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2007年4月

2007/04/30

患者から学ぶ(第2版)

 ケーススーパービジョンにおいて、カウンセラー(スーパーバイジー)は、スーパーバイザー「から」事例の進め方を学ぶのではない。

 カウンセラーのクライエントさんとの相互作用の中からの学びをサポートする存在に過ぎないともいえる。

 その意味では、もし、スーパーバイザーも、スーパーバイジーのカウンセラーや、そのカウンセラーのクライエントさんから新たに学ぶ何ものをも見いだせなかったとしたら,恐らくそこでなされているスーパーヴィションは、偽物の「何か」であるに過ぎない。


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※この書き込みは、ケースメントの「患者から学ぶ」(まだ感想が書けるほどには読めているとはいえません)とは無関係な、私個人のスーパービジョン観ですので,念のため。

 ケースメントの「内なるスーパーバイザー」の育成の問題とはリンクするかもしれませんが。

 更にいえば、むしろ、
Jungpsychotherapy
こうした思いを私に抱かせるきっかけは、ユングの「心理療法論」に収められた「心理療法と世界観」という論文にある、

 「患者と治療者の真に治療的な関係は『弁証法的』過程である。さもなければ単なる『暗示療法』であるに留まる」

という言葉からの応用問題として脳裏に浮かんだと理解していただく方がいいでしょう。

 以前も一度引用しましたが、(林道義 訳 p.68 改行、下線はこういちろうによる。):


 世界観は療法家の人生を導き、彼の治療の精神をかたちづくる。それは最も厳密な客観性を持っているとはいえ、何よりも主観的なものであるため、恐らく何度となく、患者の真実に触れて砕かれ、そしてその真実によって新たに再建される。

 すなわち、信念は容易に自信に変わり、そこから悪くすると硬直に変わる。硬直化したのでは生きているとは言えない。信念が強いということは、それが柔軟で修正がきくということであり、あらゆる高度な真理と同様に、信念が皆に認められるのは自らの誤りを認めることによってである。


 ....ゆえに、ケーススーパーバイズにおいても、スーパーバイジーのカウンセラーから、クライエントさんとの関わりの話を聴く中で、スーパーバイザーにも「弁証法的な」新たな発見がなければ、表面的な,通りいっぺんのものになっていると想定できるわけですね。


 なお、この記事もご参照ください。

クレしんちゃんは待たれよ

「クレしんちゃん」オトナ帝国の方は、何と2年近く前に購入しながら、パッケージも開かないまま。

 実は1ヶ月ぐらい前に封は切ったのだが、観ないまま。

 今回観ようとしたら,中身がない!!

 ......きっと,他の空きケースに移動させたのであろう。

 ......ということで、それが見つかるまで待たれよ。

 翌年の、「嵐のアッパレ戦国大作戦」は劇場で観てまして、非常にまっとうな作りの,大人も泣ける域の佳作と感じてますから、これより評価が落ちることはまずないでしょう。

適度に,自分を中心に地球をまわせること。

 実はmsnの「モテる恋愛塾」の連載を結構楽しんで読んでいたりもするのであるが、今回はその中の「やり過ぎちゃう」惜しい女性の場合からの連想。

 この種のウェブサイトの記事は、女性向けのものが多いのだが、例えば恋愛心理テストみたいなものを、女性になったつもりで男の私がやってみる、などというのも,結構おもしろい発見があるものである。

 はっきりいって,男性誌の「恋愛講座」ばかり読んでいたら、逆に女性観が一面的になることは間違いない。女性について学びたいなら、女性誌こそ読め!!というのは、一般的に言っていいことだろう。女性誌に載っているモデルさんとかにしても、男の目からすると全然「萌えない」ことも少なくないわけだけど、女性から見た女性イメージと,男性からみたそれの、ほとんど皮膚感覚的なギャップというものを体感することはいろいろ意味がある気がする。

 実際に彼女や女性の気の置けない知り合いがいたら、その人の読む女性誌をちょっと読ませてもらうだけでもいいかもしれない。まあ、そのことに「すごい」抵抗を示したり、それだけで変人扱いするような女性というのはたいしたものではないと思う。(もとより、「てめー、変人ーン!!」程度に軽口たたく女性を笑いながら受け入れられない男もたいしたものではないともいえる)

 これは逆もまた真であり、女性に男性誌を読ませるのを嫌う男なんて、ろくなものはいないと思う。それこそ男の「そこそこスケベ雑誌」を一緒に気軽に読んでジョークを飛ばしあえるぐらいでないと、気のおけないカップルとはとてもいえまい。「あんた、こういうので抜ける?」ぐらいの対話がきさくに言いあえるくらいがナチュラルだと思うのだ(まあ、そこまで口に出来ないなら、「男の人にとってはこういうオンナの子が魅力的なの?」ぐらいでいいとは思うが)。

 そういう意味では,先日引き合いに出したリア・ディゾンなんか、男性と女性が、「こういうところは魅力がある」などとお互いに言い合うネタとしては、抵抗感が少なくて格好かとも思う。


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 .......なーんてことを、わざわざこういう場で書いていたら、それこそ、「このオジさん、まじめだ、やっぱり」などと思われてしまう可能性があることは重々承知で確信犯で書いている。

 だいたいにおいて、カウンセラーになんかなる人間なんて、どこか軽く神経症的ですらある。少なくともそういう経歴を持っていることが普通だし、そうでなければこの職業そのものを選ぶ動機づけがない。

 そして、そういう神経症を克服していったとしても、それこそ「神経症を克服した人間」独特のクサみというか、むしろ人工的な透明感というか、「脱臭済み」の不自然さみたいなものを漂わせていることが少なくない気がする。

 仮に相当人間くさいところを示すとしてもその人間くささそもののが、どこか「脱臭済み」といいたくなる微妙な違和を放つわけである。.....これって、カウンセラー同士の対人関係につつまれたカウンセラーの方自身、あるいはカウンセラーの個人的知り合いをお持ちの方は、結構多くの方が得心するところではないかと思います。
 

*****


 我ながら思うのは、(このへんからmsnの記事とさりげなくリンクするのだが)、私の、仕事上の、そしてプライベートな対人関係を考えてみても、その距離感の遠い,近いは別にして、全体として、ある「完全主義の融通の利かなさ」という病にお互いを巻き込みあうようなところが多分にみうけられる気がする。

 ユングふうにいえば、まさにそういう布置(constellation)にある(あった)というか。

 ある観点からすると、私なんて、どんどん「ゆるく」なる方向に変化してきた人間だろう。極端な話、この一年間の間でのそのあたりの変化は更に加速していて、恐らくしばらくぶりに顔をあわせる人は、体型に始まり(爆.....体型はむしろゆるみがなくなっているが)、いろんな意味での印象の変化に戸惑われるかもしれない(すでに、そこそこ言われている)。

 ところが、そういう人間になるにつれて、むしろ、ある意味ではさりげない一言の心づかいが,我ながらよくここまでロー・カロリーででき「ている」ようになってきているのかなと思う。相手が、私も思わぬ私の一言(?)に、思いもよらない形で気持ちを動かしていることに気がついたりする。

 以前だと「無責任」で「自分本位」といわれたような部分......人はそれを「マイ・ペース」などと呼んだが、それはおかしい。なぜなら,当の私は「マイ・ペースしかできなかった」のだから.......が、むしろマイ・ペースになることによってこそ、周囲のリズムとおのずからかみあうようになってきたと思う。


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 今述べたことと論理的には矛盾するかにみえつつつも実はつながっていることを書けば(爆)、

「自分を中心に地球が回っていると思っている奴」

という表現がある。

 ところが、実際には、周囲に細やかな気遣いをする人間の方が、裏面的には、むしろ「自分を中心に地球を回そうとしている」弊害を引き起こしていることが多い気もする(私にもそういう面があると思う)。

 以前書いたことにもつながるが、対人恐怖の人は、周囲からの孤独感の一方で,実は、世界中の人が自分に注目し、negativeな「関心」を向けているという、ものすごい天動説の世界観になっていることに気がついていないことが多い。

 あなたはただの「通りすがり」であり、浜崎あゆみではないのだから、街でみかけられた10分後に、マクドナルドで「嫌ねえ」という会話のネタにすらしてもらえなくても「甘受」せねばならない。

 むしろ、自分が、匿名的存在であり、すぐに忘れ去られるということにこそ,居心地のいい自由を少し感じるくらいになれる方が、こういう人には望ましいのである。

 これこそ、浜崎あゆみが「あなたは私が失った自由を持っている」と、最近繰り返し歌わずにいられない事柄だ。

(例えば浜崎あゆみ - MY STORY - About You"About You"ですね。最近の「ベスト2」にも入りましたが、オリジナルのアルバム"My Story"紹介しておきます)

 多少、それで時には実際にクレームをつけられるくらいでちょうどいいのである。クレームに拮抗するだけのポジティヴなもの(あるいは「害のない」「罪のない」事柄)を実行できていればそれでいいのであるし。

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 そして,多少は、人は「適当に思い込む」自由というか、「自分を中心に地球が回っている」と妄想する自由もあるのだと思う。

 早い話、今の私は、それこそ天下の毎日新聞とmsnウェブサイトが、私のブログに多少影響を受けて記事を書くことがたまにあるというのをそこそこの信憑性で信じている。きっとその中のいくつもは全く偶然のものなのであるが,借りにそうしたことが実際には全くゼロであった場合にも、そういう思い込みをいだかせてもらう自由は行使したいとすら思っている。

 だいたい、例えば恋愛において、「これあの人が私のためにやってくれたことなのかな?」などという思い込みを全部切り捨てたらつまらないことこの上ないであろう。「ばーか。勝手に思い込むなよ」からこそ、その相手との関係が深まるきっかけがつかめることもある。 

 恐らく私の中に「私は日本のフォーカシングのために神に選ばれた使徒である」という思い込みが早くから形成されていなかったら、今日のカウンセラーとしてのわたしの現実そのものが全く形成されていない。


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 そして,最後に,人は、ささやかな形であれば、「自分を中心に地球をまわす」権利があるのだと思う、実際の行動や他者への働きかけの中で。


******


......何のかのといって,実はこの記事そのものが、昨日観た、「時をかける少女」への感想文の続きですね。

「時をかける少女 」(監督:細田守 声の主演:仲里依紗)

 ここまで書いて来て自覚した。

2007/04/29

ここ数年観た「映画」の最高傑作 -時をかける少女-(第2版)

「時をかける少女 」(監督:細田守 声の主演:仲里依紗)

 前の書き込みで思い出せませんでしたけど、私が「最後に」観た新作アニメは、高橋留美子原作の「人魚の森」のテレビでの放映でした(^^;)

 

 このアニメ化そのものが、作画に多少のばらつきこそありますが、秀作と言っていいものだと思います。このテレビ放映の際のavexのCMが,私とayuとの運命の出会いです。

ayumi hamasaki RMX WORKS from SUPER EUROBEAT preaents ayu-ro mix 3

ちなみに、このお店、このCDをCCCDって解説してるけど、そうではありません。ayuのユーロビートのリミックスCDは、すべてCCCDでもHDCDでもないのですが。.......いずれにしても、私とayuとの出会いはのっけがユーロビートだったんですね。

 それはさておき。


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 今回のアニメ版「時かけ」ですが、総合的に観て、私がこの数年観た、アニメのみならず、「映像作品」の中で、最高傑作であり、こういちろう超おすすめの一本であると断言いたします。

 .....といいますか、私の観て来た「全アニメ作品」の中で、私がもっとも評価したいし、感激し,楽しんだ作品のひとつであり、この水準に到達した実写映画は滅多にお目にかかれないとまで感じます。

 まず、「エヴァ」でおなじみの貞本義行さんのキャラクターデザインがベストマッチ。

 本格的に劇場仕様アニメを見るのは5年ぶりぐらいなものですから、完全に「浦島太郎」化しているのでしょうが、完全デジタル作画と思える背景美術の繊細な空気感だけでも、私には新鮮そのものでした。

 最初はキャラクターの動画だけが平面的なのがいやに気になりました。でも、それに見慣れてくると、いわゆるアニメキャラチックな美しさはさほどないけど、表情をはじめとする演技のさせ方の動画が、むしろ古典的ともいえるリミテッドアニメの持ち味をこそ逆利用したやり方でですけど、非常に行き届いており、繊細な感情表現が、ベストの水準でしょう。

 そして,何より充実しているのは、脚本ではないかと思います。これをそのまま実写で演じさせてもイケるだろうといいたくなる,心情表現の圧倒的な緻密さとデリカシーですね。しかもそれがつくりものめいてなくて、いかにも、今どきの高校生のメンタリティと感じさせる、適度にラフな「活きた」セリフ回しになってもいる。

 でも、これ,アニメでないと、ここまで登場人物の感情をいきいきと表現できなかったことも間違いない。

 私としては、何と言いますか、今の中学生や高校生がこの作品を観ても,胸がいっぱいになるくらいに感動し、笑い転げてもくれるのなら,日本の未来は十分明るいと思えます。

 そして,私のいない間に(おいおい、そこまでいうかお前)、日本のアニメ文化が、全く順調に成長している証しを、充実した手応えで感じさせていただきました。

 この作品を観る限り、日本のアニメは、十分に、私の期待した方向「にも」どんどん前進し続けていますね(^^)


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 それにしても、主人公のおばさんの「魔女おばさま」は、主人公がタイムスリップする度ごとに、彼女の話を一から聴いていたことになるわけで、「カウンセラー」としてご苦労様です(^^)

 タイムトラベラーのカウンセラーは、こりゃ,重労働だな(爆)


 でも、何となく、彼女にも実はかつて「主人公と同じような経験」がある可能性を暗示しているあたりがニクいニクい!!


 .....ちなみに、こういちろうの計算を超えたところで、関連記事はこちらに続く。


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【追記】見終わってからやっとケース裏側の解説を読むぐらいにまっさらな形で観たのですが、この映画、昨年の封切り時は全国で6館のみで上映と知って、呆然としました。

 その後、8ヶ月のロング・ランヒット、日本アカデミー賞アニメ部門をはじめとして、国際的にもいろんな受賞歴を既に持つと知って、ほっとしたところ。

 .......しかし,この映画を最初6館でしか配給できなかったというのは......日本の映画配給業界の審美眼/鑑識眼って、どうなってるんだ????


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《注》:以前も一度書きましたが、私は大学院時代から10年ほど、「アニメージュ」「OUT」の読者欄の常連として、それこそ「阿世賀 浩一郎」の実名で次々掲載され、ついには読者代表としてアニメージュで対談し、グラビア掲載されたという経歴「も」持っています。

 例えば「となりのトトロ」や劇場版「パトレイバー」第1作のアニメージュ読者欄の感想の第1号は私なのですね。

 こうして,実名を貫いていると,自分の人生が、ささやかながら「フォレスト・ガンプ」化するのが楽しくもある、セレブではないこういちろうなのだ。


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●おまけ●

 私はもちろんNHK少年ドラマの「タイム・トラベラー」の同時代ファン。まだ小学校5年生ぐらいだったと思うけど、数年後の高校生の世界に胸ときめかせました。

 そして、大学生時代のアニメファンになってからは、大林宣彦監督、原田知世主演の「時をかける少女」の洗礼を受けている。大林監督の美学に圧倒的に酔わされたことは、私のその後の実写映画観に圧倒的な影響を残しました。

 ちなみに、原田知世さんのピクチャーレコードも確か持ってたと思う。その内容を含んで収録されているのがこのCDですね。愛聴盤。

 そして、この映画の原田知世さんが歌った主題歌の作詞作曲は言わずと知れたユーミンで、ユーミン自身による歌唱を収めたアルバム、"Voyager"は、個人的にはユーミンの最高傑作アルバムと思ってますが、これもLP時代からの愛聴盤ですね。

 更に、私は未聴ですが、今回のアニメ版主題歌は奥華子による「ガーネット」。挿入曲「変わらないもの」も収録。

 そしてこの2曲収録の奥華子のアルバム、"TIME NOTE"

 映画の中で使われたピアノ曲はバッハのゴルトベルク変奏曲、


そして、(.....ぜいぜい......)

原作本

.......お、終わった。。。。。。


******

 実は全然終わってなくて、アニメ版「時かけ」についての追記はこちら。

 そして、この映画を機会にファンになった奥華子さんの記事がたくさん続くことになります。

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 更なる追記:ちなみに(まだあるのか、おい?.......)、ブログランキングの検索でこの記事においでいただいている方がそこそこあるようです。ありがとうございます。この作品への他の若い方の感想をお読みになる上でも役立つかと。

株式会社ぽすれん

先週の人気記事ベスト20!!(07/04/22-28)

「カウンセラーこういちろうの雑記帳」週に一度の恒例、@NIFTYココログの、日曜日-土曜日の「週ごと先記事別アクセス解析機能を使っての、先週の記事アクセス「ベスト20」の発表、42回めです。

 固定リンクでのアクセス率の順位から集計しています。アクセス数が同じ場合には、訪問者実数上位の記事を上位とし,訪問者実数も同じ場合にのみ、同じ順位として掲載します。
 7×24時間、つまり4/28日(土)24:00の時点での集計です。

 それでは発表!!

 先週の一週間の総アクセス数、延べ2,978(前回2,402)。(一日平均アクセス425.49。前回343.14)、圧倒的な増加です。

 訪問者実数は、2,119名様(前回1,702名様)と、週間初の2000人台突破です。


 アクセスログ開始時からたどって「月間アクセス」単位で観たところ、昨日までの4月の28日間は、一日平均351.2延べアクセス/247.0実訪問者数となり、過去最多だった2006年8月期の、一日平均の319.7延べアクセス/ 247.4実訪問者と比較して、実訪問者数ではほんとにわずかに及びませんが(それでも歴代単独2位)、一日平均延べアクセス数では遂に「文字通り」過去最高記録に到達したことになります。あと2日あるので、一日250名様前後をGW中でも保てれば実数も新記録となるわけですね。

 「トップページへの外部からのアクセス」、前回581名様(39.8%)に対して、今回647名様(31.4%)。
 「サイト内移動」、前回564名様(38.6%)に対して今回664名様(32.1%)
 そしてロテ職人さんサイトからのアクセスシェア、実数(UA)359名様(17.4%)でありました。......何かここまでおいでいただくと、ほとんど申し訳ない心境です(^^;)

 当ブログの「一限さんでない率(リピーター率)」、これは同じ人が一度に「何ページ」記事をお読みになったかと無関係な訪問者「実数」比に基づくもののようですが、7.4%から7.6%という「定位置」へと復帰。

 「訪問周期」は、毎日おいでになる「完璧常連様」はここのところ10名様以下に落ちていたのですが、今回は、12名様という、過去最高値に復帰しました。これは、過去通算の数値ですから、なかなか上昇させられないのですが(^^)


 それでは記事別ランキングの方の発表!!

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1.欝とは、自分が無理をしていることを認識できなくなる時期にすでに始まっている(↑)36週連続

2.「2007年4月」のバックナンバー (↑)4週連続

3.インシュレーターは使わないに越したことはない(↓) 35週連続

4.オーディオにおける接点復活剤について(↑) 18週連続

5.「リア・ディゾン.....か。」 NEW!

6.列車内の暴力事件からの連想 NEW!

7.おすすめの「カウンセラーと病院との連携」関連記事index NEW!

8.犠牲 NEW!

9.なぜayuファンはayuについての風説報道に傷つくか (↓)

10.理解「しようとする」と、理解に「近づけない」場合がある NEW!

11.この事件については、報道のあり方にもご再考を求めます NEW!

12.「ケーススーパーバイズ」とは何だろう ~入門編~ COME BACK!!

13.「2006年9月」のバックナンバー COME BACK!!

14.「症状」こそ「自然治癒」の働き、という場合もある。 COME BACK!!

15.ぷろふぃーる。 NEW!

16.私のスーパーバイズ ~実践編~ COME BACK!!

17.「魔王」そして「流浪の民」はこういちろうの小中学時代の「定番」だった!! COME BACK!!

18.日常次元での「治療的副作用」への想像力 COME BACK!!

19.「疲れた」「つらい」筈なのにそう感じていな「かった」時の「独特の感覚」は本人にも「実感」できる COME BACK!!

20.通算800番めの記事:先週の人気記事ベスト20!!(07/04/15-21)


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 瞬く間に「カウンセリング・サイト」に復帰しました(^^;)。これほどCome Back記事が多かったのもかつてないかと思います。そうした中、例の、ずっと書きたかった"ayuファン論の集大成"(9位)が見事に生き残っただけでも、筆者冥利に尽きます。

 7位で、またもや「index記事新設」という誘導をかけたのもありますが、私のカウンセリング系記事の代表作の数本復帰傾向は既に自然に見られたので、後押ししただけです。どうも、クライエントさんに評判がいい記事がベスト20にも残ったみたいです。何かとんでもない大先生の発言と比較して下さったケースもあるみたいで、恐縮しています。「間接に」影響受けてるともいえますしね.....(逆リンクサーチで、元のネットでの発言読めてしまうのだ。スミマセン)。これはロテ職人さんサイトのみならず、飼い始めたBlogPetサイト経由で新規においでいただいた方もかなりあるようです。


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 これを書いている「今、この瞬間」(4/29 AM 1:01)までの当ブログ文章記事の延べ総アクセス数)は、153932、プロフィールとフォトアルバムを含めると176543、ブログの通算記事数はこの記事でちょうど817本めです。

 今後とも、「カウンセラーこういちろうの雑記帳」を、よろしくご贔屓(ひいき)に、お願い申し上げます。

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2007/04/28

こういちろう、アニメに本格復帰か?

今のところ、家に帰ったら、

「時をかける少女 」(監督:細田守 声の主演:仲里依紗)

と、やっとこさで、噂に高い、

「映画 クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲 」

を観る予定(無茶苦茶な二本立てであるが......)

 こういちろうが実に5年近い沈黙を破って観る、新しい(?)アニメだったりする。


「時かけ」感想はこちら


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 ちなみに、少し前に書いた、「こういちろうがこれまで取り上げるの」ネタは別です。まだ発売日が.....(もう察している人が少なくないってばさ。msnにもGW中のイベント記事出ているし。行かないけど(^^;)


株式会社ぽすれん

今後、開業カウンセリングルームの「株式会社」化は急速に進む

 昨年5月に施行された「会社法」についてご存知の方は、もはや今後新しく設立される会社は「有限会社」ではなくて、基本的に「株式会社」となること、資本金の最低限度額が撤廃されたことは御存じでしょう。

 こうなると、今後は、私のような零細な個人開業カウンセリングルームすら、「株式会社」として法人化することは急速に増えると予想できます。

 ちなみに、私が社長をすることになった会社の定款には、もうひとつの「事業」が明記されていますが、これは、初期資本投資ゼロ、恐ろしく手堅い、堅気の極致の収入源です。アフィリエイトとかではもちろんありません。これを副収入にされている「自営業」の人は決して少なくないだろうと思います。

 念のためにいいますと、会社の定款に書くくらいですから、アフィリエイトではありませんよ。多くの場合、親がいらっしゃる人にしか不可能だけど、実に着実な数万単位の収入源です。(親が「社員」なんですけど、そのことは別として)

 現段階はここまで!!

ネットカフェとワーキング・プアと生活保護

●ネットカフェ:生活の拠点にする若者、全国に拡大-話題:MSN毎日インタラクティブ

●見直すべきは生活保護:MSN-Mainichi INTERACTIVE 経済観測

 「ワーキング・プア」という言葉をこれまで意識的に社会現象としてとらえてはいなかったが、確かに、生活保護支給額よりもずっと低い給与水準で生活する若者たちの中に、ネットカフェをねじろにする人たちが増加することは当然のなりゆきかもしれない。

 単に「お金を支給する」ということとは別次元での対策の必要が大いにあるだろう。もちろんそれが安易な生活保護費見直し「だけ」に留まるのは議論のはき違えである。

 むしろ、求職や職業訓練システム、ワーキング・プアの人たちのコミュニティの拠点の健全運営、そうした問題に明るいソーシャルワーカーの自発的な街に出た活動を支える訓練システムと公的援助などがまずは重大という気がする。

セレブでもなく、名もなき存在でもなく。

 つくづく最近思うのは、私がネット上で取っているスタンスは、格好の絶妙なバランスの上に成立しているということである。

 私は明らかに、専門の世界では「セレブ」とはいえない。貧しい一介の開業カウンセラーに過ぎない。何しろ唯一の単著がエヴェンゲリオンの本というくらいである。

 しかし、恐らく、フォーカシングの領域では、私の名前を知らない人はモグリという域であるし、日本に十名少ししかいない、The Focusing InstituteのCoordinatorとして、トレーナーの資格認定権を持っているという意味では、日本のフォーカシングのあり方に大きな責任を有していると認識している。日本人間性心理学会の運営委員(理事)も勤めさせていただいたし、ある意味では、私の心理臨床の分野での人脈は、かなり「華麗」であり、自分でもビビってしまいそうになるくらいである(^^) 私の大学院同期で教育畑に進んだ人たちの多くはすでに、いわゆる「指定校」の「助教授」クラスである。その中にはすでにその領域で日本の第一人者とされる人がたくさん含まれている。

 そういう、「境界線」にいる人間が、ここまでくだけたサイトをネット上でやっていて、一日アクセス450前後とはいえ、個人サイトとしてはそんなに無名とばかりは言っていられないアクセス数をいただいている。

 我ながら、これは、なかなか得難い、非常に自由度が高いネット上のスタンスだと感じている。

 私は、そのことを、スリルと共に楽しみつつ、しかし、絶えず同時に、存在を賭けた真剣勝負しかしていないつもりである。

 そういう私が今後どうなっていくか、どうか読者の皆様、冷やかし半分で結構ですので、行方を見守っていただければ幸いです(^^)

2007/04/27

理解「しようとする」と、理解に「近づけない」場合がある

 「理解し『ようとする(try to)(make effort to) 』こと」は「理解するに『至れるようになること』」を必ずしも意味しませんし、「導き出し」もしません。得てして「逆効果」というのが私の認識です。

 『自分の中で』相手の何を理解できていないと感じているのかを細かく「できるだけ詳細に言語化」し、「リストアップ」することまでなら、「確実に」相手への理解を前に進めることに貢献すると私は考えます。

 しかし、相手の話が、得てして、一見テーマと無関係に思われる内容に飛んだ場合ですら、上記のようにして、まずは,「自分の中だけで」理解できない点のリストアップを「更に」重ねて行き、あとは相手が自然に語りたいことを「語りたいがままに任せて」おくと、必ずといっていいほど、「当初のテーマ」について、相手の言わんとしていたことが、「おのずから理解できて来てしまう」糸口が見いだされ、そうした場面で、最小限、ピンポイントで、項目を1つに絞り込んで、相手に疑問点について質問する(私の用語法体系では、これを「訊く」(きく)と呼び、「問う」とは厳格に区別される、より限定的な、他者への働きかけの様式です)。

 そうすると相互了解に達する確率は極めて高水準である。

 これは、ネット場面でも、日常場面でも、治療的面接場面でも「普遍的に」通用する法則と私は認識していますので。

 つまり、逆説的ですが、これが、私の「理解しようとすること」の方法論の基本です。


.......以上、ロテ職人さんのサイトへの私への書き込みからの転載です。

おすすめの「カウンセラーと病院との連携」関連記事index

 私の「カウンセラーと病院との連携」に関連する記事からピックアップして、ご紹介しようかと思います。


欝とは、自分が無理をしていることを認識できなくなる時期にすでに始まっている

「疲れた」「つらい」筈なのにそう感じていな「かった」時の「独特の感覚」は本人にも「実感」できる

......この2つは、執筆時期は隔たっていますが、「『鬱』2部作」といっていい記事です。

これに、更に

「億劫」とは、エネルギーのはけ口がうまく見つけられない状態である

も加えて読んでいただいてもいいかもしれません。


5分診療の神経科・心療内科の現実といかに対処するか

カウンセラーは、今やクライエントさんの方が薬についての「正確な」知識を持っていることも多い時代であることを忘れてはならない!!

薬物療法より精神療法の方が「高尚な」ことである、という誤解

......この3つは、カウンセラーの、投薬に関する側面サポートのあり方についての私見ともいえます。


「症状」こそ「自然治癒」の働き、という場合もある。

日常次元での「治療的副作用」への想像力

......こと「精神医療」に限らず、「医療」の基本的なあり方の問題に、カウンセラーのあり方も重ねて、共通項も探った記事で、私の独立開業現場カウンセラーとしての代表作と自負しています。


カウンセリングの開始とは、実は、クライエントさんの最初の「行動化」である

......カウンセリングに通い始める際にクライエントさんが体験する「副作用」という、ちょっと意外な観点から書いてみたもの。


「思い込みが過ぎる」ことを、実社会を生きるしたたかなシミュレーション能力に「変換」させよう!!

なんでもビョーキで済ませるくらいなら、「太古の昔、そして未来の人類にはむしろ生存に有利な資質」ととらえてみては?

........常識を逆転させた、対人恐怖の人が対人恐怖を生かして前向きに生きるためのヒント。


 そして、カウンセラーがここまで医者の薬物療法の領域に関与する発言をしていいのか?と受け取られる危険を冒した、私の集大成が、

特別連載: NHKスペシャル 「うつ病治療 常識が変わる」

です!!

******


 以上、取りあえずセレクトしてみました。


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ぷろふぃーる。(第2版)

 すでに大勢の方にお読み頂いたようですが、BlogPet「あゆさま」の飼い主の私のプロフィールはこちら

 このブログの「プロフィール」ページはこちら

 職場のプロフィールページはこちら

 自己紹介の映像こちらです。

 人によっては、ここまで個人情報出してて大丈夫かという声もありますけど、仕事上もプライベートも、何もトラブルないのですよ(^^)

 むしろ、ここまで個人情報さらしているからトラブルが起こらないのだと思ってます。

(追記:前の版まで「奇人情報」となってました(^^;)....まあ、それでもいいのですが、やはり修正)

新生活2007特集

今週は新規記事が少ないのにアクセス数が極めて多いことに感謝します

 こまめに短い記事は書いていますので、月別で初の、新規記事掲載「パーフェクト」達成が、今後の月末の私のスケジュールから見てもほぼ確定しましたが(^^)、今週は連日400-450以上の延べアクセスを堅持しており、すでに過去最多アクセス数/訪問者数記録(週別/月別)更新が確定しています。

 ありがとうございます。

 この原因は、「ロテ職人の臨床心理学blog」のこの記事での私のコメントにはじまったやりとりをきっかけにこのサイトにおいでいただいた方がたくさんおられるためです。

 私の側が当初誤解していたこともあり、議論は途中紛糾し、やや荒っぽい発言もそのまま残されていますけど、そうしたやり取りのプロセスがあってはじめて少しずつ生産的なやりとりになった来たという印象もあります。

 議論は現在進行形ですが、取りあえず、ここで、それに辛抱強くおつきあいくださってきたロテ職人さんとその読者の皆様への感謝を申し上げますと共に、ご報告させていただきます。

 ロテ職人さんのサイトからのユニークアクセス(訪問者実数)は、今週日曜日から木曜日(4/27)24時までに、290名様、シェア19.8%となっています。

 これを機会にこのブログにおいでいただきました皆様、当初はけっこう「ぶっ飛ばれる」内容かもしれませんが、実はみかけよりもはるかに「オーソドックス」とも私なりに自負しておりますので、興味を持たれましたら、これからもよろしくお願い申し上げます。

なお、このロテさんサイトでのやりとりについては、セーイチさんのサイトでの関連コメントもあります。感謝。

2007/04/26

列車内の暴力事件からの連想(第2版)

 先日の列車内暴行事件について、女性への暴力問題の専門家、「女性に役立つセルフディフェンス」WEN-DOインストラクター、福多唯さんがブログで書かれた、「見くびられてたまるか!」という記事を読んで、先日とは少し受け止め方のニュアンスが私の中で変化してきた。

> 異変に気づいていた乗客も一部にはいたようなのですが、
> 特急の座席って、他から見えにくいですし、
> 性暴力って、女性の抵抗の気力さえそいでしまえば
> 静かに行なうことができちゃう、人目につきにくい暴力です。
> 女性が窓際、加害者が通路側の席にいれば、
> “明らかにこれは痴漢行為・性暴力だ”というような場面を
> 第3者に見られるようなことは、なかったのかも…。

> それに、最初「殺すぞ」などの声がしていて
> 「え? 何? なんか大変なことが起きてる?」と違和感を乗客が感じたとしても、
> その後、だんだん静かになってしまえば、
> 「ああ、治まったのかな。良かった」などと考えてしまいそう。

 なるほどと思いました。

*****

 ここからは私なりの連想なんですが、「恋人同士の痴話げんか」みたいに見える余地もないわけではなかったかもしれない。こうした暴行は、一部始終が観察され注意を引くことなく、それが嵩じてきた途中の段階ではじめて周囲に気づかれるものであろうから、それが「赤の他人同士」であるという「確信」が容易に得られるものかどうか......ということになりますね。

 そして、「(極論すれば行きずりでも)少なくとも共に列車に乗って隣りに座ることは了解した男女である」という可能性を払拭できないと感じた場合、それは「当事者同士の問題であり、他人が介入するべきではない」という思考経路が働く可能性があるかもしれない。

******

 ここで問題をとらえ直すと、例えば、ひとりの女性がひどく嫌がって「離して、離してよ!!」と叫んでいるのに、無理矢理に車や建物の中やホテルの客室の中に引きずり込もう(連れ戻そう)としている光景が目の前にあったとする。

 これは、最悪の場合、殺人や誘拐、拉致に至る過程の光景の場合すらある。

 (その一方、例えば、スリや置き引きを「被害者」が離さないように捕まえていた場面で、男の方を制止して女性に逃げられたとたんに、男の方に抗議される、というケースもあるかもしれないが、例えば50万円相当の窃盗よりも、人体への暴力の危険の方を重大視する原則を設定してもいいかもしれない)

 もとより、こうした場合、車内において車掌に告知するのに比較すると、目撃者は「まるで」守られていない。介入した瞬間に、パンチだけではなくて、刃物や拳銃の一発が襲いかかる可能性すら排除できなくなる。

******

 上述のブログ記事のコメント欄に、列車内でのこうした場合の対処法についてのアイデアが幾つも掲載されています。まともに介入できなくても「智恵を使え」ということのようです。

 私が思いついたのは、近くの席の人間は怖くて逆に介入しにくいでしょうから、わざと、遠い席、しかも、いざとなれば男がこちらに「なんだと!!」と走り寄るよりもずっと素早く、客室のドアの向こうにさっと逃げ出せるくらいのところまで、席を逆に移動してから、大きな声で、「おーい、前の方、何やってるんだ、うるさいぞー」と声を発する。

 そうすると、それにつられて、黙っていた他の人から「そうだそうだ、何やってんだよー」との声が幾つかわき起こると、空気ががらりと変わるかもしれない。

*****

 その一方で、基本的な発想の変更の必要も感じる。

 つまり、


「仮に恋人同士や夫婦であっても、暴力は暴力であり、腕づくの強制や連行、性的愛撫そのものを犯罪とみなし、介入されてもやむなきものとみなす」

という発想がやはり大事なのかもしれない。

 
 まだ少なくとも日本では、車内のような閉ざされた空間で、男女が別れ際にキスをする光景を見ただけでもドキっとすることがある。

 《第2版で追加:》このことと関連づけると、Msn=毎日の、リチャード・ギアとシルパ・シェティに関する記事など興味深い。


 まして、航空機の国際線であっても、「合意の元で」でも、カップルがあまりにも熱い抱擁と愛撫を重ねはじめたら、さすがに欧米でも客室乗務員からの警告は入れられるものらしい。

 もちろん、なかむつまじいカップルに、ネチネチと「いちゃいちゃするな」といたぶりにかかるような例は論外だが、思わず「ちょっとここではそこまでやるの、やめてよ」と一言言われるような光景があった場合、言った人間がいじわるで狭量なのか、言われた側がやり過ぎなのかという区分は簡単に割り切れないことも多いかと思う。

 私も、例えば、近くの席で、家族連れの子供が、空いている席で多少はしゃいでいるような場合に、私は全然気にならないのに、「静かにさせてもらえませんか。ここは公共の空間なんだから」という声が浴びせられた時、思わず、言われた側の家族と子供の方にやや同情したくなることもある。

*****

 話は広がりすぎたかもしれない。

 ただ、この事件をきっかけに、

「(列車・航空機)の中で起こったトラブルに対応するのは、自分が直接関わらなくてもいい。客室乗務員が責任者である筈」

という発想法、

そして、

「たとえ恋人同士であっても、身体的な強制や拘束は暴力である」

という発想法が、原則的社会倫理として幅広く共有されるきっかけになるだけでも、こうした事件の再発の抑止力になるのではないかと思った次第である。 

 少なくとも、こうした事件に類似した場面に自分が立ち会ったら、何ができるか、いろんな人が思いをめぐらし、シミュレーションを重ねるだけでも、「いざ」という時のために大事なことかもしれない。

2007/04/25

久留米市議選:金八先生の“恩師”、供応容疑で逮捕

msn=毎日より。

タイトル読んだ瞬間に「まさか?」と思ったけど、

・・・・・・・私の母校の一学年上の先生だったりします。残念だなー。

でも、こういうことで引っ張り出される武田さんには何も関係のないことの筈で.....

 以前も書いたかもしれないけど、目の前で「教生先生」の「武田先生」(もちろん、まだ無名)のギターのライブを聴いた「生徒」のひとりです。

ayu 上海コンサート 無事終了


●NHKニュース

 留守居役のじいは、姫のご無事とご成功の一報に、ほっと胸をなでおろしております(^^)

2007/04/24

感想

 我ながら、「面接時間以外はすべてはプライベート」に近いとも言える生き方が許されていることに感謝せねばならないと思います。

 もとより、そのプライベートの大半は「カウンセラーとしての肥やし」という意識でおります。これは結構「つらい」ことでもあるのですが(^^)

 少なくとも、漫然とテレビみたりする時間は生活時間に全くないこういちろうであった。

 職場には、テレビは置いていない。ラジオのながら聴きの趣味もない。

 ワンセグチューナーは持ち歩いているが、何か事件があったり荒天の時に使うだけなので。

 無駄なのは、時々ディスク・デフラグをじーーーーっと眺めるクセだろうが、という意見もなくはない(^^)


(「感想?」......などと問いかけるなよ、左フレームの「あゆさま」。)

犠牲

 今の私の心境は、

戦場で多くの部下を死なせてしまい、遺された遺族ひとりひとりを弔問して、

「あなたのお子さんを戦地から連れ帰ることができなかった私を許して下さい」

と、深々と頭を下げて回っている上官のような心境である。


 文句なく私のフェルトセンスにぴったりのイメージとして突如浮かんだのだが、

 浮かんだ直後、

 「これって、現実の軍隊であり得ることなのかな?」

と、気がついた。

 そんなシーン、ニュースでも、映画でも観た記憶が,具体的には思い浮かばないので。


 そして、

 「あなたの息子さんはお国のために立派に戦って死にました」

などど「本気で」言える上官がいたとしたら、「おかしい」ことに気がついた。


 だから、退役したら、死んだ部下たちの犠牲を背負いながら、世間の第一線から退き、ひっそりと「隠れて生きる」心境に達するのが自然とも思えた。


 もとより、ここでは戦った相手の国の人間を殺傷したことのもつ意味のことは度外視した、ある意味でとんでもない比喩だというのはわかっている。


 でも、戦争とは、自分の国の若者を「殺す」行為である、という「定義」をしてみるのも意味がある気がする。


 そして、これを通常の組織に置き換えるならば、

 部下の労苦と犠牲のもとに事業や活動が成功していることへの感謝の気持ちを持ち得ないリーダーというのは、あってはならないものだろう。


 .......こうなってくると、一見あたりまえのことを言っているようだが、

 冒頭に述べた、遺族に一軒一軒頭を下げて回る指揮官のイメージの鮮烈さは、忘れないでおきたいと思う。

 なぜ、それが自分の実感にぴったりなのか、理屈ではまだ、まるで説明がつかないのだが。

2007/04/23

「リア・ディゾン.....か。」

.........これじゃ、おとといからこのブログの右サイドで飼い始めたblogpetの「あゆさま」のつぶやきみたいですが(^^;)

(ほんとに、この記事の投稿の後、つぶやきはじめるでしょうが ^^;)

Petite Amie

いわゆる「アイドルグラビア」というものはついぞ買ったことがなかったのだが、MsnのWindows live Messengerの壁紙が好印象だったのと、この人、女性からも人気があるとも知って、値段高くもなかったし、手を出してみた。

 なーる。

 この人の、東南アジア系中国人とフランス人のハーフという血は、恐らく日本人にとって、絶妙のエキゾチックなフィーリングを感じさせるところがあると思う。

 そういう彼女が、セーラー服のコスプレという、絶妙のミス・マッチ感覚を選んだ時、ちょっと他では味わえない魅力的な存在としてアピールしたのはもっともなことと思った。

 目の色と、まなざしそのものの魅力は天性のもので、これだけで虜になる人はなるだろう。

 もっとも、おじさんになった私はこの人では全く「萌え」ないけどね(^^;)。

 でも、本人も望むように、グラビアだけではなく、歌とかその他の面でも着実に才能を開花させれば、ごく短い流行を超えて活躍できる「華」がありそうな人とは感じた。

 14歳のハイスクール1年生の時からバイトを重ねて、家に迷惑をかけずに今の道を進んだというあたりは、何となく、額面通り信じてよさそうと感じる。

 日本進出にあたり、自分でエージェントを探したというのもほんとうではなかろうか。どこかに意外なまでの芯のつよさを隠しているような印象を受けた。

 まだ「動く」姿は見てないけど、好印象のアイドルであることを否定する要素は今のところ「何も」見あたらない。

*****

 恐らく、これからGWまでに、もうひとつ、「こういちろうがこの人を取り上げるわけ?」ネタを予定してます。

 まだ発売日前ですので(半分バラしたことになるかな?)


2007/04/22

苦情、異論、歓迎して面接自体やっています。

 私は、「ayuについての記事には違和感がある」とか「ayuの記事は載せないでくれ」と、クライエントさんが言いたくなったら言えて、そのこと自体を面接の中で取り扱えるように心がけています。

 ayuについて書いているので申し込みを躊躇した、という方もいるかもしれないなあ、とは常々思いながら、このスタイルを取っています(^^;)。

 地域に「唯一の」開業カウンセリングルームで、クライエントさんに他の選択肢がないとなれば、自重したかもしれない(^^)

 そして、問題は、単にayuについて「書くか否か」、ではなく、むしろ「どう書くか」のはずとも考えています。

この事件については、報道のあり方にもご再考を求めます(第2版)

msn=毎日より。

タイトルは、ちょっと引用するの、忍びないので。

......というか、こういう場合って、被害者の尊厳と個人情報保護の観点からみて、少なくとも40名の人間にとって、その人の個人的記憶が残る事柄について、乗った列車と逮捕の罪状が明示される形で報道されるあり方そのものについてご一考願いたいです。

 極端に言えば、犯人のやったことと同じくらいに、あるいはそれ以上に、

1.まずは、見て見ぬ振りをした40人の乗客=ひいては「世間」というものへの基本的信頼に傷ついた傷

2.ひいては、それを報道を通して世間の匿名の大衆に「好奇の目」で見られたという思いからの心の傷

が大きくなることが明白だからです。

 極論すれば、被害者に打診し、「この記事を報道していい、いや報道してく下さい」という受諾の言葉を得た場合ですら、どうだろう? (そのような事態は、とてもありそうにないが)

 PTSDとは、半年後になってはじめて症状が明瞭化する場合もありますから、仮にご本人が直後は気丈なことを言っておられても、あとの反動が本人も全く予想外のことは、当然あり得ます。

*****

 この記事を明瞭に示唆する形でこの記事を書くことそのものがそれを増幅する危険もあることへの危惧も感じ、ダイレクトなメールでのサイトへの抗議にとどめることも考慮しましたが、むしろ臨床心理士としての立場を明確にして、こうやってオープンに記事をのせることの「中和効果」を信じることにしました。

 そして、はっきり申し上げると、乗客の皆様、このケースは情けない。その場にいたら、「事態が想像できなかった」などとはとても言えません。

 「男が戻って来た後が怖かった」なんて言い訳です。

 男が被害者と共に客室から姿を消した時点で、車掌に通報して、あとは取りあえずその車両に戻らなければいいのですから。私は、その場にいたら、絶対に通報したという自信があります。

 このケースにおいては、車掌は、「臨時停車」→「駅での警察の導入」を運行本部に無線で上申することになったと思いますし。

 こうやって「車掌さんに後のことは任せる」のが、こうした場合の唯一の「社会的な」対応でしょう。このケースの場合、「5分、10分の違いが大きな意味を持つ」ことは明白でしたでしょう。

 乗客からの通報後の対応に迅速さが欠けていたりしたら、JR西日本さんは、またもや無茶苦茶お株を下げるところでした。どうみても、最低、「急病人発生」と同等の緊急処置がなされるべきケースですし。恐らくこの種の「乗客の安全に関わる犯罪」の場合、少なくとも「警察が対応できる最寄り駅での臨時停車」というふうに業務マニュアルはなっている筈と思いますが。

 ちなみに、ここまで書くなら、逆に「どの駅で」「どういう経緯で」、犯人の身柄拘束、逮捕に至ったかを報道は明示してもいいかと思いますが。

 なお、この文を書く際に、「見て見ぬふりをした」少なくとも「大人の」乗客の皆様の「心の傷」まで私は配慮しません。被害者の傷を「分け持って」いただきたいので。

 子供さんとかがいた場合、事態の本質はわからなくても、「何か言葉にならない異様な」恐怖が残ったかもしれませんが、そういうことで子供ににきちんと向き合ってあげるのも親の、大人の務めでしょうから。

 仮にその場では大人自身何も出来なくても(人間、そういうことはあります。私も、子連れで、つれあいに止められたら3分余計に迷ったかも。逆に子供の身の安全を思うからこそ躊躇したという人もあるかもしれない)、最低限、「その後の(post trauma)」子供の反応にどう応えるは大事にして下さい。あとあとまで残る,親子コミュニケーションの「奥歯に挟まる『もの』」になるかもしれません。

 ほんとは、こういう時に、「車掌への通報」において迅速にさりげなくあっさりふるまう方が、子供の教育にもいいかと思いますけど。それひとつで、「生涯にわたる」子供との信頼関係を築けるくらいの。

 もとより、何より、犯人への公正な処罰を祈ります。


 以上、「臨床心理士としての」発言として公開します。


阿世賀 浩一郎

  

追伸:後半は第2版で増補しましたが、前半は、ほぼ同様の内容で、毎日新聞社にもメールで直接伝達いたしました。

通算800番めの記事:先週の人気記事ベスト20!!(07/04/15-21)

「カウンセラーこういちろうの雑記帳」週に一度の恒例、@NIFTYココログの、日曜日-土曜日の「週ごと先記事別アクセス解析機能を使っての、先週の記事アクセス「ベスト20」の発表、41回めです。

 固定リンクでのアクセス率の順位から集計しています。アクセス数が同じ場合には、訪問者実数上位の記事を上位とし,訪問者実数も同じ場合にのみ、同じ順位として掲載します。
 7×24時間、つまり4/21日(土)24:00の時点での集計です。

 それでは発表!!

 先週の一週間の総アクセス数、延べ2,402(前回2,403)。(一日平均アクセス343.14。前回343.29)、前回と1アクセスしか差が出ていません

 実は昨日の土曜日だけ300アクセス割って、284アクセスに留まったラストで記録更新かなわずになりましたが、はっきりいって週末に記事的には「手抜き」になったと言われても仕方がない中では(手抜きの原因が、直前の記事で書いたことへの熱中だったりするわけですが(^^;)、快挙でしょう!!ありがとうごさいます!!

 訪問者実数は、1,702名様(前回1.665名様)と、こっちはそこそこ伸びています。これは少なくともここしばらくのうちでは週あたり新記録です。

 アクセスログ開始時からたどって「月間アクセス」単位で観たところ、昨日までの4月の21日間は、一日平均326.5延べアクセス/228.5実訪問者数となり、過去最多だった2006年8月期の、一日平均の319.7延べアクセス/ 247.4実訪問者と比較して、実訪問者数ではまだ届かないものの(それでも歴代2位タイ)、一日平均延べアクセス数では遂に「文字通り」過去最高記録のペースになったことになります。

 「トップページへの外部からのアクセス」、前回602(47.1%)に対して、今回581(39.8%)。
 「サイト内移動」、前回548(35.3%)に対して今回564(38.6%)

 最近、トラックバックをはっている他のサイトからおいでになる率が高まりつつあることが、こうした結果を生み出しているようです。そろそろ、右サイドのフレームに今週新設した「リンクアクセス元ランキング」にその結果が反映され始める頃でしょう。

 もっとも、当ブログの「一限さんでない率」、これは同じ人が一度に「何ページ」記事をお読みになったかと無関係な訪問者「実数」比に基づくもののようですが、7.5%から、7.4%へと更に落ちています。

 さすがにここまで普段ayuサイト色が強くなり、ヘッドフォン系サイトからリンクでおいでの方が増加すると、昔からのカウンセリング系の読者に「引く」人も微妙におられるのかな?
 .....でも、ある意味で、カウンセリング系の記事の新作、もう、少し前までほどのハイ・ペースの必然性自体薄れて来た気もします。さすがに、書きたいことかなり書き尽くして来たという思いもあって。

 今後は、どうしても、「現在の」問題も幅広く扱う、より総合的なサイトの色彩が増すように想像しています。まあ、私もすでに過去最良の席運のチケット握ってる、来月のayuの国内ツアーが終わるまでは、読者の皆様にとって躓きの石になろうがどうしようが(爆)、ayu系記事の頻度の高さは揺るがないでしょうけど(^^;)

 「訪問周期」は、毎日おいでになる「完璧常連様」はここのところ10名様以下に落ちていたのですが、今回は、11名様という、過去最高水準に復帰しました(^^)


 それでは記事別ランキングの方の発表!!


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1.インシュレーターは使わないに越したことはない(↑) 34週連続

2.欝とは、自分が無理をしていることを認識できなくなる時期にすでに始まっている(↑)35週連続

3.なぜayuファンはayuについての風説報道に傷つくか NEW!

4.「2007年4月」のバックナンバー (↑)3週連続

5.ayuが好きなあなた自身を、まずは自分で愛しんであげて NEW!

6.オーディオにおける接点復活剤について(↑) 17週連続

7.ayuの口パクを「擁護」する「知ったかぶり系」の人たちは NEW!

8.思慕するがゆえの矛盾 NEW!

9.「怒り」ではない、言葉にならない「何か」を漠然と感じ続けていたとしたら? -カウンセラーこういちろうによるジェンドリンの体験過程理論の解題 断章-(4) NEW!

10.ディック・ミネ、「瀬戸の花嫁」を叱るの巻 COME BACK!!

11.私のピュアオーディオシステム(そこに更にiPodをどう繋ぐか) (↑)13週連続

12.「カーペンターズ」カテゴリーへの直接リンク NEW!

13.伊藤長崎市長襲撃重体に思う NEW!

14.人気記事ベスト30 2007年1月1日(月) ~ 2007年4月14日(土) NEW!

15.「疲れた」「つらい」筈なのにそう感じていな「かった」時の「独特の感覚」は本人にも「実感」できる COME BACK!!

16.ayuの口パク疑惑がそもそも変なのは NEW!

17.ayu様 上海入り NEW!

18.ほとんど「オーディオの奇跡」という領域のヘッドフォン!!(+ 私の20余年におよぶヘッドフォン選定のさまよえる歴史) COME BACK!!

19.「神田橋條治」カテゴリーへの直接リンク NEW!

20.浜崎あゆみによる、インタラクティブ・フォーカシングの実例!! (↓)

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 前回のベスト20は39位です。


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 正直に言って、ayuの口パク流言事件に彩られた一週間でした(^^;)。しかし、それをきっかけに、ずっと書きたかった"ayuファン論の集大成"(3位)を書けましたし。

 この記事、昨日の最後まで、1位、2位の古参記事とデットヒートを演じ、3つとも、実訪問者/アクセス数70代に乗せているのですが、競争相手が、14位にある、「今年はじめからの通算ランキング」の最上位クラスの2つという、長期的実績がプッシュされる記事の存在の影響のためもあってか、結局首位になれないままに終わりました。

 先週の「地上の星」、つまり、ベスト20入りまでに苦汁をなめた末にランキング入りした記事は、ほんとに昨日1日だけで突如アクセスどっと来たんだけど、12位の「カーペンターズ」カテゴリーなんですね。さしたる本格記事ない筈なのに、なぜなの? 新しいベスト盤とか出たの???? まだこの原因調査してません。


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 これを書いている「今、この瞬間」(4/22 AM 1:32)までの当ブログ文章記事の延べ総アクセス数)は、150929、フォトアルバムを含めると172860、ブログの通算記事数はこの記事でちょうど800本めです。

 今後とも、「カウンセラーこういちろうの雑記帳」を、よろしくご贔屓(ひいき)に、お願い申し上げます。

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2007/04/21

こういちろう、楽器の練習をはじめる

 前の記事でも書いたように、どうも、そろそろやっと「退屈」の虫が騒ぎ出したようで(^^;)、いろいろと,これまで手につけていなかった、ローリスク、ローリターン型の構想が動き出しているこういちろうなのである。(経営的には別に追いつめられてもいないと言うか、新たな投資は不要の域で、「追いつめられることが不可能」な構造をすでに作ってしまったのだが。ホントはその結果獲得した、歯が浮くような「社会的身分」(臨床心理士でこれをももってる人は日本ではまだ相当少数派で、これから急激に増えるとは思うが、「先駆け」の一人と思う.....を口にしたくて仕方がない見栄っぱりのこういちろうなのだが、そのためにはあと一枚「公文書」が届く必要があるので、そっちの正式認可を待っている)

街で公開セミナー開いて、仮に聴衆二人でも私はへこたれないと思う。学会の小規模な個人発表なんて、壇上よりもフロアの聴衆の方が少ないなんてこと、ありふれてある。私は発表者としては、幸いそういう目にあったこと一度もないけど)

 これから書くことは、ほとんど振って湧くような事態なのだが、動き出してみたら、かなり意外ではあったが「必然」という気もし始めた。


*****


 幼稚園時代にヤマハの音楽教室に通っていたので、譜面は早くから普通の人より読めた。実は子供の頃から自分で作詞作曲するのが好きだった時期があるという隠された過去がある(だから、楽典は早くから万全で、譜面を書けと言われたら、普通の人よりはよほど書けます)。人前で歌うのは、「ちょっと変」な意味で幼少時より好きだった。

 しかし、音楽の時間、「楽器の演奏」だけは、絶えず「×」だった。ハーモニカもリコーダーも、要するに練習がおっくうな人間だったのである。しかし、クラシック音楽が好きだったので、中学や高校の音楽の歴史の内容なんて簡単過ぎて(そう、あの、「勝手に指揮を始める」という、「あの」タイプの典型だった)、歌はイタリア歌曲ですら音節の区切り方をみっちり練習するし、楽典の完璧さとあわせるとペーパーテストは満点だったので、音楽の成績は「楽器の演奏 ×」を乗り越えて「5」ばかりであった。

 そのあとは、もっぱら「聴く方」一辺倒だったけど、ほんとうは、中学校時代から、楽器の演奏が出来る人たちがうらやましくてしかたがなかったのである。

 実は、以前、音を鳴らす機会が与えられて、そもそも音を鳴らせないことに絶望的な思いを感じた楽器があった。ひょんなことから、その楽器を再び触わる機会を得たこういちろうは、今回は、何と、しばらくいじっているうちに、「取りあえず不快でない域に音を出せる」ことに気がついてしまった。

 やっぱり、「この楽器はこうやって音を出します」という指導があって、ガチガチの状態で、言われた通りにやろうとすると、すくむタイプなのね、私って。


*****


 生まれてこの方、身体的習熟を必要とするスキルの領域となると、私にはそういうところがある。

 自転車に乗れるようになるのも人より遅かった。親が必死にコーチしようとしても乗れなかったのである。

 ところが、小学校4年生の時、入っていた「郷土クラブ」で、秋になったらサイクリングで片道15キロ以上かけて史跡訪問をするという企画に直面した。

 これは私にとって「万事休す」だった。

 その「自転車遠足」には何が何でも行きたい。

 そこで、自宅の近くの緩い坂を下り、足を添えることから始める自己流の特訓を夏休みの最初に始め、夏休みのうちに、一気に、ちょっとしたサイクリングができる域まで身につけてしまい、それから数年間は、片道数十キロはあたりまえの「自転車乗り」に変貌していたのである。


******

 フォーカシングにしても、初期段階で私は実技を「人に教わって」いない。知らなかった人が聞くと「あんびりーばぶる」らしいのは、私は、師である亡くなった村瀬孝雄先生と、実は一回もセッションを持ったことがないまま(フォーカサー役、リスナー/ガイド役にかかわらず)となったという、知る人ぞ知る事実である。そういう人間が「国際資格認定資格者」になってしまうのだから、見かけ上ほとんど詐欺である(^^;) 


 しかし、かなり以前(20年前)から、全くの初心者に、フォーカシングを「受け身の体験としてはうまく体験させる」技量となると、人一倍高いことこそが、私の「欠点」であった。

 受け身でのセッション体験をしてもらうガイドをするだけなら、全くの初心者相手の成功率は、その後も年々そのテクニックは上達するばかりであり、現在の日本でも「格別に高い」ひとりの筈である。

個人セッションだと、全く知識のない初心者で、遅くとも2回めまでのセッションで十分なフォーカシング体験と感じていただける確率は90%以上であろう。

 この、受身でフォーカシング体験をしていただくだけなら「うますぎる」ことこそが、それと日常やひとりでフォーカシングしようとする際、あるいは普段のパートナーとのフォーカシング・セッションとのギャップにフォーカシング学習者を苦しめる「副作用」を生み出す深刻な事態に私を直面させていたのであり、とっくの昔に、フォーカサーに「自律的に」「無理のないペースで」技量をあげてもらえるサポートという課題にしか関心がなくなっていたのである。

 でも、真の意味で自律的フォーカサーを育てるには、いざとなれば手取り足取りの徹底的にサポートするガイディングの臨機応変な「手練手管」を操れた上で、それをみだりに使わないで済ませ、本人の自発性を優先するというやり方をとれる域に達している必要があるというのが私の考えである。

 そもそも、自分自身のフォーカサーとしての技量、ガイドとしての技量に、それくらいの自己信頼を置いている人間がガイドをしている、という、ただそれだけのことで、非言語的な次元でのフォーカサーの安心感と「抱えの構造」の安定度は基本的に違う筈である。

 私は、その後で、フォーカサーのプロセスへの信頼感、つまり「おせっかいをやかなくても大丈夫」ということを学びさえすればよかったのである。


 でも、以前から思っているんだけど、


自分自身のプロセスにすら信頼感がない人が、

どうして、

「クライエントさんのプロセスを信頼する」ことができるんでしょうか?????


 このことを、パーソン・センタード系(ロジャーズ派)のカウンセラーの皆さんに、敢えて立ち止まって考えてほしい。

 ただ、そうやって「プロセスを信頼する」生き方が、周囲の人にとって説得力あるものにならなければ、意味がないということについては、自戒を込めて付言しておきたい。


*****


 話を「楽器」の話に戻そう。

 ともかく、「さる事情」で、少なくとも「本体」にはお金をかけずに、楽器が目の前にある事態になってしまった。そして、「ともかく鳴らせる」という「ハードル」は越えられそうだという手応えをつかんでしまった。

(.....ということは、少なくとも、音を出すのに「押せばいい」「はじけばいい」「吹けばいい」という、ピアノやキーボードや、ギター、リコーダーではないということである)

 ほんとは、楽器をやるなら旋律と伴奏が当時に可能な楽器をという野心があったのだが、この際それへのこだわりは捨てる。

 旋律楽器である。幸い、賃貸の古い集合住宅なのに、建築年代が古い分、逆に壁が異様にしっかりしていて、テナントばかりの入居者の中でひとりだけ住居にしているという特異性のため、タンノイのスピーカーを遠慮なく鳴らせる域の私の現在の自宅は、この楽器を鳴らすぐらいでは人に迷惑にならない。

 目標:○○の「○○。○。ー○」ぐらいは弾けないものだろうか。あと、ayuのスローバラードとか、どこかに譜面がありそうなものである。

 もんのすごく音色がアナログな楽器で、音を出すだけで酔いそうなので、意外と続くのではないか?


 ........ほとんど答えを言ってるようなものですが(^^)


 これ以上のことは、少なくとも○○の「○○。○。ー○」ぐらいは一応弾けるという既成事実を作るまでは書かないことにする(^^)

 ショパンの夜想曲第2番(もち論これのこと)を弾くことだけを目指して中年からピアノをはじめて成功した人もいるらしいではないか。それならこれもありだ。


*****


 おまけ:

 ayuはある時期まで自転車に乗れなかったという説がありますね。最近の、休憩時間に自転車でうろうろしている映像はDVDのメイキングに収まってます。この自転車でうろうろネタそのものに、またもや余計な尾ひれがついたネット情報が跋扈しているようですが(- - ;)。

 その一方、写真集"uraayu"の撮影のために香港に数年前に行った時、ある晩、ホテルで明け方までギターを鳴らしていた、という記述が、私がすでに2年は前に中古で手に入れた「限定版(DVDつき)」のみの「撮影日記」みたいなものに書いてあるけど、ayuがある程度以上たしなめる楽器があるのかどうか、ということについては、これ以外知識なしです。

 いざとなれば、マドンナおば様なみに、ステージで弾ける域まで「怒濤に練習」しそうな人ですけど。

 

*****


 というわけで、さっき都心での仕事から帰って来てからも、その楽器の「初歩練習」に熱中しているので、今日はブログをこれ以外書かない。

 実は、自分で調律できるのになじめるまでに、それ以前に「半日」かかった。そこそこ絶対音感あるつもりだったんだけども。

 もう、からだ中がいろいろ凝っている(^^;)
 

そろそろ、面接室を飛び出す構想、発動?

 大船近郊のどこかの公共施設の部屋を借りて、講演会か、入門セミナーのようなものを、小規模な形からはじめていくことについて、そろそろ構想を練ろうかと思います。

 これまでもその種のことは念頭に浮かんだことはあったのですけど、私のフェルトセンスが"Go!"を出してはくれなくて。その前に、私の中で、やり尽くしておかないと気が済まない事柄がいろいろあったようです。

 純粋に「フォーカシング」を真っ向テーマに据えるか、それとも、より一般化させて、例えば「鬱」などのテーマを据えるのがいいのかは、まだ私の中でまとまってはいませんが。

 いずれにしても、料金を頂くにしても、1000円程度、2時間ぐらい、想定数名-10名以下ぐらいのところから考えてみます。

 少なくとも、「このブログ上で、そういう構想を始めたことを表明はしておきなさい」というgoサインは、私のフェルトセンスからはっきり出ました(^^)


【追記】この構想は、この後、まずはこういう形で具体化されます。


*****

 .....あ、これは、しばらく前に示唆した、「ローリスク・ローリターン」の経営戦略とはまったく別次元のもの。そっちの方は、すでに「実効」しているのですが、あと一枚書類(公文書)が届くまで、どういうことなのか、言及いたしません(^^;)

 

2007/04/20

上海には、弾丸娘の直前に

弾丸列車も登場していたようである(爆)

高速鉄道時代の幕開け!弾丸列車「調和号」―上海市

 ayuについて他に何かないかと思って、Record Chinaをあさっていて気がつきました。

 これ、あくまでも在来線への投入なので、「新幹線」という言葉を使ってはならないことになります。「高速鉄道」なんだけど。北京ー上海間を段階的に高速化していくみたいだけど、やっと最高時速250キロ以上で、延べ6003Kmのうち846kmを走るの営業運転ダイヤに、4月18日に移行したようです。

 今年初めに一足早く開通した台湾高速鉄道は、ドイツ製ポイントの亜熱帯不適応などで、結構運行上のトラブルとの戦いの序盤だったみたいだけど、こちらの路線はどうなっていくのでしょうか? どちらの路線も、いろんな国の技術供与を複合させているがゆえの課題は大きいらしいと小耳に挟んでいます。

 .......ああ、こうして、さりげないところで鉄っちゃんしてしまう誘惑に屈する、月イチ新幹線ユーザのこういちろうであった。

 もっとも、テレビの国際ニュースでは取り上げたでしょうし、ホンモノの現役鉄ちゃんには周知の事柄でしょうが.....

 

ayu様 上海入り

Record Chinaの記事:

あゆ、今度は上海へ!アジアツアー最終公演―上海市

 まずはお寺にコンサート成功祈願に行ったそうです。

2007/04/19

「怒り」ではない、言葉にならない「何か」を漠然と感じ続けていたとしたら? -カウンセラーこういちろうによるジェンドリンの体験過程理論の解題 断章-(4)

 ここからはじまった、ジェンドリンの体験過程理論の基本文献「人格変化の一理論」のごく短い断章についての、私の参加する勉強会での「ある特定の回の」やりとりを、やや要約し、脚色つつも再現する連載シリーズ、第4回です。(前回はこちら

*****

 ある人が全く幸せな気持ちを感じながら場を去った。だが四日後に,彼は,あの時実は自分は起こったことについてひどい怒りを持っていたのだと覚る,彼は自分がず-っと怒りの気持ちを持ち続けて「いた」(has been)のだが「そのことに気づいていなかったのだ」と感ずる。(旧訳・新訳同じ。 g原書p.138,新訳p.218)

 さて我々の理論は彼が現在,怒りと呼んでいるものがずーっと気づかれることなしに彼の身体の中にあったという考え方を否定する。我々の考えでは,何かがあったのだが,怒りを持つという過程はなかったのである。彼はそれを今怒りを持つ,と呼んでいる。なぜならば,彼はその過程に参加しており,彼の現在の怒りが,過去4日の間自分が身体的に感じていたある条件を「満たし」「放電し」「解放し」「象徴化し」「完了している」こと……すなわち早くいえば,その条件とある深く感じられた関係をもっていること……を生理的に彼に知らせるようなある解放惑(定義8[新訳:定義h]を見よ)をはっきりと感じているからに他ならない。


 An individual leaves a certain situation feeling quite happy. Four days later he becomes aware that really he has been quite angry about what happened. He feels that he "has been" angry all along but "wasn't aware of it."

 Now, our theory denies that what he now calls anger was in his body all along, without awareness. Rather, there was something, but not the process of being angry. He calls it being angry now, because now he is engaged in that process, and he clearly feels the releasing (see definition 8) quality which physiologically lets him know that his present anger "satisfies," "discharges," "releases," "symbolizes," "completes"--in short, has some deeply felt relation to--the condition he physically felt during the four preceding days.

 ......ここまでがすでに完全に終わった部分です。

 過程は生じていなかったのであり,それは,今になってはじめて変更をうけている或る生理的条件の方へと進んでいたのだ。「構造に拘束された」体験が「完了する」ときに我々は,以前にそれが何であったかが今わかるのを感ずるのである。そのときに,そのことがわからなかったのは,今進行している過程はそのときの停止した条件とは異なっているからである。 ([ ]内以外旧訳・新訳同じ)

 The process was not occurring, and that made for a physiological condition which is only now altered. When "structure bound" experience "goes to completion," we feel that we now know what it was then; we did not know it then, because the ongoing process of now is different from the stopped condition of then.

太字原文のイタリック。訳書にもある)


******


 こういちろうの講釈:


 ここに至り、ジェンドリンは「過程は生じていなかったのであり」と明言している。こうなると、以前棚上げにした問題、つまり、《第1幕》、つまり、この実例において、デートのまさにその時、更に《第2幕》、デート後の3日間の間、彼は、「十分幸福だった」という思う一方で、言葉にならない漠然とした曖昧な感覚としてのフェルトセンスに、少なくとも直接注意を向けてはいなかったという判断をしていたことになるね。

 もとより、有機体の暗々裏の機能そのものは、フェルトセンスに直接の注意(direct reference)を向けようが向けまいが絶えず進行している。このことは、この論文の第4節、「(知覚と行動における)暗々裡の機能」で既に解説されていた通り。

 でも、これと、体験過程「推進する(carry forward)」ということははっきり区別せねばならないわけでね。続く6節で述べられていたように、そうなると、フェルトセンスへの直接的注意(direct reference)だけは不可欠の事柄になる。

 わかりやすくいえば、デートの時のことと全く無関係なものとしての漠然とした実感でかまわないので、

「何かモヤモヤする」
「すっきりしない」
「なぜか調子が出ないなあ」
「どうしたのかな、あれだけ楽しかったのに、気分が今イチなのは?」

.....などとは自覚的に感じた瞬間が必要なんだよね。

 これで、そういう瞬間が、《第3幕》の4日めになるまでは全くなかった実例だという前提に、ジェンドリンは立っていたことになるね。

 さて、(参加メンバーに)思い出して欲しいんだけど、ジェンドリンの体験過程理論において曖昧な理解が今日までされて来たのが、次の部分に出て来る「構造に拘束されていた(structure-bound)」体験の「再構成化(Reconstituting)」なわけだけど。

 フェルトセンスとして直接注意を向けること(=direct reference)で、暗々裏の漠然とした意味合い(implicit meaning)が、なんとなく感受されはじめてれば、それですでに、体験過程の推進(carry forward)ははじまっていることになる。

 でも、もしフェルトセンスとして直接注意を向けられないままなら、その体験は「構造に拘束されて(structure-bound)」いる。その「構造に拘束されている」体験をフェルトセンスとして体験可能なものにして行くのは、その段階でフェルトセンスとしてすでに感じられるものに直接注意を向けて行くことで、小さな過程推進(carry forward)のステップが生じたその結果、いわばフェルトセンスとして注意を向けることが可能な、感じられる対象へと少しずつ「繰り込まれていく」形で生じる。この後者のプロセスのことを「再構成化(Reconstituting)」と呼んでいるであって、「推進(carry forward)」と並行して生じるけど、「推進」とは別次元の事柄とみなければならない。

 いわば、

個体の「ろう」が「ろうだまり」に溶けた液体のろうになる過程が「再構成化(Reconstituting)」、

その液体のろうが、芯を通って気化して空気と科学反応を起こして「燃える」作用の過程が「推進(carry forward)」

(フェルトセンスとして注意を向けることが「液体のろう」にあたる)

という比喩が使えることは、この「東海フォーカシング研究会」でみなさんと一緒に以前私が編み出した、オリジナルの説明(C)なわけだよね。

 つまり、火が燃える「から」、「個体のろう」は溶けて(=「再構成化」が進み「液体のろう」に繰り込まれて行く。

 でも、液体のろうが存在するには、その「個体のろう」が存在していたからはじめて可能なことなわけで。


B(お坊さん=藤嶽大安さん):.......そうなるとさ、どうなんやろ? ジェンドリンの言っとること、ちょっとここで矛盾しとるんとちがう? 「怒り」としてはっきり感じるようになる前の3日間も、この人は、「怒り」でなくとも、「何か」は感じとらんやろか。そんなら、その間も「過程は推進」しとって、「構造拘束」ではなかった、ということになると思うんやけど.」

(......以上、北部三重弁のアクセントでお読み下さい)


こういちろう:.......なるほど、そうね。

 3日めまでに、「怒り」ではないにしても、何か漠然としたものをこの人が感受して注意を向けたことがある可能性をはっきり否定することはジェンドリンは述べていないとも言える。

 なるほど、「怒り」なんだと体験したのは4日めだったし、それまでは「怒り」にあたるものが「どこかに隠れていた」わけではないとは明言していることになるし、その点では何も問題ないんだけど。

 この節の最初の方、

> there was something, but not the process of being angry.

ってあるわけだけど、

ここでいう"something"は、

うまく言葉にはできないけど「気になる」フェルトセンスとして体験されていた「何か」

なのか、それとも、

フェルトセンスとしてすら注意を向けられることなく、感じられてもはいない、まさに「暗黙の機能」としてのみ進んでいた次元のことを差すのか

というあたりになると、どちらにも受け取れる言い方になっているとも言えるかな」


*****


 今回の内容に至っては、ここまで十分に理解できた人は、少なくとも、「日本のフォーカシングを専攻する大学院2年めの学生の大半」以上の水準で、体験過程理論について理解できる(潜在力が既にある)皆様です(^^)

 むしろ、フォーカシングに普段無縁な臨床家の皆様に、こうしたやりとりを興味深く読んでいただければ幸いと思っています。


*****

 なお、藤嶽大安さんは、日本のフォーカシングの領域では、「藤嶽法」と呼ばれる、カードを用いた相互作用の技法体系の考案と、学校教育現場での活用においてすでに名前が知られた方で、私はこの方の発表の「プロデューサー」役を続けています。あくまでも「クリエイター」と「パフォーマー」は藤嶽さんをはじめとする「東海フォーカシング研究会」のメンバーです。

 4回にわたった、この連載は、とりあえずここまでにさせていただきます。




2007/04/18

ayuの口パク疑惑がそもそも変なのは

ayuのライブはバンドの「生演奏」なんでして(^^;)

いわゆる「打ち込み」.....リズムまでプログラミングされた上で流している曲はごくごく一部なんですが。

 どうやってayuの声のカラオケをリアルタイムでシンクロさせるのだろう?

 そんな技術を操作できるのは、ライブ・ミュージシャン以上のライブ演奏力がある、コンピュータ操作者が必要である。

 「CD制作」の際には、今やどれだけでも声を加工できる時代ですが。

 クラシックのCD録音ですら、恐らくその恩恵に預かっている例は少なくない。

 男女二人の人間の声の合成してひとりの声にしてしまえる、というのは、例えば映画「カストラート」でも知られた通り(封切り時に劇場で見て、CDも持ってます)

(←映画)(←CD)

 そりゃ、「合いの手」ぐらいのフレーズは、シンセのサンプリングでキー1本押せば鳴るようにできますが。

 前田さんのドラムスも「エア・ドラムス(???)」ってか?(爆)

 シンセも、少なくとも2人がかりで必死にライブで弾いているのだが。

 厳密に言うと、曲のテンポやリズムの呼吸は「毎回」違うわけですね。


 .....さすがにこのネタはこのくらいにしましょう(^^)

 

 

「アクセストップ10」表示機能、標準オプション化!!

 今日はやたらと早くおはようごさいます。

 目覚めてパソコンを見たら、何と、ココログの標準オプションとして「アクセストップ10」表示機能がいつの間にか告知されているではないか!!

 私は右テーブルの上の方にしました。従来の「最近の記事」と「最近のコメント」の間です。

 「トップ10」の集計期間をいろいろ設定できるんだけど、「1週間」にしています。

 でも、今後も、毎週土曜晩の、「ベスト20」告知記事の連載は継続します。

*****

※なお、ココログのブロガーの皆様のために:

 この表示機能は「ブログパーツ」ではなくて(ココログ事務局の説明が紛らわしい!!)、「コントロールパネル」の「アクセス解析」のプルダウンメニューの「一番下」を選んで設定した上で、更に表示位置を設定します。

 従来の「アクセスカウンター」設定の、更に下の設定項目になってます......というとわかりやすいかな。

 詳しくは、この方のサイトの解説がgood!!

2007/04/17

伊藤長崎市長襲撃重体に思う

 選挙期間中に現職候補が狙撃されるなどと言うことは、遠い海の向こうの話と思っていましたが。

 本島市長襲撃のケースを思い出すまでもなく、特に広島と長崎、沖縄の市長や知事は、ある意味で「命の危険にさらされた仕事」であることを宿命的に他の自治体より持つのかもしれない。

 これを期に、地方レヴェルを含めて、政治家の身辺警護についいてもっと体制を考え直すきっかけになることを切に祈ります。

 何が原因であるにしても、こういうことは、変な連鎖反応が生じることが怖い。(特に今の「時局」.....古い言葉だが....においては)

 それだけで、日本の政治の方向が想定外の変化をすることは、十分あり得るのだから。

 本島市長5選を阻んだ市長だが、その後は「国に任せればいい」という選挙公約とは裏腹に、平和問題への取り組みも熱心になったという。

 何とか、息災をお祈りしたいものです。


追伸:お亡くなりになりましたね。ご冥福をお祈り申し上げます。

なぜayuファンはayuについての風説報道に傷つくか(第4版)

 「ayuのライブは3分の1口パクだ」

という報道に、なぜayuファンが容易に傷つくのかということを考えてみたい。

 「ファンだったら、その歌手がいわれなき誹謗中傷を受けたら、当然傷つくでしょう?」

と、あっさり「わかったつもりになってしまう」前に、丁寧に振り返ってみていいことがある気がするのだ。

*****

 これは昔のayuのインタビュー記事で書かれていたことらしいのだが、"M"がヒットした頃、ayu自身、自分の新曲がリリースされる度に、ファンが怒濤のようにCDを買ってくれて、オリコン1位になってしまう現実そのものに違和感を感じていたそうだ。


 (出典)

 この、ayuの過去の雑誌インタビューをたいへん中立的にまとめた本の出典となった雑誌インタビューそのものは目にできていない私なりに推測を交えて言えば、そこに込められた、ayuの「違和感」とは、次のようなものではないかと思う。

「ファンの人たちは、私の出した個々の曲をほんとうに好きになったのではなくて、ayuの曲がオリコン1位になり続けいないとという焦りと不安に駆られてCDショップに買いに走っているだけではないのか?」

 そしてそれは、ayuのためというより、

「ayuがトップ歌手であり続ける」

→「私はayuのファンであることを光栄に思う」

→「ayuがトップ歌手でなくなると、ayuファンの人自身が傷ついてしまう」

→「だから、ファンは、無理矢理にでも、ayuにトップ歌手で居続けてもらえるように購買活動をするという『おせっかい』を焼いてくる」

.....というメカニズムの上に、曲が不自然なまでに「売れすぎて」いるだけではないのか???

 
 ayuはayuで、自分なりには、CREAのいうペンネームではじめて自分で作曲までした"M"へのチャレンジに自負と矜持はあったでしょう。

 でも、いくらなんでも「売れ過ぎ」だ。ファンの人、なぜそこまで「必死に」「無理して」「大挙して」私のCDを発売と同時に怒涛のように買ってくれるわけ?

 何か、ヘンだよ。
  
 .........こういう次元のことに「違和感を持つ」と、後になってにしても、自分から進んで公言できてしまう(ロッキング・オンでのインタビューを、どれだけ自分の意図したままの内容に仕上げさせたか.....ayuが夜中に編集長の元に突如押しかけてまで、その点を周到に強要した.....ということを、編集長自らがインタビュー記事の後日談で書き添えたこと自体がで有名な「伝説」である)あたりこそが、ayuのayuたる所以と私は思っています。つまり、実態と裏付けがない形で自分の人気だけが出てしまうのが嫌だったのね。

 それくらいに、ayu自身は、自分が熱狂的に若者のカリスマとして持ち上げられていった現実が、何か「ピンと来ない」ものだったのでしょう。

 ayuは歌手を「めざしていた」のではなく、avexへも「売り込んだ」わけではなくて、所属していたサンミュージックと「なんとなく」そりがあわなくなって(この時点でのayuは、野島ドラマ、「未成年」や実写版「闇のパープルアイ」などでの演技で「役者」として注目されていた)、仕事をしないまま街をブラブラしていて、たまたクラブハウスで知人にavexの松浦専務(現社長)を紹介され、avexへの転籍を進められるけどそれにはのらず、それから約1年後、専務さんからの携帯がたまたまayuの携帯に」「通じてしまい」、その時のノリと気分で、「歌手にならない?」「いいよー」と答えてしまったら、次に連絡あった時には、すでにアメリカに渡ってのボイストレーニングのスケジュールまで決まっていて、ayuは思わず「しまった!!」と思った、というのは、確か「ロッキング・オン」のインタビューか何かでayuが暴露した現実なのである。

 ayuは他にすることもないので、取りあえずそのレールに乗って、「居場所」を確保しただけだったわけですね(このへんはNTV「情報最前線」でのインタビューでも語られています)

 つまり、もともと「ミュージシャンとして(あるいは「アイドル歌手」として)大成する」夢と野望なんてなかった点では、全く「醒めて」いた

 でも、

1.ものごとを「やるからには」、自分の感性で納得いくことを納得できる水準でやらないと気が済まないのがayuの性分だった。

2. 当時のavexには、歌手を操り人形にするのではなくて、歌手自身の感受性に賭ける(しかない)風土みたいなものがあった(要するに、それだけ大ざっぱな、出たとこ勝負の会社でもあった)。avexの、タレント所属事務所とレコード制作会社が一体化した珍しいシステムも、タレントへの余計な組織的干渉を減らす場の構造だったと思います。

 そして、実質的には、素人の彼女が何から何まで「セルフ・プロデュース」で統括するという異例な構造が早くから成立した。ジャケットからプロモーションビデオまで、彼女の感性とアイデアが浸透するという、異例な事態である。もちろんアイデアはいろんなジャンルと部門のプロの意見を参考にしていたろうが、制作現場で最終的にOKを出すのはayu自身だったのである。

 この2つが相乗作用を起こし、ayuは、自分でもわけがわからないうちに、気がついたらカリスマになっていた

 このことが、どれだけ人気が上がり、CDが売れようとも、そのことでナルシシズムが満たされて満足してしまうことはないという、「醒めたままの」ayu独特の状況と関係あると思えます。

 「ayu自身が」納得しているかどうかの方が、ファンからのファンタジックな過剰な評価よりも、ayuにとって大事であり続けていたわけですね。

 もちろん、その一方で、ファンの期待に応えないとというプレッシャー、更に、自分の意向と関係なく"A Best"の制作と発売が決定された時はじめてayuが直面し、思い知らされた、avexという会社を成り立たせるための「商品」としての自分の役割をへの責務(="duty")との間で激しく葛藤し続けることになるわけですが、ayuの性格の独特のまじめさと几帳面さは、そういう「乗りかかった船」から決して降りてはしまわず、せいぜい2週間ほど失踪したという以外、目立った「ご乱行」がないまま、かろうじてでも、ayuなりの完璧主義を決して崩さずに走り続けるという、ほとんど無茶苦茶なしんどい状況をバランス感覚を保ったまま走り続けるという、驚くべき「現象」を生み出すことになります。

> 投げ出しちゃったら 背を向けたら
> あの時[注:ステージで?]流した涙[に感動してくれた、ファンの皆さん]に失礼じゃない?
 
(浜崎あゆみ - Secret - until that Day..."until that Day...")

 誰もが公認する恋愛対象が、今日に至るまでN君「ただひとり」というのも、これもある意味では異例な事柄でしょう(この前、N君との「くされ縁」をやや「くさす」ことを書いてしまいましたけど、それはそれですごく大事な関係であることを否定するつもりはまるでないし、今後「やっぱり『公式に』くっついた」という展開になることは大いにありと思ってますので、念のため。ふたりとも、「くっついたり離れたり」の面はあって、完全に固定的、排他的、持続的だったとまでは思っていませんが)。

 実は、今書いたことのうち、少なくとも半分ぐらいは、日本人間性心理学会の自主企画で具体的に解説した内容だったりします(そうか、このブログでは初公開だな.....。かなり自分で探した情報も加えて、ちゃんと押さえるべきところは押さえて、とっくに前提としていることは、このブログで敢えて書いてきてませんよね)

*****

 
 さて、ayuファンに顕著な心理構造の話に戻ります。

 実は、こうした、「歌手になりたくて歌手になったわけでもないのに、その状況を真っ向引き受け、しかも、自分の感性にウソをつかないで、結果を出し続ける」というayuの姿にこそ、コアなファンの少なくともある部分にとって、何者にも代え難い、「人間、浜崎あゆみ」の生き様なわけです。

 しかし、それは、裏を返すと、浜崎あゆみのファン層のある部分自身が、熱狂的であるにもかかわらず、同時に、絶えず、ayuファンとしての自己のアイデンティティに脆弱さと、容易な「ぐらつきやすさ」をかかえ続けつつも、かといってayuファンをやめることもできないまま、ayuファンであることにはしがみつき続ける、という現象をも生み出している気がします。

 つまり、ayuファンそのものが「自分はほんとうに浜崎あゆみと浜崎あゆみの歌が好きなのか?」という問題に真剣に悩み続ける不安定さを持つことも少なくない、という、その事情を知らない人からすると、わけのわからない「社会的性格(?)」を有しているわけですね。

(これは、学会でも発表していないけど、以前から暖めていて、今回初公開する問題提起です)

 ayuファンの相当部分は、そういう「自分の」存在のあり方への不安を、リアルなayuの到達点と実績、安定した力量すら無視して、即、「ayuの今後への不安」という形でayuに「投影」するという呪縛を超えられない。

 ayuがNo.1アーディストであり続けてもらわないと、「No.1アーティストのファンをやっている」ことでかろうじて維持されている、ファンの人自身のプライドに大きく傷がついてしまいかねない。

 一般の人には、非常に大袈裟に響くだろうを承知で言えば、

「ayuが駄目になったら、私の人生は、"ayuファン"よってかろうじて維持されているというアイデンティティの基盤そのものを見失い、(極論すれば)生きる目的や生きがいを喪失してしまう」

という危機感と背中合わせに生きているのが、コアなayuファンの相当部分の生き様であると言えるのではないか。

 そこまで強烈な「同一化」を、ayuファンの相当部分はayuに対してしているということである。

 ayuは、ファンの人の「人生」そのものの「代理人」であることを背負わされている。

 ayuがステージで歌い踊る姿を客席から見守るファンたちは、その瞬間、自分がayuになって「人生というステージでスポットライトを浴びて大活躍している」幻想に浸っているのだ。

 この強烈な「同一化」の結果、ayuファンの中には、自分が傷つきやすい人間であるがごとく、ayuも傷つきやすい人間であってもらわないと困る」という、何とも屈折した意識が横たわりがちで、「しっかりした、大人のayu(本人は「大人でない」というけど、オトナになりきれない自分を自覚しつつオトナ社会をオトナとしての責任を果たして結果を出していけるのが、ホントの『大人』ですから、ayuは十分「”プロセス的存在”であり続けるものとしての大人」なのだ)成長していくayu」というものを受容できないという特異な傾向を生み出しているのである。

 結局、

1. 「自分たちがお節介を焼き続けないと傷ついてしまうayu」という幻想

と、

2.ayuへの誹謗中傷に傷ついた「自分の傷」を、「ayuに」癒してもらえないと無力

という、一見無矛盾したことがごちゃまぜのまま両立している。

 ayuは、そういうファンから背負わされる重荷に縛られ過ぎず、「自分」を保ち、しっかり育てることで、ある程度ファンを少しずつ『脱錯覚』させることも促しなからも、最終的にはファンを見捨てない、という、何ともシビアなバランスでの生き方をとっていくしかない。

 以下、私の想像だけど、ayuは、心の奥で、次のことを間違いなく望んでいると思うよ。

「いつまで発売日に新曲のCD買って、コンサート通いして、ayuのことばかり追っかけているの? ayuのファンをやることばかりをいつまで『生きがい』にしているの?

 いい恋人とかを見つけたり、仕事で充実した生きがいを見つけたりする中で、気がついてみたらayuのことなんてどーでもよくなって、ayuのことを忘れてくれてもいいんだ。

 ayuは多くのファンの皆さんにとっての、ただの『通過点』に過ぎない存在になるくらいで、ちょうどいいんだと思う。

 ・・・・でも、もし、何か人生でまた辛いことに出会った時に、あなたがふと、ayuはどうしているのかな?って思った時に、ayuは今でもステージでとことん前向きに頑張っているよ!!って姿を伝えられて、よーし、僕もこんなことでへこたれているわけにはいかないな!って思ってもらえるきっかけぐらいにはなれたら嬉しいよ。

 だから、ayuこれからも、どこまで、陽のあたる現役バリバリの「新曲が話題となる」歌手で勝負できるか、とことん挑み続けるよ。そう簡単には、昔の名曲ばかりをステージで繰り返し歌うだけの「往年のアーティスト」なんかにはならないつもりだよ。

 ayuは、これまでの実績にあぐらをかいたりしない「人生のチャレンジャー」のまんまだって姿を、いつでも見せてあげられるようには、やっていくつもり」

*****

 ファンそのものに何が必要なのか?

 それは、結局、単にayuに現実のつらさを「癒して」もらうのではなく、ファン自身がこの世に自分なりの「棲息スタイル」を見いだして行き、そういう社会的「現実」存在としての自分のアイデンティティに健全な自尊心も育みながら、そういう自分を背景として、ayuファンであることをも自己肯定できるプロセスを歩んでいくことでしかないようにも思える。

 ayuも現実の中で前に進み、ファンたちも「現実の中で」前に進む、という「相互作用」に。

 まさに自分なりの「現実の中での居場所」、存在スタイルを公示しながら、ayuファンできるか?

 きっとその時、ayuは、もう、

> 今もここで 私は変わらず
> 居場所をずっと 探しています
 
浜崎あゆみ - Secret"Secret")

などと、悲愴なまでに切々と、歌わずにいられないジレンマを、

ファンと「共に」、「相互作用的に」、

少しずつ抜け出すのではあるまいか?

> 手遅れになる その前に

......と、信じたい。

浜崎あゆみ/ アルバム"Secret"

*****

●おまけ

ayuが実写版のテレビドラマに出ていた!! と当時は知らなかったけど、実は原作の「闇のパープルアイ」はファンでした(^^) (ドラマの倫子役ではアリマセン)

 当時ドラマ観ておけばよかった。ビデオレコーダーも持ってたし。

 実は、ここでは場所は紹介しないし、リンクもトラックバック受諾もしない方針ですが、15歳の頃のayuさんの映像の中にはかなり前の時点でネットでは見ていたものもありますけどね。「眼鏡っこ長髪のayuちゃん」とか(「パープルアイ」の頃のかな)。意外と中本静系の雰囲気で、若かりし頃の私だと、ああいう雰囲気の子が身近にいたら、芸能人でなくても「好意を抱いた」と思う(爆)。

ayuが好きなあなた自身を、まずは自分で愛しんであげて(第2版)

 王子のきつねさんサイトで、ayuが口パク疑惑を「名誉毀損で訴えてくれない」ことが不満というayuファンの人たちが大勢いるらしいと知って、そのことにコメントさせてもらったんだけど。それの増補転載です。

 ayuの「口パク」疑惑とは、現在進行中の、浜崎あゆみの海外での初の公式ライブツアーの2番目の開催地、香港で、ライブを観た香港の著名人気歌手が「あんなに激しく動いているのに声が枯れていない。3分の1は口パクだと思う」と感想を述べたという報道に基づいて生じた、一連の騒動......と理解すれば、一般の方には十分な情報でしょう。

 そもそも「あんなに激しく動いているのに声が枯れていない。3分の1は口パクだと思う」という発言そのものが、ayuがどれだけ現在もダンスや歌のトレーニングを続けて、半端ではない鍛錬と精進をし続けているのかを知らないものだから「あんぴりーばぼー」なだけの、恐らく、ayuほど修練していないので、自分はとてもあそこまで、「歌って踊って」で2時間近く持たせる自信なんてない香港の歌手が、自分のプライドを傷つけられて、半分嫉妬まじりに軽率に口にしたことに過ぎないわけですが。

 ちなみに、ayuがどれだけ日ごろトレーニングをしているのかについては、ayuの仕事上の信頼するパートナー、かつ、友人である、通称「みかじょん」さんのブログこの記事のぐぐぐーっと下の方に、ちょっと今回の騒動に半ばあきれるように感じつつの、ayuの驚くべき「トレーニング」の現場に接した人間としての貴重な証言があります(ayuにここまで、プライベートなオフステージのフォトのネット公開を許して貰ってるケース、少ないかも。その点でも一見の価値あり! 情報入手先は、恒例、王子のきつねさんサイト謝謝。

 まあ、ライブに実際に行った人なら、ayuが演出上やむを得ない、「ほんのほんの一部」の箇所を除いては、まさにayuの「肉声」で、しかも高度なダンステクニックを披露しつつ歌い続けていて、それがいかにライブならではの白熱と同時に、一度興に乗ると、CDより感動するくらいの高度な技量で一時間半以上突っ走れる「タフな」ものなのかなんて、疑う余地もないんですけどね。

 でも、ayuのファンって、こういう報道と、それを面白がってayuをこきおろす、ネット上の「アンチayu」ファンという、声が大きい屈折したayuファン一大勢力の、あちこちでの揶揄に、容易に動揺してしまう人たちが少なくないのです。

 もっとも、アンチayuファンが、ネットでの書き込みを「超えて」、ayuやayuファンに「具体的行動」を起こしたことなんて聞いたことないわけで、結局、その程度の、「おとなしい」、もとい、「つつましい(^^;)」存在なんですけどね。

 例えば、コンサート会場やその周辺で「妨害活動」をする人たちが事件を起こしたなんていう報道は聞いたことないので、まだライブに行ったことない皆さん、どうか安心して会場に足を運んでください。10メートルにひとりぐらいは配置されている、山のような現場スタッフが慎重に監視してるから、会場でトラブルが起こることなんて、まずあり得ません。私も一番端の席で、思わず通路に身を乗り出しすぎて、近くの係員に制止されたことがあるくらいでして(爆)

 極論すれば、心理学関係の学会大会会場の方が、政治的ビラ配りや商業主義の不正な介入、勧誘、ゲリラ的な集会など、(個々のケースについての、その正当性はここで問わないとして)、よほど「安全ではない空間」だったりすると断言したいのだが(^^;)


*****


 何より確実に傷ついたのは、ひとりひとりのそのファンの人自身。

 ....そして、ayuが自分の代わりに抗議「してくれない」と、傷ついたままというのは、ちょっとayuに恥ずかしいことではないかな?

 自分がayuを好きだという気持ちに、もっと「自信を持って」欲しいな。

 .....これ、皮肉でも、批判でもなく、ファンの人たちにそう勧めたい。


 「誰が何と言おうとあなたはayuを好き。それでいいんだよ」

って。


 「ayuが好きなあなた自身を、まずは自分で愛しんであげてね」

と。


"Take care of Yourself!!"

 おおお、久々にこーちゃん改めこういちろうエヴァネタ!!


(もちろん、テレビシリーズ版最終回のことです)


阿世賀 浩一郎 「エヴァンゲリオンの深層心理」

......このブログにおいでの方で、意外とまだ知らない皆様もいないと限らないので。久々に宣伝するのもいいかもしれない(^^)

 このサイトは、実は、かつての代表的エヴァ・サイト「ちーちゃんの部屋/エヴァンゲリオン論考」だったものの延長そのものです。


*****


 ステージで、いつも、

みんな、最高だぜ!!」

と叫ぶayuの気持ちも、そんなところかも。

2007/04/16

どうも世の中には、名誉毀損で訴えない「から」風説は「正しい」、という論理もあるらしい。

人には、他人を、いい方向にも、悪い方向にも、「誤解」する自由が保障されている。

他人から「誤解される」自由も保障されている。

さもなければ全体主義国家である。

「名誉毀損」で訴えることは、あくまでも保証されるべき「権利」なのである。


誤解する危険を犯すことなしに理解なし。

誤解の権利の保証なしに、理解してもらえたと感じる出会いもない。

そして、理解とは、「静的」な状態ではなく、常に「プロセス」としてしか存在しない。

しかも、相互作用的な。


 BGMは、言うまでもなく、
浜崎あゆみ/"(miss)understood"

思慕するがゆえの矛盾

msn=毎日の、

殺さないで:児童虐待防止法改正に向けて/5止 母、あきらめられず

 この記事には、(「5止」とは「上」のことで、「下」もあるのかもしれないだが、....最後には「おわり」とあるし.....そっか、「連載最終回」の意味か(^^;)....いすれにしても、「上」だけとして)いろいろなことを考えさせられる。

 母親恋しさに、面会に来ない母親に何回も施設を抜け出して会いに行こうとした少年は、一方では死んだ父の保険金を「お母さんに使われてしまう」と「金づる」にされたくないと強烈に施設長に訴えるだけの現実吟味能力もあった。

 母親はトラックの運転手。しかし本人は、トラックの無免許運転が発覚し、少年院へ。

しかし、仮出所の際、

「自分もトラックの運転手になって、母親を支えたい。母親もむちゃくちゃな人だが、がんばっている」

と、告げた少年は、その直後に、まだトラックの窃盗、無免許運転を繰り返す。


 やりきれない思いがする。

 トラック運転手の母親への思慕が、トラック窃盗→運転へとまたすぐに短絡する。

 でも、ふと連想したのは、彼は、まともに稼いだお金を母親に使われてしまうという「理不尽」を、「もう一人の自分」が、未然に防止したのかもしれない....と。

 もとより、無免許運転が、交通事故を引き起こす危険や、窃盗という犯罪のことを敢えて棚上げしての強引な感じ方なのは承知だが。

2007/04/15

地震のあった三重の皆様にお見舞い申し上げます。

 震度5にしては、幸いにして今のところ、お亡くなりの方の報告こそないものの、家屋倒壊100棟など、被害が大きかったようですが、震源の三重県を中心とする皆様に、お見舞い申し上げます。

 直接被災されていない皆様も、日常生活に支障が出ないことを、お祈りいたしております。

 私が最近言及する、フォーカシングの勉強会の皆さんも、皆四日市近郊なので、昼過ぎから連絡を入れていたのですが、先ほど、全員生活に支障がないことを確認いたしました。

(「お坊さん」も、「保健士さん」も、その他の方も、ご無事でした。)

人気記事ベスト30 2007年1月1日(月) ~ 2007年4月14日(土)

.....というわけで、「カウンセラーこういちろうの雑記帳」の文章記事について、@NIFTYココログの、記事別アクセス解析機能を使っての、2007年度になってから昨日までの記事アクセス「ベスト30」の初公表です。

 少し前に、「週間ベスト30スペシャル」をやったばかりですから、それに手を加えれば割とたやすく書けましたが、4ヶ月半という、長いスパンで見ると、週間ベスト20に現在登場しなくても、亀のごとき着実さで、地道に読まれている記事が浮上するはずと思ったのですが(集計してみて、やはり「あれ」か!! という感慨に打たれました)

 固定リンクでのアクセス率の順位から集計しています。アクセス数が同じ場合には、訪問者実数上位の記事を上位とし,訪問者実数も同じ場合にのみ、同じ順位として掲載します。
 
 今回は、(xxx/yyy)と表示している"/"の前の数字が、今年に入って昨日までの訪問者実数、後ろの数字が同じく今年の延べアクセス数です。

 それでは発表!!

 今年に入ってから昨日までの総アクセス数、延べ28,914。(一日平均アクセス278.02

 訪問者実数は、21,690名様(一日平均208.56名様)です。

 「トップページへの外部からのアクセス」、6,913(41.7%)。
 「サイト内移動」5,820(35.4%)。


 それでは記事別ランキングの方の発表!!


1.インシュレーターは使わないに越したことはない(840/956)

2.欝とは、自分が無理をしていることを認識できなくなる時期にすでに始まっている(507/657)

3.オーディオにおける接点復活剤について(430/485)

4.私のピュアオーディオシステム(そこに更にiPodをどう繋ぐか)(320/382)

5.「ケーススーパーバイズ」とは何だろう ~入門編~(272/345)

6.「疲れた」「つらい」筈なのにそう感じていな「かった」時の「独特の感覚」は本人にも「実感」できる(172/245)

7.「共感的に」人の話を聴くとは?(入門編)(142/189)

8.「死にたい」と言ってもらえること(149/180)

9..ほとんど「オーディオの奇跡」という領域のヘッドフォン!!(+ 私の20余年におよぶヘッドフォン選定のさまよえる歴史)(163/178)

10.私のスーパーバイズ ~実践編~(133/172)

11.ストーカー「加害者」の心理(136/169)

12.やはり、耳栓型イヤフォンの名機、SHURE E5cについて書きます (142/166)

13.「神田橋條治」カテゴリーへの直接リンク(145/166)

14.「2007年3月」のバックナンバー (99/154)

15.「モバイルオーディオ」カテゴリーへの直接リンク(121/153)

16.「カウンセリング」と「身の上相談」の違い(87/149)

17.「パソコン用スピーカ」カテゴリーへの直接リンク(118/148)

18.ディック・ミネ、「瀬戸の花嫁」を叱るの巻(101/147)

19.映画「マリー・アントワネット」「女王フアナ」、あるいは浜崎あゆみの「成熟」について(116/140)

20.安易に共感されると人は自分自身でいられなくなる ~中島みゆき「エレーン」「異国」「空と君のあいだに」に寄せて~(105/131)

21.ヘッドフォン、Bose Quiet Comfort 2のへビーユーザーとしての本音~(102/130)

22.ヘッドフォンと共に過ごした「安息日」(109/129)

23.なせiPODは途中停止しやすいかについての独断的仮説(120/126)

24.クライエントさんの真の洞察の瞬間、カウンセラーはクライエントさんに「追い越される」。(86/125)

25."The Best of Best"="part of Me" (81/124)

26.「CDプレーヤ」カテゴリーへの直接リンク(103/122)

27.Interactive Focusing Therapy(99/120)

28.みんなみんな生きているんだ友だちなんだ!! -茂木健一郎さんの記事によせて(1)-(76/118)

29.「浜崎あゆみ」カテゴリーへの直接リンク(84/114)

30.独立開業を目指します(92/109)

*****


 ......ということで、「30位」が、個人的には何か、気恥ずかしいけど、嬉しくもあります(^^)

「初心忘るべからず」

と、肝に銘じさせていただきます。


 ayu系記事が、短期に一気に読まれて、すぐに姿を消す、と見るしかないのは、何かすごく「ayuっぽかったり」して(^^;)。時代と共に疾走し続けるayu様!!....ということで。

 フォーカシング系は、「やっぱり」というか、インタラクティブ・フォーカシングの記事(27位)の情報源性って、高いんだと安心。

 それにしても、「インシュレーター」記事の圧倒的安定感を何と言いますやら。最近こそ週間のトップを奪われやすくなってきましたけど。 これ、「インシュレーター不要論」なのに。

 ちなみに、もっと過去まで遡ると、今でも2位の「鬱」の記事が通算トップの筈と思います。

2005年4月以降の月別アクセス集計

 王子のきつねさんサイトに倣って(はっきりいってまねそのもの。ゴメン!!)、ブログの「アクセス解析」を使って、これまでの「月ごと」のアクセス数を発表します。 「月ごと」集計はしたことないんですよね、私は。

 もっとも@niftyココログが1年前にアクセス解析システムを大変更し、統計基準そのものを見直し、統計的数値そのものが以前と誤差が生じたため(私はこの「誤差」で、この時むしろ「おつり」を若干もらいました)か、コントロールパネルから、月別の統計が昨年の5月までしかさかのぼれません。

 ただ、ブログ開設(2004/12/18)時からの累計アクセス数だけはカウントされ続けていますので、最後の「累計」だけは、2006/4/14までの数値にしています。

(私のhtml知識では、どうしてもこの下(↓)に空間ができるので、お許しを)















UA数TA数UA数/日TA数/日
2006年5月2,216 2,944 71.5 95.0
2006年6月2,944 2,216 98.1 78.9
2006年7月7,051 5,061 227.5 163.3
2006年8月9,909 7,668 319.7 247.4
2006年9月9,555 6,966 318.5 232.2
2006年10月7,818 5,897 252.2 190.2
2006年11月6,180 5,012 206.0 167.1
2006年12月6,420 5,067 207.1 163.5
2007年1月7,635 5,850 246.3 188.7
2007年2月7,148 5,659 255.3 202.1
2007年3月9,677 7,085 312.2 228.5
2007/4/14迄4,454 3,096 318.1 221.1
累計(※)148,762 - 184.8 -


 UAは、ユニークアクセスの略で、訪問者の重複アクセスを数えていない場合の測定結果(実訪問者数)。TAは、トータルアクセスの略で、訪問者の重複アクセスを数えている場合の測定結果(延べアクセス数)。

 なお、この統計には、フォトアルバムと、「プロフィールページ」へのアクセス数は含まれていません。このブログの右テーブル上のアクセスカウンターも、これらの分は反映していない数値です。


****


 これをはじき出す過程で気がついたのだけど、私の場合、例えば「過去4ヶ月」という単位でベスト30あたりを算出したら、ayuサイトでもカウンセリングサイトでも、はたまたフォーカシングサイトでもなく、オーディオサイトである!!という結果が一目瞭然になるのですね。

 つまり、その週のみかけの変動に「全く」影響を受けず、毎日コツコツとおいでになるのは、オーディオ・ファンの方からの新規アクセスのようです(^^)

 最近は、アクセス数の割には存在を無視できない"ayuサイト”のひとつとして十分認知されてきている手応えを、ayu系トラックバック攻撃(?)の数がぐんと増してくることで、やっと実感と「はりあい」を感じるようになりましたが(^^;)、私は、ayuファンであるほどにすら、オーディオ・ファン、なんて言ったら、ほんとのベテランの皆様に申し訳ないと思うし、フォーカシングとカウンセリングは、プロの端くれですから、この結果にある意味では驚いています。

 そんなに、今、ネット上には、いいオーディオサイトが数少ないのかとすら、不安になってしまうわけで。ホントに、「上には上がある」の典型の趣味の領域ですので、私程度の知識と情報に頼ってたらダメですって!!

 このあたりの結果がおもしろいので、もうすぐ、この文章ブログだけで通算150000アクセス、書き込み数も800の節目を迎えますから、今年1月1日から昨日まで、過去4ヶ月半に限定してのデータをはじき出した「ベスト30」をこのあと今日中に作りましょう(^^)。

先週の人気記事ベスト20!!(07/04/8-14)

「カウンセラーこういちろうの雑記帳」週に一度の恒例、@NIFTYココログの、日曜日-土曜日の「週ごと先記事別アクセス解析機能を使っての、先週の記事アクセス「ベスト20」の発表、40回めです。

 固定リンクでのアクセス率の順位から集計しています。アクセス数が同じ場合には、訪問者実数上位の記事を上位とし,訪問者実数も同じ場合にのみ、同じ順位として掲載します。
 7×24時間、つまり4/14日(土)24:00の時点での集計です。

 それでは発表!!

 先週の一週間の総アクセス数、延べ2,403(前回2,051)。(一日平均アクセス343.29。前回293.00)、一日平均300アクセスはすぐに回復どころか、今朝にはすでに超えていました(^^)。その後も全く順調なアクセスで、少なくともここしばらくのダントツ「新記録」更新です。ありがとうごさいます!!

 何しろ一番少ない日で298アクセスでしたから、300アクセス台回復は目に見えていたんですが。

 結局、「知ったかぶり系」という「対抗ネット用語」の提案そして「浜崎あゆみのフォーカシング」という、はっきりいってやや「あざとい」タイトル(でも、内容的にはウソ書いてません)と、「ayu香港口パク疑惑」への積極介入(^^???)が効いた気もします。

 訪問者実数は、1.665名様(前回1,431名様)と、これも伸びています。

追記の追記:ブログ開始時からたどって「月間アクセス」単位で観たところ、2007年3月期の段階で、過去最多だった2006年8-9月期に、延べ人数、実数共に、あと一歩ということがわかりました(「追記」の時点で、表を読み違えてました。まだ新記録に届かず、残念!!)。

 もっとも、この、2006年8-9月期というのは、学会シーズンということもありますけど、ある特定サイトからの、私から見ると「情報操作」されかねない「不健全なアクセス構造」を断ち切る大なたを振るう「犠牲」をその直後にはらいましたので、あまり自分が達成したアクセス数という意識がありません(^^;)。ちゃんと自力でその頃の水準に、ほぼ戻したぜ! ということで(^^)


 「トップページ
への外部からのアクセス」、前回602(47.1%)に対して、今回663(42.7%)。
 「サイト内移動」、前回445(33.4%)に対して今回548(35.3%)

久々にサイト内移動が上昇しましたが、やはり効いてますね。「知ったかぶり系」の記事で打ち上げた花火が、ご新規においでいただいた読者の皆様を増やしたようで。


 当ブログの「一限さんでない率」、これは同じ人が一度に「何ページ」記事をお読みになったかと無関係な訪問者「実数」比に基づくもののようですが、7.6%から、7.5%へとこれは落ちています。でも、全体数が大きく伸びていますから、相対的低下はやむなしでしょう。


 「訪問周期」は、毎日おいでになる「完璧常連様」はここのところ10名様の時が多かったのですが、今回は、8名様にまた低下。ほんと、読者層が変化してきたのだろうと思っています。


 それでは記事別ランキングの方の発表!!


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1.「妄想」系 VS.「知ったかぶり」系 NEW!

2.浜崎あゆみによる、インタラクティブ・フォーカシングの実例!! NEW!

3.インシュレーターは使わないに越したことはない(→) 33週連続

4.人は変化した時、二重の過去を持つ -カウンセラーこういちろうによるジェンドリンの体験過程理論の解題 断章-(1) NEW!

5.遅れながら、ayu様の香港でのお姿 + 私の近況 NEW!

6.欝とは、自分が無理をしていることを認識できなくなる時期にすでに始まっている(↑)34週連続

7.みんなみんな生きているんだ友だちなんだ!! -茂木健一郎さんの記事によせて(1)- COME BACK!!

8.「水っぽい」→「水臭い」 NEW!

9.オーディオにおける接点復活剤について(↓) 16週連続

10.なるちゃんはかっこいい!! おわちゃん、Take care of yourself! NEW!

11.「2007年4月」のバックナンバー (↑)

12.msnのうつ特集について NEW!

13.湘南フォーカシング・カウンセリングルームとJR大船駅近郊の地図 NEW!

14.ayuの口パクを「擁護」する「知ったかぶり系」の人たちは NEW!

15.旧来の人格モデルは、一人の人格の中に、「障壁」の両側にそれぞれいる、「複数の主体」の存在を仮定せざるを得ない -カウンセラーこういちろうによるジェンドリンの体験過程理論の解題 断章-(2) NEW!

16.私のピュアオーディオシステム(そこに更にiPodをどう繋ぐか) (↓)12週連続

17.「2007年3月」のバックナンバー (↓) 5週連続

18.iPod向け「超」高級ヘッドフォンの世界!!(+α) (↓)

19.「ケーススーパーバイズ」とは何だろう ~入門編~ COME BACK!!

20.なんでもビョーキで済ませるくらいなら、「太古の昔、そして未来の人類にはむしろ生存に有利な資質」ととらえてみては? (↓)


*****


 前回のベスト20は23位です。


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 今回は、体験過程理論に関する渋い記事を3本も載せたのですが、読者の皆さんがついてきて下さいました。

 何のかのと行って、久々に、ディープになりすぎるのを覚悟で、ストレートなフォーカシングの記事を書くとアクセス数が増えるのは、私のブログがayuサイトというだけではなくて、フォーカシング関係者に読んでいただいていることの証しと思います。感謝!! やはり責任あるなあ....と。

 現在「も」、茂木先生の「脳とクオリア」を少しずつ読んでいます。やっと今回の15位の記事でほんのかすかな「片鱗」を示しました(^^;) 内容、理解しながら読み進もうと思うと、いくら神経生理学については、心理学大学院出ている以上、それなりの予備知識があるといっても、「大脳生理学」となると入門の入門水準ですから、相当ゆっくり読まないとならない本なのです。歴史の本の3分の1以下のスピードでしょう。普段いつでも持ち歩いて少しずつ読んでるのですけど。

 だから、読者の皆様、ほんとうに「気長に」、時々言及するのを待っていて下さいませ。


*****


 これを書いている「今、この瞬間」(4/15 AM 0:32)までの当ブログ文章記事の延べ総アクセス数)は、148534、フォトアルバムを含めると170629、ブログの通算記事数はこの記事で784本めです。

 今後とも、「カウンセラーこういちろうの雑記帳」を、よろしくご贔屓(ひいき)に、お願い申し上げます。

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2007/04/14

「コンディション」とは、言葉にならない、漠とした心身の「ここち」である -カウンセラーこういちろうによるジェンドリンの体験過程理論の解題 断章-(3)

 ここからはじまった、ジェンドリンの体験過程理論の基本文献「人格変化の一理論」のごく短い断章についての、私の参加する勉強会での「ある特定の回の」やりとりを、やや要約し、脚色つつも再現する連載シリーズ、第3回です。(前回はこちら

*****

 ある人が全く幸せな気持ちを感じながら場を去った。だが四日後に,彼は,あの時実は自分は起こったことについてひどい怒りを持っていたのだと覚る,彼は自分がず-っと怒りの気持ちを持ち続けて「いた」(has been)のだが「そのことに気づいていなかったのだ」と感ずる。(旧訳・新訳同じ。新訳p.218)

 さて我々の理論は彼が現在,怒りと呼んでいるものがずーっと気づかれることなしに彼の身体の中にあったという考え方を否定する。我々の考えでは,何かがあったのだが,怒りを持つという過程はなかったのである。彼はそれを今怒りを持つ,と呼んでいる。なぜならば,彼はその過程に参加しており,彼の現在の怒りが,過去4日の間自分が身体的に感じていたある条件を「満たし」「放電し」「解放し」「象徴化し」「完了している」こと……すなわち早くいえば,その条件とある深く感じられた関係をもっていること……を生理的に彼に知らせるようなある解放惑(定義8[新訳:定義h]を見よ)をはっきりと感じているからに他ならない。過程は生じていなかったのであり,それは,今になってはじめて変更をうけている或る生理的条件の方へと進んでいたのだ。「構造に拘束された」体験が「完了する」ときに我々は,以前にそれが何であったかが今わかるのを感ずるのである。そのときに,そのことがわからなかったのは,今進行している過程はそのときの停止した条件とは異なっているからである。 ([ ]内以外旧訳・新訳同じ)

 Now, our theory denies that what he now calls anger was in his body all along, without awareness. Rather, there was something, but not the process of being angry. He calls it being angry now, because now he is engaged in that process, and he clearly feels the releasing (see definition 8) quality which physiologically lets him know that his present anger "satisfies," "discharges," "releases," "symbolizes," "completes"--in short, has some deeply felt relation to--the condition he physically felt during the four preceding days. The process was not occurring, and that made for a physiological condition which is only now altered. When "structure bound" experience "goes to completion," we feel that we now know what it was then; we did not know it then, because the ongoing process of now is different from the stopped condition of then.

太字原文のイタリック。訳書にもある)


******


こういちろうの講釈:さて、では、「抑圧モデル」「内容モデル」に代わる形で、ジェンドリンがこの実例をどのように説明するかなんだけど。

 まず、《第一幕》、実際にデートしたその時に「全く幸福な」気持ちでいたことのものは、必ずしも疑わなくてもいいことになる。つまり、彼の、その「ある一定の状況(a certain situation)」の中での「漠然とした言葉にならない実感」、つまり、フェルトセンスそのものの、感じられた「暗黙の意味(implicit meaning)」直接の注意(direct reference)を向けて見た結果として(つまり、フォーカシングの結果として)、そこから、実感にぴったりの言葉、つまり、明示的な意味(explicit meaning)としての象徴化として「全く幸福」という言葉がでてきていたという前提に立っても、何も困らない。

 なぜなら、その「ある一定の状況(a certain situation)」からは、デートが終わって以降は離れている(left)のだから、違う状況で違うフェルトセンスを感じ始めた、と想定しても問題ないので。

 もちろん、仮に、デートの真っ最中に丁寧にフォーカシングしたら、「幸福だけど、何か言葉にならない漠とした違和感」もあることに、この時気づいた可能性は留保できる。

 ジェンドリンは、この実例について、

> there was something, but not the process of being angry.

と書いているわけだから、

「彼は言葉にならない『何か(something)』を感じていた。でも、『怒り』へと直結するプロセスはその時点では存在しなかった」

ととらえている可能性もあることになる。このへんはもう少し先の部分を検討するまで留保するね。

 どちらにしても、その段階で感じ取れている「言葉にならない漠然とした実感」そのものは、そこにシフトが生じない限りは、そこに、『怒り』ということを明瞭に示唆するフェルトセンスの感じられた質(feeling quality)はなくてもいいし、なかったという前提でジェンドリンはこの実例をとらえていると思う。

 それこそ、「『十分に幸福』と言い切ろうとすると、何かすっきりしない

だとか、

 「何か妙に落ち込んだ、モヤモヤした気分隠れている」

だとか、

 「ハッピーだったはずなのに、私の胸の中にかすかにチクリと痛いものが刺さっている」

だとか、

 「このかすかなイライラは何?」

だとか、

 「幸せだった筈なのに、何か後ろめたさのようなものがある」

とか、いくらでもシミュレーションできるけど、仮にその言葉にならない"something"に直接注意を向けて、その感じられた質を取りあえず言語化したとしても、ともかく、ダイレクトに「怒り」に結びつくものはまだ感じられていないと想定できるわけね。

.......いいかな? これで?


(異論なし)


 .......さて、次の部分。

> He calls it being angry now, because now he is engaged in that process,

......(沈黙).......ううう。

"engaged"が「参加する」では意味がわからなくなるではないか。

 ここでは、

 「彼は今では(.....つまり、《第3幕》では)、その過程に没入しており」

あるいは、「没入」、ないし「没頭」が強いなら、

過程に「入って」おり

......ぐらいに訳するかな、私なら。

 要するに、ひょっとしたらデートのその時(《第一幕》)、あるいはデートが終わって以降の3日間の間(《第2幕》、何なら、今日になってから(《第3幕》)でもいいや......に感じ始めた、言葉にならない"something"についての、自然発生的フォーカシングの「過程」が始まったということね。

 「その漠然とした感じは何?」 という、感じに触れ続けながらの探索的なプロセス。
 

次に、

> and he clearly feels the releasing quality which physiologically lets him know that his present anger "satisfies," "discharges," "releases," "symbolizes," "completes"--in short, has some deeply felt relation to--the condition he physically felt during the four preceding days.

 彼はその言葉にならなかった何かモヤモヤしたものに自然発生的なフォーカシングを進める中で、

 ついに今(present)

 「そうか、私は腹を立てていたんだ!!」と気がついたわけ。

 この瞬間がフェルトシフトは生じたということ。

 つまり、「怒り」と気づいた瞬間に、その怒りに「気づく」ことが、彼に、

「満たされた」

ともいえるし、

「放電された」

ともいえるし

「解放された」

ともいえるし、

「象徴化(シンボライズ)された」

ともいえるし

「完了された(未完だったものがfinishを決めた)」

ともいえるような、ある生理的・身体的(physiologically)な,"the releasing quality".....「すっきりしていく質感」の感覚をもたらしたことになる。

次は.....

>--in short, has some deeply felt relation to--the condition he physically felt during the four preceding days.

> 過去4日の間自分が身体的に感じていたある条件
> ……すなわち早くいえば,その条件とある深く感じられた関係をもっていること


......(沈黙).......う゛う゛う゛......


"condition"「条件」と訳すのは、この場合も外れてはいないんだけどさあ......


 要は、カタカナ語でいう「コンディション」のことでしょ? これ。


 「過去4日間自分がからだで感じていたコンディション

......わかりやすいではないか!!

 日本語で訳すなら「心地(ここち)」とか「居心地」ね。

 言葉にならない漠然とした何か="something"を感じているその状態がどうかってことじゃないの?

 日本語っておもしろいよね。「心地」って「身体の感じ」の状態のことを指すわけで。

 ついでにいうと、

> some deeply felt relation

そりゃ、「関係」なんだけど、「深く(相互に)つながっている」、「深く関連した」、ないし、「深く触れているぐらいじゃないかしら?


*****


長くなったのでまたここで区切ります(^^)

......これじゃ、10年で40ページ進まないの、お察しいただけるかと(^^;)


 さすがに今回の部分は、ある程度体験過程理論になじんでいない人には、臨床家ですらどれだけついてきていただいけたか、自信がありません。

 しかし、フォーカシング関係者の皆さんには、何か、少し問題提起になる示唆となればと思います。

(続く)




2007/04/13

ayuの口パクを「擁護」する「知ったかぶり系」の人たちは

私のこの記事を読んだ上で、実際にコンサートに行って、化けの皮をはぐくらいの「蛮勇」をふるいなされ。

 ストーカーとかまでしないのなら、「実際に現場に出て、虚像を引きはいでやる!!」ぐらいの人の方が、将来見込みがあるな。

 指揮者カラヤンも、ナチ党員だったことをはじめとしていろいろ毀誉褒貶ある人だけど、

 「コンサートのリハーサルに潜り込んで密かに観察している奴がいたら、見て見ぬふりをするつもり」

という発言をしているインタビューが残っている(結構知られていると思う)。

 これは、まあ、警備の人が見つけ出したらカラヤンに訊くこともせず、あっさりつまみ出しちゃったかもしないけど、カラヤン自身は本気でそう思っていたのではないかと。


このDVDにカラヤンのさっきの発言入っていたかどうかは改めて確認してません。BSで見た内容ですが。

******

●追記

 このサイトはayuファンでない人もたくさんおいでになるサイトですので、情報のリソース(中継増幅元)を示します。

「あゆ」香港公演で 歌の3分の1「口パク」説

 ここの読者「コメント」まで読んでもらうと、ネットで「知ったかぶり系」によって「どのようにして」風説が広まるか、それを「どうすれば」簡単に止められるかがよくわかるかと(爆.)

 ......皆さん、「妄想」というより、非常に確実性の高いひとつの「推理」に走りたくなることでしょう(^^;)
 でも、その「証拠」はどこにもないんだよ~ん!! あのサイトがIPアドレスという「個人情報漏洩」しない限りは。


「現場」での「参与しながらの観察」(サリヴァン)
こそ命!!

旧来の人格モデルは、一人の人格の中に、「障壁」の両側にそれぞれいる、「複数の主体」の存在を仮定せざるを得ない -カウンセラーこういちろうによるジェンドリンの体験過程理論の解題 断章-(2)

 ジェンドリンの体験過程理論の基本文献「人格変化の一理論」のごく短い断章についての、私の参加する勉強会(何しろ、ここ10年間、月に一度、1-2時間、ねちっこく進めているのに、日本語訳で40ページ前後の論文がまだ読了されていない、という、驚くべき牛歩の歩みなのに、参加メンバー固定のまま誰も投げ出していない)での「ある特定の回の」やりとりを、やや要約し、脚色つつも再現する連載シリーズ、第2回です。(第1回はこちら

*****

 ある人が全く幸せな気持ちを感じながら場を去った。だが四日後に,彼は,あの時実は自分は起こったことについてひどい怒りを持っていたのだと覚る,彼は自分がず-っと怒りの気持ちを持ち続けて「いた」(has been)のだが「そのことに気づいていなかったのだ」と感ずる。(旧訳・新訳同じ。原書p.138 新訳p.218)


 ここまでの部分は、前回に私が説明したことで、共通理解があるという前提で進みます。


 さて我々の理論は彼が現在,怒りと呼んでいるものがずーっと気づかれることなしに彼の身体の中にあったという考え方を否定する。我々の考えでは,何かがあったのだが,怒りを持つという過程はなかったのである。彼はそれを今怒りを持つ,と呼んでいる。なぜならば,彼はその過程に参加しており,彼の現在の怒りが,過去4日の間自分が身体的に感じていたある条件を「満たし」「放電し」「解放し」「象徴化し」「完了している」こと……すなわち早くいえば,その条件とある深く感じられた関係をもっていること……を生理的に彼に知らせるようなある解放惑(定義8[新訳:定義h]を見よ)をはっきりと感じているからに他ならない。過程は生じていなかったのであり,それは,今になってはじめて変更をうけている或る生理的条件の方へと進んでいたのだ。「構造に拘束された」体験が「完了する」ときに我々は,以前にそれが何であったかが今わかるのを感ずるのである。そのときに,そのことがわからなかったのは,今進行している過程はそのときの停止した条件とは異なっているからである。 ([ ]内以外旧訳・新訳同じ)

 Now, our theory denies that what he now calls anger was in his body all along, without awareness. Rather, there was something, but not the process of being angry. He calls it being angry now, because now he is engaged in that process, and he clearly feels the releasing (see definition 8) quality which physiologically lets him know that his present anger "satisfies," "discharges," "releases," "symbolizes," "completes"--in short, has some deeply felt relation to--the condition he physically felt during the four preceding days. The process was not occurring, and that made for a physiological condition which is only now altered. When "structure bound" experience "goes to completion," we feel that we now know what it was then; we did not know it then, because the ongoing process of now is different from the stopped condition of then.

太字原文のイタリック。訳書にもある)


******


 こういちろうの講釈:

 ここでいきなり、

「我々の理論は彼が現在,怒りと呼んでいるものがずーっと気づかれることなしに彼の身体の中にあったという考え方を否定する」

と出てくるのは、ジェンドリンが、体験過程理論において、旧来の人格理論の多くが準拠していたパラダイムを、「抑圧モデル("repression paradigm"」と「内容モデル("content paradigm")」として否定しているということなんだけど、誰かさっきの実例を、例えばフロイトの意識と無意識の理論のモデルで、黒板で説明してくれる?


.......(沈黙)..........


A:「(Bに)前回の要約までまとめてきたんだから、お前、やれ」 [注:お坊さん]

B:「エ? 私? ウッソーン!!(^^;)」 [注:既婚者の私より年上の保健師]

こういちろう:「わかった」とうなづいたんなら、その理解を図示して説明してくださいませ。「理解した」とは、「他人に自分なりに臨機応変に説明できる」ということである(^^)


(......Bさんの説明と図の経過は省略.......)


こういちろう:......では、この図を使わせてもらって、修正、加筆する形で説明していいかしら?

 前回の実例には、大きく分けて、3つの時期があると考えられるわけ。

*《第1幕》: 「ある特定の状況(a certain situation)」、たとえば4日前のデートの日には、実際、すごくハッピーだった。

*《第2幕》:それから3日間、デートの日のことを実際にハッピーだったと感じていた

*《第3幕》:4日後、実はデートのその時、デートの中でのある出来事(what happenned)に怒りを感じていたし、この4日間ずっと怒りを感じ続けていた(have been)と気がついた。


 .......《第1幕》の4日前のデートの時に、実際に楽しく感じていたことを否定して、それを精神分析の防衛機制としても「反動形成」であると決めつける根拠まではないと思う。

 でも、旧来のパーソナリティ理論なら、フロイトでいえば、無意識の次元では実際に「怒り」という「心的内容(content)」すでに実際に感じていたけれども、それが意識にのぼる前に「検閲」され、無意識の領域に「抑圧」されたととらえる必要はある。

 こうなるとね、いわば、ひとりの人間の心の中に、分割された2つの「層」....「小部屋」みたいものと、2人ないし3人の「人」というか、人格みたいなものを、一人の人間の中に考えねばならなくなるの。図で書くとこんなふうね。


*人格a:「無意識」の住人。「怒り」や「幸福感」を「感じる」人。

*人格b:「無意識」の住人。aの感じた「幸福感」や「怒り」を「意識」の側に送りこんでいいかどうかを《検閲》する人。「怒り」は却下。「幸福感」は通関OKと判断。

*人格c:「意識」の住人。壁の向こうのabという存在そのものには気がつかないまま、「意識」に入り込んできた「楽しさ」だけ「感じる」人。


 つまり、「怒り」そのものは、「無意識」にあるか「意識」にあるかの違いこそはあるものの、「怒り」という同じ《質》の「内容(content)」であるという前提に立っていることになる。そしてそれが「意識」にのばるか「無意識」にとどまるかだけが差異であると仮定される。

(注:ビオンやウィニコット、バリント、サリヴァンあたりになると、こうした、無意識と意識の内容の「等価性」を前提としていないようにも思える)

 だから、《第2幕》になっても、《第1幕》すでに感じていた「怒り」が、無意識にそのまま抑圧されて「存在し続けて」いたという図式になる。

 そして、《第3幕》になって、こうやって4日間無意識の中に存在「し続けて」いた「怒り」が意識にはじめてのぼる。その結果「4日前のデートの時からずっと怒り続けていた」という気づきが4日後になったはじめて生じる.....と考える。

 つまり、4日間、「怒り」は無意識という冷蔵庫の中で「凍結保存」されていたか、意識にのぼろうとしても、《検閲官》bに差し止めを食らい続けたか、どっちかとみなすことになる。


******


 このあと、この部分を最後まで解説するか、一気にジェンドリンならどう説明するかまで解説するかは判断保留のまま、とりあえずここまで記事としてアップします。

 ほんとは黒板に図示した図まで再現してブログ上で掲載したいのだか.....それは版を改めて。

(続く)


*****

 だた、「脳のニューロンの各反応について「判断」する小人(ホムンクルス)のようなものを仮定しないとならない理論は、無限後退を必要とするので論外」という、「脳とクオリア」での茂木さんの主張(p.35)と関連づけられるかもしれない....とは、とりあえず示唆しておきましょう。

(これで宿題を「少し」果たし始めた(^^;)



2007/04/12

湘南フォーカシング・カウンセリングルームとJR大船駅近郊の地図

 ブログパーツに、"ALPUSLAB"という地図検索システムがあったので、私がこのブログの中でちょっちゅう引き合いに出す、私の開業している「湘南フォーカシング・カウンセリングルーム」のある大船(おおふな)という街の地図を掲載します。

 ワンクリックで、リンク先で拡大/縮小、移動が出来ますので、どうかご活用下さい。

 関東の方を除くと、「大船」と聴くだけでは場所のイメージがなくて、それこそ「大磯」ぐらいは横浜から離れていると思い込まれている場合もあるようですので。

 横浜からは東海道線で15分、東京駅や新宿駅からでも45分なんですが。

 他の記事でも書いたように、大船の街は、駅そのものが横浜市と鎌倉市の南北の境目に立っていて、市の境を越境して街が発達しているのです。

 明治時代の「鎌倉郡」の頃の地域分けが今でも残存していて、郵便局や警察署や消防署は、「大船」という単位での管轄になっています。

 それでも大船駅は「鎌倉市」の所属とされているので、長距離切符で「横浜市内」扱いにならず、新幹線のぞみ号の多くが停車する新横浜駅(今年5月にayuが4公演やる「横浜アリーナ」最寄りでもある)に向かうためには、となりの戸塚駅までの130円の追加料金が発生いたします。新横浜駅までそのものが、広大な横浜市内を3回も乗り換えて、大阪/名古屋方面とは正反対方向に45分も「北上」して「縦断」しないとならないのですね。

 住んでるのも大船ですが、職場は「横浜市栄区長尾台町(と鎌倉市のほとんど境目。柏尾川沿い西岸の大きな道沿い)」、自宅は「鎌倉市」に属します。自宅まではおもいっきり自転車で飛ばしても5分では届きません。

「鎌倉市」のどこなのかは、もちろん皆様にはヒ・ミ・ツです(^^)仕事上の関係者にすら自宅の住所は教えておりません。

なるちゃんはかっこいい!! おわちゃん、Take care of yourself!

 届いた"psiko"5月号を読み始めたら、「雅子妃の未だに理解されない心の病」という記事にまずは読み入ってしまった。

  私は、例の、記者会見で、「雅子のキャリアや、そのことに基づいた雅子の人格を否定するような動きがあったのも真実です」発言をして、宮内庁ばかりか、お父様の天皇陛下と一時期気まずくなることすら厭わなかった「なるちゃん」こと皇太子殿下をかっこいいと思ったひとりであることは以前もこのブログで書いたと思う。

 私の「浩一郎」という名前そのものが、数か月早くお生まれの「浩宮」様から取られたものである。小さい頃から何かというと浩宮様を親戚中から引き合いに出されて育ったせいか、顔立ちまで皇太子殿下に似ていると、人にもいわれるし、自分でも思う(^^;)

 そして、雅子様と結婚された時、「いい人と結婚なさって、このこの!」とジェラシーを燃やした。

 そして、雅子様が「適応障害」と診断されたことは、私にとって特別な感慨になっている。

 なぜなら、私の診断名も「適応障害」だったから。

 この、「適応障害」というDSMの診断名は、「社会不適応者」みたいに受け取られるので、個人的にはあまりよい命名とは思っていない。

 「心身の症状によって、社会的役割に適応したくても適応できなくなること」

ぐらいにとらえた方がいいと思う。

 わかりやすくいうと、鬱に限らない、様々な心身の不調の背景として、状況因の関与がかなりの程度想定できるもの全般を指す。曖昧な診断基準とも言えるけど、状況因のストレスが変化しなければ容易に軽快しないと判断できるという点では、意味のある診断基準だと思う。

 それにしても、日本最高のセレブであるべき皇族方が、医療の面で、精神神経科に対する態勢をある時期まで一般の人よりも不自由な形でした持たなかったというのは、ある意味でとんでもない事態だったと思う。侍医に精神神経科の担当医がそもそもいなかったのである。

 オランダの開かれた王室でのご静養の日々は、いい形だったのではないかと、今にして思う次第である。

2007/04/11

msnのうつ特集について

 msnビューティスタイルにまとめられているうつ関連のさまざまな特集はなかなかよくまとまっていると思います。

 この特集と連携している"psiko"5月号

もあと1時間ほどでAmazonから手元に届く予定だが、まずは、築地サイトウクリニックの齋藤英二(さいとう えいじ)先生と、エビス心療内科の堀史朗(ほり しろう)先生による、「賢い患者学のすすめ」という記事について述べよう。

 欝というのは、「やる気が出ない」とか、「朝起きられない」という現象を、本人のだらしなさだとか、単なる無気力というふうに自分でも思い込みやすいし、周囲からも見られやすい。

 以前はそんなことがなかった人がそのようになってきた場合は、まだしも気づかれるきっかけは見つけやすいほうだろう。しかし、場合によっては、そういううつ状態が軽度のままで慢性化している場合もある。

 私は、3年ほど前、大学での通常の勤務に明らかに差しさわりが出てきて、以前なかった、緊張性頭痛(被帽感)と呼ばれる症状が出てきてから、自分の判断で心療内科への通院を始めたのだけれども、過去数年の状態について話す中で、私がお医者さんから言い渡されたのは、私がすでに(その段階で)何年も前から、すでに軽度のうつ状態にあったといえるらしいことだった。

 実際、こうして回復してみて気がつくのは、私がこれだけ午前中にあっさり目を覚まし、一度本格的に一日の活動を始めると、半日間は集中力が持続して、特別にストレスがかかる状態でない限りは、ものごとへのいきいきとした関心が衰えず、床についたらいともあっさり寝入ってしまうなどということが、極論すれば、私が成人して以降体験していなかった領域というのに近いということである。

 個人開業というライフスタイルが私にあっていたとしても、少なくとも2年前の私と、数ヶ月前からの私は、この点で雲泥の差があるわけです。

 これくらいに、カウンセラーであっても、こと自分のこととなると、軽度のうつには気づけなかったということですね(^^;) 

 だから、齋藤先生が、

 他の病気と同じく、早期発見、早期治療がなによりも大事なのです。

 また、幸いにもうつ病でなかった場合でも、専門家のアドバイスを受けることが、気分を切り替えるきっかけにはなります。自分ひとりで悩んで、いたずらに落ち込む日々を過ごさないためにも、プチうつな自分を感じたら、早めに専門医療機関へ相談してみましょう。

とお書きなのは、まったくもっともなことと思います。

 生じかかりの軽度であれば三ヶ月、休職しなくても医療への通院治療だけでとりあえずおさまるというのも、私のお会いするクライエントさんたちの経過を見ていてもいえることと思います。それくらいで済まない人は、すでにそれ以前に長い経過を潜在的に抱えているか、欝を引き起こす、ストレスフルで無理が必要な環境因子がまったく変化しないまま、同じライフスタイルを継続している状態にある場合が少なくないと思います。

 そうした人でも(私のように)、長くて1,2年で回復できることが多い(ちなみに私は通院のみでした)。そうならない場合の多くは、同じような環境で同じようなライフスタイルと人とのかかわりの様式を続けるために、絶えず再発の機会にさらされているということなのだと思います。

 カウンセラーだから欝になったら恥ずかしいということはありません。実際には軽うつ状態で仕事をしているカウンセラーは一般に思われているよりよほど多い、ただし、それは一般社会人の人がそうであるのと同じくらいに多いというのが、実体験がある私から周囲を見ていて感じる現実です。実はそれくらいありふれた状態なんですね。


****


 私のスタンスとしては、うつのクライエントさんとの関わりで大事にしているのは、

1.クライエントさんとお医者さんが、円滑にいい関係であり続けられるための、主としてクライエントさんの側への援助。

 ここでいう「いい関係」というのは、クライエントさんが医者に言いたいこともいえない状態で維持される関係ではなくて、お医者さんに「通じやすい」形で、クライエントさんの状況を「うまく」伝えるための、関わり方のアドバイスと思ってください。

2.クライエントさんのライフスタイルや、仕事や対人関係を含む状況との関わり方について一緒に模索していくこと。

 これが、同じようにまた欝の入り口に立ち、同じように欝に陥る悪循環にならないためには必要ということになります。


***** 


 次に、堀先生による「うつの人とつきあうための7か条」ですが、これもなかなかポイントを押さえて下さってます。

 2.「がんばれ」ではなくて「よくがんばってきたね」

 これまでその人が積み上げてきた努力への「ねぎらい」なしには欝の人の耳には何も入らないと思ってください。それこそがその人の生きる支えだったのだから。

 「無理するな」という言い方ですら、ひとつまちがうと「お前はもう役立たずだ」というふうに本人は受け止めているだけの場合があります。

 周囲はどこまでも「光栄ある業績」を持つ人間の「ドック入り」みたいに遇するべきです。このあたりは会社での対応とかでも配慮してもらいたい事柄です。

5.できないつらさを理解してサポート

ということもこのことと関連しますね。

 そして、うつ状態にある人間は、周囲から自分が受け入れられているという感覚が低下します。なので、言葉で何を言われても空しく感じる可能性はあります。

 ですから、3.初診に同行者がいること、4.ボディランゲージ などで書かれているとおり、気遣う身近な人がいるだけで違うかと思います。「何も言ってあげられない」と「そっとしておく」という名の孤独に本人を追い込む前に、そういうさりげない事柄への、おっせかいになり過ぎないささやかなリラックスした配慮だけで、十分なのですね。

 親切の押し売りや、「せっかく.....したあげたのに」的な言動は厳禁ですが。援助者も力まないこと、使命感に燃えすぎないで、共に以前よりゆったりした時を味わうくらいのスタンスがいいのです。さもないと援助者が鬱っぽくなります(だからカウンセラーも、このへんをわきまえていないと、自分が鬱を背負い込む)。

*****

 あと、うつになると、周囲から、「こうしたら」「あれをやったら」「それはよくないと思う」などとといわれるのが、すごく負担になります。干渉に対してすごく過敏な状態ともいえます。

 その人なりの新たなライフスタイルを少しずつ再建していく様をあたたかく見守ってほしいという思いが強い。

 だから、本人が話をしてきたら、それを丁寧に受け止めてあげるだけで、本人はすごく感謝したりしているものです(これは、私の経験から痛感していることなので)。


***** 


......などと書いていたら、予定通り"psiko"届いたので、これから読みます(^^) 

 なお、既に常連読者の方はお読みかと思いますが、私の、うつの問題についての代表記事は、こちらこちらにあります。

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2007/04/10

浜崎あゆみによる、インタラクティブ・フォーカシングの実例!!(第2版)

   

あの、その時の、気持ちをね、何かこう、整理できなくて。

プロデューサーに、

「ねえ、私、今、自分の、その、置かれている状況を、
 こう、こうだと思う、こう感じる、こうやって、
 何ていったらいいのかな?」

って。

「どういうことなのかな?」

って、相談したことがあって。

そしたら、彼がすごいうまいこと言って。

「ねえ、おまえさあ、こんな感じ?」

って。

「ここ(頭のすぐ上に手をやる)に天井があって、
 ここ(足元)に床があって、
 左右の壁がここ(両手を顔の横数センチぐらいに立てる)
 にある気がしないか?」

....って、言ったんですよ。

だから、

「上も下も、右も左も、もうありません!
 ....っていう、何かお前、そんな感じしない?」

って。

「あ、それ!!」

...って言ったんですけど。

(インタビュアー:はあ......)

.......決して、
.......こう、
ただっ広ーっくって、
ありとあらゆる望むものがそこにはあって、
すべてが美しくて、
輝いてて
....っていうんじゃなくてね。

(うん....)

うん.....

(しかもその壁の色は何色なの?)

......真っ白だったよ!

NTV 「スーパーTV 情報最前線」 
~浜崎あゆみ 光と影 25歳の絶望と決断~
2004/4/21放送分より

(上記サイトの「バックナンバー」→「2004年」で、この回についての紹介記事に今も行けます)

*****

 これって、私の専門でいう、「インタラクティヴ・フォーカシング(Interactive Focusing)」的なやりとりそのものなんですよ(^^)。

 avexの現社長、松浦さんが「リスナー」で、ayuが「ストーリーテラー(フォーカサー)」とすると。

 つまり、ayuは、自分の置かれた状況("A Best"を出して頂点を極めた頃かな?)についての、「ある漠然とした言葉にならない実感」=フェルトセンスを感じている。

 プロデューサーの松浦さんは、そのayuの「身になって」、ayuのフェルトセンスを感じてみて、その実感にぴったりそうな手短な言葉やイメージとして返す。

 それが、


「ここ(頭のすぐ上に手をやる)に天井があって、
 ここ(足元)に床があって、
 左右の壁がここ(両手を顔の横数センチぐらいに立てる)
 にある気がしないか?」

にあたる。

ayuは、

「あ、それ!!」

...って言ったんですけど。

と、答える。つまりayuのフェルトセンスにぴったりだったのですね。

 この瞬間にayuが体験しているのが「フェルトシフト(felt shift)」という、変化と洞察の瞬間のことです。

 ayuは言葉にならないモヤモヤがすっきりして、少し「気が晴れた」んじゃないかと。

*****

 ああ、なぜこういう、むやみにわかりやすいネタを、このブログで出し惜しんでいたんだろう......

 .......というか、今朝になって、突如、「これ使ってない」と思い出したんですけどね。

 実はこのシーン、2004年の日本人間性心理学会での自主企画の中で、ayuのインタビューのこの部分そのものもPowerPointに取り込んで映写して、説明しているのですよ(^^)

 DVDの画面や写真は掲載しないことにしてるけど、公開放映されたテレビ番組の中での発言の著作権に関してはここではお目こぼし願うとして(^^;)

 もちろん、ayuも松浦さんも、フォーカシングの「フォ」の字も知らないはず。

 ある意味では、誰もが、日常会話の中で、これと似たシーンを体験しているかもしれない。

 フォーカシングって、実は、そういう日常的・偶発的体験を、意図的に意識的に促進するシチュエーションに過ぎない、ともいえるわけですね。

誰もが言葉にならない思いを抱えながら今日も生きている!!

(ああ、最高の宣伝だ!!)

*****

 インタラクティヴ・フォーカシングについては、このブログのこの記事に、私がWeb上の日本語のものとしては、現段階でも最も簡潔で整ったものだろう解説を書いています

(当ブログ個別記事ごとアクセスランキングをベスト30まで広げると今も常連の記事です)。

 出版された、「インタラクティブ・フォーカシング」の日本で最初の解説は、不肖私が、この技法の国際トレーナー資格をお持ちの宮川照子さんの監修で、
Esprit410hyoushi_1「現代のエスプリ 410  治療者にとってのフォーカシング」(伊藤研一・阿世賀浩一郎 編著)の中で書かせていただきました。

 その後、まとまった著作としては、

ジャネット・クライン著

「インタラクティヴ・フォーカシング・セラピー
 カウンセラーの力量アップのために」

諸富祥彦監訳、前田満寿美訳  (誠信書房)

が出ています。

****

BGMは、もちろん、

浜崎あゆみ - A BEST 2 -BLACK- - part of Me"No Way to Say"

ということで(アコースティック・バージョンにリンク貼りました)。

今では一般には、こちらのアルバムがおすすめですね。

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2007/04/09

人は変化した時、二重の過去を持つ -カウンセラーこういちろうによるジェンドリンの体験過程理論の解題 断章-(1)[第2版]

 さて、直前の記事で述べた、数日前の研究会で私と「学友たち」が、どのくらいの密度で、ジェンドリンの「人格変化の一理論」を読んでいたかの実際をお示ししようかと思う。

 ここで紹介する断章の部分、一見さりげないありふれた日常の実例からジェンドリンは説き起こす箇所なので、興味のお持ちの方も出てくるかもしれませんが、それでも「超ディープでハード」な私の解説の仕方かもしれないので、関心ない人は、この記事、読み飛ばして下さい。

 ただし、心理臨床関係者は、もし、ここ(およびその連載続編)で書かれている内容に「ついて来れない」とすれば、実はジェンドリンの体験過程理論について何も理解していないということになりますので、チャレンジをお薦めします(敢えて挑発します ^^v)。

 逆に言うと、以下の内容をおもしろいと感じて下さる皆様は、他流派の先生方でも、フォーカシングと体験過程理論がに深入りしていただいても、興味深いものになる可能性、十分にございます。

*****

 ある人が全く幸せな気持ちを感じながら場を去った。だが四日後に,彼は,あの時実は自分は起こったことについてひどい怒りを持っていたのだと覚る,彼は自分がず-っと怒りの気持ちを持ち続けて「いた」(has been)のだが「そのことに気づいていなかったのだ」と感ずる。(旧訳・新訳同じ。新訳p.218)

原文は、

 An individual leaves a certain situation feeling quite happy. Four days later he becomes aware that really he has been quite angry about what happened. He feels that he "has been" angry all along but "wasn't aware of it."


こういちろうの講釈:

 「"a certain situation"ってあるからには、ある一定の具体的状況なんだよね。イメージできるかしら? 例えば、彼女との4日前のデートの時、そのデートの場所で、彼はすごく幸せだった、ということなわけですね。

 ところが、4日後になって、「あの時は凄く幸せだったけど、その時実は凄く腹が立っていたことに、今はじめて気がついたという「シチュエーション」なわけです。

 つまり、4日前のデートの最中には、「ほんとうに幸せな」気分だったんであって、ほんとうは腹が立ってもいたのをその特定の場=「状況」="a certain situation"の中ですでに本人が気がついていたけど、それを押し殺して「幸せなフリをしていた」とか、「幸せだと思いこもうとしていた」わけでもない

 このへん、この実例の前提として大事だけど、OKかしら?


(一同了解)


 ここでおもしろいのは、

「4日前のそのデートの場では、心から幸せだった

という時の「だった」

と、

「その時、実はひどく腹が立ってもいたのだ(と、今気づいた)」

とか、

「(その時から)自分がず-っと怒りの気持ちを持ち続けて「いた」(has been)のだが「そのことに気づいていなかったのだ」と感ずる」

という時の「いた」とが、同じ「過去の時制」だけど、意味と用法が違うということ。

 前者は、まさに4日前の時点で「ありありと感じていた」ことで、今もその時そう感じて「いた」ことは覚えてはいる。そのことは本人によって否定されてもいない。そして恐らく本人は、実感の上でも、4日前のその場面での幸福な感じそのものをある程度呼び出して味わい直すことすらできるかもしれない。

 後者は、4日前の時点では、実感としては実際には感じていなかったわけね。今からふりかえると、4日前にも「怒り」を感じて「いた」としか言いようがなくなるし、この4日間も「ずーっと怒りを感じ続けて『いた』」と表現するしかないけど、この4日間の間も実際には、怒りの実感は「なかった」わけ。今日になって、突然「気がつく」までは

 この、「いた」の部分、ジェンドリン自身、ここで原文の"have been"にクォーテーションマークをいれているわけで、通常の「感じ続けていた」とは用法が異なる「  」(括弧)つきだってこと、意図的に伝えようとしている。

 この時、その人は、「『二重の過去』を持つことになる」と、ジェンドリンは別の論文で述べている。たしか、「duplicated "was"」という言い方だったかと思う。ひとつ目の過去は「否定」されるわけではない。でも、2つめの過去は、あくまでも「今」の時点ではじめて実感できた過去体験ということになる、

 .......こういうことが私たちの日常にはあるってことは、実感の上でも了解できる、という前提で、先に進んでいいのかな?

 ジェンドリンは、この後で、こうしたケースについて、

「『怒り』が『無意識』下に『抑圧』されていた

 みたいな、従来のありがちなこころの図式全く異なるパラダイムを提示していくわけだけど。

 ここまで問題なければ、次の部分に進みま~す。 

******


......このブログの読者の皆様、ここまでともかくついて来れていますか?

 少なくとも、「デートしたその時は心からハッピーだったけど、4日後になってみたら、『あの時の自分は本当にハッピーだったのかしら?」

 別にデートの後の3日間、孤独にさいなまれたとか、彼とのその後の電話での連絡とかの中でもめた結果として、4日前の楽しさに興ざめした、とかでなくても、こんなことは結構誰にでもあると思います。

 凄い充実感を、特にそれまでに自分の日常とは切り離された特定の場面(a certain situation)で味わった後、日常に復帰すると、時にその時の思い出を傷つけるような何かが生じなくても、その数日前の充実感が、全く虚妄のように思える。

 何か特別なイベントの後(例えば、「感動的な映画を映画館で観た」程度のことでもいいし、飲み会で無茶苦茶盛り上がった後でもいいでしょう)、そういう「興ざめ」が生じたことがない人はいないかと。

 そして、忽然と、その時までは数日間全く思い浮かばなかった形で、忘れていた記憶が蘇る。「あの時、あの人のあのふるまいにほんとうは自分は凄く傷つき、怒りすら感じて『いた』」.....などと。


 あるいは、もっとシンプルに、

「あの時はあれはあれで満足していたつもりだったんです。もうこれ以上はないと。でも、今になると不満なだけじゃなくて、あの時の自分ですら本当は満足していたとはいえなかった気がしてきたんですよ。実はずっと不満だったんじゃないかと、今日になると思えてきて」

 こういうことって、あるかと。

 こういうことを自分や他人が言い出すだけで、

「優柔不断」とか、「責任回避」、

「どうせその時その時の感情なんて主観的で、はかないもの」

「躁鬱だ」

などという言葉しか浮かばない人もあるかもしれませんが。


 .....それで済ませて気が済む人は「お呼びではない」領域のお話かもしれませんが。

 確か浜崎あゆみさんも、ツアー落日が終わると、それがどれだけ感動的でも、一度その直後、怒濤の虚無感に落ち込むことがある、みたいなことをどこかで言ってたような。

 .....ここまでピンときてもらえないと先に進めないのですが、ともかく先に進みます(^^;)


******

 
 .......かと思ったけど、次のパラグラフが倍の長さがあって、私の解説は3倍の長さになりかねないので、以下は、次に続く、の「連載」にします(^^;)

 断続的連載にしますから、こういう記事がこのブログでこの後立て続けに載るわけではないのでご安心を。 

 「♪生きるってことは自分の手で『洗濯』をし続けること♪」の方が、普段の記事のノリということで(^^;)

******


 なお、ジェンドリンの「人格変化の一理論(a theory of Personality Change)」の旧訳とは、現在The Focusing InstituteのWebSiteの日本語ぺージに全文掲載されていますが、牧書店から1966年、ナツメ社から1981年に発売され、現在絶版の「体験過程と心理療法」というタイトルで発売されたジェンドリンの論文集(村瀬孝雄訳・編)に所収されていたの版のことです。(ちなみに英語の原文もこちらに全文掲載)

 新訳とは、この村瀬訳を若干改訂した、池見・村瀬訳で、「セラピープロセスの小さな一歩」という新たな論文集(1999 金剛出版)に収録されているものです。

 村瀬先生(我が師ですが)、基本的には恐らく村瀬先生が訳されなければ私も体験過程理論にほとんどピンと来なかったはずと断言できる、デリケートな名訳です。ジェンドリンの、従来のパーソナリティ理論には全く存在しなかった諸概念に、原語のニュアンスを損なわない、その後日本で「定訳」となる訳語を与えて下さった功績は不朽のものです。池見先生を中心とした新訳も、そうした村瀬先生の「定訳」の術語そのものはほとんど変更されなかったのは適切な判断だったでしょう。

 もっとも、村瀬旧訳は、ジェンドリンの草稿を見せていただいて翻訳された、という事情が逆に作用しているのもあるのでしょうか、何カ所か原書にあって訳書にない欠落部分があるのですね(原書の出版に際してジェンドリンがギリギリで追加した部分が抜けたのではないかと私は想像しています)。

 その部分を丁寧に探し出して訳出して埋めて下さった、そして旧訳の若干の明らかな誤りを正して下さった池見先生たち、新訳のスタッフには感謝申し上げます。

 この「旧訳」の欠落箇所、読書会で、私は旧訳を使い、他のメンバーは新訳を使っているので、もろに気がつきます(^^;)。

 もっとも、一部、そうした補充部分で「訳語の不統一」が生じてきてしまった点は気になるのですけど。 例えば、"incomplete"は「未完了な」で統一していただきたかった。一部「不完全な」になっています。「未完の」というニュアンスは「過程」理論の上では重要と思いますから。

 「我が恋が終わらざるがごとく、この曲も終わらじ......」

 .....なんて言ったら、「未完成交響楽」という古い映画になってしまいますが(^^)

 あと、池見先生中心の新訳で、"response"を、村瀬訳の"反応"から、"応答"へと原則的に置き換えてしまったことには、私ははっきりとした異議があります。

 「応答」というと、

1.それがはっきりとした「言語的な」ものとして言葉にされねばならない。

2.他者(相手)に対する言語的表明でなければならない。


という方向に読者の理解のバイアスをかけてしまいます。

 ところが、ジェンドリンの体験過程理論は、基本的に、

A.フェルトセンス(曖昧な漠然とした、言葉にならない感覚)それ自体直接注意を向けること(direct reference)ができれば、そのことそのものが"response"=「反応」である。

B.その人が、その人自身の中で自分のフェルトセンスに対してA.のことができれば"response"=「反応」である。

というふうにとらえる「理論体系」なんです。そのことは当然ジェンドリン自身この理論の中で説明しています。

 なので、このことが「自明の前提」である、ということを念頭に置かないで"response"という言葉が出て来る部分をなにげに読み進むと、意味が微妙に通じなくなるか、あるいは全く異なった意味に理解されるかしてしまうようにできているのです。

 このことは、この後の連載で紹介する抜粋でも、自然と問題になって来る事柄なのですが。

遅れながら、ayu様の香港でのお姿 + 私の近況

 この「あゆ絶叫!浜崎あゆみのプライベート・イン・香港」という、写真、もうayuファンの皆様はご覧になったでしょうが、発信元は"Record China"というサイトですね。直接リンクにしました。このサイトについての情報源は例によって王子のきつねさんサイトです(謝々)。

 もう、みんな書いてますけど、もはや日本でだとここまでファンとの距離の近い空間にはとてもいれれる状況ではないし、お忍びのショッピングも大変すぎるだろうから、ここまで伸び伸びされてるんだと思います(^^) ほんとに今のayuは靴おたくなんだと苦笑したけど。雑誌インタビューによると、自分の部屋には照明つきディスプレイがあるそうです。

 緊張もあるでしょうけど、この海外ツアーで英気を養って、日本に戻ってからの「その後」へのエナジーをたっぷり蓄えて欲しいものですね! 

 恐らく「かなり大胆なチャレンジ」が、"Secret"ツアーの「国内分」も終わったら必要になるかと想像できますし。


*****


 それにしても、私個人の状況はどうかというと、目先の現実的な問題という点では、むしろあまりなくなってる。経営面では、ふたを開けるとみんな「あっけ.....」の展開が目の前に待ってますけど。これって、むしろ恐るべき「堅実経営」のための布石で、「投資」とは正反対の「危機管理」に近いアプローチだし。ayuさんと正反対に「ローリスク、ローリターン」の極致の経営戦略。つまり、極論すれば、日本が平和でなくなって、不況にもっとなっても生き延びられる戦略だから。

 健康面でもこの数年のベストですし、何より「寝起き」がすごくよくなって、目覚ましなしで起きることが増えてますし。

 まあ、ややそういう余力を持て余しはじめたかなとは思います。お客さんの数は半年前より安定路線、しばらく前に一気に増えたまま、微増路線そのものだけど、もう少し忙しくなるくらいが、いい意味での新鮮なプレッシャーになるかと感じています。

 しばらく前までほどは、仮にそうやって余力を持て余しても焦ったりしなくはなってきているんだけど。


*****


 そろそろ自分をもう少し自分で「追い込む」頃かと思ってもいます。

 そうなると、「英語」かなあ、やっぱり。

 この前の、ジェンドリンの講演の録音、恐らく正式の翻訳や抄録ははいずれInstitute日本コーディネータ事務局サイドで考えることになるだろうから、むしろ私なりに「聴き取れた」範囲で、テーマとトピックを思い切って絞って、それこそ、先日、中井久夫先生の「分裂病と人類」について記事にした時みたいに、完全に私なりに、エッセンスの「ある部分」を消化した上で、エッセー風に解説してみようかとも思っています。

 あまりひとりだけ先走って突出するやり方はあまり取りたくはないし、「揚げ足取り」にもなりたくないけど、日本において、ジェンドリンの体験過程理論が翻訳され、解説される際のありようには、何か、ジェンドリンの語ろうとする「脈絡」まで徹底的に入り込んで、ほんとうに自分の中に「同化」して、自在に「再話」できるところまで「肉薄」する、あと一歩のこだわりの深さが現段階でも欠けている気がする。ジェンドリンの最近の「プロセス・モデル」にしたところで、その基本にあるのは、この「人格変化の一理論」(1964)で書かれていることをどこまで「身の内にできるか」と完全に比例関係にある形でしか理解は進まないと思う。

 それこそ、「頭で」納得するのではなく、完全にひとりひとりの個人的・日常的フォーカシング体験や臨床体験と一致させるかたちでしっくりくるまで「体験的に」読み込んで、更に「普遍」に突き抜けることがないと、結局その「講師」から理論を学んで理解しようとする人間も、頭で「わかったつもり」に留まってしまうのだ。

 ほんとうは、それでは一番おいしいところを味あわないままなのにね。

*****

 これは一昨日出張先でやった文献購読会でも思い知らされた問題なのだけれど。わずか2ページを原典と丁寧につき合わせていったら、これまでの私の読みすら浅くて、あと一歩「突き抜けたら」平易に浮かび上がる含蓄が、とても全く理解されようがない状況に今の日本があることを痛切に感じさせられた。

もとより、そんなスピードで原文と訳文を吟味していたら、英語で数十ページの翻訳が数年がかりになってしまうのはわかるけど。

 10年間一緒に勉強してきて、私に素朴な観点から鋭い「つっこみ」を遠慮なくいれてくれる「学友」を得ていることを、これだけありがたくおもうことはなかった。私も適当にごまかさずに「なめるように」原文を読み返し、「謎」がスッキリ解け、「皆に」納得して「再生産」してもらえる理解水準で「共有」できるところまでやりとりする気になるし。

 その内容を「理解した」ということは、その内容を、即興で、臨機応変に、自分の言葉でいくらでも「語り直せる」ということだと、つくづく思っています。

2007/04/08

「妄想」系VS.「知ったかぶり」系

 この世には、どうも、人のことを「妄想系」と呼ぶのが好きな、「知ったかぶり系」の人がたくさんいるようである。

(「知ったかぶり」については、こちらで書いたことを参照。間違っても茂木さんを「知ったかぶり」と言うつもりはないので念のため)


*****


 繰り返していいますけど、「思い込みをめぐらす」力は、人が生きて行く上で最も重要な能力のひとつだと思う(こっちも参照)。

 すべてを「気のせい」で済ませていたら、その人は確実に「破滅」する。

 大事なのは、思い込みをめぐらしにめぐらした上で、その思い込み全体から「自由になる」プロセスなんだよね。

 このことを、ビオンは、「もの思い(reverie)」と言ったのだとも、理解できると思う(突如、精神分析的対象関係論の話)


*****


 異性の俳優やタレントや歌手の「ファンになった人」で、その人と交際したり深い関係になったり結婚した場合について一度も「妄想した」ことがない人というのがいたら、何か「嘘くさい」(「水臭い」ではなく(爆))と思う。

それであんたはその人のファンか!! といいたくなる。


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 もとより、私もまた「知っかぶり」系でもある。

 何しろ、どれだけ多角的に情報集めたって、自分が知っている以上のことは何も知らないのだから。

 このことに謙虚であること

そして、

知らないことについては、結局想像の世界で埋めるしかないこと

(数学的・統計的推定ですら、ここでいう「想像の世界」のことと思って欲しい)

を受容していることが、「知ったかぶり系」の人が滅亡しないために心がけるべきことだろう。


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 ちなみに、前の記事で、私が、今の自分が「水臭い」関係しか持っていないのではないかと気づいた、特定の相手として、ayu様しか連想できない人がいたら、

その人の方が、よっぽど立派な「妄想系」やな....

ユーブック

先週の人気記事ベスト20!!(07/04/1-7)

「カウンセラーこういちろうの雑記帳」週に一度の恒例、@NIFTYココログの、日曜日-土曜日の「週ごと先記事別アクセス解析機能を使っての、先週の記事アクセス「ベスト20」の発表、39回めです。

 固定リンクでのアクセス率の順位から集計しています。アクセス数が同じ場合には、訪問者実数上位の記事を上位とし,訪問者実数も同じ場合にのみ、同じ順位として掲載します。
 7×24時間、つまり4/7日(土)24:00の時点での集計です。

 それでは発表!!

 先週の一週間の総アクセス数、延べ2,051(前回>2,214)。(一日平均アクセス293.00。前回316.29)、少し落ちましたが、一日平均300アクセスは久々に割り込みましたが、まる一日ココログのメンテナンスが入った中ですから、健闘でしょう(^^;)

 訪問者実数は、1,431名様(前回1,568名様)と、これもやや低下。。

 「トップページへの外部からのアクセス」、前回669(46.6%)に対して、今回662(47.1%)。
 「サイト内移動」、前回477(32.2%)に対して今回445(33.4%)。

 率的には伸びているんですね。つまり、検索ページからの特定の固定リンクへのダイレクトアクセス「だけ」で去って行かれるわけではない読者の方が増えてはいる(^^)。読者の方が固定的になってきているためにアクセス数が結果的に伸びなくなっているのならば、やむを得ないところでしょう(^^;)

 しかし、当ブログの「一限さんでない率」、これは同じ人が一度に「何ページ」記事をお読みになったかと無関係な訪問者「実数」比に基づくもののようですが、7.8%から、更に7.6%に落ちました(^^;)

 やっぱり、記事の性格の変化に伴い、おいでいただく読者層の「入れ替わり」の端境期に入ってしまったということか????

 「訪問周期」は、毎日おいでになる「完璧常連様」は前回8名様に落ちましたが、今回は、すっと堅持していた10名様に回復。ホント、「常連さんが入れ替わった」ということかもしれない。

 それでは記事別ランキングの方の発表!!


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1.なんでもビョーキで済ませるくらいなら、「太古の昔、そして未来の人類にはむしろ生存に有利な資質」ととらえてみては? NEW!

2.今敢えて、ayuの"I am..."について NEW!

3.インシュレーターは使わないに越したことはない(→) 32週連続

4.面接中のメモの問題について NEW!

5.オーディオにおける接点復活剤について(↑) 15週連続

6.iPod向け「超」高級ヘッドフォンの世界!!(+α) NEW!

7.欝とは、自分が無理をしていることを認識できなくなる時期にすでに始まっている(↓)33週連続

8.中島みゆきの、夜会 Vol.8、「問う女」 NEW!

9.よっちゃんに強力なライバル出現!! NEW!

10.「2007年3月」のバックナンバー (↑) 4週連続

11.GWの加賀・能登観光はご遠慮なく!! とのことです。 (↓)

12.私のピュアオーディオシステム(そこに更にiPodをどう繋ぐか) (↓)11週連続

13.予告!! ayu系の、新作の大作を掲載!! NEW!

14.ビンクのヒョウ柄バックの用途 NEW!

15.「2007年4月」のバックナンバー NEW!

16.「夜会の軌跡 1989-2002」に途中停車 NEW!

17.ドヴォルザークの交響曲第4番(コシュラー/スロバキア・フィル)との再会 NEW!

18."The Best of Best"="part of Me" (↓)

19.何か、単純明快に嬉しい NEW!

20.たった今観ていた夢 NEW!

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 前回のベスト20は38位にならないと今回も出てきません(^^;) もう皆さんベスト20をあまり頼りにせずにお読みみたいですね。

 今回は、私が書くようでいて正面切っては書かなかった「2大テーマ」、中井久夫先生の「分裂病と人類」論(1位)と、浜崎あゆみの"I am..."論(2位)が上位をさらいました。

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 今回の「先週の『地上の星』」、つまり、年単位の時間をかけてのベスト20入りという「古参新規記事」は、17位の、恐っそろしく渋い(^^)クラシック音楽系の記事です。

 だいたいドヴォルザークの「交響曲第4番」聴いたことあって、メロディーもよく覚えているといったら、相当な「通」の世界なので。でも逆に言うと、この曲についての記事なんて、ネットには滅多にない筈なので、ある一定の「知る人そ知る」型記事ではあったでしょう。

 実はベスト30を出したら常連で、過去にも「拡大ベスト30」を掲載した時には掲載したことが1回あります。しかし、今回、2位のayuの"I am..."の記事で、ベートーヴェンの「英雄」交響曲の名盤を紹介するという反則技をやったもので、クラシック系の読者の方が掘り起こされたものと思われます。

 ヘッドフォンの記事も、久々に増補かけました。おかげで、ほんとうに「蔵出し」状態に近くなったかなと思います。......それでも、どうも今の私は一日に一つのネタをひねり出して料理するペースにはあまり陰りが出そうにありません。何のかのと言って、思いつくまでは思いもよらない( ? )テーマで、何なくサクサク書いて行きそうで(^^;)

 現在「も」、「脳とクオリア」を少しずつ読んでいます(^^;;~。一週間後には感想をお書きするかもしれません(.......え? 3回続けてと同じこと書いてないかって?.......m( _ _ ;)m 2週連続出張終わったので何とか前に進むと思います(^^;)。

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 これを書いている「今、この瞬間」(4/8 AM 1:05)までの当ブログ文章記事の延べ総アクセス数)は、146150、フォトアルバムを含めると167720、ブログの通算記事数はこの記事で773本めです。

 今後とも、「カウンセラーこういちろうの雑記帳」を、よろしくご贔屓(ひいき)に、お願い申し上げます。

HMVジャパンApple Store(Japan) IMAGEnetCD&DVD Neowing

2007/04/07

「水っぽい」→「水臭い」

 恒例、こだま号で小田原乗り換え→大船と出張から帰って参りました(^^)

 今日のフォーカシング研修会の個人的収穫。

 昨晩、ホテルで、おなかがたっぷんたっぷんになるくらいに水分は取ったのに、おなかは何か物足りない。味があるものを欲しがっている。でも、それ以上夜になってものを食べたら、水っ腹に消化が悪いので食べなかったんですね。

 その時の、独特の葛藤的な腹具合(?)が、何か自分の状況と何かどこかで響きあっている気がしたので、それについてフォーカシング。

 「味気ない」.......外れてはいないが、何か言い足りない。

 「水っぽい」.......まだしもこちらの方が実感に近いが、まだ言い尽くせていない。


 ..........更に沈黙数十秒にして、忽然として浮かんだのが、


 「水臭い」


だったのです。

 
 「水臭い」?.......うーん、「水臭い」。.......ほう、「水臭い」........


 「水臭い」ことをしているのか、私?????


 類義語をたどってきているようでいて、「水臭い」という言葉が出て来たところで、突然、他人との間柄(関係性)を表す言葉に「転じて」しまう「飛躍がある」ことになること自体に驚きました。
 
 「水臭い」という言葉、もちろん意味を知ってはいましたが、私のボキャブラリーには含まれていなかったのです。

 つまり、他人に対しても、「水臭い」という言い方をしたことはなかったし、自分を「水臭い」人間だと感じたこともなかった。どっちかというと、「濃過ぎる」ことをいきなり人に求め過ぎて、相手に引かれてしまって失敗する人間だと思っていたので(爆)

 逆に言うと、そういう意味で、白か黒かの"all or nothing"人間だからこそ、「水臭い」という言葉を使いたくなる距離感を、体験的には「知らない」、......というか、実際にその距離感にあっても「自覚できない」だけなのかもしれない。

.......そんなことを思いました。

 ともかく、私の個人的ボキャブラリーに、「水臭い」という言葉が加わったことは、何かおもしろいことのようには思えた。今後の私に「何かを」もたらしそうで。

 家に帰って辞書を調べたら、


 「水臭い」は、本来は「水っぽ過ぎる」という意味で、それが転じて、「他人行儀な」という意味でも使うようになった
らしいですね。


******


 以上、恒例、


「シフトの際には『やまとことば』が多い」

「シフトの言葉は、その人が知ってはいたけど個人的には使わなかった、ありふれた言葉のことが少なくない」


......という、私の長年のフォーカシングについての学説(?)の典型例でした(^^)


 私のように、20年以上フォーカシングをやっていても、こういう発見が果てしなくあるから、フォーカシングはやめられない(^^)


******


 しかし、こうなると、アフィリエイトは..........

BRITA(ブリタ) マクストラ エレマリスセレクトCOOL 2.4L(クロム)

.......「整水器」しかないか(^^;;;;)。


 手軽なラインで、大掛かりではなくて、何となく効果が高そうなものを見繕ってみました。

(これは「持ってない」です!!)

2007/04/06

中島みゆきの、夜会 Vol.8、「問う女」

 

 我ながら、自分の、いいものを「目利きで」選ぶセンスには、もっと自信を持ってもいいのかもしれないと思った(^^)

 「問う」
 「話す」
 「聞く」
 「聴く」
 「訊く」
 「通じる」
 

.......こうした事柄について、これだけいろいろな思いを招き寄せる作品を味わえることは、私にとって何とも幸せな体験である。

 言葉を「防壁」にして生きていた女性が、
 言葉の「通じない」女性に
 自分の気持ちを「通じさせたく」なった時、
 彼女は、人生の鍵と、人生の悲劇に真に直面する。

......これ以上は、no more words。

******

 細かい公演日時までは確認していないが、2000年発売ということは、最低で8年前。

 .....ということは、今の私と同い年あるいはそれ以下のみゆきさんということになる。


.......か、かわいい!!


 いいかね、ayu様、

 何をやって生きて行くにしても、40代後半になっても、こういう点ではみゆきお姉様という先達のことを忘れてはなりませぬぞ(^^)

 それを心して、香港公演も成功させなされ!!

 (ayuが「かわいい」というのを褒め言葉と感じるらしいと雑誌で読んだので、半分「わざと」書いてしまおう)

※なお、みゆきさんが放送局のシーンでつけているのは、90年代末期のパイオニアのヘッドフォンだと思います(^^).....持ってたことはないですが。

******

.......ということで、またもや恒例、記事にちなんだ、こういろう愛用の品、アフィリエイト。

 タイ国にちなみまして、

三角枕 マットレス一段つき

 行ったことないけど、タイのおみやげの定番のひとつらしいですね。

 写真から想像されるより、この3角形は大きい。30センチ近い高さになる

 つまり、真っ先に想像されるであろう、この三角形の「頂点に」首筋をのせるという使い方、可能だけど、写真だけから想像されるほど、実際には不自然な姿勢は求められません。

 綿がいっぱい詰まっているロールをつないだみたいな形なので、ウレタンやマットレス製でこうした形を作った場合を想像するよりはよほど「硬くてしっかりしていて変形もしない」ともいえるし、骨材になるものは何もないので、「思ったより柔らかくて肌になじみ、長時間肌が接していても程よく暖かいけど汗ばまない」とも言えます。

 写真のバージョンは、「座椅子」として使うのに最適なマットの長さ。

 さっきも言ったように、芯材とかないので、これを使って「雑魚寝」みたいな態勢をとっても、意外と段差は邪魔になりませんが、ほんとにゆったりしたい人は、マット2段組み、3段組みの製品が(値はその分張りますが)いいかも。

 使用時に長過ぎる分は、それこそ体育館のマットみたいに「折り畳んで」背もたれの一部にししてしまえばいいわけで。

 これ、「膝枕」くらいの形で、片肘ついて、横寝して、本やテレビやラップトップパソコンいじる、床やたたみの生活が実は一番心地いいのに.....というものぐさな人には、ベストの角度です!!

 世の中には「膝枕のための『膝だけまくら』」も売られていることは知ってます(持ってません!)が、こっちだと、よほど抵抗ないかと思います(^^)

男女格差? 個人の意識?

 男というものは、女性が身体を許してくれている限りは、既に女性から最大の「贈り物」をしてもらっていると満足し、安心してしまいやすいものである。

 この点が満たされている限り、それ以上のこと....その女性が有能かどうかとか、生活力があるかどうかとか、生き方がしっかりしたポリシーがあるかどうか、それどころか、美人でスタイルがいいかどうか(!)、性格がいいかどうか、「センスがいい」かどうか......については点が甘くなりやすい。

 実は、女性の方から、「身体を許す」以外の「見返り」をしてもらうことを期待してもいないもの。

 だから、女性の方が「身体を許す」以外の形で必死に愛情を示しても、その部分は「+α」のボーナスとしかみなさないで平気で「浪費」しやすい。

 (これは、女性の皆さんへの、「あなた自身のためではなく、男に愛されるためが目的なら、何も無理しなくてもいいのですよ」というメッセージでもあるつもり。むしろ、能動的愛情に欠ける鈍い男性には本気ですねたりむくれたりするくらいでちょうどいい。多少なりとも誠実な感性持ってる男なら、それで少しは目覚めるから。それで嫌って来たり遠のける程度の男性は、いざって時にも助けにならないことが少なくないから、さっさと見捨てなされ。)

*****

 しかし、女性は、男が身体を許して(???)くれている限りは、既に男性から最大の「贈り物」をしてもらっていると「錯覚」することは、男が女性にそう感じやすいほどには感じないことが多いのではないかと思う。

 このギャップを自覚していないものだから、男は、女性に、自分との関係に安心感と信頼感を抱来続けてもらうために「一層必要なもの」を自分から能動的に女性に向けることに鈍感になりやすい。

 これは単に、男女の社会的な格差がなくなれば解消される問題でもないだろう。

 女性が、妊娠と出産というリスクを背負って「身体を張って」いることの違い、と説明すれば済むものなのかどうかも、結論は出さないでおこう。

*****
 
 .....何か、柄にもないことを唐突に書いている気もするし、「そんなこと当然の認識でしょ?」と取られるのを覚悟で書いておきたい。

 私なりの、「経(ふ)る時」への反省と自戒を込めて(^^;)


2007/04/05

ビンクのヒョウ柄バックの用途

をどうしようかと思っている。もちろんヘッドフォンは入らない。iPodなら入るか。

 当然(爆)"SWEET"4月号の付録のことである。

 結局、表紙にayu様があれば手当たり次第に買って、5冊ほど女性誌がたまっている(^^;)

"A BEST"の時のファンでなくてホントに良かったと思う(伝説の、数十冊同時に雑誌の表紙をかざったという、あの時)。

 当時はAmazonという,店員のおねーさんの目を気にせずに済む逃げ道もなかったと思うし。

 しかし、やっぱし、いくらayu様自身が「やっと追いついた」と強情にのたまおうと、"ViVi"だけはまだ若干背伸びにしか感じないこういちろうだった。

 私の好みもあるんだろうけどね(^^;)

 あとの雑誌の写真はみんな違和感なくて,ayuフォトに関してはひどく選り好みの激しい私も満足いくものばかりだったが。

 ああ、せっかくの休みの日に私は何をしているのだろう.....

 明日からはまたもや地方出張である。


 今晩はみゆきお姉様の方に浮気する予定(あの予告したネタのためでっす)。


2007/04/04

なんでもビョーキで済ませるくらいなら、「太古の昔、そして未来の人類にはむしろ生存に有利な資質」ととらえてみては?(第4版決定稿)

 前の記事で、洗濯機おたくの少年の話を書いたので、これに対する臨床専門家の反応を予想的にシミュレーションして書いてしまうけど、

 「この少年は、自閉症っぽいのではないか?」

 念のために申し上げると、ここでいう「自閉症」とは、以前の、社会的引きこもりの人をみんな「自閉症的」と呼んだ時代の、「自閉症」概念ではない。

 「広汎的発達障害」に含まれる「早期幼児自閉症」と呼ばれる、生後ほんの2,3週間で、母親とのアイコンタクトなどのコミュニケーションの障害が観察可能で、今日では生得的、ないし出産時までの微細脳損傷に起源を持つと仮定されている、カナー症候群とかアスペルガー症候群と呼ばれる診断のことである。

 いわゆる「ひきこもり」の人のかなりの部分は、実は、他の人の気持ちについて過剰なまでに気遣った、気にする側面を持っている。それが空回りするので、周囲の迷惑に結果的になるだけであり、「自分の気持ちにめざめて」、「自分で引き受けられるようになる」までを「静かに見守って」くれる環境ができたりすると、むしろ一見以前よりも「わがままを『責任もって』通す」方向に向かう形で改善して行くことが少なからず見られる。

 これは、ここでいう「発達障害」的な「自閉傾向」があるとされる人たちにの多くに取っては、むしろ一番不得手な周囲へのアンテナの向け方である。

 ダスティン・ホフマンとトム・クルーズ主演の「レインマン」も、こうした「発達障害的自閉症」の「重度の」人たちについて一般の人が認識を深める上で貢献した。

 私は大学院時代、封切り時にマリオンで見ているけど、先輩や周囲に観たという人がなかなか出てこなくてちょっと失望したのをよく覚えている。

 「カッコーの巣の上で」を合宿で院生に見せて下さった、我が村瀬孝雄先生ですら(この作品は、ジャック・ニコルソン演じる主役ではなくて、実は脇役のネイティヴ・アメリカンの男性.....観た人はすぐに思い出せますよね......のアイデンティティ探求こそが、原作から一貫する「真の隠れテーマ」なので、自らが帰国児童で、エリクソンのアイデンティティ論を専門の一つにしていた村瀬先生の関心が深かったのは当然なのだが)、「ほう、どうだったかね?」という関心にとどまっておられて.....

 こうした「早期幼児自閉症」の人たちの中で、比較的社会適応に問題なく成長できた人たちを「高機能自閉症」とも呼ぶ。

 この、「高機能自閉症」のことが、発達障害や幼児の専門家ではない心理臨床家にも幅広く認識され、自分が通常のカウンセリングの中でいつでも接する可能性がある人たちに、この診断を考慮すべき時代に来たことについての認識が一般化したのは、何と5年ぐらい前であるに過ぎない。

 私は、いわゆる「発達」の専門の人たち以外では、比較的、この種の診断の可能性について考慮すべきケースに、ご家族からの相談を含めて、比較的早くから遭遇してきた方だと思う。

 (これをお読みのクライエントの皆さん、私がこのように書くからといって、「自分も実はそのように見立てられているのでは?」と思わないでくださいね。少なくとも現在、ご本人からの相談で、その種の診断を専門家が今後する可能性を考慮に入れる必要があると感じる方はおられません。すでにそのような診断を「医師から告知されている」方自身やご家族とはお会いしていますが)

 それでも私はいわゆる「発達」や「障害」の専門家ではありませんから、勉強不足はまだまだある可能性はあるにしても、でも、いきなり前の記事の少年を、先に述べた意味での、少なくとも軽度の発達障害的「自閉症」の図式でとらえるばかりに終わることには違和感がある、とは申し上げたいと思います。

*****

 私は、「発達障害」をはじめとして、何らかの生得的な要因が疑われるとされたとたんに、「内省的なカウンセリングだけでは不十分(あるいは逆効果)で、生活指導的な訓練なしでは済まされない」という方向に一気にギア・チェンジしてしまう「切り分け方」に相当な違和感があります。

 これは、(「発達障害」とは別次元の診断軸ですが)、たとえば統合失調症やうつ状態を経過した人について、「単なる受容的・共感的な傾聴を中心とするカウンセリングは、ひとつ間違えると症状をこじらせる」という言い方がなされることへの違和感にも通じるのですが。

 最近の私は、「カウンセリング」という枠でお会いする限り、どんなクライエントさんとも基本的には同じようなスタンスでカウンセリングしているという意識しかありません。

 もとより、完全予約制の、料金をいただく開業という形になった時点で、すでに私のカウンセリングルームにおいでになる決心をされる時点で、ある「ハードル」を越える力がある皆様だけがおいでになっている可能性については謙虚でありたいと思っていますが、すでに入院・服薬の経験がある方、通院中の方、あちこちの援助的専門家に相談する経験を重ねた方が少なくないことも確かです。何より、「1時間6千円」というのは、首都圏でJRの主要駅から徒歩10分の開業カウンセリングの立地からすれば、かなり安いほうですし(^^)。

 実は、この「どんなクライエントさんとも同じスタンスでお会いしている気がする」ということは、私の中では、「一見似たような診断が下る可能性がある人たちお一人お一人とお会いする際に、実はまるで違うスタンスでお会いしている気がする」ということとイコールで結ばれてしまいます。

 もちろん私も、臨床心理の専門家として、いわゆる「見立て(アセスメント)」はしていきながら面接しています。この点で私が少なくとも平均水準以上には、多角的な仮説をシミュレーションしながら面接をするタイプだということは、私のもとにスーパービジョンに通っておられる臨床家の皆さんはご存知のとおりです。

 心的外傷的なPTSDや、ASD、状況因性の強い「適応障害」、発達障害のいわば、常に限局化された様態としての「学習障害(LD)」、心身症における身体的治療の大事さや遺伝負因、嗜癖(addiction)における生理学的変化を考慮すべきケースなど、むしろさまざまな可能性を考慮する幅は広いほうだろうとすら思っています

通常ならそこまで考慮しないことすら視野に入れ、関連付けて仮説をたててみるけど、そのひとつひとつにとらわれすぎないタイプということは、このブログの私のものの書き方に顕著に現れているでしょう(^^;)

 そして、カウンセリングだけで援助になるという発想にはむしろ警戒的でしょう。そもそも、仮に週に1回、1時間として、残りの7×24-1時間をカウンセリング場面の外の日常で過ごすクライエントさんにとって、カウンセリング場面での私との関わりは、168分の1の時間に過ぎず、それで自分が何か決定的な援助ができねばと思い込みすぎるのもどうかなと感じています。

 もとより、「たかが168分の一、されど168分の一」ですが。必要がありそうと感じれば、医療への紹介もむしろ比較的早めにお薦めることが少なくないとすら思います。

 .....もっとも、私のクライエントさんは、ある時点で、自分から医療にもかかりはじめることを考慮される方がなぜか多くて、医療にもかかるように「説得する」かたちになることは、最近あまり記憶にないのですが。

 (相談機関に勤務していた当時の方が、クライエントさんの躊躇を超えて説得しようとする「力技」になって、むしろそのことの「弊害」「反作用」を後悔する形になり、クライエントさんとの関係に傷を遺したのではないかと反省することが多かったです。これは、私が組織の一員だったことの影響というより、単に私がまだ未熟だったということかもしれません)

 しかし、私は同時に、「内省的なカウンセリング」と、現実的アドバイスとも見えるものや、ある種の訓練的、適応指導的と分類可能なものがまるで矛盾対立するかのような捕らえ方にもそもそも違和感があるのですね。

 以前も書きましたが、だからといって、私はいわゆる「折衷的」という言い方は好きではないです。そんな、「うまく使い分ける」とも受け取れるあり方をあっさり夢想できるのは、専門性をあまりに「操作的(操縦可能なもの)」としてとらえるオプティミズムとナルシシズムを疑いたくなるくらいで。

 でも「統合的」という言い方も「かっこがよすぎる」(別に村瀬嘉代子先生のことをさしているわけではなく。嘉代子先生も、いわば「方便」としてあの言い方を採用するしかないと思われていて、そう簡単に「統合」なんてできるわけがないというのがご本心と思います(^^)
 

*****


 むしろ、私は、中井久夫先生の「分裂病と人類」「西欧精神医学背景史」(左側のフレームのブックレビューを参照ください)をはじめとする著作に色濃く流れる、

 「多くの『疾病』や『症状』『障害(disorder)』とされているものは、本来ある文化的・社会的状況においては、むしろ種の保存のために有利な形質だったものが、文化的・社会的変化の過程で不適応を生み出す失調要因に転じ、単なる少数者の地位におとしめられていったものである(これはこと精神医学に限定されない)」

 という発想を大事にしたいのですね。

 たとえば、すごく人目を気にする人は、現代の平和な社会の中では生きづらいかもしれない。

 でも、大型肉食獣に狩られるか、草食獣や小動物に気配を察されることなく忍び寄って仕留めないと今日の家族の食料はないという世界に生きていたらどうだろう?

 草のざわめきひとつから,風なのか、獲物なのか、はたまた自分を襲おうとするライオンなのかを識別できる感度なしには生きられない。

 こうした感度が、現代社会の都市空間の人間関係で発揮されたら、「過剰な思い込み」「気にし過ぎ」「気苦労」という形で本人を消耗させるだけになるであろうことは想像に難くないだろう。

 同様にして、槍や弓矢や棍棒や剣で戦う兵士に過ぎなかったら、出会った人間の「表情や物腰」だけで「敵か、味方か」を識別できなければ、次の瞬間の命に関わるのだ。

 猫やイヌは、相手と「鳴き声で対話」したり実際に喧嘩してはじめて相手が自分より強いかどうかを判断しているのではない。あるいは、「つがう」にふさわしい相手を選択しているのでもない(^^;)。

 「気配」で察し、「気」で(非言語的に)戦い、「匂い」で相手の心理状態を掌握するのである。人間の感覚機能はこれらの高等ほ乳類よりかなり退化しているとはいえ、原始生活の中でははるかに鋭敏だったはずだ。

 急激な天気の変化や、「風を読む」力、些細な兆候からその後しばらくの気候変動を予測する力は、都市生活民は、明らかに、熟練した「飛行機乗り」やハイカー、農業・漁業従事者や山あいの住民の「一身具現的」な「勘」にはるかに及ばないだろう。

 あるいは、他の人が疲れたり飽きたり投げだしたりしかねない極限状況で、疲れを知らずに心身を働かせ続け、他人と合議しなくても率先して決断し、具体的な行動に踏み切り続ける「非情の人」(単なる扇動者ではない責任感ある[政治的・文化的・学問的・ビジネス的]革命家や、軍隊の真に優秀な武将や船長タイプ)がいなかったら、混乱した状況でその集団はみな死滅してしまうかもしれない。

 (「平時」になったり、「日常社会」に戻ったり、「陸の丘」にあがったり、「私生活」の面では、、この人たちは、「隠れて棲むことを最善」という規範を禁欲的に守れないで「誘惑に屈する」と、意外と、立ち回りが不器用で、一つ間違うと「独裁者」と呼ばれ、スケープゴートにされやすいのだが。

 シーザーやナポレオン、ドゴールなどといった軍人あがりの政治家が陥ってきた罠だし、天才芸術家や天才科学者、天才起業家が後半生でよくはまり、不幸な寂しい晩年を迎える(^^;.....最近も多いかも.....)

 身体面について言っても、「本態性高血圧」の人は、普段は静かに待機していても、ここぞという瞬間に一気にドーパミンを爆発させて一気に体力を使う切り替えが必要な状況に置かれていたら、その「エンジン起動の高性能さ」は明らかに有利な形質である。


 群れを成して移動し始めると皆一緒について行くばかりだったら、その群れの行く先が致命的に誤っていたら、すべての「個体」がレミングの群れのごとく崖から集団自死を遂げることになる。

 (この、ディズニーの記録映画の捏造疑惑事件で有名な、人口に膾炙したレミングの習性そのものが疑問視されているらしいけど。Wikipediaのこちらを参照。)

 だから、集団からはぐれて、ペースをあわせずに勝手気ままな行動をとって、常識的合理的シミュレーションでは考えられない「あさっての方向に」のらりくらりとマイペースで向かう個体も,少数ながら、むしろ、種のリスクマネジメントの観点から「いなければならない」。それらの「個体」を「落後者」とみなすのは、あくまでも群れの「内側の」個体の「目先の」論理に過ぎない。
 
 「だから」、その「個体」に適した棲息地(仮の避難地)にたどり着けたら、あるいは、時代が変化したら、その人たちこそが次の時代を開く適者の遺伝子を持っているのかもしれない。

 その人たちが決して「遺伝的にも淘汰」されないで生き残るように、人類という種そのものが実はもともと「できている」。


 .......やっとはじめて本格的に書きましたけど、中井久夫先生の医学観の壮大さの本質は、まさにこうした点にも顕われていると思っています。

 このことに『勇気』をもらう人たちはたくさんいると思うし、こうした視点があると、クライエントさんのこれからについて、狭量な視点ではない「大局観」を保ちつつ、一緒に「どっこい生きてる」あり方を探していけるのではないかとも思っているのです。


*****

 ですから、

 「コミニュケーション能力,他者への共感力という点では限界を持ちつつ、他の人たちがそこまで注意を向けないことに執着を持ち続け、普通の人には不可能な域の、直感的記憶力と知覚的弁別力を持つ」

人たちは、人類の存続のためにむしろ「必要」なのではないか。


******


 最近は、経験ある専門家までもが、

「俺って、結構アスペルガーっぽいかな」

「私も、結構ADHD(多動)だった時期がある気がする」

「僕がカウンセラーをやっているのは、結局、社会的に正当化された「人間嗜癖」を維持できる状態をまんまと社会的身分として獲得できたということなのさ」

などと、半分本気で自己認識していることが結構少なくなかったりして(^^)


「そうであってはならない、克服しないと」という境地すら「超越」して。


もとより、

「自分にそういう傾向があっても、重度の症状を抱えた人とは次元が違う」

ことは当然の前提として、

「それでも」そのように語る人たちである。


*****


 つくづく思うのは、心の「健康さ」とは、実は、自分自身や他者の心のいわゆる「不健康さ」に対するキャパシティの深さのことではないかということである。

 そして、自分自身の代にはかなえられなくても、子孫の代の人類には、むしろ大事になるかもしれない遺伝的形質を引き継ぐためだけにでも、自分が「どっこい生きていく」存在意義がある、と考えてみることはできないだろうか?


****


BGMは、

ayuの
浜崎あゆみ - A BEST 2 -BLACK- - part of Me"part of Me"
ということで。

(「狙った」つもりは全然なかったんだけど.....)

よっちゃんに強力なライバル出現!!

 メンテナンス開け早々、恒例の、msn=毎日より(^^;)

掃除機:音でメーカー、種類当てる 米ミシガン州の少年

 米ミシガン州に掃除機の音を聞いただけで、メーカーや種類を言い当てる少年(12)がいる。少年は幼児のころから掃除機のおもちゃで遊ぶなど掃除機に執着を示した。両親は、成長すれば興味は薄れるはずと考えていたが、逆に関心は高まるばかり。掃除機当てコンテストで才能を披露した。少年は150台以上の掃除機を持っており、夢は掃除機販売の店を持つことだという。(AP共同)

毎日新聞 2007年4月4日 10時11分

 .......よっちゃん!!

恐るべきライバルが海の向こうに育ちつつある!! 警戒せよ!!


(もちろん、ayuのライヴ・バンドのギタリストのみならず、「日本のヴァン・ヘイレン」とまで呼ばれる、元たのきんと紹介する必要が全くない、野村義男さんのこと)


【補足説明】

 よっちゃんは、「電話で」ギターの音色をちょっと聴かせさえすれば、「○○年制作の□□□!!」と、そのギターを銘柄のみならず制作年代まで百発百中で当ててしまうという伝説の持ち主である。


蛇足説明】

 こういちろうに、ヘッドフォンをブラインドテストしても、メーカーと型番を見事あててしまう......ということはさすがにない

 しかし、所有している,「現在も稼働する」10個あまりのヘッドフォン・イヤフォンについてなら、文句なくそれは出来るかもしれない(^^;......耳へのかけ心地も違うし)

 
 それにしても、そもそも「掃除機の音聴き分けコンテスト」存在するあたりは、アメリカ文化のいい意味での余裕だと思います(^^)


【アフィリエイト】

 もちろん我が家で愛用の掃除機です(ここでリンクを張ったのは、正確には、その後マイナーチェンジした後の製品 ^^;)

Electrolux サイクロン式クリーナー


 サイクロン型というと日本ではダイソンばかりが名前が知られていますが、この製品、ハンディ型兼用機種とは思えないほどの秀逸な吸引力があります。

 そしてデザインセンスがいい。これ、ハンディ型をシュピーゲル2号のように(......などというくらいなら「マジンガーZ」ぐらいにはとどめて、せめてもの配慮を読者層にしろといわれそうだが)本体にフェード・インさせ(........)、それをまた自立型の充電台の上に乗せると、両翼の発光ダイオードが輝き、そのまま夜の雰囲気あるインテリアにもなるので、押入れに収納するのではなくてリビングの片隅に鎮座ましまさせる(?)のが本来の姿と思います。それにダイソンよりよほど安い。押入れなどない欧米の住居のセンスに見事一致。ワンルームの隅っこに置いておくのも「かっこいい」かも(^^)

 このあたりが、いかにも家具の国、スウェーデンのセンスと思う。

 この機種も、当のミシガンの少年は、しっかり「聞き分ける」のではなかろうか?


*****

 それにしても、ayuをサカナに掃除機や洗濯機に話題が飛躍しても何も今更誰も驚かないのがこのブログの真骨頂と信じる(^^;)

2007/04/03

面接中のメモの問題について

セーイチさんのサイト、「発展途上臨床さいころじすとの航跡blog版」で興味深いやりとりが展開されています。

 私もコメントに参加させていただき、かつて同僚を悩ませた私の摩何不思議な面接記録の取り方についても具体的に述べさせていただいています(^^;)

 ここでなされているやりとり全体が興味深いので、ご紹介いたしました。

今敢えて、ayuの"I am..."について(第2版)

浜崎あゆみ/ "I am..."(AVCD-17037)浜崎あゆみ - A BEST 2 -BLACK- - part of Me

1. I am...
2. opening Run
3. Connected
4. UNITE! "Original Mix"
5. evolution "Original Mix"
6. Naturally
7. NEVER EVER "Original Mix"
8. still alone
9. Daybreak
10. taskinlude
11. M "Original Mix"
12. A Song is born
13. Dearest "Original Mix"
14. no more words
15. Endless sorrow "gone with the wind ver."
(シークレットトラック)."flower garden"


 ayuの4枚目のフルアルバムCD。

 ベートーヴェンの音楽的変遷について、「エロイカ的跳躍」という言葉がよく使われる。第3交響曲、「英雄」が書かれて以降のベートーヴェンの作風の大きな変化のことを指すわけである。

 それとの比較でいえば、浜崎あゆみのアルバムの歴史には、「”I am..."的跳躍」という現象が歴然と存在した、というのが私の理解であり、実にいろいろな意味で、ayuが思い切って新たな方向性を打ち出した、記念碑的アルバムであると私は考えている。


****


《寄り道》:「英雄」交響曲の、私の好きな代表的名盤として、全く異なるタイプの3つの演奏を掲げておく。

 一つ目が、「ウラニアのエロイカ」として知られるフルトヴェングラーの1944年の歴史的演奏。刻々と変化するテンポ、曲の高揚と沈静が完全にめくるめくドラマとして完結する、奇跡の完成度の白熱のライヴ。なのに、フルトヴェングラー自身が、戦後、レコード化したアメリカのウラニアという会社を相手に訴訟を起こして販売中止に追い込み、ソ連で勝手に発売されたLPが高値で取引された時代を持つ、曰く付きの録音。しかし、そういう「幻の名盤」のオーラをはぎ取って、容易にCDを入手できるようになってかなりたっても、この演奏の「伝説」は今も一向に衰えない。私は、そんな有名な演奏とは全く知らないまま、最初に聴いた演奏がいきなり「これ」でした。これはたいへん「やばい」事態というか、この曲は「こういう曲」だというイメージが私にできあがり過ぎているのである。実はベートーヴェン演奏で、フルトヴェングラーのものを本当に私が別格視するのは、これと、コンラート・ハンゼンをビアニストにした、「ピアノ協奏曲第4番」のみです。「バイロイトの第9」にすらごだわりはありませんので。

 ワルター/コロムビア管弦楽団

 怒濤のごとき灼熱のフルトヴェングラーとは正反対。ピュアーでヒューマンなロマンあふれる演奏。それが、アメリカのオケの響きのヨーロッパ的ではない側面を補ってあまりある演奏。すでにステレオ録音の時代に入っています。

カラヤン/ベルリン・フィル

 カラヤン3回目の全集のもの。ひたすら流線型で快適な響きですが、意外かもしれませんが、フルトヴェングラーでないとすれば、ここまで「逆に徹底的な」演奏を私は好んで聴いてきました)。


*****


 では、"I am...."的跳躍とは何か?

 それを的確に短い言葉で表わすことは難しい。

 確かに言えるのは、この跳躍を果たす直前の曲が、3rdアルバム"Duty"浜崎あゆみ - A BEST 2 -BLACK- - part of Me制作時に最後に作られた、独創的な名曲、浜崎あゆみ - A BEST 2 -BLACK- - part of Me"SURREAL"であり、"SURREAL"が、ayuにとって、「敢えて崖っぷちから飛び込む踏み切り台」というべき曲だったということである。

 "SURREAL"の次のリリースが、当アルバムに収録された"M"である。この曲からしばらくの間、ayuは唐突に、CREAという名前で作曲も手がけた曲を立て続けに連発する。

 アルバム"I am..."にも、「すべての作詞・作曲 浜崎あゆみ」と明記されているが、厳密には、専門の作曲家との共作の曲もあり、そして、唯一の例外として、小室哲哉の単独作曲による”A Song is born”も含まれている。

 この、CREA作曲の曲をどうとらえるかは人それぞれであろうが、私は実際には普段はほとんどそのことを意識しない。誰に作曲してもらおうと、ayuの歌には如実にayuの刻印が刻まれているとしか思えないからである。

 しかし、この時期、自らが曲作りを主導するリスクを背負う中で、ayuが自己の作風の変化と「進化(それこそ"revolution")」を一気に突き進めたということは間違いないだろう。

 こうして、"M"→"evolution"→"NEVER EVER"→Endless sorrow→”unite!"→"Dearest"までリリースされ、その時点ではじめてアルバム"I am..."の制作に取り組んだようである。

 実は、ayuのアルバムで頻繁に見られる現象は、そうやってシングル(マキシ)リリースされた曲と、アルバムで新たに発表された曲に、すでににある「ステージの違い」があり、その「ステージの違い」の中に包含された形で「アルバムの構成曲」先行発表の諸曲を改めて聴きなおすと、曲のイメージそのものが様変わりして受け止められてしまうことが多いということである。

 このことは"Duty"の場合にも言えることで、わかりやすくいえば、"vogue""far away""SEASONS"という「絶望三部作」と、それ以外の曲ではすでに「ステージ」が違い、"End of the World"""audience""duty"などといった曲は、確かに"SURREAL"と"M"との間に重大な跳躍があるものの、むしろ"M"→"evolution"→"NEVER EVER"→Endless sorrow→”unite!"→"Dearest"までの漸進的な変化過程の脈絡でとらえる形で、敢えてアルバムを超えて「ひとまとまり」のものとしてみてみると興味深いところがある。

 すでに多くの人に語られてきていることではあるが、"I am...."期のayuに特徴的なのは、「ロック指向の顕在化」である。これを、私は、ライブコンサートをきっかけとして、恒常的バンドメンバーとして、小林信吾氏のみならず、よっちゃんとエンリケという日本を代表する二人のギタリストを活用できるようになったことがひとつには影響していると私は考えているが、もちろんそれだけではないとは思っている。

 いずれにしても、この「テクノからロック指向への大胆な切り替え」は、実際にはアルバム"Duty"の"End of the World"にはじまっている。この曲はその年のカウントダウンでしかステージに載っていないが、身をよじるような赤裸々なインパクトがある、シンコペーションリズムが研ぎ澄まされた、独特の「怖さ」を秘めた曲である。

 こうした、テクノ性よりロック性が「顕著に優位」な曲は、"NEVER EVER"→"unite!"とリリースされていき、アルバム登場曲の中では"Naturally"が更に加わることになる。

  これらのうち、コンサートに欠かせない"unite!"は別格とすると、「まさか」と思っていたステージでの再演が、今年初めのカウントダウンで実現して、客席の私が狂喜したのが、"NEVER EVER"だった。三拍子系のリズムでとことんロックするという点でも異色のこの曲、曲もステージでの演出も好きな曲のひとつだったので(^^)

****

 一方、"M"は、バラード系の要素を持ちながら、ロック性も強烈、メロディラインやリズムも一筋縄ではいかない、非常に個性的な曲である。これに続く"evolution"の持つ斬新なリズムでのテクノとロックの融合、そして舞台映えする、コンサートに欠かせない祝祭性を持つ曲と並び、曲の緻密さと集約性の高さと独奏性の高度な調和という点では、浜崎あゆみの曲の歴史で格別な次元の2曲であることは間違いない。

 私としては、これに更に直前の"SURREAL"を加えた「三部作」とみなしたい誘惑が強くある。これは音楽的密度と独創性のみならず、実はこの3つの曲のプロモーションビデオが明瞭に「三部作」だと断言できる、象徴表現上の連鎖を多角的にはらんでいるためである。

 これについての解説は、画面がないと「無意味」な(できれば歌と動画であることが更に望ましい)ので、実はサイト上では一度も言及しないままだが、私の日本人間性心理学会での自主企画(および「フォーカシングでの集い」における再演)のプレゼンテーションにおいては、プロモーションビデオのスクリーンでの映写と共に、パワーポイントを駆使してこの点を細かく検証し、実際に観た「歴史の証人」」20数名ほどには、とても思いこみとは言えない説得力あるものとして大好評だった。

 これは学術研究であるがゆえの著作権の制約からフリーだからこそ可能だったもので、ここでも公表するつもりはないが、いずれavexの公式許諾を得て、「図版付きの学術論文」化をまずはすることが私の夢のひとつである。

*****

 これらに加えて、このアルバムの独創性を際立たせているのは、冒頭曲、
浜崎あゆみ - A BEST 2 -BLACK- - part of Me"I am..."
である。伴奏なしに歌いだされるこの曲を、ジャンル的にどう分類したらいいだろう? 王子のきつねさんのご指摘を待つまでもなく、あえて言うと、この歌詞とメロディは「演歌」に分類するしかない。しかし、それを支えている編曲は、エスニックな香りもあるテクノ・ロックともいえる。いや、最終的にはそうした分類そのものを完全に虚しくさせてしまう、唯一無二の独創性のある、かけがえのない特別な音楽世界というべきだろう。

 この曲を最初に聴き、歌詞に込めたayuのあまりにも苦しいメッセージを受け止めた時、少し前から関心を掻き立てていた浜崎あゆみは、私にとって、鳥肌立つ特別な「邂逅」と感じさせる存在にはじめてなったのである。

 .....私の「某サイト」との出会いはそのあとのことだった(^^;)


*****


 そして、ある意味で、この曲への、とりあえずのayuの吹っ切れた"reply"として、"part of Me"を私が位置づけていることは、ここに明言しておきたい。

 "I am..."から引きずってきたayuの中の怨霊は、やっと成仏したのである。

2007/04/02

たった今観ていた夢

 私はある第3世界の国で開かれている国際会議に参加している。分科会の時間には、私が敬愛する30代のホープ、F氏が、をめぐっての発表をすることになっている(完全に楽屋オチ)。だが、彼は時間になってもなかなかはじめようとしない。人の集まりもなぜか悪い。

 何か会場に外部から通報が入る。彼は「やっぱりこんなことをやっている場合ではなかったか」と諦めたようにつぶやく。

 外に出てみると、空に巨大な飛行船が2つ浮かんでいて、超巨大な拡声器で「我々は○○国の△△国への侵略への報復として、○○国の同盟国であるこの国にこれから軍隊を投入する」と宣言する。

 (そんなことを、しかも飛行船などという一発で爆発する危険のあるものを都市上空に飛来させて宣言した上で侵略を始めるなど、非現実の極みだが、夢を見ている人間が「私の名はゴア、地球を征服する」とのっけから宣言するために画面に現れ、主人公の少年にピピピロピーと笛を吹かせてマグマ大使のロケットが打ち上げられることを毎週繰り返す作品を子供心に観ている世代だからどうにもなるまい)

 とたんに私の頬を空からの銃弾が掠める。

 皆は散り散りになり、私は泥にまみれてひたすら匍匐前進しながら、逃げまどう群衆が兵士に追い回されるのを視野の上に眺めながら果てしなく街から郊外の日本人集結地への移動を開始する。

 いつものように頭の中には地図が入っている。勘さえ外れなければ、絶えず匍匐前進すれば24時間でその場所にたどり着ける確信がある。

 一度兵士につかまりかかる。私は異国で死ぬ運命を覚悟する。しかし、私の姿を見るなり、「お前のようなのはどうでもいい」といわれる。鏡に映して見ると、私はぼろをまとった、はげ上がった頭の異国の行者の姿をしている。

 しばらく行くと、今度は、背中に誰かがまたがって、私をロバ代わりに使っている。見ると、現地の神父さん。私の正体はわかっているからというのを態度で示し、しばらくロバしていろと目でサイン。

 彼は密かに営まれている日本料理屋に私を導く。そこから私は知り合いの日本人(現実の知り合いではない)に電話をかけるが、

 「残念だが、私は、現在侵攻中の軍隊に協力して作戦を遂行する一員になってしまった。しかし、君のいる場所から先の、目的地までの警備網と危険について(情報を横流しして)教える」

 その情報に基づく状況を、画面は鳥ののアングルで次々と映し出していく。いや、私が鳥になっているのである。夢の中ながら、「この展開は、反則だ、ずるすぎる」と私は感じている。しかし、その危険地帯を抜けると、眼下には雪で閉ざされた麦畑が果てしなく続く。

 「寒いな、やはり」

 .....で、目が覚めてみたら、いくら2日前があんなに湿っぽくて暖かかったとはいえ、日が暮れてしまうと暖房が欲しい気温になっていた。

*****

.....で、ネットを開いてみると、2時間前に出した、ayuについての新作「予告」記事に、ごていねいに、3つもトラックバックのエントリー。

 「そうか、これが『外国軍隊侵入』という夢のお告げであったか!!」

と得心した私は、

 ああ、たかが一歌手ごときにために記事を書くのに時間使ったり、嫌がらせのトラックバックを送ることに情熱を注げる国、現在の日本に共に生きていられる喜びを噛みしめつつ、

 いつものように、コントロールパネルの削除ボタンを3つ押すという、数秒で終わる「たいへんな手間」なんてまるでかからない作業をさっさと済ませるのであった。

 それにしても、単にRSSで集めてアフィリエイトを貼るだけでお金がそんなに儲かるのなら、誰も苦労しない。私は、私の記事や私の関心のある題材についてのその種のリンク集に過ぎない可能性があるものですら、「役に立ちそう」ならトラックバック受諾としてありがたく「利用」させていただくことにしている(^^;)。私のサイトの「情報源としての付加価値」を高めるご協力には感謝する次第である。

 例えばの話だが、楽天で月6000ポイントアフィリエイトで稼ぐためには、大抵のアフィリエイト料率が1%だから、何と月60万円のお買い物をしていただく必要があるのが現実である。

 さて、ayu様ネタは、明日の午後3時まででいいので、ぼちぼちのんびり書きますか。 

予告!! ayu系の、新作の大作を掲載!!

 ソロモンでも地震があったそうですね。

 津波被害がたいへん大きなものだったとか。重ねてお見舞い申し上げます。

 明日、先月分の楽天のアフィリエイト収入全額を能登半島地震義援金として振り込むことを予定していたのですが。

 「雪の全く降らない冬」に続き、派手な黄砂現象や、4月はじめというのに真夏日の都市があるなど、何か、今年は地も天も荒れそうな予感がするのが当たらなければいいのですが。

*****

 さて、茂木さんの「クオリア」の本を読み終えるまで(私には興味深い内容です)、このブログに新たに書く手持ちのテーマがなくなってるな......と思っていたのですが、昨晩突如インスピレーションが降臨しまして、

 「私がこのブログで長らく書きそうで書かなかった、浜崎あゆみ関連の「ある題材」について、ココログの3日のメンテナンス前に、今のタイミングなら書ける!!」

というご宣択を得ました(^^)

 ayuサイトとして、全く「正攻法」かつ「期待されている」内容の記事と思います(^^)

 日付が明日にずれ込む可能性はありますが、書けると思います!!

 ご期待下さい。

2007/04/01

「夜会の軌跡 1989-2002」に途中停車

 久々にみゆきお姉の方です(^^)

 「夜会」については、少し前にやっと「Vol.13 24時着 0時発」をDVDで観た(その時の感想はこちら)のと、数年は前にNHKのBSで組まれた番組の中で出てきた分しか知らないままだったのですが、一種のオムニバス盤みたいのものなんでしょうが、「夜会の軌跡 1989-2002」を中古市場で入手いたしました。

 Vol.13を観てただけでも、こうやって特定の場面だけを切り出されても、何となくストーリーの展開やメッセージの質が予感できる気がして、何も違和感なく堪能できてしまいました(^^)

  それにしても、この人は最初から最初から演技の才にも恵まれていて、曲の持つイメージと一分の隙もなくステージ(というか、舞台というか)で表現できるという点では希有な才能の持ち主だとつくづく思わされた次第である。

 完全に自分の中でビジョンが見えているというか、自分がどのように客席から映っているのかを、幽体離脱して観客の中に憑依して観察もできてしまい、自分の期待した効果を瞬間瞬間に実際に上げていくことができているという感じなのではないかと思う。表情、仕草、声の出し方、すべて皆そういう感じ。ある意味では、「あざとさの極限」なんだけど、それが極限だからこそ、少なくともみゆきのファンにとっては、「はい、これが私の望んだとおりのみゆきお姉でごさいます」とばかりに歓喜のままに受け入れるしかなくなる。

 逆に言うと、みゆきのファンではない人には、それが鼻について仕方がなくなるだろうけど、そういう人は、すでにみゆきの曲や詞の醸し出す「体臭」そのものが苦手な人が多いだろうから、そういう意味では絶妙に「棲み分け」が成立するだろう(爆)

 ともかく、ここまで視聴覚総動員した表現者として「みゆきワールド」を提示できる才覚に彼女が恵まれていたことそのものが、お姉のファンになれた人にとっては、実はものすごい希有で贅沢な賜物として感謝するしかなかろう。

 これからも、個々の過去の夜会で映像が残っているものについては、焦らず、マイペースで収集して味わい、このブログでも感想を書いていくつもりである。

 今回に関しては、Vol.8「問う女」よりの「あなたの言葉がわからない」が、特にみゆきチックと感じて印象に残った。何か私好みのテーマ性がありそうなので、次はこれでいくか!!


 

先週の人気記事ベスト20!!(07/03/25-31)

「カウンセラーこういちろうの雑記帳」週に一度の恒例、@NIFTYココログの、日曜日-土曜日の「週ごと先記事別アクセス解析機能を使っての、先週の記事アクセス「ベスト20」の発表、38回めです。

 固定リンクでのアクセス率の順位から集計しています。アクセス数が同じ場合には、訪問者実数上位の記事を上位とし,訪問者実数も同じ場合にのみ、同じ順位として掲載します。
 7×24時間、つまり3/31日(土)24:00の時点での集計です。

 それでは発表!!

 先週の一週間の総アクセス数、延べ2,214(前回>2,262)。(一日平均アクセス316.29。前回323.14)、少し落ちましたが、一日平均300アクセスは堅持しました。

 訪問者実数は、1,568名様(前回1,598名様)と、これはほぼ横這い。

 「トップページへの外部からのアクセス」、前回612(41.5%)に対して、今回669(46.6%)。
 「サイト内移動」、前回513(34.8%)に対して今回477(32.2%)。

 前回に続いて、新規の方がおいでいただく傾向はなおも高まりつつも、これまでの読者の方に記事が読み尽くされてきたということでもあるかと思います。(^^)

 そして、当ブログの「一限さんでない率」、これは同じ人が一度に「何ページ」記事をお読みになったかと無関係な訪問者「実数」比に基づくもののようですが、8.0%から、更に7.8%に落ちました。アクセス数全体の、過去最高水準の安定傾向からすると、私自身、記事の傾向をだいぶ変えてきましたので、読者層の入れ替わりを促進している可能性は高いと思います。

 「訪問周期」は、毎日おいでになる「完璧常連様」は前回10名様、今回は8名様。久々に落ちました。

 それでは記事別ランキングの方の発表!!


*********


1.「訊き上手」の勧め -会話下手で困っている人のための、プロカウンセラーのテクニック公開!!- NEW!

2.GWの加賀・能登観光はご遠慮なく!! とのことです。 NEW!

3.インシュレーターは使わないに越したことはない(↓) 31週連続

4.欝とは、自分が無理をしていることを認識できなくなる時期にすでに始まっている(→)32週連続

5.フォーカシングの創始者、ジェンドリンの最新「ライブ」、iTune Music Storeで無料配信中!! NEW!

6.私のピュアオーディオシステム(そこに更にiPodをどう繋ぐか) (↑)10週連続

7.この世にまったりなじめない人たちの映画 NEW!

8."The Best of Best"="part of Me" COME BACK!!

9.台湾公演も成功のようで、何よりです。 NEW!

10.ディック・ミネ、「瀬戸の花嫁」を叱るの巻 COME BACK!!

11.オーディオにおける接点復活剤について(↑) 14週連続

12.人生を変えてしまう、本当の洞察と気づきと共に浮かび上がる言葉は NEW!

13.安易に共感されると人は自分自身でいられなくなる ?中島みゆき「エレーン」「異国」「空と君のあいだに」に寄せて? COME BACK!!

14.「ケーススーパーバイズ」とは何だろう ~入門編~(↓)12週連続

15.気持ちを表わしたり聴いたりする際に、五感を「主語」とする言葉を使うこと。「やまとことば」に敏感であること。 NEW!

15.iPod向けヘッドフォン・イヤフォン・小型スピーカーの記事index COME BACK!!

17.テクニカATH ES7も推薦機種にします。 NEW!

18.「2007年3月」のバックナンバー (↓) 3週連続

19.親鸞の「歎異抄」の精神とパーソン・センタード・アプローチ COME BACK!!

20.シリアスはギャグ、ギャグはシリアス NEW!

*****


 15位は、アクセス数、訪問者数同数ですので、同順位で2つあります。


ちなみに、前回のベスト20は41位にならないと今回は出てきません(^^;) 20位から40位ぐらいは接戦ですので。

 どうも月末にお客様がかたまる傾向が出てきまして、今週は、練り込んだ本格記事というより、即興で書いた記事が多かったのですが、1位の記事は、私なりにこだわって書いたカウンセリング系の記事で、従来あまり問題にされていないアンブルから、カウンセリングにおける「訊(き)く」ことの意味を、まさに「やまとことば」的にトピックにしてみたものです。

 現在「も」、「脳とクオリア」を少しずつ読んでいます(^^;;~。一週間後には感想をお書きするかもしれません(.......え? 前回と同じこと書いてないかって?.......m( _ _ ;)m )。


*****


 今回は、凄く古い記事の復活はありませんでしたが、植木等さんの訃報に関連づけた記事(20位)の中でリンクを張ったせいか、親鸞の「歎異抄」についての記事(19位)がカムバックしてきました。みゆき系の代表作(13位)も、ディック・ミネさん(夢フォーカシングについての代表作 10位)も、一度ランクインを果たすと、簡単に舞い戻ってくるようになりました。これは、オーナーとしては嬉しいのです。

 こうして、「平成19年度」に本日突入したわけですが、これは、私が正式に勤め人でなくなって2周年ということを意味します。

 前述の「歎異抄」の記事も、実は11月末に書いたものに過ぎず、わずか4ヶ月前の記事なのですが、何か、私の心境が、この「3分の1年」で随分違う次元に「抜けて」きて、新しいステージに入りつつあるなとは感じています。何か、以前よりは、ものごとをこだわりなくさらっとした決断でやる方向に(これでも)来ているような。

 その分、見かけの上では「重厚な」文章が減るかもしれませんが、以前よりも、思いつくままに「楽しんで」書いているな、とは、何となく感じています。


*****


 これを書いている「今、この瞬間」(4/1 AM 0:43)までの当ブログ文章記事の延べ総アクセス数)は、144090、フォトアルバムを含めると165581、ブログの通算記事数はこの記事で771本めです。

 今後とも、「カウンセラーこういちろうの雑記帳」を、よろしくご贔屓(ひいき)に、お願い申し上げます。

HMVジャパンApple Store(Japan) IMAGEnetCD&DVD Neowing

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