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2013年1月13日 (日)

「第一に大切なのは関係であり、第二が傾聴で、ようやく三番目にくるのがフォーカシングの教示なのである。」(再掲)

 タイトルは、「フォーカシング指向心理療法(下)」でジェンドリンが書いている言葉(訳書p.497)として、フォーカシングを学んだ人たちの間では、つとに有名な言葉のひとつであろう。

 この言葉は具体的にはどういう意味か?

 そのことを考えるためのヒント。

 

「リスナーがいる方がフォーカシングはやりやすい」

という言い方が良くなされるけれども、これは半分真実であり、半分は事実に反するというのが私の考えである。少なくとも、このことを絶対的にそうだと思い込むと大きな間違いだと思う。

 このことを、ある程度セルフ・フォーカシングに熟達したフォーカサーは良く知っているはずだ。つまり、自分にとって心地のいい空間で、ひとりきりで自分のリスナーをしながらフォーカシングをするのがうまくいく時の、我が内なるリスナーと、内なるクライエント(フェルトセンス)との内的関係性の深さと純粋性とインティメートなやさしさに満ちた交感状態は、正直にいって、ありふれた対人関係の中で感じられる気持ちの通じ合いなどの比ではないくらいに心を癒してくれるものである。

 自分の内奥から訴えてくる「何か」(フェルトセンス)という「もうひとりの自分」と「私」との間の、静かではあるが、圧倒的なまでの信頼関係の<絆>の感覚を味わえるものなのであり、極論すれば、自分の気持ちを他者に深く受け止めてもらうこと、他者に癒してもらうことに期待することが、何と空々しくて徒労な企てではなかったかと感じるくらいのものである。

 そうしたセルフ・フォーカシング体験を一度して。自分の中に理想的なリスナーやガイドを形成することに一定水準まで熟達してしまうと、生身のリスナーというのは、どうにも物足りない存在になる場合も出て来る。

 こう言っては失礼だが、生身のリスナーというのは、自分の中に飼っている(?)「理想的なリスナー」に比べると、どうにもこうにも鈍感で察しが悪くて不器用かつ人工的な存在に思えてくるのである。

 そして、まるでそのリスナーに、こちらのプロセスについてきてもらうためにいろいろキュー出ししないとならないみたいな、妙な気分になってくることがある(少なくとも私には)。

 つまり、すべてのセッションがリスナーを「教育」するためのフォーカサー・アズ・ティーチャー化してしまうというのに近い。これじゃ「私のために」フォーカシングしているのではないよとすら感じ出してしまうのである。

 なるほど、リスナーがいる方が、私のフォーカサーとしてのフォーカシング・セッションのプロセスは「よく回る」気はする。でも、何かひとりでフォーカシングする時のような深みに基本的に欠けている。

 それなら、「リスナーに何の伝え返しも教示もしないように頼んでみたら?」というのが教科書的な解答のはずだが(^^;)、そうやって仮にリスナーに全くの沈黙を最初から求めた場合ですら(!)、リスナーのプレゼンスを気にするあまり(!)、私の内面の自由はそれだけで損なわれる感じしかしない。

 仮にそのセッションの時には大きな気づきに思えたとしても、そのセッションの場を離れると一気にリアリティが喪失し、空虚な虚妄だと思えてきてしまうのである。

それは、私の「生活の中での」気づきではないということかと思う。

*****

ところが!!

 そういう私が、聴き手がいる方が、明らかにフォーカシングが進行するという例外的な経験を、ある特定の人物とだけは頻繁に持てる現実に遭遇することとなる!!

 私はその人物の前で、意識的にフォーカシングの技法を自分に試みることは滅多にない。普通に身の上話をしているだけなのである。ところが、その人に話していく時には、自分ひとりで意図的にフォーカシングしている時には決して克服できなかったような、自分にとっての大問題についての洞察的な気づき(シフト)が、いつの間にか自然発生的に生じる確率があまりにも高いことに気がついた。

 普段飛べないハードルが、その人と話しをしていると、やすやすと飛べていく
のだ。

 しかもそうした際の気づきは、私の現実的重大問題についての行方に少しずつ確かに影響を与えるくらいの、具体的な決断に結びついてすら行く、一時の主観的な「癒し」などでは済まない、大地を一歩一歩蹴っていく推進力の礎、具体的な布石、橋頭堡を生み出すのだ。

 その人は、別にリスナーとしての訓練を受けているわけでもなく、カウンセラーですらない。いわゆる専門家的「傾聴」の姿勢を保つことなく、結構自分の意見を言ってくるし、時には私の話を遮りすらして自分の話題へと持って行く(!)という、ほんとうに日常的な「普通のおしゃべり」ポジションのはずなのである。

 間違いないのは、お互いのことに関心を持ち、信頼しあい、相手への違和感でも何でもぶっちゃけて真剣に話し合える関係だけはできている間柄ということだった。

 そうであれば、たとえフォーカシングしようとしなくても、その人との普通の会話の中でフォーカシングは自然発生的かつ無意識的・条件反射的に(?)私の中で進行してしまうのである。

 私は、この事実に気がついた時、はじめて、ジェンドリンが、「フォーカシングにおいて一番大切なのは関係である」ということを口をすっぱくして言い続けている真意がわかった気がした。

 すごく相手に打ち解けていて、その人になら何を話しても大丈夫で、こちらが投げた球なら何でもがっしりと受け止めてくれるみたいな絶対的な信頼感で相手に自己投企できるか?

 ・・・・・そこまで行って、はじめて私は、自分自身を超えたリスナーの存在を認めることができたのである。

****

 ちなみに、その人物は、あくまでも、プライベートな「ネット友だち」だったりする(このサイトにその人は決して現れませんので念のため ^^;)。

 ・・・・・この話、フォーカシングを学んでいる皆さんに、何かヒントになれば。

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    ちょうど紅葉の時期と見事に重なり、車窓も徒歩もひたすら紅葉の山づくしでした。このページの写真は、島根の足立美術館の紅葉の最盛期です。

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