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2013年1月 4日 (金)

「コンディション」とは、言葉にならない、漠とした心身の「心地」である -カウンセラーこういちろうによるジェンドリンの体験過程理論の解題 断章-(3)(再掲)

 

ここからはじまった、ジェンドリンの体験過程理論の基本文献「人格変化の一理論」のごく短い断章についての、私の参加する勉強会での「ある特定の回の」やりとりを、やや要約し、脚色つつも再現する連載シリーズ、第3回です。(前回はこちら

*****

 

ある人が全く幸せな気持ちを感じながら場を去った。だが四日後に,彼は,あの時実は自分は起こったことについてひどい怒りを持っていたのだと覚る,彼は自分がず-っと怒りの気持ちを持ち続けて「いた」(has been)のだが「そのことに気づいていなかったのだ」と感ずる。(旧訳・新訳同じ。新訳p.218)

 

さて我々の理論は彼が現在,怒りと呼んでいるものがずーっと気づかれることなしに彼の身体の中にあったという考え方を否定する。我々の考えでは,何かがあったのだが,怒りを持つという過程はなかったのである。彼はそれを今怒りを持つ,と呼んでいる。なぜならば,彼はその過程に参加しており,彼の現在の怒りが,過去4日の間自分が身体的に感じていたある条件を「満たし」「放電し」「解放し」「象徴化し」「完了している」こと……すなわち早くいえば,その条件とある深く感じられた関係をもっていること……を生理的に彼に知らせるようなある解放惑(定義8[新訳:定義h]を見よ)をはっきりと感じているからに他ならない。過程は生じていなかったのであり,それは,今になってはじめて変更をうけている或る生理的条件の方へと進んでいたのだ。

「構造に拘束された」体験が「完了する」ときに我々は,以前にそれが何であったかが今わかるのを感ずるのである。そのときに,そのことがわからなかったのは,今進行している過程はそのときの停止した条件とは異なっているからである。

 ([ ]内以外旧訳・新訳同じ)

 

Now, our theory denies that what he now calls anger was in his body all along, without awareness. Rather, there was something, but not the process of being angry. He calls it being angry now, because now he is engaged in that process, and he clearly feels the releasing (see definition 8) quality which physiologically lets him know that his present anger "satisfies," "discharges," "releases," "symbolizes," "completes"--in short, has some deeply felt relation to--the condition he physically felt during the four preceding days. The process was not occurring, and that made for a physiological condition which is only now altered. When "structure bound" experience "goes to completion," we feel that we now know what it was then; we did not know it then, because the ongoing process of now is different from the stopped condition of then.

太字原文のイタリック。訳書にもある)

******

こういちろうの講釈:

・・・・さて、では、「抑圧モデル」「内容モデル」に代わる形で、ジェンドリンがこの実例をどのように説明するかなんだけど。

 まず、《第一幕》、実際にデートしたその時に「全く幸福な」気持ちでいたことのものは、必ずしも疑わなくてもいいことになる。

つまり、彼の、その「ある一定の状況(a certain situation)」の中での「漠然とした言葉にならない実感」、つまり、フェルトセンスそのものの、感じられた「暗黙の意味(implicit meaning)」直接の注意(direct reference)を向けて見た結果として(つまり、フォーカシングの結果として)、そこから、実感にぴったりの言葉、つまり、明示的な意味(explicit meaning)としての象徴化として「全く幸福」という言葉がでてきていたという前提に立っても、何も困らない。

 なぜなら、その「ある一定の状況(a certain situation)」からは、デートが終わって以降は離れている(left)のだから、違う状況で違うフェルトセンスを感じ始めた、と想定しても問題ないので。

 もちろん、仮に、デートの真っ最中に丁寧にフォーカシングしたら、

「幸福だけど、何か言葉にならない漠とした違和感」もあることに、この時気づいた可能性は留保できる。

 ジェンドリンは、この実例について、

> there was something, but not the process of being angry.

と書いているわけだから、 「彼は言葉にならない『何か(something)』を感じていた。でも、『怒り』へと直結するプロセスはその時点では存在しなかった」 ととらえている可能性もあることになる。このへんはもう少し先の部分を検討するまで留保するね。

 どちらにしても、その段階で感じ取れている「言葉にならない漠然とした実感」そのものは、そこにシフトが生じない限りは、そこに、『怒り』ということを明瞭に示唆するフェルトセンスの感じられた質(feeling quality)はなくてもいいし、なかったという前提でジェンドリンはこの実例をとらえていると思う。

 それこそ、

「『十分に幸福』と言い切ろうとすると、何かすっきりしない」 だとか、

 「何か妙に落ち込んだ、モヤモヤした気分隠れている」 だとか、

 「ハッピーだったはずなのに、私の胸の中にかすかにチクリと痛いものが刺さっている」 だとか、

 「このかすかなイライラは何?」 だとか、

 「幸せだった筈なのに、何か後ろめたさのようなものがある」 とか、いくらでもシミュレーションできる。

だけど、その言葉にならない"something"に直接注意を向けて、その感じられた質を取りあえず言語化したとしても、ともかく、ダイレクトに「怒り」に結びつくものはまだ感じられていないと想定できるわけね。 .......いいかな? これで? (異論なし)

 .......さて、次の部分。

> He calls it being angry now, because now he is engaged in that process,

......(沈黙).......ううう。
"engaged"が「参加する」では意味がわからなくなるではないか。  ここでは、

 「彼は今では(.....つまり、《第3幕》では)、その過程に没入しており」 あるいは、「没入」、ないし「没頭」が強いなら、 過程に「入って」おり ......ぐらいに訳するかな、私なら。

 要するに、ひょっとしたらデートのその時(《第一幕》)、あるいはデートが終わって以降の3日間の間(《第2幕》、何なら、今日になってから(《第3幕》)でもいいや......に感じ始めた、言葉にならない"something"についての、自然発生的フォーカシングの「過程」が始まったということね。  「その漠然とした感じは何?」 という、感じに触れ続けながらの探索的なプロセス。

 
次に、

> and he clearly feels the releasing quality which physiologically lets him know that his present anger "satisfies," "discharges," "releases," "symbolizes," "completes"--in short, has some deeply felt relation to--the condition he physically felt during the four preceding days.

 彼はその言葉にならなかった何かモヤモヤしたものに自然発生的なフォーカシングを進める中で、ついに今(present)

 「そうか、私は腹を立てていたんだ!!」

と気がついたわけ

 この瞬間がフェルトシフトは生じたということ。

 つまり、「怒り」と気づいた瞬間に、その怒りに「気づく」ことが、彼に、 「満たされた」 ともいえるし、 「放電された」 ともいえるし 「解放された」 ともいえるし、 「象徴化(シンボライズ)された」 ともいえるし 「完了された(未完だったものがfinishを決めた)」 ともいえるような、ある生理的・身体的(physiologically)な,"the releasing quality".....「すっきりしていく質感」の感覚をもたらしたことになる。

次は.....

>--in short, has some deeply felt relation to--the condition he physically felt during the four preceding days.

> 過去4日の間自分が身体的に感じていたある条件

> ……すなわち早くいえば,その条件とある深く感じられた関係をもっていること

......(沈黙)......う゛う゛う゛......
"condition"「条件」と訳すのは、この場合も外れてはいないんだけどさあ......  要は、カタカナ語でいう「コンディション」のことでしょ? これ。

 「過去4日間自分がからだで感じていたコンディション ......わかりやすいではないか!!  日本語で訳すなら「心地(ここち)」とか「居心地」ね。

言葉にならない漠然とした何か="something"を感じているその状態がどうかってことじゃないの?

 日本語っておもしろいよね。「心地」って「身体の感じ」の状態のことを指すわけで。  ついでにいうと、

> some deeply felt relation

・・・ そりゃ、「関係」なんだけど、「深く(相互に)つながっている」、「深く関連した」、ないし、「深く触れているぐらいじゃないかしら?

*****

長くなったのでまたここで区切ります(^^)

......これじゃ、10年で40ページ進まないの、お察しいただけるかと(^^;)

 さすがに今回の部分は、ある程度体験過程理論になじんでいない人には、臨床家ですらどれだけついてきていただいけたか、自信がありません。

 しかし、フォーカシング関係者の皆さんには、何か、少し問題提起になる示唆となればと思います。 (続く)

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    ちょうど紅葉の時期と見事に重なり、車窓も徒歩もひたすら紅葉の山づくしでした。このページの写真は、島根の足立美術館の紅葉の最盛期です。

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