押井守

2011/12/14

透徹した「アニメ映像文学」 -新海誠作品-

「ほしのこえ」「雲のむこう、約束の場所」「秒速5センチメートル」、一気に観ました(^^)

新海誠監督という名前は、私がアニメから身を引いていた時期にもなぜか目に入り、なんとなく私が非常に好む作風の傑作群ではないかという直感がありましたが、それが見事に当たってしまいした(^^)

三作ともに「星6つ」あげたくなる。アニメ史に残る傑作群ではないだろうか?

・・・・うん、こういうアニメが出てくる方向性をこそ、私は期待していた気がする。

三作に共通するのは、「隔てられた男女の絆」

そのピュアーで甘酸っぱい(でも少しビターな)描き方は気恥ずかしいくらいですが、十分にリリシズムに満ちた、「オトナの文学」している領域。

「ほしのこえ」はオリジナルバージョンで観ました。わすか24分で感動の渦に巻き込んでしまう密度はとてつもない域。

この作品とと、長編「雲のむこう、約束の空」は、どちらも現代風の日常世界とSF的な別世界がミスマッチ的に共存している点で共通項がある。

特に後者は、ハードSF的な要素もあり、どこまでが夢の世界なのか、現実なのか交錯し続け、観ていて最初の方はそれに戸惑いますが、観ていくうちに謎は解けますね。かなり年季の入った「映画」ファンでないと一回観ただけでは読み解けないかも知れませんが(押井守さんの「イノセンス」に身を乗り出してハマれる人には何も抵抗ないでしょう)、絶妙の構成だと思います。いわゆる「セカイ系」の極みかとも思いますが。

一転して全60分の「秒速5センチメートル」は、「日常系」の何ともしっとりした恋愛もの。一番万人向けなのはこの作品でしょう。普段アニメを見ないオトナでも素直に感動する人が少なくないかと思います。

ハマる人は無茶苦茶ハマる。リアルでスレた現実を生き過ぎている人は、「何、これー?」かもしれないけど、村上春樹の叙情系の作品にハマれる人だと親和性がありそう。

あるアマゾンレビュアーの人は書いています:

「あなたも、心のかさぶたをはがしてみませんか?」

オムニバス形式をとっていますが、3話共に、男性主人公は同じ「遠野貴樹」で、ヒロインの方だけが入れ替わる。実はこの遠野という男性の「恋愛遍歴」ドラマとも言える気がする。

中学時代、高校時代、成人。両思い、片思い、婚約者/恋人との微妙な機微。

そして、「すれ違い」。

遠野って罪作りな男だと思いますが。

ある意味では、男と女の恋愛観の違いも浮き彫りにしてるかも。

男は、いつまでも初恋の女性の面影を追いかけるものだと思う(・・・私がそうなだけか?)

この作品にもロケットがモチーフとして登場せずにはいられないみたいですね(^^)。

****

全作通して、執拗なまでの鉄道へのこだわり。フルデジタルアニメ(あるいはそれに準じる)による透明で空気感に満ち、克明で繊細な日常描写・・・これ以上求めようもない、見事な水準というしかありません。

そして、この新海監督は、脚本から絵コンテ、背景美術、時には作詞まで自分でやってしまうマルチな作家能力。こういう人は宮崎駿しかいなかったのではないか。

この人の作品は「ゼロ年世代」に分類してもいいかと思いますが、こういう「大作家」をこれまで未見だったのは、何とももったいなかったな。

追記:

この作品について、批判的見地から一番まとまったものを紹介すれば、

新海誠の痛さ(1)懐かしがっているのは誰か?(蕩尽伝説)

といったあたりかと思う。

ただ、この人の現代社会についての見方も、もはやひとつのテンプレかと思う。この人もまた、現代社会の中で疎外され、行き場を見失い、アニメとかのフィクションに身を静める人種であることには変わりない。

いかに今の現実の中で、自分を見失い勝ちだとしても、単にそれを評論するのではなく、足を地につけ、感性を維持した形でそれと戦うことができるというのが私の信念である。

そして、徹底的に、自分の感性を真っさらにして、作品世界に思い切りどっぷりと身を委ね、ビターなものはビターに、リリックなものはリリックに、その作品ならではの味わいを味わい尽くしたいと思っている(もちろん、これらが交錯している場合もあるのだが)。

・・・だから、私は自分が観た作品をクサすことは滅多にない。

2011/12/12

劇場版「とある飛空士への追憶」を全く白紙の状態から観ての感想 (第2版 原作読了後の感想つき)

私は1960年代生まれですが、1980年代前半頃の劇場版長編アニメに通じる、何か凄く懐かしい味わいの作品を見せていただいたという感じです。自分が20前後の頃どんなノリで劇場アニメを観ていたのかを思い出させてくれました。

「ナウシカ(1984)」とか「ウインダリア」(1986)・・・というあたりの連想がまずは浮かんだのですが、原作者ははっきり「ラピュタ」(1986)を念頭に置いたと明言されていますね。・・・同じ空が舞台なのに、私、なぜ、とっさには「ラピュタ」を連想しなかったんだろう?(Amazonの原作本の「著者メッセージ」覧参照)。

←(注:初版の文庫版。劇場版はこれに基づいて作られたとのこと。改訂新版については後述。)

SF的設定もあり、空中戦も見所とはいえ、物語の基本的な流れは、まるで童話のような騎士道ラブ・ロマンス。そういう意味では王道過ぎるくらい。でもそれが全然陳腐とは思いません。これだけ緻密にストーリーを組み立て、丁寧に作られていたら私は十分満足です。完成度が高ければ、物語が「見え透いて」いてもいいのです。

全く白紙でこの作品を観る機会に恵まれ、他の方のレビューも全然読まないままで敢えてこのレビュー載っけることにしたのですが、「原作本の」情報とレビューの方は、この劇場版観たあとでちょっぴり拝見しました。

・・・何だこの5つ星の数は。大ヒットしたライトノべルなんですね。何かこういうストーリーのものも、今も好まれるというのは、オジサンとしてはなぜか胸をなでおろしてしまいます(押井守さんの諸作品、例えば同じ空戦ものの「スカイ・クロラ」とかも、全然持ち味は違うビターさがあるものの、好きな人間ですが)。

同じマッドハウス制作の「時をかける少女」と「サマーウォーズ」も非常に好きな映画ですが、緻密な日常描写とキチンとしたまとめ方には相通じるものがある気がします。脚本はこの2作に続いて奥寺佐渡子さん。

キャラデサインもやはり同じ貞本義行さん?これでは主役の「飛空士」シャルルと王女様ファナが「エヴァ」のシンジとレイそのままみたいじゃないか!・・・と思ったら、松原秀典さんという方。調べてたら、劇場版「エヴァ」新劇場版のと破で作画監督のひとりをしていた方なんですね。このへん、原作のイラストやコミック版のイメージと全然違う・・・という方も恐らくありそうですが、以上の作品を皆好んでいる私はそれを「許し」ます。「貞本風」というのは、もはや宮崎アニメと同じで、ひとつの「スタイル」かと。

シャルル役の神木くんも「サマーウォーズ」からの続投ですが、もはや声優としても「安心の隆之介」の域かと思います。これに対してファナ役の人を「棒読み!下手!」というのはたやすい。しかし、王家の箱入り娘として無垢に育ったファナ役ぐらいは、「生硬(ぎこち)ない」くらいがいいのではないか。ここに「うまい」声優さんをあててしまうと、この作品、いよいよきれいにまとまり過ぎてしまう気がします。

「原作と比べて世界観や背景の説明、心理描写や戦闘シーン、「終章」などの各シーンの簡略化や変更が多く見られている」という情報も某所で確認しましたが、何の先入観もなしで観ても、映画として自立しているかどうかが大事なんじゃないかと個人的には思っています。

========以上、私のAmazonレビューよりそのまま転載==========

● ↓ ロングバージョンの予告トレーラー(終了後に、引き続き表示される「関連動画」で冒頭12分がまるまる観れます。これ、「承認済み」のものだろうと思いますが。

*****

私は、マジ、上記のアマソンレビューを、映画についての他の人のレビューに「目隠し」したまま書いたのです。人気ある原作付きアニメというものがいかに原作ファンに叩かれやすいか過去の経験から容易に想像が付くので、完全に予防線を貼った書き方を意識的にしています。

私にできるのは、自分が観てきた「他のアニメとの比較論」、これ一本勝負。そういう書き方も、全く先入観なくこの作品に興味を引きつけるのには意義があると思いましたし。

ライトノベルの元祖、新井素子の「扉を開けて」(劇場版1986)なんかも、劇場はもう無茶苦茶不入りで、打ち切りの悲哀を舐めています。この作品については原作も読んでいますが、原作よりも秀でた部分も相当ありました。マーク・ゴールデンバークの音楽が非常に素晴らしくて、当時の最先端だったと思います。

*****

レビューを少し補足すれば、私は「俳優さんの」声優演技というものに好意的な立場です。ファナ役の人はともかく、神木くんの方まで「棒読み」というのはどうなんだろう???? 神木くんは役者として非常な才能がある人と思っていますが、声優としてもすでに実力を伸ばしてきていると思います。

それに、今の若い世代の人たちって、80年代前半頃までの声優さんのかなりの部分が「舞台演劇」の俳優さんも兼業していたことを知らないまま、昨今の「声優声」の価値基準に染まっているのではないかという危惧もあります。

もっとも、今の若い声優さんが、昔とは違う意味で若くから卓越した技量やしっかりした考えも持っている人も少なくないのは認めますし(まどか☆マギカ」のオーディオコメンタリーを丁寧に聴いていて感じた)、私は、宮崎駿さんのような、過激な「今の声優排除」論者ではありませんが。

*****

さて、原作の方、新装版(改訂版)で文庫から通常書籍(単行本)に格上げになり、価格も値格上げ、表紙も大人びたものになっているようですね。

恐らく、もはや「ライトノベル」の域を超え、もっと年齢が上の幅広い読者層に訴えるだけのものがあるのだろうと思います。映画の完成後に刊行。他の方々のレビューを読む限り、ストーリーは、より練りこまれているとのこと。

・・・・読みたくなった。(追伸:注文済み)

*****

【追伸12/16】

読み上げました。

映画版の元になったのは「初版」の方とのことなので、敢えて「ガガガ文庫」版の方にして比較してみたのですが、これだけ原作を尊重した映像化は「珍しい」域かと思います。原作から想像できるであろうテイストも全く同じ。これ以上を求める原作読者というのは「強迫的」というか、私にはこのアニメ化で不満という人たちの気持ちが、「わけがわからないよ」(^^;)。文字で書かれた心情表現というのは画面の「行間から」読み取るものです。

興行的には打ち切りの悲哀を舐めたそうですが、それはむしろプロモーション等の問題ではないでしょうか。

*****

更に調べたら、「とある飛空士の・・・」はシリーズ化されているようですね。

 ↓ これ、「とある飛空士の恋歌」の「文庫本の」宣伝のためだけのアニメトレーラー? 何かむやみに凝ってますね。このクオリティでアニメ全編作れれば「凄い」でしょうが、原作は長い作品のようで、むしろクオリティ維持してのTVシリーズ制作が無難かも知れませんね。

 ↑ こっちの方はいかにも「ゼロ年世代の」画面作りでキャラデザですが、個人的には、このタイプのキャラデザって、私にはみんな同じように見えてしまうのです(^^;)

******

 私の観た、生粋の「ゼロ年世代」のアニメは、「まどか☆マギカ」と、「化物語」だけ、あと、一応、昔私が好きだった幾原監督の「輪るピングドラム」のみリアルタイムで観てます(「時かけ」「サマーウォーズ」という細田守作品は典型的「ゼロ年世代アニメ」の枠の外でしょうから)。

「ピングドラム」は、独特のセンスと、先が読めない展開満載で、結構面白いけど、視聴者を選ぶ作品かな?・・・私はどっちかっていうと、世代を超えて、誰が観ても引き込まれるタイプの作品が好きです。

「まどか☆マギカ」は世代を超えて唸らせるものがある「特異な到達点」と感じ、一気にはまったのはこのブログでも随分書きました(「まどか☆マギカ」カテゴリー参照)

「化物語」は、新房監督の様式美満載、西尾維新の原作そのものらしい独特のセリフ回しが一貫してて、なかなかセンスあるけど、やはり若い人向けの「ライトノベル」原作アニメだなあ、ホラーものと言うには物足りない描写だし・・・という感じ方止まりです。そして、ああいう「ハーレム状態」作品はちょっとねえ・・・戦場ヶ原ひたぎに人気があるのは、なるほどと感じましたが、私は一話での彼女のややボーダーチックとも言える「凄み」が2話以降なくなり、単なる「デレ」になったのが勿体ないかと。「ああいう」告白は、さすがの私でもベタだと感じる(^^;)

・・・・あ、新房監督つながりで、「さよなら糸色望先生」のTVシリーズも観ました。これはなかなかビターな優れものだと思いました。大槻ケンヂのOP・EDもナイス!!

******

まあ、そういう、「エヴァ」以降は「空白の15年」くらいのブランクを抱え込んでいた(押井・宮崎作品は別枠)、熟年アニメファンの感性で、この記事書いてると思ってください。

このあとは、とりあえず、新海誠監督の「ほしのこえ」「雲のむこう、約束の場所」「秒速5センチメートル」のあたりは、時代に追いつくために(?)観てみたいと感じています。

*****

●P.S.

このレビューの最初の部分で、「ウインダリア」を引き合いに出しましたが、実は、「ウインダリア」には、実は「-童話めいた戦史-」という副題がついていまして、「とある飛空士への追憶」を観た時に、思わずこの言葉が思い浮かんだのです。

ちょっと共通する雰囲気のところもある。過去なのか、未来なのかわからない異世界設定、国同士の対立、恋愛、ちょっと変わった飛行機械など。もちろん物語全体とすれば相当違いがありますが・・・あ、これ以上は口を滑らせないほうが両作に興味がある人にはいいかな(^^)

「ウインダリア」のDVD(数年前から所有してます)、ひょっとして、今も販売されている可能性に、一縷の望みをつないで探しましたが、以下のような相当な中古プレミアム価格になっています・・・・知る人ぞ知る名作なのですが。

脚本を書いた藤川桂介氏による小説版の中古市場は廉価です。小説版は私は未読ですが、これはこれで評価が高いもののようです。

最後は、いよいよ「とある・・・」から完全に外れてしまいますが、「ウインダリアの」挿入歌「約束」、エンディング、「美しい星」(新居昭乃さん)も名曲だと思います。ご紹介。

 ↓ 更に、「ウインダリア」の方のロングバージョン予告トレーラーも見つけたので。

*****

もうひとつ追伸:

最新情報入りました:

●細田守監督最新作は「おおかみこどもの雨と雪」 新スタジオ設立も(映画.com)

●細田守監督 :主人公は“聖母”のような母親 舞台は富山県 新作「おおかみこどもの雨と雪」(MANTAN WEB)

独立して、新スタジオ「スタジオ地図」設立とのこと。スタジオジブリとも連携。やるねえ~

やはり(細田氏自身との)共同脚本:奥寺佐渡子、キャラデザ貞本義行と続投。楽しみ。

blogram投票ボタン
ブログランキング・にほんブログ村へ
人気ブログランキングへ
携帯アクセス解析
ビジネスブログランキング
人気ブログランキングへ
にほんブログ村 
メンタルヘルスブログ 心理カウンセリングへ

2010/11/11

「もしメンバーの一員になるなら、どのアニメがいい?」

ブログネタ: もしメンバーの一員になるなら、どのアニメがいい?参加数拍手

 日本ハムへの入団が決まった斉藤くんが「仲間」を連発するのは「ワンピース」の影響とのことですが、実は私、「ワンピース」は劇場版1本(「オマツリ男爵と秘密の島」を、今や私がポスト宮埼・押井の一番手と期待するに至った細田守監督とは知らずにテレビで偶然見ている。確かその直後にDVDでいきなり「時をかける少女」に接して細田さんの名前をidentifyしたという順序)とテレビシリーズ一話分しか見たことがありません(^^;)

 かと言って、我が因縁の「エヴァンゲリオン」に出たら、TV版の世界である限り、いつゲンドウに殺されるか、生き残れるかわからん!!

 「ゴーショーグン」のレミー島田なりたいと言い出したら、てめえ男だろ!ということになるし。

  やはり今の私だと、「のだめカンタービレ」でしょうね。・・・でも、私のバイオリンの腕は、「のだめ」の影響でここ1週間は毎日必ずのように取り出して調弦して、ブラームスの交響曲第1番の終楽章の第一主題だけは弾けるようになって勝手に悦にいっている水準ですから、いくら未来を見越しても(爆)、シュトレーゼマンにSオケに入れてもらえるとは思えず。

 私にとって年齢的にちょうどいいのは、裏軒の峰龍太郎のおやじか、(ドラマ版では出てきませんが)千秋のおじさんの三善竹彦か、音楽評論家の佐久間学(少し私じゃ歳いってる?)というあたりにしかなれないでしょうね(^^)

 まさか、Sオケの「マスコットおじさん」・・・というわけにもいかないでしょうし・・・(爆)

blogram投票ボタン
ブログランキング・にほんブログ村へ
人気ブログランキングへ
携帯アクセス解析
ビジネスブログランキング
人気ブログランキングへ
にほんブログ村 
メンタルヘルスブログ 心理カウンセリングへ
にほんブログ村 音楽ブログへ
にほんブログ村

2009/12/26

私の一番好きな特撮ソングは「マイティジャック」 (第2版)

 2つ前の記事で、「ウルトラ」シリーズに言及したので、「リアルタイム」世代として、勢いで書いちゃいましょう(^^)

 富田勲さん作曲によるこのOP、どうしてここまでカッコいいんでしょうね!!

●マイティジャック(YouTube)

 ↑は明らかにアナログレコードが音源なのは泣かせます(^^)

 でも、埋め込み無効リクエストになっている↓こっちのバージョンの方が曲を聴く上ではずっと音質がいいですよ。

●Song of the MIGHTY JACK マイティジャックの歌(YouTube)

 私がCDで持ってるのは↓これ。ただし、モノラルで1番だけです。

(159)TVオリジナルBGMコレクション マイティジャック

マイティジャック Vol.1 [DVD]

【追記】

 「ウルトラ」シリーズですが、富田勲さんの音楽で、無茶苦茶カッコいいといいえば、「キャプテンウルトラ」忘れちゃなりませんね!!

●キャプテンウルトラOP(YouTube)

●キャプテンウルトラ 宇宙マーチ(YouTube)

 ちなみに、宇宙船「シュピーゲル号」の合体シーンは、その後のロボットアニメに圧倒的影響を与えたと思いますが、「シュピーゲル(Spiegel)」とは、ドイツ語で「鏡」という意味です(^^)

 戦後20数年の当時は、結構特撮やアニメとかで、ドイツ関係の用語や設定が頻発されていました。まだ第2次境大戦の記憶が「ちょっと前」のことだったということですね。曲も平然と軍歌調のが多かったし(富田さんの音楽はその点で異常に垢抜けていましたが)。

宇宙特撮シリース゛  キャフ゜テン・ウルトラ ミューシ゛ックファイル  オリシ゛ナルBGM集

 更に、私が異様に憧れて、「なりきりごっこ」をしていたのが・・・・「光速エスパー」

●Esper

光速エスパー Vol.6 [DVD]

*****

 ・・・・そういえば、今度、押井守さんが、実写で、「鉄人28号」のリメイクをやるという情報が。

●【速報】押井監督、実写版「鉄人28号」製作中(夢の玉手箱)

blogram投票ボタン
ブログランキング・にほんブログ村へ
人気ブログランキングへ
携帯アクセス解析
ビジネスブログランキング
にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 心理カウンセリングへ

2009/12/12

新人類世代の絶対的自己肯定ドラマとしての「超時空要塞マクロス」

 1984年という年は、日本のアニメ史において、ひとつのメルクマールとなる、今にして思えばとんでもない年である。

 なぜなら、宮崎駿の「風の谷のナウシカ」、押井守の「うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー」、そして当時24歳の若手だった河森正治を監督とした「劇場版 超時空要塞マクロス 愛・おぼいえていますか」という、日本アニメ史の不朽の金字塔というべき3作が、共に劇場公開された、空前の「当たり年」だからである。

超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか HDリマスター版 [DVD]

(楽天ブックス)

 ・・・・私が、いわゆる「昭和35年組」アニメファン、すなわち、日本初の国産テレビアニメ「鉄腕アトム」の本放送を幼児期に体験し、日本のアニメの歴史と完全に同時代的に歩み、エヴァ本まで出した、超筋金入りの世代であることは繰り返し申し上げてきた。この「劇場版マクロス」等が公開された年に23歳ということになる。

 だが、不思議と、このブログでこれまでにただの一度も名前が登場していないビックネームの監督さんがいる・・・・そう、「ガンダム」シリーズの富野喜幸という名前である。

 私は、いわゆる「初代ガンダム」本放送を体験し、たいへんな衝撃を受けた世代の一人であることには変わりがない。しかし、「Zガンダム」以降はどうしても感性がついていかなかった。アムロとシャアが登場する限りは、すべての劇場版を公開時に観ていますけどね(^^)

 そこには、ひとつには「ニュータイプ」という概念への基本的な違和感があるのだと思う。「初代」のTVシリーズの最終話の、あの何とも印象深い終わらせ方より先まで、ニュータイプについては執拗に物語を紡ぐ必要があったとどうしても感じられないのだ。

 そこには、ひとつには、私が加藤和彦と北山 修 - 加藤和彦 作品集 - あの素晴らしい愛をもう一度「あの素晴らしい愛をもう一度」(←やっと北山修と加藤和彦のオリジナル、iTunes Storeに入りましたね)への再三のこだわりで示してきたように、ウィニコット的な対象関係論に骨の髄まで浸かった人間観の持ち主であること、すなわち、

「人と人とのこころは直接対話できない。できたと思ってもそれは錯覚(illusion)なのかもしれない。こころの交流という思い込みは、はかないまでに容易に幻滅(disillusion)に転じる。しかし、そうやって思い込みが覆された後も、希望を捨てないで更にリアルに交流し続けることによってしか人との心の絆は築き得ない

という圧倒的な信念を自分のアイデンディディとして生きてきた軌跡のためでもある。

 もちろん、ガンダムにお詳しい方は、きっと、「それだけではニュータイプ論は語り尽くせない」といろいろな反論はお持ちかもしれない。あくまでも、「初代ガンダム」以降の富野作品と内的対話が成立しなかった私の一面的な独断と偏見であると見なしていただいて結構である。

(当時のサンライズ系作品では、むしろ装甲騎兵ボトムズ - 【映像パック】装甲騎兵ボトムズ (OP/ED:ノンテロップ)「ボトムズ」に思い入れが深いタイプである)

*****

 どうも、「ガンダム」主流派にとっては、この「マクロス」という作品はチャラチャラした作品に見えるらしい。

 しかし、私は、「マクロス」こそが、当時の、ニュータイプならぬ「新人類世代」が、圧倒的な開き直りの中で到達した、自分たち世代の絶対的自己肯定賛歌だったように思えてならない。

 生まれながら、テレビの向こうの側の出来事こそ「世界の現実」であるという逆転構造を当たり前にようにして生きてきた私たちの世代。

 宮崎さんがいかに「ラピュタ」でシータの口を借りて「地に足をつけなければ人は生きられないのよ」と説教垂れようと、私たち世代はとっくに「地球という故郷を喪失」して宇宙空間を漂う巨大な要塞都市の住民としてしか存在していないのである。

 単なる会社の「兵士」としてしかアイデンディディを持たないくせに、そこからだけの視点で「現実」を振りかざして「戦いを挑んで」くる「巨人族」=親世代たちは、どうもすでに夫婦の亀裂も深いらしく(爆)、お互いに戦闘状態にある(劇場版の世界観に従えば)。

 それに挑む新人類世代は、自分たちの「身の丈」も省みず、「巨大ロボット」に乗って応戦するしかないのだ。

 そして、「歌=文化」の力で、巨人族=親世代たちの「脳みそをかく乱」させる!!

 当時はまさに松田聖子と中森明菜の絶頂期でもある。リン・ミンメイには、この現実の2大歌姫が深く投影されていることは、知る人ぞ知るとおりである。

 ミンメイの「性格」は、我が故郷久留米の生んだ最大の「偉人」(?)の一人である、当時の聖子の「ぶりっ子」イメージをものの見事に投影していますが、今回調べてはじめて知りましたけど、劇場版のステージ衣装はむしろ明菜の舞台姿の影響が濃いそうですね(^^)

*****

 1984年といったら、まだ今日のCGや3Dバーチャル・リアリティのシステムは存在しないに等しい。このアニメ映画で表現された世界は、その点でどれだけ時代を先取りしていたことか!! 映画の最初の方のミンメイのコンサート・シーンなんて、リアルワールドでは当時は夢のまた夢の演出手法だったはずである。

 そして、1984年という数字を意識すると、この映画全体が、すべて手書きのセルアニメで表現されているということが、どれだけ途方もないことだったか!! アニメーターたち(「エヴァ」の庵野さんも主要アニメーターの一人)は、何ともはやクレイジーな領域のことを現実化していたのである。

 ちなみに、公開当時はドルビーサラウンドですらない、モノラルでした(^^)

 この作品を紹介するにあたって、私はあの「あまりにも美しすぎる」クライマックスの戦闘シーンではなくて、むしろミンメイと早瀬美沙、一条輝のラブロマンスに焦点を合わせたという点では実にセンスがいい、スペイン語バージョンを選ばせていただくことにしました(一部、TVシリーズの画面も混ぜているのだけど、むしろそれが何ともニクイ使い方である)。

●MACROSS - Ai Oboete Imasuka [Español](YouTube)

 ・・・・確かに、当時の私たちは必死に背伸びしていたのかもしれない。

 しかし、その「昭和35年組」も、来年度にはついに満50歳を迎える

 もはや、社会を動かす指導層としての責任を果たさねばならない。

 結局、若い頃に「観念まみれ」になった上で、高度成長期の甘い夢が醒めた「傷つき」を引きずる、「団塊の世代」が、今の日本に何を残したというのだ?

 子供時代に中国大陸から「生還」し、裸一貫からたたき上げた経理の職人である、「団塊」のひとつ上の世代である私の父には、今でも「硝煙の匂い」が染み付いている気がすることがある。

 流浪の引き上げ日本人コミュニティの歩哨に立っていた父親(私の祖父)が馬賊に銃撃され殺されるなど、私には細かくは語らないけどど、どれだけ多くのシビアな悲惨さを、旧中国東北部から、大連で食うや食わずの生活をして終戦後1年を経て帰還できるまでに、大陸で、その目で見たことだろうか。

 私は、その、戦場をさ迷った父の「嫡子」である。

 ほんとうに、リアルワールドで「戦い抜き」、「サバイバル」する気概のない人間のたわ言にはいちいちつきあっていられない。

 そもそも、自分が進んでリアルワールドでの「政治」の世界に「身を投じ」、泥にまみれるくらいの覚悟は持て!!ひとつの重要な暗示・・・・私の場合、正確には「復帰」です・・・・

 馬鹿馬鹿しいまでに「命のやり取り」を覚悟して物事に挑む迫力を示せる人間の方が絶対に強いと確信している。悔しかったら「リアルワールドで」私の足を露骨に引っ張るくらいの謀略性と戦闘性で挑んできて欲しいものである(^^)

 公開されたネット上で私に公然たる批判を書いたらすべて私のサイトのアクセス数増加にしか貢献しないことを、すでに一部の皆様は身に染みてお感じのはずだ。アンチこういちろうサイト、心の底から大歓迎ですが(爆)

 そして、リアルワールドでの顧客様の着実な増加が、もはやネットでのアクセス数へのこだわりから私を解放している。経営的にはすでに地方都市久留米への移転後のほうが成功したと断言していいい。

 (最近、アクセス数が300台弱のラインへと後退気味な主な原因は、先日のココログのシステムのメジャーアップデートで、カテゴリーバックナンバーが、最新10個以降「見出しのみ」の表示になり、全文の複合検索ではヒットしにくくなったためというのが主因とわかってますし。

 まあ、それでも少しは投資をかける余裕が出てきましたので、Googleマスターツールやanalytics、小額なりにお金を出してのAdWordsの管理者の側にすでにいます。万が一「おかしな動き」があった時はGoogleに向け「積極介入」することになります)

*****

 話をマクロスに戻すと、リアルワールドにあらわれた私の「リン・ミンメイ」が、この映画公開当時はまだ5歳前後だったはずの、これまだ我が福岡が生んだスーパー歌姫、浜崎あゆみであることは、いうまでもない(^^)

 こうして、生のayuをライブで観ない時間が長くなると、もうそれだけでayuの存在感が私の中でもどんどん希薄になってしまう(^^;)

 ・・・・もとより、私も、「ミンメイ」ではなくて「早瀬美沙」を取るであろう(爆)

*****

 最後に、詳しいことは知らないままですが、私とほぼ一緒に年をとった河森さん、現在公開中の「劇場版マクロスF」の興業的大成功、おめでとうございます!!

●劇場版マクロスF -虚空歌姫- 公式サイト

*****

 共通するスタッフによって引き続き制作された、「裏マクロス」というべき「メガゾーン23」も私が敬愛する作品です。このブログのあちこちですでに言及していますので、興味ある方はお探し下さい。

代表作は、

●なりたかった大人になればいい

です(^^)

●MEGAZONE23 AMV(YouTube)

メガゾーン23 [DVD]

メガゾーン23 PART 2 〜MEGA ZONE 23 PART 2〜 [DVD]

*****

 更に、河森さん関連で言うと、「マクロス・プラス」についての古い拙文はこちら

 劇場版「エスカフローネ」についてはこちら

 「創生のアクエリオン」についてはこちら

blogram投票ボタン
ブログランキング・にほんブログ村へ
人気ブログランキングへ
携帯アクセス解析
ビジネスブログランキング
にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 心理カウンセリングへ
にほんブログ村 音楽ブログ 女性ミュージシャン応援へ

続きを読む "新人類世代の絶対的自己肯定ドラマとしての「超時空要塞マクロス」" »

2009/11/26

「うる星やつら」TVシリーズ メガネの独白

 「うる星やつら」、劇場版第2作、「ビューティフル・ドリーマー」をご紹介したついでに、その際に発掘できてしまった、TVシリーズ(どの回かはさすがに忘れましたが)での、メガネの独白シーンを載せちゃいます(^^)

●押井節×千葉繁-メガネの独白-(YouTube)

 メガネというのは、押井守さんがチーフディレクターをしていた時期のアニメ版の「うる星」で固有に進化、発展、増殖(?)した、あまりにユニークなキャラクターであり、その、ストーリーの脈絡とどこまで関係あるのかをもはや超越した、エキセントリックな長台詞は、声優の千葉繁さんの怪演(やはり小演劇系舞台役者のノリが爆発してますよね)と共に、私の世代のアニメファンには深く記憶に刻まれています。

 ・・・・こういう内容のアニメが、毎週19時代に見られたのは、今は昔?

blogram投票ボタン
ブログランキング・にほんブログ村へ
人気ブログランキングへ
携帯アクセス<br /><a href=ビジネスブログランキング
にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 心理カウンセリングへ

2009/11/24

「うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー」の音楽集

 押井守さんの映像作家としての可能性を映画界に最初に知らしめた、私自身映画館で見た回数が18回という不滅の大記録(?)を持つ、あまりにも思い入れの深い、日本のアニメ映画史上に残る不滅の金字塔というべき作品について、今回はそこで使われた音楽という観点を中心に論じてみたいと思う。

 私にとっての、もはや無自覚なまでの「お宝CD」になってしまった。LP時代から、この四半世紀(1984年作品だから、まさに25年経た)の間に、どれだけ、どれだけ聴き返したことだろう。

Beautiful_dreamer_bgm1

Beautiful_dreamer_bgm2

うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー〈映画BGM集II〉

 ↑今やプラチナ級中古CDになってしまったみたいですね(^^) 

 実は、ある時期、このBGM集は、アニメと無関係な番組で、さりげなくBGMとして、実に頻繁に使いまわされました。ですから、映画を知らない人でも、少なくともある世代以上の人は、アニメに無関心でも、個々の曲のいくつもを実は無自覚に何回となく耳にしたことがあるはずである。

 そのくらい、「BGM」として圧倒的なまでの独立した普遍性を持つ(!)ということである。

 本編から離れた形での「BGMとしての普遍性」という表現そのものが、矛盾した逆説的表現であることは百も承知だ。

 だが、例えば、エリック・サティの「ジムノぺディ」第1番Pascal Rog? - Satie: 3 Gymnop?dies - 3 Gymnop?dies: No. 1を「聴いたことがない人はどこにもいない」ことを思い出してほしい。まさに「家具の音楽」。

 そして、この「ビューティフル・ドリーマー」の音楽は、実際にサティの作風の影響の下に(というか、押井さんの指示で意図的に?)作曲されていることも、ほぼ間違いがないだろう。

 星勝さんと、1曲だけ奥慶一さん(後者は、「魔法のスター・マジカルエミ」における、これまたフォーレそっくりの印象派的BGMが私には忘れられないが)作曲によるBGMは、ピアノを主軸としつつも、ここぞというところでフル・オーケストラまで動員する中心とするアコースティックと、当時のシンセサイザーの融合と使い分けという点で、時代の先端を行く画期的なものだったはずだ。

 メインテーマ・モチーフ(やすらぎ)の、曲としての完成度の素晴らしさ。同じくメインテーマ・モチーフ(不安)の、たゆとうような、印象派的室内楽的なさりげない気品。

●urusei-yatsura ビューティフルドリーマー#4/12(YouTube)

 ↑更には、さりげないが、保健室での温泉マーク先生とサクラ先生の窮迫した対話・・・・このシーンの360度回転の繰り返しのカメラワークは、制作当時においては、アニメ史上に残る独創的かつ画期的な映像演出だったと思う・・・・の背景で流れていた、単調な繰り返しのようでいて耳から離れない、ピアノソロの秘曲、"Star's Rondo"。

●urusei-yatsura ビューティフルドリーマー#5/12(YouTube)

 ↑こちらは、「やすらぎ」「不安」の両モティーフの見せ場が続きますね。

●urusei-yatsura ビューティフルドリーマー#6/12(YouTube)

 ↑そして、この2つのモチーフが融合され、映画のクライマックスシーンで圧倒的な効果を発揮した、フル・オーケストラによる、ドラマチックな、"ビューティフル・ドリーマー"メインテーマ。

*****

・・・・・・ここから先はさすがに観ていない人のために。ちょうどいいところで切れてますね

 そして、映画では断片としてしか使われなかったが、全曲通して聴くと、何と心に染み入る透明で暖かい名曲だろうかという感激を禁じえない、「ラム...In My Love」。

 著作権の問題もあり、いろいろ困難が伴うのは確かだろうが、どうか、高橋留美子先生、この映画とBGM集を再び世に出すことへのご寛容を。

●うる星やつら ビューティフル・ドリーマー 予告編

Beautiful_dreamer_bgm3

 ↑ある世代のアニメファンには懐かしいでしょうから、CD内解説書の、この映画のポスター用に作られた、恐らく高田明実さん(あるいはやまざきかずおさん?)によるイラストも。

うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー [DVD]

 ・・・・・今、振り返って思い返してみると、この映画、実はシュールな装いをまといつつも、押井さんが、高橋留美子ワールドに触発されて生み出した、究極の「男女の愛の物語」だった気がする。

 それが、原作の高橋留美子先生の感性とはいかに異質だったとしてもね(^^)

*****

おまけ:

後藤今日香/フィーリング・フリー - アニメカバー・ベストヒット30 Vol.2 (Disk 2) - ラムのラブソング「ラムのラブソング」・・・・TVシリーズのOPとして、革命的な名曲(途中の転調が凄いし、「すべてシンセで作られた初のアニメ音楽」です。カバーですが、原曲のテイストの忠実な再現に実に徹してくれているのが嬉しい。これはお勧めですね(^^)

白石みのる - 白石みのるの男のララバイ - 愛はブーメラン (24話エンディング)「愛はブーメラン」・・・・「ビューティフル・ドリーマー」のエンディング。・・・・ま、まさか男性によるカバー(???)があるとはねえ・・・・はっきりいって、らき☆すたの白石みのる氏が、番組の中でエンディングとして無伴奏で歌ったに過ぎないものがiTunesにまで入っているだけみたいですので、古くからの「うる星」ファンの人は拍子抜けすると思います(^^;)

※「うる星」絡みでのおまけ記事はこちら

blogram投票ボタン
ブログランキング・にほんブログ村へ
人気ブログランキングへ
ビジネスブログランキング
にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 心理カウンセリングへ
にほんブログ村 音楽ブログへ
にほんブログ村

2009/06/25

アニメで男女の普通の悲恋物語を描けるのは押井さんだけか? -人狼-

 このDVDに関しては、実は何年か前に購入していながら、封を切らないでいた。ちょうどいいタイミングなので、やっと観てみる気になった。

人狼 JIN-ROH [Blu-ray]

 もっとも、この映画においては、押井さんは、原作と脚本のみである。しかし、押井さんといつも仕事をしてきたスタッフたちの手により、実に見事に押井ワールドが構築されている。ある意味で、「総合的なバランスのよさ」という点では、押井作品の中でも出色の完成度といっていいのではなかろうか。

 もっとも、ある独特のいびつさ、バロック的ともマニエリズムといいたくなる側面というのも、彼の作品の独特の魅力なのだが・・・・ベートーヴェンだって、作品としては無茶苦茶にいびつであり、作品発表直後は批評家に叩かれまくったものだ。

 そして、ベートーヴェンが、ピアノの性能向上をはじめとする最先端の楽器をいち早く採用し、それまでの古い楽器では描き切れないものを無理やり楽譜に詰め込んだのと同様に、押井さんの作品には、最先端のアニメ技術を予算的に可能な範囲で、まるで「船の甲板の板まで引っ剥がして薪にくべるようにつぎ込む(精神科医、中井久夫先生が自著、「西欧精神医学背景史」について「あと書き」で語った表現)」ために生じる、画面として観た際に生じる独特の不整合感・・・・旧手法と新手法の「きしみ」のようなものがひっかかりを残すのも、やむを得ない。

 押井さんの作品が古典になった時、こうした面をどうこういう批評はもはやあまりなされなくなっていくはずである・・・・まさに、ベートーヴェンのごとく。

*****

 公開されたのは、"GHOST IN THE SHELL"(1995)の後の時期にあたる2000年である。この公開年から考えれば、CGを全くに近く使わず、セルアニメの手法のみで、しかもここまで贅沢に豊穣に描き切った、その画面の醸し出す雰囲気は、作品世界の、昭和30年代後半のパラレルワールドのレトロな空気とも見事にマッチして、何とも贅沢な映像体験をさせてもらっているという思いを強くする。なかなか、ここまで、セル動画や背景画に一切の手抜きなしの均質性というのは、現実には体験したことがない。

 物語世界については、結局、国の警察機関内部とセクトとの間での人間関係に閉ざされおり、そうした組織の論理が前面に打ち出されているため、それだけで「作品世界が閉じている」云々と言い出して、この映画に入れないという人も結構あるのだろうと想像する。しかし、そのことだけで、この映画を「作家性優先」だとか「オナニー映画」などと言い出す人は、どんなものかなあ・・・・と、率直に言って、思う。性急に「自分の願望」を満たしてくれない映画を単に「気に入らない」というだけならばともかく。

 この作品世界にほとんど相似の現実は、第3世界にいかに満ち溢れていることだろう。自爆テロ、どこまでが一般市民でどこまでがテロリストかわからない世界、一国の中で警察や軍事機構が複雑な構造を持ち、互いに権力争いしている世界・・・・・実は「ありふれた」現実ではないか。

 押井氏は、自らの学生運動体験(その中での恋愛体験?)へのオマージュをも込めながら、そうした世界の現実を、パラレルワールドの日本に招聘し、観客の目に突きつけただけだとすらいえる。

 そして、何らかの意味で組織や団体やグループに加入しているもの同士が出会う時、まさにここで繰り広げられているようなことが生じているのだ。これは我々が幼稚園や小学校時代から積み上げてきた、社会との軋轢の歴史である。組織の論理に憑依される人々。構成員の間の内部闘争、建前と本音、権謀術数、「社会正義のための(ヒューマンな)」組織の内部ですら進行する冷酷な非人間性と闇、裏切りや嘘。秘められた恋と、それを不条理な思いを抱きつつも断ち切る(断ち切られる)ようなことは、人生の中で少なからぬ人が身近に遭遇してきた現実のはず。武器や殺人がなく、主人公のように無敵のスペシャリストではないというだけのことであろう。

 そのことを思う時、この映画は、辛口だが、何とまっとうな、男と女の出会いと別れの物語ではないかと思う。それを描くのに、ヌードシーンはワン・シーンも不要なのだ。

 これだけ、「ごく普通の」大人の感受性を維持した「成熟した」アニメ映像作家が、日本のどこにいるだろう?

 (そういう人を知らないだけかもしれないが。・・・・・敢えて言う、宮崎さんだとは、私には思えない。宮崎さんは、社会的要請によって、必死に「大人の代表」を演じなければならなくなった、絶えず「背伸び」を強いられてきた、「永遠の少年」のように感じられて仕方がないのだ。押井さんの方が、「等身大」のままでいられている。「だから」ジブリに後継者が育たないのだ! 押井さんの方が、この作品の監督の沖浦さんをはじめとして、結果的に、後進を順調に育てているように見える。そうした人たちは単なる押井さんの劣化コピーにはならないないだろう)

 押井さんより9歳年下だが、昭和35年生まれであるおかげで、この作品の中で描かれている風景が、幼児期の「テレビを介さない」記憶として残っている世代として。

 押井さんだって、このくらい「普通の」脚本を書く時は書くのである。

ブログランキング・にほんブログ村へ
人気ブログランキングへ
携帯アクセス<br /><a href=ビジネスブログランキング
にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 心理カウンセリングへ
にほんブログ村 ニュースブログ ニュース批評へ

2009/06/24

待つ女 -スカイ・クロラ-

 この押井守氏の劇場版アニメーション映画を、男と女の物語として十分味あわずして、この映画について、ちまたにあふれる、「変わらない現実をどう変えるか」云々の物語として理解しようとするのは、この映画の苦味を、澱(おり)まで飲み干して味わうことにはならないのではないかと思う。

 ・・・・・もちろん、少なくとも、ある一定の年齢層に達した観客のかなりの部分は、そのことに十分に気がついている筈であるが。

 以下、恒例、原作についての予備知識なしの人間が、一回観た段階での感想として書くので、もし何か重大な勘違いがあってもお許しいただくとして。


【以下、物語の核心に関わるネタバレありです】

スカイ・クロラ (通常版) [Blu-ray]

*****

 主人公、函南優一の基地への着任を待ち受けていた、草薙水素(すいと)。彼女は、永遠に「待つ女」である。戦闘で死なない限り永遠に子供の姿のままで生き続ける「キルドレ」である彼女は、その永遠に続く変わらない日常を打破してくれる「男」をひたすら待ちわびる無力な存在に過ぎないとも言える。

 この、ゲームとしての戦争を果てしなく続けることを「平和のための保険」であるという共通合意が成立した近未来世界の、果てしなく淀んだ「大いなる日常」を崩すためには、決して負けることがない、しかもキルドレではない「大人」の操縦士とされる、「ティーチャー」を撃墜することによってしか達成されない。

 水素は、かつてその「ティーチャー」と男女の仲になり、一子を設けた。その「娘」は、確実に成長し続けているのであるから、「ティーチャー」がキルドレではないということ自体は虚構ではないと見なしていいのだろう。

 水素も、その「ティーチャー」を自らの手で撃墜しようとすることがある。しかし、それは決して果たされない。しかも、「ティーチャー」の側が、彼女に限っては決して「止(とど)めを刺して」はくれないという「生殺し」状況もあるのではないかと想像できる。

 キルドレには、過去の記憶が非常に曖昧な形でしか存在しないようである。子供時代の記憶というものは決して作中で語られることはなかった。もっとも、戦闘員として必要な技能に関しては例外である。これは、キルドレが、遺伝子操作によって作られたクローン的な存在で、必要な記憶や技能のみが、後で「疑似体験」的に植えつけられている可能性を示唆するものだろう。

 ただ、どうもキルドレ(少なくとも大半のキルドレ)の場合、「エヴァンゲリオン」の綾波レイのように、「私には代わりがある」ことそのものを自覚している存在ではないようだ。

 「攻殻機動隊」の世界観ふうにいえば、彼ら/彼女らには、個体としての「ゴースト(こころ)」が確かにあるのである。出生から現在に至るまでの人生のストーリーは曖昧なのに、一回限りのものとしての人生という認識までは奪われてはいない。そのこと自体がある意味で残酷であるとすらいえる。

 キルドレは、複製品としての、さまざまな擬似情報にばかり囲まれて育った、私たち(以降)の世代の暗喩であるようにも思われる。共有する子供時代の記憶といえば、「あの頃ああいう番組が流行っていたね」だとか、テレビの向こうで繰り広げられていた戦争や事件の記憶が大きな部分を占めている。

 現実の私たちにとって幸いなのは、(特に私ぐらいの年齢になると痛いほど感じるのだけれども)、自分が年月を経るにつれて否応なしに変化して来ていることに気がつけていることだ。「若い頃」とは変化しつつある自分と、日々直面し続けることになる。もっとも、それは決して単なる衰えなどではなく、感性と知性のバランス感覚がよくなるという体験として、少なくとも私には体験されている。

 そして更に、自分の人生のタイムリミットを意識していられる。「本当の衰えや死が訪れるまでに、自分に何ができるのか」という意識が、大きな支えになっている。もう、若い頃のように、1歳2歳の歳の違いなんてどうでもいい。かつて共に時を過ごした者が、それぞれ自分の人生を歩んでいるのをみても、いちいち動揺しにくくなっている。

  
*****

 「あなたには、生きて欲しい」

 この言葉を函南がつぶやき、水素がはじめて大粒の涙を流した時、函南がこのあとどのような行動を取るのかは、水素にも、そして少なからぬ観客にも予感できたはすである。

 その後の函南の出撃と、それを見送る水素の様子は、映画で繰り返し描かれてきた「特攻隊の出撃」映像をなぞるかのようである(もとより、押井さんは、自分の描き方が、まさにそうした過去の映像作品の複製的表現であることを、確信犯的に自覚していたはずだ)。

 コックピットの中の函南の表情はいつになく涼しげにすら見える。編隊の他のクルーを全員引き返させ、「ティーチャー」に一人で挑みかかる時、彼は全力で戦い「ティーチャー」を撃墜するつもりでいたろう。少なくとも「刺し違える」つもりでは。

 ・・・・・しかし、彼には、「特攻隊員」に死後贈られる栄光すら存在しない。

 なぜなら・・・・

****

 水素は、相変わらず、「待つ女」だった。

 このことに立会い、そうした彼女に幻滅した観客が、この作品世界をどう引き受けるか(どう引き受けないか)にこそ、押井さんが込めたメッセージがあるのだと思う。

 「あ、この映画(この男、この女)この程度か。つまんないや、他にもっとおもしろいのないかな(いないかな)」

と感じた時点で、その人は、水素のダークサイドを無自覚に再演し、そこに引き込まれているともいえる(^^;)

 少なくとも水素の中には、過去の男たちとの思い出は生き残っているようだ、仮に彼女自身がが過去に撃墜されて、再生されたクローンとしての履歴も持つとしても、彼女の「ゴースト」は完全には死に絶えてはいないように思える(彼女だけは、この点で「特別扱い」なのかも。このへん、原作の設定は知らないが)。

 前の男は、「殺してくれ」止まりだった。

 次の男は、「お前は生きろ」という言葉をかけてくれ、自ら「世界を変える」決戦に飛び立ち、命を散らした。

 更に次の男は?・・・・・あと一歩ステップを刻むかもしれない。

・・・・・素子は素子なりに、未来への希望をつないでいるのではなかろうか。

 娘がどんどん大きくなる「現実」を見据えながら。

 そして、何度「命を散らした」かに見えても、我々自身の中に、クローンが再生するかのような「再生」の機会があるのだと思う(きちんと「養生」すれば、めぐってきます(^^))。

 まあ、「再生」するたびに、遺伝子の一部が更に損傷を受けて、老化は進んでいるかもしれないけどね、記憶の多くは、キルドレたちよりは遥かに維持されているであろうし(^^)  

 神経繊維のネットワークの方は、歳を重ねても成長できるのだよ。


●goo映画 こういちろうによるレビュー

ブログランキング・にほんブログ村へ
人気ブログランキングへ
携帯アクセス<br /><a href=ビジネスブログランキング
にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 心理カウンセリングへ
にほんブログ村 ニュースブログ ニュース批評へ
 

2009/06/21

とっくに「電脳化」しているこういちろう? -劇場版「甲殻」について:続編-

 押井守さんの、劇場版「攻殻機動隊」2部作に関する感想の補足である。

 第1作、"GHOST IN THE SHELL"が最初に公開されたのは、1995年、つまり、Windows95発売の年である。


 このOSの発売ではじめて、インターネットは多くの人にとって身近な存在になりはじめた。もっとも当時は、「常時接続回線」を個人で所有する人など超例外だった。さすがに電話機の受話器を使った「音響カプラ」の時代は脱していたにしても、多くの個人ユーザーは、低速のモデムを一般電話回線につなぐ形。プロバイダ料金も従量制だったので、特定のページを閲覧している間は通信を切るということもしていた記憶がある。

 しかし、当時のパソコンの新規ユーザー層の少なからぬ部分にとっては、パソコンとは基本的には"stand alone"に使用するものであり、電子メールを使用する際、パソコン通信に関心がある人たちを別にすると、「インターネットを介してて、ユーザーが常時接続的につながっている」という感覚そのものがなかったわけである。

 今でこそ、"GHOST IN THE SHELL"で描かれた、「大抵の人が、(自分の脳に埋め込まれた)端末を通してネット世界につながっている」という状況は、身体の埋め込み端末こそないものの、インターネット機能が発達した携帯電話と向かい合うようにして日々を送っている現実との落差はぐっと小さくなり、今の現実のちょっとした暗喩の物語・・・・ぐらいで受け止めることができる。

 しかし、"GHOST IN THE SHELL"が、14年前の作品であることを思い起こす時、この作品が、いかに時代を先取りしていたかに、ちょっと呆然としてしまうのである。

 もとより、押井さんが、更に数年前、劇場版「パトレイバー」第1作で、当時はまだほとんどの人にとって未知の用語だった、「汎用OS」だとか、普段は沈黙していても、一定の条件が揃うと、一斉に凶悪な機能を発動をする「コンピューターウィルス」や、今日でいう「ハッキング」の問題を取り扱ったのが、何と1989年であるから(^^)

***** 

 さて、「攻殻」の作品世界の中では、

「自分の経験や記憶(恐らく、DNA情報なども)など、自分を自分たらしめているもののすべては、ネットの中に常時保存され続ける」

という趣旨のことが何回か語られるが、私のように、まさに1995年から個人ウェブサイト(「阿世賀浩一郎のホームページ」は当時の原型そのままのコンテンツを今も含みます)を立ち上げてきた人間からすると、こういちろうという人間の体験や記憶や思考のかなりの部分が、すでにネット空間に蓄えられているのだと、妙に生々しく実感できる。

 私の場合、原則として、仮にハンドルを使ったとしても、リアルワールドでの私と同一視されるのは一向かまわないという立場でしかネット活動をしてこなかったから、なおのことである。

 

前の記事にひきつけて言えば、ひょっとすると、すでに、私の『ゴースト』そのものが、ある程度はネット空間の中にも自律した存在として跋扈できるpresenceを、(ささやかながら)獲得でき始めているのではないかとすら思う。

 つまり、こういちろうはすでに、素朴な次元で、十分、ヒロインの「草薙素子(もとこ)」的な意味での「電脳化」した存在様式を持った存在なのではないかということ(^^)

 もっとも、こういちろうは、素子のように、無茶をし過ぎて、生身の身体の方を吹っ飛ばされ、「脳核すら失う」形で、電脳空間を基本的な住処とし、時々必要に応じて「擬体」を使い分けるような存在にはならず(爆)、生身の人間として、この世に「どっこい生きて」い続けるであろうこと。

 生身のカウンセラーとして、この世に存在し続けるわけだし、フォーカシングのトレーナーとしての私も、もっとその存在を、リアルワールドに「露出」していけるようになることを、じっくりと目指していますので(^^)

*****

 ところが、もし仮に、日本のフォーカシングの世界における私についてのイメージというものがあるとすれば、この10数年来、それはほとんど、ネットを介して形づくられたものにならざるを得なかった(クローズドなメーリングリスト、"focusing-net上での活動を含めて)。

 私が実際にフォーカシングのセッションを、フォーカサーとして、トレーナー/ガイドとしてどう行なうかをライブ体験している層は、実はほんのほんの例外的な一部の人たちでしかないのにね(^^) 

 そういう意味では、フォーカシング関係者は、現在も、私のネット上の『ゴースト』に踊らされている人たちが今も少なくないのかなとすら思う(^^)。

 そこに映し出されている『幻』は、果たして、「こういちろう自身のこころ」なのか? それとも読者の「こころ」を写し出す、投影的な『鏡』なのか?

blogram投票ボタン
ブログランキング・にほんブログ村へ
人気ブログランキングへ
ビジネスブログランキング
にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 心理カウンセリングへ

コメント・トラックバックについて

  • このブログのコメントやトラックは、スパム防止および個人情報保護の観点から認証制をとらせていただいております。これらの認証基準はかなり緩やかなものにしています。自分のブログの記事とどこかで関係あるとお感じでしたら、どうかお気軽にトラックバックください。ただし、単にアフリエイトリンク(成人向けサイトへのリンクがあると無条件で非承認)ばかりが目立つRSSリンク集のようなサイトの場合、そのポリシーにかなりの独自性が認められない場合にはお断りすることが多いことを、どうかご容赦ください。

最近のコメント

はてなブックマーク


最近のトラックバック

last.fm


フォーカシングの本1

フォーカシングの本2

フォト
2012年1月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        
無料ブログはココログ

banner

  • 携帯アクセス解析
  • Google Sitemaps用XML自動生成ツール
  • Firefox3 Meter
  • ブログランキング・にほんブログ村へ

ブログパーツたち

  • track feed カウンセラーこういちろうの雑記帳
  • アクセス状況
    アクセス解析

カテゴリー