グルメ・クッキング

2009/12/24

両親と「第九」を聴く

 昨晩は、両親と、久留米のとなりの佐賀県鳥栖市郊外、田代近辺にあるライブステーキハウス、「花やしき」 本店で、「第九」のディナー・ショーを堪能して来ました(^^)

 「第九」に行くのだとは父に聞かせれていたのに、なぜかJR鳥栖駅までしか辿り着きようもない切符を、待ち合わせた駅で渡され、鳥栖駅からどんどん人里離れた山里に向かうではないか!

 私の父は物事を普段はひどく「婉曲に」「思わせぶりに」言うところがある(この点ではひどく保守政治家的である^^;)ので、まさか父自身が別の日の「第9を歌う会」に参加しているとかいった、とんでもない仕掛けになっていて、昨晩は普通にちょっとしゃれた郊外での飲み会なのかと途中で妄想に走りましたが、・・・・・まさかこんな隠れ里のようなところで、ディナー・ショーの第九があるとは。

 関東だと、軽井沢辺りにありそうな、センスのいい瀟洒なお店でした。

K3100153_s

 ベートーヴェンのシカゴ交響合唱団, Chicago Symphony Orchestra, Hans Sotin, Jessye Norman, Reinhild Runkel, Robert Schunk & Sir Georg Solti - 決定版!ベートーヴェン - ベートーヴェン:交響曲第9番ニ短調作品125《合唱》:第4楽章:プレスト-アレグロ・アッサイ 「第九」(もちろんピアノ伴奏、しかも第4楽章から管弦楽前奏を省き、それ以降もやや短縮したバージョンですが)の前に、クリスマス・キャロルや、フォーレの歌曲(「夢の後に」や「ラシーヌ賛歌」)、ドイツ・リート(私の定番だったシューベルトのDietrich Fischer-Dieskau & Gerald Moore - Schubert: Lieder - Erlk?nig, D. 328 (Op. 1): Wer Reitet so sp?t「魔王」も含みます)、イタリア・オペラのアリアが続き、知ってる曲しか出てきませんでしたので、こういちろうはたいへんご満悦だったのだ(^^)

 特に、私がキリ・テ・カナワの名唱のライブLDで溺愛してきた、プッチーニの歌劇「つばめ」Kiri Te Kanawa - Kiri Te Kanawa - Artist Portrait 2007 - Puccini : La Rondine : Act 1 "Chi Il Bel Sogno Di Doretta" [Magda]ドレッタの美しい夢という、(CMでも使われたことありますけど)ちょっと「通」向けのアンコール・ピースを第9の前に聴けたのが嬉しくてたまらなかった。

 この曲、ピアノによる前奏からして、もう、ここまでしゃれたタッチの、しかし円熟した無駄の全くない完成度の、イタリア・オペラのアリアはないと、ずっと思っていたので。

●Kiri Te Kanawa-Chi il bel sogno di Doretta

blogram投票ボタン
ブログランキング・にほんブログ村へ
人気ブログランキングへ
携帯アクセス解析
ビジネスブログランキング
にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 心理カウンセリングへ
にほんブログ村 音楽ブログ 女性ミュージシャン応援へ
にほんブログ村 ニュースブログ ニュース批評へ

2009/12/08

ついに20歳以降最も軽量にまでダイエット成功!!

 私は血中脂肪の値が高くなりやすく、医者に定期的な血液検査を受け、薬ももらっていたのだが、昨日ついに血中脂肪の値が正常値に完全に到達したばかりか、コレステロール関連の薬から無罪放免、「これからは栄養価が高いものをきちんと食べなさい」といわれるに至って、拍子抜けしてしまった(^^)。

 久留米に帰って自分で料理もするようになり、間食もほとんど全くせず、野菜をたくさん取るヘルシー路線をひた走って来たのだが。最近再び若干疲れやすくなっていたのだが、仕事量が随分増してきたのに、食べる方はそれにあわせて増やしていない状況にすらはまり込んでいたようである。

 おかげで、20代に買ったスラックスにみんな腹が通せる(?)状態である。以前のスーツを着ても前ボタンがすんなりとめられる。

 ・・・・・以上、何より自分に厳しい(?)、タイトな無駄のないライフスタイルに徹していて、これ以上何をそぎ落とすのだ? の域まで来たこういちろうより。

 久留米市の中での移動は、ほとんど常にマイ・自転車なので、運動量も結構こなしていると思う。

 近々タバコもやめてしまうと思う。私の身体の感じが”No!”と言い出したので。

*****

 今日は、以前予告いたしましたとおり、これから福岡県精神保健福祉協会の冬季講座、「不況を生き抜く -多様化するうつ病と休業・失職からの再出発」(春日市)に参加のため、臨時休業とさせていただきます。

blogram投票ボタン
ブログランキング・にほんブログ村へ
人気ブログランキングへ
人気ブログランキングへ
携帯アクセス解析
ビジネスブログランキング
にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 心理カウンセリングへ

続きを読む "ついに20歳以降最も軽量にまでダイエット成功!!" »

2009/11/26

「うる星やつら」TVシリーズ メガネの独白

 「うる星やつら」、劇場版第2作、「ビューティフル・ドリーマー」をご紹介したついでに、その際に発掘できてしまった、TVシリーズ(どの回かはさすがに忘れましたが)での、メガネの独白シーンを載せちゃいます(^^)

●押井節×千葉繁-メガネの独白-(YouTube)

 メガネというのは、押井守さんがチーフディレクターをしていた時期のアニメ版の「うる星」で固有に進化、発展、増殖(?)した、あまりにユニークなキャラクターであり、その、ストーリーの脈絡とどこまで関係あるのかをもはや超越した、エキセントリックな長台詞は、声優の千葉繁さんの怪演(やはり小演劇系舞台役者のノリが爆発してますよね)と共に、私の世代のアニメファンには深く記憶に刻まれています。

 ・・・・こういう内容のアニメが、毎週19時代に見られたのは、今は昔?

blogram投票ボタン
ブログランキング・にほんブログ村へ
人気ブログランキングへ
携帯アクセス<br /><a href=ビジネスブログランキング
にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 心理カウンセリングへ

2009/09/26

「悪いなりによい」という長嶋氏の言葉 -NHKスペシャル「シリーズ ONの時代」より-

 今日は朝早くから所用があって、昨晩早めに就寝しているので、こんなとんでもない時間に記事を書くことになりますが。

 これまたHDレコーダーに録画しまたままになっていた、NHKスペシャル、「シリーズ ONの時代 第1回 スーパーヒーロー 50年目の告白」について書いてみたい。

 この第1回は、戦後を代表するスーパースターである王と長嶋について、本人たちへのインタビュー、当時の関係者の証言、関係者やご本人が当時書いていた日記などの資料を基に、「天才」長嶋、「努力の人」王という既成イメージについて認識の転換を図ることを企画の趣旨としている。

 私は格別の野球ファンではなく、そもそも野球の試合を球場まで見に行った経験が皆無の人間である。それなりに野球中継をテレビで観戦していた時期もあるが、それが習慣化していたほどの時期はない。

 しかし、1960年生まれの私にとって、王と長嶋が、子供時代からのスーパーヒーローであったことには変わりがない世代の人間である。

 当時は、何かにつけて、テレビでのプロ野球中継は、NHKを除けば巨人戦に異様に偏していた時代であり、現在からすれば信じられないぼどに「巨人ファン」が日本人の多数派を占めていた。そしてその巨人軍の中の別格的な花形スターが、長嶋と王だったわけである。

*****

 この番組では、まずは「天才」といわれた長嶋が、実はいかに影で努力を重ねる人であったかにスポットライトを当てる。しかし彼は一度出来上がってしまった、明るくて陽気で、ここぞという場面でのいい意味でのスタンドプレーで観客を沸かせる「天才・長嶋」という大衆のイメージに応え続けるために、人目につかない場所を敢えて選んで、試合のあと何時間も個人練習を重ねてていたという。

 他方、王は長嶋とコントラストをつけた巨人のもう一枚の看板としてのイメージを植えつけて報道したいマスコミの意向によって、努力と根性のまじめで実直な人間というイメージを求められてしまった。ところが現実の王貞治は、特に入団当時は、彼の素質を見抜いた川上監督によって、彼のために招聘されたと言っていい荒川コーチからも眉を潜められるくらいに、「自覚がない」、結構ルーズな人間だったという。成績も、期待された割には、入団3年間は振るわなかった。

 「ただ、荒川コーチの指導に受け身に随き従っていただけ。自分がどのように野球選手として生きていくのかのビジョンそのものが抱けていなかった」と、当時を振り返って王氏は語る。

 こうした本音の次元での王の野球選手観は、近年、巨人の選手がスキャンダルを起こした時の、ざっくばらんな発言などでも世に知られるところであろう。

 その王に転機が訪れるのは、荒川氏の指導の下で一本足打法を確立してホームラン王になり、更に年間55本という、日本のプロ野球新記録を確立した頃からであるという。

 自分には長嶋のような華やかさはない。ホームラン王だけは誰にも譲らないということにプライドを持って生きることにしよう・・・・彼はそう思い定めたのである。そして、マスコミやファンから投影される、「実直な人格者」というイメージを自ら進んで受け入れて、公衆の前で演じて生きて行く決心をする。

*****

 その二人に共通するのは、当時の日本人の大衆娯楽の頂点のひとつであった「巨人戦のテレビ観戦」という大舞台において、大衆が自分たちに期待してくるスーパーヒーローとしてのイメージを決して裏切らないプロのパフォーマーとしての完璧性を、どこまで毎年コンスタントに持続できるかにひたすら心血を注いだということである。

 自分たちの双肩に、多くの日本人の生きる希望がかかっている。長嶋や王が頑張り続けているから、夢と希望を失わない人たちが日本にはいっぱいいる、それが二人に乗しかかり続けた圧倒的な重圧であり、なおかつ2人の生きがいでもあった。

 恐らく、ここまで、スーパーヒーローとして大衆が期待するイメージを損なわないプロ競技のパフォーマーであることに、非常な高次元で、しかも長期間にわたって応え続けることができているのは、その後イチローだけであることは衆目の一致するところではなかろうか。

*****

 70年代後半に入り、長嶋にも、徐々に年齢から来る体力の衰えが忍び寄る。打率もどうしても3割に届かないまま低迷し始める。

 しかしそれでも長嶋は努力を重ねつつ試合に出場し続ける。

 彼はこの段階で次のような心境に達していたという:

 「悪いなりによい、と思えれば次(の試合)に出ることができるようになった。いい(状態が続いていた)場合には、そういう気持ちは出ないのよ」

****

 これは、僭越ながら一度鬱に罹患して以降、ある意味で自分が絶好調になることなど、少なくとも当面は訪れないと見定めた私個人の心境とも非常にフィットする。

 それこそ、我ながら、最近のブログの記事の非常に引き締まった文体と内容水準の安定した「打率のよさ」という点では、ここしばらくの私は過去最高の安定度があるかに見えることは自分でも自覚している(人によっては、やや「鬼気迫る」とお感じの方もあるかもしれないけど、恐らくそうした成分の半分はそういう方ご自身の「投影同一視」ですって)。

 しかし、それは、生活の中で睡眠時間を十分に規則的にとり、食生活にたいへん気を配り(何とこの齢にして自分で料理するレパートリーを広げつつある。毎食ごとにサラダボール一杯分の各種野菜を素材に欠かさず、容易なことにはレトルトに依存しない・・・・というか、もうレトルトの人工的な味が嫌いになっている)、生活の中から不要なものをとことんそぎ落として、現実にクライエントさんにお会いする時間に心身の余裕あるピークを持ってくること、精選した読書や映画鑑賞、そしてできあるだけ毎日、限られた時間でも庭いじりや自転車で乗りまわす形で外出すること、更に、今構想中の新たな地域活動についての下準備をすること、そして気の置けない親友との毎日のようなネット通信を通しての定期的な対話、そしてこのブログの執筆ですね・・・・これだけで私の毎日は非常にシンプルに、しかし常に10%の余力を見失わないように警戒しながら、淡々と繰り返されている。

 長嶋氏と我が身を引き付けるのはたいへん僭越であるのは承知だが、5年前の脳梗塞からのリハビリを毎日続けておられる長嶋氏の、この「悪いなりによい」という言葉に、非常な共感を感じずにいられなかった私がいること、これだけはどうしてもお伝えしたくなって、キーを叩いた次第である。

blogram投票ボタン
ブログランキング・にほんブログ村へ
人気ブログランキングへ
ビジネスブログランキング
にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 心理カウンセリングへ
にほんブログ村 ニュースブログ ニュース批評へ
にほんブログ村

2009/09/03

「カウンセラーこういちろうの雑記帳」の主要過去記事を一番簡単に一覧するには

 このブログって、すでに創設4年9ヶ月、過去のエントリー記事総数が、「この」記事で1,914本め、なのに一日あたりの新エントリー、平均1.10本以上を現在も維持、しかも長文が多いという、へヴィー級ブログです。

 おかげで、もはや@ニフティココログが割り振ってくれているサーバー負荷が相当なものになっているせいか、

  • 私の方からトラックバックを送ることがもはや機能しない
  • pingも自動では飛ばせない(その割には随分多くの読者の皆様が、新記事アップ直後においでいただけることを幸いだと感じています)
  • カテゴリーにすべての記事が反映しない(カテゴリーによっては300から400エントリー分表示されようとするわけで)

・・・・・という、新しくおいでいただいた読者泣かせのブログになっていると思います m(_ _;)m

****

 もちろん、バックナンバー全体を表示してくれる、『アーカイヴ』ページ(自身がココログユーザー以外の読者の皆様、お気づきでしたか??? 右フレームの「バックナンバー」という文字そのものをクリックするとたどり着けます)というものも、あるにはあるわけです。

 しかし、このページにお行きになっていただいたとしても、過去の個々のエントリー記事のタイトル一覧があるわけですらない

 このページからの「〇年〇月」を全部めくっていただくだけでも(全く休眠した数ヶ月を除いても、現在50か月分ほどあるわけですね(^^;)。その50ヶ月分、それぞれ月ごとに、毎月30から40エントリーずつはあるわけですから・・・・・

 つまり、私がこのサイトでこれまで書いてきた主要記事がどんなものか、新しい読者の皆さんにおおよその見当をつけていただくには、もうデタラメにご不便をおかけしていることと思います   il||li _| ̄|○ il||li

*****

 この問題を一気に解決し、

  • 新記事の方が上に来る形で、
  • 過去の記事に関しては私がある程度絞り込んでセレクトしたものを、
  • 数百記事ばかり、1ページをスクロールできる形で
  • ブログのような表示の重さがない形で一覧したいただける

そういうページが、実はずっと以前から存在します!!

●阿世賀浩一郎のホームページ/index

 開設1995年12月(つまりWindows95発売直後)開設、日本において、インターネットで個人サイトを作ることが本格的に普及し始めた黎明期から、何と基本的なデザインを変えないまま運営し続けているサイトです。

 かつては、ネットを代表するエヴァ・サイトのひとつ、「エヴァンゲリオン論考」で著名だった時代もありますけど、幸いにして著作化させてもいただきましたので、そのコーナーは全面削除いたしておりますが(「ちーちゃんの部屋」というアニメコーナーがかつて存在したことを覚えておられる方もあると嬉しかったりして ^^;)・・・・

そのトップページから、このブログでの新エントリー記事を書く度ごとに、固定リンクへのリンクを、たいてい速攻の連続作業でお貼りしてもいるのです。

 恐らく、皆様のRSSリーダーに反映するスピードの比ではない「即時性」で「新着情報」が掲載され続けています。

 同一エントリー記事の更新(改版)情報すら、可能な限り早くお伝えしています。

 

そこに並んでいる、当ブログ個別記事へのリンク数は、常時数百あるはずです(古いものから時々、精選のための「ダイエット」をかけますので、一定数以上には増えません)。

 しかし、敢えて今でも、基本的には「素朴なhtml言語の手打ち」に依存し、javaスクリプトすらないに等しいということで、このトップページそのもののバイト数の多さの割には、表示が圧倒的に軽い筈です(このブログのトップページを表示するよりは軽いと思いますよ)

 
当方のアクセス解析によって、「こっちのページで新着情報見つけるほうが手っ取り早い」ことにお気づきの、毎日数名以上の固定ユーザーの方がおられることは掌握しています(感謝!!)。

 しかし、そうした方の占める比率が以前よりもかなり減っているようにも思いましたので、改めてご紹介させていただきました。

 

今後とも、「カウンセラーこういちろうの雑記帳」をよろしくお願い申し上げます。

blogram投票ボタン
ブログランキング・にほんブログ村へ
人気ブログランキングへ
携帯アクセス<br /><a href=ビジネスブログランキング
にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 心理カウンセリングへ
にほんブログ村 音楽ブログ 女性ミュージシャン応援へ
にほんブログ村 ニュースブログ ニュース批評へ

 

2009/06/08

「フェルトセンスに問いかける」教示についてのヒント(第2版)

 フォーカシング技法において、ジェンドリン自身のオリジナルな技法(『フォーカシング』)において「第5の動き(movement)」として位置づけられているのが、フェルトセンスに「問いかける(asking)」の教示です。

 フォーカシング技法とは、別に、

第1の動き:空間づくり(clearing a space)
第2の動き:フェルトセンスをつかむ
第3の動き:フェルトセンスにとりあえずフィットする言葉やイメージを見つける(get a handle)
第4の動き:フェルトセンスと、見つけ出した言葉やイメージを響き合わせる(Resonating)

という段取りを順々に進めていき、その後で、この、フェルトセンスに「問いかける(asking)という部分に進んではじめてシフト(気づきと身体的ナな緩み)が生じ、その成果を、

第6の動き:受け止める(receiving)

で受け止めて完成! といったものではないことは、これまでこのブログでも繰り返し申し上げてきました。

 自分の中にその時の自分のフェルトセンスに直接注意を向けられることに気がついたら、わざわざクリアリング・ア・スペースをやらないままに、早速フォーカシングを進めてもいいのです。

 そういう形でフェルトセンスに関わろうとしても、何かうまくいかないで、心を乱すいろいろな何かがありそうだと気がついた時点で、クリアリング・ア・スペース・・・・今の自分を不調にしている気がかりについて、ひとつひとつ確認して脇に積み上げていく、「たな卸し」作業に立ち戻ってもいいのです。

 クリアリング・ア・スペースを進める中で、「そうか、自分にとっての今の本当の気がかりはこのことだったんだ!」と、思いもよらない新鮮な形で「気がつける」だけで心が大きく解放されるということも珍しくないわけで、その場合には、いかなり、ジェンドリン法で言う、6.「受け止める」に進んでも何も差し支えもない。

 フェルトセンスにぴったりの言葉やイメージが見つからなくても、「この」感じ、などという直接指示語で、本人にとってその感じをつなぎとめ続けるのに何も苦労しないのなら、それ以上、ぴったりの言葉やイメージ探しに過剰に強迫的にこだわることは、百害あって一利なしです。

 そして、アン・ワイザーさんが、自分の技法を形成する際に、「フェルトセンスと共にいる」ことを重視し、独立した教示とし、フェルトセンスに何かを引き起こそうとする、ありがちな性急な誘惑に乗らないままでいたほうが、変化が自然と生じるべき時に生じる(そのセッションの中ではっきりとした気づきが生じることはなくてもいい)事を重視したことは、画期的な業績でした。

(もっとも、ジェンドリン自身フェルトセンスのそばにしばらくの間じっくりと留まってみることの重要性は、繰り返し、繰り返し強調しているのです。簡便化されたショート・マニュアルなどでは抜け落ちてしまいがちなだけのことなのです)

****

 アンさんは、フェルトセンスとの「内的な関係作り(inner relationship)」を重視しましたので、ジェンドリンのオリジナル技法で言う、「フェルトセンスに問いかける」を、オプショナルなものとみなし、あまり重視しません。

 日本では、アンさんのトレーニングの影響が濃いために、そもそもジェンドリンの「フェルトセンスに問いかける」という教示を実際にセッションで普段使いしているフォーカシング・トレーナーや学習者がかなり少ないという印象があります。

(公開ライブ・セッションを拝見した限り、唯一の例外が、ジェンドリンの直弟子である池見陽先生で、私が拝見した時には、当意即妙のセンスで柔軟にaskingを使って、フォーカサーのプロセスに無理のない小さな刺激材を供給しておられました)

****

 今も述べましたが、このaskingの教示そのものが、実は、フォーカシングのプロセスが、第4の動き(ここまでが繰り返しなされるうちに展開が生じることも多いです)まででは、何かあと一歩プロセスが進まないときの、小さな刺激剤的な提案としてなされるものに他なりません。

 フォーカシングの技法の発展史に詳しい若手研究者にきいたところ、このaskingの技法そのものが、ジェンドリンの教示体系の中では、一番最後の段階で付加されたものであるようです。

 つまり、そもそも、必要不可欠ではない。敢えて言えば、料理の最後にお好みでふりかけてみる香辛料程度のもの、つまり、食卓テーブルの上の「スパイス」です。

 しかし、「スパイスこそが料理の成否を決める」という人もいるでしょう(^^)

 そして、こうしたスパイスには何通りもお好みの品が取り揃えられているわけです。他の人がスパイスとしてあまり使わないものすら、フォーカシングの学習者やトレーナーごとに、色々工夫して、調合して、臨機応変に使い分けるストックがあっていいわけですね。

CM : 楽天市場「スパイス」関連商品

*****

 ジェンドリン自身が『フォーカシング』の中で、この「問いかける」の教示について詳しく説明しているのは、第9章「何もシフトしない時は」です(邦訳pp138-146)。この部分で例としてあげているものは、意外とそっけないまでのリストだったりします(^^;)

「これは何だろう、いったい全体?」(阿世賀訳:「ほんとのところ、それって何?」

「この核心は何か?」

「それが最悪だとどうなる?」(誤訳。「その(感じの)中の何が最悪なの?」)

「一番悩まされているのは、それらのうちのどの2,3点なのか?」

(↑【注】何ともこなれない訳である。
"What are the two or three things about it that trouble me the most?"
・・・・・私なりの意訳案:
「あなたにとって一番厄介だと感じている事柄をそこまで行き詰まらせているのは、実は、そのことと関係した、いくつかの一見些細な事柄かもしれません。そういうものがあるとすれば何でしょうか?」)

「それの下に何があるか? それは何をしているのか?(阿世賀訳:そこでは何が進行しているのか?)」

「 それについて何が起こったら私にとっていいのか?」

「いい気持ちになるにはどうなったらいいいのだろう?」

*****

 この教示を使う際に重要なのは、この問いを、リスナー/ガイドは、フォーカサーに、この質問に頭で考えて答えを返してもらうために発しているのではないということです。

 むしろ、フォーカサーが、自分のフェルトセンスに対して、こうした問いを投げかけてみて、しばらくそのまま佇(たたず)んでみることを提案しているに過ぎません。

 すると、最初は非常にかそけき形で、そしてしばらくするうちに思いもよらない方向へと、自分のフェルトセンスが変化しする場合もなります。

 それが2,3分以内に生じない場合には、あっさりとその問いかけは諦めてしまい、他の教示を試してみるか、あるいは、フェルトセンスと再び共にいる態勢に戻るくらいの、「ちょっとした試み」というセンスが肝心でしょう。

 フォーカサーの側から、

「何か、この後の私のプロセスを進めるために役に立ちそうな教示を、2,3提案していただけませんか」

などとヘルプを出されたタイミングで、いくつかメニューとして、控えめに提示する・・・みたいな関係性がすでに形成されている中で活用されるのが、一番成功率が高いようです。

 つまり、フォーカシングをどうすすめるかに関して、ガイド側にまだ依存している度合いが高いフォーカサーに安易にaskingの教示を提案すると、成功率が低く、仮に見かけ上そこでプロセスが動いたとしても、本当の意味でフォーカサーのプロセスに寄り添わないままとなり「セッションの場の中でだけのシフト体験」となり、フォーカサーの日常の体験過程のプロセスとしっくり溶け合わないというリバウンドを背負った、「早すぎた、突出しすぎのシフト体験」になることが多いというのが、トレーナーとしての私の反省でもあります。

 ですから、実は、askingの教示が重宝するのは、意外にも、セルフ・フォーカシングの場面であるということも、私の経験からいえます。

*****

 そして、この教示は、フォーカサー自身が、まだ自分でフェルトセンスとの相互作用(対話)を先に進めていこうとしている最中に、リスナー/ガイド側からの性急な介入としてなされるべきものではありません

 セッションの経過に、焦っている、せっかちになっている、不安になっているのは、フォーカサーなのか、むしろリスナー自身のほうなのか、ということをきちんと「感じ分けて」ください。

 リスナーの側が自分の中に「焦っている自分」を見出せれば、それを自分の中で「認めてあげて(acknowledging)」みるだけでも少し余裕が取り戻せるばかりか、驚くべきことに、リスナーの側がそうした内的作業を終えた直後に、まるでそうしたリスナー側の余裕感の回復が「空気伝染」するかのようにして、フォーカサーのプロセスが自然に無理なく動き出すこともごくありふれたことです。

 それでもなお、フォーカサーが自分と格闘して堂々巡りになっていと感じられ、ただそれをリスニングし続けるのは「何かが違う!!」というメッセージがリスナーの内側から響いて柄来るようなら、もはや教示の提案をあれこれ工夫するとかリスニングするといった態勢にのみこだわるのがもはやふさわしくはないのかもしれない。

「・・・・・ちょっといいですか?(などと断りを入れた上で)・・・・さっきから、自分の内側の感じと必死に格闘しておられるあなたの様子が伝わってきます。ただ、そのご様子を拝見していていて、そのことがおつらくなって来ているのではないかとも感じられてきました。もっとも、今のままであとしばらく自分なりに思う存分内側と関わっていろいろ試してみたいと言うお気持ちがあるのでしたら、喜んでおつきあいします」

などと、リスナー側が自分の気持ちを、アサーティブに率直に伝える方がいい場合もあるかと思います。

*****

 さて、さきほど例を並べましたが、askingの教示というのは、実はフォーカシング技法の中では、本には書かれていない無数のバリエーションがあり、フォーカシングを学ぶ一人ひとりが、自分にとってのお気に入りのasking教示のレパートリーを「道具箱」に蓄えておいていいものです。

 「ジェンドリンのこのasking教示の具体例を私は意味がそもそもわかんないし、うまく使えたことがない」

 としても、そのことは別に気にしなくてもいいことです。

 もとより私のように25年もやっていれば、普段は全く使わないaskingの教示が結構効いた!! という経験が出てきていて、そもそも本に書いてあるフォーカシングの教示で使ったことがないものはほとんどまるでないという事態に結果的になっています。

 しかし、私はそもそも、フォーカシングを学ぶ最初から、自分にとってその存在意味がピンと来ないフォーカシングの教示は全然使わず、使える教示だけ日常の中で使い込み、それだけではうまくいかなくなった時に、はじめて「頭では覚えていた」フォーカシングの教示を、苦し紛れに使ってみて、予想外に活路が開けるという経験の繰り返しのなかで、フォーカシングの技法の幅を広げてきた人間です。

 そして、そうした際に、教示や技法というものが、その場でふさわしい形に、柔軟にカスタマイズされていく必要性があることを身に染みています。

 そもそも、ガイドをはじめる際に、「いつも使っている、なじんでいるはずのやり方」ではじめようとして、身体が違和感を訴える場合には、もう、それだけで、恐らく、そのままでは、フォーカサーの援助になるガイディングをできる態勢にないと判断しています。

(そうした時にどうやって私が解決するのか・・・・というのは、企業秘密です^^; 最近やっと発見した「コロンブスの卵」ですが、これは私のもとにフォーカシングを学びにおいでの方だけにお明かししています)

*****

 私個人としてお勧めのaskingの教示は、

「その感じの下の方(beneath)に、もうひとつ別の感じの層が隠れていると仮定してみてください。そこらへんは、どんな感じでしょう?」

というものです。

 英語に詳しいフォーカシング学習者にこのことを伝えると、

「単に、『下にあるのは何?』といわれても、何ことなのかピンと来なかったと思う。でも"beneath"ならピンとくる!! "beneath"って前置詞そのものに、「・・・・に隠れて」「・・・・の裏に」みたいな含蓄があって、表面の皮みたいなものの下にあるものっていうニュアンスだから」

と言ってもらえました。

 その人にとって、それまで必死に関わろうとしていたフェルトセンスは、容易に名前もつかないし、その感じのそばに佇んでいることもなかなか難しい、でも、その人の人生の長い期間にわたってずっと暗々裏に感じ続けてい「いた」けれども、自分の存在のありようを根本的に不自由にしていた、文字通りの"background feeling"でした。

 そのフェルトセンスの"beneath"にその人が見出し、感じられた感じというのは、それまで直接その感じに触れて味わったことがない、たいへん新鮮なフェルトセンス体験で、実にあっさりと、大きな気づきの引き金になったようです。

アルク

*****

 ジェンドリンのaskingの教示集にある

「このことの核心(crux)は何?」

というのも、ピンと来にくく、フェルトセンスからではなくて、頭で考えたことを答えそうなものなのですが、これについては、私は、フォーカシングのガイドを学ぶ人に、時には、次のように説明してみています。

「私は、これを、曖昧で漠然とした広がりを持つフェルトセンスが、いわばゆで卵の白身黄身のような二層構造を持つと仮定してもらい、その中の黄身の部分の感じを感じ分けてもらう・・・・ぐらいのつもりのものだと理解しています。フェルトセンスを更に細やかに感じてみてもらうための刺激剤のバリエーションなんですね。だから、私は、

『その感じの奥の方に、その感じの源泉(あるいは泉の吹き出し口)のようなものがあると想像してみてはいかがでしょう? その源泉のあたりの感じはどんなものでしょうか?』

などという言い方で使ってみることがあります」

 ・・・・・この話を聴いていた学習者は、この話を聴いているさなかに、すでに、その時の自分の中のフェルトセンスの「源泉」をいきいきと新鮮に見出し、身体で感じていました(^^)

*****

 もうひとつ、これはジェンドリンの『フォーカシング』には書いてないけれども、実は私なりに、同じジェンドリンの『夢とフォーカシング』の「質問」項目からアレンジしたaskingの例。

「その感じそのものになってみるということもできるかもしれません。誤解なきように言いますけど、これはその感じに浸りきるということとは違います。あなたは、子供のための舞台演劇で、その感じのを、子供のために、大げさに誇張しながら、喜劇的に演じるつもりになるのです。これなら、どんな怪物でも、不快なものでも、その役になりきって感じてみるのは、あまり抵抗ないかもしれません」

 あるフォーカシング学習者が、

「もうすでに何日も『この』感じの相手をしてみたんですけど。その感じは絶対に私に口を聞いてくれないんです!! 一緒にいるだけで、私ももういやなんです!!」

と訴えた際、その人に上記の「感じになってみる」提案したら、その場でその人はやってみて、すんなりと次の展開が生じました(^^)

*****

 ・・・・・このように、カスタマイズが大事です!!

 あと、一般論として申し添えれば、フォーカサーとしての自分に試してみて、効き目がまだ実感できない教示を、ガイディングの際に使うと、そのわずかな「おぼつかなさ」はフォーカサーに伝染し、プロセスを停滞させると思ってください。

 「おぼつかない教示」でも、フォーカサーがそこから成果を上げられるとすれば、それはフォーカサー自身の力に助けてもらっているというだけのことです。

 もとより、いつも書きますように、およそこの世の中のカウンセラーに、クライエントさんからの感情移入と思いやりと忍耐によってはじめてカウンセリング関係が可能になっているわけではないほどにすばらしいカウンセラーは、実は存在しませんが(^^;)

*****

 なお、フォーカシング技法についてのウェブ上の入門としては、すでに定評をいただいている、私の

●フォーカシング入門

をご参照ください。

 これまで、まさにasking以降の部分が欠けていたのですが、この記事をもって、取りあえず補完したものとさせていただきます(^^)

ブログランキング・にほんブログ村へ
人気ブログランキングへ
携帯アクセス<br /><a href=ビジネスブログランキング
にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 心理カウンセリングへ
にほんブログ村 ニュースブログ ニュース批評へ 

2009/06/07

我が内なる藤原紀香との対話

 この記事では、敢えて、「楽屋ウラ」をさらす内容にします。その理由は後で書きますが・・・・

 こういちろうは今も模索している。我が故郷、久留米という地域に根ざしたカウンセラーになることを!!

 (繰り返すが、そうした地域活動の全貌をここでお書きすることが必ずしもプラスの意味にはならないばかりか、まるですべてを「営利的宣伝活動」のように誤解される火種になりかねないので、詳しいことについては触れないままにしておきますね)

 そうした中で、ある、意外性のある、面白そうな地域活動が新たに見つかったその日の、私の中に生じた困った反応。


 「うん、それ、似合ってるよ。かっこいいよ。やってみたら?」


と知人にも言ってもらえたのだが、何か私の腰が重い


 私の中の「内なる批評家」ならぬ「内なるプロデューサー・顧問軍団(^^;)」もまた、


「どうしたのさあ? こういう頃合いのが見つかるのを待っていたんじゃないの?」

「君は『出戻り』の久留米市民(^^;)なんだからさあ、地域とのダイレクトなパイプに乏しいわけだし、自分からそれを探さないと」

「ネット全国区の活動として、鬱の患者さんの医療との関わりについて、ネット上でどれだけ力説してもさあ、そのカウンセラーが福岡県の久留米なんていう日本の辺境(おいおいcoldsweats02)にしかいないと気がついた時点で、10人の読者のうち9人がため息をついてしまうよ。だから活動には地域とのとバランスがやはり大事なわけ」

 
・・・・・などと、次から次へと「好意的なアドバイス」を雨あられと降り注がせるのである!!


*****


 後になってみると、どうしてもっと早くあのことに取り掛からなかったのか? と反省したくなる事柄が山のようにあるのが普通の人間であろう。

 フォーカシングでは、その人固有の体験過程のステップというものを大事にする。もしあることを進めていくことについてフェルトセンスが肯定的な身体感覚を返してくれない場合には、何か体験過程のステップの途中を「飛ばして(skipして)」、無理に前に進もうとしている時であり、少しだけでもそのフェルトセンスからの違和の声に耳を澄ますと、そこまでで自覚的に気がついてもおらす、十分な対応をしていなかった、本当はその段階でまずは必要な、先に解決すべき課題が見えてくることも少なくない。それは、そこまで気づいてしまえば、むしろ客観的な問題解決の戦略としてみても、「装備の充実」の上で効果的な戦略の発見につながることも少なくないのである。


*****


 さて、この時の私が、ちょっと時間を取って、内側の違和感にしばらく耳を澄まして返ってきた返答は、何とも身もふたもない一言だった。 


「だって、・・・・・やだもん!!


 ・・・・・な、何という不謹慎なことをいうのだ!!

 しかし、そもそも私は、現実の対人関係の中で、何かの誘いに逡巡する際に、ここまでストレートで端的かつ理屈抜きに、嫌な気持ちを相手に伝えたことはないことに気がついた。

(このブログの記事の私の書きぶりからもご想像いただけるように、私はとかく理屈をつけずにいられない人間なのでcoldsweats01

 何か新鮮ですらあったのだ。私の中に、こういう、理屈抜きに何かを嫌がり、表明したい部分が確かにあるということに。

 そこで、その新鮮さをまずは身体に響かせてゆったりと味わうことにした。


*****


 すると、その「やだもん!」の声の主が、私のイメージの中であっさりと実体化した!!


 ・・・・・藤原紀香である。


 しかもそれは、現在放映中のドラマ、「ツレがうつになりまして。」の中に登場する、不器用でグータラで、何かというとホゲーっとテレビを見ていることが多かった、化粧の薄い、あの藤原紀香なのであるcoldsweats02


 (どうして嫌なの?)

・・・・・と、その「ツレうつ版」紀香に問いかけてみる。

すると、「彼女」は、しばらく、「gawkうーーーーーんtyphoon」と考え込んだ挙句、突然大きく目を開けて答えたのだ!!


flairご褒美が欲しいのheart!!」


・・・・・は?


「ご褒美。そうなの、ご褒美。・・・・・別に収入になることじゃないとやりたくないとか、そんな意味じゃないの。ご褒美なのよheart04 。私だってこれだけ(漫画描いて)好きなことで頑張って来たの!! だ・か・ら、そのことを受け入れて、ほめてくれて、認めて、形にして欲しいってことなのよんheart04

(以上、藤原紀香口調で読むように)


*****


(・・・・・よ、要するに、現金でなくていいんだな?)


「そうね。好きなことでなければ、現金もらえてもイマイチつらいかもね」


(わかった。「ご褒美がある」形での活動というのを、現実的にどう実現していくかは次の課題でいいか?)


「いいよぉokheart04・・・・・でも、何かとりあえずのご褒美、ちょうだいheart01


(わかったsweat01・・・・取りあえず「応急処置」はするdash


 ・・・・・こうして。

 こういちろうは、その日のスーパーの買い物で迷った挙句、冷凍食品の、たこ焼き48個入りお徳用パックで手を打ったのであった(^^;)


 大丈夫である。紀香、もとい、こういちろうは、何かというと自転車で数キロ移動することを苦にしないことが板についた結果、相変わらす久留米ラーメンを週2回は食べているにも関わらす、2週間前よりもさらに体重2キロダイエットに成功。20年来未曾有の領域に突き進みつつある。


******


 私がここで、自らのずぼらさをさらすのを承知で、フォーカシングを学ぶ皆様にお伝えしたかったのは、「フェルトセンスからはっきりと返事をもらえる」とはどういうことかについて、予想外に実体験の上では曖昧な学習者が少なくな現実を感じているからである。

 そういう人に欠けているのは何か?

1.フェルトセンスからの返答が、もう、自分で聴いていてもあきれるくらいの「じょーもないcoldsweats01」次元でのもの(として少なくともはじまるもの)であることが少なくないことに気がついていないのでは? もっと、まじめくさった、いかにもセラピー的に見て「カッコいい」、「癒しにあふれた」そういう返事が自分の中から生じてくることだけを待ち望んでいませんか? 普段使いのフォーカシングとは、もっとぐーっと庶民感覚あふれる、ホンネ次元むき出しなものなのです。人に体験談として話しても全然カッコよくないような中身の(^^;)

2.そもそも、ここで私が体験した、「やだもん!!」「ご褒美が欲しい」というフェルトセンスからの返答に感じた「驚き」「新鮮さ」を共有できるようなセンスをお持ちの方がリスナーやガイドをしていないと、フォーカサーの中にこうしたフェルトセンスとの縦横無尽な内的関係性も喚起されない気がします。リスナーやガイドの訓練を受けている、あるいは自分で技を磨いている皆さん。皆さんは、フォーカシングに、変な意味でまじめすぎるのではないかと、ちょっと振り返ってご覧になるのはいかがでしょうか?


ブログランキング・にほんブログ村へ
人気ブログランキングへ
ビジネスブログランキング
にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 心理カウンセリングへ
にほんブログ村 ニュースブログ ニュース批評へ 

 

2009/05/23

豚骨ラーメンちょっちゅう食べても脱メタボ・減量できる?

 本日、これからまだ外に出てひとつやることがあるこういちろうですが、今日久々に体重計に乗ってみる機会がありました。

 少なくとも過去20年で一番低い数値でした(^^)

 もうちちょっとで、夢の「王台割れ」に到達ですが(何十キロ台かは秘密)

 昨日の学会で久々に会った知り合いからも、「ずいぶんスマートになられましたね」とのお言葉を頂き(^^)

 この数ヶ月、久留米の豚骨ラーメンにはまっていて、それ以外を含めて、以前よりも脂っこいものが好きになっているにもかかわらず、私のいろんな検査数値の中で唯一イエローだった血中中性脂肪濃度もイエローを脱して、メタボ体質から遠ざかりつつあります。

●ラーメンカロリー算出表

↑のはずで(しかも大砲ラーメンの昔ラーメンのひいきで、いつも替え玉せずにいられないの)ですがcoldsweats01

 大船時代と違い、職場オフィスと自宅が同じになったにもかかわらず、更には自炊のままなのに、外出頻度は遥かに増加、自転車でちょっしゅう、久留米の郊外、ゆめタウンより向こうの東合川の量販店街まで飛ばしていることも大きいでしょう。

 もう少し資金的余裕ができたらコアリズムに挑むという噂もある???


Selfportrait090509
↑2週間前の近影

 
ブログランキング・にほんブログ村へ
人気ブログランキングへ
ビジネスブログランキング
にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 心理カウンセリングへ
にほんブログ村 ニュースブログ ニュース批評へ 

2009/05/10

Centre for Evidence-Based Ramenology in Kurume University

 またもや、てんかん国際シンポジウムの2日めの紹介に入る前に、この会議場のロビーに掲載されていた、スペシャル・ポスター・プレゼンテーションの方をご紹介しておきます。

 なお、この「センター」の所長は、今回のシンポジウムの準備委員長の、松石豊次郎教授、その人です(^^)


 敢えて、クリックしたら、リサイズしていない、文字がしっかり全文読める、高解像度の写真が表示されるようにしました。

 どうか、「画像を保存」した上で、irfanview等の、軽快な画像閲覧ソフトで「オリジナルサイズ表示」にして、全文をじっくりとお楽しみください(^^)

Image520
Image521
Image522_2

ブログランキング・にほんブログ村へ
人気ブログランキングへ
ビジネスブログランキング
にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 心理カウンセリングへ
にほんブログ村 ニュースブログ ニュース批評へ


 

2009/04/25

久留米市寺町界隈のつつじ、そして高山彦九郎の生涯

 久留米の旬のつつじシリーズ第3弾です(実は前の回の写真もすでに増えてますよ)。

 今回は、今朝散歩してきた、久留米市寺町界隈です。私の家から徒歩5分ぐらい。

 この土地には、江戸時代から、城下町のお寺さんが集められていました。そういう古くからの風情が比較的残っていて、この季節から秋にかけての週末には、結構ハイカーの人たちで賑わいます。

 西鉄久留米駅西口から北上、蛍川通りとクロスする交差点から、今回の写真集を始めましょう(次第に私の家に近づく方向になります):


大きな地図で見る

 まずは、蛍川通りとの交差点から寺町通りにほんの少し入ったところにある、何ともさりげない、中華チマキと肉まんのお店、知味斉をご紹介。

K3100097
 ご覧のように、何ともささやかな間口と面積の店舗なんですが、土曜日の朝9時半の段階で、お客さんこそ私一人でしたが、お店の中では次々とせいろでチマキや豚まんを蒸していく活気が感じられ、昼ごろにはかなりのお客さんが立ち寄られるのだろうなというのが伝わりました。

 「知味斉(ちみさい)」という名のお店は、実は中華家のお店としては全国に散在しています。ある意味では中華系ではありがちな名前に属するみたい。「知味」という字を書く大きなチェーンもありますが、ここでご紹介するのは、久留米ラーメンの老舗、西鉄花畑駅近くにあった同名の店に由来する、全国にも名前が知れ渡り、遠方からおいでの方も多い(ウェブサイトの掲示板をご覧になるとわかります)、知る人ぞ知る老舗です。

Chimisaimap2お店のチラシ

 私は10年近く横浜近郊に住んでいましたので、中華街の肉まんの名店はいくつか知っていますが、そういう場所のに比べると、肉まんはややあっさりめ、そう、ベトナム料理の生春巻きをどこか連想させるあっさり感がある気がします。西鉄久留米駅から徒歩5分でたどり着けますが、時間がない方は十分に場所の下調べをしておいてください。東西を走る蛍川通りから来る人にも目に入りやすいのぼりを立てていますので、そののばり目印にするといいかもしれませんね。

 ちなみに「売り切れ御免」のお店ですので、その点もご注意ください。


*****


K3100114
↑この店の辺りから北に向けての、両側にお寺が軒を並べる、あまり広くはない通りが寺町です。

K3100098
 週末、土曜日の朝ということもあってか、通りにこうしたのぼりを次々に立てていく、町内会有志の皆様(?)がおられました。


*****


 さて、そうやっていくつかのお寺を左右に見ながら北上していくと、徒歩2,3分で、久留米を代表する寺院のひとつ、庭園で有名な遍照院にたどり着きます。

●遍照院(㈱サンセレモ 寺社探索)

K3100099

 1622年の開山だから、筑後国久留米藩21万石の城下町でも、江戸時代初期、大坂の陣で戦功があった藩祖有馬豊氏が丹波国福知山から転封されて来て2年後に遡り得る古いお寺に属するが、このお寺を有名にしているのは、「寛政の三奇人」のひとりといわれた高山彦九郎の墓(国指定史跡)があるからである。

 高山彦九郎といっても、かなりの日本史ファンでも今では思い浮かばないかもしれない。しかし、京都の京阪三条駅前=三条大橋のたもとで土下座のようなことをしている銅像」がその人、とまで説明すると、思い出してくださる人も結構あるかな?

Takayama_hikokuro_statue
↑この銅像を、京都観光の際に観た人は結構多いと思います(^^)

 戦前の国定教科書では、吉田松陰の先駆者、つまり、ペリー来航よりかなり以前、外国船が日本沿海にそこそこ出没しはじめたばかりの頃の、尊王・謹王運動の初期、日本中を説いて回った「伝道者」のような存在として、この三条大橋からの皇居望拝のエピソードが描かれ、戦争終結までの数十年に関しては、日本でこの名前を知らない人は珍しかったくらいの「偉人」あつかいだったとのこと。

●頼山陽 高山彥九郎傳現代語訳(日本漢文の世界)

 しかし、次第にそうした活動に、この段階では朝廷をあくまでも幕府の管理下に置こうとしていた、未だ強大な幕府からの締め付けが加わるようになり、久留米の地に生涯3回目に立ち寄った際に、自刃して果てた。

K3100113
↑私が幼稚園の頃から、通園途中にその前を通り過ぎる際に、言い様のない怖さがふと兆す瞬間があった、市指定史跡「高山彦九郎終焉の地」(遍照院から北東400m)の写真。

 彦九郎がその終焉の地を久留米に選んだのは、その頃の久留米には、少し時代を下ると、水天宮総本宮の神官にして、京都蛤御門の変の長州藩の実質的総大将になった真木和泉守など、その後の尊王の志士の重要な活動舞台となるだけの土壌があったことと関連することだけは間違いない。時の有馬家藩主が将軍から嫁を迎えるという事態がなかったならば、久留米は薩長土肥と並ぶ倒幕と明治維新の「5番目の」立役者になったことはほぼ間違いないと歴史家は語る。

 彼は一種の扇動的デマゴーグだったともいえる。幼少時から周囲からのひどい扱いに耐え忍び、「太平記」を読んで感銘を受け、勤皇の遊説士となったいきさつには、周囲に流されずに孤高と保ち、彼なりの理想に生きる、強烈な分裂気質パーソナリティを感じさせる。

 頼山陽が書き残したように、大名をはじめとする自分よりも身分が上の者にも、礼節を貫きつつも媚びへつらわず、一度心を許した知り合いには心を開き、深く交わる対人関係様式、更には、どうして突如自分の腹に刀を突き立てたのか、イマイチ理解不能な振る舞いなども、分裂気質パーソナリティの特性を見事に描き出している生々しさがある。

 頼山陽の父は江戸や京都・大阪のあちこちで繰り返して彦九郎の遊説活動に接し、頼山陽は幼少時に繰り返し父からその時の体験談を聞かされていたということなので、彼の証言は、伝記としては、伝承に塗(まみ)れる以前の「リアル彦九郎」のプレゼンス(存在感)を、実に生き生きと伝えた、準一級史料といえると思われます。

K3100102
↑これが明治になって立てられた、境内の銅像です。

K3100103
↑建物の奥の真ん中に小さく見えるのがお墓です。

 さて、ここに付属している庭園は、実際には戦後に整備されたもの。

K3100100
↑案内板

K3100104
K3100105
K3100106
K3100107
K3100109

 百年公園の品種よりも、少し渋めの花の色なのも、歴史のなせる技でしょう(^^)


*****


K3100110_3
 ↑自宅近くまで帰り着いた時に見つけた、石垣の間に慎ましやかに咲いていた、いかにも野生のすみれの花。

 何か、私のカウンセリングルームのポリシーを象徴してくれるようなので、公式サイトのトップページの下段にも掲示することにしました(^^)


人気ブログランキングへ
ビジネスブログランキング
にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 心理カウンセリングへ
にほんブログ村
にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ
にほんブログ村
にほんブログ村 ニュースブログ ニュース批評へ
にほんブログ村 


より以前の記事一覧

コメント・トラックバックについて

  • このブログのコメントやトラックは、スパム防止および個人情報保護の観点から認証制をとらせていただいております。これらの認証基準はかなり緩やかなものにしています。自分のブログの記事とどこかで関係あるとお感じでしたら、どうかお気軽にトラックバックください。ただし、単にアフリエイトリンク(成人向けサイトへのリンクがあると無条件で非承認)ばかりが目立つRSSリンク集のようなサイトの場合、そのポリシーにかなりの独自性が認められない場合にはお断りすることが多いことを、どうかご容赦ください。

最近のコメント

はてなブックマーク


最近のトラックバック

last.fm


フォーカシングの本1

フォーカシングの本2

フォト
2012年1月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        
無料ブログはココログ

banner

  • 携帯アクセス解析
  • Google Sitemaps用XML自動生成ツール
  • Firefox3 Meter
  • ブログランキング・にほんブログ村へ

ブログパーツたち

  • track feed カウンセラーこういちろうの雑記帳
  • アクセス状況
    アクセス解析

カテゴリー