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前々から考えていたのですが、かつて日本フォーカシング協会ウェブサイトに掲載させていただいていた拙文を、これを機会に、再度そのまま全文ご紹介しようかと思います。
実質、もうすぐ12周年にもなるのですね。
しかし、この時得られた気づきが、その後の私を、ひとつの宿命のように支配し続けてきたのではないか・・・という深い感慨を抱きつつ、私はこの数年を生きてきました。
===========以下再掲===========
エルフィ・ヒンターコプフ 東京ワークショップ体験記
フォーカシング・ネットワーク in 東京 第4回ミーティング
1998年1月25日 於:立教大学
阿世賀 浩一郎
アメリカからフォーカシングの有力なトレーナー、エルフィ・ヒンターコフ(ヒンターコプフ)が来日して東京でもワークショップを開いた。そのワークシップが非常に面白かったので、そのことを書こうと思う。
このヒンターコフという人は、アメリカ生まれだが、ヴイーン大学で、先年(1997)亡くなった、ナチの収容所体験とその極限状況下において生の意味を見いだせる人たちについて考察した『夜と霧』(みすず書房)で有名な、実存分析の大家、フランクルのもとで学んだ後、文化人類学に専攻を変え、ネイティヴ・アメ
リカンについてのフィールドワークに打ち込み、更にシカゴ大学のフォーカシングの祖、ジェンドリンのもとでフォーカシングを学び、今や心理療法家、フォーカシングの代表的トレーナーとして活躍中の方である。
ヒンターコフ自身の著書、"Integrating Spirituality in Counseling: A Manual for Using the Experiential Focusing Method"(邦訳「いのちとこころのカウンセリング―体験的フォーカシング法」
日笠摩子・伊藤義美訳 金剛出版)によれば、厳格なファンダメンタリズム(聖書を字義通りに理解し、進化論も否定する)の家庭で育ったが、13歳の時、やりたかったダンスを取るか宗教を取るかを決断せざるを得なくなり、彼女はダンスを選んだ。何事も「すべき」か「すべきでない」かでとらえようとするキリスト教の風土は彼女にとって無意味に思われた。それ以来彼女は宗教を拒絶したが、日常の中で、ある「無意味感」を抱え続け、彼女が「意味の探求」と呼ぶものをはじめたという。
前述のフランクルは、生の意味は自分の内側からくみ取るしかないと諭したが、それがどういう意味なのか、この時点での彼女には実感としてはわからなかったという。「わたしは、内側から意味を見出すには何をすればいいのかわかっていなかった」。平和部隊に参加して訪れたインドではヨガの導師に教えを請い、瞑想を学んだが、瞑想をしている最中は安らぎが得られるものの、日常に帰ると、また再び、以前からの葛藤に翻弄されてしまったという。
ジェンドリンとフォーカシングに出会って後、フォーカシング体験を積む中で、はじめて彼女は、以前フランクルが諭した「自分の内側から生の意味をくみ取る」ということ、すなわち、「内側からの、静かな、かそけき声」を聴くということ体験的に理解できるようになった。そして、更に、フォーカシングを深く進める中で、「神、人間、森羅万象と自分が共にある」という体験に至り、仕事や他者との関わりや余暇の過ごし方において、自分の実感を大切にしながら生活することができるようになったとのことである。
***
さて、今回のヒンターコフの来日セミナーのテーマは「スピリチュアリテイとフォーカシング」というものだった。このテーマは、ひとつには、今述べてきたような、彼女の精神的遍歴と強く結びついたものなのであるが、それにとどまらず、およそ欧米で心理療法やカウンセリングに関わる限り、避けて通れない重大な問題と結びついている。
ご存じの方も少なくないかも知れないが、欧米では、クライエントに、セックスに関する質問を面接の中でしても、日本でに較べれば遙かにフランクに話してくれることが少なくない。だが、相手の信じる宗教は何かについて訊ねることは、日本人からは想像がつかないくらいにタブー視されがちとのことである。
ところが、それにも関わらず、広い意味での宗教的なことに関わるテーマが、多くの面接の中で不可避に登場する。違う宗派の人間同士の結婚にとどまらず、同じ家族の中で、それぞれ信じる宗教が異なり、3つも4つもの宗派に分かれてしまうことも稀ではない。
しかも、そのような家族や周囲との宗教の違いが互いの葛藤に影を落とすことがあるばかりではない。クライエント個人が語る悩みのあり方そのものに、日本人ではあまりみられないものが頻繁に登場する。例えば、
「重要なのは、イエス・キリストと私がどんな関係にあるかということなんです」
「私は神に対して否定的な感情しか持てないでいます」
「私はこれまでの生涯でずっと信心深い人間だったつもりですが、実は一度も神を体験したことがないんです」
「私が前世で体験したことが今の私を支配しているんです」
などということが、カウンセラー相手の悩み相談のテーマとしても、かなり頻繁に登場するらしいのである。
それに輪をかけて事態を厄介にするのは、カウンセラー個人が抱いている宗教的な信念と全く受け入れがたいクライエントの発言をいかに受け止めるかという葛藤も生じることだ。だが、このようなクライエントの発言を避けて通ることは、クライエントとの関係を基本的なところで傷つけるものになりかねない。
人間の移動が激しくなり、家族関係の枠がゆるみ、神秘思想や従来の欧米以外に由来する宗教に関心を持つ人も増え、違う価値観の人が密接に交渉を持たざるを得ない状況が進む中で、もはや欧米でも、宗教的な問題を心理療法の現場で扱いづらいものとしてタブー視するだけでは済まされない状況がいよいよ進展し、臨床心理関係の学会でも重要なテーマとして取りあげられることが少なくないとのことである。
最近はやりの言葉で言えば、心理療法の現場も、マルチカ ルチュラリズム(多文化主義)的な発想を必要とするようになって来ているのが時代の要請なのである。
***
こうした中で、ヒンターコフは、まず、"religiousness(宗教性)"と"spirituality"(霊性。以下の文中では特に断りがない限りカタカナで「スピリチュアリティ」と表記する)を区別することを提案する。
"religiousness"とは、「ある特定の、組織的な宗教団体や教会などの信念と実践を守ること」である。それに対して、"spirituality"とは、「超越的(transcendent 常識的・合理的な判断を越えた)」次元での、独特の、個人的に意味深い体験」全般のことを指す。
このようにとらえると、個々の具体的な神秘思想や宗派を信じると言うより、遙かに広範な経験が「スピリチュアリテイ」の名のもとに包括されることになる。例えば、自然や芸術作品を味わう中で生じた深い感動なども含まれてくる。
だが、これは後者が前者よりも幅広い、包括的な概念であり、"religiousness"が"spirituality"の部分集合として含まれてしまうことを意味するわけではない。つまり、"religiousness"であっても"spirituality"ではないという次元も存在する。 これは、すでに掲げた、
「私はこれまでの生涯でずっと信心深い人間だったつもりですが、実は一度も神を体験したことがないんです」
という例にも示されているように、形の上では熱心に宗教儀礼をしているつもりでも、「常識的・合理的な判断を越えた次元での、独特の、個人的に意味深い体験」の方はその人に得られていない場合などに典型的にあらわれている。
では、ヒンターコフは、「スピリチュアルな」体験をどのように定義するのか。
この3つの条件を満たす必要があるとのことである。
実は、この中の1.と2.は、フォーカシングで言う、
ということに他ならず、通常のフォーカシング体験や、生産的なカウンセリング場面、あるいは創造的な表現や発見の現場ではごく普通に生じている現象である。
だが、このような「身体で感じられた曖昧なモヤモヤした何かの中から、身体の感じの解放と共にその個人固有の意味が啓示される」という実感ある体 験が、いくら信心しても得られていない人は少なくないらしい。仏教的に言えば「悟り」の経験が得られたという実感がないということにあたるかも知れない。
しかも、それが通常のフォーカシング的体験ではなくて「スピリチュアルな」体験と言えるためには、
3..超越的(transcendent)な次元での成長過程を伴う
が加わることとなる。
ヒンターコフはこの「超越的」体験のことを、
「今までの自分の準拠枠(frame of reference)を越えて新しい次元に進んでいくこと」
「深いところから命を前に進めるエネルギー(life forward energy)があふれ出し、自分の中の何かが動き出すこと」
などとも説明している。いわば「世界」の体験の仕方そのものが全体としていきいきと変容していくような経験であるとも言えるかも知れない。
***
ヒンターコフは、このようにスピリチュアルな体験をフォーカシング的に定義する上で、体験の「内容(content)」ではなくて体験の「過程(process)」という観点を重視した。
つまり、「スピリチュアルな」体験の中で、具体的に「何を」体験し、それをどのように意味づけるかは人それぞれである。ある人はそれを「悟り」と 呼び、ある人は「神の臨在を体験した」と呼ぶだろう。ある人は「前世の自分の記憶を思い出した」といい、ある人は「宇宙と自分との合一を体験した」といい、あるひとは「イエスが神でありなおかつ人であり、いつも自分と共にあることが実感できた」というかもしれないし、ある人は「全てが<無>であることがはじめてほんとうにわかった」というかも知れない。
それらを聞いていて、「内容」や「具体的な意味づけ」に感情移入できないどころか、抵抗や嫌悪すら感じる場合もあるだろう。
しかし、「それは『あなたにとって』どういう意味があるのですか」などと、更に具体的に、そこに到る個人的な心情のひだの動きを更に傾聴していけ ば、かなりの程度まで、その人個人の中でどういう「感じ」が生じ、それがどのように変容していったのかが実感を持って共有できる可能性が開けてくるのである。つまり、はっきりしない漠然とした感じの中から生起した何かが、身体感覚のシフトを伴う気づきを生み出したプロセスそのものにシンクロし、共有することはかなりの程度可能になる場合がある。
ヒンターコフは、このようなスピリチュアルな体験の「プロセス」の次元でならば、特定の宗教や神秘思想の用語への違和感などに振り回されずに共有可能と考えたのである。この人は「こんな」感じの中から「こんな」感じが生起してきた体験を、例えば「神の実在を体験した」と名付けているのだ、その名付け方には自分はなじめないが、その人にとっては、「その」体験をつなぎ止めるためのhandleとして、それを「神の実在体験」と呼ぶのがどうもぴったりらしいことは受容しよう……という形で接点を作るわけである。
その体験をどのような「名前」で呼ぶかは、その個人固有の領域なのである。
大事なのは、そこに身体感覚の変化と、その人にとって漠然と意味ありげに感じられていたものの中から何かがはっきりとした意味として実感できるようになる過程そのものを、相互作用の中で共有できることそのものなのだ。
***
「果たして、スピリチュアリティというテーマで人が集まるかのか?」
このような疑問を抱いていた人は少なからずいたようである。私もその一人である。多くの日本人の宗教との関わりが形骸化している中で、果たしてピンと来てもらえる人がどのくらいいるのか?
今回の東京セミナーは、幸いにして定員いっぱいの50名近い参加者に恵まれた。インターネットでのこのホームページ経由の宣伝によって関心を持って参加して下さった方も数名おられた。
当初、やはり「スピリチュアリテイ」の定義について若干の質疑応答があった。 ヒンターコフ自身、欧米では「スピリチュアリティ」とさえ言えば多 くの場合自然と共通理解が得られる問題に、日本人が必ずしも易々とは反応してくれない可能性を感じた瞬間があったようである。
・・・が、前述したような、「例えば自然や、詩や、音楽への感動体験の場合にもスピリチュアルな体験と言える場合がある」というような説明の中で、「ス ビリチュアルな体験」とは、予想していたより幅広い範囲の体験を包含していいのだという共通理解が生まれてはじめて、ワークショップは順調に進みはじめたように私には思われた。
***
さて、以上のような、ひとわたりのレクチャーが終わったところで、休憩をはさんで、全員一緒のワークがはじまる。
最初はヒンターコフの教示に従い、全員一緒に行い、その後で数名の小集団に別れて互いの感想を共有、最後に、再び全体会で、自分の体験を全体で共有していいという人の自発的発言を求める。
最初のワークは、英語版のパンフには
「聖なる言葉についてのフォーカシング」
と書かれ、
「まずは、あなたにとって聖なる意味を持つ言葉(sacred text)をまずはひとつ選んで下さい」
と書いてある!
これだけでは大半の日本人は乗れそうにないところだが、ヒンターコフはすぐに付け加えた。
「これは、あなたに感銘を与えた詩の一節や、ことわざ、あるいは自然の風景などでもいいのです。『まだはっきりとした意味はわからないけれども、そこには<何か>がある』という印象を残したようなものがいいと思います」
私にはこの、ヒンターコフが最後に付け加えた、
「『まだはっきりとした意味はわからないけれども、そこには<何か>がある』という印象を残したようなものがいいと思います」
という示唆にピンと来るものがあった。
そんなに内面をまさぐらなくても、そのヒンターコフの言葉にインスパイアーされるようにして、ここ2,3年、しばしば私の脳裏に甦り、時々反芻してきた、ある光景と、その時の「説明しがたい身体の実感」がいきいきと浮かび上がってきてくれたのである。
***
私の体験について語る前に、ヒンターコフがワークショップで、せいぜい15分前後のワークとして用いる際のワークの手順のひとつをここで示してみよう。
以下の教示をひとつずつ、じっくりと間合いを置いて、相手の応答に即して提示していく。ひとりがこれを読み上げる形で集団で行うこともできる。
ここでは詳しくは説明しないが、これらは、通常のフォーカシングのプロセスとそれぞれ対応している。つまり、
2.フェルトセンスを掴む
3.フェルトセンスにとりあえず実感の上でぴったりな付箋となるような言葉を見
つける(get a handle)
4.フェルトセンスと一緒にいる(being with)
5.フェルトセンスに問い掛けて応答を待つ(asking)
→生じてきたものを受け止める(receiving)
となる(詳しくはジェンドリン「フォーカシング」 福村出版 参照)。
***
さて、私がこのワークで選んだのは、3年前の夏の終わり、蔵王に行った時の体験である。
当時の私には、終末の仕事の帰りに、思いついたように一人旅に出たことが時々あった。帰り道の駅からビジネスホテルに電話して予約して、新幹線でその日のうちに移動できるところまで移動してしまう。あとは出たとこ勝負である。
その時はその日のうちに新潟に出て、翌日米坂線まわりで山形に移動、山形の宿を確保した上で、蔵王に日帰りで向かうことにした。季節運行の山頂まで登れるバスがまだ出ていると知ったからである。
8月29日、バスとリフトを乗り継いでたどりついた蔵王の山頂は、かなり風が強く、やや肌寒くすらあった。夏の山によくあるように、日は射しているけれども、雲が速いスピードで流れていき、いつ天候が崩れて雨になってもおかしくない感じだった。観光客はまばら。
行かれた方はご存じのように、山頂の近くの展望台から、火口湖、お釜が見渡せる。見渡せると言っても眼下に間近にあるわけではない。1キロ近くは 彼方のやや斜め下に見下ろせる。その間には荒涼とした稜線が次第に落ちていき、お釜の右手の方は硫黄が吹き出す緩やかな谷となっていたと思う。
日は射しているにもかかわらず、上空の雲を映して、「お釜」の水面はむしろ鉛色というのに近く、そのまま灰色の稜線と溶け込んでいた。
なぜか私は、その時、遠くに見えるそのお釜の鉛色の水面と、右手に見える白っぽい谷が次第に地平線に向けて高度を下げている光景に「不気味な怖さ」のようなものを感じたのである。
私は、海か山かと言われれば、山派だろう。九州に住んでいたから、霧島や阿蘇・九重・雲仙などには何回も行っているし、火口湖や噴火口の光景にも小さい頃から馴染んでいる。その私が感じたことがない、奇妙な「怖さ」だったのである。
おかげで、それ以来、その時の光景が、この3年間の間、何回も自分の脳裏に自然と蘇り、反芻されていたのである。
すでに述べたように、言葉やイメージを選ぶ際、ヒンターコフは、「『まだはっきりとした意味はわからないけれども、そこには<何か> がある』という印象を残したようなものがいいと思います」という示唆を付け加えた。この示唆の言葉に触発されて、全く自然に脳裏に喚起されたのは、この三年前の、蔵王のお釜を見下ろした時のイメージと「体感」だったのである。
***
その、目に焼き付いた光景とその時の「体感」を自分の中に繰り返し反芻しながら味わった。(2.)
すると、最初それは「不気味」あるいは「こわい」という言葉が、とりあえずふさわしいように思われた。(3.)
だが、それだけでは言い尽くせないsomething moreが、その言葉にならない実感の中にはあると思えた。
しばらく「その」実感と一緒にいてあげる(4.)うちに、身体に感じられている感じの質が少し別のものに変容してきた。
「不気味」あるいは「恐い」……というより、
……「厳しい」、
そう、何か一種の「厳しさ」「畏怖」のようなもの。
その方が実感には近い。
私は「厳しさ……のようなもの」という言葉を自分の中の記憶の光景と実感に重ねあわせながら、この言葉だけで実感にしっくりかどうか再度確認していく。
……これでもまだ不十分だ。まだ「先」がある。説明され尽くしていないエッセンスの核心、「何か」がそこにはある。
そのうち、その心の中の蔵王の風景を眺めている私の身体の前面の方が、何かある独特の緊張感で満たされてくるのがわかる。身体前半分の皮膚がピリピリしてくる。まるで蔵王の風景に圧迫されるかのように。
そして、なぜか、目頭だけが熱くなる。
「絶対的に、そこにある」
「どうしようもなく、そこにある」
という言葉が浮かぶ。
なぜか、この蔵王でお釜を見下ろした時だけ、「もし、仮にこの風景をハイビジョンの映像として眺めても、ここまでありありと<そこに-ある>という感じはしないだろうな」などということを連想していた自分がいたことを、この時やっと思い出しした。
これは「映像」ではない
湖は、<そこに-ある>
谷は、<そこに-ある>
どうしようもなく、<そこに-ある>
私の中に、その、確かに<そこに-ある>光景に圧倒されつつ、ほとんどそれに涙を流しながら「ひれ伏したい」というのに近い思いがあることに気が付く。
(後で、全体でshareする際に、拙い英語力でヒンターコフにこの時の感じを伝えるのに私が選んだ言葉は、
”surrender(降伏する)”
だった)。
しばらくその感じと共にいた。
「こうふうふうな感じにさせるのは何なんだろう?」と内側に問い掛け、返事を待つ(5.)。
しばらくして浮かび上がった言葉は、自分でも意外なものだった。
「……絶対的父性……
……絶対的父性 ???」
この私の中に、絶対的な父性にひれ伏したいという感情のようなものがあるのだろうか?
これは意外だった。というのは、私は、むしろ「絶対的父権」のようなものを心の中で軽蔑してきたとずっと思っていたからである。
私は更に、6.の教示、つまり、
> 6.そして、最初の言葉やイメージに戻ってみて、今の自分がそれをどう感じているか感じなおしてみて下さい。新しい自分の「感じ」や「気持ち」があれば、それを表現してみて下さい。
に進むことになる。再びお釜を前にしたときの私のイメージと体感に戻ってみる。
すると、これまた予想外なことに、私の身体にしみ通るように感じられてくるのは、先ほどまでの、あの、「恐い」「不気味」「厳しい」などという感覚とは打って変わって、ある柔らかくて、潤いと親しみに満ちた感覚だった。
「その」感覚にぴったりの言葉を敢えて探し求めるならば、……そう、
「愛おしい」
というのがかなり近いという感じだろうか。愛する人やペットへの何とも切ない感覚に近い何か。
***
恐らく、この私のフォーカシング体験の中で問題になるのは、ありふれた「父性復権」についての議論などではない。
私が「絶対的父性」という言葉でとりあえずつなぎ止めている私の中の「体感」が含蓄するもののみが、私にとって重要なのである。
おそらく、
「どうしようもなく、そこにある」
という言い方の方こそが、肝心な本質に肉薄するものだろう。
そこには、確かにあるひとつの布置(constellation)がある。つまり、私のおかれた状況が、非常に多重的な意味で、ある共通の構造を持って、その言葉と響きあっている。
現在の私には、いくつもの意味で、以前よりも責任を負わされつつある。 様々な役職。結婚に際しての、実家との関係の変化。いずれ自分が父になるかもしれないこと。
だが、何より、私自身が、私自身の「存在感(presence)」に、何か基本的なところで不満なのだ。
あるいは、もっと、既成の経験ある先達に素直に心を開き、学びたい気持ちを押し殺して強がっていたのかもしれない。
もちろん、こうした言い方は「ひとつの解釈」にすぎない。蔵王の光景とその時の理屈抜きの体感についてフォーカシングする中から私の中に生じてき た身体感覚そのものの変容は、このような特定の「意味づけ」だけに押し込めるわけには行かない、something more としてまるごと味わい続けるべきものなのだと思う。
「そこ」から、無限に、果てしなく、意味が交差(crossing)し、あふれ出してくるのだ。その全てが、何らかの意味で、その時の私にとっては「的確な」象徴化のステップである。
だが、その時その時の言葉の意味内容にしがみつくことはむしろ避けた方がいい。このことはジェンドリンも「夢とフォーカシング―からだによる夢解釈」などで繰り返し述べるとおりである。
ご存じのように、蔵王は山岳信仰の地でもある。もとより、私の場合、ほとんど思いつきで、バスとリフトで背広姿のままでお気楽に昇ってきた人間の印象にすぎないわけだが、やはり、昔の人も、あの目の前の光景から何らかのその人なりの啓示を受けたのかも知れないとは思う。写真もない時代に、遠方からやって来て、苦労して自分の足で登った昔の人に与えたインパクトは遙かに大きなものだったのではなかろうか。
ただ、私の場合、その時の光景から体感された「言葉にならないもの」を自分なりに消化することをはじめられるまでには、こうして3年間も反芻するしかなかったのである。
ヒンターコフのワークを体験させていただいたことは、その停滞していたプロセスが再び化学反応をはじめる触媒として、私にとって、 確かに役に立っている。
***
ヒンターコフは、ワークショップの後半で、もうひとつのワークを示した。彼女が持参した、世界各地の美術館の名画の絵はがきの中から、自分の中の何かを触発するものを選び、それを手元でじっくり観た上で、その中から生じてくる曖昧な実感そのものにフォーカシングするというものである(「ポストカード・セッション」と呼ばれる)。
これは、心理療法の現場にも応用し易いだろう。既成の絵でもいいが、絵画療法や箱庭療法の中でクライエントが作った作品についてこの様なことをクライエント自身にやってもらうのも面白いかも知れない。
あるいは、俳句や短歌の鑑賞にも応用できないだろうか。自分がなぜその句が気に入ったのかを、虚心に振り返り、ことばにしていくための。
ちなみに、こちらのワークで私が選んだのは、北斎の富嶽三十六景の一枚と思われる武蔵野の光景だった。一面のススキの原の彼方に小さく富士が見える、青が基調のもの。
絵そのものをみるとそんなでもなく見えるのだが、私の瞼の内側でのその光景は、強風で煽られてススキが激しくざわざわと音を立てている様になっていた。その激しさには、暗さというより、あるエネルギー感のようなものが伴っていたように思う。
「何か」が、激しく、騒いでいる。
残念ながら、このワークショップの中では、その意味まで開示できなかったが、その絵を見たときの感じは今も残っている。蔵王に代わる、私の新たな「宿題」かもしれない。
***
最後に、この意義深いワークショップを開催して下さった、講師のヒンターコフ博士、そして主宰した「フォーカシング・ ネットワーク in 東京」の、近田輝行さん、日笠摩子さん、片山睦枝さんをはじめとするスタッフの方々に御礼申し上げたいと思います。ありがとうございました。
そして、参加された皆様、楽しい一時を共にして下さってありがとうございました。この日は多忙のため、残念ながら懇親会までは参加できませんでしたが、皆様のご感想もうかがう機会を持てたらと思っております。
参考文献:
Hinterkopf,Ph.D.,
Integrating Spirituality in Counseling: A Manual for Using the Experiential Focusing Method,Amarican Counseling Association,1998.
邦訳
エルフィー・ヒンターコフ著
「いのちとこころのフォーカシング ~体験的フォーカシング~」(日笠摩子・伊藤義美訳 金剛出版)
なお、本文中で紹介したエルフィのワークのマニュアルの日本語訳については、当日配布された日英対訳のブックレットの、日笠摩子さんによる訳を参考にさせていただきました。
エルフィー・ヒンターコフ/いのちとこころのカウンセリング―体験的フォーカシング法
Integrating Spirituality in Counseling: A Manual for Using the Experiential Focusing Method
===========再掲終わり===========
ドミンゴ、パヴァロッティ、カレーラスといういわゆる「3大テノール」が束にかかってもかなわなかったのが、「黄金のトランペット」と呼ばれたデル・モナコである。
日本では、1960年代初頭の「イタリア歌劇団」来日公演が、当時レコード会社との専属契約で不可能だった、「奇跡のオール・スターキャスト」での伝説的な名唱と呼ばれており、欧米でもこの時の映像が繰り返して放送されているようだ。
まずは、そのイタリア歌劇団来日公演の中から、映像がYouTubeでみつけられたものを4つ(NHKの放送で私も何回か観ています)。
●Leoncavallo.Pagliacci.Vesti la Giubba.Mario del Monaco(YouTube)
デル・モナコの当たり役、レオンカヴァルロのヴェリズモ・オペラの至宝、「道化師」より、カニオの「衣装をつけろ」
。
●Simionato & del Monaco - Final duet (Carmen - Tokyo 1959)(YouTube)
ビゼーの「カルメン」の終幕の場。デル・モナコは当然ドン・ホセ役です。カルメン役はシミオナート。この、「切ったら血が出る」迫力は凄いというしかない!! これと対抗できるのは、カルロス・クライバー指揮によるウィーン国立歌劇場来日公演での、ドミンゴとオブラスツォアのライブ(DVDで持ってます!)だけでしょうね。
●Mario Del Monaco in Otello 1959 "Esultate"(YouTube)
デル・モナコといえばウィルディの「オテロ」こそ当たり役。永遠の語り草とされる、第一幕のオテロ登場の瞬間!!![]()
●Mario Del Monaco Tito Gobbi Otello (vaimusic.com)(YouTube)
↑そして、ゴッビ演じるイヤーゴと、最後には「超鬼気迫る」掛け合いに盛り上がる名シーン。埋め込み無効リクエストですので、YouTubeサイトでご覧下さい(^^)
●Mario del Monaco sings O sole mio in Tokyo(YouTube)![]()
「特別演奏会」(ガラ・コンサートですね)で「飛び入りで」歌った、「オー・ソレ・ミオ」。オーケストラに楽譜の準備がなくて、ピアノ伴奏になったそうですが、これ、レコードになった演唱よりも凄い気がする。・・・・このくらいのこと、即興で楽々だったんですね(^^)
↓おまけで、「オー・ソレ・ミオ」と並ぶカンツォーネの名曲、「帰れ、ソレントヘ」。![]()
●Mario Del Monaco "Torna a Surriento"(YouTube)
オ・ソレ・ミオ / ビー・マイ・ラヴ ~デル・モナコ・ソング・アルバム
ご参考までに、私の愛蔵している、カルロス・クライバーのビゼー:歌劇《カルメン》全曲 [DVD]
2つ前の記事で、「ウルトラ」シリーズに言及したので、「リアルタイム」世代として、勢いで書いちゃいましょう(^^)
富田勲さん作曲によるこのOP、どうしてここまでカッコいいんでしょうね!!
●マイティジャック(YouTube)
↑は明らかにアナログレコードが音源なのは泣かせます(^^)
でも、埋め込み無効リクエストになっている↓こっちのバージョンの方が曲を聴く上ではずっと音質がいいですよ。
●Song of the MIGHTY JACK マイティジャックの歌(YouTube)
私がCDで持ってるのは↓これ。ただし、モノラルで1番だけです。
(159)TVオリジナルBGMコレクション マイティジャック
【追記】
「ウルトラ」シリーズですが、富田勲さんの音楽で、無茶苦茶カッコいいといいえば、「キャプテンウルトラ」忘れちゃなりませんね!!
●キャプテンウルトラOP(YouTube)
●キャプテンウルトラ 宇宙マーチ(YouTube)
ちなみに、宇宙船「シュピーゲル号」の合体シーンは、その後のロボットアニメに圧倒的影響を与えたと思いますが、「シュピーゲル(Spiegel)」とは、ドイツ語で「鏡」という意味です(^^)
戦後20数年の当時は、結構特撮やアニメとかで、ドイツ関係の用語や設定が頻発されていました。まだ第2次境大戦の記憶が「ちょっと前」のことだったということですね。曲も平然と軍歌調のが多かったし(富田さんの音楽はその点で異常に垢抜けていましたが)。
宇宙特撮シリース゛ キャフ゜テン・ウルトラ ミューシ゛ックファイル オリシ゛ナルBGM集
更に、私が異様に憧れて、「なりきりごっこ」をしていたのが・・・・「光速エスパー」
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・・・・そういえば、今度、押井守さんが、実写で、「鉄人28号」のリメイクをやるという情報が。
●【速報】押井監督、実写版「鉄人28号」製作中(夢の玉手箱)
歳末で一区切りですし、前の記事でも書いたように、ココログの仕様変更に伴い、古い記事へのアクセス率が停滞しているのではと考え、久々に、しかも今回に限定して「ベスト50」を表示しましょう。
ところが蓋を明けてみたら、ココログの「カテゴリーバックナンバー」仕様変更は、結果的に新しい記事へと読者の皆様を誘導し続ける効果があったようで、これまでにない「斬新な」ランキングになりました。
私がこの2ヶ月ほどの間に精魂込めて書いた「新作群」を読者の皆様に再確認していただけることにもなるでしょう。
・・・・我ながら、よくこのクオリティが維持できたと思います(^^)
「毎週のベスト10」は右フレームに自動集計されて表示されています(前日までの7日間とカスタマイズしています)ので、今後はそちらもご参照くだされば幸いです(^^)
以下の統計は、ココログPCサイト版3サイトへのアクセスにのみ基づき作成されています。
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個別記事エントリーだけではなく各ブログの「トップページ」「カテゴリーインデックス」「毎月のバックアップのインデックス」および全体の「プロフィール」ページも集計の対象にしています。
アクセス数が同じ場合には、訪問者実数上位の記事を上位とし,訪問者実数も同じ場合にのみ、同じ順位として掲載します。
30×24時間、つまり今回は、12/24日(土)24:00の時点での集計です。
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●この1ヶ月間のPCサイト総アクセス数(TA)、延べ10,303アクセス
1日平均343.43アクセス
(参考:携帯サイトは延べ5,918アクセス。一日平均197.27アクセス)
訪問者実数(UA)は、7,888名様
1日平均262.93名様
●PC全サイト総合での「一限さんでない率(リピーター率) 8.5%
「毎日必ず」おいでになる「完璧常連様」は、7名様 0.2%
最低週一度おいでになる「常連様」は、194名様 25.3%(・・・・この数値が以前のせいぜい数十名様から3倍増しています。それだけ固定読者の皆様がついて来て下さっているということで、もう、感激です!!)
・・・・・それでは記事別ランキングの方の発表!!
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2.【雑記帳】欝とは、自分が無理をしていることを認識できなくなる時期にすでに始まっている
6.【雑記帳】NHKクローズアップ現代「自殺と“闘う”~イギリスの国家戦略~」
7.【雑記帳】私のピュアオーディオシステム(そこに更にiPodをどう繋ぐか)
8.【雑記帳】Logicool Vidの画質はSkypeやLiveメッセンジャーを大幅に上回る。ただし・・・・
10.【雑記帳】「現実」と「理想」という二項対立そのものが無意味である。
11.【雑記帳】NHK「ためしてガッテン」、-「うつ病よサラバ!脳が変わる最新治療」-
14.【雑記帳】「ケーススーパーバイズ」とは何だろう ~入門編~
15.【開業サイト】「久留米でフォーカシングを学ぶ会」カテゴリーバックナンバー
16.【開業サイト】双極性障害(躁うつ病)と単なるうつ病とでは薬の処方が全く異なる -NHKスペシャル 「うつ病治療 常識が変わる」への感想(2)-
17.【雑記帳】「未熟型うつ病」とは何なのか? -福岡県精神保健福祉冬期講座に参加して(2)-
18.【雑記帳】派遣労働者は企業メンタルヘルスや産業カウンセリングの蚊帳の外? -福岡県精神保健福祉冬期講座に参加して(1)-
20.【雑記帳】新人類世代の絶対的自己肯定ドラマとしての「超時空要塞マクロス」
21.【雑記帳】浜崎あゆみの"Duty"とMadonnaの"American Life"
22.【開業サイト】理解の核心は、「論理的な」理解ではない。
23.【雑記帳】「過保護」という概念は安易に使われすぎていまいか?
24.【雑記帳】SkypeやWindows Live Messengerの使い方の勘所は、「自動調整」を外すこと。
25.【開業サイト】「久留米でフォーカシングを学ぶ会」(09/12/06更新)
25.【雑記帳】私がフォーカシングのワークショップで使っているパワーポイントファイルを公開します。
27.【雑記帳】NHKスペシャル「魔性の難問 -リーマン予想 天才たちの戦い-」
28.【雑記帳】田嶌誠一 著 「現実に介入しつつ心に関わる」
29.【雑記帳】現代日本の諸悪の根源は、すべて「あなた自身」のせいであると発想してみよう
31.【雑記帳】私のパソコンの不要ファイル処理と高速化関連の工夫(XP愛用者向け)
32.【雑記帳】帆船のように航海するか? スクリュー船のように航海できるのか?
33.【雑記帳】iPodの同期、デフラグやチェックディスクのこと。
35.【雑記帳】「フォーカシング事始め」(村瀬孝雄・日笠摩子・近田輝行・阿世賀浩一郎 共著)
37.【雑記帳】「甘え」と「KY」-土居健郎先生ご逝去に寄せて-
41.【雑記帳】「乱造される心の病」は英文学者ではあっても、結局医学や心理のアマチュアの書いた、トンデモ本スレスレ水準だと思う。
43.【雑記帳】「うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー」の音楽集
44.【雑記帳】ついに20歳以降最も軽量にまでダイエット成功!!
45.【雑記帳】呪縛からの解放 -浜崎あゆみの"NEVER EVER"によせて-
46.【雑記帳】カウンセラーは勉強すればするほどダメになる? -田嶌誠一 著 「現実に介入しつつ心に関わる」への感想 追補1-
47.【雑記帳】浜崎あゆみの"Connected"のPVってアニメなんですよ。
49.【雑記帳】やさしさに包まれたなら -「魔女の宅急便」とバリントのフィロバティズム-
51.【雑記帳】双極性2型障害は、旧来の「躁うつ病」とは全く異なる疾患である・・・・内海健 著「うつ病新時代 -双極性II型障害という病-」 書評 (第3回)
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私の@niftyココログPCサイト全体の通算アクセス数は、12/25 22:24現在、全体で641,607アクセスです。
【雑記帳】通算記事数は、この記事で2,037本めです。
【開業サイト】通算記事数は、193本です。
今後とも、「カウンセラーこういちろうの雑記帳」および「久留米フォーカシング・カウンセリングルーム」公式サイトを、よろしくお願い申し上げます。
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BGMは、ちょっと懐かしいところで、往年のOVAの傑作、「ガルフォース」の名エンディングでもある、小比類巻かほるの「両手いっぱいのジョニー」。
クリスマスソングとして、このブログで何を最後に表示しようかと思っていた中で、突如思いついたのが、この、往年のアニメファンには懐かしい(その割には、「ヤマト」シリーズの中では影が薄いかな? 何せ、みんな生き返ってしまいましたものね^^;)、でも、阿久悠/布施明の隠れた代表曲のひとつではないかと思える、この曲です。
●[MAD]ヤマトよ永遠に(PS版)⇒愛よその日まで/布施明(YouTube)
EMOTION the Best 宇宙戦艦ヤマト ヤマトよ永遠に [DVD]
ちなみに、松本零士さんも久留米ご出身です(^^)
昨晩は、両親と、久留米のとなりの佐賀県鳥栖市郊外、田代近辺にあるライブステーキハウス、「花やしき」 本店で、「第九」のディナー・ショーを堪能して来ました(^^)
「第九」に行くのだとは父に聞かせれていたのに、なぜかJR鳥栖駅までしか辿り着きようもない切符を、待ち合わせた駅で渡され、鳥栖駅からどんどん人里離れた山里に向かうではないか!
私の父は物事を普段はひどく「婉曲に」「思わせぶりに」言うところがある(この点ではひどく保守政治家的である^^;)ので、まさか父自身が別の日の「第9を歌う会」に参加しているとかいった、とんでもない仕掛けになっていて、昨晩は普通にちょっとしゃれた郊外での飲み会なのかと途中で妄想に走りましたが、・・・・・まさかこんな隠れ里のようなところで、ディナー・ショーの第九があるとは。
関東だと、軽井沢辺りにありそうな、センスのいい瀟洒なお店でした。
ベートーヴェンの
「第九」(もちろんピアノ伴奏、しかも第4楽章から管弦楽前奏を省き、それ以降もやや短縮したバージョンですが)の前に、クリスマス・キャロルや、フォーレの歌曲(「夢の後に」や「ラシーヌ賛歌」)、ドイツ・リート(私の定番だったシューベルトの
「魔王」も含みます)、イタリア・オペラのアリアが続き、知ってる曲しか出てきませんでしたので、こういちろうはたいへんご満悦だったのだ(^^)
特に、私がキリ・テ・カナワの名唱のライブLDで溺愛してきた、プッチーニの歌劇「つばめ」の
ドレッタの美しい夢という、(CMでも使われたことありますけど)ちょっと「通」向けのアンコール・ピースを第9の前に聴けたのが嬉しくてたまらなかった。
この曲、ピアノによる前奏からして、もう、ここまでしゃれたタッチの、しかし円熟した無駄の全くない完成度の、イタリア・オペラのアリアはないと、ずっと思っていたので。
という研究が発表された・・・・と、一昨日東京に日帰り出張した時、コンビニか何かで流れていたラジオのニュースで聴きました。
つまり、あのでっぷりとしたお腹とクリスマスの甘いお菓子が「条件結合」して、子供たちを間食にや甘食に走らせるので、サンタももっとダイエットさせたイメージで描かれるべきである・・・・という。
欧米の実験心理学者の研究って、時々、こういうトンデモすれすれのがありますが(^^)
サンタは実は男性の姿をしつつも、実は「おふくろさん」的母性の元型の理想的投影を受けていると思うので、深層心理学的にみても、そりゃ無茶な暴論だと思います。
それはそうと、私が海外出た一回はハワイで、5月でした。調べたところ、真珠湾(アリゾナ・メモリアル)というのが日本人向けのツアーで組まれることはないのが不満で、当時の連れ合いの提案もあり、公営バスを乗り継いで訪問したら、ちゃんと日本語の同時通訳器も安価で(注:初稿で無料と書きましたが、確かに数ドル払いました)貸し出ししてくれるし、もちろん日系人が多いということもあるのでしょうが、全然アメリカ人観光客たちに白い目ではみられませんでした。
私もハワイに行くからには日本人として真珠湾を訪問するのがむしろ礼儀だと賛同したのですが、行く前はちょっと勇気がいりました。でも、案ずるより産むが易しでした。
沖縄には、最初の独身時代(?)に、日本心理臨床学会大会で、観光も兼ねて8日間滞在して毎日国際通りで飯を食い、本島は北端の辺戸岬以外すべてまわり尽くしましたが、これが12月。
気温28度でこっちが汗を流しながらソフトクリーム食べて南部戦跡をめぐっているそばで、現地の人たちは毛糸の帽子をかぶり、セーターを着ているのですね(^^) 冬にはコタツも出すとか。
毛糸の帽子は、緯度のせいで日射が強いからという理由で売りつけられた(?)のをよく覚えています。
いすれにしても、ハワイも沖縄も、もう一度じっくり滞在したい。
ほんとうはオーストラリア大陸横断鉄道にも乗りたい私です。
●Indian Pacific in the Blue Mountains(YouTube)
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以上、kyupinの日記 気が向けば更新 (精神科医のブログ)の、「ハワイのクリスマス」というエントリーへの私のコメントの転載です(^^)
・・・・・というものがある気がしてきた。
それは、いわゆる「草食系」のやさしさとは何か次元が違うのだけれども、今の日本(の特に若い男性)に、再度賦活されていく必要があり、それが今後の日本の舵取りの鍵を握ると思えるのである。
Wikipediaによれば、「草食系男子」というのは、2006年10月に深澤真紀が『日経ビジネス オンライン』で連載している「U35男子マーケティング図鑑」(2007年に『平成男子図鑑』として単行本化)で「草食男子」として命名されたのがことのはじまりであるとのことだが、私はその原典やその後に続いた著作を読んでいるわけではない。
しかし、広い意味で女性一般の方は何らかの意味で「肉食系」の側面を発現し続けて来た人が多い(これは見かけ上大人しめであるかどうかとは無関係。そのことに気づかないでいる男性がいるとすればちと御目出度すぎる)ものだから、余計に浮かび上がってきた現象ではないかと考えている。
そして、私なりのネットフィールドワークの結果到達したのは、(数年前の小林よしのり信者がたくさんいた頃はまた別かもしれないが)、少なくともここ2,3年のネットのプチ〇翼の若者は、実は揃いも揃って「草食系」である、いや、「草食系男子」の心性と非常に親和的なものとしてプチ〇翼というスタンスが、非常に広範な若者に、ネットでこの種の発言をする匿名ピープルよりも相当に裾野が広い形で浸透しているというのが私の結論である。
彼らはもはや、例えば小林よしのりや石原慎太郎に当たるような特定の「頭目」を押し立てることすらしない。フラットランド化したネットの2次情報,3次情報をシェアするだけで群れている、徹底的に「顔のない」集団である。
・・・・ちなみに私は"SPA!"を離れる以前の「ゴーマニズム宣言」の愛読者で、感想をしきりと送っていた人間であり、その頃のよしりん氏に「八王子の阿世賀浩一郎は凄い! 参考になる」と、コマの欄外でコメントされ(今刊行されている単行本のバージョンにも載っているかどうかは確認していない)、公式「ゴー宣」本にかなり長い感想文が実名で載っている人間である。
"SPA!"との関係を辛抱し切れなくなったところで、小林氏はあるバランス感覚を喪失したというのが私の意見だが、それでも、「新しい歴史教科書をつくる会」との関係を絶つ時でしたか、「日本のこの種の人たちがアメリカとの関係ということになると急に態度を変えるのが納得がいかない」という趣旨の発言をしたことに関してはある共感を覚えた。
ちなみに、よりのり氏も私と同じ福岡県出身である。最近の私のネット上での物言いに、思想それ自体というより、発言スタイルの点で、時々「ゴー宣」調のノリが無意識のうちにも出てしまってるあたりに我ながら苦笑している。福岡県人独特の、いざとなると嵩(かさ)にかかって斬り込む、直裁な「喧嘩節」の伝統という点では共通のルーツなのかなと(^^)
宮崎哲弥さんが久留米出身で、今年初めて久留米で講演会を開いた時のことはこちらの記事で書きましたが、そういえば、今、自民党内部を引っ掻き回す発言をしている舛添要一さんも、(その政治姿勢にすべて賛同するわけではないが)北九州(八幡)出身の苦労人だものな・・・
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実は、そういう、「いざとなると嵩(かさ)にかかって攻め込む」気概をむき出しにできる人間にしか発現しない、「肉食系のやさしさ」というものがどうもあるようだ、という気がしてきたのだ。
少なくとも私の中で、明らかに、そういう意味での、潤いある「やさしさ」と「包含力」、むしろ「献身性」ですらあるものが、ここしばらくの間に、特にリアルワールドにおけるクライエントさんやオフィシャル・プライベートを含む人間関係の中で発現してきている気がする。
それは決して「暑苦しくて」「脂肪分が多い」、「押し付けがましい」ものではないようなのだ。それは、狩人をしていない時の豹の母親が子供たちに対して示すような、何かそういう質の、静かな「母性」に近いもののようにすら思う。
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それとどこまで関係あるかどうかわからないのだけれども、昨日東京に日帰り出張した時に、ANAの機内誌、「翼の王国」12月号を読んでいたら、「日本"山水”探訪記」というグラフィック特集で、「熊本・鹿児島編」として、「南九州の空と土」という記事に大部が割かれていた(pp.40-63。文・絵:堀越千秋 写真:阿部雄介)。
装飾古墳として著名な熊本県山鹿市のチブサン・オブサン古墳、延々と続く謎の地下トンネル遺跡として著名な玉名郡菊水町の「トンカラリン」、鹿児島県南九州市川辺町の「清水(きよみず)磨崖仏群」、熊本県人吉市の青井阿蘇神社、熊本県上益城群山都町の、江戸時代を代表する潅漑用水道路の要というべき、古代ローマの水道橋を思わせる、時々の放水で著名な「通潤橋」などが取り上げられていた。
それらの記事を眺めている時に、私は何ともいいようがない次元での、ほとんど元型的な次元での「血の共感」を覚えずにはいられなかったのである。
すでに何回も書いてきましたが、福岡市から南に向かい、大野城市のあたりの地峡を越えて筑紫平野に入り、筑前の国から筑後の国に入り、更に筑後川を渡ってしまった久留米に入った途端に、同じ福岡県でも、古代からの文化の質は一変して、むしろ熊本県とも通底する「中九州」文化圏の北限に位置した土地ととらえる方が自然である。
厳密には博多弁と久留米弁はかなり異なり、久留米弁はアクセントが明瞭ではないという点では日本の方言の中でも特異な位置を示す。(わかりやすくいえば「橋」と「箸」の音韻上の区別というのは、久留米人は学校教育を経ないとできるようにならない)。
その「異様に平坦に」流れるような早口は、我が郷土の生んだ、本名「蒲池法子」さんに、実例をお示しいただこう(^^)(この番組、放送された時に観た記憶があります)
●松田聖子の久留米弁 その1(YouTube)
●松田聖子の久留米弁 その2(YouTube)
・・・・・私は父親が「大陸育ち(標準語圏)」だし(かなり久留米弁を戦後身につけましたが、母親の「ネイティブな」古式ゆかしき久留米弁ほどではない)、私自身は「久留米附属」(「久留米大付設」ではありません。聖子さんの確かお兄さんが「付設」出ですよね)という、教員養成大附属小中学校という、地域社会とは切り離された中で成育し、更に30年も関東暮らしをしたので、とてもとても聖子さんのように鮮やかなギアチェンジができる人間ではありません(^^)
でも、私が「異様に早口でのっぺりした標準語」で延々と話す時があることは、ライブこういちろうをご存知の、特に同業者の皆様は、時々、ついて行けなくお困りのことがあろうかと思います(^^)
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・・・・話を本題に戻すと、久留米南部地域というのは、大和時代の豪族、磐井の乱(525年)でも日本史に名を残すように、ヤマト政権からは独立性が高い、ダイレクトに大陸側(新羅と書かれていますが)との交渉を維持した勢力が、かなり後の時代まで維持された土地柄です。
記紀の世界で「熊襲(くまそ)」とされた民(ヤマトタケルの征伐神話からすれは一応2世紀頃に相当するが、これはどうみても「前倒し」の可能性が高いが)は熊本県球磨地域に一応同定されている。一応、「熊襲」よりも、その勢力はしぶとく残ったことになるとも言えるわけである。
いくら当時までのヤマト王権の正当化のための歪曲ありとはいえ、「磐井の乱」を伝えた日本書紀は、物語的な古事記と異なりまだしも歴史書としての体裁がしっかりしており、編纂時から遡っても「200年未満」の時点で起きた事件についての著述には、何らかの史実の裏づけは濃厚と思える。
私自身は、邪馬台国九州説は根拠薄弱という立場です(オーソドックスに、奈良県桜井市の纏向遺跡(まきむくいせき)を卑弥呼の墳墓とみなしたい)が、大和地域よりは、黒潮に乗った東南アジア、南洋地域、中国南部、そして朝鮮半島寄りの経路で中国北部との頻繁な交渉がダイレクトに早期から形成されていたであろう九州の持つ政治的独立性は、実際には九州北部沿岸のごくごく一部の地域を点と線でつなぐ形でしかヤマト政権の安定した覇権を置き得ない状況に、少なくとも663年の白村江の戦いの直前の頃まではあったのではないかと思います。
なぜ天岩戸伝説を日向の高千穂峡、天孫降臨の神話を同じく日向の高千穂峰(もっとも、前者には異説がある)に同定しなければならなかったのか? これもそれだけ南九州にもともと強大な勢力があり、それを実際の歴史上は大化の改新(646)以降、天智・天武朝の頃にやっと臣従させた上で、その地域の神話(むしろ朝鮮か南方由来)と中国神話を加味して歴史を「数百年遡って塗り直す」だけの必然性があったればこそでしょう。
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いずれにしても、久留米以南の中九州・南九州文化圏には、ちょうどヨーロッパ諸国が、ローマ帝国以前の原住民やゲルマン民族の歴史をキリスト教で塗り消し、地下に潜伏させたのと同じように、後のヤマト政権が上塗りして完成された「ヤマト民族主義」を一皮向けば、より古い層の元型的な無意識の世界が容易に溢れ出す地域性というものが潜伏しているのではないかと思います。
それが、幕末における薩摩や佐賀を中心とする倒幕・維新勢力、あるいは真木和泉守ら、久留米の勤皇の志士に活躍の舞台を与える原動力にもなり、筑豊炭田で鉱夫たちが使う地下足袋の大量生産に起源を発する、ブリジストンの創業者、石橋正二郎(鳩山金脈の元はここにある!)をはじめとする日本の主要ゴム3社の発祥の地を久留米とし、そして、今日に至るまで、井上陽水、武田鉄矢、チェッカーズ、松田聖子や浜崎あゆみをはじめとする芸能界から、政治に至る様々な人材を関東に送り続ける、過激なまでの「上京指向」の人材バンクとして福岡が機能し続ける原点にあるのだと思います。
私も、そのような福岡の久留米が生んだ「異能者」(?)として、関東での30年をむしろ「踏み台にして」、今後、地元久留米に根を張って、はじめて「地に足が着いた」形で、50代という一番脂が乗り切ったこれからの10年、身体が衰えを感じないうちに、本来のパワーを発揮し尽くせることを祈っています。
BGMは、「エヴァンゲリオン」の、高橋洋子による、
「魂のルフラン/心よ原始に戻れ」 以上にぴったりなの、ないでしょ?
そして、
「残酷な天使のテーゼ」もまた、久々に「封印を解いて」聴き返して、「肉食系の母親」の歌なんだとつくづく感じて、ふと目頭が熱くなったこういちろうである・・・・
私がこのブログで、ずっと封印してきた、過去の軌跡、「エヴァ」。
・・・・・というわけで、もはや私には1円の稼ぎにもならない(・・・・あ、アフィリエイトで中古買ってもらうと少しはポイントになるのか・・・・)本の宣伝も久々に(^^;)
阿世賀浩一郎/エヴァンゲリオンの深層心理―「自己という迷宮」
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更に、まさに我が母校に教育実習においでの際に、リアルのお姿を拝見した、「武田先生」に捧げる(?)、
「母に捧げるバラード」(Live)。
ブログネタ: ○○系男子・女子。あなたを例えるとしたら?
明日は、東京に、一種の「公務」で日帰り出張です。
思えば、明日という日を「次の寄港地」として座標軸を据えて、いろいろ風と波にもまれながらも舵を切り、帆の向きを変えて、ひたすらセイリングしてきた4ヶ月でした。
8月末の町田の法政大学での人間性心理学会大会の時(正確には、その少し前のこの時がターニングポイントだとすでに書きましたが)から、4ヶ月の間に、すでにいろんなことをリアルワールドでじわりじわりと別の情勢に変化させてきてしまって来た、よくぞここまで「負荷試験」に耐えて、「基礎体力」そのものを別次元のものにできてきたとはしみじみ思います。ほんとうに「短いようで長い」、密度の濃い4ヶ月でした。
でも、来年に入ってからの3ヶ月は、来年「度」に向けて、それこそ「残り5%」にこだわることになりそうに思います(^^)
皆様や(田嶌先生以外の)先輩方をポカーンとさせる可能性がある「仕掛け花火」がすでにいろいろと仕込まれているのですが(^^;)、すべて不発に終わることはないと思いますよ(^^)
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今日、「ある書類」に目を通した後の鬼コーチの父の背中がはじめて小さく見えました。少し支えてあげたくすらなった。
星飛雄馬はほんとうに筋肉を断裂させることがないまま、復帰してしまえたのです。
ありがとう。ほんとうにこれまで。
これからも、末永く、見守って欲しい。
私こそが、父の「後継者」になっていく様を。
"Connected"は、ayuの曲の中でも、作曲・編曲:Ferry Corstenという、バリバリのトランス・ミュージックとして、知る人ぞ知る超名曲です。
ドイツ輸入盤ですが、このバージョンがお勧め。音質もデタラメにいいです。
さて、この曲のPVが、もろ"AKIRA"調の、全編アニメーションということを知っている方は、ayuファンでも限られているかもしれない。
●浜崎あゆみ / Connected(YouTube)![]()
ただ、このPV、ayuのPVとしてはほんとうの成功作かどうかという思いがあります。
なぜなら、ayuがこの曲で「私たちはどこでも繋がっている」と歌い上げているのは、こんな「電脳空間での猥雑なconnection」の次元なんてはるかに超越したスピリチュアリティに開かれたものだから。
この曲に対する、実験的な「ひとつの解釈」として受け止めておくのがいいかと思います。
これまた、特に久留米に私が帰ってからは、星飛雄馬に対する、中日コーチ移籍後の星一徹の如き、経営の「鬼軍曹」と化しつつも、実は私への精神的溺愛が全然止まっていない、久留米一のスーパー経理職人とうたわれた我が父から、子供の頃から聞かされ続けた定番の台詞である。
・・・・ほんと、幼稚園時代から「げんかしょうきゃく(原火焼却?)」とか「すいとうちょう(水筒長???)」、「げんせんちょうしゅう(源泉超臭?)」という魔法の呪文を日々浴びせられながら育ったのだが。
ここでいう、父が時々比喩として連発してきた「減価償却」とは、本来の意味よりもかなり幅広くとらえて欲しい。
「一端購入した物品は、そこへの投資のもとを取るまでじっくりとしつこく使い切ればそれでよし」
という、ある種の堅実なプラス思考の実践哲学である。
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「乗りかかった船」という言葉があるが、特にうつ病をはじめとする気分障害圏の人は、自分の自発的衝動からものごとをやった(買った)結果、それを周囲に承認されなかったり、思うように行かなくなると、一転してすごく自責的になり、「自分の内発的な欲求」に基づく行動全般に否定的になりやすい。
そうしたことを繰り返すうちに、「周囲にうけいれられているかどうか」の方が圧倒的な行動規範になり、自分の内発的欲求(Want)とは何かということ自体つかめなくなる。
その後遺症として、回復期に至っても、自分から何かを始めて、少しでも周囲と摩擦を起こすと、突如それを白紙撤回してあっさりとやめてしまう傾向にとりつかれやすい。
それは、端から見ると「のんきで気まぐれで無責任な気分屋」のようにすら見えかねないが、実は本人の中では、内発的な欲求の芽生えを感じると、それが容易に「周囲からの拒絶や無関心」を内在化した超自我と結合してしまい、むしろ「不快な、振り払いたい、自分の中から除去したい感覚」としてしか体験できないという、不幸な条件反射が成立している、非常に苦しい堂々巡りなのである。
なのに、家族からは「どうせまた長くは続かないよ」「また余計なものを買って」などと、冷ややかな目で、はじめからみられる。・・・・もう、悪循環である。
こうした人に対して、私は、この父からの言葉、「いっそのこと、減価償却するつもりでやり続けてみたらどうだろう?」をプレゼントすることがある。
これは、「一度始めたことはやり通せ」などという、ありふれた道徳規範とは似て非なるものである。
これは架空の例ですが、買うつもりのなかった服を衝動買いした女性が、買った後、急に自責的になり、それを返却しようかと悩んでいたとします。
私は、
「その服は今でも気に入っているのですか?」
と尋ねます。
それに対して、女性が、「ほんとうに欲しくてたまらないくらいに好きだったし、今も気に入っていることには変わりがない」との気持ちをはっきり語ったら、
「それなら、その好きな服を着て、自信を持って外を出歩くと、思いもよらない新しい出会いを引き寄せるきっかけとなるかもしれない。それともあなたはそれを清算して、前の自分のままに戻ることを選ぶのですか? 前向きに減価償却してみようとしてもいいと思いますよ」
などと提案してみるわけですね。
*****
こうした人たちは、いわば精神的な「過食嘔吐」状態にはまり込んでいるわけです。摂食障害についてご存知の方には知れ渡っているかもしれませんが、単なる「過食」よりも「過食嘔吐」の方がよほど厄介な事態にはまり込んでいます。
ほんとうにかなえられたいのは、自分の内発的衝動への、親や交際相手からの、静かな、節度ある共感的承認と受容なのだと思います。しかし親の態度そのものは容易に変え難いわけですね。
こうした時、仮に最初は代理満足でも何でもいいから、まずは(精神的)「過食」状態を受容してしまうというアプローチ、ありだと思うのです。もとより、そのことで本人がほんとうに「満たされて」いるのか、「味わえて」いるのかについての共感能力を治療者はセンサーとして失ってはなりませんが。
そうやって治療者が親の代わりに「見守って」いたら、あら不思議、いつの間にか、ほんとうに欲しいものだけを、直感的に選び抜いて買う方向に本人は自然と軌道修正し始めるんですよ。
本人自身が、自分なりの試行錯誤の中で「経験から学ぶ」能力が賦活されるのです。
恐らくニコ動貼り付けるのは初めてですが、ともかく内容の摩訶不思議な完成度と、読者のつっこみコメとのコラボ含めて、いやに納得してしまったもので(^^)
肖像権もへったくれもありませんが(^^;)
【第2版で追記】
これはこれでいい意味で笑えたので追加。初音ミクの力借りてるとはいえ、こういう曲を作れる人のセンスはうらやましい。
【ニコニコ動画】【初音ミク】 リア充爆発しろ! 【オリジナル曲】
おまけで、某所で見つけたこの図版も妙に納得した(^^;)

今日はこのあとにお仕事が詰まっているこういちろう。
これは、私の父親が、相手を侮辱的に軽蔑する時の「最終兵器」として、用いてきた言葉である(小声で、完全に相手に白けきったような調子で言う)。
子供の頃、私がいじめを受けたりしてめそめそしている時、父がこの言葉を、「やさしさ」を込めて「逆説的に」つぶやいてくれた時の声は、今も私の耳底から離れない。
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ちなみに、私が使う最大限の最大級の皮肉は、
「私が自分の人生に失敗した時、あなたは『それみたことか!』とあざ笑う、いっときの快楽と癒しに身を委ねることができます。その快楽と癒しを提供して差し上げたのは私だということぐらいには、その時、少しは感謝していただけるとありがたく存じます。どうかローマのコロセウムの『外野席の』観客としてお楽しみくださいませ」
「協調性」とは、断じて、周囲の目を気にするあまり「単に控えめにすること」ではない。
人と積極的に、新たな「関係をつけ」、「切り拓く」能力である。
その際に必要なのは、単に「相手に嫌われないか」という行動原理ではない。相手がその日常(生活、家庭、職場)の中で、どういう心境と実感で生きているのかに対する感情移入的想像力を最大限に駆使して、相手のニーズを想定し、それに応えようという方向で、むしろ自分から相手に「声をかけていく」ことなのだ。
もとより、いつも言うように、他者の気持ちに対する人の想像力など結局はたかが知れている。実際に他者の言い分を訊けば、自分の思い込みは容易に脱錯覚させられる。
しかし、そこから先、相手の言い分をきいて対話し続ける時、はじめて相手との対等な絆と連帯と協働の世界が「リアルに」築かれ始めるのである。
それこそが、他者との絆を「信じる」ための自己投企である。
もはや、自分の「空想の世界」での他者配慮の一人相撲で堂々巡りする、「一応集団の中に入れてもらっている中での孤独」に、別れを告げよう。
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BGMは、中島みゆきの
「本日、未熟者」。
●本日、未熟者(YouTube)
田嶌先生の新著についてご紹介させていただいた、この記事の追補です。
現実に介入しつつ心に関わる―多面的援助アプローチと臨床の知恵
=========引用はじめ=======
「勉強すればするほどダメになる」・・・・臨床の領域ではこういうことはしばしばあります。学界の動向や専門用語には詳しくなっているものの、フレッシュでまだあまり勉強していなかった時代のほうがいい臨床家であった、あるいはまだマシだったというようなことが結構あります。学会に参加しますと、それとおぼしき人がたくさん目につくので困ったものです。本人はいっぱいエネルギーを使って勉強しているだけに気の毒です。それでも本人はまだしも、それにつき合わされる患者さんこそいい迷惑です」(p.133)
「患者さんの生活を生き生きとイメージできる共感的理解(中略)、それさえあれば、いくら勉強してもダメになることはないはずです」(p.136)
「そのこととも深く関係していると思われるのは、しばしば専門家としての自分と素人としての自分が遊離してしまうことです。その人の持つ本来のよさが、専門家としての自分という鎧の下に隠されてしまい、十分にそのよさが発揮できなくなってしまうのです。これも「勉強すればするほどダメになる」パターンのひとつです」(p.137)
「私たち臨床心理士や精神科医はもっと看護師さんやケースワーカーの人たちから(さらにいえば、学校教師や養護教諭等から)もっともっと学ぶべきだろうと思います。看護師さんやケースワーカーの人たちは面接室以外のさまざまな場面での患者さんの姿を知っているからです。なるべくいろんな場面での患者さんの姿に触れておくことが、生き生きとイメージしたものが、そう、的はずれなものになるのを防ぐのに役立つようです」(p.137)
「なお、うちの研究室のスローガンは以下の通りです。
こころはアマチュア 腕はプロ
おぎなおう 腕の不足は体力で」(p.137)
=========引用おわり=======
・・・・もっとも、この本全体をお読みになると、田嶌先生ご自身の、既成のさまざまな流派の治療理論についての理解と洞察力の凄さにもお気づきになれるはずですので、皆様、誤解なきように。
RVR 草食系男子の時代(msnビデオ)
「(今の若い男ドモは)何でもわかっていると思っている」。
別に海外に行く必要はないのだ。
遺伝子の中の肉食獣的本能を少しだけ呼び覚まし、身の回りの日常の中で「嗅ぎ回り」、「獲物を探し」、「味わい尽くせ」ば、日常世界はスリルと新鮮さに満ちたものに「豹変」する。
龍さんではなくて春樹さんになっちゃいますが(^^;)、それこそ「ハードボイルド・ワンダーランド」に。
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私にとってひたすらキモいのは、顔の見えないぷちねと〇よの連中が、揃いも揃って「草食系男子」としか思えないということである。
こんなことでは、再度の元寇襲来の際に、真っ先に肉饅頭にされて〇〇れちまったりしてね(爆)
急に冷え込む日が少なくなる中、私の身近にも、クライエントさんにも、体調の維持に苦労されている皆様が決して少なくありません。
どうかご自愛下さい。
●浜崎あゆみ / momentum(YouTube)![]()
●浜崎あゆみ / No way to say(You Tube)
●浜崎あゆみ / CAROLS(YouTube)![]()
なお、この記事は、"No Way To Say"も抱き合わせた以外は、王子のきつねさんの記事のほとんどパクリです(^^;) きつねさん、お許しを。
●岡田武史氏が語る、日本代表監督の仕事とは(msnマネー)
この、岡田監督の講演の言葉ひとつひとつに、いたく共感する私がいました。
長くなりますが、抜粋して引用させていただきます。
=========引用はじめ=========
本当にのた打ち回るほど苦しんだのですが、「よく考えたら自分自身の腹のくくりがなかったから当たり前だ。W杯予選が大変だと知っているのに、何て俺は甘いんだ。しょうがない。俺はもう自分のやり方でやるしかない。秘密の鍵もくそもない。誰がどう言おうが今の俺にできること以外できねえんだから、 俺のやり方でやるしかねえんだ」とその時に開き直った。
「開き直り」という表現は悪いかもしれないですが、これはある意味どんな仕事でも トップやリーダーになったら、一番大事な要素かもしれないですね。「監督の仕事って何だ?」といったら1つだけなんです。「決断する」ということなんです。「この戦術とこの戦術、どっち使う?」「この選手とこの選手、どっち使う?」ということです。
ただ、「この戦術を使ったら勝率40%、この戦術だったら勝率60%」「この選手だったら勝率50%、こっちの選手だったら勝率55%」、そんなもの何も出てこないんです。答えが分からないんですね、それをたった1人で全責任を負って決断しないといけない。
例えばコーチを集めて「お前どっちだと思う?」と多数決をとって、「3対2だから、はいこっち」と絶対いかない。全員が反対しても、たった1人で全責任を 負って決断しないといけない。これがW杯出場が決まるかどうか、優勝が決まるかどうかという試合だったらとても怖いです。「この決断1つですべてが変わる」と思うと滅茶苦茶ビビります。考えに考えます。論理的に考えても答えは出ないのですが、必死に考えます。「相手がこうしたらこうだ。こうなったらこう だ」と考えても答えは出ません。
じゃあ「どうやって決断するか」といったら“勘”なんですよ。「相手のディフェンスは背が高いから、ここは背が高いフォワードの方がいいかな」とか理屈で決めていたらダメなんです。勘なんです、「こいつ(を使うん)だ」と。
●素の自分になって決断できるかどうか
岡 田 じゃあ全部勘が当たるかというと、そう当たりはしないですね。でも、当たる確率を高くする方法があるんです。それは何かというと、「決断をする時に、 完全に素の自分になれるかどうか」ということです。「こんなことをやったら、あいつふてくされるかな」「こんなことやったら、また叩かれるかな」「こんな こと言ったらどうなるかな」、そんな余計なことを考えていたら大体勘は当たりません。本当に開き直って素の自分になって決断できるかどうか、これがポイン トなんです。
(中略)
手っ取り早く無心になる方法が1つだけあるんです。何かといったら、どん底を経験するんです。
●遺伝子にスイッチが入る
岡 田 経営者でも「倒産や投獄、闘病や戦争を経験した経営者は強い」とよく言われるのですが、どん底に行った時に人間というのは「ポーンとスイッチが入る」 という言い方をします。これを(生物学者の)村上和雄先生なんかは「遺伝子にスイッチが入る」とよく言います。我々は氷河期や飢餓期というものを超えてきた強い遺伝子をご先祖様から受け継いでいるんですよ。ところが、こんな便利で快適で安全な、のほほんとした社会で暮らしていると、その遺伝子にスイッチが入らないんです。強さが出てこないんですよね。ところがどん底に行った時に、ポーンとスイッチが入るんですよ。
(中略)
よく標語が書いてあるカレンダーがあるじゃないですか。ジョホールバルから帰ってきた後、吊るしてあったのをたまたま見ると、「途中にいるから中途半端、底まで落ちたら地に足がつく」と書いてあったんです。その通りなんですよ。苦しい、もうどうしようもない、もう手がない。でも、それがどん底まで いってしまうと足がつくんですよ。無心になんか中々なれないけど、そういうどん底のところで苦しみながらも耐えたらスイッチが入ってくるということです。
●目標はすべてを変える
岡 田 そうやって開き直って無心に近い状態で決断すると大体当たる。そうでない時にはやっぱり外れる。僕はバーレーン戦で負けた時に昔を思い出して、完全に開き直れたんですね。それからは「自分の思った通りやる。秘密の鍵もくそもねえ。自分の今やれることをやるんだ」ということで、コンセプトを作って、何とか3次予選を突破しました。
(中略)
明確な目標はもちろん「W杯本大会でベスト4入ることに本気でチャレンジしねえか」ということ。みなさんはいろんな成功の書とか読んで「目標設定って大事だ」と思っているでしょうが、今みなさんが思っている10倍、目標は大事です。目標はすべてを変えます。
W杯で世界を驚かすために、パススピードを上げたり、フィジカルを強くしたりと、1つずつ変えていくと、かなりの時間がかかります。
ところが、一番上の目標をポンと変えると、オセロのように全部が変わります。「お前、そのパスフィードでベスト4行けるの?」「お前、そんなことでベスト4行けるのか?」と何人かの選手にはっきりと言いました。「お前、その腹でベスト4行けると思うか?」「夜、酒かっくらっていて、お前ベスト4行ける?」 「しょっちゅう痛い痛いと言ってグラウンドに寝転んでいて、お前ベスト4行けると思うか?」、もうこれだけでいいんです。
(中略)
日本代表選手になるくらいの奴は子どものころ、「俺にボールよこせ」「俺にボールよこせ」とお山の大将です。プロだろうが日本代表だろうがW杯だろうが、そのサッカーを始めた時の喜びやボールを触る楽しみを絶対忘れてはいけないということです。
大人になってくると、「今、ちょっとボールいらない」とだんだんなってきます。なぜか? 「プレッシャーが強いし、ミスをしそうだ」ということで守りに入っているからです。そうしてうまくなった選手を今まで見たことありません。相手を恐れておどおどプレーしたり、ミスを恐れて腰の引けたプレーをしたりする姿は絶対見たくない。「みんながピッチの上で目を輝かせてプレーする姿を見たい」ということです。
●「Enjoy」とはどういうことか
(前略)Enjoyの究極はどういうことかというと、自分の責任でリスクを冒すことなんです。日本の選手は「ミスしてもいいから」と言ったら、リスクを冒してチャレンジをするんです。ところが「ミスするな」と言ったら、途端にミスしないようにリスクを負わなくなるんです。
例えばギャンブルで、大金持ちのお金を分けてもらって「それで遊んでいいよ」と言われて大もうけしても失っても、面白くもくそもないでしょ。自分のなけなしの金を賭けるから、増えたら「やったー」と思うし、なくなった時に「うわ、やばい」と思う。要するに「ミスするなよ」と言われている中でいかにリスクを自分の責任で負えるか、それが本当のスポーツのEnjoyなんです。
本当にEnjoyするためには何をしないといけないかというと、「頭で考えながらプレーするな」ということです。どういうことかというと、脳は(大脳)新皮質と(大脳)旧皮質からできていて、脊髄からつながっているところ が旧皮質で、簡単に言うとどんな動物でも持っている本能のようなところです。そして、人間と一部の動物が発達しているのがその周りの新皮質で、ここは物事を論理的に考えたり、言葉を喋ったりするところです。
ところが、コンピュータの演算速度で例えると、新皮質は演算速度が非常に遅い。例えば、新皮質で考えながら自転車には乗れない。右足のひざをこの辺まで曲げて、このくらいまでいったら体重を左にかけて……なんて考えながら乗れないですよ ね。キャッチボールもできない。ひじを伸ばして、ボールが来たから指を開いて、次に閉じて……と考えていたら間に合わない。旧皮質で感覚的にやっていかないといけない。スポーツというのは旧皮質でやらないといけないんです。
ところが日本人はどうも教えられ慣れているので、ボールが来たから 胸でトラップして……と新皮質で考えながらやってしまう。だから、向こうでは全然大したことないようなブラジル人がバンバン点を取る。あいつら何も考えていない。来たボールをボンと蹴るだけ。ある意味そういうことも大切。練習では考えてやらないといけない。でも、「試合ではそれを頭を使ってやるな。自分が感じたことを信じて、勇気を持ってプレーしなさい」、それがEnjoyです。
(中略)
●人を変えることは簡単ではない
岡田 これは日本人だけではないのかもしれないですが、「教えてくれない」「育ててくれない」と何でも他人任せの人がいます。「アホちゃうか」と思うんですけどね。人を育てるとか変えるとかそんなことできないですよ、本人が本気になって変わろうとしない限り。
(中略)
何に集中するかといったら「今できることに集中しろ」ということです。「動物は今を精一杯生きている。でも人間は、済んだことを悔やんで今できない。 先のことを心配して今できない。俺はそういうのは大嫌いだ。今できることをやってくれ」という言い方をします。そう簡単にいっても中々できないんですけど。
勝負の鉄則に「無駄な考えや無駄な行動を省く」ということがあります。考えてもしょうがないことを考えてもしょうがない。負けたらどうしよう。負けてから考えろ。ミスしたらどうしよう。ミスしてから考えたらいい。「余計なことを考えて今できない、なんて冗談じゃない」と言います。できることは足元にある。今できること以外にない。それをやらないと、目標なんか達成できないんです。
それでは選手が今できることは何かというと、日ごろのコンディション管理、集中したすばらしい練習をすること、試合でベストを尽くすこと。「この3つをきっちりやらないで、優勝しますとか、ベスト4行きますとか冗談じゃねえ」と言います。小さいことにもうるさいですよ。「100%使え」と言ったら98%じゃダメ、100%なんだと。
選手にも話すのですが、何でそういうことを言うのかというと、運というのは誰にでもどこにでも流れているんです。 それをつかむか、つかみ損ねるかなんですよ。俺はつかみ損ねたくない。だから常につかむ準備をしている。自分でつかみ損ねていて、「運がない」と言っている人をいっぱい見てきました。「俺はそれをつかみたい。お前がたった1回ここで力を抜いたおかげでW杯に行けないかもしれない。運を逃してしまうかもしれない。お前がたった1回まあ大丈夫だろうと手を抜いたおかげで運をつかみ損ねて、優勝できないかもしれない。俺はそれが嫌なんだ。パーフェクトはないけど、そういうことをきっちりやれ」と言います。
僕は「勝負の神様は細部に宿る」という言い方をします。試合に勝った負けたといった時には、大上段に構えた戦術論やシステム論が取りざたされます。それは大事ですが、勝負を分けるのは往々にしてそういう小さなことの積み重ねなんです。これは もう僕の信念ですね。concentrationではそういうことを言っています。
(中略)
●人間万事塞翁が馬
岡田 僕は色紙などに「座右の銘を書いてくれ」と頼まれたら、大体“人間万事塞翁が馬”という言葉を書くんです。 ご存じでしょうが、中国の城塞におじいさんがいて馬を飼っていたと。馬は当時貴重なものだったのですが逃げてしまった。周りの人が「おじいさん、大変な災いでしたね」と言ったら、おじいさんが淡々と「いやいや何を言う。この災いがどういう福をもたらすか分からん」と言っていたら、逃げた馬が雌馬を連れて 帰って財産が2倍になった。
「おじいさん、良かったですね」と周りの人が言ったら、おじいさんが淡々と「いやいや、この福がどういう災いをもたらすか分からん」と答えたら、連れてきた馬に乗った息子が落馬して足を悪くした。「いやあ災難でしたね、おじいさん」と周りの人が言うと、またおじいさんは「いやいや、この災いがどういう福をもたらすか分からん」と。そして、戦争が始まって、村中の若者が駆り出されて全員戦死したのですが、その息子は足を悪くしていたので、戦争に行かずに生き残ったというように話が続きます。
僕は「バーレーンに負けなかったら、どうなっていたんだろう」「ウルグアイに負けなかったら、どうなっていたんだろう」といろいろなことを今思います。そういうことが続いてくると、何か問題やピンチが起こった時に「これはひょっとしたら何かまたいいことが来るんじゃないか」と勝手に思うようになるんです。もうすぐ発表になりますが、今回もスケジュールで大変になることがまたあるんです。それは確かに大変かもしれない。でも、「ひょっとしたらこれでまた何か良いことが生まれるんじゃないか。強くなるんじゃないか」 とだんだん考えるようになってくるんです。
ずっと振り返ってみると常にそういう連続でした。「バーレーンに負けたおかげで今がある」と思います。そして、ふと自分の手元を見てみたら、僕がずっと探し求めていた秘密の鍵があったんです。これは秘密の鍵ですからお話しできませんけどね。秘密ですから(笑)。恐らく僕があの後、どれだけ机の上で勉強してもつかめなかっただろう秘密の鍵が、のた打ち回りながらでもトライしていたら、手の上に自然と乗っていたんです。
僕はその時にふと「淵黙雷声(へんもくらいせい)」という言葉を思い出しました。僕は曹洞宗で座禅をするので総本山の永平寺に行った時、宮崎(奕保)※さんという禅師さんに謁見する部屋の掛け軸に書いてあった言葉です。弟子がお釈迦さんに「悟りとはどういうものなんですか?」と聞いたら、深く黙した(淵黙)。しかし、その淵黙が雷のような大きな声を発したように聞こえたと。お釈迦さんは「ここにいて悟りがどうのこうのと能書きを垂れているくらいなら、修行して一歩でも悟りに近づくように踏み出しなさい」ということを無言で伝えたんです。僕はその言葉を思い出しました。自分はああだこうだと頭で考えたり勉強したりしましたが、よく言われる「ともかくやってみろ」「ともかく始めてみろ」ということは本当なんだなという気がし ました。
※宮崎奕保(みやざき・えきほ)……曹洞宗大本山永平寺第78世貫首。2008年逝去。
=========引用おわり=========
ありがちな、何かというと、「官僚」やら「ゆとり教育」に「諸悪の根源」を求めるような論調を読んでいると、その単純にスケープゴート的に「悪者探し」する発想それ自体に、浅薄さしか感じない私がいる。
江戸時代じゃあるまいし、いつまですべてを「お上」のせいにして生きてるわけ?といいますか。
もし、その論客の人が「ゆとり教育」より上の世代の人なら、単純明快、
「あなた自身が、社会の先達として、ゆとり教育世代にどう接するかへの責任をどのように果たして来られましたか?
今の若者に問題があると考えるなら、その責任はすべて「あなた個人に」あると考えるくらいの気概を抱いて下さい。
いや、今の日本をだめにしたのはすべて『あなたの』責任であるとまずは『あなた自身が』背負い込んでください」
という極論すらぶつけるでしょう、私なら。
・・・・私見では、それが、国民主権の国家を生きるオトナの"duty"です。
ケネディの有名な就任演説、
「あなたが国家のために何をできるかを考えて欲しい」
・・・・でしたっけ? を最も高度な意味で理解すると、日本社会の現状の責任をまずは「自分が」担う覚悟からはじめないと。
*****
BGMは、中島みゆきの
"Nobody Is Right"
(【追記】歌詞サイト(goo 音楽)へのリンク。みゆきらしい、ほんとうに、いろいろ考えさせられる歌詞ですから)
*****
・・・・そして、
「背広の下のロックンロール」、
●背広の下のロックンロール(YouTube>
アルバム、「I Love You,答えてくれ」所収
・・・・・そして、
敢えて、
私の臨床心理学上の恩師は、言うまでもなく、ジェンドリンの「フォーカシング」と「体験過程と心理療法」の一介の一読者に過ぎなかった私を「拾ってくださった」、故・村瀬孝雄その人である。
そして、精神医学を含めた意味での治療者のあり方において、私の「神」なのは、未だにお姿すら拝見したことがない中井久夫先生である。
フォーカシング・トレーナーとしての偉大な先達にして、敢えて"fellow"とお呼びしたいのが、初対面の時から異様な意気投合に到達したアン・ワイザー・コーネル女史である。
最後に、私が若い頃から声をかけてくださり、一緒に飲ませていただき、九州に戻ってからも色々相談に乗ってくださった、私にとっての、あまりにも頼もしい、「現場心理臨床の兄貴」、それが、現九州大学大学院教授の田嶌誠一先生である。
****
福岡県大牟田市生まれ。十代はそこそこ不良でした(^^)。しかし、高校時代のある時、突如心機一転して猛勉強、九大を目指します。
そして、催眠療法や臨床動作法であまりにも著名な、日本を代表する心理療法家、成瀬悟策先生門下の逸材(認められるまでが大変だったそうですが)として、最初は病院心理臨床で、重篤な患者さんとの面接のキャリアを積む中で、深い変化を静かに引きおこししつつも、患者さんの自我を危機に至らせない「安全弁」を持つ、独創的な心理療法、「壷イメージ療法」を開発。
続いて、広島修道大学、更には九大で大学学生相談を担当、深刻な精神疾患、暴力や引き籠もりの学生との関係作りに、他の誰にもまねができない独創的かつ積極的なアプローチで成果を重ねます。
引き続き、文部省のスクールカウンセラー事業の草創期に、もっとも荒れた中学校を担当、教師、家族、生徒たち全体を巻き込む「ネットワーク型アプローチ」を導入して、学校の空気そのものを一変させ、少年院送りを繰り返す水準の不良生徒たちからも卒業時には崇敬を集めるという、神がかりな活躍をなさいました。
そして、現在取り込んでおられるのが、多くの場合、家族からの虐待から保護された子供たちが収容される、児童養護施設内部で陰惨に繰り広げられてきた、「施設内暴力」を一掃するシステムをコーディネートすることなのです。
日本の心理臨床の生んだ、空前の「現場で行動する臨床心理士」、それが田嶌誠一先生です。
*****
田嶌先生の新著について、かなり前からこのブログで記事を書くとお約束しながら、私自身が急激に多忙化する中でなかなか果たせないで来ました。
●田嶌誠一:「現実に介入しつつ心に関わる -」(金剛出版)
ISBN:978-4-7724-1103-5
現実に介入しつつ心に関わる―多面的援助アプローチと臨床の知恵
講演記録を元に、新たに書き下ろされた、児童施設内の暴力問題への対応についてを中心主題とする、本書冒頭の「総論に代えて 現実に介入しつつ、心に関わる」以外の論考は、その大半について、先生が最初に学会発表されたその場に臨席もしたし、学会誌でお読みしている。
冒頭の章の概要そのものも、先述の記事で書いたように、先生に直接お会いする機会を持たせていただいた時にうかがっている。
今回、実際の著作の内容と照合しても、その内容の最低限のイントロダクションの意味は、すでにあると思えたので、ご参照下されば幸いである。
*****
そういう意味で、「ライブ田嶌」先生からすでにうかがった内容のほうが私の中で大きなインパクトを占め過ぎているために、どうもこのご著書の内容を改めて客観的に概説するとなると、私は心境的にちょっと重荷になりすぎる。
ただ、申し上げたいのは、先述の、今回書き下ろされた、冒頭の「総論に代えて」の持つ、凄まじいまでのインパクトと、そこに示された先生の決然たる問題提起だけは、是非、多くのカウンセラーの皆様に、実際に目を通していただきたい。
*****
いくつか、この「はし書き」と最初の章から、田嶌先生の言葉を、アフォリズム的に拾い上げてご紹介することとします:
=======以下引用========
「私は、当事者のニーズの応えること、そしてできればもっとも切実なニーズに応えることを心がけてきたつもりである」(p.5)
「現場のニーズを、『汲み取る、引き出す、応える』ためには、心理臨床家が従来のようにもっぱら心の内面や深層に関わるという姿勢(それも必要ですが)のみでは不十分で、『現実に介入しつつ心に関わる』とそれに基づく多面的アプローチが必要となります。これは、心理臨床が生き残れるかどうか、換言すれば心理臨床が社会に貢献できるかどうかに関わる重要なことだと私は考えています」(p.12)
「しばしば間違えるのは、学校の先生と保護者とが『原因は何でしょう』と話し合うことです(中略)。すると、お互い内心は『こいつだな』と思っているわけです。そうすると、連携がちっともうまくいきません。
それよりも、この子が元気になるために学校に何ができるか、保護者に何ができるか、それを一緒に話し合うというスタンスでいきますと、割合、無難な対応ができます。(中略)
保護者の力、担任の先生の力、生徒たちの力、そして相談に乗った私と、いろいろな人がネットワークを活用してその子の援助をしていくという形になります。これが『ネットワーク活用型援助』です。心の内面だけではなく、現実に介入していくわけですね」(pp.18-9)
「[まずは]いじめという現実がなくならないといけない。その解決は、いじめが沈静化する必要がある。完全な解決かどうかはともかく、とりあえずいじめがなくなる[ように、その学校内のネットワーク・システムに介入する]。その後、本人の心を扱うという形をとる。これが『現実に介入しつつ、心に関わる』ということの例のひとつですね」(p.19)
「このように、いじめなどがそうですが、必ずしも本人が変わるべきではなく、周囲が変わるべきである場合もあると考えるようになりました(中略)。今では問題は、『主体と環境の関係』だというふうに言っています。主体と環境、つまり、内的環境と外的環境があって、その心、内面の問題は内的環境との関わりの問題なのだろうと考えるようになりました」(pp.19-20)
「大事なのは、『個人の心理や病理』だけではなく[学校や地域の]『ネットワークの見立て』どということを強調しているわけです」(p.20)
「[施設内暴力]に加担した加害児のうちのひとりは、1,2年前まではそのボスからおしっこを飲まされたり、散々いたぶられています。つまり、かつての被害児が加害児童になっているわけです」(p.25)
「施設では多くの場合、[マズローの言う]『安全欲求』が満たされていないわけです。これは成長の基盤です。だから[まずは、施設内での]暴力をなくさないといけない。しかしこの理屈が意外と臨床心理の人に通りが悪かったんです。つまり、こどもたちが暴力を振るうのは、心の傷があって、それをケアすることが大事なんだという発想が強すぎて、理解が進まないんですね。心のケアは大事だけど、その前に、暴力を使わないで暴力をきちんと抑えるということが必要です」(p.27)
「それらの問題行動は、過去の虐待や苛酷な教育環境への反応として、反応性愛着障害や発達障害の兆候として理解されてきたように思います。(中略)
しかし、それらの問題行動は、子供間暴力(児童間暴力)や職員からの暴力等の、その子が現在[施設内で]置かれている状況への反応である可能性があるということになります。(中略)入所前に受けた虐待が主なる原因ではない」(p.27)
「『愛着』や『トラウマ』関係のどの本でも、安心・安全が重要であると述べられていますが、その安心・安全を施設で実現していくことがいかに大変なことか、どうやって実現していったらいいかということが、まったくといっていいいほど言及されていないのです」(p.37)
「[施設内暴力という問題それ自体に対する]専門家によるネグレクト、大人によるネグレクト、そして社会によるネグレクト」(p.38)
「私は臨床家ですから、『告発者』としてではなく、外部から援助者として現場にうまく入らないとならない。そのためには、大変なエネルギーと技術が必要です。しばしば、「志は高く、腰は低く」という姿勢が必要です。そして問題を発見して、解決システムを模索して考案していくという順序になります(p.39)
======引用終わり=====
田嶌先生が全国の児童養護施設に提案し続けている「安全委員会」システムとはどのようなものかについては、ネットでの情報などでは済ませずに、是非、実際に本書をお読み下さい!!
なお、こうした被虐待児を一箇所に百名以上収容する施設など、欧米には存在しないとのこと。だから、解決策には輸入できるモデルなんてないそうです。
「里親制度」・・・・欧米は基本的にそっちなんですね。
日本にも里親制度はありますが、時折、里親自体からの子供への陰惨な暴力がマスコミ記事になることはたいへん痛ましいことです。里親と子供への、地域の個別の公的サポート(監視)体制が不十分すぎるんですよね。
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【追記】: この著作についてのご紹介シリーズ、追補して書かせていただくことにしました。こちらからどうぞ。
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【更に追記】:
この本の続編、「児童福祉施設における暴力問題の理解と対応」が刊行されました。
その本のご紹介は、こちらでしています。
昨日は、県臨士会のSC研修会でネットは一日お休みしました(お会いできた皆様からたくさん刺激をいただけたことに、心から感謝申し上げます)。
やっとこの記事の続編(・・・・というか、結論は先に書いてしまったことにもなりますが)を書かせていただききます。
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午後の部の講演に招聘されていた講師の先生は、自治医科大学で奉職されている、精神科医の阿部隆明先生でした。
先生は、「新型うつ病」の一類型としての「未熟型うつ病」概念の提唱者です。私がこのブログで繰り返しご紹介してきた、内海健先生や加藤忠史先生ともお親しいようで、いわば日本のうつ病治療の最前線におられる先生のお一人です。
講演のタイトルは、『現代の多様なうつ病像とその治療』でした。
いわゆる「新型うつ病」や「双極スペクトラム障害」をはじめとする現代日本のうつ病の諸相について、これほど明確かつ立体的に解説していただいたことはない、と申し上げたいくらいに素晴らしい内容で、参加させていただいて、本当によかったと思っています。
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まず、この先生のスタンスでたいへん興味深かったのは、下田光造が1943年に提唱した、うつ病の病前性格概念としての「執着性格」と、1961年にドイツのテレンバッハが提唱した、同じく、うつ病の病前性格仮説としての「メランコリー親和型性格」を、共に、クレッチマー以来躁うつ病の病前性格として提出された来た「循環気質」に対して新たに提出された、両国の高度成長期に生じた、当時の「新型うつ病」概念であると、明晰にお語りになったことです(この点では、内海先生の路線と明確に符合しますね)。
そして、「執着性格」が、こだわり、几帳面、完全主義的自我理想に動機付けられた高エネルギー型であるのに対して、「メランコリー親和型」は、秩序愛と他者のために尽くすことに動機付けられ、周囲への罪責感という超自我的な動機付けで動く、むしろ弱力型のうつの病態であると解説してくださいました。
中井久夫先生のご著書(確か、「分裂病と人類」)で、ドイツにおいても、メランコリー親和型性格は、男権的なドイツ的価値観からするとあまり評価される性格ではないということはお読みしていましたが、なるほどと思った次第です。
もっとも、日本の高度成長期においてはメランコリー親和型性格は、少なくとも、重責に就く以前のサラリーマン道徳としては、明らかに「適者」の存在様式であったことになります。
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「双極スペクトラム障害」についての先生のご解説も、今や0.5型から小数点0.5刻みでVI型まで提唱されているそうで、興味深かったのですが(私個人は、原則的に、DSM-Vで双極スペクトラム概念が気分障害の「大分類」として導入されることに大きな期待をかけているひとりです)、詳細になりすぎるのでここでは割愛させて頂きましょう。
むしろ、先生が、「軽症うつ病で安易に抗うつ薬が処方され過ぎている」こと、そして、「抗うつ薬をトリガーとした躁転」という問題の重要性をやはり強調されたことは特記しておきたいと思います。
*****
さて、ここからが一番興味深い部分です。
阿部先生は、「メランコリー型」「執着性格」を含む、現代のうつ病の諸相の相互関係について、実に明快な図版を呈示くださいました。
原典は飯田真先生らとの共著にあるとのことですが、敢えてこの図だけはここで配布されたパワーポイントファイルの縮刷版を取り込ませていただくことをお許し下さい(私の書き込みも読めてしまうので、観づらいかとも思いますが。
この図だけではわかりにくいでしょうから、ここで、いわゆる「新型うつ病」について、阿部先生が実に簡潔にご紹介くださった既成の諸概念についての解説を、この図と関係ない部分を省略してそのまま転載します。
※青年期のうつ病像
●ディスチミア(dysthymia)親和型 (樽味)
※成人期後期(20代後半-30代のうつ病像)
●逃避型抑うつ (広瀬)
●未熟型うつ病 (筆者ら)
そして、「執着性格」と「未熟型うつ病」が、内因性・生得的な気分昂揚的・躁的素因を持つ「高エネルギー型」であり、「メランコリー親和型」と「逃避型抑うつ」は、そうした「気分高揚方向への」内因的素因がなく、むしろ神経症水準での「弱力型」ということになるようです。
これに当てはめたら、私なんて、もう、絵に描いたような「執着性格」ってのが、本来のあり方ですね(^^・・・親父もそうだな・・・・)
*****
さて、この図の鍵は、
・・・・と一般化されている点でしょう。
ここで私の頭の中は???で一杯になってしまいました。
私の父親って、ややおせっかいなところはあったけど、「熱く」私を愛し続けてきてくれた。でも、私の進路や勉強については全く口出ししなかった。子供時代、私の好きな鉄道旅行にどれだけ付き合ってくれたことだろう。全然希薄な愛情備給ではない。
母親も、ある意味では偏屈で頑固な父親のやさしい話の聴き手になれ、子供の頃から私の前で神経質になることも皆無、まもなく87歳の今も、情緒的な安定感の高さと同時に、頭脳明晰で愛嬌あふれ、腰が曲がったのを除くと、70前と思われかねないくらいのみずみずしい感性(肌の色艶も)を維持している。
そして、何より、「未熟型うつ病」の説明図式を追っていくうちに、確かに、こうした説明で典型的に理解できる「新型」うつの患者さんも一定数はいるかもしれないことは認めるにしても・・・・・
これじゃまるで、育ちのいいぼんぼんやお嬢さんが、厳しい社会に出てはじめて傷ついて発病したみたいな印象与えないか???
さすがに上の赤字の言い方まではフロアからの発言上は控えましたけど、私が現場で体験しているこのタイプに当てはまりそうなクライエントさんから詳しく訊いた生育暦や、親御さんと接した時の印象との隔たりがあまりに大きいと感じました。
「未熟型うつ病」であるかに見える人に家族内での葛藤がなくて庇護されていたなんて、私の知る臨床的現実とはまるっきり正反対なのだ。
確かに、この種の病態を示す人たちの、養育者との関係は「密着していた」時期を持つことが少なくないのは認める。
でも、それは、断じて、子供の側が依存し、それに対して親が庇護を与えるという循環構造ではないのだ!!
得てして、気分変調的な側面をすでに持つ母親がまずは存在する。その母親の機嫌を損ねないように、子供の頃から、涙ぐましいまでに気を使い、家庭の平和を守るためのキー・パーソンとして「世代間逆転」的な形で一家を支えてきたのが、患者として現れた若い人たちなのである。
家庭に葛藤がないかに見えたのは、子供の方が親の気持ちにとことん寄り添って「平和維持」に努めてきたからこそではいか????
その人たちには、むしろ親に安心して甘えられた経験など欠落している。
そして、非常に孤独な努力を重ねて、親の引力圏から離脱するために、優秀な大学に入り(得てしてこの時に親元から離れた大学を選択する。それを可能にするためには、地元を離れるに値すると親に見なされるほどに優秀な大学である必要があるのだ!)
そして、これまた親のグーの根も出ないくらいの進路(留学、企業)へと進んでいく。ひたすら、親から自由になるために!!
そうやって、どこまでも飛翔した先の企業などで、彼ら/彼女らはついに力尽きるのである。
このような経緯を持つ患者さんが、医師との治療関係が一応ついて、「陽性転移」の時期を経た後は何が起こるか????
・・・・もう、目に見えている。
親や医師、社会を相手に恨みや攻撃性を爆発させることそのものが、不可避の「治療過程のプロセス」なのである。
そうした「治療過程のプロセス」を、「疾病像」と誤認することの危険が、あまりに大きくはないのか?
*****
もちろん、簡潔に、紳士的で丁重な表現を取らせていただきましたが、私がフロアから阿部先生にお伝えした感想は以上のようなものでした。
このこととの関連で、この前の拙文、
をお読み頂ければ幸いです。
*****
BGMは、まさにこうした生き方をしてきたとしか思えない、浜崎あゆみさんを称えて、
"SIGNAL"→
"Hana"→
"too late"
1984年という年は、日本のアニメ史において、ひとつのメルクマールとなる、今にして思えばとんでもない年である。
なぜなら、宮崎駿の「風の谷のナウシカ」、押井守の「うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー」、そして当時24歳の若手だった河森正治を監督とした「劇場版 超時空要塞マクロス 愛・おぼいえていますか」という、日本アニメ史の不朽の金字塔というべき3作が、共に劇場公開された、空前の「当たり年」だからである。
超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか HDリマスター版 [DVD]
・・・・私が、いわゆる「昭和35年組」アニメファン、すなわち、日本初の国産テレビアニメ「鉄腕アトム」の本放送を幼児期に体験し、日本のアニメの歴史と完全に同時代的に歩み、エヴァ本まで出した、超筋金入りの世代であることは繰り返し申し上げてきた。この「劇場版マクロス」等が公開された年に23歳ということになる。
だが、不思議と、このブログでこれまでにただの一度も名前が登場していないビックネームの監督さんがいる・・・・そう、「ガンダム」シリーズの富野喜幸という名前である。
私は、いわゆる「初代ガンダム」本放送を体験し、たいへんな衝撃を受けた世代の一人であることには変わりがない。しかし、「Zガンダム」以降はどうしても感性がついていかなかった。アムロとシャアが登場する限りは、すべての劇場版を公開時に観ていますけどね(^^)
そこには、ひとつには「ニュータイプ」という概念への基本的な違和感があるのだと思う。「初代」のTVシリーズの最終話の、あの何とも印象深い終わらせ方より先まで、ニュータイプについては執拗に物語を紡ぐ必要があったとどうしても感じられないのだ。
そこには、ひとつには、私が
「あの素晴らしい愛をもう一度」(←やっと北山修と加藤和彦のオリジナル、iTunes Storeに入りましたね)への再三のこだわりで示してきたように、ウィニコット的な対象関係論に骨の髄まで浸かった人間観の持ち主であること、すなわち、
「人と人とのこころは直接対話できない。できたと思ってもそれは錯覚(illusion)なのかもしれない。こころの交流という思い込みは、はかないまでに容易に幻滅(disillusion)に転じる。しかし、そうやって思い込みが覆された後も、希望を捨てないで更にリアルに交流し続けることによってしか人との心の絆は築き得ない」
という圧倒的な信念を自分のアイデンディディとして生きてきた軌跡のためでもある。
もちろん、ガンダムにお詳しい方は、きっと、「それだけではニュータイプ論は語り尽くせない」といろいろな反論はお持ちかもしれない。あくまでも、「初代ガンダム」以降の富野作品と内的対話が成立しなかった私の一面的な独断と偏見であると見なしていただいて結構である。
(当時のサンライズ系作品では、むしろ
「ボトムズ」に思い入れが深いタイプである)
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どうも、「ガンダム」主流派にとっては、この「マクロス」という作品はチャラチャラした作品に見えるらしい。
しかし、私は、「マクロス」こそが、当時の、ニュータイプならぬ「新人類世代」が、圧倒的な開き直りの中で到達した、自分たち世代の絶対的自己肯定賛歌だったように思えてならない。
生まれながら、テレビの向こうの側の出来事こそ「世界の現実」であるという逆転構造を当たり前にようにして生きてきた私たちの世代。
宮崎さんがいかに「ラピュタ」でシータの口を借りて「地に足をつけなければ人は生きられないのよ」と説教垂れようと、私たち世代はとっくに「地球という故郷を喪失」して宇宙空間を漂う巨大な要塞都市の住民としてしか存在していないのである。
単なる会社の「兵士」としてしかアイデンディディを持たないくせに、そこからだけの視点で「現実」を振りかざして「戦いを挑んで」くる「巨人族」=親世代たちは、どうもすでに夫婦の亀裂も深いらしく(爆)、お互いに戦闘状態にある(劇場版の世界観に従えば)。
それに挑む新人類世代は、自分たちの「身の丈」も省みず、「巨大ロボット」に乗って応戦するしかないのだ。
そして、「歌=文化」の力で、巨人族=親世代たちの「脳みそをかく乱」させる!!
当時はまさに松田聖子と中森明菜の絶頂期でもある。リン・ミンメイには、この現実の2大歌姫が深く投影されていることは、知る人ぞ知るとおりである。
ミンメイの「性格」は、我が故郷久留米の生んだ最大の「偉人」(?)の一人である、当時の聖子の「ぶりっ子」イメージをものの見事に投影していますが、今回調べてはじめて知りましたけど、劇場版のステージ衣装はむしろ明菜の舞台姿の影響が濃いそうですね(^^)
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1984年といったら、まだ今日のCGや3Dバーチャル・リアリティのシステムは存在しないに等しい。このアニメ映画で表現された世界は、その点でどれだけ時代を先取りしていたことか!! 映画の最初の方のミンメイのコンサート・シーンなんて、リアルワールドでは当時は夢のまた夢の演出手法だったはずである。
そして、1984年という数字を意識すると、この映画全体が、すべて手書きのセルアニメで表現されているということが、どれだけ途方もないことだったか!! アニメーターたち(「エヴァ」の庵野さんも主要アニメーターの一人)は、何ともはやクレイジーな領域のことを現実化していたのである。
ちなみに、公開当時はドルビーサラウンドですらない、モノラルでした(^^)
この作品を紹介するにあたって、私はあの「あまりにも美しすぎる」クライマックスの戦闘シーンではなくて、むしろミンメイと早瀬美沙、一条輝のラブロマンスに焦点を合わせたという点では実にセンスがいい、スペイン語バージョンを選ばせていただくことにしました(一部、TVシリーズの画面も混ぜているのだけど、むしろそれが何ともニクイ使い方である)。
●MACROSS - Ai Oboete Imasuka [Español](YouTube)
・・・・確かに、当時の私たちは必死に背伸びしていたのかもしれない。
しかし、その「昭和35年組」も、来年度にはついに満50歳を迎える。
もはや、社会を動かす指導層としての責任を果たさねばならない。
結局、若い頃に「観念まみれ」になった上で、高度成長期の甘い夢が醒めた「傷つき」を引きずる、「団塊の世代」が、今の日本に何を残したというのだ?
子供時代に中国大陸から「生還」し、裸一貫からたたき上げた経理の職人である、「団塊」のひとつ上の世代である私の父には、今でも「硝煙の匂い」が染み付いている気がすることがある。
流浪の引き上げ日本人コミュニティの歩哨に立っていた父親(私の祖父)が馬賊に銃撃され殺されるなど、私には細かくは語らないけどど、どれだけ多くのシビアな悲惨さを、旧中国東北部から、大連で食うや食わずの生活をして終戦後1年を経て帰還できるまでに、大陸で、その目で見たことだろうか。
私は、その、戦場をさ迷った父の「嫡子」である。
ほんとうに、リアルワールドで「戦い抜き」、「サバイバル」する気概のない人間のたわ言にはいちいちつきあっていられない。
そもそも、自分が進んでリアルワールドでの「政治」の世界に「身を投じ」、泥にまみれるくらいの覚悟は持て!!(ひとつの重要な暗示・・・・私の場合、正確には「復帰」です・・・・)
馬鹿馬鹿しいまでに「命のやり取り」を覚悟して物事に挑む迫力を示せる人間の方が絶対に強いと確信している。悔しかったら「リアルワールドで」私の足を露骨に引っ張るくらいの謀略性と戦闘性で挑んできて欲しいものである(^^)
公開されたネット上で私に公然たる批判を書いたらすべて私のサイトのアクセス数増加にしか貢献しないことを、すでに一部の皆様は身に染みてお感じのはずだ。アンチこういちろうサイト、心の底から大歓迎ですが(爆)
そして、リアルワールドでの顧客様の着実な増加が、もはやネットでのアクセス数へのこだわりから私を解放している。経営的にはすでに地方都市久留米への移転後のほうが成功したと断言していいい。
(最近、アクセス数が300台弱のラインへと後退気味な主な原因は、先日のココログのシステムのメジャーアップデートで、カテゴリーバックナンバーが、最新10個以降「見出しのみ」の表示になり、全文の複合検索ではヒットしにくくなったためというのが主因とわかってますし。
まあ、それでも少しは投資をかける余裕が出てきましたので、Googleマスターツールやanalytics、小額なりにお金を出してのAdWordsの管理者の側にすでにいます。万が一「おかしな動き」があった時はGoogleに向け「積極介入」することになります)
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話をマクロスに戻すと、リアルワールドにあらわれた私の「リン・ミンメイ」が、この映画公開当時はまだ5歳前後だったはずの、これまだ我が福岡が生んだスーパー歌姫、浜崎あゆみであることは、いうまでもない(^^)
こうして、生のayuをライブで観ない時間が長くなると、もうそれだけでayuの存在感が私の中でもどんどん希薄になってしまう(^^;)
・・・・もとより、私も、「ミンメイ」ではなくて「早瀬美沙」を取るであろう(爆)
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最後に、詳しいことは知らないままですが、私とほぼ一緒に年をとった河森さん、現在公開中の「劇場版マクロスF」の興業的大成功、おめでとうございます!!
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共通するスタッフによって引き続き制作された、「裏マクロス」というべき「メガゾーン23」も私が敬愛する作品です。このブログのあちこちですでに言及していますので、興味ある方はお探し下さい。
代表作は、
です(^^)
●MEGAZONE23 AMV(YouTube)
メガゾーン23 PART 2 〜MEGA ZONE 23 PART 2〜 [DVD]
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更に、河森さん関連で言うと、「マクロス・プラス」についての古い拙文はこちら。
劇場版「エスカフローネ」についてはこちら。
「創生のアクエリオン」についてはこちら。
これは、前の記事に続き、この後に予定している記事への伏線になる内容なのだが、そちらの記事でこのことまで一気に論じると長大化し過ぎるし、独立したトピックとして敢えて立ててみても大いに意味がありそうなので、こうして「先行掲載」する道を選んだ。
一般の皆様は驚かれるかもしれないが、心理の専門家の間で、「過保護」という概念が使われることは滅多にない。
そしてそれは「親に甘えている(甘やかしている)」という言い方を心理専門家が可能な限り排除するのと、実は共通の背景がある。「甘え」という概念が専門家と一般の皆様との間でどのくらいギャップがあるかは、すでにこの記事で詳しく論じた通りである。
wikipediaの「過保護」の項は、この点についての配慮が行き届いているが、敢えて私なりの言葉で定義すれば、「過保護」とは、次のような現象に関して限定的に用いられるべき概念であると私は考える。
「養育者が、子供の欲求や願望の充足と、不快や不安や困難の低減や除去を何より優先する形で養育活動を行うこと」
つまり、この場合、親は子供の完全な僕(しもべ)という位置に近い。
実は、このような、「純粋な過保護」というべき現象は、一般に思われているよりもはるかに少ないはずである。
英語には、確かに"overprotected"という言葉がある。私の知り合いによれば、ブリトニー・スピアーズにこのタイトルの歌があり、グラミー賞にもノミネートされたようである。
PVが→![]()
●britney spears - overprotected(YouTube)
【第2版で追記】:ブリトニーは、同じテーマを別の曲でも歌っているようである。
●Britney Spears - I'm Not a Girl, Not Yet a Woman (720p HD) + Lyrics(YouTube>
しかし、この歌は「私はもう少女ではないのだから、もっと好きにさせて」と歌う歌である。つまり、"protected"とは、むしろ親の「拘束」を示唆するものであろう。
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ここでお気づきの方はお気づきだろう。
「過保護」であるかに見えるケースのほとんどは、むしろ養育者の「過干渉」 とむしろ親和的なのだ。
「過保護」も「過干渉」も、少なからぬ場合、養育者と子供との距離が過剰に密着しているという点では共通項があるかもしれない。
しかし、「過保護な子供は葛藤なく育っている。ストレス耐性が低い」などという言い方が安易に使われるとしたら、実は養育者と子供との相互作用の上っ面だけを眺めているに過ぎないケースが大半だと思える。
現実には、子供の方が親の気まぐれなまでのわがままな言動に必死にチューニングして、世代間逆転的な形で、親のメンタル面での安定を保とうと必死なまでに甲斐甲斐しく振舞ってきた経歴を持つことが少なくないのではないか。
つまり「親子間の葛藤がない」かに見えるのは、子供の側から、必死になって「平和を支えてきた」からこそというべきケースが多いように思える。
そのかりそめ平和の中で、一見「仲良し親子」のように端からは見えることが多いかもしれない。しかし、それは実は親のちょっとした不機嫌によってもろくも崩れ去る、薄氷を踏むかのような平和であることに周囲は(酷い時には母子の傍らにいるはずの父親も)、全く不感症である場合がある。
養育者と当人の間の相互作用を丁寧に観察して吟味していくと、実は本人よりも養育者のほうが(控えめにいっても)よほど「気分変調症」的ではないかと思われてくる事例の多さに注意すべきである。
子供の方が、むしろそういった親を「あやす」ことを子供の頃から求められ、「オトナとして振舞う」ことを強いられてきた側なのである。
そうやって成長した子供が、真の自立を求められる局面で失調し、他罰性や攻撃性が強い存在に見かけ上大反転を起こしたとしても、それはまったく自然な展開ではないか? 目の前にいる、いわゆる「新型うつ病」患者は、実は、家族力動の犠牲になった"Identified-Patient(見なし患者)"なのかもしれないのである。
いわゆる「新型うつ病」世代の気分障害全般を考える際、こうした視点は重要な鍵になる可能性があるように私は思えてならない。
もちろん、だからといって、親を諸悪の根源視してもどうにもならない。親自身が、何らかの意味で、やはり自分の親やもう一方の配偶者との不幸な関係を背負っていることが少なくないからである。
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このようにいうと、あの懐かしいカタカナ語を思い出される方があるかもしれない。確かにある程度は重複することになるかもしれない。
しかし、どのような概念として「説明」するかは、セラピーそのものの成否とは全く無関係である。
何より大事なのは、目の前に現れた個々のクライエント(患者)さんと虚心に向き合い、安易なレッテル張りや分類を超えたところで相互作用を持ち、解決策を、一緒になって探していく、「テイラー・メイド」ないし「一品料理」を作れる専門家としての力量であろう。
やっはり記事の順序をもう一度再入れ替えしましょう(^^)
一昨日参加させていただいた、福岡県精神福祉冬期講座「不況を生き抜く -多様化するうつ病と休職・失業からの再出発-」の報告記、第1弾。まずは午前の部についてご紹介します。
講演午前の部に招聘された先生は、大正大学の廣川進先生。「休職・失業のキャリアカウンセリング -人生の危機・転機を越えていくために」という演題でした。
ベネッセで18年間勤務され、雑誌「ひよこクラブ」などの編集に携われた後、衛生管理者としてヘルスケア部門を担当され、採用・教育研修など、人事の業務も経験されたとのことです。
40歳を迎えるにあたり、臨床心理士になることを決意されて大正大学大学院に社会人入学。病院臨床の経験も積まれ、現在も大正大学の准教授をお勤めの傍ら海上保安庁にも勤務され、先日の佐世保での事故の際にも危機介入のため活躍されたとのことでした。
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企業人から産業カウンセラー・キャリアカウンセラーに転じられた経歴をお持ちというだけのことはあり、企業の内部事情にも精通された上で、個別処遇を重視する、会社内のさまざまな関係者を「チーム」としてフル活用した、うつ状態に陥った中間管理職の社員への細やかな復職支援の統合的アプローチの実践例を例示いただき、たいへん参考になりました。
少なからぬ場合、配置転換されてきた、業績至上主義の新上司からのパワハラの問題が関わること、今の日本企業は競争社会になったために、「かわいがった部下に先に昇進される」リスクがあるため、社内の空気そのものがギスギスしているため対話が少なくなっていること。会社再建のために銀行から派遣された役員によって、実力ある管理職がスケープゴート的に詰め腹を切らされ、リストラされることが引き金となるうつの発症などがあるというお話は興味深かったです。
また、うつによる休職と並行して、家族構成員に様々な問題が「同時多発」することが多いということ。子供の引きこもりや行動化、配偶者の抑うつ、親の介護などの問題が、一気に表面化=「同時多発化」しやすいようです。それまで、「ともかくも働いてしっかり稼いできてくれる」ということによってかろうじて見かけ上の平衡を維持していた家族力動の、潜在的な歪みが一気にあふれ出すということのようです。
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廣川先生のお話は更に、失業者のメンタルヘルスの問題について、ハローワークを訪れる求人者の意識の実態調査に基づいて踏み込んだ問題提起へと展開しました。
多くの退職者は、見かけ上は、キャリアアップや「今の会社があわない」などの理由を真っ先に挙げますが、実際には社内(特に上司)との人間関係に悩んだ末であることが少なくないそうです(これは私見ですが、いわゆるリストラの場合ですら、その対象として選ばれるかどうかには、この人間関係上の問題が少なからず影を落としていることがあると思います)。
そして、求職者は、もはや仕事が見つからない「恐怖」に脅かされており、それまでのキャリアが通用しないことによるアイデンティティの喪失、求職活動しては不採用になることを繰り返す中で、精神的消耗やうつ状態、身体症状の悪化、場合によってはアルコールやギャンブル嗜癖に向かうなど、潜在的に「自殺者予備軍」となる危機にさらされている。
しかし、ハローワークの現段階でのメンタルヘルス相談の体制は、まだ専門的訓練を受けた相談員が少なく、場合によっては「説教され、発破をかけられる」に留まる状況は何とか改善されていかねばならないことを先生は示唆されました。
*****
しかし、こうしたお話をうかがう中で、私の中に、何か大事な問題が抜け落ちているという思いが生じてきました。
質問タイムが最後に取られたので、私は口火を切ってフロアから感想をお伝えいたしました。
「大企業の管理職の方々の復職支援における統合的アプローチ、そしてハローワークを訪れる求職者のメンタル状況のついてのお話はたいへん示唆に富むお話でした。しかし、今日のうつ病患者の増加は、20代後半から30代において顕著であり、私がお会いしてきた通院中のクライエントさんの非常に多くが正社員ではなくて、その世代の派遣勤務です。
リストラされなかった正社員のバーンアウト症候群の問題は確かに深刻ですが、それと平行する形で、それまで派遣社員を統括していた正社員自体が配置転換され、「ベテランの派遣社員」に、その正社員の業務が「丸投げ」される現象が生じてきているようです。
その結果、一番優秀な派遣社員がオーバーワークになり、深刻なうつの危険に直面している気がします。
しかし、多くのケースにおいて、派遣社員は産業カウンセリングや企業メンタルヘルスのシステムの蚊帳の外に置かれたままという気がしてなりません」
*****
(以下、第2回、午後の部についての記事に続く。午後の部は、「未熟型うつ病」概念についての非常に詳細な解説と問題提起を含みます。こういちろう畢生の超大作になりますので、明日になってから書きます)
(【追記】・・・といいつつ、その序曲だけをまずは書きました)
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明日まではは少しゆったりと過ごし、明日はまずは全然無関係なことを書くと思います。
(報告記は、目一杯掘り下げた内容を構想しています。だって、あの「フロアから質問した」「久留米で開業している者」とは・・・・)
・・・・といっても、その「間奏曲」記事は、浜崎あゆみではなくて、また「あっち方面」です(^^)
どうも、「このネタ」って、私の過去のアイデンティティを振り返る意味でもやっぱり抜かせないなと数日前から感じられてきたのですが、驚くべき偶然の符合!・・・・・今書くと、現在公開中の映画協賛(?)にもなることにも気がつきましたし。今日、DVD借りてきて、実に久々に通してじっくり観ることにしました(^^)
ここまで書くと、「そっち方面」の皆様の、察しのいい人の「勘」はほぼ外れないでしょうね(^^)
私は血中脂肪の値が高くなりやすく、医者に定期的な血液検査を受け、薬ももらっていたのだが、昨日ついに血中脂肪の値が正常値に完全に到達したばかりか、コレステロール関連の薬から無罪放免、「これからは栄養価が高いものをきちんと食べなさい」といわれるに至って、拍子抜けしてしまった(^^)。
久留米に帰って自分で料理もするようになり、間食もほとんど全くせず、野菜をたくさん取るヘルシー路線をひた走って来たのだが。最近再び若干疲れやすくなっていたのだが、仕事量が随分増してきたのに、食べる方はそれにあわせて増やしていない状況にすらはまり込んでいたようである。
おかげで、20代に買ったスラックスにみんな腹が通せる(?)状態である。以前のスーツを着ても前ボタンがすんなりとめられる。
・・・・・以上、何より自分に厳しい(?)、タイトな無駄のないライフスタイルに徹していて、これ以上何をそぎ落とすのだ? の域まで来たこういちろうより。
久留米市の中での移動は、ほとんど常にマイ・自転車なので、運動量も結構こなしていると思う。
近々タバコもやめてしまうと思う。私の身体の感じが”No!”と言い出したので。
*****
今日は、以前予告いたしましたとおり、これから福岡県精神保健福祉協会の冬季講座、「不況を生き抜く -多様化するうつ病と休業・失職からの再出発」(春日市)に参加のため、臨時休業とさせていただきます。
大航海時代に航海術がひとつの完成に到達した当時、長距離航海に使われていたのは、実質的に帆船だけだったようなものだろう。
ヨットのことを知っている人ならご存知のように、複数の帆を巧みに使った航海術においては、「風上に向かって」帆走することすら実は可能である。もっとも、一見進行方向とはあさっての方角に向かって航行してはターンすることを繰り返す、一種のジグザグ航法を取らねばならなくなるが。
更に、潮流などをいかに活用するかという事柄も関わる。結局一番大事なのは、次の寄港地の緯度経度を正確に掌握できていて、なおかつ、今、船が到達している緯度経度の正確な掌握できているかどうかであり、その途中の航海のプロセスは全然直線的ではなくてよかったのである。
その後、蒸気機関が発達し、外輪船→スクリュー船による航海が中心になるにつれて、船ですら、目的地(寄港地)に向けて最短ルートで向かうものであるかのように思い込まれるようになったのではなかろうか(少なくとも海運や漁業に縁遠い多くの一般民衆にとっては)。
*****
果たして人生はどちらに似ているであろう?
目的地に向かってひとり必死でオールを漕げるのは、ほんとうにそれが必要な限られたひと時だけだろう。
河口湖の手漕ぎボートですら、自分が順風下で漕いでいることを忘れていると、引き返す時に、逆風下では2倍以上のエネルギーを投資しても一向に岸辺に戻れないという事態になる。
・・・・・これは、実は私の大学時代の経験である(^^;)
「久留米でフォーカシングを学ぶ会」、本日、滞りなく開催されました。
今回は、ホールボディ・フォーカシングも取り込んだ、個別セッションをじっくりと行う形になりました。
次回は新年1/10(日)に開催です。
フォーカシングについての学習経験が全くない方の新規参加も歓迎しております。
参加エントリー、お持ち申し上げております。
詳しくは、こちらをご覧下さい。
ケビン・マケベニュ/ホールボディ・フォーカシング―アレクサンダー・テクニークとフォーカシングの出会い
この記事を、前の記事関連で、ayuの"countdown live 2000-1"の持つ特異な構成について対話した時に、madonnaのこの曲とPVを思い出させてくれた、我が「戦友」に捧げます。
*****
2001年、9.11の後、アメリカがブッシュ政権下の戦意高揚とナショナリズム一色に染まり行く中、madonnaは、非難ごうごうの嵐のをものともせず、この衝撃的なPVとアルバムを発表した。
●Madonna American life - subtitulado(YouTube ←著名な「放送禁止バージョン」と思われます)
(
←内容は確認していません。もうひとつの「おとなしおめの」バージョンのPVだと思いますが)
アルバムはmadonnaのアルバム史上最低のセールスを記録した。しかし、そうなるであろうことなどお構いなしの確信犯としての圧倒的気迫は、このPVと、あまりにも皮肉っぽい歌詞にはあふれ出している。
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浜崎あゆみに絶大な影響を与えているのがmadonnaであることは、気づいている人は少なくないだろう。特にライブとプロモーションビデオの演出においてそれは顕著であり、上のmadonnaのPVを観るだけで、ayuファンは圧倒的な「既視感」に襲われるはずだ。
そして、ayuもまた、2000-1のカウントダウンライブ・・・・アルバム"duty"の曲中心だが・・・・において、徹底的に「戦争」をモチーフにする舞台演出をしていたのである。しかも9.11が起こる年を迎えるカウントダウンで、まるで未来を予言するかのように!!
ayuの初期のカウントダウン・ライブは、まだ声量がなかった上に、レコード大賞→紅白→カウントダウンというとんでもないハードスケジュールの中で実施されていたため、好不調の落差が凄まじいのだが、この時のカウントライブに関しては、ayuの初期のコンサート映像記録としては、何かしら異様なまでの窮迫感が、声の荒れた質を凌駕した、隠れた傑作である。
ayumi hamasaki countdown live 2000-2001 A [DVD]
●"Duty" ayumi hamasaki Dome Tour 2001(←こっちはほんとにDome Tourじゃありませんってばさ!)
この時のコンサートの冒頭曲は、まるでモーツァルトのレクイエムを思わせる、不気味な前奏と、鎖で足を繋がれた囚人が足を引き摺るようにして歌う重苦しさで有名な、この、アルバムタイトル同名曲である。背後には十字架の群れ(エヴァの旧劇場版も思い出されてしまうが)。
この曲の背景には、当時avexの行く末をすべて一身に背負わされたayuの苦悩の深さがあると解釈するのが、今日では定説化しているし、ayu自身が2004年のTVドキュメンタリーでそれを間接的に示唆する証言をしている。
●Ayu's decision : "I will live AS A PERSON in AVEX!!"(YouTube)
なお、iTunes Storeでは、単独曲としての"Duty"のオリジナルバージョンだけはなぜか登録されていない。これはayu個人の意思の反映だと私は考えているが、その代わりに、
私が好きなリミックスバージョンにリンクしておきたい。
ちなみに、歌詞の、
「ひとつの時代が終わるのをこの目で見たよ/だけど次は自分の番なんてこと/知りたくなかったんだ」
・・・・とは、小室哲哉の時代が去り、自分の時代が来てしまったことを指すという解釈が妥当であろう。
今そこにすでにある現実の状況に、ほんの薄皮一枚、1ミリ分だけアシストを重ねて、気がついたらいつの間にかリアルが変化していた・・・・というようなリアリズムしか、今の私は信じていない。
これこそ、極度に洗練され、手になじみきった場合の、認知行動療法やABA療法の戦略それ自体である筈だ。
やっと、この一ヶ月の「牢獄」・・・・・自ら進んで入った牢獄だったが・・・・から解放された。
それを記念したら、ayuのライブでの、
この曲のこの演出しか思い出さないので。
幸い、2006-7年のカウントライブでの「再演」を生体験できました。その時の映像しかYouTubeにはないみたいなので。
●Ayumi hamasaki NEVER EVER cdl 07(YouTube)
迫力は、2002年のアリーナ・ツアーでのこの演出初公開の方が勝るけど、ともかく憧れだったこのライブ演出を生でもう一度実体験できるなんて、この時には呆然として歓喜しました(^^)
ayumi hamasaki ARENA TOUR 2002 A [DVD]
ライブでの熱唱だけなら、2001年のドーム・ツアーでのものが、曲を生み出してホヤホヤ当時の実存的燃焼度(作曲もCREAことayu自身)が映像記録としては最高でしょうか(この部分、どのコンサートかに記憶違いがありました。修正してお詫び申し上げます)
●"NEVER EVER" ayumi hamasaki Dome Tour 2001(YouTube)
※関連記事がこちらにあります。
ayuの代表作のひとつであり、ライヴでも繰り返し歌われ、私も幸い数回生あゆで聴けた曲ですが。
以前にもこのブログで書きましたけど、私にとって、浜崎あゆみの曲でただ1曲選べといわれたら、やはり今でも、この曲。
私の人生の一番辛い時期を支えてもらい、歌詞に完全に自分を同化させてしまう、いわば「こういちろうのテーマソング」ですね(^^)
曲としても独創的。ayuの歌って、決して「3番」がないのですが、この曲にいたっては、クラシック風に言えば、ベートーヴェン風に「コーダの部分が果てしなく拡大」されてしまい、むしろこのコーダの部分の全く新たなメロディのインパクトが全曲の印象を決定付ける。
ある観点からすると、よっちゃんがギターで超絶技巧でアドリブする部分を「展開部」として敢えて位置づけるなら、「単一主題による、コーダが第2展開部として拡張されたソナタ形式」(!)・・・・パーペキにベートヴェンです。
そして、この曲が、ayuにおいて、まさに、ハ短調交響曲、つまり「運命交響曲」的な位置づけにあるといっても過言ではないでしょう。
そして、PVがまた、「豹あゆ」で有名でもありますが、その細部に至る象徴表現はもはや一本の映画の域に到達した、不朽の名作でしょう。
●"Surreal(PV)" ←iTunes Store、敢えてプロモビデオ版に張っています。
●浜崎あゆみ / SURREAL(YouTube)
↑ これavexとayu様のYouTube「公式アップロード」なんですよ。貼り付けまで許可とはなんとも太っ腹!!
やっと "A COMPLETE -ALL SINGLES-"におけるリマスターを聴くことができましたが、泥臭さは低下したけど、透明感は随分アップしていますね。
←amazonのはCDのみバージョンにリンクさせています。
*****
私自身、今、開業後最大の人生の大勝負にかかろうとしています(^^)
そのための準備がこの一ヶ月ちょうど、ちょっとたいへんだったんですが(書くべき文章量と資料集めが・・・・) 。でも学会論文でも著作でもはありません(・・・・では、何のこっちゃ?でしょうが)
いすれにしても、そのための作業は明日にクランク・アップが確定。
そうなると・・・・・この1ヶ月間、その鎖に繋がれていた豹あゆならぬイリオモテヤマネこういちろうは・・・・
・・・・お約束しますよ。
このサイトが、再びayuサイトとしても本格復活することを!!
「今の」こういちろうが再び一から浜崎あゆみを語り出すとどうなるか?
・・・・今回は、そのさりげない序曲のつもりでもあります。
私にとっての"momentum"(これまたayuの私の大好きな曲のタイトルですが)であるこの曲で、活を入れなおして、"NEXT LEVEL"に進ませていただきます(これは、比喩的な意味と、ayuのアルバム、両方の意味でね)
*****
【追記】
おまけで、これにもライブ映像貼っておきます(^^) これも生で観た時のものだと(カウントダウン?)。最近のayuの円熟度の高い歌唱法は、以前のような身をよじるような歌い方の実存的燃焼性こそ一見後退しましたけど、ここまでライブで安定した歌唱力でパフォーマンスできてしまうということ自体、凄いことではないかと。ライブでの歌唱としてはこの時のが一番好きですね。
●Ayumi Hamasaki LIVE Surreal(YouTube)
ブログネタ: この1年であなたのエコ度は変わった?
私の今住んでいる家は、築47年目に突入した木造住宅(随分増築・改装はしましたが)。何しろ、昔からある部分の漆喰の壁の中はちゃんと土と藁でできた層なんですよ(^^)。昭和37年当時、100万円で建築できたそうです。
そして、私の小学校高学年から高校時代、大学で東京に出るまで使っていた「勉強部屋」が、今の開業面接室です。この部屋は、壁の表面の塗りなおしをした以外、30年前上京した時以来、何ひとつ変化していないという、奇跡のようなタイムスリップ空間です(さすがに机だけは新調しましたけどね)
さて、この部屋で使っているエアコンが、皆様の常識を覆す代物です。わかりやすくいえば、夏は自動ポンプで組み上げた井戸水流しっぱなしの水冷式、冬は石油ボイラー(ボイラー室がある家だったりする)で加熱した井戸水を循環させて温める形での暖房機という、今や一般家庭ではまず観られないタイプのもの(他の部屋は今風のエアコン・・・ただし暖房はガスを使う折衷タイプ)に変わったのですが、面接室だけはこの旧式エアコンが稼動しているのです。
でも、当時の家電というのは、今のプラスティックのぺなぺな作りとは格が違います。
↑どうです?40年前の製品だと思えますか?(SHARP製)
ただ、石油を燃やして一度温水にして、その熱をファンでまわして暖房にするのは、どうみても熱変換効率的にみてエコではない(^^;)
ボイラー室は壁一枚向こうなので、その意味では温水の冷却に伴うロスは最小にしても。
*****
そこで、今年の私は、絶対に石油代のもとが1か月で回収できてしまう! との確信のもとに、ほんとうに冷え込む時期までは、このエアコンを稼動させないと決め、何と、消費電力500Wの次の製品だけで、昼間のほとんどの時間帯を過ごす、面接室の暖房をまかなっています。
今のところ、これをつけていると夜でも暖かすぎる日も多い(^^;)
このようにいうと、すぐに「九州だからね」という関東の人がいますけど、九州の北の端の福岡と東京とでは、実はほとんど緯度の差はありません。「南に」ではなくて「西に」移動するだけなんですよ。
小学校の頃、理科で気温と降水量の変動のグラフを比較させる問題がよく出たと思いますけど、一番識別が難しいのが東京と福岡の違いだったはずです(きっぱり)。
傾向差があるといえば、冬になっても関東の空っ風のようには晴天の日が続かず、小出し、小出しに曇天や小雨の日があるくらいでしょうか。暖流の対馬海流が流れているとはいえ、「一応」日本海=玄界灘側ですからね(^^)
雪だって、少なくとも鎌倉や湘南に降るのと同じくらいには降ります!
【第2版で追記】 ↑ 10/1/13(水)、この冬2回めの積雪!! ・・・でも、暖房は結局上の小さいので通せています(^^) 昭和30年代後半建築の家屋はほんとに壁がしっかりしてますね。もちろん窓はアルミサッシになってますが。
だから、湿度の質は夏も冬も福岡の方が若干粘っこいのを除いては、気候は東京と同じという意識で、少なくとも九州北部3県(福岡・佐賀・長崎)にはおいでくださいませ。
歴然と九州で「南国」的といえるのは宮崎と鹿児島だけです。でも、宮崎・鹿児島ですら、九州島内部である限りは、種子島・屋久島や奄美や沖縄ではないわけですから、冬は寒い時には寒いです。
福岡市から西鉄特急で27分(今のところ、京急本線快速特急に続き、日本の私鉄で2番目に速い高速鉄道)の久留米は、標高わずか70メートルでトンネルひとつない地峡(水城・太宰府のあたりですね)をひとつ隔てて九州山地(脊振山地)の南側に入ってしまった、旧筑後の国、筑紫平野側は、深い入海の有明海沿岸に近いので、福岡市よりは、来春めでたく政令指定都市に昇格の熊本市(JR特急で1時間前後しか離れていない)と気候的には近い。
つまり、大きな海に面していない、むしろ盆地的な内陸性気候(冬は寒く、夏は猛暑)になりやすい点では、九州の中でも夏は過激な暑さですね(関東甲信越地区だと、甲府盆地や八王子、熊谷の夏の異様な暑さを連想してください)。近年も猛暑では、風が吹かない、でも湿度は関東の前述地域よりも無茶苦茶高い(郊外に出れば田んぼが一面だし、干潮時には有明海には沖合いまで干潟がひろがっているので、太陽熱で蒸発して盆地状の土地に封じ込められて空気中に漂う水分には事欠きません・・・東京でビデオやMDに張ったラベルが湿気を含んでたわんでめくれ上がるくらいです)、36度、37度当たり前!! の悶絶的な日々になります)。
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・・・・・というわけで、最後に、今の私の面接室の全景。
↑これを書きながらそそくさと撮ったので、ややごみごみしていてますけど、ほんとにこんな感じの空間で面接していることをありのままにさらします(^^)
・・・・などと書いているうちに、今日のお仕事開始までに、あと10分である。
中学生時代、封切りの時に、学校全体で映画館借り切りで観たのですが、会場全体から女子生徒のすすり泣きの声がこだまするという、一種異様な空間になってしまい、映画館をで出た後の近くの公園でも、みんなが一種放心状態でたたずんでいたことが忘れられません。
加藤剛が演じる犯人である作曲家が自作「宿命」を初演する演奏会のシーンと、警察での捜査会議の中での報告、そしてそれをナレーションとする形で、犯人の、父親との幼少期の不幸な放浪の旅が日本各地の美しい自然・・・特に荒海の日本海をバックにクロスカッティングしながら、もう、これでもか、これでもかと盛り上げていく数十分 は、ある意味でドラマチックな煽情性の極致なんですけど、やはり忘れられない日本映画の傑作ではないでしょうか。
日本における自殺者は、1998年以降、11年連続3万人以上が続いている。
しかし、日本の精神医療は、医者は昼間は数十人の患者さんの診察を抱え、夜間に大病院で待機する看護士も、入院患者の急変等の事態が想定できるため、電話で話をきく以上の対応は難しいところが多いという。
鳩山政権は、先月、自殺対策緊急戦略チームを結成、年の瀬から3月までの短期的な対策として、失業者や多重債務者に向けての相談窓口については対策をとることにしたが、実際に自殺に至る人の3分の1以上は精神疾患をを背景としているのに、それに対する対策はそこには含まれてはいない。
ある統計によると、実際に自殺した人が、それまでに何らかの相談機関を訪れている率は(精神科以外の医療を含めて)72%にも及ぶという。
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イギリスでは、ブレア政権当時、精神疾患や自殺による国益の損失が実に280億ポンド(約4兆5千億円)にのぼるという試算が出され、心臓病・がんとならぶ3大疾患として位置づけ、精神医療に関わる予算を一気に1.5倍にまで引き上げた。
一方、統合失調症等で入院させたものの、症状がむしろ悪化する現実に憤った家族たちが、「精神疾患者も、地域で治療や教育・支援を受ける権利がある」という運動を起こしていく。
そうした中で国家的な取り組みとして確立して行ったのが、全国300もの拠点に、医師、看護士、ケースワーカー、キャリアカウンセラーなどが24時間体制で配置され、ひとりひとりの患者さんに、それら複数の職域のスタッフが関わる「早期介入チーム」を置くセンターを作っていくことであった。そこにはかかりつけの家庭医や、警察すら含む緊密な連携が形成されている。
そこでは、「アウトリーチ(積極的介入)」と呼ばれる手法が重視される。すなわち、チームを組んだ医師や看護士の方から家庭を訪問して対応するのである。住んでいる家や建物(例えば何階に住んでいるか)がわかれば、どういう形で自殺する危険があるかも掌握できる。
自殺企図が強まった患者さんからの電話で、訓練を受けた看護士が、他の住民に本人の疾患を悟られないように、「私服で」訪問し、しばらく話を聴くうちに本人は落ち着いた例などが紹介されていた。
統合失調症者の社会復帰においても、散歩するとか買い物に行くなど、小さな行動ステップを積み上げ、徐々に外出できるように援助するなどをするのであるが、何とその際にソーシャルワーカーが「付き添う」ところからはじめる場合もあるらしいのである。
こうして、イギリスでは自殺率の増加に歯止めがかかったという。
ここからは私の感想だが、こうしたアプローチは、個人のプライバシーの世界に公的機関が非常に細やかに積極介入するスタイルである。担当者と当事者の間の信頼関係の樹立に細やかな配慮が行き届いた場合に、はじめて社会的に受け入れられるものになるのではなかろうか。
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いずれにしても、それぞれの資格を持った専門家が妙なメンツにこだわっている段階は、日本もそろそろ卒業して、連携チームを組んで協働できるステップへと早く進めねばならないだろう。
そのためには、制度が上から変わってくれるのを待っていても仕方がない。
臨床心理士もまた、進んで越境的な「行動する臨床心理士」へと、ゲリラ的に、草の根レヴェルから変容していける底力を見せないと、それこそ何らかの法制化の際にお高くとまった使い物にならない人種と見られるのがオチであろう。
今回公開するのは、先日の佐賀県教育センターでの教育相談集中講座で使ったパワーポイントファイルと、「文章は」全く同じものをPDF化したものです(もちろんウィルスチェックとスパイウェアチェックはかけています)。
唯一異なるのは、実際には、このファイルの各所に、アンさんの「入門マニュアル」と「ガイド・マニュアル」
で使われているイラストを転載していた部分があるのですね。だから実際には更に数ページ多いし、空欄めいたものがあるのもそのためと見なしてください。
クローズドな研修会はともかく、こういうネット上の場では、アンさんとアンさんのお知り合いらしいイラストレーターの方の著作権を尊重するために、敢えてそういたしました。
●「koichiro_asega_focusing_basic_seminor_public_version.zip」をダウンロード
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すでに上記の研修会報告記でも詳細に実際に実施した進め方は書かせていただきましたが、私は、徹底轍尾、技法について「頭で」理解してもらう解説を控えめにしかしないことを大事にしています。
いきなり、柔軟な形での集団法クリアリング・ア・スペース(やり方は、こちらで連載で解説した、私なりのインタラクティブなアレンジがかかったものです)をしていただいた上での参加者ひとりひとりの自己紹介と私のひとりひとりへの応答タイムに1時間以上を費やし、皆で共有できる場の空気を生み出した時点で、小休憩を取ってしまいました。
そのあとは、パワーポイントファイルでいう3ページめまでしか呈示していません。
そこで、もうひとつ配布資料とした、私のウェブ上の「フォーカシング入門」の最初の章をPDF化したものを読み上げているのですね。
●「Koichiro_Asega_web_an_introduction_of_focusing_cap1.pdf」をダウンロード
そして、パワーポイントワイルのpp.4-7までしか解説しないで、またまや小休憩。
この休憩前の段階で、「次に、私をガイドとするデモンストレーションの1対1のセッションをやりたいので、協力して下さる方を求めています。我と思わん方は・・・・・」という予告をしています。
小休憩開けに、もう一度、参加者の皆様に、当初会場に来た時の実感と今の実感を照らし合わせ、比較する集団法クリアリング・ア・スペースをしてもらう。
その際に、自分がデモでフォーカサーをするとしたら何をやりたいのかも感じていただいてみています。
そして、ほぼ正統的で古典的なアン・ワイザー法に基づくフル・セッション(佐賀では、askingまで駆使する本格的なセッションになりました)を40分行ったうえで、実はP.8以降の技法の解説にはわずか20分しかかけていないのです。
なぜなら、幸い、パワーポイントファイルで書いてある通りのことをすでにセッションでフル動員していましたので、「後付けの解説」としてさらっとやってしまえたわけですね(^^)。
ここまでで午前の部終了。午後は、「こころの天気」をペアになってわきあいあいと伝え返しまでする実習タイムをゆったりととっています。
こうして、フォーカシングの初心者同士がペアになってショートマニュアルをもとに、リスナーとフォーカサーを役割交換して「フォーカシングのセッションらしきもの」をする時間を全く作らず、それでもひとりひとりの参加者の方の日常の実感と自然と結びつく範囲でフォーカシングの輪郭を、無理なく実感していただき、しかし同時に「本格的な」セッションのライブの空気もお伝えし、更に教育現場ですぐ使えるやさしい技法もお持ち帰りいただくという、一回限りの6時間ほどの講習会としては、私なりに全く余計なものをそぎ落としたスタイルを試みてみました。
これからもやり方を更に洗練させていくつもりですが、私はフォーカシングの入門ワークショップで「何をやってんだかよくわからない」という印象だけが参加者に残り、フォ-カシングとはそういうものという固定観念だけが広がることを何より恐れています。
大事なのは、フォーカシングの世界に少しでも関心をお持ちになった皆様を「フォーカシングの世界」に参入させることではない。
フォーカシングを「すでに」血肉とした人たちが、社会の各分野に進出して、技法としてのフォーカシングを自らが使い続ける応用問題に、どこまで現実のただ中で挑めて行くかだと思います。
私なりのひとつの試みとして、他のフォーカシング関係者にも参考にしていただきたく思い、公開させていただくことといたしました。
先週金曜日(11/27)午後から昨日までは、湘南で開業に転じて以降、これまで体験したことがない数の面接を続けることになりました。
おいでいただいた皆様ひとりひとりの方のお役に幾何かでも立てたのであれば幸いです。
あと、もうひとつだけ、私がこの1ヶ月ばかり仕上げるためにかなりの労力を割いているデスクワークがあります。それも峠を過ぎましたので、水曜日ぐらいになると、やっと普段の状態に戻れます。
(途中で、アニメや音楽関係の記事を息抜き的に書いたのを別にすると、その他の記事の多くは、その「デスクワークの副産物」でもあるのですね)。
それが終わってしまうと・・・
・・・そうです!! 積み残しになっていた本の書評をはじめとする形で、これでもしばらくややセーブモードだった(・・・「ど・こ・が!!」といわれそうですが)ブログ記事執筆活動に本格的に復帰(・・・・「おい、いつ離れたんだ?」)することになりましょう(^^)
こういちろうはそうやすやすとは「枯れない」のだよ。
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