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2009/09/05

「ランナーズ・ハイ」の行き着く先

 熊木氏の著作を読み始めた段階で、私が草稿として書きながら、ここ1ヶ月、掲載棚上げにしていた記事を正式にアップしていい心境になった。

 以下はその内容である。

 臨床心理士の分際をわきまえない内容すら入っているであろうこと、部分的に脳生理学的に不正確な著述があってもお許しいただきたい。

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 私は、このサイトで、これまで何回か、「人は鬱になることで『鬱』になる」という表現を繰り返してきた。

 現在のDSMなどの診断基準では、鬱病は「気分障害(=mood disorder)」の下位分類になっているが、この「気分障害」という言葉は非常に誤解を招きやすい側面があると思う。

 「気分」という言葉にしても、moodという言葉にせよ、日本語では何か曖昧な「気持ちの」状態であるに過ぎないかのように受け止められかねないからである。

 単に「落ち込みが持続する」のが鬱状態ではないのだ。私の考えでは、「落ち込み」とは、気分障害の「本態」としてその人の心身に生じている慢性的な脳生理的消耗状態(正確には、脳生理上の消耗に至らせる悪循環的なループ)の、二次的な「随伴物」のひとつであるに過ぎないようにすら感じられる。

 これも何回もこのサイトで書いてきたことだが、鬱(双極性障害も含む)の「本態」は、心身が極度に消耗したのに、それを「疲労」と実感できなくなってしまう形に脳内のメカニズムが慢性的に変化して、とりあえず不可逆的になってしまうという脳生理学的変容そのものではないか。

(このことを書いた最初が、当ブログの永遠の代表記事のようにして、アクセスランキングNo.1・・・・時には1位ではなくなるが・・・・を維持してきた、この記事である)

 そのごくごく軽微で、慢性化しないまますぐに回復するミニマムな形態は、一般の人でも実は何回も体験している。

 徹夜覚悟で仕事や勉強をしている時に、眠い眠いと思っていたのに、ある時から突如スイッチが切り替わる。

 頭が冴え、意欲が亢進し、いくらでも起きていられるかのようにすら感じ、実際に仕事が終わって横になった後も、頭が冴えて眠れなくなって困ってしまった経験が、これまでの人生で1回もないという人は滅多にいないと思う。

 そういう時には、独特の「脳が暖まっている」ともいえる感覚と、身体全体の「ふわふわした」感覚も伴うはずである。一種の「ランナーズ・ハイ」状態である。

 もちろん、そうやって眠れない夜を過ごしても、朝になる頃にはいつの間にか寝入っていて、目覚めた時には、今度は前の晩の無理のリバウンドであるかのように、心身に泥のような疲労感が襲い掛かるものであり、昼間は眠い目をこすりながらも何とか切り抜け、その日の晩に、文字通り爆睡する形になって、やっと普段の状態が回復するというケースがほとんどだろう。

 精神科医の中井久夫先生の言葉を借りれば、「48時間で帳尻が合う」というサイクルである。これが健康な人の「無理」→「疲労回復」過程なのだ。

 欝になる人の多くは、はっきり鬱になる前の時期のおいて、必ずしも徹夜仕事を重ねるわけではないにしても、長期に渡って非常に「気を張り詰めて」仕事や勉強を続けねばならない状況に身をさらすうちに、いわば慢性的な「ランナーズ・ハイ」状態に陥っていき、むしろ人間の心身の本来自然なバランス機能として生じるはずの、「リバウンド」としての怒涛のような疲労→爆睡ということそのものが、徐々に生じなくなって行く体験をしている(後から振り返ってみて、はじめて気がつけることなのだが)。

 こうしたことを繰り返す中で、疲労物質が生じると心身の活動水準を落とすという、動物である限りは当然備わった、休息に向けてに脳内の自然なフィードバック回路が徐々に機能不全になるともいえるだろう。

 素朴な比喩を承知で言うと、「レースコース」から一時的に「ピット・イン」させる方向にポイントを切り替える、本来自律的な脳内安全制御システム(フィードバック回路)に、いつの間にか、常に「ピット・インさせないまま走り切れ」という指令を出す、非常に危険なバイパス指令回路が形成されてしまうのだと思う。

 私の考えでは、これは行動主義心理学的な意味での、環境適応のための「条件付け」形成過程であると同時に、困ったことに、脳のある部分にある脳神経系の回路内で、神経繊維同士が、そういうバイパス回路を形成することそのものを「学習」してしまうという、生粋の脳生理学的次元での変化すら伴っているようにも思えるのである(お医者様向け追記:「シナプス可塑性」のことを言いたかったのです)。

 このような、他の動物の動物の常識ではあり得ない異常な心身の使い方で「脳神経を痛める」ことまでやらかしてしまえるのは、人間が文明の発展の中で、一日の半分は働くということを当然のこととするようになったことと大きく関係している。

 そして、むしろ、周囲が自分に何を求めているかに敏感で、働くということに過剰適応できる強靭な精神の持ち主こそが、結果的に脳の生理学作用を破綻にまで追い込んでしまうわけである。

(最近、「新型うつ病」に関連して、病気になる前は勤勉ではないタイプも増えているのではないかということも取りざたされ、何かというと「性格的な問題」という言い方が安易に使われる。しかし、そうした人の成育暦を探ってみると、学校時代の少なくともある段階までは、親の期待に応える非常な優等生だったり、親には決して迷惑をかけない「いい子」として育ったり、精神的にはもろさを持った親のいる不安定な家庭の中で、親の気配を察して必死に「トラブルシューター」として子供の頃から頑張り、親の不安をケアしてきた人まで含めると、やっぱり「過剰なまでの無理をする頑張り屋さん」だった歴史をどこかで長期にわたって持つという点では、共通項を持つことが多いことに気がつく。つまり、子供時代からずーっと一貫して無気力でアパシー的だった「新型うつ病」の人となると、なかなかいないのではなかろうか???) 

*****

 いずれにしても。本格的に鬱が出現する「直前の」、まだ仕事等の活動水準を維持できており、「落ち込み」は自覚しなかった時期に、持続的な睡眠障害を経験しなかったという人は滅多にいないだろう。

 本人はそれを「苦しい状況を切り抜ける強い自分になった」などとすら思い込んでしまうことも多いものである。実際には、そうやって無理を重ねた「負債」は心身のどこかに慢性的に蓄積されている筈だからである。

 それが実際に身体の調子を崩して(風邪ぐらいのこともあるが、実際にはっきりとした身体病になることがある。私にとってのそれは「尿管結石」になることだった)休みを取らざるを得なくなる機会を提供してくれればまだ幸いですらあるかもしれない。

 もとより、その身体疾患から取り合えず回復すると、また働いていた時のモードに戻って行くことが少なくない。でもそれは、身体病という形での「坑道のカナリア」からのせっかくのイエローカードを無視して更に突っ走る形になりやすいのである。

 こうして、その人の中の「疲労を感知して休息させる」脳内システムが、一度完全に機能不全に陥り、脳神経の伝達回路内での物質のやり取りの中で悪循環のループを確立してしまい、「疲れを疲れとして体験できない」状態で固定化してしまう。この段階で、脳そのものがかなりややこしい心身症状態に突っ込んでいるとも言えるだろう。

 本格的に鬱を発症する直前の数ヶ月の間に、こうした「以前よりも疲れを疲れとして感じずに、状況を切り抜けられてしまう」時期を持っていた人は非常に多いはずなのだが、なぜかこのことは意外なまでに鬱に関する本で語られていない気がする。

 漫画「ツレがうつになりまして。」では、ご主人のツレさんがソフトウェア会社で働けていた時代の末期の状態として、このことがはっきりと描かれている(NHKドラマ版ではこの点はやり過ごしている)。

 そして、こうして疲れを疲れとして体験できなくなって最低数ヶ月が経過した時点で、突如、「ブレーカーが下りる」。仕事を滞りなく進める気力が枯渇し、そういう自分にやっと「落ち込み始める」のである。

 私が「人は鬱になることで『鬱』になる」という時の、1つめの鬱という文字は、実は、この、脳内で形成されてしまった「疲労を疲労と感じなくなる悪循環のループ」(慢性ランナーズ・ハイ状態)の確立それ自体のことである。むしろ、健康な人にでも生じておかしくない次元での「普通の」落ち込みや疲労を感じられなくなるということなのだ。

 2つめの『鬱』という文字は、そういう慢性ランナーズ・ハイがついに限界に来て、心身が一気に消耗してしまって何もできなくなった後の自分に対する、深刻な絶望感のことである。

 長期的な無理を切り抜けるために自分の身体が産出した「脳内麻薬」の慢性的な中毒状態に一度陥り、身体自身の脳内麻薬生成プラントをことごとく食い尽くし、「操業停止」に陥らせるところまで心身の消耗が進んだ時に生じた、深刻な「脳内麻薬切れ」=神経伝達物質の「自己破産」状態が、おもてに表れた「うつ状態」の発症の時だとも言えるかもしれない。

 自分の身体の資源を切り刻むようにして、身体の内部から麻薬物質の捻出して、過酷な状況を自力で切り抜けようとしたのだ。大量の飲酒癖にすらならず、ましてや不法な薬物に手を出すこともなく、自分をひたすらランナーズ・ハイに誘導するという、文字通り「身を削る」形でである。

****

 実は、こうして脳内麻薬の「異常な産出回路」が脳神経内に確立されてしまうと、その悪循環ループというものは容易にその人から消え去らなくなる。

 薬を飲んで休養して、少しやる気が出てきたかなと思って活動し始めると、またもや悪循環ループのスイッチが入り、無理を無理と感じないまま活動し始めてしまう。

 その人の中の「脳内麻薬精製プラント」は壊滅的な打撃からとりあえず「復旧した」に過ぎないので、活動の再活性化は長持ちせず、再びブレーカーが落ちる。

 そして、「もう治りはじめたかと思ったのに、実はそうではなかった」という事実にその人は落胆し、落ち込む(これが私が「二次的な鬱」と呼ぶものである)。この時の落ち込みこそが、むしろ死にたくなるほどの絶望を招き寄せやすいものなのである。

 こうして「少し元気が出る→動いてみる→簡単に消耗する→挫折感」というサイクルが単に積み上げられるだけだと、その人の自信喪失と絶望感はどんどん深刻化する危険がある。

 実は、休養して鬱から相当程度回復したかに見える人にも、この、トリガーを引いたら暴走する悪循環ループは脳内にしっかりと残っていることが少なくないのである。

 SSRIなどの抗鬱剤そのものがこの悪循環ループ自体を消してくれるわけではないのではないか。薬物療法に真に見識のある医師の処方する薬物・・・・狭い意味での抗鬱剤に限らず、気分調整薬、抗不安薬、睡眠誘導剤などを含む・・・・が適切な効果を上げる際に生じているのは、実は一方で脳内麻薬の枯渇による、生へのエネルギー自体の「破産」に対する最低限の「公的救済処置」(自殺に至らないために)という側面を持ち、他方では、その人の中で再び自己破壊的な脳内麻薬産出プラントが安易に操業再開をする「引き金(トリガー)」になるような神経伝達物質の発動そのものやセンサーでの受容をむしろ妨げ、じっくり穏やかに休養してもらい、生体が本来持っている自然回復能力が徐々に賦活する中で、脳内でいつの間にか異常な回路形成に到達していた物質代謝メカニズムが、自然なバランスと働きにを取り戻すことをサポートするという、絶妙のカクテルを、その時のうつ患者のにふさわしい「一品料理」として調合するという形になっているはずである。

****

  少し前にも書いたが、いったん鬱になった人の中では、回復期になっても「その時の自分の心身がどのくらい疲労・消耗していて、どのくらいまでの無理なら、どのくらいの休息で回復できるか」というセルフ・モニタリング能力が決定的に損なわれたままになっているともいえる。

 これは、そうした「自分の無理と疲労度のシミュレーション」が当たり前のようにできた、以前の自分のことを思うと、ほんとうに悲しくなるまでに「自分の実感があてにならなくなる」ことなのである。

 穏やかな休息だけでは、社会で再びサバイバルするだけの脳の自然な働きまではなかなか回復しないのである。

 このセルフ・モニタリング能力の「再建」が必要なのである。いや、はっきりいって、それは「再建」ではないのだ。それまでは言わば「勘」に頼っていたセルフ・コントロール(それはすでに脳内で一度壊滅的に崩壊した)を自覚的に運用できるようになるために、それまで人の中に存在しなかった新たなスキルとして、自分の生体の無理と疲労のメカニズム監視と統御・・・・・休息にせよ、活動にせよ、その時に適切な行動選択を自律的にできる技能を「人工的に学習する」必要が生じてくるともいえるだろう。

 それは一度学習して身についてしまえば、言わば特定のスポーツのための運動能力や楽器の演奏、自動車の運転のように、普段はほとんど無意識に、まるで本来の天性のようにして活用できるものになるだろう。

 私が思うに、それこそが、鬱の人「のための」心理療法として展開されていくべき領域なのである。

 もちろん認知行動療法もそのひとつの重要な展開であろうし、応用行動分析(ABA)も非常に参考になる業績を含んでいるように私は感じている。

 私は、それらも視野に入れながら、フォーカシング技法を、鬱の人の心身状態のセルフモニタリングスキルと、そのモニタリングに基づいて生活の中でどのように小刻みなアクション・ステップを組み上げ、またもや燃え尽き→挫折の堂々巡りに陥らせることなく、休養時から新たに「持続的な成長可能な形で(経済用語!)」社会的活動範囲を広げていくために活用可能な、「学習可能なプログラム」として特化させて発展させることはたいへんな可能性を秘めていると考えて、模索しているところである。

(追記:この試みについてのとりあえずのまとめは、この草稿を書いた後、こちらの記事で書いた)

 恐らくそこには最近の神田橋條治・熊木徹夫両氏が探求している方向性も大きく関わりあってくるような予感があるが、まだ著作を手に入れて熟読できてはいない。

[・・・・・以上、09/08/11に書いたまま、掲載保留のままにしていた草稿を、上記の「追記」以外は、今回はじめて「そのまま」UP!]

=========================

 この段階で書いたことは、実際に熊木氏の著作を読み始めた今、いよいよ確信になってきている。

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