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2013年1月 4日 (金)

テクノクラートとしての請負い民主政治家 -二宮尊徳についての壮大なる誤解-

 二宮尊徳(金次郎。正確には「金治郎」)というと、戦前の修身の教科書で勤勉と質素倹約を説いた偉人としてのみあげつらわれ、薪を背中に背負って勉学にいそしむ銅像が日本中の小学校に建てられていたあたりから、戦後日本では、日本人の「精神主義」の否定的側面を代表する存在であるかのようにとらえられがちである。

 では、彼は、儒教の教えを説き、農民に辛抱を強いるだけの「道学者」だったのか?

 実情はまるで正反対である。富裕な自作農の農民の子として生まれ、善意の篤志家だった父と酒匂川の2回の氾濫による田地流失のおかげで傾いた自分の家の財政再建を短期間で成し遂げた功績が、在所の小田原藩主に認められ、現在の栃木県にあった地味不良な領地、桜町の再建を一手に委ねられる。

 「天保の大飢饉」を事前に予測し、農民に天候不良に強い稗を植えるように強制し、「餓死者ゼロ」という見事な危機管理に成功したことで有名となり、他藩の領地の再建を次々と厳格な条件で引き受け、ついには幕府に命じられて天領の再建にも成果を残す。

 彼の手法は徹底的な実地検分に基づく、農地の収穫についての科学的かつ合理的なシミュレーションと、計画実施、一種の私的なファンドを厳密に運用しての厳格な財政再建、そして、成績優秀な農民を農民の投票で選んで表彰するなどの、モチベーションの高揚策を採った。

 更には、支配する武士階級が濫費したらザルになることを見据えての、一歩も引かない形で領主や役人、役人と賄賂で結託した庄屋たちの生計の無駄を厳密に「財政監査」した。

 そして、家政の緊縮と、「分度」と呼ばれる、一定の目標値以上の収益はすべてファンドの運用資金に繰り込むことについての厳格な事前契約を受け入れないとファンドからの融資も決してしないし、いうまでもなく尊徳本人も一切の供応を断り続けるという、政治的ネゴシエーターとしての厳格さとしたたかさに裏打ちされた、いわば、自治体の産業と財政の再建の「請負い」プロ=テクノクラートとしての生き方に他ならなかった。

 また、なぜ彼の仕法が短期で成功したかの最大の理由は、当時年貢の対象とならなかった、検地されていない土地.....未開墾地や「捨て地」.....洪水で見捨てられた土地を耕作させることによって、生産物の収益が無税=100%生産者のものになる場所ばかりを狙ったことによることも必ずしも一般には知られていない。つまり彼は、封建体制の盲点を突く収益事業を進めたのである。

 これらのことを私が知るきっかけになったのは、以外にも、今から20数年前、中井久夫先生の「分裂病と人類」の、「執着気質の歴史的背景 -再建の倫理としての勤勉と工夫-」と題する、大部を割いた第2章である。

 

 村の「立て直し」においても、彼は決して村の支配者、家父長としてたち現れたのではなかった、彼は、村の合意の下に「立て直し」を指導する一種の「技術者」-----"仕法家"であった。彼は実際、支持者が4割であれば仕法をはじめず、6割であれば引き受けている。そして彼は、仕法家つまり村の治療者としての役割を自覚していた。自分たちの名が忘れられ、村民たちが自分たちの力で村を立て直した、と感じるようになったとき、仕法ははじめて成ったのである、という意味のことを言っている(今日の「治療者」たちも聴くべき言であろう) (p.55)

 尊徳は、むしろ、武士というものを、「特権階級」とはみなさず、あくまでも政(まつりごと)を司る官僚集団としかみていなかった。その官僚集団が濫費を重ねる限りは、どれだけ農民が生産量をあげても無意味であること、また、そうやって収穫が増えた分だけ年貢の取り立てを増やし、武士がそれにあぐらをかくようになったら元も子もないことを十分に看過していた。

 幕末という、身分制度が緩み、庶民からの人材登用に期待せざるを得なくなり、才覚で階級上昇が可能になり始めた時代の、歴史の大転換期ゆえに現れ得た一代の鬼才というべき人物である。

 (他分野で類似の例を探せば、少しさかのぼる時期の伊能忠敬の全国測量と地図製作は、幕府の許しを得つつも、すべて、商業で成功となった後の忠孝の「私財で」なされている)

 ある意味では、少なくとも地方自治体水準での民主政治のリーダーのあり方としては、今日でもまだ汲み尽くされていないモデルを提供してくれる人物であるように思う。

 今回、多少調べなおしたら、「考古歴史紀行ー久田巻三(ひさだけんぞう)の世界」で、@niftyのpaypalを使ってpdfでダウンロード販売されている、一種の歴史小説「二宮尊徳スーパースター」が、わずか2時間あれば全文楽々読み通せる長さにもかかわらず、尊徳の生涯とその業績について、たいへん明快に(しかも安価で)読める資料として推薦していいことに気がついた。

 以下の部分は、この文献より、尊徳が、一度仕法に行き詰まり、成田山で断食の修行をした時、ようやく訪れた「悟り」の部分である(小説的表現だが、原資料は同時代の尊徳の弟子による聞き書きや伝記にあるようだ):

〈和尚の言った全てを無にするとはこういうことか。頭もからっぽ、お腹もからっぽ。ここにある自分は全く無力な存在である。ただ、天によって生かされているだけではないか〉

〈自分は、今まで桜町の人たちを自分の思い通りに作り変えようとしていたのではないか。昨年出した出村禁止令も間違いであった。村人を縛り付けようとする愚策であった〉

〈そうか。桜町でも全てのものを受け入れよう。この世に生きとし生けるものは、皆、天の恵みである。無頼の者には無頼なりの尊さがある。どんなに自分に反抗する人間であっても、自分にとって栄養にならないものは無いのだから〉
 (p.30)

 考えてみれば、純粋に合理的見地から見ても勝算の薄い戦いを、国民から財産と人命を吸い上げる形で、精神主義で切り抜けようとする泥沼にはまりこんだ日本の歴史の現実ぐらい、もし尊徳の目から見たならば、無謀そのものの、最悪の「経済」と「政治」のあり方だったはずである。

****

 【追記】第2版で岩波新書の奈良本辰也氏による「二宮尊徳」に基づき、若干の補足と修正をした。  なお、この記事の続編がこちらにあります。

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    ご存じの方は多いでしょうが、出雲の国には日本全国の神様が11月に全員集合することになってまして、「神無月」と呼ばれるわけですが、島根でだけは、「神有月」ということになります。(後日記:「神無月」は10月でしたよね(^^;A ........旧暦なら11/23前後は10月でせう....ということでお許しを.....)  
    ちょうど紅葉の時期と見事に重なり、車窓も徒歩もひたすら紅葉の山づくしでした。このページの写真は、島根の足立美術館の紅葉の最盛期です。

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