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2009/05/31

適度にそううつ的な人こそ、これからの時代を生き延びる適者である?

 うつ(しかも躁鬱系)の人が本来備えていたはずの健全な適応能力とは?

 ひとつのことが長続きせず、飽きてしまったら、その時無理なく好奇心を向けることができる別の対象へと、関心がどんどん移ろっていく、そういう性質だと思います。

 これは、その人がサバイバルする上での、ひとつのとりえであり、能力なんですよ。

 このタイプの人は、まず、何かに一度興味を持つと、好奇心のままに一気にその対象に没頭します。つまり、ぐぐぐーーーっと、その対象に一気に肉薄するところまで、無理のない範囲で動けてしまうわけですね。

 この、思い立ったら最後、とりあえず対象にアプローチを一気にかけてしまうアクセス能力は、現実場面の中でも、もし、その時のその人の「勢い」がなければ超えられなかったハードルを一気に越えさせてしまい、その人の世界を一気に広げさせてくれるという効能があります。

 更に言えば、このタイプの人は、興味を失った対象からは実にあっさりと離れるという「能力」を持っています。人と関わり続けるのに疲れたら、ひっそりと引きこもる「能力」も持っています。不必要にこだわり続けることはしないわけですね。例えば、興味を失った異性と、「相手を傷つけたくない」などと、いろいろ考えすぎてしまった挙句に、変な「義理」感(?)から形だけ付き合い続けるということはしない。これって、お互いのために好ましい離れ方なのかもしれない。

 でも、一度関心を失ったものは永遠に投げ出してしまうとは限らない。むしろ、「時が満ちて」、無理しなくてもそのことに取り組めるようになった状況が(外的にも)整ったあたりで、余裕を持って、自然に、そのことに本格的に取り組み始める。

 このタイプの人は、(本来の天性に従う限り・・・ですが)、焦るあまりに、性急に無理な努力を積み上げることはしない。自分にそれだけのキャパができたり、外的状況がそれにふさわしくなった時点(例えば、景気が少し上向き、求人が再び増え始めたそのタイミング)で、本人の興味が一致したら最後、スルスルスルーーーーって、その絶好のタイミングを生かして、なだらかな坂を駆け下りるかのようにしてステップアップするという、こうしたセンスがない人から見たらあまりに抜け目がないと思えるほどのふるまいをやすやすとやってのけます。

 こういうタイプの人、「集中力に欠ける」とか、「コツコツと粘り強い準備や努力ができない」などと、否定的にとらえるばかりになると、その人は容易に失調して、まさにうつにはまる危険な状態に向かい始めるのではないかとも考えられます。

 専門的に少しだけ難しい言葉で言いますと、「躁鬱気質」の人間を、無理やり「執着気質」な人間に改造しようとすると、失調するということになります。

 ところが、日本は、悲しいまでに、執着気質的なコツコツとした努力だとか、ひとつのことについて営々と職人的な技を積み上げてキャリアを築くことを尊ぶ風土がある。

 でも、こうした意味での勤勉を尊ぶ職業倫理なんて、不況なだけではなくて、それまでの社会システムそのものが揺らぎだしている今のような時代においては、どれだけ人の目に見えない努力を重ねてもあっさりと首を切られる可能性のあるわけでして、むしろうつ病の人を大量生産するメカニズムだと断言したいです。

 むしろ、「適度に」そううつ的に生きる人たちの方が、会社と心中するまで自分に目隠ししたまま会社にしがみつくこともしないし、好奇心の赴くままに新しい出会いを生かそうとする、でも、自分がそれを好きかどうかという点で見誤ることがないという意味で、サバイバルの上では適者ですらあるはずと思います。

 
・・・・・こうした思いも込めて、少し前のこの記事も書きました。


 参考書としては、いつもながら、中井久夫先生の名著、「分裂病と人類」ですが、中井先生はこの本の中で、執着気質的な人と躁鬱気質的な人を対比するという観点からはほとんどはっきりと言及していません。その点は、私がこの本と出会って30年にしてやっと最近になってたどり着けた、私なりのこの本の「消化吸収」の過程かな?・・・・ともささやかに自負しています。

分裂病と人類 (UP選書 221)

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コメント

bipolarとしては、納得することの多いエントリーでした。転職しまくりですが、就職氷河期世代だから、とか、ロスジェネに自己責任なんて言ってられないよ、とか、派遣法を変えないと、とかおっしゃって「くださっている」かたがたのコメントを聞いても、「いえいえ私の場合はあくまでも自分のせいです。」と思ってしまいます^^;でも基本的にアッパーor混合な時は焦燥感でいっぱいなので、

>焦るあまり、性急に無理な努力を積み上げない。

というよりは、焦りまくって無駄な努力や行動をしてしまいます。(大きい金銭投資や勉強など)なので興味が向いて、とか、好きだから、という理由で行動しているワケでは無いので、あとで「何やってたんだ」とガッカリするのですよね・・・「躁鬱気質の人」くらいまで、コントロールできるようになりたいものです^^

>でも、こうした意味での勤勉を尊ぶ職業倫理なんて、不況なだけではなくて、それまでの社会システムそのものが揺らぎだしている今のような時代においては、どれだけ人の目に見えない努力を重ねてもあっさりと首を切られる可能性のあるわけでして、むしろうつ病の人を大量生産するメカニズムだと断言したいです。

おっしゃるとおりだとおもいます。わたしはこの気質を親からもらって、現代っ子としてラッキーだったかも!?あきらめてるので、正社員にならなきゃという、プレッシャーもないし・・・。なので、bipolarとか病気は抜きにしても、社会の流れとして、派遣法を変えよう(派遣をなくそう)っていうんじゃなくて、派遣でも生きていけるようにしよう!だったら、ありがたいですね^^そういう政治家さんの想像力を期待します。

>あづみさん

 私自身、自分がどうも双極性というモデルでとらえる方がいいと気がつき、お医者さんをかなり強引に口説き落として、デパケンという、気分スタビライザー中心の処方への切り替えに断行したら、5年越しの鬱を一気に克服できたばかりか、少なくとも思春期以降35年は苦しんできた、自分の中にある執着的な「こだわり過ぎ」や「焦り」に足を取られることが一気になくなり、「自分は実は躁鬱的だったんだあ~!!」と自己受容して、世界の見え方や価値観が大変動した人間です。

 そうやって、自分の躁鬱的な面を自己肯定し始めると、世間にありがちな、躁鬱的な人間を「感情の上がり下がりが激しい困ったちゃん」としてとらえがちな側面に無性に腹が立ってきました。そして、「欝だけではなくて、躁もある人」的な捕らえ方だけでも何か大事なことが抜け落ちている、古典的なうつ病の病前性格としてのメランコリー親和型、あるいは執着気質と呼ばれるものと、躁鬱気質は、「歴然と別の気質」であり、性格であり、ライフスタイルそのものが異なっていることを再認識し始めたのですね。

 そして、ここでお書きしたように、「これまでの教育や職業倫理があまりに執着気質的で、それに巻き込まれてしまって、目標を目指してコツコツと安定した成果を出すことや、几帳面な完全主義(やるからにはしっかりと、高い志で、途中で諦めることなくやりなさい!!)や、せっかちに焦らされる方向に巻き込まれてしまったおかげで、ほんとうはゆるゆるなはずのマイ・ペースを奪われてしまったものだから、躁鬱気質の「長所」としての、「関心をどんどん『転じる』能力」「興味を持ったら無理のない範囲でアプローチし、飽きたり疲れたりしたら静かな世界で休息する」「とらわれ過ぎない、あとくされなし」といった側面をのびのび生かせなくなって、いわゆる「躁鬱病者」という大量の失調者を生み出しているだけ。だから、躁鬱気質者よ、己れの天性に帰って、好き嫌いのままにのびのびと生きましょう!! 」などと言ってみたくもなったのです(^^)

 ともかく今回の不況は、同じ社会情勢が続く中での、経済の「躁鬱の波」としての好景気と不況のサイクルの一部などではない、ウォール街の大不況、ニクソン・ショックと変動相場制への移行の時とと同じくらいに、世界経済システムが変化してしまう、数十年に一度の大きな節目です。

 今回の不況を「やり過ごせば」、再び「以前と同じような」好景気が復活する、その時になったら、それまでに積み上げた自分の職能やスキルが生きる働き口が仕事が再びある・・・・・保証はどこにもない。例えば、その段階になったら、中国やインドやlパキスタンが更にインフラを整備し、安い労働力を供給できるようにもなっているかもしれない。

 そうなってくると、地道な準備や努力をして、この苦難の時が「過ぎ去るのを待ち」、再び活躍できる時に「計画的に」備えておくなんていうことを期待し、「私の努力を誰かが見ていてくれる。いずれ会社はそれを汲んでくれる」と信じて会社と心中するか、リストラされるか、会社そのものがまったく別の業務へと転進してしまい、自分のキャリアが生きなくなってから途方に暮れるかになりかねない。まさにそういう際にこそ、欝は発症するわけですね(しかも、そういう時に、ほんとうは躁鬱気質的な人の双極性の「鬱状態」発症なのか、メランコリー型鬱の発症なのか誤診されたまま放置されたなら、いよいよ目も当てられない治療上の彷徨が待っているわけで・・・・)。

 それだったら、「あれって面白そう」「興味深い」と思ったらともかくその対象に無理のない範囲でにじり寄っちゃって、ツバつけといて(^^)、イマイチと感じたら適度に放り出し、他の興味深そうなものに関心を向ける、少し疲れたら休み、もし以前のに興味が戻ってみたらまた少し取り組んでみる・・・・ということを繰り返すという「拡散的で行き当たりばったりのライフスタイル」の方が、一見不安定のようでいて、実は柔軟に生き残り、徐々に、その時代にふさわしい、しかも自分にぴったりの形で、経験値を「らせん状に上げていく」生き方の可能性があるとも思えます。

 日本において、終身雇用制の崩壊過程で、本来は「専門性の高い仕事をしている人があちこちを渡り歩くための身分的安全保障」のためのシステム(すくなくともそのような建て前)だったはずの派遣労働は、破産したグッドウィルの、日雇い労働者の派遣業などという極端な形態に象徴される、本来の目的を見失った奇妙な形の成長(?)を遂げ、まるでアルバイトやパートの「変種」であるかのような位置づけにまで混乱してしまったわけです。大企業からすれば、「正社員をいったん解雇して、再雇用」という形を回避しするための安全装置であり、派遣元企業が実は大企業である派遣先企業の「子会社」であることすら少なくないわけですが。このへんの「建前と本音の間の歪み」にメスを入れる政治家さんがいればたのもしいと思います。

 このサイトで面白いこと書かれてますよ。「派遣とは、ヒエラルキーではなくて、「間接雇用」か「直接雇用」かという雇用システムの違いに過ぎない。派遣は派遣で、必要な人には人には必要な大事なシステムとしてもっと整備されるべき。でも、アルバイトの方が「直接雇用」である分は正社員に近いがゆえの面白さがある場合もあるのでは?」と。ご参考までに。

リンク先拝見しました^^私がラッキーだったのかもしれませんが、派遣でも派遣先の上司が評価を派遣会社にフィードバックしてくれますし、認めてくれれば能力に合った仕事をさせてくれます。勤務年数が長くなると正社員にスカウトもあったようです。その点、アルバイトのときはやはりそういうことはありませんでしたね・・・。業種によるのかしら。そして何よりアルバイトと派遣では給料が違いすぎます・・・(涙。私の職種は正社員と派遣とそんなに給料的に差がないので、派遣の人たちで正社員志向が無い人もかなりいますね。でも興味深い記事でした^^
こういちろうさんは、躁鬱気質の人はどんな心理療法がおすすめだと思いますか?ブックマークしなかったので詳細は忘れてしまったのですが、どこかのブログで、神田橋先生が躁鬱は内省させるような心理療法はあまり向かないとかおっしゃっていたとかを拝見したのです。私は精神分析系の本を読むのが好きなので^^;

まだかじりだした段階ですけど、「躁鬱の人に」という観点からすると、腕のいい短期療法系のセラピスト、例えば解決指向心理療法(ソリューション・フォーカスド・アプローチ)のあたりだと、気持ちや活動の持っている流れを大事に受け止めてもらえながら、これまでのような悪循環には陥らない、思いもよらない流れを自分に引き寄せる上でのサポートとして、面白いところがあるかもしれないとも感じ始めています。

 短期療法系は「浅い」とか「洞察や気づきを重視しない」というのはまるっきりウソです。このあたりは、すでにこの前の記事でその一端を紹介しました。

 ただ、そのへんのあたりが、教科書的な本で理屈を読んでしまうと勘違いされやすいかなという気がします。達人セラピストのライブのセッションが、ダイナミックで面白いのですよ。

なるほど、内省系の長期にわたるセラピーも経験したものとしては、あれはあれで得たものはありましたが、短期療法系にちょっと興味沸きました。
わたしはMacOS9のPC環境で、限られた時しかこちら拝見できないですが、リンクしてくださったエントリーもぜひぜひ見させていただきます。ありがとうございました。

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