「触れないでおくことも、実は触れることなのよ」(1)
この言葉は、増井先生の、確か人間性心理学会での数年前の個人発表の際に、フロアで同席した、私にとってもはや四半世紀のつきあい、まさに一緒に歳を取ってしまい、いつのかにか、出会った頃の年齢に私が達した観がある、私にとっての「フォーカシングの母」ともいうべき、私と同じ、の日本に12名いるTFIコーディネータのひとりである、ホリスティック研究所の白岩紘子さんの感想である。
白岩さんは、日本のフォーカシング第1世代の中で、果敢に「セラピーとしてのフォーカシング」を率先して追求・実践した先駆者のひとりである。
この感想に大きくうなづくだけで、私と白岩さんは、増井先生のアプローチの本質について相互了解できた。経験あるフォーカシング関係者、そして増井先生の治療実践についてご存知の方は、これだけで何を言わんとしているか、察して下さる方もあるだろう。
それをもっと具体的に説明していくと、以下のようになる。
*******
ごく単純な例を示せば、患者に抑圧という説明概念を利用し患者理解を進めようとするより、何やら漠然として、もやもやして、どことなくイライラすることもあり、それを体験することを患者はひどく嫌がっている、というふうに述べる方が、理解の正確さや患者への共感などを含んだ治療的メリットがどの程度あるかを想像するだけで十分であろう(p.31)
これなど、ジェンドリンが「人格変化の一理論」で次のように述べている以下の箇所と実に見事に呼応しているばかりか、それを更に、増井先生なりに、治療現場での実践知に昇華した発言である:
抑圧と内容の諸定義の再公式化(Repression and Content Definitions Reformulated)
24.未完の過程としての無意識
「自我」とか「自己体系」が諸経験を覚知(awareness)から「排除」するといわれるとき,通常これらの諸経験はそうした排除にもかかわらず「無意識の中に」あるいは「有機体の中に」存在していると仮定されている。しかしながら,我々の論議を進めていくならば,それらの経験は存在しないという結論になる。たしかに何かは存在するわけだが,その何かは仮りに諸経験が具合よく進んでいったときにみられるようなものとしての経験ではないのである。現実に存在しているのは,身体相互作用過程がいくつかの点で停止したとき,・・・・・すなわち,そうした過程が生じていないときに,結果的に生ずるところの一つの感じられた生理学的な条件なのである。ではそれはいかなる類の条件であろうか?
今までのところで我々は結果として生じた機能不全がいかなる形で何かを「欠いている」かを示してきた。しかしながら注意すべきはこの欠けているものを,無意識というところに位置づけてはならないということである。(これはちょうど誰かが空腹なときに節食を無意識の中に位置づけるべきでないのと同様である。)無意識というのは身体の停止した諸過程,すなわち筋肉的内臓的な妨げから成り立っている。これはちょうど停止した電流が裏面で秘かに流れている電流から成っているのではなく,(中断箇所ばかりでなく)回路の様々の部位において蓄積されたある電位から成っているのに似ている。この場合,ある伝導体を入れることによって再び電流が生ずるときには,それが中断されていた条件下において生じていたのとは異なった事象が生ずるのである。ただいうまでもなく,両者は互いに関係し合ってはいる。これをみて我々は,これが電流の再構成化(reconstituted)に先立って(静的な形態をとって)存在していた電気エネルギーだ,という。これが「無意識」なのである。
諸々の経験や知覚や動因や感情などが我々の覚知には「欠けて」いるというとき,それらは覚知の下に,(すなわち身体や無意識のどこか下の方に)存在しているわけではないのだ。存在しているのは,ある狭められ,あるいはいくつかの点で阻止された,相互作用と体験過程なのである。我々が記述した体験過程の様式は,多くの点で,体験過程や身体的生命過程が「完了して」いないか,さもなければ十分に進行的ではないようなものに他ならない。
このことは「無意識」というものはないということなのか?我々が覚知しているものだけが存在するのか?事をかように過度に単純な形でとらえることは重要な観察事実を無視することである。我々の理論はこれら様々の観察事実を説明することができなければならない。(新訳p.pp.216-7)
では、増井先生はジェンドリンのどこに批判的なのか。それは次でご紹介。
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