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2013年1月10日 (木)

インタラクティブ・フォーカシングの実際  (再掲)

【注】:以下の記事は2005年に掲載したものの再掲です。

ジャネット・クライン著
Interactive Focusing Therapy

「インタラクティヴ・フォーカシング・セラピー
 カウンセラーの力量アップのために」

 諸富祥彦監訳、前田満寿美訳  (誠信書房)

が、やっと出版されたとのことです。

 このホームページではこれまで言及しませんでしたが、従来のフォーカシングの応用形として開発された、Interactive Focusingには、大変興味深い点があります。

*****

 まずは、インタラクティヴ・フォーカシングそのものについてご紹介させていただく前に、「通常の」フォーカシングの場の構造について説明させていただきます。

 普通のフォーカシング・セッションだと、自分の中の曖昧な感じ(フェルトセンス)にぴったりの言葉やイメージを見つけるのはフォーカサー(自分の内面に触れ、フォーカシングをするその人)自身なんですが。リスナーないしガイドは、そのフォーカサーの話を傾聴し、共感的な伝え返しをすることと、教示をフォーカサーに提案することが役割として固定されたまま、1セッション」を通して行います。

 セッション時間は、(15分、30分、45分、成り行き任せ(^^;)など、その場の状況にあわせて自由に設定可能。少し慣れてくると、短いなら短いなりに、まとまったセッションとして体験できるスキルが身につきます。

 その人の内面が深い問題を抱えている場合には、45分などという長い設定時間の方がいいかもしれませんね。しかし、時間の設定を「ある程度」事前に明確にしておく方が、面白いことが起こる場合もあることは、この記事でのセッションの実例で、お分かりですよね(^^;))

 フォーカサーがA、リスナーがBだったとすると、この後で、「役割交換」して、フォーカサーがB、リスナーがAという形でセッションを進めることができます。まるで野球の「表」と「裏」、昔のアナログレコードやカセットテープのA綿とB面をひっくり返すようなものですね。このような役割交換を自在にできる関係を「フォーカシング・パートナーシップ」あるいは「フォーカシング・コンパニオン」といいます。

 そして、まさにこのような、リスナーとフォーカサーのどちらの役割も取れるスキルを同時に磨いていくことが、フォーカシングの学習の基本形なのです!!

 つまり、フォーカシングのスキルを身につけたものが仮に集団として10人いるとすれば、その10人同士が、双方の合意が成立したら、全く自由な組み合わせで臨機応変にセッションを持てる状態が理想とされているのです。

 中には、他の2名のセッションをただその場にいて共有する「オブザーバー」もいる3人組、4人組がいて、順送りに役割交代したりしてもいいし、ずっとオブザーバーで通したい人はそれでもいいでしょう。中には、その場の中でひとりフォーカシングを始める人がいてもいい。極論すれば、これらのいずれもしないまま、他の人たちのセッションは邪魔しないで、「何となく」そこにいる「だけ」の人だっていてもいいと思います。

 そうやって、フォーカシングの「専門トレーナー」が全くグループにいなくても、その時集まったフォーカシング・ピープルが、自由に相手を選んでフォーカシング/リスニングをお互いにできる、とか、プライベートに会ったり、電話やデジカムなどを通して、双方の折り合いがついた時に、日常の中で、臨機応変にパートナーを見つけるといった、自主的コミュニティを形成することすら目指しています!!

 これが、ジェンドリンが当初考えた、「チェンジズ」という共同体のあり方なのです。そして、フォーカシングの学習を公教育にすら取り入れ(!!!)それにより、本格的な専門家にカウンセリングを受けなくても通常はこと足りる、地域社会を作れないか、という、壮大な社会革命構想がジェンドリンの中にはありました。

 要するに、フォーカシングの「トレーナー」というのは、そういうコミュニティを広め、初心者に、個別で、あるいは小グループでコーチする専門家であり、フォーカシング・ピープルの、いざという際の「顧問」みたいな立場に過ぎないわけですね。もちろん、トレーナーが自分個人の問題解決のために、トレーナーではない人をガイドとしてセッションを持つことも気兼ねなくできるのが望ましい(^^)

  「フォーカシング指向心理療法」セラピスト(FOT)は、カウンセリングや心理療法の中でも、クライエントさんにフォーカシングを生かしたセラピーができる上に、より広範な「現場臨床家」としてのスキルも臨機応変に使える「専門家資格」と思っていただければいいかと思います。

(少なくとも、トレーナー、FOTであり、なおかつ、TFIコーディネータ(「資格認定」資格者)としての私個人の要求水準はその水準です)。

******

 実は、フォーカシングのオーソドックスな練習では、早い段階から、フォーカサーとリスナーの役割をどちらも体験し、どちらのも熟達することが望ましいとされていることについては、他流派の方々には現状ではほとんど知られていないかもしれませんね。

 つまり、まずはフォーカサーとして経験を積み、その後でリスナー・ガイドとしての訓練を積む段階に進む、とは限らないのです。

 ....まあ、フォーカサーの体験全くなしに、いきなりリスナーやガイドのだけを訓練だけをを積むことは不可能、とは申し添えます。

(この点も意外と現状では誤解があるかなと思います。フォーカシングの教示は、フォーカサー体験がない人が、マニュアル的に使いこなすことはできない、とは、敢えて「断言」しておきましょう。それは、車の運転を実際「熟練」していない人が、本の勉強だけで自動車学校の教員になれない、というのと同じことです)

 更に付け加えると、フォーカサーの側が、すでにある程度自律したフォーカサー/リスナーとしてのスキルを持っていれば、リスナー体験がほとんどない人ですら、そのフォーカサーの注文に応じてリスナーの役割を果たしていくことが十分可能です。これについては、詳しくは、"Focuser as Teacher"についての記事をご参照下さい。

*****

 さて。インタラクティヴ・フォーカシングの話題に戻りましょう。

 インターラクティヴ・フォーカシングでは、まず、フォーカサーのことを、ストーリーテラー(語り手)と呼びます。

 そして、仮にAとBという、二人でやるとするならば、まずは最初にどちらがストーリーテラーをやり、どちらがリスナー(聴き手)をするかを決めます。

 場の空気で自然と決めてもいいですが、それこそ二人がそれぞれ自分の内面にフォーカスし「自分が何をテーマに話をしたいか」「自分が先にやりたいか」「後でもいいか」を、共に同じ場でショートフォーカシングした上で決めるのが、フォーカシング・ピープルなら理想的だし、その方がその後のプロセスも深まるかと思いますが。

 そして、ストーリーテラーの語りに対してリスナーが丁寧な伝え返しをし、その伝え返しで修正して欲しい部分があればストーリーテラーはリスナーにその旨「注文をつけ」、リスナーは更にその注文に応じて伝え返しを修正するというプロセスをじっくり進めます。

******
 
 その後で、「二重の共感のひととき(double empathic moment)」と呼ばれる、インタラクティヴ・フォーカシング独特の内面に注意を向ける時間を取ります。

  すなわち、ストーリーテラーは、今自分が語ったことについての自分のフェルトセンスを内側で味わう。

 同時にリスナーの方は、いわばストーリーテラーの「身になって」、ストーリーテラーが感じている「であろう」フェルトセンスを、あたかも自分の中に生起するフェルトセンスであるかのように「擬似的に(as if)」」感じてみるつもりになり、それの全体に感覚的にぴったりな手短な(!!!)言葉や句やイメージ(できれば「たったの一言のみ」、イメージ説明になっても長く所要30秒ぐらい以内で言語化できるくらいかな)を見つける時間にするのです。

 この「二重の共感のひととき」は、少し時間を取ってじっくり進めるつもりの方がいいです。二人のうちの一人の方が、早くその時のフォーカスを終えても、もう一人が終わるまで、じっくり待つ「余裕の態勢」が必要です。2,3分、時には5分、この部分だけでかかってもおかしくないでしょうね。

******

 そして、次のステップでは、リスナーの方から先に、そうやって見つかった「ストーリーテラーの身になって」感じてみた結果出て来た言葉やイメージを、手短にストーリーテラーに投げ返すわけですね。

 その後で、ストーリーテラーは、自分が感じていたフェルトセンスと、そのリスナーからの言葉を照合し、自分としてはどんな感じであったか、リスナーからの言葉やイメージのどこか自分にはぴったりで、どこがぴったりでないか、さらには、リスナーの応答は自分にとっては意外なものなんだけど、ストーリーテラーとしての自分の中に、予想もしない新鮮な気づきを生じさせたかなどを、リスナーに投げ返すわけです。

 リスナーは当然、そのストーリーテラーの発言についても、丁寧な伝え返しをし、ストーリーテラーにと修正をしてもらいながら、受け止めていきます。 

******

 もちろん、ストーリーテラーにとっては、「二重の共感のひととき」の後のリスナーからの、スト-リーテラーの「身になった」つもりの応答が、完全にぴったりということばかりではありませんし、ぴったりな応答ができないリスナーが、即、「悪い」わけではありません!! この点誤解しないでください。

 むしろ、その「ズレ」をお互いに共有し、補正・拡充しあうことで、お互いの、まさに「間主観的に」共有できる理解と共感の世界が広がることになります。

 先ほど書いたように、時には、ストーリーテラーの方が、リスナーからの意外な応答に「そうか、そんな捉え方もあったか」と、シフトが喚起されむしろ触発されて自己理解が進むこともある。

******

 そしてここで、「役割の交換」です。

 つまり、Bがストーリーテラーになり、Aがリスナーとなる。Bは、先ほどまでは「禁欲」(?)していた、ここまでの流れの中で、「B個人が」感じていたフェルトセンスに,改めてフォーカスして、Aに傾聴してもらうことができるわけですね。

 以下は、AとBの役割交代で、上記のプロセスを繰り返します。

******

 必要なら、そして時間が許し、A,B,双方が望むのであれば、こういう「A面」と「B面」のやりとりを、それこそ野球の攻守交代のように、何往復か、繰り返して進めていけます。

 そうなると、お互いの相互理解が、どれだけ深まるか。
 
それは独特の深みのある、かけがえのない経験として体験されます。

*******

 さて、カウンセリング場面でも、日常の中でも、共感とか、同情とか相互理解とは、相手のことを勝手に「わかったつもり」になって、その「思い込み」を相手に押し付けることに留まっていたり、実は相手の自分への理解に微妙なズレがあっても、「わかってもらった」つもりになって、あとで孤独と疎外感に悩んだり、相手の「ピンとこなさ加減」に感情的に抗議したりして、泥沼になったりしいてることが多いのではないでしょうか。

 そして、心理臨床現場カウンセリングにおける、クライエントさんへの「理解」や「共感」は、まさに、カウンセラー側の勝手な「思い込み」を権威でもって押し付けられることにクライエントさんが「甘んじている」だけのことが、現実にはいかに多いことか!!

 この点で、カウンセラーにとって、相手への「理解」とか「共感」とは何かを根源から問い直し、そのセンスを磨く訓練としても、このInteractive Focusingは実に強力なトレーニングとなります。

 また、人間関係の悪化した、親子、夫婦、カップルなどの調停にも使える可能性があるということにもなります。非常に創造的な「家族療法」的アプローチにもなるわけですね。

私は、左の”My Favorite Books"に出てくる、「現代のエスプリ 410 治療者にとってのフォーカシング」のひとつの章の中で、日本におけるこのアプローチの導入者、宮川照子氏の協力の下に、日本で始めて公刊されたマニュアルを出版させていただいたのですが、今回は開発者自身の原著の翻訳です!!そして、宮川さんがその後深められたご自身なりの工夫も紹介されています。

なお、インタラクティブ・フォーカシングは、個人ケースーパービジョンの場面でも柔軟に活用できます。この件についてはこちらの記事をご参照下さい。

そして、このクラインの著作についての、更に本格的な書評記事こちらですでにご紹介しました。

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     The Focusing Instituteの第17回国際大会(2005/5/25-31)の開かれた、カナダ、トロントの北の郊外(といっても100キロはなれてます)、Simcoe湖畔のBarrieという街に隣接するKempenfelt Conference Centreと、帰りに立ち寄ったトロント市内の様子を撮影したものです。

淡路島縦断の旅

  • 050708_2036
     「フォーカシング国際会議」が、2009年5月12日(火)から5月16日(土)にかけて、5日間、日本で開催されます。
     このフォトアルバムは、その開催候補地の淡路島を、公式に「お忍び視察」した時の旅行記(だったの)です(^^)。
     フォーカシングの関係者の紹介で、会場予定地の淡路島Westinという外資系の超豪華ホテルに格安で泊まる機会が与えられました。しかし根が鉄ちゃんの私は、徳島側から北淡に向かうという、事情をご存知の方なら自家用車なしには絶対やらない過酷なルートをわざわざ選択したのであります。
     大地震でできた野島断層(天然記念物になっています)の震災記念公園(係りの人に敢えてお尋ねしたら、ここは写真撮影自由です)にも謹んで訪問させていただきました。
     震災記念公園からタクシーでわずか10分のところにある「淡路夢舞台」に、県立国際会議場と一体になった施設として、とても日本とは思えない、超ゴージャスな淡路島Westinはあります。

水戸漫遊記

  • 050723_1544
     友人と会うために水戸市を訪問しましたが、例によって鉄ちゃんの私は「スーパーひたち」と「フレッシュひたち」に乗れることそのものを楽しみにしてしまいました(^^;)。
     仕事中の友人と落ち合うまでに時間があったので、水戸市民の憩いの場所、周囲3キロの千破湖(せんばこ)を半周し、黄門様の銅像を仰ぎ見て見て偕楽園、常盤神社に向かい、最後の徳川将軍となる慶喜に至る水戸徳川家の歴史、そして水戸天狗党の反乱に至る歴史を展示した博物館も拝見しました。
     最後は、水戸駅前の「助さん、格さん付」の黄門様です。
     実は御印籠も買ってしまいました。

北海道への旅2005

  • 051012_1214
     日本フォーカシング協会の年に一度の「集い」のために小樽に向かい、戻ってくる過程で、他の参加者が想像だに及ばないルートで旅した時の写真のみです。かなり私の鉄ちゃん根性むき出しです。  表紙写真は、私が気に入った、弘前での夕暮れの岩木山にしました。

神有月の出雲路2006

  • 20061122150014_1
     11月の勤労感謝の日の連休に、日本フォーカシング協会の「フォーカサーの集い」のために島根県の松江に旅した時の旅行記です。https://focusing.jp/  
    ご存じの方は多いでしょうが、出雲の国には日本全国の神様が11月に全員集合することになってまして、「神無月」と呼ばれるわけですが、島根でだけは、「神有月」ということになります。(後日記:「神無月」は10月でしたよね(^^;A ........旧暦なら11/23前後は10月でせう....ということでお許しを.....)  
    ちょうど紅葉の時期と見事に重なり、車窓も徒歩もひたすら紅葉の山づくしでした。このページの写真は、島根の足立美術館の紅葉の最盛期です。

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