土江正司

2012/01/04

「こころの天気」のご紹介

島根県松江市でフォーカシング・トレーナーをなさっている土江正司さんは、活発にグループワークやワークショップを開催されており、独自のユニークな技法をいくつも実践しておられる注目すべき存在です。

もっとも著名なのは、「こころの天気」よばれる描画法的アプローチです。

この技法は、非常にシンプルであり、小学校低学年を含む学校教育現場でも十分活用できます。

詳しくは、土江さん自身のサイトでわかりやすく解説されているので、以下のサイトを御覧ください。

●こころの天気描画法(by 心身教育研究所)

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2011/12/31

フォーカシング関連書籍、全員集合!!

大晦日でもありますので(?)、Amazonで購入できる、日本のフォーカシング関係の「全」書籍をご紹介いいしたします。

これらのうち、私(阿世賀浩一郎)が編者になっているのが1冊、共著になっているのが三冊です。

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2009/09/03

「カウンセラーこういちろうの雑記帳」の主要過去記事を一番簡単に一覧するには

 このブログって、すでに創設4年9ヶ月、過去のエントリー記事総数が、「この」記事で1,914本め、なのに一日あたりの新エントリー、平均1.10本以上を現在も維持、しかも長文が多いという、へヴィー級ブログです。

 おかげで、もはや@ニフティココログが割り振ってくれているサーバー負荷が相当なものになっているせいか、

  • 私の方からトラックバックを送ることがもはや機能しない
  • pingも自動では飛ばせない(その割には随分多くの読者の皆様が、新記事アップ直後においでいただけることを幸いだと感じています)
  • カテゴリーにすべての記事が反映しない(カテゴリーによっては300から400エントリー分表示されようとするわけで)

・・・・・という、新しくおいでいただいた読者泣かせのブログになっていると思います m(_ _;)m

****

 もちろん、バックナンバー全体を表示してくれる、『アーカイヴ』ページ(自身がココログユーザー以外の読者の皆様、お気づきでしたか??? 右フレームの「バックナンバー」という文字そのものをクリックするとたどり着けます)というものも、あるにはあるわけです。

 しかし、このページにお行きになっていただいたとしても、過去の個々のエントリー記事のタイトル一覧があるわけですらない

 このページからの「〇年〇月」を全部めくっていただくだけでも(全く休眠した数ヶ月を除いても、現在50か月分ほどあるわけですね(^^;)。その50ヶ月分、それぞれ月ごとに、毎月30から40エントリーずつはあるわけですから・・・・・

 つまり、私がこのサイトでこれまで書いてきた主要記事がどんなものか、新しい読者の皆さんにおおよその見当をつけていただくには、もうデタラメにご不便をおかけしていることと思います   il||li _| ̄|○ il||li

*****

 この問題を一気に解決し、

  • 新記事の方が上に来る形で、
  • 過去の記事に関しては私がある程度絞り込んでセレクトしたものを、
  • 数百記事ばかり、1ページをスクロールできる形で
  • ブログのような表示の重さがない形で一覧したいただける

そういうページが、実はずっと以前から存在します!!

●阿世賀浩一郎のホームページ/index

 開設1995年12月(つまりWindows95発売直後)開設、日本において、インターネットで個人サイトを作ることが本格的に普及し始めた黎明期から、何と基本的なデザインを変えないまま運営し続けているサイトです。

 かつては、ネットを代表するエヴァ・サイトのひとつ、「エヴァンゲリオン論考」で著名だった時代もありますけど、幸いにして著作化させてもいただきましたので、そのコーナーは全面削除いたしておりますが(「ちーちゃんの部屋」というアニメコーナーがかつて存在したことを覚えておられる方もあると嬉しかったりして ^^;)・・・・

そのトップページから、このブログでの新エントリー記事を書く度ごとに、固定リンクへのリンクを、たいてい速攻の連続作業でお貼りしてもいるのです。

 恐らく、皆様のRSSリーダーに反映するスピードの比ではない「即時性」で「新着情報」が掲載され続けています。

 同一エントリー記事の更新(改版)情報すら、可能な限り早くお伝えしています。

 

そこに並んでいる、当ブログ個別記事へのリンク数は、常時数百あるはずです(古いものから時々、精選のための「ダイエット」をかけますので、一定数以上には増えません)。

 しかし、敢えて今でも、基本的には「素朴なhtml言語の手打ち」に依存し、javaスクリプトすらないに等しいということで、このトップページそのもののバイト数の多さの割には、表示が圧倒的に軽い筈です(このブログのトップページを表示するよりは軽いと思いますよ)

 
当方のアクセス解析によって、「こっちのページで新着情報見つけるほうが手っ取り早い」ことにお気づきの、毎日数名以上の固定ユーザーの方がおられることは掌握しています(感謝!!)。

 しかし、そうした方の占める比率が以前よりもかなり減っているようにも思いましたので、改めてご紹介させていただきました。

 

今後とも、「カウンセラーこういちろうの雑記帳」をよろしくお願い申し上げます。

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2009/05/24

こういちろうはいかに短期療法に入門したか(後編) -ライブ・コンサルテーションという名のケース・スーパービジョン-

 前編の続き、第82回日本産業衛生学会における、日本短期療法学会元理事長、長崎純心大学教授、児島達美先生による、産業保健領域(EAP)における短期療法的アプローチの具体について報告したい。

 児島先生が、講演の後半の1時間を費やしたのは、「ライブ・コンサルテーション」と呼ばれる形式でのケース・スーパービジョンのデモンストレーションだった。
 
 コンサルテーションとは、クライエントにあたる人物とカウンセラーの直接の一対一の面接ではなく、むしろ問題を抱えた人物=いわゆるクライエントと関わる、援助的側面を持つ当事者(カウンセラー、上司、家族、配偶者、友人など)に対して、専門家が、クライエントさんにいかに対応するのかについて助言する場合を指す。

 (私の書いたこの記事における分類をご参照ください)

 助言する専門家のことをコンサルタントと呼び、助言を受ける人物のことをコンサルティーと呼ぶ。

 つまり、コンサルテーションにおいては、通常のカウンセリングとは異なり、クライエント/クライエントに関わる援助者(コンサルティー)/助言する専門家(コンサルタント)・・・という三者関係が布置されていることになる(クライエントさん自身はその場に同席しなくても)。

 これは、クライエントさんとの面接過程について、カウンセラーが、更に経験あるカウンセラーに有料契約で助言を求める、ケーススーパービジョンと呼ばれる枠組み基本的には共通である。つまり、

スーパーバイザー=コンサルタント
スーパーパイジー=コンサルティー

と読み替えて、一応差し支えはない。


 ただ、ケーススーパービジョンにありがちな光景は、

1.スーパーバイジーが綿々とケース記録を読み上げ、(ああ、聴いていると退屈!!)

2.スーパーバイジーは、クライエントさんの病理や面接過程についての分析や考察を、あくまでもスーパーバイジーの中での「思い込みの物語」としてとうとうと語り、

3.どのようにケースがうまく行かないのかについて、スーパーバイジーは、自分の未熟さについて、ひたすら自虐的で内罰的な自己分析を重ね、

4.・・・・かと思うと、今度は、「クライエントさんの自我水準がボーダーラインだからうまくいかない」「担当医がデリカシーに欠ける応対をクライエントさんにしてくれていない」などという「外罰的な」責任転嫁に転じ、

5.そうしたスーパーバイジーの防衛のヨロイを更に突き崩さんとばかりに、スーパーバイザーの先生は、スーパーバイジーがまだ気がついていない問題点を洗い出し、詰問し、

6.もしそれがグループスーパービジョンだったら、他に参加者も、スーパーバイザーの先生に「同一化」して、他の人の事例の「揚げ足の取り方」にだけ習熟の技を磨き、

7.結局、そうやっってスーパーパイジーが語った、主観的で都合のいい切り取られ方をした面接の報告という「フィクション」に基づいてなされた、一面的で主観的で、人のことはなんとでもいえるけどねえといいたくもなる、意外と無責任であてずっぽうで思いつきに過ぎないな「見当違いの」助言が、スーパーバイジーに雨あられと降り注ぎ、

8.そうした助言に従って面接場面でクライエントさんに向かって動いてみようとしたら、スーパービジョンを受ける前よりも、クライエントさんとの関係は余計に混乱し、収拾がつかなくなり、

9.カウンセラーは、いよいよ自分の感性と判断で、腹を据えて面接に臨めなくなり、

10.そういうカウンセラーの自信なさげな様子を、クライエントさんは、たよりなく感じて、カウンセラーに更に苦情を言ったり、罵詈雑言を重ねたり、ついには無断キャンセルにして来なくなったり、相談機関窓口に「カウンセラーさんを変えてください」と電話を入れたりして、いよいよカウンセラーはアイデンティティーの危機に陥り、

11.次のケーススーパービジョンで、1.から7.までをもう一度繰り返して、更にスーパーバイザーの叱正を受けたり、壮絶な自己嫌悪のトラウマを深め、

12.そうこうするうちに、「こんなスーパーバイザーに指導を受けているから自分は駄目になったんだ」と内罰から外罰に転じ、

13.気を取り直して、そのカウンセラーは、別の「もっと優秀な」スーパーバイザーを探して、

14.以上、1.から13.を2回も3回も4回も繰り返した挙句、

15.今日も新たなスーパーバイザーを求めて、路頭をさ迷うのでした。


・・・・・という現実が、ちまたに見られるわけである(^^;)


*****


 そういう、ありがちなスーパービジョンと、児島先生のような達人によるライブ・コンサルテーションは何が違うか。

1.仮に事前にケース記録をまとめてきたとしても、コンサルティー(助言を受ける人)は、それを読み上げるのではなくて、あくまでもライブで話せる範囲で、今、クライエントとの関わりで生じている行き詰まりや、何を解決したいのかを物語る。コンサルタント側も、その内容について、文書等を含めて、事前に一切予備情報を受け取らない。

2.コンサルタントは、事例に対する助言をするというよりも、いわば「ある人との対人関係に悩んでいるクライエント」に応対するかのように、短期療法的な面接過程そのものを、コンサルティーとの間で繰り広げていく(そこには、間接的に、コンサルティ自身をクライエントの身に置いて役割交換をした上での、間接的だが体験的な技法の学習を暗々裏に促すという側面が内包されることになる)。

3.短期療法の性質上、それは「問題の原因探し」的な探求や分析ではなく、コンサルティーが「今、何に、どう困っているか」「これからどうしたいのか」という点に絞ってやり取りは勧められていく

4.私の見たところ、コンサルタントは、コンサルティーの発言を受容的・共感的に受け止め、コンサルティーの発言の流れを押しとどめて水を差すことはむしろ回避しているが、さりげなく話しに水を向ける際に「あなたはそれをどう感じ(思い、考え)ましたか」などと内省を深める方向に焦点を絞るのではなく、「それで、あなたは、クライエントさんにその後どう振舞いましたか」などという、その人の認知・思考・行動面での「問題解決」のありようの話題を引き出そうとしているように見えた。

5.しかし、そうした際に、はた目から観て、そのコンサルティの問題解決様式に一定のかたくなな固着があり、クライエントさんとの間に悪循環的な相互作用があっても、コンサルタントである児島先生はそれをすぐさま指摘して修正を促すことはしていない。まるで、そうしたコンサルティーの認知の固着や、相互作用的な悪循環が繰り返し自然と浮かび上がり、コンサルティー自身が、その悪循環について暗々裏に少しずつ気づき始めるまでは、むしろそうした悪循環パターンそのものを思うがままに自由に語らせ、ふるまうに任せ、それをやさしく「抱える」ようなスタンスで応対されているかのように感じた。この点での児島先生の、どっしりとした、安心感を漂わせた、少しユーモアすら漂わせたプレゼンスには、臨床家として、大いに見習うべきものを感じた。

6.こうした流れの中で、まるで「時が満ちた」間合いを見計らうかのようにして、児島先生は、「ところで、○○さん、ちょっと次のようなことを、今、ここで試してみてはどうかと思うんですけど?」というような調子で、コンサルティーに、独特の「思考実験」のようなものを提案する。それは独特の意外性があり、まるで、面白いゲームに誘(いざな)うような問いかけである(後で知ったが、こういうのを「ミラクル・クエスチョン」というんですね。)


*****


 この部分から、実際に目の前でなされたライブ・コンサルテーションの内容をご報告するのがふさわしいだろう。

 クライエントさんは、企業に勤める中年のサラリーマンであり、うつ病で、休職と復職を繰り返してきた。産業医は、ともかく毎日会社に通うことが習慣化することを、EAPカウンセラーであるコンサルティーに求めている。しかし、クライエントさん自身も激務に復帰することに不安を抱いているし、その一方、上司の自分への対応に不満を抱いてもいる。コンサルティーは、そうしたクライエントさんにどのように対応していくのが援助的かに、さまざまな迷いを抱き、時にはクライエントさんに色々反論したり意見したくなる衝動と戦ってもいる。

 ・・・・・この水準までなら、EAP(従業員援助プログラム)領域でのサラリーマンの復職支援として、非常に典型的な状況ですから、個人が特定できる心配は全くないかと思います(^^;)


 さて、児島先生は、上記の1.から5.にあたるやりとりが、20分ほどかけて進んできたあたりで、水を向けるわけですね。

6.「どころで、今、ここまで私たちがこの場で繰り広げてきたやりとりを、○○さん(クライエントさんの仮名。その場でつけてもらうあたりも興味深かったが)が、実は私たちのうしろの「このへん」にいて、みんな聴いていたと想像してみるのはいかがでしょう? ○○さんは、どんな感想を言ってくれると思いますか?

 コンサルティーのAさんは答えます:

「そうですねえ、うーん・・・・・・○○さんは、いつでも、私との面接の後で、お礼を言ってきます。きっと、いままでの私の話を聴いていても、『いえいえ、カウンセリングは十分に役に立っていますから』などと、答えてくださるのではないでしょうか?・・・・・・(沈黙)・・・・・・・でも、ほんとうのところ、そのように感じてくださっているかというと、自信がないんですよ」


 児島先生は、もう一度、類似の質問を投げかけます。

「なるほど・・・・・・それでは、今度は、今、お話になった、そのことまで○○さんが、このやりとりのそばにいて、お聴きになっていたたとしますね。 ○○さんは、どんな感想を言って下さると思いますか?


「きっと、『いえいえ、本当に感謝していますから』と言ってくださるとは思うんですが・・・・・・(この後、Aさんに思い出された、関連事項についての記憶については割愛します)」


 児島先生は、更にもう一度(!)、類似の質問を投げかけます。

「なるほど・・・・・・それでは、もう一度やってみましょう、今、お話になった、そのことまで○○さんが、このやりとりのそばにいて、お聴きになっていたとしますね。 ○○さんは、どんな感想を言って下さると思いますか?

「・・・・・・どうも私は、○○さんが実際に示している態度や言っていることを、額面どおり信じられない、ほんとうは、凄く違和感や欲求不満をを感じているのに、それを言えないまま溜め込んでいるはずだとどうしても感じてしまうんですよ。そして、私は、そうした○○さんの求めにどう答えていいか、困惑してしまっているようですね」


 ここで児島先生は、突如、ご自身の経験談を問わず語りにお始めになります:


「私が若い頃、スーパーバイザーの先生に事例の報告をしている時、『クライエントさんの本当の気持ちがわからない』ということをふと漏らしたんですよ。そうしたら、先生が次のように言われたのが凄く印象的でした。

『クライエントさんの本当に気持ちを確かめることって、それほど重要なことなのかね?』

 そのように言われたことが、私の頭の中に意外なくらいに残り続けていましてね。そうこうするうちに、クライエントさんの言葉の「ウラを読もう」という構えが私の中からいつの間にか抜け落ちていったみたいでね。・・・・・気がついてみると、そういう私の側のスタンスの微妙な変化みたいなものが、何となくクライエントさんに面接室で伝わるようになって行ったんじゃないかとも思うけど、クライエントさんも感じたままに私の前で思ったことを言ってくれているなと思えることがいつの間にか増えて、面接の力みが、いい意味で抜けて行った気がしているんですよ」


 これを聴いていた、コンサルティーのAさんは、ふと思い立つように、次のように語りだします:

「先生のお話を聴きながら、私が○○さんの言うことを「信じられない」のはなぜかなあ?・・・・と思いを巡らせていたんですが・・・・・いま、ふと、思い浮かんだのは、そもそも私のほうが、○○さんに、感じたままのこと、思ったままのことを全然言っていないじゃないか?・・・・・って」


******


 フォーカシング的に言えば、児島先生が3回繰り出した問いかけ(私が質問タイムに確認したところ、この質問は、短期療法の世界で「関係性の質問」と呼ばれるもののバリエーションンだそうである)は、フォーカシング技法でいう「フェルトセンスに問いかける(asking)」と実に似通った質問である。

 フォーカシングの場合には、内的な対象としての、フェルトセンス=身体の感じそのものからの応答を誘発するものであるのに対して、児島先生のなさったのは、その場にいないクライエントさんと、イメージ上で対話するという形でこそあれ、外的な現実の他者、しかも3人目の他者がどのように応答してくるかという実験である点に重要な違いがある。

 しかし、例えば、フォーカシングで、

ガイド:「何かが『引っ込んで』いる・・・・・そういう言い方でしっくりくるかな? とお腹の感じに尋ねてあげてみたらいかがでしょうか」

フォーカサー:「・・・・・(沈黙)・・・・・『一応はいいよ』と答えてくれています」

ガイド:「なるほど、『一応はいよ』と答えてくれているんですね。それでは、『何かがそこに引っ込んでいるんだね、わかったよ、そこにいるのは』みたいに声をかけてがげてみるのはいかがでしょう」

フォーカサー:「・・・・・(沈黙)・・・・・何か感じが変わってきました」

ガイド:「・・・ほう、・・・・というと?」

フォーカサー:「・・・・・さっきまでは、引っ込まないでいると傷つくので、やむなく引っ込むという感じで、きゅうっと締まるような苦しさが先にたっていたんですけど・・・・・・どういうわけか、さっき、「そこにいるのはわかったよ」といってあげてみたら、その部分が何か緩んで、少しずつ暖かくなってきたんです。・・・・・おや?「いやいや、引っ込んでみているのも結構いいものだよ」とまで言ってくる(笑い)」


・・・・などという展開が生じる時の、体験過程のステップの刻まれ方とあまりに似ていると思えたのです。


 別の質問者が、「児島先生が途中からご自身の体験談という形にされたことが印象的でした。そこにもひとつの大事な意味がありそうだと思ったのですが?」と水を向けると、

 「こういう時に『それはひとつの気づきですねえ』なーんていうふうに、上から押し付けるようなあり方はどうかな?と思っています。コンサルティーにとってそれがこのライブ・セッションの中ではっきりと定着した理解になるかどうかなんて、本当に大事なことなんでしょうか? だから、私は、自分にもそういうことがあったんだよ、という、コンサルティと同じ目線での経験談という間接的な示唆にとどめて、そこから何を汲み取るかは、お任せしてしまいたいと言う気持ちもあったんだと思います。・・・・ここまで説明してしまうと、これ自体があと付けの理屈っぽくなりますけど」


 ここで更に、司会もなさっていた島根大学の足立智昭先生(同じ島根の、「こころの天気」で著名な土江正司さん・・・・フォーカシング関係者にはおなじみ・・・・・の盟友でもあります)が、


「児島先生は、ここで、ご自身のスーパービジョンの先生という「4人目」をライブセッションの場の中に呼び込まれたということが大事なのではないでしょうか?」


という絶妙の示唆をして下さいました。

 コンサルティーのAさんも、


「これまでの事例検討を受けて一度も味わったこともない不思議な体験をしました」


と感慨深げでした。


 思うに、同じ事例を、ありがちな精神分析系の事例検討会が扱えば、「転移」や「逆転移」、「投影同一視」などという用語が果てしなく飛び交うにかかわらず、

「この事例って、むずかしい事例だよねえ・・・・」

という徒労感が、参加者全体の中にどよーんと覆い尽くすことが必至の事例だったと思います。


 その意味で、この「公開ライブ・コンサルテーション」、わずか40分ほどでしたが、まさに「奇跡(ミラクル)の40分」、短期療法の真髄を見せていただけたと感じております。

 改めて、講師の児島先生、事例提供者のA先生、この企画をご準備くださった、産業衛生学会産業心理技術研究会のスタッフの諸先生方に、厚く御礼申し上げます。



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2008/02/15

フォーカシングの、世界の最前線の記事たち

 「こころの天気」でおなじみの土江正司さんから以下のニュースをご紹介いただきました:

The Focusing Instituteの定期刊行物、"Folio"の、土江さん、日笠さん、上村さん、土井さん、小坂さん、増田さん、天羽さん、久波さんなど、日本フォーカシング協会の精鋭たちの、多忙な中、時間を割いての尽力による日本語翻訳版です。日本フォーカシング協会サイトにあります。

http://www.focusing.jp/International/folio20-1index.htm

 アフガニスタン中南米にもひろがる、世界のフォーカシング最前線の人たちの肉声が伝わってきます。

 個人的には、ジェンドリン自身「タウン(街)と人間的な注意」という、講演の一部を抄録した記事が興味深いです。

 ジェンドリンは、今も、現在と未来を見つめ、精力的に活動しています。

2008/02/04

「プレゼンテーター中心主義」 -こころの天気大船グループバージョン-

 さて、すでに「大船でフォーカシングを学ぶ会」で2回、四日市の「東海フォーカシング研究会」で1回実施した、「こころの天気」小グループバージョン大船版が、どういう基本原則で実施されているのかを具体的に解説してみましょう。

 私が理解している範囲では、島根の土江正司さん開発の「こころの天気」の技法は、非常にシンプルな原則のみで実施可能です。


 1.「こころの天気」とはどういうものなのかについては、絵を描く本人の解釈と発想の自由に基本的に委ねる。

 「天気」であるからには、晴れとか雨とか、そういう「天候を含んだ風景」でなければならないと言うことはないのです。中には、かなり抽象度の高い描画で、「今の気分」を表現する人も出てくるでしょうし、かなり接写に近い静物画のようなものを書く人もいる。 絵にタイトルを付け、文字で書く人もいるでしょうし、絵の中にいろんな解説の文章を書き込む人も出てくるかもしれない。

 中には、絵は描かないまま、紙いっぱいに大きく「気持ち」についての文字を書きなぐる人も出てくるかも。

こういうふうに!(^^)

 これらのバリエーションが自然と各人の解釈の元に生じてくることについては、介入しないという基本原則があるように私には思えます。


 2.「写生」ふうの伝え返ししかしない。

 描かれた絵に、カウンセラーは「伝え返し」をするのですが、この際、絵に現れたままを、俳句で言う「写生ふう」の形で、簡潔に伝え返しをするに留めることを、開発者の土江さんはたいへん重視しています。

 前の記事の私の絵を例にすれば、

「夜なのかな。
家が一軒あるね。
窓に明かりが灯っているね。
赤い服を着た女の人が、その窓のそばに立っているね」

くらいです。


 (更に、中井久夫先生の「風景構成法」からの転用として、絵を実際に描く前に、画用紙の縁のあたりに自分で「枠線」を描いてもらうことが一般的なようです)


******


 こうした、オリジナルの「心の天気」技法を尊重しつつ、同時に、小グループの場の中でお互いに共有するための、場の安全の原則として、私、阿世賀が考案した工夫について以下に述べます。

 (以下の内容の著作権は阿世賀浩一郎が有します。無断転載、引用は固くお断りいたします。リンクを張るなどの形で紹介下さる前には、ご一報下さるようにお願いいたします)


1.絵を描く際に、グループの他のメンバーの「面前で」絵を描かない自由の保障(位置を変え、皆に背を向けて「こそっと」描いてもいい)

2.描いた絵を他のメンバーに公開しないままにする権利の保障。

3.他のメンバーへのプレゼンテーションの際に、何も解説しないまま絵を提示する権利の保障。

4.提示された絵に対して、その場のファシリテータのみが、前述の「写生ふうの伝え返し」を必ず行う

5.絵を皆に見せるメンバー(以下「プレゼンテーター」と呼ぶ)は、他のメンバーに具体的な感想を返さないように求める権利を有する。

6.プレゼンテーターの絵を見守る他のメンバーは、プレゼンテーターに具体的な感想を返さない権利を有する。

7.6.に抵触しない限り、プレゼンテーターは、他のメンバー全員から具体的な感想が欲しい旨、前もって「注文を付ける」権利を有する。

8.プレゼンテーターは、絵についての他の参加者とのやりとりをいつどこで終結させるかの判断の権利を有する。


 場のファシリテータは、これらのことをプレゼンテーターに保証するための介入しかせず、それ以外の点では他の参加者と平等な立場にあるように努めることになります。

 その結果、自然と生じるのは、プレゼンテーターが持ち回りで2人目、3人目となるうちに、ファシリテーターがもはや逐一介入しなくても、全く自然かつ自発的に、「その時のプレゼンテーターが場の主人公として振る舞うようになる」という現象である。


  私は、こうした場の特性を、

 「プレゼンテーター中心主義」 

  と名付けることにしたのだが、いかがだろうか?


 なお、この「こころの天気」大船バージョンの成立には、四日市の「東海フォーカシング研究会」での、「藤嶽法」の、すでに数年におよぶ実践の中で共有された知見が、実は大きく影響しています。

 すでに10年近く、全く同じ固定メンバーとして毎月1回場を共にしてきた、藤嶽大安さん、渡邊邦子さん、森尾邦江さんに、厚く御礼申し上げます。
 

2007/12/07

フォーカシング・ピープルは世界人口のどれだけを占めるか?

 ちょっといじわるな言い方かもしれません(^^;)

 でも、私は、

「すでにフォーカシング学んでいる人たちにとって楽しい有益な交流の場になったのなら、それはそれでいいではなないか」

式の発言を聞くたびに、思わず内心でこのことを連想します(^^;) 

 島国根性、日本的な「身内意識」とまでは言い切りませんが。(....でも言ってる^^;)

 そして、世界には、いろいろな差別や、民族・国家間の争い、紛争地域の住民感情の緩和、刑務所に収監された人たちのメンタル・ケア、終末期医療にフォーカシングを役立てられないかと、身体を張って奔走している人たちがすでにたくさんいることに心を馳せるのです。こうした情報は、Instituteサイトで公開されています。

 そして、2年後の国際会議には、そういう世界の皆さんが日本においでになるのです。

*****

 でも、忘れてはなりません。

 私たちに必要なのは、フォーカシングの布教活動ではないということを。

 なぜなら、私たちは、すでに多かれ少なかれ、フォーカシングが技法として定式化したことをすでに日常の中で無意識のうちにやっているのであって、内的「現象」としてのフォーカシングは、その意味では、徹底徹尾、何人も神聖不可侵な私有財産なのです。

 世界の人たちがすでにひとりひとり所有している所有物です。

 そのことに謙虚であり続けることが、何より、私たち、フォーカシングのトレーナーが決して忘れてはならないことだと自戒しました。

 最後に、島根で独立開業している、有力なフォーカシング実践家、土江庄司さんの言葉を紹介して、結びとさせていただきます:


 私自身「フォーカシングというもの」を伝えることに例え少人数でも四苦八苦していたのですが、「フォーカシングというもの」は存在しない、と思うようになってからちょっと自由になりました。

 個人の中で、あるいは人と人との間で、何か有意義と感じられる進展があるとき、そのメカニズムを全部記述できるのが“フォーカシング言語”なのだと今は捉えています。

 おそらくこれでセラピーも禅も信仰もトランスパーソナルもすべて記述できるのではないかと思っていますし、それがもともとのジェンドリンのねらいではなかったかとも思います。

2006/07/01

フォーカシング・ワンダーランド!!(第2版)

 日本フォーカシング協会に「メンバー」(年会費3000円)として入会していただければ(加入資格は特にありません)、年4回発行されるニュースレターを購読できます。

 その中の、「ワークショップ情報」のページをご覧になると、北海道から九州、四国まで、日本全国で、フォーカシング関係のワークショップやセミナー、小さな民間の研究会・勉強会や、個別指導に応じてくれる団体や個人が、特定の日時を月一回など決めたものを含めて、一年で延べ100件近く掲載されている情報に接することができます。

 皆様が想像されているたより、よほどフォーカシングを学べる場所は多いでしょ? これに、フォーカシングを研究・実践する先生のいる大学の研究室やゼミや特殊講義での学生たち相手の実践、それらの先生が講師をする「市民大学講座」みたいな催しまで含めると、実数はこの倍に近いと思います。

 スクールカウンセラーや幼児教育・保育関係の方々で、子供との関わりのためにフォーカシングをさりげなく生かしておられる方も、すでに、一般に想像されるよりは遙かに普及していて(「フォーカシング」という名前を使ってないだけなんですね)、かなりの数にのぼります。

*****

 そういう中で、我が「湘南フォーカシング・カウンセリングルーム」は、恐らく東京の日本・精神技術研究所心理臨床センターのオープン・プロガラムを例外として、特定の常設の相談機関が、休業日を除いて、常時「フォーカシングの個別指導」を受け付ける、全国で「唯一の」相談機関ということに現状ではなります。

しかも、私のフォーカシングの指導法は非常に柔軟です。

「フォーカシング個別指導」コースをご希望になる大抵の方は、私をトレーナーとして、まずは通常のフォーカサーとしての体験を積むことをお求めになることがもちろん多いのですが、

Focusingworkbook先日ご紹介した、この著作収録の"Focuser as Teacher"も、
ホールボディ・フォーカシングホールボディ・フォーカシングも、
Interactivebooksインタラクティブ・フォーカシングも、
「藤嶽法」(第一法、第二法)も、
Dreamfocusing_1夢フォーカシングも、
それどころか、
迷う心の「整理学」あくまでも増井先生流」の「こころの整理法」も、
イメージ体験の心理学「あくまでも田嶌先生流」の「壷イメージ法」も、
更には、
土江正司さんの「こころの天気」も、
横山体真先生が最初の開発者で、今では岐阜の蒲生紀子さんが特に実践しておられる「こころの壷」も、
相互スクイグル(ウィニコットが開発した「なぐり書き描画法」)をフォーカシングチックに遊ぶことも、

いつでも「個人セッションで」臨機応変に体験できる
「週5日以上開業、開業時間8時間の、常設の」フォーカシング学習の場なんて、

「日本では他にまだない」

ことをお忘れなく!!

(椅子の都合で、私を含めて6名さままでならグループ指導もできる態勢があり、その場合のグループ割引もいたしますが、さすがに6名となると「寿司詰め」になりますので。)

******

 何しろ、「今日何をやりたいか」そのものを、

 「学ぶ人に」

 最初に

 「ショートフォーカシング」

 してもらって決める、「圧倒的柔軟さ」を誇ります。

 「ショートフォーカシング」とは、「今日私は何をやりたいのかな」と自分の内側に沈黙して2,3分問いかけて、身体からの反応を味わってみてもらうことです。
 「フォーカシングがまだ自分でできている自信がない」方も、2,3分時間をもらって、「あれがいいかな、これがいいかな」と思いを巡らす時間を差し上げるだけでも、貴重な時間と感じていただけるようです。
 まさに、レストランの入り口のショーウインドで、「どれがおいしそうかな? 食べたいのかな?」と迷う時間にあたるものです。

 (この「レストランで何が食べたいか」という喩え話は、日本最初のジェンドリンの直弟子であられ、現日本フォーカシング協会会長をお務めの、関西大学の心のメッセージを聴く池見陽先生が、初心者向けによくお使いの言い方を拝借させていただきました)

最後は「勘」で、えいやっ!!と決めてもらうのでいいのですね。

 「初級」も「中級」もあったもんじゃない勝手気ままさ!!

インターラクティブ・フォーカシングのような、一般には「上級コース」とされるフォーマットですら、フォーカシング未体験の初心者ですら、わくわく「楽しんで」もらえるものにできるんですよね、実は)

 まさに、「フォーカシング・ワンダーランド」!!

******

 これで、一般の皆様からの「通常のカウンセリング」を申し込んでいただくと、「正統派クライエント・センタード」のベースを崩さない(認知行動療法や山上行動療法もたまに混ぜますが)で、私の方からフォーカシングをクライエントさんにお勧めすることには「禁欲」を貫き、そして、医療や法律など、実際的なガイダンスやコンサルテーションもする、

「町の現場カウンセラー」そのものに「豹変する」

のが私のとりえです。

 ちなみに「他流派の」カウンセラーの方からのケーススーパービジョンのお申し込みも、決してお断りしないことをポリシーとしております。

2005/10/18

ココログ<人生の午後:「個性化」への道>でご紹介いただき、ありがとうございます。

大阪で「心の相談室 Mental Laboratory」をお開きになっている「儀助」さん(「企業で産業カウンセラーをしている」とプロフィールにはお書きですが、ココログ<人生の午後:「個性化」への道>この記事で当ブログ「カウンセラーこういちろうの雑記帳」をご紹介してくださっていることが、昨日分の「アクセス解析」で判明しました。

同時に、以前ここでもご紹介し、当ブログのコメント常連もしてくださっている、島根の土江正司さんのブログ「こころの天気を感じてごらん」もご紹介いただいたようですね。

それくらい、この儀助さんのブログから「昨日」私のブログにおいていただいた方があるということです。何と昨日アクセスの3%!!

 昨日は「カウンセリング論集」の絶対パスでのインデックス作るために、私が自分でどうみても2百数十アクセスは稼ぎ出し、全体で500アクセス近いアクセス数になった「特異日」でしたので、その中での「3%」というのはたいへんな数字です(^^)。

HPのアクセスカウントから見ても、開業カウンセラーとしてもかなりの先輩に当たる方とお見受けしました。

トラックバックやコメントはポリシーとしてお使いになっておられないようですので、僭越かとは思いましたが、この場を借りて、厚く御礼申し上げます。

今度アン・ワイザーフォーカシング・ニューマニュアルフォーカシング・ニューマニュアルの翻訳を大沢美枝子さんとの共訳で出版された、上村英生さんも、北海道で新聞社に編集委員としてお勤めながらシニア産業カウンセラーをなさっている、私の古くからのフォーカシング仲間です。ご存知でしょうか?

2005/09/27

人間性心理学会では、ばててました(^^;)

昨日深夜、福岡、九大での日本人間性心理学会第24回大会から帰還しました。

行きは実家の久留米に帰る時は、恒例の「はやぶさ」B個室でしたが、「さくら」と一緒にされ、今度は「さくら」が廃止、「富士」と一緒にされて、サロンカーもなくなり、唯一の東京発九州行きブルートレインになったしまったのはさびしいものがありますね。あのB個室の車両ももう20年は同じものではないか。

実はおととい夕刻【楽天トラベル】 SKYMARKで帰る予定だったんですね。ところが、インターネットでの予約確認のメールのブリンとアウトを忘れてきていたので「念のため」おとといの朝のうちに「コールバック」(帰りの便の予約確認)を電話で入れました。

すると、何と「羽田発、福岡行き」の切符を予約していたことが判明してしまいました(^^;)、キャンセル料をとられずにすむ最善策は、昨日の「福岡発、羽田行き」最終に切り替えることでした(^^;)

*****

大会そのものは、久留米の実家からの通いということもあり、更に直前の追い込みで無理をしたせいもあり、はっきりいって2日目の藤嶽さんたちとの共同発表自分の発表で燃え尽きておりました。

その日の晩の懇親会と2次会に最後までお付き合いし終わり、「有明」の最終で実家に帰りついた時点で「非常事態切り抜けモード」のブレーカー「健全に」降りてしまったので、その「自然」に逆らわないことにしました(^^;)

実家で,だだ爆睡し続けました。

そんなこんなで、心理臨床学会の時とは打って変わって、途中での報告を放棄しました。すみません。

その「空白の6日間」の中、毎日百数十名おいでいただき続けたことには感謝いたします。

3日目、発表会場に会場に行くとお約束した皆様、そういうわけで、ごめんなさい。

藤嶽さんたちとの共同発表は、藤嶽さんがその日の朝までご自身でパワーポイントに手を入れ続けられた結果、最善の形になったと思っています。

私の発表のほうは、扱うテーマが、私の中で"Work in Progress"そのものでテーマが大きすぎたために、少し舌足らずになったと私自身は感じています。

ただ、「フロイト」「おませでスケベな小学生の私」「演じ分け」は、あとで感想を聞くと、妙に受けてしまったみたいですね(^^;)

****

一日目の「学校教育現場で生かすフォーカシング」のワークショップでの、東京都を代表するスクールカウンセラーの一人、ABCフォーカシングセンター(リンクは過去のワークショップへのリンクです)の主催者、天羽和子さんの最後に提示された事例には、言葉にならない感銘を受けました。フォーカシング的な態度で「共にーいる」ということそのものの奥深い意味について考えさせられました。

すでにご紹介した、土江正司さん「こころの天気」、やっとライヴで教えていただく機会を得て、やっと何か「勘所」が掴めてきて、これなら自分でもやってみたいと思うにいたりました。

いずれにしましても、九州の大会関係者の皆様のご準備と当日の運営、お疲れ様でした。

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