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2013年1月 5日 (土)

クライエントさんの真の洞察の瞬間、カウンセラーはクライエントさんに「追い越される」。

 このタイトルの意図を説明するには、この前書いた、体験過程尺度について書いた記事の、私の仮想実例を読んでみていただくのが望ましいのですが。特にstage 6ですね。

「........(1分06秒沈黙)........そうか、そうだよね.......そうなんだ。(カウンセラー:「.......何? どうしたの?」)「おせっかい」過ぎるんだ、私って。バカだね。(カウンセラー:「おっせかい過ぎる」.......何?)........自分自身に誰よりおせっかいなんだよ。バカ、『自分で自分をそうやって追いつめるなっつーの!!』 アホ!! 
.......私の中に、恐怖の『おせっかいババア』が住んでるの(笑)。いつのまにか、そうだったの。今頃気づいた。........(36秒沈黙)... [以下、略]
 ......

この部分で、今太字でご紹介したカウンセラーの発言からわかること。

それは、クライエントさんの中では、すでに自分のあり方の核心に関わる気づきが生じているのに、カウンセラーの方は、その展開に全然ついて行けていないということです。

 だから、 「.......何? どうしたの?」 「『おっせかい過ぎる』.......何?」 と、クライエントさんに問い返すはめになるのです。 .

.....仕方ありませんよね、クライエントさんは、 そうか、そうなんだよね、そうなんだ」 ......と、「そう」としか言っていないのに、「何か」がわかった、という態度をいきなり取ってくるんですから(^^)

 実は、この瞬間、クライエントさんの中でも、その「何か(something)」が「何なのか」,具体的な言語化は、まだ思い浮かんでいないことが多いと思います。

 でも、すでに漠然と感じられた心身の感じそのものとしては、すでに以前と全然変化してしまっている。いわば「心像風景」ががらりと変わったことは認知されている。

 

この瞬間が、ひらけ(unfolding)とか、シフト(shift)と呼ばれるものです。その心象風景が「どのように」変わったかの具体的な説明は、カウンセラーという聴き手に向かって話そうとする過程で、はじめて少しずつ、整理された、具体的な言葉がクライエントさんの中で思い浮かんで行くわけですね。

 一般には、こうやってクライエントさんが言語化した後の「再体制化された(reconstructed)認知」の言語化のことを、「洞察」と呼んでいますが、実は、これは、すでに「そうか、そうなんだ」と感じた瞬間の心身感覚の基本的な変化の「随伴現象」、「副産物」に過ぎないわけです。

 このことを明らかに指摘したのが、ジェンドリンの体験過程理論最大の功績のひとつです。 (試しに、上記のリンク先の論文(全文ひとつのファイルになっています)を、ブラウザの「ページ内検索」で「副産物」、あるいは「心像風景」と入力してみて下さい。該当箇所にあっさり出ますから)

******

 これは、精神分析認知行動療法ですら同じことのはずです。

 精神分析においても、いわゆる「解釈」とは、実は、クライエントさんの無意識の深層心理について,クライエントさんより早く「洞察できていたことを意味しません。

 「早過ぎた解釈」は、それだけでは、クライエントさんの『抵抗』に遭うか、単なる頭での『同意』=『知性化(intellectualization)』しか引き起こさす、本人に真の変化は生じない、とよく言われます。

1.「解釈」がクライエントさんに真に通用するには、どうも適切な「タイミング」というものがあり、そのタイミングは、その場で生じる相互作用の場の雰囲気からカウンセラーは直感的に感受するしかないこと。

2.仮に解釈がクライエントさんに受け止められなくても、カウンセラーは、その後のクライエントさんの反応をまずは受容的に傾聴すること

 ......これらのことは,現場経験の深い精神分析系のカウンセラーの皆様にとっては、経験知的に気づかれ、身についていることではないかと思います。

 そして、

3.カウンセラーの「解釈」が「適切な」場合には、クライエントさんが、単にその解釈を受け入れるばかりでなく、それをきっかけに、カウンセラーにとっても思いもよらず、クライエントさん自身もそれまで意味があるとも考えず、思い出してもいなかった過去や現在の体験や感情を、生き生き語り出す場合である。

4.仮に、カウンセラーの解釈が否定されても、「いえ、そうではなくてですねえ....(....not....,but....)」という形で、クライエントさんが、カウンセラーの発言を修正する過程を受容的に傾聴する中で、カウンセラーにも思いもよらず、クライエントさん自身もそんなことを話すのに意味があるとも感じていなかった事柄が、意味を持つ形で,はじめて生き生きと具体的に語り出されるとすれば、その『間違った解釈』をしたことには意味がある

・・・・このことをも、臨床的な経験値としている分析系のカウンセラーだけが、クライエントさんに自分の見解を押し付けようとし、クライエントさんは、それに『抵抗』し、さらに『症状化』し、時には面接に来なくなるという『受動的攻撃性(passive aggression)』の泥沼にはまる、

というだけにならない面接の進展を喚起できているでしょう。

 カウンセラー側から提起した「解釈」や「リフレーミング」をいつも受け入れるだけのクライエントさんのままでとすれば、単にカウンセラーに「迎合」した態度をとり続けているだけ出から、面接が進行して行けば、「陰性転移」やら「受動的攻撃性」とやらというしっぺ返しを食らうだけであり、それすら「解釈」して済ませるようなカウンセラーは、センセーとしての自己愛的全能感にいつまでも浸っていたい程度の輩でしょう。

 確か、北山修先生だったと思います、 「解釈は否定されるためにある」 という逆説を述べられたのは。 (...間違って違っていたらすみません)

 .....つまり、結果的に自分のクライエントさん理解に不十分なところがあったと気づかせてくれることをクライエントさんが言い出してくれてこそ、そのカウンセラーは「的確な解釈」をしていたということになる、という、大逆説が現場臨床にはあるはずです。

*****

 これは,認知行動療法も同じでしょう。例えば、時間軸に沿って詳細な形で過去の行動とその時の感情の連鎖を振り返る時点で、クライエントさんが、カウンセラーにとって事前に予想もできない事実や、その時の感情を具体的にいきいきと語り出してくれないことには、この療法はまるっきり成立しないわけですね。クライエントさんに、その領域についてかたくなに口をつぐまれたら、もうおしまいということになります。

*****

 こういうわけで、クライエントさんの心と現実について、自分はまだ知らないことが多かったことに謙虚にふるまえるかが、カウンセラーの「専門性」である、という逆説が、どの流派でも成立します。

 逆に言えば、私たちの日常での対人関係が、いかに、お互いの,相手への「決めつけ」と自分の「判断の誤りを認めない」態度によってこそ不幸を生み出しているかということでもあります。

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    ちょうど紅葉の時期と見事に重なり、車窓も徒歩もひたすら紅葉の山づくしでした。このページの写真は、島根の足立美術館の紅葉の最盛期です。

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