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2009/02/07

欝状態になれた=やっと自然治癒のプロセスが始まった?

 そもそも欝の「本質」とは何か?

 当ブログを代表する記事である、「この」記事の進化形を書いてみようかと思う。

 実際に欝になった人の少なからぬ部分は、それ以前に自分が予想していた「うつ病とはこんなもの」というイメージとは何か別次元での状態になった時に、医者から「欝」の診断が下ったことに当惑する.......という経験をしているはずである。

「へえ、これが欝なの?」

 つまり、それまで欝という言葉から想像していた「落ち込んだ状態」や「物事に悲観的になる」状態が、強烈かつ持続的になったもの......というには何かまるで別の次元での心身の状態なのである。

 恐らく、それまでどれだけ専門的な勉強と臨床経験を積んでいても、欝のクライエントさんや患者さんと面接を重ねていたカウンセラーや医者自身が実際に欝と診断される事態に至って、我が身に生じた事態に「自分はこれまで欝についてほとんど何もわかっていなかった」といいたくなるケースも少なくないと思う。

 そういう診断を受けるまでは、その人は自分のことを「結構元気に活動し続けてきた」と感じていることすら多いはずである。後から振り返ってみれば、つらさや無理というものを実感できていないまま突っ走ってきたと感じる人も多いだろう。

 「欝」と診断されて、医者からともかく休めと勧められ、休んでも雇用保険をはじめとする諸制度によって当面の収入はかなりの程度まで維持されると知って、実際に休み始めてみたら、ブレーカーが一気に下りて、途端に「動けない自分」に豹変してびっくりすることもあるだろう。

 私は、そうやって療養のための休暇をとり始めた1日目に、リビングで座っていて、椅子から立ち上がれば1,2歩でドアに手が届く冷蔵庫の中に確かバナナがあったはずと気がついて、バナナを取り出そうと朝から思い続けていたのに、「眠たくなる」というより、座ったままいつの間にか「意識が遠のいて」いて、意識が戻るとその度ごとに時計が3時間も4時間もいつの間にか過ぎていて、気がついたら、冷蔵庫の扉を開けないまま、即日の朝まで、同じ姿勢で24時間座ったままだった、忘れられない経験をしている。

 「これは疲れとか無気力とか落ち込みという言葉では全然実感とフィットしない。身体と意識が以前とは全く異なるモードに入ったようだ。欝ってすげーなー」

.......などと、不思議な冷静さの中で静かな感慨に浸った。

 「心身のブレーカーがいきなり見事にoffになった」

 感情の高ぶりとか絶望とか自己嫌悪とか落ち込みといった、「感情(emotion)」や「気分(feeling)」の次元での変化は何も感じなかった。欝とは「こころ」の変化ではなく、全身の「身体的な反応」なのだ、ということを、ひどく醒めた感覚の中で体験していたように思う。

 重い欝状態とは、実はそれまで麻酔がかかるようにして麻痺していた心身の疲労と消耗についてのセンサーの麻酔が切れて、一気に身体次元で冬眠状態にスイッチングするようなもの。そう感じた。

 つまり本当の障害は、無理を無理と感じ取るセンサーの故障そのもの。自分がいつの間にか「非常事態切り抜けモード」とでもいうか、動物が、短期間なら、生き残りをかけた「闘争と逃走」のために発揮できる「火事場のくそ力」状態を、日常的な普通の状態だといつの間にか感じる「異常事態」に、長期的・慢性的に入り込んでいたことそのものではないのか?

 ある意味で、その反動として「欝になれた」ことは、その「無理を無理と感じない」という異常事態(disorder)からの自己治癒的回復過程が、生体の恒常性の摂理としてやっと作動し始めたということでもあるのではないか?

 ストレスの結果として「脳をはじめとする中枢神経系の心身症状態」が欝なのであり、癌や脳梗塞や心不全や消化器官の障害などの「身体の心身症」になった場合よりは幸いなのかもしれない......とも。

 動物がこれと近い状態になったら、恐らく、「元気がなくなり」、活動量を減らして、捕食活動すら抑制して、じっと休息している時間がぐっと増えることが自然と生じるだろう。動物の睡眠時間は人間よりもたいてい長い。犬や猫にしても(特に家の中で変われている場合)、ほとんど20時間近くの睡眠時間を持つらしい。

 ところが、農耕社会になって以降の人類は、日が高い間は規則的に一定の労働をし続ける社会に順応するしかない状態に置かれた。そうした中で心身に無理をかける状態こそが「適応状態」であり、欝という「まったく自然な自己治癒的生体メカ二ズム」が不適応な障害として捕らえられるようになった。

 「人は、欝になったことについて欝になる」

 欝になった自分とのつきあい方について「欝」になっていく。

 前者の「欝」と、後者の『欝』は、実は内実が異なるのだが、その次元の違いごた混ぜに体験しているのではないか。

 あるいは、欝の「症状」と呼ばれるもののかなりの部分は、一度欝という名の「自然な休息状態」と、規則性を尊ぶ人間社会との折り合いをつける際の軋轢から生じた「二次症状」に過ぎないのではないか。

 もしそうした「二次症状」の部分をうまく解決できたら、「欝状態」そのものは、意外なまでに静かで、淡白なまでに淡々とした、治癒(軽快)に向けてのプロセスとしてを経過するものなのなのかもしれないと思う。

 私の見たところ、例えば、「自殺念慮」というのは、「二次症状」に過ぎないと思う。これに対して、朝が、まるでコールタールの中に浸かって動き出そうとするような心身の重さ、鈍さとして体験される一番つらいひと時となる「日内変動」というのは、睡眠の後で覚醒して、日の光を浴びてはじめて徐々にじっくりと増えていくらしいセロトニンの分泌のメカニズムに一致した本質的な側面かもしれない(非定型における「午後の方がつらい」というのは、夜の眠りの浅さの結果として生じる「遅延した」事態であるに過ぎないのではないか?)

 自分にとって自然な作用がある薬と出会え、医者への自然な信頼関係を持て、一人でいいから心を許せる(できればプライベートな)他者との絆、そこに寝心地のいい睡眠をたっぷりとる方向に自分を徐々に導ければ、欝は自然治癒する。

 自分を一種の「過活動」に連続的に追い込むことで強引に脳内のエンドルフィンやドーパミン、ノルアドレナリンや身体全体の乳酸を過剰に高濃度(しかも、セロトニン不足による、不安定で不均衡な状態)をキープして、心身の無理についての感覚センサーを麻痺させる悪循環の回路への繰り返しの依存(一種の脳内麻薬慢性中毒状態)こそが、恐らく「いわゆる欝」の本体だと思う。

 心身の無理の度合いをセルフモニタリングする心身のスキル、および自分で自分をリラクゼーションさせるスキルを、以前のものからかなりバージョンアップできれば、再発防止(少なくとも以前よりもしなやかに付き合える状態への移行)にもなるだろう。

****

 「非定型うつ病」という診断名への違和感についても書きたかったのだけれども、これは今後に回すこととしたい。一言で言えば、「非定型」というのは、DSM-IIIまでのように、どのようなタイプにも当てはまらない場合にのみ用いられるべきで、DSM-IVのように、ある特定の病型を具体的に定義するために用いられるべきではないと思う

 それにしても、「過眠」という概念については、睡眠時間の長さの問題ではなく、本当は「質の良い睡眠を取れないので、睡眠の質が浅いままずるずると長引く」状態なのである。そのような睡眠になることは、「質を量でカバーする」という自然な生体の戦略ですらあるのではないか。ナルコレプシーでも睡眠時無呼吸症候群でもなく、更に「特発性」でもない場合、「過眠はよくない」というとらえ方はいよいよ悪循環を生み出すのみだと思う。「短くしよう」という努力は不毛なものだろう。

 一方で、「ああ、すっきりとした眠りを取り戻したい!!」と感じる自分も静かに受け止め、他方、欝が寛解すればいつの間にか自然と短くなるだろう、のというくらいに、「あるがままに」過眠を自己受容できるぐらいでよかろう。

 実は、このことは「不眠」についても同じようにいえることかもしれない。

 「深く、気持ちよく眠れた」という後味を残すのであれば、長時間の睡眠はむしろ回復過程が相当順調に進んでいることの典型的な証しではないか。深く、気持ちよく眠れる度合いが増せば、人は、昼間は結構起きてしまえるように自然となる気がする。

 症状を消そうとすることが、即、治癒につながるわけではないはずである。それは、かさぶたを繰り返しはがすことが傷の治癒を促進すると思い込むようなものだ。単に「規則正しい睡眠」をすれば欝は改善するわけではない。「そこそこ規則正しく」というのは、欝の回復が相当程度進んでからでも遅くないのではないか。睡眠についての強迫神経症状態(?)というか、絵に描いたような「理想化された睡眠」を追求する完ぺき主義とその挫折の悪循環という二次的症状に陥り、堂々巡りるする状態にはまり込むようでは、欝の治療過程としては袋小路なのだと思う。

 
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