経済・政治・国際

2011/11/16

TPP問題も「まどか☆マギカ」を通して論じることが可能・・・なような

ここ数日、TPPに関する政治上の動きが大きく展開し始め、Twitter上でもその進展に非常に多くの議論がなされています。

そうしたTwitterのまとめ記事の中で秀逸なものを発見。

完全に「まどか☆マギカ」の9話での、キュゥべえとまどか(「 」内)のやりとりをなぞっているのです。

TPP☆マジカ 第九話 「そんなの、世論が許さない」

・・・・エントロピーの法則についての対話が、見事にTPPについての対話に化けています。

こういうツイットを連作で書ける人は、すごく頭が切れる人でしょうね。アニおたを一括りに馬鹿にするんじゃねえ!!

こういうパロディが成立するのも、まどマギ自体が、「社会システム」というもの全般の本質についての暗喩に富んでいる、深みのある作品だからこそでしょう。

「希望を信じた日本人を私は泣かせたくない。それを邪魔するルールなんか、変えてみせる(作らせない)!!」

(こっちは元ネタ12話)

・・・・救世主、まどかは何処にいるのか?

*****

up主さんの新しいツイットより追加:

「繰り返す。私は何度でも繰り返す。たった一つの出口を探る。日本経済を、絶望の運命から救い出す道を」

(暁美ほむら 談 10話)

●TPP☆マジカ 第十話 「もう政府にも頼れない」より。

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2011/06/24

格差社会の中での自分探しとフォーカシング(togetter)

このtogetterは、坂井 素思・岩永 雅也 (編著) 「格差社会と新自由主義」を読んで、経済学・社会学的見地から今の日本の生きづらさと解決の方向性について考えさせられ、引き続き、池上正樹(著)「ドキュ メント ひきこもり -<長期化>と<高年齢化>の実態-」を読んで感じた、世代や社会人経験を問わず、自分のあり方について熱心に内的に追求する層 こそ引きこもり=永遠の失業者に陥る現状に刺激を受けて、今度はそうした現代の「自分探し」の堂々巡りの解決のための具体的方法論としてのフォーカシングの可能性という、カウンセラーとしての私の専門領域での実践活動に到るまでを紹介するという、かなり越境領域的なツイートの連鎖です。

フォーカシングの名教師・アン・ワイザー・コーネルさんの"Radical Acceptance of Everything"(邦題:「すべてあるがままに」)で述べられた諸見解について、私なりに噛み砕いた紹介にもなっています。

途中、唐突にテーマが 変わるかに見える部分があるかと思いますが、繰り返して読み返していただければ、私の思考と連想の過程が浮かび上がるかと思います。

こちらからどうぞ。

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2011/06/23

池上正樹 著 : ドキュメント ひきこもり -「長期化」と「高年齢化」の実態-

かつては10代の登校不適応にはじまり社会参入の遅延と捉えれられていた「引きこもり」現象は、

1.そうした旧来の引きこもり世代がそのまま40代以上まで高年齢化している

ことに加えて、

2.かなりの程度社会人経験を経た人たち(40代すら含む!)が、業務や社内の対人関係に行き詰まり、失職するのを期に新たに参入してくる

・・・という、以前とは異なる次元での複雑な様相を呈している。もはや「社会人経験をある程度積んだ人たちは引きこもりにならない」という通説も通用しなくなった。

本書ではそうした引きこもった当事者と家族の発言が多数採録されていて、一見羅列的であり過ぎるようにも見えるかもしれない。しかし、それこそが現在の「引きこもり」現象が一元的なステレオタイプで容易には説明できない現状を、ありのままに示していることになるだろう。単にネットやゲームが逃げ場になっているとか、本人の社会性・対人関係能力未熟さなどにも容易に還元できないのだ。

引きこもりの少なからず部分が発達障害や不安障害、うつ病、統合失調症等と診断可能な数多くの人たちが含まれているととらえられる一方で、そうした人たちを「病者」という一個人の問題として捉えるだけでいいのかという問題提起もなされている。

バブル期を経て、その後の不況と新自由主義的な経済の元で、「自己責任」で結果を迅速に次々出すことが求められる業績至上主義に、会社組織そのものが変容した。それが、会社内での人間関係の質そのものにも影響し、家族主義的なサポート体制を急速に失ってギスギスしたものとなり、むしろ生真面目でコツコツやる層にこそ、新たな不適応を生み出している。

更に雇用状況の悪化。履歴の空白がある者に「敗者復活戦」を容易に許さない日本の風土もあいまって、一度働くことから「降りて」しまわざるを得なかった層の再度の社会参入をも厳しいものにしている。

そうした社会変容の中で、「引きこもり」概念そのものが、従来とは全く別の次元にシフトすることを迫られているのだ。

引きこもりの人を抱えた家庭そのものの生活困窮化も加速している。引きこもりの人間の大半が親と同居しているため、生活保護の対象にもならず、現在の日本の公的セフティ・ネットの外側にいる。

疎外され、孤立し、自分や環境をネガティブにとらえる悪循環を断ち切るには、人とのネットワークが必要だ。本人が参加できなくても、家族がそうしたネットワークに参加するだけでも確かに一つの契機になる。

ただし、本書で取り上げられている、様々な「引きこもり当事者の会(親の会)」の活動は、恐らくまだ大都市部を中心とした団体であり、そうした会への会費すら払えない層も少なくないという。こうした団体へのアクセス性そのものが非常に難しい地域もまだ多いのではないかという感想も持った。

また、発達障害についての記述(実際、そうした診断をも受ける方が少なくないのは確かだが)は、やや表層的な次元にとどまり、新たな誤解を生む懸念もある気がする。

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2011/06/20

格差社会とカウンセリング

 カウンセラー、殊に臨床心理士の多くは、高い学費を払って博士前期まで出ているのに、非常勤の寄せ集めで意外と低収入のガツガツで暮らしている(平均収入230万円前後という統計がある。若い層だけ引き出せばもっと低いだろう)。

 あけすけな話、親からの経済的援助すら受けながら(!)、やっとカウンセラーしている層、ないし、「連れ合い」の高収入あってこそカウンセラーできる層は実はかなり少なくないはずである。

 更に4,5年毎の資格維持(いわゆる「ポイント15点」分達成)のために、毎年数回は出席必要な研修費や旅費宿泊費も全部自費の層も少なくない。

 つまり、格差社会の意外と低層部に、多くのカウンセラーはいる。

*****

 一方、カウンセリングを受ける場合の料金のことを考えてみよう。スクールカウンセラーや児童相談所や施設等、公的機関でのカウンセリングは無料だが、これは多くの一般の方からは縁遠い世界だろう。

 病院等でカウンセリングを「併設」している場合でも、一時間、保険外適用で6000円というあたりが安い場合での相場であろう。

 臨床系大学の附属機関でのカウンセリングですら、1時間4000円-5000円かかるのが普通であろう。

 これらの場合、人件費のことを考えれば、カウンセリング部門は赤字な機関がほとんどである。

 

 とある旧帝大系のNPO外来カウンセリング機関は、実に優秀な人材を揃え、立派な面接室を持ち、料金4,500円であるが、利用者は少なく、一口5,000円の賛助金集めに大変苦労して、かろうじて運営されている。

 ましてや、カウンセリング専門の「開業」機関は?・・・一時間1万円以下であれば、相当に安い料金であろう。

 ここ私が示している料金例ですら、かなり控えめな価格である可能性は高い。あとはネットで全国のカウンセリングルームの料金体系を検索してご覧になることをお勧めしたい。

*****

 さて、流派にかかわらず、カウンセリングが一応の成果をあげるまでは、最低で10回ぐらいのカウンセリングは必要なものだ。しかも間隔はそこそこ間を開けない方が良く、最低ラインで月2回というペースが理想であろうか。

 こうなると、カウンセリングを受けるためには、最低で月あたり1万円、悪くすると3万円以上の出費が必要となる。 

 格差社会の現状で、人に話を聞いてもらうためだけに、このお金を継続的に支払おうというお気持ちになれる層が、どのくらいおられるであろうか???

 カウンセリングとは、これからいよいよ「ブルジョア」のためのものに過ぎなくなるのではないでしょうか?


*****

 さて、今度はカウンセラーの皆様自身に胸お尋ねしたい。胸に手をあてて考えていただきたい。

 自分のカウンセラーとしての業務1時間、いくらの「商品価値」があると自分で「値付け」なさいますか?

 私は、1時間4000円、となら、胸をはって言えますが。

*****

 このブログエントリーの原型となったTwitter上のやりとり(同じタイトル)をこちらでまとめています(togetter)

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2011/06/18

「格差社会と新自由主義」結語

 「格差社会と新自由主義」 は、少しずつ読み進めたが、非常に読みがいのある「教科書」だった。読む前と後で日本の現代史と現状と今後についての見え方が変わる。

 単に危機感をあおるのではなく、読者ひとりひとりに考えさせる指標となる好著である。

*****

「これまでの諸制度のように、高齢者、障害者、女性、若者、子どもなどに区分した対象や、介護、福祉、医療、就労支援などの制度別に構築した支援体制では、どこでも複雑に絡み合った問題の全体的構造を把握し、受け止めることは難しい。

人間をまるごと掌握し、そのニーズに丸ごと応えるようなパーソナル・サポート・サービスの営みが地域社会で豊富になれば、新たなリスクに対する早い段階での予防的施策がとられ、本来の意味でのセフティ・ネットの構築につながることとなる。

事後的施策から予防的施策への転換である。

さらに、現役稼働年齢層が急激に減少する中で、この世代と将来の担い手である若年世代に投資する意義は大きい。

特に、困難を抱える人々が社会の死角に落ち込むことを防ぎ、市場や社会への参画を促進して、一人ひとりのもつ潜在的な能力を引き出し、全員参加型の社会を構築するために、そのような新しい社会サービスの機能が求められている。」

 ・・・・以上、「格差社会と新自由主義」、最終章、「新たな連帯と共生の創造」、宮本みち子氏による結語。


 ・・・・もう、昔には戻れない。多面的に人々の絆をつなく総合的な「社会サービス」を創造する必要があるのだ。

*****

 本書を読み終えて感じたのは、雇用不安定で結婚すら躊躇する低所得層の若い世代の生活の安定と雇用機会をサポートしないと、今後日本はとんでもないことになるということ。

 ところが選挙に出向くのは老人ばかりだから、このことの重要性がなかなか浸透しない危険が大ありだというのが私なりの感想です。

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2011/06/15

「ゆとり教育」の思わぬ背景と、それに対応した「親世代」の限界

 「ゆとり」教育については、「それまでの詰め込み教育の弊害の解消」ということばかりが強調されるが、更にその「背景」が何であるかに巨視的に立ち入ることができることが見過ごされてきている。

 すなわち、ゆとり教育が、実は当時の外交的、そして産業界からの要請で成立したという側面があるという指摘を、本書ではじめて知った。

  1.  輸出依存型経済から内需拡大型経済に転換するように欧米諸国から圧力がかかる
  2. →「貯めた金をケチらず使う」消費拡大のために勤労者に週休2日制の導入
  3. →海外へのパックツアーの隆盛・東京ディズニーランド等の建設
  4. →教師への5日制の導入にあい伴い、学校5日制の導入(2002)
  5. →政財界、労働界の要請(!)をも受け、文部省は授業時間短縮を迫られ、「ゆとり教育」が単なる「教育のスリム化」にすり替えられる。

 (以上、第8章「教育の自由化と学力格差」pp.132-3 岩永雅也執筆 より要約)

 こうして「ゆとり教育」とすることで、児童生徒が学校外で過ごす時間が50日分増えた。

 ところが、家庭にそれを引き受けるだけの能力があったか?「教育は学校が行うもの」と長年信じられていたのに、教育のかなりの部分が家庭に返され、「私(わたくし)事化」されることになったのである。(同p.134)。

 この頃バブルが弾けて、多くの家庭でに塾などの教育についてのお金をつぎ込む余力がなくなり、「教育格差」が生まれる引き金となったわけだが、実は事態はそんな単純な話ではないと岩永氏は述べる。

 「親たちの社会的主体としての資質に大きな問題があったという話なのである。資質と言っても、単に学力とか知識とかではなく、挨拶や人間関係の構築といった対人能力、協調性。忍耐力などの社会的能力、身の回りで日常的に起こるさまざまな事態を理解し、それに対応する能力など。まさに『生きる力』というにふさわしい能力のことである」(p.135)

 つまり、親世代自身が、子供のモデルとなるだけの、個人としての社会性がないということになる。

 よく考えてみれば、昭和一桁世代を親として持つ、現在の親世代(=私とほぼ同世代)は、受験戦争真っ盛りの中で成長した。その競争の勝者であるしても、敗者であるにしても、ともかく「生きる力」そのものを育める教育環境・・・というより、「社会」環境に恵まれていなかったことのツケが、今度は子供の教育の際にまわってくることになる。

*****

 「潤沢に教育資金は出してもらえても、『真空の中で』勉強しろと要請されているようでどうしたらいいかわからなくなった」私の生い立ちは、こうした状況の一側面として思い出されたのである。

 この放送大学教材は、一見経済学的社会学の観点からの著作に見えつつ、通常の教育学よりもはるかに巨視的な視点を提供してくれる。

 まだ読み進めている途中である。これからも具体的記事を追加するかもしれない。

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続きを読む "「ゆとり教育」の思わぬ背景と、それに対応した「親世代」の限界" »

2011/06/06

坂井 素思・ 岩永 雅也 著 「格差社会と新自由主義」 (放送大学教材)

新自由主義とそこから生じる格差社会という問題点について、その歴史的必然と限界について、政治的・経済的・歴史的側面のみならず、教育や家族関係・ライフスタイルの変容まで包括的に解説。奥が深い本。

これは単なる「格差社会批判本」ではない。私のような、経済学部や社会学部出身ではない人間にも、明快に理解できる筆致であるが、教科書として実に立派な「立体的」完成度であり、ジャーナリスティクな書籍とは完全に一線を引く深みがある。

【追記】関連記事をここここで書きました。

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2010/11/24

「思わずツッコミを入れてしまうのは?」

ブログネタ: 思わずツッコミを入れてしまうのは?参加数拍手

  1.  ちょっとこの人、「小山の大将」っぽくて、自分の領域に閉じていて、その割には知ったかぶりなことをボロっと書く人には「横槍」をややこまめに入れることもあります。でも、基本的には「各論主義」で、接点があると感じたらそれを大事にします。
  2.  リアルワールドでは、真っ向から相手につっこむことは珍しいです。私の中学校以来の「書物を通した心の師」である、カール・ヒルティの教えを守り、「まずは賛成意見として論を始める(つまり、相手の発言意図について共感・評価できる部分に敬意を表して明言し、その後で、一見「付加的に」異論を唱え始めていく)」スタイルを好みます。
     これは、「ほめ殺し」スタイル、というだけはなくて、相手のいいところを認めながらも、こっちが誤解して違和感感じているだけかも知れず、そこからコミュニケーションが開けることを期待してでもあります。

 心の中でだけ相手にツッコミ入れとく方が賢い場面では沈黙して、後で裏で動くのが懸命とみなすことも多いことは少し前にも書きました。

 でも、なにより大事なのは「他人の言動にツッコミ入れる前に、自分の言動にウィットを込めてツッコミ入れ続ける「脱同一化(disidentification)」できるこころの余裕(ケン・ウィルバーおよびアン・ワイザー・コーネル用語)だと思いいます。

 これって、単なる「自己批判」ではなくて「ちびまる子ちゃん」のナレーターの「おいおい」的一人つっこみだと思っていただくといいかと。

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2010/11/12

人を見て、「これだけはしないでおこう」と思ったことは何?

ブログネタ: 人を見て、「これだけはしないでおこう」と思ったことは何?参加数拍手

  1.  単なる二次情報の受け売り。
  2.  周囲の様子ばかりをうかがって、「大人しく」ふるまう「だけ」になること。

  「独創性」というのは、コンテンツ(内容)」の次元では幻想なのかみしれません。

 でも自分の内側の曖昧な実感(フェルトセンス)から生き生きと紡ぎ出される、過程進行中(In Prosess)で自己駆進的(self propelling)な体験過程様式の中で生まれてきた言葉なら他人様に対して説得力のある表現になるはずです。

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2010/10/16

"Durch Leiden Freude!! -のだめカンタービレ in ヨーロッパ 後編-

 いきなりドイツ語でスミマセン(^^)

 クラシックファンの方でしたらおなじみでしょう。

 

 「苦悩を経て歓喜へ」・・・ベートーヴェンのモットー。

 「ドゥルヒ・ライデン・フロイデ」と読めば、日本語発音のカタカナ標準ドイツ語としてはほぼ十分でしょう。

のだめカンタービレ in ヨーロッパ [DVD]

※ ↑ 【要注意】 すでに述べましたが、セル版は「前後編」二枚組のようです。お間違いなく!! 二重に買わないで下さいね!!

 「パリ編スペシャル」後編は、前編とは打って変わった、ウェットなストーリー。

 ここまで千秋とのだめのロマンスが「全面に」押し出されることは、ここまでのドラマ化部分では皆無
でしたね。

 しかもそれが、パリ留学後、のだめの前に立ちはだかることになる、演奏家として成長する上での最大のスランプの問題と完全にシンクロさせて描かれている。

 原作の圧縮もかなりあろうかとは思いますが、これは、驚くほど高度なドラマ作りです。

 うーん、パリ編でつまづいたと感じる人たちもいるらしいですけど、ここで描かれている男女の機微は相当踏み込んだものがありますよ。これは視聴者が十代のうちは、ちょっとまどろっこしくって、イライラするかもしれませんね。

 ・・・・まあ、そのあたりは、これ以上具体的には触れずにサラリとかわすのが、今年50歳にもなった、人生いろいろのおじさんの節度ということにしておきましょう(^^)

*****

 さて、恒例、音楽(演奏)を大真面目に評論する、当ブログのポリシー、続けさせていただきます(^^)

 やっとのだめ作曲、「もじゃもじゃ組曲」の実物が「聴け」ました(^^)

 敢えて言うと、エリック・サティ(ドビュッシーと同じ頃にパリで活躍)の「官僚的なソナチネ」あたりを思わせる気まぐれさがある、実はマジに遊び心満載の、単純なようで実は凝ってる曲です。

 パリ・コンセルヴァトワールのオクレール先生が関心を示すのも、全く自然ですし、ここで先生のダメ出しが忽然として止まる・・・という物語設計は卓抜です。

 サティの、「官僚的なソナチネ」という珍曲(?)を聴いてみたい方は、以下のアルバムに含まれています:

高橋悠治/サティ:ピアノ作品集(2)

↑ 高橋盤、昔は、誰もこの世に知らない人はいないであろうくらいにメロディは有名な、サティのスマッシュ・ヒット、「ジムノペディ」第1番、および、これまた絶対誰でも耳にしている、ワルツ「ジュ・トゥ・ヴゥ」と抱き合わせだったのに、今は分割されてる・・・少しその意味では、お勧めを遠慮気味にするしかなくなったか(^^;)。

******

 それにしても、いくら孫・Ruiの演奏への「屈折しまくった嫉妬」があったとしても、この「後編」前半でののだめの演奏は、本当に生彩がない演奏で、聴いているだけでかわいそうにマジになります。・・・でも、そう演出すること自体が、絶対にこのドラマには必要だったのです。

 ・・・・う、このように書いてしまうと気づきました。のだめの演奏の個々の曲の演奏評を、今回は全面的に控えてしまう方が、まだご覧になったことがない皆様への心配りでしょうね(^^)

*****

 ただ一点。この点だけは重要な物語理解上の解説。

 特にヨーロッパ人の場合、クラシック音楽の背景として、「教会音楽」に日常的に馴染んでいることは圧倒的な裾野を生み出しているのであり、これは日本人がクラシック音楽を学ぶ際のひとつの大きなギャップになること。その点で、モーツァルトの「アヴェ・ヴェルム・コルプス」の使いどころが見事!!

(これは、茂木さんのアドバイスで、原作を「敢えて」意識的に変えている部分だそうですね)

 指揮者ならずとも、ピアニストにですら、アナリーゼ(曲の分析)や音楽史の勉強がどれだけ大事かという点について、日本とヨーロッパの音楽教育に、確かに圧倒的な落差があるらしいこと。

 マジに、コンセルヴァトワールの教育スタイルの再現に近いのだと思います。

*****

 さて、物語の最後に、またもや千秋君による、ブラームスの「交響曲第1番」が、「パリでの」演奏として登場します。

 このオーケストラの実態は、実は「プラハ放送交響楽団」という、チェコの首都プラハで、チェコ・フィルの次の格式があるオケです。

 一般に、ヨーロッパの「放送交響楽団」というのは、オペラ座のオーケストラとか、コンサート専門のオケに比べると、独自の「色」を強く出さないようにする伝統があるかと思います。

 (それでも、ドイツの放送交響楽団の頂点というべき、バイエルン放送交響楽団まで上り詰めると、特にクーベリック時代は独自の音色が濃厚にあり、いかにも南ドイツの音色+チェコ出身のクーベリックの音でしたが)

 でも、劇場版「最終楽章」前編の記事でも書きましたが、チェコのオーケストラの音色は独特の柔らかく融け合う伝統があります。

 ただ、それを、ドヴォルザークのスラブ舞曲とか、本当に民族色が強い曲をやる時だけ、独特のすすり泣くような弦の音色を意識的に出して、「扇情的」にもできるんですが。

 あくまでもそれはスメタナやドヴォルザークの一部の曲で意識的に打ち出すだけのこと。その「お国もの」での「泣き節」を控えると、まろやかさが全面に出る

 (この点では、プラハと目の鼻の先のあるはずのヴィーン・フィルの音色の方が、実はドイツ・オーストリアの楽団全体の中でも「異端児」・・・ある意味で「19世紀最後の頃のウィーンのままの重要無形文化財」的音色といえます)

 さて、チェコのオケの音色は、今述べたように、本来くすんだ音色でもありますが、バリバリの北部ドイツのオケ(例えばベルリンやハンブルク)、いや、中ライン地域(ボンとかハノーファー)の硬質さだったら、とても「のだめ」のための「パリでの演奏」の吹き替えには使えません。かつてインバルが常任をしていたフランクフルト放送交響楽団でも何かやりにくそうですね。バンガリーのオケとなると、また別の独特の歌いまわしと鋭さが混じる。

 その意味で、この、ラストのブラームス一番の演奏、またもや「やらかし」ましたね。

チェコのオケフランス風の音色で、ドイツのブラームスを弾かせる」という芸当。

 TVシリーズの時の演奏が、どっしりとしたドイツ風の演奏だったのに、この演奏での「千秋君」は、流麗で、フランス風の演奏へと、すでに随分変化(?)しています。

 千秋くんも、プラティニ・コンクールのあとで、シュトレーゼマンに世界中を引っ張り回されるだけではなくて(爆)、どんどんフランスになじんでいるのでしょうか?

 このパリ・スぺシャルでの指揮者までは私の調査ではまだ不明です。

 TVシリーズ版は、東京都交響楽団の当時の常任指揮者、デプリースト自身と判明。あの世代の「重鎮」指揮者なら、アメリカ人でも、ハンガリー亡命者のショルティに近い音色の、重厚なドイツ的音の指揮者、少なくなかったかと。

*****

 今回のおしまいに。

 繰り返して書いて来きましたが、ともかく演奏の隅々まで、確信犯で曲の解釈まで「原作通り」をナマの音にするという奇跡を、果てしなく追求している点では相変わらず、化け物じみた奇跡の実写フィクション映像作品としか申し上げられません。

 それどころか、「のだめ」実写シリーズを、小さな外部スピーカーでいいでうから、全部通して鑑賞すると、非常に「正統的」なクラシックの演奏とはどういうものかの「座標軸」になる「耳」自体が育ちます。間違いなく!!

****

 さーて、残るは「最終楽章」後編!!(・・・・と原作アニメ版は更に余力があれば・・・という遠い射程で)

 実は、これはまだ新作DVD扱いで、私がレンタルョップに出向いた時は、「全部貸し出し中」でした!!

 ・・・・・だから、何日後になるかの保証はできません(^^;)

****

 ・・・以上、「のだめ」ワールド大航海シリーズ、6回めでした!!

 (エンディングBGMとして、お好きな「ラプソディ・イン・ブルー」をお流し下さい)

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