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2008年7月

2008/07/29

おすすめオーディオ買い取りショップ。

●オーディオエイブイドットコム
http://audio-eibui.com/

首都圏全般に出張して買い取ってくれます。

希望日に来てもらうには2、3日前には予約のこと。

買い取りの際の輸送費用は請求されません。
最悪で無料引き取りです。


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ともかくオーディオのプロが訪れての査定が丁寧でした。

動作確認を丁寧に音まで聴いてやりますので、セッティングは崩さないまま通電状態で待っているのがいいかと思います。

「これ売れない?」 を続々追加しても、嫌な顔一つせずに対応して、売れるものを増やすのにご協力下さいました。

ヘッドフォンでも、箱付きで美品なら良心的に買い取ってくれました。
例えば、シェアーの530は2万円。

相当使い込んだ、傷だらけの箱なしのパソコンでも、例えばmacのiBook3Gに「万」の値がつきました。

regaのアナログプレーヤー(箱、説明書あり)は、実は買ったときより高く売れました(^^)

オンキョーのシスコンフルセット、説明書なし、スピーカーに傷ありで2万円。

電話での見積もりのときよりも4万近く高くなりました。

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 ちなみに、ここはオーディオ以外でもいろんなジャンルを買い取ってくれます。

 家電でも、使用が3年ぐらいまでなら、だいたい本来なら引き取りに「お金を出す」分の2倍ぐらいは価格査定は出ました。

 ただし、もはやブラウン管テレビは売れませんよ!


 おかげで、九州までの引っ越しにも関わらず、引っ越しと「お掃除隊」、旅費等の支出を除いてもモノの見事に黒字です。

今日は突貫工事の引っ越し準備中

ものが多い私でしたが、かなり身軽になって鎌倉を離れると思います(^^)

ブックオフでに売却or処分してもらうぶんと、日通の単身者向け引っ越し便で久留米に送る分、友人たちに送ってしまう分を選り分けて........あとは30日夜に「お掃除隊」だったりする。

次第に部屋が広くなりつつある(^^;)

2008/07/27

湘南に生活できて、ほんとうによかった!!

 今日は、快晴というには少しだけ霞がかった空でしたが、比較的夕刻まで、鎌倉は海日和でした。

Image369b
 多摩地区では大雨が降ったとのことですが、北の方に向けて雲がみるみる増殖されていくのが見えていました。

Umibe_no_kouchan2_2........え? 拡大写真の切り取りの場所が違うって?
実は撮ってる側にいたりして(^^;)


 8年近く住んでいたのに、ここまでのびのびと、心安らかに湘南を堪能した日はなかったかも。

 次の写真の、やたらと人が集まっているのは、海の家 鎌倉由比ガ浜 CHINAQUICK RESORT チャイナクイックリゾート×TBS'08で、「ダンスコネクションR 夏・舞・祭 in 由比ガ浜」が開かれていたから。


Image385

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 さて、以下の人物とライブの場所は?

Image3871b

こちらも参照。

2008/07/26

引っ越し早まる:リサイクル店出張買い取りの店選びの重要性(第2版)

 引っ越しが10日も早まることになり、急遽引っ越し依頼や不要品処理のためドタバタして書き込みがあとまわしになりました(^^;)

 8月1日、私は関東を離れます。

 すでにかなりの数の方にはご連絡いたしましたが、このため、もう一回お会いできないままになってしまう皆様が何名もでてしまったことに、誠に恐縮しています。


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 それにしても、よくもまあ、久留米に帰るまでのすべての段取りにおいて、とりあえず手持ち金黒字のままを達成し得たと思う(^^;)

 実は、これを機会にタンノイやリンの製品を手放すことにしたことが大きいのです。

 店を選べば、海外ブランドもののオーディオ製品は、多少難ありでも、鎌倉の自宅までトラックで来てくれて、良心的に価格査定してくれます。そのついでに家電製品すら、ものによっては買い取りで引き取ってくれる場合もある。

くわしくはこちらの記事を。


 この種の中古品の処分の場合、オーディオに目利きがある店を選ぶか、そうでない店を選ぶかで、「処分費用をとられる」から「良心的買い取り」まで、結果はまるで違うようです。

 これは、ブランドものの服や家具などについても、同じではないでしょうか。

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 アニメのCDなどの多くは古くからの友人に贈呈することにしました。


2008/07/24

流派を問わず、すべてのセラピーは、まずはセルフセラピーとして学ばれるのが自然ではないのか? (改題)

 フォーカシング関係者の皆様に向けては、 私自身の気難しさや関係作りの下手さも大きいので、今更愚痴めいたことは書くつもりはありません。
 
 自分で言うのもおこがましいかと思いますが、ある意味で天才肌でマイペース、一緒に伸びて行こうという姿勢をとれなかった私を、さぞ扱いにくかったろうと想像しています。

 このことは今後の糧とし、私の今後のあり方に反映させていくつもりです。

 これからも、どうかよろしくお願い申し上げます。


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 それでも少しだけ、現状についての思いを。

 以下の話は、ことフォーカシングおよびフォーカシング指向心理療法のセラピスト、カウンセラーに留まらず、すべての社会領域で活躍する援助職の皆様、とんな流派に属するかにかにかかわりなく共通する問題としてもお読みいただけるかもしれません。


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 以前、日本を代表する、ある他流派のカウンセラーの方(開業としても成功しておられます)に言われたことがあります。

 「日本のフォーカシングの世界の不幸なところは、最初から大学の先生方が中心となって研究実践がなされてきたことではないかと常々感じている」

と。

 フロイトをはじめとして、多くの精神療法の創始者は、大学ではなく、開業や、自分の「臨床現場」を中心としていた人たちでした。そして、大学の外で、自分の流派の運動を発展させ、後継者を育てていきました。

 
 日本でも、大学に招聘される前に、まずは自分の臨床現場で専門的な技量を磨いた先生方が開拓されて来たことが少なくないかと思います。

 最近でこそ、臨床の指定校大学院には、さまざまな専門や流派、さまざまな専門領域のの先生方からの教育を受けられる環境が整備されて来ていますが、それ以前は、九州大学など、格別に恵まれた大学を除いては、詳しい情報はほとんど知らないまま、自分の入った大学の先生が専門にしている流派中心の教育を受けることが少なくなかったかと思います。

 そして、自分の先輩の先生方がその流派、その専門領域(児童発達臨床なら児童発達臨床、障害者臨床なら障害者臨床)に強い関心を持ち、経験を積んでいている「から」、卒論や修論をその領域で書く、という学生さんが少なくなかったし、今もその傾向はかなりあるのではないかと思います。

 もとより、それに違和感を覚え、早くからいろんな臨床家のセミナーや勉強会に出席したり、領域別の研修会やワークショップに通ったりして、多様な研鑽を積んで来た皆様がたくさんいるのは承知しています。実際に現場に出たら、その領域についての修行が必要になったというきっかけがある人も少なくないでしょうし。

 何年も何年もいろんな領域や流派に関わっていき、いろんな現場経験を積む中で、自分の方向性が定まってみたら、すでに30代も終わりつつあったというのでも、全く自然なことかと思います。

 そして何より、一度現場に出たら、日々の仕事に忙殺され、新たな学びを定期的にみっちりと積み上げるための時間と労力、お金と気力を捻出し続けるだけでも、たいへんであろうことについても、想像に余りあるものです。


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 しかし、私は思い起こして欲しいと思っています。

 カウンセラーを志した皆さんは、多かれ少なかれ、自分の人生に迷い、悩む経験が、この職業を選ぶ少なからぬ要因になっている、という「原点」をです。

 フロイトですら、ユングですら、この問題に生涯向き合い続けました。

 単なる「知的専門職」への憧れ、ましてや高収入への憧れ(これは現実に反する)、あるいは人々の助けになりたいという思いから心理カウンセラーを目指した人は少ないと思います。

 まずは、自分の人生の悩みを解決していくのに役立つ形で心理療法を学んで欲しい。

 そのことに役立てるように、自分にしっくりくる方向に、心理療法を、セルフ・カウンセリングとして身につけるつもりで。

 これは、ことフォーカシングに留まらず、例えば、行動療法だって、箱庭療法だって、プレイセラピーだって、みんな同じだと私には感じられます。


  流派を問わず、適用対象を問わず(!)

  すべてのセラピーは、

  療法家自身の「内なるクライエント」のためのセルフセラピー

  として「まずは」身についていくのが自然なはず


と思います。

(例えば、慢性統合失調症患者向けのセラピー、広汎性発達障害の人向けのセラピー、老人向けのセラピーであったとしても!!)


 自分個人の人生に役立つという実感がないとしたら、あるいはそのことと矛盾するとしたら、適切な学び方、いや、「身につけ方」に至っていないということかと思います。

 自分自身のために身に付く、役立つ、ということを抜きにして、人への療法の腕だけを磨き得るということは、原理上あり得ない。

 そして、そうやって自分のものになって、自分に役立っているということを評定するのは、あなたの師匠ではなく、あなた自身の実感だということを忘れないで下さい。


 これは、特にクライエント中心療法の流れを汲むセラピーを学ぶ人たちにおいては当然のことでは?

 「クライエント中心」とは、
 セラピストにとっての「クライエント中心」ではなく
 クライエントにとっての「クライエント中心」にならなければおかしいと思います。

  まずは、
  あなた個人の「内なるクライエント」の
  役に立っている実感があるもの

  成長させてあげないと。


 そのための「内なるセラピスト」の養成過程として、

 いわゆる「教育分析」や、自分が本気で自分の流派のセラピーを受ける経験があるのだと。 


  あなたが、あなた自身のために役に立つことをしてあげられなくて、

  どうして人の役に立つなどということができるでしょう? 


父との思い出

 さて、久留米の父母は、今も70代と80代で健在である。

 さすがに両親とも、足は萎えて来たようだが、
ふたりとも、頭脳と頭の回転は、
今でも全く変わりがないままで、かなわないくらいである(^^)

 今度久留米に戻ることで、
また迷惑をかけることにはなるが、
健康とはいえ、
やはり老いた父母の身近にいられることで、
これからやっと、30年ぶりのご恩返しもできるのでないかという思いもある。


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 父のこととなると、忘れがたい思い出がある。

 まさに今度、私が住居を超し、とりあえずカウンセリングルームを再開する予定の、東櫛原町にある、私が生まれ育った旧宅での思い出。


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 小学校3年生ぐらいだったろうか(昭和43年=1968年)。

 その頃、その旧宅の2階に、父の税理士事務所が置かれていた。父は事務員を2人雇っていたと思う。以前勤めていた税理士事務所での職場結婚だった母も、事務員のひとりとして働いていた。

 父は、私が幼稚園(あかつき幼児園)の頃から、よく、得意先の久留米や久留米近郊の商店や工場に、私を連れ回していた。私は鉄工場や建築業、さまざまな商店の様子を自然と見学でき、そこの経営者や従業員さんとも自然と口をきいていた。

 およそ大人に対しても全く無邪気に口をきく子供に育っていた。

 一人っ子の私と共にすごす時間をそうやって増やすと共に、一種の社会勉強をさせるつもりでもあったのかもしれないと思う。


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 さて、そいうい中。

 父親は、何も図面を引かずに、家の棚やちょっとした家具や鳥小屋や庭の池を作ってしまう、日曜大工の達人だった。私は父のそばで、見よう見まねで、余った材木でいろいろ組み立てていたものである。

 その日、私は一種の「立て札」のようなものを作った。

 家の玄関にそれを立てた。


「ただいま、このじむしょには、□人、じむいんがいます」


 □のところに、フックを取り付けてあって、そこに厚紙で作った数字の札(ふだ)を付け替えられるようにした。

 拙(つたな)いものだったが、我ながらそこそこよくできたと感じた私は、2階に上がって、仕事中の父を呼び出した。


 「あのね、これで今のじむいんのかずをみんなに知らせるの。
  とうちゃんもかあちゃんもじむいんだから、今は4にんなの」


と自慢げにはなした。


 すると、父はしばらく黙っていて、突如、


「”さん”をつけなさい!!」


と言い出した。

きょとんとしている私に、父は繰り返した。


「”さん”をつけなさい!!」


私は混乱した。


 今事務員は2人2階にいるのだから、
 "2人"か、父母込みで"4人”はあり得ても、"3人”だけはあり得ないではないか?


 それでも父は、おどおどする私の様子に、


「”さん”をつけなさい!!」


と、更に繰り返すのみ。


 私は手製の看板を後ろ手で隠し、さりげなーく、数字を"4"から"3"に架け替えた。

 ここまでで、5分以上はかかった気がする。

 すると、父は、


   「こう(こうちゃんの略)、わからんとか?
 
   "事務員さん"と言いなさい」


*****


 この瞬間、私はすべてを子供心に察した。

 

 父は何も理由を告げないまま、仕方ないなあと苦笑するかのように立ち去ったのだが。


雇っている職員でも、お金を出して働きに来てもらっている人たちなのである。
 
その人たちに、雇い主の子供といえども、敬意を払わねばおかしい。

雇い人に横柄な口をきくような息子に育っては困る。


..........そういうあたりの意味だろうと。


******


 もっとも、私の中には、

それなら、最初から、


「『事務員』と呼び捨てるな、『事務員"さん"』と言いなさい」


とでもわかりやすく言ってくれればいいのに、という割り切れない思いが残りはした。


 そして、父親のものの言い方が「回りくどく」て、
相手が「察する」のを期待しているような暗示的な言い方が少なくなく、
それが余計に父親と周囲との関係をこじれさせている場合もあること、
つまり、

父親の気難しさ

にはっきり気がつくきっかけともなったのだが。


*****


 しかし、私にもそういう気難しさは父から私に受け継がれていると思う。


「詳しく説明して、教えてもらわないとわからないなんて、受け身で、そんなことではものにはならない。どうしててそんなことに自分で気がつけないのか」 


 このような感じ方は、
特に同業者のカウンセラーや、
フォーカシングのトレーナーたち(一般の学ぶ人ではなくて!)に対する、
物足りなさと、鬱積した不満というかたちで
不用意に発散されたいたかもしれない、
という反省もある。


 でも、道徳や倫理を決して上から押し付けない父であった。


 おかげで、
私は思春期になって、
自分の苦しみをぶつける「仮想敵」を見つけられなくなる。

 何に反発したらいいのか、わからない孤独の中にあった。


****


 このような「持って回った」「気難しい」ところがある父を阿吽の呼吸で受け止め続けた母も偉大だと思う。


 しかし、仕事中に玄関まで呼び出されて子供に向き合っても、決して


 「つまらないことで呼ぶな、仕事が忙しいんだ」


とだけは、
決して言わなかった父に、
どうしても、
ある畏敬の念
を感じるのである。


 父親なりの、
私への「帝王学」
だったのだろうと。


やっとSkypeを使い始めた。

 音質がいいとはきいていたがなるほど。

 今後は久留米でのカウンセリングルームの運営にも生かそうかと思う。

 湘南フォーカシング・カウンセリングルームのクライエントさんだった人たちのフォロー・アップにも生かすつもです。

 フォーカシングのセッションや、ケーススーパービジョンでも使えそう。

 私のMacBookだとハンズフリーでもイケルし。ただ、どこを向いて話すかは戸惑うが。

 ●Skype公式サイト

Apple Store(Japan)
Apple Store(Japan)

2008/07/22

私が普段何を聴いているかは(第2版)

Last,fmの、kasega1960 ラジオステーションを聴いて下さい(^^)

 ソフトをインストールして(win用、mac用あり)、さっきのページの「マイ・ライブラリを再生」で聴くと、外部の人にも、Last.fm側のにファイルがある曲なら、ですが、全曲聴ける曲は聴けるみたいです(^^)


 こういう、外部からオープンアクセスな仕様があるとは知らなかった(^^;)

(上の書き方、誤解招くかな? ファイル交換ソフトではないので、念のため。曲名から割り出しているみたいで、別のアルバムの別テイクのこともあるようです)

 J-POPとクラシックと古めのアニメ音楽が混在する摩訶不思議なラインアップですが。


 ●追記:7/16バージョンアップで、JASRACとの契約が成立したため、 日本語版でもRadioやStationがサイトやAudioScrobbler上から再生可能となったのは確かなようです(wikipediaより)。

 しかし、「マイ・ライブラリを再生」で全曲再生できる曲がひどく現状では偏っているようですね。ayuはリミックスの一曲だけ、みゆきは皆無、BeatlesやCarpentersは、何回も再生するうちに徐々にラインナップが増える気がする。日本のでは、倉木麻衣や愛内里菜はかなりの曲を再生できます(7/24記)。

 

九州人の島国根性

 少しまじめなカウンセリング系の話題が続いたので、
 くだけた話題にしましょう(^^)


 本州と九州って、関門海峡一つしか隔てていない。

 リンク先の航空写真をご覧になってもおわかりのように、この海峡は、狭いところでわずか600メートル、大きな川の河口付近と同じくらいの隔たりでしかないわけです。

 もちろん、潮の満ち干の際の、瀬戸内海側と外海側の潮流の速さは、鳴門海峡ほどではないにしても相当のもので、この潮の流れの変化が源平の壇ノ浦の決戦にも影響したことはよく知られています。

 しかし、上古の昔から、大陸・朝鮮との交易で発展し、太宰府もおかれたくらいですから、畿内とは別の独自勢力が早くから発展し、伝統の深さという点では独特のプライドを持っている一方、中央とのパイプも特別なものであったという背景があります。

 1世紀の『後漢書』における奴国王金印まで歴史書での言及が遡れる。

 久留米近郊にしても、凄い数の古墳群や朝鮮式山城跡(神籠石 こうごいし)を持ち、1世紀の、古事記、日本書紀の高良(こうら)山(久留米市)への景行天皇行幸や、豪族「磐井」の乱の著述に遡るわけですね。

 近代に至っても、関門海峡鉄道トンネルは、昭和初期にすでに開通していた訳です。当時は鉄道輸送こそが経済の動脈でしたから、本州との一体化は非常に早くから進んでいたといえます。

 山口県の皆様には失礼かもしれませんが、特に山口県の西部は、九州と一体になった経済圏として認識されることは、少なくとも九州人においては少なくないかと思います。下関市からわずか数分で、百万都市、北九州市ですからね。


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 さて、九州は、島国日本の中でも、本州を除くと北海道に次ぐ2番目の大きさの「島国」です。
 
 関門海峡一つ隔てているだけで、特に福岡県は、「名誉本州」的な妙な挟持とプライドを良きにつけ悪しきにつけ持っている面がある一方、文化的・経済的にも「関門海峡の向こう側」は「異世界」であるかのように実感する、「引きこもり」的心性もあると、私個人は感じています(^^)。

 九州内で自己完結するか、それとも関東圏に進出するかという葛藤に引き裂かれている度合いが高い。

 大学でいえば、九州内での頂点としての九州大学を目指すということで最上級の目標としている人たちが多い(私学なら、今でも西南学院大学福岡大学などでしょうか?)。

 少なくとも親御さんに、「九州内から選べ」と頑固に主張する層が今も少なくないかと思います。例えば長崎県から福岡県の大学に入るのと、広島の大学に入るのと、「身辺の安全性」という点でどれだけ違いがあるのかといいたくもなりますが(^^)

 もっとも、これにはやはりそれなりの(現実的)理由があるかと思います。

 例えば、就職においても、九州内の大学出身者の方が、九州資本の企業や公共機関に就職するとなれば、採用の際にも歓迎され、入社後も、人脈(同僚との関係も含む)作りという点で有利という現実(あるいは思い込み)は今でもあるのではないかと思います。少なくとも、九州大学出身の方が、広島大学出身よりは受け入れられやすいかと思います。

 (ちなみに、広島大学「学閥」の影響力範囲jは、山口県のごく東部から兵庫県西部におよびます。これは私がかつて大学の採用公募で辛辣に体験した現実だったりして。九州大学の影響範囲は、九州全域と山口県西部、愛媛県の一部。それ以外の地域からの公募には一つの大きな障壁が横たわる場合がある。これも私がかつて体験したこと)


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 そして、特に福岡県生まれの人は、大学選びに関わらず、将来進路を来める過程で、「九州に留まるか、それとも上京するか」という深刻な岐路に直面するわけです。

 もう、関西なんて、全然視野にない。九州から関西の大学に進む人は意外なまでに少数派なんですね。

 私自身、京都、大阪の方が、よほど「異国」で、異質な文化圏と感じることが多い。特に福岡市という都会は、数十年前から、実にけなげなまでに(爆)、東京直結の最新の文化的空気に満たされたいて、意外なまでに、東京に移住しても違和感がないのですね。

 このことは、高校時代に、久留米から福岡市早良区(ayuや椎名林檎の生まれ故郷)まで通学していた私が東京に出てみようと思うに至る上でも、「予備練習」として(爆)相当影響しているかとい思います。


 最近だと、航空機は各社の競争の中、安い便だと1万数千円で1時間に何本も羽田に向かい、所要80分で到着するし、今や最新ののぞみ号だと、東京まで5時間を切る形で、1時間に1往復はしているわけです。

 そういうわけで、
 福岡県人の中には、
 やや悲愴なまでの志と気負いを持って、


  「花の都に出て行くからは....」海援隊 - Best Selection - 母に捧げるバラード母に捧げるバラード/海援隊


 .........とばかりに上京する、
 「福岡から上京組」
 独特のパワーによって
 日本全体に貢献してきたことになります。


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 ミュージシャンや芸能人・文化人における「福岡県出身者」のたいへんな多さと、大物の量産ぶりは、音楽界における、井上陽水、浜崎あゆみ、椎名林檎をはじめとして皆様の知るところですね。

 我が久留米市に限定してすら、企業家まで含めると、石橋正二郎(ブリジストン創始者)をはじめとする3大ゴム企業の創業者、田中久重(東芝創始者) 、中村八大、松田聖子、チェッカーズ、ZARD(坂井泉水)、松本零士、田中麗奈、藤吉久美子、中野浩一(競輪)、坂口征二 (プロレス)、酒見賢一(小説家)

 そして、よりによって上祐史浩(!)まで産しております。

 ソフトバンクの孫正義さんは久留米市のお隣の佐賀県鳥栖市の生まれ。

 評論家の宮崎哲弥さんまで久留米出身とは知りませんでしたが。


 武田鉄也が福岡教育大学学生時代に、教育実習生として、私が中学生として在籍していた当時の福岡教育大学付属久留米中学校に一ヶ月赴任し、校内音楽会でギターまで弾いたというエピソードは以前書きました。


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 私も、その末席を汚す奇人のひとりであります(^^)

 福岡よ、久留米よ、どうか「出戻り」の私を安らかに迎え入れてくれ!! 


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私の当ブログ主要記事の一覧

 きのう、久々に記事を5連発なんていうことをやらかしましたが(^^;)

 オフィスの部屋の鍵を不動産屋さんに返して、家に帰ってみたら、ああいうモードになってしまったのですね。


 ........実はさっき、親しい人から携帯メールが着信するまで、ひたすら爆睡していました。

 今日明日の仕事のことを全く心配せずに起きられるというというのは、不思議な感慨です。


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 .........ということで、今日のafternoonは、とりあえずこのブログの新記事は、手抜きモード( ? )にします(^^)

 私のブログのこれまでの主要記事が、実は旧オフィスサイトの次のページにリンク集としてまとめられていることは、意外と周知されていないようなので、ご紹介:


●阿世賀浩一郎 WEB上のカウンセリング論集 INDEX


 「カウンセリング論集」となってますけど、最後の「その他」の部分にカウンセリング系以外の記事の一覧もあります。

 ayuやオーディオ、iPod系の記事はこの一覧には含まれていないものも多いですが(^^;)

 なお、この1,2ヶ月の記事は未反映です(7/22現在)。追々増補します。


 ご参考までに。

2008/07/21

友人に病院受診を勧めたくなったら

 本来前の記事へのasukaさんからの質問へのコメントだったのですが、皆さんにもお役に立つテーマと思いますので、リンクの形で紹介します。

 こちらへどうぞ。

臨床心理士ではないカウンセラーをあなどるなかれ

 ちょっと一転して、前の記事で少しだけ言及した話題をトピックとしましょう。

 前の記事で、


 そして、私は他流派や、臨床心理士ではないカウンセラーとの連携も具体的に視野に入れています。 

とお書きしたことの背景ですが。


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 臨床心理士は現在もはや「量産」され過ぎているともいえます。少なくとも、この資格で収入となる職場があまりにも未開拓のままの現状に比して、とは言えるでしょう。スクールカウンセラーが、若き臨床心理士の「とりあえずのそこそこ高額の収入源」としての側面を持つことは結構知られている現実がと思います。

 一方で、教育界という、独特の社会、ご家族、地域とうまく連携して、大変優秀な活躍をされている臨床心理士のまたも少なくないのは確かです。しかしその一方、「学校では相談室で暇を持て余している」スクールカウンセラーも少なくない現実があります。

 もっとも、そうした、「臨床心理士の使い道」を、様々な業界の人に理解してもらえるためには、個々の臨床心理士、あるいは問題意識を持った自発的な臨床家(他職種すら含む)のグループからの問題提起をしたり、相互に研鑽を積んで社会的才覚を磨いたりして、評価を積み上げるしかない段階に現在まだあるとも言えるかと思います。

 開業するカウンセラーに限らず、ある種の起業家精神のようなものを身につけ、社会の中でキャリアをひろげる可能性を切り開くだけの気骨と実行力とチャレンジ精神が求められている時代に入ったように思います。

 特に、ケースワーカー的な、社会的ネットワーク、地域の人的資源を活用するための知識や経験の蓄積が後回しにされているのではないかと思います。

 大事なのは、学界での評価ではない。

 あくまでも、他業種の人々や一般市民、各地域の公共的な現場にある人たちの評価が、今後の臨床心理士の命運を決めるのだと思います。


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 それはそうと、臨床心理士には、他の援助的専門家と異なり、大学院博士前期課程を終了していないと資格試験受験資格が得られないことによる、独特のプライドがあるようにも思います。

 特に、固有のセラピスト認定過程を持ち、企業のビジネス上の研修の領域にも深く食い込むだけの組織力があるカウンセラー流派・組織のカウンセラーに、ある偏見を持っていることが少なくないのではないか。

 そうしたカウンセラー組織のウェブサイトを見ると、これはひょっとして、資格という免状をを売り物にした「ネズミ講」的構造こそが収益源となっているのではないかと疑ってかかる習性が身に付いてしまうのですね。

 そうしたサイトでは、大学院出のカウンセラーの卵も聞き慣れない専門用語があふれていることが少なくない。


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 しかし、私はこの3年間に、そういう心理臨床学会プロパーではない流派や組織のカウンセラーや研修生の方々からも、かなりの多くの、「フォーシングを学びたい」だとか、「スーパービジョンを受けたい」というお申し込みをいただきました。

 そうした中で、幾名かの、大変に良心的な現場カウンセラーとしてのセンスと経験値をお持ちの方と出会いことができました。

 
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 極論すれば、お会いした最初の1時間で、その方の臨床センスというものは十分読み取れるものだと私は感じています。

 そういう方の多くは、自分の流派の専門用語や技法について、意外なまでに口にされません。敢えてフォーカシング指向心理療法の国際資格認定資格を持つトレーナーである私に指導を受けようとされるのですから、流派の優劣の議論をしようなどとはお思いではない皆様が多いのだと思います。

 あくまでも、自分が「援助的専門家として」直面している具体的な困難を解決したいがためにおいでになることが少なくなく、現場で遭遇する問題の数々には、私も深く共感させていただきました。


*****


 更に、全く正直に言うと、The Focusing Institute日本支部や、日本フォーカシング協会では掌握していない「講師」の方からフォーカシングを学んだという経歴の方も少なくありません。そういう講師の方は、独自にフォーカシング学習のためのDVDまで制作しておられる場合すらあります。

 (そういう学習教材を、「オーソドックスな」日本のフォーカシング指導者たちが、商業ベースでまだほとんど制作していないことの方がおかしいのですが) 

 そのようなカウンセラーの方の「フォーカシング学習体験」や「臨床での活用」を詳しく伺うと、ご自身なりに、例えばアン・ワイザーさんの技法書を、ご自身なりに苦労して消化し、自分の流派の技法に取り入れ、現場で具体的に活用するに至るまでのご努力と経験値、役に立つものならどん欲に学びたいという謙虚さを十分感じさせていただく場合もありました。

 その前向きで柔軟な姿勢は、「オーソドックス」なフォーカシング・トレーナーに引けを取らないどころか、「クライエントさんに効果があるかどうか」だけを基準に、自分の流派の技法と統合したその潔さには、「胸のすく」おもいすら感じることがありました。

 これは別な記事で詳しくは述べますが、私は学問にしても、専門家としての技量にしても、究極的には「盗み取る」ものだという考えを持っています。

 教えてもらって、権威から認定を受けるものではないのですね。

 結局、評価するのは、一般のユーザーさんであり、顧客様以外の何者でもありませんから。


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 そういう意味で、私は、臨床心理士もまた、閉鎖的な「家元(を重視する)意識」など持って欲しくない。

 例えば、介護福祉士や、看護士の相談役として、それぞれの職種や資格の経験豊富な先達や経験者からしか学び得ない領域もあるかもしれない。

 しかし、それを承知の上で、臨床心理士は、臨床心理士以外の援助職の皆さんからの相談も積極的に受け入れるべきだと思います。

 スーパーバイズを受けた経験が、自分の流派の資格認定や継続の上での「認定」になるかどうかなんて、本質的なことではない。そういう認定基準を設けないと、そうした研修を受けない人が増えかねないことからハードルを課すのはやむyを得ないにしても。

 何より、自分の「臨床」=「現場」で、利用者様により有益なサポートができるために、技量を磨かずにいられない、というのが。本来研修のあり方だと思います。

 そして、他の臨床家に教えたり、助言したりする経験が、翻って、自分の臨床を磨き、謙虚に振り返る機会となるのだと思います。

 これは、別流派や、少し異なるジャンルの援助的専門家相手の場合にこそ、更に顕著に言えることかと思います。

関東時代の総括はまだまだ続き、「新天地」福岡での構想にまで進む(^^)(第3版)

 こうして、大船でのカウンセリングルームを閉じた今、久留米への引っ越し関係の雑用が徐々に増えるのを別にすると、私は、利用者の方へのフォローアップ、そして、関東圏で、私とプライベート次元でな名残りを惜しみたい数名の人たちとの交流を除くと、特にこれから数日は、ゆっくり荷造りをしながら、もはや経営上のストレスから解放された形で、久々にこのブログの記事を思う存分書くことになりそうである。

 ここ10日ぐらいの私の記事が、これまでになく「吹っ切れた」書き方の記事が多いと、友人も言ってくれている。自分でもそうだなと感じています。

 そして、それは、大学入学以来、これまでの30年間におよぶ関東時代の総括となるばかりではなく、「移転」してから、これまでの3年の試行錯誤を生かして、私の「フォーカシング・カウンセリングルーム」を故郷久留米に「移転」してからの無駄のない構想を自分の中でブレーン・ストーミングし、(敢えて言います)九州の皆様に「前宣伝」する意味をも込めて書いていきます。


*****


 故郷久留米は、福岡県の中南部、九州第一の広さを持つ筑紫平野(筑後平野)の中心に位置し、人口30万を超える、「地方中核都市」に指定された中都市です。

 福岡市までJRあるいは西鉄の特急で30分(2年後には九州新幹線でわずか12分)、佐賀市までバスで40分、福岡空港から高速バスで45分、熊本市からも現行の在来線L特急で50-60分、あるいは大牟田での西鉄大牟田線への特急乗り換えでも90分以下、南端の鹿児島市からも、新八代で九州新幹線から在来線特急への乗り換えで、現状ですら2時間を切るのですね。

 つまり、ネットでの申し込みが多い経験値を生かそうと思う私の場合、おいでいただく方を九州一円からとみなす戦略が可能です。

  ...といますのは、私の大船時代の利用者様は、せいぜい10キロ以内の、鎌倉市・藤沢市や横浜市南部からおいでの方が半分近くを占めました。そして、湘南新宿ラインの恩恵か、栃木/群馬から一気においでの方が結構おられました。そして、長野・新潟などの遠隔地からはるばるおいでいただいているかたもあるという具合でした。これもインターネットの影響かと思います、「地域密接型」と、遠くからのお客様を兼ね備える形になっていました。

 これは、ひとつには、私が一方で、狭い意味での心理療法の枠にとらわれない「町のカウンセラー」としての通常カウンセリングと、フォーカシングのトレーナーと言う二つの顔を持っていたせいもあるでしょうが、かといって、「近郊から=通常カウンセリング」。「遠方から=フォーカシング」と単純にタイプ分けもできませんでした。遠いところからおいでの方も、通常カウンセリングご希望の方が結構おられたのも確かです。

 それまで自分の受けていた精神医療や、カウンセリングにしっくりこなかった皆様は、23区を飛び越してでも、ネットで見つけた私に希望をつなぐということは、かなりみられたのです。

 恐らく、23区にお住まいの方は、わざわざ横浜の更に先の、大船までカウンセリングに通うというのは想定し辛かったのだと思います。東京都や神奈川県の多摩地区から「南北に向かう」鉄道網が乗り換えが多いことも災いしていたのでしょう。意外と、小田急沿線で藤沢乗り換えでおいでの方もありました。

 しかし、この特性を久留米でもそのまま生かしたいと思っています。久留米の方が、トラフィックと本数が多い交通網がほぼ放射状に各地に伸びているだけ有利な面もあるかと思う。

 もっとも、こうしたわけで、久留米を衛星都市と見なしがちな百万都市福岡からおいでのお客様は、意外と、期待通りには行かないだろうとは覚悟しています(^^;)。 


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 福岡の地は、精神医学、精神分析、カウンセリング全般において、関東圏や名古屋、関西圏に全く見劣りしない古くからの伝統を持つことは、専門家の方ならご存知でしょう。フォーカシングの研究実践も、まずは九州大学を中心に始まりました。

 久留米大学医学部そのものが、日本の医療系大学の雄のひとつであり、医者がたいへん多い地域でもあります。久留米大学には、臨床心理士の指定校大学院もありますしね。

 上京した30年前に痛切に感じたのは、久留米という都市は、コンパクトながら、地域の中核都市として、何を買うにも不自由しないだけの「自立性」「集約性」があったという思いでした。山や川の自然にめぐまれ、昔ながらの田園風景も間近である一方、全国チェーンの大規模店進出もこの30年の間に急増した現在では、ヤマダ電気も2店、紀伊国屋書店も間近にある。

 でも、私設開業カウンセラーは久留米広域圏にはまだ「非常に」少ない。

 関東地区は、開業カウンセラーが多すぎるともいえます。

 その結果、これまでの開業経験に学んだ形で経営戦略も思い切ってシェイプし、宣伝戦略も無駄なことはしないつもりですから(オフィスの新ウェブサイトははるかに「読んでためになる」整理されたコンテンツにするべく構想中)、控えめにみて、開業3年で到達した経営水準に到達するまでなら1年かからないと感じています。

 もう暴露してもいいでしょうけど。これまでの私は、自宅とオフィスの賃料、計月15万円を背負っていました。そもそもこの状態で黒字経営に到達するまでが大変だったのです。給料のよかった明治学院大学学生相談センタ―時代の蓄えをひたすら切りくずし続けたのですね(^^;)


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 もっとも、私は久留米に帰ってからは、非常勤職や派遣カウンセラーとの兼業も積極的に考えようと思っています。週何日かなら、福岡市は当然のこととして、熊本や佐賀、いや北九州市での勤務ですらいとわないかもしれません。

 大学の非常勤講師でも、私の専門だった大学学生相談のカウンセラーでも口がみつかれば再チャレンジします。私にとって守備範囲に入っていなかった、子供や発達障害や老人の援助の分野もチャレンジできるならやりたい。そして、このブログの読者の専門家の方にはかなり意外かもしれませんが、私は生粋の病院臨床の経験がないのです。福岡県臨床心理士会にも早速加入すると思いますので、皆様どうかよろしく。

 よく福岡市での学会のために久留米の実家に帰省して通いましたけど、関東圏の、通勤1時間半でも誰にも「大変だね」と言ってもらえない関東暮らしが長い。九州のラッシュアワーなんて東京の比ではないとしか感じない感覚がありますからね。

 しかし、開業「も」するということは決して手放さないでしょう(^^)

 そして、私は他流派や、臨床心理士ではないカウンセラーとの連携も具体的に視野に入れています。

 
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 もちろん、成人直前から福岡との地縁はほとんどなくなり、九州で臨床のキャリアを積んだ訳でもない私がすぐに臨床系の職にありつけないことはあり得る覚悟でいます。

 その結果、当座をしのぐため、私が思いもよらない業種でアルバイトをすることすら、むしろ好奇心を持って今は楽しみにしています(マジ!!) 私って、そういう点ではいらぬプライドはないつもりだし(爆)

 浜崎あゆみの郷里は福岡市で、ライブツアーも必ず開かれるから、ayu様から遠のいたとは全く感じまい(^^)

大船でフォーカシングを学ぶ会、最終回報告

 最終回には3人の参加者がありました。

 Aさんは、「学ぶ会」初参加の、新幹線で遠方からおいでになった開業臨床心理士の男性の方。

 Bさんは、同じく初参加の、フォーカシングを、すでにフォーカシングを別の熟知者から学んだという社会人の女性の方。

 Cさんは、この「学ぶ会」の常連として、様々な意味で私を支えて下さった、フォーカシングを生活の中で、社会人としていかに生かすかに独自のスタンスを歩まれている、リスナー経験も豊富な女性の社会人の方です。

 すでに引っ越し荷物の大半を積み出しした後の、床の広いカウンセリングルームで、車座になってのひとときとなりました。

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 メニューは、


●第1部:身体感覚中心のクリアリング・ア・スペース、ホールボディ・フォーカシングとの複合版(全体で)


というおなじみのフォーマットを全体で試み(そうそう、このやり方、別記事で、今日明日のうちに、詳細なやり方をマニュアル風に公開いたします)、


●第2部:二人ずつペアに別れてのフォーカシング・セッションと、全体での振り返り


と進みました。


 第2部では、Bさんの「リスナーもやってみたい」という提案を生かして、キャリアのあるCさんとペアを組んでもらい、まずはCさんがフォーカサー、Cさんがリスナーとなって、"Focuser as Teacher"形式でのセッションを持っていただいたあと、お互いに役割交換。

 フォーカシング・パートナーシップについてご存じない方はやや驚かれるかもしれませんが、お二人はマンションの一階ロビーにおりて、そこのベンチでセッションを進める選択をされました。

 これ、日本各地のフォーカシングの集いではごく当たり前になされていることですが(会場の周りの自然の中のベンチで、とかも普通です)

 その一方で、平行して、個人セッション初体験のAさんを私が丁寧にガイディングする片道セッションを、面接室内で持ちました。

 40分ほど立ったら再度面接室に集合、全体で体験をシェアするという形でした。

 はじめて顔を合わせたAさんとBさんは、そういう設定でお互いに十分な体験ができたようです。
 フォーカシング・セッションって、多少の経験者同士だと、それが普通なんですが。


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 今後、Cさんは神奈川県でのフォーカシング・クループを新たに始めることも中期的に視野に入れているとのこと。それにBさんも興味を示して情報交換していました。

 ほんとうは、すでに全国にかなりの数がある筈の、そのようなささやかな「フォーカシングの集い」がそれぞれ独自にサイトを立ち上げたりして、お互いにネットを通して緩やかなつながりを形作っていくたけの状況は、すでに可能な筈だと私は常々考えています。

 そもそも、私のサイトだけがむやみに検索エンジンで「フォーカシング」でヒットするのはとっくにおかしい(爆)


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 Aさん、最終回に申し込んでいただき、遠方からおいでいただきましたことに感謝いたします。お住まいの地域も、日本でフォーカシングに熱意を持つ人たちがたくさん居る、層の厚い地域です。フォーカシングの実際を実体験していただたけたことが、何かのお役に立てばと祈念しております。

 名古屋へとお帰りのAさんを定時にお送りした後、BさんとCさんには、最後に残していた荷物を片付けて、駅そばの私の自宅までタクシーで分乗して移送するまでのお手伝いをいただけたことに、心から感謝申し上げます。

 非常にすっきり、さっぱりした「学ぶ会」最終回でした (^ ^)


 


湘南フォーカシング・カウンセリングルームを閉じました。

 昨日、7/20の「大船でフォーカシングを学ぶ会」を持ちまして、3年間にに及んだ、湘南フォーカシング・カウンセリングルーム全活動を終了させていただきました。

 これまでご利用くださいました皆様のご期待にどれだけお応えできたかという思いは残ります。

 しかし、私にとっては、ひとりひとりの利用者様との出会いは、かけがえのない思い出となり、財産になりました。

 厚く御礼申し上げますとともに、今後のカウンセラーとしての活動の肥やしにしたいと思っております。 m(_ _)m


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 今後も、これまでのご利用者様へのフォローアップは続けております。

 メールアドレス、

 shonanfocusing@hotmail.co.jp

 は今後もアクティブにしておきます。「久留米フォーカシング・カウンセリングルーム」開設後もアクセス可能な状態を維持したいと思っています。

(もちろん新オフィスのためのメールアドレスも作りますが)


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 私自身は、恐らく8/10まで大船の自宅には住んでいます。まだフォローアップは継続中ですし、今度は、大船の自宅そのものを引き払うための準備もはじまります。

 実は、故郷、福岡県久留米市には、私が子供時代から生まれ育った実家の建物がそのまま残っています(久留米市東櫛原町。西鉄大牟田線櫛原駅より徒歩10分)

 とりあえずそこで「久留米フォーカシング・カウンセリングルーム」を、8月中旬には仮開業させていただく予定です。

 今後の続報は、これまでの公式サイト、および、このブログで
お知らせしてまいります。


 「大船フォーカシングを学ぶ会」最終回については、記事を改めてご報告します。

2008/07/19

残すは明日の「フォーカシングを学ぶ会」最終回のみ

 本日、湘南フォーカシング・カウンセリングルームのオフィスでの最後の個人面接が終了した。

 昨日の引越し時には、やっとここまで持ち込めたという達成感のほうが高かったが、今日は、ほとんど何もないオフィスへの一抹の寂しさのほうを感じた気がする。

 いよいよ、明日の「大船でフォーカシングを学ぶ会」で、オフィスは閉室となります。
 
 まだ「学ぶ会」申し込みは受け付けています。

余談 : こういちろうはメタルギアの夢を見るか?

 実は、二つ前の、カウンセリングにおける平易な夢活用の記事の最後に掲げたのは、ふたつとも、実際に私が見た夢です。

 更に後者のほう、昨日の朝見た夢だったりして(^^;)

 その、

「私は戦闘ゲームの世界の住人になっています。自分の身体にビームが打ちこまれる痛みを何回も感じているのですが、なぜか死なないでゲームに参加し続けているみたいです。幽霊になったのかな? それだけでも凄い急迫した恐ろしい体験なのに、そのゲームがバージョン・アップしたらしく、敵の攻撃が更に恐ろしい兵器に変わって行くのです」


........についての余談なんですが(^^;)


最近のゲームの名前など関心もないのに、夢の中で「メタルギア」、そして、「宇宙パトロール・ホッパー(^^;)」という言葉が繰り返し出てきてました。

 ゲームに疎い私は、起きてから、「もしそういうゲームが実在したら?」という好奇心に駆られて、恐る恐る(^^;)ネットで調べたのです。

 そしたら、「あの」最近繰り返しテレビで新作のCM流れている「あれ」だと気がつきました。

 「メタルギア」という名前とは起きている時はCM見ても全然意識していなかったのです。もっとも、夢の中と3D映像やデザイン・描写はぜんぜん違うのですが。

  更に、ゲーム内容についてのwikipediaの解説まで読んだら、

「不必要な戦闘を回避し、敵から隠れながら進む」という逆転の発想で生まれた革新的なゲーム」

と書いてあるのに唖然としました。

 なぜなら、夢の中で、私は、攻撃はぜんぜんせずに、ひたすら攻撃を避け、できるだけ敵と出会わないようにとばかり工夫して行動していたから!!

 .......なにげにCMだけ見ていただけでは、そこまでわかるはずないのに!!


 無意識とは偉大ですね(爆)


●メタルギアソリッド4 公式サイト

2008/07/18

湘南フォーカシングカウンセリングルーム、空っぽになる

 取りあえずオフィスから自宅への引っ越し完了。

 もはや電話とパソコンと2つの小さな椅子とムース君のぬいぐるみ程度です。

 久しぶりに汗をかいたけど以外と疲れなかった(^^;)

 体調は復調していると思える。

 これからその空間で今日は2件のお客様。

2008/07/16

素朴な夢分析でもカウンセリングに生かせる(第3版)

 夢フォーカシングを開業カウンセリングルームの柱の一つとしてうまくヒットさせられなかったことも、私の心残りのひとつである。

 夢フォーカシングの基本的なやり方を実践的にマニュアルとして改めて書いてみることも、関東を離れる前にやってみたいことである。

 しかし、これを機会に、まずは、「夢フォーカシング」技法云々以前の問題として、そもそも、カウンセラーなら、流派を問わず、面接の中でクライエントさんが報告する夢を、面接内で役立てることは実はそんなに難しいことではないのではないかということについて問題提起したい。


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 クライエントさんが夢を語った場合に、それを単に受容的に聴き、面接記録にとどめ、事例検討会やスーパーバイザーに、「この夢にはどんな意味があるのか」と問いかけるだけしかしないカウンセラーの方は、現実には少なくないようである。

 たいていのカウンセラーは、見た夢の意味についてクライエントさんに面接の最中に問いかけられたら「引いて」しまい、その場ではj柔軟かつ積極的には取り扱えないという現実があるように思う。

 これからカウンセリングを受けようという皆様。
 意外かもしれないけども、この点では期待はずれに終わることが少なくないと覚悟したほうがいいと思う(^^;)


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 はっきりと断言したいが、フロイトやユングの夢分析についての体系をきちんと学ばなくても、現場カウンセラーとしてそこそこの域にある人は、クライエントさんの夢を面接場面で生産的に活用できる。

 面接場面での夢の扱いにおいて、解釈のための知識ほとんどまったく必要ないと断言したい。


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 夢の意味を知るとは、夢に意味について、まるで辞書を引くようにして答えを出すこととはほとんど関係ない

 たとえば、


A:「狭い洞窟(や長い穴)をもがきながら必死にどこかに行こうとしている」


という夢を見たからといって、


「子宮から膣を通って外に出ようとしている。親離れしたい気持ち、生まれなおし、死と再生」


などという知識を単に「知っている」ということだけでは、ほとんど何の意味もないと思う。

 カウンセラーは、クライエントさんが、その夢の中で、具体的にどんな気持ちで、どんな風に実感しながらその体験をしていたかに、身体ごとクライエントさんの身になって追体験して味わってみるつもりになるといい。


A1:「井戸みたいなところを登ろうとしていて、地上から光がかすかに差しているんだけど、上から誰かが土を少しずつ入れて来るのか、口のなかに土が入ってきて、ジャリジャリして、それを吐き出すだけで、一向に登れないんです」


.......とクライエントさんが夢体験を語る場合と、


A2:「私の身体は横向きみたいなんだけど、壁は何かゴムみたいで、ぬるぬるしていて、いくら前に進もうとしてもなかなか進まない。でも、私はそのぬるぬるを感じながら、少しは前に進めるかなともがいているだけでも、何か希望のようなものは感じていて、その状態が、不安というより、何か心地いいんですよ」


.......と語る場合とでは、実感の上でかなり別次元の、その時そのクライエントさんなりの実感体験を夢の中でしていた可能性があるのではなかろうか。

 いきなりその人の夢体験を、一般化、抽象化し過ぎないことである。


 ここまで追体験できるためには、クライエントさんがまさにその夢の中でどんな体験をしていたのかについて更に語ってもらう必要があることが少なくないことはいうまでもなかろう。


●「その夢を観て自分ではどう思った?」

●「夢の中ではどんな気持ちでいたの?」


 この水準の問いかけですら、クライエントさんに試みていないことが少なくないようにも思う。


 これだけですら、夢についての更に詳細な本人の描写や、夢の中での(あるいは、夢についての)本人の気持ちが語られ、(現実のクライエントさんの状況を含めた)クライエントさんの心情の理解が深まることは多い。


 また、を本人がどう受け止めるかそのものに、その人がすでにカウンセリングの中で語ってきた現実状況の受け止め方と共通の認知様式が見出せることも少なくないものである。

 更に、クライエントさんの夢の中での体験の実感を、カウンセラーが自分の身体に呼び起こすつもりで受け止めていたら、それだけでいろんな連想がカウンセラーの中にも生じるはず。

 そこから、クライエントさんに何らかの応答をする糸口が開けるはずです。


******


*そういう時の、カウンセラー側からの誘発的な質問のヒント:

●1.夢の中のどの部分が一番印象的だった?


 長い夢でも短い夢でも、クライエントさんにこのように聞いてみると、カウンセラー側の想像とは別の、あらすじからは省略そうな一見地味な部分をクライエントさんは語り出する場合があります。

A1:の場合だと、

例えば、


ア:「地上からさし続ける一筋の光が何より印象的でした」

イ:「その光が時々さえぎられてチラチラするのが不思議と面白かったです」

ウ:「実は光そのものではなくて、紺碧の空の色に惹かれていたことに気がついた」
(井の中のかわず大海を知らず、されど空の青さを知る.....などとカウンセラーが連想したりして)

エ:「実は口の中に入ってくる土のじゃりじゃりする感じはうっとおしかったけど、上から土を投げ入れる人らしきもの......実は姿は見えないんです......への恐怖とか憎しみとか、このまま埋まってしまうじゃないかという不安は感じていなかったんですよ」


..........などと、カウンセラーの予想外のことを言い出す可能性があります。

 こうした場合、カウンセラーが自分なりの解釈のこだわりとしての「これが重要だ」という理解に固執するべきではないと思います。

 そではもはやクライエントさん自身の夢体験を大事にしながら相手をしているのではなくなります。

 カウンセラーは、クライエントさんの反応に基づき、改めて感じなおして味わってみる必要が出てくるかもしれません、その結果、それまで自分なりに身になって感じてみていた感覚それ自体が大幅に変化するかもしれません。

 そして、仮に今述べた、エ:のパターンだったとすると、

Co:「ジャリジャリ感が印象的だった?」
Cl:「ええ、それをウザイと感じたんですけどね」


****


 ここで、


●ヒント2:夢の中での実感と同じような感じを現実場面でも味わったことがあるかどうか?

夢の中で感じてたような、そういうウザさって、最近でもいいし、以前にでもいいけど、実際に感じたことありそう? ちょっと探してみるのも面白いかも」


 これに対して、クライエントさんは、例えば、

そういうウザさ........そうですねえ。ある気がする。すぐにおもいうかばないけど」

カウンセラー:「しばらく探してみたら?」

「こういうウザさか。.......(沈黙20秒)......何か言おうとすると、いろんな横槍が入るように感じるんです。横槍って言っても、その人たちは私を言い負かそうとか、押しとどめるとか、批判しているしているわけではなくて、私と関係ない話を自然に投げ出しているだけ。......そう、そういう人たちは、ごみをゴミだめの穴にポイと捨てるような世間話のつもりで話しているだけで、その下に私がいるとかも気がついていない。......そういう世間話を聞くだけで、ウザイんですよね。最初言いたかったことをそのまま口をついて出なくなって。そういう人たちを別に憎いとは思わないんだけど、それくらいで言いよどむ自分が情けなくて。なぜそういう世間話だけでウザイのかとなると自分でもわからなくて」

などと話し始めるかもしれません!


 夢の中での体験が、その人の現実生活の暗喩になっていることをクライエントさんが鮮やかに語りだすわけですね。


 こうなると、カウンセラーが多少更にアシストさえすれば、もはやカウンセラーのありきたりの解釈では到達不能で、ひょっとしたらそれまでのカウンセリング全体で話題にすらなっていなかった、


 週刊誌的な俗っぽい話を耳にするだけで調子が狂う自分って潔癖すぎるの? 

 私の仕事への姿勢は純粋すぎるのだろうか? もっと「『泥』臭さ」も必要?

 仕事にも恋にも、「清『濁』あわせ呑む」したたかさがいいのだろうか?


 .......などというさまざまなテーマについて、カウンセリングが進み出すきっかけになるかもしれないのです。


*****


 同じシチュエーションで可能そうな、カウンセラーからの別の問いかけ:

●ヒント3:クライエントさんの実感に即して、夢のストーリーを三題話くらいに要約して提案してみることもできます:

「何かを必死にやっていた。
 一歩足を踏み外すとおしまいだ(奈落の底に落ちてしまう)と感じている。
 何かが自分に降りかかってくるのがウザイ」

 すると、クライエントさんのほうは、

「いや、夢の中では、そんなに一歩誤ればおしまいになるような恐怖はないんです。結構「踏ん張れている」なと。多少はいろいろ降りかかってはくるけど、口の中のシャラシャラがウザイ、ぺっぺっ、くらいでしのげている自分がいるんですねえ」

 こういう展開でも、何も問題がない。

 カウンセラーにとって、思いのほかしたたかなクライエントさんの一面にはじめて気がつくきっかけになるかもしれません。これだけでも生産的でしょう。


*****


 ●最後にもうひとつ、これはクライエントさんの対話では直接言わないとしても、役立つヒント:


 クライエントさんの語るいくつかの夢を、シリーズとして捕らえてみることはいろいろな連想を生みます。

 特に、内容が一見別の夢のようでも、実は共通のパターンが隠れていることがあります。


 「自分が再受験をして、思いもよらないくらいにいい大学に入れた夢を見ました。学生や教授も歓迎してくれます。でも、私は、いつ、自分の能力がその大学にふさわしいものではないか、化けの皮がはがれることを少し恐れているようです」

 「私は戦闘ゲームの世界の住人になっています。自分の身体にビームが打ちこまれる痛みを何回も感じているのですが、なぜか死なないでゲームに参加し続けているみたいです。幽霊になったのかな? それだけでも凄い急迫した恐ろしい体験なのに、そのゲームがバージョン・アップしたらしく、敵の攻撃が更に恐ろしい兵器に変わって行くのです」


この二つの夢の共通パターンとして、あなたは何を連想しますか?

****


私が、クライエントさんが見た夢を題材にしてカウンセリングを深めるのには「知識」は要らないと申し上げた意図が、少しは伝わるでしょうか?

 もっと別の種類のカウンセラーの柔軟さと感性の豊かさなんですね。

*****

.......なお、

    この記事(第3版追加部分)には、

    異次元ワープじみた余談がある。 


「気を使って」もらいたくはない。「迎合」されたくない。

 私は、たとえば恋愛においても、相手が自分を殺して、無理をしたり、気遣ってもらうばかりになるのは嫌である。

 まして、そのことに気がつかないまま図に乗ってしまうことなど、もっての他の事態だと感じている。


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 それと全く同様に、カウンセリング場面においても、クライエントさんが、私に対して期待に応えようと無理に順応したり、気遣ってくれていることに私が気づかないままでいることだけは絶対に避けたいと思っている。

*参考記事*

●面接中、クライエントさんは、カウンセラーに対して「感情移入的理解」を向け続けている!!

2008/07/15

前の記事で書いたことは、(第2版)

ある意味で、フォーカシングで、アン・ワイザーさんが、

"Inner Relationship"(内的関係性)

=自分の内側に生じてくる身体の感じや気分や気持ちやさまざまな思いを対象化して、
 それらを無理のない距離感でひとつひとつ「認めてあげて」、「共に居られる関係」をじっくりと作ること

 (フェルトセンスからのメッセージを無理矢理引き出さないままで)


を、現実の「外的」他者との関係に逆応用したとも言えることに、お気づきの方もあるかと思います。


 ......そのようにも受け取れる、ぐらいにご理解ください。

 私は、技法の杓子定規な応用は嫌いな人間です。

 むしろ、私の経験から出てきたものであると受け止めていただければと思います。

 
 フォーカシングを身につければ、このことはより無理なくできるでしょう。


*****


 ちなみに、

 もし、「一緒に居るのが苦しい」とい気持ちが自分の中に出てきたら、

 そのような気持ちが「私の中のある部分」にあることを静かに「認めてあげて」、

 その「一緒に居るのが苦しい」気持ちを感じている部分と、無理ない距離感で「そばに居て」あげながら、

 目の前にいるその人と「ともかく一緒に居て」あげるようなつもりになってみるのはいかがでしょう?


 更に言えば、特に意識はしていなかったが、私の尊敬する山上敏子先生行動療法(暴露反応妨害法)の影響もあるかと、まさにこれを書いていて、感じたのです。

 「自律訓練法」や「形成化(シェイピング)」的であると申し上げると、「暴露反応妨害法」そのものはご存知ではない、心理学に詳しい方にもある程度想像していただけるかもしれない。

 更に言えば、斎藤環さんが「社会的引きこもり」で述べられた、オートボイエーシスを背景にした、実践的処方箋の影響もありそうです。

2008/07/14

大船での開業、残り1週間

 すでにお伝えいたしましたとおり、私が大船で開業しておりました「湘南フォーカシング・カウンセリングルーム」は、あと一週間、7/20をもちまして閉業させていただきます。

 8/10頃私自身が関東を離れ、故郷の福岡県、久留米市「久留米フォーカシング・カウンセリングルーム」として再出発させていただきます(8月16日本格開室予定)。

 継続中のクライエント様を優先してですが、19日までについては当カウンセリングルームでお会いする機会を設けさせていただいております。最低限電話等でのご挨拶もできればと思っておりますので、以前利用してくださった皆様、お電話やメールを現在でもお待ち申し上げております。

 20日日曜「大船でフォーカシングを学ぶ会」(13:00-18:00)をもちまして、当カウンセリングルームの扉を閉じたいと思っております。もうすでに部屋は空っぽになっているはずですので、いつもより多い定員8名でお持ちしています。

まだ予約に余裕がありますので、お申し込みお持ち申し上げております。


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 このブログそのものは久留米に移転してもそのままのURLで継続する予定です。ある程度はリニューアル、分化するとは思いますが(^^;)
 
 それを前にして、引越し等が本当に忙しくなるまでに、これから、この3年開業してきて思うにいたったことについて、いくつか、久しぶりに記事を連続して書いてみたいと思っていますので、乞う、ご期待!!

治療は患者の権利であって義務ではない。

昨日の朝、長い夢を見た。その夢の最後で、関東でお世話になったある先生との対話の中で私の中に思い浮かび、自分でも得心した途端に目を覚ました言葉である。

ここでは、私はカウンセラーを生業としているのだから、当然心理療法を含むセラピー全般をまずは指しているのだが、どうも夢の中の私は、そこに薬物療法も含意していたようである。

ひろく医療全般にすら拡張してみると興味深いのだが。


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例えば、鬱状態を「治療する」のは誰のためなのだろう。

家族や職場などに「迷惑をかけない」ためなのだろうか?

職場復帰のための労働者としての「義務」なのだろうか?


認知症の治療は家族や社会に悪影響を与えないとことまで老人が回復する「義務」があるからか。

医者や心理療法家は、患者やクライエントを「治癒すること」(健全な生活に戻すこと)を強いるのが「正当」なのだろうか?


カウンセラーや精神科医の提起した、成熟や人格的成長についてのある具体的な到達目標を、クライエントや患者は目指「さねばならない」のか。

社会に害悪をもたらす犯罪者や、働かない人間は、「セラピー」によって改善されることを甘んじて受けねばならないのだろうか。

患者やクライエントさんは、治療者の意図する治療目標に同意し、協力する「義務」があるのだろうか?


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単に社会的身分や給与や休暇の保証、治療機関や治療スタッフの整備という観点を超えたところで、個々人の行使可能な「権利」の保証という観点から、治療を受けること、カウンセリングを利用することをとことんとらえてみたら、どうだろう。

ひとつの逆説として。

肉体的/精神的健康とは何かを我々は専門家から押し付けられ、それに従わねばならないのか?

あなたは、医者やカウンセラーの言われるがままに「治されねばならない」のか?

「治したい」と思わねばならないわけではない。


現状の精神的/身体的な苦悶や苦痛や差し障りを、自分なりに「何とかしたい」ので、あなたが精神科医やカウンセラーを専門技能者として「雇う」のである。

その「雇用費用」を補償したり援助したり調整したり肩代わりするために、企業や団体や行政機関やNGOが資金を出したり、専門家を「雇い」そのための場と機会を整備するのだとすれば?


.........以上、ひとつの思考実験として。

2008/07/13

花火のシーズン始まる

●全国花火大会ガイド2008(msnトラベル)


 土曜日(7/12)に、神奈川県最初の花火大会、久里浜のペリー祭の花火大会に行ってまいりました。
Hanabi_1_2

  *動画(3gp形式)


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 関東時代の思い出として、まだここのは行ったことなかったし(^^)

 私は、ご覧のように、元気だったりする。
Image28312

 .......あ、違った。
Kurihamahanabi1_3


2008/07/11

開業の跡継ぎが開業なのはごく普通のこと。

お医者さんならそうですよね。

教師もそうかな?

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●【大分教員採用汚職】「組織的」反論できない 県教育長謝罪(msn=産経)


 これ、大分県だけで特別とは思いにくい。もちろん、実力と誠意ある教師が能力と資質だけで適切に採用・昇格されていることも、個々のケースでは全国たくさんある、そういう先生方がのほうが多い都道府県もありそうにも思います。

 更にいえば、こうした裏金に関係した教師も、教師としては、同僚や地域や父兄や生徒の評価が高い人もかなり含まれるかと思う。


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 しかし、少なくとも、日本の臨床心理士業界は、「親がカウンセラー開業だったから、息子や娘もカウンセラー開業をする」というケースは、まだほとんどないでしょうね。

 
 弁護士税理士なら普通でしょうが。

 同じ「士族」でもそういう基本的ギャップがあります。


 私も、そういう中での、試行錯誤を続ける「先行世代」なのです。

「謝罪させ」ブームへの違和感

●フィレンツェ落書き学生らが平和大使に 現地で号泣謝罪(msn=産経)

 世界遺産に登録されているイタリア・フィレンツェの「サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂」の壁に落書きした岐阜市立女子短大生らが9日、フィレンツェ市役所に謝罪した。謝罪を受け止め、姉妹都市関係にある同市は、女子学生らを平和大使に任命した。


●【外信コラム】イタリア便り 大聖堂落書き事件(msn=産経)

先週初め、フィレンツェの民間放送局から電話インタビューを受けた。もちろん、話題は当日のイタリアの各新聞も大きく取り上げた「日本人観光客による大聖堂の壁面への落書き」である。各紙は岐阜の女子短大生と京都産業大生の落書き、高校野球部監督の新婚旅行中の落書きが日本で大反響を巻き起こし、彼らが厳重に処分されたことから、大聖堂側が謝罪で十分だとして修復費用の申し出を断ったことまで詳細に報じた。

 ただし、この事件に関するイタリア側の驚きは「日本人観光客の不届きな行為」への怒りからではない。自国民による落書きを恥じて証拠写真を学校側に送り付けた日本人観光客の潔癖さと、直ちに落書きの犯人に厳重処分を下し謝罪した学校側の対応に驚いたのである。

 実際、私もインタビューの冒頭で「普通の日本人観光客なら誰でもローマやナポリのバス、電車の側面、町の建物の壁に書かれている落書きの多さとひどさに驚いてしまう」と述べたが、これまでイタリア各都市当局の落書きへの対応はあまりにも寛大過ぎた。

 幸い新しく選出されたローマ市長は、落書きに対し厳しい罰則条例を用意することに意欲を示している。日本人落書き事件が一部イタリア人青少年の慢性的な悪癖を退治するきっかけとなるよう祈る。(坂本鉄男)


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 この事件、

1.ネットに短大生の落書きの写真が何者かによりアップされたことに始まり、
2.「壁にサインを残すと幸せになります」というマジックペン売りが当たり前のようにいる事実が明らかとなり、
3.英語やイタリア語の落書きがずっとたくさんあることが報道される

この時点で、倖田來未の「羊水腐る」発言の頃から顕著になった、日本の「謝罪させ」ブームはここまで来たかとiいう違和感があった。

 倖田來未の発言問題は、何よりラジオ局側の責任だろう。ラジオ局が「倖田來未に不適切な発言がありました」と、番組の中でなくてもよくて少し遅れた時間にでもいいから謝罪があれば、ここまで問題は大きくならなかったことは目に見えていた。

 私の行きつけの近所の「八百屋さん」でよく流れているので気づいているのだが、みのもんたさんのラジオ番組は、この「不適切な発言がありました」を、すぐに番組内で繰り出すからこそ許されているようなものであることから鑑(かんが)みても。

******

 今、「謝罪させブーム」と皮肉ったけれども、これは政府や公務員や企業の汚職や脱税や食材使い回しや不当表示についてまで一緒くたに皮肉るつもりはまるでない。

 「非常に表層的な事柄」についての責任追求と、日本の内部に巣食う深刻な問題をえぐり出すことが、今の日本で一緒くたにされていることへの危惧を私は言いたいのだ。


 表層的な事柄で「清く正しく」あることなんて簡単ではないか。
 
 そのぶん、深層の問題は目隠しされるのである。


*****


 戦後日本において、人々が自分たちの現在と未来に危機感を感じ、不安と「先すぼみ」を予感している時代はかつてなかったと思う。

 フィレンツェ市が、彼女たちを「平和大使」に認定してくれたことを、彼女たちを救い、かつ、彼女たち自身を超えた意味で、「未来に開かれた」、オトナの対応だと感じる私がいる。

ここで「イタリアの落書きが減るきっかけになれば」ということを、日本のマスコミの人間が口にすること自体が、恥知らずだと私は思う。

逃げ回っていた犯罪容疑者が、逮捕されたあとで、「これをきっかけに犯罪捜査能力が更に高まることを祈る」と発言するようなものであるということ。

そんな歪んだ愛国心なんていらないよ。


*参考記事*

●「思い込みが過ぎる」ことを、実社会を生きるしたたかなシミュレーション能力に「変換」させよう!!

2008/07/10

「フォーカシングを学ぶと、あなた自身の力で、あなたにふさわしいカウンセラーや精神科医を見分けることができるようになります」

ここに至り、なぜこのキャッチコピーを使わなかったのかというようなアイデアがいくらでも浮かんでくるのであった(^^;)

タイトルはそのひとつ。


「フォーカシングを学ぶと自分のほんとうの気持ちがわかるようになります」

「フォーカシングを学ぶと、流派に関係なく、心理療法のスキルがあがります」

「フォーカシングを学ぶと、人のいうことや、文章を読む際に、深く理解できるようになります」

「フォーカシングを学ぶと、映画や歌や小説の感想文を書くのがうまくなります」

「フォーカシングを学ぶと、自分の健康が害されている兆候に敏感になれます」

「『筋金入りのフォーカサー』......村瀬孝雄先生評(「フォーカシング事始め」まえがきより」

........久留米に帰ったら使うつもりです(^^)

2008/07/05

<<重要>> : 湘南フォーカシング・カウンセリングルーム7/20終業のお知らせ(第2版)

 すでに現在進行中のクライエントさん、および私の関係者にはお伝えすることを進行中ですが、そうでない皆様には突然のお知らせをせねばなりません。

こういちろうこと阿世賀浩一郎が神奈川県の大船で開業しておりました、
「湘南フォーカシング・カウンセリングルーム」を、7月20日をもって閉じさせていただくことにいたしました。

 そして、私自身、関東を離れ、故郷、福岡県久留米に、30年ぶりに居を移させていただきます。

 そして、久留米で、志を新たに「久留米フォーカシング・カウンセリングルーム(仮称)」を、JR久留米駅の、2年後には新幹線口となる新たな駅前に隣接したマンションで8月中にも開業させていただく予定でおります(追記:この場所の予定は当面変更となりました)。


 かなり以前のおいでいただいたクライエント様の中にも、当カウンセリングルームのことを「いざという時の頼り」と思って下さっていた皆様もあろうかと思います。これからの来談を検討して下さっていた皆様もあろうかと思います。

 そうした皆様には大変申し訳ない事態となりましたことをお許しください。


****

 これまでおいでいただいたクライエントの皆様、そして「学ぶ会」参加の皆様優先する形でのご予約を継続しております。

 新たなカウンセリングルーム・病院のご紹介についても誠意を持って対応させていただきます。

 また、ご要望の方には、お話し合いの上で、それがふさわしいというお互いの了解が得られましたら、これまでお会いした方についいてはと、久留米に転居しても、電話、メール、msn messenger(映像つきも可)でのカウンセリングやフォーカシング個別指導、ケーススーパーヴィジョンの継続をいたします。

(最初の折衝や問い合わせ等を除き、事前振り込み制の有料。通信費はお申し込みの方の自己負担をお願いします)

******

 また、これまでおいでいただいたことがない皆様についても、1回限りでもいいという皆様については、予約枠の余裕ある範囲でお受付いたします。

 私が関東を離れないうちに、1回でも私のフォーカシング個別指導を受けたいという方がおられましたら、120分予約枠(料金詳細はお電話の上で)も準備いたしますので、お申し込みいただければと思います。

 ただ、移転の為のさまざまな準備等のために、不定期に開業時間枠をを短縮させていただきますことを、どうかお許しください。できる事前にこちらのページのカレンダーで告知いたします。


******


なお、電話連絡先(FAX兼)は、050-8881-4776です。(以前と電話番号が変わっております)

メールでのお問い合わせは、

shonanfocusing@hotmail.co.jp

です(メールの方はカウンセリングルームに在室しなくても一日に数回確認して、随時お返事を差し上げています)


*****


 「大船でフォーカシングを学ぶ会」も明日を含めてあと2回となりました。本カウンセリングルームを閉じさせていただく、7/20の「学ぶ会」を持ちまして最終回となります。

 このお知らせが急でしたので、明日(7/6)の学ぶ会に急遽参加ご希望の方からのご連絡、6日午前中まで受け付けます。前記メールでご連絡ください。

 
以上、取り急ぎお知らせいたします。


****


 閉業と久留米での再開につきましては、今後も当ブログとカウンセリングルームサイトでお知らせしてまいります。

  現在お会いしているクライエント様ひとりひとりに個々にご連絡して、
  これらのことをお伝えし、
  今後を含めてお話し合いすることを優先して参りましたために、
  ネットでのご報告が遅れましたことを、どうかお許しください。
 

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