について問題提起しようとしているものです。

訳者も進めているけど、臨床心理士さんのも読んで得るものがあると思います。

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れいわ新選組山本太郎福島演説ノーカット

反論者にじっくり発言権を与えるデモクラシー。

 

2019年7月18日 (木)

れいわ新選組山本太郎、ネコのような生き方を説く

ネコのように周囲に余計な気遣いなどせず、気ままに生きる権利が欲しいものです。生きる「価値」とか「生産性」で人をはからないでいられる社会。

こちらからどうぞ。

 

れいわ新選組の提起する政策は決してポピュリズムではない。各党の中でMMTのいいところを取り入れた一番妥当な政策と思えてきた。

2019年7月15日 (月)

対人援助職の人は、「使命感」から仕事に励んでいるのはよくない・・・という大逆説

これも「カウンセラーこういちろうの雑記帳」で少し触れたことなのですが、今の私なりの言葉で拡大敷衍しましょう。

 

・・・これは心理カウンセラーも同じことですね。

「使命感」で薄給に耐えて仕事してませんか?

親や配偶者の給料をあてにしないと生活できていないのではないですか?

自分の仕事に「専門職」としてもっと「プライド」を持ってもいいのではないですか?

中井久夫先生が、確か「軽症境界例について」という論考で述べています:

「なぜ精神科医をしているのかと患者に尋ねられたら、『ただ日々の糧を得るため』と答えられるべきである」

究極の大逆説です。

「使命感」から仕事をすると、クライエントさんを必要以上に「退行」させ、自分で自分なりに問題に取り組もうという意志をむしろ阻害してしまいます。

そうやって「期待」させておいて、救世主のように称えられ、依存させていると思っていたら、何かのはずみで「期待」に応えれなくて、今度は憎しみを生む。「陽性転移」から「陰性転移」への逆転なんてそんなものじゃないですか?

いわゆる「境界例人格障害」は、もちろん成育歴(親の隠れた虐待なども含みます)や、生まれ持った生理的・神経学的要因もあるでしょうが、歴代精神科医や歴代カウンセラーによって、いっそう「こじらせられた」状態かもしれないと思います。

*****

やりがいに「見合う」だけの報酬が得られるのなら、真のプライドが持てるはずです。

クライエントさんにしても、特にうつ病圏の人は、「使命感で」仕事をしようという呪縛にとらわれている気がします。

人に認められようするために仕事しようとするのは「不健全」です。

「自分のための」人生です。

仕事以外のパーソナルな世界のために「投資」できるくらいの余裕が持ててこその人生です。

・・・それができないのなら、それこそ選挙で、対人援助職の雇用の安定と賃金の増加に少しでも貢献してくれそうな候補に投票して、主権者としての権利を行使するとか、国会議員に請願するとかしたほうがいいかと思います。

これ、批判を覚悟で書いておきますね。

2019年7月13日 (土)

中島みゆきの「エレーン」「異国」

やっぱり「カウンセラーこういちろうの雑記帳」のネタばらし少ししておきましょうか。

みゆきのアルバム、「生きていてもいいですか」に入っている「エレーン」と「異国」という対になった2曲について。

私の今度出版する本では、著作権許諾の上でこの2曲の歌詞を引用しつつ論じた章があります。

これら2曲の背景に、みゆき自身が体験した、ヘレンという名の外国人娼婦との逸話があることは、知ってい折る人は知っているけど、知らない人は知らないのではなかろうか?

このエピソードについては以下のみゆきの本に述べられている:

みゆきの曲の中でももっとも暗い曲に部類するかもしれませんが、これほど深い「共感」と「悼み」の曲は珍しいかもしれません。

いや、私がこの歌を題材にしたのは、この曲が「カウンセラーにありがちな浅薄な『共感』」など吹き飛ばす曲だという観点からのものでした。

 ●中島みゆきさんの「エレーン」という曲( 鮎沢郁弥の夏のカケラ)

 

 

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"responsibility"とは"response-ability"

"responsibility"とは"response-ability"すわち「応答能力」のことだと思う。

”accountability”と近いだろう。

「それは違うと思う」「それは私にはできない」でもいいと思うし、最低限「読んだよ」でもいいと思う。

TwitterやFacebookのレスには「いいね!」ボタンという便利なものがある。

私はresponse-ability"を果たしてくれない「沈黙」が大の苦手であり、耐え難い苦痛であり。孤独である。

批判されでこき下ろされる方がナンボカマシで、耐えられるし、感謝も信頼もできる。

これは少なくとも欧米社会ではまず見られない事柄ではなかろうか。

 「沈黙」されると、いちいち相手の気持ちを察して、「何かマズイことでも言ったかな」「場の空気を読めないでいるのかな」とか自責的におろおろしなけらばならなくなる。

大学院時代、そうやって私の発言に沈黙をもって応えられてばかりの時に、先輩に「つらい」と相談したら、「あなたの発言にみな圧倒されているのだよ」と言ってもらえて、随分救われたことがある。

「カウンセラこういちろうの雑記帳」より引用:

 人は、相手が自分のことを「理解していない」とか、「冷たい、拒否的な態度を取られる」ことには、実は結構耐えられるのではないかと思う。

一見「受容的」態度の結果、「自分が自分でいられなくなること」にこそ、人は絶望するのではないか。

ある意味で、その人を、より深く自己理解しようという方向へ導けるのは、その人自身だけであるし、それは、その人の「権利」ではあっても「義務」ではない。
その、『権利』を行使するための単なるお手伝い、それがカウンセリングではないか。

 

2019年7月12日 (金)

3冊順次刊行は、私の心身に相当な負担になっているようだ。

「入門・フォーカシング」、「セーラームーンの精神分析」に引き続て、「カウンこういちろうの雑記帳」についても初校を終え、出版社に送り出してしまったのが一昨日である。もう後には引き返させない。

このことは、私の心身に相当な反動を生じさせているようで、本日も寝られる時間は寝てばかりいた。

いろいろ夢を観たが、細部は忘れてしまったし、覚えている部分も、ネット上の私の知り合いとの関係に踏み込んだ内容なので、今回は紹介を遠慮させていただくことにしたい。

いずれにしても、本を出すって、多かれ少なかれ、自分の内面をさらけ出すものだかrら、そのことへのプレッシャーって、そうとう覚悟せねばならないことだよ・・・とは皆さんに伝えたい。

 

2019年7月 9日 (火)

私って見栄っ張りなんだね。

それこそ私自身がネガティブ・シフトに昨日から苦しんでおり、その果てにやっとホントにシフトして、見えてきたこと。

このことに気づくために、いったい、何年、いや、20年ぐらいはかかったことだろう。

これですべてが説明がつく。

ただ、ひとつだけ言えることは、私はこのことに気づくだけの健全な自我を持ち、ひとりフォーカシング能力がむやみに高いことだ。

この観点からすれば、私が、全然見栄を張っていない、全く等身大で書いたのは、3冊のうち「入門・フォーカシング」だろう。

ただし、私には共感能力はあるし、自分より優れているものへの識別眼はあるし、そいう秀でた人に敬意を払う力はある。

*****

ここからは公然たるひとりごと:

でも、ひとを騙せる見栄なら、ま、それも意味があるし、能力の一部かな。

こうなったら立派に見栄を張り通そう。

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トロントだより

  • 050601_0957
     The Focusing Instituteの第17回国際大会(2005/5/25-31)の開かれた、カナダ、トロントの北の郊外(といっても100キロはなれてます)、Simcoe湖畔のBarrieという街に隣接するKempenfelt Conference Centreと、帰りに立ち寄ったトロント市内の様子を撮影したものです。

神有月の出雲路2006

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     11月の勤労感謝の日の連休に、日本フォーカシング協会の「フォーカサーの集い」のために島根県の松江に旅した時の旅行記です。https://focusing.jp/  
    ご存じの方は多いでしょうが、出雲の国には日本全国の神様が11月に全員集合することになってまして、「神無月」と呼ばれるわけですが、島根でだけは、「神有月」ということになります。(後日記:「神無月」は10月でしたよね(^^;A ........旧暦なら11/23前後は10月でせう....ということでお許しを.....)  
    ちょうど紅葉の時期と見事に重なり、車窓も徒歩もひたすら紅葉の山づくしでした。このページの写真は、島根の足立美術館の紅葉の最盛期です。

淡路島縦断の旅

  • 050708_2036
     「フォーカシング国際会議」が、2009年5月12日(火)から5月16日(土)にかけて、5日間、日本で開催されます。
     このフォトアルバムは、その開催候補地の淡路島を、公式に「お忍び視察」した時の旅行記(だったの)です(^^)。
     フォーカシングの関係者の紹介で、会場予定地の淡路島Westinという外資系の超豪華ホテルに格安で泊まる機会が与えられました。しかし根が鉄ちゃんの私は、徳島側から北淡に向かうという、事情をご存知の方なら自家用車なしには絶対やらない過酷なルートをわざわざ選択したのであります。
     大地震でできた野島断層(天然記念物になっています)の震災記念公園(係りの人に敢えてお尋ねしたら、ここは写真撮影自由です)にも謹んで訪問させていただきました。
     震災記念公園からタクシーでわずか10分のところにある「淡路夢舞台」に、県立国際会議場と一体になった施設として、とても日本とは思えない、超ゴージャスな淡路島Westinはあります。

水戸漫遊記

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     友人と会うために水戸市を訪問しましたが、例によって鉄ちゃんの私は「スーパーひたち」と「フレッシュひたち」に乗れることそのものを楽しみにしてしまいました(^^;)。
     仕事中の友人と落ち合うまでに時間があったので、水戸市民の憩いの場所、周囲3キロの千破湖(せんばこ)を半周し、黄門様の銅像を仰ぎ見て見て偕楽園、常盤神社に向かい、最後の徳川将軍となる慶喜に至る水戸徳川家の歴史、そして水戸天狗党の反乱に至る歴史を展示した博物館も拝見しました。
     最後は、水戸駅前の「助さん、格さん付」の黄門様です。
     実は御印籠も買ってしまいました。

北海道への旅2005

  • 051012_1214
     日本フォーカシング協会の年に一度の「集い」のために小樽に向かい、戻ってくる過程で、他の参加者が想像だに及ばないルートで旅した時の写真のみです。かなり私の鉄ちゃん根性むき出しです。  表紙写真は、私が気に入った、弘前での夕暮れの岩木山にしました。

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