転移空間とは、主語と目的語が様々に「変換」可能な世界
どうも、精神分析で言う「転移(transference)」という概念には、治療的面接場面で、クライエントさんが治療者に向ける感情について、多くは幼少期に遡り得る親に対する感情の反復であるという方向にのみ説明したがる傾向がある。
わかりやすく言えば、それまで治療者に対して受け身で従順なクライエントさんが、突如、いろんなことについて、治療者に不満を述べたり、意固地になって自分の主張を貫こうとし始めたとする。
このことを、「転移」解釈すれば、親に対して理想化していて、従順に親の言うことを受け入れて従っていた「いい子」だったクライエントさんが、反抗期に入った時の感情体験の反復ということになる。
(あるいは、そうしたことを親との関係で体験したことがないとすれば、少なくとも治療場面の中では、そのクライエントさんは、ようやく自我形成過程が進み、「自己主張」や「反抗期」体験をする段階に至った.....というふうにもとらえられるか?)
しかし、このことを親との関係ばかりに「還元」しようとすると本質を見失うかもしれない。幼稚園から高校ぐらいまでの教師との関係の方が強く反映している場合、あるいはスポーツクラブのトレーナーとの関係(宗方コーチ!!)、いじめの体験、会社の上司との関係、深くつきあった恋人との関係。
むろん、そうしたものを統括して「これまでの成長過程での『重要な他者』との関係」、というふうにサリヴァンふうに位置づけることはできる。そして、例えば親との関係性の中で自明になっていたものが、そうした「重要な他者」との関係性では通用しなかったことの「認知的不協和」の葛藤処理が大きなストレス要因で、神経症誘発的になっていることもある。
しかし、その一方、「まさにその」面接場面で、個人としての「プレゼンス(現前性)」を持った治療者と、クライエントさんとの関係性として双方に体験されている、「漠然とした曖昧で複雑な感情体験」を一気に抽象化し、モデル化しすぎて方向付けてしまう危険も常に存在する。
要するに治療者の「責任逃れ」として、「それは親との関係がここで再演している」という方向に「合理化」しようとする罠にはまる危険もある。
*****
「今、治療者としての私の中に生じている『この』感情は、ひょっとして、日常の中でのこのクライエントさんとの関わりの中で、ご両親や、職場の同僚や、上司、同性の友人、恋人、配偶者、子供などが体験している感情や居心地と相通じるものなのかもしれない。
ユング派であれば、個々の具体的な対人関係以外の、「集合無意識」的な元型との関わりも視野に入れるだろう。
そうした「自由連想」を治療者自身がしていくことは大いに意味があるだろう。しかしそれらは「そうかもしれないし、そうでないかもしれない、少なくともそれだけではないかもしれない」なとという形で、思い浮かぶ度にそういう自分の連想ひとつひとつを「認めて置いてあげ(acknowledging)」、安易に決めつけずに「漂わせて置いてあげる」ことであり、それをクライエントさんに口にするのか、口にするとしても、どういう言い方で、いつ口にするかについては、面接の流れに即して吟味していく必要があるだろう。その面接の中では結局口にしないまま、備忘録的に面接記録に記しておくだけでもいいこともあると思う。
同様にして、面接場面で治療者としての自分が「そういう気分、居心地」になったことについての個人的要因、治療者として多くのクライエントさんに接するうちに形成された暗黙のスタイルとの抵触の可能性などについての連想も、治療者は、自分の中で「認めておき、漂わせていく」ことができる必要もあるだろう。
要は、治療者は、面接場面の中での治療者自身の感情体験とそこから生じる治療者自身の連想や感情体験についても「平等に漂う注意」を向け続ける必要がある。
*****
日本語は、主語(「○○が」)や目的語(「△△に」「□□を」)が非常に曖昧なままでも、脈絡に依存する形で何となく会話が成り立つ側面が大きい。
これは面接場面でも同じことであり、クライエントさんが、例えば配偶者との関係について、実家および結婚相手のご両親やきょうだい、自分たちの子供との関係も交えて話をしたら、何が生じがちか?
「.......そしたら、『そういう言い方はするもんじゃないよ』と言われたんです」
治療者は、それがてっきり実家のお母さんに言われたことかと思っていたら、配偶者(男性)だったり、それどころか6歳の子供から言われたことだった、更には、以前の面接で治療者から言われたこととしてクライエントさんは語っているつもりだった(そのようにクライエントさんに言ったことそのものが治療者の記憶にない).......などどいうことに、話を随分長く聴くうちにはじめてその「ズレ」に気がつくことなど、どんなカウンセラーでも体験しているだろう。
そうした行き違いが生じないように、治療者は伝え返しの際に、クライエントさんが間違いを修正しやすい言い方で明確化するとか、脈絡上すこし変だなと感じた時に、自然な形で確認してみることも大事である。
しかし、そうした「脈絡の読み違い」が双方に生じることそのものが有意味である場合もあるだろう。
主語と目的語は、いろいろ置換しても一応脈絡が通じることが少なくない点にこそ、私たちがみな転移空間に生きていることの具体的証左であるとも言えるように思う。
そうした現象を、どのように治療的面接場面で資源として活用するか。そこにこそその治療者の経験とセンスが発揮されるのではなかろうか。
*****
以上の内容、恒例、セーイチさんのブログ、『発展途上臨床さいことじすとの航跡 blog版』での私のコメントをきっかけとして参加者の皆様とのやりとりの中で熟成されたものです。ありがとうございます。
今回は、そこでのコメントとは別に、気持ちも新たに書き起こしてみました。
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こういちろうさんの描いている「転移」や「転移解釈」はどちらかというと、自我心理学派の考えているものと近いのかなと感じました。
対象関係論でいうところの「転移」や「転移解釈」はもっと広いファンタジーを含みこんだ意味合いがあるように思います。
同じ精神分析でも「転移」という概念に対してこれだけの違いがあるのだなと改めて思いました。
あと、治療関係で起こっていることを「それは親との関係でしょ」という転移解釈は僕はあまりしないです。なんでかは分からないけど、そういうSVだったから(笑)
逆に、日常生活で起こった人間関係や過去の人間関係で起こったことを語った時、「それは私に対して思っていることでしょう」という【今ここ】での文脈として転移解釈することが多いです。
投稿: セーイチ | 2008/04/19 07:09
>セーイチさん
>こういちろうさんの描いている「転移」や「転移解釈」はどちらかというと、自我心理学派の考えているものと近いのかなと感じました。
意識してはいませんでしたけど、なるほど、そうかもしれませんね。
どちかというと対象関係論好きだった私に、現場臨床経験の流れの中で、立脚点の「反動」みたいなものが生じている時期なのかもしれないと思います。
いろんな意味で「リアリスト」であらざるを得なくなってきている自分を感じますので(^^;)
それにしても、
>逆に、日常生活で起こった人間関係や過去の人間関係で起こったことを語った時、「それは私に対して思っていることでしょう」という【今ここ】での文脈として転移解釈することが多いです。
なるほど。
何かというと「親との体験のトラウマ」というとらえ方みたいなものが流布された現在の状況では、敢えて現前する治療者-クライエントさんの関係性に読み替えるバイアスをかけてとらえてみる方が、解釈として「害が少ない」かもしれませんね。
ただ、自分とクライエントさんとの、今治療的面接場面で生じている関係性に焦点を当てて取り扱うのは、ある「覚悟」というか、「直面化」(というより、「対峙」)を恐れない腹の据え方も必要かもしれません。
とても興味深いスタンスだと思います。
投稿: こういちろう | 2008/04/19 07:48
>日本語は、主語(「○○が」)や目的語(「△△に」「□□を」)が非常に曖昧なままでも、脈絡に依存する形で何となく会話が成り立つ側面が大きい。
関西方面でよく使われる曖昧な表現に「しんどい」がありますね。
「しんどいです。」
「しんどい」って、私がしんどいのか、相手がしんどい人なのか、関係がしんどいのか、状況がしんどいのか、身体がしんどいのか、心がしんどいのか。
言っている本人も、実は明確に意識していないという。
曖昧なところがいいんでしょうね。
投稿: 重元寛人 | 2008/04/19 10:50
心理療法って、コンプレクスをほぐす按摩みたいなものなのかもしれませんね。
いろんな見方を呈示することで、観念と観念の疎通をよくするというか。
私もブログなどで、自分の失錯行為や症状行為を自己分析したりしてますが。
それを思いついたときには、「そうか!」と、すごく腑に落ちた気がする。
しかし、それも間もなく陳腐な解釈に思えてきて。
たしかに真実のある局面は捉えているが、それだけでもないかなと。
心理療法の新しい技法というのも、既存のやり方が陳腐に思えてきたところに登場して、「そうか、それは新鮮」と、しかしそれもまた陳腐になっていく。そうしているうちに、古典的なやり方を見直すとまたそれも新鮮だったりして。
新鮮な「そうか!」を体験しつづけるには、たゆまぬ努力が必要なのですかね。
投稿: 重元寛人 | 2008/04/19 11:10
重元さんにまとめてレスです(^^)
「しんどい」って、確かに、聴いている内容がしんどいのか、聴いている自分が相手に「共感する」あまり「しんどい」のか、聴いている自分が「共感でききらない」何かまで感受するから「しんどい」のか、相手が今「しんどく」感じているのかとかが曖昧なまま、それでも「何となくじ通じあえる」表現とも言えますよね。
私は「居心地」とか「雰囲気」という言い方を、現場臨床でもフォーカシングのトレーニングでも多用します。これって「自分の」感覚と言うだけではなく、「場の」感覚、「関係性」についての感覚であり、それはその場にいる他者の感覚とも暗黙の相互作用の中で生じている「あいだ」の感覚に、単なる感情というより、「曖昧で複雑な身体感覚」そのもの全体にダイレクトな注意(direct reference)が向きやすい訴えやすい表現と感じていますから。
>心理療法の新しい技法というのも、既存のやり方が陳腐に思えてきたところに登場して、「そうか、それは新鮮」と、しかしそれもまた陳腐になっていく。そうしているうちに、古典的なやり方を見直すとまたそれも新鮮だったりして。
そのことを、ジェンドリンなら、「コンテンツ」が問題ではなくて、体験の「プロセス」が大事と表現する気がします。
要するに、自分が単なる型にはまった「ステロタイプな」見方を「機械的思考や方法論として」やり始めたら、その時の体験の「暗々裏の意味あい(implicit meaning)」から明示(expliciate)できる「象徴化」を新鮮に汲み取るのではなく、言外のsomethingの「曖昧な感覚」を"skip"し始める。これをジェンドリンは「構造拘束的(structure-bound)」体験様式と呼ぶわけですが。
(以上、「人格変化の一理論」[1964]参照)
そして、治療技法や治療的概念の「収穫逓減の法則」が始まるのかなと思います。
フロイト自身もそうでしょうが、ある技法の創始者とか、達人とかは、実はそうやって自己を更新し続けることを延々とやっていく。
でも、文章や著作としてある時期に「固定された」ものを学んだり、ましてやそうして学んだものをそのまま人に教える形になれば、どんどんそれが一人歩きしたり、「専門家における通俗常識」になったり、「ドグマ化」がはじまる。
それに従うのは、実はそれを信奉する「臨床家仲間や「先生」に肯定的評価を得たいことが大きなモチベーションを占めているだけの。
そうなると、今度は逆に、それぞれの個人が、敢えて「故(ふる)きを温(たず)ねる」ことが「新しきを知る」となることも出てくる。
しかしその時には、昔読んだときよりも深く脈絡が読めた気がしたりして、「以前と同じ体験」ではないのではないかと。
仮に「初心に返る」ということが体験されたとしても、それはほんとはすでに「初心」の頃とは違うと思いますし。
耐えず新鮮な「今、ここで」の体験過程として生起する必要があるということではないかと。
これは面接場面でもそうで、新鮮な「そうか!」を体験しつづけるには、たゆまぬ「好奇心」が必要なのでしょうか。
それは単なる「虚心に臨む」という言い方だけでは説明し尽くされない面がある気がする。
むしろ、自分の中に次々浮かび上がる「型にはまった」理解を認めてあげ(acknowlege)つつも、それらと適切な距離をとりつつ、「今、ここでの体験」を感じてみようとするジグザグ過程のように思われます。
「無心」「あるがまま」とは、そのようにして形成されていく「プロセス」なのではないかと。
そのあたりに、フォーカシングの名トレーナー、アン・ワイザー・コーネルさんの言わんとすることの神髄もあると感じている私です。"acknowleging"(「気づいておく」「自分の中で認めておいてあげる」とは、アンさんの生み出した概念です。
「認知する」などどいうありふれた直訳では何のことやら含蓄が消し飛んでしまう言葉。
それは「クライエントさんを」、場の中で「認めておいてあげる」という、「受容」という概念のちょっと「呑み込み」じみたニュアンスでは掴みきれない、「あいだの空間」をも包括できる何かを表現しようとしている気もします。
話が、私が避けたい「我田引水」的になりましたけど、自分のサイトでなら、こういうノリもありかな.....と、お許し下さい。
投稿: こういちろう | 2008/04/19 12:15