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2007/11/18

精神病状態にある人の体験過程についてのジェンドリンの見解に対する増井武士氏の反論について吟味する(1)[第2版]

 今回は、フォーカシングや体験過程理論についての、最もディープな水準での興味深い議論について、公刊されている著作を参照しつつ論じる内容です(^^)

 今回は、まずはジェンドリンが精神病水準の人の体験過程について「人格変化の一理論」(Gendlin,E.T.,A Theory of Personality Change,1964)で述べている部分を紹介し、私のその解題を書くまでとし、増井氏の見解についてとの私なりの吟味は続編とします。

 これは、昨日、四日市での「東海フォーカシング研究会」で、すでに10年続く、この論文についての読書会にセクション(数十ページの論文をこれだけかけて読んできて、やっと終盤!!)私がレクチャーした内容です。1回にちょうどこれくらいしか読み進まないのですね(^^;)

 以下の引用では、池見先生を中心とする新訳(pp.222-4)に、私が更に手を入れたものを紹介します。[ ]内は私の注ですが、他の部分も新訳と幾つか訳を変えています。


*****


 まずは、ジェンドリンの日本語訳を引用私による解題を少しずつ付加しますます:

 
25. 体験過程の様式が極端に構造に拘束された場合
  (精神病,夢,催眠,CO2,LSD. 刺激遮断(Stimulus Deprivation)[=感覚遮断実験])


(前略)

e) 静止した,反復的,変容不能の様式

 感じられた体験過程の「暗黙の機能」が硬化している限り,現在の諸状況がそれと相互に交渉し合い、それを修正する術はない。従ってそれは現在の状況の解釈[注:ここでは精神分析的な「解釈」や、知性化された理解に限定されず、広い意味での「認識」「理解」程度の意味]にはならず,ただ現在の状況によって変容を受けない反復的パターンが見られるだけで終わってしまうのである。[たまたま]現在の諸事象によって「きっかけ」を与えられる結果として,事は連続して「なんとかなって」いく["go off"]かもしれないが,それは現在の諸事象の解釈でもなければ,それら事象への[新たな]反応でもないのだ。


 【解題】
「暗黙の機能」については、詳しくは、「4. (知覚と行動における)暗々裡の機能」(新訳p.181)を参照。 ここで手短に復習すれば、直接のレファラント=フェルトセンスとして直接注意を向けられることがないまま、心身が状況に応じて反応していく過程である。つまり、「漠然とした感覚」としてすら知覚の「図」になることがないまま、状況に刻々と対処していくプロセスである。例えば、路面の変化に応じて人は歩き方やや全身の筋肉の緊張や平衡をコントロールしているはずである。あるいは、人とのやりとりの中でも最低限の柔軟性をもって生じているものだろう。これは私たちの日々の基底にごく普通に広汎に機能している、健全なものであり、恐らく動物にすら機能している。フェルトセンスとして注意を向けることが可能になるのは、どんな人でも、そのほんの一局面のみである。

 それが「極度に『構造に拘束』される」とは、そうした暗々裏のプロセスが、フェルトセンスとして直接注意を向けることが可能なレヴェルに少しずつ繰り込まれる、「再構成化(recotituting)」[新訳Pp.205-6]の過程が柔軟性をひどく失った状態とみなされる。

 しかし、それは、例えば他の人の「キュー出し」やサポートや偶然の介入という、状況要因の一種によって、「それがないと陥る、まったくいつもと同じ行き詰まりにはならずに棲む」=「なんとかなっていく」といったものだろう。精神分析用語でいうと「無意識的な『反復強迫』にかなり近い。このことはジェンドリンも決定稿からは削除された草稿の中で明言している。


 f) 精神病的「内容」(contents)の普遍性

 極端に構造に拘束された様式下での諸経験は過程局面(process aspects)ではない。つまり、感じられた過程が進行していないほど、体験の構造拘束的様式の度合いが高まるのである。あるいくつかの主題がどんなに普遍的に反復して出現するかには驚くべきものがある。通常それらの主題は我々に馴染み深いあの「口唇的,肛門的,および性器的な」主題である。


 【解題】一番わかりやすい例でいえば、精神病状態の人間の妄想が、「個性的」なものではなく、極度にパターン化された発展過程を持つことは臨床的によく知られている。「自分はほんとうは天皇の落胤だ」「私の部屋のどこかにFBIの盗聴器が仕掛けられている。その証拠に、テレビを見ていると私への様々なメッセージが織り込まれている」など。


 すべてこうしたことが[精神病者に限らず]我々をつくりあげている材料となっているのだ。そして進行中の過程がその進行を止めているときには,通常それまで進行していた過程がこうした材料に分解,還元されてしまうと考えられる。

g) 精神病的諸経験は「抑圧されたもの」(the repressed)ではない

 上記のように,構造に拘束された諸現象を今始めて「あらわれた」あるいは「噴出した」過去の抑圧された経験とみなすのは誤りである。もしも現象をこのように考えると,次のような厄介な質問が出てくるのである。つまり,多くの[力動的人格]理論において、[神経症水準については、より]適応するためには、気づきを必要とし,抑圧は不適応をもたらすといっていながら,他方,同じ理論において精神病はこれらすべての体験に「気づきすぎており」それらを「再抑圧する」必要があるといわれているのである。

 事実をよりよく公式化して,上の疑問を解決するためには,観察事実を次のように解釈すれば良いように思われる。事がうまく行っているときには,これらの普遍的な過去経験は感じられた体験過程の中に暗々裡に機能している。

 その過程が進行を止めたときには,分解され,静止した諸々のパターンが感覚中枢の中心を占めるのである。

 このようにとらえなおすことにより、例えば次のような具体的事象をよりよく説明することができる。この見解によれば「精神病」はその底にあると我々がみなしている様々の内容ではないのだ。(その意味では誰でも「精神病的」である。)

 むしろ,「精神病」とは,感情と事象との相互作用過程の削減,もしくは停止ということに他ならないのだ。だから我々がある個人を「境界線の精神病者」であると分類するとき,これは,彼の中にある危険な諸々の内容が横たわっているという意味ではないのだ。彼は「孤立し」「吸入せず」「何か十分には存在しておらず」「退避しており」あるいは「自らに触れていない」のであり,これすなわち彼の体験過程様式が構造によって強く拘束されていることなのである。

 「精神病」の発生を防ぐには、[治療者が、患者の中で、]暗黙のうちに機能している感情にできる限り反応してやることによって,相手の中に進行しつつある相互作用と体験過程を前進させ,再構成することが必要である。


 【解題】阿世賀はこれを、例えば統合失調症の最初の急性発症のプロセスの予防、というところまで安易に拡張することには違和がある。鬱病の先駆段階、軽傷境界例水準の「サイコティックな」エピソードまでであろう。中井久夫の言う「恒常期」から寛解段階にいたるまでや、再度の急性化防止にはあてはまるかもしれないが、あくまでも薬物療法の併用があってのことであると考える。

 更に言えば、ここでいう、「暗黙のうちに機能している感情にできる限り反応して」とは」、フェルトセンスに触れることの促進だとか、それはどんな感じかくわしく話すように促すということではない。例えば、患者が焦燥感にかられていそうもないのに汗を流していたら「暑いでねえ」と声をかけ、「窓を開けましょう」と窓を開ける、そういう程度のことの時たまの繰り返しなのだと思う。体験過程尺度を深めるような促進的応答、ましてや技法としてのフォーカシング的な教示のことではない(そもそもこの論文の段階では、技法としてのフォーカシングはまだ存在しない!!)

 なお、少なくとも、フォーカシングの本人の動機づけの強い、自律的フォーカサーとしての学習においては、病理水準の違いよりも、個々人の資質の違い、トレーニング場面での関係性の質をトレーナー側が敏感に配慮するだけの経験値の違いの方が決定的である。

 神経症、境界例、発達障害、犯罪者、嗜癖、心的外傷(これらすべて外国の症例報告が幾つもなされている)、医療のサポートをうけた精神病寛解期などといった区分に関係なく、役に立つ人には役に立つ。しかしそれは、セラピスト側がマニュアル化した技法を機械的に適用する水準では不可能である。

 個人的には、「フォーカシングの適用範囲はどこまでか?」という一般論的問いかけは、実はほとんど不毛で無精な問いとしか思えない(^^;)。クライエントさんが受け身のままで、治療者が深い配慮もなく機械的に実施して効果的な技法など、どこにあるのだろう???? そして、一般には効果が高いとされる技法でもうまくいかない人にはうまくいかないのも摂理であり、また、自分の中に「この技法で何とかしてやろう」という悪魔の誘惑に屈する「色気」があるうちはたいてい失敗する。あるアプローチをそれ以上適用することを潔く取り下げる決断を、相手の意志と自らのフェルトセンスを頼りにして、柔軟にできない治療者は、そもそもフォーカシングを学んでいるとは言えまい。

 私の現場臨床は、フォーカシングを自分のために身につけた人間が、平常心で「普通のカウンセリング」をしているバリエーションに過ぎない(^^)


*****


 記事を改めての続編に向けて、興味のある方は、増井武士先生の、この本をお手元に。P.39以降やp.111以降を次回取り上げます。


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コメント

 自己レスです。

 第1回を第2版にする際に、当初別立てにつもりでいた、「人格変化の一理論」への私の解題を交互に織り込み形に変更しました。

 増井先生のジェンドリン批判と、それについての私の吟味は、別立て記事の(2)となり、そこでこの記事は完結しますが、明日以降になります。

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