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2009/06/21

とっくに「電脳化」しているこういちろう? -劇場版「甲殻」について:続編-

 押井守さんの、劇場版「攻殻機動隊」2部作に関する感想の補足である。

 第1作、"GHOST IN THE SHELL"が最初に公開されたのは、1995年、つまり、Windows95発売の年である。


 このOSの発売ではじめて、インターネットは多くの人にとって身近な存在になりはじめた。もっとも当時は、「常時接続回線」を個人で所有する人など超例外だった。さすがに電話機の受話器を使った「音響カプラ」の時代は脱していたにしても、多くの個人ユーザーは、低速のモデムを一般電話回線につなぐ形。プロバイダ料金も従量制だったので、特定のページを閲覧している間は通信を切るということもしていた記憶がある。

 しかし、当時のパソコンの新規ユーザー層の少なからぬ部分にとっては、パソコンとは基本的には"stand alone"に使用するものであり、電子メールを使用する際、パソコン通信に関心がある人たちを別にすると、「インターネットを介してて、ユーザーが常時接続的につながっている」という感覚そのものがなかったわけである。

 今でこそ、"GHOST IN THE SHELL"で描かれた、「大抵の人が、(自分の脳に埋め込まれた)端末を通してネット世界につながっている」という状況は、身体の埋め込み端末こそないものの、インターネット機能が発達した携帯電話と向かい合うようにして日々を送っている現実との落差はぐっと小さくなり、今の現実のちょっとした暗喩の物語・・・・ぐらいで受け止めることができる。

 しかし、"GHOST IN THE SHELL"が、14年前の作品であることを思い起こす時、この作品が、いかに時代を先取りしていたかに、ちょっと呆然としてしまうのである。

 もとより、押井さんが、更に数年前、劇場版「パトレイバー」第1作で、当時はまだほとんどの人にとって未知の用語だった、「汎用OS」だとか、普段は沈黙していても、一定の条件が揃うと、一斉に凶悪な機能を発動をする「コンピューターウィルス」や、今日でいう「ハッキング」の問題を取り扱ったのが、何と1989年であるから(^^)

***** 

 さて、「攻殻」の作品世界の中では、

「自分の経験や記憶(恐らく、DNA情報なども)など、自分を自分たらしめているもののすべては、ネットの中に常時保存され続ける」

という趣旨のことが何回か語られるが、私のように、まさに1995年から個人ウェブサイト(「阿世賀浩一郎のホームページ」は当時の原型そのままのコンテンツを今も含みます)を立ち上げてきた人間からすると、こういちろうという人間の体験や記憶や思考のかなりの部分が、すでにネット空間に蓄えられているのだと、妙に生々しく実感できる。

 私の場合、原則として、仮にハンドルを使ったとしても、リアルワールドでの私と同一視されるのは一向かまわないという立場でしかネット活動をしてこなかったから、なおのことである。

 

前の記事にひきつけて言えば、ひょっとすると、すでに、私の『ゴースト』そのものが、ある程度はネット空間の中にも自律した存在として跋扈できるpresenceを、(ささやかながら)獲得でき始めているのではないかとすら思う。

 つまり、こういちろうはすでに、素朴な次元で、十分、ヒロインの「草薙素子(もとこ)」的な意味での「電脳化」した存在様式を持った存在なのではないかということ(^^)

 もっとも、こういちろうは、素子のように、無茶をし過ぎて、生身の身体の方を吹っ飛ばされ、「脳核すら失う」形で、電脳空間を基本的な住処とし、時々必要に応じて「擬体」を使い分けるような存在にはならず(爆)、生身の人間として、この世に「どっこい生きて」い続けるであろうこと。

 生身のカウンセラーとして、この世に存在し続けるわけだし、フォーカシングのトレーナーとしての私も、もっとその存在を、リアルワールドに「露出」していけるようになることを、じっくりと目指していますので(^^)

*****

 ところが、もし仮に、日本のフォーカシングの世界における私についてのイメージというものがあるとすれば、この10数年来、それはほとんど、ネットを介して形づくられたものにならざるを得なかった(クローズドなメーリングリスト、"focusing-net上での活動を含めて)。

 私が実際にフォーカシングのセッションを、フォーカサーとして、トレーナー/ガイドとしてどう行なうかをライブ体験している層は、実はほんのほんの例外的な一部の人たちでしかないのにね(^^) 

 そういう意味では、フォーカシング関係者は、現在も、私のネット上の『ゴースト』に踊らされている人たちが今も少なくないのかなとすら思う(^^)。

 そこに映し出されている『幻』は、果たして、「こういちろう自身のこころ」なのか? それとも読者の「こころ」を写し出す、投影的な『鏡』なのか?

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