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アニメ・コミック

2016年12月14日 (水)

「めぞん一刻」と「逃げるは恥だが役に立つ」(第3版)

久しぶりにブログの記事を書いてみようかと思う。

高橋留美子原作の「めぞん一刻」の実写版リメイクの映画監督になった夢を見て、それが心地よかったからである。

私が最近見る夢のかなりの部分は、アニメ作品のアニメによるリメイクを単に「観ている」視点から体験しているものが多かった。

「エヴァンゲリオン」「セーラームーン」・・・おとといあたりは「きんぎょ注意報」などという渋いラインまで。

それが今回は「監督」である。著名な脚本家、実力派の若手俳優をそろえているが、全国50館程度で上映され、少なくともその時点では上映打ち切りにならないくらいの興行成績は上げている・・・ということにはなっていた。この興行規模は、(未見だが)新海誠の「君の名は。」以前の、「言の葉の庭」までの作品の時のことがどこかでダブっていると思う。

その監督である私が、そうやって公開されてしばらくたった時点で、自分のブロクに私的ライナーノート的なものを書き始める。これは結構贅沢なものではないか?・・・と思い立ってタイトル名を書いたところあたりで夢自体は終わる。

*****

「めぞん一刻」といえば、原作を受けて1886-8年、まずはTVシリーズアニメが作られた。「うる星やつら」の後番組であり、原作も大人気作品であったため、視聴者の期待も大きく、原作との作風のギャップに対して厳しい目があったのか、原作者の要望もあったのか、チーフ・ディレクターがやまざきかずお(第1話 - 第26話)→安濃高志(第27話 - 第52話)→吉永尚之(第53話 - 第96話)と次々と変更され、徐々に原作に忠実な穏便な作風に移行していったように思う。

●めぞん一刻 TV OP ED集

「うる星やつら」があの押井守の出世作であり、原作からの過激なまでの「暴走」が許容されており、どこまで原作を超えるかが見どころとされたのとは正反対である。

アニメの劇場版が1988年に作られ、望月智充監督のもとで、「めぞん一刻 完結編として、五代と響子が結婚する直前の一刻館の日常の断片を描き出した内容だったが、キャラクターデザインそのものが実写的になり、望月色が強い内容・演出となったためか評価が別れる。

実写化に関しては、まずは1986年に澤井信一郎監督、五代裕作:石黒賢、音無響子:石原真理子でなされたが、原作には登場しない一刻館の住人として「男」と「女」が登場するなど、完全なオリジナル・ストーリーであり、全体が暗いシュールな雰囲気に彩られており、伊武雅刀による四谷の怪演など目を引く要素を持ちつつも、好みは別れると思う。「めぞん一刻」というタイトルの「めぞん一刻」ではない映画かと。

実写TVシリーズとしては2007-8年に五代:中林大樹、響子:伊東美咲で2つのシリーズにわたって放映されているが、私はこのTVシリーズのみは観ていない。

*****

・・・さて、私の夢の中では、著名な脚本家が書いたオリジナル・ストーリーを職人的に演出するという状況設定にされている。

冒頭シーンは、響子さんが知り合いの男(恋人ではない。どうも私自身が投影されているようである)と一刻館への帰途のあるところで、チンピラが因縁をつけてくる。響子の友人(私?)はチンピラにボディーブローを何発かかまずが、効き目がないことは友人(私)の手応えから感じられる。

・・・と、そこに、五代が颯爽と現れ、一、二の三の見事な空手技でチンピラをのしてしまう。これが五代と響子との出会いであり、そこから物語は展開していくが、五代はどうも空手以外は全くの奥手で・・・というふうに物語ははじまる。

夢の中ではっきりしているシーンはそこまでである。

なぜ五代が原作のラグビーではなくて空手なのかというのを考えてみると、おとといのNHKの「サンデー・スポーツ」で、今度の東京五輪で正式種目となる空手の全日本選手権の優勝者4人がゲストとして出演、技の披露などをしていたので、そのことの影響が何より大きいように思う。

*****

・・・また、ここで唐突にコミック原作の実写ドラマの夢を見たかといえば、今日(火曜日)放映の、今話題のドラマ、海野つなみ原作の「逃げ恥」こと「逃げるは恥だが役に立つ」の影響も大きいかと思う。

私はやっと先週の8話からリアルタイムで観始めたばかりで、(Web上ストリーミングでの6話までの一時間のダイジェスト+7話は観た)今日の9話の展開からするともっと早くから観ていなかったのが全く悔やまれるが、なかなか一線を超えなかったカップルのラブ・コメという点からすれば「めぞん」と響き合うものがある気もする。

もっとも、原作をKindleで読み通して感じたのは「逃げ恥」の方には恋愛・結婚を巡っての社会派ストーリーとしての面がかなり強く、ラブコメ的ではない結構小難しい対話が延々と続くので、それをそのままドラマのセリフにしたら効果的ではない。このあたり、ドラマの脚色は方はエンターティメントとしてメリハリをつけて成功しているように思う。そもそも毎週火曜日に一応「設定」されているハグシーンだけでひとつの「様式美」に達していてキュンキュンさせられてしうのはやはり実写であることの強みであろう。

私は普段はNHK以外の実写ドラマを観ないのと、次第に歳を取ってきて「最近の若い俳優さん」で一括りしてしまうくらいに「個体識別能力」が落ちているせいかわからないけど、星野源といえばNHKの「LIFE」でコントしている俳優さんという認識に留まっていて、すでに去年(2015年)紅白に出たミュージシャンでもあることも気がつかなかった。それどころか「真田丸」での徳川秀忠役であることにもすぐには気づけなかった。

ガッキーこと新垣結衣に至ってはそもそも顔と名前が一致せず、今回今更のように「かわいい女優さんだね(これで28歳!若い頃の写真も探して見たけど今が一番美人だし魅力的ではないか)」と再認識した水準である。

そもそも「逃げるは恥だが役に立つ」などという一回聴いただけではタイトルが覚えづらいドラマのことを知ったのも、ニュースサイトで「羽生結弦、『逃げ恥』の「恋ダンス」を踊る」という記事を目にしたのがきっかけである。YouTubeはこちら

●星野源 恋

↓このカバーもなかなかいいと思う

*****

私にとって、民放のドラマに関心を持つのは実に「のだめ」以来であった。気のせいか、掲載誌が"Kiss"であるせいか、どこかに共通項の味わいがある気がする。

(・・・・あ、星野源さんが主役の「コウノドリ」も全話観てました。こうしてみると、星野源さんは、一見地味なようで、様々な役柄を演じ分けられる俳優さんなのだと気づく。エッセイも何冊も出版されているようで、多彩な方のようだ。大病も克服された方と知る)

エプソンダイレクト株式会社

Just MyShop(ジャストシステム)

2016年7月23日 (土)

AVアンプとスピーカー揃えた。

DENONのAVサラウンドレシーバー 7.2ch Dolby Atmos DTS:X HDCP2.2 Wi-Fi/Bluetoothワイヤレス/ハイレゾ音源対応 ブラック AVR-X1200WK。スピーカーは、2chのみ。堅実に、ヤマハ スピーカーパッケージ (2台1組) ブラック NS-PB40(B。当面、サラウンドスピーカーはなしにしています。

 

Av_2

ちょっとゴミゴミしてますが(^^;) 花火大会の中継を視聴しましたが、サラウンドスピーカーを使わなくとも、大音量で流すと、低域や花火が散っているあたりの生々しさがド迫力ですよ。

画面は、新海誠さんの「言の葉の庭」です。画面をクリックっすれば大きくなります。

エプソンダイレクト株式会社

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ボーズ・オンラインストア

2016年7月22日 (金)

母親とayumi hamasaki ARENA TOUR 2006 ~(miss)understood~を視聴した

このライブ、私は長野と代々木の楽日2回参戦していて、ayuのライブでは出色の出来と思っている。

DVDで持っていたのだが、引っ越しの際にいろいろ処分する際に手違いしたようで、Disk2のアンコール編を紛失していた。

つい先日ケーブルテレビチューナー兼HDD/BD録画・再生機に切り替えたばかりということもあり、これを機会に改めてB-ray盤を再購入したのだが。

私の家には居間にしかテレビとB-rayプレーヤーはない。母の主なる居場所でもある。

数日前、水樹奈々のライブ

を再生した時には、母(93歳)は、どうも面白くないようで、すぐに席を外した。

私がアニメ観だしたら大抵そうなるのは承知していた。でも、水樹奈々なら演歌の出なので大丈夫かと思ったのだが。

 

・・・ところが、今回はずっと席を立たすに見通してくれたのである!!

私:「浜崎あゆみというのは福岡出身なんだよ。僕は実際この録画が収録された日にライブに行ったんだよ」

母:「・・・なら、まだ東京に住んでいたころ? この人、全国でやっているの?」

私:「そうだよ。2万人は入る会場でやるんだよ」

母:「歌詞が画面に出ない」

私:「NHKの歌番組ではないからね」

母:「物語みたいなものはあるの?」

私:「そういう演出になっているよ」

母:「それにしても、2時間近く、よく声が枯れんねえ」

私:「必ずしも喉が強い人ではなくて、当たり外れがあるんだけど、どういうわけか楽日には最高のコンディションになるの」

・・・まあ、こういう会話をしながらですが(^^)

それにしても、このライブ、2006年、10年前になってしまった。歳を取るのが早過ぎるよー orz

なお、ayuのアルバム、総レビューの記事がこちらにあります。

エプソンダイレクト株式会社

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2016年7月17日 (日)

叔母の三回忌の引き出物 ♡

Sara

好きな絵皿の中から選んでいいというやり方でした。

・・・オリジナルではなくて、どれか具体的なアニメの登場人物だったら誰か教えてくれcat

ウイルスバスター公式トレンドマイクロ・オンラインショップ

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2013年2月12日 (火)

海外ミュージカルドラマ"SMASH"と「バクマン。」との共通項

私はアメリカのドラマシリーズはほどんど観たことがないし、全15話というボリウムに億劫さを感じてなかなか封を切らなかったが、一度観始めたら一気に惹きこまれてしまった。

物語は、マリリン・モンローの生涯を描くミュージカルの企画、オーディションから、練習の過程、度重なるストーリーや曲やキャストの交代・変更劇と、その過程で生じる、舞台裏やプライベートでの様々な人間関係のゴタゴタや愛の形をシビアな形で描いていく。

アイオワ育ちで秘めた才能を持ちつつもまだまだ未完成の新人、カレン・カートライトと、ミュージカル歴は長いものの主役級にはまだ届かないで来た実力派、アイヴィー・リンのどちらが主役を射止めるか?という競争の間に割って入って主役の座に据えられる有名女優レベッカとの間の三つ巴の争い。

プロデューサーや作詞・作曲家、演出家も様々な泥臭い人間関係の渦中にあり、ミュージカルの企画は絶えず崩壊の危険と隣り合わせである。

いわば「メタ・ミュージカル」といっていい音楽ドラマだが、得てしてこの種の作品は音楽や演唄する人物は「ホンモノ」にはかなわないというあら探しをし始めればキリが無くなる。日本で言えば「のだめ」のドラマや劇場版のもつ限界である。

ところが、このドラマシリーズの場合には、毎回溢れだす、ミュージカルの練習中や登場人物たちが歌い出す場面での歌い手や楽曲、ダンスを含めた演出の切れ味がたいへんなクオリティ(恐らく役者の多くは歌の吹き替えなしでここまでホンモノ!)であり、このドラマ自体が一流の制作スタッフと配役、贅沢な資金を投じて作られたものであることが一目瞭然である。

また、これは45分ものドラマ15回分をかけるからこそ可能な作りであり、長編劇場映画ではこの密度、人間関係の描き込みの深さは逆に出せないだろう。

日本の現状でこの水準のものを作るのはまるで不可能ではないかという絶望感(?)にも襲われるが、仮に可能であるとすれば、コミックの世界でだけだろう。

敢えて、唐突かもしれないものを引き合いに出せば、コミック制作過程とそれをめぐる人間関係自体をバトルものコミックとして連載できてきた「バクマン。」に通じるものがあるようにも感じた。

 ↓ 音楽集のみのCDも出ています。      

 

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2013年1月28日 (月)

マクロスの歌姫ではない飯島真理について(togetter)

あまりに「マクロス」のリン・ミンメイのイメージだけが強すぎて、レーベル換えてアメリカに渡ってしまった飯島真理ですが、マクロスと切り離して、ひとり のシンガーソング・ライターとしての軌跡を、初代マクロス世代の私がとりあえず書いてみました。

ちなみにずーーっと追っかけていたわけではないので、ビク ター時代以降は申し訳程度です。

こちらからどうぞ。

初代マクロス知らない世代の皆様も、先入観なく聴いてみてはいかがでしょうか。

*****

おまけ映像。

後半で「1グラムの幸福」のライブが視聴できます(^^)

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2013年1月20日 (日)

フェミニズムとしての「まどか☆マギカ」(再掲)

【注記 13/1/20】:

以下、さして新鮮な観点とは思いませんが、前回の記事の再掲が、個別記事で今更のようにヒットしているので再掲することにしました:

=======(再掲=========

前回の補足。

ある意味で「コロンブスの卵的」な、平凡な理解かもしれませんが。

「なお、まどか☆マギカ」+「フェミニズム」でGoogle検索かけたら、 長野明氏による『まどか☆マギカ』最終話までのフェミ的感想Tweet というtogetterも発見。

そちらでは、本作品における「魔女」の画像とその象徴的な扱い、そして、「魔女狩り」の観点中心にフェミとの関わりがいろいろ指摘されていて、なるほどと思いました。

【追伸】:

ユリイカ臨時創刊号にはフェミニズム的視点からのものは本格的にはありませんでしたが、斎藤環氏の評論の中に「フェミニズム的にも擁護される」という一節はある。

*****

すでに「魔法少女」と「魔女」の関係、ひとつの願いの代価の大きさ、ソウルジェムの持つ象徴性などについて触れましたが、何より8話の、電車の中での2人のホスト同士の対話。

Ws000002

以下、もう、ネタバレ承知で、全部書き起こしてしまおう。

トップページからおいでの読みたくない人は、以下の「続き」を押さないでください:

続きを読む "フェミニズムとしての「まどか☆マギカ」(再掲)" »

2013年1月14日 (月)

ついに「過去ログ再掲シリーズ」終了しました。

最終日は一気果敢にラストスパートをかけてしまいましたが、これで、旧「カウンセラーこういちろうの雑記帳」からのエッセンスの再掲シリーズ、終了いたしました。

これで「クリーン再インストール」完了です。

大体過去記事の15分の1くらいのものを精選しました。

あまりに再掲のテンポが速いので、読者の皆さんのキャパを超えてしまっているかと思いますが。

また、全部の記事を再掲していないこともあり、あちこちにリンク切れが放置されています。応急処置は大事な記事についてはしましたが、これ以上細かくはやらないままとなるでしょう。

どうかゆっくりと、時折めくって下さいませ(^^)

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2013年1月13日 (日)

成熟の過程で人は何を失う危機に立たされるのか -「魔法少女まどか☆マギカ」についての臨床心理学的小考察- (再掲)

「魔法少女まどか☆マギカ」についての、硬派で専門家的考察を、ささやかながらまとめておきたい。

今から書く内容は、すでにネットやまどマギ本で考察されてきたことの、私なりの焼き直しに過ぎないかもしれない。

ただ、私が眼にしてきた膨大な数のネットでの「まどマギ」論考でははっきりと使われなかった概念まで使って試みることにする。

******

本作品は、「魔法使いサリー」に始まる魔法少女ものアニメの集大成といわれており、そうした物語のダークサイドに深く踏み込んだものであると位置づけられる。

過去の魔法少女モノがどのようにタイプ分けできるかについて、私が16年前((1994)に学会発表した論考、「二つの母性の相克:~「セーラームーン」についての精神分析的対象関係論に基づく考察」から引用して整理しなおしておこう。

=========以下引用==========

『魔法少女』ものにおける家族構成には大きく分けて二つのタイプがある。

   A.「魔法の国の王女様地上降臨型」:

 「魔法の国」の王と王妃の間に生まれたプリンセスが、何らかの理由(おてんば過ぎて自分から飛び出す・修業に出される・魔法の国の滅亡の危機を救うものを見つけるetc.)で、「地上世界」に普通の人間の女の子になりすまして滞在する。『魔法使いサリー』『魔法のマコちゃん』『魔女っ子メグちゃん』『魔法のプリンセス・ミンキーモモ』などが代表的であるが、『サリー』を除くと、地上の世界で「親代わり」をみつけ、家庭に入り込むのが定石となった。

実の子供、親戚、居候などの形をとるが、大抵魔法の力によってその家族を洗脳し、彼女が家庭に入り込んだことに疑問を感じないようになっており、彼女が魔法使いであること自体、その家族を含めた地上の人には秘密とされる。

ちなみにそうした「地上での疑似家族」もまた、魔法の国の両親と同じくらいにgood enoughな(=そこそこ良い) 養育者であることを常とする。多くの昔話における「意地悪な継母」にあたる役は、魔法の国の王家の敵対勢力から現実世界に派遣された娘や手下が演じるか、主人公の現実世界でのライバルとしての「お金持ちのお嬢様」の家庭によって代理されることが多いとみなしていいだろう。

もとより、『ミンキーモモ』のように、そのような特定の「悪玉」の設定を排除して、主人公自身を含めた人間一人一人に内在する弱さや諦めやエゴイズムとの内面的戦いへと昇華した作品もある。

B.「地上の少女使命拝受型」:

good enough な養育者の元ですくすく育った地上世界の普通の少女(大抵目に見えない異世界への特別の感受性を持つ)が何かをきっかけにして魔法の国(の人物)と遭遇し、使命を授かり、魔法を使うためのアイテム(コンパクトやステッキ)を授かる。この場合にも魔法を使えることは家族を含めた周囲の人には秘密とされる

 『ひみつのアッコちゃん』に原型があるが、その後、魔法の国から遣わされた 妖精が動物の姿を借りて主人公のお供をするのが普通となった。『花の子ルンルン』『魔法の天使・クリィミーマミ』『魔法のスター・マジカルエミ』など。

(中略)

だが、興味深いことに、主人公のうさぎ以外のセーラー戦士4人全員が、両親共に揃った家庭としてはっきりとは描かれていない

もとより主人公のうさぎを強調しようとすれば自然と他の脇役の家庭の描写はなされなくなるのでないかと言えば言えてしまうが、今日、アニメやコミックの世界で、一応現在の現実世界を舞台にしている場合ですら、まだ独り暮らししていない子供である主要な登場人物の家族が全く描かれないケースは非常に多く、そのことの中に現代の子供の心の中での家族との距離感が反映しているという見解はかなり一般的なものとなっているので、一応注目しておくに値するだろう。

具体的に言うと、水野亜美(セーラーマーキュリー)は、全国模試連続一位、 IQ300 <笑> の超優等生である。成績がいいことを鼻にかけない優しい少女であるが、人付き合いが苦手で社交に通じていないため、場にそぐわない本音を平気でボソッと言ってしまうところがある。彼女には、女医の母親がいることになっているのだが、亜美本人の自宅での自室でのシーンは時々描かれるにもかかわらず、物語の中で母親の姿が登場したことは一度もない。父親は日本画家でチェスの手ほどきを亜美にしたことはわかっており、亜美が父親に今もある敬愛を抱いていることは描かれているのであるが、少なくとも現在ではすでに亜美は母親との二人暮らしのようであり、父親は回想を含めて画面に登場したこともなく、離別か死別かすらはっきり物語の中で語られたことはない。

 占いや呪術などの超能力をもつ霊感少女にして私立中学の生徒会長でもある火野レイ (セーラーマーズ)。積極的だがやや気位が高く、うさぎとはいつも口げんかばかりしているが、いざとなるとうさぎをさりげなくサポートする行動をとっさに取る機転が一番効くのも彼女である。彼女は神社の神主の祖父のもとに同居し、時々巫女の仕事も手伝っている。祖父は脳天気な子供っぽさを持つ脇役としてかなり頻繁に登場するが、レイ自身の父母はどうしたのかは物語の中で一度も問題にされたことはない。

腕っ節が強くて喧嘩ばかりしていたためにうさぎや亜美のいる街の公立中学に転校せざるを得なくなった木野まこと(セーラージュピター)は、アパートでひとりぐらししており、男っぽい外観にもかかわらず、掃除や料理は得意という家庭的な面も見せ、出会う男性にすぐに「昔好きだった先輩」と似ている所を見つけて一目惚れして尽くし始める。しかし、父親母親等家族については物語の中で何ら言及されない。

うさぎを含む他の4人より以前から正義の味方セーラーV(ヴィーナス)として活躍していた愛野美奈子は、『セーラームーン』原作の武内直子が以前から連載し、今も並行して執筆している『コードネームはセーラーV』という姉妹作品では、両親が登場する家庭が描かれているが、『セーラームーン』では、自宅のシーンはかなり頻繁であるにもかかわらず家族は一度も登場したことはない。

=======とりあえす引用終わり========

・・・・ここまで引用してみると、登場人物の名前さえ置き換えれば、まどマギの魔法少女たち五人組の設定とあまりに重なっていることに、まどマギファンの方なら容易に気づけるはずだ。

ちなみに、「セーラームーン」も「まどか☆マギカ」も、上記の分類でいう、「B型」=「普通の少女使命拝受型」である。

「セーラームーン」の月野うさぎがそうであったがごとく、家族との関わりの日常描写が丁寧に描かれるのは、主人公のまどかに限定されている

(大企業で恐らく上級管理職をしているキャリアウーマンの母、専業主夫の父、弟が一人。住宅は広々と大きいので、経済的には中流の上の家庭だろう。 

美樹さやかは両親がそろっていると想像され、自宅に住んでいるが、一戸建ての玄関先のシーンしかない。

巴マミと佐倉杏子は両親と死別しており、そのいきさつはきちんと描かれているが、暁美ほむらに至っては家庭の事情は全く不明である。

このうち、マミとほむらは結構な住居でひとり暮らししているが、杏子に至っては野宿生活で中学校にも通っていないと思われる。

これら3人の経済的支えは?・・・・登場時から魔法少女なので、恐らく「魔法の力」である。

:*****

さて、魔法少女のものの少女たちの変身は、

  1. この世のダークサイドの化身としての悪者や怪物と戦う正義の味方としての活動をする。
  2. 自分の夢を魔法で叶え、思春期の入り口までの少女が、大抵18歳前後の、年上の、魔法の力を持った女性に変身する(その目的は少なかぬ場合、年上の男性への恋心が動機となっている)、しかし、本来の少女としての自分と変身後の自分との間のギャップに悩み苦しみ、変身後も魔法を使っても、事態は思ったようには容易に解決できない。

・・・・などいった特性を持つことが少なくない。

こうした側面も、まどマギに受け継がれている。

(まどマギでは変身後にオトナに近づくわけではないが、設定資料によると、さりげなく、変身後の方が頭身が高く描かれるという隠れ設定があるようだ)。

*****

さて、ここでひとつの問題提起をしておこう。

今度は、私が大学院1年生として入学する直前(1986年)に、アニメ雑誌「OUT」に投稿して、初掲載された時の文章の一節からから引用する:

===================

●魔法という名のモラトリアム   …「魔法のスター・マジカルエミ」

魔法とは一種の「モラトリアム」であろう。

それだけの社会的・経済的能力がないのに、まるで親のスネをかじって、欲しいものが手に入るのと同じようにして、やりたいことが実現できる

=====引用終わり=====

「まどか☆マギカ」の物語では、中学2年生の少女が、いずこからの使者、使い魔のキュぅべえ(白い動物)から、「魔法少女になってくれたら、君の願いを何でも1つだけかなえてあげる。だから僕と契約して魔法少女になってよ!」と、繰り返し、手練手管を駆使して、しつこく勧誘を受ける。

(このことから、「営業の鑑(かがみ)、淫獣キュぅべえ」と、ファンの間では言われている)

ただし、その「契約」の代価として、ひとつだけ条件がある。

現世での苦悩の末に、絶望した一般の人たちを食い物にする、この世の闇にうごめく「魔女」を退治する使命を果たし続けること。

この使命を続行し続け、魔女たちが息絶える時に排出される「グリーフシード」という黒い石を回収する。

「グリーフシード」によって、彼女らが魔法少女になった時に授かり、魔法の力の源となる「ソウルジェム」と呼ばれる宝石(・・・実は彼女のたちのを移行し、封印したもので、これを肌身離さず持っていなかったり、破壊されてしまうと、死が訪れる・・・)の濁りを除染し続けないと、その濁りが蓄積して、今度は彼女たち自身が人間を呪う「魔女」として怪物化する運命にある。

こうやって、魔女退治が魔法少女達の過酷な「社会的ノルマ」として設定された点に、この作品の新味があり、ダークな部分である。

「魔女」を狩るか、「魔女」になるか。

実は「魔女」はすべて、かつて「魔法少女」だったもののなれの果て。

魔女になるばかりか、今度は自分が別の「魔法少女」に狩られる側になる。

夢をひとつかなえること代償が大き過ぎるのである。

「魔法少女」になるということは、この作品においては、むしろ少女からモラトリアムを奪い、永遠の過酷な状況に突き落とすことに他ならない。

いろいろ悩み、葛藤した挙句、結局窮地に立たせれて、少女たちは「魔法少女」になるのだが、キュぅべえの意図は「第二次性徴期にある少女の希望が絶望に相転移する時に発生ずる膨大な感情エネルギー(・・・こんな小難しいセリフが実際に語られるのだ) を回収して、宇宙の安定のために活用するということであった。

******

魔法少女になるべく「契約」した少女たちが身体の中から「生み出す」ことで所持することになる宝石、ソウルジェムは、の形をしており、使い魔キュぅべえのほんとうの名前は「インキュベーター(Incubator)」、すなわち「孵卵器」である。

つまり、「排卵」できるようになった思春期の少女たちから、身体的には大人になった証拠としての「卵子」を回収して活用するということへのあからさまな隠喩となっているわけである。

「契約」に基づき、魔法少女としての力を授けるキュゥべえは、少女たちから「性的搾取」をするオトナたちを指すともいえる。

******

この作品を、フェミニズムの観点から捉えると、実は奥が深い

だが、広い意味で、男女関係なく、思春期になると、少年少女たちは、自分の夢と現実との葛藤に直面し、絶望の淵に追い込まれる瀬戸際になる。

社会人として巣立つことは、自分の夢を叶えようとすることであると同時に、自分の魂を売り渡すことになるのと紙一重である。

どんな夢や希望も、ダークサイドに憑依される(=「魔女」になる)ことと裏腹の危険な橋を渡り続けることでしかない。

このアニメは、そうしたリアルな葛藤を、非常に切迫した形で描き出した名作であると言えることになる。

******

では、こうした葛藤と堂々めぐりの連鎖(=「円環の理(ことわり)」を引受けつつも克服して成熟していく道は在るのか?

この作品の結末は、魔法少女たち5人のうち何名かの命を引き換えにして、ほむらの最終的な生き様としてその問いに答えているといえるだろう。


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「フォーカシング事始め」(村瀬孝雄・日笠摩子・近田輝行・阿世賀浩一郎 共著)(再掲)

 私自身が共著者の一人として名前を連ねて1章だけ書いているので、ご紹介するのは少し恥ずかしいのですけれども、それでもやはり、日本(特に関東地区)におけるフォーカシングの普及において、ひとつのターニング・ポイントになった本だと思いますので。

 それはどういうことかといいますと、本書が刊行(1995年)された少し前、フォーカシングの有力なトレーナーであるアン・ワイザー・コーネル女史が初来日され、ワークショップを開催しました。その時の実習と、当時ワークショップ参加者だけが購入できたアンさん独自の技法マニュアル(それが後に刊行されたものが、あの「入門マニュアル」「ガイド・マニュアル」です)を元に、東京の日精研などを舞台として、恩師、故・村瀬孝雄先生や日笠摩子さん、近田輝行さんたちと共に、そのアンさんの技法を自己掌中のものにするべく勉強会を重ねました。

 そうした中で、村瀬先生の立案で、アン・ワイザー法を詳しく具体的に紹介することに大部を割いた本を4人で1冊書くことになったのです。

 つまり、本書は、日本における、公刊された、アン・ワイザー法フォーカシング「事始め」でもあるのですね。

 日本フォーカシング協会設立の、少し前の時期のことです。

フォーカシング事始め―こころとからだにきく方法

●神田橋條治先生による本書の書評(「精神療法」誌 第22巻 3号掲載)

******

 次に、本書の目次をご紹介します。

  1. フォーカシングとは?(村瀬孝雄)
  2. フォーカシングの不思議な力(村瀬孝雄)
  3. 熟練した2人のガイドとのフォーカシング経験(日笠摩子)
  4. あるワークショップの記録(村瀬孝雄)
  5. フォーカシングを実際にやってみるために(日笠摩子)
  6. フォーカシングQ & A(村瀬孝雄・日笠摩子)
  7. フォーカシングの歴史と理論(村瀬孝雄)
  8. フォーカシングの諸相と日本・世界の現況(村瀬孝雄)
  9. カウンセラーがフォーカシングを学ぶことの意味(近田輝行)
  10. フォーカシングの「臨床適用」について(阿世賀浩一郎)
  11. 補章:谷川俊太郎の詩 「きもち」を借りてフォーカシングを解説する(村瀬孝雄)
  12. フォーカシングについてもう少し知りたい人のために(村瀬孝雄)

*****

 その後、私たちは、後続するジェンドリンや奥様のメアリー・ヘンドリックス(The Focusing Institute 現CEO)、アン・ワイザー、エルフィー・ヒンターコフ、ジャネット・クライン、ケビン・マケベニュ、バラ・ジェイソンらの著書や論文、ワークショップ(邦訳はありませんが、メアリー・マクガイア、ドラリー・グリンドラーをはじめとする人たちによる、重篤事例についての重要な論文があります)からさらに多くのことを学び、日本国内でワークショップ・セミナー・研究会を仲間たちと実施したり、それぞれの臨床・教育現場の中での適用を模索する中で、更に研鑽を積んで行きました。

 しかし、今回、本書を久しぶりに読み返してみたのですが、(自画自賛じみて申し訳ありませんが)、よくもまあ、この段階で、ここまでフォーカシングの当時最先端の潮流を咀嚼し、広範囲の視点から総合的にご紹介できていたなと、ほっと胸をなでおろした次第です。

 私たちの「フォーカシングの青春時代」は無駄ではなかった(^^)・・・・まだ、古くなってないです。

*****

 本書の中の白眉のひとつは、日笠さんが苦心の末に編み出した、当時のアン・ワイザー法に基づく「フォーカシング・フローチャート」(p.pp.124-6)でしょう。このフローチャートを観てみるだけのためですら、本書を借り出したり、購入する価値があるかもしれません。

 ジェンドリン自身のオリジナルのフォーカシング技法が、単純に要約された、せいぜい1,2ページのマニュアルとして配布され、「それがフォーカシングというもの」と学習者に思い込まれてしまって伝播したことの最大の弊害は、フォーカシングの手順というものを、「空間づくり」にはじまり、「フェルトセンスをつかむ」→「手がかりとなる言葉やイメージを見つける」→「見出した言葉やイメージが実感にぴったりかどうか共鳴させる」→「フェルトセンスに問いかける」→「受け止める」という段取りを、順序だてて進めたときにはじめてフォーカシングしていたことになる・・・かのような誤解を広め、それでは思うように成果が上がらないと諦められてしまう事態を招いたことでした。

 (このことが、ジェンドリンも望まない事態で、もっと柔軟な適用が肝心であることについては、ジェンドリン自身の著作、「フォーカシング」を丁寧に読み解けば、繰り返し説かれていることなのですが)

 アンさんは、ジェンドリンの技法をベースにしながらも、それをわかりやすくて「勘所」を明確にした「5つのステップと5つのスキル」に再構成しました。

 その結果、気がかりな「事柄」からであろうと、その時の漠然とした「身体の感じ」からであろうと、柔軟にフォーカシングを始められるばかりか、内側から生じてきたものは取りあえずなんでも「認めてあげる(acknowledging)」ことと、フェルトセンスから性急な言語化を引き出さないまま「共にいる」ことを重視する丁寧でかゆいところに手が届くものとなりました。

 この「認めてあげる」や「共にいる」は、実はセッションの最中のいたるところで提案される教示なので、実は番号を振って直線的に順序だてて説明することになじみにくいところがあります。

 更に、フェルトセンスから「遠すぎる(too distance)」状態になった人と、「近すぎる(too closed)」状態になった人(アンさんのいうフェルトセンスを「脱同一化(disidentification)」して感じられる状態が程よく維持できないという点では、どちらの事態も共通です)への臨機応変な介入も必要です。

 これらをすべて表現しようとすれば、もはやフローチャート形式をとって空間的な表現にして、必要あればあっちに行ったりこっちに戻ったりということを一望できる図版にするしかない。

 日笠さんを中心とした人たちが取り組んだこの「図版化」は、アンさんの技法書のどこにも出てこないオリジナリティあふれるもので、これがアンさん来日2年目で達成されたことは、再評価されてしかるべきと思っています。

 (アンさんの技法体系そのものも、その後進化を続けていますが、この段階でのアン・ワイザー法の、几帳面な丁寧さのプラス面は、フォーカシングを「意図的なスキル」として緻密にトレーニングする場においては、決して過去のものにされてはならないというのが私の信念です。このフローチャートは、私の主催するささやかなグループでの恒例の配布資料で、現在もあり続けています(^^)) 

*****

 さて、私が執筆した第10章ですが、のっけから「臨床家自身がフォーカシングを身につけ、日常の中で役立てられていないうちは、臨床現場での適用なんていうことは考えない方がいいのでは?」という、不遜なまでに挑発的なメッセージからはじまっています。

 さすがに若気の至りではなかったかなと、その後多少自己嫌悪に襲われ、長らく読み返さないでいたのですが(^^;)、本書刊行から14年を経て、一読者の心境で客観的に読み返してみたところ・・・・ほっとしました。私なりに十分にジェントルで丁寧な語り口で書けている。

 (つい最近、認知行動療法の大家、伊藤絵美先生が、これからCBTを学ぶ専門家への心構えとして、実にそっくりの表現を、著作でなさっているのに気がつき、安堵したというのあります)

 そして、当時はジェンドリンが書きつつある「フォーカシング指向心理療法」のdraftを村瀬先生によって手渡されて、その一部を読み解くぐらいの段階でしたが、私がその時点で言葉にできた「臨床現場でフォーカシングをどのように生かすか」という方向性に、その後ブレはなかった、完全に今日の私のスタイルへと繋がっていると確信できました。

*****

 更に、この私の書いた章、さすがアニメおたくカウンセラーこういちろうですね(^^;)、私自身すっかり忘れていたのですが、次のような部分がありました(pp.241-2):

========引用はじめ=========

 このようなクライエントさんたちにとっては、自分が「どんな」感じでいるのかについて語ることは、まだサナギの状態でしかいられない昆虫が、性急に脱皮を急がされたような外傷体験に容易に結びついてしまう危険があるのです。・・・最近(95年7月)、「風の谷のナウシカ」等で有名な宮崎駿氏らスタジオジブリ制作による長編アニメ、「耳をすませば」が封切られ、映画館でご覧になった方も少なくないかと思いますが、この映画の中で、主人公の月島雫(しずく)という中学生の少女が、留学した恋人が日本に戻るまでに、自分もなにかをやり遂げようと一大決心をして、受験勉強を投げ出して、寝食を忘れてファンタジー小説の執筆に打ち込む展開があります。

 憔悴して眠り込んだ雫は、ある悪夢にうなされます。鉱脈の中の壁一面が原石でできた洞窟の中で、ほんとうに輝くただひとつの純粋なエメラルドを見つけ出そうと焦って探し回るけれども、なかなか見つからない。これぞと思って壁から抜き取った石は最初は光り輝くかに見えました。しかし次の瞬間にその石は、雫の手のひらの中で、まだ卵からかえっていないヒナの死体へと変容するのです。

 悲鳴と共に飛び起きる雫。目の前には一向に進まない、破り捨てた書きかけの原稿用紙の山があります。

 映画の中の雫の場合には、物語をともかくも書き上げるだけの自我の強さと、そうした彼女を理解して見守る幾人かの周囲の人たちのまなざしがあったから救われたのですが、私たちが現実の臨床現場の中で出会うクライエントの中には、まさに賽の河原で石を積んでは壊されるかのようにして、自分の中の「卵」や「サナギ」を性急に孵化させようとしては流産させることを繰り返す中で傷つき、内面をすり減らし、蟻地獄のような絶望と無力感に次第次第に沈んで行く人たちも少なくない思えます。

 むしろそうしたクライエントさんたちにまず必要なのは、自分なりにさなぎ(繭)をつくって、その内部で成長と分化が暗黙のうちに進展するのを見守ることが許されるような治療的な場の保障と関係性ではないでしょうか。

 すなわち、彼ら/彼女らは、まずは、自分たちの中にうごめく形(言葉)にならない混沌が、自分を破壊する可能性がある脅威ではないという安心感を抱けるように徐々になれる治療的な場を保障してもらえる必要があるように思います。

 そして、その言葉にならない混沌を、いとおしみながら育み育てるための子宮的な空間を、自分の身体の内部や外部に安定した形で確保できる自分なりの工夫を見出せるようにサポートされるべきです。

 (これが、本書でもすでに第5章で示した、アン・ワイザー女史の言う、フェルトセンスと「一緒にいる」ということにあたります)

========引用おわり=========

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トロントだより

  • 050601_0957
     The Focusing Instituteの第17回国際大会(2005/5/25-31)の開かれた、カナダ、トロントの北の郊外(といっても100キロはなれてます)、Simcoe湖畔のBarrieという街に隣接するKempenfelt Conference Centreと、帰りに立ち寄ったトロント市内の様子を撮影したものです。

淡路島縦断の旅

  • 050708_2036
     「フォーカシング国際会議」が、2009年5月12日(火)から5月16日(土)にかけて、5日間、日本で開催されます。
     このフォトアルバムは、その開催候補地の淡路島を、公式に「お忍び視察」した時の旅行記(だったの)です(^^)。
     フォーカシングの関係者の紹介で、会場予定地の淡路島Westinという外資系の超豪華ホテルに格安で泊まる機会が与えられました。しかし根が鉄ちゃんの私は、徳島側から北淡に向かうという、事情をご存知の方なら自家用車なしには絶対やらない過酷なルートをわざわざ選択したのであります。
     大地震でできた野島断層(天然記念物になっています)の震災記念公園(係りの人に敢えてお尋ねしたら、ここは写真撮影自由です)にも謹んで訪問させていただきました。
     震災記念公園からタクシーでわずか10分のところにある「淡路夢舞台」に、県立国際会議場と一体になった施設として、とても日本とは思えない、超ゴージャスな淡路島Westinはあります。

水戸漫遊記

  • 050723_1544
     友人と会うために水戸市を訪問しましたが、例によって鉄ちゃんの私は「スーパーひたち」と「フレッシュひたち」に乗れることそのものを楽しみにしてしまいました(^^;)。
     仕事中の友人と落ち合うまでに時間があったので、水戸市民の憩いの場所、周囲3キロの千破湖(せんばこ)を半周し、黄門様の銅像を仰ぎ見て見て偕楽園、常盤神社に向かい、最後の徳川将軍となる慶喜に至る水戸徳川家の歴史、そして水戸天狗党の反乱に至る歴史を展示した博物館も拝見しました。
     最後は、水戸駅前の「助さん、格さん付」の黄門様です。
     実は御印籠も買ってしまいました。

北海道への旅2005

  • 051012_1214
     日本フォーカシング協会の年に一度の「集い」のために小樽に向かい、戻ってくる過程で、他の参加者が想像だに及ばないルートで旅した時の写真のみです。かなり私の鉄ちゃん根性むき出しです。  表紙写真は、私が気に入った、弘前での夕暮れの岩木山にしました。

神有月の出雲路2006

  • 20061122150014_1
     11月の勤労感謝の日の連休に、日本フォーカシング協会の「フォーカサーの集い」のために島根県の松江に旅した時の旅行記です。https://focusing.jp/  
    ご存じの方は多いでしょうが、出雲の国には日本全国の神様が11月に全員集合することになってまして、「神無月」と呼ばれるわけですが、島根でだけは、「神有月」ということになります。(後日記:「神無月」は10月でしたよね(^^;A ........旧暦なら11/23前後は10月でせう....ということでお許しを.....)  
    ちょうど紅葉の時期と見事に重なり、車窓も徒歩もひたすら紅葉の山づくしでした。このページの写真は、島根の足立美術館の紅葉の最盛期です。

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