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2013年1月13日 (日)

当時の外科医はマッチョで非情な「大工職人」だった -ナイチンゲール時代の「公衆衛生運動」と「細菌医学」の奇妙な格執-:本論1(再掲)

 

前回の続編。

 

ナイチンゲールの派遣されたスクタリの病院で、最初の数ヶ月、なぜ42%という驚くような死亡率が生じたのか。

 下手に医学用語を使うと間違う心配があるので、敢えてまどろっこしく、できるだけ私なりに普通の言葉で書いてみよう。

 当時、ある程度以上重度の傷や骨折が生じた場合の治療法は何だったか? .....手足であれば、「切断」がいともあっさり行われていました。しかも、傷口よりもかなり手前の部分で切り落としていたのですね。

 なぜか? 敗血症が怖かったからです。

傷口が膿で覆われ、壊死が生じると、その傷口だけではなくて、傷のある部分からはもの凄く離れた身体のいろいろな臓器に傷害や炎症が次々生じて、いわゆる「多臓器不全」の状態になって死んでしまう。

 当然、輸血もありません。麻酔すらまだ、クリミア戦争当時は実用化されたばかりでした。

 麻酔なしでの四肢切断。メスでサクサクっと肉の部分を切って、今度はノコギリでギコギコやるわけですね。恐怖に震え、激痛に耐える患者は数人がかりで押さえつけられる。    

この激痛のショックで心臓麻痺で死んでしまう患者も多かったし、消毒や殺菌の概念はありませんから、四肢切断の後、結局敗血症になって死ぬ人も非常に多かった。壊死した部分を放置するよりは死なないというだけのことだったわけです。  

外科医は、まるで屠殺業者か大工職人、あるいは刺身職人のようなものです。ばっさり、一気に手早く進める方が苦痛も少ないし、「なぜか」その後の生存率もいいことだけはわかっていたので、体力勝負、冷酷無慈悲に手早く一丁上がりと仕上げられる外科医が優秀とされ、人より何秒早く切り落とせるかが名医のプライドだったそうです。

外科医の腕はみんな筋骨隆々としていた!!
 

アヘンなどの麻薬に鎮痛作用があるのは洋の東西を問わず古代から知られており、ヨーロッパでは15世紀頃から麻酔薬としての使用が始まりましたが。  

ちなみに、記録に確証できる形で麻酔(全身麻酔)をはじめて「臨床現場で」使ったのは、日本の華岡青洲が1808年にチョウセンアサガオをはじめとする薬草を調合して行った乳ガンの手術とされています。  

欧米では、これより遙かに遅れて、1842年、アメリカのジョージア(独立13州ではありますが、南北戦争(1861-5)前だし、まだ南部のかなり田舎の筈)のクロフォード・ロングという医師が首の嚢胞を切除する際に、硫酸エーテルを吸入麻酔として使ったのが最初だが、この人、これを公表しなかった。  

1844年に、今度はヴェルズという開業歯科医が、当時ドサまわりの興業で使われていた笑気ガス(亜酸化窒素)を、舞台に上がって吸引したある観客が、笑いが止まらないだけではなくて、笑気ガスでラリって、暴れ出した挙げ句、身体をひどくぶつけて、絶対骨折している筈なのに平然としていることを客席で見ていて怪訝に思い、本人の身体を確認したら実際に骨折していた。

彼はこれを抜歯の際に痛みを感じさせないことに使えるのではないかと直感して、興行師を家に招き、翌日から、自分と家族を対象に人体実験を始める。自分が失神した後に、家族に頼んで針でつついたりつねったり、ぶつけても痛くないことを我が身で確認するわけである。  

彼の医院は無痛で歯を抜いてくれるということで大繁盛。意を決した彼は、当時の外科の大家ジョンコリンズ・ワレンがいたボストンのマサチューセッツ医学病院で、公開実演することに挑むのですが(当時は、大きな手術ですら、患者をモルモットにして、大きな医学教室で「公開実験」して成果を示すやり方がよく取られた。

少し時代を下っての、ヒステリー患者に対するシャルコーの催眠療法の公開実験もその流れ)。  

この時名のりをあげた医学生は、いったんは麻酔にかかって失神したものの、十数秒後のいざ抜歯した瞬間に暴れ出して大失敗。実は、笑気ガスは、肥満していて酒飲みの人間には一般の人より効きにくかった。不幸にしてその医学生はその典型だったのである。

こうして、外科の大家,ワレンと医学生の前で物笑いになり、彼はすごすごと引き上げることになる。  

2年後、別のウィリアム・モートンという歯医者(2年前のウェルズの公開実験を盗み見していた可能性が大きいらしい)が今度は硫酸エーテルを使って同じ大学の同じワレンと医学生の前でデモンストレーションをして無痛抜糸は大成功。

すぐさま
目の前に舌ガンの患者や大腿部切断の必要な患者呼び寄せられてガスを吸入してワレンが切除手術。患者は痛みを感じず大成功し、新聞でも報道、このモートンという歯医者はその後この治療法で特許を取り大儲けすることになる。  

もっとも、このあと、クロロフォルムの方が効果的であることを1847年にジェームス・シンプソンというスコットランドの医師が史上初の無痛分娩で証明。  

しかし、大家と呼ばれていた外科医はその導入に否定的だった。「手術の苦痛が無くなると,患者の悲鳴にもひるまずにメスを振るう『青銅のように強靭な精神』が外科医から失われてしまう」という....(^^;)

......手早く一気に施術する方向へと外科医の技量が向上しなくなるとも懸念されたらしい。  
苦痛によるショック死の問題は別にしても、「手術は手早いほど術後の経過がいい」と経験的にいわれていた。これは輸血などなしの手術だったということもあるし、傷口を空気にさらす時間が長いとその後の経過が良くないというのも理にかなっていた。

また、(当時はその原理はわからなかったが)傷口を医者の汚れた手が不用意にいじくり回すほど、細菌感染がひどくなる危険があったのも事実だったのである。  

ところが1853年、イギリスのヴィクトリア女王の出産の際に用いられて成功して、一気に「大ブーム」になるのである。クロロフォルム全身麻酔は、揮発性の液体を入れた小瓶とハンカチ一枚で可能でしたから、一気に普及しはじめることになります。

*****  

さて、問題のクリミア戦争1954年から1956年です。クリミア戦争は、野戦病院でクロロフォルム麻酔が使われた最初の戦争です。もっとも、軍医長は切断手術における全身麻酔の使用禁止の通達を出しており、このことは現地からのタイムス特派員の報道でイギリス本国でも避難を浴びていた。

でも、実際にはスクタリの病院でも外科手術にはクロロフォルムが麻酔として使われていたようです。  

しかし......手術器具や医師の手、包帯、患部の「洗浄」や「消毒」が死亡率の激減に貢献することについて解明され、医学会に認知され普及するのには、まだこれから2,30年要するのである!! (つづく)  

●参考文献
Wikipediaおよび、

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    ちょうど紅葉の時期と見事に重なり、車窓も徒歩もひたすら紅葉の山づくしでした。このページの写真は、島根の足立美術館の紅葉の最盛期です。

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