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2009年10月

2009/10/31

「ハウルの動く城」におけるハウルと火の神の関係

 昨日とりあえず書いてから、一晩眠って、少しだけ、この作品を観る上での鍵となる部分について、私なりの理解を解説したくなりました。

(楽天ブックス)

※以下、完全にネタバレです※

 終わりの方の、子供時代のハウルとソフィーが遭遇するシーンから読み取れることに焦点を絞って、私なりに解説してみたいと思います。

 この作品世界では、魔女という存在が人の「心」を奪い取ってしまうということが繰り返してモチーフとして登場します。

 映画の前半から観ていると、繰り返し反復されるパターンとして明白なのは、空から流星群のように、青白い光の玉が降り注ぐ時というのは、この国の王室付き魔法使い(というより、もはや実質的支配者ですね)、マダム・サリマンが、人の心を誘惑し、「心を奪い取る」ことで「使い魔」にしてしまう、まさにその時なのですね。

 つまり、ハウルはある段階で確かにサリマンが校長をしていた魔法学校に入学し、修行を積んだのは確かでしょうが、実はそれ以前の子供時代の早い段階で、サリマンに「目をつけられ」、すでに魂を奪い取られていたのだと思います。

 ところが、ハウルが、こうして魂を奪い取られる瞬間に、どうも他のケースとは異なることが生じたようです。

 つまり、ハウルが青い光の球を飲み干したケースに限って、ハウルの「心」を実際に仮託した対象は、その瞬間に生み出された(?)、火の神カルシファーに対してだったのですね。

 つまりここですでに、ハウルとカルシファーの間に交わされたという「契約」の本質が十分絵解きされています。

  1.  ハウルはカルシファーに自らの魂を仮託する。
  2.  ハウルはカルシファーの炎にエネルギーを備給する責任を負う。
  3.  カルシファーは、その代償として、ハウルの言われるがままに魔力を使ってあげねばならない。

 恐らくこの3か条が、ハウルとカルシファーの間の契約内容です。

 このことが、マダム・サリマンに対するハウルの「相対的な」自立性(完全に自由にはなれないのですが)が、かなり早い段階から確保できていたことを示唆します。

 そして、その、(ユング風に言えば)グレートマザー(大母)的なサリマンに、単に飲み込まれてはしまわないで、ハウル自身の「自我(ego)」を形成、維持する上での心の支えとなっていたのが、時空を越えて表れたソフィーと、ソフィーからの「約束」だったということになります。

 ソフィーは、結果的に、前思春期以降のハウルのおぼろげな記憶の中で、女性像の元型(つまり、アニマですね)として機能し続けていたことになります。

 アニマというのは、男性に内在する「内なる女性」ですが、実はアニマを「対象化」して思い描き続けられるから、男ははじめて男としてのアイデンティティを形成して行ける、社会的な仮面としての「ペルソナ」(ハウルがいくつもの変名を持つことに象徴される)も形成できるともいえます。

 もっとも、ハウルにも手痛い失恋の経験があった。つまり、ハウルですら、「アニマの投影」の対象としてふさわしい現実の女性を見誤ることはあったようです(見かけが二枚目過ぎるから、女性ととりあえず付き合うまでは、魔法使いであることを巧妙に隠した次元でなら、あまり苦労はなかったろうと思われます(^^;)

*****

 いすれにしても、ハウルは「カルシファー=を自由に操れる存在」まさに、この前「魔女の宅急便」論で書いたように、バリントの言う「地水」という、「前-対象」的なもののうち、何と2つも味方につけている(飛べますしね)。

 こうして、ハウルはフィロバットに分類できます。

 (フィロバティズムを鍵概念とするバリントの「治療論からみた退行」についての総論を、こちらで書きました。)

*****

 今回は、ユング的理解も加味してみましたが、ここで書いたことでしたら、故・河合隼雄先生の「ユング心理学入門」の第8章「アニマ・アニムス」を中心とする章で十分参考書になると思います。

河合隼雄/ユング心理学入門

(楽天ブックス)

・・・・こういう言い方が少し偉そうに響いたかもしれませんがお許しを。

 私はユングの畢生の大作のひとつ、「変容の象徴」を、若き日から心理学書ベスト5に入る溺愛をしてきた、意外とユングおたくな人間なので。

(楽天ブックス)

*****

 なお、ユングの著書(論文集)の中では、以前もご紹介しましたが、現場臨床家の人には「心理療法論」が、一般にはあまり知られた本ではないですが、流派を超えて、刺激になるかと思います。

 絶版しているようですが、中古市場で容易に入手できます。

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2009/10/30

今後の予定:田嶌誠一先生の「現実に介入しつつ心に関わる」と、あの「乱造される心の病」、そして・・・・

 田嶌先生のご著書は、この前の、施設内暴力の記事でも、その一端をご紹介させていただきました。

現実に介入しつつ心に関わる―多面的援助アプローチと臨床の知恵

(楽天ブックス)

 このたび、光栄なことに、田嶌先生ご自身にこの本を贈呈いただきました。感謝いたしております。近日中に、僭越ながら、謹んで、感想をこのブログで書かせていただくつもりです。

 例のレーン氏の「乱造される心の病」も1週間後ぐらいに入手可能な見込み。(追記09/11/04 : 感想書きました。

*****

 明日は仕事で忙しめなのですが、ひょっとすると、パソコンの使い方絡みの記事を、遅くとも日曜ぐらいまでには1本アップするかもしれません。

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「ハウルの動く城」についての極私的感想(第2版)

 私のまだ観ていなかった、「最後の」ジブリ制作による、宮崎駿の長編作品である。

 結論から言おう。

 
私は、宮崎駿作品の中で、この作品に一番心を揺らされた。

 ・・・・というか、現段階では、「サマーウォーズ」と並んで、日本の長編アニメの中で格別に私の好みであると断言してしまいたい。

***** 

 深層心理的・心理=社会的含蓄、特に「辺境人」性を持つ魔女の文化に関わる形で、ハウルの存在のあり方について参考になりそうなことは、すでに「魔女宅」の記事のほうでかなり書いたことになると思う。

 途中までは、ここまで書いた2本と同じくらいに緻密な分析を組み上げながら観ていたのだが、物語のかなり最後の方のある箇所で、私のメモが停止してしまった。

 文字通り「絶句して」しまった。

 ・・・・・・だから、わかりやすい解説をご期待だった読者の方には、たいへん申し訳ない。

 肝心なことは「書かないで」おきたいのです・・・・・

******

 ひとつだけ。

 この映画の主役は、あくまでもハウルであって、ソフィーではないということ。

 この作品が、当初は、「時をかける少女」「サマーウォーズ」の細田守さんを監督として作る予定だったことは知っている。

 だが、結果的に、宮崎さんは、「千と千尋」の中で未消化に終わった「あるテーマ」(具体的に言うと、千尋とハクの関係である)を、より率直に描き直したことにもなり、結果的に宮崎さんご本人が一番「やりたいことを思う存分描き切った」のではないかと、私なりに推察します。

*****

【追記09/10/31】:一晩寝て、少し冷静になったので(^^;)、やはりこの作品の「絵解き」の一部を、差し触りのない範囲で(^^;)、本日の午前中、仕事をはじめる前に書いてしまいますね。

 ・・・・・書きました!!

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2009/10/29

・・・・・つ、次は、「ハウルの動く城」

・・・・・の予定です。

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2009/10/28

BOY MEETS GIRL -「崖の上のポニョ」とバリントのオクノフィリア- (第2.10版)

 これは高校時代に留学した経験がある若い友人にうかがったのだが、

「アメリカではティーンである自分たちのことをいつも大人扱いしてくれたから、すごく気持ちがよかった」

とのことである。

 なるほど、欧米では、思春期に入ると、「大人予備軍」としてティーンエージャーを扱う文化があるのだと思う。

 ところが日本はどうか? 子供が徐々に大きくなり、「純粋無垢さ」を失い始めると、むしろそのことに苛立ち、どのように取り扱うかに困惑する親世代が今でも多いのではないか?

*****

 この映画の中にも、そういう「父親」が登場する。

 (・・・・・以下、完全にネタバレに突入します・・・・・)

 名前をフジモトという。彼は、汚濁に満ちた人間界が嫌になり、今や、海中に珊瑚の邸宅を持つ、魔法使いのような存在として生きている。

 彼は壮大な「人類補完計画」、もとい、「地球再生計画」を持っている。

 「命の水」と呼ばれる精製された海のエッセンスのようなものを抽出し、それを井戸の中である臨界量に達させた時に、一気に「生命の大爆発」が生じ、古生代カンブリア紀の海洋生物の楽園が復活することを夢見ているのだ。

 すでにそれを実現するためのプランテーションとしての、結界で守られた「牧場」をもっており、そうした古生代の生物たちに囲まれて、大事に育てられているのが、彼と、海の女神、グラン・マンマーエの間に生まれた娘たちなのだ。

*****

 ふとしたきっかけから、その中の一番お姉さん格の一匹(ひとり?)が、普通の海辺に迷い出ることになり、海辺の崖の上に住む少年、宗介に助けられる。

 彼女が閉じ込められたガラス瓶を宗介が割る際にできた小さな傷を彼女がなめて癒した時、彼女の中で「人間の血で劣等遺伝子が覚醒(以上、父フジモト談)」してしまい、急激な人間化の兆候が見られはじめる。

 宗介は彼女にポニョという名前をつけ、彼女もそれを気に入る。

*****

 しかし、ポニョは結局フジモトの差し向けた波の使い魔によって再び父の「竜宮城」に連れ戻される。

 彼は人間になりたがって言うことを聞かなくなった「ブリュンヒルデ(=ポニョ)」が気に入れない。

 「命の水」の力で、彼女を再びもとの「無垢な」姿に引き戻してしまう。

 彼は、一見エコロジー主義者に見えるが、実のところ、自分と関わる対象すべてが自分を快適にしてくれるように操縦しようとする、裏返しの支配欲の塊なのである。

 まるで、自分が鍵穴で、の方が自分にしっくりとあわせてくれる形にならないと気がすまない。

 彼は自分以外の対象が自分に「膚接」してくれることを求めている。相手との関係の間に「隙間」を感じると、まずは相手の方を自分に合わせてくれるように振り回す。

 相手が、自分の気持ちを完全に「察して」先回りして行動してくれないと、もうそれだけで耐え難いわけであり、相手が自分からは独立した自我を行使し始めたら、片っ端からその目を摘み、自分のためだけの存在にしようと操作するである。

 もとより、これは実はそれだけ相手の存在に自分が依存して、はじめて自分を支えているということであり、故・土井健郎先生が使った本来の意味での「甘え」の状態のバリエーションであるとも言える。

 実は親の方が子供に「甘える」という世代間逆転状態が背後では進行しているのだ。

 このような形で退行する人たちのことを、この前の「魔女の宅急便」の記事でもご登場いただいたハンガリー出身のイギリスの精神分析家、バリントは「オクノフォリア」と呼ぶ。

バリント/スリルと退行

バリント/治療論からみた退行―基底欠損の精神分析

 (この前の「魔女宅」記事でもご紹介しましたが、この「ポニョ」記事を、当ブログにおいでになり、最初にお読みの方があるかもしれませんので、改めて、私の学会発表時の添付資料としての2冊の抜粋がPDFへのリンクを呈示させていただいておきます。興味のある方はこちらからご覧下さい。更に、バリントの「治療論からみた退行」についての総論を、こちらで書きました。)

 前回ご紹介したフィロバティズムにしても、オクノフォリアにしても、成熟した個と個の対象関係という観点からすると「退行的な」状態である点では共通している。

 ただ、フィロバットは、人間以前に、自分を包む空間全体を「お友だち」にしてしまえるまで自分のスキルを磨き上げる孤高な存在なのに対して、オクノフィリアは、空隙そのものを恐怖する。そして、自分が技を磨くのではなくて、周囲の人間の方をコントロールして従わせようとするのだ。

 フジモトは、決して、自然の海水に身を委ねてのびのびと安心していられる存在ではない(だからフィロバットではない)。むしろ自然のままの海を穢れたものだとしか感じていない。

 しかし、ポニョの成長は、自然の海水に触れたからこそはじまったのが現実なのである。

 そして、フジモト自身は、魔力で結界を生み出した中での純化された人工的な「命の水」領域を、海の中でもヘルメットのようにかぶりながらしか存在し得ない。

 それはまるで・・・・・人工的な「羊水」で満たされた「子宮空間」を持ち歩いているかにも見える(もとより、それはいい意味で人に若さを取り戻させる魔法でもあるようだが)。

*****

 ポニョは再び脱出を敢行する。魔法が使える彼女の血は、海に大嵐を巻き起こす。そして今度は、彼女は、ほんとうの人間の少女の姿になっていた。

 宗助の家庭が、お互いを対等に名前で呼び合う、近代的核家族の理想の姿であるかのように描かれているのも興味深い。母親リサは、勤勉で機転が利く職業人であり、同時に十代の娘のような感情の奔放さももっているが、宗介をいい意味で早くから大人扱いし、厳しい時は厳しいが、権力的でない諭し方を心得ており・・・・・同時に、まだ5才の息子の寂しさへの思いやりも失わない。

 勤務先の老人介護施設に、天候がおさまった一瞬の隙を突いて、海沿いの道を車で救援に向かう際に、母親のリサは、宗介とポニョを同乗させることを選ばなかった。町中が水没し、停電する中で、どれだけ潮が満ちても水没しない丘の上の家に、今も明かりがともる家(自家発電できるのだ)があることがどれだけ大事かを言って聞かせる。

 「遠くに行ってしまう母親」との間に大きな「距離(間隙)」が横たわる・・・・宗介にとってのオクノフィリア誘発的試練である。しかし、リサはそうした宗介の不安を十分に汲んだ上で、「きっと帰ってくる」と、離れても失われない信頼の絆を結ぶのである。(リサ自身は、あのドリフト運転、ものの見事にフィロバット的ですが)

*****

 ・・・・・・・これ以降のストーリーについては言及しないでおこう。

 (それでも、この映画を見て「わかりにくかった」皆様にとっては、随分とすっきりとさせる整理を試みたつもりですが、いかがでしょう?)

 だだ、これだけは言い添えたい。

 この作品、一見、5歳の幼児を主人公にしているかに見えるけれども、実際には、もう少し年上の"boy meets girl"の物語に他ならないように、私にはどうしても映る。

 だから、BGMは、敢えてひねって、TRF - WORKS -THE BEST OF TRF- - BOY MEETS GIRLTRFとしましょう。

 歌詞はこちら

 (ほんとうにアニメ作品でこの曲をエンディングとして使ったのは、「赤すきんチャチャ」ですが^^)

*****

 そして、「魔法を失う」という問題については、私自身のアニメ評論のデビュー作(心理臨床系大学院への合格を面接時に確信した日に書き、2ヵ月後月刊"OUT"誌上に掲載された、

●魔法という名のモラトリアム(1986年2月29日執筆)

をご参照ください。

崖の上のポニョ [DVD]「崖の上のポニョ」 特別保存版 [Blu-ray]

******

【第2版での追加】

 ポニョに本来父親フジモトが与えていた名前、「ブリュンヒルデ」といえば、ワーグナーの楽劇「ニーベルングの指輪」で、主神ヴォータンの娘、ワルキューレ(女戦士)の一人(物語全体の実質的ヒロインです)であることを、クラシックファンなら否応なしに連想する。

 フジモトが「ブリュンヒルデ!」とポニョに呼びかけた瞬間に、「ああ、もうこのオジサン、勝手に自分の夢想の世界に酔ってるな・・・・」と苦笑できる仕掛けになっているわけです。

 ブリュンヒルデは永い眠りから王子ジークフリートによって目覚めることになっているわけで、宮崎さんはやはりストーリー的にも影響受けていますよね。

 この映画の一番有名な「あるシーン」が、もろに「ワルキューレの騎行」張りのBGMですよね(wikipediaが「ワルキューレの騎行」そのものであるかのように記述しているのは誤り・・・・BGMの久石譲さんが「ワークナー風に」作曲したのではないか? ・・・・・でも、ううう、私、歌劇には比較的弱くて、とても上演に4晩かかる「指輪」の音楽の全体なんて思い出せないから、ワーグナーの「指輪」の中にある、他の部分の音楽をそのまま引用した可能性も否定できない・・・・)

 まずは、オーソドックスに、映画「地獄の黙示録」でも使われた、ハンガリー出身の名指揮者、Berit Lindholm, Birgit Nilsson, Brigitte Fassbaender, Claudia Hellmann, Helen Watts, Helga Dernesch, Marilyn Tyler, Sir Georg Solti, Vera Schlosser & Wiener Philharmoniker - Wagner: The Ring (Great Scenes)故・ゲオルク・ショルティ指揮、ヴィーン・フィルの抜粋盤をご紹介しておきます。

ワーグナー:楽劇「ニーベルングの指環」~オーケストラル・ハイライツ

 あと、個人的には、「指輪」の管弦楽のみによる抜粋としては、全然「歌劇的」ではなくて、とことん「純音楽」としてのタイトな仕上がりを重視した、無茶苦茶にオーケストラの性能が高いのがわかる、これまたハンガリー出身の往年の名指揮者、ジョージ・セル指揮/クリーヴランド管弦楽団のが、隠れた名盤としてお勧め。

 もちろん「ワルキューレの騎行」入ってますけど、何よりKlaus Tennstedt & ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団 - Wagner: Orchestral Excerpts from Operas - Gotterdammerung (Twilight of the Gods) : Dawn and Siegfried's Journey to the Rhine「 夜明けとジークフリートのラインへの旅」(リンク先はテンシュテット盤)が、こんなに「スポーティー」で「爽快な」演奏はセル盤の他にはありません!!

【追記】:このセル盤、何とBlu-spec CDでリマスターされて再発されているではないですか!!(限定盤です。普通のCDプレーヤーでも聴ける筈です)

Blu-spec CD ワーグナー:ニーベルングの指環(ハイライト)

(楽天はこちら)

 ワーグナー、特に「指輪」が苦手だった私の印象を根底から覆した、「ワーグナー嫌い」にお勧めの名演奏です。ほんとうにお勧め!!

 YouTubeは、本家、バイロイト祝祭歌劇場での、ピエール・ブーレーズ指揮、パトリック・シェローによる歴史的名演奏を貼り付けておきます(^^)

●Wagner - Die Walküre: "The Ride of the Valkyries" (Boulez)(YouTube)

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カウンセリングの中で、自分の内面に気づけるようになってからが実は大変なのに・・・・

 以下は、裕’s Object Relational Worldの裕さんのエントリー、

単純な関係にしか耐えられないカウンセラー

へのコメントとして私が書かせていただいた内容の転載です。

*****

 田嶌誠一先生の言葉をお借りすれば、「カウンセラー」がただ自分の縄張りの中に待機していて、話を聴くだけの「密室カウンセリング」の打破は、これからの臨床心理士が否応なしに突きつけられるテーマだと思います。

田嶌誠一/現実に介入しつつ心に関わる―多面的援助アプローチと臨床の知恵

 早い話、「カウンセラーだけが」、クライエントさんのかかえた課題に応えていく「すべてを握っている」かのような思い込みは有害でしかない。

 カウンセラー(いや、援助的専門家全般)は、クライエントさんの置かれた「状況・環境全体との」相互作用を良循環に持ち込むためのアシストをする「ひとつの触媒」であるに過ぎない。しかし「たかがひとつの触媒、されどひとつの触媒」として尽力すべきなのである。

 仮に直接お会いしたり連絡を取らなくても、クライエントさんの家族だとか、主治医、担当教師、同僚、上司、治療クループの他のメンバー、いきつけのお店の人、近郊の住民(!)との相互作用の「良循環化」が生じる端緒がどこにあり、それが現実にどれくらい生じつつあるのかという「巨視的な」視点から状況全体を見守り、ここぞというタイミングで、クライエントさんにとって最小の努力と決断できる可能性がある「ささやかなこと」をアドバイス・提案できる「超プチ・危機介入」(クライエントさんがこちらの提案したとおりのことをする必要などない。ささやかな刺激剤になれば、あとは、無理のない範囲で、適切なタイミングで、こちらが思いもよらない切り口と方略で、クライエントさん自身が「勝手に動き出す」のを見守れればいいのだ)のセンスが臨床家には必要だと思う。

 さもないと、洞察的なセラピーを受け、下手に自分の内面に気づき、漠然とした違和感に敏感になり、「自分に嘘がつけなく」なる方向に「目覚めてしまった」クライエントさんは、場合によっては、以前よりも、苦しくて傷つきやすい形での現実との直面を強いられ、なのにカウンセラー側はそれに気づかず、勝手に舞い上がっているなどという事態は生じ得る。実は「気づける」ようになってからがクライエントさんは大変なのだ(・・・以上、自戒と過去の反省を込めて)。

 ・・・・書いているうちに思い出しましたが、こうした「患者さんを支えている隠れた対人ネットワークを細やかに観察する」発想法のひとつの古典として、中井久夫先生の「世に棲む患者」(1980年に書かれ、著作集第5巻「病者と社会」所収)は、やはり凄い論文だったと思う次第です。

*****

 「ポニョ」についての記事はこの次です(^^)

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2009/10/27

明日は、「ポニョ」

・・・・について書くと思います(^^)

【追記】 : こちらにどうぞ!!

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2009/10/26

書評:冨高辰一郎著 「なぜうつ病の人が増えたのか」(第2版)

 さて、いよいよ冨髙氏の著作を実際にお読みした上での書評を書かせていただきます(^^)

 ただ、今回は、冨高先生に対してはたいへん僭越な趣向かもしれませんが、私がこの前、読売に掲載された「春日氏の本著への書評」への感想記事を、冨高氏のご本そのものは「全くめくらないままで」書かせていただいた段階で、冨髙先生の著作に私が「期待する」ポイントとして列挙した内容の大半を丸ごと引用して、どこまでその期待が適(かな)えられたかということを示していくスタイルを取ることをお許しください。

 携帯でこのサイトのお読みの方にはご迷惑で、更に言えば、Windowsパソコンだと、あまり見かけ上美しく表示されないことを承知で、この前の感想から引用部分斜字体とさせていただくことをお許しください。

冨高辰一郎/なぜうつ病の人が増えたのか

 

(楽天ブックス)

●参考資料:読売新聞サイトの春日氏の書評の全文

*****

 「うつ病が急増しているといわれる。(中略)実際、1999年から2006年までの6年間の間に、うつ病患者は2倍以上に増えている。99年から患者数が急増しているのである。ではその年に何があったのか」

 このことが、冨高氏自身の発想の原点にあったことは、Amasonのサイトですでに確認済みである。

・・・・・・まさにそういう本です。

 春日氏は、(中略)

 「しかしそれでノイローゼ患者が増えたというのならばともかく、うつ病患者が2倍にも膨れ上がるものなのか」

 この言葉が冨高氏の原著にある言葉なのか、春日氏の表現なのか不明だが。

・・・・・この「ノイローゼ」という表現は冨高氏の本には見当たりません。

*****

 「99年は、本邦でSSRIと呼ばれる新型の抗うつ剤が導入された年である。ニュータイプの抗うつ薬の売れ行きと、うつ病患者の急増は相関している。だが新薬登場でうつ病患者が減ったというのならばともかく、逆に増えたとはどういうことなのか」

 「ここで製薬会社による啓発活動(一般市民および医師への)がクローズアップされる」

・・・・・このことは、慎重な筆運びで、丁寧に言葉を選びながらですが、詳細に統計データをつけて、冨高氏自身が問題提起しおられる。

******

 冨高氏が、日本以外の、アメリカやヨーロッパ諸国でも、SSRIが認可された時を境にうつ病患者が急増した統計データも示してくれているかどうかに関心がある。

・・・・・ものの見事なまでに、数カ国以上のデータを集めておられます。

*****

 もとより、「1995年ごろには欧米でSSRIへの評価が下がりはじめたので、日本が特にプロモーションのターゲットにされた・・・・というあたりの論が冨高氏の著作の方で展開されている可能性あり!とシミュレーションしますが。

・・・・・本書の中でその可能性は十分示唆されています。

****

 「ここで製薬会社による啓発活動(一般市民および医師への)がクローズアップされる」

・・・・・・お医者さんならではといいますか、製薬会社提供の学会でのランチョン・セミナーの様子や、病院への製薬会社の営業スタッフの訪問激増ぶりが生々しく報告されています。

 そして、私が以前一度警戒すべきサイトとして釘を刺したことがある筈の「utu-net」が、某製薬会社・・・・・冨高氏は明言されてはいないが、サイトの内容からして、不安障害(パニック障害)にも強迫性障害にも鬱にも適用できる薬っていったらパキシルかルボックス=デプロメールぐらいのものでしょ?・・・・・に支援された、典型的な「市民向けプロモーションサイト」であることを明言しておられます(p.104)。

 そうした製薬会社の支援を受けていることをサイト上ではっきりと「公示」した上でPR活動をすることは全然かまわないと思うのですが。

****** 

 特に、パキシル(パキセロチン)の発売元であるグラクソ・スミスクライン社の広報活動と不利な情報隠蔽体質に関しては悪評ぷんぷんたるものがあることは、検索すればいくらでも情報源があるが、私は敢えてここで、加藤忠史氏による「躁極性障害―躁うつ病への対処と治療 (ちくま新書)」すでに書かれていることから引用したい。

 以下、紫色の部分は「加藤氏の」この著作からの引用です: 

「それどころか、これらの新しい抗うつ薬が、うつ病にほんとうに効くのかどうかということまで、最近議論になってきておりまして、ちょっとその話題を紹介したいと思います。

 実は、抗うつ薬をうつ病の方に処方して、効いたかどうかを調べた臨床試験の結果は、論文になっているものといないものがあるのですね。

 そこで、アメリカにFDA(食品医薬品局)という薬の認可をなどを行っている部署があるのですが、そこの論文開示請求を出して、論文になっていないパキセロチン(パキシル)の臨床試験を出してもらった、という研究があります。

  そこで再解析したところ、論文にされていない臨床試験は、みな効果がない結果に終わっていました。論文になっているのは、効果があるものだけだったので す。それで、これはバイアスがかかっているのではないかという研究結果が論文として報告されました」(pp.177-8)

 加藤氏は更に続けて、その後の論文で、パキシルは中症から重度の患者ではプラセボ(偽薬)よりもやはり有効だったけれども、その効果はわずかで、軽症例では効果に差がないというものが公表されていることを示しています。

・・・・・・これらのことは、加藤氏の著作と重複する部分、加藤氏より詳しい部分があります。

 もとより、内容そのものは、医師向けの専門雑誌どころか欧米のマスコミでは繰り返し取り上げられてきた内容なので、不幸にして加藤氏の著作よりも「たった数ヶ月」刊行が遅れただけの冨高氏は、加藤氏がここまで書いているとご存知なかった可能性が高いかと思います。

*****

 更に加藤氏は、アメリカの臨床試験の厄介な問題についても言及しています。

 「アメリカではこういう臨床試験に参加した人に報酬を払うのです。報酬が出るとなると、お金だけがほしいといういう人もいまして、こういう臨床試験をいくつも掛け持ちする人が出てくるわけです。

 たくさんの臨床試験に偽名で参加して、報酬だけもらいながら薬は捨ててしまう。そして医師には、うつらしい症状を話しながら治ったふりをする。そういう人たちがいるのです(中略)。[これでは、]効くべき薬に[統計調査上の]差が出ません。飲んでいないのだから差が出るわけがない」(p.179-80)

・・・・・この問題については冨高氏は言及していません。

 むしろ、「二重盲検」という治験スタイルそのものに「倫理的な」問題があることが欧米では問題視されつつあることを指摘しています。

 その一方では、まさに「二重盲研」に基づくデータも結構活用しておられますが、これはやむを得ないでしょう。倫理的問題は別として、このやり方こそがエビデンスド・ベースドな最も厳密な研究法であることは確かでしょうから。

*****

 さて、この「製薬会社のプロモーション」の問題を考える際に、ちょっと視点を変えますと、実は同時に考えねばならない重大なテーマがあるはずです。

 それは、「薬価」の問題です。(中略)

 もし私がこの2冊の本で言及されていると嬉しいと思っているのは、そもそもなぜSSRI(特にパキシル!)の薬価があそこまで高いのかという問題それ自体です。

・・・・・パキシルの薬価が格別に高いことはお示しですが、残念ながら「なぜなのか」という「素朴な疑問」そのものについてはダイレクトに解き明かしていただけませんでした。

*****

 SSRIは、本国でも価格が基本的に高い薬なのですが、単順に経済的に考えて、もし「薬価」を法外に高くせざるを得ないやむをえない事情があるのであれば、特に保険制度を民間に依存しているアメリカでは、「プロモーション活動」に巨額の投資をせざるを得なくなるだろうということになります。

 それとも、最初からそのプロモーション費用を「回収する」見込みまで立てて、「薬価」が高くなるようにいろいろ偽装したということまでありでしょうか?

 このあたりについては、実に興味深いことを冨高氏は示唆しておられました。

「米国では95年から2000年までの間に、製薬会社の営業部門で働く社員の数は60%増加した。一方、研究部門で働く職員は2%減少したという。最近の調査によると、米国の制約業界全体では営業活動に570億ドル費やす一方で、新薬の研究開発には315億ドルしか使っていないという」(pp.78-9)

 こうした現象は、「製薬業界の化粧品業界化」と呼ばれているそうです。

*****

 次に、特に冨髙さんの本で、「鬱症状」の病態によって、使用する薬を変える必要性についてどこまで踏み込んだことをお書きになっているのかについても関心があります。

 Amazonの書評欄を見ると、本書の中で、「再発予防のためのリハビリの重要性」だとか、「(SSRI以外を含めた)多種多様な抗鬱剤の効果の程がわかる」とのことなので、この点はあまり心配しなくてよさそうである。

 ひょっとしたら、うつ病と誤診されやすい双極性障害II型において、リーマスや抗てんかん薬、場合によっては非定型薬、更には睡眠誘導剤が役に立つことについても言及されているだろう。

・・・・・ SSRIと他の抗うつ薬の副作用の出方の違いについては、冨高氏は慎重な筆運びで、良心的に、時には両論併記でお書きになっている。

 私にとって、双極性障害「II型」についての解説が、もっともな内容が書いてあるけれども、もの足りなかったことについては、直前の記事(第2版)で先行して書かせていただいたことを、リンクをたどって参照いただければと思う。双極性障害II型(双極スペクトラム障害)の人は、この冨高氏の本を読んでも肩透かしを食らうだけになります。

 古典的うつ病と、双極性障害「I型」(いわゆる「躁うつ病」)以外の気分障害についての取り扱いという点では、ちょっと弱い本だと思います。ほんとうにそれはプロモーションの弊害だけで説明がつくのか、私には大いに疑問符がつくのです。

***** 

 そして、薬物療法だけではなくて、医者の小精神療法やカウンセラーによるカウンセリングが連動していること、更には家族や雇用者側の対応についてまで踏み込んでくれていることを期待したい。

・・・・・総体的にはかなり突っ込んで描かれていると思います。

 もっとも、認知行動療法についての紹介は、この種の、認知行動療法のマニュアルやワークブックではない、鬱についての一般向け啓発本の中では「平均水準」でしょう(これは、私にとっては、少し物足りなくて平凡の域ということ)。認知行動療法以外のカウンセリングに特に偏見をお持ちの方でもないようです。

 認知行動療法について知りたい人は、何よりもまず伊藤絵美先生の「認知認知知療法・認知行動療法カウンセリング初級ワークショップ―CBTカウンセリング」を読まないと、認知行動療法についての基本的理解が間違ってしまうことは、すでにこの記事でご紹介したとおりです(一般の人でも楽々読める平易な本です。むしろ、流派に関係なく、達人の域に達したカウンセラーとはここまでクライエントさん思いの良心的な存在なのだと感じていただけるでしょう)。

 これを機会に申し添えますと、伊藤先生は、この本の中で、コラム表だけを渡して、さあやってみてくださいだけで、やって来れないと『あなたには認知行動療法は向きません』で済ませるようなあり方を、認知行動療法への誤解を広めるものとして厳しく退けています(pp.107-8)。

 次に、雇用者側の対応についてですが、冨高氏は、製薬会社の側のあり方と、企業内での、雇用者に対するうつ病についてのメンタルヘルス的な広報・支援活動の問題を完全に切り離して論じています。

 「だからと言って広報支援活動そのものを狭めるべきということにはならない。いったん広がった入口というより、出口(実際に鬱に罹患した人への企業の対応のあり方)をどうしていくかである」と。

 そして、何より予防的に効果があるのは、残業ルールを厳密に守ることであると、具体的に断言しています。

 更に、安易にEAP(メンタルヘルス関連の活動の外注)に依存することの弊害を説き、京セラ本社で、わずか1名の専属産業医師、山田達治氏と看護師1名で繰り広げた、緻密そのものの休職・復職支援活動の結果、2年間で「再休職した人ゼロ」という驚異的な実績を残したことを紹介している(pp.222-3)。

****

 「これはメタボリック・シンドロームと同じ構造である。以前だったらただの『小太り』が、今で病院受診や保険診療の対象となる。早期治療といった考え方もあろうが、いたずらに多数の『病人』が作り出されたとも言えるだろう」

  この部分は、冨高氏ではなくて、書評の春日氏の言葉であろう。

 (中略) 例えば、「ちょっとおなかが出ている人」とするだけでもニュアンスは変わる。

・・・・・メタボ啓蒙活動との比較論は冨高氏の著書に存在する。しかし、もちろん書評の春日氏のように、ただの『小太り』などという不謹慎に言葉は出て来ない。

「こういった基準を満たす、少しお腹の出た、収縮期血圧が130程度の軽度肥満の中年男性は、昔からいくらでもいた。しかしそれだけの理由で、そのような人々が病院を受診することはなかった」(p.152)

 春日氏と冨高氏の人柄の違いを感じさせられてしまう・・・・(^^;)

*****

 「ただ啓発運動が逆に病気でないものを掘り起こしているといった視点もある。『病気の押し売り』と評され、うつ病以外に小児の躁うつ病、男性型脱毛、性機能障害、ADHD(注意欠陥・多動性障害)、軽い高コレステロール血症などが欧米では批判されているらしい」

(中略)

  またもや加藤先生のご著書「双極性障害」に戻らせていただくと、実はすでにこの本で、「小児思春期の躁うつ病」問題について、第2章第4節全体(pp.47-51)を割いています。

 特にアメリカでは、一時期、ほんの3,4歳の子供まで双極性障害と診断され、薬物療法の対象になるケースが結構あったようです。

 加藤氏は、これに対して、大人の双極性障害に適応が認められている薬を、臨床試験なし子供たちに使うことができるアメリカの現状を危惧しています。

 2歳の時に「いつもそわそわして走り回っている」との理由で診断を受け、検査の結果、3歳になった直後に、ADHDすら飛び越して双極性障害と診 断され、非定型薬、気分安定剤をはじめとする1日10錠もの薬を飲んでいたそうです。そして4歳になって、薬の過剰摂取が原因で亡くなって、両親が第1級 殺人罪として起訴され、両親側は医師の指示に従っただけと主張したという事件があったとのこと。(CBSドキュメントによるとのこと。探せば今でもサイト 上に何かあるかな?)

 ADHDへの「精神刺激剤」投与の経験がある人に小児期の双極性障害発症が生じやすいという研究があることも紹介されています。

 そして極めつけは、次の事件。ここも加藤氏の著作よりの引用:

 「小児双極性障害の診断増加に中心的な役割を果たし、こうした子供に対する抗精神病薬治療を境に先 駆けて提唱していたのは、ハーバード大学のビーダーマン教授でした。最近、小児性双極性障害の権威である同教授とその同僚が、製薬会社から多額の現金を受 け取り、大学に報告していなかったという事実が報道されました(2008年6月8日 ニューヨークタイムズ)」

・・・・・この部分については、加藤氏の本のほうが少し詳しく、手厳しく、具体的なくらいかもしれません。

******

 おしまいに、この本を書くにあたっての冨高氏が思いを語った、終わりの方の部分から引用したい。

 「『SSRI発売後、日本全体でうつ病患者が急増した』と説明されても、気分を害す患者の方が多いのではないかと思う。うつ病で苦しんでいるのに、大局的な一般論を説明されると、不快に感じる人もいると思う。正直に言うと第1章から第3章までの内容に関しては、家族から患者に積極的に伝える必要はないのではないかと思う」(p.240)

・・・・・・しかし、読売新聞と春日氏(と出版元の幻冬社?)が、この本をここまでセンセーショナルに仕立て上げてしまった。

 私が言いたいのは、個々の製薬会社の個々の薬に関して、治験のあり方、副作用の問題、プロモーションのあり方が問題にされてしかるべきだけれども、十把ひとからげな医療不信を煽る発言は、患者を不安に陥れるばかりで危険だということです。

・・・・・と、私はこの前の記事で書きましたが、情報的にはネット界では結構知られていても、この種の一般向けの本がどういうわけか日本ではあまり出版されて来なかった中であえて出版に踏み切ったこと(しかも冨高氏のように、非常に冷静でつつしみ深い表現をなさるお医者様がお書きになったこと)に十分な意味はあると思います。

 ・・・・ですが、正直に言って、あの新聞の書評だけで、「おまえは大した鬱じゃない、働け!」やら、「薬を飲むのはやめなさい!」的な家族争議が日本のどれだけの家庭で発生し、うつの人の心を揺らし、混乱させたか(更に病院でも多くの患者さんとお医者さんとの間で騒動があったことだろうか)容易に想像がつく。

 そのような事態は、著者の冨高氏自身は全く望まなかった事態の筈である。

 それこそ、「プロモーションの恐ろしさ」ではないか!!

 冨高氏も、純粋に薬の効き目としてみた場合については、旧来の抗うつ薬よりSSRIの方が常に安全で副作用が少ないとはいえないことを、慎重に論じているに過ぎないのである。

 何しろ、冨高氏自身は、SSRIが自殺率が高いという、よく言われがちなことについては、ご自身の臨床経験からはむしろ懐疑的なくらいである。

*****

 私は、この本を、お読みになるとすれば、冷静に細やかに読解し、安易にこの本を振りかざして、「重たくない」とされるうつ病の人を軽視することに繋がらないことを祈ります。

 何と冨高氏自身も、本書の中ではっきり次のように書いておられる。

「会社員のうつ病は、統合失調症や重度うつ病より診断が楽ということは決してない(p.28)

 ・・・・よって、amazon的に言うと、複雑な思いを込めて★★★とします。

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2009/10/25

「久留米でうつと働き方を語る会」、次回は11/29開催です。

 順序が逆になり、申し訳ございません。

 「久留米でうつと働き方を語る会」本日、ささやかに第1回を開かせていただきました。

 昨日お書きしたように、すでに久留米市の「市民活動団体」として登録させていただきましたので、久留米市のいくつかの公的機関にチラシ等を置くことが可能になりました。

 もとより、あくまでも「久留米で」うつと働き方を語る会、と命名しているだけですので、以前もお書きしましたとおり、福岡県、佐賀県の広汎な地域の皆様にご参加いただくことを歓迎いたしております。

 わかりやすく申し上げると、「西鉄天神大牟田線・太宰府線・甘木線全沿線」、JRで言えば、「西は長崎線の肥前山口から、東は県境を越えて、大分県の日田市まで」にお住みの方で、体調と時間にそれでもゆとりがあるとお感じの方でしたら、自分でも参加していいのだろうかとお迷いにならないで下さい(^^)

 今回、ご都合で参加できなくなった方は、久留米市以外の、かなり遠方の公的精神保健福祉機関に私が情報提供をご依頼したデータに基づいて、その存在をお知りになったそうです。

 次回は確実に参加される皆様が増えるでしょう。

 ご参加エントリーの皆様の増加状況を見て、会場も久留米市内の別の施設(より交通の便のいい場所)に変更する場合もありますので、公式ウェブサイトでの最新情報にご注意ください。

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冨高氏の「なぜうつ病の人が増えたのか」、到着!!(第2版)

 今日夕方になって、この前の春日武彦氏の書評への感想記事で、書評の対象となっている本のうちの一冊として紹介した、冨髙辰一郎氏の「なぜうつ病の人が増えたのか」が、やっと楽天ブックスから届いた。思ったよりも時間がかかったが、「第3刷」となっているので、読売での春日氏の書評の影響もあり、増刷まで時間がかかったのだろう。

今回は楽天ブックスに義理立てして、楽天の方へのリンクだけにします(^^)

 (本を出版したことがある 方はご存知かもしれませんが、出版業界には、実は「第1刷」と「第2刷」までは、同時に印刷するという風習がある。少なくともある程度売れる見込みがある本だったらこのような態勢を敷いておくことが少なくないものなのだ。

 だから、「第3刷」を出せたかどうかというあたりからが、その本がほんとうに「売れた」目安なのである)

Nazeutsu

downwardleft何しろ、この「帯」がついているのだから、完全に読売の書評の後の再販ですね(スキャナ取り込み)。

*****

 ちなみに、私はこの前の「春日氏の書評」への記事を書いた段階で、その時掲載されていた、確か3件だけだったAmazonの書評以外の一切の情報を、この本について入手しないまま第7版最終稿まで書いた。

 マジに、私が立ち寄った久留米の書店にはその段階でこの本は置かれていなかったし、「立ち読み」もしていなければ、目次の内容の細目も知らないまま。

 自分の実力を試すスリルを楽しむ意味も込めて(ああ、やっぱり私はフィロバット!!)、書評の対象の本を全然読まないまま「書評そのもの」をとこまで厳密に批判できるかという賭けに出たわけですね(^^;)

 つまり、端から、春日氏の書評の書きぶりに違和感を強く感じたことと、書評の対象になっている、未だ読んでもいない本の著者への礼儀切り離すということは徹底的に遵守していたつもりです。

 私は、例えば、自分が観てもいないテレビ番組について揶揄するような輩はそれだけでちょっと距離を取りたくなるタイプですので。

 (・・・・・誰のことを揶揄しているのかは、私の同業者の若きネットユーザーの少なからぬ部分ならidentifyできるかと ^^)

*****

 今、冨髙氏の本の細かな目次を読ませていただいたばかりです。

 その結果、この前の記事で私が「判断の指標」として事前に提起させていただいていた条項の幾つもについて具体的に詳しくお書きになっていることは確かだと思いました。

 ただ、目次を読む限り、「双極性II型」(双極スペクトラム障害)とうつ病の鑑別と処方の違い、という、私がむやみとこだわる一点に関しては、ちょっと不安があります。

(その不安が「杞憂に終わった」時は、上の一文を残したまま、ここでそのことを明言します)

【第2版(09/10/26)追記】

 p.203に4行のみ言及があります。SSRIに限らず、抗うつ薬全般における「躁転」の副作用が双極性II型を増やした可能性(そこで言及していない用語を使えば、「物質誘発性気分障害」である可能性)についてである。

 これについては異論はないが、「物質誘発性気分障害」の診断基準からすれば、躁転を誘発する薬の服用をやめて4日後には気分変調症状が沈静しないとならないはずである。

 可能性としては、ほんとうは双極性障害II型の診断がふさわしい人に、未だに抗うつ薬中心とする治療が継続され、気分スタビライザ主薬の方向に切り替えられていないことだろう。

 しかし、現実には、抗うつ剤の安易の処方が双極性II型の素質を「開花」させたケースが非常に多いと仮定しても、このことが「トリガー(引き金)」となる形で、気分変調や軽躁とリバウンドとしての鬱の往復の慢性的長期化は、当事者にとっては投薬変更後もとてつもなく後を引くほど深刻な問題である、この点について、冨高氏の著作では結局言及が成されないままに終わった。

 結局、この著作は「うつ」についての著作の域を超えてはいない。

(追記終わり)

******

 いずれにしても、冨高氏のお書きの内容そのものは、春日氏の書評とはかなりイメージが違っていそうだ・・・・ということを、とりあえず最初のご報告として。

【第2版(09/10/26)追記】

 
ほんの3時間で完読できました(^^) そのくらい、私のこの前の記事ぐらいの事前認識があれば実に読みやすい、多くの点で説得力がある本ということです。この前の記事は、いい意味で、冨高氏の著作についての「読まないままの」書評であることにほぼ成功した!と断言できます。

 そして、著者の冨髙氏が、センセーショナリズムからはほど遠い、慎み深くて慎重な論の運びをするお医者様ということも保障できます。

 もとより、それでも、いくつか物足りなかった点もあります。

 しかし、それでも、春日氏の読売の「書評」だけでこの本の内容を掌握したつもりにだけは絶対にならないことをお勧めします。

 本日(10/26)の晩には、ついにこの冨高氏の本を実際に完読した上での、徹底的に中立的な、私の書評を掲載できるかと思います。

(第2版での追記終わり)

*****

 ちなみに、思いもよらない成り行きで、レーン氏の本の邦訳のほうも、近日中に「ご提供」下さる方が現れそうです(^^)

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10/26(月)、11/9(月)、11/24(火)、それぞれ午後2時までは、福岡市内への出張のため臨時休業とさせていただきます。

 私が開業している久留米フォーカシング・カウンセリングルームは、このようなペースで、当面隔週月曜日(月曜が祝日の場合は後ろにずれて火曜日等)は、午後2時くらいまで半日休業とさせていただきます。

 よろしくお願い申し上げます。

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2009/10/24

「久留米でうつと働き方を語る会」が、久留米市役所の「ボランティア情報ネットワーク」のサイトに登録されています。

 こちらからご覧下さい。

 2,3年後までにはNPO化を目指すつもりです。

 本日、久留米市市民活動サポートセンター(みんくる)で開催されたNPOの講習会にも参加しました。

 講師の先生方の懇切丁寧なご指導に感謝いたしております。

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2009/10/22

「魔女の宅急便」記事へのあと書き

 

 昨晩アップした「魔女の宅急便」エントリー、意外にも、私がこのブログで、宮崎駿さんの作品についてはじめて「メインテーマとして」書いた記事(のはず)です。

 今回の記事、当ブログ恒例の「越境領域ワープ」の連発型の記事ですが、2日前にアイデアが浮かんで、念のためにDVDを昨日見直す前に完璧にアウトラインは頭の中でできていて、それをそのまま「書き出した」に等しい記事。内容が途中で脇道に外れるようでいて、結論に向かって徐々に導いていく構成にできていると自負しています。

 読者の中にはお気づきの方もあるでしょうが、誤字修正以外ほとんど何の修正もしないまま、いきなり「決定稿」にできた珍しいケースです。

*****

 この作品が封切られたのは1989年、つまり今からもう20年前になってしまったのですね。

 今のシネコンプレックス型の映画館ではできなくなった、同じ映画を同じ日に繰り返し観るという形で、一日で3回観て以来(当時28歳)、ビデオやDVD、テレビ放映でも観直したことがなかった作品だったのですが。

 思春期からはいよいよ遠ざかったにもかかわらず、キキの心情に遥かに高解像度で感情移入できてしまう自分に驚きました。 

 それはひとつには、私自身が、湘南時代に、キキと同じように、「異郷の地」で「個人開業」、しかも基本的には「待機労働」の性格を持ち、突如の依頼で忙しい時と、全然「電話が鳴らない」時のギャップをもろに体験したことも大きいのではないかと思います。

*****

 それにしても、キキの、思春期の少女ならではの、一見唐突なまでの感情の激変ぶり(すでに前の記事で描いたとおり、それらにはすべて具体的な引き金となる小さな事件があってのことなのだが)を、画面の力だけでここまで表現し切れる宮崎さんの力量には、今更ながらほんとうに驚かされる。

 キキが落ち込んだ時の、突然の身体の弱り具合まで、手に取るようにわかる。歩き方ひとつとっても、別の登場人物には歴然と別の身振りで歩かせる(一緒に歩く時のキキとウルスラの違いがわかりやすいですね)。

 こういう「職人芸」に関しては、やはりまだまだ後継世代は「盗みまくる」努力を惜しむべきではないだろう。

 壮大なテーマで描かれてもいないために、この作品は現在、宮崎作品の中では意外と地味な評価に甘んじているようだが、この、心情表現の「画面だけでの、理屈抜きの表現のマジック」という点では、他の宮崎作品と比較しても、格段にその良さがわかる作品かと思う。

 ほんとうに、CG導入以前のアニメーションの、最も高度な表現世界が集積された、いい意味での「古典」になりはじめた作品かと思います。

 子供の頃観た皆さん、どうかもう一度観てみて下さい。遥かに感情移入できることに驚かれるかもしれません。

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2009/10/21

やさしさに包まれたなら -「魔女の宅急便」とバリントのフィロバティズム-

 キキは突然飛べなくなった。

 最大の引き金は、依頼人のおばあさんがせっかく孫娘のために心を込めて焼いた包み焼き・・・しかもその完成のためにキキも古い薪オーブンを稼動させるお手伝いをしている・・・を、突然の雨にずぶ濡れになりながら届けた先の孫娘の反応、

「だから、いらないって言ったよ。あたし、このパイ嫌いなの」

との言葉と共に扉が冷たく閉ざされたことだった。

 キキは下宿先のオソノさんの心配りもあって一度は立ち直る。しかし、せっかく初デートに出かけたトンボの友達に「あの孫娘」が含まれていると気がついた時、突如豹変して家にひとりで帰ってしまう。

「ジジ、私、どうかしてる? 素直で明るいキキはどこかに行っちゃったみたい」

 ところが、ジジはただの普通のネコのようニャーと応えるのみ。ジジはすでに恋人のメス猫ができてから、関心がそちらに向かい始めて以来、「普通のネコ化」が徐々に進行していたようだが。

 しかし、ジジの言葉が解せさなくなったことに気がついた瞬間、キキは嫌な予感に襲われ、箒(ほうき)にまたがってみる。

 魔法の力が、ほんとうに弱くなっている。

 それでも飛ぼうと繰り返し試みるうちに、旅立ちの際に母から譲り受けた箒そのものが折れてしまう。

 こうして、キキは完全に、故郷との「つながり」の証し、(人語を解するジジと母の箒)、すなわち、精神分析的対象関係論のウィニコットが言う「移行対象」を喪失する。

ウィニコット/遊ぶことと現実 (現代精神分析双書 第 2期第4巻)

(楽天ブックスはこちら

 生まれ故郷から大都会に舞い降りた段階から、何か人との間に、独特のよそよそしい「隙間」を感じることが時たまあることに当惑し続けていたキキの慢性的なストレスは、ついに限界に達したのだ。

 キキの生まれ育った故郷とは、我々の少なからぬ部分が、遥か彼方の幼児期に体験していた、世界との幸福な一体感、まさに「やさしさに包まれた」頃の体験世界の理想化された象徴である。

 (・・・・それにしても、宮崎駿さんの、キキのくるくる変わる感情の移り変わりを画面上だけで表現し切れてしまう力は、今観直しても、とてつもない域ですね)

****

 キキに救いの手を差し伸べてくれたのは、すでに偶然の縁があった、夏の間は森に住む、絵描きのウルスラだった。

 ウルスラは、前にキキに会った時の印象に触発されて、一枚の絵を描きつつあった。しかしキキに当たる少女の顔の部分の表情がどうしても決まらないで、その絵をやめてしまおうかとすら思い悩んでいた。キキ自身をモデルに写生することから立て直しを図りたくてしかたなくて、なかなか再来しないキキに会いに行ったというのがほんとうのところだろう。

 ウルスラはキキを写生しながら思わず口にする:

「あんたの顔いいよ。この前よりずっといい顔してる」

 落ち込んでいたキキは、恐らくこの言葉に内心きょとんとしたことだろう。

「魔法も絵も似てるんだね。私もよく描けなくなる」

 寝る前の語らいの中で、ウルスラは口にする。

「そういう時、どうするの? ・・・・私、前は何も考えなくても飛べたの。でも、今はどうやって飛べたのかわからなくなっちゃった」

と、思わず尋ねるキキ。

「そういう時にはじたばたするしかないよ。画いて画いて画きまくる」

「それでもうまく行かなかったら?」

「画くのを止(や)める。散歩をしたり、景色を観たり、昼寝をしたり、何もしない。・・・・そのうちに、急に画きたくなるんだよ」

「なるかしら?」

「なるさ。・・・・私も絵を画くのが面白くって仕方がなくて始めたんだけど、ある時、画いた絵が気に入らなくなった。誰かの真似に過ぎないって気がついたんだよ。どこかで見たことあるってね。自分の絵を描かなくっちゃ!ってね。・・・・でも、その後、少し前より、絵を描くってこと、わかったみたい」

 ・・・・このウルスラのセリフ全体が、宮崎さんの経験談それ自体であり、肉声そのものであることはつとに知られているだろう。

 「魔法って、呪文を唱えるんじゃないんだね」

 「うん、血で飛ぶんだって」

 「魔女の血、絵描きの血、パン職人の血、神様かだれかが与えてくれたんだよね・・・・おかげで苦労もするけどさ」

 ウルスラが、夏場は森の中でひとりで生活し、冬場は都会ではなくても、すでに開拓された田園地帯か何かで生活するという、森と平地との間「辺境人」的性質を持つ存在であることは興味深い。

 精神科医の中井久夫先生が、壮年期の二大名著、姉妹作というべき「分裂病と人類」「治療文化論―精神医学的再構築の試み」で強調するところによれば、洋の東西を問わず、古来、森の中とは人間界から切り離された「異界」であり、森の中に独居する、「薬草を栽培する老婆の文化」は、地域共同体の辺縁に置かれつつも、地域治療文化の大事な一部として暗々裏に統合されていた。

 それがいわゆる「魔女狩り」の対象とされるのは、実は中世のことではなく、宗教改革以降の近世初頭以降の出来事であることは、実は誤解されがちなことである。

 ところが、ヨーロッパにおいて、多くの宗教者や社会改革家(急進的な「世直し」をしようとする人たち)、そして近代の「力動的」精神医学の基礎を築いた大家たちの故郷は、非常に多くの場合、こうした「すでに切り開かれた平地」と「森」の辺縁地域の出身者が多いことを中井先生は指摘する。

 フロイトの出身地然(しか)り。ユングの出身地然り。精神分析が発展を遂げたヴィーンそのものが森の都に他ならない。

 ウルスラが、この物語の中で、図らずも魔女であるキキの癒し手として機能できたのは、ウルスラ自身が、そのような俗世間と森の世界の「境界人」的側面を強く持っていたからではないかと思われる。

 これはこじつけでもなんでもないと思う。

 宮崎さんだって、思っているはずだ。アニメーターなんて、世間の桧舞台に立つのは実はおかしくて、もっと「ひっそりとした」「地味な」商売だったはずなのに・・・・と。

*****

 さて、この作品に限らず、宮崎作品の飛行シーンは、他の誰も真似ができない域のものであることはよく言われるとおりである。

 そのことの最大の秘密は、実は宮崎さんが、飛行を支えているのは空気に他ならないということに徹底的にこだわっているためだと思う。

 日本のアニメは、「宇宙戦艦ヤマト」の時代から、宇宙空間を中心に飛行シーンを描くことに特異的に発展したために、この「空気があっての飛行」ということに対する感性がアニメーターの間でほんとうには熟成されないままになりがちだった。

 振り返ってみれば、これまで宮崎さんが関与した作品の中で、宇宙空間を舞台にしたものが、果たして一本でもあったろうか???

 飛行機乗りは、そうやって「大気を味方につけ」ないと飛行機を操れないことを嫌というほど知っている。

 そして、更にはその大気との関係と共に重要なのは、飛行するための道具としての「機体」と操縦者が、自分の体の延長であると感じられるところまで「一体化」できるかどうかである。

 この「魔女宅」のクライマックスシーンにおいて、故障し、大破した飛行船にぶら下がったトンボを助けんがためにキキが活用したのは、たまたま通りがかりの清掃夫のおじさんが持っていた、ありきたりのデッキブラシだった。

 キキがこのデッキブラシの操縦に手こずったのは、スランプ脱出直後の初飛行のためばかりではなかろう。更に、単に箒の場合とは勝手が違うというだけですらなく、心を込めて魔女が手作りしたハンドメイドではなくて、量産型の既製品だったからに他ならないだろう。

 おかげでその「機器」との「対話」が成立しにくいのだ。「人馬一体」にはほど遠い。

「こら! いい子だから言うこと聞いて!」

「まっすぐ飛びなさい! 燃やしちゃうわよ!」

 このような、「モノ」に過ぎない筈の対象に身体ごと「潜入(dwell in)」して、試行錯誤の身体的「対話」を重ねて、はじめて高度な習熟スキルとして自在に操れるという点が、単なるマニュアル的な「技術(technique)」と習熟的な「技能(skill)」の違いであることは、ハンガリー出身の科学哲学者、マイケル・ポランニ(ポランニュイ・ミハイー)の「暗黙知の次元」 で詳しく述べられている。

 そして、このような、多くの人にとっては身の危険を犯すスリリング過ぎる活動(曲芸や楽器の演奏やスポーツなども含まれよう)に没頭する人たちのことを、ハンガリー出身のイギリスのもうひとりの精神分析の大家、マイケル・バリント(バーリント・ミハイー)は、「フィロバット」と呼んでいる。

バリント/スリルと退行

バリント/治療論からみた退行―基底欠損の精神分析

 (このバリントの2大名著はまたもや再販されない状態に入ったみたいなので、この件については、私の学会発表時の添付資料としての2冊の抜粋がPDFとしてサイトに載せ続けているので、興味のある方はこちらからご覧いただきたい)

 「フィロバット」的人物=「フィロバティズム」が優勢な人物においては、はっきりとした輪郭と「固形の」性質を持った、「反発(objection)性」がある、自分からは独立した「対象(object)」との関わりに生きているのではない。

 古代ギリシャから言われてきた四大元素、すなわち、「土」「水」「火」「風=空気」という、自由に形状を変え、流動的で、対象を「包み込む」こともできる「前-対象」との友好的(frendly)な関係の中に生きている。

 バリント自身の言葉を借りれば、「魚にとっての水のごとき」環界との友好関係信頼していられないと、自由闊達にそのスリリングな能力を発揮できないのがフィロバットなのだ。

 突如別のアニメ・コミックを引き合いに出せば、「キャプテン翼」の名言、「ボールは友だち」の世界である。

 観ている人は、サッカー選手がいとも鮮やかにボールを「操って」いるかに見えるかもしれない。しかし、選手の主観は正反対のはずだ。まるでボールの方が自分のために最大限の協力を惜しまないかのようにして自発的に協調してくれているという感覚のはずである。

*****

 ところが、このフィロバディズムを生きる人たちは、自分をつつむ外界との圧倒的な信頼感・一体感に亀裂隙間が生じると、たいへんな危機を迎える場合がある。

 キキが陥った「飛べなくなる」状況は、まさにその典型だろう。あの孫娘が冷たく扉を閉じた瞬間、キキとキキを包む「世界」全体の間に深刻な「壁」と「亀裂」「隙(す)き間」が立ちはだかったのである。

 キキはもはや心から自由に「呼吸」することができない状態に陥った(風邪を引いた)。そして、せっかく心が通い合ったかに見えたトンボが、「あの孫娘」とも友達であると知った瞬間、トンボも「向こう側の世界」=「同じ空気を吸ってはいない存在」ではないかという疎外感に一気に引き込まれ、キキは自ら心を閉ざしたのであろう。

 (確かにそれはキキのひとつの思い込み・・・いかにも思春期的な・・・に過ぎず、エンディングではこの孫娘と二人が親しく会話しているシーンが挿入されてすらいる! これは単にキキが有名人になったからだけではなくて、その後交流するうちに孫娘の人間の全体像が見えていなかったことにキキも気づいたのではなかろうか)

*****

 不幸にしてそうでない人もいるが、多くの人は、全く天真爛漫に、世界との一体感に浸り、心安らかに浸っていられたかすかな記憶のようなものを抱えて生きている。

 そのさりげない記憶の世界でその人を「包んで」いる「やさしさ」とは、必ずしも人からのやさしさではないはすだ。

 陽の光、何げない風景の一つ一つ、それどころか室内の家具調度のひとつひとつ、つまり、自分を包む「世界」全体が、自分をやさしく見守ってくれているかのような体験だったのではないかと思う。

 (私がそのことをはっきり思い出した時の記録は、先述の学会発表時の論文集の本文の方にエピソードとして記載している。そちらもPDF化してあるので、興味のある方はこちらをご覧いただきたい)。

****

 さて、「魔女宅」のエンディング・テーマは、ユーミンこと荒井由実(松任谷由実)の初期の名曲、荒井由実 - ミスリム - やさしさに包まれたなら「やさしさに包まれたなら」である。

 こちらからリンクをたどっていただいて、歌詞をもう一度丁寧に読みなおしていただくと、ある事実にお気づきになるかも。

 ここに登場する「やさしさ」で包んでくれる存在の「正体」(?)とは、実は恋人ですらなく、生身の人間ですらなく、世界そのものだということ。

*****

 そして、きっと、

> 大人になっても、奇跡は起こる

のである。

*****

 ところで、エンディングをよく観ると、キキの乗っている箒は、掃除夫のおじさんに「必ず返します」と言った筈のデッキブラシのままなのである。

 トンボが作りつけてくれた鋳物の看板ですら、デッキブラシ姿ですよね。

 これは単に「事件」を解決した象徴だからとか、縁起かつぎ(?)などではなくて、ひょっとしたら、キキ自らが「選択した」行動だとも思えるのですが。

 このあたりの意味、考えてみるに値すると私は思えてきました。

*****

 この記事への「あと書き」がこちらにあります。

 【追記】:この記事の姉妹作(?)となった、「崖の上のポニョ」論はこちらです。

 バリントの「治療論からみた退行」についての総論を、こちらで書きました。

魔女の宅急便 [DVD]

MISSLIM(「魔女宅」で使用されたのと同じ、テンポの速いバージョンが収録)

●王子のきつねさんサイトでユーミンの代表曲のYouTubeをまとめたエントリーへのリンク

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リアルワールド傾斜傾向?

 今の私って、「純粋にプライベートな」事柄はこの雑記帳のほうにも書かない代わりに、実際に「業務関連で」やっているリアルワールドでの活動の意外と大きな部分は、実は全然このブログで書かなくなってきている(つまり、それだけ「外回り」が増えているということです)ので、ブログの記事の掲載もやや不定期化しています。

 私の仕事って、すごく日によって忙しさに「むらがある」し(幸い、湘南時代よりも経営的には堅実なペースで伸びています。2年かかったことが1年で済んでる)、なぜ湘南時代にはやらなかったのか? と今になっては感じられる、「リアルワールドでのネットワーキング」を大事にし始めているので、何をどこまで話題にするのかにも慎重です。

 つまり、以前ほど、パソコンの前に座らない時間が長いということにもなります。

 その分、いろいろメール等を含めて「速攻性」が低下している場合があることを、どうかお許しください。

 前の記事で、半日休業の時間帯まで明記したのもそのためです。これからは開業サイトにもこまめにこの種の「日帰りミニ出張モード」を明記していくつもりです(仕事関係やクライエントさんですら、もっぱらこちらのブログの読者の方がいるので、気がついていただく機会を増やすために、敢えて「業務連絡」もこちらに時々書きます。湘南時代最盛期も一時期そうでしたけど、そろそろそれを復活させる必要があるくらいに「入り組んで」きました)

 これ、読者「でもある」方々の一部の方に向けてのメッセージなのですが、この場を借りて。

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2009/10/20

10/24(土)午後12:30以降は、出張のため、臨時休業とさせていただきます。

 遅くとも18時ごろには戻る予定です。

 留守電対応はしていますが、ナンバーズディスプレイが機能しない回線ですので、電話番号を必ずお伝えください。

 特に翌10/25(日)「久留米でうつと働き方を語る会」に関するお問い合わせの皆様、どうかお許しください。

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予告! 明日には「カウンセラーこういちろうの雑記帳」ならではの大物「越境ジャンル」ワープ記事登場!

 今日はこの後仕事でまだ書けませんけど、明日には、この「雑記帳」ならではの、予想外の領域に「ワープ」する大規模な記事を書く予定です。

 対象となるのも「超ビッグな」人たちばかりでして(^^;)、しかもその中のお一人は、「なぜこういちろうが、この人の作品をメインテーマとした記事を、このブログで、ただの一度も書いていなかったのか不思議」というくらいにメジャーですが(^^)

 記憶だけで書くとセリフが少し曖昧になりそうなので、厳密性を重視、敢えて今日DVDをレンタルで仕込んで参りました。

 お楽しみに!!

*****

 【追記】

 完成しました!以下の記事です。

●やさしさに包まれたなら -「魔女の宅急便」とバリントのフィロバティズム-

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2009/10/19

「久留米でうつと働き方を語る会」の案内チラシ

●久留米でうつと働き方を語る会 公式サイト

 一からはじめたこのクループ、すでに10/25(日)参加ご希望の方が出始めています。

 今回はJPEG形式の「画像ファイル」としてご紹介します。

 PDF版と異なり、こちらは背景色を印刷物と同じに調整しています。

Kruutsu_chirachi_2

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2009/10/18

加藤和彦さんのご冥福を、謹んでお祈り申し上げます。

 北山修先生も、さぞお悲しみのことでしょう。

 このブログで、恐らくもっとも繰り返して引用した歌、en-Ray - Chai Chai サントリー烏龍茶ソングコレクション - あの素晴らしい愛をもう一度「あの素晴らしい愛をもう一度」

 iTunesにオリジナルの歌声はないので、ダ・カーポによるカバー・バージョンで恐縮ですが。

Crm0910171556014p3

 共同通信社の画像より拝借させていただきました。1968年当時のザ・フォーク・クルセダーズ。左から北山修、加藤和彦、はしだのりひこの3人のメンバー。

 関連事項を、王子のきつねさんサイトのこのコメントで書かせていただいています。

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2009/10/17

陸上の為末さんの「5%理論」

 陸上の為末大さんが、ココログにあるオフィシャルブログ「侍ハードラー」で、「5%理論」というエントリーを書いておられます。

 為末さんの、料理や芸術、ビジネスまで引き合いに出す、視野が広くなおかつ哲学的ともいえる文章に、独特の感銘を覚えました。これは全文読んでいただくことがふさわしいと思いますので、ここでは引用等は控えさせていただきます。

 ココログニュース(ここに記事全体の要約があります)でこの記事の存在を知り、コメントとして書かせていただいたことを推敲かつ相当「増補」して、以下に転載させていただきます。

*****

 私は体調を崩して復帰して以来、基本的には5%どころか10%の余力を残すように心がけていますが、それでも「短距離走」が必要な時になると「残 りの 1.5%(為末さんと同じ数字では僭越ですので)」ぐらいにはにこだわります。そしてその後は、リバウンドを警戒して、意識的に15%以上の余力を取る時 期をしばらく作ろうとしますね。

 得てしてそれを踏み外して、連続して「残りの1.5%」モードで動くこともありますが、最悪、そうしたイベントが「3連続」になることは可能な限り回避しています。

 それに、残りの1%を追求するあまり、「遊びがなくなり」過ぎて、逆に創造的なものが賦活しないこともままあるかと思います。

 絵描きの多くは、時々キャンパスからかなり離れて描きかけの絵を「眺めて」みて、再び細部の制作に取り組む人が多いときいています。

*****

 「努力」ではなくて「熱中」が望ましいという意見を、精神科医の泉谷閑示氏が「うつにまつわる誤解」シリーズの第22回、<「努力」に価値を置く危険性――「ウツ」を生み出す精神的母体>でお書きです。

 以前も紹介しましたが、泉谷さんのこのシリーズは、たいへんに平易な形で、特にビジネス社会に生きる人たちの鬱との関わりについての実践的処方箋を書いて下さっていて、好感を抱いています。

 今回も、敢えて「努力」と「熱中」を対比的にとらえるという形で解説した意図は十分に伝わります。

=======以下引用=======

 ある野球少年が、毎日熱心に日が暮れるまで練習をしていました。そして、その野球少年は、後々、大リーグで活躍するほどの選手にまで成長したとしましょう。

 その近所に住んでいた家族がこんな会話をしています。「○○君は、毎日欠かさず日が暮れるまで努力したからこそ、あそこまで成功したんだ。やっぱり、人一倍努力した人間が最後には勝つんだ」

 しかし、当の本人にこの話をぶつけてみると、意外にもこんな反応が返ってきました。「いや、僕は人一倍努力をしたという自覚はありません。ただ野球が好きで、もっとうまくなりたいという一心で、やりたいからやってきただけなんです」

 これは他愛のないフィクションに過ぎませんが、様々なジャンルで活躍している人たちの発言をいろいろと総合してみると、かなりこれに近い現実があ るように思えるのです。つまり、本人にとって「熱中」と呼ぶべきものを、ともすると、傍で見ている人間が「努力」と誤って見てしまうのではないかということです。

=======引用終わり======

 
これについてはなるほどと思ったのですが、このしばらく後のほうの部分、

=======以下引用=======

■「努力」をやめても「熱中」が待っている

 人間は、自分の内に抱えている言葉によって、知らず知らずのうちにその在り方までもが規定されてしまう特殊な生き物です。

 ですから、「努力」という〈龍[こういちろう注:超自我のようなもののことを指す] 〉の言葉を信奉していることによって、私たちは奴隷的な〈駱駝〉の状態に縛りつけられてしまい、生き生きした状態から遠ざかり、場合によっては「うつ」状態にすら陥ってしまうのです。

 そこで、「努力」という言葉を捨て、自発性・創造性に満ちた〈小児〉の遊戯を表す「熱中」を新たなキーワードとして立ててみることが、私たちの在り方を少しずつ生命力に満ちたものに変えてくれる秘訣だと言えるでしょう。

 しかし、もし「努力」というスローガンを手放してしまったら、自分は何もしない怠け者に堕落してしまうのではないかという恐怖心を強くすり込まれていることも珍しくありません。これもまた、私たちを〈駱駝〉に縛りつけておくための、巧妙な〈龍〉のやり口なのです。

 〈駱駝〉の従順な勤勉さを脱したとしても、その先に待っているのは決して堕落した自分の姿ではなく、〈小児〉の創造的「熱中」があるということ。これが、窮屈な〈駱駝〉の自分から脱していくうえで、欠かせぬ大切な認識です。

 人間は、義務に束縛された状態から解放された後、ある期間は反動として「何もしたくない」という状態を経過するものですが、それが満たされた後になってまで、何もしない退屈さや単調さに耐えられるほど忍耐強くできてはいません。必ずや、何か「熱中」できるものを探し始め、創造的遊戯を行なおうとする積極的な生き物なのです

=======引用終わり======

 と結ばれた時、私の中に、確かにもっともなんだけど、これはちょっと「熱中」肯定論になり過ぎていると感じはじめたのです。

 ・・・・・泉谷氏は、あまりにもうつの人向けの視点から書くあまり、躁鬱の悪循環という視点が抜け落ちてしまっている気がして来たのです。

 つまり、熱中というのは、ある意味で軽躁状態と親和性がある状態です。中井久夫先生が「楽しいことでも疲れる」という名言をお書きですが、「がんばる」という形ではなく「思わず熱中する」場合ですら、そこに心身の解放だけではなくて、心身に負荷をかける側面は必ず並存しています。

 だから、熱中した挙句にいとも簡単にリバウンドを起こして、うつ状態に逆戻りということは、回復期の鬱の人、ましてや双極性2型の傾向が強い人にはままある筈。

 「興味と好奇心で熱中し始めて」いたはずのことが、いつの間にか「強迫性」にすり替わるリスク・・・・これはうつの人全般に見られがちな心性だとお思います。

 今回の泉谷氏の記事に、そうした側面への配慮が、一言でもいいから添えられていて欲しかったと思います。

*****

 話を為末さんの記事に戻します。

 為末さんも当然、試合後には消耗からの回復のための期間をお取りになっていることと思います。「成果として」創造的・生産的であるということと、その人の心身への負担は別問題ですから。

 それに対して、「努力」(ましてや人から発破をかけられるだけの形での努力)だけでは突き抜けられないことも多いように思います。為末さんには、「こだわり」という側面が強く、「努力」と「熱中」の両面を兼ね備えたものであると推察いたします。

 結局、計算を超えてギリギリまで追求する側面と、長期的な視野の元でバランスを意識して安定と継続性を確保することが、個人レヴェルではその人なりのバランスで、そして、社会レヴェルでは、それぞれのアプローチに向いた人が自然と「分業」して(時には相互に軋轢を起こしながらも)やっていくのが、人類全体にとっては望ましいのではないでしょうか?

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2009/10/14

カラーペーパー探して天神を巡る

 今日は福岡の天神近辺に所用もあって出かけたので、「久留米でうつと働き方を考える会」のチラシにふさわしいカラー印刷用紙も探す機会にすることにした。久留米あたりではそうやすやすとはパソコン使用に向いたカラー用紙は見つからなかったからである。

 探せば久留米でもあったのかもしれないし(久留米ICが目の前の東合川のベスト電器の久留米本店までは自転車でもさすがに距離がある)、注文すれば取り寄せてもらえるに違いなかったが、早く作りたいのと、すでに店に置いてあって、しかも安く売っているところを見つけたかったからである。

 個人的にはこんな萌黄色系のを捜し求めていた。国産のだとコクヨのKB-KC139NG みたいなの。

楽天だと送料込みで考えるとここのが一番安いかも?

 製造直販メーカーとしてはこんなところのもある。

ペーパーミツヤマ

 最初は以前から場所は知っていたダイソー(ショッパーズプラザ(ダイエー)の中にあります)とかにもないかと思ったが、「色画用紙」の世界に突入してしまう。2,3件文具屋も回ったが、紙質が厚過ぎるか、「お取り寄せ」扱いだった(たまたま運が悪くて、天神界隈でもきっとお店にもよるのだろう)。

 この段階で、私は、やはりビックカメラかヨドバシカメラのようなパソコン売り場面積の広い大店舗狙いだね! という方向に一気に切り替えた。あれば価格設定も高くないはずだし。

 ところが、博多駅近くにヨドバシがあるのは以前から知っていたが、天神ともあろう土地のどこにその種の大型カメラ店があるのか???

 渡辺通り側を見渡しても姿が見えず。何しろ久留米に帰ってから、天神に出たのはまだ数回めという有り様だったので。

 幸い、この日は、先ごろ私が現在携帯として使っているウィルコムの機種のカメラのピント自動調整がうまく行かなくなって、突然すべてピンボケになってしまったので、本体交換となり、その間のつなぎの代品(ネット関連で最低必要な、異様に偏った漢字変換能力しかないという、数年前の機種!)から本来の機種に再度交換してもらうためのサービスステーションでの受け取りも兼ねていた。

 そこの店員さんに「天神の大型家電量販店はいずこぞ?」と、ことのついでにお尋ねすることにしたのである。

*****

 ここで話は一度横道にそれるが、実は、福岡市、春日市より南は、人口30万を誇る福岡第3の都市、久留米市をを飛び越して、いきなり大牟田市まで、ウィルコムのサービスステーションは存在しない!!(もちろん新規購入できる場所は久留米にも幾つかある)

 最近でこそウィルコムは、"ZERO3"や"es"の成功を受けて、パソコン用の高速データ通信一辺倒路線から、"PHS携帯"としての路線を重視する方向に再転換したようだ。"es"登場以前は、通常の携帯会社より2年は遅れたデザインで平然としていたのが嘘のようである。だが、"es"の段階ではややマニアックな面があったと思う。

 Windows mobile(昔で言えばWindows CE)まで搭載しなくていい、あくまでも携帯専用OSだけでいい、フルキーボードも不要、でもデザインもおしゃれでもあるという、敢えて大手携帯3社に再挑戦しようという方向に、この1年ぐらいの間に、あれよあれよと急変貌。

 今一番売れているのは、HONEY BEE 2/WX331KCらしいし、これだとちょっと子供っぽく思える向きには、WX340Kもある。

"03"と名を改めた往年の記念碑的機種の後継機は、フルキーボード搭載だが、"es"に比べても、妙に操作しずらいゴテゴテ感が一掃され、機能性がぐんと高まった。

 一方、メカっぽさを強調して若い男性を意識したのが、X PLATE/SWX130Sシリーズだろう。

*****

 実は、つい先日まで、天神のウィルコムのサービスステーションは、福岡(天神)駅前のビルなのはいいが、日曜日は休業日だったのである!!

 サービスステーションが入っていたテナントビルが、官公庁出先機関が多く入居するタイプのオフィスビルで、ビル全体が日曜日シャッターが降りているという、今時信じがたいビルだったので止むを得なかったのだろうが、このことを知らないまま一度代品を受け取りに行った私は(他の仕事上の用件もあって天神に出たからまだよかったのだが)愕然としたのである。日曜日にサービスステーション閉めるなんて、本気で顧客を広げる気があるのかとも感じていた。

 ところが、いつの間にかサービスステーションの電話番号まで変わっていたので確認すると、西天神二丁目、つまり新天町を突き抜けて西鉄グランドホテルの向かい側、警固神社の北の方という、福岡(天神)駅から歩いて3,4分はかかる場所ではあるが、ちゃんと通りに直に面して、しかも年中無休で営業するようになっていたから、ウィルコムの新規開拓へのやる気は本物だと思った。

 そして、行ってみたら、いつの間にか「高校生なら3年間通話料半額、しかも3ヶ月間無料」キャンペーンまで張っている。九州という、au(CMが派手な割には、相対的に高額な料金体系や、次世代高速通信含めて、今後の戦略、大丈夫かね? 友人は今度携帯を代える時にはauやめると明言している)やソフトバンク(料金体系における、容易に他会社に乗り換えられない戦略がえげつないが、商売だから、こっちが購入時に賢くなるしかないか?)が強い土地柄に本気で挑んでいるようである。

ウィルコムストア

*****

 こうなると、実はそこから最寄りの大型家電量販店までは遠くないのでは? という勘はあたった。店員さんの教えてくれたビックカメラ天神店への道順はシンプルだった。

 なのになぜその存在に気がつきにくかったのかというと、2号店の場合には、駅との間に新天町商店街、その隣の岩田屋デパート本館と新館の大きな敷地、更に警固神社の鎮守の森が隔てていて、ビックカメラのビルがほとんど見通せないことが大きかったせいだと思う。周囲の他のビルに比べて高層というわけでもないし。

 1号館に至っては、灯台もと暗しをもろに地で行っていた。つまり、西鉄福岡(天神)駅と隣の薬院駅の間が高架になったそのガード下そのものに、ひょろ長く店舗を構えていたのだ。

 実は、高架下を横断する道ひとつを隔てて、福岡(天神)駅の一番南端の「南口」があるのだが、実はこの改札口は福岡(天神)駅で一番地味な改札口で、地下鉄七隈線の天神南駅(地下鉄空港線とは、地下街を延々歩くのを別にすれば全く接点がない)をはじめとする、そちらの方角に特に便利がいい人でないと気がつかない可能性がある。

 この前、福岡(天神)駅前に降り立ち、向かい側に横断して振り返ると、まるで「城壁」のように駅ビルが立ちはだかると書いたけれども、西鉄福岡(天神)駅は、私が大学時代に帰省するあたりまで慣れ親しんだ頃からすると南に二、三百メートルばかり移動させて、しかも駅中央口から南側に三越デパートを新規開店させ、ホームも10両編成まで対応できるように長くした(・・・・といっても西鉄の最長車両は今のところ7両に留まります)ために、東京駅から有楽町駅まで歩くのとちょうど同じくらいに南北に細長ーい、同じ高さのビル(しかも多少蛇行までする)になってしまっているのである。

 昔の西鉄福岡駅前(昭和51年だから私が西新の西南学院高校に通っていた時期ですね)と比較したい人にはこちらのサイト(西日本新聞社  TENJIN DETECTIVE)などいかがでしょう?(・・・懐かしいけど、今からみたらここまで古色蒼然としていたのか・・・)

 地下鉄空港線が横断している「天神」交差点側にしか普段地上に出ない人にとっては、「南口」まで渡辺通り側を歩く(まして改札を通らないま、いくつものテナントを乗り越えつつ駅ビル内を歩きとおす・・・これがホームと同じ2階において可能なのはよく設計されているが・・・・)というのは、ちょっと骨が折れることであると言っても大袈裟ではない。

 さすがに他所の人には実感がわかないことを書き連ねすぎたのでcoldsweats01、ここでビックカメラ天神店に置いてあるチラシの地図を引用することにしたい(ビックカメラ様、宣伝だから、転載許してくださいませ)。

Bigkameratenjinmap

*****

 さて、話を本題に戻します(^^)

 萌黄色系のはビッククカメラ「1号店」で、祝い目出度くも(・・・あ、これでは博多か)、実にあっさりと見つかったcoldsweats01

Biotopcplorgreeena8

 バイオトップカラーというシリーズ製品である。日本の総代理店(?・・・・Bio Top Colorで英語検索してもヒットしない。本国にドイツ語名の会社があるのかも)は銀座・伊東屋(ito-ya)

 伊東屋は知る人ぞ知る文具店で、輸入ブランド品から、オリジナルのさまざまなビジネスツールまで取り揃えた、センスあるお店だと知り合いから聞いた。

ito-yaのオリジナル文具を大量に取り扱っている楽天のお店。

 話を元に戻すと、私が買った上記のカラー用紙は、純正紙で、しかもオーストリア製だが、100枚で520円(もちろんポイントもつく)というのなら、直接買うのなら高すぎるとは思わなかった。

 通販でも、この商品はもっと高い700円前後の値段をつけているとことは少なくなかったし、すでに示した再生紙系の国産品でも100枚だと310円が相場、送料まで含めると、せいぜい100-300枚しか買わない限りは送料分を取り戻せる。

 もっとも、ビックカメラには120g/m2の製品しか置いてなかった。この点は、裏書きを読むと厚さに3タイプあることが明記してあったので慎重に確認した。

 でも、ますは最初に心を込めて作るチラシだと考えれば、120g/m2でも決して厚すぎることはないように感じ、200枚分投資した。

 80g/m2の厚さで十分という発想に立つと、通販も見逃せなくなる。この萌黄色系の製品番号BT106。80g/m2となると、楽天にも、100枚セットで495円、ポイントも通常の10倍(500枚なら2,139円)というお店も存在するようだ(PCでお読みの方はこちらの一覧を参照)。

*****

 ・・・・それにしても、天神を北から南まで、随分歩き回った一日だったcoldsweats01

【追伸】

 チラシは完成しています。こちらをクリックしていただけると、実物のPDFファイル(ただし背景は白紙)をご覧いただき、ダウンロードしていただけます(^^) 

 ところが、10/18に福岡臨床心理士会主催無料相談会に相談員として協賛するために再び天神に出向き、ビックカメラで追加購入しようと思ったら・・・・あっさりとコクヨの安い製品(500枚820円)が目に飛び込み、あっけにとられた私であった・・・・・coldsweats01

 楽天だと、もっと安い相場でも売っています。送料と個数込みで判断すると意味があるかもしれません。

【コクヨ】PPCカラー用紙グリーンA4サイズ1束(500枚)PPC-CA4G

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文具ついでに、私の愛用品。ウォーターマンのメトロポリタンシリーズのボールペン。

2009/10/12

冨高氏の本、実際に注文しました。

 幸い、「ポイントがまた追加」されましたので(^^)、先日の読売の春日武彦氏の書評についての感想で対象とされた以下の本を実際に購入することにしました。

 (書評記事お書きした分だけ、実際に本を新たに読むことができる「良循環」に貢献してくださっている、当ブログの読者の皆様に感謝申し上げます)

冨高辰一郎/なぜうつ病の人が増えたのか

 いい意味で私の期待を裏切る(つまり、春日氏の書評そのものよりは好印象の)本であることを期待したいと思います(^^)

 私がこの本を評価するか否かの鑑別ポイントは、すでにこの前の記事で十分明示している通りです。

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2009/10/11

久留米でフォーカシングを学ぶ会、次回は11/08に開催いたします。

 「久留米でフォーカシングを学ぶ会」、本日、滞りなく開催されました。

 今回は、ホールボディ・フォーカシングと、インタラクティブ・フォーカシングのオリジナルの形をやっています。

 セッションという形で構造化された場の中でのやりとりと、フリートークしている時の、身体の実感から言葉にする度合の違いという点について、いろいろと考えさせられる気づきができたようにも思います。

 次回は11/08(日)に開催です。

 フォーカシングについての学習経験が全くない方の新規参加も歓迎しております。
 参加エントリー、お持ち申し上げております。 

 詳しくは、こちらをご覧下さい。

ケビン・マケベニュ/ホールボディ・フォーカシング―アレクサンダー・テクニークとフォーカシングの出会い

ジャネット・クライン/インタラクティヴ・フォーカシング・セラピー―カウンセラーの力量アップのために

 そういえば、今回の会の中も解説したんですけど、ジャネットのインタラクティブ・フォーカシングって、本来は家族内カップルの間での葛藤解決のためという側面が非常に大きいのです。このことについてもっと注目が集まるといいのにと常々思っています。

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続きを読む "久留米でフォーカシングを学ぶ会、次回は11/08に開催いたします。" »

2009/10/09

秋の近況報告

 春日武彦氏の書評についての感想記事について、改版を重ねて練り込むことにかなりの労力を注ぎ込んだために、最近の私としては記事更新のペースが少し緩みましたが、毎日カタカタと「その日できる最善のことをする」ことで一日が終わるパターンは相変わらずです。

 日照りの夏が終わって秋が来ると、むしろ庭にいろいろと雑草がいつの間にか生い茂るものですが、台風接近の直前に一気に手入れをしました。とことん枯れるまで敢えて放置したひまわりの種もたくさん回収できましたので、来年は自前で、今年よりも密生したひまわり畑を庭に現出できそうです。

 台風そのものは、九州山地の向こう側の海の上しか通過しなかったので、福岡県では風もほとんど吹かない曇り空に小雨程度で推移しました。

091009_1025001_2  つばきの一種ではないかと思える花も庭に咲き始めました。

 そういう季節なのですね、もう。

*****

 「久留米でうつと働き方を語る会」立ち上げに関しては、参加ご希望の反応はまだこれからの段階ですが、会の発足をお知らせした福岡の諸先達の先生方から、暖かい励ましのお言葉を幾つもいただけましたことに、心から感謝申し上げております。

 福岡・佐賀の関係諸機関へのお知らせも現在進めている段階です。しかしご当地久留米に関してのこの種の活動を進めるとなると、常々親父が言う、「足を使わんと!」こそ、地域に根をおろすということだと心得ています。そうなると簡潔で見やすいチラシも制作し、あちこち直接顔を出してご面会して話をする手間を惜しんではならない。今からその作業に取り掛かるところです。

*****

 これも以前にお知らせしましたが、佐賀県教育センターの教育研修講座の一貫としての「フォーカシング」の講師をさせていただくまで、ちょうど一ヶ月となりました。

 佐賀県教育センターは、てっきり佐賀市の市街地にあるものと思い込んでいたのですが、広域市町村合併というのは、あなどれないもので、「佐賀市大和町」というのは、北山ダム川上峡温泉が現在では含まれていることに気がつきました。その川上峡温泉の温泉街のすぐそばに教育センターの敷地があるらしいのです。

 川上峡温泉は、小学校低学年時代に親に連れられて親戚一堂の懇親会(「いとこ会」というものが、総勢何十名もの参加で、つい先年まで何十年も機能していたのです。まさに映画「サマーウォーズ」の世界そのもの!)で参加し、その後、小学校卒業時に、当時の親友と、別々の中学に進学するお別れ記念にサイクリング(久留米から峠を越えて往復80キロ!)で訪問して以来です。

 川上峡温泉は、別名「九州の嵐山」とも呼ばれますが、この言葉には偽りがなく、貯水池も兼ねているためにゆったりと幅広く流れる嘉瀬川 の両岸には、木々が生い茂る、確かに嵐山と似た地形の土地になっているのは、サイクリングで地面を走ってたどり着いた、もう35年以上も前(!)の記憶に照合しても確かに言えることだと思います。

 妙に懐かしさがこみ上げると同時に、恐らく秋の紅葉シーズン真っ盛りの頃になるので、ちょっと楽しみな小旅行の気分にもなって来ました。

 もとより、平日に「公務出張」の形で佐賀県各地からおいでになる学校の先生方を対象とした研修会です。打ちあわせの際の、教育センターの職員の方の、実に細やかな心配りにも感激しました。

 施設の装備もしっかりしているようですので、ここはひとつ張り込んで、これを機会に、これまで不精して作ったことがなかった「フォーカシング入門研修」用のパワーポイントファイルを新作するモチベーションが高まっています。一度作ってしまえば、それをテンプレートにして、今後、月例の「久留米でフォーカシングを学ぶ会」ばかりではなく、今後の学会発表や、もしまだいずれから講師としてお声がかかった時にバリエーションを制作すればいいことになりますので、この際作ろうと思います。

*****

 こんな具合で、結構面接時間以外にやれることは次から次に生じてくる状態です。

 私が中学校時代に心の支えとしたカール・ヒルティ曰く、

「仕事の対象を分散させ、一度にでなく、少しずつ、代わる代わるにやるのがいい」

 やっと、バランスよく、しかも常に1割の余力を意識的に維持して燃え尽きないように用心しながらも、カタカタと日々のtaskにいそしめるライフスタイルをつかめてきているのかなとも思う。

「だから、あすのことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労はその日だけで十分である」

(マタイによる福音書 6:34)

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2009/10/07

読売の春日武彦氏の書評記事への感想、とりあえず完成版になるにあたって。

 さて、やっと、読売で春日武彦氏の書いた書評へについての記事完成版に第7版でこぎつけたと思う。

 書評の対象とされた著作を読まないまま書ける「書評批判」としてはほぼ「臨界点」の水準にまで仕上げられたと自負しています。きっと、すでに実際に本をお読みになった方にとっても参考になった点が少なくないのではないでしょうか?

 すでに最終第7版の末尾でも補足しましたけど、書評の対象となったなったレーン氏の著作の原著"Shyness"のAmason英語版サイトまで読みに行って気づいた、「驚愕すべき」事柄。

 それは、レーン氏の原著が、あくまでも、単なる内気な人が、特に「社会不安障害」というレッテルを貼られる過程を告発しようとした著作であるということである。(しかも原著者は大学の「英文学」の教師であるにすぎない。イエール大から研究賛助金をもらって、イエール大学出版局から本を出せた大学教授という肩書きにだまされないように)

 なるほど、ある種の「社会不安障害」や「強迫性障害」について、SSRIが適応されることは事実ではあるのだが、春日氏が、この本がうつ病を主なるターゲットに据えたものではなくて、「社会不安障害」がメイン・ターゲットであることについて、ただの一言も言及しなかったということは、もはや、医者としての良心のかけらもないばかりか、ある種の情報操作に加担している、少なくとも無責任に「煽って」いるといわれても仕方がないように思われる。

 結局、私が、この読売の書評欄に添えられた原書のタイトル"Shyness"に気づいた時点で懸念した勘はあたっていたようにも思う。

 Amason英語版の読者レビューを読むと、星をほどんどつけなかった人の批評は辛辣極まりないものがある。

 「この本は教養課程キャンパスの象牙の塔の中で広まっているように思える、奇妙で、反科学的なパラノイアの典型です」(Gina Pera氏)             

*****

 ちなみに、原著なら、Googleブックスで「まるまる読む」ことができます!!

 ※レーン氏の本を日本語訳で実際に読んだ上での書評はこちらです。

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2009/10/05

10月4日付け読売新聞日曜版「本よみうり堂」に掲載された、精神科医、春日武彦氏による「『病気の押し売り』を検証」と題する書評記事への感想 (第7版)

 さて、昨日の晩に予告した「お題」について書くことにしよう。

【追記】 : この春日氏の書評の全文がYOMIUYI ONLINEで読めるようになリました(直接リンク)。

冨高辰一郎/なぜうつ病の人が増えたのか
クリストファー・レイン/乱造される心の病

 書評の対象になったのは、この2冊である。

*****

 春日武彦氏の文章というのは、時として独特の屈折したシニカルさがあると思う。

 例えば、過去のご本人の著書のタイトルのつけ方にしてもそうだ。

 「問題は、躁なんです」 ・・・・・鬱ばかりが論じられ、躁鬱病の問題についての一般向けの著作が当時少なかったので啓発書として書きたかった意図はわかるが、だからといって、それこそこんな「軽躁的な」タイトルをつけてふざけているあたり、週刊誌の見出しじゃなかろうがといいたくなる。

 「ロマンティックな狂気は存在するか」・・・・・・新書化される前のモト本を私は若い頃に読んでいる。小説や映画で描かれるような「ショックのあまり『気がふれて』おかしくなる」という現象は現実にはあり得ないことについて書かれた本。
 内容的にはもっともなことが書かれているので、啓発書としての意味はあるが、そもそも精神科医がお書きになる本で「狂気」という言葉をむき出しで使う本は、実は滅多にない。
 日ごろ実際に精神病の人たちと接している臨床医の先生の多くは、その人たちとの関わりがどれだけ大変な場合があっても、同時に、そうした人たちの実存のプレゼンスに接していると、ある独特の「厳粛さ」を感じずにいられなくなることが少なくないようだ。

 そうした意味では、春日氏の言葉運びには、現実の精神病者への、ある「酷薄さ」が感じられることが、本書に限らず少なくないように思える。

 ・・・・結局、上から目線なのだ(実は読者に対しても)

 それがいい意味でのウィットとして機能する場合にはいいのだが、ちょっと今回の書評は、彼の「無神経さ」という側面があぶりだされたもののように思えてならない。

*****

 「うつ病が急増しているといわれる。(中略)実際、1999年から2006年までの6年間の間に、うつ病患者は2倍以上に増えている。99年から患者数が急増しているのである。ではその年に何があったのか」

 このことが、冨高氏自身の発想の原点にあったことは、Amasonのサイトですでに確認済みである。

 春日氏は、社会情勢の変化(1999年は確かにバブル崩壊の年である)、若者層を中心とした精神構造の変化がその原因であるという論調が多いことを示唆した上で、

 「しかしそれでノイローゼ患者が増えたというのならばともかく、うつ病患者が2倍にも膨れ上がるものなのか」

 この言葉が冨高氏の原著にある言葉なのか、春日氏の表現なのか不明だが、ノイローゼにだって「鬱症状」は得てして存在する。

 更に先までシミュレーションすれば、「ノイローゼ」はあくまでも心因性であり、狭義のうつ病とは「内因性」である兆候が明確に認められねばならないなどと、春日氏がこの私のブログ記事を読んで下さったら、言い出す可能性があるかな?

 しかし、DSMからはすでに「神経症」という診断項目が消えた。これには一面で理由あることなのだと思う。

 そもそも神経症の概念は、19世紀ヨーロッパで、主として中産階級を相手にしていた精神科医の間で、「内因性精神病」とは分化させた概念として定式化されたものである。そこにはクレペリンやブロイラー、シャルコー、ジャネ、フロイトなどの多大な貢献があるわけだが、その時代に「典型例」として抽出された「神経症」像が、特に第2次世界大戦後の経済成長に伴う国民全体の経済水準の上昇を契機として大衆全体に広まる過程で、「典型例」にあてはまりにくい「非定型化」が進行したことと関連する。

 「非定型」とされたものが、次第にその細部の特性や治療法が分化・明確化してとらえられるようになり(それが「診断学」というものであろう)、それぞれ固有の診断分類として分化していくことは、医学全般に共通することであり、それをすべてDSMの操作的定義・マニュアル指向の弊害に還元することにはちょっと無理がある。

*****

さて、続きに進もう、

 「99年は、本邦でSSRIと呼ばれる新型の抗うつ剤が導入された年である。ニュータイプの抗うつ薬の売れ行きと、うつ病患者の急増は相関している。だが新薬登場でうつ病患者が減ったというのならばともかく、逆に増えたとはどういうことなのか」

 「ここで製薬会社による啓発活動(一般市民および医師への)がクローズアップされる」

と続けている。

 冨高氏が、日本以外の、アメリカやヨーロッパ諸国でも、SSRIが認可された時を境にうつ病患者が急増した統計データも示してくれているかどうかに関心がある。

 統計を持ち出す場合には、常にこうした発想法が必要であることは、私もこのブログで、薬物療法と認知行動療法との併用だけではなく、他の流派の療法との併用を施行した場合という「対照群」の統計があるなら見たい、さもないと、単に認知行動療法の人たちが実証データを取るのがお好きな(まさに、プ ロモーションがうまい!)「だけ」ということになるのに、誤解を与えますと常々申し上げている通りである。

 もとより、「1995年ごろには欧米でSSRIへの評価が下がりはじめたので、日本が特にプロモーションのターゲットにされた・・・・というあたりの論が冨高氏の著作の方で展開されている可能性あり!とシミュレーションしますが。

****

 次に、先述の、

 「ここで製薬会社による啓発活動(一般市民および医師への)がクローズアップされる」

 SSRIになって製薬会社(正確に言うと、日本の製薬会社ではなくて外資系の製薬会社である)の販売促進プロモーションがいかに活発になったかという問題については、ネットをあさればいくらでも話題にされてきたことである。

 特に、パキシル(パキセロチン)の発売元であるグラクソ・スミスクライン社の広報活動と不利な情報隠蔽体質に関しては悪評ぷんぷんたるものがあることは、検索すればいくらでも情報源があるが、私は敢えてここで、加藤忠史氏による「躁極性障害―躁うつ病への対処と治療 (ちくま新書)」すでに書かれていることから引用したい。

 (この本は、基本的には双極性障害「1型」を主眼とした著作であるが、すでにご紹介してきた内海氏の本を読む前に読んでおくと、内海氏の本がやや難解だという印象が大幅に薄らぐと思う。また、後半部分で展開される、世界最先端水準の脳生理学、神経化学、DNAレヴェルでの遺伝子上の実証研究の当事者という、加藤氏の、現場臨床医とは別のもうひとつの顔で描かれている部分が、私には滅法読み応えがあった。そして、これからいくつか例を挙げるように、冨高氏が著作の中で書いているはずのことのいくつかをすでに「先取りして」書いているのである)

 以下、紫色の部分は「加藤氏の」この著作からの引用です: 

「それどころか、これらの新しい抗うつ薬が、うつ病にほんとうに効くのかどうかということまで、最近議論になってきておりまして、ちょっとその話題を紹介したいと思います。

 実は、抗うつ薬をうつ病の方に処方して、効いたかどうかを調べた臨床試験の結果は、論文になっているものといないものがあるのですね。

 そこで、アメリカにFDA(食品医薬品局)という薬の認可をなどを行っている部署があるのですが、そこの論文開示請求を出して、論文になっていないパキセロチン(パキシル)の臨床試験を出してもらった、という研究があります。

 そこで再解析したところ、論文にされていない臨床試験は、みな効果がない結果に終わっていました。論文になっているのは、効果があるものだけだったのです。それで、これはバイアスがかかっているのではないかという研究結果が論文として報告されました」(pp.177-8)

 加藤氏は更に続けて、その後の論文で、パキシルは中症から重度の患者ではプラセボ(偽薬)よりもやはり有効だったけれども、その効果はわずかで、軽症例では効果に差がないというものが公表されていることを示しています。

 更に加藤氏は、アメリカの臨床試験の厄介な問題についても言及しています。

 「アメリカではこういう臨床試験に参加した人に報酬を払うのです。報酬が出るとなると、お金だけがほしいといういう人もいまして、こういう臨床試験をいくつも掛け持ちする人が出てくるわけです。

 たくさんの臨床試験に偽名で参加して、報酬だけもらいながら薬は捨ててしまう。そして医師には、うつらしい症状を話しながら治ったふりをする。そういう人たちがいるのです(中略)。[これでは、]効くべき薬に[統計調査上の]差が出ません。飲んでいないのだから差が出るわけがない」(p.179-80)

 ちなみに、こうした治験では「二重盲検」というやり方を採ります。これは、担当する医師にも治験患者にも、それが偽薬なのか、ほんとうの薬かどうかが知らされないままなのです。恐らく個々のタブレットにつけられた製造番号みたいなものだけで識別できる形で、治験の研究者は統計処理をしていくのだと思います。

 ・・・この辺に関わる問題のある程度は、今回の書評の対象になっている2冊の本で言及され、しかも更に詳細に報告されている可能性はあるかと思います。

*****

 さて、この「製薬会社のプロモーション」の問題を考える際に、ちょっと視点を変えますと、実は同時に考えねばならない重大なテーマがあるはずです。

 それは、「薬価」の問題です。これは医療機関が国に保険適用について申請する際の公定基準なのですが、建前上は、薬剤の開発・研究費用、そしてそれが新薬であることが算定基準になっており、改訂される際には下がることになっています。

 ジェネリック(後発医薬品。同じ成分の薬を他の会社が製造することが許可された薬)の場合には、研究開発費がない分だけ、薬価は当然より低く押さえられることが多い。

 これはまわりまわって、競争原理が働くわけで、オリジナルの製造会社も薬価をある程度下げるべく、申請を国にせざるを得ない方向に誘導することになります。

 この「薬価」というのは、業者からの仕入れ価格そのものを規制するものではないために、そこで「利ざや」を稼ぐことが可能です。きっとこのあたりも、書評で紹介された本の中で紹介されている問題なのだろうと思います。

 もとより、心ある現場の医者は、もう、単純明快に、実際に効くか効かないかだけで薬の選択を判断するものです。そういう点で、プロモーションなんぞには全く惑わされず、自分の臨床眼と、患者さんの反応、信頼できる医師同士の情報網だけをたよりに薬を選んでいるはずです。

 このあたり、例えばkyupinさんがサイトでお書きになっていることは、ネット界では最も突っ込んだ次元でのもののひとつであると私は信頼しています(kyupinさんのパキシルを含むSSRIへのスタンスは、この記事この記事にもよく表れています)。

 薬価が高い薬を処方する際に、敢えて「申し訳ない」とはっきり口にしてくださる先生もいます。

*****

 それにしても、もし私がこの2冊の本で言及されていると嬉しいと思っているのは、そもそもなぜSSRI(特にパキシル!)の薬価があそこまで高いのかという問題それ自体です。

 SSRIは、本国でも価格が基本的に高い薬なのですが、単順に経済的に考えて、もし「薬価」を法外に高くせざるを得ないやむをえない事情があるのであれば、特に保険制度を民間に依存しているアメリカでは、「プロモーション活動」に巨額の投資をせざるを得なくなるだろうということになります。

 それとも、最初からそのプロモーション費用を「回収する」見込みまで立てて、「薬価」が高くなるようにいろいろ偽装したということまでありでしょうか?

 このへんのあたりのからくりまで、2冊で追求されていれば、興味深いのですが。

*****

 次に、特に冨髙さんの本で、「鬱症状」の病態によって、使用する薬を変える必要性についてどこまで踏み込んだことをお書きになっているのかについても関心があります。

 Amazonの書評欄を見ると、本書の中で、「再発予防のためのリハビリの重要性」だとか、「(SSRI以外を含めた)多種多様な抗鬱剤の効果の程がわかる」とのことなので、この点はあまり心配しなくてよさそうである。

 ひょっとしたら、うつ病と誤診されやすい双極性障害II型において、リーマスや抗てんかん薬、場合によっては非定型薬、更には睡眠誘導剤が役に立つことについても言及されているだろう。

 そして、薬物療法だけではなくて、医者の小精神療法やカウンセラーによるカウンセリングが連動していること、更には家族や雇用者側の対応についてまで踏み込んでくれていることを期待したい。

 なのに、こうした観点は、春日氏の「書評」にはぜーんぶ抜け落ちているのである!!

****

 薬品会社のプロモーションが会社に与える影響問題についてもう一点述べると、例えば、今や双極性障害II型が鬱病と誤診され、抗鬱薬の処方だけだと、むしろ双極性障害2型の素質を「開花」させてしまう・・・・当然治療は膠着状態になることの危険の問題は、お医者の間でかなり認識が深まっているようだ。

 このことは、新たにおいでになったクライエントさんから「投薬暦」をうかがう度に感じさせられる。

 そういう中で、リーマスやデパケンの需要は以前よりもかなり高まりつつあると思えるのだが・・・・果たしてこれもまた、薬物会社のプロモーションの結果として生み出された、新たな流行に過ぎないのでしょうかね?

 ところが、これらの薬の薬価は、三環系抗うつ剤並みに安い。更にどちらもジェネリックは出ていますし。利ざやの稼ぎようはほとんどないと思います(^^;)

 私が言いたいのは、個々の製薬会社の個々の薬に関して、治験のあり方、副作用の問題、プロモーションのあり方が問題にされてしかるべきだけれども、十把ひとからげな医療不信を煽る発言は、患者を不安に陥れるばかりで危険だということです。

 本来抗てんかん薬だったデパケンが双極性障害の治療薬になることなど、製薬会社には当初思いもよらないことで、臨床現場の経験値に出発して統計を取ってみた論文が出発点になっているようで、脳内での生科学的作用という点では未解明のまま、治験に基づき、双極性障害への適用も慎重に認可されたようである。

 (薬の保険適用申請においては、個々の薬について認可されたある特定の(いくつかの)疾患にしか受理されないという原則があるのです。だからデパケンなどの抗てんかん剤が、双極性障害への気分スタビライザーとしての処方をも認可されるまでに更に数年かかっているのです)

 先述の加藤先生のご著書によると、やっと最近になって、抗てんかん薬が双極性障害の人のニューロンの生化学作用に与える影響についてのとりあえずの「仮説」が立てられた段階のようです。

 最初胃腸潰瘍薬だったドクマチールもまた、その後統合失調症やうつ状態の改善に役立つことが「発見」されました。この薬は、すでに日本で最初に販売されて30年経過という、恐ろしく息の長い古株の薬で、さすがに今では「主薬」として用いられることはあまりないでしょうが、抗うつ薬だけでは鬱症状の改善に効果が出にくい時、薬物療法に秀でたお医者様が、副剤として処方されるケースがままあることも結構知られているかと思います。

 要するに、良心的なお医者さんは、製薬会社の宣伝を、鵜呑みにしないばかりか、製薬会社の側に、「この症状でも効果があるので、国に保険適用の申請を出せ」というプレッシャーを与える側の存在でもあるという、双方向性はある程度機能しているいうことです。

*****

 さて、いよいよ、今回のクライマックスなんですが。

 「これはメタボリック・シンドロームと同じ構造である。以前だったらただの『小太り』が、今で病院受診や保険診療の対象となる。早期治療といった考え方もあろうが、いたずらに多数の『病人』が作り出されたとも言えるだろう」

  この部分は、冨高氏ではなくて、書評の春日氏の言葉であろう。

 これじゃ、うつの患者さんを傷つけるばかりではない。成人病と鬱のどちらか重いかなどという比較論はもちろんできないと思う。でも、成人病予防検診によって慢性の病にならずに済んだ人がどれだけいるであろうか? そして何より、「小太り」の人を侮辱していると受け取れる発言になっている。

 リアルタイムに面と向かってユーモラスに語る時と、文章として書く時では人に与える印象がどれだけ違うか、もちょっと気を配って欲しい。例えば、「ちょっとおなかが出ている人」とするだけでもニュアンスは変わる。

*****

 春日氏の「書評の」先の部分:

 「ただ啓発運動が逆に病気でないものを掘り起こしているといった視点もある。『病気の押し売り』と評され、うつ病以外に小児の躁うつ病、男性型脱毛、性機能障害、ADHD(注意欠陥・多動性障害)、軽い高コレステロール血症などが欧米では批判されているらしい」

 Amasonの書評を読む限り、このテーマは、書評の対象となった2冊で共に論じられているようである。

  またもや加藤先生のご著書「双極性障害」に戻らせていただくと、実はすでにこの本で、「小児思春期の躁うつ病」問題について、第2章第4節全体(pp.47-51)を割いています。

 特にアメリカでは、一時期、ほんの3,4歳の子供まで双極性障害と診断され、薬物療法の対象になるケースが結構あったようです。

 加藤氏は、これに対して、大人の双極性障害に適応が認められている薬を、臨床試験なし子供たちに使うことができるアメリカの現状を危惧しています。

 2歳の時に「いつもそわそわして走り回っている」との理由で診断を受け、検査の結果、3歳になった直後に、ADHDすら飛び越して双極性障害と診断され、非定型薬、気分安定剤をはじめとする1日10錠もの薬を飲んでいたそうです。そして4歳になって、薬の過剰摂取が原因で亡くなって、両親が第1級殺人罪として起訴され、両親側は医師の指示に従っただけと主張したという事件があったとのこと。(CBSドキュメントによるとのこと。探せば今でもサイト上に何かあるかな?)

 ADHDへの「精神刺激剤」投与の経験がある人に小児期の双極性障害発症が生じやすいという研究があることも紹介されています。

 そして極めつけは、次の事件。ここも加藤氏の著作よりの引用:

 「小児双極性障害の診断増加に中心的な役割を果たし、こうした子供に対する抗精神病薬治療を境に先駆けて提唱していたのは、ハーバード大学のビーダーマン教授でした。最近、小児性双極性障害の権威である同教授とその同僚が、製薬会社から多額の現金を受け取り、大学に報告していなかったという事実が報道されました(2008年6月8日 ニューヨークタイムズ)」

 どうも、この事件のことは、冨高氏の著作でも言及があるらしいことはAmazonで確認済みです。

 日本では、基本的に子供の精神医療に薬物療法を施行することにはたいへん慎重な先生方が多いですし(一時期ほど、「ADHDにはリタリン」という一本調子もなくなってきたのでは?)、ADHDをはじめとする発達障害についても、細やかな目で診断できる専門家が急激に増えています。

 私が発達障害のお子様を待つご家族からおうかがいする範囲でも、教育現場での対応について、まだいろいろ問題があるのは確かなようですが、当事者のご家族の活動などもあり、少しずつ変化してきているようです。セラピー的にもプレイセラピーや行動療法、家族全体のケアという方向性が定まってきているので、アメリカのような「子供の薬漬け」は生じそうもないのですが。

 何かというと、「日本の(精神)医療は欧米よりも遅れている」といわれますが、実際には、最近の経営淘汰的な面や医師確保の面を別にすると、オバマ政権の下、やっとのことで公的保険制度の設立に手をかけつつあるアメリカに比べれば安定しているともいえます。

 アメリカの病院事情も、実は非常に悪いようですし。フロリダ州には「産婦人科」病院が実は一軒もないという凄い話も。

 薬物療法についても、アメリカは、先端的であると同時に、極端に走りやすいともいえます。逆に、一度何かに対する「アンチ」がはじまると、これまた逆の極端の論調が出やすい。

 精神医療において、アメリカにすぐに追従する形にならないという点では、むしろ一種の安全装置として機能している面もあると思うのですが、そのへんを冨高氏自身がどう具体的に論じているのかどうか。 

****

 いずれにしても、 さすがに春日氏も、

「製薬会社陰謀論になりかねず、また早期治療の重要さという点においてもデリケートな問題である

とは言い添えてはいる。

 しかし、おしまいは、

「『まだ病気ではない』と『もう病気かもしれない』の間には、莫大な利益が埋もれているのである」

・・・・と、またもや少し無神経な言葉が出ている。

 ・・・・結局、春日先生、最後まで、薬物療法以外の人的資源や精神療法に関しては一言も触れないまま、あたかも薬物療法がすべてであるかのように「病気」の話をしているという、最大の自己矛盾に陥っている。

 我々は、健常者でも、病気でもある以前に、人間である。

 この春日氏の、書評の対象となった2冊の著者の側には、患者(とされた人)に対する、そうした目線がありそうで仕方がない。

*****

 最後に、ひとつ、決定的に重大な問題に触れておこう。

 レーン氏の著作の原著"Shyness"のAmason英語版サイトまで読みに行って気づいた、「驚愕すべき」事柄。

 それは、レーン氏の原著が、あくまでも、単なる内気な人が、特に「社会不安障害」というレッテルを貼られる過程を告発しようとした著作であるということである。

 なるほど、ある種の「社会不安障害」や「強迫性障害」について、SSRIが適応されることは事実ではあるのだが、春日氏が、この本がうつ病を主なるターゲットに据えたものではなくて、「社会不安障害」がメイン・ターゲットであることについて、ただの一言も言及しなかったということは、もはや、医者としての良心のかけらもないばかりか、ある種の情報操作に加担しているといわれても仕方がないように思われても仕方がない。

 結局、私が、この読売の書評欄に添えられた原書のタイトル"Shyness"に気づいた時点で懸念した勘はあたっていたようにも思う。

*****

【追記】

 以上の文章に全く変更を加えないままでの(嘘だと思う人はgoogleのキャッシュでも何でも参照なさるといい)実際読んだ上での書評は、冨高氏の本はこちら、レイン氏の本はこちらです。

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2009/10/04

予告!! 明日、読売新聞に掲載された、春日武彦氏による「『病気の押し売り』を検証」と題する書評記事への感想を書きます。

 10/4付日曜版掲載の記事ですね。

 とりあえず明日書くための下調べをネットでかなりしましたけど、どうも書評の対象になっている著作「それ自体」というより、この春日氏の書評の書き方そのものに、私の違和感の発信源の「かなりの部分」がある気がしてきています。

 いくつか、対象の本(特に富高さんの本)まで読んでみないと疑問点の判断がつかないなあという印象ですね。レーン氏の本の内容にあたることは、ネットでメンタルヘルスに関心がある人には、すでに情報が間接的に伝わってきていて、意外と目新しくないんじゃないかなあ?

 それにしても、アメリカで大ベストセラーというレーン氏の本、、日本版のタイトル「煽りすぎ」じゃない? なぜ"Shyness"っていうタイトルなのかってあたりに、原著者の大事なメッセージが込められていそうな気がして。

*****

 いずれにしても、早々次々と新しく本を買える状況でもないので、書評についての書評(!)と、実際に読むとしたらどの観点に注意を向けて見極めるかのポイントまでを書きます。

(内海先生の本だって、伊藤先生の本だって、タイミングよく「ポイントがたまった」ので買っただけのことで)

本編はこちら

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流派を超えた、現場臨床家の学ぶべきエッセンスの宝庫

「テキストを読んでモデルや技法を頭で理解することと、臨床現場において目の前の患者、クライアントに対して、この療法を効果的に実践することの間には、大きなギャップがあります。そのギャップは特別なものではなく、料理のレシピを熟読することと、おいしい料理を作ることの間にあるギャップと同じものだと思います」(p.iii) 

「私が一番お伝えしたいことは、この療法は、『共同的な問題解決のプロセスである』ということです。そのためにはカウンセラーとクライアントが問題解決のためのチームを組む必要があります」(p.iv)

「重要なのは、まず『個人と環境がどのように相互作用しているか』『その人の社会的な相互作用はどうなっているか』ということを押さえた上で、その人自身の認知、行動、気分や感情、身体的な反応を見ていくのです。

 つまり、インタラクション(相互作用)を二重に見ていただきたいのです。

 ひとつは、今申し上げた個人と環境との相互作用、すなわち個人間の、あるいは社会的な相互作用を見るのです。

 そしてもうひとつが、個人内に起きていることを個人内相互作用としてみるのです」(pp.7-8)

「はじめはクライアントや患者や誰か他の人の体験ではなく、自分の体験を考えてみてください」(p.8)

「最初からクライアントが、相互作用そのものを主訴として出してくるということは、まずないわけです。ですからクライアントが主訴として出してくる話をだんだん広げていって、一緒にその相互作用を把握していけばよいのです」(p.16)

「クライアント自身が自己治療セルフカウンセリングができるようになることを目指す」(p.35)

「カウンセリングの初心者は、クライアントの人生すべてを背負ってしまうような錯覚にとらわれがちですが、クライアントの人生と、カウンセリングでの共同作業は同一ではないことを意識化しておく必要があります」(p.38)

「その人に合った、その人なりの療法をオーダーメイドする感じです」(p.39)

『何かをしたい』『何とかして欲しい』と思って来談している人に、『何もしてもらえなかった』と思われてしまうのは、やはり対応が足りないということです」(p.43)

「この療法で目指すべきは、高度に専門的で特殊な対話ではなく、むしろ私たちが何気なくやっている、気持ちのよい対話を実現することではないかと、私は考えています」(p.45)

「双方が同程度に話す」(p.44)

『物分りがよすぎないこと』というのは、私を含めて特に日本で臨床心理学の訓練を受けてきた人には、気をつける必要があることだと思います。

 共感は必要ですが、カウンセラーの側の推測で理解したつもりになって共感する、というのは、実は順序が逆だと思うのです」(pp.46-7)

「ポイントはイメージです。カウンセラーが[クライアントの置かれた状況や気持ちや行動を]具体的にイメージできたか、というのが重要です」

「『実感としてよく理解できる』というの、アセスメントのポイントです。換言すれば、『実感としてよく理解できる』ようなやり方で、アセスメントをしていかなければなりません(p.60)」

「[クライアントには]、カウンセラーのチームメンバーとして、疑問に思ったことは何でもフィードバックしてもらう必要があります。(中略)言いづらくても言ってもらうと非常に助けになるのでぜひ遠慮なく言って欲しい、といったことを伝えるのです」(p.65)

「アセスメントや心理教育というのは、カウンセラーが一方的にクライアントに提供するものではなく、カウンセラーとクライアントで共同して創り上げていくものだということです。(中略)カウンセラー側の想像で、『ああではないか』『こうではないか』と仮定するものではなく、カウンセラーとクライアントのコミュニケーションの中で理解し、創造して行くものなのです」(pp.65-6)

「話を聴きながら、少しずつ該当する箇所に記入していき、ある程度話が聴けた時点で、何となく全体像が見えてくる、自然とクライアントの体験が循環的に理解される、ということです」(p.68)

「この技法をカウンセリングで使うのであれば、カウンセラー自身自分のために習得し実際に使っていることが絶対に必要です。これはこの技法に限らずどんな技法でもそうですが、カウンセラー自身が自ら習得し、使ってみてその効果を実感しているからこそ、クライエントに勧めることができるのではないでしょうか」(p.114)。

*****

 ここで述べられているのは、熟練した現場臨床家であれば、流派を超えて誰もが言い出しそうな言葉ばかりである(と、私は思う)。

 上記の引用で、私は敢えて、原文とひとつの言葉だけを言い換えている。

 それは、「療法」あるいは「この療法」という言葉に、ここではしてみた部分。

 すべて、原文では"CBT"、すなわち認知行動療法である。

*****

 伊藤絵美先生のセミナーには、半日の短いものではあったが、数年前に出席したことがある。そこにはひとりの非常に柔軟なセンスに富んだ、自分の技法を完全に自分の肌になじませ切っておられる、敬意に値する現場セラピストがおられるというプレゼンスを覚えた。

 ご著書、しかも、この、今や日本で一番定番化しているとされる認知行動療法のテキストをお読みするのは実は今回がはじめてである。

 認知行動療法について、最近私はたくさん言及しているが、もし何か基本的なところで勘違いしていないか? まだ誤解しているところがあるのではないか?と、初心にかえるつもりで紐解いたのだが、半日で、先ほど引用した箇所のある程度先、半分まで一気に読んでしまえるくらいに引き込まれた。

 実践的な、ひたすら実践的な、でも、臨床家としてのマインドを通奏低音として響かせ続ける名著だと思う。

 あちこちに、形だけ几帳面に技法を学ぼう、施行しようとし過ぎたり、認知行動療法固有の用語に足をとられないで済むような、緩急自在の配慮があると思う。

 認知行動療法に未だ抵抗がある心理専門家の皆様にこそ、ともかくもお勧めしたい。

 認知行動療法そのものは現場で意識的に使うつもりがないカウンセラーの皆様にも、きっと得るものがあると思う。

*****

 【追記09/10/27】 : なお、この本の後半部分で書かれた、伊藤先生の、安直なコラム法適用に留まることへの戒めの発言を、この記事の中でご紹介しました。

伊藤絵美/認知療法・認知行動療法カウンセリング初級ワークショップ―CBTカウンセリング

(楽天ブックスの本書のページ)

*****

 ただ、敢えて申し上げれば、この本の中で批判的に書かれているような、教条的なロジャーズ派カウンセリングの教育は、少なくとも現在の心理臨床家養成大学院の教育においては、すでに珍しくなり始めてはいまいか?

 先日ご紹介した、「多元的アプローチ」のクーパー博士のような、"dogmastic"(教条的)なパーソン・センタード・アプローチ(PCA)には敢然と立ち向かうと宣言する「パーソン・センタード・アプローチ」の指導者がいる時代である。

 実際、クーパー博士の発言とオーバーラップする箇所がこの伊藤先生の著作の中に数多く見られる。

*****

 利用できる大学図書館が見つかったので、認知行動療法系についても、いわゆる「第3世代」(マインドフルネス・セラピー」)まで、徐々に読み進めたいと思う。

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世界のフォーカシング指向心理療法セラピストは、双極性障害にどのように対処しているか

 フォーカシングの国際組織、The Focusing Instituteには、"Focusing Discussion List"というメーリングリストがあるのですが、この数日間、そこで、フォーカシングの双極性障害の人たちに対する適用についてのいくつかのやり取りが続いています。

 大変興味深い内容ですが、そこでのやりとりをそのまま引用するのは問題があるかもしれませんので、私なりに要約してご紹介しようかと思います。

 そこで発言しているフォーカシング指向心理療法(FOT)セラピストたちの見解には共通項が非常に多いので、その要点を箇条書きにします。

  •  医療機関で気分スタビライザをはじめとする処方を受けている人に併用した場合に効果が上がること。
  •  しかし、医療機関での薬物治療だけで十分な成果を得られない人も多く、何らかのセラピー的援助を必要とすること。
  •  薬物療法を終わらせていく段階で、FOTが援助的であること。
  •  双極性障害の人においては、身体感覚や感情や情動を通常のフェルトセンスとして体験できていない場合が多いが、そうした人たちにおいても、フェルトセンス(あるいは、フェルトセンスに「触れられない」、フェルトセンスから「遊離している」というフェルトセンス)を、さまざまな状況やさまざまな次元において形成する潜在力はあること。
  •  FOTが役に立つためには、その人の中に、躁うつの往復の中で様々な生活上、対人関係上の問題が生じること、そしてそれまで受けてきた治療への傷つきと後悔に根ざした、セラピーへのモチベーションが形成されていること。
  •  まずはそうした傷つきや後悔についてじっくり傾聴する必要があること。
  •  一人の方が特に強調していたのは、双極性障害になった人の親も双極性障害であることが稀れではなく、幼少時から親の気分変化に伴う激しい振る舞いにさらされ、それがトラウマになる経歴を持つこと。そして、そうした「システムとしての家族」の持つ悪循環構造に対処するため、家族全体へのアプローチが必要なことが多いこと。
  •  その方がもうひとつ言及していたのは、フォーカシングを学ぶことで、「薬がうまく効いていないこと」への「早期警戒信号」を身体が感受するセンスが高まること

*****

 こうしたやりとりを読んでいて、不肖私も、蛮勇を奮って(?)、英語での書き込みにチャレンジしました。自動翻訳の助けも借りましたが、ご存知のように、それに頼るだけではまともな英文になりませんので、何とかかんとか、これなら意味が通じるだろうという水準まで修正を重ねました。部分的な文法のおかしさなどが残っているかもしれませんが。

 結果的には、私がこのブログで繰り返して書かせていただいてきた内容の要約に他なりませんので、敢えて原文のままで、恥をかくのは承知で転載します。

*****

Title:[focusing-discuss] Re: Focusing and bipolar disorder

I am very interested in the discussion about bipolar disorder.

I've interviewed a lot of clients who received medical treatment as mood disor
ders,especially,bipolar spectrum disorder,these several years.

Moreover,I've experienced the medical treatment as bipolar disorder("type 2",p
erhaps,it was caused by my having been prescribed not the mood stabilizer but
only SSRI).and have recovered this disorder by mood stabilizer.

My obtained standpoint is as follows:

The first. The patient overworks for a long term before it gets depressed seri
ously.They become difficult that their mind and body's consumption is noticed
for the period. Seemingly, they experience like being able to work without con
suming it than before,like a kind of "superman". They cannot experience tiredn
ess as "tiredness" for the period though begin to consume in reality.

However, this is a kind of "mild manic" stage.

At this stage, a kind of isolation is caused between their superficial emotion
and bodiy deeply felt sense.

After all, this state of chronic "marathon runner's high" (does this t
erm pass also in the sphere in English? or Japanized English?)may not be conti
nued.

If they feel "retroactively",they didn't act only pleasantly but with "unnatur
ally light feeling" or "a sense of urgency"etc.

The second.According to my viewpoint,Orthodox Focusing training cannot necessa
rily effects in the client who experiences in the "whirlpool" of in such a (mi
ld)manic stage.

However, a kind of FOT approach is effective in the client who have the motiva
tion of make it out of the vicious circle,i.e.the round trip of such in a mani
c stage and a depressive stage repeatedly, who have experienced the regret and
be damaged in the circle.

The person may continuously acknowledges and monitors the pattern of his/her c
ognition and emotion and action and situation,before and after he/she experien
ces his/her "personal" felt sense,as a kind of message to request healthy bala
nce from his/her organism,in daily life,as if inner "ocean weather-ship observ
ation"

I help so that he/she may make a habit of it in daily life.

I am groping the refinement of it as a kind of Focusing-oriented cognitive-beh
avioral therapeutic approach, right now.

Thanks.


Koichiro Asega,M.A.
Certified Psychotherapist in Japan.
Certified Focusing Trainer and Focusing-Oriented Psychotherapist.

Kurume Focusing-Counseling Office
Kurume-shi,Fukuoka-ken,JAPAN
Email:kurumefocusing@live.jp

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2009/10/01

福岡県臨床心理士会主催 市民講座&臨床心理士によるこころの無料相談会(10/18)のご案内

 10月18日(日)13:00から、福岡市天神の福岡天神ビル11階(中央区天神2-12-1 地下鉄天神駅前 福岡銀行本店の東隣)で開催されます。

 ご自身が自閉症者である作家、東田直樹さんによる市民講座、「自閉症の僕が跳びはねる理由」(13;00-15:00)と、「臨床心理士によるこころの無料相談会」(13:30〜17:00)が並行して開催されます。いずれも無料です。

 詳しくは福岡県臨床心理士会ウェブサイトをご覧下さい。


20090923c

 不肖私も、無料相談会の相談員のひとりとして協賛させていただく予定です。

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