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2013年1月 8日 (火)

欝の人は、「祭りの後」に生きている  (再掲)

 欝の人は、自分の未来を思い描く際に、「新しい未来」という方向ではなく、実はひたすら「過去の再現」を志向していることが少なくない、というお話です。

*****

 欝になりかけの頃(こうした人は、「その頃がすでになりかけだったのだ」と、後になって、すでに欝が重くなり、生活や働くことに大きな支障が出始め、医者にはっきり「欝状態」と診断されて治療が始まっ時点で、はじめて徐々に認識できることが多いのですが)、努力と根気で切り抜けられると固く信じていた人が少なくないと思います。

 もちろん、以前よりも無理を重ね、少しずつふんばりが効かなくなりつつことに心のどこかで不安を募らせ始めてもいるのですが、

 「このままではいずれもっと働けなくなる危険もある。そうなる前に何とかしないと」

という方向で、「転ばぬ先の杖」として、無理にならないように自制したり、早いうちから治療に自分から足を運ぶことは少ないのですね。

 周囲が心配しても、「大丈夫です」。

 本人も、大丈夫なつもりでいる。少なくとも、大丈夫だと強く自分に言い聞かせているものです。

 そして、更に無理を重ねた挙句、ほんとうに行き詰ったところで、はじめてそうした自分と直面するけれども、そういう自分をなかなか率直に身近な人に打ち明けない。

 そういう人は、その段階でも、全くの孤独ということはなく、普段は、友人や家族や同僚たちと、一見打ち解けた、親しい関係を維持していることも多いのです。

 しかし、肝心要の、自分の中に迫りつつある破滅への恐怖や、ものすごい焦りを、素直に周囲に告白しないままのことが多いのですね。

 そうした挙句、自分だけで抱え込んでほんとうに絶望すると、いきなり自殺を考えたり、実行してしまったりすることも少なくないことになります。

 そういう意味で、欝の深みにはまりつつある人は自分の「近未来」に「迫りくる、切迫しているはずの危機」に対しては、見かけ上、「奇妙なまでの楽観主義者」であるかのようだとも言えるのですね(あくまでも、ひとつの逆説です)。

 「大丈夫、大丈夫」と自分に暗示をかけ続け、ほんとうにエンストを起こすまでは、ひたすらパワーを上げ続ける。

 ある意味で、自分の心身の未来予測能力という点では、とても客観的とはいえない、ほとんど麻痺している状態にはまり込みがちです。

*****

    そもそも、多少なりとも欝の素質がある人たちが、近代社会においては多数派を占めています。

つまり、実際に欝にならなくても、普段から

  「近い将来に起こる可能性がある大破局」

に対する危機感を抱きにくく、多少それが脳裏を掠めても、すぐにそのことを意識から排除してしまう。  まさに、「のど元過ぎれば熱さを忘れる」ですね。

    「昨日と同じように今日があり、

    今日と同じように明日は続くだろう」  

....という、

 まったりとした日常の繰り返しに対する、奇妙なまでの信頼感を支えに生きています。  要するに「立ち直りが早く」て、くよくよしない。

 多少何かがうまくいかなくても、そのことがむやみと後を引くことはなく、すぐに立ち直り、  「明日は大丈夫だろう」  「明日には挽回できる」 という、大いなる日常への期待と信頼をもって、あまりぐらつき過ずに生きていくのです。

 これは、基本的に平穏な日々が続く限り、社会を安定して維持する上では、むしろ、小さな行き詰まりから容易にリバウンド(立ち直り)ができるという意味で、そうした人たちが多数派を占めることは、ふさわしい、適応的なあり方ということになります。

 その代わり、将来に生じうる大変化を前々から察知し、先回りして予防したり、対策を立てて実現するとう点では、アンテナが鈍い。

 そうやって先の見通しを失って、悪あがきを重ねた挙句、心身の疲労でどうにもやれなくなった現実に直面してはじめて、もはや「後の祭り」だ、単なる「建て直し」は不可能ということを、かろうじて徐々に受け入れ始めることができるともいえます。

 バブル崩壊やら、グローバル化の流れの中での、日本の政治・経済の後手後手の対応を見ていると、なるほど、「徐々に追い詰められて、従来のやり方が通用しなくなってきているのは目に見えているのに、未来に向けて先手を打つことがなかなかできない」という点で、うつ病に実際に落ちいって行く個々の人たちと同じようなことが国全体のレヴェルで進行している気もします。

******

 ある意味で、欝傾向のある人は、「建設的に未来を切り開く」というのが、苦手なんです。

 先例に倣って、社会の中で、ある段階まで十分役割を果たせる状態まで到達すると、そうやって到達した「調子のいいときの水準」を維持すること、そして、多少の波があっても、以前の「調子がいい時」の状態を「取り戻す」ことを何より目指します。

 ある年が不作でも、翌年に取り戻せばいいさ、ということですね。

 欝的な人にとっての「未来」というのは、

 得てして、

   「過去にすでに経験した、

    調子のいい時を再び回復する(維持する)

 ということでしかないのです。

 つまり「新しい未来」なるものを構想し、予測し、実現する力に乏しい。

******

 .....からだの病気を含めて、およそ病気からの「回復」というものを、「以前のように健康に戻れる」ことととらえるのは、一見当たり前のことでしょう。

 しかし、

 ことカウンセリングの領域では、

 必ずしもこうしたとらえ方はメジャーではありません。

 単なる「回復」ではなく、

 「変化」し、「成長」して行けた時に

 成果が上がったという発想の方がむしろ主流でしょう。

 単に以前に戻ることを理想とする、と発想しない。

 心理療法の先駆者、フロイト自身、さまざまな症状が治まるのには、その人の中で、まだ未成熟なままだった部分が成長し、自我に統合されるという、「それまでになかったその人の成長」が生じた時だということを発見したわけです。

  *****

 ところが、この点で、「うつ病的」な人、そして、いろいろなストレスが身体の素質的に弱い部分に噴き出した「心身症」傾向の強い人は、「新しい自分に成長する」というイメージをリアルに描けない場合も少なくないのですね。

(ある観点からすると、うつ病とは、ストレスが、もっぱら中枢神経(脳や神経系)に「身体症状」が出た心身症のようなものともいえます)

 「以前と同じように働けるようになれば」  

あるいは、

 「今回は欝に陥ったが、

  回復したら、

  今度は同じように頑張っても『欝(心身症)』にならない、

  より強い人間に成長したい」

と、更に「超人化」することを期待することが多い。

 つまり、

 「病気になるまでの過去の自分のあり方そのものは全肯定」

という点ではすごく頑固な方が少なくない気がします。

  「これを機会に新たな人生へと進んでください」 などといわれても、内心では、  「ごもっとも。でもちょっときれいごとの言い方だな」 と感じておられることも少なくないかと思います(^^)

 「変化しろ??? あのさあ、これまでの自分の人生を否定して生まれ変われっていうの?、何とも偉そうなご宣託だね」

 控えめな方でも、

 「そんなこと言われたって、これまでやってきた生き方(働き方)以外に、私がどうやって生きて行けるしょう? もう青年時代に戻れるわけではないし、今更やり直せといわれても無理だよ」

......このへんが本音でしょう。

 これは、実は「欝をきっかけに新たな人生の再出発」みたいな言葉をカウンセラーや精神科医から安易に投げつけられた皆様の、実は当然のお気持ちではないかと、今の私は思うようになりました。

 自分の生き方の変化や心の変化を、他人に押し付けられることに反発するというのは、ある意味で健康な心情だ、という前提に、われわれカウンセラーも、謙虚に立ち返らなければならない気がします。

*****

 そうした一方で、世の中には、、これまでの自分、今の自分に耐えられないことにこそ悩んでいる皆様もたくさんおられるでしょう。

 別な自分、理想の自分に成長することこそが目標、でも、それをうまくやれないことに悩んでいる皆様です。

 こうした人たちは、これからの自分に不安を感じたり、このままの自分では駄目になるという予感を、むしろ強烈に実感しています。その意味では、欝傾向の人とは正反対に、「未来」に本当の自分はあると感じる傾向が強いわけですね。

 自分は、まだ人生の真の「祭り」に到達していない、いつまでたっても「祭りの前」にしかいられないと感じているわけです。

 そして、自分の人生にも「祭り」の時が訪れるかどうか、という無力感と焦りの中でこそ「落ちこむ」わけです。

 これは、いわゆる欝傾向の典型の人の陥る「うつ状態」と、(似た面もありますけど)かなり違った性質のものでもあります。

 恐らく、未来への「焦り」と不安が空回りして、不器用な形で挑戦しては失敗を繰り返してみたり、本当に現実に可能な自分を変えていくやり方を地道に、あるいは、自分に可能なペースをつかんで腰をすえてしぶとく経験値を上げることができないのでしょう。

 .....しかし。

 実はこうした皆様の中にも、実はその、つらいはずの現状を変えていくことへの、単なる変化への不安にとどまらない、「今のままでいたい」という心情、それどころか「あの日に帰りたい」という思いが隠れていることも少なくない気がします。

******

 さて、あなたは、もっぱら「以前のように順調に」と願う「祭りの後」形人間でしょうか?

 それとも、

もっぱら「自分の未来にこそ希望を賭けつつも実現できないまま」であることに苦しんでいる「祭りの前」人間でしょうか?

 それとも、「いや、私の中には両方の面があるな」とお感じでしょうか?

 皆様が、自分の悩みの性質、特に、一見「落ち込んだ」状態、欝っぽいかに感じられる状態がどんな性質ものかを見つめなおしてご覧になる上で、ささやかなヒントになれば幸いです。

【追記】:この、「祭りの前」「祭りの後」というのは、精神科医の木村敏先生が提唱されたもので、木村先生の後輩にあたる中井久夫先生の著作にもずいぶん出てきます。それを参考に、私なりにかみ砕いて書いてみたつもりです。

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    ご存じの方は多いでしょうが、出雲の国には日本全国の神様が11月に全員集合することになってまして、「神無月」と呼ばれるわけですが、島根でだけは、「神有月」ということになります。(後日記:「神無月」は10月でしたよね(^^;A ........旧暦なら11/23前後は10月でせう....ということでお許しを.....)  
    ちょうど紅葉の時期と見事に重なり、車窓も徒歩もひたすら紅葉の山づくしでした。このページの写真は、島根の足立美術館の紅葉の最盛期です。

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