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2007年11月

2007/11/30

増井先生のいわゆる「感じ過ぎている」について。(第2版)

 さて、いよいよ「フォーカシング vs.増井」の戦いの本質を、やっと皆様に紹介することになる。(^^;)

 この点で、この壮絶な戦い(?)について予備知識がある人向けにこれまで書きすぎていたかもしれない。

 なお、神田橋先生の「自閉のすすめ」論については、「発想の航跡」に収められている。


*****


 増井先生の師、神田橋先生の「自閉」論の本質は、そもそも精神病域の人や引きこもりの人(この二つを混同しないように注意を促したいが)が、なぜ社会や対人関係から引きこもるのかについての究極の逆説から出発する。

 こうした人たちは、

 外の世界の刺激を感じられないから引きこもるのではない

 あまりにも強烈に感じすぎているので、
 それに全く対応できなくて、
 やむなくそこから遠ざかるために引きこもる
のである。


******

 これは、もっぱら薬物療法を中心としている精神科医の皆様も首肯する事実ではなかろうか。

 統合失調症の薬は、気分を高揚させたり活動的にするものなのか?

 ......実はむしろ正反対である。その人の、自分の内部、および外部からの刺激に対する、特異な性質の過剰なまでの敏感さをむしろ鎮静させ、休息に導くためにある。

 しかもその敏感さとは、一種独特の選択的なものだ。

 (そのへんがわからないと、躁状態を鎮静する薬との重大な区別が見えないことになる)

 この「選択的な敏感さ」について「説明する」という点では、神田橋先生も増井先生もやや不十分であると私は感じている。

 現場臨床的には熟知しておられ、要約されると抜け落ちかねないさりげない箇所で言及もしておられる気もするが、少なくとも専門家一般に広まっている、要約された「神田橋理論」「増井理論」においては抜け落ちがちなポイントではないか????

  特に増井先生は、実は関係性の問題について、「論じる理論」というより、現場臨床的に観て、実はもの凄い敏感な配慮をなさる方と私は感じている。

 この「選択的な敏感性」についてとなると、中井久夫先生が言われている「微分回路認知」(あるいは「差分的回路認知」)の理論や、安永浩先生の「ファントム理論」まで動員して、やっと、日本における精神医学の叡智が結集したことになるだろう。しかもそこから引き出される結論は、実は意外なほど、精神医学における認知理論的なアプローチや生理学的アプローチの「最先端」とも接点が出てくるはずである(私のうかがい知る範囲では)。

 しかし、特に中井先生の業績については、不完全ながらたびたびこのブログでも取り上げてきたので、ここではこれ以上言及せず、示唆に留めたい。


******


 それはともかく、増井先生は、この「感じすぎるから自閉する」というテーゼを、統合失調症や引き籠もりの人のみならず、広汎性発達障害、すなわち、狭義の「自閉症」にすら通用する、普遍的な問題軸で眺めている点では、大胆かつ画期的である。

 ここでずっと追い続けている本には、次のような文章がある。これも是非一度、この本から全文紹介したかった部分だ。


 筆者が関係する病院での実習の時、ひとりの学生が、ある自閉症者の精神療法の見学の後、

 「自閉症というのは、他人や外界との関係を断絶した病気であると聞いていたが、なるほど、その通りだと思った」

という印象を述べた。

 筆者はその時、その自閉症児との精神療法における治療目標は患者と治療者が全くひとりひとりの人間として断絶しながら、ある一定の時間を共有するという、言語下的状況を中心とした、かなり神経を使う精神療法が進行中であり、患者にとり治療者ががそこにいるということを、かろうじて共有できていた時点であったので、その学生に、その[学生の、自閉症についての]定義が事実そうなのか、[つまり、]その患者に嫌われないように近づき、できれば抱き取ることを提案した。

 学生は、相手を驚かさないようにやさしく声をかけながら近づいたが、、結果的に患者は、その学生が語るところによると、「まるで鬼を発見したように」逃げ去った。

 仮に自閉症が、他人との関係を完全に断絶している病気であるならば、その患者は、ある意味では、他人の接近にも「物体」のように反応し、抱き取られるのも意に介さないと考えられる。しかしその自閉症児は明らかに、通常の子供より敏感に他人の接近に反応したわけである。

 自閉症に限らず、程度の差はあれ、多くの患者にみられるこの傾向は、彼らは、その内的な体験として、他者の接近に対し、健常人より明らかに何かを感じすぎており、、そのかは、その個人に混乱を起すような圧力の高い感覚の下で体験されているという仮定を十分に成立させる。

(p.99)


 この発言を、逆にADHD(多動性障害)の子供がなぜ落ち着かないのかを理解する上でも役立ちそうな気が、今こうして書き写している最中に、私の中でしてきたのだが。私は児童心理の専門家ではないのを承知で、思いつきを書かせてもらいたい。

 なぜじっとしていられないか。じっとしていると、何か独特の、過剰な刺激に受け身に耐えねばならないからだとしたら?

 (自閉症については、セミナーも何回か受講し、かつて、高機能自閉症の成人、および自閉症児をもつ家族ひとりとだけの面接で、適応促進的な円満な終結に至れたことがある)

 そして更に、ここで増井先生の述べた、

患者と治療者が全くひとりひとりの人間として断絶しながら、ある一定の時間を共有するという、言語下的状況

とは、ウィニコットの言う「環境としての母親」「ひとりでいられる能力」、そして、バリントの言う、「フィロバティズム」の問題を、あまりにも見事に連想させはしまいか?

******


 さて、ここまで読んでこられただけで、読者もお疲れのことと思います(^^;;;;)

 結局もう一日はかかることをお許し下さい。

 増井先生が、ありがちなフォーカシングのありかたに、どのように舌鋒鋭く斬りかかるか、専門家の方の中にはは、多少あたりがついてきた方もあるかもしれません(^^)

 続きこちらです。


「登校拒否は、登校意欲過剰症である」

 前後の脈絡からは外れるかもしれませんが、私が、現在紹介しつつある増井先生の著作に書かれている内容で、一般の人、何より不登校の少なからぬ皆さんにピンときてもらえる可能性のある、最高の名言のひとつを、「ツカミ」として紹介しておきましょう(^^)

「例えば、登校拒否児は、他からの登校刺激に対して明らかに拒否的であるが、内的体験から示すと、逆に、『登校意欲が極度に肥大している』病気でもある」(p.103)

 恐らく、人間性心理学会を中心として、「増井理論」におなじみのカウンセラーの皆様、そしてこれが実は、師の神田橋先生の「自閉の勧め」論から直接発展したものだ、という示唆を申し上げれば、なるほどとお感じの専門家の方は少なくないかと。


*****


 ただ、これを読んでいる学校に通えないでいる皆様に。

(最近、十代の読者の皆様のシェアが一番多い現実があるので)。


 これを「偉い先生がこんなことを言ってる」などと、親や学校の先生に直接言ったりはしないほうがいいと思いますよ。

 まずは、あなた自身が、ほんとうに、自分の中の「学校に行かねばならない」「社会でやっていけねばならない」という気持ちに呪縛されないと生きていけない側面が本当に自分の中にあるのかどうか、自分の心にじっくり問いかけてみてください。


*****

 なお、増井先生には、私は未読ですが、不登校についての著作もあるようですので、ご紹介だけはさせていただきます。再販されていないようですが、Amazonの中古を、しぶとくあたり、ウィッシュリストに加えておくといいかもしれません。

「不登校児から見た世界 -共に歩む人々のために-」 (有斐閣選書)ISBN-10: 4641280746

私は不登校を経験したことがあります。
 この本ほど不登校児の心を理解してくれているものはないと思います。
今はさまざまな不登校に対する本が出ていますが、
不登校の子の心について書かれたものはあまりありません。


不登校については、とかく甘えているとかわがままであるとか、あるいは親(特に非難の矛先が母親に向けられることが多いが)の躾が悪いなどとの批判がなされることがある。しかし、どうして他の子と同じように出来ないのか、一番悩んでいるのは本人であり、上記のような躾論は本人や家族の苦しみに拍車をかけるだけで、理解や助けにはならない、ことを本書は教えてくれる。誰が悪いといった犯人探しの観点からではなく、不登校児の心をより理解するために、おすすめの一書である。

では、不登校児はどうして閉じこもるか。著者によれば、それは「安心して私であること」ができない状態だからだ。不登校にもいろんなパターンがあるだろうが、概して不登校児は周囲に気使い、調和を保つために「自分」を殺して「良い子」であることが多い。要するにわがままになりきれない、彼らの窮屈さがあり、そのためどこに行っても「全く休めない、心の逃げ場がない」状態が続く。そのことが彼らの心の疲労を生み、不登校という形で自分の心の落ち着きを保っているのだ。であるから、不登校は怠けものなど否定すべきことではなく、彼らにとって、より本質的な私らしい私探しの心の過程でもある、としている。

(Amazon レビューより)

さて、今度こそ、増井先生特集完結させる!!

 もう、いろんことにclearing a space(棚卸し)できてしまって、ネットではこれ以外逃げ場がない!!

美化され抜いたYahoo!アバター

ポイントたまって、服を買えるようになったので、My Yahoo!!の方にアバターを作った。

実物を知るもの、笑え!!

まあ、こうなれるまでダイエットしたいものだと。

Yahoo!のインターネット検定には5分でひとつ(無料のだけど)合格。
条文読んでから開業してます。


By the wayの通信:ユングの件忘れておりません。これから仕事ですので。

2007/11/29

さすがに昨晩はエネルギー120%で走ったので

 増井先生の記事のほんとうの完結編は、明日にしますね。

ayuの新アルバムのタイトルは

"GUILTY"

でっす。

1/1(火)発売。

一部画像ファイル表示が乱れていたことをお詫びします

 どうも、直前の記事に挿入したAmazonのアフィリエイト表示のスクリプトのコピーの際の問題で、この数時間、アフィリエイトリンクを中心に画像表示が、特にFirefoxを中心とするGeckoエンジンでこのブログを閲覧した場合に、大幅に乱れていたようです。一応補正できたかと思います。IEでも一箇所表示の乱れが私からは確認できました。

 お見苦しい読者もいたかもしないこと、ここにお詫び申し上げます。

「触れないでおくことも、実は触れることなのよ」(2)[第2版]

 これで今回のタイトルの意味がきちんと完結するところまでは書きます:

 先に述べたように、本研究の主題は、患者が目下のところはどうしようもないこととして訴える症状との言語下水準で体験される、患者にとっての「どうしようもない感じ」についての「間(ま)」の体験的習得である。そしてそれに関する、いくつかの概念や治療技法の考察は、その研究当初において、明らかにE.T.Gendlin(1982)[注:著作「フォーカシング」のこと]が提唱する体験過程療法から発生してきたフォーカシングのひとつのステップとしての、本人が困っていることや気がかりなことについて「間を置くこと」(Clearing Space)に示唆を受けている。(p.42)

 実は、増井先生が、こうやってフォーカシングからの影響を著作の中で公然と語っているのはかなり珍しい(^^;)

 しかし、ここですでに、増井先生は、一見小さなことに見えて、実は重大な混同をし始めている。

 "clearing a space"と"make a space"の混同である。

 クリアリング・・スペース(村山・都留・村瀬訳の言う「空間づくり」)は、確かにフォーカシングの「第1の動き(1st momement=第1楽章とも訳せる!!)」として位置づけられているが、これは、単に「気がかりな事柄には入り込みすぎず、かといって離れすぎず、自分の前に保っていられるようにすること」ではない

 それなら、むしろ"make a space"(村山・都留・村瀬訳の言う「距離を取る」)の方が適切である。そしてそれは、ジェンドリンの元々の技法においてですら、フォーカシングを進めるどの段階でも調整して維持されるように配慮されるべきこととみなされている。

 増井先生はアン・ワイザーのトレーニング法が日本に広まる前にこの著作(.....というか、九州大学教育学部初の、統計調査を伴わない博士論文だった)を書いておられる。アンの用語で言えば"identificate"して(自分と気がかりや情動が一緒くたになって)いるか、"disidentification(脱同一化)"ができているかという違いとして、ジェンドリンより精妙にとらえられるに至ることへの認識は、この時点での増井先生にはまだなかったともいえる。

 なお、「空間づくり」については、私の本部サイトの「フォーカシング入門」のこのページをご参照ください。


*****


 ただ、増井先生が次のように続けておられるのは、傾聴に値する:


 そのような「間(ま)」が容易に作ることができたら、何も入院や外来で治療を受ける必要がない。


 ジェンドリンの「間」の概念が抽象的すぎるという、増井先生の現場臨床的な疑問符は、もっともなことと言わねばなるまい(^^)


*****


 しかし、そこまで話題を進める前に、またもや私の若き日の「今でも付け加えることがない」代表論文を紹介する方があとの吟味が早く進む。

 ●「フォーカシングにおけるclearing a space 再考 ~面接記録に基づく~」 
   東京大学教育学部心理教育相談室紀要  第14集  1992

 この紀要論文は、手前味噌だが、近年、私よりずっと若い院生たちが、何人となく、「すごく役に立った」と別々に言ってきて下さったもののひとつで、読み返したら、「いったいこれは誰が書いたのだろう?」と首をかしげるくらいに、結局、これより私は前に進んだ論文を書いていないと感じている一本である。

(もうひとつは、前年の同じく東大相談室紀要13号所収論文、「「身体の感じと状況との関わりを重視するフォーカシング・アプローチ・序説」 である。.....これは、アン・ワイザーを知らないうちに、アンと同じアプローチ(問題について身体の感じを掴むやり方の他に身体の感じに触れていく中から、プロセスが進む内に自分の置かれた状況や問題との結びつきが自然と喚起される場合とがあり、実は後者のアプローチの方が平易である人が多いということ)を書いてしまっていて、初来日時のアンと一気に意気投合するきっかけとなった論文。我ながら、よくここまで自分でこの段階でたどり着けていたと思う代表作なので、是非遺稿を著作集にまとめて下さる場合には選んで下さい.....と、もの凄く早めに遺言しておきます。もう1本も、そこまでは行かないけど、いいところはあるかと思う。)


*****


 さて、私が"clearing a space再考"で何を書いたか。

それは、

「気がかりな事柄をひとつひとつ『棚卸し』していくclearing spaceの過程そのものが、フェルトセンスに注意を向けることと、そこから個々の「気がかり」という「とりあえずの象徴化」が浮かび上がってくるという、体験過程の小さなステップの推進の繰り返しそのものである」

というテーゼに集約される。

 もとより、これを実現するには、「今の自分が申し分なくいられるのかな? いられないとすれば、何があるのだろう」という問いかけを身体に向けてじっくりとしていき、ひとつ気がかりが浮かび上がったら、それについてそこそこ話してもらった段階で「あとは必要なら相手をしてあげるから」と気がかりに約束してもらい、「おおまかなタイトル」を付けたり、「ともかく胃のあたりにすっきりしない感じがある」といった表明も、気がかりな事柄と全く対等に受け止め、アンふうに言えばacknowlegingした上で、「ではそれを別にすると、あとは申し分ないかな?」とフォーカサーに内側に問いかけてもらう提案をするという、こまやかでじっくりしたフォーカサー=ガイド間の相互作用の積み上げが大前提となっている。

 このへんが、いかに私の場合丁寧で、フォーカサーのペースを尊重したものかは、私のセッションを実際に体験したり、ご覧になった方はご存じのはずである(きっぱり)。

 そうした際のデリカシーについは、現在でも、2,3ヶ月単位で区切ってみれば、明らかに質が上がり続けているという自負はある。前回よりもより向上した質のガイディングができるようになろうという点で、私は自らに課している要求水準は際限がない。少しでも、ルーティン・ワーク化したセッションが自分に許せない。何か前回よりも無駄がなく細やかなものになる新鮮さがないとと思い続けている。しかし、私の技法には、更に細やかなフォーカサーの自発性への配慮と、厳重な構造化が、杓子定規とはほど遠い形で、徐々に育成され続けているのである。


****


 手前味噌はこのくらいとして、この"clearing a spaceそのものが体験過程の推進"という、ラディカルな観点を導入すると、どういうメリットがあるか。

 それは、"clearing a space"を丁寧に進めると、「このことがこれだけ気にかかっているとは気づかなかったという「気がかりについての気づき」がフォーカサーの中に生じることが少なくない、という、熟練者がよく知っている事実をうまく説明できることになる。

 そしてそうしたことに気がつけただけで、何か心の整理ができて、少し自分を取り戻し、帰り道に更に別のより本質的な気がかりに自発的に(ジェンドリン用語で言う「自己駆進的 self-propelling]に」)気がつくなどという形で、"clearing a space"が自動的に進行し、しかもそれがパンドラの箱を開けるような恐慌体験には日常の中ではならず、心を落ち着かせ、無理なく次回の継続セッションに「持ってくる」まで深追いしすぎないで保持することが可能なことが、少なくとも最近の私がガイドのセッションでは増え続けている。これは、それを可能にする「抱え」の構造を生み出す関係性の質を高めることにも私が更に成熟しつつあるから可能なのかもしれない。それは、私の人生に対する姿勢全体が、clearing a spaceされたものに、少なくとも現状では高まっているということと、最後には連動しているのではないかと感じる。

 その人の、面接室を離れた日常そのものが、少しずつでも半ば無意識的かつ自己流にclearing a spaceできる方向が「身につく」援助になれば、実はそれだけで最も重大な援助ができていることになると思えるし、それが生じないままなら、clearing a spaceを形だけ行うことは、むしろその人がすでに維持していた内面の平衡を崩す危険もあり、有害無益だろう。

 .....実はこの点では、増井先生と私はかなり共通の問題意識しかいだいていない。

 いや、増井先生の「心の整理法」(下記著作参照)ですら、杓子定規になされたら、確実に、面接後のクライエントさんの日常の中で混乱を招く「反動」が生じる危険があるはずだ。

 増井先生がもしこのような危険に遭遇しないとすれば、増井先生の、クライエントさんとの関係性の質.....ウィニコットの言う「抱え」の構造が実に見事な職人芸で確立されているからに違いない。

 これは決して明文化できない領域である。

 なお、私の"Crearing a Space"の臨床適用の実際については、すでに絶版だが、「フォーカシング事始め」(村瀬孝雄 編著 日笠摩子、近田輝行との共著 1995)の第10章の拙論、「フォーカシングの『臨床適用』について」の第5節でも、今にすれば未熟な内容だが、紹介している 。


*****

 
  更に言えば、

  こうなると、
 
  「気がかり」や嫌な感情を

  「自分が思い描いた壺に入れる」(田嶌誠一)
 
  とか、

  「どこかに置く」

  ということをイメージしてみるプロセスは、


  「内容そのもの」に名前を付けるか、

  内容を入れた「容れもの」の質感や置き場所を具体的にイメージするか

  という違いであるに過ぎず、

  これらも実は体験過程の推進のステップを安全に刻むための工夫であるに過ぎない


 ......という見地に立ってしまえば、

 ついに、

 増井先生や田嶌誠一先生とフォーカシングのインサイダーとの間のギャップは、

 論理実証主義的に言えば(^^)、ほぼ消滅することになるのではないか。


 まさに、冒頭に述べたとおり、

 「触れないでおくことは、触れること」

 なのである。


*******


 ここまで先に書いてしまってから、増井先生の著作について更に先まで吟味するというのは、ちょっとずるいやり方かもしれないが、さすがに午前3時となったので、最終的完結編は、今日の夜までに書くこととします。

 長文におつきあいいただき、ありがとうございました。

 おかげで、ayuの「伝説ライブ」の動画紹介の記事が埋もれてしまったけど、pingであちこち飛ばされているので、大丈夫でしょう。

 おやすみなさいませ。


 (今度こそ最終回になるはずだった回に続く)

「触れないでおくことも、実は触れることなのよ」(1)

 この言葉は、増井先生の、確か人間性心理学会での数年前の個人発表の際に、フロアで同席した、私にとってもはや四半世紀のつきあい、まさに一緒に歳を取ってしまい、いつのかにか、出会った頃の年齢に私が達した観がある、私にとっての「フォーカシングの母」ともいうべき、私と同じ、の日本に12名いるTFIコーディネータのひとりである、ホリスティック研究所の白岩紘子さんの感想である。

 白岩さんは、日本のフォーカシング第1世代の中で、果敢に「セラピーとしてのフォーカシング」を率先して追求・実践した先駆者のひとりである。

 この感想に大きくうなづくだけで、私と白岩さんは、増井先生のアプローチの本質について相互了解できた。経験あるフォーカシング関係者、そして増井先生の治療実践についてご存知の方は、これだけで何を言わんとしているか、察して下さる方もあるだろう。

それをもっと具体的に説明していくと、以下のようになる。


*******


 ごく単純な例を示せば、患者に抑圧という説明概念を利用し患者理解を進めようとするより、何やら漠然として、もやもやして、どことなくイライラすることもあり、それを体験することを患者はひどく嫌がっている、というふうに述べる方が、理解の正確さや患者への共感などを含んだ治療的メリットがどの程度あるかを想像するだけで十分であろう(p.31)


 これなど、ジェンドリンが「人格変化の一理論」で次のように述べている以下の箇所と実に見事に呼応しているばかりか、それを更に、増井先生なりに、治療現場での実践知に昇華した発言である:

 抑圧と内容の諸定義の再公式化(Repression and Content Definitions Reformulated)
24.未完の過程としての無意識

 「自我」とか「自己体系」が諸経験を覚知(awareness)から「排除」するといわれるとき,通常これらの諸経験はそうした排除にもかかわらず「無意識の中に」あるいは「有機体の中に」存在していると仮定されている。しかしながら,我々の論議を進めていくならば,それらの経験は存在しないという結論になる。たしかに何かは存在するわけだが,その何かは仮りに諸経験が具合よく進んでいったときにみられるようなものとしての経験ではないのである。現実に存在しているのは,身体相互作用過程がいくつかの点で停止したとき,・・・・・すなわち,そうした過程が生じていないときに,結果的に生ずるところの一つの感じられた生理学的な条件なのである。ではそれはいかなる類の条件であろうか?

 今までのところで我々は結果として生じた機能不全がいかなる形で何かを「欠いている」かを示してきた。しかしながら注意すべきはこの欠けているものを,無意識というところに位置づけてはならないということである。(これはちょうど誰かが空腹なときに節食を無意識の中に位置づけるべきでないのと同様である。)無意識というのは身体の停止した諸過程,すなわち筋肉的内臓的な妨げから成り立っている。これはちょうど停止した電流が裏面で秘かに流れている電流から成っているのではなく,(中断箇所ばかりでなく)回路の様々の部位において蓄積されたある電位から成っているのに似ている。この場合,ある伝導体を入れることによって再び電流が生ずるときには,それが中断されていた条件下において生じていたのとは異なった事象が生ずるのである。ただいうまでもなく,両者は互いに関係し合ってはいる。これをみて我々は,これが電流の再構成化(reconstituted)に先立って(静的な形態をとって)存在していた電気エネルギーだ,という。これが「無意識」なのである。

 諸々の経験や知覚や動因や感情などが我々の覚知には「欠けて」いるというとき,それらは覚知の下に,(すなわち身体や無意識のどこか下の方に)存在しているわけではないのだ。存在しているのは,ある狭められ,あるいはいくつかの点で阻止された,相互作用と体験過程なのである。我々が記述した体験過程の様式は,多くの点で,体験過程や身体的生命過程が「完了して」いないか,さもなければ十分に進行的ではないようなものに他ならない。

 このことは「無意識」というものはないということなのか?我々が覚知しているものだけが存在するのか?事をかように過度に単純な形でとらえることは重要な観察事実を無視することである。我々の理論はこれら様々の観察事実を説明することができなければならない。(新訳p.pp.216-7)


 では、増井先生はジェンドリンのどこに批判的なのか。それは次でご紹介。

(続く)


2007/11/28

.....で、この次が、増井先生。

 明日が定休日なので、今晩1時頃までには中に楽々upでしょうが、皆さん寝坊しないで下さい(^^;)。

ayu様の伝説の「殴りこみ」ライブ映像(恐らく期間限定)[第3版]

消されないうちに、どうぞ!!
こんな「野獣的な」ayuは滅多に観れないもの。

YouTubeに私が書いたコメント、少し英作文修正した改訂版;

"This Performance is one of best Ayu's live scene..She looks like a puma. The drummer of this sesson wrote in his personal web site,"We were feelings of going today to make a raid on the festival dome !" (in Japanese,"Nagurikomi ni iku",like a small group of sreet gang boys going to fight a big gang family's office)."

要は、この時のayuは、ayuファン向けにパフォーマンスしているのではない。ayuのライヴを知らない人向けに、挑戦的なライヴを敢行したのである。

 このYoutubeの投稿、すでに評価者全員★★★★★、1日のうちで音楽部門で最も多く観られた動画、1日のうちで最もブックマークされた動画、等の栄冠を、最高の日で5つ獲得しています。世界中のYouTubeウォッチャーの評価です。

 このライブについては、ずっと前にこちら記事を書いています。

ジャズも再び聴き始めた

 ......といっても、クラシックに比べたら全然ディープじゃないけど。


Last fm.のブログの、


●実はジャズも多少聴くのだ。


を参照。

 以前もコメントいただいたけど、そちらのブログから来てくださるかたも、ボチボチ出るようになりましたね。

 実は、ELTについては、そっちでしか書いてない記事もある。似たことは最近こっちでも書きましたけど(^^;)


.....ああ、これであとは増井先生の著作について完結編書くことから、今晩は逃げられないね(内なるcriticからの声)

浜崎あゆみとベートーヴェン(第2版 聴覚障害について追加)

 今朝、夢を見た起き抜けにいろいろ連想するうちに思ったこと。

 ayuは、ほんとうに、姿の見えないファンとの交流(もちろん、ライヴでの顔の見える交流を含めて)に、生き甲斐を見いだしていて、ファンに向けて語る言葉は真摯なものなのだろうということ。

 そして、私のネット活動だってそうなんだ、ということ。

 何かメダカがクジラに共感するような大げさなたとえなんだけど、私の中でcrossing(交差 ジェンドリン用語)したから。

 今回の夢の中には登場しなかったけど、ayuさんは私の夢の中にひょこひょこ登場するほとんど唯一の有名人です。すごく「日常的な舞台で」登場する傾向があるのは以前も「ayu様降臨」で書いた通り。


******


 ......で、さっきまで、現代の最も天才的な巨匠ピアニスト、マウリツィオ・ポリーニの演奏でMaurizio Pollini - Beethoven: Piano Sonatas, Op.2ベートーヴェンの最初の3つのソナタ(Op.2 No.1-No.3)を聴いていて思ったんだけど。

 ベートーヴェンって、実はすごく偏屈な人でもあったけど、実はものすごい執着気質的でもあり、ひとつの動機から曲をどのように発展させるかという技能に関しては、キャリアの初期から、とてつもない域に自分を磨き上げていた。

 ハイドンから受け継いだ古典派の様式感覚に、モーツァルトの天才性のきらめきに自分なりにインスパイアされ、むしろ、古典派を飛び越して、むしろバロック様式の執拗な繰り返しや、饒舌さ、即興性との近縁すらあり、それを「伸縮する時間感覚」と仮に名付け、それはハイドンにはほとんどないものというのが、昔、シューマン専門コーナー、「ロベルトの部屋」で展開した私のベートーヴェン論の要旨なんだけど(現在残しているアーカイブではそこまで入ってないかも?)。

Pollini_beethoven_op2いかにもイタリア人によるギリシャの乾いた空気の中で大理石の彫刻のようだけど、若い頃よりずっと柔軟性を増した、ポリーニの「第3番ハ長調」ソナタの華麗な演奏を聴いていて思ったのは、このソナタ、ベートーヴェンの初期作品では、その圧倒的ゴージャスなピアノの響きという点では別格

 凄い技巧を要する点では、やはりリヒテルやポリーニの演奏は見事なものだと感じると同時に、後の作品に比べるとまだ未整理で饒舌過多かもしれないけど、奔放に走りそうになるのを見事に構造化していくあたりの、実に細やかな転調を繰り返すあたりに、ベートーヴェンのすでに肌に染み付いた厳しい作曲技能を思い知らされる、たいへんな力作だと思った次第。こんなピアノソナタ、これ以前に誰も書けなかった。

 そして、ベートーヴェン一代で尽い終た、ピアノソナタこそピアノ曲の中心という時代は、彼のソナタの最初から最後までそうだったのだと、改めて思い知らさせれた。

Beet8hokanでも、例えば、第3楽章や第4楽章の中間部(別な作曲家の手で編曲されてドイツリートにもなってます。何とヘルマン・プライの独唱版がアルヒーフのLP(archiv 2533121)にかつてあったのね。私これ若い頃にFMで聴いてます)など、初々しいコケティッシュな魅力に満ちた部分もあるので、おすすめ。

(このプライ盤の映像資料は、"ユニバーサル真空管アンプ 「富嶽」とその仲間達のページ
by かずさん"
このページより)


*****


 で、私が思ったのは、こういう崩れそうで崩れない厳格さというのが、実は私の持ち味かもと思ったの(^^;)

 ayuも、ブレない!!(^^)


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※第2版で追加:(08/01/07)

 浜崎あゆみの片耳難聴が報じられてから、この記事までアクセス数、増えています。ベートーヴェンも耳が聞こえなくなったのは著名ですから、目ざといネットサーファーは検索おかけになるのかも(^^)

 それが何より証拠には:
Ranking080108

 以下に書くことは、医者ではない私の、限られた情報からの推測です。

 しかし、臨床心理士ではありますので、目まいや耳の難聴、変な音が聞こえるというクライエントさんからの訴えについての一応のアセスメント(見立て)が出来ねばならない立場での専門性はあります。

 以下、王子のきつねさんサイトで書いたコメントをそのまま転載します:

 恐らく聴神経腫瘍ではないでしょう。「avexの大事な商品」である限り、脊髄検査まで受けているはずだし、平衡感覚の障害はayuについては聞いたことありませんよね。

 外リンパ瘻なら、それこそ、最初のコンサートツアーの第1幕と第2幕の間のayuの2000年の入院期間に手術できたのでは?

 その意味では、メニエール病の可能性の疑いは今も捨て去られていないのではないでしょうか。

 いずれにしても、今後ayuが突然目まいで倒れたとか、ステージでバランスを失ってしまったということがあると、黄信号でしょう。

 あれだけダンスができるというのも、実は平衡感覚の点でのハンディを克服しての、並々ならぬ努力の産物なのかも。

 要は内耳における、水がたまるなどの所見がすでにあるかどうかです。こうなれば平衡をつかさどる三半規管に影響が出て当然です。

 さもなければ、平衡感覚の障害には至らないという点で、診断確定できないままなのかもしれません。

 ひょっとしたら、ベートーヴェンの遺体解剖の際に得られた所見のように、むしろ「聴神経の萎縮」の方なのか、それとも器質的な変化の所見なしかのどちらかでしょうね。

Archiv_2アルヒーフ ニュー・ベスト50 
※アフィリエイトにはならないが。



HMVジャパン

2007/11/27

増井先生の著作についての続き

 連載中断が少なくない私ですが、この件に関しては、明日あたりに書けると思います。

私はなぜネット活動に熱心なのか?

 今朝、ものすごく長大でリアルな夢をみた。その内容はここでは詳しく書かないつもりだけれども、その中のあるシーンで、

「主催者を差し置いて、そこまで大きな声で議論の中心になるのは、もはや法律違反である」

という文書が主催者に回されてきたのを見せられて、私は、

「そう思うなら、私をどうかこの集いへの出席禁止を総会で議決していただいても結構です」

と答えた。それは挑発ではないつもりだった。私への態度の煮え切らなさにけじめを付けたくれた方がその集いのためでもある、という思いが込められていた。

 それに対して、主催者は、顔色を曇らせたが、しかしそこには、私のそれまでの苦境をすでに察してはいる、でも困っているのだという表情がにじみていて、私はちょっと言いすぎたかなと感じた。


*****


 なぜ、私はここまでネット活動に熱を入れるのか。

 その基本には、私の能力を認めて欲しいという思いが込められているとうに思う。いい気で好き勝手にやっているように見えるだろうけど、その背後で、どれだけの探求心とこだわりを発揮してきたかを形にして示したいのだと思う。

 もちろん、それは特定の組織や団体についてを超えた意識として。

 もはやナルシシズムなどではくくれない。

 それをどう受け止めて下さるかは、完全に読者の皆様に委ねるしかないと心に決めているが。


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 やっぱり人間が形になってくるのって30くらいからだと思うんだよね。特に男の人はね、30代半ばくらいから本当の個性みたいなものが出てくるよね。一番いい時期が始まるというか。

 メガネっ娘ひっきーさま、そういう期待に応えるには更に10年老けてますが、精進いたします.....

Utada / Exodus(輸入盤)

 これもちょっと慣れると悪くない。宇多田ヒカル - Kiss & Cry - Single - Kiss & Cry"Kiss & Cry"の原型(?)が入っているのに驚いた。

ayuも防水テレビの愛用者なのはファンの皆様ご存じの筈。

 そこで、これはきっとayuさまのとは違うと思うけど、

LINK ZABADY 防水ワイヤレスモニター VW-J707S

をご紹介します。

(......何? MSNショッピングに、「クリスマスのプレゼントにいかがしょう?」と紹介されていたって? 私はayuファン向けに書いてるぶん、オリジナリティあるの!!) 

「民族主義・ユートピア主義の超克」の再度紹介 + 理科教育は自分で探求する心の基本

 最近、msn=産経がらみで歴史教育問題について時々書きますが、私のこの種の問題につての認識の基本は、

●民族主義・ユートピア主義の超克

という記事に包括されていますので、未読の方はどうぞ。

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 それはそうと、

●水に溶かすと食塩なくなる?理科実験苦手な小中生 文科省(msn=産経)

 こういうことは何とかして欲しい。理科に関しては、「知識」の前提にあるのは、「実験」と「観察」、そして疑問を自分なりに解決したいという欲求

 最近のキカイは、ふたを開けてもICチップというのが少なくないので、意欲をそぐのはわかるけど、親に叱られてでも電化製品を分解したくなるのが、少なくとも男の子だよーん(^^)

 故障した修理できない機械のICチップを無理矢理切断して、顕微鏡でみてみるくらいの好奇心がないと、日本のこれからの産業は思いやられる。こういう点では戦後焼け跡世代のパワーを失ってはならない!!

National Geographic 定期購読

2007/11/26

タウンページでは「ない」電話帳広告掲載料です!!

 「NTTタウンページ」の広告掲載料は、電話料金に加算する形で徴収される、というのは、独立自営業者なら皆さんご存じですよね(^^)

 はじめてこの種の「広告掲載料」についての郵便物をもらった(^^;)

20071126nttnokoukokudaaikinseikyude

Townpagedenanaitonochushaku

 きちんと、「タウンページと混同しないように」と書いてありますね(^^;;;)

 でもなぜ「20日までに」とか、まるで督促するかのようなことが書いてあるんでしょうね???


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......ということで、便乗して拡大して宣伝するぞ!!

Danwachosfckoukoku


ayu様のCMでおなじみ、Panasonicの"D-snap"シリーズ旧世代をお使いの方で、電池を近くで買えない人向け情報

 大船ですら、本体はヤ○ダ電器で売っていても、場合によっては、交換のニッケル水素電池は、マジ、「お取り寄せ」だったりします(^^;) どういうことかというと......

 現行機種は、SV-SD950Nになっているようですが、私はSv_sd800n「初号機」(SV-SD800N)です。


 電池はこれ(HHF-AZ10)です。

 950Nや850NはDC電源から供給する充電池式になりましたけど、私の頃のは、まだ使い切りのニッケル水素電池。

 こうなると、電池の品薄、止むを得ずということになります(^^;)

 このパナソニックの機種は、APPLEのACC規格(ただしコピープロテクトのないもの)もそのまま取り込める最初の機種でした。


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 なお、ファンの皆様、ご存知でしょうけど、ayu様の壁紙、Panasonicの公式ダウンロードサイトこちら

iMix「きまぐれオレンジ☆ロード・mini sellection」を作ってしまった。

 CDの整理を進めていたら、私にとってはなんともなつかしい「きまぐれオレンジ☆ロード」のアニメの音楽集のCDが4枚発掘できてしまったんです。

 アニメファンとしての私の過去の「アニメージュ」「OUT」での1990年代の投稿暦を知る同世代のアニメファンの人がどれくらいいるかわなんないけど(「阿世賀浩一郎」という本名で載ってます)、ともかく時流と関係なく、気に入った作品にはとことん十字軍と化す私で、「うる星やつら」のやまざきかずおさん演出作品、「魔法のスター・マジカルエミ」への思い入れの深さ、後者と「クリィミーマミ」などの望月智充さんの演出への傾倒、「エヴァンゲリオン」でおなじみ、庵野監督の「トップをねらえ」(アマゾンにあった!!)や「不思議の海のナディア」へのひたすらシリアスな心理主義的傾倒。

 (なお、「トップをねらえ!」のOPとEDだった、のりピーこと酒井法子酒井法子 - LOVELY TIMES - NORIKO Part III - アクティブ・ハートアクティブ・ハート酒井法子 - LOVELY TIMES - NORIKO Part III - トライ Again・・・!トライ Again...!はiTuneでも入手可能!)

 更に、「セーラームーン」っていったら「劇場版R」(幾原邦彦監督作品)だぜい!!!・・・・で、人間性心理学会で「対象関係論的考察」として学会個人発表してしまうなど(当時はVHSビデオしかない。それを上映している。「学術研究」ならこんなことも著作権上許されるのさ!)。

 ともかく20代になってから、自分の感性に馬鹿正直に暴走した歴史が今日の私を築いたのであります(^^;)

 ....で、最後の締めくくりが、「エヴァ」で、「エヴァンゲリオンの深層心理」という単著まで出せてしまったわけです(さすがにまた中古価格普通に戻りましたね)。

 なお、これらの軌跡の一部は、今も、「阿世賀浩一郎アニメ論アンソロジー」のページでお読みになれます(^^)

 ......そうした中、「きまぐれオレンジ☆ロード」(まつもと泉原作)アニメ版も、忘れられない作品なのでありまする。


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 1987年から88年にかけて放映された、アニメ版「きまぐれ☆オレンジロード」のTVシリーズは、特に前半、原作のラブコメタッチが、何か凄くウエットなラブ・ストーリーとして19時台にお茶の間に向けて放映されるという点では、あまりに時代を超えた作品でした。

 それを更におし進め、当時のトレンディ・ドラマも甘ったるく見えるくらいに、予定調和を徹底的に排して、「危険な情事」化してしまったのが、知る人ぞ知る「劇場版 あの日にかえりたい」(望月演出)だったのです。

 これ、すでに「危険な情事」(監督:エイドリアン・ライン 「ナイン・ハーフ」もこの人ですね)を観ていた私、マジに、そっくりとも言えるシーンがあることを発見していました。まどかが明かりをつけたり消したりを延々繰り返すシーンなんですけど。そして、ひかるははっきり言って、(当時なかった言葉ですが)ストーカーそのものなんですね。

 私はそのひかるのストーカー性を褒め称える記事を書いてしまっていた。当時は振られまくっていましたので(^^;)

 でも、当時の私は、まだまだ女性心理を読みきれていなかった。「三角関係」とか、「新しい彼女のためにそれまでの彼女との関係を清算する」なんていう経験はないけど、この映画の中で、まどかが、恭介に「けじめをつける」ことを求める上で、結局まどかはひたすらそれを恭介にやらせるという点では残酷そのものという点だとか。ほんとうはこわいんのはまどかの方ともいえると、30代に入って、やっと感じるようになった。

 そういう意味では、キス以上のシーンはないにもかかわらず、実はこれほど苦味のあるラブ・ストーリーは滅多に観れるものではない。むしろ今の時代の普通の若い人たちの方がすんなりと受け止められる可能性すらあると思う。

 それでも「なぜフィクションでここまでやるのか???」という思いをもつ人も多いかもしれないけど。「危険な情事」ですら、ラストシーンにまだしも救いがあるともいえる。

 この「劇場版」、Amasonにも楽天の中古にもないんだけど、「在庫なし」でLDジャケットが映ってるのがあったので、リンクはしておきます。もしDVDとかで収録されてるのを見つけたら、リンク張り替えますね。


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 いずれにしても、が、アニメ版全体の魅力を大きく支えていたのは、ひとつには鷲巣詩郎さんのBGMをはじめとする、すばらしい音楽だったのですね。

 ほんとうは挿入曲を含めると(「新・きまぐれ」を別にして)確か13曲、歌があるんですが、iTunesで今のところ集められるものをコレクションしてみました。ラストの後半3曲は「劇場版」での使用曲です。TVシリーズを含めて和田加奈子さんの深みのある歌声が忘れがたい。

 劇場版の衝撃のエンディングを飾る、和田加奈子 - Vocu - あの空を抱きしめて「あの空を抱きしめて」なんて、今聴いても、曲だけでも感動的だと思う。
 
 ......というわけですので、iTunesお持ちの方は、 ここiconをポチっとな!!

Orangeroadminicolletion2


2007/11/25

生得的触発機制?

 以下は、ゆみっちょん♪さんサイトの、「本能理論と対象理論(Instinct theory and Object theory)」というエントリーに私がコメントした内容です。ご本人のエントリーはリンク先をお読み下さい。

==========(引用はじめ)===========

 非常にコンパクトにまとまった概説ですね(^^)

 この辺は、確かガントリップの対象関係論についての概説書、「対象関係論の展開(小此木啓吾 訳)」で問題になっていたテーマとも関わるかも。そこでは「システム自我」と「パーソン自我」という図式でしたが、前者が本能(イド)に対する自我機構の形成という視点が強く、後者はまさに「対象関係」としての相互的な自我形成論になります。

 敢えて分類すれば、フロイトは前者的で、ハルトマンはそれを自我心理学の方向に体系化する立役者。どちらもやや生得主義。

 クラインは本能論的な面も残しつつも、対象関係論の先駆けともなった。

 クライン派から分岐した対象関係論学派においては、論者にもよりますが、基本的には本能論は「背景に退いて」います。でも、ウィニコットを考える際には、ウィニコットの言う意味での「真の自己」とは、実は生まれついて環境とバランスを取ろうとする自律的機能であるけど、「偽自己」とは、いわばユング的に言うと「ペルソナ」に近く、(ユングと同様に)社会性形成の過程で必要なものとみられているあたりをマスターソンやR.D.レインはものの見事に「誤読」した(^^;)

 それは置いといて(おいおい)ご存じでしょうが、生得的触発機制というものがあり、赤ん坊が適切な「キューだし」をしてくれるからこそ、motheringは養育者に形成されていく、という「親が親になっていく」成長過程との相互作用という脈絡を切り離して赤ちゃんの成長や自我形成をとらえるのは大問題というのは、もはや流派を超えて発達心理学の常識の域かも。もっともこのことはお母さんなら素朴な水準で気がついていることですよね(^^)

 自閉症や発達障害を考える場合、こうした乳児側の「キュー出し」の生得的な弱さが「親を」成長させる機会を奪う、という二次的な障害という側面も考慮すべきと言うことになります。

 あー、この問題についてここまでコンパクトに書けたのも、ゆみっちょんさんのエントリーの文章に「触発」(^^;)されてのことです。

 ついに林檎「完全制覇」したこういちろうより。

==========(引用おわり)===========

「なかのひと」全国分布図と私のカウンセリングルームの航空写真

 今回の「なかのひと.jp」統計の紹介は、いつもと別のページにします。

 以下のサムネイルをクリックすると拡大しますので、航空写真の方もよく見えると思いますよ。

Nakanohito071125


先週の人気記事ベスト20!! (07/11/18-24)

 「カウンセラーこういちろうの雑記帳」週に一度の恒例、@NIFTYココログの、日曜日-土曜日の「週ごと先記事別アクセス解析機能を使っての、先週の記事アクセス「ベスト20」の発表、71回めです。

 固定リンクでのアクセス率の順位から集計しています。アクセス数が同じ場合には、訪問者実数上位の記事を上位とし,訪問者実数も同じ場合にのみ、同じ順位として掲載します。
 7×24時間、つまり11/24日(土)24:00の時点での集計です。
 

 先週の一週間の総アクセス数、延べ3.467(前回3,122)。一日平均アクセス495.29(前回446.00)

 訪問者実数は、1.922名様(前回2.530名様)。

 連休を週末に迎えたにもかかわらず(しかも人間性心理学会開催中で、フォーカシング系の常連の方の何人かが福井に行かれて週末ネットからはなれておられる可能性がある)、週間アクセス数に関しては過去最高と思います。ありがとうございます。


 当ブログの「一限さんでない率(リピーター率)」、先週までの7.2%から7.1%
 「訪問周期」は、「毎日必ず」おいでになる「完璧常連様」は、今回は、前回14名様(0.8%)だったのが、12名様(0.6%)に。週末にお読みになれなかった方があるとすれば立派に数字を維持したと言えるでしょう。

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 それでは記事別ランキングの方の発表!!


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1.浜崎あゆみ新曲、"Together When..."、デジタルコンテンツとして近日配信! (↑)

2.インシュレーターは使わないに越したことはない (→)10週連続

3.精神病状態にある人の体験過程についてのジェンドリンの見解に対する増井武士氏の反論について吟味する(1) NEW!

4.フォーカシングを学ぶ皆様の質問、コメント欄で歓迎いたします NEW!

5.欝とは、自分が無理をしていることを認識できなくなる時期にすでに始まっている(→)66週連続!!

6.「ケーススーパーバイズ」とは何だろう ~入門編~ (↑)5週連続

7.iPodの同期、デフラグやチェックディスクのこと。 (↓)4週連続

8.面接1人1時間基本料金6000円×1日3人×1週5.5日÷7×365日=年に516万2千円よりは多くなる (↓)

9.オーディオにおける接点復活剤について (↑)4週連続

10."iTunes"カテゴリーのバックアップ (↑)

11.iPod Shuffleの音質あなどるなかれ (↑)4週連続

12.私のスーパーバイズ ~実践編~ (↑)5週連続

13.「オイルヒーター」カテゴリーのバックアップ COME BACK!!

14.浜崎あゆみによる、インタラクティブ・フォーカシングの実例!! COME BACK!!

15.生まれてきてよかった、生きてきてよかった、社会の中でやって来れてよかったと感じる人間しか、自分の生まれてきた、生きてきた世界を愛することはないだろう。 (↓)

16.オイルヒーターの暖房の自然さ COME BACK!!

17.私のピュアオーディオシステム(そこに更にiPodをどう繋ぐか) COME BACK!!

18.増井先生の体験過程論への異論紹介を前にしてのメモ NEW!

19.「共感的に」人の話を聴くとは?(入門編) COME BACK!!

20.アメリカの作曲家、サミュエル・バーバーのこと NEW!


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24.先週の人気記事ベスト20!! (07/11/11-17)


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 今週は、転載記事なのに、1位のayuの新曲予告の記事は、他を圧倒的に引き離す、TA153アクセス、UA129名様でっす(^^;)

 フォーカシング関連記事は、私の初心者向け実践的トレーナーとしての側面と、現場の第一線のフォーカシング指向心理療法セラピスト、および体験過程理論家としての側面という、全方向に向けての広がりの一端をお伝えしようとした一週間でもありました。


  これを書いている「今、この瞬間」(11/25 AM 07:00)までの当ブログ文章記事の延べ総アクセス数は、233106、プロフィールページ、フォトアルバム、そして"My Favotite Books"を含めると264582、ブログの通算記事数はこの記事で1233本めです。


 今後とも、「カウンセラーこういちろうの雑記帳」を、よろしくお願い申し上げます。

Apple Store(Japan)

2007/11/24

増井先生の著作への連載、第2の間奏曲

 増井先生が、

 何故「理解」が必要なのか。それは当然のことのようだが、理解は誤解より人の心を安堵させ、その心を安静にし、余分な心的エネルギーを沈静化するからである。(p.39-40)

 と述べているのは、単なる「言語的理解」の水準における相互作用だけではないのは、直前の脈絡からも想定していいのではないか。

 バリントが「治療論からみた退行」「スリルと退行」(中井久夫訳)(共に稀刊本ですが、このページに私による抜粋を掲載しています)で延べていることだが、基底欠損水準の、しかもオクノフィリアに入り込むと、相手をきちんと言語的に理解しようとするほど行き違うという、独特の不毛な状態に陥る。これはサリヴァンのいうパラタクシス的な言語コミュニケーション段階でもほぼ同様のことが言われているとみていいだろう。

 バリント的に言えば、「あたかも地水火風のごとき」フィロバティズム的な非言語水準での「抱え(ウィニコット)」が基調になるということになる。

 このことと、増井理論を重ねた時にみえてくるもの、という観点も、この後に予定している続編の伏線になっている

(なお、オクノフィリア、フィロバティズムに関しては、先述の抜粋集.....人間性心理学会第21回大会での「フィロバティズムとしてのフォーカシング」という個人発表。座長は増井先生!!......をとりあえずのてがかりにして下さい)

2007/11/23

実はみかけほど、ジェンドリンの見地と増井先生の見地には相反するものがない(1)

 やっと、この記事この記事の続きです(^^;)

 まず、増井先生の著書の以下の言葉が私は大好きである。

 
 治療における治療者-患者関係の基本過程にある相互作用をやや細かく示すならば、面接の場で患者がして自らの漠とした心についての言葉から、患者のその漠とした心について聞く耳を通じて、患者が自らの漠とした心に問い合わせることができる「耳」が徐々に回復してくるという相互作用過程のことを意味している。

(中略)

 この聞く耳の相互性を基本的に促進する動因は、治療者が自らの心に細かく問いかけ、それを正確に聞く耳であろう。その耳とは、あらゆる治療的概念をカッコにくくり、白紙にまでにはなれるわけではないが、自らの心の動きをひとつひとつ聞くことができる耳である。

(中略)

 それらは逐語記録を取っても、その逐語記録には現れず、しかしなおかつ言葉の内容を支える、いわば言語下のメッセージとなり、患者治療者相互に伝わる生き物であり、それが患者の言語化を支える大きな基盤となっているからであり、その言語下体験も、患者ー治療者間においてすでに刻一刻相互的なものであるからである。

 患者にとり何故「理解」が必要なのか。それは当然のことのようだが、理解は誤解より人の心を安堵させ、その心を安静にし、余分な心的エネルギーを沈静化するからである。(p.39-40)


******


 ......今回読み返して気がついたのだが、どれだけ実現できているかはわからないにしろ、まさにここで語られていることこそ、私のカウンセリングの基本姿勢そのものである。

 そこには、私が20年前、村瀬孝雄先生に師事したばかりの立教大学院1年目、ジェンドリンが2度目の来日をした時(詳しい記録は「フォーカシング・セミナー」にある)、具体的に増井先生がどういう場面でどう発言したかはもう失念したが、ともかく増井先生の発言に何か独特の共感をして、夜の分科会に参加した時以来続く、私の増井先生への特別な注目以来、自然と私が感化された、恐らくもっとも肝心要のポイントについて端的に著書で示して下さった部分と言うことになる。

 ここで増井先生は、これを流派に無関係な問題として取り上げているし、私もそう思う。

 だが、まさにこれができていること=フォーカシングの臨床適用の「必要条件」であり、できている治療者は技法としてのフォーカシングを(自分のためにも)学ばなくていいとまで、今も堅く確信している。 

 みかけは、まるで平凡な面接そのものだろう。

 フォーカシングの世界で、「フォーカサーの主体性の尊重」といわれ、フォーカサーの選択に任せる「提案」のみをしていけばいいのだと受け取れる発言が見られるが、それはあくまでも上記の必要条件が前提としてあった場合にはじめて意味があると思う。

 この点では、私はむしろ典型的な増井学徒そのものであると公言したい。


(続きはこちら


本部ページ、ステンカ・ラージンの絵画が二重に掲載されたままで失礼しました。

 自宅のWinではタグ挿入型のHypereditの愛用者で、ブラウザでの再確認の際に見落としたようです(^^;)

2007/11/22

日本人間性心理学会第26回大会(福井:仁愛大学)への参加は見送らせていただきます。

 明日、11月23日から25日まで、福井県越前市の仁愛大学で、日本人間性心理学会第26回大会が開催されます。

 フォーカシング関係の発表や自主企画も多いですし、この学会は会員資格がない方でも臨時会員扱いで当日参加できますので、関心をお持ちの方は大会公式サイトをご覧ください。

 私は会員になって以来、ほとんどの年にこの学会大会には参加して来ましたが、これに出てしまうと、年越しの資金に自信がないという、ただそれだけの理由で(^^;)、今年は参加を見送らせていただきます。

 その代わり、来年は、日本心理臨床学会とこの学会でのダブル個人発表を構想していますので、どうかよろしく。


フォーカシングを学ぶ皆様の質問、コメント欄で歓迎いたします

 ネットサーフィンしていて、あるフォーカシングサイトにたどり着きました。

 そのサイト、匿名にしても「運営者の顔が見えない」サイトなので、ここではどのサイトかをお伝えしないことをお許しください(他のサイトの情報を無断で流用しているだけの可能性がかなりあります。違っていたらゴメンなさい!! 少なくとも「フォーカシングは薬の代用になる」とまでお書きになるのはいかがなものかと。個人的体験としてそうお感じになった、というのなら、それを明記なさる方がいいかと。老婆心ながら)

 そこに、内容的には、多くの初心者の方が興味を感じる短い記事がありましたので、僭越ながらコメントさせていただき、私のほうからトラックバックもお張りしています。


Q:フォーカシングCDを使っていますが、なかなか答が返ってきません。

「何があなたをそんな風にさせているの?」と問いかけても反応がありません。

何も反応もない日も多いです。

......これに対して、適切な短い返事も(コメントではなく)記事本文に続けて掲載されていますが、私は以下のようにコメント投稿しました:

*******

(発信者:こういちろう)

ネットサーフィンしていてたまたまたどり着きました。ご参考までに。

「答えが返ってくる」という際に、いきなり言葉が向こうからやって来ることを期待される方も少なくないようです。フォーカシング初体験でそういうメッセージが確かにフェルトセンスからはっきり言葉で返ってくる体験をなさる方もありますが。しかし、アン・ワイザーさんが著書でお書きのように、フェルセンスは、それまで十分相手にすらしてもらえなかった小動物が縮こまって黙りこんでうずくまっていたようなものですから、そもそも問いかけてもらうことそのものにあまりに不慣れなんですね(^^) だから、

1.言葉ではなくて、「態度」や「しぐさ」や「顔色」で何となく返事を返してくる。

2.「まだあなたのことを信頼できない」みたいな様子を示してくる。

3.具体的にフォーカサーが、「『私』としては、....が......だからじゃないか、とかとも感じているけど、どうかな?」と具体的な仮説をひとつひとつ控えめに提案して、フェルトセンスが、

Yes/No/どちらともいえない

という選択式の返事を態度で示せばいいようにしてあげるといいかもしれません。

「イヤイヤ」や「不機嫌そう」な様子を返してくるか、「まあ、それはそうかもしれないが、でもその答えでは何かしっくり来ないの」と返してくるか、ともかくさっきまでよりは「身を乗り出して」来るか。

 イメージというより、「相手の気配を察する」つもりで、フェルトセンスの反応を感受するといいかと思います。

 長文で失礼いたしました。


****(引用終わり)****


 このサイトでも、フォーカシングを学んでいる皆様からの、質問には、ブログ上で率先してお答えいたします。
 
 とりあえずの対応として、この記事のコメント欄をご活用ください。歓迎いたします。

2007/11/21

ステンカ・ラージンはなぜペルシャの姫を突然ヴォルガ川に投げ込んだのか?

 私が最近書いた記事で、一番ぶっ飛んでいたのは、msnと産経の連携が実際に始まった際に書いた、「ステンカ・ラージン!!」の雄叫びを上げた記事だろう(^^;)

 実は昨日、私が子供時代に、Don Kosaken Chor, Iwan Assur & Serge Jaroff - Meisterst?cke - Stenka Rasinロシア民謡「ステンカ・ラージン」ヴォルガ川にラージンがペルシャの姫を突如投げ込んだシーンになぜ異様な衝撃と興奮を覚えたのか?......という、35年越しぐらいの謎がある程度、しかし、かなり一気に解けた。

 その辺、ある男友達とやりとりをする中で、一見全然別の話題の脈絡で気がついて、この記事も読んでいたその人と話し合ったりもしたのだが。


***** 


 ステンカ・ラージンのこの姫投げ伝説は、史実ではないのかもしれない。ペルシャの宮廷を滅ぼしたのは事実で、ペルシャの姫を手に入れ、凱旋の際に同行させたのも十分あり得ることだろう。

しかし、このような姫投げを実際にもやっていたとして、この一部始終をを目撃したのは、当時の木造の手漕ぎ舟の船団の、せいぜい10数名ぐらいしか乗り込めない船の上にいた手下たち(ラージンの娘のひとりも同乗していたが)であろう。もちろん近くの船からもある程度見えたかも。

 次の絵画は、この時の情景(正確にはまだカスピ海のあたり、事件の前)について、後世Surikovによって描かれた絵画である(wikipediaより)。

Surikov1906

 私は結局、この時のラージンの行為に、ある狂気と戦慄を覚え、そこに同時にわけのわからない興奮を覚えたのだろう。何か合理的な理由を超越した、発作的なスパークである。

 それがてんかん気質の人の、発作的な爆発だったとしたら?

 英雄や宗教者の中には、こうした気質の持ち主は少なくない。クレッチマーの分類における「筋骨型」(闘士型)と呼ばれるように、すんぐりむっくりで肩幅が広く、分裂気質的痩せ型や躁鬱質的太り型とはかなり異なる。普段が地道でこつこつとした職人性と生真面目さ、見かけによらない人のよさをもつ。

 しかし何かのきっかけで突如頭の中にスパークが起こり(^^;)、ヒロイックなまでの勇猛果敢さや激しさを発揮したりもする。そういう時は一気に頭の中が回りすぎる。空海などもてんかん気質の典型と書かれることがある。彼の宗教的啓示の体験はそういう瞬間ということである。

 まわりはその急変についていけない。しかし、昔の武将や宗教家や芸術家のようなタイプだと、何かすごくカリスマチックに見えたかもしれない

*****

Hime 私は、自分の体型も性格も、かなりてんかん気質的な面がベースにあり、そこに分裂気質がまじり、実は躁鬱気質の人からは素質的には一番遠いと感じている。そういう私の生来の「何か」が、伝説上のステンカ・ラージンにシンクロしたのが、子供時代の鮮烈な体験なのではないかとも思える。

 

2007/11/20

アメリカの作曲家、サミュエル・バーバーのこと(第2版)

 バーバー(Barber)と言っても理髪店ではない。1910年から1981年まで生きた、アメリカの作曲家である。

 日本では、本来、3楽章からなるエマーソン弦楽四重奏団 - Ives & Barber: String Quartets - Adagio for Strings, Op. 11: II. Molto adagio「弦楽四重奏曲」の第2楽章として書かれたものを、オーケストラの弦楽用に自身が編曲した「弦楽のためのアダージョ」のみが突出して知られている。

 この、「バーバーのアダージョ」は、映画「プラトーン」(オリバー・ストーン監督)で使われたことによって、クラシックファンのみならず、多くの人にポピュラーなものになった。そしてクラシックの名曲集的なCDの定番収録曲になった。

 しかし、アメリカ以外では、この作曲家に注目する人が少なく、日本でも入手が容易なナクソスレーベルにまとまった「管弦楽曲集(交響曲・協奏曲なども含む)があるのを除くと、Amazonですら、入手可能なCDはかなり限定される。まして、バーバーのみで一枚まとめたCDとなるとほんの限られた範囲でしか入手できない。

 そうした中で、Amazonですら手に入らないバーバーのCDを、私は数年前、フォーカシング国際会議でカナダに行った時に、帰り道のトロント・ピアソン空港の売店で衝動買いしていた。

Bestofbarber"The Best of Barber"(米Terac CD80632 HMW Japan一般価格¥1,565)

 このアルバムは、たいへん選曲が優れている。

 弦楽合奏版の「弦楽のためのアダージョ」を冒頭に置く。

 そして、クラシック通には知られている、特に第2主題から経過句にかけてのからみつくようなチャーミングさが親しみやすい、Detroit Symphony Orchestra & Neeme J?rvi - Barber: Symphonies Nos. 1 and 2, The School for Scandal Overture & Adagio for Strings - The School for Scandal, Op. 5: Overture演奏会用序曲「悪口学校」。アイルランド出身のリチャード・ブリンズリー・シェリダンの喜劇に基づく。

 原題は("The School for Schandal"なので、「スキャンダルの学校」の方がいいかも? 

 イギリスでは、シェイクスピアに次いで上演回数の多い著名な喜劇とのことで、内容のクオリティは大変に高い、上流社会の風刺劇のようだ。これ以上戯曲についての解説は読めないままでの推測だけど、曲想は決して皮肉や辛らつなウィットやあてこすりを連想させるものではない。むしろ「反骨の恋のスキャンダル」みたいな空気を何となく感じる。

 松田 弘子さんによる上演日記をつづったサイトで、ティーズル令夫人という16歳の少女の役について「松浦亜弥みたいな声で」と、演出家から指示が出たとある。

 「そうあの方(老婦人)、お酢と水割の牛乳だけで生きてるんですのよ、馬に引っ張らせてコルセットの紐をおしめになって。こないだ、その馬が暴れて止まらなくなっちゃって、ハイド・パークまで引きずられてあやうく胴がちぎれて死にかけるところだったんですって」(わたなべなおこ版戯曲による)。

 この曲の固有の美しいメロディーにはこの少女のイメージが重ねられているのか??? もっとも原作の岩波文庫版(再販未定)があるので、シェイクスピアは好きな私も、今度そっちも読んでみようかと思う。いずれこの件は補足したい。

 さて、さっきのCDの紹介の続き。

 このCDでは、更に、かなり著名なバイオリン協奏曲ピアノ協奏曲の特定の章、オーケストラつき歌曲を経て、「アダージョ」にラテン語のミサ曲の詞をつけたHarry Christophers & The Sixteen - Barber: Agnus Dei - An American Collection - Agnus Dei合唱曲「アニュス・デイ(神の子羊)」という、珍しい曲で終わる。

 CDの構成は実に優れており、バーバーの全体像のコンパクトな入門の一枚として、これ以上のCDはないだろう。演奏者も、スラットキン/セントルイス響をはじめとして一流で、録音もテラークらしい、潤いに満ちた生々しさがある。

******

 一方、Samuel BarberiTunesで手に入るのは、このCDとはほとんど重複しない、限られた曲だが、Barberpianosonataetcピアノ・ソナタ(これは珍しく2種類登録されているが、John Browningの方をお薦め)やチェロ・ソナタ(この曲はブラームスっぽい)など、室内楽・器楽系が多いので、先ほどのCDを補完する「衝動聴き」にはもってこいである。

 自身、コンサートにはほとんど立たなかったが、ピアニスト・バリトン歌手でもあったことから、管弦楽曲のみならず、ピアノ曲・歌曲の分野にも佳作が多い(歌曲はiTunesにはないが)。

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 彼の曲は、ある意味ではかなり保守的ともいえるが、非常に透明でウェットな、しみじみとした曲が多く、私にとっては、同世代のアメリカの作曲家、コープランドやアイヴズよりははるかに身近である。意外と、ラヴェルの響きに近いと感じるが、大曲はもっと構成的で、ドイツ的伝統に根ざしているが、決して晦渋にならない。

 特に、アメリカの作曲家は苦手、という方にこそ、おすすめ。

 なお、ピアノソナタに関しては、先述のBrowningの演奏の方が個人的には好みだが、「ピアノ独奏曲集(Piano Solo Music)」と題した、ナクソス・レーベルのDaniel Pollack - Barber: Complete Published Solo Piano MusicDaniel Pollack盤も、なかなか聴いていて癒される小品がたくさん入っていて、お薦めである。

 これから、海外廉価盤で出ている交響曲、協奏曲も全曲聴いてみるつもりである。購入はHWM Japanサイトが一番幅広く対応しているようである。

HMVジャパン

究極の選択

A.面接やグループ体験の場面では、癒しに満ちた体験ができるのに、日常生活は全く変化がない。

B.面接やグループ体験で取り上げたことが、日常とどう関係しているのかとなると、よくわからないことは少なくないが、帰り道や家に帰ってから、思いもよらない事柄と関連して、自分なりの発見や気づきがあり、それが日常生活にいい影響を与えている。


 どちらが、通った甲斐がありますか??


*****


 ジェンドリンは、フォーカシング体験がA.のようなものに留まるくらいなら、「フォーカシングなどやめてしまえ」という強烈な苦言を呈しています。

 確か「フォーカシング指向心理療法」の中で。


 もっとも、それをあくまでも、フォーカシングを活用するセラピストがわへの姿勢について述べる脈絡で、述べています。

 これは、ことフォーカシングに限らず、そうだと思います。

増井先生の体験過程論への異論紹介を前にしてのメモ

 多くのフォーカシング関係者インサイダーは、そもそも「暗黙の機能」という健全な膨大な領域から、フェルトセンスとして感じていくことが体験可能になった、漠然とした「暗黙の意味」の領域の区別に意味を置いていない。それはフォーカシングと一線を引く増井先生ですら共通である。

 増井先生が"implicating process"包含する過程)があってはじめて"explicit"(明示)可能となると主張したことは完全にもっともであり、この点は体験過程理論を細やかにする上で貢献する。

 しかし、そもそも、explicateは、無理のない時におのずから生じるもので、意図的に促進しなくていいものであることは、ジェンドリンの見解に一貫している。焦って言葉にしないままで保持できる状況を援助することこそ、援助者にまず必要なことなのである。

*****

 なお、増井先生の「治療関係における《間》の活用」刊行時の1994年(かその翌年)に、確か「季刊精神療法」に不詳私が書評をすでに書かせていただいており、今回続編で書くことは、それから13年を経た今の私なりに更に拡張しようとする内容です。

Atheoryofpersonchange
私の所有する「人格変化の一理論」収録の旧村瀬訳(1983年購入)の、1年以上前の時点での現状。
「フォーカシングの部屋」のトップに以前から掲載しています(^^;)
 月イチ、四日市での研究会のために持ち歩くためという面もありますが。 

2007/11/18

精神病状態にある人の体験過程についてのジェンドリンの見解に対する増井武士氏の反論について吟味する(1)[第2版]

 今回は、フォーカシングや体験過程理論についての、最もディープな水準での興味深い議論について、公刊されている著作を参照しつつ論じる内容です(^^)

 今回は、まずはジェンドリンが精神病水準の人の体験過程について「人格変化の一理論」(Gendlin,E.T.,A Theory of Personality Change,1964)で述べている部分を紹介し、私のその解題を書くまでとし、増井氏の見解についてとの私なりの吟味は続編とします。

 これは、昨日、四日市での「東海フォーカシング研究会」で、すでに10年続く、この論文についての読書会にセクション(数十ページの論文をこれだけかけて読んできて、やっと終盤!!)私がレクチャーした内容です。1回にちょうどこれくらいしか読み進まないのですね(^^;)

 以下の引用では、池見先生を中心とする新訳(pp.222-4)に、私が更に手を入れたものを紹介します。[ ]内は私の注ですが、他の部分も新訳と幾つか訳を変えています。


*****


 まずは、ジェンドリンの日本語訳を引用私による解題を少しずつ付加しますます:

 
25. 体験過程の様式が極端に構造に拘束された場合
  (精神病,夢,催眠,CO2,LSD. 刺激遮断(Stimulus Deprivation)[=感覚遮断実験])


(前略)

e) 静止した,反復的,変容不能の様式

 感じられた体験過程の「暗黙の機能」が硬化している限り,現在の諸状況がそれと相互に交渉し合い、それを修正する術はない。従ってそれは現在の状況の解釈[注:ここでは精神分析的な「解釈」や、知性化された理解に限定されず、広い意味での「認識」「理解」程度の意味]にはならず,ただ現在の状況によって変容を受けない反復的パターンが見られるだけで終わってしまうのである。[たまたま]現在の諸事象によって「きっかけ」を与えられる結果として,事は連続して「なんとかなって」いく["go off"]かもしれないが,それは現在の諸事象の解釈でもなければ,それら事象への[新たな]反応でもないのだ。


 【解題】
「暗黙の機能」については、詳しくは、「4. (知覚と行動における)暗々裡の機能」(新訳p.181)を参照。 ここで手短に復習すれば、直接のレファラント=フェルトセンスとして直接注意を向けられることがないまま、心身が状況に応じて反応していく過程である。つまり、「漠然とした感覚」としてすら知覚の「図」になることがないまま、状況に刻々と対処していくプロセスである。例えば、路面の変化に応じて人は歩き方やや全身の筋肉の緊張や平衡をコントロールしているはずである。あるいは、人とのやりとりの中でも最低限の柔軟性をもって生じているものだろう。これは私たちの日々の基底にごく普通に広汎に機能している、健全なものであり、恐らく動物にすら機能している。フェルトセンスとして注意を向けることが可能になるのは、どんな人でも、そのほんの一局面のみである。

 それが「極度に『構造に拘束』される」とは、そうした暗々裏のプロセスが、フェルトセンスとして直接注意を向けることが可能なレヴェルに少しずつ繰り込まれる、「再構成化(recotituting)」[新訳Pp.205-6]の過程が柔軟性をひどく失った状態とみなされる。

 しかし、それは、例えば他の人の「キュー出し」やサポートや偶然の介入という、状況要因の一種によって、「それがないと陥る、まったくいつもと同じ行き詰まりにはならずに棲む」=「なんとかなっていく」といったものだろう。精神分析用語でいうと「無意識的な『反復強迫』にかなり近い。このことはジェンドリンも決定稿からは削除された草稿の中で明言している。


 f) 精神病的「内容」(contents)の普遍性

 極端に構造に拘束された様式下での諸経験は過程局面(process aspects)ではない。つまり、感じられた過程が進行していないほど、体験の構造拘束的様式の度合いが高まるのである。あるいくつかの主題がどんなに普遍的に反復して出現するかには驚くべきものがある。通常それらの主題は我々に馴染み深いあの「口唇的,肛門的,および性器的な」主題である。


 【解題】一番わかりやすい例でいえば、精神病状態の人間の妄想が、「個性的」なものではなく、極度にパターン化された発展過程を持つことは臨床的によく知られている。「自分はほんとうは天皇の落胤だ」「私の部屋のどこかにFBIの盗聴器が仕掛けられている。その証拠に、テレビを見ていると私への様々なメッセージが織り込まれている」など。


 すべてこうしたことが[精神病者に限らず]我々をつくりあげている材料となっているのだ。そして進行中の過程がその進行を止めているときには,通常それまで進行していた過程がこうした材料に分解,還元されてしまうと考えられる。

g) 精神病的諸経験は「抑圧されたもの」(the repressed)ではない

 上記のように,構造に拘束された諸現象を今始めて「あらわれた」あるいは「噴出した」過去の抑圧された経験とみなすのは誤りである。もしも現象をこのように考えると,次のような厄介な質問が出てくるのである。つまり,多くの[力動的人格]理論において、[神経症水準については、より]適応するためには、気づきを必要とし,抑圧は不適応をもたらすといっていながら,他方,同じ理論において精神病はこれらすべての体験に「気づきすぎており」それらを「再抑圧する」必要があるといわれているのである。

 事実をよりよく公式化して,上の疑問を解決するためには,観察事実を次のように解釈すれば良いように思われる。事がうまく行っているときには,これらの普遍的な過去経験は感じられた体験過程の中に暗々裡に機能している。

 その過程が進行を止めたときには,分解され,静止した諸々のパターンが感覚中枢の中心を占めるのである。

 このようにとらえなおすことにより、例えば次のような具体的事象をよりよく説明することができる。この見解によれば「精神病」はその底にあると我々がみなしている様々の内容ではないのだ。(その意味では誰でも「精神病的」である。)

 むしろ,「精神病」とは,感情と事象との相互作用過程の削減,もしくは停止ということに他ならないのだ。だから我々がある個人を「境界線の精神病者」であると分類するとき,これは,彼の中にある危険な諸々の内容が横たわっているという意味ではないのだ。彼は「孤立し」「吸入せず」「何か十分には存在しておらず」「退避しており」あるいは「自らに触れていない」のであり,これすなわち彼の体験過程様式が構造によって強く拘束されていることなのである。

 「精神病」の発生を防ぐには、[治療者が、患者の中で、]暗黙のうちに機能している感情にできる限り反応してやることによって,相手の中に進行しつつある相互作用と体験過程を前進させ,再構成することが必要である。


 【解題】阿世賀はこれを、例えば統合失調症の最初の急性発症のプロセスの予防、というところまで安易に拡張することには違和がある。鬱病の先駆段階、軽傷境界例水準の「サイコティックな」エピソードまでであろう。中井久夫の言う「恒常期」から寛解段階にいたるまでや、再度の急性化防止にはあてはまるかもしれないが、あくまでも薬物療法の併用があってのことであると考える。

 更に言えば、ここでいう、「暗黙のうちに機能している感情にできる限り反応して」とは」、フェルトセンスに触れることの促進だとか、それはどんな感じかくわしく話すように促すということではない。例えば、患者が焦燥感にかられていそうもないのに汗を流していたら「暑いでねえ」と声をかけ、「窓を開けましょう」と窓を開ける、そういう程度のことの時たまの繰り返しなのだと思う。体験過程尺度を深めるような促進的応答、ましてや技法としてのフォーカシング的な教示のことではない(そもそもこの論文の段階では、技法としてのフォーカシングはまだ存在しない!!)

 なお、少なくとも、フォーカシングの本人の動機づけの強い、自律的フォーカサーとしての学習においては、病理水準の違いよりも、個々人の資質の違い、トレーニング場面での関係性の質をトレーナー側が敏感に配慮するだけの経験値の違いの方が決定的である。

 神経症、境界例、発達障害、犯罪者、嗜癖、心的外傷(これらすべて外国の症例報告が幾つもなされている)、医療のサポートをうけた精神病寛解期などといった区分に関係なく、役に立つ人には役に立つ。しかしそれは、セラピスト側がマニュアル化した技法を機械的に適用する水準では不可能である。

 個人的には、「フォーカシングの適用範囲はどこまでか?」という一般論的問いかけは、実はほとんど不毛で無精な問いとしか思えない(^^;)。クライエントさんが受け身のままで、治療者が深い配慮もなく機械的に実施して効果的な技法など、どこにあるのだろう???? そして、一般には効果が高いとされる技法でもうまくいかない人にはうまくいかないのも摂理であり、また、自分の中に「この技法で何とかしてやろう」という悪魔の誘惑に屈する「色気」があるうちはたいてい失敗する。あるアプローチをそれ以上適用することを潔く取り下げる決断を、相手の意志と自らのフェルトセンスを頼りにして、柔軟にできない治療者は、そもそもフォーカシングを学んでいるとは言えまい。

 私の現場臨床は、フォーカシングを自分のために身につけた人間が、平常心で「普通のカウンセリング」をしているバリエーションに過ぎない(^^)


*****


 記事を改めての続編に向けて、興味のある方は、増井武士先生の、この本をお手元に。P.39以降やp.111以降を次回取り上げます。


先週の人気記事ベスト20!! (07/11/11-17)

 「カウンセラーこういちろうの雑記帳」週に一度の恒例、@NIFTYココログの、日曜日-土曜日の「週ごと先記事別アクセス解析機能を使っての、先週の記事アクセス「ベスト20」の発表、70回めです。

 固定リンクでのアクセス率の順位から集計しています。アクセス数が同じ場合には、訪問者実数上位の記事を上位とし,訪問者実数も同じ場合にのみ、同じ順位として掲載します。
 7×24時間、つまり11/17日(土)24:00の時点での集計です。
 

 先週の一週間の総アクセス数、延べ3,122(前回3.348)。(一日平均アクセス446.00(前回478.29)。

 訪問者実数は、2.530(前回2,500名様)。


 当ブログの「一限さんでない率(リピーター率)」、4週続けて7.2%
 「訪問周期」は、「毎日必ず」おいでになる「完璧常連様」は、今回は、前回10名様(0.5%)だったのが、14名様(0.8%)に。これは間違いなく過去最高の数字です。

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 それでは記事別ランキングの方の発表!!


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1.面接1人1時間基本料金6000円×1日3人×1週5.5日÷7×365日=年に516万2千円よりは多くなる NEW!

2.インシュレーターは使わないに越したことはない (↓)9週連続

3.iPod向けヘッドフォン・イヤフォン・小型スピーカーの記事index COME BACK!!

4.iPodの同期、デフラグやチェックディスクのこと。 (↑)3週連続

5.欝とは、自分が無理をしていることを認識できなくなる時期にすでに始まっている(↓)65週連続!!

6.夢フォーカシングのコツ NEW!

7.「自己一致」カテゴリーのバックアップ NEW!

8.オーディオにおける接点復活剤について (↓)3週連続

9.生まれてきてよかった、生きてきてよかった、社会の中でやって来れてよかったと感じる人間しか、自分の生まれてきた、生きてきた世界を愛することはないだろう。 NEW!

10.「ケーススーパーバイズ」とは何だろう ~入門編~ (↓)4週連続

11.「庶民」とは? NEW!

12.「開業カウンセリングの研修会記録 4部作」を改めてご紹介 (↓)

13.浜崎あゆみ新曲、"Together When..."、デジタルコンテンツとして近日配信! NEW!

14.iPod Shuffleの音質あなどるなかれ (↑)3週連続

15.人の目を気にするのが「うまく」なること NEW!

16.音抜けが圧倒的に良く、決して低域がダブつかない、究極のオールラウンド密閉型ヘッドフォン!! COME BACK!!

17."iTunes"カテゴリーのバックアップ COME BACK!!

18.Interactive Focusing Therapy COME BACK!!

19.成功したキャリアある開業カウンセラーはひとりでどのくらい稼げているか? (↓)

20.私のスーパーバイズ ~実践編~ (↓)4週連続


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81.先週の人気記事ベスト20!! (07/11/4-10)


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 今週は、ヘヴィーな新作と、カムバック記事の幾つかがバランスよくランキングを塗り替えました。

 ちなみに「青葉茂れる桜井の」は、急追しつつも、1アクセス及ばす21位です。


  これを書いている「今、この瞬間」(11/18 AM 00:42)までの当ブログ文章記事の延べ総アクセス数は、29545 、プロフィールページ、フォトアルバム、そして"My Favotite Books"を含めると260755、ブログの通算記事数はこの記事で1229本めです。


 今後とも、「カウンセラーこういちろうの雑記帳」を、よろしくお願い申し上げます。

Apple Store(Japan)

2007/11/17

安倍川もちに継投してもらう

 きのうから今日にかけては、恒例の、四日市での「東海フォーカシング研究会」でしたが、先日ご紹介した夢フォーカシングについて、「コーチ法」(セッションにコーチがリアルタイムで介入したり、ガイド側がコーチにヒントをもらうやりかた)を取り入れながら参加者にやっていただき、体験を共有する時間をたっぷり取りました。いろい生産的な議論になりました。

 ......で、結局大船へのおみやげは「赤福」から「安倍川もち」になりました。隣の県になってしまうけど(^^)

 名古屋駅の売店の主役がいないのはやはりさびしい。

 ちなみに、四日市へのお土産にした、小田原の「月のうさぎ」も好評でした。鎌倉系の和菓子してるとの意見も。


●楽天市場 「もち あん 和菓子」へのリンク

楽天トラベル株式会社

2007/11/16

12/9(日)は、日本臨床心理士会「第8回子育て支援研修会」参加のためお休みです。

 「発達障害」の分科会に出席させていただきます。

水天宮保育園様、二宮尊徳翁の言葉教えてますか?(第2版)

 私のサイトって、若い人からすると、やや難解な熟語を多用しているとお感じかもしれない。

 これは、私の小難しくて回りくどい言語表現が、もっと平易でわかりやすいで書いていいにもかかわらず、繰り出されている可能性もある。この点では常々反省もしています。

 熟語を使いすぎると、特に音声だけでは意味がすっと入らない場合が多い。

 私って、そういう、漢字がすぐに思い浮かばないと意味が通じない言葉を平気で使うことがある。その点では、ラブ・コールの際に相方に申し訳なく思ってます(^^)

 「会社始業時にはさ.....」

 「え? 企業????」


.......まあ、こんな調子。


会社始まる時にさ」.....と、なぜすらっと浮かばんのだ(^^;)

.....いつもののろけはこのくらいにして。


******


 私の書き言葉を含めたやや古風な言い回しの背景には、「幸福論」(もちろん椎名林檎ではない)で著名な、スイスの宗教的著述家、カール・ヒルティを中学時代にむさぼり読み、そこからヨーロッパ文化や教養のエッセンスと、草間平作訳による、インテリ的な言葉遣いを肌になじませたことが一つにはある。

 そして、大学学部(哲学科です)を出たばかりの頃から、ジェンドリンの「人格変化の一理論」の旧村瀬訳をこれまたむさぼり読み、そして、その少し前から、魅力的な文体なのは知る人ぞ知る、中井久夫先生のさまざまな著作に傾倒してもいたことも重なったのだと思う。

 ちなみに、私が旧仮名遣いに子供の頃からなじんでいたのは、父が復刻版を買っていた、田河水泡の「のらくろ」シリーズをむさぼり読んでいたからである。

 私が一番繰り返して読んだのはこれ。すでに戦時色が強まり、当初のアナーキーさが薄れ、国策的になっていますが。「羊の国」とはどこのことでせうか?


 .....そういう先達を貶めるような文体になってしまったのは、ひとえに小生の品位のなさのせいである(^^;)


*****


 さて、こういう伏線を張った上で、産経サイトへの「是々非々シリーズ」、第2弾!!


●【やばいぞ日本】第4部 忘れてしまったもの(9)「勉強忍耐」乃木大将に学ぶ
(msn=産経)


 ものすごーく産経的な記事だが、実は前回ほどの違和感はないであります。

 まして、水天宮保育園とは。

 私は久留米出身で、水天宮は、花火大会のみならず、自転車で近くを乗り回した、私の「庭」である。

 水天宮は、推古天皇の御代以来、と伝えられ、壇ノ浦に沈んだ、安徳天皇を主神とする形で、水の神様として、筑紫次郎、筑後川を擁する、水の都久留米で、原始信仰に遡る、いにしえからの由緒を誇る。

 最近は地下鉄の駅名にもなった東京の水天宮は、江戸時代にここから分霊されたものに他ならない。


 「子供たちは難しい言葉でもすぐに覚えます。ただ『がまんしなさい』と言うより、偉人の言葉で伝えるとよくわかってくれます」

 さらに驚いたのはほとんどの園児が30分間、背筋をぴんと伸ばして講話を聞き続けることができたことだ。今年4月の最初の講話には10分も集中力が続かなかったのにである。

 三林講師が題材に選んだのは、西郷隆盛の少年のころの逸話だ。西郷の評判に嫉妬(しっと)した少年たちが、大勢で待ち伏せして西郷を襲う。西郷は1人で戦い、腕にけがを負いながらも勝つ−。身ぶり手ぶりの授業に、子供たちの目もくぎ付けになる。


 私は、日本の偉人伝が、身振り手振りを含めた「語り」として保育所で語られることに決して眉をひそめるつもりはない。子供たちは、講師が熱演すればするほど、興味深く感じて身を乗り出して聴くのではないか。

 仮に、楠木正成(まさしげ)・正行(まさつら)親子の「桜井の訣別」のくだりでもいいと思う。助太刀するとあとを追いかけてきた息子まで道連れにはせず、説得して追い返してでも、自ら負けそうな戦に敢えて旅立つ向かう父。父とはかくあるべし。

 史実の正行は、この時すでに立派な大人だった可能性が高いとしても、そういうこともあとで歴史が好きになったら探求すべし。

 【質問】この時楠木正成が赴き、実際に討ち死にした戦いは一般に何と呼ばれるか。

 高校の日本史でさすがにこれは今も教えていると思うけど。
 
 この「桜井の訣別」を唱歌にした「青葉茂れる桜井の」という歌、戦前派の方ならどなたでもご存じの歌かと思いますが、「世は尊氏の(まま)ならん」などと件(くだり)には、決して足利尊氏は単なる悪者ではなかったともいいたくなるが、こうした点は高校生ぐらいになって、興味をもって南北朝史を調べてたくなって、気づけばいいと思う、「青葉茂れる桜井の」(「大楠公」と昔は呼ばれた。戦前の学芸会でもよく演じられたという。いつも持ち歩く私のiPodに、子供時代に聴いたレコードと同じ編曲のをみつけて入れてますよ)ばかりか、日本の戦前の唱歌や軍歌のほとんどについて、何番かの歌詞までは、少なくともうろ覚えはしている、なのに昭和35年生まれのこういちろうは思うのであった。

 軍歌を避けて、日本の音楽史を語るのはどうみてもおかしいと思っているし。それは日本への西洋音楽の同化の過程でなくてはならない役割を果たしたし。

 (.....まあ、これは理屈です。ともかく私は子供時代から軍歌に親しんでいたけど、決して軍国少年にはならなかったわけで。.....更にいえば、なるちゃんこと浩宮様こと皇太子殿下のファンのあること、それどころか顔立ちが似ていると自他共に認めることを、このサイトのあちこちで公言している、いずれ殿下の御代に人生を歩めるだろうことを心から光栄に思う、同い年生まれの「浩」一郎である。)


******


 いずれにしても、私は、それが実は史実的には虚構であろうと、日本の昔の偉人伝や名文句が伝承されていくことはいいことだと思っている、しかし、それを学習指導要領に載せるか載せないかでもめる人たち全体に、「もっと大事なことがあるでしょう?」とため息をつくタイプである。

 確かにいえるのは、再度の徴兵制施行には反対するという点だろう。

 そして、世界史の流れの中で、日本が、都合よく利用されるばかりの形になっているのに、政治家がそのことに無自覚だったり、ごまかしの答弁しかしなかったり、国民洗脳のためのキャンペーンとかがさりげなく進まないことを強く祈っている。

 問題は、社会の一般の「大人が」、重要な何かを勘違いしたまま歴史が進むことだと。


*******


 さて、そういうわけで、難しい文語調であっても、子供たちに語り聞かせられる言葉として、私は、二宮尊徳の、以下のような言葉を推薦しますので、詳しくはこちらこちらのリンク参照のこと。

誠(まこと)の道は、学ばずしておのづから知り、習はずしておのづから覚え、書籍(しょうじゃく)もなく記録もなく、師匠もなく、而(しこう)して人々自得(じとく)して、忘れず。

 是(これ)ぞ誠の道の本体なる。

 渇(か)して飲み飢(うえ)て食(くら)ひ、労(つか)れていね(=寝て)さめて起く、皆此(これ)類(たぐい)なり。

 古歌に

 水鳥のゆくもかへるも跡たえてされども道は忘れざりけり

といへるが如し。

 夫(それ)記録もなく、書籍(しょうじゃく)もなく、学ばす習はずして、明らかなる道にあらざれば誠の道にあらざるなり。

 故(ゆえ)に天地を以(もっ)て経文(きょうもん)とす。

 予が歌に、

音もなくかくもなく常に天地(あめつち)は書かざる経(きょう)をくりかへしつつ

とよめり。

 「夫(それ)世の中に道を説きたる書物、算ふるに暇(いとま)あらずといへども、一として癖なく全きはあらざるなり。

 如何(いかん)となれば(=なぜならば)、釈迦も孔子も皆人なるが故なり。

 経書(けいしょ=四書五経)といひ、経文(きょうもん=仏典)といふも、皆人の書きたる物なればなり」


......以上、ほとんどは「二宮翁夜話」より。

 BGMは浜崎あゆみ - talkin' 2 myself - EP浜崎あゆみの"takin' 2 myself"と"decision"

2007/11/15

浜崎あゆみ新曲、"Together When..."、デジタルコンテンツとして近日配信!(第3版)

Together_when


 恐らく、1/1発売の新アルバムの1曲でしょうが、「高音質デジタルコンテンツ」として頒布されるようです。


■着うた®(恐らくAサビとBサビ別々)

・11/20〜 music.jp 超高音質
⇒[携帯にアドレスを送る]
・11/28〜 新・オンガク生活"ミュゥモ"
⇒[携帯にアドレスを送る]
・11/29〜 レコード会社直営 サウンド
⇒[携帯にアドレスを送る] 
・12/5〜 dwango.jp
⇒[携帯にアドレスを送る] 

■着うたフル®

12/5〜 配信開始
・music.jp 超高音質
⇒[携帯にアドレスを送る] 
・新・オンガク生活"ミュゥモ"
⇒[携帯にアドレスを送る] 
・レコード会社直営 サウンド
⇒[携帯にアドレスを送る] 
・dwango.jp
⇒[携帯にアドレスを送る] 


■PC配信

12/5〜 配信開始
・mu-mo ミュージック
・mora
浜崎あゆみ - Together When... - Single - Together When...iTunes Store ※お待たせ! 曲に直接リンクいたしました!!
・ミュゥモ・ミュージックガジェット


というスケジュールです。

Team Ayuサイトの情報だけど、会員限定配信ではないようですから、ここで公開しても大丈夫と判断します。


*****



【おまけ】

 この記事でこのサイトにたどり着かれた
 ayuファンの方、
  あるいは、
 ayu関係は関心なくて、
 あくまでもカウンセリングやフォーカシングのサイトとして
 おいでになっているけど、まだ主な記事を読み尽くしていない皆様
 .......に向けて。


 ●浜崎あゆみによる、インタラクティブ・フォーカシングの実例!!


という記事、どちらのタイプの読者の皆様にも、マジに興味深いカモ。

 YouTubeで動画もご覧になれます!!

 このブログの比較的初期に書いた、今でもしぶといアクセスが少しずつ続いている、隠れ人気記事

 ジョーク記事ではありません!!

 何と、学会発表の一部だったりする。

 この内容は、まじめなフォーカシングのセッション記録だと、私ではない、ある日本の気鋭のフォーカシング研究者が、学会発表より前に、自分から言い出したのでありまする(^^)

Ayu_ohiruyasumi

なの。

だからおまけ追加すること思いついたの。


2007/11/14

「庶民」とは?

 私は、 私は、

  《あなたの身近な、町のカウンセラーをめざしています》

というキャッチコピーで開業させていただいていますけれども、ここでいう「町」とは、大船近郊の新興住宅地のある「街(town)」をイメージしているのである。

 私は、「地域の人」というと、まずは、サラリーマンで言えば、そこそこの企業のせいぜい係長、主任クラスで、思春期ぐらいまでの子供を持つ家庭のお父さんやお母さんをイメージするのである。いわゆる「ポスト団塊世代」にあたるともいえるだろうか、いわゆる「戦後」の家族とはかなり異なる家族観をすでにもっている、ガンダム世代の、それこそ「ニュー・タイプ」である。

 年齢的には、35歳から45歳を中核とする。

 この世代の人となると、例えば連れ合いに内緒にはせずに、離婚したい気持ちですら、正面切って相談においでのケースも少なくない。むしろカウンセリングへの過剰な幻想的期待があることすら少なくない。


*****


 ちなみに、私のカウンセリングルームのもう一つの典型的なお得意様は、

「30歳前後の、独身、派遣社員クラスの男女」

であることも付け加えます(^^)





 

生まれてきてよかった、生きてきてよかった、社会の中でやって来れてよかったと感じる人間しか、自分の生まれてきた、生きてきた世界を愛することはないだろう。

 私が、msnが産経と提携することに最初過剰な警戒感を持ったのは、こと愛国心の教育に関しては結構かたくなで、以前の産経サイトでのその種の記事への読者のコメントが、この点では、似たり寄ったりのワン・パターンな論調が多かったという点である。内容というより、その「ワン・パターンさ」がちょっとキモかったのね。

(みんな、同胞愛にあふれているなあ)


 この辺、msn=産経サイト最初の頃はなりを潜めていたが、最近、少しそのあたりを小出しにし始めたようである。


●「日本人、恥ずかしい…」


 私がこの種の論調で一番気になるのは、そもそもどういう内容(コンテンツ)を教育するかによって、愛国心が育まれたり、育まれなかったりするという発想である。教育についての何とも素朴な考え方としか思えない。

 そのくせ、旧社会主義国での思想統制や弾圧についてはあからさまに語るのであるから。

 ドイツ人やイタリア人が、ファシズム歴史を詳しく知ることで、現在自分の国に対して自己卑下的になっているという話はついぞほとんど聞かないし、このあたりは、アメリカ人のネイティヴへの弾圧の歴史や、ヨーロッパ諸国のの植民地政策への歴史でも同じことだろう。

 
******


 言い古されたことだろうが、サッカーやオリンピックで日の丸が掲揚され、君が代が流れ、「ガンバレ日本!!」と叫ぶことにも抵抗感が強い若い人など、今、ほとんどいないだろう?

人は、
汚濁にまみれ、
悪と不正といい加減さが横行する社会にリアルに直面し、
そうした中で、
完璧ではないけれども、共感や敬意に値する生き方を「している」人たちにも実際に接し、
生まれてきてよかった、生きてきてよかった、
それでも自分なりに何とか生き延びてやろうと思えている時に、
「世界」を愛し「ている」のだと思う。


愛するがゆえに憤る。

「日本人として恥ずかしい」と本気で感じた生徒は、国を愛しているのだ!!

先生がどんな「作文」を書いてほしいかを察知して、それっぽいことをリップサービスで書く生徒は、今度は愛国心教育に熱心な教師に作文を出す時にでも、そうするだろうし。


*****


 なお、msn=毎日もかなり健闘していたが、産経と提携するようになって、クオリティが高くなった因子も多々あると私は感じている。私はこういう点では徹底的な是々非々主義である。

*****


ちなみに、カウンセリングは、実は洗脳からはほど遠い。

思想や理念や価値観として「コトバで」語られているかに見える部分は、そもそもカウンセリングの本質ではないしネ!! 

 

2007/11/13

浜崎あゆみ、ニュー・アルバム 1/1発売決定!!

 すでに別記事で少し触れましたが、アフィリエイトできましたので(^^;)

浜崎あゆみ・タイトル未定(CD+DVD)

Clipboard01

 だから「あゆさま」、すでにayu様の新譜には言及したのです!!

2007/11/12

夢フォーカシングのコツ(第2版)

 夢フォーカシングについてまとまった記事を書くのはこの時以来で、内容は一部重複しますが、1年半たって、もっと描き込める気もしましたので、この記事をお読みになる価値はあると信じます。

ジェンドリン/夢とフォーカシング(村山正治 編訳)

 夢フォーカシングについては、福岡大学の田村隆一先生が日本では特にお詳しく、セミナーや「フォーカサーの集い」などで繰り返し講義やワークをなされていますが、どうも、ジェンドリンが上記の著作で書いているままの個別セッションを引き受ける態勢にある場となると、日本ではたいへん限られているようです。

 日本における夢フォーカシングの紹介は、比較的早く、「夢とフォーカシング」(原題が"Let Your Body Interpret Your Dream".....「自分の身体に夢の解釈をしてもらう」)翻訳に続いて、池見陽先生編で、実は私も分担執筆している「フォーカシングへの誘い」に、森あい子さんによる、大変わかりやすい、迫真的かつユーモラスな(?)実例が掲載されています。

 しかし、インタラクティヴ・フォーカシングや、こどものためのフォーカシング、ホールボディ・フォーカシングについては、日本に既に何カ所か拠点があり、活動が盛んなのに比べますと、以外と地味な展開のように感じています。

 夢フォーカシングは、フォーカシングの経験がない皆様にも堪能できるものです。個人的には、夢のワークとして、これだけおもしろいものは滅多にないと思っていますが、フォーカシングの経験をある程度積まれた方の場合、通常のフォーカシングよりも軽快なプロセスでありながら、プロセスがいきいきと展開し、通常のフォーカシングでは超えられなかったDead Endを易々と超えていくほどの体験になる場合もあります。

*****

 ところが、ジェンドリンの上述の本に書かれているのは、一見、20近くの「質問」が並列的に記載されているように見えてしまい、段取り的にはどうなるのかとか、質問をどういうタイミングで、どのように繰り出すのいいのか、見当がつきにくいのですね。

 そのことが気になっていた私は、すでに1993年の段階で、

 ●「夢フォーカシング技法の面接場面への適用に際しての幾つかの実用的示唆」
  人間性心理学研究 第11巻 第2号

 という論文を書いていました。

 そこで、私は、まず、順序として、3つのステージに区切り、

1.夢を話してもらい、途中で少しずつ内容を投げ返し、話者に助言者の理解に間違いがないかどうか、丁寧確認していく。

2.話者に、その自分の夢についてどう感じるか、どう理解するか、自由に話してもらう部分

3.助言者が、様々な示唆的な質問を一つずつ提案し、話者が、気に入った質問を自由に試してみる部分

としてみました。

 そして、この3.の部分の《質問》群を更におおまかに3つの方略に分け、

3a) 場所の方略
3b) あらすじの方略
3c) 登場人物のの方略
3d) その他の方略

.....これらの方略それぞれに分類できる幾つかの《質問》に、平易で無理がないものから、更に高度なものへという深め方の提案順序が、Level 1 からLevel 4まであるというふうに整理しました。

 夢フォーカシングの20あまりの《質問》は、すべて提案してみる必要はなく、ほんの幾つか幾つかやってみるだけで自然と大きな展開が生じ、十分堪能できるものになることが少なくないかと思います。

 逆に、その柔構造な側面が、技法を学ぶ際に見当つきづらく感じさせるようです。そのための目安としてのチャートを作ったつもりです。

 実は私の夢フォーカシングへの習熟は、この1993年に一応完成されていたのですね。


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 思いつきで、ひとつだけ示唆します。

 私が「登場人物の方略」の一番アドバンスなものに一応位置づけた、ジェンドリンの「登場人物になってみる」という質問がについてですが、この時、ジェンドリンは、見知らぬ登場人物や、場合によってはさりげなく場面に登場登場している「無生物」になってみるのが面白いと明言しています。

 夢の話の中で。話者が自発的に具体的に言及したアイテムなら、なんでも素材になり得る。

 例えば、
 
 「私は、普段はまず行かないようなしゃれた店で、ワインを片手に、赤いレンガの壁のそばの席で、中学時代の片思いの人とデートしている夢を見ました。キャンドルが美しくて雰囲気よかったですね。でも、その対話は結構ヘンな対話で.....(以下略)」

という夢が報告されたとします。

 夢について語った人が具体的に明言したアイテムなら、登場人物が対話している建物の「壁になる」とか、「テーブルの上のキャンドルになる」とか、「飲んでいるワイン」になるというような、一見唐突なアイデアです。

 最初は素っ頓狂に思えるでしょうが、好奇心半分で,」ユーモラスに、それらのアイテムの「身になって」場面を感じてみると、予想もしない展開に爆笑したり、思いもよらない深い体験ができることもある。

 例えば、夢の中のけんか相手に「なってみる」などという、いかにも正攻法な思いつきをあっさりやってみるのではなくて、搦(から)め手から遊び心でやってみると結構面白く、夢フォーカシングの体験そのものが苦しいものになる危険を大幅に軽減しています。

 それこそ、なぜか、この提案を話者がやってみたら、その、夢の中での「片思いの相手との奇妙な会話」の含蓄が、夢を見た人に、その人の一見夢の内容と無関係な現実状況と一気にスパークするみたいな洞察をもたらし、身体までスッキリす
ことなんて、結構あるのです。

 リスナーで提案の助言者である側の人物には、夢フォーカシング技法を、普段から柔軟に自分に使い込んでいるからこその余裕と、遊び心、そして、いわば芸人が観客を舞台にあげて、決して傷つけない形で爆笑の対話の場とできるようなセンスが必要かと思います。


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 .......というわけで、湘南フォーカシング・カウンセリングルームの「フォーカシングによる夢分析」コースは、1時間わずか4,500円で、すごく贅沢な時間を過ごせるかもしれない場なのですが.....

 私は、完全にジェンドリンが上記著作で書いている通りの技法を自由に使いこなせます。

 条件はただひとつ。できるだけ最近みた新鮮な夢であること。

 詳しくは思い出せなくて、断片的で、ワンシーンだけしか覚えてなくていいです。それでも1時間堪能できる場合もあります。


※追記

↓うちの弟子がネット上でこんなこともやっていたりするので。

●夢分析(夢フォーカシング)のプロのカウンセラーです。 (Ameba リクエスチョン)


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 ちなみに、ユング派の夢分析や、ボスナックのdreaming body(ご本人のワークショップに出ました)、あるいはゲシュタルトのワークとどう違うの? ....とお感じの皆様、皆様がこれらの体験に慣れ親しんでおられても、まさにそういう皆様にこそ新鮮なものになるか思います。 


2007/11/11

面接1人1時間基本料金6000円×1日3人×1週5.5日÷7×365日=年に516万2千円よりは多くなる

 これを開業5年以内に達成するという経営計画を、皆様はどう感じますか?(そして、私は開業2年半ですから、ここまではまだ届いていないけど、相応の目標進捗度とします。国民健康保険料は、たいていの人の社会保険自己負担分よりまだ少ないでしょうね。ちなみに売り上げ1000万円に届くまでは一般消費税は払わなくていい。そして、普段の交通機関は「自転車!!」 そもそも「商品の仕込み」とかないわけですし。広告費は、現在地元の電話帳の「マッチ箱」と、googleで関連用語でたまーにヒットする囲みの分くらい。

 そして、現段階では、少し料金が高いフォーカシングの指導でお金になるのは収入全体の10%以下でしょうか? ケーススーパーヴィジョンの方が、まだしもお客様、多いです。


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 これに近いことをこのブログでも何回か書いたし、セーイチさんのブログでも先日コメントしました。

 私としては、この数字を、「意外と低労働でここまで稼げるのか!!」と見る若い臨床心理士の皆様と、「実はその達成がたいへんなことである」と感じる人が半々居て欲しい気もする。

労働日に一日18000円稼げるようになれば、どうみても極貧から遠いので。

 どんな専門的フリーランサーでも、自分が目指しているそのフリーの仕事で20万円の月収に到達したら、ある程度「形になり始めた」といえるのではないかと。

ただし、予約やお問い合わせ等、そして「待機時間」も労働の一部として。


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 ちなみに、そろそろ時効でしょうから公開しますと、私の「常勤カウンセラー」時代の「手取り」月収は40万円台(つまり年間480万と600万の間ということ)でした。ボーナスは何ヶ月分だったかは秘密。どもかくこの「手取り月収」は、私学の大学教授よりも高い場合もあるくらいの水準。

 もちろん社会保険や年金・雇用保険などは天引きされ、幸いなことに、計○十万の交通費・研究費がつき、鎌倉から戸塚までのバス代・電車代は別途出ていました。これは専業カウンセラーとしてはかなりの高給です。ここから通常月でもかなり共済預金(社内預金ですね)に回して、私を含む家族3→4名養っていましたが。家族手当・住居手当はありませんでした。


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 これでも今、やっていられるのは扶養家族がいないからこそです。衣食、特に「衣」にはほとんどお金使わないし。車も持ってないし。パートナーとのつきあいで、相手に別にたからないのにむしろ倹約が進んでいる。ネットの副収入も、たいしたことないし。


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 以上、「私設心理臨床研修会」の報告記事が先週ヒットしたので、補足します。

 さあ、若い臨床心理士の皆様、キャリア10年積んだら、最初は兼業でいいから、このあたりを最低の目安として独立開業に野心を持とう!!

 社会人の人相手に、幅広く、ひとりひとりからお金いただいてカウンセリングするつもりなら、数年の開業でこれを実現するくらいの才覚は必要かと。

Ayusamaouen

 はい。「あゆさま」とのお約束!!






 

先週の人気記事ベスト20!! (07/11/4-10)

 遅れましたが、「カウンセラーこういちろうの雑記帳」週に一度の恒例、@NIFTYココログの、日曜日-土曜日の「週ごと先記事別アクセス解析機能を使っての、先週の記事アクセス「ベスト20」の発表、69回めです。

 固定リンクでのアクセス率の順位から集計しています。アクセス数が同じ場合には、訪問者実数上位の記事を上位とし,訪問者実数も同じ場合にのみ、同じ順位として掲載します。
 7×24時間、つまり11/10日(土)24:00の時点での集計です。
 

 先週の一週間の総アクセス数、延べ3.348(前回2,771)。(一日平均アクセス478.29(前回395.86)。

 訪問者実数は、2,500名様(前回2,096名様)。


 実数の高さまで考えるならば、過去最高水準であることは間違いないでしょう。ありがとうございます。


 当ブログの「一限さんでない率(リピーター率)」、3週続けて7.2%
 「訪問周期」は、「毎日必ず」おいでになる「完璧常連様」は、今回は、前回10名様(0.6%)だったのが、10名様(0.5%)に。

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 それでは記事別ランキングの方の発表!!


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1.インシュレーターは使わないに越したことはない (→)8週連続

2.オーディオにおける接点復活剤について (↑)

3.「ケーススーパーバイズ」とは何だろう ~入門編~ (↑)3週連続

4.カウンセラーのプライベート・ライフ (↑)

5.「開業カウンセリングの研修会記録 4部作」を改めてご紹介 NEW!

6.欝とは、自分が無理をしていることを認識できなくなる時期にすでに始まっている(↓)64週連続!!

7.カウンセラーの絶望感や無力感はクライエントさんの絶望や無力感との相互作用 NEW!

8.開業カウンセラー「についての」臨床心理学(?) COME BACK!!

9.私のスーパーバイズ ~実践編~ (↑)4週連続

10.ストーカー「加害者」の心理 (→)

11.iPodの同期、デフラグやチェックディスクのこと。 (↓)

12.「オイルヒーター」カテゴリーのバックアップ COME BACK!!

13.愛内里菜はいいではないか!!(林檎その他予告つき) NEW!

14.バックナンバー COME BACK!!

15.私のピュアオーディオシステム(そこに更にiPodをどう繋ぐか) (↓)6週連続

16.成功したキャリアある開業カウンセラーはひとりでどのくらい稼げているか? COME BACK!!

17.iPod Shuffleの音質あなどるなかれ (↓)

18.「神田橋條治」カテゴリーのバックナンバー COME BACK!!

19.格差社会の中での開業カウンセリング COME BACK!!

20.倉木麻衣と椎名林檎への封印を解いてみた (↓)


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47.先週の人気記事ベスト20!! (07/10/28-11/3)


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 今週は、4位の「私設心理臨床研修会」の報告4部作の再紹介の影響で、この中の3本までが単独ランキングに再登場したこと(8位・16位・19位)が特徴的な週だったと思います。


  これを書いている「今、この瞬間」(11/11 PM 20:06)までの当ブログ文章記事の延べ総アクセス数は、226700、プロフィールページ、フォトアルバム、そして新ブログ"My Favotite Books"を含めると257655、ブログの通算記事数はこの記事で1219本めです。


 今後とも、「カウンセラーこういちろうの雑記帳」を、よろしくお願い申し上げます。

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2007/11/10

人の目を気にするのが「うまく」なること

 人の目が気にならなくなってくると、人の目を気にすることが徐々にうまくなってくるのかもしれない。

2007/11/09

椎名林檎「唄ひ手冥利 巻之壱」etc.(クラシックの原曲紹介つき)[第3版]

 さて、林檎なんだけど、すでに1st「無罪モラトリアム」は中古盤入手して聴きましたし、いろいろすでに言葉にできそうなこと貯まっててきているけど、あとに回して。

 林檎は、ayuと同じで「アルバム・アーティスト」という観点から眺めるとおもしろそうだという予感は、iTunes Storeを渉猟した時点で感じたことだったが、アルバムの2枚目以降は積み残しの現状でも、それは当たっていたと思う。

 そういう中、変化球だけど、iTunes Storeにも他のアルバムと同様に入っていない、カバー集、「唄ひ手冥利 巻之壱」からここでは取り上げましょうか。

 どうもこのアルバムは、ベストアルバムを作りたいという会社の意向に抵抗した挙げ句に作られたようだが、やっつけ仕事椎名林檎 - 絶頂集 - やっつけ仕事(^^)ではない。曲目を知った時点で、なぜこの曲のあとにこの曲が.....と感じ、かなりぶっ飛んだ凝ったカバー集になると想像していた。

 何しろ、シューベルトの「野薔薇」(この曲についての私の蘊蓄は私のこの記事を参照)やノルウェイの作曲家、グリーグの「君を愛す」のドイツ語による歌唱。特に「君を愛す」は、原曲を知る者として、クリスタルな編曲がすばらしい。

 そして、NHK「みんなの歌」のおかげで(「りんごのうた」とは無関係)、ある世代以上の人で聴いたことがない人はほとんどいないはずの「小さな木の実」

 (ロシア民謡あたりと勘違いされそうな憂愁の曲想ですが、フランスのビゼーの「美しいパースの娘」という歌劇のアリアが原曲。「アルルの女」のメヌエットとして著名なフルートの名曲もこの歌劇の別のアリアが原曲。 「みんなの歌」バージョンの歌詞でiTunes Storeにあるもの......としては、少しオールドなジャジーだけど、畠山美由紀の畠山美由紀 with ASA-CHANG&ブルーハッツ - わたしのうた - 小さな木の実これしか選択肢がないの(^^;) ビゼーの原曲の方が、男の声だけど実は意外と雰囲気ある。それは後ろの部分で紹介)

 それらと、「枯葉」「木綿のハンカチーフ」や、ジョン・レノンやカーペンターズが同居する選曲は(詳しくはWikipedia参照)、ある意味でまさにそう。

 もっとも、このブログのように、次の記事がどんな記事になるか予測不能の感性の私は、この点は結構あっさり受け入れられたというか、この人の感性のある側面に楽々シンクロできたのだが(^^;)

 しかし、同時に、林檎の正統派的幅の広さを認識させられもした。ドイツ語、何ともしっかりしている。"o"にウムラウト(上に点2つ)の、「イ」とも「エ」とも日本人には聞こえる発音が全くきちんとしているし、その一方で、「枯葉」なんて完全にシャンソン風に歌いこなそうとしているし。日本人に聞えない(^^)

 太田裕美のファンだった私にも違和感のない「木綿のハンカチーフ」だったし、そこに、彼女自身の曲で繰り返していた、育った福岡(百道小や、初ライブをやったという西新ってのは私の通った高校の周辺ではないか。もとより、私が高校生の頃、林檎はayuと同様にまだ前世におられた)から上京の際の恋人との別れというテーマが重なり、うまい編曲になっている。

 朱里エイコの曲も、歌い口をいつもと微妙に変えて、ホントに朱里エイコタッチに聞こえた。


*****


 そして、これは林檎やひっきー(宇多田ヒカル)のファンはご承知の人も少なくないでしょうが、この二人の対等なデュエットが、ライナーノーツ的にはさりげなく、一曲入っているわけで。ライブで「東芝ガールズ」として共演したとかの情報は知ってましたけど、ちゃんと正式にCDに収まっているとは知らなかった。

 私が、ある時期までビートルズとオリビア・ニュートン=ジョンと共に、洋楽(^^;)で数少ない聴き込んでいたアーティスト(でも同時代ファンというには若干遅れている)である、カーペンターズの私の好きな曲のひとつ、カーペンターズ - Carpenters: Gold - Greatest Hits - I Won't Last a Day Without You"I won't last a day without you"である。これは、かなりオーソドックスに原曲を生かしつつ、現代日本の心象風景に読み替えもした、というあたりのアレンジかな。

 なお、カーペンターズをベストで買うなら、iTunesにも入っている、"Gold: 35th Anniversary Edition"これがやはりベストでしょう.


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 ちなみに、クラシック系の原曲をお探しの方は、
Dietrich Fischer-Dieskau & Gerald Moore - Schubert: Schwanengesang; Lieder - Heidenr?slein, D. 257 (Op. 3/3): Sah ein Knab' ein R?slein steh'n「野薔薇」
Elisabeth Schwarzkopf/Gerald Moore - Songs You Love - Melodies of the Heart Op. 5: Ich liebe dich (Andersen transl. Holstein)「君を愛す」

 「野薔薇」と「君を愛す」は、フィッシャー=ディスカウ、そして、シュワルツコップフという、ドイツリート歌手として男女それぞれの大御所の定番です。


Royal Philharmonic Orchestra & Sir Thomas Beecham - Bizet: The Fair Maid of Perth - The Fair Maid of Perth: Act 2:13 Serenade「小さな木の実」

 元のタイトル「セレナード」。ビゼーの歌劇「美しいパースの娘」で歌われているそのままです、男声なんですね、本来は。.....iTune Storeでも古い録音がひとつしかヒットしない曲で、欧米でより日本で知られることになった曲の可能性が高く、この曲を発掘した「みんなの歌」スタッフはものすごい慧眼です。最初にレジタティーヴォ[(叙唱・・・語るように歌う、前置きの部分]がかなりあってから、やっと、おなじみのメロディになります。

******


 いずれにしても、ayuとひっきー、そして林檎の3人が、2000年に入ってからあたりの「別格的」女性アーティスト、という、ある意味でありふれているかもしれない認識は十分確立してしまった私である。

 林檎もこれから頻繁に聴くのは間違いない1人に入ったと感じてますが、林檎のオリジナル曲については、少なくとも「勝訴ストリップ」の中古が届いた段階で.....ということで。


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【増補】

 ......といいつつ、それでも暫定的に、林檎聴き始め1週間の人間が、おこがましくも、お薦め書いちゃうか!! 

 私のチョイスとして、今のところ、林檎に「入門」するなら、
椎名林檎 - りんごのうた - EP - りんごのうた「りんごのうた」
はもう別格として、デビュー曲の椎名林檎 - 幸福論 - EP - 幸福論「幸福論」シングルバージョン。この曲の中に、すでに林檎調のすべてが隠れているのに、最初は気づかれにくいので、免疫形成に向いている。

 典型的林檎タッチのアクティブな曲としては椎名林檎 - 罪と罰 - EP - 罪と罰「罪と罰」椎名林檎 - 真夜中は純潔 - EP - 真夜中は純潔「真夜中は純潔」椎名林檎 - 本能 - EP - 本能「本能」

....というのが、数日聴き込んできた上での無理のないチョイスかな???


 林檎の提供曲としては、ともさかりえともさかりえ - 少女ロボット - EP - 少女ロボット「少女ロボット」も、林檎の個性の刻印が明瞭な曲と思います。これは東京事変 - 少女ロボット - Single - 少女ロボット「東京事変」時代になって、林檎本人も歌ってますが。

 そして、前の記事でも触れたけど、個人的に不思議に惹かれたのが、歌詞だけ前に読んじゃうとメロディーの清澄さに驚くけど、更に歌詞を深く味わうと、やはり「この」メロディーになるんだ!! と、林檎の心境を妙に納得した、「モルヒネ」ですが、これはiTunes Storeにありません(^^;)。

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2007/11/07

愛内里菜はいいではないか!!(林檎その他予告つき)

 私、やっとBeing系という言葉の意味を理解したくらいで(^^;;;)。

 どうりで倉木麻衣ZARDと同じような意味で、曲そのものやバックバンドやサウンドの安定感があるわけだ。

 この人、オリコン一位がないとか、タイアップ曲が多いとか、いろいろいわれてるみたいだけど、少なくとも愛内里菜 - Single Collection"GIZA -Single Collection-"の曲の、見事に高水準での粒のそろった出来にはたいへん満足した。

 ハイテンポのサウンドは心地いいし、このアルバムのジャケットのイメージとは思い切ってギャップがある声が魅力的な深みとパワフルさが兼ね備わっている気がする。最近の曲はまだ聴いてないけど。

 こういう十代向け王道J-popも気持ちよく聴くこういちろうである。上記のアルバムの曲とかになると、もう「なつかしい」と感じる大学生や若い社会人も多いのでしょうね。


【近日登場】

 川嶋あい(I WiSH)書きたくなった。

 椎名林檎について続編の方が早いかも。中古の注文はまだ半分しか届いていないけど、彼女については「アルバムとして聴いてから。そこではじめてイメージ画像を結ぶ」という予感は的中したと思う。

 おまけとして私の椎名林檎の曲脳内解析メーカー(ゆみっちょん♪さん作)の結果を以下に。(11/8記)


 まだ、アルバム2枚目と3枚目の曲は知らない曲もあるが、"モルヒネ"(1st「無罪モラトリアム」所収)
は今日聴いていて、一見歌詞と曲想が凄くミスマッチに見えて、曲の方から詞を読み返すと真の意図が見えてくる佳作と思っていた曲。

 iTunes Store(Japan) iTunes Store(Japan) iTunes Music Store(Japan)

カウンセリングに「終結」はない

.......というか、「取りあえず続けて来談するのはやめてみます」というクライエントさんからの申し出に応じることしかない。

 クライエントさんが最初から1回だけをご希望の場合、「誰だけお役に立てるかわからない」と私が感じている場合か、非常に遠方からおいでの場合などは「取りあえず1回お会いしましょう」と、初回予約の際に申し上げることはあっても。

 ましてや、カウンセラーの私の側から「終結」や「回数の提案」を提案したことは、私の20年の経験上は皆無です。医療を受けることを強くお薦めすることは時にはありますけど、カウンセリングの方を続けるかどうかはクライエントさんにお任せ。

 カウンセリングにおいでになって日常の問題について相談するのが定例化したした人とは、私の勤務していた相談機関が変わったあともお会いしているケースが幾つかあります。

 それでも、特に開業以降はじめてお会いしている方で、この数ヶ月間に、何回も来談された方のほとんどは、何らかの進展をご自身が感じた時点で「とりあえず続けて来談するのをやめてみる」ことを、私にも不安を感じさせない形で選択される方がほとんどです。

 この前書いた「中断と再開」についての記事の関連として書きました。





 

相川七瀬、木村カエラ、.....まだまだ続くJ-pop女性シンガー探求(第2版)

 あれから、こういちろうのiTunes Music Storeによるj-pop女性シンガー探求はまだ続いているのである。「おすすめアーティスト」と、ダウンロード上位を参考にすれば、数曲ずつ試してみることが容易にできる。少し聴いてアルバムとして欲しくなったらAmazonの中古CDで400円なんてのも多い。このへん使い分けて倹約してます。

 ちなみにayu様の次の新しいフルアルバムの発売が1/1に決定しました。.....ということは、当分思う存分浮気しまくれます(^^;)

 まずは印象が明らかによかった人から。

  相川七瀬相川七瀬は、以前からいつか聴いてみたいと思っていた人。ふたをあけたら.......ああ、この人を聴いてなかったのは失敗だった。声が魅力的だし、avex系らしからぬ硬質のタイトな録音センス。洗練度。文句なしである。これからよく聴くと思います。"Loving You","Nostalgia","恋心"あたりは一級品!!そして、"夢見る少女じゃいられない"も、私ですら相川七瀬とワンセットで曲名は覚えていただけのことはある。....最近のavexには、このタイプがいないような。

 意外な好印象が、木村カエラ木村カエラって名前すら知らなかった。インディーズから街頭ライブを経てのミュージシャンの王道みたいなサウンド(と、勝手に思い込んどきます......[追記:......かと思ったら、wikipediaで調べたところ、高校時代からバンドやってたけど、小6のときに原宿でカットモデルとしてスカウトされ、「セブンティーン」などのモデルでもあったとか])。音が立ってる。低音が引き締まってるし。録音が音が前に出てくる。サウンドとしてはオーソドックスだろうけど、いいじゃないの。"Magic Music"とか"リルラ リルハ","OH PRETTY WOMAN(カバーだよね、これ)"とかあげておきましょう。

 このあと、hitomi,globe,愛内里菜,そして、モンダイの(!)鈴木亜美(鈴木あみの方も)と続く予定。

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なんで627アクセスなの?

 昨日は、ほとんど記事を何も書いてないのに、628アクセスという、過去3位の一日アクセス記録をあっさり樹立しました。

 ありがとうございます。

2007/11/06

小沢さん、もうリーダーとしては信頼されないのでは?

 大連立の福田首相との協議に参加したと思えば、民主党の代表を辞任し、1日で撤回する。

 私の中では、まるで小泉政権の余韻を引きずった安倍首相を退陣に追い込んで、福田首相という、従来の自民党タイプに近い首相が就任した時点で、今度は民主党を混乱させて弱体化させ、自民党が政権交代に追い込まれる当面の危機を回避させて.....というのがすべて最初からの筋書きか何かのようにすら思えてしまう。それを、徹底的にたぬきに徹してひとりで実現したというか、これじゃ誰も信用しないのではないか。

 少なくとも、新進党の件が一度目とすれば、「3度目はない」気がしてならない。少しだけスケールの小さい古いタイプの自民党政権中心の体制を、巻き戻して実現することに貢献しただけみたいで。

 自分が本当に最後までトップになる野心を貫徹することないままというのはどんなモノだろう。

 民主党も、ここまで来たら、追い出して、新党でも作らせて、自民党との連立とかの模索を勝手にやりたいならやればあ? くらいの方がいいのかもよ。

 


 国民に政治に対する失望を喚起し、無関心層また増やしかねないことをしたという点では、安倍さんよりもたちが悪い形になってしまった気がする。

2007/11/04

「大船でフォーカシングを学ぶ会」、次回は12/2(日)に開催です。

 「大船でフォーカシングを学ぶ会」、第5回は本日無事終了いたしました。

 前回に引き続き、会場の収容力いっぱいの皆様にお集まりいただけたことに(椅子等の積み出しにもご協力いただき)感謝申し上げます。

 そしてそれを「家族的わきあいあい」と、参加者の皆様に受け止めていただいていることも嬉しく感じています。これ以上多くの方がおいでとなったら、開催ペースを月一度からもっと密に変更することにします。

 この集まりは、その回にご参加いただきましたひとりひとりの皆様の要望にお応えする形で、その場の流れで自由に何をやるかを決めています。そして、フォーカシング実体験はじめての参加者の方にも「何か」来た甲斐があった感じていただける内容になるように気を配っています。

 今回は、2回の休憩、お茶タイム、私が席を外した参加者同士のフリートークをはさみ、

1.「自分の身体の内側の感じに触れる」ということを掴んでいただくための集団での体験をじっくりと。
2.フォーカシング経験者のひとりの方が主体的なフォーカサーをして、私がガイド(リスナー)として、フォーカサーの注文に応じる形でセッションをするのを他の参加者にはオブザーバーとしてはそばで見ていただきき、その後でシェアーする時間。
3.小さなカードを使って「藤嶽法(第1法)」による、ラウンドロビン形式のグループでの体験。

という3部構成となりました。

 その日の参加者の希望でなんでもありなのが、この集いの特色です。

 しかし、内容は流動しつつも、計5時間の中で、2回休憩の3部構成は、無理のない形として定着してきた印象です。

 「フォーカサーひとりひとりが王様」ということを、単なる理念ではない形で柔軟に自然と実践し、ひとりひとりの参加者が、常連も、はじめての方も皆主役になり、他のメンバーを気にせずにのびのびとふるまえる安全な場となることが、こうして数回継続するうちに可能となってきました。

 参加いただきました皆様全員に何らかのお役に立てているようで、幸いです。

 私も、はじめてお会いする参加者7-8人で、フォーカシングを「何らかの意味で」経験した方が参加者の中に二人ほど含まれていれば、半日のフォーカシング・ワークショップを、この場を離れても新鮮かつ柔軟な形で構成することに自信を深めてきています。

 講師としての地方出張のご依頼、大歓迎です!!


*****


 引き続き新規の参加者の方を募集いたしております。

 毎月第一日曜日13時-18時の開催です。次回は12月2日(日)です。

 なお、来年1月については、第2日曜日、1月13日の開催となります。

※初心者の方にも、経験者、常連の方にも毎回新鮮な、何か参加した甲斐があったと感じていただけることをできるだけ実践してまいりました、参加者にもそれが好評です。1回限りの参加も歓迎します。

  1回限りの参加でも結構です。

 場所は湘南フォーカシング・カウンセリングルーム(JR東海道線・横須賀線 大船駅西口より徒歩10分)

 お申し込み、お問い合わせについては、こちらのページをご覧下さい。

 続けて毎月おいで頂けることが必要なブログラムにはしませんので、「都合のいい月」に参加いただくので結構です。

カウンセラーの絶望感や無力感はクライエントさんの絶望や無力感との相互作用

 専門家にはよく知られた公式でしょうが、とりあえずノートしておきます。

 念のために申し上げますと、最近そういうケースがあったというわけではなく、他の相談サイトの記事をいくつか読んでいて、ふと連想したことです。

 ひとつだけ注釈。 このことをクライエントさんとの対話の中で直接言葉にすることはほとんどの場合不毛であるということ。

先週の人気記事ベスト20!! (07/10/28-11/3)

 「カウンセラーこういちろうの雑記帳」週に一度の恒例、@NIFTYココログの、日曜日-土曜日の「週ごと先記事別アクセス解析機能を使っての、先週の記事アクセス「ベスト20」の発表、68回めです。

 固定リンクでのアクセス率の順位から集計しています。アクセス数が同じ場合には、訪問者実数上位の記事を上位とし,訪問者実数も同じ場合にのみ、同じ順位として掲載します。
 7×24時間、つまり11/3日(土)24:00の時点での集計です。


 先週の一週間の総アクセス数、延べ2,771(前回2,643)。(一日平均アクセス395.86(前回377.57)。

 訪問者実数は、2,096名様(前回2,051名様)。


 先週は、「本格的」新規記事の連発を1週間維持、丁寧に更新した記事も多く、実に新作13本!!(初稿勘違いでした)...という点で久々でしたが、そのことの手応えをアクセス数の点からも十分感じさせていただきました。文化の日で祝日の昨日も、むしろ454アクセスと増加しており、皆様にも感謝いたします。


 当ブログの「一限さんでない率(リピーター率)」、2週続けて7.2%
 「訪問周期」は、「毎日必ず」おいでになる「完璧常連様」は、今回は、前回12名様(0.7%)から低下して10名様(0.6%)

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 それでは記事別ランキングの方の発表!!


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1.インシュレーターは使わないに越したことはない (↓)7週連続

2.欝とは、自分が無理をしていることを認識できなくなる時期にすでに始まっている(↑)63週連続!! 

3.創聖のアクエリオンのテーマソングはいい!! (↑)

4.iPodの同期、デフラグやチェックディスクのこと。 NEW!

5.カウンセラーのプライベート・ライフ NEW!

6.オーディオにおける接点復活剤について COME BACK!!

7.iPod Shuffleの音質あなどるなかれ (↓)

8.「ケーススーパーバイズ」とは何だろう ~入門編~ (↓)

9.私のピュアオーディオシステム(そこに更にiPodをどう繋ぐか) (↓)5週連続

10.ストーカー「加害者」の心理 COME BACK!!

11.はじめて相手の部屋にお呼ばれした時 NEW!

12.料理できなくして私の開業は突き抜けない(?) NEW!

13.私のスーパーバイズ ~実践編~ (↑)3週連続

14.「共感的に」人の話を聴くとは?(入門編) (↓)7週連続

15.倉木麻衣と椎名林檎への封印を解いてみた NEW!

16.コンビニで「結構です」と答えると割り箸を付けてくる法則 NEW!

17.「疲れた」「つらい」筈なのにそう感じていな「かった」時の「独特の感覚」は本人にも「実感」できる COME BACK!!  (↑)

18.亀田兄弟、父親と別居ぐらいしたら? NEW!

19.iPod向け「超」高級ヘッドフォンの世界!! (↓)

20.こういちろうは、ayu様以外の女性シンガーをどのくらい聴いているか。 NEW! すでに度重なる増補・改訂しています


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46(前回と同順位).先週の人気記事ベスト20!! (07/11/21-27)

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  これを書いている「今、この瞬間」(11/3 AM 0:36)までの当ブログ文章記事の延べ総アクセス数は、223107、プロフィールページ、フォトアルバム、そして新ブログ"My Favotite Books"を含めると253608、ブログの通算記事数はこの記事で1209本めです。


 今後とも、「カウンセラーこういちろうの雑記帳」を、よろしくお願い申し上げます。

Apple Store(Japan)

2007/11/03

「開業カウンセリングの研修会記録 4部作」を改めてご紹介

 記事別アクセスが何件かあったので、ここからはじまる、日本臨床心理士会主催の「私設心理臨床」(開業カウンセリング)研修会に参加した時の私なりの記録、4部作を読み返したら、(書いた当時は実は結構落ち込んでいて、こういうことを自分で書くことへの妙に内罰的な感情があったのですが)この問題について結構しっかりと大事な点をまとめていたなといえることに、我ながら気がつきました。

 なおこれらの記事では、「知る人ぞ知る」タイプの開業カウンセラーのベテランの先生方にご迷惑がかからないように、講師の先生方の実名はお書きしていません。私も学会等で懇意の、プロセス指向心理学の日本における第一人者の先生を除き。

 リンクでつながっていて、4部作続けて読めますが、

●成功したキャリアある開業カウンセラーはひとりでどのくらい稼げているか?
●開業カウンセラー「についての」臨床心理学(?)
●「士」族の「商」法(?)を超えて
●格差社会の中での開業カウンセリング


....我ながら、ひとりぼっちでなくなり始めると、同じ自分の文章も前向きに読めてしまうものですね(^^)

 ちなみに相方が、前から予定していた、関東の反対側の県の、自分の専門の研修会に行ってますので、今日はひとりぼっちです(^^;) 「週間記事ベスト20」も久々に、深夜1時頃の定刻に発表予定(;;)





ヤイコとこのブログのポリシーと私の開業のポリシー(第2版)

 思わず「発展途上さいころじすとの航跡blog版」で通りすがりの冷やかし型コメントに遭遇して、セーイチさんをさしおいて、カウンセラーもその一般の人もまとめて双方向で挑発するコメントを1分で書いた。

 だが、そこで書いたことこそ、私が最近のこのブログ開業で目指していることの核心を言葉にできたと感じました。

 ぜひご覧くださいませ(^^)


Title: ただの「何でも相談屋」の奥義が「心理療法」となることを!!


 そうです!! 効果があれば国も個人もお金を出します(爆)

.....などと、敢えて煽っといて(^^;)

 ただ、どういうわけか、むやみと高いところは結構予約いっぱいたったりしてね。そういうところの効果について国や個人が検証しているかどうか、大いに気になるこういちろうであった。

 この辺、何か、フェスティンガーの「認知的不協和理論」的という気もしまして。

 経済原則に反して、安くていいカウンセラーをお客さんはなぜか選ばないんだよ(超厚顔無恥!!....しかし、こういうことをルンルンで言えるのは、以前よりは流行ってきたからこそ!!)

 私はこうした現状を打破するために、カウンセリングというものは庶民的、大衆的ななものであり、ただの何でも相談屋だというふうに世間のイメージ塗り替えたいのね。

 そして、そこにこそ、心理療法の奥義が生かされている、とならないと!!


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 どうもこの出会い頭の辻斬りを斬り返す「気合い」は、これまた本格的には初挑戦のヤイコ(矢井田瞳)を聴きながらネットみていたせいもある気がする(^^;)

 iTunes Music Store(Japan)矢井田 瞳/daiya-monde矢井田 瞳 - Daiya-Monde

 ある意味で、椎名林檎とJ-POPの間で存在感ある独自のスタンスを築けてきた人というのが私の素朴な印象......というのは、ヤイコファンには失礼だったらごめんなさい。

 実は、知り合いに、「ナマヤイコ」を極めた同業者がいまして(^^;)、何かまともにここで書くことに引け目を感じていたのです(^^)  時々読んで下さっているみたいなので。

2007/11/02

面接は中断と再開を繰り返してはならないものなのか?

 以前、「面接のキャンセルに「意味」を求め過ぎなくてもいいのかもしれない。」という記事で書いたことの延長ともいえるかもしれないのですが。

 継続的面接において、キャンセルを重ねるうちに自然とクライエントさんがおいでにならなくなる場合にしても、クライエントさんから「やめたい」との申し出を受けて、話し合った上で、継続を打ち切る場合でも、カウンセラー側がそうなった原因について、深く振り返ることはだいじなのは言うまでもありません。

 しかし、そうした際に、「面接とは継続的に進み、何らかの相互了解できる到達に達して終結すべきもの」というドグマにカウンセラー自身が縛られていないかということも考えに入れていいのではないかと思います。

 私は大学学生相談出身ですが、このような、大学の内部にあるカウンセリングは、クライエントさんたちに、気が向いたらふらりと現れ、いつの間にか来なくなる、そしたら忘れた頃に現れる.....みたいな利用の仕方を許容できる方が自然である、というのが私の考えです。

 「気が向いたら、気兼ねせずに再度カウンセリングを受けたくなる」ということは、ある安定した関係性がすでにあるということと思いますし。

 もとより、私はひとり開業ですから、「少なくとも前日までには再予約してもらうこと」という原則をお願いしています。

 私は、クライエントさんの側としても、カウンセラー側としても、こうした、緩いつながり方の場合の方が、面接と日常との相互作用の中で、クライエントさんに無理のない変化が、カウンセラーとしての私の予想を超えたペースで進むことがあることを感じています。そして、これが、ウィニコットの言う、治療者の「抱え」の構造の自然な姿とも感じています。

 クライエントさんが変化するのは、日常場面そのものの中で、偶発的事件の中で、ハプニングをどう切り抜けるかというような形でというのが自然であり、いわばそうした日常の中での経験を、聴き手のプロと話す中で少しずつ自我の中に統合して自己理解して、後戻りしないようにしていくかを援助できた時のような気もします。







どうして京福電気鉄道とコロムビア大学からアクセスがあるのかの謎

 いつもの「なかのひと.jp」ですが。

Clipboard01_2

(上の部分をクリックすれば拡大します)

 日本語ばかりなのに、どなたか、留学生が読んでくださっているのでしょうね。

 大学別のドメインの集まり方が結構ユニークかもしれない(^^;) いくつかの大学については知り合いの先生もいるので、納得!! ですが。

ioPLAZA【アイ・オー・データ直販サイト】

2007/11/01

コンビニで「結構です」と答えると割り箸を付けてくる法則

 最近は、そこそこ自炊が板についてきた私であるが、それでも時々コンビニや総菜屋で買うことがあるのだか、その際に、特定の店を越えて共通する法則に気がつき出した。

 箸もスプーンも自前のがいつも洗われて家にあるのが当たり前になったから、レジでの

  「お箸(スプーン)はお入れになりますか?」

との問いに、必要ないことを示す意味で、

  「結構です」

と答えるのだが、

そうすると、かなりの確率で、若い店員さんは、割り箸を入れようとするのである!!

 どうも、「結構です」が、「必要ありません」ではなくて、「入れてくれてかまわない」、あるいは、「結構なことですね」という意味に理解されてしまう場合があるようである。

 同じようなケースで、

「大丈夫です」っていう言い方を、今度はお客さんの方がする場合もある。


 このあたり、読者の皆様、特異な例だと感じますか?


*****


 私は、言葉の意味は時代と共に変化するものという認識が強く、「言葉の乱れ」という言い方が基本的に嫌いである。しかし、仮にここで書いたケースがまだ一般的ではないとしても、若い人にも、年長者にも、言葉の用法に世代的ギャップが出ている場合について、早めに察知し、認識して、うまくコミュニケーションをとって欲しいとは思っている。

 フォーカシング的に言えば、人は、フェルトセンスにぴったりな言葉を使おうとする。そして、人の話を聴く時は、相手がその言葉に込めた意図を脈絡から察して、柔軟にコミュニケーションする力が大事と思う。これも、聴き手が場の状況と相手のそぶりから汲み取るために、自分のフェルトセンスを通して感受する「センス」の問題だと思う。

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