旧来の人格モデルは、一人の人格の中に、「障壁」の両側にそれぞれいる、「複数の主体」の存在を仮定せざるを得ない -カウンセラーこういちろうによるジェンドリンの体験過程理論の解題 断章-(2)
ジェンドリンの体験過程理論の基本文献「人格変化の一理論」のごく短い断章についての、私の参加する勉強会(何しろ、ここ10年間、月に一度、1-2時間、ねちっこく進めているのに、日本語訳で40ページ前後の論文がまだ読了されていない、という、驚くべき牛歩の歩みなのに、参加メンバー固定のまま誰も投げ出していない)での「ある特定の回の」やりとりを、やや要約し、脚色つつも再現する連載シリーズ、第2回です。(第1回はこちら)
*****
ある人が全く幸せな気持ちを感じながら場を去った。だが四日後に,彼は,あの時実は自分は起こったことについてひどい怒りを持っていたのだと覚る,彼は自分がず-っと怒りの気持ちを持ち続けて「いた」(has been)のだが「そのことに気づいていなかったのだ」と感ずる。(旧訳・新訳同じ。原書p.138 新訳p.218)
ここまでの部分は、前回に私が説明したことで、共通理解があるという前提で進みます。
さて我々の理論は彼が現在,怒りと呼んでいるものがずーっと気づかれることなしに彼の身体の中にあったという考え方を否定する。我々の考えでは,何かがあったのだが,怒りを持つという過程はなかったのである。彼はそれを今怒りを持つ,と呼んでいる。なぜならば,今彼はその過程に参加しており,彼の現在の怒りが,過去4日の間自分が身体的に感じていたある条件を「満たし」「放電し」「解放し」「象徴化し」「完了している」こと……すなわち早くいえば,その条件とある深く感じられた関係をもっていること……を生理的に彼に知らせるようなある解放惑(定義8[新訳:定義h]を見よ)をはっきりと感じているからに他ならない。過程は生じていなかったのであり,それは,今になってはじめて変更をうけている或る生理的条件の方へと進んでいたのだ。「構造に拘束された」体験が「完了する」ときに我々は,以前にそれが何であったかが今わかるのを感ずるのである。そのときに,そのことがわからなかったのは,今進行している過程はそのときの停止した条件とは異なっているからである。 ([ ]内以外旧訳・新訳同じ)
Now, our theory denies that what he now calls anger was in his body all along, without awareness. Rather, there was something, but not the process of being angry. He calls it being angry now, because now he is engaged in that process, and he clearly feels the releasing (see definition 8) quality which physiologically lets him know that his present anger "satisfies," "discharges," "releases," "symbolizes," "completes"--in short, has some deeply felt relation to--the condition he physically felt during the four preceding days. The process was not occurring, and that made for a physiological condition which is only now altered. When "structure bound" experience "goes to completion," we feel that we now know what it was then; we did not know it then, because the ongoing process of now is different from the stopped condition of then.
(太字は原文のイタリック。訳書にもある)
******
こういちろうの講釈:
ここでいきなり、
「我々の理論は彼が現在,怒りと呼んでいるものがずーっと気づかれることなしに彼の身体の中にあったという考え方を否定する」
と出てくるのは、ジェンドリンが、体験過程理論において、旧来の人格理論の多くが準拠していたパラダイムを、「抑圧モデル("repression paradigm"」と「内容モデル("content paradigm")」として否定しているということなんだけど、誰かさっきの実例を、例えばフロイトの意識と無意識の理論のモデルで、黒板で説明してくれる?」
.......(沈黙)..........
A:「(Bに)前回の要約までまとめてきたんだから、お前、やれ」 [注:お坊さん]
B:「エ? 私? ウッソーン!!(^^;)」 [注:既婚者の私より年上の保健師]
こういちろう:「わかった」とうなづいたんなら、その理解を図示して説明してくださいませ。「理解した」とは、「他人に自分なりに臨機応変に説明できる」ということである(^^)
(......Bさんの説明と図の経過は省略.......)
こういちろう:......では、この図を使わせてもらって、修正、加筆する形で説明していいかしら?
前回の実例には、大きく分けて、3つの時期があると考えられるわけ。
*《第1幕》: 「ある特定の状況(a certain situation)」、たとえば4日前のデートの日には、実際、すごくハッピーだった。
*《第2幕》:それから3日間、デートの日のことを実際にハッピーだったと感じていた。
*《第3幕》:4日後、実はデートのその時、デートの中でのある出来事(what happenned)に怒りを感じていたし、この4日間ずっと怒りを感じ続けていた(have been)と気がついた。
.......《第1幕》の4日前のデートの時に、実際に楽しくも感じていたことを否定して、それを精神分析の防衛機制としても「反動形成」であると決めつける根拠まではないと思う。
でも、旧来のパーソナリティ理論なら、フロイトでいえば、無意識の次元では実際に「怒り」という「心的内容(content)」をすでに実際に感じていたけれども、それが意識にのぼる前に「検閲」され、無意識の領域に「抑圧」されたととらえる必要はある。
こうなるとね、いわば、ひとりの人間の心の中に、分割された2つの「層」....「小部屋」みたいものと、2人ないし3人の「人」というか、人格みたいなものを、一人の人間の中に考えねばならなくなるの。図で書くとこんなふうね。
*人格a:「無意識」の住人。「怒り」や「幸福感」を「感じる」人。
*人格b:「無意識」の住人。aの感じた「幸福感」や「怒り」を「意識」の側に送りこんでいいかどうかを《検閲》する人。「怒り」は却下。「幸福感」は通関OKと判断。
*人格c:「意識」の住人。壁の向こうのaやbという存在そのものには気がつかないまま、「意識」に入り込んできた「楽しさ」だけ「感じる」人。
つまり、「怒り」そのものは、「無意識」にあるか「意識」にあるかの違いこそはあるものの、「怒り」という同じ《質》の「内容(content)」であるという前提に立っていることになる。そしてそれが「意識」にのばるか「無意識」にとどまるかだけが差異であると仮定される。
(注:ビオンやウィニコット、バリント、サリヴァンあたりになると、こうした、無意識と意識の内容の「等価性」を前提としていないようにも思える)
だから、《第2幕》になっても、《第1幕》ですでに感じていた「怒り」が、無意識にそのまま抑圧されて「存在し続けて」いたという図式になる。
そして、《第3幕》になって、こうやって4日間無意識の中に存在「し続けて」いた「怒り」が意識にはじめてのぼる。その結果「4日前のデートの時からずっと怒り続けていた」という気づきが4日後になったはじめて生じる.....と考える。
つまり、4日間、「怒り」は無意識という冷蔵庫の中で「凍結保存」されていたか、意識にのぼろうとしても、《検閲官》bに差し止めを食らい続けたか、どっちかとみなすことになる。
******
このあと、この部分を最後まで解説するか、一気にジェンドリンならどう説明するかまで解説するかは判断保留のまま、とりあえずここまで記事としてアップします。
ほんとは黒板に図示した図まで再現してブログ上で掲載したいのだか.....それは版を改めて。
*****
だた、「脳のニューロンの各反応について「判断」する小人(ホムンクルス)のようなものを仮定しないとならない理論は、無限後退を必要とするので論外」という、「脳とクオリア」での茂木さんの主張(p.35)と関連づけられるかもしれない....とは、とりあえず示唆しておきましょう。
(これで宿題を「少し」果たし始めた(^^;)
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