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2013年1月 2日 (水)

胸がすく思いの名著!! ・・・・内海健 著「うつ病新時代 -双極性II型障害という病-」 書評 (第1回) (再掲)

内海健/うつ病新時代 -双極2型障害という病-

 この本は、単に、DSMという診断基準が指し示す、狭い意味での「双極性2型」障害についての著作などでは決してない。

 恐らく、通常のうつ状態と診断されている患者さんたちの多くが読んでも、深く共感する内容に満ち溢れているはずだ。

 実はその点にこそ、この著作の只ならぬ奥の深さがあるのである。 

この本ほど、「胸がすく」思いで読んでいる、現代日本の気分障害全般について書かれた著作はありません(きっぱり) 

 古典的な「メランコリー型」うつ病は、実は第2次大戦敗戦国である日本「西ドイツ(!)」において、戦後の復興を経て高度経済成長期に入るという、固有の経済発展様式を取らざるをえなかったために、結果的に、1970年代まで、他の欧米諸国よりも「遅延されて」残存した、実は「オールド・タイプ」のうつ病のあり方であるに過ぎず、現在ではこれらの国でも、主として中年以降の世代にのみ残存している病態であるに過ぎないのではないか?

 ・・・著者ははっきりそこまで言い切ってしまっているではないか!!

*****

 今日、鬱は昔よりも「軽症化」しつつあると言われているのに、実際には、昔の鬱病の患者さんの方が、きちんとした服薬や休養生活(場合によっては入院)を経れば、長くても数ヶ月以内に社会復帰できる人がずっと多かったということを、さまざまな精神科医の先生が指摘している。

 鬱になる人の病態のマジョリティー(多数派)自体が、時代と共に変質してきている可能性を多くの専門家が認め、「新型うつ病」「非定型うつ病」などという言葉が繰り返しマスコミに載るにも関わらず、古典的な「メランコリー型」うつ病ではない人たち(本書で取り上げられている「双極性2型」以外にも、「気分変調性障害」「双極スペクトラム障害」などと診断される方たちを含む)に対する少なからぬ医者の取り上げ方は、どこかしら「近頃の若い者は・・・・」的なノリで、そうした人たちの「性格の問題」という言い方が安易に振り回される傾向があるように思えてならない。

 しかし、それは実は根本的な認識不足なのではないか?

 結局、医者の側が時代の変遷についていけていないことの「逃げ口上」ではないのか?

そうした問題提起をする上で、この著作以上に強力な著作は、刊行3年めにして、まだ現れていないように思われてきたのである。 

*****

 (古典的)鬱病者における病前性格としての「メランコリー親和性」ということをはっきりと打ち出したのは、ドイツテレンバッハという精神病理学者である。ところが、今日では臨床家の間で基本教養の一部というべきこのことをテレンバッハが著作ではっきりと書いたのは、何と1961年という、思いもよらないくらいに最近の(・・・・などと、1960年生まれの私だと書いてしまう)ことなのである!!

テレンバッハ/メランコリー(私は未読で、教科書的知識しかありません)

 もっとも、1961年といえば、西ドイツも日本も、西側陣営の中で、まさに目を見張る勢いで高度経済成長していた渦中に他ならないではないか!!

 「この時代の」「西ドイツにおける」精神科現場臨床におけるうつ病患者の診療の治療の膨大な蓄積の中で、テレンバッハが提唱し、ドイツで、何より日本で、そして最終的にはアメリカですらもDSM-IVの診断基準名に取り込まれる形で、幅広く受容されるに至ったのが、「メランコリー親和」仮説なのである。

 私が、

●「双極性II型」気分障害と高度成長期との関連 -星飛雄馬や矢吹丈や岡ひろみのように生きてしまうこと-

 ・・・・・この記事書いた段階で、アマゾンの書評で仕入れた情報ではここまでははっきり誰も解説してくれてはいなかった。「読まないまま見切り発車した」方向性に誤りはなかったことにほっとしている。

 一応、私の記事の方での表現をコピペしておきます(^^)

> 日本における狭い意味での「古典的な鬱病者」とは、
> 実はこうした、すでに過去のものとなった「会社への『忠義』が報われる」という社会システムへの過剰適応者に生じる失調形態であり、
> 今や、古き良き日本の職業観に基づき生きてきた、すでに60歳より年長の世代に固有の「社会的性格」を担う人たち
> (および、その世代の「超自我」を、不幸にしてもろに転写する形で受け継いでしまった、
> 「すでに時代とズレた」メンタリティを
持つ、後継世代の中の一部分 を占めるに過ぎない人たち)に、
> かろうじて残存しているに過ぎないと考えるべきなのである。

> 「会社のために尽くせば尽くすほど、その忠誠心に応えて
> 会社は必ず自分に報いて生活水準の向上をさせてくれる」

> ということを素朴かつお人よしなまでに信じていられたという点では、
> 高度成長期のサラリーマンは、バブル崩壊以降、リストラ等の現実に直面し辛酸を舐めて来た世代に比べると、
> 信じがたいくらいに純情ですらあり、
> (敢えてこの言葉を使わせていただく)日本的な『甘え』の構造に、骨の髄まで浸かっていたと思う。

 一方、これときれいに対応する、内海先生の著作での指摘(太字はこういちろうによる):

 「メランコリー型の生き方を特徴付けるのは、整序され、そして手垢の染み付いた、なじみある空間を形成し、しかる上で、そこに住み込むことである。これが「几帳面」と、さらに「秩序志向」の反面である。

 もうひとつの特徴は、他者への尽力、献身である。この場合、他者とは具体的な人物というよりは、家や会社、上司という役割や伝統という価値などである。

(中略)

 これを対象関係という観点から見れば、メランコリー型は、対象に対する尽力的、献身的な関わりの中で、庇護され、評価を受け、その領分の中で落ち着く、そういった個体である。

(図表への指示省略)

 この単純な図式の中に、、いくつか重要なポイントがある。彼らの尽力には、反対給付が与えられる」(p.125)

 「飯田真によるメランコリー親和型性格の発達史論は、特筆すべきものであったように思う。

 以下にその要諦を示す:

  1. 依存欲求の強い個体があり、依存対象への希求が何らかの形で挫折する。
  2. 対象は断念される一方で、幻想的な一体化願望が形成される。
  3. 代償として、強迫的な性格防衛が形成される。
  4. 権威的な人物や価値観が対象として選択され、権威が超自我として内面化される。
  5. 権威からの期待に応えるべく、勤勉の論理が発動される。結果的に、個体は社会的な自立を達成する。
  6. 権威へのひそかな依存が獲得される」(p.199)

 「こうした性格が形成される条件がある。すでに指摘したことだが、戦後の一時期、日本と西ドイツという、歴史的、地誌的に限定された中で、こうした類型が析出したのである」(p.202)

 ・・・・・内海氏がここで飯田真先生の論文から引用している「依存欲求」というのが、実は先日お亡くなりの土居健郎先生が言われた、本来の意味での『甘え』の問題に他ならないことをお察しの、読者の方もおられることかと思う。

****

 私が前述の記事で書いたことと、実際の内海氏の著作の間に生じたギャップは、確かに微妙な形で存在する。

 それは、私自身は、実は「意外と」古典的なメランコリー性格も超自我的には失わないまま成長しつつも、成人なったら、「ポストモダン的=双極2型親和的」な、絶対的な権威や価値規範など存在せず、更に不況の元で、勤め先からの「見返り」など期待できない社会を生きねばならなくなった「狭間の世代」の感性で、あの文章を書いているということに気づかされたことであろうか。

 この著作で描かれている「双極2型」こそが気分障害の中核群になる世代とは、恐らく私よりも数歳は年下のあたり(現在満40歳ちょうどぐらい)から顕著に増え始めるのではないかと思う。

 なぜなら、その世代まで行くと、すでに幼児期に、「石油ショック」という形で、高度経済成長と「人類の進歩と調和」の幻想の最初のほころびを体験できている以降の世代になるからである。

*****

 以上、この著作についての、読みかかりの段階での取りあえずの「速報」であるに過ぎない。

 何しろ、この本の主題である「双極性障害II型」について、内海氏が論をどう展開しているのかについては、まだ何も私は書いていない(^^;)

 

もっと本格的に踏み込んだことまで書くことを、ここにお約束したい。

(この項、第2回に続く)

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    ちょうど紅葉の時期と見事に重なり、車窓も徒歩もひたすら紅葉の山づくしでした。このページの写真は、島根の足立美術館の紅葉の最盛期です。

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