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2007/04/17

なぜayuファンはayuについての風説報道に傷つくか(第4版)

 「ayuのライブは3分の1口パクだ」

という報道に、なぜayuファンが容易に傷つくのかということを考えてみたい。

 「ファンだったら、その歌手がいわれなき誹謗中傷を受けたら、当然傷つくでしょう?」

と、あっさり「わかったつもりになってしまう」前に、丁寧に振り返ってみていいことがある気がするのだ。

*****

 これは昔のayuのインタビュー記事で書かれていたことらしいのだが、"M"がヒットした頃、ayu自身、自分の新曲がリリースされる度に、ファンが怒濤のようにCDを買ってくれて、オリコン1位になってしまう現実そのものに違和感を感じていたそうだ。


 (出典)

 この、ayuの過去の雑誌インタビューをたいへん中立的にまとめた本の出典となった雑誌インタビューそのものは目にできていない私なりに推測を交えて言えば、そこに込められた、ayuの「違和感」とは、次のようなものではないかと思う。

「ファンの人たちは、私の出した個々の曲をほんとうに好きになったのではなくて、ayuの曲がオリコン1位になり続けいないとという焦りと不安に駆られてCDショップに買いに走っているだけではないのか?」

 そしてそれは、ayuのためというより、

「ayuがトップ歌手であり続ける」

→「私はayuのファンであることを光栄に思う」

→「ayuがトップ歌手でなくなると、ayuファンの人自身が傷ついてしまう」

→「だから、ファンは、無理矢理にでも、ayuにトップ歌手で居続けてもらえるように購買活動をするという『おせっかい』を焼いてくる」

.....というメカニズムの上に、曲が不自然なまでに「売れすぎて」いるだけではないのか???

 
 ayuはayuで、自分なりには、CREAのいうペンネームではじめて自分で作曲までした"M"へのチャレンジに自負と矜持はあったでしょう。

 でも、いくらなんでも「売れ過ぎ」だ。ファンの人、なぜそこまで「必死に」「無理して」「大挙して」私のCDを発売と同時に怒涛のように買ってくれるわけ?

 何か、ヘンだよ。
  
 .........こういう次元のことに「違和感を持つ」と、後になってにしても、自分から進んで公言できてしまう(ロッキング・オンでのインタビューを、どれだけ自分の意図したままの内容に仕上げさせたか.....ayuが夜中に編集長の元に突如押しかけてまで、その点を周到に強要した.....ということを、編集長自らがインタビュー記事の後日談で書き添えたこと自体がで有名な「伝説」である)あたりこそが、ayuのayuたる所以と私は思っています。つまり、実態と裏付けがない形で自分の人気だけが出てしまうのが嫌だったのね。

 それくらいに、ayu自身は、自分が熱狂的に若者のカリスマとして持ち上げられていった現実が、何か「ピンと来ない」ものだったのでしょう。

 ayuは歌手を「めざしていた」のではなく、avexへも「売り込んだ」わけではなくて、所属していたサンミュージックと「なんとなく」そりがあわなくなって(この時点でのayuは、野島ドラマ、「未成年」や実写版「闇のパープルアイ」などでの演技で「役者」として注目されていた)、仕事をしないまま街をブラブラしていて、たまたクラブハウスで知人にavexの松浦専務(現社長)を紹介され、avexへの転籍を進められるけどそれにはのらず、それから約1年後、専務さんからの携帯がたまたまayuの携帯に」「通じてしまい」、その時のノリと気分で、「歌手にならない?」「いいよー」と答えてしまったら、次に連絡あった時には、すでにアメリカに渡ってのボイストレーニングのスケジュールまで決まっていて、ayuは思わず「しまった!!」と思った、というのは、確か「ロッキング・オン」のインタビューか何かでayuが暴露した現実なのである。

 ayuは他にすることもないので、取りあえずそのレールに乗って、「居場所」を確保しただけだったわけですね(このへんはNTV「情報最前線」でのインタビューでも語られています)

 つまり、もともと「ミュージシャンとして(あるいは「アイドル歌手」として)大成する」夢と野望なんてなかった点では、全く「醒めて」いた

 でも、

1.ものごとを「やるからには」、自分の感性で納得いくことを納得できる水準でやらないと気が済まないのがayuの性分だった。

2. 当時のavexには、歌手を操り人形にするのではなくて、歌手自身の感受性に賭ける(しかない)風土みたいなものがあった(要するに、それだけ大ざっぱな、出たとこ勝負の会社でもあった)。avexの、タレント所属事務所とレコード制作会社が一体化した珍しいシステムも、タレントへの余計な組織的干渉を減らす場の構造だったと思います。

 そして、実質的には、素人の彼女が何から何まで「セルフ・プロデュース」で統括するという異例な構造が早くから成立した。ジャケットからプロモーションビデオまで、彼女の感性とアイデアが浸透するという、異例な事態である。もちろんアイデアはいろんなジャンルと部門のプロの意見を参考にしていたろうが、制作現場で最終的にOKを出すのはayu自身だったのである。

 この2つが相乗作用を起こし、ayuは、自分でもわけがわからないうちに、気がついたらカリスマになっていた

 このことが、どれだけ人気が上がり、CDが売れようとも、そのことでナルシシズムが満たされて満足してしまうことはないという、「醒めたままの」ayu独特の状況と関係あると思えます。

 「ayu自身が」納得しているかどうかの方が、ファンからのファンタジックな過剰な評価よりも、ayuにとって大事であり続けていたわけですね。

 もちろん、その一方で、ファンの期待に応えないとというプレッシャー、更に、自分の意向と関係なく"A Best"の制作と発売が決定された時はじめてayuが直面し、思い知らされた、avexという会社を成り立たせるための「商品」としての自分の役割をへの責務(="duty")との間で激しく葛藤し続けることになるわけですが、ayuの性格の独特のまじめさと几帳面さは、そういう「乗りかかった船」から決して降りてはしまわず、せいぜい2週間ほど失踪したという以外、目立った「ご乱行」がないまま、かろうじてでも、ayuなりの完璧主義を決して崩さずに走り続けるという、ほとんど無茶苦茶なしんどい状況をバランス感覚を保ったまま走り続けるという、驚くべき「現象」を生み出すことになります。

> 投げ出しちゃったら 背を向けたら
> あの時[注:ステージで?]流した涙[に感動してくれた、ファンの皆さん]に失礼じゃない?
 
(浜崎あゆみ - Secret - until that Day..."until that Day...")

 誰もが公認する恋愛対象が、今日に至るまでN君「ただひとり」というのも、これもある意味では異例な事柄でしょう(この前、N君との「くされ縁」をやや「くさす」ことを書いてしまいましたけど、それはそれですごく大事な関係であることを否定するつもりはまるでないし、今後「やっぱり『公式に』くっついた」という展開になることは大いにありと思ってますので、念のため。ふたりとも、「くっついたり離れたり」の面はあって、完全に固定的、排他的、持続的だったとまでは思っていませんが)。

 実は、今書いたことのうち、少なくとも半分ぐらいは、日本人間性心理学会の自主企画で具体的に解説した内容だったりします(そうか、このブログでは初公開だな.....。かなり自分で探した情報も加えて、ちゃんと押さえるべきところは押さえて、とっくに前提としていることは、このブログで敢えて書いてきてませんよね)

*****

 
 さて、ayuファンに顕著な心理構造の話に戻ります。

 実は、こうした、「歌手になりたくて歌手になったわけでもないのに、その状況を真っ向引き受け、しかも、自分の感性にウソをつかないで、結果を出し続ける」というayuの姿にこそ、コアなファンの少なくともある部分にとって、何者にも代え難い、「人間、浜崎あゆみ」の生き様なわけです。

 しかし、それは、裏を返すと、浜崎あゆみのファン層のある部分自身が、熱狂的であるにもかかわらず、同時に、絶えず、ayuファンとしての自己のアイデンティティに脆弱さと、容易な「ぐらつきやすさ」をかかえ続けつつも、かといってayuファンをやめることもできないまま、ayuファンであることにはしがみつき続ける、という現象をも生み出している気がします。

 つまり、ayuファンそのものが「自分はほんとうに浜崎あゆみと浜崎あゆみの歌が好きなのか?」という問題に真剣に悩み続ける不安定さを持つことも少なくない、という、その事情を知らない人からすると、わけのわからない「社会的性格(?)」を有しているわけですね。

(これは、学会でも発表していないけど、以前から暖めていて、今回初公開する問題提起です)

 ayuファンの相当部分は、そういう「自分の」存在のあり方への不安を、リアルなayuの到達点と実績、安定した力量すら無視して、即、「ayuの今後への不安」という形でayuに「投影」するという呪縛を超えられない。

 ayuがNo.1アーディストであり続けてもらわないと、「No.1アーティストのファンをやっている」ことでかろうじて維持されている、ファンの人自身のプライドに大きく傷がついてしまいかねない。

 一般の人には、非常に大袈裟に響くだろうを承知で言えば、

「ayuが駄目になったら、私の人生は、"ayuファン"よってかろうじて維持されているというアイデンティティの基盤そのものを見失い、(極論すれば)生きる目的や生きがいを喪失してしまう」

という危機感と背中合わせに生きているのが、コアなayuファンの相当部分の生き様であると言えるのではないか。

 そこまで強烈な「同一化」を、ayuファンの相当部分はayuに対してしているということである。

 ayuは、ファンの人の「人生」そのものの「代理人」であることを背負わされている。

 ayuがステージで歌い踊る姿を客席から見守るファンたちは、その瞬間、自分がayuになって「人生というステージでスポットライトを浴びて大活躍している」幻想に浸っているのだ。

 この強烈な「同一化」の結果、ayuファンの中には、自分が傷つきやすい人間であるがごとく、ayuも傷つきやすい人間であってもらわないと困る」という、何とも屈折した意識が横たわりがちで、「しっかりした、大人のayu(本人は「大人でない」というけど、オトナになりきれない自分を自覚しつつオトナ社会をオトナとしての責任を果たして結果を出していけるのが、ホントの『大人』ですから、ayuは十分「”プロセス的存在”であり続けるものとしての大人」なのだ)成長していくayu」というものを受容できないという特異な傾向を生み出しているのである。

 結局、

1. 「自分たちがお節介を焼き続けないと傷ついてしまうayu」という幻想

と、

2.ayuへの誹謗中傷に傷ついた「自分の傷」を、「ayuに」癒してもらえないと無力

という、一見無矛盾したことがごちゃまぜのまま両立している。

 ayuは、そういうファンから背負わされる重荷に縛られ過ぎず、「自分」を保ち、しっかり育てることで、ある程度ファンを少しずつ『脱錯覚』させることも促しなからも、最終的にはファンを見捨てない、という、何ともシビアなバランスでの生き方をとっていくしかない。

 以下、私の想像だけど、ayuは、心の奥で、次のことを間違いなく望んでいると思うよ。

「いつまで発売日に新曲のCD買って、コンサート通いして、ayuのことばかり追っかけているの? ayuのファンをやることばかりをいつまで『生きがい』にしているの?

 いい恋人とかを見つけたり、仕事で充実した生きがいを見つけたりする中で、気がついてみたらayuのことなんてどーでもよくなって、ayuのことを忘れてくれてもいいんだ。

 ayuは多くのファンの皆さんにとっての、ただの『通過点』に過ぎない存在になるくらいで、ちょうどいいんだと思う。

 ・・・・でも、もし、何か人生でまた辛いことに出会った時に、あなたがふと、ayuはどうしているのかな?って思った時に、ayuは今でもステージでとことん前向きに頑張っているよ!!って姿を伝えられて、よーし、僕もこんなことでへこたれているわけにはいかないな!って思ってもらえるきっかけぐらいにはなれたら嬉しいよ。

 だから、ayuこれからも、どこまで、陽のあたる現役バリバリの「新曲が話題となる」歌手で勝負できるか、とことん挑み続けるよ。そう簡単には、昔の名曲ばかりをステージで繰り返し歌うだけの「往年のアーティスト」なんかにはならないつもりだよ。

 ayuは、これまでの実績にあぐらをかいたりしない「人生のチャレンジャー」のまんまだって姿を、いつでも見せてあげられるようには、やっていくつもり」

*****

 ファンそのものに何が必要なのか?

 それは、結局、単にayuに現実のつらさを「癒して」もらうのではなく、ファン自身がこの世に自分なりの「棲息スタイル」を見いだして行き、そういう社会的「現実」存在としての自分のアイデンティティに健全な自尊心も育みながら、そういう自分を背景として、ayuファンであることをも自己肯定できるプロセスを歩んでいくことでしかないようにも思える。

 ayuも現実の中で前に進み、ファンたちも「現実の中で」前に進む、という「相互作用」に。

 まさに自分なりの「現実の中での居場所」、存在スタイルを公示しながら、ayuファンできるか?

 きっとその時、ayuは、もう、

> 今もここで 私は変わらず
> 居場所をずっと 探しています
 
浜崎あゆみ - Secret"Secret")

などと、悲愴なまでに切々と、歌わずにいられないジレンマを、

ファンと「共に」、「相互作用的に」、

少しずつ抜け出すのではあるまいか?

> 手遅れになる その前に

......と、信じたい。

浜崎あゆみ/ アルバム"Secret"

*****

●おまけ

ayuが実写版のテレビドラマに出ていた!! と当時は知らなかったけど、実は原作の「闇のパープルアイ」はファンでした(^^) (ドラマの倫子役ではアリマセン)

 当時ドラマ観ておけばよかった。ビデオレコーダーも持ってたし。

 実は、ここでは場所は紹介しないし、リンクもトラックバック受諾もしない方針ですが、15歳の頃のayuさんの映像の中にはかなり前の時点でネットでは見ていたものもありますけどね。「眼鏡っこ長髪のayuちゃん」とか(「パープルアイ」の頃のかな)。意外と中本静系の雰囲気で、若かりし頃の私だと、ああいう雰囲気の子が身近にいたら、芸能人でなくても「好意を抱いた」と思う(爆)。

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コメント

 この、すでにアクセス数的にもかなりのヒットを記録し始めている記事(右上のベスト10は「前日までの一週間分」なので、反映し始めるのにはあと1,2日かかるでしょうね)、第3版で決定稿だと思います。

かなり細かく手を入れて来ました。初稿しかお読みでない方には十分ご再読の価値があるのみならず、ayuのことに無関心なカウンセリングの専門家にも,予備知識なしに、十分読み応えのある内容であると自負いたします。

 文字通り、私の浜崎あゆみ論.....というか、浜崎あゆみの「ファン」論、なんですが.....としての「代表作」となったとも自負いたします。

 ちなみに、臨床専門家の皆様、本文だけで、私が精神分析家の中で、もっぱら誰の影響の元にこの内容を書いたのかがおわかりでしようか? ....私としては「ピンと来ていただきたい」のですが?

 理論の説明は敢えて全く省略していますが、正解は、Mastersonです。私が第3版でリンクを張ったmsnの特集記事の事例について、筆者の先生が準拠しているのもこの人の理論的枠組みと十分推測できます。

 これについては、私がすでに10数年前、学会発表している「セーラームーン」論の時点で掌中にしていた分析手法で、学会発表後に著作(左フレームの"My favorite books"参照)にしていた「エヴァンゲリオン」論でも適用していたものの更なるバージョンアップした拡張的展開に結果的になりました。

 これは書いて行く中で自然とそうなって行くことになったのですが、私としては、自分のこれまで積み上げて来たもののすべてが統合されて行くという思いも強く、感慨深かったですね。

*****

 ちなみに、浜崎あゆみ自身、最近の雑誌インタビュー("PINKY"2007年5月号)で、

 「自分のCDが出す度ごとにヒットし続けることについてどう思うか」

という質問に、

 「うちに来て下さい。一晩かけてご説明します」

というぶっ飛んだ応え方をしています(^^)

 ....ああ、この点では今も"M"の頃と似た思いも引きずっているのかな、と私は苦笑し、それこそayu様にこの記事を読んでいただけたら、

 「あ、それ!」

といっていただけるかもと妄想しておりマス(爆)

 少なくとも、「半分くらいは」的中とおもいますので。

 残り半分は、プロとしての商業的採算と絡む領域でしょう。


****


あと、記事の最後に「闇のパープル・アイ」に絡めておまけとして出て来る「中本静」って、ゲーム史に残る名作、「卒業」というゲームのキャラクターですね。このゲームへの私の思い入れと現在の入手方法は、この記事のずずずーと最後の方に書いています(^^)

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