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2013年1月 4日 (金)

我が内なる「二宮尊徳」を賦活すること(再掲)

 「誠(まこと)の道は、学ばずしておのづから知り、習はずしておのづから覚え、書籍(しょうじゃく)もなく記録もなく、師匠もなく、而(しこう)して人々自得(じとく)して、忘れず。

 是(これ)ぞ誠の道の本体なる。

 渇(か)して飲み飢(うえ)て食(くら)ひ、労(つか)れていね(=寝て)さめて起く、皆此(これ)類(たぐい)なり。

 古歌に

 水鳥のゆくもかへるも跡たえてされども道は忘れざりけり

といへるが如し。

 夫(それ)記録もなく、書籍(しょうじゃく)もなく、学ばす習はずして、明らかなる道にあらざれば誠の道にあらざるなり。

 故(ゆえ)に天地を以(もっ)て経文(きょうもん)とす。

 予が歌に、 音もなくかくもなく常に天地(あめつち)は書かざる経(きょう)をくりかへしつつ とよめり」 (『二宮翁夜話』)

*****

 この前の二宮尊徳の記事の補遺として、幾つか尊徳自身の言葉を覚え書きにしておきたい。

 二宮金治郎というと、薪を背負って『論語』や『大学』『中庸』などの四書五経を熟読し、諳(そら)んじてしまった、儒教の教養あふれる勉学の人というイメージができあがっているかもしれない。

彼が、父の家がまだ傾いてしまう前に、農家のせがれとしては珍しく古書に接する機会があり、家が破産し父が死んで、叔父の家に預けられた後も、「百姓のせがれに学問などいらない」という叔父の目を盗んで、持ち込んだ本を読んだり、奉公先の武家の子弟向けの学問講義をふすまの向こうで立ち聞きしていたのは確かなようだ。

 しかし、実際には、学者というにはほど遠い、空理空論を嫌う徹底的な実際家、現実主義者であり、残された著作に示された思想的なものも、いわば自分の考えを人に伝えるための方便として生まれたもののようである。

 そして、自分が経験の中から自分の力で見いだした実践知にたいして大きな自信を抱いていた。精神主義からは最も遠い人なのである。

 「夫(それ)世の中に道を説きたる書物、算ふるに暇(いとま)あらずといへども、一として癖なく全きはあらざるなり。

 如何(いかん)となれば(=なぜならば)、釈迦も孔子も皆人なるが故なり。

 経書(けいしょ=四書五経)といひ、経文(きょうもん=仏典)といふも、皆人の書きたる物なればなり」

 ・・・・こうして儒教も骨抜きである。

 徹底的な非権威主義、神聖不可侵なロゴスの権威など信じていなかった人である。

「男なければ女なし、女なければ男なし」

「君なければ臣なし、臣なければ君なし」

 また、中井久夫先生も指摘しているように、「天道」と「人道」を単純に一致するものと考えなかった。

 

「天道」とは、人間のことなどお構いなしの自然法則に過ぎない。

「人道は田畑を開き、天道は田畠を廃す」

・・・・ようするに、自然界の法則(天道)は、せっかく整えた田畑を、エントロピーの法則に従って崩壊させようとするようにできている(酒匂川の洪水で父の田地が一気に流失した幼児体験の大きさの可能性を中井先生は指摘する)。

 だから人は田畑の手入れを続けないとならない。これが「人道」である。  しかし、「天道」は、ある程度予測可能な法則性を持っているので、それを活かす方向に「人道」を為せば、 「天道は人道と和し、百穀実法(みのり)を結ぶ」

*****

 「分裂病と人類」を読んで、どちらかというと、自分をS親和者と感じ、執着気質的な尊徳的な生き方から遠い存在とばかり長年思ってきた。

 私は、躁鬱気質からは明らかに遠いとは思うけど、体型的には、分裂気質的というより、明らかに闘士型=執着気質的だと思う。この点は、およそ観念性というものからはほど遠い、むしろそうしたものを忌み嫌う父親もそうである。

 私は、経験に即して書物を理解しようとはしても、書物に即して経験を理解することには、ストイックなまでの警戒心が強い人間だとは思う。

 書物を自己流に「ひとりよがりに」読むことへの警戒心も強いつもりだけれども。  


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    ちょうど紅葉の時期と見事に重なり、車窓も徒歩もひたすら紅葉の山づくしでした。このページの写真は、島根の足立美術館の紅葉の最盛期です。

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