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2007年7月

2007/07/31

続・映画「ピアノの森」について。

 映画「ピアノの森」についての続きです。

 原作全巻(今出ている14巻まで)、一気に読み終わりました。

 

 その上で映画を判断してみると、エピソードの整理や曲の変更を含めて、1時間40分という、映画館の上映でこのラインを超えるかどうかでロードショーの収益の分かれ目になりまねない範囲の中で、原作を生かして、ほぼめいっぱいのことを表現し尽くせたと判断していいと思う。

 修平君のお父さんを写真としてしか登場させず、ばっさり切ったのも、やむを得ない割り切りだと思う。森の端の表現についても、夏休み映画として、小学生が団体さんで見に来ることまで考えれば、あれが目一杯かもしれない。亜里砂を出していないもの、同じような割り切りとしてやむなしだろうか。

 ピアノについては、前の記事で書いた、コンクールでの海の演奏にパンチが欠けるという点を除いては、文句なし!!「子犬のワルツ」をうまく弾けなかった時点での海の演奏も、原作だけではわからない域まで具体的に形にしてくれたと思う。

 サントラ盤の演奏も、篠原敬介さん作曲BGMのチェコ・フィル/プラハ・ドヴォルザークホールでの演奏は、響きがたいへん美しく、文句なし。コンサートのシーンでは、海=アシュケナージさんの演奏、映画ではエコーをかけすぎて損をしたところもある気もする。他のシーンでは文句なしと感じるし。

 ほんとうにアシュケナージさんが宗介や海のピアノに適任だったかどうかは微妙とも思うけど、アシュケナージさんがN響監督という関係もあり、日本滞在期間を有効に生かせるという意味では、贅沢な、普通なかなかできない協力者としての人選だと思う。続編を作って、ショパンコンクールへと話が展開することになれば、アシュケナージさんは更に生きると思う。

「バラード集」「24の前奏曲」にいてはアシュケナージさんの(いずれも旧盤です)が今でも一番好きである。

 しかし、続編となると、修平のお父さんやらセロー先生やら、ショパン・コンクールのライバルやら、いろんなピアニストの演奏が目白押しになってしまい、それをどう処理していくかが問題となる気もする。


****


 原作14巻まで読む限り、誉子と冴の関係がどこで絡むか興味深い。誉子は現段階では海にパーペキ片思いなので分が悪いかな。でも海って、ふたりをあっさり見捨てて遠くに行ってしまいかねないキャラという気もする。(連載のその後読んでないので、勝手に書きます(^^;)

 いずれにしても、音楽ものの原作としては、90%以上、その可能性を実現できた映画だと考えたい。

南の島 (今日のテーマ)

BlogPet 今日のテーマ 南の島
「南の島に行ったことはありますか? おすすめの島を教えてください。」

奄美大島と徳之島と沖縄本島とハワイです。

 

 

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......お前も時々妙に深いことをいうなあ、「あゆさま」。

2007/07/30

丑の日 (今日のテーマ)

BlogPet 今日のテーマ 丑の日
「今日は土用の丑の日ですが、あなたは鰻を食べましたか?」

あ、そうか!!と思い出す、こういちろうであった。

(今年はまだ食べてない)

 

でも先日、伊勢エビ本場で食べたばかりだし..... 

2007/07/29

大停電が開けたら、野党が大勝利していた。

 ここまで盛大にが鳴りまくり、暗闇よりも稲光りが光っている時間の方が長いのはかなり珍しい域だった。約3時間の停電というのも、相当久しぶりな経験(新潟の被災者皆様との比較はできないが)。マンションのせいか、電話も水道も止まった。とてもその渦中に自宅に帰れそうもなかった。

 今も増水した対岸の笠間町の方では大きなマンションに明かりが灯っていない。

 ワンセグチューナーは家に置いてきてしまったので、こちらはいつも携帯している、防災用ラジオ兼ランプ兼携帯充電器(東芝 TY-JR10)を回しなから、選挙速報と気象情報(NHKなら交代交代ににやってくれる)を、これまた常備しているろうそくの明かりの下で聴いて過ごした。

 投票所で、「あれ、意外と少ないの」と感じたのだが、投票率が意外と伸び悩んだ中でも、参議院の野党勢力は早々と、改選前議席とあわせて過半数を取った。

 参議院でのこととはいえ、このことの余波は安倍さんがどう言うつもりであろうと残るのではないか。それこそ半年以内に衆議院解散に追い込まれでもしたら、結果は見えているだろう。

 私的には、民主党が自民党を除くと突出した大政党である構造がある限り、日本の政治はそんなには実態として変わらない気もするが。党を相互に割る政界再編成にでも展開しない限りは。
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参議院選挙 (今日のテーマ)

BlogPet 今日のテーマ 参議院選挙
「あなたは今日選挙に行きましたか?また、日本はどんな国になって欲しいと願いますか?」

行きます!!

 

国民が民主政治に主体的に、積極的に関与する国でしょうか。(自分がどれだけできているかは心もとないけど....)

 

先週の人気記事ベスト21!! (07/7/22-28)

 「カウンセラーこういちろうの雑記帳」週に一度の恒例、@NIFTYココログの、日曜日-土曜日の「週ごと先記事別アクセス解析機能を使っての、先週の記事アクセス「ベスト20」の発表、54回めです。

 固定リンクでのアクセス率の順位から集計しています。アクセス数が同じ場合には、訪問者実数上位の記事を上位とし,訪問者実数も同じ場合にのみ、同じ順位として掲載します。
 7×24時間、つまり7/28日(土)24:00の時点での集計です。

 それでは発表!!

 先週の一週間の総アクセス数、延べ2,885(前回3,205)。(一日平均アクセス412.14。前回457.86)。

 訪問者実数は、1,631名様(前回2,416名様)。

 今週は、2回も長時間のメンテが入った上に、不測の四日市足止めデーを含むことを考えれば、よくこれだけおいでいただいたことに感謝!!というべきでしょう。

 「時かけ」テレビ放映と「ピアノの森」、そして奥華子さんのDVD発売が助けてくれたという印象。


 「トップページへの外部からのアクセス」、前回712(36.9%)に対して、今回562(37.0%)
 「サイト内移動」、前回694(36.0%)に対して今回479(31.6%)


 当ブログの「一限さんでない率(リピーター率)」、これは同じ人が一度に「何ページ」記事をお読みになったかと無関係な訪問者「実数」比に基づくもののようですが、5回連続7.6%から7.5%に低下。

 「訪問周期」は、毎日おいでになる「完璧常連様」が、前回9様から6名様に低下。

 前回のような、アクセス急増のあとは、こういう結果が出やすいのですが。

 それでは記事別ランキングの方の発表!!


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1.「2007年7月」のバックナンバー (↑)4週連続

2.欝とは、自分が無理をしていることを認識できなくなる時期にすでに始まっている(↓)49週連続

3.ここ数年観た「映画」の最高傑作 -時をかける少女- COME BACK!!

4.「ケーススーパーバイズ」とは何だろう ~入門編~ (↑) 16週連続

5.「つまみ食いでも効果絶大である」(神田橋條治) NEW!

6.奥華子の"TIME NOTE" (↑)

7.アニメ「ピアノの森」について NEW!

8.「クライエントなんだから、話題を探して話し続けねばならない」? NEW!

9.「カウンセリング」と「身の上相談」の違い (↓)10週連続

10.奥華子 2007 春コンサート -TIME NOTE- NEW!

11.Vistaで、Windows版iTunesのインストールやアップグレードができない人のためのヒント COME BACK!!

12.「共感的に」人の話を聴くとは?(入門編) COME BACK!!

13.「クライエント中心療法」へのカテゴリー・バックアップ NEW!

14.カウンセラーが、「これを訊いたらクライエントさんを傷つけるのではないか」と感じる瞬間 COME BACK!!

15.再び、「訊(き)く」こと。 COME BACK!!

16.唐突で突然の夏休み NEW!

17.「訊(き)くこと」への注釈 COME BACK!!

17.理解「しようとする」と、理解に「近づけない」場合がある COME BACK!!

19.気持ちは副詞にだって宿っている (↓)

20.関係の中での「感じ」 COME BACK!!

20.「わかった」とも「わからない」とも安易に言わないことに耐えられること COME BACK!!


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 17位と20位は、延べアクセス数、訪問者実数が共に同じのため、複数あります。その結果、今週はランキング入りが21となります。

 前回の「ベスト20」は、43位です。


前回、

と書きましたが、その通りになりました。ayu様記事、ランキングから1掃!! (^^;) 新アルバムについては、まだイメージがまとまらない。特に"fated"の方。映画「怪談」観てからになるかも。

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 これを書いている「今、この瞬間」(7/28 PM 0:50)までの当ブログ文章記事の延べ総アクセス数は、184983、プロフィールとフォトアルバムを含めると210330、ブログの通算記事数はこの記事で1034本めです。

 今後とも、「カウンセラーこういちろうの雑記帳」を、よろしくご贔屓(ひいき)に、お願い申し上げます。

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2007/07/28

参院選、期日前投票、1000万人!?

●参院選:期日前投票、27日で882万人 前回総数上回る(msn=毎日)

 今は「不在者投票」って言わないんですね。当日「不在」でもない人がこの制度を使うのに後ろめたさを感じたら、いよいよ投票率が減るわけで(当日投票しない理由を突っ込まれることは以前からなかったのですが)

 臨床心理士国家資格化のためには、与党政権が変わると一から出直しになるのですが(^^;)、ともかく国民が政治に無関心な間に、どさくさにまぎれていろんな事態が生じてきているのは確かで、どんな形にせよ、国民が自分の意志を投票することは大事と思います。

 私も明日、仕事前に投票所に向かいます。

アニメ版「時をかける少女」は、「タイムトラベル」ものというより、「パラレルワールド」ものかも?

 アニメ「時をかける少女」について補足。

 この映画では、未来人、ケン・ソゴル君(....といういい方はスラスラ出てくる世代なのだ)によって、最終的に彼が来ていた時期のヒロインの記憶が消去されてしまわない。この点がこの映画に不満な皆様もおられるみたいですね。

 歴代 「時をかける少女」のそういう意味での「切ない」側面に愛着がある人の気持ちもわかるんだけど、私の場合、タイムリープ中に彼女が体験したことを、彼が去った後も、彼女がみんな覚えているとした点にこそ、むしろこの作品の確信犯的ポリシーがある気がする。

 自分の意識的、あるいは無意識のうちに決断した一つ一つの行為が、思わぬ方向で、他者を、そして自分を、不幸にしてしまう。一つ一つの、好都合に思えたり、良かれと思ってやった決断が、自分が意図した結果を招き寄せることは滅多にない。不測の事態を再生産し続けるだけ。

 いわばその体験的シミュレーションの機会としてのタイムリープであり、パラレルワールド体験といえるように思える。

 自分が突然の告白を受けた後で、タイムリープしてそれを「なし」にしようとした結果、自分だけではなくて、周囲のみんなを巻き込む事態が連鎖反応的に生じ、結局そうしたすべてに後悔するしかなくなる。(このへんの、息をもつかせぬタイムリープの反復を、めくるめく爆笑の急展開として描いていった果てに、それが凄くシリアスな問題を引き起こすあたりの、作劇上の「ゆさぶり」のうまさ。

 結果として、主人公は、「今」という時のかけがえのなさにめざめる。

 過去の教訓から学ぼうとすることは大事だが、「もしあの時ああしていれば、こうはならずに済んだのに」という発想法にしがみついて、現状を嘆くだけになるのなら、それは幻想なのだと思う。

  ほんとうは、もっと数々の、無数の「もし」があるのだろうし。
  今、この瞬間にも。

 それが新たな不測の事態を引き起こすことを覚悟しながら、一つ一つの決断をして生きていくしかないわけで。


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 タイムリープが、残り度数表示なとどいう形になっているのも、現実社会では、人より便利なことをすればその分出費が伴っているという経済原則の暗喩ともうけとれる。まるでクレジットカードやプリペイドカードみたいなもので。あぶく銭身につかず(^^;)

 こういうあたりに、アニメ製作者の思い切った創意を感じるのです。

TIME NOTE [DVD付初回限定盤] / 奥華子 エンディング「ガーネット」を収録した、奥華子の2rdアルバム。

"奥華子 2007春コンサート ~TIME NOTE~ at 渋谷C.C.Lemonホール" (DVD ポニー・キャニオン PCBP-51902)

ピアノ (今日のテーマ)

BlogPet 今日のテーマ ピアノ
「子供の頃、ピアノを習ったことがありますか?また、ピアノで弾いたことのある曲は何ですか?」
(Sponsored by 映画「ピアノの森」7月21日全国ロードショー

幼稚園時代にヤマハの「エレクトーン」教室には通っていました。そうした中で印象深かった、「かわいそうなこねこ」というタイトルの曲が、シューマンの「子供のためのアルバム」(「子供の情景」ではなくて、誰でも絶対聴いたことがある「楽しい農夫」が収録されている)の一曲、「最初の喪失」と知るのは大人になってシューマンなら何でも聴くモードになってからの巡り会いでした。

 

 恐らく私が弾いた一番高度な曲は、モーツァルトの「そり遊び」止まりだと思います(^^)

 

 あとはひたすら、後年の「耳年増」です。

 

2007/07/27

アニメ「ピアノの森」について(第4版)

 さて、お約束の「ピアノの森」でっす。

●以下、核心にまでは迫らないけど、そこそこネタバレ注意!!●

 念のために言いますと、一色まことさんの原作、連載開始時からの評判の高さは知っていましたが、モーニングでの連載再開直後の数回だけしか実際には読んでいません。

 私は、アニメに限らず、原作ものの映画は、映画として自立しておもしろいかどうかを重視することにしています。その上で、原作の持ち味で映画に生かせたかもしれない部分を想定するという思考法を取ることが多い。それこそ、「ナウシカ」にしたところで、原作に思い入れがある人は、当初いろいろ不満がある人が多かった、という現実があるわけで。 

 そこで、映画を観た後で、原作のおおよそのストーリーの流れや原作時に演奏されたとされている曲名は掌握し(私がこれまで聴いたこともないクラシックのピアノ曲が出てくる心配はまずない域のクラシックファンですから)、ネットのあちこちでの評価も読んだ上で書いています。さすがに原作を実際に読んでから(5巻までのストーリーに当たるそうで)というのでは、up to dateでなくなりますから。これから原作も注文して、それを読んだ上での感想も後で書きます

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 まず、ストーリーとしての「一本の独立した作品」としてのまとまりという点では、平均以上だろう。ただ、アニメ「時をかける少女」オリジナル作品としての魅力よりは、やや「穏健」な印象。アニメ「時かけ」は、私の世代のようにNHK「タイム・トラベラー」と原田知世の大林宣彦監督作品映画のどちらにも思い入れがある世代でも、それらや原作とどう違うかなど、この際どうでもいいやと感じさせる、ある意味では「過去の映像化なんて知らないよ!、原作はアイデアの素材なのだ」とまで開き直れる。「自立したオリジナル劇場映画作品」として十分堪能だけの"something"あった。私の「アニメ「時かけ」評はこちら

 その意味では、「ピアノの森」の場合、原作を知らなくても十分楽しめる域とは思うが、"something"はどうだろう? きっと、(私はほんの一部分しか読んだことないのに、過去の類似の経験から想像して言うと、)少なくとも原作ファンの「熱狂的ファン層」はいろいろ言いたくなるだろうと想定できた。.

*****

 修平が森ではじめて耳にする海(かい)のオリジナルの曲が、もろ、ドビュッシーもどきの曲(ひどい!! と別サイトでいわれちゃったけど、これ、褒めてるつもりです.....浅い次元ではない完成度!!)。確かこれは、この映画のためにアシュケナージが弾いた演奏だが、深みのある音色でなかなか聴かせる。「もどき」曲としては実に良くできた曲だと思うが、原作ファンにとってはこれではイメージが違う人もいるかな

(追記:原作第1巻今読了。CDも到着。映画でのオリジナル曲は期待を裏切らない、ベストの水準と認定!! ここでのアシュケナージさんの演奏は素晴らしいと思う)

 全体のキーになる曲を、モーツアルトのK.310,イ短調ソナタ(以前は第8番とされていたが、最近は第9番としている場合ものあるので要注意!!)にしたのは、これはこれでいいのではないかと思う。(調べたところ、原作では別のシーンで出てきたそうで)。クラシックを聞き慣れない人でも、このソナタは、はじめて聴いても多くの人にインパクトがある、「後をひく」曲だと感じさせるだろう。一見シンプルな曲なのに、そこにここまで一聴してデモーニッシュ(悪魔的)な深みを感じさせる曲はそう滅多にないと思う。主人公の海が、第3楽章について、「1回で聴いて覚えた」というのは、すごく自然に(?)理解できる。演奏の天才が作曲の天才に触発されるというのには、いかにもと思わされる、「強い曲」なのだ。

 有名な「トルコ行進曲」付,K.331ではピンと来にくいモーツァルトの「意外な」魅力に気づかされ、この曲なら原曲全体を聴いてみたいという気になりやすい。個人的にも、モーツアルトのビアノソナタの中で、いや、ピアノ作品全体と観ても普段から一番繰り返して聴く曲のひとつ。だから、映画を通しても、出てくるシーン1回1回の演奏の質の違いが私には受け止めやすく、そういう点で、この映画は演奏そのものにまで、作中の登場人物の個々のシーンでの心情が「演出」されているのはわかる。監督さんはクラシックになじみのない人だったらしいけど、音のスタッフにそういう点を考慮できる人がちゃんといたのだと思う。

 私はシフ盤やタッキーノ盤(どちらも現在アマゾンでも楽天でも入手無理)になじんでいますけどMaria Jo?o Pires - Mozart: Piano Sonatas K. 310, 333 & 545 - Piano Sonata No. 8 in A Minor, K. 310: III. Prestoではピリス盤ということで(.....あれこれ試して、やっと検索できた!!)。この「映画の」空気に一致するのはこの演奏が一番かなと思います。清廉だけどテンションが高い。ピリス自体がボーイッシュなところがある人だし(少なくとも録音した頃は)。

 この曲ではクールド盤もおもしろい。

 ともかく、モーツァルトのソナタの時のクールドくらい、「何なんだ?!」と感じる演奏は滅多にないだろう。このイ短調ソナタの場合も、「冒頭の音」からして異色な扱いです。ピアニストが自分の音の世界をとことん一貫するという意味では、「ピアノの森」精神に通じる演奏家も。クラシックの曲がみんな同じに演奏に聴こえる人には、このアルバム全体がお薦めです。

 原作のK.280,ヘ長調ソナタは、これに比べると独特の深みこそあるけど、その深みとは、かなり「通好み」の陰影だと思う。これを機会に聴きなおしてみたけど、上述のクールド盤(この曲も同じCDに収録)は、この作品の陰影のダイナミズムをくっきりと聴かせるという意味で、この曲をはじめて聴くのにもベストかも知れない。

 ライバル、"ウェンディーッ!!" 誉子のコンクール課題曲をバッハのイタリア協奏曲の終楽章にしたのは、原作ではどうだったかかはわからないまま書いてるけど、私はよかったと思う。バッハの鍵盤曲の中では一番ゴージャスな聴き映えがする曲だし、誉子の代りに実際に演奏している若手の人のも、スピーディーで音の粒のそろった、いかにも若手らしい演奏だし。私はピアノではクルダ盤を愛聴してます。


曽根麻矢子 - バッハ: イタリア協奏曲, フランス風序曲 - イタリア協奏曲 ヘ長調 BWV971 Prestoでは敢えて、本来のチェンバロでの曽根麻矢子さんの演奏
にしておこう。

*****

 「イタリア協奏曲」ついでにいうと、結構「専門家的に」喜んで笑ったのは、海が誉子に緊張解消法として提示したやり方(あれって、原作では、別のシーンでもともとは阿字野 壮介センセーが海に暗示したやり方らしいですね)って、フォーカシングの世界では、メアリー・マクガイアが論文で書いている技法を思い出させる部分があって。大学院時代に個人的に全文訳出したことがある。

 私はそこで、原文の"solid place"「確かな居場所」と訳したけど、実は、まあ映画で描かれたような場所を思い浮かべることです。まさに、「そんな場所や記憶はない」という人に、「それでも、日常のさりげない場面で、どこかあるのでは?」と、うまく水を向けると、まさに「ああいう場所」でだけはほっとしている自分がいるうことを思い出したりするのである。

 そういう、さりげなさと「意外性」のある現実場面が浮かぶことに意味があるのです。

*****

 一色さんの「出直しといで!」やいくつかの短編は全部連載当時に読んでますけど、彼女の作風って、泥臭い場面ではむっちゃくっちゃ泥臭い、破天荒、そして結構シビア、という特性がありと思うんだけど、その点でいうと、きっと「大人しい」と思う人があると思います。かーちゃんの勤める歓楽街のシーンありますけど、かーちゃんが、さりげなく、金回りが良さそうな怖いおにーさんと一緒にいるあたりで、彼女がどんなきわどい生き方してるか暗示してますけど(初代「ガンダム」で、アムロの再会したおかーさんが男連れなのをさりげなく描いていたのを思い出す「本放送世代」だが,,,,)、原作では遙かにきわどい描写を重ねていることは容易に想像がつく。小学生とかも観ることを考えての限界でもあるのだろうけど。

 ラストのコンクール予選シーンでの、海の暴走に関しては、私はあのアドリブ程度では納得しないぞ。ルール違反やるなら、私も当然予選通過させない!といたくなる。原作との比較をしなくてもね。よほど、誉子や修平の演奏シーンの方が、コンクールで勝ち残るのは、いかにもこういう演奏だろう(いい意味でです)、と納得できてしまう気はする。全部アシュケナージさんが弾いてはならないのだ!!

 私がこの映画から勝手に想定すると、阿字野センセーのピアノは、Emil Gilels, Kurt Masur & State Symphony Orchestra - Beethoven: Piano Concertos Nos. 1, 2 - Concerto for Piano and Orchestra No. 1 In C Major, Op. 15: III Rondo (Allegro Scherzando)エミール・ギレリスばりの、外面的ではないが、構築的でしかも奔放でsolidなテクニシャンのイメージになる。アシュケナージさんとはかなり異質の(^^;)

(上記のギレリスのライブは、以前から紹介しようと思っていた、高校時代にFMでエアチェックして以来、「隠れた」名演と思っていたのだが、なぜこういうのはiTunesで日本でも買えるのだ???)

 でも、全体としてのまとまりには破綻がないし、登場人物の心境の動きもまったく自然には描かれていて、1時間40分で描くのにはちょうどぴったりのサイズにまとまっていて、一本の劇場作品として、十分良作と感じた。演奏の質を含めて暫定★★★★。

 声優さんにも海役の上戸彩さん含めて、私は違和感がないです。「時かけ」の方が、露骨に下手な人がいた気がする。あと、ピアノ演奏シーンは、ホントに画面と音が自然に一致していた。アシュケナージさんの演奏をビデオで撮って、手書きで動画を起こしたといパンフにはある。

 あと、動画はしっかり細やかに作ってるけど、原作の一色さんの描線のつややかな美しさを感じる側面の再現は、どうなんだろう???? 先ほど書いた、「泥臭さ」との落差あっての美しさという点では、十分に表現されているのか???

 でも、この記事の最初に掲示している「サントラ盤」(ホントのサントラ盤は「これ」です!!)、この記事書くのに届くの間に合わなくて、まだ未聴だけど、映画館でも「聴く」上でベストのポジションで観てますから(^^)、最良のこのサントラCDが独立したアルバムとして高水準なのは、まず間違いないでしょう。

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 これ以上は、原作の少なくとも5巻までは読んでから、書きましょう。

......あと、「時かけ」について、私なりに追加したいことがあるけど、別の機会に。

映画 (今日のテーマ)

BlogPet 今日のテーマ 映画
「この夏の映画は話題作が多いですが、見に行きたい(行った)ものはありますか?」

「ピアノの森」は、記事で書いたように、観ました。

 

 あとは、どうしようかと思ってます。とりあえず、「怪談」「トランスフォーマー」「ハリー・ポッター(ここまでのシリーズ、DVDでは観ているが、封切りのときに劇場で観てはいない)」というあたりが候補。

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 そうなの。懐具合と考え合わせると、迷いますよね。

2007/07/25

唐突で突然の夏休み

 今日は、明日のフォーカシングの研修会のために,恒例、四日市に来ています。


 実は、昨日も四日市に来ていました(^^;;;;;)

 
 .......................出発の日を間違えたのです!!


 そのことに、昨日の深夜、ホテルで布団に入ってから、「あれ? 時計の日付と曜日がおかしい。どうして今日は火曜なんだ?????」と思って気がつきました(^^;)私の今使っている腕時計は、衛星電波で常時調整するタイプなので、ずれるはずもなく。

 幸いと言うか、経営的には不幸にしてと言いますか、予約のクライエントさんがない日だったので助かりました。.....というか、ないからこそ、その空白を私の脳が省略してしまったのでしょう(^^;;;)

 でも、ひょっとしたら、昨日から今日にかけて申し込みやお問い合わせの皆様にご迷惑をおかけしたかもしれません。謹んでお詫び申し上げます。

 本当は昨日のうちにこの件をこのブログでも告知したかったのですが、回線をつないだその時には、このブログは長時間のメンテナンスに入っていたので、職場サイトで公示している「予約空き時間/休室日の告知の方にだけ、昨日深夜のうちに、「臨時休業」の表示をさせていただきました。

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 そういえば、ホテルのフロントの人に、予約の旨を告げると、怪訝な表情をしたあと、「ああ、25日の方ですね」と言って(私は昨日をその時点ではまだ「25日」と思い込んでいるわけで.....)といいつつ、チェックインはしてくれた時に感じた言葉にならない微かな違和感はこれだったんだ!!.....と。

 フロントの人も、幸い今晩の予約は取り消していなかったので、翌朝、部屋は変わるけれども、再チェックインというかたちでの連泊は問題なく出来たのですが、これで面接1回ぶんの収入が予定外に飛ぶことになりました.......

 私は、予約が全然ないまま一日職場で過ごす独特のストレス(自営業の方はわかりますよね)に比べたら、この予定外の四日市での「一日休暇」は、気持ちを切り替えよと言う神様のおぼしましとして前向きに活かそうではないか、とキモチを切り替えることにしました。その結果、劇場アニメ「ピアノの森」を観て、志摩の英虞湾で遊覧船に乗って、鳥羽の水族館に行って、伊勢エビを食べて帰って来たらこの時間です。

 伊勢神宮には、今から35年前に、家族旅行で参拝していたので、近鉄を賢島まで乗っていないのが四半世紀におよぶ心残りだったのでありまする。ちなみに帰りは鳥羽から快速「みえ」で四日市に戻ってます。たった二両編成のディーゼルが、近鉄特急と並走して時には勝つスピードですっ飛ばすのですが(ああ、また鉄ちゃんの血が........)

 名古屋から四日市というのは結構距離があり,「伊勢の国」には入っていて、1時間半で賢島にはたどり着けるのですが。開き直っての出費です(^^;;;)

 平日ですが、さすがにシーズンですね、カップルと、先生に引率された小学生の集団に囲まれて、アシカショーも観て参りました(^^;)

 「ピアノの森」については、あしたの深夜以降に、大船に戻って書くとして。

 取りあえずは、一発吠えてもらいます(^^)

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2007/07/24

不安と欝は似て非なるもの

 本当にになると、不安になる気力もなくなることがあります(^^;)

ぬいぐるみ (今日のテーマ)

BlogPet 今日のテーマ ぬいぐるみ
「あなたはぬいぐるみやフィギュアが好きですか?また、お持ちの方はお気に入り のものを自慢してください。」

 け、決して好きじゃないやい!!・・・・・といいつつ、面接室のクライエントさんの目線に入る場所に、小さいけど、ayupan人形が3体も並んでいる....(^^;)

 

 若い頃、友人(男だよ、悪かったな!)に贈られた「うる星やつら」のキツネのぬいぐるみが、今も自宅に飾られています。

 

 そうそう、あと、相談室の守護神、カナダのトロントで買ったムース君の巨大な首のぬいぐるみが、相談室のシンボルみたいなものですね(^^)

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2007/07/23

「クライエントなんだから、話題を探して話し続けねばならない」?

 私のカウンセリングにおける信念のひとつは、「クライエントさんに、カウンセラーのためのサービスをさせてはならない」ということなんです。

 私もお金を払っての年単位のスーパーヴィジョンを受ける経験ばかりか、学生時代には、学生相談を受けるクライエントとして受けた経験もあります。そうした中で反省として思ったのが、「クライエントなんだから、話題を探して話し続けねばならない」という強迫観念に自分が縛られているようなところがあって、のべつ話し続けるものだから、逆に、容易に言葉にならない事柄だとか、本当に事態の深刻な側面は、カウンセラーに口にしていないことも少なくないということでした。そして、普段は相当悩んでいることでも、面接の場面になると、その深刻感が薄れ、結局なかなか話さないままになることがいっぱいあるということ。

 別に、カウンセラーに褒められようとする必要はないのですが(^^;)......でも、そうした経験から、一見熱心に話し続けているからといって、クライエントさんの日常の中での苦悶が彷彿と話題になっているとは限らない、ということを当たり前のように思うことが習い性になりました。

 この面接の中で、この人は、「クライエントさん役」を熱心に果たしてはいまいか?

 私はそれを「クライエント・モード」と呼びます(^^)

 一見、円滑に話が進む面接の中でも、そうしたことにふと注意を向けてみることを、私は忘れないようにしています。

 むしろ、面接場面の中で、長い沈黙ができるクライエントさんの方が、うまく進めると、深い次元での面接になるとあっさり思っています。「なぜ黙っているのですか?」とか、「今、どんな感じでおられたのかと」などとはそう簡単に声をかけない。最終的には状況次第で、けっこうあっさり何らかの「キュー出し」することもありますが、特に、面接回数初期にそういう沈黙があまり顕著になかった人が沈黙しはじめた時には、有意味な沈黙だとあっさり判断しています。

 面接場面は世間の常識とは異なるどんなことでも言っていいんだ」とまで開き直るクライエントさんは少ないと思っています。極端な要求に困らされるという経験は、私はカウンセリング場面ではほとんど体験しません。むしろ、この沈黙をどう有意義に生かそうか、という方向になる経験の方がずっと多いでしょう。

 むしろ日常場面でだと、相手に気を使って無理にでも話題を探すタイプの人に、沈黙していても安全な空間を堪能してもらうことは、意味があることと思っています。

 既にこのブログでも何回も書きましたけど、ウィニコットのいう「ひとりでいられる能力(ability to be alone)」という概念が、私には非常に興味深いと思っているところがあります。子供がおもちゃなどをいじりながら、ひとりでの空想の世界に遊んでいるその近くで、養育者が、別に声をかけるでもなく、家事などをしている状態です。しかし、これは相手のことに全く無関心というのとは違う。お母さんも子供の様子が少し変だと感じたら、すぐに反応できるだしょう。が、ウィニコットは、セックスを終えた直後の余韻に浸っている男女の関係なども例としてあげています。


 「ひとりでいられる能力」とは、単なる「自閉能力」ではなく、むしろひとつの「相互関係」についての逆説的な概念なんですね。

 こうした場合、言葉こそ交わさないものの、相手がそこにいることへの安心感が背後にあって、はじめて自分の世界に没頭していられるともいえるわけです。ひとりで部屋で孤独にいるのと全く異な状態だと言えます。恐らく、カウンセリング場面での深い内省も、この「ひとりでいられる能力」が発揮される中ではじめて可能です。それは単なる「クライエント・モード」を超える瞬間です。

 カウンセラーが、相手の沈黙に焦ったり緊張し過ぎることなく、受け止めていられること。それは、フォーカシング的にいえば、カウンセラーが、その沈黙の中での「居心地」=フェルトセンスに注意を向け、それを「認めてあげて(acknowledging)」、「一緒にいられる」ことと関連していると思います。これはカウンセラー内部の感覚というだけではなく、クライエントさんがどういう感じでいるのかについて「身になって」感じていく過程も両立している必要があると思いますが。

 以前も書きましたけど、若い頃、"OUT"の編集者の「Gさん」(懐かしい人もいたりして)が、

 「何もせずに一緒にぼーっとしているだけで幸せ、と思えるのが一番深い関係。でもこれは恋愛関係がすごく深まらないと無理だな」

みたいなコメントをしていたのが、妙に印象に残り続けています。

ただ今ココログ、メンテ中でアクセス解析止まってます

今日の深夜24時ごろまで続く予定。

BlogPetの方のアクセス解析援用すると、今現在、182707ぐらいのはずです。

パソコン (今日のテーマ)

BlogPet 今日のテーマ パソコン
「あなたはパソコンを何台持っていますか?」
今稼働しているのは、自宅と職場のWinVista各1台。ラップトップのiBOOK(OS X Tiger)1台。ZERO3もパソコンと考えればもう一台でっす。

2007/07/22

「つまみ食いでも効果絶大である」(神田橋條治)

 技法としてフォーカシングを教える際と、カウンセリング現場で柔軟に適用する場合のスタンスの違いについて書いたmこの記事の補足です。

 前の記事で、


 技法としてのフォーカシングを教える場合には、「フォーマットと、その体験的な意味を身につけ、学んでもらう」という側面を重視せざるを得ません。ですから、ある程度公式的な段取りをくっきりと使うことにも配慮すべきということにもなります。

.....と書きましたが。

 教示やレスポンスのしかたの「公式」について学んでもらい、その体験的意味について深いところまで実感してもらえることは大事です。しかし、そのことだけを前面に出し過ぎると、トレーニングを受ける人自身が、自分に取って「それなりに」役立っているという実感を持つ形で、フォーカシングに関心を持ち、自分なりに深めていこうという気持ちを 掻き立てる形になりにくい気もします。

 はっきりいいますが、フォーカシングがうまく進まない、効果があるという実感がないのは、フォーカサーとして自分のフォーカシングの修行が足りないからだ、というふうに萎縮されてしまうことは百害あって一利なしです。自分なりに、体験的に「ああ、これは新鮮ないい体験だった」と感じられるやり方からつまみ食いしてもらって、徐々に広げていくのでいいのですね。

 この「つまみ食い」というのは、私も分担執筆させていただいた、「フォーカシング事始め」への神田橋先生の書評に出てくる一言ですが。


 ですから、トレーナーは、学習者に対して、特に最初の頃は、かなりの程度丁寧にサポートして、いい体験をできるように、懇切丁寧に、臨機応変に「補助」する度合いが高くてもいい。体操や鉄棒の「補助者」みたいなものですね。

 例えば、Mov.5の、、「フェルトセンスに問いかける」askingの教示というのは、教条的にやるとなかなか伝われないものです。「この感じの核心とはなんだろう?」となると、逆に頭で考えてしまう人は結構います。

 アンがaskingをオプショナルとみなしたのも当然といいますが、時には気がかりな事柄の整理をする(Mov.1)だけでも大きな身体全体の大きな解放になる人もいます。Mov.1を飛ばして、身体全体の曖昧な感じを味わえる(mov.2)だけで気づきになる人もいる。感じられた感じそのものとは別個の存在としての「感じる自分」を体験する=脱同一化(disidentification)だけでシフトしてしまう人もいれば、ぴったりのハンドルを見つけた(mov3-4)途端に大シフトという人もいる。

 私の考えでは、askingまで必要なセッションが、フォーカサーとしても、ガイド/リスナーとしてもむやみに多い人は、そこまでのプロセスを本当にじっくりと無理のない形でできていない場合が多いかと思います。現実には。

 フォーカシングの6つの動き(mov.)は「手順」ではなく、セッションのどの場面でも臨機応変に役立てられてこそ自然な状態です。

 フェルトセンスにぴったりな具体的なハンドルなしで、ずっと「この感じ」で進める方がうまくいくこともあります。敢えて言えば、フォーカスを絞らないままの方が円滑なこともある。実は、それこそ、「言葉ではうまく表現できない、『この』感じ」でも、実はフェルトセンスをつなぎ止めるためには十分な手がかり=handleなんですが。

 要するに、公式的なフォーマットにピント来ないうちは飛ばしてもいいのです。私が、ジェンドリンがやっているとおりの教示の例を、自分のためにも、セッションでのフォーカサーのためにも皆使いこなせるようになるのには、10年以上かかっています。私は、自分がフォーカサーとして自己教示する際に役立つという実感がまだない教示は、決して他人にも提案しませんでしたから。

 フォーカシング・セッションにおける、ガイド/リスナー側の、自分のフェルトセンスとの関わりが果たす役割という領域は、まだまだ研究が不十分な領域だと感じています。

先週の人気記事ベスト20  1周年!! (07/7/15-21)

 「カウンセラーこういちろうの雑記帳」週に一度の恒例、@NIFTYココログの、日曜日-土曜日の「週ごと先記事別アクセス解析機能を使っての、先週の記事アクセス「ベスト20」の発表、53回めです。

今回で、「ベスト20」の連載を始めてちょうど一周年です(^^)!!

 意識的に掲載を2,3日遅らせた週もありましたけど、よく、しつこく続いてきたと思います(^^;)

 固定リンクでのアクセス率の順位から集計しています。アクセス数が同じ場合には、訪問者実数上位の記事を上位とし,訪問者実数も同じ場合にのみ、同じ順位として掲載します。
 7×24時間、つまり7/21日(土)24:00の時点での集計です。

 それでは発表!!

 先週の一週間の総アクセス数、延べ3,205(前回2,430)。(一日平均アクセス457.86。前回347.14)。過去最高記録更新です!!

 ayuさんのお別れ騒動、あと意外に効いていたのが、奥華子さん系なんです。ライブDVDの発売と「時かけ」テレビ放送が大きいのでしょうね。そして、カウンセリング系でも久々に新作ラッシュをやらかしましたし。


 訪問者実数は、2,416名様(前回1,828名様)。これも過去最高。ありがとうございます。


 「トップページへの外部からのアクセス」、前回521(37.3%)に対して、今回712(36.9%)
 「サイト内移動」、前回433(31.5%))に対して今回694(36.0%)


 当ブログの「一限さんでない率(リピーター率)」、これは同じ人が一度に「何ページ」記事をお読みになったかと無関係な訪問者「実数」比に基づくもののようですが、5回連続7.6%

 「訪問周期」は、毎日おいでになる「完璧常連様」は、こちらも前回8様から9名様に回復


 それでは記事別ランキングの方の発表!!


*********


1.欝とは、自分が無理をしていることを認識できなくなる時期にすでに始まっている(↑)48週連続

2.浜崎あゆみさん、お別れになりましたね。 (↑)

3.「2007年7月」のバックナンバー (↑)3週連続

4.気持ちは副詞にだって宿っている NEW!

5.ayuは別離を公表する結果生じる事態を、まるごと引き受けたい「から」公表したのでは? NEW!

6.「カウンセリング」と「身の上相談」の違い (↑)9週連続

7.浜崎あゆみ=イグアナ=人間社会に基本的に「なじめない」という苦悩 NEW!

8.Vistaで、Windows版iTunesのインストールやアップグレードができない人のためのヒント (↓) 4週連続

9.尽くすこと。ふたりでいる孤独。 NEW!

10.フォーマットを学んでもらうことと、実質的に体験過程を促進すること NEW!

11.スクープされる先手を取って、これでも「軟着陸」といえる「危機介入」? NEW!

12.河合隼雄先生ご逝去 NEW!

13."winding road".......ayu3番目の書き込み NEW!

14.奥華子の"TIME NOTE" COME BACK!!

15.「愛には色んな形ある」 NEW!

16.村瀬嘉代子先生語録 (↓)


17.「ケーススーパーバイズ」とは何だろう ~入門編~ (↑) 15週連続

18.解釈と理解について NEW!

19.「魔王」そして「流浪の民」はこういちろうの小中学時代の「定番」だった!! COME BACK!!

20.少なくとも NEW!


******

 前回の「ベスト20」は、何と78位です。

 新作ラッシュだったせいか、ランキングの入れ替わりが実に激しい週で、超常連だった某記事がついに圏外に去りました。

 でも、時事ネタが多いから、これらの中でベスト20に継続的に残る記事は一部でしょうね(^^;)

*****


 これを書いている「今、この瞬間」(7/14 PM 0:54)までの当ブログ文章記事の延べ総アクセス数は、182167、プロフィールとフォトアルバムを含めると207335、ブログの通算記事数はこの記事で1021本めです。25本も記事を書いたむやみに量産の週でした。


 今後とも、「カウンセラーこういちろうの雑記帳」を、よろしくご贔屓(ひいき)に、お願い申し上げます。

HMVジャパンApple Store(Japan) ボーズ・オンイヤーヘッドホン楽天トラベル株式会社セブンアンドワイ

サンドイッチ (今日のテーマ)

BlogPet 今日のテーマ サンドイッチ
「あなたはどんなサンドイッチが好きですか?」
サンドイッチは好きなんですけど、身体のためにおむすびのことが多いのです。敢えて言えば、あまりポテトサラダっっぽくない野菜サンドが好みです。

2007/07/21

奥華子 2007 春コンサート -TIME NOTE-

"奥華子 2007春コンサート ~TIME NOTE~ at 渋谷C.C.Lemonホール" (DVD ポニー・キャニオン PCBP-51902)


「♪サーフィンボード小脇にかかえ美女から美女へ♪」

........ではなくて(^^;)、

「キーボード小脇にかかえた吟遊詩人」

奥華子さんの今年4月の渋谷C.C.Lemonホール=旧 渋谷公会堂でのワンマンライブのDVD、フルコーラスで全17曲です。


 華ちゃんとの出会いは、ありがちな、アニメ版「時をかける少女」のエンディング("ガーネット")、その後でTIME NOTE [DVD付初回限定盤] / 奥華子2rdアルバムの"TIME NOTE"で無茶苦茶気に入って(記事はこちら)、それから1stの"やさしい花の咲く場所"にさかのぼり、更にインディーズ時代のアルバム全部を聴くという順序だった。

 そうした記事でも書いてきたけど、彼女の本領は、街頭ライヴで鍛えた「キーボード、あるいはピアノ弾き語り」に尽きていて、伴奏のパートがたいていの場合むしろ魅力を相殺してしまうくらいだ、ということである。

 今回のライブDVD、期待にたがわず、完全なソロコンサート。キーボードとピアノを曲によって引き分けるためにちょっと移動するだけ。曲によってはリズムボックスも自前で起動させるくらい。1st"やさしい花の咲く場所"の曲たちもすべて弾き語りバージョンで聴ける。

 思ったとおり、このシンプルなスタイルこそが、アルバム以上に彼女の本領発揮。最初のほうこそ、わずかな緊張もありましたけど、全体の3分の1ぐらい進んだ部分からは、表現も伸びやかになり、完全にCDアルバムを超えた絶妙のノリで、最後のアンコールまで歌いきってしまうのは、はっきりいって予想をかなり超えた水準。DVDの音声パートも音質良好。

 ここまでくれば、奥華子を知らない人に彼女の音楽性を伝えたいのなら、このDVDこそがベストのお勧めであると断言していい。

 少しずつSEが入る以外は、ほとんどクラシックのコンサートを思わせるシンプルなスタイルなんだけど、全17曲全く飽きが来ないで聴き惚れることができる。

 ともかく、メジャーデビュー後の華ちゃんの最良のすべてがここにあると断言していい、逸品である。

敢えて贅沢を言うと、「自由のカメ」(インディーズ時代の"vol.4""vol.best"に入ってます。このサイトで直販可)も視聴したかったかな?

 こうなると、ライブに行ってみたいものです、文句なく!!

 なお、このライブの映像の一部が、「公式に」Yahoo!動画で観れます。2007/8/16まで限定。

●奥華子公式サイト

ピアノの森 (今日のテーマ)

BlogPet 今日のテーマ ピアノの森
「マンガ『ピアノの森』を読んだことがありますか? 読んだことがある方は好きなエピソードや登場人物を教えてください。」
(Sponsored by 映画「ピアノの森」7月21日全国ロードショー

モーニングで連載が復活した時から数回分は読んだのですが。

 

いつかまとめて読みたいと考えている作品です。 

2007/07/20

フォーマットを学んでもらうことと、実質的に体験過程を促進すること

 「後輩カウンセラー」さんのコメントに更にお応えしてしまいましょう。以下は、この記事この記事の延長で読んでいただくと幸いです。

 技法としてのフォーカシングを教えるための個別セッションと、通常のカウンセリング場面で有効に活用することと、あるいは、フォーカシングをセラピー的に用いる場合とは、力点の置き方が違うところが出てくると思うのです。

 技法としてのフォーカシングを教える場合には、「フォーマットと、その体験的な意味を身につけ、学んでもらう」という側面を重視せざるを得ません。ですから、ある程度公式的な段取りくっきりと使うことにも配慮すべきということにもなります。

 もとより、そうした場合でも、教示の言葉をに、いつでも誰でも同じような言い方をしてしまうのはいかがなものかと思うのですよね。ところが、多くのガイドの方のセッションを見たり記録を読ませたりしていただくと、この点では一本調子であり過ぎると感じることが多い。それこそ「構造に拘束されて」いる(^^;)。ガイド(リスナー)自身が場のフェルトセンスを感じながら、その時のフォーカサーに「ピンと来やすい」形に、柔軟に伝え方を変えていくということがなされていない気がする。


*****


 例えば、フェルトセンスを感じてもらうために、

「では、それについて、あなたの身体に、『どんな感じでいるのかな』とじっくり問いかけてみて、身体からの返事を待ってあげてみるのはいかがでしょうか?」

.......などという教示、最初は意味がわからなくて当然なんですね。

 フォーカシング学習場面ですらそうなんですから、もしこれを、通常のカウンセリング場面の中でいきなり切り出されたら、クライエントさんを当惑させるだけでしょう。

 クライエントさんの側に、カウンセラーの言うことを理解してもらうために「努力を強いる」なんて、それこそクライエント・センタードではなくて、セラピスト・センタードといいますか。クライエントさんが、自身の感じつつあることの流れに寄り添うことをむしろ妨害する弊害の方が大きくなりかねないわけです。

 だから、今の例で言えば、

「その時の居心地、独特のものだったでしょうね」

などとだけ言葉を返して、あとはフォーカサー(クライエントさん)の反応を少し待ってみる姿勢を示す方が、結果的にしなやかな流れになると思うのです。

 相手の人は、ひょっとすると、フェルトセンスにじっくり触れる中から新鮮なびったりの言葉を紡ぎ出そうとする(体験過程尺度 stage 5から6)というところまではいかないかもしれないけど、少なくとも、その時の気持ちについて更に詳しく細やかに言語化しようとする、stage3から4ぐらいのことははじめる確率はかなりあるわけですね。


*****


 以前も書いたかと思いますが、ガイド役(リスナー)の人がフォーカサーに向ける言葉や態度全体が、ガイドの人が、二人のいる「場」全体を感じながら、フォーカサーの人の身になってみてもしっくりしそうに感じられ、「なおかつ」、ガイドの人自身のフェルトセンスにとってもしっくりと感じられる、新鮮な言語化や態度になる必要性があると思えるのです。単に型どおりのことを教示しようとすれば、ガイドの人自身のフェルトセンスが「違和感」を返してくるのは当たり前だと思うんです。

 フォーカシングに少しずつ身につき始めた人にとっては、教示というのが、お互いに共有できる「符丁化」あるいは「隠語化」し始めていると思うんです。「身体で感じてみて」といわれれば、それだけで「ああいうこと」を提案されているのだと、もう、理屈抜きに、フェルトセンスとして(爆)、その暗黙の全体が直感できるのですね。

 しかし、そういう「ツーといえばカー」的な世界の閉じた人間関係の中でのみフォーカシングを学んでいると、それよりはるかに広汎な人間社会では「通用しない」形でしかフォーカシングを身につけていないことになるかと思います。相手に理解してもらおうと思ったら、相手を「フォーカシング教団」というカルトに入信させねばならないのですね(皮肉が過ぎるかもしれませんが)。


*****


 更に言うと、教示というのは、それを受け取る側にとって、その教示の意図を「理解して」、自分自身に適用するという、結構面倒なプロセスを必要とすることになります。

ちょっと突飛な例かもしれませんが、

「今、道の向こうにいる、マクドナルドの看板の下に立っている人を見てください。あの人が私たちと、ここでおち会うことになっている、Aさんではないでしょうか?」

と言うくらいなら、

となりにいるBさんの方に目をやって、今度は道の向こうの方に視線を向け、そちらを指差しながら、

「あの人じゃない? 違う?」

と言う方が、よほど効率的に、Bさんに通じると思うのです。


******


 そうやって「さりげなく」体験過程に触れるレスポンスをしていくだけで、フォーカサーやクライエントさんに、そういう内面へのかかわりへの姿勢が、その後の日常世界でも持続する形で「身につく」のか? と思う読者もおられるかもしれません。

 しかし、それを言うなら、カウンセリング一般において、カウンセリング場面を離れても、あるいはカウンセリングを終結しても、カウンセリングで体験したことが、その後のその人の日常に影響を与え続けるって、何? と言いたくもなります。「何かを」「なんとなく」身体が覚えていて、身についていて、それが日常場面でも以前と違う自分の内面への関わりや他者との関わりにおいても「何となく」変化を引き起こし、影響を与え続け、現実の中で、そうした結果として生じることが微妙に変化し、正のオペラント強化因子となる、とでも説明するしかないかもしれません。

 そもそも、ガイドとしての技法においても、フォーカサーとしての技法においても、自分なりにパーソナライズしていく形で使い込まれないと、ほんとうに身につき、柔軟に日常の中で生かす形にならないはずです。

 そうやって、自分なりに「ものにした」ものこそが、実は他者にも「ピンときてもらいやすい」形で伝え得る資質ともなるともおもいます。

 そうした意味での柔軟性は、日本のフォーカシング界には、残念ながら、まだまだ欠けていると思うのですね。

 ある意味で、各人が、フォーカシングを自分なりに「おもちゃにする」姿勢が足りないとも言いたくなります。むしそ、そうした各人の営みの中からこそ、「普遍性、一般性」は、立ち現れてくるのだと思います。

 続きはこちら

パーソン・センタード・セラピー -フォーカシング指向の観点から- (バートン著 日笠摩子訳)

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一生のお願い (今日のテーマ)

BlogPet 今日のテーマ 一生のお願い
「一度だけ願いが叶うとしたら、あなたは何を願いますか?」

両親の健康と長寿!! 

2007/07/19

河合隼雄先生ご逝去

訃報:河合隼雄さん死去79歳 元文化庁長官(msn=毎日)

 脳梗塞でお倒れになったまま意識が戻らないでいることは、近い立場におられる先生からもつい先日うかがっていたのです。

 日本の心理臨床を広める上でのかけがえのないご活躍と業績に、改めて感謝申し上げます。

 天国で佐治先生や、我が師、村瀬孝雄先生と、これからじっくりと旧交を暖めていただきながら、まだまだおぼつかない私たちを、これからもずっと見守っていただければと思います。

私って.....

 福岡県出身の「文化人」????

 ........名前だけでも光栄ですけど。

 同じページの「歌手」欄には、当然、ayuさんが載ってるわけだし。

 何か、このように分類していただくにはショボ過ぎる存在だとつくづく思う(^^;;;)

 でも、あれだけ大勢の中だし。


 ..........どのサイトでのことかは、想像できる方は想像できるでしょうから......

気持ちは副詞にだって宿っている

 昨晩は、仕事を終えた後、都心に出て、久しぶりに、フォーカシングを学んでいる、ある後輩カウンセラーと飲んで、さっき帰りついたばかりなんですけど。あしたは定休日なので、ゆたっとしてます。

 フォーカシングにおいてガイド/リスナー側の体験過程の果たす役割とか、通常の面接場面でのフォーカシングの柔軟な活用とか、そういう硬い話題だけでむやみに盛り上がったのですが(^^;)、そこで思わず口をついて出た話題。

 以前も、「それって、どんな感じなのかな、ってじっくりと注意を向けてみましょう」式のむき出しの教示はできるだけ使わない方がいいのではないかということをここで書きました。そういう言い方って、いわゆるopen questionなんですけど、実は自分の気持ちや感覚についてopen Questionに答えるというのは、問われた側にかなりの負荷をかける状態なのだと思います。

 通常のカウンセリング場面を例にしますと、

 「.....そしたら、彼、『あのことはどうしたっけ?』って、また私にきいてくるんですよ。きのう言ったじゃない!.....て言いたくなって」

これって、体験過程尺度でいうとstage2、話者の気持ちについての具体的な言及はありませんから。

 こういう時に、「そのときあなたはどんな気持ちでしたか?」なんてカウンセラーが聞くのは少し野暮かもしれないと私は思います(^^)

 もし、一言だけ彼女の言葉で投げ返せといわれたら、


カウンセラー:<「また」?>


とだけ返すでしょうね。副詞にも人の気持ちは宿っているのです!!

すると、

「.....ええ、『また』なんです」

『また』なんだ>

「そう、『また』なんです......(沈黙)」


........みたいなやりとりが続くかもしれませんね。でも、これで彼女の気持ちを汲んだことにはなり、彼女はその時の心境を自分の中で改めてしばらく味わってから、再び語り出すかもしれません。


******


 別の方向としては、こういう時、無難で、ちょっと曖昧なところがある、彼女の「身になった」、気持ちを表す具体的な言葉を一つ投げ返す出すだけで十分なことがあるのですね。しかも、その際、相手の気持ちを言い当てることをねらうのではなく、むしろ相手にある程度修正してもらって、はじめて相手の気持ちにぴったりになるようなあたりの言葉を「差し出せる」のがコツ。 

例えば、

 「ムカついたの?」

すると、


「っていうか(ウン).......むかつくといえばムカつくなんだけど(ウン).......なんていうのかな、ええっと、むかつくというより、あきれたっていうか.......空しくなったというのに近いかも」


 この場合、「.......」の部分で、彼女はその時の自分の感じていたこと全体に触れ直して、味わい、自分の気持ちを表す言葉を再吟味しているわけですね。stage 5、立派なフォーカシングです!!

 これ、例えば女友達同士の会話で、「それってムカつくゥ」などと投げ返すのと似ているけど違います。

 一見、日常会話と同じくらいにしなやかな軽いやり取りのように見えて、カウンセラー側がさりげない配慮をした上で成立している、話を深めていくための、相互作用なんですね。

小学校の給食の牛乳 (今日のテーマ)

BlogPet 今日のテーマ 小学校の給食の牛乳
「小学校の給食の牛乳はどんな容器に入ってましたか? ビンですか、紙パックですか、それとも他ですか?」

私はまだ典型的なビンの時代ですね。1967-72が小学校だから。

 

中学校は弁当持参だったんだけど、牛乳だけはそれでも出て、ビンを洗って返す当番というのがあったと思います。

 

そのころの紙パック牛乳は、テトラパックという、三角形のものだけだったと思います。

2007/07/18

来談しているのが「クライエントさん」である 2

 以前同じようなタイトルの記事を書きましたが、少し違った観点から、ケーススーパーヴィジョンの時に、思ったこと(このネタ、もう、ayuと無関係だから、念のため)。

 例えば、親が鬱病みたいなので、ということで相談においでの方がいたとします。すでにその親は医療等適切な援助には一応つながっているんだけど、どう関わっていったらいいのか困っているので相談においでになった....としますね(こういう相談内容でのカウンセリングも、あり得るのです)。

 こうした時に、カウンセリングの内容が、その鬱病の親御さんの状態はどうであり、親御さんにとって、どういうあり方がふさわしいのか、という方向で、面接がどんどん進んでしまうことがあり得ます。

 こういう時、思い出すべきなのも、「来談しているのがクライエントさんである」という原則なんですね。

 つまり、カウンセラーは「鬱病の親を抱えて困っているクライエントさん」の相談をうけているのだということを忘れないこと。親ではなくて、相談に来た娘さんが主人公であり、親についての娘さんの悩みをきいているのだ、というスタンスを見失わないことです。

 「お父さんと関わる上でどういう時にあなたは困りますか?」

 「お父さんと関わっていて、あなたはどういう時に嫌になりますか?」

みたいな問いかけをしていくこと(少なくとも、そういう観点を抱きながらから話を聴いていくこと)も忘れてはならないのですね。

 さもないと、いつの間にか、その相談に来た娘さんを、いつの間にか、お父さんの治療者として関わる方向にのみより一層引きつけ、より一層悩ませる方向になる場合があるわけです。

 例えば、上記の問いかけに対して

「......お父さんのそういう話をきいていると、私なしではやって行けそうにもないような気がして、これからずっとお父さんの面倒を私がみなければならないのかな......という気になってしまうんです。母は亡くなってるし、結婚したお兄さんは全然面倒見る気がないし、そばにいるのは私だけになるんですよね」

 ここで一転して、話が、

「でも、実は最近彼氏ができたので、彼と会っている時は、お父さんのことを忘れて、気が紛れるんです」

という話になり、

「彼と結婚したら、お父さんのこと、どうしたらいいんだろう......」

という話がはじめて語り出されるかもしれないのです。

 こうなると、「鬱病のお父さんと、自分の恋愛との間で板挟みになっている娘さんの悩み

という側面が、一気にクローズアップされてくることになりますよね。いよいよ、悩みの主体は娘さん自身ということになります。

 面接場面に現れていない、第3者についての相談を来談された方から受ける時、その第3者をいかに援助すべきかについてのコンサルテーションも大事ですけど、その第3者について悩んで相談に来た人の全体を見失わないようにしないとならないわけです。

 精神分析的にいえば、父親と娘さんとの間の転移-逆転移的な相互作用が、今度は順送りに娘さんとカウンセラーの間の転移-逆転移的な相互作用にいつの間にかなってしまうだけに留まらないようにすることとも言えるかもしれません。

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"winding road".......ayu3番目の書き込み

ayuさんの第3の書き込みがTeam ayuサイトに昨晩出ましたね。

すでにmsnとかマスコミ系サイトでも流してますから引用しますけど、


私は誰に何を言われても、皆との約束は守りたかったんだ。
不器用でばか正直すぎる私でごめん。


わかったわかったわかったよぉ.....もう、いいってばさ!!

(......と、なぜか書きたくなった)

BGMは、この書き込みでご本人が歌詞引用した、
浜崎あゆみ - MY STORY - Winding Road"winding road"
ということで。

2007/07/17

フォーカシングと論理

 フォーカシングと論理(合理的思考)は相反するものではない。

 (自分の、あるいは他人による)ある論理的な説明を受け止めた後で、それが自分にしっくるくるかどうか実感に照合し、何が違和感をもたらすのかを探り出し、更にぴったりな論理的枠組みを考案したり、あるいは当初の論理を「修正」するなどにも貢献する。

 すぐにその時に結論が出なくても、しばらくその違和感を大事にするうちに、しっくりする答えが見つかることもある。それが当初違和感を覚えた考え方の、一見肯定・受容という形を取る場合ですら、当初とは、それを受け止める前提となる暗黙の枠組みが変化しているものである。

フォーカシングと行動すること

 以前にも紹介している、パートンの「パーソン・センタード・セラピー -フォーシング指向の観点から-」を読み返していて、思わず苦笑した部分。ジェンドリンの「フォーカシング指向心理療法」からの引用ですが、バートンの本で日笠さんが再訳している方の訳に拠ります(訳書p.108)

 非常に内省的な人はなかなか行動ステップに直接取り組もうとしない。彼らはそれを不自然なことだと思いこんでいる。自分の気持ちから直接出たやり方でなければ効果がないと信じている。難しい状況になると、彼らは、何か行動する代わりに、おなじみの内的葛藤を必死で探す。そして、まるで「ああ、これで一息つける。まだ内面に取り組むべき課題がある。これに取り組めばまだ行動に移らなくてもすむ」と言わんばかりである。しかし、行動面の一変化によって。からだ全体が代り、それまでもっとも欠落していた感情がもたらされることもあるのである。

 引き続いて、パートンは、クリスチアーナ・ブッヒャー(Christiane Bucher,2000)の、「私はなぜフォーカシングをやめたか、そしてそれから何が起きたか」と題した記事を引用している。

 行動は、私たちのフォーカシングの枠組みのどこに位置づければよいのであろう。ひとつの方法は、「そこのあるものすべては何だろうと探り、それがシフトし変化することで自分の問題の根源に気づき、それを抱えていることで自然に解消する」フォーカシングをするのをやめ、ただ内側のサインに耳を傾けて、この方法とあの方法のどちらがいいかを問いかけることだろう。行動指向的で生活指向的で、非心理学指向的なやり方である。私は生活上の課題をかなりよく理解している。古典的なフォーカシングは生活上の課題を邪魔することになりかねない。私は一時そういうふうになった。........私のからだはいつも「より大きな知」に敏感になっている。その内なる声を聞くことは私にとっては全く難しくなかった。それを信頼しそれに従って行動することの方がずっと難しい

 これに続く、パートンの言葉:

 フォーカシングは、「気持ち」という主観的な世界に引きこもって安らぐことではない。そのようにみなされるべきではない。そうではなく、自分の状況を感知するという実践である。自分が世界との相互作用の中で-----からだで-----どういうありかたをしているかに敏感でいるという実践なのである。

 確かに、自分の中に何か「違和感」があるとなかなか物事に取りかからない傾向が私にもあると思う。極論すると、自分のフェルトセンスがフォーカシングをすることを求めていないのにフォーカシングしようとしていることすらある自分にすら気がつく。フォーカシングをしていくことを途中でやめてしまい、何となくくつろいでいるだけで、自分がどこかで探し求めていた気持ちの安らぎや、行動開始への態勢だとかが、いつの間にか得られてしまうこともある。

 ただ、そうやってフォーカシングをいじくり回した挙げ句、「やっぱり今は動き出すしかない時だねえ」という心境に達することも多いのも確かである(^^)

 

解釈と理解について(第2版)

 人にとって大事なのは、自分が自分の心について(人の心について)下した特定の理解や解釈や感じ方の「束縛」から自由になっていく過程でしかない。「特定の」解釈というのは、それまで自分を縛っていたものから自由になるための「触媒」としてのみ、意味があると思っています。

 理解というのは、結局無限に前に進められる「プロセス」なんだと思うし。


******


 これ、恒例、王子のきつねさんサイトで書いたことだけど、端に今回のayuさん問題だけではなくて、より一般的な意味で思っていることです。

 およそ人間はある特定の「気持ち」や「意図」だけで動くことはありえないと思うし、ある特定の原理だけで事象を説明し、解析し切れるものでもない。

 かといって、それは単なる「主観の」問題だとか、「相対主義」という言い方で済ませるのもなじまないと思える。

 人は、「理解」の仕方を別のものにシフトさせることを通して、その人のとっては、世界(状況)そのものが別のものになってしまうし、実際に世界(状況)との関わり方は、いろんな意味で変わっていく。

 もとより、それに対して、他者は、それぞれ別の理解(解釈)をして返すであろうけれども。

 いずれにしても、すべての人が、自分の理解を「理解」して(受け入れて)くれることはありえないわけではあるし、そもそも自分の理解の仕方そのものを、人は絶えず再構成し、そのときの自分(それまでの自分)にぴったりのものへと絶えず手直ししていくしかないものだろう。自分のこころと身体が「機能する」方向へと。

 ある理解の仕方が提示された時に、自分にとってそれがどの程度しっくりするか、どの程度しっくりこないかをまさぐっていく中で、自分なりの、(行動面でも)更にしっくりくる受け止め方を見出していく.....という、果てしのないプロセスを、その段階でどこまでやる気があるのかどうかではないのだろうか。

 私も、こうしたこと全体を、これで十分しっくりくる形で言葉にしているわけではないのだが(^^)


******


 いずれにしても、私がここでayuについて書くことも、読む人のインスピレーションを刺激する「刺激剤」になればいいと思って書いているところもある。

 お読みになる皆さんが、私の書くことへの「違和感」があるのならば、その違和感を頼りに「あなた」なりにぴったりのayuについての捉え方を、更に見つけてもらえるのにお役に立てればいいと思っています。

漫画の日 (今日のテーマ)

BlogPet 今日のテーマ 漫画の日
「今日は漫画の日です。あなたが生まれて初めて読んだ漫画を教えてください。」

「生まれて初めて」までいくと覚えてない(^^;)

 

恐らく、幼年雑誌「めばえ」か「よいこ」に載ってたものでしょうから。

 

アニメならシンプルに、国産アニメ第一号、「鉄腕アトム」でしょう(もち、本放送)、恐らく。

 

あと、アメリカのなら、「ポパイ」以外にも「マイティ・ハーキュリー」ってあったでしょ?あのへんが記憶の彼方かな。「トムとジェリー」の方が後じゃないかしら?

 

 長編アニメは「西遊記」(今調べたら1960年だってェ??? じゃ、テレビ公開のときに見たんだろうね)が記憶的には一番古くて、「わんわん忠臣蔵」は、テーマソングがいつの間にか歌っていた愛唱歌でした。

 

 でも、内容的に言えば、「ジャングル大帝」あたりからが、私に強い印象を残しているアニメかな。

 

  漫画となると「いなかっぺ大将」や「男おいどん」あたりが子供時代のインパクト、強い。

 

 最初に自分でお金を出して買ったコミックの単行本は、嫌に遅くて、「銀河鉄道999」です。高校生でしょう。

2007/07/16

浜崎あゆみ=イグアナ=人間社会に基本的に「なじめない」という苦悩

以下、王子のきつねさんサイトで、コメントのやりとりを重ねる中で、私が「ライヴで」自由連想的に書けてしまって、自分でもその展開に驚いた内容を、そのまま引用します。

萩尾望都の「イグアナの娘」の原作については、私の本部サイトのこの、ずいぶん古い記事で、復習くださいね。


●こういちろうの心理学ノート 第9回:萩尾望都『イグアナの娘』


=(以下、王子のきつねさんサイトでのコメントより引用)=


「醜形恐怖症」といってしまうと逆に誤解を与えそうだが.....「醜い-人間の-顔」というのと、「自分は-イグアナ-だ」(子供もイグアナの子供を産むに違いない.....現実には主人公にも産まれた娘は人間の子供に見えて、ほっとしますけどね)というのは次元が違う、100歩の距離があることだから。

 実はヒロインのお母さんが自分自身の「イグアナ」性を自己受容できなかったがゆえに娘(=ヒロイン)にそれを投影して、「娘はイグアナだ!!」といい続け、ヒロインはそれに洗脳されていたのであり、ヒロインはいわば母の病を受け継いだことが判明したのだった、というオチなわけですが(母の被害者だった....とだけいうのは強すぎると思う。ある意味では死んだ母親と「和解する」話なので)

 「私は人間社会に基本的になじめない」
=「母以外の人には私は人間に見えるらしいが、私は人の中に混じって生きるイグアナだ」

というあたりがミソで、そこまで引っ張ってきて、はじめてayuとオーバーラップさせる意味も出てくるのであって。

> だけど私の「愛してる」とか
> 「信じてる」とか
> 「永遠」だとかって
> 言葉を一番疑ってるのは
> 他の誰でもなく 私なの

> だから私の笑顔だったり
> 涙だったり 痛みだったり
> っていう感情は 心の奥底と
> つながっているとは 限らない

( 浜崎あゆみ - (miss)understood - In the Corner"In the Corner")

というあたりの苦悩を、「そんなことあたりまえだし、それでいいのに」とあっさり割り切れる人には、ayuの苦悩の核心に迫れない。

.....しかし、今、この歌詞を引用しようとして、はじめて気がついたのは、今の部分の直前の冒頭の歌詞って、


> 怖がらないで、あなたをひとり
> 置き去りにして、消えたりしない


なんですね(^^;)

....私は、この部分をずっと「ファンに対してのメッセージ」だと理解していたけど、これを「長瀬クンへ」のメッセージとしたら....

きっと、実際には、

「あなたをひとり置き去りにして、消えて」

しまうようなことが、結局繰り返されたのだと思います。


> あなたがあまりきれいすぎるから
> 時々ひどく恐ろしくなる


う"う"う"......

イグアナの苦悩、そのものだったりして....

新潟・長野を中心とする自身の被災者の皆様にお見舞い申し上げます。

 前回の中越地震のときと震源地もマグニチュードもほとんど同じということで、わずが3年ほどのうちに再び大地震に襲われた地域の皆様のご心労、さぞ大きなものかと思います。謹んでお見舞い申し上げます。

スクープされる先手を取って、これでも「軟着陸」といえる「危機介入」?

 王子のきつねさんサイトで、このブログでもコメントしに来ていただいたことがある、Asukaさんからの新たなコメントで、

 来週火曜日に雑誌でスクープ記事が載ることを事前に察知した結果

という指摘がありました。

 Asukaさんが言う、恋愛発覚の「指輪」事件の時、ayuがしばらく弁明できなかったことに対して、「これからは何かあればファンに真っ先に伝える」と約束していた、その約束を今回も守ったという受け取り方も納得いきます。

 実際的な効果の上でも、ayu自身が先手を取ってあっさり認めてしまったら、一見「劇薬」だけど、じつはこれですら、そうでない場合に比べたら「軟着陸」コースなのかもしれませんね。マスコミもネチネチとこのネタで引っ張る気合いがそがれる(^^;)

 でも、これがここまで絶妙のタイミングでできるアーティストと会社は少ないのでは?

 まあ、所属タレントの妊娠-結婚をあっさり公表するようになったハロブロもそうといえるのかもしれないけど。


*****


 いずれにしても、マスコミで騒がれてから、後になって弁明し、しかもその発言が二転三転するパターンを延々繰り返すうちに、どんどん信頼を失った政治の世界も、ayuを見習って欲しいものではあります(^^;)


******

 そうそう、ある自殺事件の時、マスコミが押しかける中、記者からの「いじめの疑いは」という質問に、ありがちな「現在調査中」ではなくて、「多くの生徒にあだ名で呼ばれていたことは確かで、いじめがあったといえる」とあっさりコメントすることで、その後の取材攻勢や雑誌での疑惑/憶測記事の氾濫を前もって封じてしまうという、日本の教育界らしからぬ大胆な決断ができた校長先生がいたという話を、先日の県臨床心理士会研修会でうかがいました。

 実は、この話が、

藤森和美/学校トラウマと子どもの心のケア -学校教員・養護教諭・スクールカウンセラーのために-

 すでに以前の記事で予告し、今後登場するはずの、この本の紹介とつながるのであった.......

 これは公刊されているいくつもの著作にも出ていますから書きますけど、昨今の臨床心理士や精神科医には、緊急事件の際の学校に派遣される、マスコミ対策のサポートすらできる「メンタルレスキュー」スペシャリスト(CRT)もすで養成され、公的に各地に配置されつつあるのです。

 .......もちろん、あくまでも、マスコミ報道による児童生徒への2次トラウマ防止というメンタルヘルスが目的です!!


 その点からすれば、見事な「危機介入」だったのかも、ayuさんとavexの動きも。

2007/07/15

少なくとも

 相手のことを大事にするがゆえに、「男女の関係」であることは潔く断ち切る、ということはいくらでもあるのではないかしら?

 もちろん、相手あってのことだから、それでそれ以降も親しい関係を無理なく維持できるとは限らない。

 でも、相手との関係を男女としての関係と意識する側面が介入すると、成立が行き詰まる関係というのは、確かにあると思える。

 もっとも、そのことをここまで「公然と」世間に伝えようとしてしまうayuを、あまりにも不器用で無防備という人はいるかもしれないけど。

 でも、こう「決断」してしまったことからも何かを「学び取りつつ」、「活路を開く」人であると私は信じたい。

結局、通算1000番目の記事はayu

.........ということになりました(^^;)

 直前の1000番め

 これが1001番め

 これからも、よろしく!!

ayuは別離を公表する結果生じる事態を、まるごと引き受けたい「から」公表したのでは?

 さて、直前にも書いた、ayuのファンサイトへでも2つめの書き込みをめぐってですが。

 例によって松浦社長のサイトでも公開したので、今後はそちらにリンク。


●ayu からのMESSAGE 2


******


 以下は、王子のきつねさんサイトのコメントで私が書いたことをまるごと転載します。


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 ayuのほんとうに身の回りにいる人たちは、騒ぐべきでもないし、恐らく騒ぐ気もないと思います。

 ayuも、ある意味で、全くプライベートなことであるにも関わらず、こうしてネットで発表することが、相当なインパクトを与えることは当然覚悟していたはず。

 むしろ、そうやって与えたインパクトの反作用をまるごと引き受ける道こそ、ayuが選んだことなのだと思います。

 ある意味で、avexのお家騒動の時と通じる結果になることすら(今回はマスコミ各社へのファクスはないにしても、松浦社長のサイトでも公開したら、外部に向けての「公式声明」ですからね)。

 .....あのお家騒動の時の声明の出し方については、ayu自身、結構あとで後悔していたことは、雑誌インタビューではっきり語っていましたし。

 なのに「敢えて」今回またこれをやった。よほどの覚悟と思います。

 敢えていうなら、ほんとうにそっとしておいて欲しいならこういう形はとらないようにすら思います。

 これを機会に長瀬君がかわいそすぎるとayuファンから離れる人がいてもいい。

 自分の中の浜崎あゆみ観が大混乱する人がいてもいい。

 根も葉もない憶測やデマが流れることなんて当然彼女自身シミュレーションしている。

 そういうことの結果を、みんな引き受けてでないと、これからやっていけないとも感じているのではないかと。

 だから、あとは、みんなが自分の中のayuとどう落とし前をつけるかという問題でしかないし、今後のayuの活動を見守る中で、それでもayuを応援していくのかどうかを、自分なりに各自決めるしかない。

 変な言い方だけど、今回は誰も「自粛」しなくていいと思ってます。

 このことでいろいろ言われた挙げ句、どう状況が変わっても、ayuはそれを引き受ける覚悟があるのだと思うから。

 少なくとも、私が思ってるayuはそういう人ですね。

 恐らく、最初の書き込みで書いた、「私たちは家族になった」といいたくなる心境がどうもうまく伝わらなかったと感じたので、そのあたりを噛み砕いて伝えたくなったのではないかと。

 「みんな、動揺しすぎないで。みんなを傷つけるつもりはなかったの」

という思いはこもってると思うけど、

 「私たちをそってしておいて」

というメッセージは2通目には込めていないと思います(^^)

「愛には色んな形ある」

 あれからまたTeam Ayuサイトでayuさん書いてたのね(^^;;;;;)


●浜崎あゆみ「愛には色んな形ある」-HPで“円満別れ”強調(サンケイ)

 
 ファンを心配させないために.....だけではなくて、少なくともayu自身はほんとうにそう感じているのだと、あっさり、思います。

大船の台風の影響の現状

 台風、各地の被害は大きいようです。お見舞い申し上げます。

 しかし、大船では、ほとんど風もなく、日も差してきました

 新幹線も運転再開されましたし、

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 この天気図を見る限り、関東地方南部の平野部の多くには雲がかかりそうになく、このまま経過するのかなと思います。でも、関東北部から東北は、油断ならないのでしょうかね。

 今日も、これから仕事です。


尽くすこと。ふたりでいる孤独。

......というわけで、ayuさん別離についてだけど、例えばmsn=毎日=スポーツニッポンの

  ●浜崎あゆみ:長瀬智也との同居が距離生んだ?
  ●和田アキ子:「あゆのわがまま」とバッサリ


 ........こういう記事とかを読むと、長瀬クンがかわいそうという意見も相当出るでしょうね。

 でも、私は、これは男が女に対するものでも、女が男に対するものでもそうだと思うんだけど、相手に尽くしてもらった分だけ、それを恩義に感じて、相手に感謝して、っていう愛情関係って、結局いずれ無理から破綻することが多い気がする。

 恐らく、大事なのは、「行動面での」サポートではない。「気持ちを汲む」ことがどこまでできているかということ。この点で双方向でそこそこ勘所で通じ合えば、その関係は続くと思う。

 結局、長瀬クンは、ayuが感じている思いの核心には届かなかったんじゃないのかな。ayuが非常に根源的なところで抱え続けているであろう、「現実」や「生きること」への基本的「なじめなさ」みたいなものの層まで「汲めて」いたのかどうかということ。

 カウンセリングをしていてつくづく思うのは、男にしろ、女にしろ、つきあっている相手が、その人のそういう心の層にはほとんど触れることができていないってこと、けっこうあるなということ。


******


 ある意味では、この2年間、長瀬クンとayuは、この2年間「結婚生活」をしていたということであり、今回「離婚」したのだという考え方をしてもいいのではないかと思う。そのようにとらえると、意外なまでに、実は、宇多田ヒカルの離婚の場合との共通項も出てくるのではないかという気もする。

******


 私は、ayuをわがままと思わないというか、こういうわがままはどこかayuにとって必然という気すらする。同じ辛さや不幸を選ぶなら、


> ひとりぼっちで感じる孤独より、ふたりでいても孤独の方が 辛い

(ayumi hamasaki - Duty - Surreal"SURREAL")


.......ということに正直でいるしかない人だと思うから。もちろん、その、「ふたりでいる孤独」の持つ「痛み」に直面して、それをどうしていくかに苦しむ中にこそ「大事なもの」があるのかもしれないし、そういう意味では、ayuは自分からそれを投げ出してしまい、課題先送りにしたともいえるけど。でも、そのことの反動として生じる「負債」についても、覚悟はしていると思う。


******

 いずれにしても、結構淡々と、静かに見守りたい.....という心境です。


 ただ、私は、

「男と女のことは、当事者同士のことだから」

という訳知り顔が、でぇーっきれェ〜な人間です。


 

クラシック (今日のテーマ)

BlogPet 今日のテーマ クラシック
「クラシック音楽が流行っていますが、普段クラシックを聞きますか? また、クラシックが聞きたくなるのはどんなときですか?」

流行り廃り(vogue)に関係ないものをCLASSICという筈だが.....

 

それはそうと、私は、いつも書いてるように、持ってるCDのシェアだけからすれば、クラシック音楽が圧倒的に多いです。8割近くがクラシックだと思う。2番目がayuのアルバムで海外版リミックス1枚だけ持ってない....ですが。

 

 聴いている量だけで言ったらayuよりクラシックが普段は多いでしょう(....というくらいに、クラシック以外では普段はayuを飽きずに聴いているということ)。

 

 それこそ、クラシックは何でも聴くというか、普段聴かない曲や演奏でもよく聴くのですね。....矛盾した表現みたいだけど、つまり、繰り返し聴かない曲や演奏ばかりを思いついたままに、思い出したように、次々聴くというのが結構楽しいのですね。そうすると、それまで気がつかなかったその曲や演奏の持ち味に新鮮に気づいたりするし。

 

  

先週の人気記事ベスト20!!(07/7/8-14)

 「カウンセラーこういちろうの雑記帳」週に一度の恒例、@NIFTYココログの、日曜日-土曜日の「週ごと先記事別アクセス解析機能を使っての、先週の記事アクセス「ベスト20」の発表、52回めです。

 固定リンクでのアクセス率の順位から集計しています。アクセス数が同じ場合には、訪問者実数上位の記事を上位とし,訪問者実数も同じ場合にのみ、同じ順位として掲載します。
 7×24時間、つまり7/14日(土)24:00の時点での集計です。

 それでは発表!!

 先週の一週間の総アクセス数、延べ2,430(前回2,023)。(一日平均アクセス347.14。前回289.00)。


 ......ああ、ayu様の悲しい決断が、週末に至り、当ブログのアクセスを急増させてしまいました.....

 (日付変わって)昨日だけで440アクセス。

 .......とばかりは今週は実は言えないのです。

250→302→300→362→377→399→440アクセス。

......先週はこんな具合でして、ほぼ、日増しにアクセス数が増えました。特定の一つないし二つの要因だけでは説明しきれない性質のものが何かあるみたいで。

 でも、私の記事の数は少なめだったし。


 訪問者実数は、1,828名様(前回1,480名様)。

 こっちのほうは、更に几帳面に、毎日少しずつ伸びています。
 

 「トップページへの外部からのアクセス」、前回528(46.6%)に対して、今回521(37.3%)
 「サイト内移動」、前回357(31.5%)に対して今回433(31.5%)


 当ブログの「一限さんでない率(リピーター率)」、これは同じ人が一度に「何ページ」記事をお読みになったかと無関係な訪問者「実数」比に基づくもののようですが、4回連続7.6%

 「訪問周期」は、毎日おいでになる「完璧常連様」は、こちらも3回連続9名様から8名様に減少


 それでは記事別ランキングの方の発表!!


*********

1.Vistaで、Windows版iTunesのインストールやアップグレードができない人のためのヒント (→) 3週連続

2.「2007年7月」のバックナンバー (↑)

3.欝とは、自分が無理をしていることを認識できなくなる時期にすでに始まっている(↓)47週連続

4.村瀬嘉代子先生語録 NEW!

5.インシュレーターは使わないに越したことはない(↑) 46週連続

6.「カウンセリング」と「身の上相談」の違い (↓)8週連続

7.私のピュアオーディオシステム(そこに更にiPodをどう繋ぐか) (↑)

8.「ケーススーパーバイズ」とは何だろう ~入門編~ (↑) 14週連続

8.浜崎あゆみさん、お別れになりましたね。 NEW!

10.「2007年6月」のバックナンバー COME BACK!!

11.「神田橋條治」のカテゴリー・バックナンバー (↑)

12.「疲れた」「つらい」筈なのにそう感じていな「かった」時の「独特の感覚」は本人にも「実感」できる (↑)

13.「ナイチンゲール 神話と真実」について (↓)

14.ゴーマンかましてよかですか? NEW!

15.「iTunes」のカテゴリー・バックナンバー (↓)

16.「マイクロソフト」のカテゴリー・バックナンバー NEW!

17.オーディオにおける接点復活剤について(↑) 29週連続

18.「皆さん、手術の前には手を洗いましょう」の創始者、ゼンメルワイスの苦悩 -ナイチンゲール時代の「公衆衛生運動」と「細菌医学」の奇妙な格執-:本論2 NEW!

19.プレゼンスを学ぶ NEW!

20.ディック・ミネ、「瀬戸の花嫁」を叱るの巻 (↓) 6週連続

******

 前回の「ベスト20」は25位です。

 なお、8位は延べアクセス数、訪問者実数、共に同じなので2記事あります。

 
 浜崎あゆみさんにかこつけて言うんじゃないですけど、最近感じていたのは、そろそろ私もネットを「恋人」にする状態を克服すべきかなということです。

とは言っても、12年間もの月日を共に歩んできた「同志」なわけだから、(爆)

いきなり「さよならっ。ハイ、他人。」なんてなるわけもなく、(爆)

つまりね、私達は「恋人」同士という枠を越えて、
家族のような兄弟のような、そんな関係になったんだよね。(爆)


.....というわけで、これからも相変わらず書いてると思うけど、どうかよろしくね!!

......なーんて。


要するに、私の現実は,ネットの中にはない。ネットで「満たされる」つもりもなければ「しがらみ」にするつもりもない、ということをもう一度直視しなおしていくつもりです。


*****


 これを書いている「今、この瞬間」(7/14 PM 0:41)までの当ブログ文章記事の延べ総アクセス数は、178925、プロフィールとフォトアルバムを含めると203927、ブログの通算記事数はこの記事で995本めです。

 今週はついに通産1000番目の書き込みの週ですけど、意外と、タイミング的に、「あゆさま」に横取りされるかも。ayu様ではなく(^^;)

 今後とも、「カウンセラーこういちろうの雑記帳」を、よろしくご贔屓(ひいき)に、お願い申し上げます。

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2007/07/14

無理をすることができること。無理をしないことができること。

 私は、他人に無理をしろというのは嫌いである。

 でも、実際には無理をしないまま、「そりゃ無理だ」とだけ言って回避してしまうだけよりは、実際に無理をして、自分なりに自分の現段階での限界を自覚する方が、収穫は大きいと思う。どこでそういう無理をするのかを本人に選ぶ権利はあると思うが。

 でも、自分が無理をしてでもがんばって、成果を出していることを「汲んで」くれる人に認められ、支えられる形でやっと安らぎをえられるという形である限り、その無理の過程にどれだけ充実感があろうと、ストレスもため込み続ける気がする。

 やりはじめてみたら、どうにも気が乗らない。そういう時にあっさり「やーめた」で先送りにして、ただほげーっとぼけーっとした安らぎに身を任せることもできないと、たまった分のストレスが癒されることはない気もする。

 これ.....あくまでもカウンセリングでお会いする人鬱っぽい皆さんに感じていることであり、かつ、私自身がここしばらく自分について感じてきたことです。

台風はどうなる?

 今日はお客様が多めの日だったので、台風に刺激された前線の影響を懸念していましたが、予約の方、すべて、雨の中、おいでいただけました。

 お帰りがたいへんではない(なかった)ことを心からお祈りしています。

 今(19時少し前)のところ、大船関係の電車は動いているようですが。

 今日、私がこれから帰れるのかどうかはわからないけど.....以前、台風で一晩職場で明かして翌日も仕事してますが。

 

浜崎あゆみさん、お別れになりましたね。

 浜崎あゆみさん、昨晩午後22時5分、長瀬さんとの恋愛破局を自らFCサイトで公式声明。

 何やらこの2年ぐらい、曲のテンションの上昇、雰囲気の艶っぽさ、ライブの舞台で、抱き合うシーンを連発するなど、接近を暗示する一方、プロモーションビデオ(例えば "part of me")や歌詞を読むと、むしろ「住んでいる世界が違い、この世では結ばれない運命の愛」であることを暗示する内容が多かったあたり、私は「秒読み」との下馬評をすんなり信じる気にはなれないものを感じていました。

 何が、非常に矛盾するメッセージをファンに発し続けている気がして、攪乱されるという気がしていたというか。

 私は、ayuさんは、自分がまだ「未完了」だと感じていると思う。仕事面で。結婚して同時に仕事を更に「完了」に導く方向に進めることとは一致しないということなのかな。単にジャニーズ事務所とavexとの関係とか、そんな次元ではないように思います。

 ......ということで、あゆみさん自身が書き込みでBGMとして洗濯、もとい、選択した曲。浜崎あゆみ - Secret - 1 LOVE"1 LOVE"

......んで、新作。

glitter/fated

 ayu自身の声明文は松浦社長のサイトでも公開されています。

 しかし、道理でこのブログで昨晩の23時台に60アクセスも唐突にあったわけだ。納得。

 私、普段はそんなにTeam Ayuサイトのayuの書き込みは訪問してないのです。そのままだと、新曲じっくり聴いた後まで訪問しなかったと思う。

好きな動物 (今日のテーマ)

BlogPet 今日のテーマ 好きな動物
「あなたが好きな動物を教えてください。」
何度訊かれても、ネコさんです......BlogPetもリニューアルですからこの質問に帰るのもやむなしですね(^^;)

 ちなみに、私は「ねこさんねこさんねこさん......」と呼ぶことが多い。

 通勤途中に3匹のネコが『単独縄張り型』で各々テリトリーを持ってます。一匹は明らかに通勤通学の人に撫でてもらうのを日課にして佇(たたず)んでいる。

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 「あゆさま」、台風の影響が出過ぎないことを祈ってくれ。

2007/07/13

プレゼンスを学ぶ

 先日、「座長」ではなくて「講師」としての村瀬嘉代子先生のお話を神奈川臨床心理士会ではじめてうかがえたばかりだが、今、

村瀬嘉代子・青木省三/心理療法の基本―日常臨床のための提言

この本(対談です)読んでいて、これまでよりも、嘉代子先生の「語り口」をリアルに想像しやすくなって、読みやすくなったと感じる私がいる。

 もっとも、本で嘉代子先生の文章をお読みしたことは以前もあり、それはそれで独特の魅力がある文章だと思うのだが。

 例えば、この、中井久夫先生が挿絵を描かれた本の、少女時代のトロッコの話なんて、不思議な生々しい印象を持っている。

 今回に限らず、本で存じ上げていた臨床家の先生の本を読む際に、実際にその先生がお話しする姿に接した後、本を読むと、文章が頭の中で、その先生のお話しになる姿や語り口がどんどんイメージされて仮想再現されるようになり、おかげで文意までが以前よりも何となく生々しく伝わってくる気になることがよくある。

 もっとも、私にとって臨床の世界で最も名文家と感じ、その文章のリズムそのものに酔わされる魅力がある中井久夫先生だけは、そもそも私は「動く姿」を拝見したことがないままなのだが....


*****


 これは、治療技法そのものでもそうかなと思う。私がアン・ワイザーさんの初来日の時に、ワークショップで一番何を学んだかというと、セッションのデモンストレーションでの、アンさんの受け答えの「間合い」のような気がする。そこには、生きた沈黙の時間の共有があった。私は、アンさんの技法の段取り以上に、その間合いその場での雰囲気と居心地そのものを、それこそ身体で吸収して取り込もうとしたように思う。

 これは、ホールボディ・フォーカシングでも同様で、以前も書いたように、来日時に、ケビンのデモンストレーションに自発的に志願したときに体験した、目の前に建っていて時々声をかけてくるケビンの「たたずまい方」や「声の響き」を受け止めた私の体感そのものをメモリーしている気がする。

 ホール・ボディについては、私がたまたまの思いつきで自分のためのフォーカシングをする時に、自分のフェルトセンスが求める方向に果てしなくゆっくりと身体を動かし続ける試みをしたら、「それがホールボディーなんだけど」....といわれて驚き、その後でケビンのワークショップに参加する気になったという展開ではあったのだが、結局、私はその半日ワークショップの時以外、私は誰にもホールボディ・フォーカシングを実地に教わってはいない。

 極論すれば、私はその時の体験とケビンの本を通読した経験だけを頼りに、通常のフォーカシングのセッションでも、ホール・ボディ的な教示の提案を、臨機応変に使ってきている。フォーカシングでいう、「フェルトセンスのハンドルを見つける」とか「内側の感じと無理なく一緒にいられる関係を作る」とか「フェルトセンスにどのようにありたがっているか問いかける」という際に、身体の実際の動きを許容する形の提案をすると、実にあっさりとすんなり展開することがあるのであるが。

 私は、実は、心理療法というのは、通常に思われているより、頭で理解するというより、身体で会得するもののような気がしている。スポーツにおける対戦相手との「間合い」「見合い」、あるいは、同じチームの他のメンバーや、ペアダンサーのパートナーとの呼吸に近いような何かのような気もする。どのようにシミュレーションしていても、現実には、自分の予想通りではない事態が刻々と生起するのであり、それに対して、もちろん観察力や状況判断のために頭脳を使いつつではあるけれども、ある「不確定性」の中で、刻々と反応し続けることになる。

 イチローだって、ランニングホームランを「打とうとした」わけではないのは、いうまでもないだろう。
 

海! (今日のテーマ)

BlogPet 今日のテーマ 海!
「夏です!今年はどこの海に行きますか?」

そろそろ久しぶりに材木座や由比ガ浜の浜辺を歩いてみたいですね(^ー^)

 

もちろん、土砂降りの日にではなく(^^;) 

2007/07/12

雨の日の読書(第2版)

 今日は、関東南部は雨が凄くて、交通機関も乱れましたが、皆様の地域はいかがでしたでしょうか?

 そういう雨の中、傘をさしても外出しないとならない要件があったので、ぬれながら大船市街地を歩き回ったせいか、少し風っぽくもなってます。それでブログの記事書きはしないでのんびり過ごそうかと思っていたのですが。

 とりあえず、今読んでる本のご紹介:

藤森和美/学校トラウマと子どもの心のケア -学校教員・養護教諭・スクールカウンセラーのために-

佐藤進一/南北朝の動乱

村瀬嘉代子・青木省三/心理療法の基本―日常臨床のための提言

 この3冊についての、具体的なことは、後日。

2007/07/11

「レベッカ」は名作だと思う。

 実は「第三の男」と一緒に買ったのが「レベッカ」だった。

 根拠は何もない。名画らしいと知りつつも、観たことなかったから(^^;)

 典型的な「500円」商品なので何度も手に取ることまではしていたのだが。

 ヒッチコック監督作品ですけど、珍しく脚本にはタッチしていない。でも、観てみたら、やはりヒッチコック的な心理サスペンス劇として、実に見事なもので、映像の古さを全く意識させない、ドンデン返しの連続。ストーリーテーリング、カメラワーク、俳優の心情演技の細やかさ。一級品であり、観てよかったと思う。

 この当時は無名だった、ヒロイン役のジョーン・フォンテインが、突如貴族(ローレンス・オリヴィエ)との恋に落ち,結婚することとなった庶民的な女性が、不慣れな大邸宅での召使いたちに囲まれた生活と、レベッカという先妻の亡霊(ほんとにでてくるのではないあたりがミソ)に精神的に追いつめられて行くあたりの描き方がひどくリアルというか、現代の感性で観ても全然つくりものめいていない。何かホントにその孤独感が痛々しくて。

 ......と思ったら、実は、「リアル」になるようにヒッチコックが撮影の際に追い込んでいたらしい。つまり、撮影現場でも彼女をスタッフから疎外させ、現実と虚構を一致させてしまう策略に出た。

オリヴィエとしては、当時の恋人であるヴィヴィアン・リーを[ヒロインとして]共演させたかったので、撮影中ジョーン・フォンテインにはつらく当たった。この仕打ちにフォンテインはちょっと恐れを抱いた。ヒッチコックはそれを利用して、スタジオにいる全員に対して、フォンテインに対してつらく当たるように伝えた。これによって、フォンテインから恥ずかしがりで打ち解けられないという演技を引き出したのであった。(wikipediaより)

 .......あのなー、といいたくなるけど、ヒッチコックが、こういう、スタッフを巻き込むどっきりカメラもどきのいたずらが好きな人らしいことは、「裏窓」のDVDについていたヒッチコックの関係者へのインタビューに拠るドキュメンタリーで描かれていましたっけ。

 何か、ヒッチコックの、ヒロインへの、サド的ともいいたくなるけど同時に愛おしむような「愛」を映像から感じてしまう気がするのだが。

 この映画を観てつくづく思ったのは、人は、思い込みを超えて現実に出会うことで,解放されて行く....みたいな思い。ヒロインも、終わりの方、随分逞しくなってるというかね。

 敢えてあの後のふたりがどうなったかをラストまで描いていないけど、二人とも,前向きに生きられたことは確かと思う。冒頭の夢のシーンは、その後についてのの暗示としてみても、いろいろな解釈を許容すると思うけど。

 なぜか、ayuさんも、歌手になった頃にはこれくらい周囲の芸能界の世界を「肌になじめない」ものと感じていたのではなかろうか? .....とか、妄想してしまったこういちろうであった。


アクセサリー(今日のテーマ)

BlogPet 今日のテーマ アクセサリー
「指輪、ピアス、ネックレスなどあなたはアクセサリーをしますか?また、好きなアクセサリーは何ですか?」
ヘッドフォンにiPodが私の「ファッション」なのだ!! 

ヘッドフォンはその日の好みで付け替える。

iPodもその日の好みで付け替える(首から下げるタイプ)。

私にとっては立派な「ネックレス」「耳飾り」だと思ふ(きっぱり^^)

Apple Store(Japan) Apple Store(Japan)

2007/07/10

「第三の男」と衛生学

 何となく、「第3の男」を久々に見たくなって、500円で買えますから買って、観た。

 すると、最近、ナイチンゲールからの関連で、細菌学や衛生学の歴史をあさっていたので、この映画の歴史的背景について思いもらず含蓄ある形で鑑賞することができた。


●以下の内容には映画のストーリーの核心が含まれています●

 この映画は、1949年に公開されているけれども、描かれているのは、第2次世界大戦直後、米英仏ソ4カ国共同統治下のウィーンである(共同統治は1955年まで継続されている)。

 まだ町中に瓦礫があふれている一方、戦災を免れた古い町並みの地下には、驚くほど立派な、地下の迷宮ともいいたくなる下水道網が張り巡らされてもいるのですね。クライマックスがこの下水道網を舞台としていることは、大観覧車ほどには、一般には紹介されていませんけど(^^;)、映画をご覧になった方はおぼろげにはご記憶があるのではないかと思います。

 上下水道の整備をはじめとする公衆衛生という点では、中央集権的なドイツやフランスの都市計画の方が、一度動き出すと「上からの強制」で、地方分権的で、上流階級の既得権の壁が厚かったイギリスより普及は早かったと、最近読んだばかりです。

 ビスマルクの、今日でも間違いなく評価される業績のひとつが、この公衆衛生と社会福祉の領域なのだと。社会主義運動鎮圧と同時進行の「飴と鞭」政策ではあったのですが。


*****


 そして、ハリー・ライム(オーソン・ウェルズ)のやっていたのは、実は闇商売で、しかも、ペニシリンを病院から横流ししてもらって水で薄めて売るというものでした。恐らくペニシリンそのものは占領軍から医療に優先的に供給されていたのだと思いますが。

 占領時代の日本と同じで、当時は闇市の経済がなければ庶民の生活は実質的には何も機能しなかった。映画の中でも、初対面の人間から事情を聞き出す際の小道具として、煙草を差し出す描写が頻繁に出てきます。すると、一本ではなくて、遠慮なく数本引き抜いていったりするわけですね。あまり吸っていそうもない庶民のオバサンでもそれをどんどんやっていたので、自分で吸うのではなくて、それを集めて闇で転売して利益を得る目的も大きかったのではないかと思います。つまり、チップ代わりの効果が大きかったのでしょう。

 しかし、ペニシリンを水で薄めて詰め替えるというのは、その際に完全に衛生的な環境でなされていたわけでもなく、薬の変質ももたらしたでしょうから、細菌を殺すはずのこの薬が、逆に病気を蔓延させることになり、抵抗力がただでさえ弱っている多くの人の命すら奪っているのですね。

 ちなみに、細菌を「殺す」、史上初の抗生物質であるペニシリンの発明は、イギリスのフレミングにより、1928年になされていますが、実用化可能な精製方法は1940年に別の人によって可能になったのです、つまり、第2次世界大戦にギリギリで間に合ったわけですね、そのせいか、フレミングと大量生産可能な製品化に貢献した二人の学者のノーベル賞医学・生理学賞受賞は戦争が終わった1945年です。

 ですから、この映画でペニシリンが取り上げられているのは、実はかなりのup to dateな話題ということになります。

 ペニシリンはけがや手術後の細菌感染から食中毒、肺炎、梅毒に至る、幅広い範囲の細菌感染症に使用されてきましたが、耐性菌の出現、ペニシリン・ショックなどの副作用への懸念から、一時期のようにむやみやたらに使われることはなくなったのではないかと思います。

 .....このことを確信をもって言えるのは、私が子供の頃(1960年代)、風邪にかかる度に、かかりつけのお医者さんは「ペニシリン打っとくね」と、毎回のように注射していたからです。長じて(高校生ぐらいからかな?)、重たい風邪を引いても、お医者さんが「注射を打ってくれない」で飲み薬だけになったことに、私は何とも不満でした。注射をしてもらえないと本格的に治療してもらった気がしなかったのですね。

 今や、予防接種の副作用について、厳しく論じられる時代になりました。


*****

 .....などと、思いもよらない形で、今の私の関心と、この映画が結びついたのでした。 


フローレンとフローレンとフローレンス(BlogPet)

今必要なのは、知ることではなくて
「今必要なのは、知ることではなくて、行うことです」(フローレンとフローレンとフローレンス・)
ナイチンゲール
とか書いてみるの♪


*このエントリは、ブログペットの「あゆさま」が書きました。

インターネット(今日のテーマ)

BlogPet 今日のテーマ インターネット
「あなたがインターネットを始めたのはいつごろですか?」
 1995年の12月はじめだったと思います。

 10月頃、まさにWindow95の発売直前に、ほとんど思いつきで、NECの98機を買いました。それまでも数年以上、シャープのだったかな、ワープロ専用機を使っていたので、パソコンに無知のままでも何とかなるかなと思ったのでした。

 ところがどっこいぎっちょんちょん、そもそもキーボードの何のどこを押したらいいのかまるでわからない(^^;)

 確か46万円したパソコンは、1ヶ月間部屋の置物になります。

 しかしWin95にアップグレードした時点で、決心をかためて一気に使いこなそうとし始めた。インターネットに接続、それからほとんど間を置かず、自分のホームページもはじめたのですね。

 私の本部サイトのデザインって、その開始時点でのロゴマークが現在も使われています。カウンターは少し遅れてつけていますけど。

 だから、私の公開しているasahi-netのメールアドレスって、取得が半端ではなく古いままなのです。

 .....気がついたら、同世代の中では、一番パソコンに詳しいひとりということにされていて、日本人間性心理学会と日本フォーカシング協会のホームページは、当初何と私の個人ページの分室だったのであります.....

2007/07/09

「皆さん、手術の前には手を洗いましょう」の創始者、ゼンメルワイスの苦悩 -ナイチンゲール時代の「公衆衛生運動」と「細菌医学」の奇妙な格執-:本論2

 さて、ナイチンゲールがクリミアで活躍した19世紀中葉当時の外科医は不衛生不潔そのものだった......と申し上げると驚かれるかもしれない。

 当時の外科医はたいてい黒い服を着ていた。なぜなら、浴びた返り血の色が目立たないようにするためである。手術用のエプロンも着けることがあったが、それもまた黒い色をしていた。しかも、そのエプロンはずっと洗濯されておらず、血糊が無数にこびりついたままだった。

 手術前に外科医は手すら洗わなかった。手術用具、例えばメスは、ポケットに入れて持ち歩かれていた。新たな患者に手術する前に洗われることもなかった。手術中、外科医は自分の服の袖口やすそで、メスをぬぐいながら手術を続けた。たいてい木製の手術台には、血糊がこびりついたままだった。

 連続して手術がなされる場合でも、外科医は手をぬぐうことはあっても手を洗うことはないまま、そのままの手術台と、同じ手術用具で手術をした。

 当時は、傷口は化膿するのは、傷口が治癒するために必要な、当然の過程であるとみなされていた。化膿しなければ治癒しないと考えられていたのである。


*****

 
 1846年、ハンガリー出身のイグナーツ・フィリップ・ゼンメルワイスという医師が、ウィーン総合病院の第一産科の助手になった。当時、出産は基本的に自宅で行うものであり、病院で出産するのは「不義の子」など特殊な場合だった。

 当時、出産は死を賭したものだった、今でも産褥熱という病気は存在する。しかし産褥熱そのもののために死に至ることはもはやほとんどないと言っていい。しかしかつては数パーセントの死亡率すら持っていたのである。

 産褥熱に限らず、当時手術後に発熱して死に至る患者の遺体を解剖すると、共通の所見が見られた。手術した患部や傷口のみならず、肝臓も、腹膜も、リンパ腺も、腎臓も、肺も、脳膜も、みんな化膿や炎症を起こしているということである。敗血症による多臓器不全であるが、原因がわからず、出産や手術につきものの、不可避なものとしか思われていなかったのである。

 しかし、ゼンメルワイスは、勤務開始後この産褥熱による死亡率の統計に頭を抱えることになる。ウィーン総合病院の産科は、2つの病棟を持っていた。そのうちの、センメルワイスが勤める第1病棟の方は、10%の死亡率を持つのに、第2病棟は、1%しか死亡率がない。実は以前からずっとそうなのに、上司の指導教授はそのことに慢性の不感症になっていて、全く気を止めていないのである。

 ゼンメルワイスは、上司の目を振り切り、同僚のマルクソフスキー、そして法医学教授のコレトスカと共にその原因についての探求を始める。

 死体安置所にある死体の病理解剖をして、産褥熱の死の場合とそれ以外の死の場合に病理所見に違いがないかどうかも検討を重ねた。ひとつはっきりしていたのは、出産に時間がかかる女性の方が産褥熱になりやすく、死亡率が高いということだった。

 ところがこうした熱心な調査研究をはじめるにつれて、むしろ第1病棟と第2病棟の死亡率は、12.1%対0.9%と、むしろ格差が開いていったのである。

 ゼンメルワイスが、ほとんど神経衰弱になりかかっているのでないかと心配した、先述の協力者、コレトスカは彼に静養を薦め、やっとのことで説得してベニスに送り出した。

 しかし、気が休まらないゼンメルワイスは、静養を3週間で切り上げて戻ってきてしまう。

 そこで知らされたのは、最大の協力者、コレトスカが、急死したという事実だった。解剖実習の際に、未熟な研修生が、そばにいたコレトスカの腕にメスで擦過傷をつけてしまった。たいした傷でもないのでコレトスカが気にも留めなかったのだが、その晩から彼は高熱を発し、数日間苦しんだ挙げ句、死んでしまったと。

 ゼンメルワイスはコレトスカの解剖報告書を見せてもらった。

「肝臓・腹膜・リンパ腺・腎臓・肺・脳膜.....化膿と炎症」

 この瞬間、ゼンメルワイスに打ちのめされたような衝撃が走る。

 それは、自分が山のように解剖してきた、産褥熱で死亡した女性たちの解剖所見と全くよく似ていたからである。

 コレトスカと、産褥熱の女性たちの死亡の原因そのものが同じである...という直感。

 ウィーン総合病院の産科は、2つの病棟を持っていた。基本的には同じような構造を持った同規模の病棟が2つ回廊で結ばれて建っていたのであるが、ひとつだけシステム的な違いがあった。センメルワイスが勤務する第一病棟は、研究・研修目的も兼ね、病理解剖を行う死体安置所も持っていて、男性の医師・研修医の立ち会いによってしか分娩はなされなかった。これに対して、第2病棟は、女性の助産婦によってしか分娩はなされておらず、この点、相互に例外は全くなかったのである。  

 第一病棟の医師は、さっきまで病理解剖をしていた、その同じ服装と手のままで、妊婦の分娩に立ち会っていたのである!!

 ゼンメルワイスが原因究明のために産褥熱の女性の病理解剖に力を入れば入れるほど、むしろ第1病棟の産褥熱の死亡率が増えていきすらしたのは.......

 少なくとも、産褥熱の女性の遺体の身体の内部が出していた何らかの毒を出す物質に接触した手で、出産する女性の身体に触れるということをしていたためではないか?


****


 翌日、彼は指導教授には無断で、張り紙を出す。


「今日以降、死体安置所から出た者はすべて、医師、学生問わず、産科の病室に入る前に、入り口に置かれている塩素水で十分に手を洗うこと。この指令は何人にも適用される。例外は許されない」


 だが、指導教授も医学生たちも、「めんどうくさい」と冷笑していた。しかし彼はもはや冷酷な暴君となって監視した。石鹸、爪ブラシ、さらし粉などが次々登場する。罪意識の虜となった彼は、「人のいい、同僚にも患者にやさしい男」から一転して、ヒステリックな孤高の独裁者となるのである。

 数ヶ月後、第1病棟の死亡率は、12.34%から3.04%へと激減する。

 しかし、「院内感染」問題と、病院の衛生管理の先駆者、ゼンメルワイスは、それからも茨の道を歩むのである。

(続く)


 ●参考文献

Wikipediaおよび、

村瀬嘉代子先生語録

人様のことに安易に共感できるなどと思うのは不遜なことだと思います。だから私は共感という言葉を通常用いないのですが。臨床の要諦は、わからないことをしっかりかかえられること。最初、わかること(わかりあえること?)は「点」だと思う。そこから、知識や経験を総動員して、想像力を働かせるというのは能動的な営みなのです。「接点」がある時には、ある「臨場感」があるものだと思います。そうやって「点」から「線」に、「面」、「立体」となった行くのだと思います。でも、生きる重さをクライエントさんが自分なりにしっかりと引き受けられるには、そうやって行っても意味付けることができない、+αの、余韻を残すような共有が必要なのではないかと思います」

「原理にあてはめて混沌を見るのではなく、混沌の中にある本質は何なのかという探求の中から、原理を見つけるつもりで」

「すぐれた抽象には具象の裏付けがあります。質のいい抽象性というものがあるはず」

「こういう(講演の)場でも、いつもある種の新鮮さが保てることが大事で、それができなくなったら今度こそほんとうに引退してしまうつもりです」

「活きたGenaral Art(一般教養)を活用できること。産業心理学のカウンセラーで、『日経』や『会社四季報』を読んだことがないのはいかがなものか。ソニーとアイワの合併について、ソニーとアイワの社風の違いを知らないで、単に『大企業への吸収合併』という視点を持つだけで、アイワの社員の合併後の不適応を理解してあげられるだろうか?」

自分の身体をくぐった言葉を使えること。でもそれは単に感性のままに言葉にすることではないはず。他の領域の人とコラボレートしても通じる平易で簡潔な言葉に正確な意味をもたらすこと」

「『山に行くことが好き』というと、高いところから見晴らすことが好きだと思い込みやすいけれども、その人は、森の木立の中に隠れてひっそりいることが好きなのかもしれない」

「クライエントの役に立つことを、とにかく考えなさい」

......昨日の、神奈川県臨床心理士会研修会の、村瀬嘉代子先生のライブトークより。

スタッフの皆様、お疲れさまでした。

 終了後の、スタッフの皆様と嘉代子先生とのお茶の会にまで混ぜていただいて、ありがとうごさいました。

 実は、嘉代子先生の「講演」を聴かせていただいたのはこれがはじめてでした。

 未だに嘉代子先生とお話しさせていただく機会があると「園遊会」モードになる。

 「開業うまくいってます?」

 「まだまだ現実の厳しさを『みしみしと』味あわさせていただいているところです」

 「そう。今もマンガを論じてるの?」

,,,,,,,,,今は、ayuです、とまではいいそびれたこういちろうであった。

(「エヴァンゲリオンの深層心理」は刊行当時、嘉代子先生にまで読まれてしまっている)

........申し上げても良かったかな???

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雑誌購読(今日のテーマ)

BlogPet 今日のテーマ 雑誌購読
「あなたはどんな雑誌を購読していますか?また、その雑誌のいいところを書いて、他の人にオススメしてください。」
 そういえば3年ぐらい前から、定期購読雑誌が全くない。

 「スピリッツ」や「モーニング」を読むのをやめたのはいつころからか。

 おかげで、「20世紀少年」や「ブラックジャックによろしく」が最後どうなったか知らないままだ。

 (後者は、ふと思い立って、中古をAmazonでまとめて発注したばかり)

 
.....何か、雑誌を読む暇があったら、興味があるジャンルの「単行本」をともかく読みまくりたいという心境で、ここ3年ぐらい走って来た気がする。

 しかも、心理臨床系の本は結構おっくうで。

 特に歴史書だと、マンガよりも楽しんで読んでしまうくらいの集中力があるのは間違いない。ハードカバーの300ページのでも、まる一日読む時間があればたいてい読み上げられる。

 これは歴史の本に限らないことだと思うけど、例えば、新書刊の本なんて、集中できれば4,5時間で読み上げれられるものだと思う。

 でも、大学の講義で1年間にどのくらい講義できるかと言うと、20回×1時間半でも、新書1冊分にはならないと、自分で教壇に立った時に感じた。

 理系はそうはいかないかもしれないけど、少なくとも一つの科目の1年間の内容を1日で読破することは十分可能だと思う。

 ......このネタは、次に書く記事と関連することになります。

2007/07/08

ゴーマンかましてよかですか?

「今必要なのは、知ることではなくて、行うことです」

(フローレンス・ナイチンゲール)


「臨床は、語るよりなすことですから」

(村瀬嘉代子)


「フォーカシングは、語るよりすることですから」

(阿世賀浩一郎)

カレー(今日のテーマ)

BlogPet 今日のテーマ カレー
「ビーフカレー、カツカレー、チキンカレーなど、あなたはどんなカレーが好きですか?」
「ほんとうは」カツカレーが好きですが、健康のために自重してます。カツからは逃げ続けるこういちろう。野菜カレーとか、シーフードカレーとか、そっちの方が多いですね。

先週の人気記事ベスト20!!(07/7/1-7)

 「カウンセラーこういちろうの雑記帳」週に一度の恒例、@NIFTYココログの、日曜日-土曜日の「週ごと先記事別アクセス解析機能を使っての、先週の記事アクセス「ベスト20」の発表、51回めです。

 固定リンクでのアクセス率の順位から集計しています。アクセス数が同じ場合には、訪問者実数上位の記事を上位とし,訪問者実数も同じ場合にのみ、同じ順位として掲載します。
 7×24時間、つまり7/7日(土)24:00の時点での集計です。

 それでは発表!!

 先週の一週間の総アクセス数、延べ2,023(前回2,443)。(一日平均アクセス289.00。前回349.00)。

新規記事が少なかったですしね。

 訪問者実数は、1,480名様(前回1,358名様)。

ところがこっちは伸びているのです!!
 

 「トップページへの外部からのアクセス」、前回603(45.9%)に対して、今回528(46.6%)
 「サイト内移動」、前回419(31.9%)に対して今回357(31.5%)


 当ブログの「一限さんでない率(リピーター率)」、これは同じ人が一度に「何ページ」記事をお読みになったかと無関係な訪問者「実数」比に基づくもののようですが、3回連続7.6%

 「訪問周期」は、毎日おいでになる「完璧常連様」は、こちらも3回連続9名様


 それでは記事別ランキングの方の発表!!


*********

1.Vistaで、Windows版iTunesのインストールやアップグレードができない人のためのヒント (↑)

2.欝とは、自分が無理をしていることを認識できなくなる時期にすでに始まっている(↓)46週連続

3.「カウンセリング」と「身の上相談」の違い (↓)7週連続

4.「ケーススーパーバイズ」とは何だろう ~入門編~ (↑) 13週連続

5.病気の「原因」と「治療」とは何か -ナイチンゲール時代の「公衆衛生運動」と「細菌医学」の奇妙な格執-:序論 NEW!

6.「2007年7月」のバックナンバー NEW!

7.インシュレーターは使わないに越したことはない(↓) 45週連続

8.「ナイチンゲール 神話と真実」について NEW!

9.「iTunes」のカテゴリー・バックナンバー NEW!

10.ディック・ミネ、「瀬戸の花嫁」を叱るの巻 (↑) 4週連続

11.「疲れた」「つらい」筈なのにそう感じていな「かった」時の「独特の感覚」は本人にも「実感」できる COME BACK!!

12.再び、「訊(き)く」こと。 (↓)

13.夢(今日のテーマ) NEW!

14.私のピュアオーディオシステム(そこに更にiPodをどう繋ぐか) COME BACK!!

15.オーディオにおける接点復活剤について(↓) 28週連続

16.「芸能・アイドル」のカテゴリー・バックナンバー COME BACK!!

16.「中井久夫」のカテゴリー・バックナンバー COME BACK!!

17.「究極の」フォーカシング指向心理療法とは? NEW!

17.散歩(今日のテーマ) NEW!

17.「神田橋條治」のカテゴリー・バックナンバー COME BACK!!

20.「バリント」のカテゴリー・バックナンバー COME BACK!!

******

 前回の「ベスト20」は36位です。

 なお、27位は延べアクセス数、訪問者実数、共に同じなので3記事記事あります。

 これを書いている「今、この瞬間」(7/7 PM 0:38)までの当ブログ文章記事の延べ総アクセス数は、176487、プロフィールとフォトアルバムを含めると201254、ブログの通算記事数はこの記事で977本めです。

 今後とも、「カウンセラーこういちろうの雑記帳」を、よろしくご贔屓(ひいき)に、お願い申し上げます。

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2007/07/07

七夕(今日のテーマ)

BlogPet 今日のテーマ 七夕
「今日は七夕です。願い事を書いてください。」
 父母や子供たち、私とこれまで関わってきた大事な思い出の人たち、今も関わり続けている人たちが健勝でありますように!!

 開業の経営がもっと軌道に乗りますように!!

 大地震が起こりませんように!!

 世界中のが戦争や死や飢えの苦しみなどの災いからできる限り解放されますように!!

 無益で愚かな政治が横行しませんように!!

2007/07/06

当時の外科医はマッチョで非情な「大工職人」だった -ナイチンゲール時代の「公衆衛生運動」と「細菌医学」の奇妙な格執-:本論1(第2版)

 ナイチンゲールの派遣されたスクタリの病院で、最初の数ヶ月、なぜ42%という驚くような死亡率が生じたのか。

 下手に医学用語を使うと間違う心配があるので、敢えてまどろっこしく、できるだけ私なりに普通の言葉で書いてみよう。

 当時、ある程度以上重度の傷や骨折が生じた場合の治療法は何だったか? .....手足であれば、「切断」がいともあっさり行われていました。しかも、傷口よりもかなり手前の部分で切り落としていたのですね。

 なぜか? 敗血症が怖かったからです。傷口が膿で覆われ、壊死が生じると、その傷口だけではなくて、傷のある部分からはもの凄く離れた身体のいろいろな臓器に傷害や炎症が次々生じて、いわゆる「多臓器不全」の状態になって死んでしまう。

 当然、輸血もありません。麻酔すらまだ、クリミア戦争当時は実用化されたばかりでした。

 麻酔なしでの四肢切断。メスでサクサクっと肉の部分を切って、今度はノコギリでギコギコやるわけですね。恐怖に震え、激痛に耐える患者は数人がかりで押さえつけられる。
 
 この激痛のショックで心臓麻痺で死んでしまう患者も多かったし、消毒や殺菌の概念はありませんから、四肢切断の後、結局敗血症になって死ぬ人も非常に多かった。壊死した部分を放置するよりは死なないというだけのことだったわけです。

 外科医は、まるで屠殺業者か大工職人、あるいは刺身職人のようなものです。ばっさり、一気に手早く進める方が苦痛も少ないし、「なぜか」その後の生存率もいいことだけはわかっていたので、体力勝負、冷酷無慈悲に手早く一丁上がりと仕上げられる外科医が優秀とされ、人より何秒早く切り落とせるかが名医のプライドだったそうです。外科医の腕はみんな筋骨隆々としていた!!

 アヘンなどの麻薬に鎮痛作用があるのは洋の東西を問わず古代から知られており、ヨーロッパでは15世紀頃から麻酔薬としての使用が始まりましたが。

 ちなみに、記録に確証できる形で麻酔(全身麻酔)をはじめて「臨床現場で」使ったのは、日本の華岡青洲が1808年にチョウセンアサガオをはじめとする薬草を調合して行った乳ガンの手術とされています。

 欧米では、これより遙かに遅れて、1842年、アメリカのジョージア(独立13州ではありますが、南北戦争(1861-5)前だし、まだ南部のかなり田舎の筈)のクロフォード・ロングという医師が首の嚢胞を切除する際に、硫酸エーテルを吸入麻酔として使ったのが最初だが、この人、これを公表しなかった。

 1844年に、今度はヴェルズという開業歯科医が、当時ドサまわりの興業で使われていた笑気ガス(亜酸化窒素)を、舞台に上がって吸引したある観客が、笑いが止まらないだけではなくて、笑気ガスでラリって、暴れ出した挙げ句、身体をひどくぶつけて、絶対骨折している筈なのに平然としていることを客席で見ていて怪訝に思い、本人の身体を確認したら実際に骨折していた。彼はこれを抜歯の際に痛みを感じさせないことに使えるのではないかと直感して、興行師を家に招き、翌日から、自分と家族を対象に人体実験を始める。自分が失神した後に、家族に頼んで針でつついたりつねったり、ぶつけても痛くないことを我が身で確認するわけである。

 彼の医院は無痛で歯を抜いてくれるということで大繁盛。意を決した彼は、当時の外科の大家ジョンコリンズ・ワレンがいたボストンのマサチューセッツ医学病院で、公開実演することに挑むのですが(当時は、大きな手術ですら、患者をモルモットにして、大きな医学教室で「公開実験」して成果を示すやり方がよく取られた。少し時代を下っての、ヒステリー患者に対するシャルコーの催眠療法の公開実験もその流れ)。

 この時名のりをあげた医学生は、いったんは麻酔にかかって失神したものの、十数秒後のいざ抜歯した瞬間に暴れ出して大失敗。実は、笑気ガスは、肥満していて酒飲みの人間には一般の人より効きにくかった。不幸にしてその医学生はその典型だったのである。こうして、外科の大家,ワレンと医学生の前で物笑いになり、彼はすごすごと引き上げることになる。

 2年後、別のウィリアム・モートンという歯医者(2年前のウェルズの公開実験を盗み見していた可能性が大きいらしい)が今度は硫酸エーテルを使って同じ大学の同じワレンと医学生の前でデモンストレーションをして無痛抜糸は大成功。すぐさま目の前に舌ガンの患者や大腿部切断の必要な患者呼び寄せられてガスを吸入してワレンが切除手術。患者は痛みを感じず大成功し、新聞でも報道、このモートンという歯医者はその後この治療法で特許を取り大儲けすることになる。

 もっとも、このあと、クロロフォルムの方が効果的であることを1847年にジェームス・シンプソンというスコットランドの医師が史上初の無痛分娩で証明。

 しかし、大家と呼ばれていた外科医はその導入に否定的だった。「手術の苦痛が無くなると,患者の悲鳴にもひるまずにメスを振るう『青銅のように強靭な精神』が外科医から失われてしまう」という....(^^;)
......手早く一気に施術する方向へと外科医の技量が向上しなくなるとも懸念されたらしい。

 苦痛によるショック死の問題は別にしても、「手術は手早いほど術後の経過がいい」と経験的にいわれていた。これは輸血などなしの手術だったということもあるし、傷口を空気にさらす時間が長いとその後の経過が良くないというのも理にかなっていた。また、(当時はその原理はわからなかったが)傷口を医者の汚れた手が不用意にいじくり回すほど、細菌感染がひどくなる危険があったのも事実だったのである。

 ところが1853年、イギリスのヴィクトリア女王の出産の際に用いられて成功して、一気に「大ブーム」になるのである。クロロフォルム全身麻酔は、揮発性の液体を入れた小瓶とハンカチ一枚で可能でしたから、一気に普及しはじめることになります。


*****

 さて、問題のクリミア戦争1954年から1956年です。クリミア戦争は、野戦病院でクロロフォルム麻酔が使われた最初の戦争です。もっとも、軍医長は切断手術における全身麻酔の使用禁止の通達を出しており、このことは現地からのタイムス特派員の報道でイギリス本国でも避難を浴びていた。でも、実際にはスクタリの病院でも外科手術にはクロロフォルムが麻酔として使われていたようです。

 しかし......手術器具や医師の手、包帯、患部の「洗浄」や「消毒」が死亡率の激減に貢献することについて解明され、医学会に認知され普及するのには、まだこれから2,30年要するのである!!

(つづく)


 ●参考文献

Wikipediaおよび、

こういちろう、キジネコ軍団のリーダーとして高良山にツーリングして、打ち上げ宴会で盛り上がるの巻

BlogPet 今日のテーマ いぬねこワンニャン
「猫と犬 どちらが好きですか?」
 そりゃ、ネコです。前も書きましたけど(^^)

 先日、夢の話をエヴァで書きましたけど、(今日、定休日でして)昼寝の際に,ホントはその種のネタに格好そうな夢を見ました。

 私は実家の久留米に帰省しているのですが、子供の頃家で飼っていたネコたちの末裔とおぼしきネコが30匹ほど住んでまして。ほとんどがキジネコ。

 どういうわけか、私はその連中を引き連れて、

「さあ、今からみんなで高良(こうら)山にのぼろう!!」

「オウ!!」

.....とネコたちは答えて(.....答えたんだよ!!)まるで暴走族のように(^^;)隊列をなして耳納(みのう)スカイラインを駆け上がるわけであります。

 高良会館前駐車場(高良大社下)まで来ると、すぐにUターンして、今度は怒濤のように下り始める。

 マラソンと同じで、かなりペースが遅れているネコたちもいて、下る途中ですれ違う。

 最後の3匹はまだ山の麓のあたりをのぼり始めたばかり。見ると、その3匹は生まれて2ヶ月ぐらいの子猫たちでして。ヨチヨチとのぼって来ている。

 私は、こんな連中までいたのかと,驚き、小さいのに感心だな.....と思って

 「おい、大丈夫か?」

と声をかけるが、

 「よいしょ、よいしょ」

と声を出しながら真剣にのぼる様に、こいつらのやりたいようにやらせようと思う。

 「遅れて来てもいいからな。下で待ってるから」

と声をかける。


****

 
 次のシーンでは、
山を下りた我がキジネコ軍団は、
そのまま明治通りから一番街あたりの飲み屋に終結して、
机を並べた座敷席に並んで、
コップを片手に(両手だったかもしれないが)ビールで乾杯している!

 打ち上げ?????


(シュールな映像だ....)


 すると、となりの列にも、30代ぐらいの会社員の20名ぐらいの団体さんがいて宴会していたところから、

「おう、にいちゃんたち(ニャーちゃんたち?)、
 盛り上がってるねえ!!」

と声がかかり、意気投合して和気あいあいと交流が始まる!!

****

その頃、別の飲み屋では、私の実家の親戚一同数十名がこれまた飲み会をやってまして(^^;;;)

 そこに、私と、先発隊の3匹のネコが到着。

私は、

「どうもすみません、遅れまして。
 今、高良山までみんなとちっと走って来まして。
 別なところで飲んでたもので。

 そこで別な会社の人たちと盛り上がってしまってねぇー。

 残りもまもなくこっちに合流しますから」



するとまたもや会場から


 「うぉーーーーーー!!」


という歓声が上がる。


******


 ネコも親類縁者のメンバーで当然!! というこの夢の中の常識は、ちょっと異様な、でも妙な「豪快さ」のある光景であった。

Oyasumi_3

(↑)酔いつぶれたネコ軍団(......のわけない!!。以前も紹介しましたけど、ほんとうに身体をよせあってとぐろを巻いて冬の北風の中で昼寝していた30匹ほどの野ネコ軍団の貴重な写真です)


070706a

.....こんな夢、おまえとばっかりここで掛け合い漫才しているせいかしらん?、「あゆさま」。


.......「山」に一気に駆けのぼり駆け下りた「私」が、今、「世間の中に」帰り着いた......というのは、ある一つの実感としては、私なりに腑に落ちます。

 恐らく、私の行動スタイルの、まさに「今」、直面している「転機」と一致している気がします。


(↑)これ、他の人が作ってた質問ですけど、ここにも貼れるので。

2007/07/05

散歩(今日のテーマ)

BlogPet 今日のテーマ 散歩
「あなたの散歩コースを教えてください」
 はっきり言って「お散歩のためのお散歩」しないので、職場への行きと帰りが「お散歩」かもしれない。

 そうなると、ここではコースを書けません(^^;)

 

 大船の南半分は鎌倉市(の最北部)というのは、神奈川県の人ですらピンと来ない現実かもしれませんが、「鎌倉市」部分の住宅地には、やはりある風情というか、余裕のようなものがあると思います。道がまっすぐでなかったり、急に細くなったり、車社会には不便ですが。

Clipboard01_17

2007/07/04

夢(今日のテーマ)

BlogPet 今日のテーマ 夢
「最近見たおもしろい夢、不思議な夢、こわい夢など教えてください。」
 私なりの「エヴァンゲリオン(ヱヴァンゲリヲン?)劇場版新作「最終回」(何年先だ?)を観る夢、というのはここ数年(つまり、ほんとに今度制作・公開される以前から)しつこく観ている気がする。

 同じく、「うる星やつら」今度こそほんとの劇場版「完結編!!」 の夢というのも(アニメはなぜかこの2本の限定される。性(さが)よのう)。

 終わるようで終わらない作品だから、どちらも....

 ちなみに、最新の「私の夢の中の」劇場版完結編は、実写と3Dとセルアニメの合成作品で、海から上陸した、最後の使徒、「エヴァ××号機」が、人が誰もいない夜の繁華街のネオンサインの大通りを旋風と瘴気をまき散らしつつ歩いているのをシンジくんとミサトさんが追いかけてまして、これで世界が終るかもしれないという状況。

 シンジくんは例によって「♪生きるってなんなーのか♪(c)浜崎あゆみ)」浜崎あゆみ - MY STORY - Inspireを果てしなく果てしなく果てしなく自問していて、エヴァに乗る決心がついてなくて、ミサトさんはそのシンジくん相手に例によってもっともらしいお説教を果てしなく果てしなく続けているのであった......


.....な、何を迷っているのだ、こういちろう?

 何をためらっているんだ、こういちろう?

Clipboard01c
Clipboard01_16


い・う・な!!

 それでも、もう印税にならなくても便乗するこういちろう。

......中古価格、無茶苦茶上がってる.......

(↑)こっちも直接ブログパーツにできるようにいつの間にかなっていたのね(^^;)

2007/07/03

あなたの好きなヘッドフォンメーカー

 我が愛するGRADOないしALESSNDROは、そもそも聴いてる人が超少数派でしょうから遠慮。私が信奉者なの公言してるのでバイアスかかるし。

 なぜAKGがない? SHUREがない? BEYERがない? スタックスがない? 日本の他のメーカーのだって....etc.という方は、6択ですからお許しを。


追伸:今日は情報収集活動ばかりだったので本格記事はお休みです。

きょうこういちろうで(BlogPet)

きょうこういちろうで、テーマとか体験しなかった。


*このエントリは、ブログペットの「あゆさま」が書きました。

フロイトと言えば?

思わず新しいブログパーツで遊んでしまった。

生まれ変わる(今日のテーマ)[出直し第2版]

BlogPet 今日のテーマ 生まれ変わる
「生まれ変われるとしたら、「男」「女」どちらが良い?」
「もう一度」というのなら、女性として生きてみたい気もします(^^)

 なぜかわからないけど、私もこのブログで取り上げる歴史上の有名人(ayu様を含む!!)って、女性が多いのはなぜなんだろうと思う(^^;)。

J-POPも、男の歌ったのはほとんど聴かないし.....

(↑)制作時のミスで、同じ選択肢2つできていました.....orz

投票やりなおしマス......

一度投票下さった方、ゴメンナサイ!!

2007/07/02

病気の「原因」と「治療」とは何か -ナイチンゲール時代の「公衆衛生運動」と「細菌医学」の奇妙な格執-:序論(第3版)

 この前、ナイチンゲールについて書いたところで、

 さて、この問題について更に論じていくためには、当時、パスツールなどの先駆的業績の中で認識されはじめていた、伝染病や傷の化膿・炎症における「病原菌」の果たす役割についての学術的な研究への関心の高まりが、実際には、公衆衛生活動を重視する政策の実現と「対立」関係にあったという、現在の目から見ると摩訶不思議な事態を問題にせねばならなくなる。

と私は取りあえず締めくくって、「次回に続く」としたわけであるが.....

 私はこれを機会に、結果的に、主として19世紀という100年間において、細菌学・微生物学・公衆衛生学の分野で、ある意味で革命的と言っていい進展が生じたかについてひと渡り勉強し直す必要が生じてしまった。

 そして、19世紀の100年間が、今日では伝染病や衛生問題について、あまりにも常識的になっている事柄が「全く存在しなかった」時代から、それらの一般通念が一気に常識化するまでという、驚くべき科学的発展の時代であることに気がつく。

 そしてそれらの歴史的事実を「点」としてとらえるのではなくて、お互いに関連づける中で、それがある意味であまりに革命的な急激な展開であったがゆえに、その「過渡期で」生じた、不毛な迄の論争と、個々の研究者や実践家の栄枯盛衰や悲劇のドラマにも気がつかされた。

 そこには、「基礎研究」と「現場の実践」の間の軋轢という、今日的なテーマの縮図を見る思いもする。

 それは、産業革命期という、都市への急激な人口集中の中で、劣悪な労働条件と衣食住の環境の中で生きざるをえなかった一般庶民の生活という背景と一体になっていることにも気がつくのである。それは現在人口急増と伝染病の蔓延の問題を抱えた発展途上国の公衆衛生の「現在」の「先取り」に他ならない。

 ナイチンゲールは、まさにこの細菌学と公衆衛生運動の急激な進展の時代とほぼ重なる時期に生涯を送っている(1820-1910)。クリミア戦争への従軍は1854年から1856年である。そのため、彼女の考え方や行動には、古い考え方の限界と、その時代の「現場臨床」の観点からすれば実践的には賢明であるばかりか結果的には適切な判断だった側面、そして、新たな科学的知見の導入に先進的だった側面と、保守的なまでに懐疑的だった側面が矛盾をはらみつつも同居しているのであり、それが彼女の業績への歴史的評価を的確にしていく上での複雑さにも結びついている。

 スモールの書いた「ナイチンゲール 神話と真実」は、そういう意味では基本常識として知っておかねばならない、細菌学や公衆衛生についての知識の水準がかなり高いと言っていいだろう。恐らく、看護や医学の専門課程を経た人には「教養課程」水準で求められるものではあるだろうが、少なくとも心理臨床系の大学院でもここまでは必須教養とはされていない水準ではあると感じた。

 そしてそれは、単に伝染病や感染症、衛生学の領域を超えて、広い意味で「病気とその治療とは何か」という問題について深く考え、認識を深めていく上で、普遍的な問題意識に触れるものであり、我々心理援助職の専門家においても、「病気とその治療とは何か」ということについての基本的認識に関わる素材だとまで感じるに至ったのである。


*****


 今回は、今後の連載のためのチャートとして、取りあえず、心理臨床との接点について最低限のことを示唆しましょう。

 今日、統合失調症や鬱病において、脳内の神経伝達物質の働き方が大きく関連していることはかなり解明されている。今日の向精神薬は、まさにこれらの神経伝達物質のあり方に直接介入することをピンポイントで狙う製品が相次いでいる。鬱病におけるSSRIがその典型である。

 しかし、では、何がそうした神経伝達物質の代謝異常が生じる「原因」なのか?というのは、まだ模索の段階である。

 抗うつ薬というのは、鬱の症状を「抑える」薬ではあっても、鬱の原因を「治療する」薬ではないともいえる。そうした脈絡から、「結局は対症療法に過ぎない」という言い方がよくなされる。

 しかし、これが「対症療法に過ぎない」がゆえに意味がないだとか、焼け石に水を注ぐようなものだと軽視されたらとんでもないだろう。

 「対症療法」ですら、休息などと共に、人間の身体の自然治癒能力を賦活する上では貢献するのであり、「治癒そのもの」における重大な因子なのである(思わず,神田橋先生の「現場からの治療論という名の物語」も連想するが)。

 実のところ、医療という行為のかなりの部分は「原因」そのものを治癒する形ではなく、心身に現れた個々の症状を「対症療法的に」治療することで成り立っている。現在の医学水準では実は原因治療が存在しない場合もある。

 眠れないということは、それが続くと、人の心身を急激に消耗させる。だから、鎮静剤や睡眠薬は意味を持つ。高熱になることもまた、心身を激しく消耗させる。だから、「解熱剤」が意味を持つ。

 「脱水症状」を引き起こす病気であれば、点滴や、最悪の場合にはポカリスエットですら応急には役に立つ場合もあるらしい。

 仮に、その病気が「細菌感染」が原因であるにしても、いったんそれにかかってしまったら、抗生物質のように、体内のその病原菌そのものを死滅させる薬剤「だけで」治療が成立するなどという考えは採られないはずである。身体がそれより先に衰弱したらどうにもならないのである。

 そして、抗生物質の第一号というべき「ペニシリン」が実用化されたのは、何と1940年であり、それ以前に「ワクチン」・・・・病原菌に対する免疫抗体を体内に形成する薬として、実用段階にあったのは、まだ1796年のジェンナーの種痘の発明以降、パスツール家禽コレラのワクチンが開発された1879年まで間があいていたくらいである(当然,この段階では,今日のような「免疫理論」は存在しない)。

 つまり、特定の細菌感染が「原因」と解明されても、その特定の細菌を標的にした「原因治療薬」の開発までには数十年以上の間隙がある。その間、どうやって「治療」していたのか?.....感染予防や消毒・殺菌を除けば、結局「対症療法」だった。しかし、この間にも、伝染病の大流行は以前よりは大幅に阻止され、治療法も進んでいったのである。

 一方、(いずれ述べるが)、19世紀後半におけるコッホや北里柴三郎たちの華々しい活躍で、重篤な伝染病の病原菌が次々発見された時代には、およそすべての深刻な病気が「病原菌」の発見によって原因がわかるのではないかという期待すら抱かれ、様々な病気についての「病原菌探し」が果てしなくなされていった。軍医森鴎外は、軍隊で深刻な問題だった脚気が細菌によるものではないかという仮説に執着したが、結果を出せなかった(皆様ご存知の通り、ビタミンB1不足こそが真の原因である。もっとも、そこから数十年の昔は伝染病の多くが遺伝と栄養不良であるという説も存在した!!)。

 中井久夫先生の著作(「分裂病と人類」)に拠れば、統合失調症も、病原菌があるのではないかと必死で研究した医学者たちがいたのである。


*****


 こうした中、「究極の原因が何であろうと、それを予防したり治療したりするのに役立つ実践を普及させるべきだ」という立場と、「原因をはっきりさせないうちに対策だけを講じても効果が保証できない」という立場の対立。これは今の医療(もちろん精神医学を含む)にも続く軋轢が存在した。

 これが軋轢になるのはなぜか? 研究にせよ、治療実践や、環境の公衆衛生的な改革事業(上下水道の整備や,建物の構造の改革)にせよ、当然資金が必要である、そして、その資金を引き出すために、時の政治権力や投資者へのアピールが必要である。いったんそれが公的な政策や事業となったら、その対策のためにお金が費やされるひとつの経済・社会構造ができあがる以上、もう後には引けなくなる。それまでの仮説が間違っているとわかっても、もはや純粋に学問上の論争を超えて、政治論争・権力闘争化してしまう危険があるのである。

 こうした軋轢は、精神医療の領域では、生物学主義と、診断学、精神科領域における公衆衛生問題、さまざまな治療法(その中の一部としての「精神療法」)との間で存在した。

 こうした、過去の、医療現場と研究と政治と社会構造の間で生じてきた軋轢と不幸な歴史について、過去の教訓として知っておくことはまさに「現在のために」大事であろう。


*****


 だから、医学生や看護学生の読者の皆様には、まるで教養課程のおさらいになってしまう素朴な議論になるかもしれないのは承知の上で、私なりの独学の成果のおおよそを、これからここで公開してしまおうかと思う。

 まるで中井久夫先生がすでに十分著作の中でおやりのことを、「自分なりに」ままごとのように「歩みなおす」ような作業にも思えるが。


*****


 以上、序文だけで取りあえず切り離してしまおう。恐らく数回のシリーズになる。

 続きはこちら


 ちなみに、わたしがどこまで手を出す羽目になったかというと.....


クーラー(今日のテーマ)

BlogPet 今日のテーマ クーラー
「あなたの家はクーラーは何度設定ですか?」
 現在は除湿運転で28度-30度。夏の盛りでも除湿運転で26度ですね。特に自宅の方は、もの凄く壁の分厚い北側の低層階なので、現在でも早朝は「肌寒い」域です。

 職場の方も、高い階で北側の角部屋、玄関側が西で丘に向けて斜面あるので西日の影響も少なく、窓の外が川だったりしますから、面接時間以外、特に夕方以降は冷房を止めて風を通せば扇風機でしのげます。

 自宅はオーディオ問題があり、職場は面接室ですから、防音上「壁が厚い」ことに拘泥したのですが、これにより、夏も冬も、以前住んでたところよりしのぎやすいです。

 そもそも都心より暑くもならず、寒くもならない土地柄ですが。

070702a

.......なんじゃ、そりゃ? 「あゆさま」。

2007/07/01

飲み物(今日のテーマ)

BlogPet 今日のテーマ 飲み物
「夏が近づいてきました。暑いときにあなたがよく飲む清涼飲料水はなんですか?」
今日はテーマが夏ネタである限り内容を無視してこう叫ぼうと思っていたので悪しからず。


「♪明日がもーしもー 雨だったとーしーてもー
  君に会いに行こう
  そしてこの歌を
  君にあげる♪」

浜崎あゆみ - Rainbow - July 1st浜崎あゆみ "July 1st")
  

.....以上、ayu系サイト、年に一度の季節ネタです....

先週の人気記事ベスト20!!(07/6/24-30)

 「カウンセラーこういちろうの雑記帳」週に一度の恒例、@NIFTYココログの、日曜日-土曜日の「週ごと先記事別アクセス解析機能を使っての、先週の記事アクセス「ベスト20」の発表、50回めです。

 固定リンクでのアクセス率の順位から集計しています。アクセス数が同じ場合には、訪問者実数上位の記事を上位とし,訪問者実数も同じ場合にのみ、同じ順位として掲載します。
 7×24時間、つまり6/23日(土)24:00の時点での集計です。

 それでは発表!!

 先週の一週間の総アクセス数、延べ2,443(前回1,833)。(一日平均アクセス349.00。前回261.86)、

 訪問者実数は、1,806名様(前回1,358名様)。

 

 「トップページへの外部からのアクセス」、前回461(43.2%)に対して、今回603(45.9%)
 「サイト内移動」、前回324(30.4%)に対して今回419(31.9%)


 当ブログの「一限さんでない率(リピーター率)」、これは同じ人が一度に「何ページ」記事をお読みになったかと無関係な訪問者「実数」比に基づくもののようですが、前回も今回も7.6%

 「訪問周期」は、毎日おいでになる「完璧常連様」は前回も今回も9名様


 それでは記事別ランキングの方の発表!!


*********

1.欝とは、自分が無理をしていることを認識できなくなる時期にすでに始まっている(→)45週連続

2.「カウンセリング」と「身の上相談」の違い (↑)6週連続

3.インシュレーターは使わないに越したことはない(↓) 44週連続

4.Vistaで、Windows版iTunesのインストールやアップグレードができない人のためのヒント NEW!

5.「2007年6月」のバックナンバー (↓) 3週連続

6.msnのうつ特集について COME BACK!!

7.カウンセラーが、「これを訊いたらクライエントさんを傷つけるのではないか」と感じる瞬間 NEW!

8.鬱的になった人はまず精神科以外の医療機関を受診する傾向がある NEW!

9.再び、「訊(き)く」こと。 NEW!

10.「ケーススーパーバイズ」とは何だろう ~入門編~ (↑) 12週連続

11.オーディオにおける接点復活剤について(↓) 27週連続

12.中年危機!?NEW!

13.「『訊く』」のカテゴリー・バックナンバー NEW!

14.「共感的に」人の話を聴くとは?(入門編) (↑) 3週連続

15.面接の中で、生まれてこのかた言葉にしたことがない「何か」に言葉を見つけようとしているクライエントさんに、つきあえること。 (↓) 3週連続

16.ディック・ミネ、「瀬戸の花嫁」を叱るの巻 (↓) 3週連続

17.「フォーカシング指向心理療法」のカテゴリー・バックナンバー (↓)

18.「訊(き)くこと」への注釈 NEW!

19.言語化による共有 NEW!

20.「夢」についてのフォーカシングについての代表作は..... NEW!


******

 前回の「ベスト20」は27位です。

 今回は、カウンセリング系の記事中心に、久々に新作ラッシュとなりました。しかも、「フォーカシング指向心理療法セラピスト」としての、しかも私なりの立場の表明みたいなのが多い、かなり「通向け」(?)の内容が多かったにもかかわらず、アクセス数大幅に回復したことに、御礼申し上げます。


 これを書いている「今、この瞬間」(7/1 PM 0:48)までの当ブログ文章記事の延べ総アクセス数は、174463、プロフィールとフォトアルバムを含めると199090、(.....つーことは、今週で「20万アクセス」突破ですね)ブログの通算記事数はこの記事で964本めです。

 今後とも、「カウンセラーこういちろうの雑記帳」を、よろしくご贔屓(ひいき)に、お願い申し上げます。

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