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2007年5月

2007/05/31

フルーツ(今日のテーマ)

BlogPet 今日のテーマ フルーツ
「桃、びわ、イチゴ、メロンなどなど、フルーツ満載の季節がやってきましたが、あなたの好きなフルーツは何?」
メロン.....というのが直感で出てきた答えですが、フルーツであれば基本的に何でも好きですね(^^)

 「びわ」と例に掲げてあって思い出したのは、数年前にフォーカシングのワークショップで、アン・ワイザーさんが5月に来日された時、参加者のひとりがびわの実をアンさんにプレゼントしたんです。

 その時、同時通訳の人....プロの通訳の世界でバリバリに活躍されている人。フォーカシング関係者にはおなじみの「あの人」です....が、「びわ」って何だっけ?とばかりに大あわてで電子辞書を引き始めたのをよく覚えています。

 正解は、"loquat"なんですが。この英語がすぐに思い浮かばれる方はさすがに限られているかと。

2007/05/30

平日(今日のテーマ)

BlogPet 今日のテーマ 平日
「あなたは平日の学校や仕事が終わった後に何をしていますか?」
 私は自営業ですから、職場にそのまま居座り、その日一番本格的なネット活動の時間になだれ込むことが多いです。ブログの更新、ネット上での情報集めなど。さもなければ読書タイムということになります。

 

2007/05/29

今日は「仕込み中」です。

 さすがに一日に面接を4つも5つもという日があると、その直後は、あまりに久しぶりなことで、ブログの記事を本格的に書く余力は喪失するようである。まあ、世の中には、8時間の非常勤勤務で7-8人などというハードなスケジュールで面接されている非常勤のカウンセラーもいらっしゃるのは存じ上げてはいるが....

 ともかく次に何を書くかは全く無計画が一番だということは、こうして2年半ブログやってきて得た教訓である。ホントに調子がいい時は、書き始めた時点とは全く別な方向に内容がまとまってしまうことも多い。

 この後遠からず間違いなく書くのはナイチンゲールのこと。伝記だけで済むはずが、「看護覚え書」にも手を出し始めてしまったので、看護学校出の人だと、教科書として堅苦しく読んでしまうかもしれないこの本の中に秘められた、セラピーの「普遍」にまでつながる問題意識についてまで書いてしまいたい欲求が出てきている。

 結構、中井久夫先生や神田橋條治先生の、単なる精神医療論を超えた医療論のベースにかなりナイチンゲールは影響を与えているのではないかという、おぼろげな仮定はすでに浮かんでいるのだが、これを形にして書くとなると、少し気を引き締めてかからねばならない性質のものだとも感じている。

 これ以外の読書は、実は百年戦争については読もうと思っていた本を読み上げて、いつでも書けるんだけど、この「いつでも」というのが曲者というか、「すぐにでも」という感覚まではない。他を書いていく中で「気分転換に」というような使い方がベストのようである。

 そうこうするうちに、私としては珍しく、「小説」のジャンルに触手が動いている。すでに一冊この2日間で中編を読み終えてしまっている。これは一応「フランス文学」ですね(あまり、「フランス文学」なんだと意識されてないことが多いかもしれない、でも、すんごく有名な作家)。読んで良かったと感じてるけど、そもそもこの作家をこの本で「入門」した人はかなり珍しいだろう。でも、今日すぐに書きたい気持ちにはなってない。いろいろ前後の歴史的背景の情報も欲しいし、あるいはこの人でもう一冊もっとメジャーなのを読んでから....という思いもある。

 その勢いで次に読んでしまいたくなったのは「長編」で、しかも「アメリカ文学史上の名作」とされている作品だったりするのだが、どうしていきなり「そっち」に走るんだと言われるとよくわからない。前の作家からウィキペディアを自由連想的にあさっていく中で決ってしまったのとしか言いようがないのであるが。

 更に、音楽の方が、全く自分でも思いもよらないものに触手を伸ばす方向である。私の場合にはビートルズというベースラインがあるので、イザとなると「こういう」触手の更なるのばし方もありだったかもなあ.....というあたりで、まあ、有名なキーボード奏者が出てくるかも......ぐらいにしておきます。
 
Clipboard01_6

 「4つも」というのがなんのことかよくわからなけど(^^;)、なんとなく何かわかったみたいのものの言い方だから許す。

 ちなみに、問題の「長編小説」は、電子書籍であっさり安価に見つかったので既に読み始めている。「難しい」とか、「回りくどくて話が進まん」と言う意見も多いらしいけど、私にはこの話の進むテンポはちょうどいいんだけど? 体質的に一致しているのかもしれぬ。この人流のユーモアというのも、この「くどさ」があってのものなのでは??(これだけで当てられる人は、アメリカ文学通ならそこそこいるのか?)

またもやうちの「あゆさま」が.....

 必死に「何か」が言いたいのはわかる。

 前より「言葉を尽くして」伝えようとしている「誠意」は認めなくはない(爆)

 しかし、イマイチよくわかんないのだが?????

 
*以上、BlogPetの「あゆさま」へのこういちろうの返事。

ここに受諾したかった(BlogPet)

こういちろうの、バックしなかったー。
こういちろうがここへ作りたて受諾したかった。
ここに受諾したかった。
ここに受諾したかった。
きょうはバックしたかった。


*このエントリは、ブログペットの「あゆさま」が書きました。

燃え尽きて職場で横たわったままだったこういちろう

 昨日は、開業してはじめて、休憩30分なしで延々連続してお客様のお相手をし続けて、それが終わって気がついたら床に寝たまま、すでに窓の外は夜が白んでいたカウンセラーこういちろうであった。

 今だから言えるが、ayuのコンサートで体力を消耗した(はっきりいって「体操のお時間」みたいなものですから.....日曜日なのでコンサートの開始時刻が2時間早いのは助かったが)翌日に、過去最高の仕事量の日を迎えるスケジュールを万全に乗り越えるまでの体調管理をやり通すことに戦々恐々としていたことが、当ブログの私の記事書きのここしばらくの抑制・「場つなぎ」モードの最大の要因だったともいえる。

*****

 それにしても、ああした経過を経て現役閣僚に「死なれてしまった」内閣は、自殺防止運動について語っても何の説得力もないだろう。

 人の自死の要因は、単純な理由づけに還元できないものがある。しかし、とってつけたような「かばい方」をされた人間というものの窮地はいかばかりのものかとは思う。

 だって、その人が「かばわれて」いるのはその人のためではない。
 内閣への支持を保つためなのであるから。


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 あのなー。きのうお前の相手をする余裕が全然なかったからといって、それはないだろ。

 msnの占いによれば、

「怖いものなしの最強デー充実した過ごし方を考えて」

だそうだが、どっちを信じる?

2007/05/28

ご当地(今日のテーマ)

BlogPet 今日のテーマ ご当地
「あなたの地元の名物・名産は何ですか?」
 「地元」というのを「出身」と読み替えますと、福岡県の久留米ですが、久留米の名産というと、久留米絣(かすり)とかランタイ漆器とか、阿わやおこしとか、条件反射的に思い浮かびます(古い発想???)。あと、ラーメンの発祥は久留米ラーメンという説があり(結構これは全国区で知られている説かと)、その元祖とされる店が、私の元の実家があった東櫛原町にありました(追記:私の子供時代の行きつけだった店はもうないのですが、豚骨・白濁・臭いむっちゃくちゃ強い・豚はとことん薄切り・細麺がラーメンと思って育ったので、例えば福岡の長浜ラーメンですらあっさりしたものにしか感じないのである)。

 そして、久留米は芸能人やクリエーターの多産の町でもあり、松田聖子やチェッカーズ(藤井フミヤ・藤井尚之)、鮎川誠、田中麗奈、有坂来瞳、石橋凌、藤吉久美子など。

【追記:】お亡くなりになったZARDの坂井泉水さんも、久留米の出身とのこと。これは知らなかった。本名の「蒲池(かまち)」という姓は久留米近辺に多い(松田聖子も「蒲池」さん)ので、まさか? と調べてわかった。ご冥福をお祈りします)。

漫画家の松本零士の出生地でもあります。競輪選手の中野浩一の郷里かつホームグラウンドだったし。


【更なる追記】

たまたま巡り合わせで、松田聖子と久留米にからめて、こんな記事も発掘してしまった!! ちなみに私の母は久留米付設と、「蒲池法子」さんの出身校、信愛女学院のある野中町の出身、私のいとこが信愛女学院出身ですので、松田聖子の遠い(?)先輩であります。

2007/05/27

横浜アリーナのアリーナ席は縦揺れしている!! -浜崎あゆみ "Tour of Secret"横浜最終日-

 さすがに今回はほとんど「季節が巡って」いない(^^;)

 前回から2週間しか離れていない。

 しかし、これ以降のツアーが関西、福岡へと向かい、福岡で落日となるという、従来とは異なるスケジュールである以上は、こういう近接した日程で、しかも同じ横浜でライブを観るという形にするしか妥協点がなかった。いくら私の故郷が福岡とはいえ、そのために帰省するのは交通費が惜しいし、自営業だからといって、そこまでそのためだけに仕事を休むのもどんなものかとも思い.....

 前回はやたらと前のほうの席(センター席A1ブロック前に3人)だったが、今回はアリーナ席。アリーナ席と入っても、横浜アリーナのそれは、ステージ前フロアの席のことではない。スタンド席と、センター席(フロアの椅子席)の中間に、いわばドーナツ状に(といっても、ステージの部分が切れているのでU字に近いが)、緩い傾斜で客席を設けた部分があり、これをアリーナ席と分類するのである。

 要するに「すり鉢の底」だけがステージ前の平土間の「正面席」、あとは多かれ少なかれ前の席とは段差がある席が取り巻いている構造。前の人の頭が邪魔にならない席が非常に、非常に多いことになる。この点では代々木の平土間の後ろ半分の席より、はるかに快適ということになる。

 そのアリーナ席の、ステージのほぼ反対側のやや左寄り、真ん中ぐらいの高さ。代々木体育館のの半分強の収容人数しかないから、代々木の感覚でいうと真ん中やや後ろぐらいなのに、視界は開けている、というところだろう。

 あとは、やはり「はり出しステージすぐに正面」ぐらいの席に一度クジ運が来ないかなあ....ayuとの距離感ではホントはその辺が一番近く感じるはず。


*****

 今回は双眼鏡の助けを借りることになったが、ステージほぼ正面方向にいるのに、双眼鏡が前の人影に全く邪魔されなかった体験は始めてである。目の前が小柄な女性グループだったのも幸いだったが、アリーナ席に若干傾斜があったればこそである。おかげで、周囲の観客との一体感に浸ることから時々降りてしまい、前回きちんと観れなかった部分や、演出上興味深いポイントを集中的に双眼鏡でじーーーーーっと観察するという、マニアックな観覧の仕方をしてみる余裕が今回はじめて十二分に生じた。

 ところが、私の「手振れ防止装置つき」の倍率の高い双眼鏡の画像が結構大きく「上下に」揺れるのである。床が揺れているのだ!! 床と椅子は、必要があれば撤去できる可動式のようであり、さすがに「縦ノリ」まではayuのコンサートでは観客はやらないものの、みんな一斉に手拍子したり、腕やペンライト振ってはいるわけですね。それだけで、そういう動作をやめてしまって双眼鏡で同じオブジェクトを眺め続けようとすると画面が相当揺らされるくらいには、可動式アリーナ席の床は揺れている(というか、ゆすられているというべきか?)ことが今回の発見だった(^^;)

******

 前述のように、首都圏では今回がツアー最後の日程という異例のパターンのせいか、ayuもダンサーも演奏も、そして観客も、まるで落日のようにリキが入っていたように思う。以前、落日には代々木に戻るツアーの中日を代々木で見た時には、この盛り上がりはなかった気がする。

 前回見たのは横浜の2日目。それから二週間強、その間に横浜で2回ステージをやっているはず。もっとも前回は私としてははじめて、正面の前から4列目などという体験をして、中央の張り出しステージにayuやダンサーが言ってしまうと逆に見えなくなり、くるりと向き直って「正面のスクリーンで」ayu様の正面像を確認するしかないというあわただしい事態にふりまわされた状態。だから、ステージ全体を一望する今回とは条件が違いすぎるので公正な比較とはいえないだろうけど、その「3回前のステージ」と比較しても、ダンスの流れ全体が流麗になり、ayuも細かいしぐさに気を配りながらも歌唱に集中することができていた気がする。

 ともかく、アルバム"Secret"からの新曲中心のステージ前半のayuは、ほとんと休憩なしに、耐えず「踊り続けながら歌っている」といっていい状態である。よく,あれだけ姿勢を変え続けて、歌唱のほうは、まるで普通に歌っているだけであるかのような水準を崩さないものだと感心するしかない。

 特に最初のほう、"part of me"が出てくる前までの部分は、いでたちから髪型から漂わせる雰囲気に至るまで、ひたすらかっこよくてシャープでオーラバリバリ、やはりこういうお姿を3次元で観ておかないと悔いが残るとおもった次第。

 "Secret"の歌い方が、前半を繊細に、ライブでもここまで「聴かせる」のねというデリケートな歌い方をして、ラストでCDとは異なる、私のいわゆる「腹声型」熱唱スタイルにしてエネルギーを外側に開放したあたり、2週間前のステージでもここまで明確に一曲の中で起伏をつけていたかどうか。

 あと、(敢えて「まだ」タイトル伏せるけど)、「本篇の中で」久しぶりに歌った2曲が、演出的にも、歌唱的にも、衣装的にもなかなか新鮮で、「今のayuの歌唱で」、この、ライブでは確か"A musium"以来3年ぶりぐらいの、「2大名曲」を堪能できる喜びが大きいと思います。

 どうも、歌や演奏を聴く上では、前回のようなPAのどまん前より、正面と真向かいの後ろ寄りくらいの方がバランスよく響くようである。PAというのはモノラルなわけだけど、会場への反響や、観衆そのものの「吸音効果」がいい形に加味されると違うのかもしれない。昨年に前のツアーを長野のビックハットという、横浜アリーナより少し小さいくらいの会場のフロア席の中央後ろ寄りで聴いた時以来、もっともいい音響条件で聴けた気がするので公正な比較にならないかもしれないが、歌唱水準では、ほとんどまったく文句なしといっていいだろう。

 (本篇最後の方の、私の最愛の"SURREAL"で、恒例、「歌詞のもろ忘れ」が出たのは残念だが、敢えて許す!!)


******


 このように,まったく充実した内容でコンサートは進んだのに、最後の"Who...."が鳴り出して、「なんだ、この物足らなさは......」

 そ、そうか!! 新曲、結局、関東でのライブではまだお披露目できなかったんだ!! 

 残念。

Clipboard01_5

「あゆさま」、鋭い!!.....かも(^^;)


 まあ、一曲は確実に夏向けソングだろうし、a-nationで聴ける可能性は高いだろう.....

 ......その頃は、さすがに季節はめぐりかかっていることだろう......

広告収入目的で、見掛け倒しの「はりぼて」ブログを次々量産している人もいるようである。

 最近、トラックバック受諾の基準を少し厳しくしています。

 特に、ブログ作りたてで、掲載記事がほとんどなく、しかも、ハンドル名だけで結構なんだけど、プロフィールの紹介がほとんどまったく具体性に欠け、ブログ製作者のメールアドレスもなかったりする。そして、アフィリエイトのリンクだけはやたらと多かったりする。

 こうしたブログからのトラックバックは、まず受諾しないと思っていただくほうがいいかと思います。

 (そういうサイトって、メールアドレスそのものが「掲載」されていない。htmlソースを見ても何もメールアドレス特定できないサイト責任者を誰が信頼できるだろう? そのメールを使うと自分のメールアドレスは相手に伝わるのだから。そして、自分がどんな人間かある程度は「自己アピール」しないのであれば、管理者に社会的責任を取る意志なしとみなします)。

  ブログはじめたばかりの人が、検索エンジンとかを頼りに、関連ありそうな内容の記事にトラックバックを張ってみることで、自分のサイトへのアクセスを増やそうとすることを私は悪いとは思わないし、事前に「トラックバックします」というメールなどをいただけなくてもいいというのが私の考え方です。

 でも、そもそもそろいもそろって内容がひどく薄い、「事務的」といいたくなる気合のなさなのです。まるでよそのサイトからそのまま適当に切り取り、引用してきただけではないかといいたくなる水準。誰もその水準の内容に情報価値絶対おかないといいたくなるくらいの、「スーパー文切り」だったりする。

 未熟でも素人くさくても、そこで題材とされている対象への個人的な思い入れとか、感慨とか、あればいいんですけど、そういうものがまるでない。そして結局、そのブログのオーナーの何の目利きもない、たいていgoogleのAdSenseに依存した広告欄と、RSSを利用した、同じテーマについての他のブログの記事のリンク集のみが目立つ。

  ここまで「ワンパターン」で、よそから情報を簡単に引っ張ってきて「2,3時間で」作っただけとしか思えない「即席サイト」としか思えない場所からのトラックバックが多いと、これがネット全体の風潮だとすれば、ちゃんと自分から人に思いを伝えたいとか情報発信をしたいという意識でブログをやっている人にとってはいい迷惑だろうし、やる気をそぐだろう。

 (最近、トラックバック受理したものは、著作権やアダルトサイト、怪しげな通信販売の疑い等の問題がない限り、こうした問題点がない、ちゃんとしたサイトと判断したものです)

 私は、そうしたブログが作り始めたばかりで内容が薄いだけの可能性も考えて、すぐトラックバック許諾にはしないものの、エントリーは外さないまま「経過観察」しているケースも多い。もし、内容が充実してきて、独自の活動を進展させていることが確認できたら、その段階でトラックバックを受理することも考えてである。ものによってはそうやって3ヶ月ぐらい様子を見ているサイトもある。

 ところが実に不思議なことに、そうしたブログのほとんど「すべて」といっていいものが、その後記事をほとんどまったく増やすこともなく、そのブログ自身へのコメントやトラックバックが増えていくこともないのである。

 敢えて言うが、まるで、私の記事の内容に合わせて「トラックバックを張るために」ブログを「その時点ではじめて」立ち上げ、それ以降は活動を進める意志そのものがないかのような、不思議な現象なのだ。そして、ブログごとの内容が、例えば、ayuからカウンセリング、アニメと変わろうと、文体までそっくりで、同一人物がワンパターンに作っている可能性すら疑われる(過去数十件!!)。

(なぜか不思議なのだが、「そういう」トラックバックを送ってくるサイトには、どうも@niftyのココログでサイト開いているケースはほとんど記憶にないのである(^^;))

 もし、そうやって、(あえて言いますが)アフィリエイト目的の、「見掛け倒しの即席《張りぼて》サイト」を毎日いろんなジャンルについて量産することを「趣味」としている人がいるとすれば、はっきりいって、「もっと生産的なことに日々の時間を使ったらどうですか?」とすらいいたくなる。そもそも私のサイトは一日300-450アクセスなのだから、そんなにトラックバック張ってもそちらに流れるアクセス数はたかが知れている。

 そして、そういう内容の水準のサイトをいくら作っても、お客は来ず、アフィリエイト収入も伸びないはずなんだが....

 どう考えても、何も報われることがない「即席新規サイト作り」に励んでいるとしか。


 思わず一節。

 「張~りぼ~て~、張りぼ~て~
 超~巨大な、張~りぼ~て!!」

....てか(^^;)

(「超巨大」ではなくて、「超多数」というのが、一層、なんだかなあ......)

王立宇宙軍 オネアミスの翼 Blu-ray Disc+DVDセット


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 他方、私のサイトを時々読みにきてくださっていて、記事でも言及してくださっているけど、トラックバックはお貼りになってこないというサイトの方も時々いるのは、逆リンクサーチで掌握しています。

 私は心理の専門家だから、下手にトラックバックを張って、私のほうからコメントとかされたらどう返事をしていいか自信がないからそういう形にしている方がおられたとしても、それはそれでいいと思うし、むしろそういう慎ましやかな言及をしてくださる方のサイトにめぐり合うと、むしろうれしくすらあります(^^)

 前述のような、不可解なトラックバックを次々いただくよりは、むしろそうしたケースのほうを、歓迎します。

ブログの名前(今日のテーマ)

BlogPet 今日のテーマ ブログの名前
「あなたのブログのタイトルの由来はなんですか?」
最初は「こういちろうの雑記帳」だったのを、開業した時点で「カウンセラーこういちろうの...」に改名したのですが....由来も何も、一番「平凡で注目を引かない」、ブログの名づけの悪い見本みたいなタイトルですよね(^^;)

ただ、最初から、ひどく「越境ジャンル」的な、「話題のワープ度」が高く、「なぜこのこととこのことを関連付けるのだ?」と思わせるものにすることは構想していました。ブログが、カテゴリー分けと相互リンク自由自在なものと気がついた時点で、これはやるっきゃないと。

 そして、そういう、一見別次元のことを次々書いていくかに見えて、その中で、私自身のものの見方、カウンセラーとして専門的な認識そのものが自己生成されていく過程を「ライヴで」示していきたかった。

 カウンセラーとしての経験値を上げることは、狭い意味での「お勉強」の世界ではないはずと、確信してはいますから。

 つまり、これはただの「雑記帳」のようでいて、私の専門家としての在り方を究極に煮詰めていく、文字で集約された「実験スペース」でもあり、そのまま「記録」なのだとも思っています。

先週の人気記事ベスト20!!(07/5/20-26)

 「カウンセラーこういちろうの雑記帳」週に一度の恒例、@NIFTYココログの、日曜日-土曜日の「週ごと先記事別アクセス解析機能を使っての、先週の記事アクセス「ベスト20」の発表、46回めです。

 固定リンクでのアクセス率の順位から集計しています。アクセス数が同じ場合には、訪問者実数上位の記事を上位とし,訪問者実数も同じ場合にのみ、同じ順位として掲載します。
 7×24時間、つまり5/26日(土)24:00の時点での集計です。

 それでは発表!!

 先週の一週間の総アクセス数、延べ2,655(前回2,564)。(一日平均アクセス379.29。前回366.29)、

 訪問者実数は、1,704名様(前回1,721名様)。


 「トップページへの外部からのアクセス」、前回720(41.9%)に対して、今回874(49.3%)
 「サイト内移動」、前回588(31.8%>に対して今回520(29.3%)


 当ブログの「一限さんでない率(リピーター率)」、これは同じ人が一度に「何ページ」記事をお読みになったかと無関係な訪問者「実数」比に基づくもののようですが、前回も今回も7.6%

 「訪問周期」は、毎日おいでになる「完璧常連様」は前回の11名様から9名様にまた転落。

 前の記事でも書きましたけど、今週は、週の前半で昇るだけ昇って、あとは延べアクセス数の低下傾向が出ました。新規の本格的記事が少なかったし、先週のabout me開設によってはじめておいでいただいた皆様にも目ぼしい記事をとりあえず読み尽くしていただいた結果として、やむを得ない展開でしょう。

 それでは記事別ランキングの方の発表!!


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1.「2007年5月」のバックナンバー (→) 4週連続

2.欝とは、自分が無理をしていることを認識できなくなる時期にすでに始まっている(↑)40週連続

3.インシュレーターは使わないに越したことはない(↑) 39週連続

4.「カウンセリング」と「身の上相談」の違い COME BACK!!

5.「ケーススーパーバイズ」とは何だろう ~入門編~ (↑) 3週連続

6.「開業カウンセリング」ではなくて、「私設心理相談」!? COME BACK!!

7.「2007年4月」のバックナンバー COME BACK!!

8.ayu様と「怪談」 NEW!

9.「疲れた」「つらい」筈なのにそう感じていな「かった」時の「独特の感覚」は本人にも「実感」できる (↑)

10.先週の人気記事ベスト20!!(07/5/13-19)

11.オーディオにおける接点復活剤について(↑) 22週連続

12.前も右も後ろもayu様。 -"Secret tour"横浜アリーナ2日目公演- (↓) 3週連続

13.「魔王」そして「流浪の民」はこういちろうの小中学時代の「定番」だった!!COME BACK!!

14.こういちろう、博士後期課程に入学する夢。 NEW!

15.「大船でフォーカシングを学ぶ会」 (↓)

16.透明人間になりたかった美智子様 (↓)

17.究極の選択(今日のテーマ) NEW!

18.about meより:エヴァンゲリオンの女性キャラの中では? NEW!

19.バックナンバー COME BACK!!

20.Windows Madia PlayerをHDCD対応に設定する方法 NEW!


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 月間バックナンバーが2回連続1位を奪ったわけです。今回は、通信状態によるアクセス困難と関係あることがほぼ確実ですが。どうもあの件は私のサイトの重さのせいではないことは確かなようです。

 前の週から引き続いてランクインと「3週連続」およびがカムバック記事が際立って多いわけですが、こうやって古い記事が何かの弾みで再浮上して読んでいただけるのも、私のサイトの持ち味だろうと思っています。

 恐らく、明日が過ぎ、火曜ぐらいまで行くと、本業の面接量に関係なく、本格的な書き込みの数は復帰するでしょう(^^)


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 これを書いている「今、この瞬間」(5/27 AM 0:38)までの当ブログ文章記事の延べ総アクセス数)は、164491、プロフィールとフォトアルバムを含めると187917、ブログの通算記事数はこの記事で890本めです。

 今後とも、「カウンセラーこういちろうの雑記帳」を、よろしくご贔屓(ひいき)に、お願い申し上げます。

HMVジャパンApple Store(Japan)

2007/05/26

来談しているのが「クライエントさん」である。

 今週から来週にかけては、本業の面接へのパワー温存を優先するとかなりシビアで無理が利かない日程なもので、本格的な新規記事がほとんどないままで何とかつながざるを得ない状況です(今日は、都心での仕事からさっき帰ってきたところ)。

 そうこうするうちに、「実訪問者数」はさして変化なくても、さすがにこれまでの記事を読みつくして頂いてきた傾向(つまり、総アクセス数の減少)が、今週後半になって来ましたが、焦らず、マイペースで行きます(^^)

*****

 カウンセリングを学ぶ人は、早い段階で、

 「まずは、相談を申し込んできたその人をクライエントさんとみなしなさい」

ということを教わることが少なくないかと思います。

 一般の皆様のために、どういうことかといいますと、例えば、お子さんの不登校についてお母さんから相談を持ち込まれた場合でも、その不登校のお子さんを同伴してもらうことは焦らなくていい、まずは、そのお母様自身とカウンセリングの絆を作ることを優先した方がいいし、場合によっては、不登校のお子さんとは直接会うことがないまま面接が経過しても有益な形にできることは少なくないということになります。

 例えば、斎藤環さんが、著書「社会的引きこもり」の中で、オートボエシス理論を活用して、「社会」-「家庭」-個人」の3つの円が接点を持つベン図で説明して著名になった基本原則がありますね。つまり、治療者と親が接点を持てるようになったら、まずはそれを重視する。引きこもりの子供と、治療者が一足飛びに接点を作ることは容易ではない。治療者は、まずは親との接点作りをしたうえで、次に親と子供の接点作りを援助する。例えば、一日に一回でいいから、子供の部屋の前で、一方的に出いいから「おはよう」とこえをかけることからはじめよ。

 そうこうするうちに、その親子なりの接点が円滑に機能し始める。これらの外側にある治療者-親-子供の3つの円の接点が一箇所で接するのは最後の段階である(ここまでくると、無理なく子ども自身が治療者の前に現れるけど、この時点ではすでに当初の深刻な引きこもり状況とは異なる、次のステップに入っている)、という、あの図です。

 これ、確か、村上龍の「最後の家族」のドラマ版でも、図そのものが登場したので、ご記憶の方もあるでしょう(今にして思えば、このドラマ、あのあやや(松浦亜弥)が引きこもりの主人公の妹役で出演して、お茶の間で脚光を浴びるきっかけとなったドラマでもありましたね。あの頃は、印象的な「若手新人女優」と思い込んでいて、アイドル歌手としてここまで大物になるとは予想していなかった.....)

 

*****

 この、「来談している人がクライエントさんである」という、教科書的な原則、一度カウンセリングの現場に出ると、いろいろと揺るがされます。

 例えば、深刻な精神病状態の急性発症が疑われるといったケースで、本人を迅速に医療機関につないだほうがいい場合、そんなことはいっていられないのではないか?

 あるいは、特に大学などの学生相談の現場にいると、ご家族から引きこもっていたり、学業がおろそかになっている学生さん本人を何とかしてほしいという思いが強く、ご家族だけ相談室に通い続けていただくという構造が維持しにくい場合もある。学生本人にとっても、相談室に出向く=学校に出てくるということを意味するわけで、そもそも「学内の機関」であるという相談機関の性質そのものが持つ因子があるわけです。

 開業して、私はそういう意味で、すべての外部機関と等距離という立場になりました。それは、結果的に、最初に述べた「来談した人がクライエントさんである」という原則をシンプルに見直すきっかけにもなった気がします。

 もとより、以前の私が未熟なだけだったのかもしれませんけど、ともかく、「カウンセラーとしての自分が直接関与するのは来談したクライエントさん」という視点を明確にする形で、外部の他の機関とのかかわりや、クライエントさんの悩みと深く関与するご家族や関係者とのかかわりを位置づける視点が明快になりました。

 例えば、発達障害のお子さんを持ったお母様とのかかわりにおいて、そのお子さんを発達障害と診断して、現在もお子さん連れで相談や治療に通っておられる医療機関を別にお持ちの場合、私はひたすら、お母様と、そのお医者さんといかに関わるといいのかについて一緒に考えるというスタンスを重視します。

 同様にして、その子が普通学級に通っているとすれば、担任の先生とのかかわりがあるわけですが、お母様と、その担任の先生とお母様ののかかわりについて一緒に考えるわけです。発達障害児の家族クループにも関与しているとすれば、お母様と、そのグループのスタッフや他のメンバーとのかかわりについて一緒に考える。いうまでもなく、発達障害の子供さん本人とのかかわりについても、そのお母様と一緒に考える。

 結果的に、私が、来談するご家族の「頭越し」に動くことは全くないままとなります。しかし、これが一番無理のない効果的な援助ができるスタンスと感じるようになりました。それがお母様にも納得していただければ、決してお母様に「何も『してくれ』ないカウンセラー」などとは見られずに済むのです。

 例えば、そうした中で、子供さんが大きくなる中でお母様自身が再び働きたい気持ちが出てきたこととか、(すでに働いておられる場合には)職場での仕事上の問題とか、自分の対人関係を広げたくなったとか、そういう問題を「同時に」無理なく扱えるわけですね。

 発達障害のお子さんを「主人公」と思った瞬間、こうした、すっきりとした無理のない構造が見えなくなり、援助が有効でなくなることに気がついたのでした。それはもはや、そのお母様の悩みに単に「巻き込まれた」状態であり、「一人の悩める存在としてのお母様」ときちんと向き合っていることにならない。そしてそれは、発達障害のお子さん自身の自立も阻害する。

 これは、文字通り、発達障害の専門家の方の視点だとか、スクールカウンセラーの方の視点とは異なるかもしれません。

 しかし、自分を、特定の機関に所属しない、「町医者」ならぬ「町のカウンセラー」と位置づけた時、地域の既成機関にはない固有の役割ということをつきつめていくと、実はこうしたスタンスが、私の場合、浮かびあがってきたのです。

 「発達障害のお子さんを抱えたお母さん」というのは、ある意味で、「部分対象」「ひとつの役割存在」に過ぎない。そこには、ひとりの生きる女性がいるだけである。前者を忘れないようにしつつも、後者をベースラインに置くことも見失わない、「地域のカウンセラー」というのも、絶対潜在需要があると思っているのです。

 医療機関・教育機関を含めて、既成の援助職とのかかわりを総合的に「援助する」相談先って、どこなんでしょうか???

究極の選択(今日のテーマ)

BlogPet 今日のテーマ 究極の選択
「明日で地球が滅亡します。さて、あなたは今日何をしますか?」
 何らかの手段を使って、自分の両親や子供や、かつて愛した人たちに連絡を取り、感謝の思いを伝えた上で.....電話は通じるのか? ネットのメールは動くのか? 新幹線は走るのか? ......そういうことは度外視しての話です。

2007/05/25

about meより:行きつけのコンビニは?

Q:行きつけのコンビニは?(作者:こういちろう)

回答:108件

Aboutmec

 現段階で、私の作った質問の中で、回答数が一番多い質問なんですが。これまた早い者勝ちの設問。

 ただ、コンビニって、シェアの地域差がもの凄く大きいものです。about meの参加者の層がどういう地域分布かもわからないので、結果がどう出るかわからなかったのですが。

 また、7択にせざるを得ないというのも苦慮しました。結局、私の趣味というか、利用したことがある記憶だけで決めました。あまり「その他」作りたくもなくて。

 さて、これと客観的なコンビニのシェアのデータをつきあわせようとネットを探したのですが、私が見つけることができたのは、2004年という少し古い統計でした。このページのものを私が自分でグラフに起こしました(日経新聞 2005・7・27 12面 企業1面が原データとのこと)。

 売上高の上位八傑。「その他」は含めていません。

CoviniaOnvini2

 デイリーヤマザキ、実は私のオフィスから一番近いコンビニなんだけど、駅や自宅と逆方向で、滅多に利用しないので、「7つめ」にいれるの最終的にやめてしまったのです。「CoCo」も、四日市への出張時にはお世話になるので入れようかどうか迷いましたけど。

 でも、上位の3つが、about meでも、客観統計でも、こうなるのは、多くの方が納得ではないでしょうか?

植物について(今日のテーマ)

BlogPet 今日のテーマ 植物について
「あなたが好きな植物(花や樹木など)を教えてください。」
ランちゃんでーす!!

......などと私が書くと、「うる星」のランちゃんみたいになるけど、職場のベランダでひと冬越した蘭の鉢植えが、肥料は絶やさなかったせいか、たわわにつぼみをつけつつあったのが、雨に濡れつつやっと最初のが咲いたもので、夜ですけど取りあえず携帯で撮りました。

Ran


「傷だらけの男たち」と"Secret"

 ayuの新譜"glitter"/"fated"には、アルバム"Secret"に収録されていた同名曲、浜崎あゆみ - Secret - Secret
"Secret"
も収録される予定なのですが、これもまた、香港映画「傷だらけの男たち」のテーマソングでもあるそうですね。

 こっちの方は映画のために書き下ろされたのではないのではないかと思っていたけど、公式サイトの情報を読む限り、本国版でも同じ歌を別の歌手が中国語で歌っているそうですから、最初からの企画だったのか???? すでにayuが歌っている予告編が流れているみたいですね。

 ayuが映画のテーマソングを歌うのは、自分が主演している「月に沈む」までいれると確か4本目だったと思う。

 この映画、すでにディカプリオがリメイクを作ると決めていることでも知られているようです。


*****

 最近のテーマソングは多くの場合そうだといえてしまうけど、ayuの場合も、映画のことを全く意識しなくても、曲そのものは自立している。

 例えば浜崎あゆみ - A BEST 2 -BLACK- - HEAVEN"heaven"映画「SHINOBI」の主題歌でもあることは知っているし、実は映画は予告編すらやっとさっき観た(もちろんayuの歌、出てきます)くらいですけど、PVが与えた印象なんでしょうが、尼崎の電脱線転覆事故を悼む曲、といわれれば確かにそうもきこえてくるけど、もっとプライベートな死と別れを歌っているのではないかととらえる方が私はしっくり来る。

 ayuの詞というのは、独特の「曖昧さ」と「抽象度の高さ」があるので、同時に多重の意味を読み込めてしまうし、実際、ayuの中でもそのようにして作られているのではないかとは思っています。

 私の業界の用語で言うと、すごく「転移的」というか、サリヴァンの言う「パラタクシス的」な対象関係の詞なのである。

 時として、この「対象関係の曖昧さ」は、一種の「象徴詩」のような色彩を帯びて、含蓄の深みを無限に広げるあたりも私が好きなところである。
 

「トラスティベル」.....クラシック音楽とRPGの融合

 MSNビデオのここにいくといくつかのCM画面がかなり長く観れます(IEVer.6以上のブラウザでないと入れません)。

 XBOX360ですか.....。ここまで画面が美しいと、従来のゲーム顧客層ではなくて、ゲームと無縁だった、かなり年長のクラシック愛好層をいきなりXBOXの新規顧客として開拓できるかも。音もブーニン使ってるわけで。

 ショパン主人公のとRPGというのは、一見唐突な取り合わせだけど、こういうのもあっていいと思う。ゲームへの高年齢層への認識を変えていきます、きっと。

 これから当面の私って、ひたすらがめつく「儲け続け、貯め続ける」モードを維持しないとならないタイミングなので、分割でもとても手を出せない「自制心」がいる。残念だが......

●「トラスティベル」公式サイト

ソフトのみゲーム機本体つきプレミアムパック

トラスティベル

about meより:都心から横浜まで行くのに何を使う?

Q:都心から横浜まで行くのに何を使う?(作者:こういちろう)

回答:80件

Ws000000

 「東急東横線」が1位になるのは予想通りでした。これって、実際にどれだけ使われるかだけではなく、今でも東京人を呪縛している、東横線沿線がハイソ....じゃない、セレブ、というイメージの影響も大きい???  

 実際使うとなると、この線、結構のろいともいえる。もっとも、東急線は料金が昔からなぜか安めのままだし、横浜から先、地下鉄になると突如料金が割高になるとはいえ、そのままみなとみらい21や元町・中華街まで走ってますから、遊びやデートでの利用という点では実際に便利ということもあるんでしょう。東京の広範囲の人が横浜に向かうとなると渋谷で乗り継ぎ、小田急線や南武線・横浜線との乗り継ぎなど、利用者が多い因子も客観的に言ってありますね。

 実は、かなりの時点まで、「湘南新宿ライン」が2位でした。横浜市民(少なくとも職場の所在地)としては、ホント?  また見栄張ってない?ともやや思った。本数の面で言ってもそんなにたくさんでもないし。

 でも、池袋・新宿・渋谷を通るので、実際、通勤以外でも、使うとなるとその便利さが浸透してきているのかもしれない。

 ちなみに、ほんとのところは、停車駅も少ない東海道線が一番スピードは速い。でも、朝から晩まで混雑するのでも有名。

 品川で地下鉄でつながってるから、もう少し京浜急行線が伸びるかと思ったけど、いくら羽田空港への黄金ルートになったとはいえ、これもまだイメージがあるのかな??? 数年前まで、品川に結構出向く場所に勤務してたんだけど、実際、途中からでも「座ろう」と思ったら、東海道線よりも、ラッシュ時ですら絶対有利なんですけどね。
 
 各駅停車の京浜東北線の健闘も興味深い。そんなに沿線の人ばかりとも思えず。でもこれも、桜木町や関内につながっていることの持つ意味も大きいのかもしれないし、これまた途中で座ろうと思ったら、通の使い方です。自宅が大船の私は、疲れている時とか、少し遠回りなのは覚悟で、終点で乗り過ごす心配のない京浜東北線を結構愛用しているのである。

Ws000000_1

 .....意図が「あゆさま」に伝わっているのか少し不安だが。

 こういちろうは大船にすんでいるの!

 でも、月に一度、都心でのお仕事もあって、そういう時の帰りに、結構京浜東北線で居眠りしているのだよん。

2007/05/24

ayu様と「怪談」 (第3版)

 すでに王子のきつねさんサイトでは、原作の歴史的背景を含めて、少し前から詳しく取り上げていましたが、8月公開の映画「怪談」のテーマソングが、ayu様の次の新アルバムの1曲、"fated"であることが、やっと公式に発表されたようです。

●あゆ「怪談」で愛を歌う!(スポーツ報知)


*****


 そこで、思わず、もうひとつのayuをめぐる「怪談」(^^;)


 「怪奇! 猫娘!」

(こういちろうによる、きつねさんサイトでの命名)


【追記】:

 この記事そのものについて、きつねさんサイトで再度言及いただきました(^^;)

 そこのコメントで、私の感じているayu様の魅力について、更にひとくさり書いてますので、よろしければどうぞお読みくださいませ。


【更なる追記】:

 ayu様の正体が実は猫娘であることの証拠写真が更にmsnでも発見された。

シンガーソング(今日のテーマ)

BlogPet 今日のテーマ シンガーソング
「あなたがカラオケや鼻歌で歌う十八番はなんですか?」
 もっちろん私はayuですってば!! "A song for ××"ではじめて、"immature"から"SURREAL"が、あまり私が歌うと周囲に迷惑な時用の「ダイエット定食コース」でありまする。周囲にあわせて"SEASONS"でまるくおさめることにすることもあります。ayuの曲のうち「歌えない」のがせいぜい10曲ぐらいだろうか??? 恐らく最近だと、"HEAVEN"や"momentum"を加えたくなるでしょうが......

 でも、鼻歌となると、クラシックも多いですね。

2007/05/23

about meより:ヘッドフォン(イヤフォン)は?(第2版)

Q:ヘッドフォン(イヤフォン)は?(作者:こういちろう)

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 設問がマニアックかな? そんなに多くの回答が得られなくても仕方がないなと思っていたのに、結構票を集めてきたのがこの集計です。

 検索エンジンからのアクセス率の上ではいつの間にかヘッドフォンサイトとしてのそこそこアクセス数を持つようになってしまったこのブログらしいデータと思いましたので。

 実際、こういう観点からの統計は珍しいかもしれませんので、業界の皆様もご参考に。

*****

 まず、ちょっと解説いると思いますので、それぞれのタイプの代表機種を紹介します。一般の人にわかりやすいように、about meの質問では敢えてマニアックな用語を避けたケースもあります。中には私が持ってないのもあります。必ずしも推薦機種ではありませんので念のため。

●耳栓型:

 「カナル型」ともいいます。文字通り耳の中に「ねじ込む」タイプのことです。

SHURE(シュアー) E500PTH

SHURE(シュアー) E5c

 長らくE5cの天下でしたが、その後新製品のE500PTHに王座を奪われました。

 最近では、

フォーカルポイントコンピューター v-moda vibe VMO-EP-000008

これが結構人気みたいです。私はまだじっくり聴けてないのですが、「コードが断線しやすい」という情報,ネットで流れてから評価が頭打ちになってるみたいですね。

●耳の穴に引っかけるタイプ

 このタイプこそを「インナーイヤー」と呼ぶこともあります。このタイプを「耳かけ型(イヤーハンガー型)」と言ってしまうこともあります。設問では一般の人にわかりやすいようにこうしました。

 実は、設問にもある、「最初から附属しているの」とは、たいていこのタイプですね。

 iPodに標準でついているのもこのタイプで、単独でも買えます。

Apple iPod ヘッドフォン MA662G/A

 でも、このタイプにももう少し値段が上のがあります。例えば、

オーディオテクニカ インナーイヤフォン ATH-CM700BW

 このタイプのハイエンドはこのへんか?

audio-technica ATH-CM7TI

●耳たぶをはさむタイプ

 このタイプを「耳かけ型」と呼ぶこともあります(^^;) ヘッドバンドがなくて頭がうっとおしくないのいはいいのですが、音は外に盛大に漏れます。オープンエアの変種ともいえます。

ゼンハイザー 耳掛け型イヤフォン OMX52 Street

 試聴しました。低価格ですけど、一見さらっとしているけど、広域端に独特のセンスある音楽性が光る、ゼンハイザーらしい音楽的な響きと思います。好感を持ちました。

オーディオテクニカ インナーイヤフォン ATH-EC700Ti

 このタイプの高級機で評価が定まったものといえば、

809a8B & O A8

 


●密閉型

 これ、結構小さいのから大きなヘルメットみたいなのまであります。外で音楽を聴いて、しかも外部への音漏れを気にせずに、そこそこ高音質を狙うなら、このタイプが実は無難なんです。低音がもっこりしやすい弱点はありますが、騒音の多い外出時に音楽を聴く場合は、低域に量感がある方が無難ともいえますね。

オーディオテクニカ ATH-ES7

 この機種は、耳を覆う度合いは「中程度」のもの。

 この機種の価格比の推薦度の高さについては、以前記事にしましたが、相当使い込んだ今も全く同じ考えです。ホント、1万数千円出す気があるなら、下手にカナル型選ぶより、音楽ジャンル関係なしで、まず後悔しないですよ。

ボーズ・オンイヤーヘッドホン

 Boseのアクティヴノイズキャンセルではない通常の密閉型機種では今やTriportよりこの機種が推薦です!! こっちは通販でなくても多くの家電店に置いてます。音も、私は試聴だけですけど、いいバランスですね。Quiet comfortシリーズより、音質的にも装着感の上でも好きという人がかなりいそうです。 

●開放型(オープンエア型)

 恐らく一般の人には、大型の機種の場合、密閉型とオープンエア型の区別って難しいこともあるでしょうね。

 わかりやすく言えば、両方のイヤパッド(耳につけるスピーカーのやわらかい部分)を左右ぴったり合わせてしまったら音がほとんど聞こえなくなるのが密閉型、音がぴったりあわせる前と同くらいに外に漏れるのは、大きくて耳を覆うサイズでも開放型です。

 音が伸び伸びしていて、低域の方がモコモコすることなく、シャキッとした切れがあることが多いですが、他人への迷惑と、外の騒音が情け容赦なく耳に入ることはご考慮を。

 例えば、割と入手しやすい、次の機種も、実は「後面開放型」なんですよね。見かけは大きいけど。

ゼンハイザー ダイナミック オープンエアー型 HD-515

 耳に接触する面積の小さい小型のオープンエア高級機としては、

B & O headphone form2

 私個人が選ぶこのタイプの超特選品が、

ALESSANDRO MUSIC SERIES PRO

 以前も書いたように、この商品、なにせ手作りということもあり、しかも日本への入荷ルートが限られているので,かなりの入手困難品です。こちらからも購入できます。

●アクティブノイズキャンセル型

 ある時期までは、それこそ BoseのQuiet Comfortシリーズの天下でした(現在はVer.3)

クワイアットコンフォート3

 Boseの音が好きかどうかは別として、このタイプの王座であることは変わりないですね。
 
 最近は、小型の一見カナル型(耳栓型)の機種にまでこのタイプ、国産品の安価な機種にも増えてきました。

ボーズ・インイヤーヘッドホン

 国産品から選ぶなら、私が聴いた限りでは、以前ご紹介した次の機種が、音にBose臭さもない点でもベストと思ってます。

マクセル HPNC22OHBK

●おまけ:

 「アクティブノイズキャンセル型」という分類があるなら、「パッシブノイズキャンセル型」だってあるのか? とお思いの方もなるかもしれませんが、実は、あるんです(^^)

 広い意味で、カナル型イヤフォンは「パッシブノイズキャンセル」ともいえます。

 しかし、大型機種にも密閉型の変種ともいえますが、ともかく外部の音が聴こえなくなることに全力を傾け、「パッシヴノイズキャンセル型」を謳い文句にしている機種がひとつだけ。

KOSS QZ99 ノイズキャンセル・ヘッドフォン

 かなり細かく丁寧に試聴したことがあります。高域方向は、詰まった感じの音で、豊穣とはいえませんが、タイトな、特異な音の魅力は持っています。ヨドバシ系列は置いてる店あるかと思います。かけ心地もユニークな機種ですので、頭の形としっくり来ない人もあるでしょう。顔や耳回りの肌に全体が密着しないとまるで効果はなくなりますし。実際に装着して、試聴した上での購入をお勧めします。

******


 果たして、私がここで示したような区別をどこまでしてもらえて設問に答えて頂けたのかどうか、不安はあります。特に、カナル型も密閉型としてとらえられた可能性、「カナル型」と「耳の穴に引っかけるタイプ」の区別が曖昧だった可能性は特に高いでしょう。

 でも、この予想外の、「耳栓型」「密閉型」圧倒優位の回答が、皆さん、遮音性という点を気にしていることが多いということを示唆することは確かでしょう。

こういちろう、博士後期課程に入学する夢。

 この3日間は、私の現在の本来のあり方.....といいますか、本業の面接がコンスタントに入り続け、毎晩帰りにコンビニで万札を預金し続ける....という展開だけで毎日が廻っていました(^^) 

 以前も書きましたが、預金口座というのは、あくまでも現金を「預金」し続けるためにある、というのが、自営業である私の本来のあり方なのであります。

 「業務」そのものは、極論すれば人と対話しているだけですから、お客様からいただいた料金は即収入なわけですが、マンションだって、自宅と職場、2軒借りてるわけだし、光熱費や電話代、ネット代も2軒分。そうしたものは情け容赦なく自動引き落としで消えていくわけですから。

 要するに、ちょっと前まで、「減る一方」をしのいできたのが現実です(^^;)

 おかげで、about me やらBlogPetをネタとした記事でつないでいく形で何とか連続掲載記録は2ヶ月間堅持して、本格的な新規記事を書く余力のなさをカバーしている間も、当部ブログへのお客様は減るどころか、実数的には増加傾向維持のままなのには感謝申し上げます。


*****


 幸い、明日の定休日を前にして、本日分の面接までは終わったので、久々に「オリジナルの」記事を書いておきます。

 以前夢の世界の中でだけ当然となっている状況設定というのを、誰でもひとつやふたつは抱えているのではないかということを書きました。夢の中でだけ行ける場所だとか、夢の中でだけ、自分が生きているパラレルワールド的な具体的状況です。

 夢を見始めると、例えば「そこに行くとそれがあるのは当然」「そうだったそうだった」になってしまうということですね。

 私の場合、しつこく出てくる設定のひとつは、私が、実際には大学院の博士前期課程で修了しているのに、数年を経て、出身校とは別の、しかもなぜか北海道の新興の実在しない大学の指定校大学院の博士後期課程に、秋の入試で合格した筈.....という設定なんです。

 (私は、恩師が急に大学を移ったために、そうでなければ師の構想に既にあった、博士後期課程への進学の夢が破れた人間なのですが、むしろそれこそが、私にとって、その後の人生にプラスになる、波瀾万丈の展開を呼び込み、自分を小さくまとまらずに済ませたのではないかということは、何回か書いて来ました)

 私は夢の中で、そこに合格して、新年度からはそこに通うことになっているということに期待をかけていろんなことを進めようとしているのに、そこを本当に受験したのか、ほんとうに合格したのかすら、夢の中ではどんどんあやふやになってくる。

 そして、私自身も、夢の中の登場人物も、私がそういう「曖昧な、はっきりした根拠がない未来」をあてにして「平然と」日々を送っていることをおかしなことだと責めてくる.....みたいな展開になることが多かったのです。

 ところが、今朝方の夢では、ほんとうにそこにこれから出発するということになっている。私は、合格を証明する書類すら手元にない。でも、もうすぐ入学なので、その前に顔合わせするために出てこいとの知らせは入ったことになっています。

 私は自分でも確信がないままに、北海道に向かう。大学にたどり着き、受付らしきところから、ある場所に向かうように案内されても、それでも確信がない。

 ある部屋に、どういうわけか、それぞれの合格者は、名前ごとにこの下にいるようにという、名前を書いた紙が四方の壁のあちこちにばらばらに貼ってある。そこに確かに自分の名前が貼ってあるのをみつけて、私はやっと少し「これはほんとなのか」という気持ちになる。

 そこには、なぜか、私が出願の際に提出した、たいへん分厚い研究計画書が措いてある。中を開けてみると、私が提出したその論文のあちこちに、脚注のようにして、少し小さな活字で書き込みがしてある。

 どうも、そのままでは「博士論文」としてのその大学の基準を満たす上ではいろいろ問題があることを、個々の箇所ごとに指摘してくれているようである。

 まあ、「北海道では行動療法が強い」から、実証的な論文としての体裁をなさない箇所の指摘だろうと想像する(楽屋ネタだ....)

 実際に個々の「添削」を読んでみると、確かにそうした性質のものなのだが、そのひとつひとつは「この件については、以下の資料のこのデータをもとに例証すればいい」などと、ご丁寧に、具体的な資料や既成研究論文の名前を挙げて、まるで「これをここで引用すれば実証研究として認め、博士論文として認定することにする」と、逐一、選考委員の教授会の先生方が、よってたっかって私に「救いの手」を差し伸べてくれているかのような内容なのであった!! 私は、その「添削」のあまりの安直さに苦笑してしまうが、これらを補足すれば、博士後期課程入学どころか博士論文として認める
という、どえらく先回りの親切をありがたく活用させてもらうことにする。

 そのうちに、隣の張り紙の下にいる、他の、同じ時に入学する院生の様子がわかってくる。内容は忘れたが、かなり個性的な社会経験を経て再び院生になった人だとわかり、私は感心すると共に、そういう人と一緒に刺激を与えながらやっていくのもおもしろそうだと感じる。

 そして、なぜかそばのスクリーンでは、その人がかつてどういう経歴を経たかをまとめたビデオがスクリーンで上映されている。体育会系らしく、大学時代の部活の時の様子の記録のようなのだが、何か珍妙な内容である。廊下に次々といろんな部活の人が現れてこちらに向かって群れをなして歩いてきて、そいつらと「対決」するしかなくなる映像。

 (起きてから気がついたのだが、それは、たまたま昨日ネットで見つけた、「学校の階段」の予告編(本編は見てません)の影響をもろに受けた内容だと理解してつじつまがあった(^^)

 そして、その予告編を見た時、こういう奇抜な、本来は「しゃれ」のごとき発想で映画を見事に一本作れてしまうという今の時代は、上の世代が思っているよりも未来への可能性を秘めているのではと感じたことを思い出したのである)。

 そして、気がつくと、亡き恩師村瀬孝雄先生が、そのレセプション(?)に東京から駆けつけて来られていて、レセプションにおいでいただけだけでも光栄だと思っていたら、「今度、この大学に、夏頃集中講義に来ることになったから」ともお話になる。

 .....ここで夢は終わりである。


******


「曖昧な、はっきりした根拠がない未来」をあてにして「平然と」日々を送っている=

「端から見たら、何の保証もないはずの独立開業後の私の生き方」
  

.....ととらえると、私がここ2年間、このパターンの夢に繰り返し悩まされてきたことがすごくわかりやすくなる。

 そして、私の無意識が、やっとそれに「合格」のサインをほんとうに出す気になってきたのかもしれない。

 「今回のは、一時的なお客さんの増加ではない」

......という。


●「学校の階段」オフィシャルサイト


USEN

2007/05/22

例外的に紹介してしまおう(^^;)・・・・・「エキセントリック少年シンジ」

 
「エキセントリック少年シンジ」

はおもしろかったです!!


Rei070513a

 .....もういいっっつうに!!!!!!!!

Clipboard01_2

.......お前もまともなことがいえるようになっじゃないか。

iddyにも登録

 こちらです。

 iddyよりabout meの方が「お遊び」色が強いかもしれませんね。

MacBook

一部の読者の皆様からの、トップページへのアクセスに障害が生じていたようです m(_ _)m

 2名の知り合いの方からの知らせで判明したのですが、このブログのトップページへのアクセスにおいて、少なくとも昨日(20日 月)から今朝(21日 日)の午前中にかけて、左側のフレームしか表示されないという障害が発生していたようです。

 ご不便をおかけいたしまして申し訳ございません m(_ _)m

 これが@niftyのサーバー側の問題なのか、私のサイト固有の問題だったか原因はわかりませんが、ともかく現状では回復しています。

 ひとつの可能性として、最近ブログパーツをたくさん使っていることと、BlogPetの「あゆさま」ごっこやabout meの円グラフ表示など、画像ファイルの掲載が増えているために、トップページへのアクセスの負荷が高まっていることが原因として想定できますので、急遽、取りあえず、トップページへの表示記事数の削減と。ブログパーツのいくつかの表示を中止しました。

 道理で、「バックナンバー」からのアクセスに昨日は偏向したわけですね(^^;;;;;)

 
 今回の対応で、同じような問題が生じないようになれば幸いです。

about meより:エヴァンゲリオンの女性キャラの中では?

Q:エヴァンゲリオンの女性キャラの中では?(作者:こういちろう)

Clipboard01_1

 レイが独走しない、アスカといい勝負になるというのが予想でしたが、実際、順位を入れ替えながらデットヒートの末に、レイの鼻の差優位が安定してきた展開です。

 ミサトさんの3位も思った通り。伊吹マヤと洞木ヒカルにキャラとして意外とファンがいるというのも。

 かわいそうなのはリツコお姉様ですが、仕方ないかな。私のエヴァ本では一章割いたけど。


 .....というわけで、またもや、印税にもうならなくても宣伝。

●阿世賀 浩一郎 「エヴァンゲリオンの深層心理」


Rei070513a

 .....わかったわかったわかったわかったわかったわかったわかったわかった!!!!!!

特典オリジナルデモCD付!
『ヱヴァンゲリヲン 新劇場版』公開記念オフィシャル企画オリジナル ヘッドフォン エヴァンゲリオンヘッドフォン  SCRH-6

ペットの性別(今日のテーマ)

BlogPet 今日のテーマ ペットの性別
「あなたのBlogPetは♂ですか?♀ですか?」
「あゆさま」(いつもいうように、「あゆ」ではないし、「ayu様」でもなくて、「あゆさま」という名前ですので,敬称を付けると「あゆさま様」「あゆさま君」「あゆさまちゃん」...etc.が正しい)は、どうも子供ではあるようだが、オスがメスかは、拾って来てから確認していない(^^;)....こういう設問にこうして一応反応しておけば、本人(本猫)がそのうち「自己申告」するでしょう(^^)

......と思ったら、

Clipboard01

.......なんじゃそりゃ????

2007/05/21

about meより:高橋留美子といえば?/あれは誰だ?

Q:高橋留美子といえば?(作者:こういちろう)

Takahashirumiko070521a

 @niftyのabout me開設の早い段階で質問する側にも速攻でまわりましたので、こういう、アニメ・コミック系ではかなりメジャーな質問項目を作ることができました。

 正直に言って、「うる星」の安定1位は期待していなかったんですね。もう、世代交代が進み、今の若い人の中には「らんま」すら知らない高橋留美子ファンがたくさんいる現実をかなり前から感じていたので。

 これは、そもそも現段階でのabout meの参加者の年齢層が実は相当高いということがあるのではないかと思います。


******


 このことを傍証するのに格好なのが、次の質問。


Q:あれは誰だ?(作者:こういちろう)

Arehadareda070521a

 もちろん、これは「正答」を期待したのではなく、しゃれで答えてもらうのでいいつもりで出した質問ですが、ちゃんと「デビルマン」がダントツ1位で、ある意味では外れではない「ガッチャマン」が2位という、何とも素直な結果が出ています。

 アニソンファンの皆さんが、場合によっては再放送ですら観ていないアニメのテーマソングを歌いこなす人が少なくないことは存じ上げてますけど、ここまで反応がズレないと、やはり回答者の皆様の年齢層が高めであると仮定する方が自然でしょうね(^^)

 ちなみに、遊星仮面」(質問では間違えてしまった! 許されよ)まで聴きたい人は、このCDをどうぞ!!

 


何も書かなかったのに、アクセス数だけが多い特異日

 先日も書きましたが、現在、本業では、最近では一番多くのお客様においでいただける状態になっておりまして(もっとも、常時これくらいになってはじめて年間黒字になれる水準です.....)、この状態は幸い今のところ今月いっぱいはほぼ堅持できそうです。

 そのことと、about meにうつつを抜かしていたことが重なって、最近では異例なほど、本格的新規記事の更新が少ないにも関わらず、なぜかおいでいただく読者の皆様がむしろ増える傾向が続いており、本日、24時を待たずして、まもなく確実に、久々の500アクセス(実数も300名様)の大台に載ります。誠にありがとうございます。

 しかも、お読みいただいているのが、月別のバックナンバーのいくつかに異様に偏向しています。つまり、一画面で40とか60とかの記事をお読みいただけるわけですね(^^;) ですから、実際にお読みいただいている記事の数は更にもの凄く多いということになります。

 about meからおいでいただいた方は、私が始めて以降、合計でも30アクセス前後に過ぎないのですが、見かけよりは多くの方に、これを機会に新規においでいただき、取りあえずブックマークに加えていただいたのだと推測しています。ほんとうに感謝!! です。(ほれ、「あゆさま」、)
Blogpet070516b

*****

......というわけで、取りあえず今日の仕事は終わったので、この後、別記事として、about meの私の質問の中からセレクトして、結果を中間報告してみましょうか!!

Log

わかったわかった。

きょうはここにblogするはずだった(BlogPet)

きょうはここにblogするはずだった。


*このエントリは、ブログペットの「あゆさま」が書きました。

Blogpet070521b

あげない!!


髪型(今日のテーマ)

BlogPet 今日のテーマ 髪型
「今日の髪型はどんな髪型ですか?」
「分けますか?」
「分けます」

......「髪型」の話ではなくなるけど。1000円バーバーの愛用者だったりしますが、なぜか最近前髪が伸びるのが急に早くなった気がして。お店、前髪意識的にあまり刈り込まないままにして、リピート早くしてないよね? ....というより、「前髪短めにして」と今度から意識的に注文すればいいだけのことである。.....それだけではなく、どうも、少し前から白髪が増えるペースが増して、白髪がピンピン立ちやすくなっただけのようでもある。母親の血を継いで、髪の毛が多くて油分も豊富、長らく整髪料と無援だったけど、一種の「お客様商売」ですから、今後はちょっと日々の整髪のあり方も考えようかと思います(^^;)



Blogpet070521a
......てにをはに若干問題があるが、言うことが普通になってきたので、当面書き込みを許可する!!>あゆさま


2007/05/20

先週の人気記事ベスト20!!(07/5/13-19)

「カウンセラーこういちろうの雑記帳」週に一度の恒例、@NIFTYココログの、日曜日-土曜日の「週ごと先記事別アクセス解析機能を使っての、先週の記事アクセス「ベスト20」の発表、45回めです。

 固定リンクでのアクセス率の順位から集計しています。アクセス数が同じ場合には、訪問者実数上位の記事を上位とし,訪問者実数も同じ場合にのみ、同じ順位として掲載します。
 7×24時間、つまり5/19日(土)24:00の時点での集計です。

 それでは発表!!

 先週の一週間の総アクセス数、延べ2,564(前回2,306)。(一日平均アクセス366.29。前回329.43)、

 訪問者実数は、1,721名様(前回1,624名様)。

 前々回ほどではありませんが、かなりの復調です。今週は、本業の方がやや立て込んで来たのと、読書の面で、新たな書籍を充電する活動のみを進めたため、新規記事に大作が少ないまま、「小技」でつないだ印象が強かった週なのに、なぜかおいでいただく方のペースがむしろ上昇カーブという、私からすると「原因不明、謎の訪問者増」の週でした。

 ランキングも、新規でない記事ばかりが多いという点でも異色です。特定サイトからのリンクでおいでいただいた読者もそれほど多いとはいえない。BlogPet「あゆさま」の記事で王子のきつねさんサイトからおいでいただいた方が若干ある(15アクセス)にしても、はじめたばかりの"about me"経由でおいでいただいた方はリンク元サイトとしての記録上は実はほとんど実績ないままなのですね。

 もし、長期にわたって辛抱強く続けて来たことの効果がやっと出た来たのだとすれば嬉しいことです。

 「トップページへの外部からのアクセス」、前回616(41.5%)に対して、今回。720(41.9%)
 「サイト内移動」、前回522(35.2%)に対して今回588(31.8%>


 当ブログの「一限さんでない率(リピーター率)」、これは同じ人が一度に「何ページ」記事をお読みになったかと無関係な訪問者「実数」比に基づくもののようですが、前回まで続いた7.5%が、今回も7.6%に回復。

 「訪問周期」は、毎日おいでになる「完璧常連様」は前回までの9名様から11名様という、少し前までの標準人数に回復。

 それでは記事別ランキングの方の発表!!


*********

1.「2007年5月」のバックナンバー (↑) 3週連続

2.透明人間になりたかった美智子様 NEW!

3.前も右も後ろもayu様。 -"Secret tour"横浜アリーナ2日目公演- (↑)

4.欝とは、自分が無理をしていることを認識できなくなる時期にすでに始まっている(↑)39週連続

5.キーボード小脇に抱えた「吟遊詩人」 ~奥華子のインディーズ時代~ NEW!

6.「大船でフォーカシングを学ぶ会」 NEW!

7.「ケーススーパーバイズ」とは何だろう ~入門編~ (↑)

8.「2007年4月」のバックナンバー COME BACK!!

9. 受験生の受難は必至だって、わかる人には聴かなくてもわかるのにな.....(および、「モスキート・トーン」「オーディオ機器のエージング」について) (↓) 3週連続

9.インシュレーターは使わないに越したことはない(↓) 38週連続

11.あゆさま、きつねさまに紹介される。 NEW!

12.オーディオにおける接点復活剤について(↑) 21週連続

13.「体験過程のステップははジグザグである」 NEW!

14.奥華子の"TIME NOTE" (↓) 3週連続

15.「曝(さら)される」ストレス (↓)

16.ここ数年観た「映画」の最高傑作 -時をかける少女- (↓) 3週連続

17.今週の人気記事ベスト20!!(07/05/6-12)

18.「大船でフォーカシングを学ぶ会」追伸 NEW!

19.「疲れた」「つらい」筈なのにそう感じていな「かった」時の「独特の感覚」は本人にも「実感」できる COME BACK!!

20.ディック・ミネ、「瀬戸の花嫁」を叱るの巻 (→)


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 9位はアクセス数、訪問者実数がどちらも同じですので2つあります。


 月間バックナンバーが1位を奪った(しかも113アクセスという、2位にダブルスコア以上引き離しての)というのははじめてと記憶します。

 それだけ多くの方が、最近の記事を,少しだけさかのぼって読んで下さったということで、それこそ、(はい、「あゆさま」)
Blogpet070516b
......でございます(^^;)

 前の週から引き続いてランクインと「3週連続」が際立って多いというのも特徴的。

 少し前から、右フレームにベストテン記事ランキング常時自動掲載の設定可能となったことも大きいのでしょうが、記事の読み続けられる寿命が長期化して、全体数がしかも維持されているのですから、オーナーとしては嬉しい傾向です(^^)


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 これを書いている「今、この瞬間」(5/20 AM 0:58)までの当ブログ文章記事の延べ総アクセス数)は、161856、プロフィールとフォトアルバムを含めると185127、ブログの通算記事数はこの記事で869本めです。

 今後とも、「カウンセラーこういちろうの雑記帳」を、よろしくご贔屓(ひいき)に、お願い申し上げます。

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2007/05/19

お酒やドリンク(今日のテーマ)

BlogPet 今日のテーマ お酒やドリンク
「あなたの好きなお酒(飲めない方はソフトドリンク)を教えてください。」
 黒ビール。ブランデー。紹興酒。
 カクテルだとソルティ・ドッグを注文することが多い。

 基本的に、飲まなくてもナチュラル・ハイになれるタイプというのは、皆さんもお分かりと思います(^^;)

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2007/05/18

"About You"でなくて"about me"

 昨日の「定休日」は、新しく始まったブログサービスの"about me"にせっせとはまっていたこういちろうでありました(^^;)

 シンプルだけど楽しめますね。質問者のしゃれのセンスも重要だけど,結構皆さんバランス感覚ある質問考えてるのに感心したりして。

 調子に乗って私も幾つか質問の方も作ってみました。こういう時に全然カウンセラーらしくない質問しか思いつかないし、書こうともしないのがこういちろうであった。


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 今日はこれから一度職場に行った後、夕方からは地方出張です。

 カウンセリングや「大船でフォーカシングを学ぶ会」(幸い、会として成立します!! 趣旨に賛同して下さった皆様、有意義な場に出来ればと思っております。まだ定員いっぱいではありませんが、8月の「2回め」の方への申し込みもすでにあります)のお申し込み/お問い合わせは、本日夕刻以降は日曜日になってからのお返事になることをお許し下さい。


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 .......ということで、BGMはayuの浜崎あゆみ - A BEST 2 -BLACK- - About You"About You"(アルバム"My Story""A Best 2 -BLACK-"収録)。 

Blogpet070518a_1

2007/05/17

雨の日(今日のテーマ)

BlogPet 今日のテーマ 雨の日
「これから梅雨を迎える時期ですが、雨の日はどうやって過ごしますか?」
 丘に上がって思い切って鳴いています(ウソ)

 仕事がで室内で面接する仕事なので、実は晴れか雨かを意識することはそんなにないのですね。ただ、自転車通勤ですから、家を出る前に雨が降っていかいないかを確認しないと、大慌てで職場まで駆けつけるハメになります(^^;)

 ただ、職場が川沿いで、豪雨の際に過去一度だけ1階が床下浸水した記録もあるので、気がついたら階段を下りられなくなっていた!! とならないように、川の流れには気を配っております。

Blogpet070518a

おまえは座敷ネコだから外の天気は無関心かも知れぬな。


「体験過程のステップはジグザグである」

 表題は、ジェンドリンが、著作や論文の中で何回も繰り返して述べていることなのですが。

 身体感覚の変化の緊張低下と微かな安堵を伴う「気づき」のことを、フェルトシフト(felt shift)と呼ぶわけですが、これが1回生じるだけでそれまで抱えていた人生の問題が一気に解決!! ということはまずありません。仮にその時は大きな体験だと感じられたとしても、それだけで十分ということはまずあり得ないのですね。

 例えば、私にとっては、既に何回もこのブログで引き合いに出した、「うらやましい」自分に気がつく経験「退屈さ」に気がつく経験、最近でいえば「逆上がりしたかったんだ!」と気がつく経験や、「水臭い」という言葉を見いだす経験は、相当にインパクトが大きいものだったことは否定しません。

 でも、それらの特定のどれかの経験だけを「後生大事にして」いるだけだったら、私にとって大きな意味を持たないままだったとすら思います。個人的には、特定のシフト体験だけを大事にしているだけだと人生を謬(あやま)るとすら思っています。

 ひとつのかなり大きなシフトを実生活に定着する確固たる影響を残すものにしていくためには、それに引き続くいくつかのシフトが生じる経験を「必要とします」。

 そしてそれは、シフトをしたその時とはかなり気分も異なった、別の状況下で、シフトの時の体験が虚妄に過ぎなかったかのように感じられる場面で更にフォーカシングを重ねることによって、はじめてバランスの良い気づきとなります

 例えば、例の、おなかのたっぷんたっぷんの感じに触れていく中から生じた、「水臭い」の経験ですけど、「水臭い」という言葉が思い浮かんだ瞬間、いきなり身体の感じそのものが楽になり始め、まるで新たな視野が開けたような感じが生じるわけですね。

 何について、「水臭い」のか、誰との関係について、「水臭い」のかなんて、見当もつかない。ただ、およそ人との関係において「水臭い」という言葉がぴったりと感じる間柄の体験が自分に「ない」ことに忽然と気がつくわけです。

 その時は、地方出張で講師に出かけた前泊の夜でしたから、翌日接するスタッフたちとの関係においてもそうなのだろうか? という連想はもちろん浮かびました。

 家族との関係についても思い浮かびました。

 そして、フォーカシングの領域で、例えば国際会議開催を巡って、普段はネット上でやりとりしている人たちのことも思い浮かびました。

 クライエントさんやフォーカシングの実習生との関わりにも当てはめてみました。

 ネットでのコミュニケーション全般にも当てはめてみました(今にして思えば、この点での影響と変化はその後実に顕著だった気がします。公開されたネット上では書いてない次元のことを含めて)

 そして、畏れ多くも浜崎あゆみさんとの関係についてすら当てはめるわけですね(爆)


 いずれにしても、全体として、浅いか深いかの二者択一的だった私の対人関係様式が、以前よりは「多段変速的な」グラデーションを持つことを無理なくできる方向に転換してきたのは事実でしょう。

 「プライベートに深いことをやりとりしても一定の距離が無理なく維持された個人的関係」などという次元も私にも可能そうだという手応えも出てきた。

*****

 でも、大事なのは、その「水臭い」の裏側に、自分のある種の、自分が他者にかけている負担を「率直に認めていない」側面についての自覚不足もあることについての気づきが、具体的な事柄ごとにいろいろと引き続いて生じていく過程があって、はじめてそれが「活きる」ようになったのですね。

 こうやって、生活の様々な場面で、大きな、印象的なシフトという「光」に対して、無数の「影」のようにして寄り添ういくつもの小シフトの多段階のステップがあって、振り返ってみると、少しは確実に以前と自分は変化している

******

 例えば、これも繰り返して例に出してきた、「デートのその日はハッピーだったのに、4日後になって、本当はその四日前のある出来事にすごく腹を立てて『いた』自分に気がつく例なんて、では、あのデートの相手に「あなたのあの時の振る舞いに私は本当はすごく傷ついていたの」と抗議しさえすれば解決できる問題ではないであろうことは、皆さんも予想がつくでしょう。唐突に4日も後にそのことを持ち出された相手が「なぜ今頃」と腹を立てて関係がこじれるだけになる危険が高いことは目に見えています。

 かといって、「本当は私はその人と価値観が違いすぎるんだ、もう別れよう」だけで突っ走るのも別の極端かもしれないし、「あの時にそのことに気がつけずにいた私の、自分の気持ちに目を向ける力の低さが何より問題なんだ」などと自分をまずは糾弾する反省をはじめるだけでも、「多少の違和感があっても、基本的にはいい人なんだからつきあい続けよう」だけで現実的に自分をおさめようとするだけでも、それぞれ別の意味で一面的な可能性が高いわけですね。

 フォーカシングは敏感さや物事への言葉にならない違和感を高めるので、現実を生きにくくするという意見もあります。ジェンドリン自身、それに近いことを「クライエントのクライエント」という論文の終わりの方で書いてもいます。

 しかし、敏感さ=傷つきやすさ=ストレスをためやすい、という発想に安易に流れることに、私はかなりの違和感があります。こうした問題が生じるのは、そうした体験がどこか、受け身で、向こうから押し寄せてくる、自分の安全感を脅かす体験として体験された場合ではないかと思っています。

 敏感さは、危険な状況をあらかじめ巧妙に回避したり、人との関係でのストレスを事前にさりげなく予防する布石を打つためにも発揮できるはずです。そして、好ましい経験をじっくりと味わい、自分の内側にエネルギーとして取り込む性能のいい触手にもなるはず。

*****

 常々思うんですけど、フォーカシング癒しを与えてくれるのではない。フォーカシングを通してスキルアップされた感性で味わうこの世の森羅万象こそが私にエネルギーを与えてくれるのです。

 だから、私は、フォーカシングそのもの以外のことばかりを、このブログで書くのです。そういう森羅万象への感謝と共に。


*****

 ......以上、これは、主として、フォーカシングを学んできた皆様のために書きました。


Blogpet070517a

2007/05/16

今後の予定(歴史系)

 今、ナイチンゲールの伝記を必死で読んでいます。

 この人も、伝説と実像が本当に離れてしまった人のようです。

 ヴィクトリア朝時代のイギリスの宮廷と内閣とマスコミの関係についての生々しい報告としても興味深いものがあります。

 あと、「ヘンリー5世」も紹介したことですし、いわゆる「イギリスとフランスの」間の「百年戦争」というものが、いかに誤解される側面を秘めているかについて、ノルマン朝→プランタジネット朝(アンジュー帝国)に関してひとくさりまとめてみようかと。

あゆさま、きつねさまに紹介される。

 うちのブログペットの「あゆさま」が、王子のきつねさんサイトで、すごい大写しで紹介していただけました。

  ......読者の皆様にはご面倒をおかけいたしますが、
  このブログで、浜崎あゆみさんに対して
  こういちろうが謙(へりくだ)る時には、
  常に、

    "ayu様"

  と表記されますので、
  お間違えのないように。


 「あゆさま」、ちゃんときつねさんへのお礼の言葉を考えるように。

Blogpet070517c

 そ。きつねの王子様なんだよ.....じゃなくて、きっと「王子」のきつねさん。


 ・・・・・・(考えている;;;;)・・・・・・

Blogpet070516a

 .......め、めっそうもないことをいうな、「あゆさま」!!


 ・・・・・・(もっと考えている;;;;)・・・・・・

Blogpet070516b

 .......はい、おりこうさん!!

(こ、これ以上はまだ望めない......)


Rei070513a

 .....おまえを呼んだつもりはないのだが。

 それにしても、「内罰的」だねえ......

 

2007/05/15

透明人間になりたかった美智子様

 msn=毎日の天皇、皇后両陛下:訪欧前の会見の記事を読んだ。

 雅子妃殿下のご体調問題が、お世継ぎ問題のみならず、雅子様の外務省出身者としてのキャリアが生かされない問題とも関連づけられて来た中、記者への両陛下のお答えは、これを機にこの問題について、皇太子夫妻の今後の主体的な活躍を見守りたいという姿勢を明確に打ち出すことによって最終的に解決していきたいというご意向が強く伺えるものと感じた。

 事前に提出された質問への回答であり、練りに練られたお返事なのが一言一言の運びから伺われ、一国の象徴という立場におられると、ここまで言葉を練り上げねばならない重責なのだと、頭が下がる思いである。

 美智子さまのお答えには、そうした中でも、あるもの柔らかなユーモアと親しみやすさが感じられるように細やかな配慮がなされていることにも気がついた。

 どの記者が考えたのかわからないけれども、シェイクスピアの「ヘンリー5世」の、国王が身分を隠して市民に接する場面についてと結びつけた質問は、ちょっとおもしろいものに思えたが、それに対する美智子様のお答えとして、「美術館の鑑賞を、通り抜ける警備がたいへんなので諦めたことがある。その時にはそこを歩く間だけ透明人間のようになれたらなあ、と思いました」といわれたのには、美智子様へのある親しみを感じた。

 そこで思い出したのですが、以前東京子ども図書館の会合にお招きいただいたときに、当日の出席者を代表して、館長さんから「かくれみの」をいただきました。日本の物語に時々出てくるもので、いったんこれを着ると他人から自分が見えなくなる便利なコートのようなもので、これでしたら変装したり、偽名を考えたりする面倒もなく、楽しく使えそうです。皇宮警察や警視庁の人たちも、少し心配するかもしれませんが、まあ気を付けていっていらっしゃいと言ってくれるのではないでしょうか。まず次の展覧会に備え、混雑する駅の構内をスイスイと歩く練習をし、その後、学生のころよく通った神田や神保町の古本屋さんに行き、もう一度長い時間をかけて本の立ち読みをしてみたいと思います。

 こうした「プレゼント」を着想した図書館の方々のセンスにも敬服する(^^)

 順序は遡ることになるが、美智子様がセリエのストレス学説まで引き合いに出されて、そのころは「プレッシャー」という言葉が社会ではまだ語られていなかったけれども、「戦争で多くを失った日本が、復興への道をいちずに歩んでいたころであり、もしかすると当時の日本人全体が強いプレッシャーの下で生きていたのかもしれず、ある意味で社会がプレッシャーを共有し、これを当たり前に感じていた時代であったのかもしれません」とのお言葉も、印象深く感じさせられた。


******


 たまたま私が書かせていただいたこの記事からの連想を広げさせて頂けた記事として、楽しく読まさせていただきました。

 両陛下の、ご健康に不安がある中での短期間でのご訪欧が、公私ともに貴重なひとときとなることをお祈り申し上げております。

ヒーロー&ヒロイン(今日のテーマ)

BlogPet 今日のテーマ ヒーロー&ヒロイン
「あなたが子供の頃、あこがれたヒーローorヒロインは誰ですか?」
「好き! すき!!魔女先生」楠木正成

(無茶苦茶な取り合わせだけど,思い浮かぶままに)

「体験過程」と「関係性」についてのこういちろうなりの再話

 以下、「患者から学ぶ」へのコメントからの格上げです。

 私なりに「体験過程」と「関係性」の問題について、完全に自分の言葉で書くとこうなるのですね。

 やりとりのなかで私にこうした言葉を触発して下さったジェーンさんに感謝します。

 ここで私が書いたことを、全部「ジェンドリン語」に再翻訳することに、フォーカシングを学ぶ若い人は、チャレンジされてもおもしろいかも(^^)


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>自分がコメントとして質問したことに対して「(自分の理解が)あっているか、間違っているか」、どちらかの返事を期待していたからかなと思いました。

なるほど。

あっているか、違っているかというだけなら、「あっている」と感じます。だた、「唯一の正答」ではないし、私が伝えたかったことの「全体」までとらえているか、あるいは、私が伝えたかったことの「核心」を射貫いたかというと、「まだ先がある」気がする。

そういうことです。

 これは私の考え方の基本にあるのですが、人は、言葉でいかに的確に表現したつもりでいても、常に、言葉で表現しきれない、「言外のもの」まで伝えたつもりになっているものだと思います。

 その「言外のもの」は、本人の中でもすぐにはまだ言葉にならないものだったりする。

 だから、相手の反応を受けて、再び自分の内面をまさぐる中で、はじめてその部分は言葉になる。

 ところが、それは単に隠れていたものが言語化されていたに留まらず、その人のそれまでの感じ方そのものをある意味で「変えて」しまうものでもある。

この記事で書いたように、4日前のデートの時に「実は凄く腹が立っていた」と気がついた時に、「腹が立っていた」ことが「ほんとう」で、「凄くハッピーだった」ことが「ウソ」になるんでしょうか????

 私は、「どちらもほんとうだった」でいいと思うんです。

 人の「本当の気持ち」というのは、そのようにして、ある特定のゴールはないまま、果てしなく、果てしなく、自分の中で掘り下げていけるものだと思います。そのことに、お互い理解し合おうとする対話は役に立たせることができるわけですね。

 不思議なもので、そうなってくると、自分の中の「ほんとうの気持ち」とか「真の動機」「真の意図」そのものを特定できるまで探そうとする必要性を感じなくなるのですね。

 「いろいろ感じている自分に『ある程度』気づき続けていくことができれば、そこそこ自分のことはわかっていることになる」で満ち足りて来る。

 そして、その時点での自分の理解を超えた自分が自分の中にいること(あるいは、他者は常に自分の理解を超えた存在でもあること)をそのまま安心して受け止められるようになってくる。

 それこそ、北山修先生のいわれることにも通じますが、

「あの時、同じ花を見て、美しいと言った二人」

の感じていた美しさが同じ美しさであることの究極の証明はない。でも「それそれが、それぞれなりに美しいと感じていたことを認め合い、共有する(いちいちそのそれぞれの感じていた美しさの違いまでやりとりしなくても)」という次元なしに、人と人との絆もないと思います。

「同じことを感じていた」という「錯覚(illusion)」も人との絆に必要だし、その錯覚がたとえ錯覚であることに気がついても、それだけで自分や相手を責めることなく、まさにお互いが「個」としての「他者」であることをまるごと受け止めあう機会にもなるぺきではないかと思っています。

 そして、「相手に理解してもらおう」あるいは、「相手のことをきちんと理解しよう」という気持ちが過剰な人間どおしが性急に話を進めよう「だけ」とすると、そもそももともと何を言いたかったかどうかそのものが自分の中でもわからなくなる危険がある思います。

 自分の理解を超えているからこそ、他者はそれだけで尊重に価し、敬意を払うべきものである、そして、すぐにはわからないかもしれないけど、少しずつ何かを「学べる」のかもしれない、というスタンスですね。

 相手を「理解してしまえた」と感じた時、実はその相手を完全な自分の支配下に置いた、と思いこむことに近いのではないかとすら思います。

「精神分析のあまり良くない点というのは、他人から指示を受けて生活することに慣れてしまうことです。精神分析は自我を弱めると私は言いたいのです。精神分析によってイド〔=本能的衝動〕はいくらか楽になるかもしれませんが、権威と結びつく結果、自我は損なわれます」

 これ、フロイトの症例の「狼男」が、晩年になって語った言葉なんですね(これについてはこちらを参照)。精神分析に留まらず、流派や立場に関係なく、援助的専門家はこのことを肝に銘じねばならないと思います。「あなたは『神』の役割を引き受けるのか? それとも.....」という。

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相手との対話に触発されて、自分の気持ちや意図であれ、相手の気持ちや意図であれ、第3者のそれであれ、何か新たな発見があれば、それが「弁証法」だと思います。少なくとも、マルクスやへーゲルのそれではなくて、ソクラテスの意図した「弁証法」の原点はそうした次元のものということになるのではないかと。

 ソクラテスの意図に沿えば、それは、お互いが(自分自身や、他人や、万物について)知っているようで実は「知らない」(気づいていない)ということを認め合うプロセスということになります。これを「無知の知」と呼ぶのはご存じかと。

 そして、これは臨床やカウンセリングでも言えることと思います。

2007/05/14

我が内なる「二宮尊徳」を賦活すること

 「誠(まこと)の道は、学ばずしておのづから知り、習はずしておのづから覚え、書籍(しょうじゃく)もなく記録もなく、師匠もなく、而(しこう)して人々自得(じとく)して、忘れず。

 是(これ)ぞ誠の道の本体なる。

 渇(か)して飲み飢(うえ)て食(くら)ひ、労(つか)れていね(=寝て)さめて起く、皆此(これ)類(たぐい)なり。

 古歌に

 水鳥のゆくもかへるも跡たえてされども道は忘れざりけり

といへるが如し。

 夫(それ)記録もなく、書籍(しょうじゃく)もなく、学ばす習はずして、明らかなる道にあらざれば誠の道にあらざるなり。

 故(ゆえ)に天地を以(もっ)て経文(きょうもん)とす。

 予が歌に、

音もなくかくもなく常に天地(あめつち)は書かざる経(きょう)をくりかへしつつ

とよめり」

(『二宮翁夜話』)

*****

 この前の二宮尊徳の記事の補遺として、幾つか尊徳自身の言葉を覚え書きにしておきたい。

 二宮金治郎というと、薪を背負って『論語』や『大学』『中庸』などの四書五経を熟読し、諳(そら)んじてしまった、儒教の教養あふれる勉学の人というイメージができあがっているかもしれない。彼が、父の家がまだ傾いてしまう前に、農家のせがれとしては珍しく古書に接する機会があり、家が破産し父が死んで、叔父の家に預けられた後も、「百姓のせがれに学問などいらない」という叔父の目を盗んで、持ち込んだ本を読んだり、奉公先の武家の子弟向けの学問講義をふすまの向こうで立ち聞きしていたのは確かなようだ。

 しかし、実際には、学者というにはほど遠い、空理空論を嫌う徹底的な実際家、現実主義者であり、残された著作に示された思想的なものも、いわば自分の考えを人に伝えるための方便として生まれたもののようである。

 そして、自分が経験の中から自分の力で見いだした実践知にたいして大きな自信を抱いていた。精神主義からは最も遠い人なのである。


 「夫(それ)世の中に道を説きたる書物、算ふるに暇(いとま)あらずといへども、一として癖なく全きはあらざるなり。

 如何(いかん)となれば(=なぜならば)、釈迦も孔子も皆人なるが故なり。

 経書(けいしょ=四書五経)といひ、経文(きょうもん=仏典)といふも、皆人の書きたる物なればなり」


 こうして儒教も骨抜きである。徹底的な非権威主義、神聖不可侵なロゴスの権威など信じていなかった人である。

「男なければ女なし、女なければ男なし」
「君なければ臣なし、臣なければ君なし」


 また、中井久夫先生も指摘しているように、「天道」と「人道」を単純に一致するものと考えなかった。

「天道」とは、人間のことなどお構いなしの自然法則に過ぎない。

「人道は田畑を開き、天道は田畠を廃す」

ようするに、自然界の法則(天道)は、せっかく整えた田畑を、エントロピーの法則に従って崩壊させようとするようにできている(酒匂川の洪水で父の田地が一気に流失した幼児体験の大きさの可能性を中井先生は指摘する)。

 だから人は田畑の手入れを続けないとならない。これが「人道」である。

 しかし、「天道」は、ある程度予測可能な法則性を持っているので、それを活かす方向に「人道」を為せば

「天道は人道と和し、百穀実法(みのり)を結ぶ」


*****


 「分裂病と人類」を読んで、どちらかというと、自分をS親和者と感じ、執着気質的な尊徳的な生き方から遠い存在とばかり長年思ってきた。

 私は、躁鬱気質からは明らかに遠いとは思うけど、体型的には、分裂気質的というより、明らかに闘士型=執着気質的だと思う。この点は、およそ観念性というものからはほど遠い、むしろそうしたものを忌み嫌う父親もそうである。

 こうして経営者としての自活を模索して来た中で、自分の中に内在する「尊徳的なもの」と、やっと出逢えるタイミングが来た気もする。

 テクノクラート=仕法家、実践主義者という性質も、実は私のカウンセリングスタイルには色濃いと思う。

(中井久夫先生自身が、こうした二面性の両立の上にはじめて才能を開花できた先達と理解している)

 私は、経験に即して書物を理解しようとはしても、書物に即して経験を理解することには、ストイックなまでの警戒心が強い人間だとは思う。

 書物を自己流に「ひとりよがりに」読むことへの警戒心も強いつもりだけれども。

 

「大船でフォーカシングを学ぶ会」追伸

 既に告知させていただきました「大船でフォーカシング学ぶ会」ですが、すでに複数の方にお申し込みいただきました。ご賛同いただきまして誠にありがとうございます。


 この前お書きしましたように、

●フォーカシングにはじめて接する方のための気軽な入門講座

●すでにフォーカシングをお学びの方が、気軽にリスナー・ガイドを見つけるための出会いの場

この2つの性格を併せ持つ場にしたいと思います。

 人数の寡多に関わらず、この試みは、ひとつのオープン・スペース的な意味を込めて、継続的に日程を組むつもりです。

 1回目、6/3(日)が日程が急過ぎてご無理という方でも、すでに2回目、8/5(日)の分も受付させていただきますので、どうかお気軽にお問い合わせ下さい。

(意外に思われるでしょうが、当カウンセリングルームは平日の方が、一般カウンセリングを含めて、定期的な予約のお客様がずっと多いのです。開業時間を12:30-20:30とさせていただき、社会人の皆様への便宜をおはかりしていることも大きいのだと思いますが)

またもやうちのペットの「あゆさま」が失礼しました

 まだ、日本語に全然なってませんね(^^;;;;)

 もう少し「お勉強」させるまで書き込み禁止処分にすることも考慮します m(_ _)m


Blogpet070514a

......わかったわかった(^^;;;)

Yココログの(BlogPet)

きょう、バナナもblogした?
こういちろうはシーズンがblogしたいです。


「カウンセラーこういちろうの雑記帳」週に一度の恒例、@N I F T Yココログの、日曜.



*このエントリは、ブログペットの「あゆさま」が書きました。

2007/05/13

「大船でフォーカシングを学ぶ会」

 私もそろそろオープンな催しを立ち上げてみることにいたしました。

タイトルは、考えた挙げ句、

「大船でフォーカシングを学ぶ会」

といたしました。

「大船でフォーカシングを学ぶかい?」

とも読めます(^^)


日時:6月3日(日)13:00-17:00
場所:湘南フォーカシング・カウンセリングルーム
(JR大船駅西口[大船観音側]徒歩10分)

※JR大船駅までは、
東海道線普通で東京駅から、
湘南新宿ラインで新宿駅から、
各45分

※地図はこちら


講師:阿世賀浩一郎

臨床心理士
The Focusing Institute認定トレーナー
/フォーカシング指向心理療法セラピスト
/コーディネーター(トレーナー資格認定資格者)

会費:1500円(茶菓子代込み)

 フォーカシングに関心をお持ちの方でしたら、初心者でも歓迎いたします。

 すでにフォーカシングをお学びの方に、フォーカシングのパートナーを見つけていただく場にもなればと思っています。


定員:6名様(これ以上増えた場合には、「入れ替え制の2部構成」にいたします)

※すでに「個別指導コース」などで本ルームを利用されている方の参加も歓迎いたします。

※内容は、おいでいただいた方のニーズに基づいて柔軟に判断します。セッションになるか、フォーカシングについての入門的小セミナーになるか、藤嶽法などのグループでできる実習にするか.....


●お申し込み・お問い合わせ:

FAXまたは電話で、湘南フォーカシング・カウンセリングルームまで

※一応、「2ヶ月に一度、第1日曜日」に今後日程を組むつもりです。
 人数が集まるようでしたら、2回目以降、大船駅の近くで場所を借ります。

母の日に感謝をこめて(今日のテーマ)

BlogPet 今日のテーマ 母の日に感謝をこめて
「今日は母の日です。普段なかなか言えない感謝の言葉をブログで伝えましょう」
 父が経理の世界で思う存分腕を振るえて来たのも、母あってのことです。干渉し過ぎることもなく、甘やかし過ぎることもなく、まるで空気のように淡々と「そこに-いる」スタンスをずっと保ち続けて来た母のプレゼンス(存在感)こそが、私が学んで来た、最も貴重な生き方のような気がしています。どうか、こういちろうが、40過ぎにして、第3の「青春期」に踏み出し、新たな幸せをつかむまで、末永く見守って下さい。(^^; 今でも、実は、幸せな生き方をしているのだと,肝に銘じておりますが)

Rei070513a

先週の人気記事ベスト20!!(07/05/6-12)

「カウンセラーこういちろうの雑記帳」週に一度の恒例、@NIFTYココログの、日曜日-土曜日の「週ごと先記事別アクセス解析機能を使っての、先週の記事アクセス「ベスト20」の発表、44回めです。

 固定リンクでのアクセス率の順位から集計しています。アクセス数が同じ場合には、訪問者実数上位の記事を上位とし,訪問者実数も同じ場合にのみ、同じ順位として掲載します。
 7×24時間、つまり5/12日(土)24:00の時点での集計です。

 それでは発表!!

 先週の一週間の総アクセス数、延べ2,306(前回3,063)。(一日平均アクセス329.43。前回437.57)、

 訪問者実数は、1,624名様(前回2,182名様)。

 過去2週間から比べるとかなり減りましたけど、それ以前の数週をノーマルなペースとみれば、全く堅実そのものといえるかと思います。今の私の感覚だと、350前後を目安にしているのが自然かなという印象。

 「トップページへの外部からのアクセス」、前回695(36.4%)に対して、今回。616(41.5%)
 「サイト内移動」、前回664(34.8%)に対して今回522(35.2%)


 当ブログの「一限さんでない率(リピーター率)」、これは同じ人が一度に「何ページ」記事をお読みになったかと無関係な訪問者「実数」比に基づくもののようですが、前回も今回も7.5%

 「訪問周期」は、毎日おいでになる「完璧常連様」は前回と同じ9名様

 このあたり、全体数の変化と無関係なあたりが興味深いです。


 それでは記事別ランキングの方の発表!!


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1. 受験生の受難は必至だって、わかる人には聴かなくてもわかるのにな.....(および、「モスキート・トーン」「オーディオ機器のエージング」について) (→)

2.「開業カウンセリング」ではなくて、「私設心理相談」!? NEW!

3.奥華子の"TIME NOTE" (↓)

4.患者から学ぶ (→)

5.インシュレーターは使わないに越したことはない(↑) 37週連続

6.欝とは、自分が無理をしていることを認識できなくなる時期にすでに始まっている(→)38週連続

7.「曝(さら)される」ストレス NEW!

8.「2007年5月」のバックナンバー (↑)

9.ここ数年観た「映画」の最高傑作 -時をかける少女- (↓)

10.奥華子の"やさしい花の咲く場所" NEW!

11.前も右も後ろもayu様。 -"Secret tour"横浜アリーナ2日目公演- NEW!

12.先週の人気記事ベスト20!!(07/04/29-5/5)

13.Windows Madia PlayerをHDCD対応に設定する方法 NEW!

14.テクノクラートとしての請負い民主政治家 -二宮尊徳についての壮大なる誤解- NEW!

15.日本のスクールカウンセリングは確実に深化している。 NEW!

16.「ケーススーパーバイズ」とは何だろう ~入門編~ COME BACK!!

17.オーディオにおける接点復活剤について(↓) 20週連続

18.オーディオテクニカとエヴァンゲリオンのコラボ!! NEW!

19.バックナンバー COME BACK!!


20.ディック・ミネ、「瀬戸の花嫁」を叱るの巻 COME BACK!!


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 今週は、一度首位を取ったら今後長期間にわたって覇者を堅持しそうな「モスキート・トーン」「エージング」記事が、先週ほどの異常さはないものの、他を引き離しているのを別にすると、先々週からの継続ランキング入り記事や「同一順位」記事が比較的多く、変化が緩やかな週だったと思います。

 突如先週に始まった奥恵子さんサイト化はおいでいただく読者の数の点でも持続的なものになっているようです。彼女のファンサイト探してこのブログにおいでの方......どうか、引かないで(爆)今後もどうかよろしく。

 コメントを気軽に書いて下さる方が増えてきたのも嬉しいことです。掲載まで少しタイムラグが出る場合があることをお許し下さい。

 何か、今週は、我ながら、私の、ジャンルの広がりが大きいのにこだわりのある「渋い持ち味」(????)がバランスよく発揮できた週かもしれないと、自分でそれなりに納得しています」(^^)

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 これを書いている「今、この瞬間」(5/13 AM 0:37)までの当ブログ文章記事の延べ総アクセス数)は、159291、プロフィールとフォトアルバムを含めると182268、ブログの通算記事数はこの記事で853本めです。

 今後とも、「カウンセラーこういちろうの雑記帳」を、よろしくご贔屓(ひいき)に、お願い申し上げます。

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2007/05/12

キーボード小脇に抱えた「吟遊詩人」 ~奥華子のインディーズ時代~ (第2版)

 彼女の音楽への探究は、遂に私としてははじめての、インディーズ時代の、現在入手可能なCDを5枚とも入手という方向に進むしかなくなったわけです。「奥華子Vol.1」~「Vol.4」各4曲入り(各\500)、「vol.best」(\2,800)、このサイトで通信販売しています。

 ORICONの記事によれば、

 奥華子は、小柄な身体で背中にCD、両手にキーボードとアンプを持ち歩き、各地の駅前で路上ライヴを行ってきた。渋谷から始めた彼女の路上ライヴは、船橋、柏、津田沼など彼女の出身地に近い場所で行うにつれ、話題が話題を呼び、1日のCD売上枚数が最高で488枚を数えたこともあったという。

 キーボードによる弾き語りこそ彼女の原点。既に発売されている2枚のアルバムと同じ曲もすでにこれら5枚のCDに多数納められているわけですが、はっきりいって、この5枚の段階で、メジャーデビュー後の彼女の彼女の歌と演奏の魅力はすでに「達成」されていると言い切っていい。

 録音もナチュラルでたいへん聴きやすいし、彼女の澄んだ声の表現力(裏声の巧妙な使い方を含めて)もすでにこの段階で、現在の水準と何ら遜色がないではないか!!

 これはもう脱帽ものというしかない。

 むしろ、こうして、弾き語りをベースにするラインを崩さないまま、どこまで行けるかに挑んでいく方が、メジャーのJ-POPシーンに対して果敢な殴り込みであり、音楽性以外何の虚飾もない実力とは何なのかということを音楽業界に振り返らせる起爆剤となるのではないか。

 いろんな楽器やミュージシャンとのセッションは、少しずつ、マイペースで、「そこにしかない音楽的可能性」を自覚するにつれて徐々にアプローチするので十分だと思う。

 例えば、"vol.4"奥 華子 - vol.BEST"vol.best"に入っている奥 華子 - vol.BEST「自由のカメ」なんて、この曲をキーボード一丁で弾きまくり、歌いまくるからこそド迫力の曲なのだと思う。ライブでやるとこれ一曲で燃え尽きそうなすごい曲だが.....

 フォークギター一丁で、あるいは流しの演歌歌手がギター一丁で大衆を魅了した世界こそ、日本に限らす、ポピュラー音楽の原点ではないかと思う。

 存在そのものがジャンル越境的なのだ。敢えて「クロスオーバー」などといわなくてもいい。

 シンプルに、ミュージシャンがいるのだ。


 キーボード小脇に抱えた「吟遊詩人」。


 .......このイメージに彼女を縛ることはしたくないという気持ちと、

 早まるなよ、焦るなよ、という気持ちが、

 どうしても交錯してしまうのであった。

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(「奥華子 vol.1」 ジャケット)


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 ちなみに、彼女の声とキーボードにシビれたい人向けヘッドフォンとしては、以前ご紹介した、ALESSANDRO MUSIC SERIES PRO以上の機種は、世界にないかも......

 この商品、なにせ手作りということもあり、しかも日本への入荷ルートが限られているので,かなりの入手困難品です。こちらからも購入できます。

 もともと女性ヴォーカルの艶めかしさは絶品で、しかもピアノなどのアコースティックソースの空間表現も最高ですので。彼女の声の高域端のピーク成分の魅力を異様に引き立てる筈かと。

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オカン?お母さん?(今日のテーマ)

BlogPet 今日のテーマ オカン?お母さん?
「あなたは母親のことをなんと呼んでいましたか?教えてください。」
 「お母さん」ですが、小学校2年生の途中までは「かあちゃん」でした(^^;)ある日突如母親に「お母さん」にする!! と宣言していきなり変えたのを覚えてます。ちなみにその当時、先生からの「家で何と呼びますが?」との問いに、クラスで2名だけが「かあちゃん」で、圧倒的大多数は「お母さん」でした。「ママ」はただひとり。みんなから「赤ちゃんみたい!!」とはやし立てられていました。.....1960年代半ばの地方都市でのお話です。

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2007/05/11

あゆ初競り:暖冬の影響で生育良く

 何か今日は昨日の生ayu様間近で拝見の余韻を引きずっているのか、記事が軽量化していますがお許しを(^^;;;;)

.......もちろん、これは「鮎」様のことです(msn=毎日)

 .......もとより、地元の皆様にとっては、自然が「季節の巡り」に従って天の恵みが得られるか否かは生計のかかる重大事なわけでしょうし。

 関東も今のところ順当に次第に暑くなり(昨日は風が凄くて、電車、動いてるよね??? でしたが)、私の相談室でも季節に合わせて和名「テッセン」=「クレマチス」の鉢植えを入れました。

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 長持ちさせようと思うと、ずっと室内というわけにはいかないかもしれないので、ベランダのそばの日当たりのいい場所において様子を見ようと思ってます。

こんなところでavexが.....

 avexとソフトバンク(球団)の提携は知ってましたけど、こういう形ででもあるとは知らなんだこういちろう。

●マスコットガール:“セクシーキュート”VS“正統派” セ・パ首位応援団(msnニュース)

 「ハニーズ」は今年3月、“新生”ハニーズとしてデビューした。昨年までは地元のダンススクールに委託してメンバーを公募していたが、今回はアーティストの開発、育成を手がけるエイベックスのグループ会社「エイベックス・プランニング&デベロップメント」と提携。350人以上の応募の中から19人が選抜された。

 ダンスパフォーマンスでは、倖田來未さんのライブなどでダンサーとして活躍中のSHINTAさんを講師に、ヒップホップやアクロバティックな動きも取り入れたハイレベルな動きを展開。完成度を上げるため、メンバーは2月半ばから1日8時間にも及ぶ練習をこなしてきた。ファンの心をつかみ、福岡市の西鉄福岡(天神)駅で3月末に開かれたイベントでは人だかりができた。「衣装はどこかで売ってるの?」「写真集やDVDは出さないの?」といった問い合わせが相次いでいるという。

 ......こういう点ではさすがに戦略がうまいね、まったく(^^)

.......そうか! ayuの今やってるツアー、落日が福岡
だったのは、ayuのふるさとだから、とシンプルに考えていたけど、ソフトバンクとの提携も関係していたのかな?

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バナナはおやつに入ります(今日のテーマ)

BlogPet 今日のテーマ バナナはおやつに入ります
「遠足シーズンですね。あなたの学校ではバナナはおやつに入りましたか?おやつはいくらまででしたか?」
おやつではなくて「お弁当」の一部と解釈されていたように思います。おやつは....200円ぐらいだったろうか?(1970年ごろ。小学校)

2007/05/10

前も右も後ろもayu様。 〜"Secret tour"横浜アリーナ2日目公演〜

 さすがに、「5回目」(しかも昨年が3回!!)となると、思わず、


♪今年もひとつ季節が巡って♪浜崎あゆみ - Duty - Seasons


......といいますか、月日と季節の流れをayu様を拝むたびごとに自覚するというか、

「そうか、正月(カウントダウン)からもう4ヶ月以上もたっているのか.....」

という感慨にふけるこういちろうである。

 ayuの今年の”Secret Tour"は代々木がない。その代わりに、横浜アリーナが5公演もある。

 これは、海外公演の会場そのものが6000人規模であり、ツアーのステージそのものがそれくらいのサイズを想定して組まれたということも大きいのではないかと思う。

 ともかく横浜アリーナははじめてであった。センター席の椅子も代々木よりも上質である。もっともわが大船から最寄りの新横浜までは、乗り継ぎ良好でも35-40分ほどは見込まねばならない。
 
 しかし今回の私にとっての目玉は、席が抽選である限り、ひょっとするとこれから2度とないかも知れないくらいの席運であると予想されるという点に尽きていた。

 横浜アリーナがセンター席「A1」ブロックをまかりまちがってひねくれた位置に設定していない限り、いくらステージと客席の間にかなりの空間がとってあるといっても、最短の瞬間にはayu様は25mを切るラインまで接近するのではないかと控えめに予想していたが......?

 ......もっと近かった(^^)。

 ステージセンターの定位置でお歌いの場合に「対角線」15m。エンリケさんの側まで寄ってきて歌うと、目の前3席、10m以下。例の張り出しステージへの中道(花道)まで右に8席。これも最短で10mぐらいでしょう。例の回転張り出しステージははるか後方(ほとんど真後ろ)15メートル以上!!。

(この主観的距離感、大げさに言うのは趣味じゃないので控えめに書いておいたのですが、横浜最終日に再度その席の位置を観察しなおした結果、「もっと距離的に近かった」と判断して短めに修正!!)

 変な比ゆですけど、何か「学芸会」ぐらいの距離感でayu様のステージにご拝謁したという印象。お化粧の肌へののりまで感受できる距離感です。

 このくらいの距離だと、ayuさんに思い切り手を振ると、その直後にayuさんがこっち向いてちょこっと手を振ると「自分向かって?」という心地よい錯覚(illusion)を感じられるからウレシイ。

 ステージの高さがあるので、ぜんぜん人の頭が邪魔にならないで常時ayu様の全身像がみられる位置です。もちろん今回は双眼鏡をまったく使ってません。 

 しかし、この距離感、目の前十数メートルに聳え立つPAのスピーカーの音がダイレクトに飛び込むのに加えて、これまた目の前20mの前田さん(追記:江口さんの誤り)のドラムスの直接音で、アンコールまでの合間には耳の中に綿が詰まったみたいなツーン感覚におそわれるし(やっぱり、もう少しスピーカー改善できるよ。音割れ過ぎてます)、逆光の照明は直接目に入る、ステージ上での爆発音とかはぎょっとする近さでびっくりたまげる、"independent"恒例のなげられたボールは頭の上を通過する、張り出し円形のステージにayuやダンサーが行ってしまうと、なんだか背景の一部として「見捨てられた」「取り残された」気分になり、応援や掛け声に熱がはいりにくくなる......ナド、一種あわただしい状況におかれ、ご満悦とばかりではないものだなと思ったしだい。

 何か、背後の数千人の聴衆の「怨念」が「気」になって伝わるのか(^^;)、ステージの照明やアンプとかの放熱もあるのか(マジに炎の演出では放射熱をもろに感じた)、異様に暑いと感じていたら、ayuもアンコールのSEに入るなり、「今日は暑くない?」とのたまわれ、プログラム本番のラストの"audience"では、汗が目に入って前が見えなくて困ったとおっしゃったので、空調のせいもあったのだろう。

 もとより、例のクス球の中のキンキラテープは嫌が応にも頭上に降ってきまして、大量採取(風船がなかったのは残念だが)。字体が全部同じなので、印刷されたものみたいですけど、裏には"Asia is One"というayuのサインが入ってますので、皆さん安易に捨てないようにしましょう。

Asiaisone_1

 でも、曲目的には、今のayuの声で聴きたかった,しばらくステージで聴けなかった以前の曲のいくつかも、今のayuの「通る声」で聴けたし(皆さんの楽しみのためにナイショ)、新アルバム最愛のmomentum"momentum"を「ああいう形」で聴けたのはうれしかったし(次のアルバムのリミックスとかに入れてくれるとうれしい)。

 (今、リンクをお張りした"momentum"のプロモーションビデオについてのこの記事多くの人が見逃して来たポイントを指摘した自信作と思ってますので、未見の方はぜひどうぞ!!)

 それに何より、今回のライヴ、いよいよこの人の体力はどうなっているんだろうという感じのステージの急展開にも満足(ステージから奈落に消えたと思ったら出てくる。その合間が"(miss)understood"tourよりずっと短い気がした。そりゃ、「中国人もびっくり」のタフネスさだったことでしょう)。お元気そうで何よりでありました。

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......さて。これですでにayu様とのご拝謁スケジュールは、今のところ今年は確定分で残り2回か(^^;;;;;)。

 この際もっちん愛ちゃんにもさわりだけでも拝謁することにしましたので......

 .......ああ、その頃にはまた、季節は巡って......

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 ↑今回の獲物のひとつ。"Secret"ayupanでっす。


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おいおい。

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わかったわかった!!

2007/05/09

Windows Madia PlayerをHDCD対応に設定する方法

 意外とこの件については情報がないと見えて、本日も既にこの件で3名様検索でおいでいただいていますので、解説します。

 ここではVista版のVer.11をもとに解説しますけど、基本はVer.9以降は同じですので。


1.Windows Media Playerを立ち上げる。
2.「ツール(T)」→「オプション(O)」→「デバイス」→「スピーカー」をクリック。
3.これで「スピーカーのプロパティ」が開いているはずです。
 ここの「パフォーマンス」、「オーディオCDに24ビットオーディオを使う」にチェックマークを入れる。(デフォルトではオフになっています)

Hdcd

4.Media Playerを一度閉じて再度立ち上げる。(忘れずに!!)


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 なお、一部のサウンドボードでは非対応の機種もあるらしいですが、私は巡り会ったことがありません。数年前私の勤務していた大学のNT4.0のパソコンですら対応していました。

 USBの外付けサウンドボックスやUSB端子から電源や音声をoutputするタイプのスピーカー、ヘッドセットでも対応機種が「多い」ようです。

 もっとも、このあたりの「機種別の対応」についての問い合わせとになると、ほとんどのお店の店員さんに知識がないものとお覚悟のほどを。

 なお、私はMacの機種で、HDCDに対応する方法があるという情報を持っていません。MicrosoftがこのHDCD規格の特許を持っているPacific Microsonics(PMI)という会社そのものを買収していますから(^^;)

(このPacific Microsonics社買収についての古い記事はこちらに今もあります) 

 ちなみに、自作ファンの皆様のために申し上げると、HDCDデコードのみのチップというものはこの世には存在しないのですね。DACのチップに最初から組み込まれているものなのです。DVD用のDACのチップは、シスコン用、携帯DVDを含めて「かなりの場合」これに対応しています(これもすべてではない)。

●Microsoftサイトの「HDCDについて」

Adobe CS3

2007/05/08

イリオモテヤマネこういちろう、同胞の生存に喜ぶ!!

Msn=毎日より。

ツシマヤマネコ:自動カメラで生息確認 環境省と長崎県

またもや、

♪祝い目出度(めでた)の若松様~よ
 鶴と亀とが舞い遊ぶ♪

と舞い踊るこういちろうであった。


(「あゆさま(←)」も踊れ!!......「踊れ?」と答えるのが関の山か....)

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「 祝い目出度 」についてはこちら


 やっぱり、この種のことになると、伊澤雅子センセも出てくるのだな、というのも嬉しい、こういちろうであった。


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 それでは、対馬下島でのツシマヤマネコ生存にエールを送る意味で、私の大好きな野ネコ写真を、こっちにも掲載します。このブログでは縮小版はおなじみですが。

Oyasumi_2

.....野良猫の集団昼寝......なんですね(^^;)。実はこれも部分写真に過ぎず、実際には20匹近い猫が直径1メートルほぼ円形にとぐろを巻いて寝ていました。

 日こそ照っていましたが、真冬なので、こうやって身を寄せ合って寒さをしのいでいたわけですが、真ん中あたりのネコは楽チンなあまり、こんなあられもないポーズになっていたのでありまする。

Bloglog070515a

.......わかったわかった(^^;;;)

奥華子の"やさしい花の咲く場所"

奥華子/やさしい花の咲く場所

    1. 雨あがり
    2. 魔法の人 
    3. 月のそばで眠りたい
    4. そんな風にしか言えないけど
    5. 帰っておいで(JR東日本「エキナカ」CFソング)
    6. 窓辺(講談社・短編集「私らしくあの場所へ」コラボ曲)
    7. 春風
    8. 恋つぼみ(NHK「みんなのうた」)
    9. リップクリーム
    10. きみの空
    11. 鳥と雲と青
    12. やさしい花(JA共済「介助犬」CFイメージソング)

(ポニーキャニオン PCCA-2226)

 セカンド、”TIME NOTE”との、私にとってはかなり劇的とも言える出会いを受けて、続いて購入したファースト・アルバム。

 こういうケースで、時間を遡って曲に接する場合、ファースト・アルバムの諸曲にまずは接して、セカンドに接した人だとどう感じるのかという形で、自分のものの感じ方を相対化しながら聴くことにもなり、もう少し時間が経過して、ファーストの方の曲とセカンドの方へのなじみぐいあいの格差が解消してからでないと、後で振り返るととんでもなく勘違いの感想を書きかねない。

 そういう点で、今の段階ではいろいろ留保した次元のことしか言葉にできないのだけれども、控えめに言って、彼女の個性と魅力は、セカンド、"TIME NOTE"の方が遙かに鮮烈に現れているとはやはりいいたいように思う。

 2枚目のアルバムにおいて、彼女のキーボードと歌のみを徹底的に音録りの上でもフォーカスをあわせ、これらを「引き立てる」場合に限定して他のパートを、実に慎重に、彩りとして付け加えるというのに近いアプローチになったのは、こういう推移があったのね、とはいいたくなった。

 つまり、キーボードという音の背景だけで彼女の声が浮かび上がる、「隙間」というか、「風通しの良さ」が生じた時にはじめて生じる、ある種の「沈黙した空間」の余韻のようなものが、彼女の歌の生命を握っている気がしてならない。

 とおりいっぺんの編曲でバックの空間を「埋めて」しまうと、一見口当たりは良くなるかもしれないが、彼女の曲と歌の個性は「埋もれて」しまう。彼女の歌が浅い次元で、どこにでもある曲として「消費」されるに留まってしまう危険があったとも言える気がするのである。彼女の歌の生命が短くなる。

 その意味で、2枚目のアルバムの、編曲上の大胆な決断は全く正解だったと私は思う。

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 もっとも、このことを断言してしまうことは留保したい。私としてはここまで踏み込むのははじめてのことなのだけれども、インディーズ時代のCDのうち現在も入手可能なもの、5枚をすべて購入すべく予約した(4800円で済みます)。デビュー後のシングル初発も集めてみるつもりである。

 2枚目までのアルバムの曲のいくつかはすでにこれらのCDに少なくとも原型は収録されている。恐らくそこでは素朴な形で、彼女の歌の原点に接することができるはずである。そこまで聴いた上でなら、この2枚のアルバムを公正なパーズペクティヴで眺められるだろう。

 ただ、私個人は、編曲のことを度外視しても、2枚目の諸曲の方に、深みと陰影の濃さを感じる気が、今のところはしています。

TSUTAYA online

「曝(さら)される」ストレス

 以上の内容は、

「開業カウンセリング」ではなくて、「私設心理相談」!?

への私のコメントの一部を、繰り上げ再掲載したものです。

 初期のコメントから大幅増補されてもいますし、多くの読者の方に(改めて)読んでいただく意味があると感じましたので。


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 報道というのは、常に個人の身に生じたことが匿名の大衆に公開されるという側面があります。

 報道の対象となるというだけで、極論すれば、それが例えば

「港区民一気飲みコンテスト in 六本木で濱崎歩さん(28)が優勝した」

 というような記事ですら、報道対象となる人にとっては『ストレス』になる場合があることになります(^^)

 私も、そんなに多くはないものの(^^;),自分のことが雑誌などで取材を受けた、新聞で実名の投稿が掲載されたりするだけで、自分というものの自然な「現実感覚」みたいのものがかすかに「ゆらぐ」ことを何とかコントロールしようとしている自分を感じることがあります。

 たいていの一般の人にとっては、自分が、放送されているテレビの画面に現実に映る機会があれば、半日は少し「おかしくなってる」と思います(^^;)マスコミに関わって、「現実との遠近法」を見失わず、身を持ち崩さないというのは、実はそれだけでたいへんな自我の力を要することと思います。

 こういう次元まで考慮に入れると、「報道」というものと「個人情報保護」というものの間には,常にある宿命的なディレンマがあると痛切に感じます。

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 少し次元は違いますが、今では、クライエントさんの事例について、ご本人の許可を得ないまま、クローズドな学会であっても発表することをしないという原則があります。

 これはある意味でもっともなことなのですが、仮にご本人と話し合って、ご本人の納得がいく発表内容にして、内容に差し支えない個人情報は特定を避けるため「改変」や「曖昧化」「一般化」したとしても(例えば「"鎌倉市"を"K市"とすべきではない」というところまで決まりがあるんですよ!!)、それを発表するとなった時点で、クライエントさんのカウンセリングは「プライベートな」ことでなくなるわけです。

 そのことがクライエントさんに与える微妙な影響ということを考えると、ご本人の承諾を得るというシステムが常にクライエントさんの利益であるとだけ言うのも一面的と思います。

 事例発表の対象として選択するということは、いくら終わった事例で、匿名性は保証されていても、それだけでクライエントさんを「カウンセラーにとっての特別クライエント」にしてしまう危険をおかしてもいる。

 つまり、事例発表について承諾を求めるという行為そのものが、新たな「転移状況」へとクライエントさんを焚きつける危険もあるわけですね。

 デリケートなクライエントさんの場合,自分の事例が発表されたという事実を「快く承諾していた」としても、それがストレスやその後の人生へのプレッシャーになる可能性がある、ということになります。

 (極端な実例としては、フロイトが「狼男」の症例について、実は「中立性」「禁欲」の原則をものの見事に破っていて、生活費の援助までしていたし、その後の「狼男」の人生が、まさに「フロイトの患者であったこと」以外にアイデンティティが見いだせないものになってしまった悲劇は今日よく知られるようになりました)
 
 そういう意味では、発表について受諾してくれるものの、「内容には干渉しません。見せていただかなくて結構です。お任せします」と言ってもらえるのが一番ほっとさせられる形ではあります。

 でも、本人が発表内容を事前に知る「権利」は保証されるべきという点については、私の基本姿勢であり、「発表についての事前承諾」とは「閲覧権」を含まない、という解釈はどうみてもおかしいと思います。

 現実の学会事例発表でも、クライエントさんが発表内容に目を通した際にカウンセラーに返してきた具体的感想までご報告下さる発表者も増えています。そうした発表は、うかがっていて気持ちのいい充実した内容のものが多い、とは、私の印象からは言えます(^^)

 いずれにしても、クライエントさんの承諾を得るということが,実はクライエントさんの尊重のようにみえて、実はカウンセラーがクライエントさんに訴えられないための「自己防衛」としてなされる側面も自覚しないままに、安易に承諾を求めるようでは、これもまたデリカシーがない。

 仮に本人が内容を知ったとしても、全然良心に恥じない場合にしか発表しない、という基本的態度は一般化して欲しいと思ってはいます。

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 私の場合は、面接のお申し込みの際に署名付きでクライエントさんと交換する「個人情報の扱いについての申し合わせ」についての誓約書の中で、敢えて「学会発表や論文に書く場合」、それどころか「事例検討会に出す場合」について、守秘義務がどういうシステムで守られるかまで具体的に明記することにしました。これは、専門家が学術研究や研修のために事例に基づき「何をしているか」そのものを公開してしまい、そのことについて理解していただけた場合にのみカウンセリング関係を始めるということによって、そうした「ストレス」を事前に予防することも考えてのことです。

 しかし、今度はそういうことを明示することによって、面接申し込みに二の足を踏む皆さんを生み出していまいかといわれれば、そうかもしれないということになりますね。

 結局、この種の問題は、「こうすればその人の安全と人権を守ることになる」とある観点からのみ決めつけたとたんに、別の副作用が看過されやすいという、果てしないジレンマ全体をどこまで俯瞰できるかということだと思います。

 こうしたことが、私の直面し「続けねばならない」壁だと感じています。

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 蛇足ですが、最近でいえば「硫黄島二部作」などの戦争映画で、敢えて残虐なシーンがそのまま描かれるようになったことは、それを見た瞬間はショックであっても、戦争体験者のストレスを疑似体験する上では大事だと思います。


 私は,基本的に、暴力描写を制限するあり方全体に、ある欺瞞性を感じます。暴力描写に一番神経質な国がアメリカであるということそのものに、私はアメリカという国家の基本的な歪みを感じてしまわざるを得ない。原爆の被害展がスミソニアン博物館で開かれることをが中止になったいきさつと同じと感じます。原爆投下が戦争の早期終結に必要だったと主張するのなら、そういう展覧会を実際に観てもその主張ができてこそ「理性的」なはずです!そういう人自身が、実は自分の、そして人間の理性を実は信頼していないことの証拠です。

 それこそ、フィクションの世界で感性を自由に解放でき感化されながらも、現実の人との関わりでは、ある節度と思慮深さと人への思いやりを失わない人間こそ、「理性的で、自我のしっかりした」人間なのであり、青少年もそうした方向にこそ育てるべきなわけでしょうし。テレビで暴力描写を観ても実際には暴力を人に振るわない人間にこそ育ってもらわねばならない。
 

 「この映画には、過激な暴力シーンがあります」ということを事前告知したあとは、お金を払って見る人の(少なくともそれを見せる大人の)自己責任と思います。

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 戦争のPTSDの問題はやっとここしばらくの間に認識が深まって来ましたが、このことの大変さについての認識が広がると、それだけで誰も戦争を望まなくなると思うのですが。

 最近ある情報で接して,今度もう少し調べてから取り上げようと思うのですが、ナイチンゲールがクリミア戦争の従軍から帰還した直後に10年近く療養するしかなくなったのは、PTSDの側面が強いようですね。

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 最後に。

 戦争でなくても、ひろい意味で、医療や援助職・福祉職に関わる人間は、独特のストレスフルな状況に耐えている。そのことだけでもケアが必要な次元で。そうしたことへの認識、以前より高まりましたけど、まだまだと思います。

 私の仕事の重要な部分は、そうした援助的専門家「自身のための」メンタルヘルスであることを、明確に位置づけています。

 そうしたご相談を、率先してお引き受けしています。

2007/05/07

気分転換(今日のテーマ)

BlogPet 今日のテーマ 気分転換
「休みムードが抜けきれない連休明け、あなたの気分転換方法を教えてください。」
 歴史の本を読むことです。漫画や週刊誌、テレビを見ること以上に、私の気軽な息抜きです(^^)


 ちなみに、私が現在同時進行で交代交代に読み進めている歴史系の本は以下の4冊です。(歴史系の本だと、私はこういう読み方ができますし、自然でもあります。このくらいの量だと、一週間で消化でしょう)

飼い主より(^^;)

 このたびは、うちの飼い猫の「あゆさま」が、つたなくぶしつけな書き込みを勝手にいたしまして、皆様のお目汚しになってしまいました(^^)

 まだつたない言葉しか使えませんが、今後とも、週に一度、大目に見てやってください


(BlogPetや、昔のPostPetの仕掛けをご存知の方には申し上げるまでもないでしょうが、このブログには、インターネットに普段かなりなじみのない皆様......主として「ベテランの」フォーカシング関係者.......も来られますので、念のため。)


「開業カウンセリング」ではなくて、「私設心理相談」!?(第2版)(BlogPet)

あゆさまがスタイルblogするはずだったの。


*このエントリは、ブログペットの「あゆさま」が書きました。

2007/05/06

日本のスクールカウンセリングは確実に深化している。

 今日は、三度めの正直(^^;)、神奈川臨床心理士会の研修会にやっと無事参加できました。

 スクールカウンセラーのための研修会です。

 もっとも私は,今年は「エントリー」のみで、今のところ実際にはスクールカウンセラーとしては赴任していません(神奈川県はすでに需要を供給が上回る先進県の一つです)。しかし、今後地域に根をおろして行くつもりですし、来年以降のことも考え、参加しました。

 自分に取って未知の世界が待っているかと思ったら、意外にも、そこで語られている臨床の姿は、少なくともここ数年出た、どんなカウンセリングの研修会よりも,自分の「肌に合う」といいますか、私が私なりに大事にしようと射程を定めつつある現場臨床の方向性を、すでにこれだけ現場で具体的に実践され、方法論としても洗練させて研鑽をお積みのカウンセラーの先生方がいて,非常に刺激になる内容ばかりが出て来ることで、何とも勉強になった数時間でした。

 日本のスクールカウンセリング事業の現場の常に前線を走られてきた、鵜養(うかい)啓子先生のレクチャーも、徹底的に現場的・実践的でありながら、それを普遍的な臨床的叡智と統合して方法論化する洗練度は,感服させられるばかりでしたし、シンポジウムでの各世代の代表的スクールカウンセラーの先生方の報告も、「したたか!!」「寝技師!」といいたくなるんですよね、現場感覚的に。まさに「現場請け負いテクノクラートの鑑(かがみ)!!」といいたくなる。

 ちょっと私の感覚も変わって来たというか、これなら、むしろ、スクールカウンセリングこそ、臨床心理士としてのベーシックな修行の場となり、それから、病院臨床を含めた他の領域の修行をするくらいの方が,カウンセラーもしたたかで現実感覚あふれ、周囲と不要なもめごとをおこさない知恵と機転と社会性や交渉力もある、逞しい存在になれるかもしれないとすら感じました。

 もとより、鵜養先生や、神奈川のスクールカウンセラーの水準の高い人たちが、まさに日本の最前線といっていいくらいに経験値が高いのかもしれませんが。

 こういっては語弊がありますが、私が3年前まで関わっていた、大学学生相談の(3年前の時点での)最前線よりも、スクールカウンセリングの少なくとも「最前線」での実践は、すでに奥が深い,凄みも出て来ているのかも。


「スクールカウンセラー自身が、よわって,困ってしまってはならないのです」


 私が今日一番印象に残った言葉。シンポジストの中堅スクールカウンセラーの方が言われたのか,コメントで鵜養先生が言われたのか、記憶がはっきりしなくなりましたが。

(ホントは,参加された方がみんな覚えておられるでしょう、スクールカウンセラーの先生自身が最初に自分から使われた表現を引用したいのですが、それだけここで書くと絶対誤解を呼ぶので(^^;))

 この言葉に、思わずムフフと感じる臨床家が、ひとりでも多からんことを!!

 私の「私設心理相談」の上でも、今日学んだ、いろんな技を「盗ませていただこう」と思います(^^)

 

先週の人気記事ベスト20!!(07/04/29-5/5)

「カウンセラーこういちろうの雑記帳」週に一度の恒例、@NIFTYココログの、日曜日-土曜日の「週ごと先記事別アクセス解析機能を使っての、先週の記事アクセス「ベスト20」の発表、43回めです。

 固定リンクでのアクセス率の順位から集計しています。アクセス数が同じ場合には、訪問者実数上位の記事を上位とし,訪問者実数も同じ場合にのみ、同じ順位として掲載します。
 7×24時間、つまり5/5日(祝・土)24:00の時点での集計です。

 それでは発表!!

 先週の一週間の総アクセス数、延べ3,063(前回2,978)。(一日平均アクセス437.57。前回425.49)、GWでアクセス落ちて当然と思っていたのに、実際には逆。、遂に初の3,000アクセス突破、もちろん過去最高です。ありがとうございます!!

 訪問者実数は、2,182名様(前回2,119名様)と、これまた過去最高記録です。

 「トップページへの外部からのアクセス」、前回647名様(31.4%)に対して、今回。695(36.4%)
 「サイト内移動」、前回664名様(32.1%)に対して今回同じ664(34.8%)


 当ブログの「一限さんでない率(リピーター率)」、これは同じ人が一度に「何ページ」記事をお読みになったかと無関係な訪問者「実数」比に基づくもののようですが、7.6%から7.5%に落ちました。GWですから、普段とおいでいただく層が若干入れ替わったと想像されますので、やむなしでしょう。

 「訪問周期」は、毎日おいでになる「完璧常連様」は12名様から、今回は、9名様に逆戻り。これもGWですからやむを得ないことかと。


 それでは記事別ランキングの方の発表!!

 今週は、上位陣大変動です!!


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1. 受験生の受難は必至だって、わかる人には聴かなくてもわかるのにな.....(および、「モスキート・トーン」「オーディオ機器のエージング」について) COME BACK!!

2.奥華子の"TIME NOTE" NEW!

3.ここ数年観た「映画」の最高傑作 -時をかける少女- NEW!

4.患者から学ぶ NEW!

5.適度に,自分を中心に地球をまわせること。 NEW!

6.欝とは、自分が無理をしていることを認識できなくなる時期にすでに始まっている(↓)37週連続

7.インシュレーターは使わないに越したことはない(↓) 36週連続

8.こういちろう、しょこたんを聴く NEW!

9.「健全野党」の育成 NEW!

10.オーディオにおける接点復活剤について(↓) 19週連続

11.「わかった」とも「わからない」とも安易に言わないことに耐えられること NEW!

12.解体した時間が修復されるまで。 NEW!

13.今後、開業カウンセリングルームの「株式会社」化は急速に進む NEW!

14.「牛」という言葉は現実のウシさんとは何の関係もない。 NEW!

15.「2007年4月」のバックナンバー (↓)5週連続

16.ネットカフェとワーキング・プアと生活保護 NEW!

17.「2007年5月」のバックナンバー NEW!

18.こういちろう、アニメに本格復帰か? NEW!

19.理解「しようとする」と、理解に「近づけない」場合がある (↓)

20.「症状」こそ「自然治癒」の働き、という場合もある。 (↓)


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 「先週のベスト20」は24位でした。


 今週は、「時かけ」と奥華子さんのアルバムという、私としては新境地の2本が、下記の「例外」を除いては、全く順調に、他を引き離して、読者の皆様に読んでいただけました。これは率直に嬉しいです。

 今の私でも、アニメの記事で関心を持っていただけたこと。そして、全く白紙で接したミュージシャンについての感想に、公式ウェブサイトの担当者の方やずっとファンをしておられた方が、コメントでも反応して下さったというのは、何とも光栄なことでした。

******

 さて、今週の「地上の星」というより、「超新星爆発」(???)

 検索ページからの「モスキート・トーン」瞬間大量アクセスによって数ヶ月ぶりに復帰して圧倒的1位とは。ある段階では、トップページへのアクセスより遙かに多かったわけですね。

 「モスキート・トーン」はトレンドなネタだし、オーディオ機器の「エージング」問題についてのまとまった内容でもあるので、古参記事の「インシュレーター」「接点復活剤」と並ぶ、私のオーディオ系3部作として「ベスト20」常連化を早くから予想していた割には、初登場以降あっさり圏外に去るという、期待はずれの展開をしていたのです。

 どころが、5/2-3の深夜ちょうど2時間に、この記事単独で400アクセス、380実訪問者という、超過激な短時集中アクセスで、こうして「華々しく」再登場しました。

 この時の「瞬ワード」などでの、ネット界全体での「モスキート・トーン」の瞬間アクセス増加も見られないので、まさに原因不明のままですが、これだけの瞬間的実訪問者数のアクセスが人為操作で生まれるとは思えず(ほとんどがgoogleサイトよりのアクセス)、いつかブレイクする運命にあった記事が、一度検索エンジンアクセス「最上位」あたりに「はまりこんで」、雪崩式に短時間にアクセス増を果たしたのでしょう。

 その後もむやみに多くはないものの、この記事へのアクセス増の「余韻」は続いていますので、今後はベスト20常連でしょうね。

 この記事に含まれている「エージング」というテーマは、「インシュレーター」や「接点復活剤」以上にオーディオの基本と考えますので、今後人気記事として定着するとしたら、むしろたいへんに光栄です(^^)

*****


 これを書いている「今、この瞬間」(5/6 AM 0:12)までの当ブログ文章記事の延べ総アクセス数)は、156963、プロフィールとフォトアルバムを含めると179734、ブログの通算記事数はこの記事で838本めです。

 今後とも、「カウンセラーこういちろうの雑記帳」を、よろしくご贔屓(ひいき)に、お願い申し上げます。

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2007/05/05

「開業カウンセリング」ではなくて、「私設心理相談」!?(第2版)

 日本臨床心理士会からの知らせにより、私のようなカウンセリングのスタイルは、今後「開業カウンセリング」という言い方はせずに「私設心理相談」というふうに呼ぶことになったそうです。

 「開業という言葉への他業種からの強い抵抗」が理由、ということからしますと、結局、臨床心理士がまだ国家資格になっていないという点が大きな問題だったのだろうと推測しますが、それなら、国家資格化されたら、もう一度「開業」という表現も公的に流通していいという状態に戻してほしいものです。

 だって、「私設」という表現にしたところで、そこに厳格な資格審査の過程があって「臨床心理士」を看板として開業しているわけですから、何かアマチュアが勝手にやっているかのような逆のイメージも誤解として生じかねない気もします。私のように、経営形態を「株式会社」にまでしてしまうと、いよいよ「私設」という表現がなじみにくくなります。すでに「法的人格」があるわけでして(^^;)

 あくまでも、むしろ国家資格化を後押しするための、一時的な「政治的妥協」として、この変更をとらえて欲しいものだと思います。

 カウンセラーが、どこかに雇われているのが「正常形態」であるなんてとらえられても困るし、「夢は独立開業、自分でオフィスを構えて、資格一本で生きられる専門職」というイメージを、それが現状ではいかに障害が大きいとしても、若い人に抱いてもらえるくらいでないと、この「専門職」に就くことへの若い人の夢と責任感とモチベーションにも影響すると思いますし。

*****

 【追記】:あと、「私設」という言葉は「施設」と同じ読みなので、話し言葉だと、これまた誤解の要因になる。「施設心理相談」......ホズピスでのターミナル・ケアみたいに思い込む人も出るかも???。学会では日本中の,言葉のアクセントが異なるカウンセラーが集うのに。.....このことを検討委員会の誰もなぜ問題にしなかったのか不思議ですが。

 はっきり言って,この名称変更提案は、カウンセラー内部では無茶無茶に不評だろうと思います。「個人経営心理臨床」「カウンセリング個人経営」ぐらいの方が,変えるにしてもよかったかも。無料ということはないでしょうから。

 「経営」の文字はむしろ自覚的に入れてもいいかもしれない。カウンセリングを奉仕活動やボランティアと思い込まれない上でもいいかも。

 「開業」して,いよいよつくづく思うようになったのは、人と一つの部屋で対話するだけで1時間で6000円とか10000円いただいて「食べて行く」ということは、世間の人からすれば、よほどのプロフェッショナリティがないと認めてもらえない仕事で当然ではないかという思いです。

 (間違っても、私とのカウンセリングで、私がいつもこのブログで書いているようなことをしゃべくりまくっているなどとは想像しないで欲しいです(^^;) カウンセリングの「ライブ」と,カウンセリング「について語る」ことは、それこそ生身の牛さん「である」こと.....とまではいいませんが,少なくとも演劇で迫真の「牛」役を演じ切ることと、牛「について解説する」ことぐらいに次元の違うことです)

 少なくとも、プロスポーツや俳優と同じくらいには修行のいるprofessionとむしろ見ていただきたいわけで。

 
 
******

 いずれにしましても、6月10日、大正大学で開催の、日本臨床心理士会の「私設心理相談研修会」には参加させていただく予定です。

 

テクノクラートとしての請負い民主政治家 -二宮尊徳についての壮大なる誤解-(第2版)

 二宮尊徳(金次郎。正確には「金治郎」)というと、戦前の修身の教科書で勤勉と質素倹約を説いた偉人としてのみあげつらわれ、薪を背中に背負って勉学にいそしむ銅像が日本中の小学校に建てられていたあたりから、戦後日本では、日本人の「精神主義」の否定的側面を代表する存在であるかのようにとらえられがちである。

 では、彼は、儒教の教えを説き、農民に辛抱を強いるだけの「道学者」だったのか?

 実情はまるで正反対である。富裕な自作農の農民の子として生まれ、善意の篤志家だった父と酒匂川の2回の氾濫による田地流失のおかげで傾いた自分の家の財政再建を短期間で成し遂げた功績が、在所の小田原藩主に認められ、現在の栃木県にあった地味不良な領地、桜町の再建を一手に委ねられる。

 「天保の大飢饉」を事前に予測し、農民に天候不良に強い稗を植えるように強制し、「餓死者ゼロ」という見事な危機管理に成功したことで有名となり、他藩の領地の再建を次々と厳格な条件で引き受け、ついには幕府に命じられて天領の再建にも成果を残す。

 彼の手法は徹底的な実地検分に基づく、農地の収穫についての科学的かつ合理的なシミュレーションと、計画実施、一種の私的なファンドを厳密に運用しての厳格な財政再建、そして、成績優秀な農民を農民の投票で選んで表彰するなどの、モチベーションの高揚策、更には、支配する武士階級が濫費したらザルになることを見据えての、一歩も引かない形で領主や役人、役人と賄賂で結託した庄屋たちの生計の無駄を厳密に「財政監査」し、家政の緊縮と、「分度」と呼ばれる、一定の目標値以上の収益はすべてファンドの運用資金に繰り込むことについての厳格な事前契約を受け入れないとファンドからの融資も決してしないし、いうまでもなく本人も一切の供応を断り続けるという、政治的ネゴシエーターとしての厳格さとしたたかさに裏打ちされた、いわば、自治体の産業と財政の再建の「請負い」プロ=テクノクラートとしての生き方に他ならなかった。

 また、なぜ彼の仕法が短期で成功したかの最大の理由は、当時年貢の対象とならなかった、検地されていない土地.....未開墾地や「捨て地」.....洪水で見捨てられた土地を耕作させることによって、生産物の収益が無税=100%生産者のものになる場所ばかりを狙ったことによることも必ずしも一般には知られていない。つまり彼は、封建体制の盲点を突く収益事業を進めたのである。

 これらのことを私が知るきっかけになったのは、以外にも、今から20数年前、中井久夫先生の「分裂病と人類」の、「執着気質の歴史的背景 -再建の倫理としての勤勉と工夫-」と題する、大部を割いた第2章である。

 

 村の「立て直し」においても、彼は決して村の支配者、家父長としてたち現れたのではなかった、彼は、村の合意の下に「立て直し」を指導する一種の「技術者」-----"仕法家"であった。彼は実際、支持者が4割であれば仕法をはじめず、6割であれば引き受けている。そして彼は、仕法家つまり村の治療者としての役割を自覚していた。自分たちの名が忘れられ、村民たちが自分たちの力で村を立て直した、と感じるようになったとき、仕法ははじめて成ったのである、という意味のことを言っている(今日の「治療者」たちも聴くべき言であろう) (p.55)

 尊徳は、むしろ、武士というものを、「特権階級」とはみなさず、あくまでも政(まつりごと)を司る官僚集団としかみていなかった。その官僚集団が濫費を重ねる限りは、どれだけ農民が生産量をあげても無意味であること、また、そうやって収穫が増えた分だけ年貢の取り立てを増やし、武士がそれにあぐらをかくようになったら元も子もないことを十分に看過していた。

 幕末という、身分制度が緩み、庶民からの人材登用に期待せざるを得なくなり、才覚で階級上昇が可能になり始めた時代の、歴史の大転換期ゆえに現れ得た一代の鬼才というべき人物である。

 (他分野で類似の例を探せば、少しさかのぼる時期の伊能忠敬の全国測量と地図製作は、幕府の許しを得つつも、すべて、商業で成功となった後の忠孝の「私財で」なされている)

 ある意味では、少なくとも地方自治体水準での民主政治のリーダーのあり方としては、今日でもまだ汲み尽くされていないモデルを提供してくれる人物であるように思う。
 
 今回、多少調べなおしたら、「考古歴史紀行ー久田巻三(ひさだけんぞう)の世界」で、@niftyのpaypalを使ってpdfでダウンロード販売されている、一種の歴史小説「二宮尊徳スーパースター」が、わずか2時間あれば全文楽々読み通せる長さにもかかわらず、尊徳の生涯とその業績について、たいへん明快に(しかも安価で)読める資料として推薦していいことに気がついた。

 以下の部分は、この文献より、尊徳が、一度仕法に行き詰まり、成田山で断食の修行をした時、ようやく訪れた「悟り」の部分である(小説的表現だが、原資料は同時代の尊徳の弟子による聞き書きや伝記にあるようだ):

〈和尚の言った全てを無にするとはこういうことか。頭もからっぽ、お腹もからっぽ。ここにある自分は全く無力な存在である。ただ、天によって生かされているだけではないか〉

〈自分は、今まで桜町の人たちを自分の思い通りに作り変えようとしていたのではないか。昨年出した出村禁止令も間違いであった。村人を縛り付けようとする愚策であった〉

〈そうか。桜町でも全てのものを受け入れよう。この世に生きとし生けるものは、皆、天の恵みである。無頼の者には無頼なりの尊さがある。どんなに自分に反抗する人間であっても、自分にとって栄養にならないものは無いのだから〉 (p.30)


 考えてみれば、純粋に合理的見地から見ても勝算の薄い戦いを、国民から財産と人命を吸い上げる形で、精神主義で切り抜けようとする泥沼にはまりこんだ日本の歴史の現実ぐらい、もし尊徳の目から見たならば、無謀そのものの、最悪の「経済」と「政治」のあり方だったはずである。


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 【追記】第2版で岩波新書の奈良本辰也氏による「二宮尊徳」に基づき、若干の補足と修正をした。


 なお、この記事の続編がこちらにあります。

あたしこの頃思うの

 タイトルは、間違ってなければ、みゆきさんが、歌かエッセイか何かのタイトルでお使いの言葉だと思いますけど。(間違ってたらゴメンナサイ)

 私自身の中では、実にいろんなことが吹っ切れてきて、以前だとどろどろと停滞していたことが、すごくあっさりと、踏ん切りよく、考えた挙げ句に決断して、形にしていけるようになってきたと思う。

 いろんな意味で、人との関わり方のスタイルも変わってきたというか、それがいつの間にかこういうネットでの人との関わりにも反映しはじめている気がする。

(ネット以外の変化も、目に見えた形で、あるいは、よりさりげない形でだけど、いろいろ、ある。ある意味では以前よりは周囲と無理なく、ほどよい距離感で、やれていると思う。そこで感じていることの大半は、実はここでは書いてはいないし、書くつもりもないんだけども。)

 そうであるにもかかわらず(^^;)、この前、よそのサイトで、ああいう、ある意味では見苦しくて、後味がよくないもめ方をしたのは確かだし、それをきっかけにいろいろ考えもしたけど、少なくとも自分の側だけを正当化できないとは感じている。このことだけは皆さんにも伝えておきたい。

****

 実は、この文体は、さっき、久しぶりに行ってみた、ayuの公式ファンクラブ(Team ayu)サイトのクローズドページでのayuさんの書き込みの文体がもろに憑依している気がする。

 もちろんそこでayuさんが書いていることそのものは、ここでは書かないけど、王子のきつねさんも自分のサイトで書いているみたいに、ayuさんは、いつも、自分を映し出す「鏡」のようにして、そこに「他者」としてたたずんでいるなと感じる。ファンに向けた言葉の選び方が凄く無駄がないと思うのね。何か、すごく冷静に自分を振り返らせてくれるというしかない。

 そのayuさんのお姿にも、来週は、これまででは一番いい条件で接することが、しかも地元の横浜でできるわけですが、何か、コンサート通いが「日常化」してきて、ああ、また、その時の自分を「点検」する機会を持てるんだな、ぐらいの心境になってきた。必ず、いい意味での「脱錯覚」が、ayuのステージに接する度にあるので。

  「時をかける少女」で、「魔女おばさん」が主人公に諭した言葉も忘れたくはない。

 「自分がいい思いをしている分、つらい思いをしている人がいるのかもしれない」

ということ。

 でも、だからといって、「縮こまって」もいたくないのだ、今の私は。
 
 「罪悪感」を自分の中でどれだけ感じても、それが他者を救ったり、幸せにするわけではない。

 いろんな人の思いについて、思いをめぐらせるだけめぐらしたら、あとは、ともかくこっちに踏み出そうという方向に踏み出すしかないと思う。
 
 そして、また、その渦中に、あるいは、中休みに、少し立ち止まって、感じてみて、考えてみて、軌道修正して、そして更に先に進む。変に腰の据わらない、あたふた、おどおどしたやり方ではない形で。

*****

 ・・・・何か、この記事は、最後まで、さっき読んだayuさんの書き込みの醸し出す「文のリズム」の感化を受けている気がする(^^;)

 自分でも、今の自分は、人の感化を受けたり、自分で思い返したりして、自分のスタンスを更新していくのが、すごくハイテンポだと思う。

 でも、全然「浮き足立ってる」とは、感じない。


株式会社ぽすれん

2007/05/04

久しぶりにデザイン変えました。

 GWも終盤に近づき、弘前でも桜は終わったことでしょうし。

 シンプルなデザイン(ココログデザインのテンプレートでは「アクア」といいます)ですが、どうも、本文は白地に黒が読みやすいということは経験的にわかってきたので、当面これにしてみます。

 

「隠れオタク」な惜しい男性の場合(爆)[第2版]

 恒例、msnの「モテる恋愛塾」より。少し前のですけど、「隠れオタク」な惜しい女性の場合」

 なーんだ、ここで書いてあること、「隠れオタク」の男性の場合にもまったくまるごとあてはまるではないか、と思ってしまったこういちろうなのだが。

 ドロドロとした「本当にヤバい部分」を隠そうとするあまり、イキオイで隠さなくてもいい部分まで隠しちゃってませんか? それが人との壁を作り、コミュニケーション不全の原因となってしまうものです。臆さず、胸襟を開いて、自分の「オタク」な部分をさらけ出してしまいましょう。 

 このブログで誰かとっくに実践してるつもりになっていい気になってるよね、まったく.....(^^;;;;)

 それには、あなたの知識や培ったセンスのなかから、他人にとっても有益な「情報」の部分だけを披露するのです。「オタク」であるあなたの中には、一般人には想像もつかないような情報がたくさん詰まっているハズ。その中から、他人にとっても役に立つ情報を抽出して、あなたの「レコメンド」として提供するのです。そう、「隠れオタク」から「レコメン女」への昇格を計るわけです。 

 もちろんそのためには、相手にとって有益な情報は何なのか、それをちゃんと判断しなければなりません。でもそれは、「相手のことを考える」というコミュニケーションの大事な第一歩です。「レコメン女」に脱皮できたとき、「隠れオタク」は確実に「モテ」への道を歩み出しているのです! 

 この「女」を「男」に読み替える。

 .....じゃ、そろそろモテるよね(おいおい)

*****

 私のどこが「隠れおたく」じゃ!! .....と、思える人は、こういちろうの氷山の一角の先っぽしか知らないのである。恐ろしいことに。

 そのへんの「ドロドロとした『本当にヤバい部分』」なんて、このサイトで出した覚えは私にはない(きっぱり^^)

 すごく「限定し」、「精選して」きていたつもりでしたが。

 むしろ最近、私がこれまでですら、いかに「加減」して「控えめすぎる」範囲で、おずおずとレコメンドしていたか、そしてそれがむしろ、わかりにくさと回りくどさという逆効果になっていたか、読者の皆様にも、ずいぶん伝わってきたんじゃないかと思います。

 むしろそのへんの「思い切りの悪さ」が問題だったのだと。

 .......というか、やっと、ここぞというところで自分の引き出しを潔く、スパッと有効活用する「コツ」が、ほんとに本格的に見えてきた、ぐらいの心境。

 これからは、もっと「明快に」、出す時は出します!!

 「ものごとは、中途半端にしかやっていないから問題が生じていることが多い」(ジェンドリン)

(↑確か「夢とフォーカシング」で書いてます)

 あなたは、こういちろうの、まだ「先っぽ」しか味わっていない(^^;;;)

 

オーディオテクニカとエヴァンゲリオンのコラボ!!

特典オリジナルデモCD付!
『ヱヴァンゲリヲン 新劇場版』公開記念オフィシャル企画オリジナル ヘッドフォン エヴァンゲリオンヘッドフォン  SCRH-6
(後にA.T.EVA01と改名)

1.ダブル・ネーム&新NERVマーク入り!!

公式コラボレーションの証明として、ヘッドフォン本体には「EVANGELION」「audio-technica」のダブル・ネーム入り! もちろん新劇場版で使用される、新しい「NERVマーク」も入っています!!


2.本体の全パーツに究極のこだわりをみせるニューモデル! 材質まで本物志向!!

エヴァンゲリオン初号機をモチーフにデザインされたヘッドフォン本体は、その大半のパーツを今回の企画のためだけに、全くの新規で開発、設計、材質選定、金型成型した、オーディオテクニカ認定の最新モデル! 完全オリジナ仕様とも言える貴重品です!! デザインもCOOL&BEAUTY!!!


3.EVAサウンド御用達! キング関口台スタジオ完全監修のオリジナル ユニット搭載!!

『新世紀エヴァンゲリオン』の楽曲(「残酷な天使のテーゼ」「魂のルフラン」など)&BGMのレコーディングなど各種の制作実績を持ち、『ヱヴァンゲリヲン 新劇場版』においても制作の舞台となるキング関口台スタジオ。その現場とそのエンジニアの“匠の耳”が、ヘッドフォンの命となるサウンド出力部“ユニット”の音質設定を完全監修! オーディオテクニカ屈指の技術者と共にオリジナル仕様ユニットを新たに開発製造します!! 究極のプロの現場のみぞ知る「本物のEVAサウンド」の世界へようこそ・・・。


4.『ヱヴァンゲリヲン 新劇場版』の制作現場で実際に使われるプロ仕様ヘッドフォン!!

『ヱヴァンゲリヲン 新劇場版』の各音楽制作はイギリス ロンドンや東京において進められます。当商品はそうしたプロセスにおいて、実際に制作現場で使用するものと同じヘッドフォンです! まさに劇場公開記念オフィシャル商品!!


【特典内容(予定)】
★オリジナル デモCD(当商品完全限定 描き下ろしジャケット仕様)“タイトル未定”
なんと! ジャケットは他の商品では手に入らない、当商品完全限定のオリジナル描き下ろし画を使用!! 超貴重品です!!! 収録曲も、とても魅力的!!!!

★オリジナルBOX(パッケージ)仕様“タイトル未定”

*その他、オリジナル特典を追加予定! 今後の更新情報を要CHECK!!

【発売日:2007/09/29】

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.......だそうです。


●この製品を手に入れた後のレポート(必見!!)


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こういう時には便乗宣伝に走ろう。(↓)

もう、印税とは関係ないけど。

●阿世賀 浩一郎 「エヴァンゲリオンの深層心理」

「弁証法的相互作用」のライブ中継、だったりして。

 少し前の「患者から学ぶ」という記事で述べた、ユングの言う「弁証法的相互作用」というものはどんなものなのかについてコメントいただいた方がありまして、私はそれに、まさに「弁証法的相互作用」をしながらコメントをお返ししてみたつもりです。

 ご興味のある方はご一読ください。
 
 このようにして、「スーパービジョン」というものは、ネット上でもライヴで可能である??

2007/05/03

習い事(今日のテーマ)

BlogPet 今日のテーマ 習い事
「何か習い事をしていますか?していない人は何かやってみたいと思いますか?」
弦楽器でっす。弦は4本でダブレットはありません。大きくもないし、中くらいでもない(爆).....これでほぼ当たるでしょう。

奥華子の"TIME NOTE" (第2版)

TIME NOTE [DVD付初回限定盤] / 奥華子奥華子 - TIME NOTE

1. さよならの記憶
2. 僕が生まれた街
3. ガーネット(弾き語り version)奥華子 - TIME NOTE - ガーネット(弾き語り)
4. プレゼント
5. 恋
6. 小さな星hanako oku - Time Note - Chiisana Hoshi
7. 恋の天気予報
8. 君のためならできること
9. 変わらないもの奥華子 - TIME NOTE - 変わらないもの
10. 桜並木
11. タイムカード

(ポニーキャニオン PCCA-2440)


 「時をかける少女」きっかけに急遽購入。予備知識ゼロ。

 しかし、いきなり、アルバムそのもの全体に、一聴して,見事にはまってしまった。

 こういう経験は、J-POPの領域では、ayuのアルバムとELTのBest 2以来実に久しぶりで、私としては何とも画期的である。YUIのアルバムには、ここまで「一聴して肌に合う」感触がつかめないままペンディングになっているのとは、鮮やかに好対照。

 なぜなのか?

 昨日、買い物のために街に外出する時も聴き続けながら思いをめぐらす中で、どんどんそれは「論理的な(^^;)」言葉に私なりになって行った。


*****


 この人は,徹底的に,キーボードの弾き語りと共に曲を作って,歌って来たアーティストであろう。

 このアルバム、一つ間違うと一本調子になる危険を冒して、徹底的に、本人の弾き語りとしか思えない、キーボードによるミディアム・テンポのバラード中心でアルバム一枚押し通すという「暴挙」を、ファースト・アルバムらしい(追記:セカンドだそうですね。誤り)のに、徹底している。

 ところが,現実には、この,彼女の資質にまったく逆らっていないようにみえるアプローチが、このアルバムを、まさに彼女にしか不可能な魅力ある世界へと、全くの自然体で完結させることになっている気がする。

 ストリングスなどをフューチャーすることもあるが、それも補助的な彩りという程度、ほとんどの曲で、キーボードと彼女の声が、徹底的に「主役」であり続ける。

 リズムをキーボードそのものが刻めるので、ドラムスを非常に控えめに、ほとんど全く使用しない。極論すれば、ドラムスを使った曲ですら、ドラムスのパートを省いても演奏に何の支障もない曲がほとんどではないか!! これは全く賢明な,実に潔い判断である。

 このことから,この人は、普段、キーボード一本での路上ライブで歌と曲作りを鍛えて来た人と推測できる。

 (追記:これも,あとで調べたら、アタリでした)


*****


 私なりに思うに、ギターが友達だったタイプのシンガーソングライターと、キーボードで曲を作って来た歌い手は,いろんな意味で曲作りのセンスが異なって来るように思う。

 ひとつは、「平均律」楽器であるキーボードには、ギターのような調弦による和声の制約というものから開放されているところがあると思う。これは,今,私自身が、調弦が必要な楽器の練習をはじめたから、より実感としてわかるようになったこと。

 だから、和声の移ろわせ方が、独特のデリケートなものになる。この人は、クラシックの正統的教育もきちんと受けているな、というのも、和声進行のクセのなさみたいなものから一聴してわかる。

 (追記:これ、あとで調べたらあたりでした。音大も出てるものね。トランペット科という、意外な選択だけど、そこしか入れなかったんでしょうね(^^;))

 また、ギターが友達の人は、これも楽器と演奏法の性格から来るものたと思うけど、早くから3拍子系の曲を作りたくなるものだと思う。なぜって、伴奏の分散和音の演奏をしやすいからである。

 ところが、彼女は、まるっきり正反対。このアルバム、3拍子系の曲がほとんどないのである。はっきりいって、この人、3拍子系の曲を、まだ作り慣れていないとすら断言できる。......無理して作らなくても、この人の場合にはまだ,引き出しに余裕がありそうだけど。


******


 歌詞を聴いていると、まるで高校生あたりの心情を歌ったかに見える曲が一見多くて、「なんだ、十代向けの域を出ていないな」と感じる人もあるかもしれない。

 しかし、このアルバムの最後に入っている、「タイムカード」を聴いて、はっきり、それは違うと思った。

 この人、メジャーデビューするまでに、学校を出て、一度社会に出る中で、認められるまでに、それ相応の辛酸をなめている。その,生々しい痛みの軌跡が、この曲になって突如噴出している気がする。

 この、ラストの曲、ライブの最後の曲として、聴衆への感謝を込めて歌ってるんでしょうね(^^)


*****


 レコード会社が,今のところ、彼女の資質に逆らわない方向に育てているあたり、幸いです。

 今後、下手にいじるなよ、全く。

 マイペースで、少しずつ領域を広げて行けば、戦略的に「作られた」癒し系なんて目じゃないくらいの音楽的潜在力あります、この人。

 この辺、クラシックがベースにある私には、ビンビンわかります。


●奥華子さんの公式サイト


追記:ファーストはこのアルバム。
奥華子/やさしい花の咲く場所

当然、これから入手して、聴きますので。

【追記】奥華子さんのインディーズ時代の総決算ベストバム最終作、奥 華子 - vol.BEST
"vol.best"
がiTunes storeに載りましたね!!

 ....もっとも、このアルバム、インディーズ系を置いてるCDショップでは入手しやすいアルバムだったみたいですが。

 でも、これで、超絶ピアノパートの隠れた名曲奥 華子 - vol.BEST「自由のカメ」が、単独でも簡単にネット購入できるようになりました!!

TSUTAYA online

しょこたんではなくて、○○○.....

 昨晩、しょこたんのCDの記事を書いた直後に半端じゃない数百のアクセスをいただいて、しょこたんはやはり今時代の寵児なんだろうか? などとむやみに感心してしまっていたのだが、あとで実は、しょこたんとは全然関係ない、別の用語検索で私のサイトの過去記事がヒットした結果とわかり、拍子抜けしたともいえるし、別の意味で驚いたとも言えます。

 その用語も、ある意味で最近のトレンドなので、こういう、突如のアクセスの爆発が起こっても、ふたを開けてみたら何もおかしくないのですが、その爆発的アクセスがなぜ「昨晩」なのか?

 その理由の調査が終わるまで、とりあえずその記事がどれだったかの公表はおあずけにします。その記事、書いた時から、いずれアクセス増えるとは確信していたのですが。あまりに唐突なので、原因調査を優先。

2007/05/02

こういちろう、しょこたんを聴く

しょこたん☆かばー~アニソンに恋をして。~(DVD付き)

 私はつい先日までしょこたんと「しょたこん」の区別すらつかなかった元アニメ中年に過ぎない(^^;)

 今でも、しょこたん(中川翔子)がホントは何屋さんかもよく知らない(ここまで来たら、wikipediaにも行かないまま書いてやれと開き直って、今書いている)。

 我が@niftyココログの顔、眞鍋かをりさんとブログの女王を争うところまできたことは知っているが、しょこたんのブログそのものにはつい先日やっと行ってみたばかりである。

 なるほど、こういうブログとしては私の目から見ても好印象である。猫写真だらけだし、映っているご本人の写真もかわいいし、いい意味での節度があると思うし(時々、こういう写真になると急に素人くさくて生活臭ばかりが強すぎる有名人も少なくないと思うが、この人の場合は、不思議なバランス感覚がある気がする)、結構この人の髪型が今の若い女の子の今のトレンドなのもわかる。

 実は眞鍋さんがどうしてあそこまで人気があるのかはイマイチよくわからないこういちろうだが、しょこたんに関しては、ああ、なるほどね、と、理屈抜きで得心した。

 で、なんでCD買ってみたかというと、要するに彼女がカバーしたアニソンが、パーペキに、私のアニメファン絶頂期の、ほんとうに慣れ親しんだ曲目と一致しまくっていて、それだけで「外れ」の心配薄いな.....と思ったからことが結局は大きい。

具体的に曲目をあげると、

    1. ロマンティックあげるよ(ドラゴンボール)
    2. 乙女のポリシー (美少女戦士セーラームーンR)
    3. BIN・KANルージュ (魔法の天使 クリィミー・マミ)
    4. 残酷な天使のテーゼ (新世紀エヴァンゲリオン)
    5. 青春(タッチ)

 これで、3曲目の「マミ」(元歌唱はもちろん太田貴子さんね)がなければ、そんなにアニメファンファンしたにおいがない選曲になるけど、この3曲目が画竜点睛的にあるだけで、ものの見事に、ある限定的なアニメファン世代のかなりディープな選曲というふうに見え始めるあたりが何とも不思議である。

 一番不安があったのは、エヴァンゲリオンのテーマがこの人の声の質にホントにあうのかしら? というあたりだったけど、聴き始めてしまうと、思ったよりこの点はクリアーされていた。

 5曲とも、安っぽくもなく、凝りすぎて聴く人を選ぶ形にならない、ウェルバランスの編曲、しょこたんの歌を含めて十分合格点である(^^)

DVDの方はこれから観ます(^^)。

*****

 なお、この記事ではじめてこのサイトに迷い込んだ人のために。

 私は、「エヴァ本」を単著で出して(左フレーム参照)、「セラムン」と「エヴァ」と浜崎あゆみで学会発表している、46歳の、開業臨床心理士という、変わり種です。どうかよろしく。

私のアニメ論は、セラムン「学会発表バージョン」全文を含めてこっちで読めます(今の人には古いアニメばかりだろうけど)

****

次回予告:引き続いて、私としては異例、最近のJ-POPの期待の星(もう、その域抜けてるのかな? この人)について、ついにアルバム評を書いていいと感じるところまで納得しました。このアルバムなら今後繰り返して聴くと思う。大塚愛について十分評価しつつも、具体的アルバムについての単独評までは書いていない私が選んだのは誰か?

株式会社ぽすれん

「健全野党」の育成

 日本の戦後民主主義の最大の過ちは、「健全野党」の形成に最初から失敗したことである。

 これは、結構いろんな形で言われて来たことだろうが、私なりの「健全野党」の定義をしながら述べてみたい。


1.与党と野党の関係が、単なる「階級闘争」や「地域間紛争」を意味する形になってはならない。 

 この点で日本の戦後は、たいへん不幸なタイミングで幕を開けた。つまり、日本の敗戦が、第2次世界大戦中には棚上げになっていた、世界的な、そしてアジア地域における、自由主義陣営と社会主義陣営の覇権争いの渦に巻き込まれてしまったからである。

 日本の敗戦は、「微妙なタイミング」で、本土空襲→襲来→占領に関しては、唯一アメリカ軍によってのみなされることになった。このあたりは、ヤルタ会談までの流れ、そしてヤルタ会議以降にも微妙な駆け引きが繰り返されたはずで、連合国側に一枚岩の団結があったかのような歴史観は幻想であろう。

 そもそも日独伊の軍事同盟は「防共協定』などと呼ばれるものの、日本側はむしろソ連を含めた枢軸4国同盟に持ち込むことでアメリカに対抗しようとしていた時期もあり、スターリンは同じ独裁者として,ヒトラーにある種の共感すら抱いていたらしいというあたりが、現実の歴史の、教科書的にもイデオロギー的にも割り切れない複雑で矛盾した側面なのだ。

 結局、ヤルタ会談とポツダム宣言を「錦の御旗」(?)にした、ソ連の「実際の」参戦への動きも、アメリカにのみ戦後日本の主導権を奪われかねないタイミングで実行されはじめ、それを阻止する為もあって、アメリカの原爆投下が強行されたという、米ソの覇権争いの影響を大きく受けていたはずである。

 そして、日本の降伏後についても、朝鮮や中国(特に実際に国民党軍と共産軍の内戦が棚上げされる形になっていた中国)、そしてドイツの場合と異なり、日本の占領をアメリカにのみ委ねるしかない状況を指をくわえて見ているしかなくなったソ連の中に、その状況を軍事以外の手段を使って巻き返したいという思惑があったことは確かだろう。

 (朝鮮戦争にしても、1950年には、釜山近郊の一角を除き、すんでのところで北朝鮮に全土制圧されるまで追い込まれたこと、そしていわゆる「国連軍」が、安保理決議の後とはいえ、実際にはそれまで戦闘していたアメリカ軍を圧倒的主力とする「多国籍軍」に過ぎなかったことは,必ずしも教科書の歴史は教えていない気もする。ひとつ歴史の舵取りが間違えば、朝鮮半島全体の社会主義政権化→日本(例えばとりあえず九州のみ)への軍隊進出→連合国共同統治の建前のもとでの、ドイツと同様の東西に分割された独立、などというシナリオの可能性があり、それを少なくともソ連や中国がまったく考えていなかったかどうか? 少なくとも、アメリカ占領軍や日本政府、それどころか日本国民の中にすら、朝鮮戦争の北側の勝利→次は日本本土が狙われないか?という「リアルな」危機感はあったかもしれず、最悪の展開の場合、いかにアチソン・ラインという政治発言があったにせよ、そういう「お題目」が反古にされ、アメリカ占領軍が、奄美・沖縄は別として、九州本土を「見捨てて」しまい、「分割占領」という「名目」での「妥協」を図る危険がほんとうにゼロだったかどうか????)

 それゆえに、戦後日本の民主主義の形成において、ソ連からの謀略性のある「工作」は確かに存在し、左派勢力に影響を与えていた(左派勢力すら「超えて」工作員も暗躍していた)ことは間違いないだろう。少なくともこの段階では、社会主義勢力の指導的立場がソ連にあることに対して明白な抵抗勢力は、少なくともスターリンが生きていた時期(朝鮮戦争終結・日本独立より2年後)までのアジアと日本の社会主義陣営の中に形成されてはいなかったろう。

 このため、日本の場合、戦後の階級闘争や与野党の対立そのものが、実際には「アメリカ中心の自由主義的帝国主義」と、「ソ連中心の社会主義的帝国主義」の覇権争いを背景とせざるを得なくなり、すでに占領において既得権をはっきりと獲得してしまったアメリカの完全な傘のもとで戦後政治が幕を開けたため、『ソ連勢力の政治的内部侵入』によって、日本の戦後の『パックス・アメリカーナ』が脅かされないことが、何より現実主義的な占領政策となってしまう構造を不可避にした。

 こうして、「現実の」ソ連側からの左派勢力への肩入れや、より謀略的な地下活動、そして、「日本の」各派の左派政治運動当事者が独自に考えているビジョン、現実に生じていた無産労働者と資本家側の緊張関係、そして、アメリカの占領政策に追従する勢力(=保守勢力、ではないかもしれない!!)のプロパガンダとしての『共産勢力の手先=左派勢力』という『物語』がみんなごたまぜに進行する形となっていたと思われるのである。

 そうした中で、例えば、旧国鉄総裁の殺害に、それを労組側の仕業であると「見せかける」ことを狙っての政治的陰謀説がなくならない「下山事件」などを位置づける視点は重要だと思う。


*****


2.「政権」の外部チェック機能として「野党勢力」を「育成」するのが有益、という視点の必要性

 この結果、いわば高度に発達した民主政治において本来形成されるべき、「現政権にとっても、現政権の政策ををチェックし、批判する機能として『健全育成』すべき存在としての『野党』」などという、高度な政治システム構築に属する事柄は、全く考慮される余地を失ったように思う。極論すれば、問題は単に『勢力争い』あるいは『利権の獲得の争い』の次元でのことになっていくのである。

 ここでいう『利権争い』とは、普通に使う意味とは別のものを私は想定している。例えば、「労働者を裕福にする政策」「中央より地方を重視する政策」というのも、特に日本の場合、『利権闘争』という次元を実は超えていなかったということである。

 およそ、反対勢力や批判勢力が全くいない状態を理想とするあり方をとる限り、それが資本主義であろうが社会主義的であろうが、結局は独裁的ファシズムを誘引するものと考えられる。むしろ、公正な批判能力がある野党勢力を「育成する」という意識すら、政権側には本来必要なのではないか。つまり、「外部チェック機関」を育成することによって、いつの間にか進行しかねない与党側の政策のひとりよがり化を阻止し、バランスを回復させるきっかけとして必要な「安全装置」としての「野党」という位置づけすら持つぐらいの、民主政治システム上の巨視的な観点である。

 これは個人の人間関係にも言えるだろう。「誰も自分のことを批判してこない」「干渉してこない」ということぐらい、実はつらい状態はない。この状態で「ひとりの人間が」健全なバランス感覚を維持するのはたいへん難しく、重労働である。

 これは、今日でも、仮にシステム的には民主的でも、実際には大統領や立憲君主など、有能な限られた支配者「個人の裁量」に国の政治の大きな部分が左右される状況でしか、国のシステムが存在しない国家における、見かけ上「独裁者=英雄」の背負い込んだ苦悩だろう。


*****


3.カウンセラーは、外部に「健全な野党勢力」としての「一般国民」を育めているか

 これは企業や、教育や、研究、専門職、スポーツ等の分野に置き換えるならば、日本国内でも現状でもいろんな組織や集団で生じていることだろう。

 自分や自分の所属集団に対する批判や「誤解」すら含む異論が聞こえてこない環境というのは、実は不健全でおかしな状態である、というくらいの認識がないと、そもそも自由主義や民主主義は存立しない......そういう認識はあっていいのではないか。

 だから、カウンセラーについても、クライエントさんのカウンセラーへの幻想を崩すような、実態の報告やネット上での議論をするな、などという発想は、結局誰の為にもなるまい。虚実とりまぜつつ、精神科医やカウンセラーについての批判やグチが、誰でも読める形でネット上で公開されている状態は「保証されねばならない」。

 カウンセラーや精神医療の「相対的な」健全性と有効性の、いざという時の後ろ盾になってくれるのはいったい誰であろうか? 文部科学省や厚生労働省の役人だろうか? .....いや、一般国民のはずである。

 このことを考えるだけでも、「中立性」というお題目のために、カウンセラーが、その「現実の」社会経済的・雇用的状況や、現場で「現実に」できる事柄やその限界、スキルのばらつき等の問題を、国民に公開しないままででおくことは、いざという時の真の後ろ盾を形成せずに引きこもって、「お上にすがって」びくびくしているだけといわれても仕方ないことだと思う。

******

 そして.....だからこそ、私は、早く、他のサイトで名前を挙げて批判してもらえるくらいのサイトにもなりたいのである。私と、私の仕事の「健全性」を維持するためにこそ。

 そのチェック機能に、読者ひとりひとりがなってほしいのである。必要あれば他のサイトで批判を展開することを私は「歓迎」したい。

 今後、よほどの名誉毀損的事態や、クライエントさんの安全をおびやかすようなものにならない限り、私はそうした活動に介入したり、「書き込みに行ったり」はしないであろう。

「牛」という言葉は現実のウシさんとは何の関係もない。

 さて、前回の話との関連で。

 私が、中学から高校の頃に、自分の哲学体系を作ろうなどと言う、ある意味でアブナいこと極まりない試みに熱中した時期があることについてはすでに述べたが、そうした果てにたどり着いた究極の「悟り」が、今回のタイトルにした一句である。

 「牛」という言葉は現実のウシさんとは何の関係もない。

 
 これで私は「救われた」のだ。

 わかる?


******


 いくら、「うしー!」という言葉を100回唱えても、現実の生身のウシを目の前に生成できるわけではない。そのウシに「うし」という言語に対して何らかの条件反射が形成されている場合を除いては、ウシさんの目の前で「ウシ」と何回つぶやいても、それこそ「ウシの耳に念仏」だろう。

 もし、「ウシ」という言葉を「ウマ」という言葉にある日突然置き換えてしまうことに全人類が同意したとしても、それがウシさんやウマさんたちの運命に与える影響も何もないではないか。

 「牛乳」が「馬乳」と呼ばれ、「坂本龍牛」さんになり、茨城県「馬久」市となり、「競牛」が開かれるようになっても、もしそのことで混乱する人間や、スーパーでの商品表示にミスがないと仮定すれば、何の問題もない。

 こうして,私は、「言葉」というものから自由になった。

 そして、それから3年ぐらい後、この話を、大学の記号論理学のゼミの最初の飲み会で、その道の日本の権威とされていた担当教授の先生相手に力説して。

 「それは大事な問題意識だね」と言われた。

 その先生がビール片手に遠い目をして、「......今の私は、抜け殻になってしまった......」と,若き日を懐かしむようなまなざしをされたことが妙に忘れられない。


*****


 実はこの段階ではまだ知らなかったのだが、ウィトゲンシュタインの前期哲学(論理実証主義)を支えるもっとも重要なコンセプトのひとつのことを「写像説」という。ウィトゲンシュタインは、地図が実際の地形を見事に写し取っているという事実に「感動する」人でして(この心境がわからん人は哲学には向かない)、これを根拠に、言語と世界の間には一定の対応関係があると考えた。

 ところが、ウィトゲンシュタインの知り合いが、確か乗り合わせた汽車の中で、「じゃあ、あなた、『これ』、わかる?」と、確かあごの下を手でさする仕草をした。これは、その知り合いの出身地域でしか通用しないボディ・ランゲージだったわけです。


 こうして、ウィトゲンシュタインの「前期哲学」は一気に崩壊に向かう。

 一般の人が聞いたらコメディでしかないような信じられない話だろうが、このエピソードをご存知の哲学好きの人は少なくない筈である(今、記憶だけで書いてるので、多少の間違いがあっても許されよ)。

 論理実証主義というのは,一般には、「すべての哲学上の問題は、語の定義の曖昧性とその論理展開における誤謬によって生じたものであり、これらが解消された時、すべての哲学的問題は一気に解消できる」という考え方とされている。

(ウィトゲンシュタインの前期思想をそこにのみ還元するのはまちがいという見解がたくさんあるらしいが、ここでは「俗流」分析哲学とはこのようなもの、ぐらいにご理解のほどを)。

 これと,以前もご紹介した、「すべての命題はトートロジー(同義反復。A=A)である」という「論理哲学論考」における前期ウィトゲンシュタインの基本テーゼ(?)は表裏の関係にある。

 私の中高時代の哲学的な彷徨が,結局ウィトゲンシュタインのそれと相通じるものがあることを、その先生は看過して下さったのだろうと思う。

*****

 こうして、決して「論理的には言い負かされない」し、「非論理的」と言われようと馬耳東風(牛花北林????)で気持ちが全く揺るがない、でも「何となく深淵な文章」を書くけど、その背後にある「隠された論理性」なるものは後世の「こういちろう研究者」(?)が勝手にいろいろ「発見」して楽しくすれば? とまで開き直っている、こういちろうというパーソナリティが成立した。

 それは、いかなる意味での心理学的「実体論」をも排除し、すべての心理学的諸概念そのものが、最善の場合でも「その人のフェルトセンスにその時点でぴったりの言葉であるに過ぎず、専門家なるものの仲間うちで「間主観的同意」がなんとなく形成されているものであるに過ぎないというところで開きなおれる一面がある、ジェンドリンの体験過程理論への関心へとつながるわけである。


 私が「論理的」ということに過剰に拘泥する人間を迷妄だとしか思わず、その人自身が微細な箇所で無数にやらかしている概念定義の曖昧さと論理の飛躍を「悪意はないにしても、結局ただの詭弁術になってるのにね......」としか思えず苦笑する背景には、こうしたキャリアがあるわけです。

 「論理的」という言葉そのものには何の「論理性」も内包されていないのだから,この言葉を使う人の無自覚な「非論理性」をギャラリーが影でこそこそ嘲笑することになるだけなのだ。「論理性」なんて言葉を一言も使わないままの方が賢いのである。

 まして「論理」でなければ「直感」とか「直観」という言葉を持ち出す人そのものが、それだけでひどくつまんねえ,退屈な頭脳の持ち主であることを露呈しているだけである。ボキャブラリーの貧困と、アイゼンクふうにいえば「硬い心(tough mind)」であることをさらしているだけ。

 .....もちろん、ここで使った「硬い心」という概念そのものがわかんない人にはわかんねえでいいわけですね。ただの狭い世界で通用するだけの「符牒」に過ぎないので。でも少なからぬ外部の人にもフィーリングで通じる「効果」があればそれだけで現実へのささやかな波及効果という点では十分なのである。

 要するに、私は、この世に「アンチこういちろうサイト」を一つぐらい生み出す上で一番「罠にはめやすい」サイトを選んだだけで、そのことでほんの少しは浜崎あゆみさんにあやかりたい(爆)という、それが「目的」の一部であった「ともいえる」ことにすでに気がついているのなら、空しくなる筈ですが。

 公然とこっちのサイト名を取り上げ、リンクすら張ってくれるアンチサイトをひとつでも生みだせれば、それがその分ささやかに世間に認められるきっかけになるのである。その標的は、当然自分よりアクセス数が多くて、ちょっと思い上がったところがあるわりには何か勘違いに気づいていないサイトが望ましい

 その一方で、こういちろうが善人であり、少しお人よしで、謙虚でナイーブでピュアーですらあり、その一方この世の正義の味方であり、誤解をただし、学問的良心のかたまりであり、なおかつしたたかなリアリストでもある、愛すべき人物であること(誰か愛せよ!)は、このブログ実際に読んでいただければ伝わると思うので。

 (私の側にもっとキャパがあってもいいのではないか、あるいは、私の方が相手を買いかぶった挙げ句に勝手に幻滅しているだけでないかと言われれば、そうかもしれないのだが。.....ともかく、「物足りない」のである。カウンセリング関係のサイトの現状に。当面は、何より自分のサイトのあり方について、もっと吟味していきたい)


******


 .....ああ、これでやっと、これまた,このブログの宿題の一つだった、ウィトゲンシュタインへの私の関心を具体的に書くことと、それがフォーカシングへの私の関心とどうつながるのかを一気に書けてしまった。


******


 なお、中井久夫先生は、ウィトゲンシュタインの「前期」論理実証主義から「後期」自然言語学派への転換を、「自己治癒の過程」としてとらえる小論を書き、それは中井久夫著作集に収められています。

 著作集「第3巻:精神医学の経験 社会・文化」所収の「ウィトゲンシュタインの”治療”」というエッセーです。

2007/05/01

解体した時間が修復されるまで。

 このサイトに来られた方は、私が物事に対して関心を持つ際のスタイルが、ディープであるか、まるでそのことに関心がないかという二極分化がかなり極端なタイプということはお感じかもしれない。

 この傾向は子供時代から顕著であり、自分が何かに夢中になると、気がついてみると、そのことについての詳しさの度合いは、周囲の人よりも遙かに強烈という状態にいつの間にか陥ることが多かった。

 これはさほど関心を強く持ったつもりではないことにすら当てはまることが多く、私の得意科目というのは、たいていの場合、「ある時突然クラスで1番になる」「ある時突然学年で2番になる」などということをきっかけに成立することが多かった。

 まあ、「得意科目」というものは、得てしてそういう「偶然の成果」をきっかけに、「それならばこれからもこの科目に力を入れたら結果が出せるかもしれない」などという意識的努力をするようになって、安定した成績を維持するようになったという人が多いかもしれないが。

 この前自転車のことでも書いたけど、家族とか、周囲が私に何かを身につけさせようとしきりと干渉したり、学ばせようとする場合には全くに近く成果が出せないできた。

学校の勉強そのものがそうであり、小学校中学年頃は、親が結構つきっきりで私の勉強を教えようとしたことがあったが、その頃は、好きな社会科以外全く成果が上がらす、小学校6年生のはじめの業者実力テストで何の弾みか学年で総合2番になったことをきっかけに、その年、某有名私立中学の受験(要するに「久留米大付設」ですね)を真剣に考えるところまで、受験勉強というもののおもしろみに「自分で」取り憑かれたのである。

 最終的には、親の方が担任に申し入れ、担任が私に受けないことを勧める形で(さもないと、附属中への内部進学の道が閉ざされるので)断念したのであるが。

 その後、私の両親は、私の勉強に対して「一切」干渉しなくなった。これが私をすこぶる苦しめることになる。つまり、努力すれば附属中の学年上位に食い込めるのだが、「では何のために自分はそのことをやるのだろう」という動機づけがないことが気になりだしたのだ。

 自分は勉強が「好き」なのだろうか? 単に「名誉欲」のために勉強しているだけではないのか? あるいは、成績が落ちることで周囲のクラスメートからの評価が落ちるという「思いこみ」(確か、自分で「空想的な制裁への恐怖」と命名した)に縛られているだけではないのか????

 教員養成大学の附属であり、しかも私立の久留米大学医学部が地元にあるため、医者の跡取りを期待される開業医の師弟が生徒に多い小中学校であった(ちなみに、小学校受験前に「お受験」の為の勉強を強制された記憶は全くなく、「附小」への進学のためにあるとされた地域の2つの幼稚園の出身者ではない、2人の合格者の中のひとりだった。要するに、ある日突如自分の幼稚園を休まされて親につれて行かれた場所か受験会場だった、というくらいである)。

 周囲にはほんとうに私からみて勉強ができる秀才が少なくなかったので、そういう人はともかく、自分がエリートコースに乗ることがあり得るというイメージそのものがまるでなかった。そういう欲もなかった。社会に出た後の自分というイメージが全く描けなかったのである。

 親も、恐らく私が跡を継いで税理士になることを暗に期待していた時期はあったとは思うが(そろばんは一時期習わせれたが続かず)、はっきり口頭でその希望を向けられたことは皆無だった。ところが私の数学の成績が思わしくないことは、中学に入った頃から徐々に顕著になったため、そうした希望を早々に諦めた......これは、後で聴いた話である。

 こうして私は、中学の2年になる頃、勉強への外的なプレッシャーが全くないのに成績はそこそこいいという状況を自分で支える根拠を完璧に喪失する。私は勉強が手につかなくなり、夜遅くまで「自分はなぜ勉強をするのか」についての思索を重ねる膨大なノートを執筆し、それをひとつの「哲学大系」にしたいという思いまで抱くようになる。

 岩波文庫の青版を買いあさり、カール・ヒルティの「幸福論」と出会ったのもこの頃である。こうしたノート書きに徹夜して、学校では居眠りしていることもあるという、かなりの問題児になっていく。

 この頃から、全然勉強はしないのに、業者テストの、それまで格別ぱっとしたことがなかった国語の成績だけは、極論すれば、どんなに気を抜いて、てきとーに試験に臨んでも、問題用紙の前に座って答案を書くだけで、学年1番、2番という状態がはじまる。3年生の時、夏休みの宿題を美術と自由研究以外ぜんぶ白紙で提出して、担任に呼び出される一方でである。

 こうして私は、地元の大学進学希望者の多くが進学する、旧藩校(はっきり書けば、「明善高校」ですね)に不合格、電車で40分、バスで20分かけて,当時は男子校で今ほど偏差値も高くない「滑り止め」だった私立高校に通い始める。筑後地域の同世代集団から脱落してしまうのである。

 高校の中では、ちっと勉強すればそこそこ学内ではいい成績になるのが当たり前だった。ともかく受験に関する外的プレッシャーが皆無だった。だから、業者テストの合格可能な大学の評定が、最初の頃の「よすぎるくらいの」評定から、周囲に追いつかれてどんどん下がろうと、「東京の私立大学の哲学科」の合格可能性が万全である限りは気にしなかった。

 「東京の大学には入ってひとり暮らしをすること」.....これだけは、自分に必要なことだという確信だけはあったのである。

 まさか、その4年後。フォーカシングとの出会いをきっかけに、どれだけ身の程知らずであろうと、自分の進みたい大学院に進学し(学部時代の私の感覚からすれば、「立教大学」の心理学科なんて、学部ですら、自分とは縁のない、「天上」の別世界だったはずなのに、今度はその大学院をダイレクトに目指そうというのである!!)、最終的には東大の大学院の研究生まで、師の村瀬孝雄先生を口説いて「自分から」志願するという厚顔無恥を平然とやってのける人間に一転してしまうのである。

 終わってみれば、結局、自分が中学時代に一度降りたレールに、独創的な形で(?)復帰したともいえる気もするが、結果的に、私の中に、いわゆるエリートのブライドやら、優等生的社会性というものはまるでないまま、ひょんなことから「異物」としてもぐり込めてしまった......みたいな思いはずっとぬぐえていない。


******


 敢えて言うと、自分がやりたい目的の達成の為に「勤勉に勉強に熱中する」という、長年夢に描いた理想は、何と、45歳で開業してから後に開かれたといっていい。

 今は、何となくテレビを見る時間など全くない。趣味に関する時間も完全に自覚的にコントロールされている。何となく過ごす時間などない。そうした時間があれば、たいていこのブログの執筆に埋められている。

 その意味では、このブログを書いている時間だけが私の「逃避」であり、気ままな「娯楽」なのだ。しかし、それが自分の専門についての考察を「ライブで」深める場としての色彩も強いので、「これも仕事のうち」とすら言える。

 最近は、msn=毎日にほぼ限定してひとわたり記事をあさる習慣を除くと、事前にブログのために何か本を読んだりビデオを見たりという感覚もなくなってしまった。極論すれば、「ベスト20」連載を除くと、いつも、書き出すまではいったい何を書くのか自分でも予想がつかない状態で何となく書き始めているケースばかりである。 面接時間のスケジュールと折り合いをつけながら記事を書いているという印象の時も全くない。

 その時の自分の身体の声に聴きながら「やりたいことを、やりたい時にやっている」でけで、起きてから寝るまでのスケジュールが終わる。幸いにして、予約された面接時間に自分の体調と精神状態のピークを持ってくることに関しては、全く苦痛なく、むしろ当然のこととしてコントロールできる。

 ちなみに、お会いする前に、おっくうになったり、何となくお会いするのがしんどいなとクライエントさんに感じることは、気がついてみたら、最近は「皆無」となった。クライエントさんの希望に一致する限りは、それこそ自分のフィーリングで面接予約時間を決められるし、面接と面接の間を絶対に30分開ける鉄則を崩していないと言うことも大きいのだろうが。

 だから、今週のような「大型連休」(NHK表記.....(爆))となると、逆にどう過ごすか困ってしまう日も出てくる。引っ越し以来長らく組み立てないままの家具とか、3年前に買ったままのDVDとかがあるので、いくらでも時間が埋められてはしまうのだが。

 むしろ、私の感覚だと、慢性的に

「時間があと少しあればなあ.....」

なのである、不思議なことに。

「浪費した」と感じる時間もほとんど全くない。

 ......やっと「英字新聞」を購読しよう.....という気には自発的になった。

Mainichi- Weeklyさんにしましたので、よろしく。

(おいおい、どこの誰に言ってるの!)

1381680611

「わかった」とも「わからない」とも安易に言わないことに耐えられること

「わかった」ふりをするみかけだけの受容は得てして有害です。

 しかし「わからない」としかいえないのも有害ですし、「これはこのような意味なのか?」と問い質す際にも、あまりにとんちんかんなことだけ返ってきたら、相手はそれを修正する意欲そのものを次第に失うのが普通です。

 その責任を修正を返さない人間にのみ帰すことはできません。

 必要なのは、安易に「わかった」とも言わず、「わからない」とも言わないことの宙ぶらりんに耐えて、「生き残る」ことと思います。

 これは、議論にも臨床にもネットにもとどまらない、「普遍」でしょう。

 人は、「わかった」といってもらえなくても「わかってもらえた」と感じるときには感じるものですし。

♪あーおばしげれるさくらーいの

さ-とのまがりのゆうまーぐれー
このしーたかーげにこまとーめてー
よのゆーくすーえをつくづーくとー
しーのぶよろいのそでのーえにー
ちーるはなみだかはたつーゆかー♪

以上、大阪府、千早赤坂村の名称が、河内長野市との合併で消失する可能性大との報に接して、現地のお年寄りに捧げます。

(これだけでついて来ていただける読者層がこのブログにどのくらいいらっしゃるかわからないけど、これは茶化しではなくて、この歌と、私の少年時代のヒーローの一人、ゲリラ戦の天才として少なくとも戦記物に描かれた楠木正成への敬意を込めてですので。戦前の唱歌や軍歌は今でもほとんどみんな諳(そら)んじている、こういちろうより。

 なお、こういちろうは決して昭和15年生まれではなくて35年生まれです)

追記:MIDIがこちらにあります。

137972CDは、雑誌付録の形式ですが、こちらをどうぞ!!


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