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2013年1月 9日 (水)

安易に共感されると人は自分自身でいられなくなる 〜中島みゆき「エレーン」「異国」「空と君のあいだに」に寄せて〜 (再掲)

中島みゆきの中島みゆき - 生きていてもいいですか - エレーン「エレーン」の歌詞についてなんですが。

みゆきのアルバム「生きていてもいいですか」中島みゆき - 生きていてもいいですかに収録された、最後から2つ目の歌ですね。

****

何度も読み返して味わうまで、

私はこの歌が「いたみ」の歌であること

をあまり意識していなかったです。

つまり「痛み」であるだけではなくて「悼み」の歌であることを。

アルバム「生きていてもいいですか」はLP時代から持っていたひとつだったのに。

ものすごい辛辣な風刺の効いた「キツネ狩りの歌」中島みゆき - 生きていてもいいですか - キツネ狩りの歌は私のお気に入りだったし、「蕎麦屋」中島みゆき - 生きていてもいいですか - 蕎麦屋の「知ったかぶりの大相撲中継」が流れる中友人に呼び出されて蕎麦を食う中でのやりとりも好きだったし、最後の「異国」中島みゆき - 生きていてもいいですか - 異国の描き出すstrangerとしての痛みの驚くべき噴出ぶりには鳥肌が立ち、そう滅多に気軽にとても聴けないものを感じていたのに。

この「エレーン」の歌詞にも出てくる「生きていてもいいですか」という言葉を、ayuの"Loveppears" の"immature"浜崎あゆみ - Appears - Immature (JT Original CM Version)にはじめて出会い、

>僕らはきっと幸せになるために生まれて来たんだって
>思う日があってもいいんだよね

という歌詞を聴いたときに、ふと思い出しこそしたものの、この「エレーン」という歌が「悼み」の歌という、一番大事なことを聴き逃していたのを恥じ入りました。

***

そして、

    > 行く先もなしにおまえがいつまでも
    > 灯りの暖かに点ったにぎやかな窓を
    > ひとつずつ のぞいている

という部分が、そのまま、

「次の歌」である

    >  百年経っても私は死ねない

と歌う

「異国」につながっている、

「対(つい)になっている」歌なんだ

と気がついた時、私は、本当に、これまでにないくらいにみゆきの歌詞に「戦慄」しました。

「異国」がそれまで感じていたより更に数倍壮絶な歌に思えはじめた。

「エレーン」で、「この世に残された者」の視点にたち、

「異国」で「あの世にも行けない」魂の痛みにそのものに己れを重ね、同化を試みる!!

もっとストレートな表現をすれば、みゆきは、まずは「エレーン」で、その女の人を見送る人間の一人という立場からので曲を書き、

続いて今度は「異国」で「この世をさまよい続ける『幽霊』「同一化」する視点で曲を書き、そこに自分の生きる痛みを重ねるという、逆方向のアプローチをしたのだ。

「だから」

このアルバム最後の2曲の前に、インストルメンタルの歌のない曲中島みゆき - 生きていてもいいですか - 無題をはさみ、この2曲を「切り離した」のに違いない。

****

この女の人が、例えば酒とかで身を持ち崩した果てに病死したのか、自死なのかは描かれていない。

でも、

「自殺者が増えたら学校や会社の評判の上で困るから」

とか、

「自殺者を出すと治療者自身のナルシシズムが傷いてしまうから」

という次元でのものに実は突き動かされていることが少なくないかと思える

「自殺防止への取り組み」

とかが、何か「汚らわしい」もののようにも思われた。

***


そして、私は、カウンセラーという人種がいつの間にか発散しやすい、

「似非受容的な空気」

に常に不信の念を抱いている自分のことを思いました。

クライエントさん自身が心の底で感じている「痛み」をまるで真綿でくるんで「麻酔をかけてしまう」ような次元での「受容」の浅薄さを。

クライエントさん自身もすぐにはその痛みにもろに「直面」はできないかもしれない。

でも、他人がそれに単に「麻酔をかける」ような次元での「受容」や「共感的理解」しかしなければ、クライエントさんは「本当の自分」を無視されたとやはりどこかで感じるのではないか。

少なくとも、カウンセリングをはじめる中である種の「被害妄想性」を強めるような人は、実はそのカウンセラーの表面的な「わかったつもり」「理解したつもり」が生み出した「医源性」の被害妄想なのかもしれない。

必要なのは、「相手に理解されている」ということなのではない。

人は、相手が自分のことを「理解していない」とか、「冷たい、拒否的な態度を取られる」ことには、実は結構耐えられるのではないかと思う。

一見「受容的」態度の結果、「自分が自分でいられなくなること」にこそ、人は絶望するのではないか。

だから「ただ、そこにいる」だけの人物は必要なことがある。

その人は、無理にこちらを理解しようとすらしないまま、ただ、自分の中で、相手に共感できる自分と、相手に実は共感できずに違和感すら感じている自分をあるがままにそれぞれacknowkedgeし(認めてあげ)ながら、そこにいる。

ある意味では、自分の中の、相手への「共感できなさ」への敏感さ、そしてそういう「共感できない自分」をありのままにackowledgeできることの方が、相手に「共感しようとすること」より大事なのかもしれない。

相手を「理解できねばならない」というドグマに縛られているからこそ、相手を理解できないと動揺するのではないか。

ある意味で、その人を、より深く理解しようという方向へ導けるのは、その人自身だけであるし、それは、その人の「権利」ではあっても「義務」ではない。

その、その人自身が「自己理解を深める『権利』」を行使するための単なるお手伝い、それがフォーカシングのスキルを「人に伝える」ということなのではないか。

その人がほんとうにそういう「個体化」「個性化」の道をほんとうに歩き出し始めたとたんに、その人への「やさしい心遣い」をむしろ「撤収」し始めるような、そんなカウンセラーは、この世にはたくさんいる。クライエントが自分に取っての「いい子」でなくなると、リビドーの備給を取り下げてしまうのである。

*****

何かまとまりがつきませんでしたが、

「相手のことを理解できない、共感できない自分」を静かに認めてあげられるカウンセラーをめざしたい」、

と、思った次第。

これは、ひとつの「逆説」です。

> 君の心ががわかると たやすく誓える男に
> なぜ女はついていくのだろう そして泣くのだろう

(「空と君とのあいだに」中島みゆき - Singles 2000 - 空と君のあいだに

中島みゆき / Singles 2000

この「女」をクライエントさんに、「男」を「カウンセラー」に置き換えてもいいかな。

「ポプラの枝にな」り、「ここにいるよ」だけでほんとうはいいことが少なくない。

でも、「ポプラの枝のように」のみ、人と「共にいる」のは、一番難しいことの一つかもしれない。

もとより、自戒を込めて。


***


今の今まで、やっと開封する気になった、みゆきお姉様の"歌姫 Live in L.A. " と題された、ロサンゼルスでのスタジオ・ライヴのDVDをを堪能していました。中島みゆき - 中島みゆきライヴ! Live At Sony Pictures Studios In L.A.

やっぱりこの迫力は半端じゃない。

ayuライヴでおなじみの、小林信吾さんがキーボードで出てますね。

この記事の続編がこちらにあります。

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     最後は、水戸駅前の「助さん、格さん付」の黄門様です。
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神有月の出雲路2006

  • 20061122150014_1
     11月の勤労感謝の日の連休に、日本フォーカシング協会の「フォーカサーの集い」のために島根県の松江に旅した時の旅行記です。https://focusing.jp/  
    ご存じの方は多いでしょうが、出雲の国には日本全国の神様が11月に全員集合することになってまして、「神無月」と呼ばれるわけですが、島根でだけは、「神有月」ということになります。(後日記:「神無月」は10月でしたよね(^^;A ........旧暦なら11/23前後は10月でせう....ということでお許しを.....)  
    ちょうど紅葉の時期と見事に重なり、車窓も徒歩もひたすら紅葉の山づくしでした。このページの写真は、島根の足立美術館の紅葉の最盛期です。

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