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2007年6月

2007/06/30

「ナイチンゲール 神話と真実」について

 ナイチンゲールについて、書く、書くといいながら、ずっと先送りになってきた。

 その理由のひとつは、これを機会にいろいろ調べる必要があることが連鎖反応的に出てきたからである。

 結局、公衆衛生学の歴史から細菌学黎明期の歴史までいろいろ調べる必要が出てきた。

 しかしの記事は、その「前編」として、スモール著「ナイチンゲールの神話と真実」(田中京子訳 みすず書房)のおおよその紹介としたい。

 なお、この著作に関しては、次のサイトの記事が、取りあえずの参考資料になる筈である。

●フローレンス・ナイチンゲール 復讐の天使 (上掲書の原著の紹介の日本語版) 

 「後編」は、ナイチンゲール自身の「看護覚え書き」の時代的限界と、それにもかかわらず今日にも通じる、公衆衛生学、細菌学、薬との兼ね合いの問題について述べる予定である。

 ナイチンゲールがクリミア戦争(1854-6)に従軍して、コンスタンチノープル近郊のスカタリ(スクタリ)の病院で、史上初の「修道女ではない看護婦の一団」を統率し、クリミア半島の最前線から次々送られてくる数多くの傷病兵を看護したことは、戦争中からイギリス本国に大々的に報道され、「ランプを持った貴婦人」の活躍はロングフェローの詩にも歌われ、一躍時の人になる。この時集まった基金が、戦争後、世界初の、ナイチンゲールの名を冠する看護学校のロンドンにおける創立に貢献したことはよく知られている。

 ところが、各地から送られてくる傷病兵を収容した一大医療センターだったスカタリの大病院は、実際には、ナイチンゲールの看護婦団が着任した、急激に病院内での死亡率は4ヶ月の間に、8%から42%へと、急増していたのである。病院に搬入さえるや否や、急激に衰え、死んでいくすし詰めの傷病兵たちを、看護婦たちは看取っていくたけの無力に苛まれていたのである。

 ナイチンゲールは、それがもっぱら食料をはじめとする援助物資が前線の兵士に迅速かつ確実に到着しないことによる栄養不良や、前線からスカタリの病院に傷病兵が移送されるまでの段取りが遅過ぎ、手遅れになってから移送されていることにあると考え、軍の補給や移送の体制を痛烈に批判し続けた。「もっと早くスクタリに傷病兵を回せ」と。

 更に数ヶ月後、民間人を委員とする調査団がスクタリの病院を訪問する。時の大臣から強力な権限を与えられたこの調査団は、スカタリ病院の衛生状況の劣悪さに気がつき、通気の悪さ、排水や屎尿処理の問題、患者のすし詰め状態についての改善を突貫工事で一気に進める。その後にはじめて、スカタリでの死亡率は42%から2%へと劇的に低下したのである。

 ところが、この死亡率の劇的な変化を、衛生状態の改善の成果であると、当のナイチンゲールはこの段階では思っていなかったのである。

「この冬にスクタリに送られてきた兵士たちが亡くなったのは,瀕死の状態になってからようやく送られてきたためです------今では手遅れにならないうちに送られてくるので,彼らは死ぬことなく快復しています」(現地から大臣への手紙)

 ナイチンゲールが「運ばれてくるのが手遅れだったから」ではなくて「スカタリの病院の衛生状態が劣悪だったから」死者が多かったのだという現実にほんとうに直面したのは、イギリスに帰って、調査団の統計担当者と共に、時期別・部隊別・送られた病院別の死傷者の推移についての膨大な統計を詳細に分析する中でだった。

 最前線の野戦病院にいたままだったり、スクタリ以外の病院に収容された傷病兵に比して、スクタリに搬送された「衛生改革以前の時期の」兵士たちの死者数だけが際だって高率であるという、覆うべくもない事実。

 クリミア戦争で戦死したイギリス軍兵士(この段階のイギリスの兵制では全員志願兵で、しかもエリートの子弟が多い)のうち、16500人は、前線での傷そのものの深さではなく、送られた先の病院の衛生状態の悪さ故に死んだだけであるという、スキャンダラスな現実である。

 「早くスクタリに搬送しろ」というナイチンゲールの要求は、「早く死にに来い」と要求していたも同然という、予想外の現実に、ナイチンゲールは直面し、耐えねばならなくなる。

 極端なケースでは、傷病兵でもなく、たまたまスクタリに短期間「宿泊地」として立ち寄っただけの兵士が突如死に至るケースすら、まま見られたのである。

 ナイチンゲールは、世間から引きこもり、体調を崩しつつも、その後の人生の中で、この「医療過誤」への自分の責任への罪悪感と戦い続ける。

 州の長官の娘という名家に生まれ、父親からの個人教授の中で学問に目覚め、専門知識を習得し「女性もこれからは職業をもって社会に出て行くべきだ」という思いに取り憑かれていた若い日々。家族が大臣や政府高官とも交際がある中で、自分を社会に生かす仕事がないかを繰り返しアピールしていった中で誘いの声がかかったのが、クリミア戦争への看護婦長としての従軍だった。

 ナイチンゲールの活躍がマスコミを賑わせたのは、実はイギリスが軍隊を大量にヨーロッパ大陸に派遣したという点ではその後第1次世界大戦までなかった動員数となったクリミア戦争が泥沼化する現実と戦争の犠牲者への政府の責任の問題から目をそらさせるという面もあったし、2万単位の「戦死者」が、前線での死ではなく、それの各地の兵士が収容された後方の「センター」的野戦病院の衛生環境の悪さ故の死であったなどということは、政府や軍にとっても一大スキャンダルであり、この戦争で、「軍隊の統帥権」を再び王のものとしようとしたヴィクトリア女王の名声にも関わりかねない問題だった。だから、このスクタリ病院の衛生環境が死者を激増されたという冷厳な「統計的事実」を政府は闇の中に葬り、ナイチンゲールには光栄ある処遇をしてことをおさめたがったのである。

 ところがナイチンゲール自身は、自分のそれまでの名声をもろに傷つけるのを覚悟で、軍の衛生問題、ひいては公衆衛生問題についてのイギリスの政策を転換させるための貴重な教訓として、議会や政府、そして王室が耳を貸すように、詳細でわかりやすい統計つきの「秘密報告書」を起草、病身をおして、果てしないロビー活動をしていくことに、残りの生涯を費やしていくのである。

 しかし、政府は、ナイチンゲール自身がナイチンゲールの名声を傷つけることを許さなかった!! どうも、首相との密約で、ナイチンゲールがどこかで今日でいう「暴露本」を出版しないことを条件に、その後のイギリスの公衆衛生政策にナイチンゲールが期待する人材を登用していくことに便宜をはかるという形になったようである(政見が交代する中で、それも順調に運んだわけではないようであるが)。それでも、政府がその報告書を闇に葬ることにしたした時、彼女はそのコピー100部を、イギリスの有力者100人に「秘密厳守」としながらも送りつけることまでしている。

 後世のナイチンゲールの伝記作者の中には、スクタリ野戦病院での衛生改革を主導したのがナイチンゲール自身の業績である、という記述をしているものもあるようだが、実態は、戦地から帰還して、最初は軍の傷病兵移送の遅さの証拠を得るつもりで、膨大な統計資料を冷静に検討する中で、「図らずも」認めざるを得なかった「予想外の現実」であり、いわばその「罪滅ぼし」として、その後のイギリスの公衆衛生改革運動への協力に尽力したという方が正しいらしい。
 

******

 さて、この問題について更に論じていくためには、当時、パスツールなどの先駆的業績の中で認識されはじめていた、伝染病や傷の化膿・炎症における「病原菌」の果たす役割についての学術的な研究への関心の高まりが、実際には、公衆衛生活動を重視する政策の実現と「対立」関係にあったという、現在の目から見ると摩訶不思議な事態を問題にせねばならなくなる。

これについては次回

ブログの訪問者(今日のテーマ)

BlogPet 今日のテーマ ブログの訪問者
「あなたのブログは誰に見られていると思いますか?」
いったい誰なんでしょね? カウンセラー、カウンセリングを受けようかどうか迷っている皆様、フォーカシング関係者、ayuファン、オーディオファン......そうした皆さんが混じり合っているのだと思いますが。

 その時その時で、記事がすごーくジャンル的に偏るにもかかわらず(今週はカウンセリングとフォーカシングばっかりだし、ayuの新譜が出るとayu関係ばっかりになるし)、全体としてはおいでいただく皆様が上昇はしてきたことには誠に感謝いたしております。

 ただ、最近、一度に読まれる記事の数が以前ほどではなくなってきて、ユニークアクセスとトータルアクセスの差がなくなってきたので、結構過去記事は読まれ尽くしてきたのかな?とは感じています。

2007/06/29

「究極の」フォーカシング指向心理療法とは?

 カウンセラー側が、面接の場の流れ全体をフェルトセンスとして感じながら(そこには、当然、「クライエントさんが」面接の場の流れ全体をどのように感じているかについて、カウンセラーが、クライエントさんの「身になって」感じていく過程も含まれる)、個々の応答や、面接をどう進めるかについての提案を吟味した上で振る舞い続け、更にその結果、そうしたカウンセラー側からの応答や提案を、クライエントさん自身が実感としてどう受け止めているのかについて照合してもらうように促し、その結果を尊重する方向に面接を進めているならば、その面接過程は、すべて、フォーカシング指向心理療法的面接であるといえるだろう。

 そこで「フォーカシング」だとか、「フェルトセンス」という言葉が使われているかどうか、あるいは「それを身体に戻してじっくり感じてみて下さい」などという教示が用いられるかどうかと言うことすら本質的ではない。

 優秀な行動療法家や、認知療法家、プレイセラピストやダンス療法家、ユング派の臨床家が、こうした点で、実質的には、フォーカシング指向心理療法の原則と結果的に完全に一致したセラピーをしていることなど、いくらでもあり得ることになる。

 ある観点からすれば、フォーカシング心理療法的アプローチは、もはや特定の技法体系ではない。道具立てとしては、「なんでもあり」なのであり、「ただの、必要に応じたカウンセリング」なのである。

「フォーカシング指向心理療法」とは?

「フォーカシング心理療法」のセラピストというのは、カウンセリングのプロセスを、クライエントさんが感じている、言葉にならない「実感」(=フェルトセンス)と「照合」しながら進めるように、絶えず気配りできるセラピスト(カウンセラー)のことである。

 クライエントさんには、自分の実感が求めて行く方向にカウンセリングを進める「主導権」があるわけですね。

 だから、例えば、クライエントさんが、

「きのう、職場で凄い失敗をして、家に帰ってからもそのことがあとを引いて、きょうまでずっと落ち込んだ気分でいたんです」

と話していて、カウンセラーが、

「試しにその落ち込んだ気分のそばにやさしくたたずんであげることはできないでしょうか?」

という提案(フェルトセンスに触れるための典型的な提案)をした際に、

「......あの、今はその落ち込みに触れて行くより、まずは、きのう職場で何があったのかをじっくり話してみたいんですけど」

とクライエントさんが言い出したならば、まずはそのことをカウンセラーは受け止め、優先せねばならないことになる。

 つまり、クライエントさんの、フェルトセンスに今は触れたくないというフェルトセンス(!)を優先するのが的確である。

 こういう時に、クライエントさんに、「ほんとはその落ち込みそのものに触れなおすなんて嫌なんだけど、カウンセラーの先生が求めて来たことなんだから、そのとおりやらないと」という方向に向かわせないための柔軟な配慮ができるか?


*****


 更にいえば、その後の展開で、

「昨日のような仕事上のトラブルを起こさないためにはどうしたらいいのかの対策を具体的に、(カウンセラーの)先生と一緒に考えてみたいんです」

と,クライエントさんが言い出したら、どうするか?

 「なるほど、では、私とあなた、それぞれが、どんな対策が考えられるか、これまでうかがった話全体を感じなおしてみながら、探ってみるための時間をしばらく取りましょうか」

などというふうにして、沈黙の時間を数分持ち、その後で、まずはクライエントさんの対策案を言葉にしてもらい、続いて、その案の「しっくり来るところ」「しっくり来ないところ」を感じなおしてみてもらうことも出来るかもしれません。

 当然、カウンセラー側の案も、クライエントさん側がそれを「しっくりくるかとうか」感じなおしてもらう沈黙のひと時をお取りすることになるでしょう。


.......このくらい、柔軟でなければならないのが、フォーカシング指向心理療法だと思います。


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 このようにこの記事で説明してみるヒントになったのが、この本。


パーソン・センタード・セラピー -フォーカシング指向の観点から- (バートン著 日笠摩子訳)

サラダ(今日のテーマ)

BlogPet 今日のテーマ サラダ
「あなたがサラダにかけるドレッシングは何ですか?」
ゆず系。

2007/06/28

言語化による共有

 これまた「訊く」のテーマの延長とも言えるけれども。

 人は、自分の感じていることを、「具体的に」他者と共有して、受け止められたと感じる体験を経てはじめて一息つけることは多いように思える。問題そのものがその段階で解決されているかどうか、見通しが立つかどうかとは関係なく。

 そしてそれは、単に「カタルシス」だとかいう場合、聴き手ががそれをどう共有したかということがないがしろにされる危険もある。「受容的・共感的に」というはやさしいが、聴き方次第では、それが表面的な受容になったり、余計ななぐさめの元気づけの一言が、語った人の思いを台無しにしかねないほどに、デリケートな問題を含むように思う。

 「何か」語り尽くせていないという不全感が話者にないかどうか、十分に受け止めてもらえた気がしているかどうかを丁寧に確認し、当初語った時点では言葉にならなかった「何か」を話者が的確に言語化できるようにサポートするのも聞き手の務めであるし、話を聴いた結果どのように感じているのか的確にかつ自己一致した誠実な、しかも話者への共感性とも両立する形で言語化できるかどうかも重要であろう。

 場合によっては、

あなたの話を聴いて、どう言葉を返したらいいか思い浮かばない。下手に『たいへんですねえ』と言葉にしてしまうことすら失礼な気もして」

などという言い方ですら意味があるだろう。ただ何も言葉を返せないまま黙っているくらいなば。

 相手をひとりきりで取り残してはならない。

 受け止め、共有する勘所を外さなければ、そうやって、事態や気持ちを吐き出した後、別れた後も、相手をひとりぼっちに取り残すことにはならないだろうと思う。

 そうした際に、ただ、受け身に聴いているだけではなくて、「訊く」能力が重要な意味を持つ。相手が語るのも辛いことや、語るのに勇気がいったり、そういう言い方をするのは手前勝手だとか、恥ずかしいことだと思うあまり、口に出さないまま呑み込んでしまいかねない部分を、敢えて言葉にしてもらうきっかけになるためにも。

 常にではないかもしれないけど、人に相当程度悩みを打ち明けつつも、死に至ることを避けられなかった人の中には、そうした、思わず「口にするのを躊躇した」部分、あるいは、後になってみて、「あの場ではこのことまでは言えずじまい『だった』」と気がつき、それで十分言い尽くせたと相手に伝えてしまっていたことの後悔を処理できなかった人もあるのではないかと思う。

 ....人は、いったん言葉にしてみてはじめて、それまで脳裏にものぼらなかった自分の気持ちに、順送りに気がついていくこともあるからである。

 少なくとも、「言いたくとも言えなかった」ことをクライエントさんの中に蓄積させないカウンセラーではありたいと、心から思っている。

2007/06/27

お茶(今日のテーマ)

BlogPet 今日のテーマ お茶
「紅茶?緑茶?ウーロン茶? あなたが好きなお茶の種類を教えてください。」
夏はやっぱり「煮出した」麦茶と行きたいものですなー。

それにしても、ウーロン茶やお茶、あるいはミネラルウォーターのペットボトルが飲み物の中心になるとは、若い頃は全く想像しませんでした。

 大学に入ったばかりの頃だったか、帰省のために「はやぶさ」に乗る東京駅のホームで「お茶を缶入りで売っている」のに生まれてはじめて遭遇して、珍しくて感動し、その時の「ちょっとブリキっぽい飲み心地」(アルミ缶ですらないのだよ)を今も覚えているこういちろうであった。

 まだ、東北・上越新幹線もなく、当然「大清水」も売っていなかった時代と思いねえ。
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2007/06/26

「訊(き)くこと」への注釈

大事な点ですけど、そうやって更に具体的に話してもらうように誘い水をかけて、

「今は具体的なことまでは話したくないです」

とはっきり言われたら、それ以上深追いはしないで取り下げる、という原則はもちろん重要だと思います(^^)

いさとなれば具体的なことまで話につきあう用意がある、ということが伝わることが大事で、聞き手の個人的な関心のためだとか、「話さねば始まらない」式の強制と受けとられては意味がありません。

またもや「訊(き)く」問題 -体験過程尺度との関連で-

 「訊く」のテーマ、ひたすら引っ張ってますが。

 以前、体験過程尺度(Experiencing Scale) という、クライエントさんの話の深まりについて、面接の逐語記録と録音記録に基づき、第3者が7段階に評定する尺度があることについて、架空の実例に基づいて示した。


 その中のStage1からStage4までをとりあえず手短にもう一度紹介すると、


●Stage1:新聞の報道のような第3者的叙述。話者自身(「私」)は登場しない。

●Stage2:話題の主人公は「私」であるが、「私」の気持ちについての明白な叙述はない

●Stage3:「私」の気持ちについても「挿入的に」語られる。

●Stage4:話題はもっぱら「私」の気持ちそのものである。


 「体験過程インタビュー」という手法がある。これは、体験過程を次のStageに高めるための喚起的な問いかけをカウンセラー側がしていく技法である。これに従えば、例えば、


Stage1→Stage2 : 「その時、あなたはどうしていたのか、もう少し話していただけますか?」

Stage2→Stage3 : 「あなたはその時どんな気持ちでいたのか、もう少し話していただけますか?」 

Stage3→Stage4 : 「あなたはその時感じていたその『悲しい』気持ちについて、もっと話していただけますか?」


などといったものが典型だろう。


 これに、 最近述べてきた、私の言う意味での「訊く」という機能を対応させると、この中の前二者、つまり、もっぱらStage1からStage2、Stage2からStage3に相当するクライエントさんの発言を、より詳細にしてもらうといううことである。

 いや、それどころか、stage1のまま、特定の話題について更に詳しく話をしてもらうだけでも、「訊く」ことになるのだ。例えば、「お母さんって、どんな人なの?」と問いかけた結果として、お母さんの過去の生い立ちについて詳しく語ってくれても、それが話者自身や話者自身の気持ちについての言及を全く含まないことがあり得る。しかし、私は、そういうstage1を更に話してもらうだけで、大きな意味がある場合があると敢えて言いたいわけである。

 普通に「身の上話」を対話している場合、少なくともこの中のstage 3までならごくあたりまえに到達できる人が多いため、こうした「体験過程尺度の低いステージが持つ意味」について積極的に検討されることが少なかったようにも思える。

******

 次のような仮定に立ってもいいのではないか? 

「より低い体験過程水準が、カウンセラーとの対話の中ですでに十分に実現されていることが、より高い体験過程水準が面接の中で十分に機能する上で必要である」

 もし、その人が、Stage1からStage3までの「低い水準の」体験過程レヴェルで、その時点で、語り得る話を、カウンセラーとの対話の中でそこそこには共有しないうちに、stage4以上、つまり、具体的感情ついての話を繰り広げることには、実は無理があるのではないか???

 ちなみに、フォーカシング、つまり、自分の中の漠然とした言葉にならない感じに注意を向けながら語る言葉を吟味していこうという姿勢が喚起されている状態は、Stage5である。

****

 実は、このことが、特に、フォーカシングを基本として学んで、現場臨床の技量を高めていくカウンセラーに(そのすべてではないにしろ)、カウンセリングスキルの上で、ある基本的な偏りを生み出す可能性があるのではないか????

 フォーカシングを学んでいると、Stage5に到達しているかどうかばかりに関心が向きやすくなるのである。

 ところが、生産性の高い面接過程ですら、1回の面接の中でStage5に乗る瞬間は、ほとんど全くないか、出てきてもホンの限られた箇所というのは、ごく普通である!!

 それどころか、「フォーカシングは、自分の悩みの細かい内容について相手に話をしなくてもすることができます」とすら吹聴されている(^^;) このことが、フォーカシング関係者に、低い体験過程水準で相手に話をすること、あるいは、そういう話し方をする人間に延々とつきあって聴き手になることを回避する傾向を生み出している場合もあるのではなかろうか???

 しかしそれは、ひょっとしたら、stage4までの対話を十分にうち解けて繰り広げられた上で成立したクライエントさんとカウンセラーの関係性における、十分に安定した「基礎」ないところで更に高い水準を目指してしまうという「無理」を生み出している場合もあるのではないかとも思える。

 体験過程水準は「上げれば」いいものではなくて、「上がる」ことを可能にする、低体験過程水準でのコミュニケーションによる「なじみ」も、ことフォーカシングの「技法としての」習得それ自体を目指すわけではない場合関係性の上で必要であるという仮定である。

 恐らく、これが、通常のカウンセリング的な面接と、最初から「フォーカシング」のフォーマットのもとになされる相互作用の大きなギャップとなっている場合もあるように思う。

 もとより、フォーカシングにおいても、気がかりな事柄そのものについての十分な傾聴は、リスナーにとって本来基本である。何らかの意味で、カウンセリングや心理療法的側面がある形でフォーカシングのセッションを行い場合には、「フォーカシングしてもらうこと」よりも、まずは、フォーカサーの話を傾聴することそのものに時間を費やすばかりになっても、状況によってはやむなしという判断をリスナー/ガイドはできる必要がある。

 しかし、場合によっては、体験過程水準でせいぜいStage2の水準の話を、フォーカサー(クライエントさん)にもっとしてもらうように促すことがむしろ生産的という場合もあることについて、再認識してみるのも意味があるのではないかと思える。

以前書いたこの記事もご参照下さい。


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パソコンまわり(今日のテーマ)(BlogPet)

あゆさまが今へまわりっぽいblogしなかったよ。


*このエントリは、ブログペットの「あゆさま」が書きました。


「あゆさま」、またわけのわからないことを。

「今」へ
「まわりっぽい」blogする.....って何さ?

....と、ひとまず「訊(き)いて」おこう(^^;;;)。

カウンセラーが、「これを訊いたらクライエントさんを傷つけるのではないか」と感じる瞬間

 前回の「訊(き)く」論再論への更なる補足。

 少なくとも、カウンセラーが、「これを訊いたらクライエントさんを傷つけるのではないか」と感じる瞬間に、それをはっきり「自覚する」(アンのフォーカシング用語で言えば"acknowledge"する)ことは大事ではないかという気がする。

 一般に、

「これを訊いたクライエントさんを傷つけるのではないか」

と感じる時というのは、

「それを聞いて(敢えて文字を使い分けている)しまうと、自分(カウンセラー自身!!)が動揺して(傷ついて!)しまうのではないか」

という恐れが「投影同一視」されたものである可能性は、考量して見る意味があるのではないかと思う。

 「ひいて」いるのはカウンセラーではないかということ。

 クライエントさんが、その,カウンセラーの側の微妙な「引き」を、非言語的に覚知して、それ以上話すのを引っ込めるということは大いにあり得る。

 少なくとも、クライエントさんの側に、そういう「踏み込んだ」話をしようとすると、相手が「無関心な態度を何となく示して来る」という、歪曲された(?)認知(これ自体投影同一視)が日常の中で固執されている可能性はある。

 .....恐らく、これは、多かれ少なかれ、両者の「共謀」だろう。


*****


 .....少なくとも、カウンセラーの側が、

「ここから先まで『立ち入って』話を聞くことに躊躇している自分がいる」

ことをはっきり自覚してしまえば、それでカウンセラーは自己一致しているのである。

 それだけで、カウンセラーからが、更にその件について具体的に話してもらうように促さなくても、どういうわけか,クライエントさんは、そこから先の話を自分から語り出すかもしれない!!

 なぜなら、クライエントさん自身も、その瞬間に、「躊躇している自分」と向き合い、受容する方向に、関係性の中で、何となく、なってしまうから!!

 ........論理的ではないが、そんな気がする。

ホームページ(今日のテーマ)

BlogPet 今日のテーマ ホームページ
「あなたがいつも見ているホームページを教えてください。」
 私のブラウザのトップページは、全部のパソコンがMSNなんです(macパソコンまで!!)。

 ニュースサイトとしてみたら、娯楽色とオタク色(?)が強いと常々感じているのですが、なぜか、パソコンを毎日最初に覗くのはこのページというのが頃合いがいい。

 あと、一気に個人サイトの次元になると、王子のきつねさんサイトの常連なのは、時々ご紹介している通り。そっちでは少しネット人格違います(爆)

 あと2つ、現在「定期巡回」しているサイトがありますが、内緒(^^)。

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2007/06/25

再び、「訊(き)く」こと。

 この2年間ぐらいで、自分の面接の何が変わったろう? 意味があったろうと振り返ってみると、結局、以前も書いた、「訊(き)く」ことなのだろうという気がする。

 以前にも書いたような、簡単な例をあげると、

「きのう、職場で、仕事上のことで失敗して、ずっと落ち込んでいたんです」

という話がされていたとして、以前の私なら、

「きのうのことが後を引いて、すっと落ち込んでいたんだ」

と返したり、

「どんなふうに落ち込んでいたの?」

という尋ね方はしても、

「仕事のことで失敗したって、どんな失敗してしまったの?」

という訊(き)き方は、自分からはあまりしなかった気がする。

「とても人には言えないような、社会人として失格な、初歩的なミスで......」

などと更にいわれたら、もちろん、

「こんなことは社会人としてはあってはならないと思えるような、すごく恥ずかしいミスだった気がするんだね」

などとますは言葉を返すけれども、本人がそれでも「ええ」とうなづくだけで、それ以上そのミスの中身については触れないままだったとする。

最近の私だと、こういう時に、

「その、とてもとても人に言えないような、社会人として失格のミスというのを、ぜひきかせていただけたらという気もするのですが(^^)」

....などと、ちょっとユーモアを込めつつも、はっきりその人に告げることが増えた気がする。

もちろん、

「どんなミスしたの?」

だけでもいいと思うのだが。


****


 これはカウンセリングに限らないことでと思うが、相手に関心を持っているということを一番相手に示す態度というのは、自分が、相手について「気になる」ことを訊(き)いてみようとすることではないだろうか。

 そして、相手が話すままに任せ、それをうん、うんとうなづいているだけならば、実はその相手が、ほんとうに人との関わりの中で伝えたいと思っていること、人と「思いを共にしたい」ことを、こちらに話してみようという気になるチャンスをみすみす逃しているようにも思える。

 人がある思いを抱くに至る背景やそこまでの具体的な物事の流れに関心を抱かずして、相手の気持ちを受け止めようという意識があるといえるのだろうか?

 さっきのような打ち明け話を始めた人に対して、例えば、

 「仕事上のミスで落ち込むってこと、よくあるよね」

などとだけ応じるのは、相手の気持ちを「汲んだ」のではなくて、「先取りして」、受け止めた姿勢を示しているに過ぎない。


****

 どうも、相手の「気持ちを受け止めること」が大事、ということを、以前の私は少しはきちがえて理解していたのではないかと思う。

 全く初歩的な事柄で、私の性格的なこともあるのかなどとも思うけれども、ほんとうにそれだけだろうかとも思う。

 私個人のことを振り返るにつけ、どうも人にほんとうに「心配してもらえている」と感じる体験が妙に乏しいと思う。
 
 こちらの気持ちを無視して相手の価値観や意見を押しつけられるような「干渉」は大嫌いであるが、「あと一歩つっこんでこっちの心情や具体的状況について訊(き)いて来てくれてもいいのに」という心境になることは多かった気がする。

 なぜか、カウンセラーの世界に入って、そういう気分になることが多かった気がする(^^;)

 そして、相手の個人的な事情に「立ち入らないようにする」のが相手への配慮である、という感じ方が、主流の文化の中に私たちがいることも確かなのではないかと思う。

 でも、その「一線」が、人を孤独に追いやっていることが多いのではないか?.....そういう気もするのである。
 

 いわゆる、「立ち入った」ことを、訊けるかとうか?

 障(さわ)りのない空気を超える危険を犯してはじめて得られる、うち解けた空気。

 それだけで、「役に立った」と言ってくれ、いつの間にか立ち直っていく人が少なくない現実を感じ始めている。

鬱的になった人はまず精神科以外の医療機関を受診する傾向がある

msn=毎日の記事より。

●自殺防止:NPO、精神科医など連携 静岡・富士で


静岡県は不眠などの身体的症状を見逃さずに自殺防止につなげようと、NPO法人を含む全医療窓口が精神科医と連携する独自の取り組みを同県富士市で7月から始める。県は厚生労働省に地域自殺対策推進事業として採択を申請中。人口約24万人の産業都市ぐるみでの自殺防止の仕組みは、全国の先駆的取り組みとして注目されそうだ。

 静岡県精神保健福祉センターによると、自殺者の大半が自殺1カ月前以内に不眠や疲労感などを訴え、精神科以外の医師を受診していた。このため同市では、一般的に自殺率が高い年代の35~69歳の市民に、「眠れない」「食欲がない」「だるくて意欲がわかない」の3項目を自己点検できるリーフレットを配布。問題を訴えた市民にまず、かかりつけの医師などに相談を促す。

 市では今年1月から、県と市医師会の協力で一般の医師と精神科医が連携し不眠や食欲低下の症状のテストや専用紹介状も用意しており、取り組みの下地ができていた。

 県では05年の自殺者814人のうち40~50歳代の男性が3割強。精神科の受診に抵抗感が強いことや、この年代の男性の中には医師の指摘に「おれはそんなに弱くない」と反発する人もいるという。同センターの松本晃明所長は「抗うつ剤を飲むだけで自殺を免れることができる。将来は睡眠薬を扱う薬局にも協力してほしい」と話す。

 自殺予防について多数の著書がある高橋祥友・防衛医大防衛医学研究センター教授(精神医学)は「自殺防止のために自治体ぐるみで一般医と精神科医が連携することは珍しく、特に企業城下町の富士市のようなところでは、全国のモデルになるかもしれない」と話している。【稲生陽】


> 自殺者の大半が自殺1カ月前以内に不眠や疲労感などを訴え、
> 精神科以外の医師を受診していた。

 これは恐らくそうだろうと思います。

 自殺者=重度の鬱の人というわけではなく、例えば統合失調症になりはじめた人も、自殺の危険が生じる場合があるわけですが、私のカウンセリングングルームにおいでの方でも、自分の直接の相談ごとのメインには必ずしも語られなくても、「眠れない」「食欲がない」「だるくて意欲がわかない」などといった状態に実はすでにある方が少なくないわけです。

 そういう来談者の方に、「お医者さんに行かれましたか?」というと、恐らく5割以上の頻度で、内科をはじめとする、精神神経科・心療内科以外のお医者さんに行かれたということは言われます。

 以前もお書きしましたけど、「鬱」というのは、知識としてそこそこ知っているつもりの人でも、自分の、この、「眠れなさ」「食欲のなさ」「だるさや意欲のわかなさ」が、「鬱」というものなのだということを、全く自発的に自覚できたり、認めることができるわけではないことが少なくありません。

「こ、これで、十分『鬱』というものにあたるわけ?」

.....それこそ、カウンセラーのような専門家でも、「自分が」鬱になったと、冷静に自分だけで判断できることは必ずしも多くはないでしょう。

 特に、自分が、例えば一ヶ月前に比べると、目に見えてだるい日が続くようになったとか、意欲が衰えた、それが1日や2日の休息ではほとんど回復しないとなれば、十分に鬱の可能性を考慮に入れてもいいのですが。

 私は、そうしたケースについては、クライエントさんの受け止められる形で、「鬱状態」の可能性もあることを理解していただきます。そうしたお話し合いの上で、やっと、自然な流れで、

「.....やっぱり、『鬱』ですかね?」
「......そうですね。確言できませんが、お医者さんの判断を仰いでもいいような気がします」

という自然なやりとりになることは少なくありません。

 そして、念のために心療内科か精神神経科の医療も受診して診断を受けてみることをお薦めし、その地域の信頼できそうな病院も紹介し、その診断の結果を受けて、カウンセリングのあり方を考えることをお薦めします。

****

 私は、カウンセリングや心理療法が、薬物療法の「代わりになる」ということはないと思っています。

1.適切な薬物療法と、お医者さんとのいい関係(医者という名の薬)がベースにあり
2.以前よりも無理をしすぎずに済む、「徐行運転」や「臨時の休息」が可能な生活状況を確保していただき、
3.カウンセリングに通うことが、ご本人の心身の休息を妨げる形にならない場合に

はじめてカウンセリングや心理療法は効果を発揮するものと思っています。

 中には「薬が効かない」という方もありますけど、そういうケースのかなりの部分は、お医者さんとのコミュニケーションがうまく取れていない場合が多いという気がします。以前も書きましたが、私のような開業カウンセラーの仕事のひとつは、クライエントさんが、診察の限られた時間内で、お医者さんとうまくコミュニケーションを取る「コツ」をその都度伝授していくことでもあると思っています。

 「精神神経科」に抵抗があるならば、「心療内科」の看板も掲げた「内科」の開業医で、最初は十分だと思います。もちろん、何らかの身体疾患や、更年期障害などが、「元気がなくなる」原因と言うこともありますけど、心療内科では(精神神経科もですが)、当然、そういう身体因の可能性について、検査なども含めて鑑別診断もした上で治療方針を決めていくものですので、精神科や心療内科に行ってしまったら、安易に「鬱」と決めつけられるなどというご心配には及びませんが。

*****

 上記の記事では、精神神経科医以外の医用窓口ばかりではなく、今後は睡眠薬を扱う薬局などとも連携する方向を考える方向のようですが、こうしたネットワークは、例えば育児相談、法律相談、消費者問題相談、ハローワークなどの組織や機関とも連携されていくのが望ましいでしょう。最近はハローワークに臨床心理士が置かれている地域も増えてきたようですけども。

パソコンまわり(今日のテーマ)

BlogPet 今日のテーマ パソコンまわり
「あなたがパソコンの周辺機器で、こだわって選んだアイテムを教えてください。」
職場のパソコンのスピーカを、BoseのMediaMate IIにしていることと、同じくパソコンの電源ケーブルが、こともあろうか、オーディオで昔流行った6Nケーブル(純度99.9999%無酸素銅)を流用していることか?

 ケーブルによってパソコンでも音質や画質が変わるのかですって? 何となくですが、変わる気がする.....

 BoseのMediaMate IIについては、パソコンでのプレゼンで持ち歩くこともあるけど、このサイズから、バスウーファーなしであの音が出るとびっくりされる場合もあるみたいですね。うまく演出された、聴きやすい音だと思います。

050723_2356_1


 ただし、もう「現行製品」ではなく、以下の後継機種に道を譲ったみたいですね。

マイクロミュージックモニター
コンパニオン2 II


070625

.....そんなに「身も細る」ことがあるのか?

2007/06/24

Vistaで、Windows版iTunesのインストールやアップグレードができない人のためのヒント(第2版)

 実は私、Vistaにアップグレードして以来、Apple Software UpgradeiTunes(当然Windows版。7.0以降)のアップグレードのインストールの次の表示の部分で行き詰まっていた人間でした。

 具体的に言うと、インストールしようとすると、

Error_1

 この、

「Visual Basic Script(VBScript)がインストールされていないか、無効になっているため....」

という表示が出て、iTunes+QuickTimeのインストール続行不可能になるのですね。

 実は、アップグレードできないままでもCDからのコピーとかはできるんだけど、iTunes Music Storeからのダウンロードは認証されないという困ったことになっていたんだけど、ほとんどがCDからのロスレスコピーでiPod聴いてる人間なので、不自由しすぎることもなく、解決先送りにしていたのですね。

 Appleサイトを含めて、いろいろ解決策を探していたのですが、私がみつけたどの解決法でもうまくいかない。

 実は、以下のサイトで、はじめて遭遇する解決法を見つけたので試してみたんです。


●shino-blog : VBScript で Vista に iTunes 7.0 のインストールができない T-T (解決した)

【追記】Appleサイトの

iTunes and QuickTime for Windows: 2738 エラーでインストーラがクラッシュした場合の対処法

で書かれているのも基本的には同じ説明ですね。

 しかし、ここで書かれている、

1. アクセサリ→コマンド プロンプトのコンテキストメニューから「管理者として実行...」
2. regsvr32 vbscript.dll をコマンドプロンプトで実行

このやり方でもダメでした。

 しかしそこで表示された「エラーコード」を使って更に検索をかけたら、iTunesと関連つけてないけど、

「管理者のユーザーネームが全角文字であることがインストローラーの挙動に影響するケースあり」

という記述をみつけた。

(実は、再起動の際にそのページが履歴から消えてしまってます。引用できずにスミマセン

パソコンの初期設定をする際や,Vistaにアップグレードした際に、ユーザー名を漢字やひらがななどの「全角文字」になんとなくしてしまうことってよくあると思うんですけど。

つまり、

「設定」→「コントロールパネル」→「ユーザーアカウント」
→管理者のアカウントを指定して、「アカウント名の変更」にして、アカウントユーザー名を「半角英数字のみ」の配列に任意に再設定します。

00000

(パスワードはそのままでいいようです)。

そして念のために再起動してiTunes+QuickTimeの最新版(7.2)を上書きインストールしたらあら不思議。

インストールのプロセスが進むではないか!!

 これだけで、私の場合、この問題は見事解決されました。長らくまともに機能しなかったApple Software Updateも機能するようになりました。

 他のVistaでインストールやアンインストールがうまくいかないWindows系ソフトでもこの解決策で解決できる場合もあるようです。

 もとより、これは、Userフォルダの基本構造が変化してしまうという、厄介な犠牲を払うことになります。「ドキュメント」や「ピクチャ」の入っているフォルダ名が変わると言うことです!! バックアップソフトをはじめとして、ユーザーフォルダとリンクしているソフトの中に、特にデータフォルダのリンク先の再設定が必要になるものが出てくるかもしれません。

 Vistaの、一般の方には知られているようで知られていない問題点なのでしょうか?こういう形でしかインストール時の問題点が解決できないとすれば、実はVista側の、管理者のユーザー名の日本語コードの変換に関するバグ(ひょっとしたら、OSのXPからのアップグレードインストールの際に文字エンコードをS-JISからUTF-8への変換ができていないためという、何とも基本的な問題点)なのかもしれないのですが。


 【追伸】:
 Vista管理者名を全角文字にした場合、「文字によっては(!)」アップグレードやインストールに支障が出る。Microsoft updateなど典型のようです。これは、すでにへヴィーユーザーの方にはよく知られた、Vistaの現行では未解決の問題点だそうです。

 アドバイスいただいた方に感謝いたします(上記shino-blogサイトの書き込み参照)

 iTunes Store(Japan)

温泉(今日のテーマ)

BlogPet 今日のテーマ 温泉
「好きな露天風呂(温泉)はどこですか?もしくは行ってみたいところを教えてください。」
今回はズバリいきます!!

「赤石荘」

長野県下伊那郡大鹿村大河原1972

 携帯も通じない(私が数年前行った頃は)、自家用車がないとたどり着くのがかなりたいへんな土地ですけど。

 赤石岳の麓の、見晴らしがデタラメにいい檜風呂であります。泊まりも可能だし、日帰り入浴だけでも大丈夫です!!

 夜になると天の川が本当に綺麗な土地でっす。

Bs


先週の人気記事ベスト20!!(07/6/17-23)

 「カウンセラーこういちろうの雑記帳」週に一度の恒例、@NIFTYココログの、日曜日-土曜日の「週ごと先記事別アクセス解析機能を使っての、先週の記事アクセス「ベスト20」の発表、49回めです。

 固定リンクでのアクセス率の順位から集計しています。アクセス数が同じ場合には、訪問者実数上位の記事を上位とし,訪問者実数も同じ場合にのみ、同じ順位として掲載します。
 7×24時間、つまり6/23日(土)24:00の時点での集計です。

 それでは発表!!

 先週の一週間の総アクセス数、延べ1,833(前回2,001)。(一日平均アクセス261.86。前回285.86)、

 訪問者実数は、1,358名様(前回1,492名様)。

 あいかわらず新作寡作のままです(^^)

 「トップページへの外部からのアクセス」、前回500(42.0%)に対して、今回461(43.2%)
 「サイト内移動」、前回430(36.1%)に対して今回324(30.4%)


 当ブログの「一限さんでない率(リピーター率)」、これは同じ人が一度に「何ページ」記事をお読みになったかと無関係な訪問者「実数」比に基づくもののようですが、前回7.5%からこれだけは今回7.6%に回復。

 「訪問周期」は、毎日おいでになる「完璧常連様」は前回10名様、今回9名様


 それでは記事別ランキングの方の発表!!


*********

1.欝とは、自分が無理をしていることを認識できなくなる時期にすでに始まっている(→)44週連続

2.インシュレーターは使わないに越したことはない(↑) 43週連続

3.「2007年6月」のバックナンバー (↑)

4.オーディオにおける接点復活剤について(↑) 26週連続

5.「カウンセリング」と「身の上相談」の違い (↑)5週連続

6.関係の中での「感じ」 NEW!

7.面接の中で、生まれてこのかた言葉にしたことがない「何か」に言葉を見つけようとしているクライエントさんに、つきあえること。 (↑)

8.カウンセリングの中期目標:どのカウンセラーからも有効な援助を「引き出せる」クライエントさんになっていただく援助がすでにできているか NEW!

9.誰にもいえない(今日のテーマ) NEW!

10.ブログを書いていて……(今日のテーマ) NEW!

11.変身(今日のテーマ) NEW!

12.「ケーススーパーバイズ」とは何だろう ~入門編~ (↑) 11週連続

13.ディック・ミネ、「瀬戸の花嫁」を叱るの巻 (↓)

14.先週の人気記事ベスト20!!(07/6/10-16)

15.宝物(今日のテーマ) NEW!

16.「フォーカシング指向心理療法」のカテゴリー・バックナンバー NEW!

17.ダイエット(今日のテーマ) NEW!

18.「共感的に」人の話を聴くとは?(入門編) (↓)

19.「魔王」そして「流浪の民」はこういちろうの小中学時代の「定番」だった!! COME BACK!!

20.「メラニー・クライン」のカテゴリー・バックナンバー COME BACK!!


******


 これを書いている「今、この瞬間」(6/247 PM 0:37)までの当ブログ文章記事の延べ総アクセス数)は、172027、プロフィールとフォトアルバムを含めると196356、ブログの通算記事数はこの記事で945本めです。

 今後とも、「カウンセラーこういちろうの雑記帳」を、よろしくご贔屓(ひいき)に、お願い申し上げます。

HMVジャパンApple Store(Japan) ボーズ・オンイヤーヘッドホン楽天トラベル株式会社セブンアンドワイ

中年危機!?

 ここしばらく、はっきり言って、ブログで書くことがスランプになっていた。

 実は、本もそこそこ読んでいるし、何も書こうとしていないわけではなく、3本ほど、草稿箱に書きかけのがあるのだが、無理矢理に完成させるのがイヤなので放置してある。

 自発的に文章を書くことなら、アイデアひとつで力業でいくらでも書けるのは、子供時代からの私の習い性であり、特技のようなもの(依頼されたり、締め切りがある文章だと、そうはいかない)。

 そういう私にとって、ここしばらくぐらい、文章を書くことが自分で意欲がそがれたことはなかった。

 ひとつには(ここでは敢えて言及しなかったが)母が入院して手術を受けるという、そもそも、私を帝王切開した時以外生まれてこの方「入院歴」皆無の母に生じた事態への衝撃があったと思う。そんなに大手術ではなく、経過もよく、術後の心配もそんなにいらない性質のものなのだが、それは頭でわかっていても、やはり結構堪(こた)えている私がいたことは認めざるを得ない。

 この秋には私自身47歳になる。全然実感はないつもりだったが、今年に入って白髪が増えてきたなと思う。ふと、自分のこれまでの人生は何だったのかと、少し前よりは妙に深刻に考えることも増えたように思う。

 あちこちで随分無駄な時間を浪費して、同じところを堂々巡りしていた気もする。そういう中で、たいした恩返しもできないまま、両親も確実に老いていく。

 数年前に一度「適応障害」次元での鬱を患ったので、自覚していなかったのだが、考えてみたら、今の私の年齢は、「中年期の鬱」に直面してもおかしくないことになる。

 数日前、ごろ寝している時、いやに生々しく、久留米の、しかも、今、親が住んでいる大マンションではなくて、旧宅での子供時代、高校まで過ごした頃の記憶が蘇った。家から駅にまでの光景。石垣の一つ一つまで生々しく。飼っていた猫や犬たちの姿も。

 その瞬間、一種の「パニック発作」になった。

 「あの日には帰れない」

という思いに圧倒された。

 もう、みんな、30年は前のことになってしまっているではないか!!....と、今更のように。

 私が、自分で思っていたよりも、失った日々への惜愛の念を持ち、生まれ育った土地への圧倒的な愛着を今も抱いていることに。

*****

 文章の生産力だけは、「若い頃と同じ」ということで、自分がそうやって歳を取ってきている現実を否認してきた私もいるのではないか........

 そうした中、やっと、文章を書くことよりも、今の私がほんとうに優先してやりたいことがリアルに感じられてきた気もする。

 だから、これからは、また少しずつ、書ける気もする。
 

2007/06/23

「夢」についてのフォーカシングについての代表作は.....

 前の記事で、私が寝た時に「『夢』を招き寄せる」方法を身につけていることを書きましたけど、私は、福岡大学の田村隆一氏と並ぶ、「夢フォーカシング」に関しては日本の第一人者を自負しています。

 これについてはいくつか記事を書いてますけど、代表作は、時々「ベスト20」にも最近入ってくるようになった、

「ディック・ミネ、『瀬戸の花嫁』を叱るの巻」

です。タイトルがタイトルなので、意外とそういう認識を持たないまま読み過ごしておられる方もあるかもしれないと思いつつ。

 もう一つは、本部ページの「フォーカシング入門」の方の「夢とフォーカシング」でしょう(^^)

  「湘南フォーカシング・カウンセリングルーム」では、この「夢フォーカシング」体験コース」もあるんですけど、どういうわけか、このコースを名指しで申し込んでいただいた方は過去1名様だけです.....

 世間一般の夢占いの比ではないくらいにエキサイティングでおもしろいと自負しているのですが、その醍醐味は、「フォーカシング個別指導コース」や、一般のカウンセリングの中で夢を語って下さった方しかしらないのですね(別料金はこうしたケースではいただきません)。

 これを機会に宣伝しておこうかと。


※追記

↓うちの弟子がネット上でこんなこともやっていたりするので。

●夢分析(夢フォーカシング)のプロのカウンセラーです。 (Ameba リクエスチョン)


 どういう著作があるかについてなどの情報は、こちらも参照。

宝物(今日のテーマ)

BlogPet 今日のテーマ 宝物
「あなたが大切にしている宝物ありますか?」
「物」でなくていいというのなら、結局、他ならぬ私自身がフォーカシングを使いこなせること....ということになるかと思います。

そんなにのように人生の課題が解決するわけではない。しかし,結局、自分をこれ以上深く見つめさせてくれ、ものごとを深く味あわせてくれるものはない。

私のフォーカシングの「最終兵器」的使い方は、寝る前に、自分の中の漠然とした言葉にならない感じそのものを十分につかみ、それとただ共にいる形で,いつの間にか寝てしまうのでよしとすることなんですね(^^;)

 そうすると、たいてい、とんでもないくらいに奇想天外な夢を見ることができる。

 意識的にフェルトセンスをつかんだ上でいつの間にか寝入ってしまう時と、それをしないままに夢を見る時とでは、夢の生産性の質が違うとははっきり感じてます。世の中に、自分が「覚えていられる夢を見たい」という願望を意識的にかなえることができるテクニックは、あまりないと思いますが(^^) フォーカシング身につけている人みんながそうかはどうかはわかりませんけど。

 ちなみに「フォーカシングしながらいつの間にか寝入る方が、それをしないまま眠り込むよりマシ」という主張は、私がフォーカシング業界に文章でデビューした、「日常におけるフォーカシング」フォーカシング・フォーラム 第4巻 1号 日本フォーカシング研究会事務局 1987で、つまり、ちょうど20年も前にすでに書いていることです。

 目が覚めて来て、その余韻をじっくり味わうだけでも、自分の中の「何か」がまだ果てしなく生産的な活動をして、自分の人生と全身全霊で戦い、味わえる森羅万象を味わい尽くそうとしているのはわかります。

 自分の心とからだはまだこんなにも必死にいきいきと活動し、体験を消化しようとしている。しかもその内容と展開のバラエティと新鮮さは、どこまでも果てしないもの。

 仮に昼間の現実生活が膠着し,活路が見出せない時でも、夢の中では、スリルとサスペンスに満ちたファンタジックなRPGが毎晩一からライブで生成されているみたいなものです。起きてから夢でよかったとほっとするくらいにスリリング過ぎる内容のことも多いのですが(^^)

 これだけ含蓄の多い夢を連発で見続けられる限りは、私の心身はまだ可能性に満ちていると思えてしまう....

****

 そういう、フォーカシングとの「パーソナルな」絆が強過ぎることが、私に人に頼ることに対する消極性や,外的な行動面での抜本的な思い切りのなさを生み出してはいまいかとすら思う時もありますけど。

 でも、「自分の(自分のための)」フォーカシングに対するある種の「片意地さ」(早い話、自分以外の「誰も」その点では信じていないとすらいえる)ってのが、結局私の最後の「砦(とりで)」という気はします。

 その私なりのフォーカシングへのこだわりと折り合えるところにしか、私の未来は開けないでしょう(^^)

 それまでは、しぶとく「生き延びる」と思います。


****


 あと「物」的に言えば、書物で言えば、結局、中井久夫先生の著作が、最後には一番虚心に読める、癒される著作群と感じます。

 そして、すでに10年近く前に1000枚を超えていたクラシックのCD群。そしてそれを新鮮な形でiPodで聴きなおせる、遂に出会った究極のお気に入りヘッドフォン、ALESSANDRO(アレッサンドロ) MUSIC SERIES PRO(「今現在は日本に「入荷済み」の店はない??? あればめっけものです。ここで「予約注文」はしてますが)ということになりますでしょうか。

 音の質は、敢えて言えば「すごくスピード感があって透明度も高く、分解能もいい、しかもタンノイのスピーカーのような音」。プラスティック系の部品で作られた部分がほとんどなく、フライホイールがマガボニー削りだしであること、UHPLC銅線がそういう音の印象に相当影響しているはず。弦やヴォーカル、ピアノの音の、ボディのしかりとした繊細な生々しさは、滅多にない水準でしょう。でも、「やわらかい、おだやかな」音ではない。

このヘッドフォンの最近気がついた使用ノウハウ追加。付属の延長ミニブラグを使う場合は、ステレオ標準ブラグとそれを差し込む標準ジャック側の内側を、少量の接点復活材で「これでもか!!」というくらいに磨き上げること!! 銅メッキによると思える緑青の青さが綿棒などに全くつかなくなる域までそれをやると、驚くほど透明度が向上するのである。基本的に音楽ジャンルはオールラウンドで、本場ドイツのトランス・ミュージックとかの解像度と瞬発力もたいしたものですが、アナログマスタリングのクラシックのCDが、ほんとにアナログレコードを思い出させる繊細なニュアンスがiPodで聴けることがあります。マスタリングが冴えない古いCDと思っていたものほど,このヘッドフォンを通すと驚く新鮮さになることが多い。
 

Alessandro

2007/06/22

誰にもいえない(今日のテーマ)

BlogPet 今日のテーマ 誰にもいえない
「あなたは知人の秘密を知ってしまったことがありますか?」
私、カウンセラーだから、人の秘密を聴かせてもらうのが商売みたいなものですが.....

もとより、今回の「テーマ」の意味するものは、その人がこっそり打ち明けてくれたわけでもない秘密を「知ってしまった」時、ということなのだろうと思いつつも....

でも、一番つらいのは、自分の秘密を人に語れないことかもしれぬ。

なんでもかんでも書いているようでいて、このブログでは全く書かないでいることも実に多いのである。....当然か!!

(....と,お茶を濁す)

2007/06/21

大人の階段(今日のテーマ)

BlogPet 今日のテーマ 大人の階段
「大人になったなと思う瞬間をおしえてください。」
仕事でJRの特急や新幹線を当たり前のように使うようになった時だったかもしれない(^^)

2007/06/20

変身(今日のテーマ)

BlogPet 今日のテーマ 変身
「ある日突然動物になっていたら何になりたい?」
そりゃ猫です(きっぱり^^)

猫の目から人間社会を眺めてみたい。


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 By the way,「あゆさま」、

"It's raining cats and dogs"

って、「土砂降り」のことだってさ。msnによれば(第70回)。以前何かで読んだ気がするけど。

 シーズンだし、屋根の上で寝ていて、落っこちて来ないように。

2007/06/19

きょうは(BlogPet)

きょうは、blogするつもりだった。


*このエントリは、ブログペットの「あゆさま」が書きました。

関係の中での「感じ」

 クライエントさんとの関わりの中でカウンセラーが体験する「無力感」や「焦り」や「孤立無援感」。

非常に多くの場合、クライエントさんが日常の中で体験する、周囲の他者との関係の中での「無力感」や「焦り」や「孤立無援感」と「同じような感じ」なのかもしれない。

 あるいは、

クライエントさんの周囲の他者が日常の中で体験する、クライエントさんとの関わりの中での「無力感」や「焦り」や「孤立無援感」と,「同じような感じ」なのかもしれない。

 このことをカウンセラーが「気がつく」ことそのものが、カウンセラー,クライエントさんが,「関係の中で治癒」して行く、シンプルな出発点である。


 ........わざわざ、「治療者の逆転移の活用」などと、言うに及ばないのかもしれない。


2007/06/18

カウンセリングの中期目標:どのカウンセラーからも有効な援助を「引き出せる」クライエントさんになっていただく援助がすでにできているか(第2版)

 クライエントさんとのカウンセリングで「何をめさずのか」?

 どこまでいったら、カウンセラーとして必要にして最低限十分な役割を果たせたのか?

 そういう、カウンセリングの「目標」についてのひとつの逆説である。


「何らかのやむを得ない理由(転居・勤務地の変化等)で、クライエントさんとの関係を終結せざるを得なくなった時でも、クライエントさんが、ある一定水準を満たしたカウンセラーとならば、有益なカウンセリング関係を築き、自分への援助の場として生かすことができるような水準の自我の形成には貢献していること」

 .....つまり、新たに出会うカウンセラーとのカウンセリングの機会を「うまく生かせる」クライエントさんに成長してもらえているかどうかではないか?

 もちろん、これは、クライエントさんとの関係の中で、意識的に「治療目標」として共有する性質のものではないでしょう(^^;)

 しかし、自分のクライエントさんが、「いざとなれば自分でないカウンセラーとも好い関係を作れる」ところまではお手伝いできているかどうかという問いを、カウンセラーは自問し続ける「責任」があると思う。

 カウンセラーから治療的・援助的な力を「賦活」し、引き出す「キュー出し」のコツをわきまえたクライエントさんになってもらえることを暗黙のうちに援助することを優先課題としておくことは、クライエントさんへの最大の専門的サーヴィスだと思う。

 現実には、その人の成熟過程を「最後まで」見守ることなど、現実のカウンセリング関係の中では必ずしも多くないはずである。

*****

 これは、ある、クライエントさんとの面接の継続を終えざるを得ない事態を勤務地の変更で数回後に控えたカウンセラーの方へのスーパーヴィジョンの際に、私の中ではっきり言葉にできたことである。

 これまで、自分が漠然と思い描いており、留意しており、言葉にはできていなかったこと。

 現場臨床的にいえば、クライエントさんの「自我の確立」とか「自立」というのは、取りあえずこの水準を目指していてこそ当然ではないかと。

 自分とそのクライエントさんとのカウンセリング関係が円満な終結まで継続することを前提として、親からの「精神的な」自立などという、雲を掴むような長期目標を掲げるよりは、よほど「具体的」で「現実的」な、無理のない「中期目標」だと思う。

 この考え方は、今後カウンセリングが社会の中でひとりひとりの人にいろいろな形でアクセス可能な援助資源となると想定される中で、カウンセラーが念頭に置くべき、専門家としての基本姿勢だろう。

 クライエントさんにとって一番貴重なのは、必要あればいろんな形でいつでも「利用」できる、カウンセラーなる人種から、最良の援助的な専門的能力を「引き出す」スキル(および、カウンセラーからの「反治療的な」働きかけを「抑止」したり、「無害化」するスキル)ということになろうから(^^;)、それを引き出してくれたカウンセラーが、一番「汎用」の援助をしたことになるのである!!


***** 


 あまりに逆説が過ぎて、ここで私が言わんとしていることにピンと来て下さる方は、カウンセラーの方々でも限られているかもしれないとは思いつつも......

 まして、クライエントさんからすれば、自分が援助を求めようとしているカウンセラーが「自分がカウンセラーでなくなった場合でもクライエントさんが別のカウンセラーとやって行けるように」などという意味のことを書くと、「この人はしっかり引き受けてくれるのだろうか」という不安を呼び起こしてしまうかもしれない。

 私が申し上げたいのは、シンプルなことである。クライエントさん自身、そしてひとりの社会人としてのカウンセラー自身、いつ何時、転居などの不測の事態でカウンセリングの継続が不可能になるかもしれない。そうした事態を常に想定しておく必要があるはず.....ということでもある。

 (もっとも、特に開業カウンセラーの場合、一度ある場所で開業したら最後、通い始めたクライエントさんとに面接の継続性を保証できる形で開業し続ける責任があると考えます)
 
 もう一点は、医師を含めて、援助的専門家に援助を「うまく」受ける力全般を高めることこそ、「街のカウンセラー」の「すき間産業」的意義と信じるが故。

 大事なのは、「できる援助を最大限にする」ことであっても「自分こそがこの人にとって『かけがえのない』援助者としての全責任を背負い込むこと」ではない。

 カウンセラーですら、その人の問題解決と変化と成長の一因子(多くてもたかが168分の1)に過ぎない。

 クライエントさんは、それ以外の膨大な「資源」(resouce)を活用して、はじめて活路を開き、変化していくのである。そうした、クライエントさんの「資源」活用力を高めるアシストをカウンセラーはできているかどうかに自覚的である必要があると思う。

 そのことを俯瞰してこそ、「されど168分の1」としての機能を最大限に果たせるのだと思う。

 こうした発想の基本に影響を与えたものとして、私の場合、中井久夫先生の影響は大きい。

 例えば、意外かもしれないけど、この本。

「治療文化論」
 

ダイエット(今日のテーマ)

BlogPet 今日のテーマ ダイエット
「ダイエットの失敗した経験や成功した経験など、夏を前にみんなに教えてあげてください。」
 これも記事で書いたけど、パンをやめてごはんにすると、それだけでパンそのものに含まれているバターを取り込む量が減るのでダイエットになります。.....というか、少なくとも「中性脂肪」の改善には「非常に大きな」効果がありました,私には。

 あと,問題はむしろやはり「天高く馬肥ゆる秋」だと思ふ(^^;)

 夏バテしなくなるのに、秋になっても同じようなものを食べ続けると結果は目に見えていた。

2007/06/17

ブログを書いていて……(今日のテーマ)

BlogPet 今日のテーマ ブログを書いていて……
「ブログを書き始めた結果、身の回りや生活で少し変わったなあと思うことはありますか。」
何か実際以上に(????)ネットでの活動を熱心にやっている人だと、知り合いにはおもわれているなあと感じます.....(本人の自覚がないだけかもしれないが)

私の印象として、ネットって、現実世界に与える影響力は、実はまだ見かけほどは凄くない時代だと、結構醒めた見方もしてるんですけど(^^;)

先週の人気記事ベスト20!!(07/6/10-16)

 「カウンセラーこういちろうの雑記帳」週に一度の恒例、@NIFTYココログの、日曜日-土曜日の「週ごと先記事別アクセス解析機能を使っての、先週の記事アクセス「ベスト20」の発表、49回めです。

 固定リンクでのアクセス率の順位から集計しています。アクセス数が同じ場合には、訪問者実数上位の記事を上位とし,訪問者実数も同じ場合にのみ、同じ順位として掲載します。
 7×24時間、つまり6/16日(土)24:00の時点での集計です。

 それでは発表!!

 先週の一週間の総アクセス数、延べ2,001(前回1,786)。(一日平均アクセス285.86。前回255.14)、

 訪問者実数は、1,492名様(前回1,378名様)。

 あいかわらず新作寡作のままですが、多少盛り返しました(^^)

 「トップページへの外部からのアクセス」、前回472(46.1%)に対して、今回500(42.0%)
 「サイト内移動」、前回341(33.3%)に対して今回430(36.1%)


 当ブログの「一限さんでない率(リピーター率)」、これは同じ人が一度に「何ページ」記事をお読みになったかと無関係な訪問者「実数」比に基づくもののようですが、前回も今回も7.5%

 「訪問周期」は、毎日おいでになる「完璧常連様」は前回も今回も10名様


 それでは記事別ランキングの方の発表!!


*********

1.欝とは、自分が無理をしていることを認識できなくなる時期にすでに始まっている(→)43週連続

2.格差社会の中での開業カウンセリング NEW!

3.インシュレーターは使わないに越したことはない(↓) 42週連続

4.「ケーススーパーバイズ」とは何だろう ~入門編~ (↑) 10週連続

5.成功したキャリアある開業カウンセラーはひとりでどのくらい稼げているか? NEW!

6.「2007年6月」のバックナンバー (↓)

7.「士」族の「商」法(?)を超えて NEW!

8.開業カウンセラー「についての」臨床心理学(?) NEW!

9.面接の中で、生まれてこのかた言葉にしたことがない「何か」に言葉を見つけようとしているクライエントさんに、つきあえること。 NEW!

10.ディック・ミネ、「瀬戸の花嫁」を叱るの巻 COME BACK!!

11.私のスーパーバイズ ~実践編~ COME BACK!!

12.「開業カウンセリング」ではなくて、「私設心理相談」!? COME BACK!!

13.「疲れた」「つらい」筈なのにそう感じていな「かった」時の「独特の感覚」は本人にも「実感」できる (↓) 5週連続

14.オーディオにおける接点復活剤について(↓) 25週連続

15.「カウンセリング」と「身の上相談」の違い (↓)4週連続

16.「その感じはどんな感じなんでしょう」を濫用しないこと COME BACK!!

17.明日は「私設心理相談」研修会参加 NEW!

17.「共感的に」人の話を聴くとは?(入門編) COME BACK!!

19.私のピュアオーディオシステム(そこに更にiPodをどう繋ぐか)(↓)

20.クライエントさんは自分の抱えている悩みのすべてを話しているわけではない。 (↓)


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 なお、17位は実数も同じなので2つあります。


前回のベスト2021位です。


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 先週は「私設心理相談研修会」がらみの渋い記事ばかりが多かったですね。

 どうも、今は私の意識が一種「外向化」しているというか、本とかも読んでいるんだけど、このブログの記事を釈迦力になってでも書こうとするモードと何か違うようです。

 でも、どうせ私のことですから、一度火がつくとむやみやらたと書きまくるでしょうね。この辺は、成り行きに任せます(^^)


 これを書いている「今、この瞬間」(6/17 PM 0:32)までの当ブログ文章記事の延べ総アクセス数)は、170186、プロフィールとフォトアルバムを含めると194347、ブログの通算記事数はこの記事で932本めです。

 今後とも、「カウンセラーこういちろうの雑記帳」を、よろしくご贔屓(ひいき)に、お願い申し上げます。

HMVジャパンApple Store(Japan) ボーズ・オンイヤーヘッドホン楽天トラベル株式会社セブンアンドワイ

2007/06/16

ブログバースデー(今日のテーマ)

BlogPet 今日のテーマ ブログバースデー
「あなたがブログを始めたきっかけを教えてください。」
 これは以前にも書きましたけど、以前からやっていた個人ホームページを再開しようとした時、ブログっていう「フォーマット」そのものがすごく便利だと思ってしまったんです。

 固定リンクも持っているので、取りあえず書いたことを後になって「目次」みたいなのを別に作って整理し直すこともできる。月別のバックナンバーも最初から準備されてるし、特に@niftyのココログはカテゴリーの分類があてがいぶちではないので、自分の好きなように作って、読者の便宜をはかることもできる。

 更新や新規記事、をココログフラッシュや、pingで飛ばしてあちこちで紹介もしてくれる。

 ネットにさえつなげれば、更新がどこからでも(自分のパソコンでなくても)できるし。.......私のように、思いつくままに無計画にノンジャンルでいろんなことを書きたくなる人間には格好のメディアだと思ったわけですね。

 
 

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またわけのわからんことを......

「白鯨」については、レイ・ブラッドベリが脚色した映画と、巽氏の評論本の感想を、遠からず書くつもりです。

2007/06/14

面接の中で、生まれてこのかた言葉にしたことがない「何か」に言葉を見つけようとしているクライエントさんに、つきあえること。

 架空のカウンセリング(あるいはフォーカシングのセッション)の実例です。


「昨日、そのごたごたがあって以来、私の中にはずっといやな気分があって、寝るまでずっとそれを引きずっていたんです」


などとフォーカサー(クライエントさん)が語っていたとしたら、私は


何か『独特の』イヤーな気分がすっとそこに感じられていたんですね>


とだけまずは言葉を返します。


「ええ、ずーっとあったんです。『それ』は」

<なるほど、『そういう』感じは、ずーっとあった>


ここで私はしばらく沈黙して、相手の方の反応を待っています。短くても30秒は待つでしょう。


「よく『そんなふうな』気分になるんですよ」

<ああ、『そんなふうな』気分にはよくなるんですね>

「ええ.....」


また沈黙です。

こういう場面で、フォーカサー(クライエントさん)が沈黙できる時の多くは、好ましい沈黙であることが多い気がします。「この人は沈黙の中で感じに触れながら、大事な何かをしている」という感触が場の空気からも伝わることが多い。

別の観点から言うと、ひょっとしたら、この人はそういう時の心境や、その日の昼にあったごとごたそのものについて、もっと具体的に話してしまう方が流れ的に自然かもしれない。そういう機会を与えるため、待っているということでもあります。

30秒後。

「もう、うんざり、といいたくなってしまって」

<何か、もう、うんざりといいたくなる>

「ええ」

『そういうふうな感じ』が、何かそこにはある.....>

こういう時、私はわざと「うんざり」という言葉の鸚鵡返しを「更に」繰り返すことは控えて、再び『直接指示語』的な「そういうふうな」といった言葉にまで、伝え返しを引き戻してしまうことすらあります。それは、この人は、「うんざり」という言葉を口にしていますが、それがフェルトセンス(言葉にならないあいまいな感じ)全体をつなぎとめる言葉とまではいえないことも少なくないので、あくまでも、フェルトセンスそれ自体を感じることをその人に維持してもらいことを優先するのです。

間違っても、ここで、


「うんざりという言い方で、ぴったりでしょうか?」


などと問いかけたりはしません!!

でも、しばらくすると、


「......やっぱり、『うんざり』というしかないかなあ.....」


....ほら、自分で照合してますって(^^;)

私は、このへんになって、はじめて、


<どうでしょう? あなたが、きのう、そのことがあってからずーっと感じていた、『その』、何か「うんざり」みたいな感じには、一種独特の、感触というか、質感みたいなものがあると思うんですけど、それを身体の実感として感じてみることはできるかもしれないんですけど.....>


.....などという「提案」を、「控えめに」してみるわけですね。

私は、よほどフォーカシングに慣れた人相手でないと「身体の感じ」という言葉そのものを安易に使いません。フォーカシング関係者にだけしかわからない「符丁」みたいな「暗号」は意地でも使うかと思っているのに近いかも(^^;)


「.....そうねえ、独特の、感じ、あるよねえ.....うーん.....」

<何か独特の感じがそこにはある>

「そう、あるんです.....」

また30秒沈黙。

すると、

「あのー.....」

<何?>

「さっき、身体の実感って言われましたけど、どういうことかよくわからなくて」

<例えば、気分というか、居心地というか、雰囲気みたいなものでいいんですけど>


こういう時、私は「身体の」という点に拘泥されてしまう危険からむしろ一歩引き下がってしまうことが多いですね。「身体の感じ」とは何かについて、「説明して」「わかって」もらおうとするなんて「論外」と思ってますので(^^;)


「......そうねえ、あるよねえ.....独特の『居心地』......」


<何か独特の居心地があるのは確かなんですね>

「.......『うんざり』.....かな、やっぱり.....」

<ああ、『うんざり』かな、やっぱり.....と。言葉にするとすれば>


この瞬間、一見やりとりが元に戻ったみたいですけど、これくらいで焦ったり、それこそ「うんざり」しはじめるようでは、リスナーとしてまだまだですよ(爆)

私もここで「言葉にするとすれば」などと、さりげなく「照合」にあたることをアシストする一言を加えているのをお忘れなく。


「.....いや、『むしゃくしゃする』」

<『むしゃくしゃする』>

「.....そうね、『むしゃくしゃする』の方がいいね.....」

<ああ、『むしゃくしゃする』の方が実感に近いんですね>

<そうです。うん。『むしゃくしゃ』ですね、うん>


.....こうして、結構フォーカサーは自分で照合するものなんです、


このへんでやっとわたしは、


<では、どうでしょう? その『むしゃくしゃ』みたいなものが、身体のどこかを中心として感じられているとすれば、どこら辺かな?と注意を向けてみることはできるかもしれないんですけど....>

「『身体のどこかに』ですか?」

<そう。からだのどこかに、その『むしゃくしゃ』の中心というか、コアみたいなものがある、と仮定してみるわけですね>

「なるほど。ちょっと待ってください.....(30秒沈黙).....あの、『むしゃくしゃ』と関係あるかどうかわかんないんですけど、何かそうやって注意を向けようとしてみたら、何かおなかの辺りに、感じが出てきたんですけど」

<ああ、『むしゃくしゃ』と関係あるかどうかわかんないんけど、おなかの辺りに、何か、『ある感じ』が出てきたんですね>


「ええ.....(1分沈黙).....」


私はこういう時、機械的に、「では、その感じに、ああ、そこにいるのはわかったよ、と声をかけてみるのはどうでしょうか」とか、「では、その感じのそばにしばらく一緒にいてあげてみるのはどうでしょう」などと言い過ぎないようにしています(^^;)


<おなかの辺りの感じは、今も感じられ続けていますか>

「あります......」

<さっきと同じような、ある一定の感触の感触を持つものとして、ずっとそこにあるわけですか?>

「同じ.....ではないけど、さっきのの延長ですね。さっきより何かくっきりしてきた」

<ああ、さっきよりは何かくっきりしてきた>

「......そうです.........『ぐしゃぐしゃ』ですね、『ぐしゃぐしゃ』。」

<『ぐしゃぐしゃ』>

「......うん、『ぐしゃぐしゃ』です。まるでまるめた紙くずのように、おなかの『このへん』(指差す)にあるんですよ」


********


.....とりあえず、こんな調子です。

どんな感じか、言葉にすることを急かすような形にならないための配慮の一端が伝われば幸いに思います。


******


以下の論考をご参照ください。

田中秀男 「直接のレファランス」の「直接の」って? ~「レファランス」と「照合」の異同を見定める~ 日本フォーカシング協会ニュースレターThe Focuser's Focus Vol.7,No.2,2004.

ayu様のアジアツアーのお写真

 恒例、王子のきつねさんサイトで紹介されていたんだけど、ayu様のASIA TOUR最終日のお写真でっす。

 これ、avex社長の松浦さんのサイトのものだから、遠慮なくここでも紹介します(^^)

 そうそう、「この」感じ。

 ステージでのayu様のプレゼンスが髣髴と伝わるので。

 特に最初のがかっこいい。

 最後の写真の衣装も私は気に入ってます。これを着て浜崎あゆみ - I Am... - M"M"浜崎あゆみ - LOVEppears - appears"appears"お歌いでした(ツアー終わったのでもう情報公開)。常時バレエのソロみたいに静かに動き続け、舞台に横たわってみたり、男のダンサーと絡んだりとか、演技やりっぱなしでこのシーンも歌ってます。

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 iTunes Store(Japan)

2007/06/13

あだ名(今日のテーマ)

BlogPet 今日のテーマ あだ名
「あなたは周りから普段どんなあだ名で呼ばれていますか?」
今は「あだな」で呼ぶ人は身近にいません。親戚の中では「こうちゃん」で通ってます。私の前使ってたハンドルですけど。母も「こうちゃん」、父は、「こう!」という言い方を子供時代はたまに使いました。

 高校時代は、修学旅行の余興で、クラスの合唱の指揮者をやり(.....カナダのフォーカシング国際会議の余興でもでしたが、そういう「運命」にあるのです....)、終わった後の全生徒の反応が、変なウケ方をして、「アンコール!!」コールが、なぜか「金星人!!」のコールにすりかわっていき、2年ぐらいこのあだ名が通用してしまいました.....

 おい「あゆさま」、「金星人?」と言ったら月に代わっておしおきだぞ!!(といいつつ、言わせようとしている?)

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いらない。

2007/06/12

格差社会の中での開業カウンセリング

 とりあえず、「私設心理相談」研修会関連の記事、これをシリーズの最後にしたいと思います。

 あるベテランの開業カウンセラーの方がいわれたことが心に残っています。

 「戦後の日本は、いわゆる『中流』層を分厚くし、その消費活動によって経済を支えるという形で成り立ってきた。正直なところ、開業カウンセリングもそうした層を主に対象としてきたところがある。

 しかし、今や『中流』層を維持する力を日本経済は失いつつある。だからといって、これまで同様に中流・上流層のみを当てにして開業カウンセリングを続けようとしたら、生活者としての国民全体の実感とは離れたところでしかカウンセリングをしないことになり、それはカウンセラーの感性をも麻痺させてしまう危険がある。

 そうした意味では、いろいろな団体や機関のボランティアに自分から志願するような形ででも、様々な所得層の人たちの相談に応じるような姿勢は重要だし、クライエントさんの一定の部分について、ディスカウントした料金で面接を引き受けるような態勢を考慮に入れた方がいいのではないか。

 多くの人に安くカウンセリングの場を提供するために、1回あたりの面接時間を30分にして料金を引き下げるなどという対策を考える人たちもいる。しかし、50分話を伺うからこそ意味のあるカウンセリングとして深まることが多い気がするので、安易にそうした手法を採用するのはどうかと思う。

 これからは、例えば、生命保険会社などが、電話相談サービスを臨床心理士を雇って引き受けるなどといったことももっと広まっていくだろう。そうした中で、1回50分、特定のカウンセラーのもとに繰り返し足を運んででも相談することの意味という点を、カウンセリングを求める人たちに伝え、カウンセラーも、自分に何ができて、何ができないのかについて、クライエントさんに明確に伝えられるようになっていかないと」

 経済的にも危機が生じるからこそ、はじめて専門家に相談したくなるとという人は明らかに多いと思います。賃金に引き合わない労働環境で、将来への見通しが具体的にイメージできない「出口なし」を感じながら何とか働き続けている、30代くらいまでの層の方からの相談も、私がお引き受けする中でも一定の比率を占めています。そこに「ワーキング・プア」という概念を当てはめてとらえる意識が我ながら遅すぎたかな、という思いがつい先日したことは、別の記事でも書きました。

 たいていの臨床心理士も、実は自活して生計を立てていこうとすると、決して恵まれた環境にいるわけではありません。クライエントさんの問題は、我が身の問題でもあります。

 「カウンセラーがたどり着けたところまでしか、クライエントさんを導くことはできない」というユングの言葉を、こうした意味でもわきまえながら、一生活者としての自分とも向き合いながら、「お金を払っていただける専門職」としての技量を磨き続けたいと気を引き締めるのでした。

Jungpsychotherapy
ユング「心理療法論」

今にこういちろうは食パンはblogしたの(BlogPet)

きょうあゆさまは今でテーマをblogするつもりだった。
今でこういちろうは食パンがblogしたいです。
今にこういちろうは食パンはblogしたの?


B l o g P e t今日のテーマ揚げ物大好き「とんかつ、ヒレカツ、エビフライ、かき.



*このエントリは、ブログペットの「あゆさま」が書きました。

2007/06/11

「士」族の「商」法(?)を超えて

 またもや「私設心理相談」研修会より。

 これは、プロセス指向心理学の分野では日本の第一人者で、ご自身も開業されている藤見幸雄先生が全体会でお語りなったことであるが、「士・農・工・商」でいうならば、臨床心理「士」は「士業」のひとつとイメージされるとことがあり、そこからすると「農業・工業・商業」的側面は、臨床心理士のシャドウ(影)になりやすいという。特に、最下層である「商」は、周縁化(マージナライズ)されやすいと。

 ところが、私設心理相談業(開業カウンセリング)は、臨床心理学のどの領域よりも「商」に深く関与している。そのため「軽く」「低く」みられ、安易な開業が絶えず、社会に生きる商人、経営者、起業家としての側面を意識化できていなければならないのに、そのことはもっとも忌み嫌われている。つまり、「武士は食わねど高楊枝」というわけである。臨床心理士自らが、「金儲けのために」独立開業に走る、などと、開業臨床心理士に、負のバイアスをかけてとらえようとする偏見にとらわれやすい。

 ところが、その一方、私設心理相談業は、力量のある有能な臨床家にのみ許された境域として羨望されてきた側面もある。これは弁護士や会計士といった、ランクの高い、ランクの高い「士業」へや専門性への強い憧れと不可分ではない。

 結局、私設心理相談業は、「低さ」と「高さ」、「影」と「光」の両側面を担わされつつ、その「二律背反的な」原型がsplitしたままとなり、それを一身に体現し、統合していくために具体的に検討され、論じられることが少ないままの領域になっている.....藤見氏はそのようにとらえるのである。ユング派的にいえば、なるほどそうも説明できると得心させられた。

*****

 これは、幾人かの他の先生も語られたことではあるが、専門的技能によって消費者を援助するサービス業として位置づけた場合、開業カウンセラーは、代価と引き替えに、何ができて、何ができないのかについて具体的に自己規定し、それを「顧客さん」に「提示した上で、相互了解の上で職務を遂行できるかとうか。

 医療や福祉、地域精神保健、公的援助、法律関係など、カウンセリング以外の、その人の問題解決に役立つ援助的資源を熟知していて、適切なアセスメント(見立て)の上で、必要に応じて情報提供したり、紹介したり、提案できるだけのスキルを持っていることは大前提である。

 そうした上で、カウンセリングの中では、何ができるのか。

 壇上に立たれた多くの先生が語られたのは、「あなたと一緒に、どうすれば解決できるか考えていきましょう」という姿勢をどれだけ説得的に伝えられるかということであった。そして、苦情や違和感の表明を歓迎し、誠実に受け止める姿勢をどこまで一貫できるかが肝心ということであった。 

 私個人、つくづく思うのは、相談を進める中で、カウンセラー自身が当初立てていた仮説は刻々と覆されていくのが当然であるという思いである。これは、経験を積み、アセスメントの能力が高まっていこうと決して、「予想通り」に進む事例が増えるという形にはならない。ただひたすら、「以前だと、この次元のことまではクライエントさんと話し合うことができないまま、素通りしていたのではないか?」という反省ばかりが積み上がる。

 ある観点からすると、面接当初の時点でのカウンセラーとしての「思いこみ」や先入観をどこまで崩しつつ、しかもクライエントさんと相互に了解できる、クライエントさん自身にも思いもよらなかった次元での気づきや洞察に至る過程を「同道」できるかということになる。ある先生は、その過程を「和して同ぜず」と表現した。

 私が時々使うのは、

「たいていの場合、ある程度納得のいく問題解決のプロセスというのは、できあいの容易に予想できる形とはどこかで異なる、予想外の、事前に予想しろといっても無理だといいたくなる形になっていくことが多い気がしています。つまり、あなたにとっての、今のあなたにこそ通用する解決の方向性という形になる。だから、恐らく、ご一緒に探索していく過程がうまく進めば、今のあなたには思いもよらない、そして今の私にも思いもよらないところに、解決の糸口が見つかるのではないかと思います。そのような形で問題を一緒に探っていくためのあなたとのコミュニケーションをできるだけ効果的に進めるのみ役立つ専門家としてのスキルを私は磨いてきたつもりです」

などといった言い方です。

*****

 つくづく最近思うのですが、何も「商品」を引き替えにお渡しするわけでもないのに、1時間お話をする中で、「現金」を数千円以上手渡しでいただくというのは、何かすごいことを日々の糧を得るための生業に選んだものだという思いです。その数千円をコンビニのアルバイトで稼ごうと思えば、8時間働かないとならないわけですね。それだけの手応えを感じてもらえているかどうか? ということを振り返り続ける感受性は失いたくないなと思っています。「取りあえず、また来てみて下さいよ」に近い言い方だけは決してするまいと肝に銘じています。

 その回の面接で何が起こったのか。その成果として何を感じるのか。まだうまく取り扱えないで居る課題は何か、次に取り扱いたいことは何か。前回の面接の後何を感じ、日常の中でどんな状態や気持ちで過ごしたか。.....こうしたことを、クライエントさんなりに絶えず具体的に確認できる方向に面接をまとめようという意識が、以前よりずっと強くなってきたなと感じています。


更に続きはこちらです。

開業カウンセラー「についての」臨床心理学(?)〔第2版〕

 「開業するとは、それまでカウンセラーとして持っていたものを一度すべて失うことである」

 これは、分科会で、ベテランの開業臨床心理士の方(前の記事とは別の先生)がお話しになったことです。

 もちろん、給与を失います。それに伴う諸手当も失います。社会保険や厚生年金も失います。税金も自分で払うわけですね。

 相談機関の経営の問題を考え、責任を取ってくれる上役もいなくなります。予約の管理をしてくれたり、問い合わせに答える受付のスタッフもいなくなります。それまではクライエントさんはその相談機関の「名前」を信用にして自発来談されたり、紹介されておいでになったりしていたわけで、いかに「集客するか」という問題と直面します。医療をはじめとして、連携する外部相談機関との絆の再構築も必要でしょう。

 相談機関の「備品」、例えば面接記録用紙ですら、たいていその機関共通のフォーマットのものが常備されているわけです。心理テストの質問紙や箱庭等の備品もです。それらを調達し、補給し続ける必要もあるわけですね。

 ケースの進め方や精神医学的なアセスメントについて話し合う上司や担当医師、同僚カウンセラーもそばにはいなくなります。

 こうした、物理的・経済的・対人的・心理的な喪失のことを、その先生は「原初の喪失」と名付けておられました(^^;) このようにして、何を自分は開業の際に喪失することになるのかを冷静に確認しておくことが重要とのことです。

 そして、これらの「原初の喪失」をいかに取り戻していくかという点で軌道に乗るまでに、だいたい5年間必要とのことです。

【追記】ここまで述べた部分、実はこの研修会で別の開業カウンセラーの方が言及された、ロバート・キヨサキの「金持ち父さん 貧乏父さん」シリーズのうち、「起業する前に読む本」冒頭の部分とそっくりなんです。結果的に似たのかもしれないし、念頭においておられたのかもしれません。

 それまでの最初の数年間、開業カウンセラーは、こうした「原初の喪失」と、はじめて直面する「経営の不安」に対する防衛規制として、hypomanicな(軽躁)状態にいつの間にか陥っていることが多いといいます(^^;)。

 これは開業カウンセラーに限らず、およそ独立自営に踏み込む様々な職種の事業者が陥る「創造の病(???)でして、要するに「なーに、大丈夫さ」「これくらいたいしたことない」と思いこみやすいし、しなくてもいい大きな投資をしてしまう誘惑に駆られやすい。例えばむやみやたらと立派な面接用の椅子を注文して、実際にはそれをあまり使いこなさないままといった症状(?)が生じる。

(椅子に関しては慎重を期しつつもむやみに高級化しなかった最初の選択は冷静で賢明だったという自負は私にはありますが、この、全般的な「躁的防衛」傾向については、過去2年間を振り返ると我ながら(^^;;;;)というしかないかもしれぬ)

 これに拍車をかけるのが、クライエントさんから感謝されたり持ち上げられたりした際に「自己愛の肥大」に陥る危険に歯止めするブレーキが効かなくなることである。自分から外部の研修を受けない、クライエントさんや他者からの批判を受け入れなくなる、などが主な「症状」である。

 このようにならないためには、

1.他業種の個人自営業者との異職種間のコミュニケーションをこころがけること。経営のヒントももらえるし、岡目八目的に、「あ、あの人は結構ヤバイ状況に陥ってるのに気がついていない」というのを観察できることを「他山の石」とすることができる。ただし、こうした経営的不安につけこむコンサルタントの類からの勧誘には慎重に対すべきである。

2.自分が主役や先生にならなくてもいい、外部の事例検討会やワークショップに一参加者として参加し続けるようにすること。

3.同じように「組織化」されず、孤立しやすい開業臨床心理士同士の地域的なネットワークを率先して作り、定期的に会うなどしていくように努めること。

4.自分なりの「シェルター」作り。仕事を離れ、家族とも離れてひとりになって安らげるような、しっかりした「タコツボ」を生活の中に組み込むこと。

....などがあるそうです。

*****

「私設心理相談」研修会関連では、少なくともあとひとつ書きます。

2007/06/10

成功したキャリアある開業カウンセラーはひとりでどのくらい稼げているか?

.....というわけで、日本臨床心理士会の「私設心理相談」研修会から帰ってきました。いろいろ、さすがにここでは書けないホンネの話を先輩の先生方から伺えて、刺激があり、元気ももたえたのですが。

 さて、予想通りといいますか、「私設心理相談」という呼称変更は無っ茶苦茶に不評でした。この呼称変更について、この研修会の場で公式に報告された「理由」は、まさにこの記事で私が想定した理由そっくりそのままでした。

 参加者は、恐らく300名にのぼったと思いますが、全体会の後、午後の分科会で分かれた後の配分からすると、半分以上は、「これから開業も考えている臨床心理士の方」、あるいは、「開業カウンセリング機関で働いている臨床心理士の方」だったようです。私は「開業5年未満の臨床心理士」という分科会に出ましたが、そこで40名ほどだったでしょうか。

 さて、トピックとして何をここで取り上げようかと思いましたが、まずは、「開業臨床心理士の収入はどのくらいか?」という、思い切って現実的な話にしましょう。

 全体会で「開業20年」のベテランの先生がお明かしになった数値ですので、ここで公表しても差し支えないと思います(どなたかはお伏せします)

 「病院臨床十数年のキャリアを重ねて、自宅敷地に独立したカウンセリングルームを建て20年。カウンセラーは自分ひとりだけのまま」という先生が、大学の教職との兼業をお引き受けになる前の、もっともケースを引き受けておられた頃の数字です。

 年間面接時間1237時間
 最多月128時間
 年収1200万円
 必要経費300万円

 これを一日当たりに換算すると、最盛期は1日6時間強となります。構造のしっかりとした厳密な心理療法的枠組みをとる面接ばかりです。ここには、記録のための時間や経営上・事務上の雑用や電話での問い合わせや予約への応対時間は含まれていません。

 これを週5日以上のペースで毎週過ごすと、精神的・肉体的に限界状態で、終わった後何もする気が起こらないそうです。これは理解できます。

 この先生の面接は1時間10,000円。キャリア豊富な開業カウンセラーですと、都市部ではごく普通の相場でしょう。

 厳密には、1000万円以上の収入になれば一般消費税もかかります。

 しかし、どうでしょう? 大学院までの高学歴、十分すぎる病院臨床のキャリアと、その学派の心理療法の研修暦を持ち、絶えず専門家として継続研修を重ねて、50代で家族を養って所得が1000万円を超えるのが難しいというのは?

 これが、日本の開業個人心理臨床(.....という言い方をどうしても使ってしまいますね.....)の現場では著名な大家の先生の、めいっぱいにクライエントさんをひきうけた状態の現実です。

 私の現行の料金体系のままだと、ひとり開業である限り、(ケーススーパービジョンやフォーカシングのトレーニングの割合がどうなるかにもよりますが)、幸いにして繁盛させていただいてめいっぱい働けても、そもそも1000万円前後にしかならない試算に意識的に『今のステージでは』たって経営しています。ちなみに私は自宅も職場も賃貸です。これだけで180万円弱減りますので(住宅費の高い大船としては、かなり安く上げてるラインでしょ?)。

 もちろん、経営がある段階に達したら「事業拡張」は考えますし、「スタッフ増員」とか、カウンセラー研修への力点の移動、そして、ほんとうにキャリアを積んだところで教壇「にも」立たせていただけることが夢です。

 でも、少なくとも50代の後半までは、「現場第一線」で何ができるか、踏ん張ってみたいものだと思っています。

*****


 ちなみに、この「私設心理臨床」研修会で学んだことについては、テーマを変えて、いくつか続きを書くつもりですので、お楽しみに!!

先週の人気記事ベスト20!!(07/6/3-6/9)

 「私設心理相談」研修会のため一日遅れましたが、「カウンセラーこういちろうの雑記帳」週に一度の恒例、@NIFTYココログの、日曜日-土曜日の「週ごと先記事別アクセス解析機能を使っての、先週の記事アクセス「ベスト20」の発表、48回めです。

 固定リンクでのアクセス率の順位から集計しています。アクセス数が同じ場合には、訪問者実数上位の記事を上位とし,訪問者実数も同じ場合にのみ、同じ順位として掲載します。
 7×24時間、つまり6/9日(土)24:00の時点での集計です。

 それでは発表!!

 先週の一週間の総アクセス数、延べ1,786(前回1,886)。(一日平均アクセス255.14。前回269.43)、

 訪問者実数は、1,378名様(前回1,387名様)。

 結局、あいかわらず新作寡作のままですが、実訪問者数はほとんど落ちないんですね。

 「トップページへの外部からのアクセス」、前回527(46.1%)に対して、今回472(46.1%)
 「サイト内移動」、前回336(29.4%)に対して今回341(33.3%)


 当ブログの「一限さんでない率(リピーター率)」、これは同じ人が一度に「何ページ」記事をお読みになったかと無関係な訪問者「実数」比に基づくもののようですが、7.6%から7.5%に減少。

 「訪問周期」は、毎日おいでになる「完璧常連様」は前回の13名様から今回10名様


 それでは記事別ランキングの方の発表!!


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1.欝とは、自分が無理をしていることを認識できなくなる時期にすでに始まっている(→)42週連続

2.「カウンセリング」と「身の上相談」の違い (↑)3週連続

3.「2007年6月」のバックナンバー NEW!

4.インシュレーターは使わないに越したことはない(↓) 41週連続

5.オーディオにおける接点復活剤について(↑) 24週連続

6.フォーカシング個別指導・「グループコース」(2-3名でのお申し込み)新設!! NEW!

7.私のピュアオーディオシステム(そこに更にiPodをどう繋ぐか) COME BACK!!

8.「疲れた」「つらい」筈なのにそう感じていな「かった」時の「独特の感覚」は本人にも「実感」できる (↑) 4週連続

9.壺イメージ療法 -「容れもの」「置き場所」を想像してもらう技法- (1) NEW!

10.クライエントさんは自分の抱えている悩みのすべてを話しているわけではない。 NEW!

11.「ケーススーパーバイズ」とは何だろう ~入門編~ (↑) 9週連続

12.こういちろう、プログレに挑む!! NEW!

13.「2007年5月」のバックナンバー (↓) 6週連続

14.横浜アリーナのアリーナ席は縦揺れしている!! -浜崎あゆみ "Tour of Secret"横浜最終日- (↓)

15.「大船でフォーカシングを学ぶ会」 COME BACK!!

15.Interactive Focusing Therapy (↑)

17.大船でお勧めの開業精神科・心療内科 NEW!

18.「ファッション・アクセサリー」のカテゴリー・バックナンバー NEW!

19.「シューベルト」のカテゴリー・バックナンバー NEW!

20.先週の人気記事ベスト20!!(07/5/27-6/2)


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 なお、15位は実数も同じなので2つあります。


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 久々の、先週の「地上の星」、つまり、初のベスト20入りまで長い年月を要した記事が17位です。ローカルな情報ですけど、この際公開していいと思いますが、どちらも私のカウンセリングルームの連携クリニックです。私が開業する以前から、大船地区の開業クリニックとして信頼置ける機関であると注目していました。統合失調症や思春期・青年期精神科外来関係なら大河内クリニック、鬱・心身症関連なら信愛クリニック、共に信頼の置けるいい先生です。


 これを書いている「今、この瞬間」(6/10 PM 8:50)までの当ブログ文章記事の延べ総アクセス数)は、168394、プロフィールとフォトアルバムを含めると192354、ブログの通算記事数はこの記事で921本めです。

 なお、先週、本部サイトトップページが、開設から11年半かけて、200000アクセスに到達いたしました。このブログの方は2年半でまもなくこの数字を凌駕してしまうわけですね(^^;)

 今後とも、「カウンセラーこういちろうの雑記帳」を、よろしくご贔屓(ひいき)に、お願い申し上げます。

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2007/06/09

明日は「私設心理相談」研修会参加

 明日は、東京・駒込の大正大学で、日本臨床心理士会の「私設心理相談」の研修会があります。

 午前10時には会場に着いていなければならない性格上、今日は夜更かしは自重したいので、「今週のベスト20」発表はまる一日延期、日曜の晩にします。

 私設(開業)心理臨床というテーマで、日本全国から臨床家の皆様が集まる場が、どのようなものになるのか、まさにこの領域の固有の問題について具体的な議論が盛り上がる場となることを期待しています。

 おそらくひとつの大きなテーマになるのは、臨床家の倫理と法律の問題だろうと想像しますが、経営的なたいへんさだとか、新規にこの領域に踏み出す際に、クライエントさんをどう開拓するか、普段の広報宣伝活動をどうしているのか、などという「現実的な」ホンネの部分での意見交換がどんどん出てくる場になって欲しいなと思っています。

 その内容についての感想も、このブログで何らかの形で報告させていただきたいと思っています。


*****


 一般の読者の皆様の目にどう映っているかと思いますが、日本では、純粋に開業だけで生計を維持している臨床心理士はまだかなりの少数派といっていいはずと思います。この辺、欧米の映画とかに出てくる「精神分析医」みたいなイメージをもたれてしまうと全然違うんですよね。

 いつもいいますけど、少なくともフォーカシングを「表看板に掲げて」開業している「常設相談機関」は、日本・精神技術研究所のオープン・プログラムを別にすると、不詳私の「湘南フォーカシング・カウンセリングルーム」日本最初かつ現在でも唯一のはずです。個人的な面接を結構引き受けておられて、そこでフォーカシングを活用されている方は他にもあるかと思いますが.....

 もっとも、いつも申し上げているように、私のポリシーとして、通常のカウンセリングにおいて、私の方からフォーカシングをお薦めすることは全くしていません。これはお題目ではなくて、本当に現実にそうなのです。

 私は、流派や療法の違いによって、カウンセリングの優劣があるなどというのは全くの幻想だし、ある特定の症状だとか病理水準の人にある特定の心理療法が効果的ということすら全く信じていません

 そのカウンセラーにとっての主たるオリエンテーション(拠って立つ基盤)というのは、あくまでも、その臨床家が、専門家として成熟していく上で、いわば「てこの支点」となったものであるに過ぎないと思っています。

 いわば、「町の開業内科医」のようなスタンスとしての「街のカウンセラー」というものがある気がしてならない。クライエントさんの守秘義務を尊重する形で、精神神経科や心療内科の専門病院・クリニックや、地域精神保健、公的な教育相談や児童相談、そして教育機関やスクールカウンセリングと緩やかに連携し、そうした機関とのクライエントさんとの関わりや活用をサポートしつつも、それらと競争関係にあるのではない、敷居の低い開業カウンセリングというのがあり得ると信じています。

 こうした、まだまもなく開業2周年にすぎない私の発想をいかに具体化するか、開業の先輩方の知恵を借りながら、吟味する場になることも、研修会に期待しているのですが。

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 【追記】:研修会に実際に参加してみての感想は、こちらの記事を筆頭として、いくつかのトピックを書いてみるつもりです。

ペットについて(今日のテーマ)

BlogPet 今日のテーマ ペットについて
「あなたは実際に何かペットを飼っていますか?飼っていればペットの種類と名前を教えてください。」
今は買ってません。

昔は実家で犬もネコもリスも亀も鯉もウサギも飼ってました。

ネコの名前のつけ方がなんともシンプルで、毛の色+メスなら「こ」→「よ」→「え」→「み」、オスなら「キチ」→「タ」とつけるということにしていたので、最盛期には、

「みけこ」「みけよ」「みけえ」「みけみ」「しまこ」「しまよ」「しまえ」「しまみ」「しまきち」「くろこ」「くろよ」.....の11匹(3世代)に、犬の「ポイ」と「プク」が同居していたことになります....

「白鯨」読了

 小説嫌いのはずの私が、実質で5日ぐらい、ほとんど一気に、しかも電子書籍という形態で、この長編を一気に読めてしまった。

 ちなみに、楽天ダウンロードで購入した.zbnファイルを職場と自宅のVistaパソコンの両方に仕込み、更に寝っころがって読むときにはZERO3に仕込んだファイルで読む形でリレーした。文庫本で3冊になることもある長編を1200円なら中古で購入の場合とも引き合うと思えて試してみたのである。

 いずれもソフト「ブンコビューア」である。もともと.zbn規格はザウルス用を意図してシャープが開発したソフト規格だから、ZERO3を縦長に使うと、画面サイズ的にまったく自然に使える。途中で閉じても前の場所を自動で覚えていてくれるので不自由はしない。

 内容の性質上、紙の訳本には膨大な訳注がついているはずで、難解をもって鳴るこの小説、それなしでどこまで読めるかという思いもあったが、私の歴史と地理好き、そして、かってカール・ヒルティの耽読者だったおかげで、クリスチャンではない人間としては珍しい域に聖書の引用に躓かないことも幸いしてだと思う、むしろその膨大だろう訳注を読まなかったおかげでここまで「一気読み」できたのだと思う。

 私は恐らくグレゴリー・ベック主演の映画を観ていない(と思う。今度見てみるつもりだが)。ネットで多くの読者の感想を読むと、原作の文章の晦渋さと、なかなかストーリーが前に進まないで、すぐに語り手の若い船員、イシュメルの鯨についての果てしのない雑学を読まされるあたりにうんざりしてしまう人が多いようだが、私はそのことがまったく苦にならなかった。

 すぐに話題が横道にそれて、本題と無関係であるかに見える薀蓄を延々と語り始めてしまうのが、そもそもこのブログでの私の文章術そのものであり、ひょっとすると、メルヴィルという人は、そういう点では私と気質的にかなり近いところがあるのではなかろうか。私の理解では一種の執着気質ということになる。

 ただ、私に言わせれば、結局、この作品の「主人公」はエイハブ船長ではなくて、やっぱり、鯨に取りつかれたイシュメルという青年のような気がする。彼の語る捕鯨船員時代の最初にして「最大のエピソード」として、白鯨、モビー・ディックへの復讐の鬼と化したエイハブ船長の船なんぞに乗せられてしまったときの物語が語られているというべきなのでと思う。

 .....というか、このイシュメル君、この物語の冒頭で捕鯨船の乗組員として採用されるまでは、普通の商船で3年ぐらい船員をやっただけの新米に過ぎない。つまり、捕鯨船の物語世界の中ではまるで「ひよっこ」であり、主要な登場人物と対話するシーンがゼロである。どこまでも「その他大勢」なのだ。つまり、彼そのものが実は物語中の捕鯨の船乗りたちの世界の中では「疎外された局外者」に等しいことが実は巧妙に隠匿されている。

 つまり、イシュメル君、君はエイハブ船長との航海で生き残った後になって積んだ航海の経験や、陸に上がってからの鯨おたく研究によって、この物語を語る時点では、まるでエイハブ船長や、一等航海士のスターバック(知ってる人は知ってるでしょうが、あのコーヒーチェーンの名の由来だそうです)、そして、南洋の原住民出身の経験豊富な鯨の銛(もり)射ち、クーゲヴィックと同じくらいに、すでに捕鯨の現場を知り抜いていたかのように見せかけてるでしょ? といいたくなるところがある。

 というか、エイハブやスターバックやクーゲヴィックという「現場人間」と肩を並べ、追いつくために、その後の人生を「鯨おたく」として極めずにいられなかったんでしょ? といいたくなるところがある。

 そして、そうした過程で、エイハブやスターバックやクーゲヴィックといった人たちの思い出が、文学青年っぽいイシュメル君の「分身化」みたいな「投影」作用の中で純化されているけど、ほんとはこうした人たちとの荒っぽい係わり合いはすっげえトラウマだったんじゃないのとも言いたくなるのである。

 アメリカの出身地域のちょっとした私立高等教育機関に入れたと思ったら、実家の破産によって船乗りをして生計を立てずにいられなくなったメルヴィルが実生活で味わったものは、そうした辛酸だったというほうが現実に近いようである。

 そしてそこに、男だけの船乗り世界の中での、同性愛的虐待経験が想定できることは、行間から十分に伝わってくる。むしろそこには、テネシー・ウィリアムズの戯曲や小説(大学の英文購読のおかげで読むきっかけがあったのだ)にも通じる独特のニオイと感受性すら感知できる気がするのだが????

 延々と登場する鯨の解剖学的な構造と、油の採取についての具体的な解説を読んでいると、恐らくメルヴィル自身が、そういう一見血と油と生臭さにまみれた現場に、一種フェティッシュなまでに恍惚とした皮膚感覚的で全身的な快感と恍惚すら感じたであろうことが生き生きと伝わる。それこそ、私自身も自マッコウクジラからのとてたての油まみれになってお肌つやつやになったみたい、いや、脳油がたまっているという巨大な頭部の袋の中でおぼれてみたい.....みたいな妄想(?)にとらわれてしまうアヤシイ甘美さが、メルヴィルの描写にはある気がするのだ。

 一度クジラの解体作業が終わると、そうやって搾り取った残りかすで一度完璧に船室やデッキが清浄に洗い上げられ、船員も洗い立てのきれいなシャツに袖を通し、清潔そのものの船内での談笑に花が咲く、しかしそれは鯨が見えたという見張りの声と共に一点して命を懸けた捕獲と「と殺」、解体作業の血に塗られた修羅場に3日ぐらい一変する、その果てしない繰り返しになるあたりをイシュメルの口を借りてしつこく描写するシーンがある。

(もっとも、私は、断固として男と一緒には嫌だが。......突如だけど、藤原紀香さん、だんなさんの、一緒にお風呂入りたいという夢ぐらいかなえてあげなさい(爆))。

 もとより、同性愛の脈絡というのは、この作品のひとつの切り口に過ぎまい。何か、「自然」「身体性」....というよりも、もっと即物的に「イキモノ」といいたくなるのだが....としての「他者存在」に、実に不器用で屈折したやり方で依存せざるを得ず、愛憎支配欲を向けざるを得ない、自我を持った人間存在の、永遠に報われない愛のドラマという気もする。その意味ではエイハブもイシュメルも、鯨という、人間のちっぽけな自我を超えた圧倒的な「イキモノ存在」に魂を奪われた哀れな存在という点では実はお互いに分身同士であるに過ぎない。

 エイハブにおいては憎しみと征服欲が、イシュメルにおいては受け身的ですらある対象への憧憬が前面に出ているかもしれないが、実は二人で一人といいたくなるところがあるのである。そしてそこには、世界へのまったりとした一体感から疎外された「丘にあがれない」孤独な自我のさすらいと救済への希求があるのである。

 エイハブに、実際にモビー・ディックに勝利して、「彼」をと殺し、油を絞り取り、骨を加工して自分の勝利への記念とすることで光栄に満ちたその後の勝利者としての余生を具体的に夢見ていたかどうかとなると、そうではない気がする。

 彼は「愛する」モビー・ディックと再会し、ディックと血みどろの戦いを再度演じるところまでしか未来像はなかった。彼はいわば「死に場所」を求めているだけだったとも言える。モビー・ディックに脚を奪われた時点で、彼は自分の人生の悲劇と絶望を直視せざるを得なかったのであり、モビー・ディックの「ストーカー」になること以外の生き甲斐を見いだせない存在になっていたのだと思う。

 そうした彼の思いの一端は、ラストの方の、スターバックとの「正気の」会話のいくつかで溢れ出している気がするが。


******


 私には、ユングの自伝に出てくる、地下に降りていったところにそそりたち、そばにいた夢の中の母親が「あれは『人喰い』ですよ」とつぶやいたという、少年ユングの邂逅と何か非常に共通する質の「何か」を、白鯨、モビー・ディックとイシュメルの関係に感じるのだが。

 このことを、すでにユング派の誰かが言及しているかどうかは知らない。ユング自身がメルヴィルに言及することすら、時代的に可能だったと思うけど。

メルヴィル/「白鯨」 ダウンロード版 上巻メルヴィル/「白鯨」 ダウンロード版 下巻

これから、これを読みます。

これも、借りてきます。

ちなみに、これもあげときますね。

そして、あとは「白鯨」関連書籍無作為リンク。


2007/06/08

クライエントさんは自分の抱えている悩みのすべてを話しているわけではない。

 以前、「週に一度、1回1時間、カウンセリングに通っているクライエントさんは、全生活場面の中の、たったの24×7=168分の1の時間しかカウンセリング場面に関わっていないのに、その1時間で、その1週間ばかりか、得てしてそれまでの長い年月をかけて形成された来た自分の悩みについて物語らねばならない立場にある」という、ことを話題にした。

 そして「たかが168分の1、されど168分の1」ということをいかに受け止めておくかということが、カウンセラーの基本姿勢として重要であることを示唆したつもりである。

 しかも、日本の現実では、毎週確実に1時間を継続的にカウンセリングに通うということが、時間的・経済的にみて無理がないケースはごく限られている。その分、何らかの意味で日常の時間とお金と労力をを削っている。それだけの時間をカウンセリングに費やすということだけでも、家族や関係者の理解と協力が必要であり、仮に周囲に秘密のままカウンセリングに通うとすれば、そのことそのものがストレスとなる。

 そして、カウンセリングの場所に通う、あるいは寄り道をするということで1時間を必要としないという恵まれた環境にいる人も稀である。

 私は、こうした事柄全体をカウンセリングのベーシックな「副作用」の基本に置くべき、という考え方を以前示した。

 恐らく、歯医者さんで治療の対象となる歯の疾患の悪化の原因の5割以上は、「歯医者に通うのがめんどくさくて放置した」ことに起因する、というのはけっして大げさな言い方ではあるまい。治療に通うこと自体のたいへんさそのものが、最初に克服されるべき「治療的副作用」であるという言い方は、ひとつの思考実験としてやってみる価値があるはずである。

 カウンセリングルームで待機しているカウンセラーは、カウンセリングルームにクライエントさんが現れたその時を以てしてはじめてクライエントさんとのカウンセリングの開始のイメージを持つ。しかし、カウンセリングにクライエントさんが現れた、それだけで、クライエントさんは、数々の「障害」をやっとの思いで突破し、ひとつの大仕事を成し遂げているのである。


*****


 敢えてひとつカウンセラーの人たちに問いかけてみたいのは、自分が、自分個人の悩み事で、カウンセラーのカウンセリングを受けてみることを具体的に考えたことがあるかどうかである。

 そのようなことは、カウンセラーとしてのプライドに関わる、あってはならないこととお考えだろうか?

 医者であれば、自分が病気にかかれば、他の医者の診察や治療も受けるし、入院もするということに違和感はさほど感じない気もするが。

 いずれにしても、それまで全く赤の他人だった人間に、お金まで払って、自分の抱えた悩みや問題を一からわずか1時間で物語るということが、どれだけたいへんで、葛藤があり、一種不全感を残しやすいものであるか。
 
 カウンセラーにどのような目でみられるか、受け止めてもらえるかを気にするあまり、脳裏に浮かんでも話すのを回避する事柄がどれだけあるか。思わず、たいしたことないかのように話したり、時には見栄を張ってウソを言ってしまう部分がどれだけあるか。ほんとうは、より深刻な問題である可能性を心のどこかで感づいていながら、その問題については全く「かわして」、より解決が平易そうな問題のみを語りたくなる誘惑。

 そして、聴き手の専門家の側が、自分がそうやって思わすバイアスをかけて話した中身の内容だけを「真に受けて」そこに絞り込んで応対してきた時の居心地悪さ。あるいは、自分としてはさして重要とは思えない点にのみカウンセラーが拘泥し、そちらの方の話題にばかりカウンセラーが関心を向けてくるのに漠とした違和を感じつつも話を合わせて1時間終えてしまった時の「偽りの和やかさ」を敢えてくつがえす方向に、面接時間の終わりになって、あるいは次回の面接時に話を逆転させるのに、どれだけの決心とパワーがいるか。

 自分の抱えた問題の全体とそこで生じている心の動きについて言葉にしようとしていく過程で、実は自分がどれだけ問題全体をわかっていないか、混乱しているか、語る言葉を見いだせていないか、あるいは、いざこうやって語ろうとすると、日常の中で感じるような深刻みと切迫感が薄れてしまい、「わざわざこういう場で語るほどのことなのか?」という非現実感に突如襲われることがある。


*****


 .....思うに、真の意味での「クライエント中心」とは、こうしたこと全体に対する共感的想像力の全体を含むものであるはずである。

 それらの多くは、語られる必要が最後までないままかもしれない。無理に引き出す必要もないものかもしれない。しかし......


BGM:浜崎あゆみ/浜崎あゆみ - Secret - until that Day..."until that Day..."
  

2007/06/07

ただ今、「白鯨」と共に潜行中。

メルヴィル/「白鯨」 ダウンロード版 上巻メルヴィル/「白鯨」 ダウンロード版 下巻

読了後の感想はこちら

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ポール・マッカートニー /追憶の彼方に~メモリー・オールモスト・フル←このアフィリエイトの意味がわかる人、限られてるよなあ......

2007/06/05

何か子供の、ある段階の口まね好きを思わせる。

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↓における、「あゆさま」の、いきなり専門領域に踏み込もうとする「熱意」だけは買おう(^^;)


*このエントリは、ブログペット「あゆさま」の飼い主のこういちろうが書きました。

前回述べたように(BlogPet)

感情をイメージしたかった
 前回述べたように、壺イメージ療法とは、本来、単に、困難な問題や感情を「容れてお.」
と、こういちろうが考えてるみたい♪


*このエントリは、ブログペットの「あゆさま」が書きました。

食パン(今日のテーマ)

BlogPet 今日のテーマ 食パン
「あなた流のおいしい食パンの食べ方を教えてください。」
 現在はパン食そのものを控える政策(?)を徹底していますが、食べていた頃には、

1.ピーナッツバターを塗る。

のと、

2.バターあるいはマーガリンを食パンにたっぷり塗りつけた「後で」、オーブントースターで「こってりと」焼き上げる。

のがなぜか好きでしたね。

2007/06/04

地球温暖化(今日のテーマ)

BlogPet 今日のテーマ 地球温暖化
「これから暑い夏が来ますか、あなたがしている地球温暖化対策を教えてください。」
 夏場、面接時間が終わったら、職場の窓は開け放って、冷房をかけないようにしていることが多いです。○階で角部屋で、川の流れに沿っていて、窓も他の部屋より多いので、特に日が暮れてしまえば、これだけで涼しいことが多いのですね。

 自宅のマンションも、北側の一番日陰の部屋、しかも壁がやたらと分厚いということもあり、夏も冬もですが、温度変化が以前住んでいたところよりもかなり少なくて、それだけで光熱費の節約になっている気がします。

 あとは、交通機関として、「新幹線(をはじめとする鉄道)」と「自転車」の愛好者であることも、貢献しているかもしれない???

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お前も「運なし」以外の占いをちゃんとしてくれることあるのがやっとわかった(^^)

フォーカシング個別指導・「グループコース」(2-3名でのお申し込み)新設!!

 昨日の「大船でフォーカシングを学ぶ会」、第1回で得られた経験をさっそく生かしてしまいましょう(^^)

 フォーカシングのトレーニングを、最初から2人(ないしそれ以上)で申し込んでいただくコースを新設したいと思います。

 私のフォーカシング個別指導は、申し込まれたフォーカシングを学ぶ方のニーズによっては、単にフォーカサーとしての学習のみならず、リスナー・ガイドとしての学習のために、私と役割交代して、私がフォーカサーとなり、リスナー・ガイドとしての経験を積んでいただくこともすでにお引き受けしています("Focuser as Teacher"の項、参照)。

 しかし、これでは、私と学習者が、二人とも、セッションの当事者になってしまうわけで、フォーカサーとリスナーのセッションのプロセスを第3者として観察して、共有する、「オブサーバー」としての体験が持てないことになります。

 ところが、この、「オブザーバー」としての体験が、フォーカサーとしても、リスナーとしても、学びを深める上では非常に示唆に富むらしいということを再確認させていただきました。

 また、トレーナーとしての私を含めた3人組になると、学習者の方2名が、フォーカサーとリスナーになってセッションをする様子を、トレーナーの私が「オブザーバー」として観察する立場になり、セッションの最中に、いわば「コーチ」として介入してサポートしたり(これを「コーチ法」といいます)、セッションが終わってから3人で話し合う形で、お二人のフォーカサー・リスナーとしての体験を深めるお手伝いもできるわけです。

 実は、The Focusing Instituteで体系化されたトレーニング・プログラムにおいては、早い段階から、こうした、「トレーナー1人、訓練生2人」という3人組のスタイルでみっちりと実習すること推奨しています。

 日本でも、グループでのワークショップや学習会の場では、そうやって、原則3人組に別れ、しかもその中の一人として、フォーカシングの経験がより豊富な人が含まれるようにする試みは、すでにあちこちでなされているかと思います。

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 これを、「湘南フォーカシング・カウンセリングルーム」でのフォーカシング指導コースで、ひとつの申し込みフォーマットとして独立させたらどうだろう? と思い立ったのです。

 つまり、お申し込みの段階から、お知り合い等、2人ひと組で申し込んでいただくフォーマットです。(3人ひと組ぐらいまでの拡大は可能とします)

 その分、1回あたりの料金は割引き、設定時間も長めにさせていただきます。

 現在、個別指導をお1人で申し込まれた場合、60分8,000円(JFA/TFIメンバー割引7,000円)でお引き受けしています。

 そこで、お2人(トレーナーの私をいれると3人組)で一緒に学んでいただくお申し込みの場合には、90分でお一人様7000円、(JFA/TFIメンバー割引6,000円)とさせていただきます。

 (お3人〔4人組〕の場合には、120分お一人6,500円(JFA/TFIメンバー割引5,500円

 更に、大学院までの学生さんについては、これらに加えて、既に存在するお一人様2000円割り引きシステムも同時に適用ましょう!!

 つまり、私のもとに、大学院や学部の学生さんがフォーカシングを2-3人で一緒に学びにおいでだと、JFA/TFIメンバーでしたら、2人で合計8000円(90分)、3人で合計10500円(120分)でお引き受けすることになります。

継続的ではなくて、1回限りの体験でも、この「団体割引」制度(?)は適用いたします。


****


 こうしたニーズが皆様にどれだけあるのかどうかわかりません。

 ただ、「みんなで渡れば怖くない」という北野武氏の至言もあります(^^;)。

 ひとりでだと、億劫になって躊躇なさる方でも、お知り合いと一緒ならば、フォーカシングを、少しディープに試しに体験したり、継続的に学んでもいいかな? という方もあるかもしれません(^^) 

(特に、すでにカウンセラーなどの援助職にお就きの方や、臨床心理系の院生・学部生の方)


 2人(以上)で申し込んでいただくことを公式のフォーマットとするのは、日本初の試みだと思います。

 お申し込みの方は、参加者それぞれの方が記入された申込書を、どちらにも「2人組指導〔○○さんと〕」などどご記入の上でお申し込み下さい。

(もちろん、参加者どうしの時間調整をした上で予約希望時間をお書き下さいね)。


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 なお、ここで述べた、複数の方が同時においでの場合の割引原則は、一般カウンセリングコース、夢フォーカシングコース、フォーカシングトレーナー継続研修コース、ケーススーパービジョンコースすべてに共通の原則と、今後させていただきます。

 わかりやすくまとめますと、以下の通りです:

●お2人以上でおいでの場合(純粋にお付き添いの方を除く)

*お2人の場合:ひとり1000円引 時間30分増
*お3人の場合:ひとり1500円引 時間60分増(ただし、最大合計2時間)

※以上 各コースとも。他の割引制度との併用可。

2007/06/03

「大船でフォーカシングを学ぶ会」第1回無事終了

 本日、「大船でフォーカシングを学ぶ会」の第1回を予定通り開催、無事終了いたしました。

 時間配分等、私も反省材料はありましたが、主催者としてもいろいろ学ばさせていただけたことに感謝申し上げます。今後に生かしたいと思います。


 興味深かった点を2点。

1.フォーカシング関係の著作や、ワークショップ等経験等を通して、フォーカシングについての学びを深めたいと思いつつも、既成のそうした場に参加しないままでいる人たちにとってネックのひとつになっているのは「参加料金」と、そこで体験できる内容密度、更にいうと、「身近に、定期的に、ある一定頻度で参加できる場
があるか」
の対応関係である。

2.単に1対1の個別指導体験だけではなく、フォーカサーとリスナーのセッションをそばで共有する「オブザーバー」としての体験が、フォーカシングへの理解を深める上で重要である可能性。

 今後、参加者の皆様の数が増えていった場合にも、この2点については大事にしていきたいと思います。


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 すでにお知らせいたしましたとおり、今後隔月第1日曜日に開催します。

 次回は8月5日(日)13時-17時に開催します。

 今後も新たな参加者の方を募集いたしておりますので、お問い合わせ、お申し込みは、湘南フォーカシング・カウンセリングルームまで、FAXまたはお電話で。

揚げ物大好き(今日のテーマ)

BlogPet 今日のテーマ 揚げ物大好き
「とんかつ、ヒレカツ、エビフライ、かきフライなど、あなたの好きな揚げ物を教えてください。」
 こういちろうは血中脂肪濃度が問題な人ですから、普段はひたすら揚げ物や肉からは逃げています。催しとかで宴会になる時にしか自分に許しません。そのおかげで随分改善して、痩せてはきましたが。

 でも実はカキフライとか、ほんとうは好きな人です。

先週の人気記事ベスト20!!(07/5/27-6/2)

 「カウンセラーこういちろうの雑記帳」週に一度の恒例、@NIFTYココログの、日曜日-土曜日の「週ごと先記事別アクセス解析機能を使っての、先週の記事アクセス「ベスト20」の発表、47回めです。

 固定リンクでのアクセス率の順位から集計しています。アクセス数が同じ場合には、訪問者実数上位の記事を上位とし,訪問者実数も同じ場合にのみ、同じ順位として掲載します。
 7×24時間、つまり6/2日(土)24:00の時点での集計です。

 それでは発表!!

 先週の一週間の総アクセス数、延べ1,886(前回2,655)。(一日平均アクセス269.43。前回379.29)、

 訪問者実数は、1,387名様(前回1,704名様)。

 .....久々に鮮やかに落ちましたが。ここまで本格的新規記事が少ない状態が持続していた期間でしたから、やむを得ないでしょう。過去記事も読み尽くされてきていたと思いますし。

 また再び、新規の本格的書き込みを増やし始めると思いますので、どうかよろしく!!


 「トップページへの外部からのアクセス」、前回874(49.3%)に対して、今回527(46.1%)
 「サイト内移動」、前回520(29.3%)に対して今回336(29.4%)


 当ブログの「一限さんでない率(リピーター率)」、これは同じ人が一度に「何ページ」記事をお読みになったかと無関係な訪問者「実数」比に基づくもののようですが、3回続けて7.6%

 「訪問周期」は、毎日おいでになる「完璧常連様」は前回の9名様から13名様に、なぜかこれだけは回復


 それでは記事別ランキングの方の発表!!


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1.欝とは、自分が無理をしていることを認識できなくなる時期にすでに始まっている(↑)41週連続

2.オーディオにおける接点復活剤について(↑) 23週連続

3.インシュレーターは使わないに越したことはない(→) 40週連続

4.「開業カウンセリング」ではなくて、「私設心理相談」!? (↑)

5.横浜アリーナのアリーナ席は縦揺れしている!! -浜崎あゆみ "Tour of Secret"横浜最終日- NEW!

6.「2007年5月」のバックナンバー (↓) 5週連続

7.来談しているのが「クライエントさん」である。 NEW!

8.ayu様と「怪談」 (→)

9.受験生の受難は必至だって、わかる人には聴かなくてもわかるのにな.....(および、「モスキート・トーン」「オーディオ機器のエージング」について) COME BACK!!

10.「カウンセリング」と「身の上相談」の違い (↓)

11.ディック・ミネ、「瀬戸の花嫁」を叱るの巻 COME BACK!!

12.「疲れた」「つらい」筈なのにそう感じていな「かった」時の「独特の感覚」は本人にも「実感」できる (↓) 3週連続

13.フルーツ(今日のテーマ) NEW!

14.壺イメージ療法 -「容れもの」「置き場所」を想像してもらう技法- (1) NEW!

15.広告収入目的で、見掛け倒しの「はりぼて」ブログを次々量産している人もいるようである。) NEW!

16.about meより:ヘッドフォン(イヤフォン)は? NEW!

17.Interactive Focusing Therapy COME BACK!!

17.「ケーススーパーバイズ」とは何だろう ~入門編~ (↓) 8週連続

19.患者から学ぶ COME BACK!!

20.ブログの名前(今日のテーマ) NEW!


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 なお、17位は実数も同じなので2つあります。

 前回の「ベスト20」は22位でした。


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 これを書いている「今、この瞬間」(6/3 AM 0:36)までの当ブログ文章記事の延べ総アクセス数)は、166377、プロフィールとフォトアルバムを含めると190096、ブログの通算記事数はこの記事で908本めです。

 今後とも、「カウンセラーこういちろうの雑記帳」を、よろしくご贔屓(ひいき)に、お願い申し上げます。

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2007/06/02

こういちろう、プログレに挑む!!

 壺イメージ療法についてのカウンセラーらしい解説を唐突に放置して(壺に入れて置いておいて?)、少し前から準備していたネタの方を唐突に始めるこういちろうであった。

 ひとつの記事を無理して完成させず、未完のままup、並行して別の記事を書いてしまうというスタイルを多少試してみるつもりである。読者には「途中までではないか!」と迷惑かもしれないけど、ちゃんとタイトルで「未完」と表示しますのでお許しを!!


*****


 .....ということで、唐突にプログレである。しかもリック・ウェイクマンである。イエスのキーボード奏者として著名なお方。

 こういちろうが唐突にリック・ウェイクマンについて書くに至る伏線そのものが、恐らくこの人のファンからしても非常にコアな、「独創的な」(?)ルートを経ている。

 次のアルバムを実際に聴いた、持ってるという人はかなり珍しかろうから(^^;)


Arthr_bandaOs Mitos E Lendas Do Rei Arthur E Os Cavaleiros Da Távola Redonda / Banda Sinfônica Jovem Do Estado De São Paulo

 ブラジルのサンパウロのオーケストラなんですね。だからポルトガル語。

 なんでこんなのを買ったかというと、その当時、歴史好きの私は、アーサー王について調べることに凝っていまして、楽天の検索で「アーサー王」でヒットした。確かそのページには解説めいたものがほとんどなくて、オーケストラで描いたアーサー王関連の音楽というのも、ひとつぐらい買っておいていいかも....くらいの軽い気持ちだったのである。きっと現代音楽の人かなんかのだろうと(まあ、すっかり外れではなかったともいえるが....)。

 ところが聴いてみてぎっちょんちょん。

 これは何だ????

 この、時代がかった、大げさな響きは?

 映画音楽????

 ......にしては、途中で英語の歌詞が少しだけ入る。

 これは、きっと、英語圏の、相当有名なロックバンドのアルバムをそのままオーケストラ・バージョンにして演奏するという試みなのだろう。 それにしても、ブラジルでは何とも奇抜な試みをやるな。クラシックに聴衆を引き込むにはこんな試みも必要なのだろうか?

 ライブ録音で拍手も入る。クラシックのオーケストラとしてみたら、ある意味で何とも荒っぽい演奏だが、ドラムスもバリバリでえらく情熱的でド迫力。聴衆には受けるよなあ....

 ......実は、これがオリジナル・アルバムに忠実な、ライブにおける再現」であると気がついたのは、数日前、全く偶然に、wikipediaでだったりする。

.......こっちがオリジナル・アルバムですね。

(中古の値段が表示されてるけど、輸入盤の新品は1400円台です)。

 ジャケットかっこいいので、もう少し大きいのを載せましょ。

Arthur


*****


 ブログレについての、私の数日前までの認識は恐ろしく貧困であった。

 「要するに、ビートルズのアルバム、"Abbey Road"を元祖とする、曲がやたらと長くて、クラシックとも融合した、何やら『芸術的な』ロックの潮流」

 .....一応間違ってはおるまい(^^) 

 ビートルズだけは、大学院生の頃から、CDアルバムみんな揃えて、聴き込んでいたので。

 では、プログレの代表的なバンドをあげろと言われても、浮かんでも来ないし、聴いたこともない。

 ......え? ピンク・フロイドがそうなんだ。.....聴いたことがない!!

 豚さんが空を飛んでるジャケットは、高校時代に、FM雑誌の新譜の広告で見た記憶だけはなぜか鮮烈に残ってるけど。

アニマルズ / ピンク・フロイド (←調べたら、これのことです。豚さん小さすぎて見えない?
それじゃもっと大きいの ↓ .....こっちはまだ聴いてません)

Animals


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 リック・ウェイクマンへの動機づけがなぜ出てきたのかのもう一つの理由はというと、


「ブラームスの交響曲第4番第3楽章をなぜかシンセでやってる演奏」

を、中学のお掃除の時間になぜか1回だけ流れて(恐らく放送部員がゲリラ的に流したのだろう)、その記憶が妙に鮮烈に残っていて、ウェイクマンを調べていたらイエスのことに行き当たるわけで、イエスの代表的名盤とされる"Fragie"(こわれもの)にそういう曲("Cans and Brahms")があると知ったので、これは30年ぶりにやっと聴けるぞと思ったのが大きい。(今聴いたら、「多重録音でよくがんばったね!!」と一応言ってあげたくなる、今からすれば何とも素朴な水準ですが、これが忽然とロックのアルバムに入っているとは思いもよらず)


*****


 更に言うと、実はすでに別の経路でも、私はこの人の音楽に接していたことに気がつく。

 私が、ケン・ラッセル監督の、クラシックの作曲家をテーマにした伝記もの(?)映画のシリーズはほとんどみんな観ていることは以前お書きしたと思いますが、「リストマニア」という、リストをロックスターに見立てるという映画を昔観てまして、その音楽担当(映画で歌っている人ではない)がリックだったとのこと。

この映画のサントラCDの方は今も入手可能のようです(聴いてませんが、ご参考までに。

*****

.......で、結局、リックのアルバムのどれ一番気に入ったかというと、「アーサー王」の方は、オリジナル版のキーボードの凄い演奏力には驚き、デジタル以前の時代に、よくこれだけの音響空間を作り上げたこだわりの凄さ、そこに漂う、いかにもイギリス人的なノーブルな気品にはある種の感銘を受けました。

 でも、私にはどうしてもこの曲、かっこいいけど、「誇大妄想スレスレの無意味なまでの壮大さ」を感じてしまうとことがある。それを生み出した、アーティストとしてのただならぬ執念には脱帽もするけど、なるほど、アルコールにはまっちゃう人だよね、という、独特の"addictional"な「過剰さ」も伝わる気がして。素直に浸れない(もの凄い赤字を出してオケ雇ったそうですね)。

 むしろ、よりシンプルなセッションで、贅肉をそぎ落としたタイトさのある、ある意味でジャズ的なフィーリングも強い「ヘンリー8世と6人の妻」の方が、何やらジャンルわけ不能だけど、時代を超えても聴き継がれそうな、ずっと聴き返せる「滋味」のようなものを感じています。

(しかし、 iTunesに拠る限り、これも分類上は「ロック」になるのか........???)


******


 ちなみに、ブラームスの交響曲第4番の原曲ですけど、私は、フルトヴェングラーの異様にうねうねと熱っぽいライヴ演奏と、ワルターの均整の取れた演奏の両方を愛してきました。アメリカのオケのせいか、それでも第3楽章はかなり響きが華やかですね。

HMVジャパン

"container(容れもの)"と"content(内容)"の弁証法 -壺イメージ療法(2)-

 前回述べたように、壺イメージ療法とは、本来、単に、困難な問題や感情を「容れておき」「封印する」ための壺をイメージ的に想起してもらう方法ではない

 むしろ、「標準的手続き」に見る限り、こうしたありがちな先入観とは手順が逆転している。つまり、悩みや感情が「何なのか」を最初に対象化できている必要はなく、いろいろな心のありようが「何か」入っているであろうと想定される壺を、幾つも具体的にイメージしてもらうことしか求めていない。

 壺の中に入って感じてもらうというのは、あくまでも壺を幾つか思い描き、気持ち的に無理のない形でイメージ空間に並べてもらった後で行う手続きである。

 しかも、こうして、壺の中に入って、味わってもらうところまでやらないと、この療法に効果がないというわけではない。得てして、壺を想起し、置き場所を見つけてもらうだけで(しかもそれが1個だけでも)十分セラピーの援助となり、それだけでクライエントさんの改善に効果があることが少なくないのである。

 これをもとに、心の内容や心的葛藤、苦しい情動等に直面したり触れたりしないまま「距離を取る」工夫をするだけという点で「安全」であるという考え方、あるいは、そもそも、内的葛藤や情動に「直面」したり「再体験」したり「徹底操作」することが治療的であるという、多くのセラピーの前提は「間違って」おり、むしろそれらにうまく「触れないでいられるように工夫ができるようになること」こそが心的治療の達成であり、心の健全であるという極論すら想定できることになる。

 これに対して、中井久夫先生は、「壺イメージ療法は、一見心的内容に『触れないままににしておく』技法に見えるが、実は『開披的な』技法である」という逆説を提起した。

 この、逆説的な『開披姓』について、以下で私なりに考えてみたい。

 壺イメージ療法が、クライエントさんが、フリー・イメージ療法のセッションの中で、たまたま、「洞窟の中に、いくつもの壺が並んでいるのが見える」というイメージを語ったことがきっかけとなって生まれたことは、前回紹介した2つの文献の中で述べられている。ある意味で「偶然に」発見されたものなのだが、イメージ化の具体的対象として、壺を指定するフォーマットを作るという、単純なことが、どうしてこれだけ奥の深いアプローチを生み出したのであろうか?

 私はそれを、壺という対象(object)固有の、「外界」と「内部」との弁証法的関わりと関係するものとしてとらえてみたい。

 ここでいきなりだが、以前このブログでもご紹介した、中井久夫先生が「治療論からみた退行」と「スリルと退行」の翻訳を通して紹介された、バリントの「前-対象関係」についての考え方、すなわち、オクノフィリアとフィロバティスムの関わりの脈絡で考えてみたいのである。

当ブログにおけるトラックバック「不許可」の実例公開

 どうも、私が以前の記事で注意喚起したのに、相変わらず、アフィリエイト目的としか思えない「はりぼて」ブログからのトラックバックが毎日届くので、みせしめとして、その実例をご紹介することにしました(^^;;;)。

 もっとも、私はこういう時は意地悪なので、画像ファイルとしてリンクを張ります。当然リンクは効きません。ブログのタイトルも消去です。

●「シュアー」関連の例

カートリッジやイヤフォンのメーカーのSHUREとは無関係に「シュアー」であれば何でもヒットしているあたりはご愛敬?

「シュアー」関係はここ4日」間に集中して、他のパターンが3件。


●「浜崎あゆみ」関連の例

個人的にはブックマークして、活用させていただきます(爆)。フィッシング詐欺とかのセキュリティソフトはパソコンに入れてますので念のため。

 もっとも、リンク先不在のや、どこがayuと関係あるのかよくわからないのも多数。恐らく過去記事になってしまったんでしょう(^^;)

 なお、全く同じデザインで、過去「石川県」とか、全然別のネタでトラックバックが幾つか来ています。

大船で小さな地震体感

震度2ぐらいでしょうか。
遠方で被害がないことをお祈りします。

【追記】この地震でした。震源茨城県南部。震度4。

漢字(今日のテーマ)

BlogPet 今日のテーマ 漢字
「あなたの好きな漢字や四文字熟語は何ですか?出来れば理由も教えてください。」
 「臨機応変」という言葉が、恐らく私がこのブログで一番多用している四文字熟語ではなかろうか????

 この言葉を、場当たり的なポリシーのなさを指すものととしては使いたくはない。それに、個人的には、ある意味では「融通が利かない」人間だとも感じている。

 ただ、単なる「右往左往」ではない「臨機応変」というのは、実は自分の「スタンス」が自分の中でしっかり捕まえられていないと発揮できないことのように思う。多種多様な状況の中で、一貫してゆるがない、身体ごとのホーム・ポジションというのか。

 とてもそういう境地にはまだまだ届かないとは感じているけれども。だからこそこの言葉を使いたがるのかもしれない。

 今回は、エラくまじめに回答してしまった(^^;)

Clipboard01_7

 あーのーな、「あゆさま」!!

 そりゃ、今日の深夜には人気記事ベスト20の発表だし、今週は最近では特に「地味〜」な盛り上がらない内容にならざるを得ないかもしれないのだが。

 気のせいか、おまえはどうも、最近、変なところだけ応答が賢くなってきた気がするのだが? 

 これも飼い主のせい???

2007/06/01

壺イメージ療法 -「容れもの」「置き場所」を想像してもらう技法- (1)

 私が敬愛する、田嶌誠一先生「壺イメージ療法」について、はじめて、正面から、書いてみます。

この技法についてはこちらでも、もう一度ご紹介しています。

****

 
 この「壺イメージ療法」、ある意味では、現場臨床家の間では、フォーカシングよりメジャーです。いわゆるロジャーズ派(来談者中心療法)カウンセリングの流れにあるわけではない人ですら、これだけは現場で必要があれば使いこなしているカウンセラーの方々に結構巡り会えます。

 この技法、フォーカシングとの関連で語られることも少なくないんですけど、むしろ田嶌先生の師である成瀬悟策先生(催眠療法、臨床動作法でも著名ですが)のイメージ療法の流れを汲んで、田嶌先生が独創されたととらえる方が歴史的には正確です。

 この技法について詳しく述べた単著、「壺イメージ療法 -その生い立ちと事例研究-」(監修:成瀬悟策 編著:田嶌誠一 創元社)は、この技法の成立過程と詳しい解説、様々な実践者による詳細な事例報告、そして、ゲシュタルト療法の倉戸ヨシヤ先生、中井久夫先生、増井武士先生、そして我が師、村瀬孝雄を含む豪華キャストによる座談会が収録されており、一冊でこと足りる充実度という点では、現在でも代表的文献といえるはずなのですが.........数年前から、絶版です。

 田嶌先生が、壺イメージに留まらない、イメージ体験一般を含める形で、より幅広い読者層を対象にお書きになった「イメージ体験の心理学」(講談社現代新書)も......困ったことに絶版です(^^;) 田嶌先生ご自身、この現実をお嘆きなんですが。

 もちろん、アマゾンの中古市場で手に入ります。しかし、新書刊の後者はともかく、前者は、ご覧の通りの高値がついています(;;)。....それだけ、臨床関係者で、欲しい人はすごく欲しい本なんですけどね。

【追記 11/11/19】:

田嶌先生のイメージ療法関連、やっと新著が出ました。

心の営みとしての病むこと――イメージの心理臨床

*****

 さて、この技法、臨床家一般には、「クライエントさんが面接の中で語る困難な問題や、表出された苦しい衝動、怖いイメージとかについて「封印」するための「壺」を思い浮かべてもらう技法、であるかのように、臨床家の間でもとらえられている場合があります。

 そのような用途にも使えるのですが、田嶌先生が技法体系化した本来のやり方からすると、それは「応用問題」であるに過ぎません。

 以下に、技法の本来の流れについて概説します

(基本的には前述の前者の方の著作のp.55以下に書いてある「標準的手続き」を要約していますが、若干阿世賀なりの示唆も含めています)

1.導入

*リラックスしてもらう(通常は目を閉じる)

*目の前に、心の中のことが少しずつ入った、いくつかの壺(あるいは壺状の「容れもの(瓶・箱・袋など)」が出てくると想像してもらう。

*壺が(ひとつ)出現したら、治療者は「どんな壺?」などと尋ね、その形・大きさ・材質・色などについて言語化してもらう。

*壺のイメージそのものが浮かばない人には「壺があるような感じ」を味わってもらい、「あるとすれば、どんな気持ちか」を言葉にしてもらうだけで十分なこともある。

*それをどこに置いたらいいかを尋ねる
(阿世賀注:自分の前のどの辺という距離感でもいい。左右の位置を優先するクライエントさんもあろう。積み上げるという人もあるだろう。必ずしも真正面ではなくて、斜め前とか真横とかでもいいことを示唆する方がいい場合もある)。

*ひとつの壺(状のもの)についてこれをやってもらったら、他にも壺が出てこないか探してもらう。そして同様に形等について尋ね、置き場所を見つけてもらう。(一個だけのままでもいい)

*(阿世賀注:ひとわたりいくつもの壺について、形等を尋ねた後で、置き場所や並べ順を見つけてもらう方がいい場合と、ひとつの壺ごとに形等を尋ね、置き場所を見つけてもらうことをワンセットにしたほうがいいい場合があるようである。こうした場合、先に置いた壺との位置の相互調整も許容する方がいい場合も多い)

*いくつもの壺と、その置き場所を見つけても、まだ何か、壺という形にならない気分やモヤモヤなどがあるという表明が自発的になされた場合には、それを入れておく壺状のものを敢えて想起してもらうように示唆するとクライエントさんの役に立つことがある。

2.壺に「ちょっとの間だけ」入ってみてもらい、すぐに出て、蓋をしてもらう。

*クライエントさんが「入りたくない」「入れない」という壺には、入らないまま、後述の、蓋をしてもらって続きに進んでいい。

*壺に入れたクライエントさんについては、「どんな感じですか?」と尋ねると、「.....な感じです」「......が見えます」などという答えが得られることが多い(気持ち、身体感覚・壺の中の空気感・雰囲気など)。「何も感じられない」という応答もそのまま受け止める。

*この段階ではじっくり味わう必要がないことを示唆し、その壺の中に感じやイメージを残したまま、壺の外に出てきてもらう。

*蓋については、クライエントさん自身が気持ち的に落ち着ける状態になれるやり方を自由にイメージしてもらう。「栓」のようなものを連想する人、板状の何かを乗せる人、何かで「覆う」というのに近いのがしっくりくる人、蓋を紐などで更に縛りたくなる人など、クライエントさんなりにいろいろ自発的工夫の余地があることを、あまりに先取りしすぎない範囲で治療者側が示唆する方がいい場合もある。「蓋をしないままでいい」という人もそのまま受け止める。

*壺への「入り心地」の実感を参考にして、壺を並べる順序や並べ方を再調整してもらう。

*最初から入ろうとしないままの壺があっていい。多くても2,3個でよく、このへんはクライエントさんと相談して決める。

3.壺の中での感じをじっくりと味わう

*一番入りやすそうな壺を選んでもらい、今度はゆっくりと、長く入ってもらうことを示唆する。

*入れたら、クライエントさん自身がもう十分と思うまで味わってもらう(どのくらい入っているかは、クライエントさんのペースで判断してよく、無理に入り続ける必要はないことの示唆はあっていい)。

*治療者は、「どんな感じですか」と尋ね、気持ちや身体感覚やイメージを言語化してもらう。感じや気持ちが変化したらそれも言葉にして行ってもらっていいことを適切な瞬間に示唆する方がいいことも多い。

*万が一、中から出られないとクライエントさんが訴えたら、出るための工夫についてクライエントさんと話し合いながら工夫する(もっとも、入るまでの段取りが、クライエントさんのペースを尊重した、性急さがないものであれば、滅多にこういう事態は生じない)。

4.壺から出たら、改めて蓋をしてもらう。

*壺を出た後でも不快な感じが残った場合には、
  「同じ壺に繰り返し入り直す」
  「楽に入れた壺に入り直す」
  「その不快感を入れておく容れものを改めて見つける」
などの工夫を、クライエントさんと話し合ってしていく。

5.(特に)不快な体験をした壺については、蓋のしかたや「置き場所」について、クライエントさんが気持ち的に楽になるやり方を丁寧に見つけていく援助をする。

(阿世賀注:例えば、蓋をした壺を桐の箱に入れ、それを耐火金庫にしまった上で、その金庫を土深く埋めたいという人もあるかもしれない。こうした際に「何メートルぐらいの深さか?」などと具体的に尋ねてみたり、「埋めた後の土の表面はどうする?」などと敢えて尋ねてみることが援助的な場合も多い。田嶌によれば、「金庫の鍵は私(治療者)が預かる」などの工夫もありという)

※ 以上、4.-5.を、入ってもいいと思える壺について試みる。

6.次回この面接室に来るまでは、壺を自分で開けたり中に入ったりしないことを約束。

※なお、この技法は、日常現場臨床的に言えば、1.の「壺を思い浮かべ」「蓋をみつけ」「置き場所を見つけてもらう」までの部分だけで十分な効果があることが多く、2.-4.の「壺に入って感じてもらう」部分までやってはじめて意味があるわけではない。2.-4.は飛ばして5.でクロージングするので十分なことが多いことに注意すべきである。

 田嶌先生ご自身も、短いセミナーなどでは、2.ー4.を省略して講義と実習をされる場合も結構おありのようです。

****

 セラピーのキャリアがある人には想像がおつきかと思いますが、この技法が安全に進むかどうかの鍵は、治療者とクライエントさんの関係性にあります。

 治療者が強制したり、誘導したりする形になるのは避けるべきです。クライエントさんのペースに随(つ)き従う態度が重要です。

 そうすれば、クライエントさんや治療者が混乱したり、後味が悪くなるような展開そのものが出てこないもののように思います。この点は田嶌先生も言及されています。「段取り」だけ技法として学んでしまうとしくじるという点では、一見フォーカシングよりも技法的手順がわかりやすいこの技法の場合でも全く共通だと感じています。

 精神分析的に言えば、治療者=クライエント間に「抱え」の構造ができていれば、クライエントさんが体験する壺(=ビオンの言う"container")との関わりのプロセスも、安全なものになる。これは自然の成り行きです(田嶌先生自身、ビオンの概念とについて、最近学会で言及されました)。

 それと同様に、クライエントさんの自発的な「拒否能力」「工夫する能力」「(治療者に)注文をつける能力」(後二者は、田嶌理論の基本概念として著名)の発揮を尊重し、喚起する姿勢は大事です。治療者が「こんな工夫もできるし、こんな工夫も...」などと、具体的メニューを「列挙」するのが「先取り」になり過ぎてもよくありませんし、かといって、反対に、クライエントさんが何か言い出すまでじーっと待ってばかりで「放置」するのも良くないのですね。

 「壺は嫌です。段ボールの箱」といわれて、治療者が「それでは困る」と固執するのも不自然です。あるいは「どこに置く」といわれて「割ってしまいたい」「燃やしてしまいたい」「爆破してしまいたい」といわれたらどうするか? ....私なりにこうしたケースを切り抜けた経験はありますけど、敢えてその実例はここでは示しません。

 そうした時に、治療者側も、最初は当惑しつつも、クライエントさんとの関係性の場の中で、どのように柔軟に、お互いに無理のない解決策に行き着けるかのセンスそのものが問われていると思いますから。

*****

 これは私見ですけど、治療者の側が、頭の中で「このイメージにはこうした意味があるのではないか」などと分析することは、壺イメージ療法の本質とは関係ない問題だと思います。もちろん、クライエントさんが、自発的にそうしたことを感慨として語るのを傾聴し、共有する姿勢は大事ですが。

 また、大事なのは、クライエントさんがその体験をどのように「実感」しているかです。時として生じるのは、出てきたイメージに「カウンセラーの方が」勝手に怖くなって、壺から出るべきだとか、勝手に判断したくなる誘惑に駆られることです。逆に、カウンセラーの側が、イメージの「内容」についての価値判断を勝手にしてしまい「これは大事な、深い次元での体験のはずだから、じっくりやってもらおう」などと勝手に判断するのもマイナスでしょう。

 壺イメージ療法におけるクライエントさん本人の変化は、そのイメージ体験をどのように知的に理解するか、あるいは、内容的に「何を」体験するかとは無関係に生じていくものです。田嶌先生は、これを「体験様式の変化」と読んでたいへん重視しています。この点については、後続の記事で更に具体的に解説したくなるかもしれません。

*****

 ......この項、連載として続きます。

 次回は、この技法の持つ特徴についての私見を述べ、私がこの技法を、普段のカウンセリングや、フォーカシングのトレーニングの中で、具体的にどのように応用しているのかについて、書かせていただくつもりです。
 

ほとんど「充電池」のような一日であった。

 どうも最近、定休日の休日は、気がついたら寝て過ごしていた! という日が多くて、今にして思えば、少し慢性的に疲れが徐々にたまっていたのかもしれないと思います。

 昨日は、結構早めに起きて、ネットのことはほとんど気にしないまま、音楽聴いたり読書進めたり、やっと「ゆったり味わいながら」昼間の時間をすごせる休日を、かなり久しぶりに取れた気がしています。

 今日の関東の雨は、神奈川県でも、降った地域によってはかなりのもので、新幹線も一時止まったとか。

 ちょっと、この時期にしては涼しすぎるくらいの気候ですけど、もう6月です。そろそろそれらしくなってくるのではなかろうか???

 

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