ウェブログ・ココログ関連

2012/01/08

この1ヶ月の人気記事ベスト30 (11/12/12 - 12/1/10)

 実に久々ですが、この30日間の人気記事ベスト30を集計してみます。

 「毎週のベスト10」は右フレームに自動集計されて表示されています(前日までの7日間とカスタマイズしています)。

 以下の統計は、PCサイト版へのアクセスにのみ基づき作成されています。

 アクセス数が同じ場合には、訪問者実数上位の記事を上位とし,訪問者実数も同じ場合にのみ、同じ順位として掲載します。

 なお、私自身のアクセスには、フィルターがかかり、カウントされない仕様になっています。

 30日×24時間、つまり今回は、1/11日(土)24:00の時点での集計です。

●この1ヶ月間総アクセス数(TA)、17,459アクセス
 1日平均アクセス581.97名様。

●訪問者実数(UA)は、15,065名様
 1日平均502.17名様

*****

・・・それでは記事別ランキングの方の発表!!

****

1.今年の年賀状の文面です。(2010年版)[1,307名様/1,400アクセス]

2.エージング効果は抜群だけど、アンプやスピーカー、ヘッドフォン壊れても自己責任!!でお願いしたい方法 [1,090名様/1,287アクセス]

3.NHK「ためしてガッテン」、-「うつ病よサラバ!脳が変わる最新治療」- [941名様/1,060アクセス]

4.Google Chromeで、繰り返して「表示するのにプラグインの追加が必要なコンテンツがあります」と表示される現象、解決済み

5.インシュレーターは使わないに越したことはない(第4版)

6.パソコンの不要ファイル処理対策((Windows7ユーザ向け)

7.私の今年の年賀状の文面です(2012年版)

8.ストックホルム症候群 -水樹奈々 自伝「深愛」について-

9.オーディオにおける接点復活剤について(第3版)

10.周囲の人は双極性障害2型の人の「気遣い」にどれだけ助けられているかに気がつかない・・・・内海健 著「うつ病新時代 -双極性II型障害という病-」 書評 (第2回)

11.双極性2型障害は、旧来の「躁うつ病」とは全く異なる疾患である・・・・内海健 著「うつ病新時代 -双極性II型障害という病-」 書評 (第3回)

12.「ケーススーパーバイズ」とは何だろう ~入門編~

13.Logicool Vidの画質はSkypeやLiveメッセンジャーを大幅に上回る。(第3版)

14.Skype等での音質改善におけるUSBオーディオ変換アダプターの効果

15.バウムテストにおける「診断」とフォーカシング(1)

16.Vistaで、Windows版iTunesのインストールやアップグレードができない人のためのヒント(第2版)

17.SkypeやWindows Live Messengerの使い方の勘所は、「自動調整」を外すこと。

18.欝とは、自分が無理をしていることを認識できなくなる時期にすでに始まっている

19.経歴・ポリシー・趣味など、詳しいプロフィール

20.研究業績

21.故郷を求めて -NHKスペシャル:「虐待カウンセリング 柳美里 500日の記録」-

22.抗うつ薬で眠くなるのは「副作用」? -そもそも「副作用」という概念をどうとらえるか-

23.「未熟型うつ病」とは何なのか? -福岡県精神保健福祉冬期講座に参加して(2)-

24.初夢

25.劇場版「とある飛空士への追憶」を全く白紙の状態から観ての感想 (第2版 原作読了後の感想つき)

26.iPod Shuffleの音質あなどるなかれ(第2版)

27.ドナ・ウィリアムズ著「自閉症だったわたしへ」を読み始めて。

28.私を指導者とするフォーカシング・トレーナー国際資格認定内規(改訂版)

29.成功したキャリアある開業カウンセラーはひとりでどのくらい稼げているか?

30.水樹奈々という「現象」

****>

 当ブログの通算アクセス数は、1/11 1:18現在、全体で885,133 です。

通算記事数は、この記事で2,154本めです。

今後とも、「カウンセラーこういちろうの雑記帳」を、よろしくお願い申し上げます。

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2012/01/01

久々に「なかのひと」統計公開!

お正月でもありますので、久々に「なかのひと」サイトでの当ブログの状況を掲載しましょう。

Ws000001


Ws000000

あくまでも「推計」ですが、私のサイトは昔から、想定外なくらいに、女性読者が多いという点では変化がないのでありまする(^^;)

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2011/10/31

Google Chromeで、繰り返して「表示するのにプラグインの追加が必要なコンテンツがあります」と表示される現象、解決済み(11/11/10追記)

Google Chromeは、ブラウザを自動的にアップデートしてくれるわけですが、11/27あたりから、ページを移動する度毎に、右上隅に、繰り返して、「表示するのにプラグインの追加が必要なコンテンツがあります」と表示される状態になっていました。

↓以下のような表示(当ブログの表示幅に合わせて若干縮小)。

Ws000002

わずらわしかったので検索したところ、まずはChromeのヘルプフォーラムでも、この問題が話題となっており、とりあえすの解決策として、

●GoogleChromeの「表示するのにプラグインの追加が必要なコンテンツがあります」をやっと消せた!(by けんちゃんのブログ)

が紹介されていました。

=====以下引用========

工具のアイコン(GoogleChromeの設定)をクリック

[オプション]をクリック

画面左の[拡張機能]をクリック

拡張機能の
「Skype Click to Call」
「有効にする」のチェックボタンをはずして
「無効にする」

=====引用終わり======

 ↓クリックすれば拡大されます(本ページに戻るには「←」ボタンを使用)。

Ws000003


つまり、現状で、SkypeのプラグインとChromeの間に何らかの相性上の何らかの不都合があるようです。

【追記 11/11/10】:

この不都合、プラグイン、The Skype to Callオートアップデートで解消されるようになったようです。 

上記のやり方でこの拡張機能をオフにされていた方は、オンに戻して通常画面に戻るだけで、自動的にアップデートインストールのウィザードが開き、手順どおりに進めれば、

Ws000000

が表示されるかと思います。

ここ数日、このプラグインの更新がなされているかどうかのチェックをしていませんでしたので、お知らせ遅れて、お読みの方に余計な混乱をおかけしていなければ幸いと思いますが。

このSkypeプラグイン側の更新で、この記事当初に述べたChromeでの各ページ表示上の問題は確かに解決しているようです。

******

私も、Firefox党から、Chromeへとかなりシフトしてきています。

ただ、Chromeを使うと、ココログ記事作成時の、html直接手打ち画面とWYSIWYG編集(見たまま編集)のタブ切り替えが効かなくなって、html直接編集画面しかなくなってしまうので、今でも両ブラウザを使い分けています。

(追記:最後に述べた問題は、ChromeだけではなくSafariでも生じ、ことココログに限らず、WYSIWYG編集可能なブログエディタでは共通して生じる現象のようです)

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2011/10/18

1つだけ魔法を使えるなら、どれがいい?

ブログネタ: 1つだけ魔法を使えるなら、どれがいい?参加数

おいおい、ローソンばかりか、ココログのブログネタまで「まどか☆マギカ」に便乗するとは、わけがわからないよ。

「僕と契約して、ニフティコロログの有料会員になってよ」・・・てか?

その意味では、すでに設立して7年め(・・・かな?)、プログを乗り換えることなく、同じ場所に居座ってる私は、とっくにソウルジェムを抜き取られているのでごさいます(^^)

******

答えは、(用意された選択肢にあったのだけれど)、「病気や怪我を治癒する力」でしょうね。

つまり「安定のさやか」系なわけだが。

それは、臨床家としての職業柄・立場上でもあるが、もう50になった自分の健康、そして、78歳と88歳で今のところ矍鑠(かくしゃく)としている両親への思いを込めて。

まだ

 ・していただいたこと

ばかりで、

 ・して返したこと

はなくて、
   

 ・迷惑をかけたこと

ばかりで、何の恩返しもできていない不肖の息子である(以上、内観法)。

*****

・・・というわけで、もうひとつ、私のお気に入りの、非常に凝った「まどマギMAD」をYouTubeから貼りつけておこう。

・・・これ、元ネタの歌が何という誰の曲か、調べてもわからない。

誰か教えてくれませんか?

【追伸】Twitterでご教授いただきました。曲名 ”fortissimo-the ultimate crisis-”、歌っているのは、”fripSid”というグループ(?)、「fortissimo//Akkord:Bsusvier」という18禁PCゲームのための曲のようです。

(実は、18禁ゲームのための曲というのが、いわゆるアニソンの世界で、一番制約がなく、最先端を行く曲が作られる傾向があります。水樹奈々の「深愛」も、「WHITE ALBUM」という、その筋では大変有名な18禁ゲームのための曲なのです)

*****

↑この本への私のAMAZON書評も引用:

============

私は「まどマギ」の公式ガイドブックも読んでいない人間だが、本書はその公式本も資料として取り扱いながらも、作品に盛り込まれた設定や、海外での反響、二次創作の世界すら含む「まどマギ現象」について様々な視点からうまくまとめていると思う。

こ の種の本は、自分なりの作品見解に引きつけた、我田引水の「評論」になりがちで、まどマギファンからすれば「偉い人が、難解な、もっともそうなこと言ってるけど、それって思い込みでしょ? 何かズレてるよな」と首をかしげたくなる場合がある。しかし、本書は敢えて「独自の考察」を盛り込もうとほとんどしておらず、「情報整理」に徹していて、わかりやすい図表も使われている。

そうした中、従来の「魔法少女もの」「ループもの」「虚淵作品」と比較してどういう位置に「まどマギ」があるのかについて丁寧に整理しているのは見逃せない。SFやゲームや古いアニメを知らない人にも大変親切な構成となっている。

終わりの方の色ずりページの魔女図鑑だけは、魔女たちが魔女にある前はどんな女性(?)だったかについて、イラストを含めて想像を膨らませた内容だが、これはこれで愉しめた。

全体として、ネットとかで、まどマギ関係の情報をしらみつぶしに読んできた人にとっては必ずしも新味はないかもしれないが、多角的に情報を吟味している(今年の夏までの情報を含む)という意味で良書だと思う。

========引用終わり========

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2010/11/25

「1カ所限定『どこでもドア』、行き先はどこにする?」

ブログネタ: 1カ所限定「どこでもドア」、行き先はどこにする?参加数拍手

 今回のお題への私の答えは、「東京駅丸の内口」でしょうかね。

 30年も関東に住みましたが、ひとつ思い入れのある場所を思い浮かべようとすると、こうなってしまう。八王子と横浜と鎌倉に住んでいたんですけど、ひとつには、月一度ぐらいの非常勤の勤務先が九段下でして、神奈川県在住時代に、横須賀線か東海道線で東京駅に出て、東西線の大手町駅まで丸の内口から地上を数百メートル歩いていた印象が強いからかもしれない。

 あと、有楽町駅との間にある「東京国際フォーラム」が、学会とかの行事が頻繁にある場所だったことも大きいかもしれない。

 八王子時代は新宿に出向くこと多かったですけど、鎌倉・大船時代は新宿とは縁遠くなって滅多に行かなくなっていたし。

 今は、倹約して生活すれば時間だけは有り余っている。

 ですから、関東への「恋しさ」の象徴は「東京駅」ということで。

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2010/11/12

人を見て、「これだけはしないでおこう」と思ったことは何?

ブログネタ: 人を見て、「これだけはしないでおこう」と思ったことは何?参加数拍手

  1.  単なる二次情報の受け売り。
  2.  周囲の様子ばかりをうかがって、「大人しく」ふるまう「だけ」になること。

  「独創性」というのは、コンテンツ(内容)」の次元では幻想なのかみしれません。

 でも自分の内側の曖昧な実感(フェルトセンス)から生き生きと紡ぎ出される、過程進行中(In Prosess)で自己駆進的(self propelling)な体験過程様式の中で生まれてきた言葉なら他人様に対して説得力のある表現になるはずです。

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2009/12/25

この30日間の人気記事ベスト50(年末特別編)

 歳末で一区切りですし、前の記事でも書いたように、ココログの仕様変更に伴い、古い記事へのアクセス率が停滞しているのではと考え、久々に、しかも今回に限定して「ベスト50」を表示しましょう。

 ところが蓋を明けてみたら、ココログの「カテゴリーバックナンバー」仕様変更は、結果的に新しい記事へと読者の皆様を誘導し続ける効果があったようで、これまでにない「斬新な」ランキングになりました。

 私がこの2ヶ月ほどの間に精魂込めて書いた「新作群」を読者の皆様に再確認していただけることにもなるでしょう。

 ・・・・我ながら、よくこのクオリティが維持できたと思います(^^)

 「毎週のベスト10」は右フレームに自動集計されて表示されています(前日までの7日間とカスタマイズしています)ので、今後はそちらもご参照くだされば幸いです(^^)

 以下の統計は、ココログPCサイト版3サイトへのアクセスにのみ基づき作成されています。

****

 個別記事エントリーだけではなく各ブログの「トップページ」「カテゴリーインデックス」「毎月のバックアップのインデックス」および全体の「プロフィール」ページも集計の対象にしています

 アクセス数が同じ場合には、訪問者実数上位の記事を上位とし,訪問者実数も同じ場合にのみ、同じ順位として掲載します。

 30×24時間、つまり今回は、12/24日(土)24:00の時点での集計です。

*****

●この1ヶ月間のPCサイト総アクセス数(TA)、延べ10,303アクセス
 1日平均343.43アクセス
(参考:携帯サイトは延べ5,918アクセス。一日平均197.27アクセス)

 訪問者実数(UA)は、7,888名様
 1日平均262.93名様

●PC全サイト総合での「一限さんでない率(リピーター率) 8.5%
 「毎日必ず」おいでになる「完璧常連様」は、7名様 0.2% 

 最低週一度おいでになる「常連様」は、194名様 25.3%(・・・・この数値が以前のせいぜい数十名様から3倍増しています。それだけ固定読者の皆様がついて来て下さっているということで、もう、感激です!!) 

 ・・・・・それでは記事別ランキングの方の発表!!

****

1.【雑記帳】トップページ 

2.【雑記帳】欝とは、自分が無理をしていることを認識できなくなる時期にすでに始まっている

3.【開業サイト】トップページ

4.【雑記帳】経歴・ポリシー・趣味など

5.【雑記帳】オーディオにおける接点復活剤について

6.【雑記帳】NHKクローズアップ現代「自殺と“闘う”~イギリスの国家戦略~」

7.【雑記帳】私のピュアオーディオシステム(そこに更にiPodをどう繋ぐか)

8.【雑記帳】Logicool Vidの画質はSkypeやLiveメッセンジャーを大幅に上回る。ただし・・・・

9.【雑記帳】私のスーパーバイズ ~実践編~

10.【雑記帳】「現実」と「理想」という二項対立そのものが無意味である。

11.【雑記帳】NHK「ためしてガッテン」、-「うつ病よサラバ!脳が変わる最新治療」-

12.【開業サイト】プロフィール・経歴

13.【開業サイト】陸上の為末さんの「5%理論」

14.【雑記帳】「ケーススーパーバイズ」とは何だろう ~入門編~

15.【開業サイト】「久留米でフォーカシングを学ぶ会」カテゴリーバックナンバー

16.【開業サイト】双極性障害(躁うつ病)と単なるうつ病とでは薬の処方が全く異なる  -NHKスペシャル 「うつ病治療 常識が変わる」への感想(2)-

17.【雑記帳】「未熟型うつ病」とは何なのか? -福岡県精神保健福祉冬期講座に参加して(2)-

18.【雑記帳】派遣労働者は企業メンタルヘルスや産業カウンセリングの蚊帳の外? -福岡県精神保健福祉冬期講座に参加して(1)-

19.【雑記帳】村上龍曰く、「草食系」どころか「死人」?!

20.【雑記帳】新人類世代の絶対的自己肯定ドラマとしての「超時空要塞マクロス」

21.【雑記帳】浜崎あゆみの"Duty"とMadonnaの"American Life"

22.【開業サイト】理解の核心は、「論理的な」理解ではない。

23.【雑記帳】「過保護」という概念は安易に使われすぎていまいか?

24.【雑記帳】SkypeやWindows Live Messengerの使い方の勘所は、「自動調整」を外すこと。

25.【開業サイト】「久留米でフォーカシングを学ぶ会」(09/12/06更新)

25.【雑記帳】私がフォーカシングのワークショップで使っているパワーポイントファイルを公開します。

27.【雑記帳】NHKスペシャル「魔性の難問 -リーマン予想 天才たちの戦い-」

28.【雑記帳】田嶌誠一 著 「現実に介入しつつ心に関わる」

29.【開業サイト】最新記事表示

29.【雑記帳】現代日本の諸悪の根源は、すべて「あなた自身」のせいであると発想してみよう

31.【雑記帳】私のパソコンの不要ファイル処理と高速化関連の工夫(XP愛用者向け)

32.【雑記帳】帆船のように航海するか? スクリュー船のように航海できるのか?

33.【雑記帳】iPodの同期、デフラグやチェックディスクのこと。

34.【雑記帳】「うる星やつら」TVシリーズ メガネの独白

35.【雑記帳】「フォーカシング事始め」(村瀬孝雄・日笠摩子・近田輝行・阿世賀浩一郎 共著)

36.【開業サイト】私のポリシー

37.【雑記帳】「甘え」と「KY」-土居健郎先生ご逝去に寄せて- 

38.【雑記帳】書評 : 鎌田實 著 「言葉で治療する」

39.【雑記帳】浜崎あゆみの"SURREAL"

40.【雑記帳】独立開業を目指します

41.【雑記帳】「乱造される心の病」は英文学者ではあっても、結局医学や心理のアマチュアの書いた、トンデモ本スレスレ水準だと思う。

42.【雑記帳】「神田橋條治」カテゴリーバックナンバー

43.【雑記帳】「うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー」の音楽集

44.【雑記帳】ついに20歳以降最も軽量にまでダイエット成功!!

45.【雑記帳】呪縛からの解放 -浜崎あゆみの"NEVER EVER"によせて-

46.【雑記帳】カウンセラーは勉強すればするほどダメになる? -田嶌誠一 著 「現実に介入しつつ心に関わる」への感想 追補1-

47.【雑記帳】浜崎あゆみの"Connected"のPVってアニメなんですよ。

48.【開業サイト】著作・研究・学会発表

49.【開業サイト】「総合案内」カテゴリー

49.【雑記帳】やさしさに包まれたなら -「魔女の宅急便」とバリントのフィロバティズム-

51.【雑記帳】双極性2型障害は、旧来の「躁うつ病」とは全く異なる疾患である・・・・内海健 著「うつ病新時代 -双極性II型障害という病-」 書評 (第3回)

****

 私の@niftyココログPCサイト全体の通算アクセス数は、12/25 22:24現在、全体で641,607アクセスです。

 【雑記帳】通算記事数は、この記事で2,037本めです。

 【開業サイト】通算記事数は、193本です。

 今後とも、「カウンセラーこういちろうの雑記帳」および「久留米フォーカシング・カウンセリングルーム」公式サイトを、よろしくお願い申し上げます。

*****

 BGMは、ちょっと懐かしいところで、往年のOVAの傑作、「ガルフォース」の名エンディングでもある、小比類巻かほるの「両手いっぱいのジョニー」

●両手いっぱいのジョニー/小比類巻かほる【GALLFOECE ETERNAL STORY MIX】

ガルフォース エターナル・ストーリー [DVD]

小比類巻かほる/No Problem

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2009/11/28

通算2000記事を迎えて

 実は仮眠のつもりが予想外に爆睡して、こんな時間(1:15頃)に「目が覚めて」しまったのですが(^^;)。この際だから書いちゃおう。

 正確にはこの記事が2001番目ですね。おととい頃、2000番め記念は、私が最も敬愛する「精神療法」の著作というべきバリントのあの本にすることに決めていました。

 私がこのブログを始めたのは、2004年の12月19日でした。ですから、4年11ヶ月と23日(途中2回閏年があったから、366×2+365x3-23=1804日経っていることになるわけで(・・・・こういう単純な計算でポカしやすい私だから、ホントこれでいいんだよな・・・・)、1日平均1.11記事ということになる。2ヶ月ぐらいまるっきりブランクがあった時期も2,3回あるので、実際にはもっと一日あたりの平均値は多い。

 私のような長文エッセイ型ブログでは、我ながら、よくもまあ、やりもやったりと思います(^^)

 この5年の間に、私は大学の学生相談常勤カウンセラーを辞め、開業し、大学入学以来30年ぶりに久留米に戻って再開業(その他もろもろ・・・)という、人生最大級の動乱を経験していました。

 ブログをすでに5年近くやっている人はそこそこいらっしゃるとは思うけど、同じURLに居座ってずっとやってるという人はあまりいないかと思います。

 これもまた、ことブログの領域では日本で先駆けのひとつだった@niftyさんが、いろんな意味で使い勝手のいいシステムを完備し続けていてくれたからでしょう。

 このブログの最初のタイトルと副題はもっとシンプルでした。

「こういちろうの雑記帳 -現役カウンセラーが浜崎あゆみと中島みゆき中心の雑感を徒然なるままに語る-」

・・・・・・だったと思います。

 つまり、ayu中心の音楽サイトをやるつもりだった・・・・筈(^^;)

 開業を期に「カウンセラーの」を冒頭につけ、そのうちに本業のカウンセリングの記事は増えるわ、iPodオーディオ関連の記事が長期的にヒットするわの中で、今のような長たらしいタイトルになりました。

*****

 つい先日、1,2年はかけたらしいデータベースのメジャーアップデートがとりあえず完了、私のような超重量級ブログでも、過去のカテゴリー表示がいい意味で簡略化されて同一カテゴリーに数百なんていうバックナンバーも読み込みやすくなったのではないかと思います。私自身、記事のアップロードの際の「異様な重さ」・・・・「トップページ」→「個別ページ」→「月別ページ」→「カテゴリーページ」と、更新のたびに一巡りしてアップロードかけていたんですよ。これは全部で15分はかかる儀式でした(^^;) そこからついに久々にある程度解放されたのですね。

 それでも、オートでのpingは飛ばせないので「日本ブログ村」をはじめとする複数の代理pingサーバーから「手動で」ping送信(これにも5分は巡回してかかっている・・・・)、1995年開設の、html手打ちの旧態依然たる「本部サイト」にも最新記事のリンクを手打ちし(これでまた5分・・・・)、私のほうからのトラックバックはとっくに飛ばせない(今回、トラフィックが少ない時間帯ならは改善した可能性はある・・・・【追記】この記事で久々にオートでping飛ばせました!)という、巨艦大砲主義の全然スマートでエコではない形ではありしたが。

 アクセス数は、一時期の1日700平均まで迫った時期に比べると300がアベレージです(私自身のアクセスはカウントされない設定に数ヶ月前から切り替えています)。実は、携帯サイトのほうに、別枠で毎日200アクセス弱おいでいただいていますが、そっちはカウンター表示されませんので。

 まだ、実はすでに「書評・DVD・CD評」ブログの方に、毎日100アクセス近く、おいでの方が「流れて」もいるようです。それこそ、こちらで書いたことをひき写しただけなんですけど、あのブログはレビューを書くとなるとすごく合理的で洗練された設定とデザインですので。

*****

 特に最近は、我ながら記事への要求水準が凄くタイトに研ぎ澄ましたものになってきて、昔からお読みの方にとっては、そのあまりの「緩み」のなさに息が苦し いくらいとお感じの方もあるかもしれません。

 我ながら星飛雄馬が大リーグボール投げ続けるみたいな、情け容赦のない全力投球モードになって来てたんじゃないかというと、大袈裟ですが。

(考えてみたら、こんなくつろいだ口調で書くことそのものが久しぶりだな・・・・)。

 これには実はいくつか背景があって、その理由はすべてここではお証しできないのですが、別に焦りのあまりそうしていたということではなるでない、まあ、あけすけにいえば、アカデミズムの人たちに、お遊びブログだと思われたくないという思惑が働いた・・・・という面があることまでは、お明かししてもいいかもしれませんね(^^)

*****

 以前も書きましたけど、特に開業して以降、この「パーソナル」ブログの方すら、あくまでも「営業活動」の一環として位置づけています。久留米に帰ってから、開業サイトそのものをブログ形式にしていますけど、あちらの記事の多くには独自のものは少なくて、こちらで書いたものを推敲して再アップしたものが中心です。あちらは現在でも全部で180記事。そして、クライエントさんとしておいでいただいた方の中には、こちらの「雑記帳」サイトの愛読者の方の比率が高いままなんです。

 カウンセラーの中立性やら分析の隠れ蓑なんていうものを皮相な次元で語ることは無意味としか感じていないことはこのサイトでも繰り返しテーマとして取り上げましたが。それより「面接場面での」態度の方が100倍大事。でも、ネット上のこういちろうと生身の臨床心理士阿世賀浩一郎に、実は意外と落差がないことは、実際の私を知っている皆様はお気づきかと思います。

 そして、ネットでのアクセス数よりも、私が食べていけるだけのクライエントさんにおいでいただけることが大事なわけで、湘南時代とは比較にならないくらいに「足を使って地域で動く」スタンスに切り替えた結果、湘南時代よりは速いペースでお客様は増えてはいます。

 ・・・・というか、湘南時代は、住んでるとこもオフイスも賃貸だったので、実は「一度も黒字に到達しなかった」ままひたすら預金を切り崩していたのです(もう、はっきりお明かししていいでしょうけど、それが行き詰ったから久留米に戻っただけです!!)。

 久留米では、親が所有していた旧宅=私が生まれ育った家をそのままただで「借りている」ような形で(2キロ離れた場所に住んでる両親とは完全に衣食住別に近く、直接会うのは週に1度ぐらいですかね)、今は「とにもかくにも」すでに独立採算黒字経営にかろうじて転じました。

 つまり、クライエントさんの数は少ないなりに安定化、徐々には増えている手応えがあるので、いよいよネットのアクセス数なんて、1日300あれば最低ラインとして立派なもので、ほんとうに納得いくように書くこと、リアルワールドに生きるけれどもネットを「手段」「メディアのひとつ」と割り切って活用している人に少しずつ声が届く、「知る人ぞ知る」サイトであればいいんだ、ぐらいのスタンスですね(^^)

 そして、このブログのタイトルが「雑記帳」であることにはやはり意味があって、私の試行的ブレーンストーミングの公開という面も強い。

 つまり、ここで書いたことは、いずれ何らかの形で研究発表したり、論文化・著作化する時のためのdraft公開でもあるし、「専門的情報発信」「顧客誘致」のための単なる「メディアのひとつ」とまで開き直っています。 もう、私には、ネット上での「プライベート」なんてないも同然です。

 そう、すべてが、面接がない時間帯の「お仕事」。仮にアニメの記事を書いても、今ではそういうつもりなんですよ。(そして、肝心なプライベートなことはもはや「全然」ネットでは露出してないつもりですので・・・・)。

*****

 いずれにしましても、これまでおいでいただいてきた、たくさんの皆様に感謝申し上げますと共に、今後とも、どうかよろしくお願い申し上げます。

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続きを読む "通算2000記事を迎えて" »

2009/11/27

通算2000番目の記事 : バリント著「治療論からみた退行(Basic Fault)」

 ハンガリーに生まれ、フィレンツィに師事し、その後ドイツに渡り、更にイギリスに移住した、精神分析的対象関係論の大家、マイクル・バリント(ハンガリー読みにすると、姓と名が日本と同じで逆転するので「バーリント・ミハイー」)は、日本ではもっぱら故・土井健郎先生の「甘え」理論を国際的に紹介し、「甘え」理論との類似性で「一次的対象愛」という概念が精神分析系の専門家の間で人口に膾炙しているに留まる。

 しかし、バリントの真の集大成、主著というべき著作は、中井久夫先生の、もはや「原著を越えた超訳」とまで呼ばれる邦訳で、知る人ぞ知る、「治療論からみた退行」(原題:"Basic Fault")である。

マイクル・バリント/治療論からみた退行

 今、「超訳」と申し上げて置きながら、いきなりこのことに言及するのは気が引けるが、中井先生と縁が深い山中康裕先生が、たしか雑誌「こころの科学」で本書を紹介するにあたって、中井先生が、"Basic Fault"を「基底欠損」と訳し、その訳語が日本で普及してしまったことに対してだけは、敢えて唯一注文をつけておられる。

 山中先生曰く、「"fault"というのは地学でいう『断層』のことであり、何かが『欠けて』いるというのとは随分ニュアンスが異なるのではないか」。

・・・・ ごもっともな指摘である。

 「基底欠損(Basic Fault)」という概念を一言で説明するのはたいへん難しい。日本ではそれをまるでボーダーライン的心性と同一視するかのような理解がされがちだったように思う。

 確かに、バリントは本書の中で、「基底欠損」を、プレ・エディプス期の問題として位置づけてはいる。しかし、その切り込み方が、メラニー・クラインとも、マーラーの分離個体化理論を援用したマスターソン(「青年期境界例の治療」)とも異なる、独自の視点を持っている。

 私のみたところ、「基底欠損」の理論は、単なるボーダーライン性よりも幅広い現象を内包しているように思える。控えめにみても共通部分を持った、すっかりとは重なり合わないベン図のような構造になるのではなかろうか?

 バリントは、ウィニコットと共に、アンナ・フロイトの創始した「自我心理学」とも、「クライン正統派」とも一定の距離を維持する「独立学派」のひとりと呼ばれる。

 確かにウィニコットとの接点はたいへん大きい(それどころかビオンとの接点ですらバリントは本書で明言している!)。そして本書の「仮想敵」は、後述するように明確にメラニー・クラインであり、クラインへの批判に紙数を割きすぎたのが、少なくとも日本人の読者にはまどろっこしいのではないかと、訳者の中井先生ご自身が解説で感想を漏らしておられる。

 だが、ウィニコットの諸著作が日本でも熱心に読まれるのに比べると、バリントが本書で展開した独自の理論と治療的示唆に関心を持つ人は少数派であろう。

 そうなった最大の原因は、バリントがすでに先行する著作、「スリルと退行」の中で確立していた独自の新造語、オクノフィリアフィロバティズムという概念が、本書においても、更に発展された形で鍵概念とされていることが一見難解だと感じさせられることが大きいかと思う。

マイクル・バリント/スリルと退行

*****

 この2つの鍵概念についての概説に入る前に、バリントがなぜクライン理論にあそこまで反発したかという、本書の前半で展開される内容について私なりに概説したい。

 クラインやウィニコット、バリントは、神経症より重篤な事例に関連して、フロイト以降に展開され、プレ・エディプス期の早期対象関係を重視した、広い意味での「精神分析的対象関係論」に属することには変わりがない。

 広義の「対象関係論」とは、噛み砕いていえば、現実の「外的」他者の態度の摂り入れ(introjection)としてのみ人の自我形成過程をとらえるのではなく、個人内部での、一種の内的ファンタジーとしての「内的な」他者=「内的対象」との関係形成過程を重視する立場である。

 こうした観点は、実はフロイト自身もある程度予見し、示唆していたことでもある。そして何よりユングが「内なる他者」としてのアニマ・アニムス・影などとの交流過程を重視した先達なのだが、どうも対象関係論の人たちは、ユングを先達とみなすことは回避する傾向があるようだ。

 しかし、クライン正統派の場合、現実世界に存在する「外的対象」としての養育者の持つ意味が明確化されない「独我論」ではないかという批判は早くから生じた。

 そこで、ウィニコットは「内なる養育者」との関係と、「外的な他者」との関係を統合的に説明しようといいう方向性を強く打ち出し「錯覚(illusion)」「脱錯覚(disillusion)」という概念を巧妙に媒介とし、幼児の外界との一体化という「錯覚」に巧妙に応える時期から、次第にそれを遅延化させ、「脱錯覚」へと導き、信頼できる他者との成熟した関係性を確立する上での"good enough mothering"=「そこそこいい養育者」、あるいは「環境としての養育者」についての理論、あるいは養育者自身の代理、他者との継続的な関係性の媒介物ともいえる「移行対象」の理論、あるいは、親密な他者と共にいながら、それぞれが自分の世界に没頭できる能力形成が果たす役割を表現するための逆説的概念、「ひとりでいられる能力(ability to be alone)」、そして、ここでは概説しないが、「遊ぶこと(playing)」が治療関係で持つ意味などを次々に考察した。

 ウィニコットのこれらの最重要理論のほとんどは、

情緒発達の精神分析理論―自我の芽ばえと母なるもの (現代精神分析双書 第 2期第2巻)

遊ぶことと現実 (現代精神分析双書 第 2期第4巻)

・・・・この2冊だけで掌握可能である。

 バリントは、ウィニコットとは別の切り口から、プレ・エディプス段階における「内的対象関係」と「外的な他者との関係性」が果たす役割について統合的に考察しようとしたのである。

 このようにして、正統クライン派とも一線を画することをはっきり表明した分析家の一群を、フロイト以降の精神分析の領域で、狭義の「対象関係学派」あるいは「独立学派」と呼ぶ。

*****

 さて、前置きが非常に長くなったが、いよいよバリントの中核概念である「フィロバティズム」と「オクノフィリア」について概説しよう。

 バリントがクラインを批判する最大の立脚点は、「対象(object)」という概念それ自体にある。クライン理論は、対象関係=他者との関係を、まるで真空の中に浮かんでいる完全に自主独立した二つの固形的「物体」との間の相互作用のようにとらえているのではないか? 「対象(object)という概念それ自体の中に"objection"=「反発性がある」、輪郭が鮮明な「固体」的なものという含意があることにバリントは注目する。

 我々は、成熟してから後ですらも、ある意味で「前-対象(pre-object)」的な係わり合いの中にしか生きていないのではないか。ここでいう「前-対象」とは、バリントにおいては、もはや人間以外のすべての諸事象との関わり全般にまで拡張される。

 つまり、世界の諸事象と「調和的=相互浸透的渾然体」として融合されたあり方でしか存在していないという側面を背景として、現実の他者との関わりも考えるべきであるというのがバリントの視点である。

 そもそも「空気」がなければ人間は窒息することなど、普段は忘れているではないか?

 「魚とって、エラの中に存在する水が果たして『環界』なのか、魚の『内部環境』なのかを問うことに何の意味があるのだ?」と。

 これは「独立した自我を持つ主体」同士の交流を成熟した対人関係様式としてとらえる、欧米的な個人主義的な自我観を自明の前提としている人たちにとっては、何とも難解でぶっ飛んだ論の進め方に感じられたであろう。欧米で、正確に理解できた精神分析流域の専門家は稀れではなかったと推測できる。

 しかし、バリントには、東洋的な色合いも強く残した故国ハンガリーの血への基本的な共感が失われてはいなかったのだろう。

 人も万物もすべて同じ地平で眺めるという、非キリスト教的(いや、ユダヤ教やイスラム教にもそうした視点はない)=異教的な感性が脈々と受け継がれていたのであろう。

 ところが、数学・物理学・経済学の分野で名高いフォン・ノイマンをはじめとする数々のノーベル賞級科学者、科学哲学者ポランニから、指揮者(ライナー、セル、ショルティ、ドラティ)・作曲家(バルトーク)・音楽家(ブダペスト弦楽四重奏団)まで、非常に優秀な人材を一気に輩出した、第1次世界大戦後の長期にわたる度重なるハンガリー動乱の連続(1918-1956)の下での亡命ハンガリー人の知的階級の多くは、異国のでサバイバルのために、非常にタイトで厳格な方向のにのみ自分の技能を研ぎ澄ますところがあった気がする。クラインもその一人であろう。

 バリントがその道を歩まなかったのは、師、フィレンツィが、フロイトの時間厳守、中立性の原則を打ち破り、ついには心労で命を縮めた治療法の潜在的可能性を引き継いで完成させることを生涯の使命としたことが大きいようである。

*****

 さて、プレ・エディプス期において問題があった人="Basic Fault"を潜在的に抱えた人は、治療的面接場面が進むと、独特の退行様式を取り始める。

 それが「オクノフィリア」と呼ばれる現象である。

 オクノフォリアは、対象との全き融合の幻想が維持されることを求める。しかもその際に、対象と自分の間に「空隙」があることを「恐怖」する(「オクノフィリア」というギリシャ語をバリントが創出した背景)。

 その結果、対象が、自分の欲求を絶えず気遣い、先回り的に配慮してくれて「あたかも鍵穴に鍵をぴったり合わせてくれるように」対応してくれないと我慢がならないという状態になり、治療者を徹底的に翻弄する。そこにはすでに「通常の成人言語水準でのやりとり」は無力化する。

 治療場面のみならず、家族など親密な関係を持つ人物相手に、こうしたオクノフィリア的心性を顕わにする人たちは決して稀れではない。子供が少しでも「気が利かない」と逆上し、子供をいつまでたっても自分を補完する存在としてしか取り扱わない親など典型であろう。こうした親は、実は子供の方に際限なく「甘えて」いる現実に無自覚なままなのである。

*****

 ところが、この世には、「世界との完全な調和的一体感」を指向する点ではオクノフィリアと同じだが、全く正反対のアプローチを身につけた一群の人たちがいる。

 その人たちは、自らの持てる身体的技能(skill)を極限まで磨き上げ、古代ギリシャ以来「四大元素」と呼ばれたもの、すなわち「地(土)・水・火・風(空気)」をすべて自分の味方につけたかのような錯覚と万能感の中に生きている。

 これら4つの対象は、輪郭がはっきりせず、自由に形状を変容させ、対象を「包み込む」ことができるという点に特徴がある。

 典型的なのは、飛行機乗りやレーサーを一方の極とするスポーツ選手、演奏家、曲芸師などであろう。

 私流に言えば、「キャプテン翼」の「ボールは友だち」の世界である。「自分が」ボールを巧みに操っているのではない。「ボールの方が(そしてそれを包む空気やクラウンドの土の状態が)、まるで自分に『協力してくれている』かのような錯覚の世界にある。

 彼らにとっては、世界とは自分にとって「友好的な拡がり(frendly expanses)」として通常は機能してくれる。

 一般の人からすると危険でスリリングすぎる活動に身を投じることこそ、彼らの生の充実感、世界との一体感を支えている。中途半端なややこしい「社交的な」関係なんてほんとうはできるだけ回避したいくらいなのだ。

 (もっとも、フィロバティックな心性を持つ人の中にもオクノフィリア的心性は存在することをバリントは言い忘れてはいない。安心して深い絆を形成できる人物に「見守って」いてもらえていることが支えとなっていることが多いというのだ)

 一芸に秀でたスキルで世を渡っていくという点からすれば、非常に幅広い職種の人が含まれることだろう。アニメーターだって、ある意味ではカウンセラーだってその種の人間であろう。

 このような存在のあり方を「フィロバティズム」と呼ぶ。

 フィロバティズムを生きる人にも弱みはある。自分のスキルに故障が出た時。心身が燃え尽きた時。あるいは突然の気象の変化や機器の故障が生じた時、彼らは失調するばかりか「事故死」の危険と隣りあわせということにもなるのだ。

 自らが死や破滅と隣り合わせの生き方をしていることに、誰よりもフィロバティズムを生きる人たち自身が気がついている。それゆえに、安心してくつろげる、気の置けない対人関係も、限られた人たちとでいいいから大事にしようとするはずだと、私は思う。

*****

さて、バリントが、治療関係において必要なのはどういう関係であるかについて述べた部分を引用して終わりとしたい:

========引用はじめ========

 分析の場における沈黙の意味には二つあるだろうということには皆同意していただけると思う。ひとつは恐ろしい空虚という戦慄的な体験をしている場合である。空虚は疑惑に満ち、敵意に満ち、拒絶に満ち、攻撃性に満ちている。前進を阻む沈黙であり、結局不毛に終わる沈黙である。しかしまた、沈黙がおだやかな静かな調和体験の場合もある。平和と信頼と受容という雰囲気である。つまりおだやかな成長の時期、統合の時期でもありうるのだ。分析家にもっとも必要なのは、今向かいあっている沈黙がどちらの型なのかを識別することである。

 フィロバティズム的偏向をもつ技法においては、おそらく、解釈をわずかしか用いないだろう。特に退行した患者に対する時はそうなるだろう。分析者はたえず患者を見て、[次の]どちらの態度をとるべきか考えるだろう。すなわち、個別的な対象の役割をとり、退行した患者を安全な距離が見守り、この冷静で客観的な視座からことばで綴った解釈を与えて理解を求めるのがよいのか、あるいは自分も「友好的広がり」の一部と化して、何一つ要求せず、ただ息をしているだけの存在としてあり、患者に欲求が起こればさっそく役に立とうとする構えだけは持ちつづけるのがよいのかを考えるのである。(中略) 最大の危険は、この技法が患者にあまりに多くをゆだね、早すぎる時期に大きすぎる独立性を押しつけることであろう。 (中略)

 [もう]ひとつはオクノフォリックな方法であって「患者の手をとって」ゆく方法である。どうしてこの動きをしてあの動きをしなかったのかを一貫性を以て解釈してゆくことである。ここに内在する危機としては、患者が分析家を理想化してこれを寛大で慈愛こもった人物として取り入れるように誘導する恐れがある。こうなると患者の自由が制限されて、理想化された対象が処方し許容してくれる範囲から出られなくなってしまう。

 自由とは、私の考えでは「友好的広がり」の再発見のことである。それはフィロバティックな世界の中にあって、成人的なスキルを身に付けることを要求するものであるが、その背後には、何も要求せずに抱きかかえてくれる一次愛の世界が控えている。誤解されると困るので、「友好的広がり」の再発見があらゆる対象を完全にあきらめることを意味するものではないことを言っておかねばならない。

 そうではなくて、それはただ、[オクノフォリックな]絶望的なしがみつきをやめて対象から一定の距離を置いて独りで立つ能力すなわちスキルを身につけるだけのことであり、そしてそうすることは対象を「正しい釣り合いにおいて」眺め、「真のパースペクティヴ」の中で対象を獲得するために必要なのである。

 新規蒔き直し(new beginning)時期における分析者の役割は、多くの点で一次物質あるいは一次対象の役割に似ている。分析者は存在していなければならない。分析者は高度に可塑的でなければならない。あまり抵抗してはならない。破壊不能性を示さねばならない。これは確かなことだ。また一種の相互滲透的調和渾然体の中で分析者と共に生きることを患者に許容しなければならない。(中略) おおよそ、友好的物質という、一点の曇りない調和体だけがあり、その中から対象が成立する以前の体験である。

 [退行の]良性形では、患者はさほど外的行動[を治療者に「してもらう」こと]による満足を求めず、それよりも外的世界を活用して自己の内面の問題に前途の途がひらけること、私の患者のことばを借りれば”自分自身に到達できるようになること”をそっと認めていてほしいと希う。(中略)

 認識されるための退行(中略)では、あたかも大地や水が己れの体重を安んじてあずける者を支え返してくれるように、患者を受容し支え荷うことを引き受ける周囲の人々のいることが前提である。物質としての治療者は抵抗してはならない。引き受けねばならない。あまり摩擦を起こしてはならない。患者をある期間受容し荷い、自分は潰れないことを示さねばならぬ。境界線を越えないぞとつれなく言い通してはならない。患者と自分との一種の渾然体の発生展開をゆるさねばならない。

 以上はすべて、患者に同意し、関与し、巻き込まれることを意味するが、必ずしも具体的働きかけをする意味ではない。ただ理解と寛容だけでよい。ほんとうに大事なのは患者の内面つまりその心の中でさまざまの出来事が生じうる条件を維持し創造することだ。[分析者は患者を積極的に荷おうとはせずに、水が泳ぐ人を支え、大地が歩む人を支える具合に荷い支えるべきであるということ。すなわち患者のために存在し、またそうされることにあまり抵抗を感じないで患者に使用されることである。

 我々は立居振舞(behavior)、空気(climate)、雰囲気(atmosphere)などのことばを使うが、これらは皆、漠然としたカスミのかかったような、画然たる境界を欠くものを指すことばで、(中略)にもかかわらず”雰囲気””空気”というものは存在し、感じ取られ、しばしばことばでの表現を要しない。(中略)

 ”洞察”とは的を得た解釈の結果生まれるものだが、洞察が生まれるにふさわしい対象関係が創出されたならば、その結果は一種の”感じ(feeling)”である。

”洞察(insight)”が視覚と対応するとすれば”感じ(feeling)”は触覚と対応する。すなわち一次関係かさもなくばオクノフィリアである。

 ある一種類の対象関係に硬直的に固執すべきではなく、いつでも患者とともにオクノフィリア的とフィロバティズム的の両原始世界を往復する心構えが必要であり、時には両世界の彼方の一次関係まで行く心構えがなければならない。(中略)

 解釈は、分析者が「患者は確かに解釈を求めている」と確信できる時に限り与えるべきものである。こういう時に解釈を与えないことを不当な要求あるいは刺激と感じるだろうからである。(中略)

 仮に分析者が以上の条件の大部分を留保ぬきで誠実に満たすことができれば、ここに新しい関係が生まれ、それによって、患者は、自己の精神構造の欠損あるいは瘢痕形成の原因となったそもそもの欠陥と喪失の悔みと悼みをある形で体験できるようになる。その悼みは、現実に愛する人の喪失や、内的対象への打撃あるいはその破壊という、メランコリー[抑うつポジション]特有の事態が原因で生じる悼みとは全然別物である。

 私がいま頭に抱いている悔み悼みとは、自分自身の中に欠陥・欠損があるという動かしえない事実に対する悔みであり悼みである。(原注:この悼みは、元来基底欠損に対する過剰代償として生じたらしいナルシシズム的自己像を断念すること[こういちろう注:世界との、他者との全き調和の断念。自己のスキルに対する万能感の断念…とも読解できよう]と関連した悼みである。(中略)

  分析者がこの悼みのための時間を焦らずに十分長くとり、またその間、必須の原初的雰囲気を寛容と干渉的でない解釈によって維持できるならば、患者と分析者の共同作業の仕方は以前とは少しずつ変わってくる。それは、まるで、患者が対象との関係における自己の位置付けを進んでやり直し、自己の周囲の、魅力を欠き冷淡なことの少なくない世界を受容できないかと考え直そうとし、またその力が出てきた気がしはじめたことを思わせるような変化である。

========引用おわり========

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2009/10/17

陸上の為末さんの「5%理論」

 陸上の為末大さんが、ココログにあるオフィシャルブログ「侍ハードラー」で、「5%理論」というエントリーを書いておられます。

 為末さんの、料理や芸術、ビジネスまで引き合いに出す、視野が広くなおかつ哲学的ともいえる文章に、独特の感銘を覚えました。これは全文読んでいただくことがふさわしいと思いますので、ここでは引用等は控えさせていただきます。

 ココログニュース(ここに記事全体の要約があります)でこの記事の存在を知り、コメントとして書かせていただいたことを推敲かつ相当「増補」して、以下に転載させていただきます。

*****

 私は体調を崩して復帰して以来、基本的には5%どころか10%の余力を残すように心がけていますが、それでも「短距離走」が必要な時になると「残 りの 1.5%(為末さんと同じ数字では僭越ですので)」ぐらいにはにこだわります。そしてその後は、リバウンドを警戒して、意識的に15%以上の余力を取る時 期をしばらく作ろうとしますね。

 得てしてそれを踏み外して、連続して「残りの1.5%」モードで動くこともありますが、最悪、そうしたイベントが「3連続」になることは可能な限り回避しています。

 それに、残りの1%を追求するあまり、「遊びがなくなり」過ぎて、逆に創造的なものが賦活しないこともままあるかと思います。

 絵描きの多くは、時々キャンパスからかなり離れて描きかけの絵を「眺めて」みて、再び細部の制作に取り組む人が多いときいています。

*****

 「努力」ではなくて「熱中」が望ましいという意見を、精神科医の泉谷閑示氏が「うつにまつわる誤解」シリーズの第22回、<「努力」に価値を置く危険性――「ウツ」を生み出す精神的母体>でお書きです。

 以前も紹介しましたが、泉谷さんのこのシリーズは、たいへんに平易な形で、特にビジネス社会に生きる人たちの鬱との関わりについての実践的処方箋を書いて下さっていて、好感を抱いています。

 今回も、敢えて「努力」と「熱中」を対比的にとらえるという形で解説した意図は十分に伝わります。

=======以下引用=======

 ある野球少年が、毎日熱心に日が暮れるまで練習をしていました。そして、その野球少年は、後々、大リーグで活躍するほどの選手にまで成長したとしましょう。

 その近所に住んでいた家族がこんな会話をしています。「○○君は、毎日欠かさず日が暮れるまで努力したからこそ、あそこまで成功したんだ。やっぱり、人一倍努力した人間が最後には勝つんだ」

 しかし、当の本人にこの話をぶつけてみると、意外にもこんな反応が返ってきました。「いや、僕は人一倍努力をしたという自覚はありません。ただ野球が好きで、もっとうまくなりたいという一心で、やりたいからやってきただけなんです」

 これは他愛のないフィクションに過ぎませんが、様々なジャンルで活躍している人たちの発言をいろいろと総合してみると、かなりこれに近い現実があ るように思えるのです。つまり、本人にとって「熱中」と呼ぶべきものを、ともすると、傍で見ている人間が「努力」と誤って見てしまうのではないかということです。

=======引用終わり======

 
これについてはなるほどと思ったのですが、このしばらく後のほうの部分、

=======以下引用=======

■「努力」をやめても「熱中」が待っている

 人間は、自分の内に抱えている言葉によって、知らず知らずのうちにその在り方までもが規定されてしまう特殊な生き物です。

 ですから、「努力」という〈龍[こういちろう注:超自我のようなもののことを指す] 〉の言葉を信奉していることによって、私たちは奴隷的な〈駱駝〉の状態に縛りつけられてしまい、生き生きした状態から遠ざかり、場合によっては「うつ」状態にすら陥ってしまうのです。

 そこで、「努力」という言葉を捨て、自発性・創造性に満ちた〈小児〉の遊戯を表す「熱中」を新たなキーワードとして立ててみることが、私たちの在り方を少しずつ生命力に満ちたものに変えてくれる秘訣だと言えるでしょう。

 しかし、もし「努力」というスローガンを手放してしまったら、自分は何もしない怠け者に堕落してしまうのではないかという恐怖心を強くすり込まれていることも珍しくありません。これもまた、私たちを〈駱駝〉に縛りつけておくための、巧妙な〈龍〉のやり口なのです。

 〈駱駝〉の従順な勤勉さを脱したとしても、その先に待っているのは決して堕落した自分の姿ではなく、〈小児〉の創造的「熱中」があるということ。これが、窮屈な〈駱駝〉の自分から脱していくうえで、欠かせぬ大切な認識です。

 人間は、義務に束縛された状態から解放された後、ある期間は反動として「何もしたくない」という状態を経過するものですが、それが満たされた後になってまで、何もしない退屈さや単調さに耐えられるほど忍耐強くできてはいません。必ずや、何か「熱中」できるものを探し始め、創造的遊戯を行なおうとする積極的な生き物なのです

=======引用終わり======

 と結ばれた時、私の中に、確かにもっともなんだけど、これはちょっと「熱中」肯定論になり過ぎていると感じはじめたのです。

 ・・・・・泉谷氏は、あまりにもうつの人向けの視点から書くあまり、躁鬱の悪循環という視点が抜け落ちてしまっている気がして来たのです。

 つまり、熱中というのは、ある意味で軽躁状態と親和性がある状態です。中井久夫先生が「楽しいことでも疲れる」という名言をお書きですが、「がんばる」という形ではなく「思わず熱中する」場合ですら、そこに心身の解放だけではなくて、心身に負荷をかける側面は必ず並存しています。

 だから、熱中した挙句にいとも簡単にリバウンドを起こして、うつ状態に逆戻りということは、回復期の鬱の人、ましてや双極性2型の傾向が強い人にはままある筈。

 「興味と好奇心で熱中し始めて」いたはずのことが、いつの間にか「強迫性」にすり替わるリスク・・・・これはうつの人全般に見られがちな心性だとお思います。

 今回の泉谷氏の記事に、そうした側面への配慮が、一言でもいいから添えられていて欲しかったと思います。

*****

 話を為末さんの記事に戻します。

 為末さんも当然、試合後には消耗からの回復のための期間をお取りになっていることと思います。「成果として」創造的・生産的であるということと、その人の心身への負担は別問題ですから。

 それに対して、「努力」(ましてや人から発破をかけられるだけの形での努力)だけでは突き抜けられないことも多いように思います。為末さんには、「こだわり」という側面が強く、「努力」と「熱中」の両面を兼ね備えたものであると推察いたします。

 結局、計算を超えてギリギリまで追求する側面と、長期的な視野の元でバランスを意識して安定と継続性を確保することが、個人レヴェルではその人なりのバランスで、そして、社会レヴェルでは、それぞれのアプローチに向いた人が自然と「分業」して(時には相互に軋轢を起こしながらも)やっていくのが、人類全体にとっては望ましいのではないでしょうか?

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