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2007年3月

2007/03/31

iPod向け「超」高級ヘッドフォンの世界!!(+α増補)

 わたしにとってもまだ手が届かない、コンデンサー型「でない」ヘッドフォン、オープン型と密閉型の「頂点の世界」の音を、知人の協力で体験できたので紹介したい。

 

ALESSANDRO MUSIC SERIES PRO(後面解放型)

(こちらも参照)


 わかりやすく言うと、私の愛機、GRADO SR325Iのハウジングを、アルミ削り出しから、マガボニー材を削り出したものに置き換え、更にヘッドバンドとつなぐ金属のスライド式調整棒を丸から四角の棒にして堅牢化するなどのマイナーアップデートをしたものと思って下さるといいでしょう。

 同社の同じようなマガボニーのフライホイールの高級機、RS-2などとはフライホイールのサイズ等、若干異なり,大きめで,ダイナミックレンジ、周波数レンジも広い、より新しい製品のようです。

 ALESSANDRO(アレッサンドロ)というのは、人の名前(George Alessandro)で、エリック・クラプトンをはじめとするハイエンドのギタリストの楽器や周辺機器のオーダーメイドを請け負ってきた人らしい。この人の楽器製作で培われたセンスと,グラドの技術が結合した製品なのですね。GRADO SR325Iですら4万円なのに,更に2万高いです(^^;)

 SR325I信者の私からすると、もうここまで来ると○△□☆※!!な領域の音!!

 ある意味で音のスコーンとした「抜けのよさ」はSR325Iより落ちます。SR325Iも、きちんとした装置と電源管理で聴く限りは,決してキンキンの音にならない筈なのだが、こちらは微妙にくすんだ,更に「艶(なまめ)かしい」音調になる。

 それは、まさに木のスピーカーの、あのくすんだ暖かみと陰影なのだ。タンノイスピーカーの愛好者である私からすると、ヘッドフォンでこういう音調が聴けるということ自体驚き。ある意味では、たしかにこれは「楽器の音」である。ただ、時としてこういう木製ハウジングの高級ヘッドフォンにある、穏やかになり過ぎて、音のレンジ感が狭くなり、透明感が失われる印象が非常に少ない。

 つまり、ロックやトランス・ミュージックやayuのようなパルシブなソースでも「おとなしくなる」印象がなくて、分解能が高くて瞬発力を持ちながら、ひとく貴族的に、しかしめいっぱいバリバリ鳴らすという、ギリギリのバランスがとれている。

 なのに、「艶かしい」。何度もいいたくなるけど。この、絶対矛盾の自己同一の上にある(?)製品。

 そして、SR325Iの欠点である、低域がやや野放し的でボテっとしてしまう面が見事にコントロールされ、変わって、上質の楽器の「胴鳴り」のような、上質の引き締まった響きに置き換わる。クラシックとか、もう、言語を絶する生々しさになる。

 これ、ひとつあれば、「私の」理想に限りなく近いと思う。


うううううう。.....稼ごう。


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ULTRASONE Proline 750(密閉型)

(こちらも参照)


 トランスミュージックのお膝元のドイツのメーカーでっす。だからカタカナ読みなら「ウルトラゾーネ」でごさいます。

 この製品の上位に、更に"EDITION 9" という、25万円する化け物機種(>* o, *<)があるらしくて、そっちは冗談みたいな「雲上界」だけど、こっちはSR325Iより安めで実売3万強くらい。

 しかも、この機種にはオーディオチェックとエージング用の、広帯域収録の音楽+生録CDが付録でついてます。「スペースインベーダー襲来の砂漠の嵐」を無機的に延々聞かせれるくらいなら(これだけで意図がわかる人にはワカル)、大波ドドーン!! の遙か彼方に「霧笛」が微かに聞こえるのに浸って瞑想するのも一興かもしれない(^^;)。この付録CDだけでも売りに出せる水準かも。

 これはALESSANDRO MUSIC SERIES PROとは文字通り正反対の路線の音。ある意味で何ともサラサラとした「超ネアカな」」音。細やかな陰影で聴かせるタイプではない。音に「陰影」と「深み」と「コク」を求める人にはまるでピンとこない音だろう。

 作りもそうなのだが、何かすごーく「プラスチック臭い」音なのだ。ゴリゴリしたリアルさからはほど遠い。

 でも、だからといって、日本で言えばテクニカ的なストレート・サウンドを想像すると、またピント外れになる。

 全然音が硬くない!!

 ではソフトで「眠い」音質なのか?
 
 いや、これほどレンジが特に上の方に伸び、細やかな分解能で、音の粒子が細かく鮮明に飛び散り、ハイスピードで、広大なステレオ空間が定位する製品は珍しいだろう。

 S-LOGICという技術が、この広大なステレオ音場に関係するらしい。誤解なきように言うが、これは電子的なサラウンド回路とかではなくて、あくまでも構造的なメカニズムである。

 ある意味では、ayuのアルバムのサウンドがここまで細かく分解して細部まですっきり見通せる製品は聴いたことがない。

 しかし、低域は、ソフトで、ややボタっとしているし、暴れまくる。

 何より音色の深みが感じにくいのだが、この製品のケーブルのブラグは両端ともミニステレオジャックで、ヘッドフォン本体側はねじ式の着脱できるタイプなので、それを差し込む部分のかなり小さい口径と一致する、短くて高品質のステレオミニ×ステレオミニのケーブルとかが見つかれば(自作すれば)、この独特の「能天気過ぎる」「浅い」音色を改善できるのではないかとも思う。

追記:80センチのステレオミニジャック仕様ショートケーブルが1800円で別売りとのこと。ネットでのショートケーブルのみの単独注文はここでできます)


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 なお、どちらの機種も基本はステレオ標準プラグです。

 ALESSANDRO MUSIC SERIES PROには、本体直つけのケーブルの末端につなぐ、15センチぐらいの、ミニプラグへの、同じ材質の「変換ケーブル」が標準装備。でも、アルミ削り出しの変換ブラグをブチルで縛り上げて泣き止めした私の「自作改良型変換プラグ」に比べると、皮膜材質がビニール系なので響きの反応の瞬発性と低域のレスポンスのインパクトが微妙にのろく、甘くなります。

 ところが、GRADO=ALESSANDROのヘッドフォンのケーブルって、UHPLC銅線という上質のものを使っている(これが音質にかなり決定的な筈)。だから、この短い変換ケーブルをULTRASONEのステレオ標準ブラグの先につないで、聴いてみる、という、天をも恐れぬ(?)アイデアを思いついた。

 ケーブルとは、直列につなぐと、接点での劣化はあるにしても、短くても、より高品質のものの方の材質の音色が支配的になるという法則があります(スピーカーケーブルも)。

 予想通り、ある程度、ですけど、ULTRASONEの響きが、「ネアカな性根はどうにもならないけど、少しだけ端正でまじめ」な方向に変化しました(爆)


※なお、URTRASONEには、iCANという、まさにiPod向けを意識したネーミングの小型軽量機もあるようです。私は未聴ですが、上記で紹介した機種の、圧倒的にたっぷりとした音の広がり感までは,価格相応にないらしいです。石丸電気(アキバだけ?)では試聴態勢があるとのこと

 更に、。このiCanシリーズには、上位機種として、下から順に"Okta""Naos""Aurum"とあるそうです。詳しくはこちらをどうぞ。


※この記事を書く上で、「ためごろうのヘッドフォン日記」を参考にしています。このサイト、ヘッドフォン情報にほんとにディープにお詳しいので、皆様にも参考になるかと思います。


●おまけ:
少しソニーを弁護したくなった
(そんなに悪いか? この機種)

ソニーMDR-D777SL-S  今、楽天で個数限定で安いので、それだけで思わずご紹介してしまう。

 はっきり書きますが、評判は良くなかったみたいで、現在あちこちで安売りされています。

 ただ、あれからもう一度自分のiPodつないで試聴しなおして、何か複雑な思いに駆られたので、敢えて珍しくソニー弁護の論陣を張るぞ。

 確かに一見地味な音かもしれないし、安い製品と見かけが変わらないし(^^;)、ケーブルが頼りなく見える。

 高域がすごく「上品」なので(帯域的に出ていないのではなく、ある意味では「実に素直に」伸びているのは宣伝通り)、アウトドアでの使用だと「エッジが立たない」ことが音を物足りなく感じさせる可能性はある。

 しかし、それは,以前にも書いたように、「高域」というものへのありがちな誤解によるものが大きいだろう。5KHzから12KHzのあたりにどこかピークを持たせさえすれば、シャリシャリと「高域が伸びている」印象を持たせるのは容易なのだ。

 低域は「実は」随分伸びていて、なのに引き締まっていてドロンドロンせず、すっきりしたスピード感があるののは密閉型としてはむしろ「上質」で、なかなかないだろう。この点では既に紹介したテクニカのATH-ES7よりもかなりいい。(逆にいうと、あれだけ薄型でこっちより定価で1万安いのに、低域以外はこちらを凌駕する、私の好みの「実直さ」に徹しているES7はたいしたものだ)

 見かけ上(聴きかけ上?)の高域に、「外国語の子音に鈍感そうな」、伝統の「勘違いした聴きやすさ」のソニー臭さ(^^;)がまだやはりあるが、全体として、間接音成分がすごく上質。

 ある意味では、周波数特性的にはフラットな振動版を「強迫的に」開発し、コンパクトなプラスティックのハウジングとフライホイールで可能な範囲で、不快な音が出る要素をとことん「制御」してしまい、「鳴き」が出ないようにしたことが不評につながるという、不幸なボタンの掛け違いがユーザとの間に生じた製品。
 
 ちなみに、「外の音を聴くための」スライド式のポートというのは余計な仕掛けと思う。音楽が流れていない時にすら、このポートを開けても閉めても「ほとんど」外の音の聴こえ方が変わらない(爆)。これのために少し音質的にマイナスになる構造を呼び込まなかったか?

 テクニカES7はステンレス製ハウジングによる「構造のシンプルな堅牢さ」というところにベースを置いたのでこうならずに済んだのだと思う。

 ヘッドフォンの好き嫌いが凄く激しい私が敢えて言うが、「7000円のヘッドフォン」としてみたら、日本製ではかなり上質、こういうのを「フラットな,超カマボコ型特性」というのだと思う。


 もっとも、イアパッドが上質であることが、逆にかけ心地の上で「うっとおしく」感じさせるという矛盾に陥っているかも。装着感が良すぎることで逆に「耳が」一瞬「閉所恐怖症」に襲われて「こわい考えになってしまう」のがむしろ嫌われるか? 夏場は耳がムレそう(^^;)

 エージングすると思ったより音は「伸びて」聴こえ出すタイプかと。

 全般に、ソニーのヘッドフォンって、ある意味で、通俗的な意味で「オーディオチック」というより、耳にやさしい,繊細な聴きやすさはあると思います。パッと聴くといい音なのに、何か飽きやすい音(^^;) でもこの「平凡さ」は、実は「偉大な平凡さ」かも?。聴いているうちに、耳が痛くなって不快になるよりはいい。いい意味での「日本的な」ヘッドフォンらしさがある。ちょっと線が細い、「蒸留水性」があるんだけど。

 下手にインナーイヤーにこだわるよりは、よほど、余裕感はあるし。

 もっとも、ayuを「極める」とか、細かい音までどんどん訴えてこないと、という人には"?"かもしれない。音のバランスはすごくいいけど、すごく「優等生」のayuになってしまう(^^;)

 ただ、こういうヘッドフォンの音を聴くと、ayu自身が、ライブの際には、パナソニックではなくて(爆)、ずーっとSONY愛用者で通しているのも悪くはないかなと思う。耳に負担にはならないし、パートがごとの音が自然と聴き分けやすいのはソニーの伝統。

 それに、ヘッドフォン(イヤフォン)は、一度好きなのが決まったら、むやみと変えない方が、自分なりのモニター的音の聴き分けの勘は狂いません。いくら倖田やマドンナ(マドンナのはコードのみかけとその後ろ向きの引き出し方と跳ね上がりぐあいはどうみてもE5cのシルバー色ケーブルなのに、装着部は、肌色の耳をきれいにふさぐデザインなのでオーダーメードと思う)がシェアー系でも、我が道を行くべきです(きっぱり)

 ayuをひたすらネアカでもいいから(爆)そのサウンドの細部まで「3万円前後出して」堪能して聴くなら、URTRASONEのPROline750にショートケーブル追加投資の方が、いくら低域がボテボテ暴れようと、「遥かに凄い」、滅多には味わえない領域とは断言しますが(^^)、「7000円払うヘッドフォン」なら、このソニーも、かなりいい方です。


 でも、これが「売れなかった」と知って、何か変だよと言いたくなった私。


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何か、単純明快に嬉しい

msn=毎日より、

竜・ノリいきなり大暴れ!初安打&初打点&勝ち越しホームイン

 セ初安打となった六回の中前打で冷静になっていた。1点を追う八回二死二塁。木田の131キロのフォークを右中間へ弾き返すタイムリー二塁打。このあと、立浪の勝ち越し打で見せた本塁への炎のスライディングは、野球をしている喜びを体で表現していた。

 オリックスを自由契約になり、テスト入団した中日で迎えた開幕戦。新品のバット3本の柄には、指3本分ほどの幅でグリップエンドの厚さと同じくらいに白いテープが巻かれていた。右手の握力は60キロ超だが、手術を4度もした左手は40キロ。インパクトの瞬間、柔らかいテープの部分を「グッと握ることでバットに力が込められる」。

 オープン戦中には、落合監督から「それ、ない方が、いいんじゃないのか?」と助言を受けたが、「やっぱり、巻いてないと力が入りませんわ」とノリ。師と仰ぐ指揮官に、いわば背いてまでも、自分の“スタイル”を貫き、中日ファンへあいさつ代わりとなる殊勲打を放った。

 「これだと、気持ちが高ぶりながら、ファンと一体になれるかな…と」


 腕ではないが、足の痛みをかかえているということ自体、昨年の悪夢を思い出させるプレッシャーだったろうと思うのだけれども、それをいい意味での緊張感に変えて、初戦で決定的な場面で活躍できることで、いきなりチームにおける自分の存在意義をアピールできるのだからたいしたものというしかない。

 バットそのものではなくて、グリップに蒔くテープの蒔き方に関しては選手の裁量権が大きい、ということについては知らなかった。考えてみれば、手袋についてもそんなにむやみな規定はないのだろうから当然か。

 こういう次元での小技というか、チューンアップの話はなぜか大好きな私であった。iPodだけではなくて、面接技術の上でも。

 少し以前にも書いたけど、本来人の話を聴くことは苦手で、話たがりやにできている私の場合、カウンセラーとしての傾聴は、実はひどく意識的に修練された細かなテクニックの山を、自分の実感にフィットするところまで、いかに使い込かという、ひどく「人工的な」ものなのである。

 自分がその瞬間にしている(少なくとも言語的な)反応が、技法論的に見てどのようなものかを、実はほとんどすべて、その瞬間「自覚」している。

 これは「反射」、
 これは「要約」、
 ここでのクライエントさんの沈黙に対して反応しないまま待つべきか?......Yes
 ここでは、クライエントさんの中の矛盾葛藤する二つの感情や思いについて、それぞれacknowledging(認めてあげる。アン・ワイザーの技法)するようにさりげなく促すか?.......go!!
 ここでは、カウンセラーとしての自分がクライエントさんの発言に対して感じた気持ちを率直に言葉にした方がいいか?......go!!
 今、自分の中に、ふと「○○」という言葉が浮かんだ。これをクライエントさんにすぐ言葉にしていいか?........No!!.......しばらく自分のなかで保持!!
 今、クライエントさんが何か言おうとしているのに言葉を出してしまう形にならなかったか?.....そうみたい。......言うのをやめて、「あ、どうぞ」と勧めるか?......go

 まあ、こんな調子である。

*****

 それにしても、テスト生になってでもという方向が出る以前には、「中村なんていらない」ということをぶっきらぼうなまでに公言していたみたいな落合監督。決して甘い言葉はかけないまま、中村選手が結果を出すど、その分だけはしっかり受け入れるという基本スタンスを一貫して崩さずに中日に受け入れて来たここまでのスタンスは全く見事というしかないと思う。この人は、名選手にして名監督という道をしぶとく獲得したといえる気がする。

 .....あ、王さんも、時間をかけて、しかもソフトバンクという居場所を得て、そうなれた方ですね。

*****

 いずれにしても、どうも私が「おふくろさん」騒動について書いて来たことは、どうもいろいろ事実誤認もあるようですけど、私にとっては川内氏の取った態度に共感する側面はほとんどない。「森進一の『おふくろさん』(および川内氏作詞の諸曲)を生で聴けない」ことを歓迎する聴衆などどこにもいない、というたた一点において。

 歌そのものは、公的に公開した時点で聴衆のものなのである。「収入」という観点からみての権利を著作権者およびの相続者は、一定の年月確保する当然の権利を持つ。そのようにシンプルに考えている。

 例えば、考え方そのものとして、私とそっくりのことを誰かがどこかで書いていたとしても、私は意に介さないで、ただ、

 「私の影響力を受けたのかもしれない。しかし、これは私が言わなくても、そういう考え方そのものを多くの人が自分なりに独自にしはじめることもあるのが本来自然なのだ」

としか受け取らないと思う。

 幸い、知的財産そのものが私の主立った「収入源」ではないし,今後もそうであるのが望ましい(いわば「ボーナス」にすぎないとみなすべき)としか思っていないから、あっさりそう言えるのである。

 なぜなら、面接現場でそれを有効活用でき、しかもそれがクライエントさんにとって有益なものと感じてもらえるかどうかとなれば、もはやその臨床家とクライエントさんの関係の中での問題であるに過ぎないからである(^^)

 逆に言えば、ここで私が書くことがどれだけ多くの読者の印象に残り、支持を得ても、個々の実際に私と面接したクライエントさんに取って私の面接が無意味と感じられたら、問答無用、私の専門家としての存在意義はその分だけ社会的に減じられたということ、とあっさり肝に銘じている。

 ま、考えてみれば、川内さんの作詞の「おふくろさん」以外の曲をも歌わないというのは、森さん側の「自粛」のようだけど、これって、川内氏にもその分著作権収入入らない、ということなのかな?......ことあたり、歌詞についての著作権使用料についての決まりを知らない私ですが。もちろんあったとしても,金額的にごたいそうなものではないとおもいますが。

 いずれにしても、ライブ公演で歌った曲ということになると"teens"以外全部自作で、「歌詞の著作権」に関しては何の心配もない(使用、公演におけるavexとの厳密な権利関係は当然あるんでしょうけど)ayuには、この意味での問題は最初から「存在しない」のは慶賀すべきことである(^^)

*****

 BGMは、アニソンの歴史に残る、いずみたくさん作詞による永遠の名曲、ミッチこと堀江美都子さんによる「心のうた」ということで。

 「さすらいの太陽」という、昔の地味な少女アニメのエンディング・テーマなんだけど、これを歌えないアニソン・ファンはまずいないという、もはや「歌謡曲」の隠れた公然たる名曲の域にある曲。詩も曲も恐ろしくシンプルなのに耳についたら離れない、奇跡の水準の「名作」です。

最近まで他のサイトの方との交流をあまり意識せずにやってきましたけど、

 当ブログでのトラックバックの私的受諾基準公開をきっかけとして、私の中でこれまでより読者の方とオープンにコミュニケートしていこうという意識が強くなって来ました。

 コメントして下さる方も少し増えて来ましたし、私自身あちこちにトラックバックしたり、他のブログでコメントすることも以前よりかなり増えて来ました。

 そういう中で、どのへんをそういう交流の際に倫理規範にするかという点で、私の中でもまだ意識が足りないところがあるかもしれません。

 こうした点では、他のサイトの皆様を見習いながら経験を積みたいと思っていますので、どうかよろしくお願いいたします。

2007/03/30

「歩姉忍脚傷」だったそうで(第2版)。

 今週は恒例の四日市出張が週半ばに入って、月末は私としては仕事量が多いパターンが恒例化してきたので、本格的な記事更新が進んでいませんが、王子のきつねさんのサイトにいろいろayuの台湾情報へのリンク整備してくださってるのでそれを通して確認しておりました。

 現地新聞で報じられているらしい脚のけがって、伝説の「Dome Tour福岡一日目」のようなものとは次元が違う軽いもののようです(追記:王子のきつねさん、初稿で、王子のきつねさんのサイトの方でご配慮いただき、お手間をおかけして申し訳ありませんでした m(_ _)m。もとの情報はAskaさんのサイトにあります )。

 いずれにしても、台湾では、何かayuの立ち寄るところ、みんなカラッと明るい空気が吹き渡るような展開だったようで、何よりです。


(ああ、今度のツアーも生あゆ二回[どっちも横浜。もちろん一回は落日]がすで確定してしまった、懲りないこういちろう)

ayumi hamasaki DOME TOUR 2001 A 

ヤマダ電機さん、現場の店員さんのメンタルストレスを増やす事態を招かないように!!

 msn=毎日より。

 関係者によると、横流しされたのは同社の熊谷配工センター(埼玉県熊谷市)で昨年2月〜今年1月に顧客から引き取ったテレビ、洗濯機、冷蔵庫計1594台。同センターが当時、不要家電の収集運搬を委託していた埼玉県内の貨物運送業者の関係者約10人が、顧客から徴収した1台2520〜4830円のリサイクル料金などを着服したうえ、回収した不要家電を国内大手の中古品販売・輸出会社に売却していた。

 ヤマダ電機は1594台すべてについて、リサイクル料金に相当する計約492万円を顧客に返還。経産、環境両省に横流しの事実を申告し、業者関係者を業務上横領などの容疑で告訴した。


 私は、家電やパソコン関係の備品等について、家から歩いて10分のヤマダ電機を使うか通販に頼るかを、かなり厳密にコスト的に見極めて日頃利用しています。確かに全般的に見て、価格的に良心的だし品揃えもいい。職場のパソコンはFrontierだし。

 久留米に帰省した時すら、ほぼ同じ品物があるのがわかっているし、ポイントカードがそのまま使える郊外の店(久留米大学御井キャンパスの近くですね)まで出向いたくらい。

 でも、こういう事件が「ひとつ」浮上すると、ほんとに親会社が不正に関与していない場合ですら、株価とかに影響を与え、回り回って、品揃えや価格という形で我々消費者にもデメリットが生じるし、何か些細なことでひとつ顧客さんともめるたびに、この事件をひきあいに出されて、無関係な店員さんのストレスを増やすなど、何一ついいことないのだから、用心して欲しいものである。

2007/03/28

GWの加賀・能登観光はご遠慮なく!! とのことです。

 遅ればせながら、能登半島地震の被災者の皆様に,お見舞い申し上げます。

 
 フォーカシング関係者に,私の知り合いの石川県の方がおられたのですが、その方のご無事は確認しました。

 その方からのメールの一節に、次のような部分があり、是非ご紹介したくなりましたので:


◎ゴールデンウィークなどに、能登半島への観光や旅行をご予定くださっていた(いる)方へ


 今現在でも、営業を続けている旅館や民宿はけっこうあります。地震の被害は確かに大きいものですが、地区全体が壊滅状態というわけではありません。

 余震が落ち着けば復興も一層進むと思います。また、能登地区の人々は長年風雪に耐えて厳しい住環境の中で生き延びてきた気骨のある人達です。きっと、GWに間に合わせたい一心で、復興に懸命に取組むはず。

 どうかご旅行の予定を立てていらした方は、ぜひ石川県にいらしていただければと思います。能登地区に行くことに抵抗があるならば、加賀や金沢でも構いません。

 「この状況下でも石川県に沢山の人がいらしてくれる」ということが、私たちにとって大きな励みになります!


 北陸へのアクセスや観光情報については以下のサイトをご参照ください。

http://www.groovy-net.co.jp/


*****

●楽天「能登」関連商品へのリンク

 ここからのアフィリエイト収入を「上回る」と予想される額を、近日中に、ささやかですが、震災義援金として寄附させていただくつもりです。

 義援金は以下で受付られています。

 ◆日本赤十字社
  郵便振替にてご送金ください。

  名義:日本赤十字社石川県支部
  口座:00780-1-3
*通信欄に
   「平成19年能登半島地震義援金」とご明記ください。
  *郵便局での取扱い時には手数料が免除されます。

シリアスはギャグ、ギャグはシリアス

 シェイクスピアの「マクベス」に出て来る3人の魔女が、

 「きれいはきたない、きたないはきれい」

と呪文のように唱えるのをご存知の方は少なくないかと思います。


 ユングの「無意識の補償作用」を引き合いに出すまでもないかもしれませんが、人間、意識的に「まじめに」生きようとばかりすると、邪悪なものや退廃をいつのまにか引き寄せ、いつの間にかその当事者になることが多い。

 テレビでの映画放映やクレージー・キャッツの歌を中心に拝見することが中心でしたが、私が植木等さんのキャラクターのプレゼンスに感じるのは、ここにひとりの「誠実な」人がいるなあ、という思いでした(もちろん、「シャボン玉ホリデー」の本放送を子供心に見ていた世代でもありますが。確か、一年間、「8時だよ全員集合」のピンチヒッターもありましたよね)。

 最近、私が子供の頃からテレビで親しんだ俳優の方が何人かお亡くなりですが、植木等さんの死は、そうした中でも、ふと、さびしさを強く感じさせられました。

 僧侶の跡取りでもあったことは存じ上げていましたが、msn=毎日によれば、浄土真宗だったとは。お父様は、戦前の、真宗改革運動の闘士だったとお見受けしました。

 謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

2007/03/27

フォーカシングの創始者、ジェンドリンの最新「ライブ」、iTune Music Storeで無料配信中!!

 フォーカシング技法の創始者、ジェンドリンの基調講演がThe Focusing InstituteのWebSiteで発信されています。 

 テーマは、

「一つ以上の形を持つのだから、真実はそれ以上のものであるが、真実は形ではない。」

 http://www.focusing.org/gendlin_templeton.html


*****


 以上の情報は、日本フォーカシング協会のメーリングリストへの、


 日本フォーカシング界の「魔法のマコちゃん」


 こと、


 大正大学の日笠摩子先生(私と同じTFIコーディネータ)よりの情報に基づきます

 (タイトルの翻訳も)。


*****


(ネットでの私にかかれば、

ayuだってオモチャにされる、

いずくんぞ、

日笠さんにおいてをや!!

ということで。


↓ ただし、「賄賂」は送っておこう(^^;A)

日笠摩子/「セラピストのためのフォーカシング入門」


●追記:

 な、何と、iTunesのPodcastのダウンロードもできるようになっているんですね!!

 ジェンドリンの最近の肉声が"iPodで"聴ける形で世界に配信されている!!

 iTunes Store(Japan)Apple Store(Japan) Apple Store(Japan)

2007/03/26

テクニカATH ES7も推薦機種にします。

 私は日本のヘッドフォンは嫌いだといつも書いてましたけど、マクセルのHPNC22OHBKを店頭試聴して、アクティヴノイズキャンセル機としてはBoseのQuiet Confort "2"よりはクセがなくてピュアーでいいかもと感じたあたりでちょっと認識が変わってきて、日本製しか試聴できない店とかでいろいろ聴いてみることも増えるようになりました。

 その結果、まずは推薦していいと思えるに至ったのがこの機種です。

オーディオテクニカ ATH-ES7

 高域の方は、「実に素直に」伸びています。花火の生録みたいなヘヴィーなソースでもほとんどよれないという点では、耐入力的には海外製の多くより安定感がある。ちょっとだけ低域がソフトですけど、密閉型としてはモコモコ感が少なく、相当に引き締まっている方でしょう。

 テクニカの音は線が細くて硬いという印象が強かったのですが、この機種の場合は、高域の延び方が「全くもって透明で素直」(この、素直すぎるあたりが外国製品ひいきには物足りないのだが、少なくともBoseのTriportよりは、ずっとレンジが広く、「天井がつかえる感じ」がない)、クリーンな純粋さ。

 エージングがきちんとできてきたら、堅さは「全く」感じずにすむ「筈」です。クラシックでも全く違和感はありませんでしたし、ayuへの対応力もかなり高い方。これでもう少しだけ低域が.....となるけど、そのあたりはオープンエアでないと無理かな、というくらいには、密閉型として大健闘してます。

 フライホイールにグラスファイバー配合の堅牢なものを使っていて、ハウジングはステンレス。「プラスチックくさい」音にならないこと、デザインがシンプルで、白と黒の二つとも、ステンレス鏡面仕上げ(白)あるいはチタンブラック仕上げ(黒)のハウジングを含めて、デザイン的にiPodとのマッチングが「非常にいい」ですしね。

 こうした意味で、全国各地で入手しやすい、実売1万2千円-5千円クラスのiPod向けの中級ヘッドフォンとして、ここまで広帯域でバランスがいい、上質のものはなかなかなく、お薦めしていいと思います。

 やっぱり、この価格帯だと、フライホイールの大きさというのは、音の素直さと余裕という点で、同価格帯のインナーイヤーを「軽く凌駕」します。コストパフォーマンスが「たいへんいい」製品と思います。

 難点は、少しヘッドバンドの側圧が強いこと、耳の中が汗ばみやすいことかも。ミニプラグにのみ対応。

マウスコンピューター/G-TuneApple Store(Japan) Apple Store(Japan) e-onkyo オンキヨー公式ショッピングサイト

こういちろう、フランス語苦手なのに挑戦!!

.......といっても、音楽を「聴く」方です(^^)

Belinda Carlisle:voila(ベリンダ・カーライル/フレンチ・ソングブック)

 ほんとに理屈抜きの衝動買いです(^^;)

 GO-GO'sという、女性だけのロックバンドで初のビルボードアルバムチャート1位を獲ったバンドのリードボーカルとして一世を風靡するものの、本人の麻薬中毒等もありバンドを解散、結婚後にソロ・シンガーとして再起、"Heaven is A Place On Earth"という曲で再びヒット・チャート1位、ジョージ・ハリスンとの共演曲を出すなど活躍。その後フランスに移住、このアルバムは10年ぶりのもので、10年間の間にフランスで聴き続けたフランスの歌への感謝を込めたアルバムとのことです。ブライアン・イーノをキーボードに迎えるなど凝った趣向で作られたアルバムとのことです。ちなみに、この人、私より2つ上(最初得た情報、なぜか間違ってたみたい)。

 私はシャンソンのあたりとなると無知そのものなので、このアルバムに収められた曲の3分の1(4曲)ぐらいしか聴いたことない曲だったけど、かつて、楽器を知らない女の子たちで勢いで作ったバンドで、しかも他のパートを他の人に先にとられたので、仕方なくヴォーカルをやってたらあっさり商業ベースからお呼びがかかった女性ロックバンド出身なんていう経歴は全然想像できないくらいに、渋くて貫禄のある歌声。きっと、純粋のフレンチの愛好者からすれば、発音や音楽の質にいろいろ感じるところがあるんだろうけど、私には、そこそこ現代的なアレンジを含めて、全く抵抗感なく楽しめています。

 「だけど今、音楽業界でやって行こうと思えば注意しなくてはいけない----女性の場合は特に用心しなくてはならないの」

 「アメリカのファンはアーティストの変化をなかなか受け入れようとはしないけれど、ヨーロッパのファンはオープンだから」

 .....アーティストの変化をなかなか受け入れないのはアメリカばかりではありませんですよね、ayu様。

 「変化を恐れるなら、離れたところで見ててよ」(浜崎あゆみ - (miss)understood - alterna"alterna")

とか歌うしかなくなるわけでして(^^;)

 ***

 私は、クラシックでも、フランスものはドイツものほど聴きませんけど、ベルリオーズ、サン・サーンス、ドビュッシー、ラヴェルあたりは相当まんべんなく聴きます。

 今回は、ちょっと凝ったフランス音楽入門チョイスとして、ラヴェルの弦楽四重奏曲を掲げておきます。このセンスは、クラシック普段聴かない人にすら、すっと入れる人、少なくないと思います。特にスケルツォにあたる楽章とかAlban Berg Quartet - Great Recordings of the Century: Debussy, Ravel, Stravinsky - Works for String Quartet - String Quartet in F Major: II. Assez Vif - Tres Rythme(アルバン・ベルク四重奏団)

 CDは敢えて、少し古い、あまり「フランスチック」ではないかもしれないけど、クリアーなジュリアード弦楽四重奏団の演奏をセレクトしました。

*****

 もうひとつ追加。

 ラヴェルの弦楽四重奏曲より相当メジャーな曲ですけど、フランクのバイオリンソナタローラ・ボベスコの、たっぷりとした響きのヴァイオリン演奏で。

 この曲の第4楽章の、ピアノと「対話」するカノン風の主題、もし知らない人がいたら、クラシック普段聴かない人でも、圧倒的に酔わされる「名旋律」と思います。これを使って歌詞をつけて歌にしようとするポピュラー畑のミュージシャンが出てこないのが不思議で仕方ないんだけど。

 古澤巌×高橋悠治 - フランク:ヴァイオリン・ソナタ - フランク:ヴァイオリン・ソナタ イ長調 第4楽章 Allegretto poco mossoこのメロディですね。バイオリニストを古澤巌さんに変えましたけど(^^)

いつの間にブログ内検索機能がついたんだ?

 これは便利だ!! オーナーの私自身が助かる(^^;)

 いちいちコントロールパネル側で検索しなくてもいいので。

(こっち側の1番上の方


 それにしても、今日は何も新規を書かないうちに、おいでいただいた方が20:39の時点で300アクセスを楽々超えました(^^)

 ayu様と、直前の記事をご紹介いただいた、王子のきつねさんサイト(本日分アクセスシェア現在合計7%)に感謝!!

2007/03/25

台湾公演も成功のようで、何よりです。

 Yahoo!ニュースから取りあえず引っ張ってきました。

 その一方、ayuが300万ほど現地でブランドもの買ったという記事もあるらしいけど、以前ほどランキング上位ではないにしても、ayuは今も「高額所得者」なんだから、「分相応」じゃないかしら?

 それをいうなら、現在もayuは、賃貸料に換算すれば、分あたりおいくらのところに「住んでいる」かということになる。

 中日の中村選手の年俸も、去年までの年棒からすれば「数分ぶん」だそうで。

 ayuはもうそんなに「物欲」ない人だと思う。そうやって「買ってみせる」のも、憧れのスターとしての、台湾のファンへの「ファンサービス」ですってばさ。

「訊き上手」の勧め -会話下手で困っている人のための、プロカウンセラーのテクニック公開!!-

 学生相談をしていた頃、よく、「周囲の話す話題の輪に入れない」という相談を受けたものである。

 男なら野球やサッカー、女優やタレント、女性だと、ファッションや恋や男性タレントや男優の話とかに、自分は興味も関心もなかったし、今の音楽でどんなのが流行ってるかもよく知らないし、車の話もわかんないし.....というわけである。

 私にしても、親が自家用車のユーザーでなくて私も免許を持っていないせいもあるが、極論すれば、「『あの』マークがついてたらベンツ」「昔のフォルクスワーゲンなら形でわかる」....以上、終わりである。

 ちなみに、私はまだ「エビちゃん」なるもの(蛯原 友里)の動く映像をテレビで観てないとおもう(^^;)

 ちなみに、はっきりいいますけど、(みゆきやユーミンとか、上の世代は「殿堂入り」として)浜崎あゆみと大塚愛とELTと宇多田ヒカルを除いてしまうと、私は今のJ-POPシーンに「全く無知」である。chemistryやゆずの曲すら一曲もidentifyできないし、椎名林檎は「りんごの歌」しか聴いたことがない。矢井田瞳「は」、一枚聴いたことある。島谷ひとみのベスト盤は「持ってる」。要するにBoAや倖田未來すら、耳に入ったことはあるが、恐らく「一曲も」identifyできない。あとはすべて大晦日の紅白歌合戦とその後のMTVCDと、年に一度のa-nationのDVDで「一年まとめて掌握している」だけである(avexに異様に偏ってるけど、それでもこんな調子なのだ)。今度、YUI「という人」のを聴いてみるつもりなのだが。

 これが、クラシックとなると、はっきりいってこの10年新譜をほとんど全く買ってないので、今のアーティストの動向には無知そのものだが、古くはグレゴリオ聖歌やヒルデガルド・フォン・ビンゲンから、少なくともブーレーズやベリオや武満ぐらいまでは(一部民族音楽を含めて)「まんべんなく」守備範囲にしている。基本的に「きらいな作曲家」「きらいなジャンル(管弦楽、室内楽、独奏とか)」というものはありません、みんなそれなりの持ち味で楽しめます、といえるくらいに。言葉の障壁から、歌曲と歌劇はやや手薄です、というくらい。10年以上前にとっくに輸入盤中心にCD1000枚を超えていたわけでして。

 私はクラシック音楽と心理療法と世界史と洋画(そしてかつてのアニメ)を除けば、実は自分の関心を巧妙に「狭く深く」に追い込み、わき目をふらなくていいようにするタイプである。

 確か、浜崎あゆみも、基本的には本来特別な音楽好きでは「なかった」し、実は他の人の音楽を驚くほどに限定してしか聴いていないと、何かで読んだような気がする。Madonnaや、日本で言えば、レベッカ(Rebecca)とかは、確かにある程度早くから意識していたと思うけれども(avex以前のオーディションの時に"moon"を歌ったそうで、これは妙に納得。レベッカは私も以前からLD(!)やアルバムの大半持ってますし、iPod入ってますよん。....まあ、レベッカそのものが、"Love is Cach!"は"Material Girl"のパクリでないかいというくらいにMadonna意識していたと思うけど。....レベッカのライブ記録とかと比較すると、ayuのライブの歌やバンド演奏やダンスが、もはや比較にならない高水準が「当たり前」になったことを痛切に感じますが)


*****


 話が大幅に横道にそれかかった(^^;)。

 このように、いざとなると話すネタだけなら無尽蔵に出てくる私が保証するが、友達の輪の中に入って「話に入っていけない」原因は、ほとんどの場合、「話題についていけるかどうか」とは無関係なのではないかとは断言したい。

 バブルがはじける前に二十代を送った私の世代は、「クライ」「明るい」二分法が、いまからは想像がつかないくらいに猛威をふるっていた。「中島みゆきのファンである」ということは公言するのもはばかられると感じていた人が実際たくさんいたのである。オタクネタを口にするのはかなりの蛮勇が必要だった。

 だが、今や宇多田ヒカルのゲーム好きはみんな知ってて、若いメジャーな女性タレントが、コスプレチックなことをあまり恥ずかしがることもなく、ひとつの趣向としてやれてしまうわけで、その点では、20年前がウソのような状況が実現している。そういう意味では、関心や話題の「ボーダーレス化」が進んでいて、私は若い世代がうらやましいくらいである。

 問題は、「話題の内容」ではない。自分の側の話せる話題など豊富でなくてもいい。

 決定的なのは、「聞き上手」であるかどうかである。


*****


  しかも、
  ここでいう

  「聞き上手」

  とは、
  必ずしも

  「聴き上手」

  のことではない。

  「訊(き)き上手」

  でありさえすればいいのである。


 カウンセラーは「傾聴(Lintenning)」について専門的に学ぶ。

 しかし、現実の日常会話では、実は、「聴く」力と同じくらいに「訊く」センスがものを言う。


 実はこの点を、カウンセラーももう少しふりかえるべきではないかと私は考えている。

 「カウンセラーの先生に話をしても、『ウン、ウン』ときいてくるばかりで、何も言ってくれないんです」

とよくいわれるし、
多くの場合、それは、

 「具体的アドバイスをしてくれない」

という意味に受け止められているけれども、実は、

「カウンセラーは何も『訊いて』くれない」

という点にこそ、核心がある場合が多いのではないかという気がする。

******

 ここでいう、『訊く』とはどういうことか?

 「質問する」「尋ねる」「問いかける」="asking"と言い変えるだけでは、うまく言い尽くせない。

 手元の「広辞苑」には「たずねること、問いただすこと」としか、実際、出ていないのだが。


 例えば、

 「母には、そのことを嫌がられている気がしてならないんです」

という話が進行していたとします。

 「お母さんには嫌がられているんじゃないか......というと?」

と水を向けて、しばらく「聴いて」いても、

 「だって、私は、○○だし、△△だし.....」

という話は繰り広げられても、お母さんに「実際に」どう言われたかの「具体例」に決して話が広がらないとしますね。

 こういう時、話の聴き手は、「現実のところ」どう言われたのか、についての関心をはっきり意識的に伝えることによって、単に話を「聴いて」いる状態よりもさりげなく半歩踏み込んでもいいのだと思います。

 「例えばどんなこと言われたの?」

でもいいんですね。

 すると、実は「お母さんがそのことを嫌がっている」というその人の思いこみが大きくて、実際にはそのことについて拒否された体験があるわけではない、ということが、二人に見えてくる場合もあるでしょう。

 あるいは、実際にどんなふうに言われたかまで話してもらって、はじめて相手の話が、自分が予想していたのとは別の次元での、親との対立なのだということが、いきいきと伝わってきて、

 例えば、軽率に、

 「おかあさんの言うことなんて、気にし過ぎないで、無視、無視、やりたいようにやってしまったら?」

とか、アドバイスして済ませなくて良かった!! ということなど、よくあることでしょう。


 時には、どうアドバイスしたらいいかわからなくなるかもしれない。

 そういう時には、ただ黙り込んでしまうぐらいなら

 「たいへんだね」

 「難しい問題だね」

 「凄いお母さんだね」

などと、ともかく言葉にしてしまう方が、ただ相づちを打つよりはよほど「具体的な」応答だと思います。

 そういうことを、心の中で思っているだけではなくて、実際に相手に言葉にしてしまうことです。
 それだけで、話の「間が持つ」し、相手に、自分のことに関心を持ってくれているという「絆」感が生じる。....いや、あなた自身に、その人と「関わっている」という「手応え」が生じる筈です。

*****

 かといって、私は、面接初回に、機械的な形で、いわゆる「生育歴」「既往歴」「相談歴」などを訊いてしまうあり方には違和感があります。

 「生育歴はどうなっているのですか?」

 ......なつかしい思い出なんですが、ロジャーズ派の佐治先生の薫陶が深かった東大の心理教育相談室に在籍していた当時、年に一度、「五大学」と通称された、東京・名古屋・京都・広島・九州の5大学の教育学部心理教育相談室合同の、合宿形式の事例検討会が、5大学持ち回りで2泊3日で開かれていました。大学院研究生だった私はその催しに3年連続参加させていただいたのですが、その際に、東大の相談室員の事例発表に対して、他の4大学の相談室員から、「実に頻繁に」ぶつけられていたのがこの問いかけでした。

 つまり、当時の東大のカウンセリングの伝統には、「生育歴・来談までの経過」を面接初回にクライエントトさんからひと渡り「訊いて」しまうという「文化」そのものがなかった!! これは、他の4大学の院生の「常識」を覆す事態だったようです。

 「治療目標とは何ですか?」

この問いに困ってしまうのも、東大組でした(^^)

 まあ、面接がどこまでたどりついたら終結かなんていうのを早い段階で設定してしまえるなんてウソで、当初の相談内容が、クライエントさんもカウンセラーも予想もしない方向に展開してこそほんとうのカウンセリング的相互作用だと、私は今でも信じて疑いませんけどね。

 もちろん、その段階その段階で、治療者が「見立て」についての「仮説」を立てること、それに応じて「見通し」についての「仮説」を持っていることは大事でしょう。しかし、それは何回も何回も手直しされ、変化していくのがむしろ自然ですらあるということです。

 それはそうと、私も、今も、生育歴・家族構成・来談までの経過を、カウンセリングの開始の回に「機械的に」訊いていくことは避ける姿勢を保っています。

 面接一回目で、話を自然に聴いていれば、いつの間にかそうした情報のかなりの部分が「自然と」クライエントさんから話してもらっている、という流れになれるのが本来の姿です。

 面接初回は、クライエントさんに最初提示された相談内容にとらわれがちで、ベテランにならないとそうはできないといわれそうですが、今の私の考えでは、カウンセラーが、先ほど述べていた、一般の人の日常会話において全く自然に機能するはずの「訊く能力」をタイミング良く発揮すれば、それほどキャリアを積まないうちにでも、できるひとには十分できるはずという気がしてきました。

 そして、そうした「話しそうで話さないままの」話を、その後の面接の、どういう脈絡で、どういうふうにクライエントさんが話し始めるか、ということそのものが、まさにクライエントさん固有のあり方の本質が伝わって来る、絶好の機会なのだと思っています。

 例えば、「学校を中退した」という経歴が語られているのに、その理由についてクライエントさん自身が自分からは話さなかった場合には、私は焦って「どうして辞めたの」とは訊かないことも多いです。心の片隅にはそのことを置いておきます。

 面接の流れの中で、クライエントさんの方から自然と語られるかもしれないし、カウンセラーとしての私が「なぜ中退したか」を是非訊いてみたくなるタイミングが必ず来るとあっさり信じています。

 そういう「旬」の瞬間にクライエントさんに「訊いてみる」と、場合によっては、面接の展開の上で、クライエントさんにとっても、カウンセラーとしての私にとっても、新鮮で意外な発見となる、予想外の形での、問題の更に核心についての発見を、自然と二人で共有できることが多いようです。


*****


 「あなた、ご実家が経営的にたいへんだといつも話してくれてたけど、具体的に、どんな仕事なさってるの?」

 日常の対人関係でも、いきなり相手の個人的事情を根掘り葉掘り「訊き」すぎるのもどうかと思いますけど、あまり相手の個人的事情を詮索して嫌がられたくないという思いからの「抑制」が効き過ぎているのが現代の対人関係という気もします。


「ね、ね、彼のお母さん、働いてるって言ってたけど、何して働いてるの?」

「え?........私も、そこまで彼に訊(き)いたことないんだけど.......」

先週の人気記事ベスト20!!(07/03/18-24)

「カウンセラーこういちろうの雑記帳」週に一度の恒例、@NIFTYココログの、日曜日-土曜日の「週ごと先記事別アクセス解析機能を使っての、先週の記事アクセス「ベスト20」の発表、37回めです。

 固定リンクでのアクセス率の順位から集計しています。アクセス数が同じ場合には、訪問者実数上位の記事を上位とし,訪問者実数も同じ場合にのみ、同じ順位として掲載します。
 7×24時間、つまり3/24日(土)24:00の時点での集計です。

 それでは発表!!

 先週の一週間の総アクセス数、延べ2,262(前回>2,288)。(一日平均アクセス323.14。前回326.86)、少し落ちましたが、前回の久々の一日平均300アクセス回復を堅持しました!! ありがとうございます!!

 訪問者実数は、1,598名様(前回1,666名様)と、これもほぼ維持。

 「トップページへの外部からのアクセス」、前回563(40.0%)に対して、今回612(41.5%)。
 「サイト内移動」、前回561(39.8%)に対して今回513(34.8%)。

 ですから、新規の方がおいでいただく傾向はなおも高まりつつも、これまでの読者の方に記事が読み尽くされてきたということでもあるかと思います。(^^)

 そして、当ブログの「一限さんでない率」、これは同じ人が一度に「何ページ」記事をお読みになったかと無関係な訪問者「実数」比に基づくもののようですが、7回連続8.2%から、今回久々に8.0%に落ちました。それだけ、後述する、「明らかな要因」による、新規開拓の一限さんが「いた」とも言えます。

 「訪問周期」は、毎日おいでになる「完璧常連様」は前回10名様、今回は10名様。この数値は最近10名様と11名様の往復状態。小数点以下の攻防でしょう。

 それでは記事別ランキングの方の発表!!


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1.日本人にとって、漢字文化の受容のほうが、西洋文化の受容以上に大きなハードルだったのでは? -茂木健一郎さんの記事によせて(2)- NEW!

2.インシュレーターは使わないに越したことはない(↑) 30週連続

3.みんなみんな生きているんだ友だちなんだ!! -茂木健一郎さんの記事によせて(1)- NEW!

4.欝とは、自分が無理をしていることを認識できなくなる時期にすでに始まっている(↓)31週連続

5.再び、菊川玲とayuと宇多田ヒカルに登場いただくと..... NEW!

6.老いてはやさしく NEW!

7.「2007年3月」のバックナンバー (↑)

8.「カウンセリング」と「身の上相談」の違い (↓)

9.自分を「商品」であるとみなすこと NEW!

10.「退屈」こそが生きるエネルギーの源である。 (↓)

11.私のピュアオーディオシステム(そこに更にiPodをどう繋ぐか) (↓)9週連続

12.「ケーススーパーバイズ」とは何だろう ~入門編~(↑)11週連続

13.「疲れた」「つらい」筈なのにそう感じていな「かった」時の「独特の感覚」は本人にも「実感」できる COME BACK!!

14.オーディオにおける接点復活剤について(↓) 13週連続

15."Is anyone listening?"(Madonna:"The Confessions Tour") (↓)

16.POPTEEN4月号のayu様はたいへんラブリーでよろしい(^^) COME BACK!!

17.iPod向けヘッドフォン・イヤフォン・小型スピーカーの記事index COME BACK!!

18.私の浜崎あゆみ関連 サイト上のガイドライン NEW!

18.先週の人気記事ベスト20!!(07/03/11-17)

20.いいカウンセリングとは COME BACK!!


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 18位は、アクセス数、訪問者数同数ですので、同順位で2つあります。


 はっきりいって、茂木健一郎さんの「ココログセレブ」特集にトラックバックを送らせていただいたことの効果が如実に出た週でした(^^)。

 ちなみに、「ココログセレブ」へのトラックバックからおいでいただいた皆様は45名様、3.1%のシェアです。この機会を活用させていただきましたことに感謝申し上げますと共に、このたび新規においでいただいた皆様、今後ともこのブログに関心を持っていただければありがたく存じます。

 現在、「脳とクオリア」を少しずつ読んでいます。1週間ぐらいで感想をお書きするかもしれません。


*****


 今回は、凄く古い記事の復活はありませんでしたが、カムバック記事がいつもよりずっと多かったのもひとつの特徴でしょう。

 先週は、何か、ため込んでいた記事のストックがやっとなくなったので、何か凄く直球勝負で、リラックスしてスポンと投げ込む記事が多かった気がします。量産した週ですので、ランキング入りが来週になってしまったと思われる記事もかなり出ましたが、ともかく、なぜか「楽にすいすい書けた」という印象が強い、吹っ切れた週でした(^^)


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 これを書いている「今、この瞬間」(3/18 AM 0:39)までの当ブログ文章記事の延べ総アクセス数)は、141852、フォトアルバムを含めると163179、ブログの通算記事数はこの記事で747本めです。

 今後とも、「カウンセラーこういちろうの雑記帳」を、よろしくご贔屓(ひいき)に、お願い申し上げます。

HMVジャパンApple Store(Japan) IMAGEnetCD&DVD Neowing

2007/03/24

この世にまったりなじめない人たちの映画

 今日は仕事もしてるのに、一向にブログでの創作意欲が衰えない、困った日だ(^^;)

 先日DVDで観た映画の中からセレクトして、感想を書いてしまおう。

「アルタード・ステーツ」(ケン・ラッセル監督 ウィリアム・ハート/ブレア・ブラウン主演)

 私が大学院生の頃に観た、懐かしい映画を久々に観てみた。

 "alterd states"とは心理用語で言うところの、「変性意識状態」のこと。催眠なども含まれる。ちなみに、フォーカシングは「変性意識状態」に入り込んではおりません。行ってもその少し手前までです。本人の自我の側のコントロール能力を決して手放しませんからね。

 この映画で登場するのは、タンク状の水槽の中にヘルメットをつけて浮いているという、一種の「感覚遮断」状態における変性意識状態。この映画が作られた当時、リラクゼーションとしてアメリカで結構流行っていたらしい。

 この映画で役を演じるに当たって主演の二人はホンモノの「実体験」をしたそうだが、この映画で一躍スターダムにのし上がったウィリアム・ハートは、パニック状態になって散々なめにあったそうである。ブレア・ブラウンのほうは、「素晴らしい体験」だったそうだ(^^;)。

 この映画、私にとっては、最初観た当時から、「SF映画」という意識がほとんどなかった。設定を荒唐無稽というのはやさしいと思う。しかし、この映画の魅力は、ウィリアム・ハート演じる脳科学者の、真理を追い求める圧倒的情熱の背後にある、深い次元での「この世へのなじめなさ」と、妻のヒヒ学者の女性を中心とする、周囲の、秀才ではあるけど、「まったりとした日常に溶け込んでいる人たち」との間の心の隙間の描き方であり、それがどのようにして和解していくかという点だろう。

 しかし、今回は、更に「夫婦の間の機微のドラマ」という方向で読み込んでしまったのは、私の年輪のなせる技と言うしかない。

 もっとも、私個人は、少なくともフォーカシングと出会って以降、「まったりとした日常を味わう」感性への自己肯定がどんどん賦活されて行ったようにも思う。もちろん「キリストの磔刑」の幻に困ったりしない(爆)

 ある意味では私にとって、ちょっと願望充足的な映画であるといわれても仕方ないかなとも思う。ただ、ラストの展開で暗示されているように、ほんとうは主人公の体験している世界というのは、実は誰の心の中にも隠れている世界であり、それを呼び覚まされることへの本能的な恐怖感から、拒否的になるという面はあるのではないかとも思う。

 彼のプロセスにまがりなりにもつきあい切れれば、こうして彼は「日常」に帰ってくる。そして、むしろ他の人を日常につなぎ止める癒し手としての力すら獲得できるのではないか。

 (ああ、どうしても自己弁護じみてくるなあ......)

*****

 ケン・ラッセルの映画は、ある観点からすると、あまりにもお手本通りの精神分析チックな象徴主義を、ややけばけばしく露骨に表現するところがあるから、嫌いな人は嫌いだろうと思う。さすがに3Dデジタルアニメーションを駆使する以前の特殊効果は、素朴で懐かしいものを観ている気がしてきてしまう。

 でも、私は、ケン・ラッセルは結構好きでして、私としては珍しく、かなりの作品を観ています。

 「どぎつい」ところがあるけど「しつこく」はないのがこの人の持ち味かと思う。この人、「エルガー」を皮切りに、「マーラー」「リストマニア」「チャイコフスキー」など、次から次へと、エキセントリックな解釈の、クラシックの著名作曲家の伝記もの映画に取り組んだということもあるのですが。

「マーラー」は、私の溺愛する、交響曲第6番「悲劇的」がテーマソングみないな扱いです。

 この映画で使われているのは、ハイティンク指揮のコンセルトへボウの旧盤で、私には健康的でピュアすぎるんだけど、ケン・ラッセルはこれでなければダメだそうで。

 あと、ある意味でこの映画にも通じる、「この世への生きづらさ」を抱えた人たちの物語として読めてしまう中に、

「未知との遭遇」も私は含めてしまうし、

私の溺愛する作品のひとつ、

「パリ、テキサス」

も位置づけられることになるかと思います。女優さんではナスターシャ・キンスキーのファンだと以前も書きましたけど(私は少しボーイッシュな面も隠し持つ猫型女性に惹かれるようである)。それだけではなく、ラストの「ハーフミラー越しの対話」のシーンの深い印象を私は忘れることができません。

株式会社ぽすれん

こういちろうもおすすめするWeb上のayu評論

 Webサーフィンに長けているayuファンには、まだ知らなかったのかといわれそうだが、"ORICON STYLE WMミュージック"で組まれている、田井裕規氏による一連の浜崎あゆみのアルバム評は、水準がそろっていて、私が読んでも(偉そー!!^^;)違和感のある叙述が「ない」。

 というか、意外と、プロが書いたayu評で、これだけピンとはずれがないことだけ、しかも、いろんな観点からバランスよく書き通せるく人は、いるようでなかなかいない気がする(^^;)

 私もお勧めです。

CD&DVD Neowing

あーあ,今の「男の」お年寄りと若い者は......

 msn=毎日によると、残念なことに、こうなっちゃうんですか、うーん.....


 「立証」なんてやりようがないので、まず槙原さんが勝つし、槙原さんは盗作していない
と私も思ってますけど、でも槙原さんに単に被害者意識だけは持って欲しくないというのが私の意見。

 つまり、直談判の時に「盗作はしていない」「読んだつもりはない」で突っ張れなかった槙原さんは、それだけで、自分のアーティストとしてのプライドを自ら放棄し、自分のファンも裏切っているのだと思う。

 かつて、学生運動や労働組合でもの凄いオルグが吹き荒れた時代があった。

 あるいは、宣教活動において、知り合いをアパートに連れ込んで、気がついてみるとその知り合いの友人たちが次々と現われ、よってたかって徹夜で論戦を挑み、自分の宗教に引き入れようとすばかりか、相手の家に繰り返し押し掛けたリ電話をかけたりした人たちがいた(今の時代なら、立派な「ストーカー」ですからやってないはずです)。

 今でも、キャッチセールスの誘惑は若者たちをつつんでいる。

 松本さんも、私に言わせれば過去の栄光にしがみついている。パチンコの「ヤマト」とかの方で訴えるぶんにはわかるし、自分の作品やデザインが不法に商品化されていたとすれば訴える権利は当然あるけど。

 そして、相手を強引に一方的に自分の主張に巻き込もうとするだけの人間も問題なのは確かだ。

 しかし......少なくとも、松本さんは「盗作を認めないと決して帰さないぞ」と「脅迫」したのか??

 
 私には、結局、槙原さんの性格的な弱さが,ここぞという「対決」場面で露呈したとしか思えない。

 同じことをみゆきやayuが松本さんにクレームつけられたらどうしたろう?

 まず、会社そのものがもっときちんとした立ち回りをして、「会わないままの方がいい」「マスコミ向け公式発言はなし」で通させたと思うし、仮に本人が口をひらいたとすれば、あっさり

「まねてないです。結果的に似てしまったのは申し訳ないけど」

と言ってしまえる気がする。

 ayuにしても、「世間にはこわいものがいっぱいあるから、なめてかかるな、戦うときは戦え」というメッセージは、最近の曲でいっぱい込めている気がするし。

浜崎あゆみ - Secret - Beautiful Fighters"Beautiful Fighters"なんて、一見明るい曲だけど、のんきにヘッドフォンで音楽聴いてる期待はずれの白馬の王子様で、下手にガラスの靴とか履いてたら、自分本位に女性を繰り返して傷つけて平気な男たちの中で生きる女性たちへの深い共感に満ちた応援歌そのものだ。

 「開きながも、やがてまた閉じる」傷口、というのが単なる抽象的なものではないことは、ちょっと想像力がある人には察することができる筈)、

浜崎あゆみ - (miss)understood - alterna"alterna"も、なぜ、「怖いものは十分見尽くして来た」「なんかしたってしなくったって結局指差されるなら」とayuは歌わずにいられなかったのか?

(このへん、言わずもがなと思ってたけど、やっぱり解説してしまう)


*****


 更に言えば、

「ファンの皆さんの信頼を裏切りたくないから、こういうことで私は嘘はつきませんよ」

のひとことぐらい毅然と言えたら、同じクリエイターとしての琴線に触れて、松本さんも「男気」を認めたかもしれない。

もし、そうだったら、松本さんは訴訟まで起こしたか?

*****


 こういう点で、若い世代のファンが多い槙原さんは、むしろ若い人の「範」にならなければならない「社会的責任」がある

 さもないと、新聞の勧誘を断れなくて学生相談室に相談に来る大学の新入生の皆様が更に増えてしまいます(^^;)

株式会社ぽすれん

人生を変えてしまう、本当の洞察と気づきと共に浮かび上がる言葉は

自分が「知って」はいたし、その言葉の一般的・概念的な意味内容は「わかっていた」つもり「だった」けれども、少なくとも「自分自身の」気持ちをあらわすボキャブラリー(語彙/用語法)として「自分からは」使ったことがなかった「さりげない」言葉となることが多い。

 既にこのブログでも紹介した、

「退屈」
「うらやましい」
「口惜しい」

などは、すべて、私にとっては、そのような言葉として立ち現れたものである。


 当たり前の,普通の言葉でいいのだ。

 いわゆる「心理用語」は、こうした世界から遠いことが多い。


 いや、こうした「あたりまえの、普通の」言葉での気づきを数多く体験した人にだけ、心理療法的な諸概念は「生きた」形で自己掌中のものとして体験されるようになっていく、と断言していい。(この記事も参照)


 このことが「全くピンとこない」人で、心理療法家をしている人は、流派に関係なく、いないと信じたいが(^^)

2007/03/23

NPO法人「不登校情報センター」に登録させていただきました。

 「不登校情報センター」とは、不登校、ひきこもり、発達障害、ニート、対人関係不安の人を支援する団体・組織を援助する、広報・アウトソーシングのネットワークです。

 このたび、お声をかけていただきまして、参加させていただくことになりました。

 「相談室・カウンセリング」→「神奈川県」に入っていただきますと、「湘南フォーカシング・カウンセリングルーム」のサイトにリンクされています。

 私自身は子供とのプレイセラピーの経験がないという、私の世代の「心理教育相談室」出身の臨床心理士としては珍しいキャリアなのですが、開業してから、お子様を持つお母様世代からのご相談が比率的に大きくなり、そうしたお母様へのコンサルテーションやアドバイスには、いつの間にか私のスタイルができて来た気もします。現段階では大学入学前の受験生の方もすでに直接お会いしています。

 私にできることがあれば、喜んでお手伝いしていくつもりです。

気持ちを表わしたり聴いたりする際に、五感を「主語」とする言葉を使うこと。「やまとことば」に敏感であること。(第2版)

●相手に自分の気持ちについて話をしてもじっくりしてらった筈なのに、相手が、「話してすっきりした」という安堵感を感じている様子がない時。

「何か、話してしまったら、むしろ後味(あとあじ)が悪い感じでもあるのかしら?」


●一緒にいる人にくつろいだ様子が見られず、打ち解けた様子に欠けているかに思われた時。

「何か居心地が悪いの?」
腰が据わらないの?」
なじめないの?」


●その人の気持ちについてもっと深く感じてもらい、具体的に言葉にして欲しい時。

×......「どんな気持ちだった?」
×......「どんな感じだった?」
○......「どんな『心地(ここち)』だった?」
○......「その時の気持ち、もう少しじっくり味わいなおして、言葉にしてみることができるかも」


****


 日本語の文法のひとつ特徴的な点は、英語であれば「目的語」であるはずの言葉を、「は」「が」という、「主語」として表現すること(ができること)が少なくないということです。

 わかりやすい例をあげると、

「頭-が-痛い」

とはいっても、

「私-は-頭に-痛さ-を-感じている」

("I feel some pain in my head.")

と言ったら、何か翻訳調で堅苦しい、不自然な言い方になっています。

 これは、ちょっと広げると、

「雨-が-振る」

英語だと

"It rains."

ですよね。


 さりげないことですが、 日本語では、

「頭-が-痛い」=「頭-が-痛い(-と-訴えている-ことに-私は-気づく)」

というふうに、体の部分部分が自己の「主体」として振舞うことを当たり前のように使う言葉の世界に生きています。

 そして、それは今では「比喩」だと思われていますが、実は身体的な直接体験として文字通りに受け止めなおすと、生々しい実感を伴う言葉として体験しなおせます。

「胸-が-悪い」=「胸-が-嫌だ(-と-訴えている)」

「虫-が-好かない}=「(私-の-腹-の-中-に-棲(す)んで-いる)虫(-のようなもの)-が-「嫌だ」(-と-訴えて-いる)」

「腹-に-据えかねる」=「それ-を-腹-の-上-に-据えようとしても-腹-が-そうされるのを-嫌がる」

「腕-が-なる」.....ほんとうに、「指をポキポキ鳴らして」待ち構える人は一部でしょうが。

(←わかる?)

中国語は、「主語」「動詞」「目的語」が明快なぶんだけ、実は欧米語に近いわけです。


*****


 「フォーカシングでシフトを引き起こす言葉には『漢語」よりも『やまとことば』が多い」

 これは、私が大学院に入った当時に、師の故・村瀬孝雄に進言して以来、師によって吹聴していただいた法則です。

 このことは、実は体験的にはすごく当たり前の摂理なのに、はっきりと注目されることはありませんでした。

 なぜなら、フォーカシングの英語の文献では、事例などの翻訳でも、これらの言葉はえてして「漢語」の「熟語」としてしか訳されない運命にあったからです。

 そして、更に悲しいことに、心理用語の多くは「漢語」の「熟語」として翻訳される習慣がつきました。

 おかげで、カウンセラーの頭脳は、「漢語」「音読み文化」に汚染され、感性の貧困とあたまでっかちと杓子定規な「パターン主義」に直面していると思います。

 しかし、現実の臨床面接場面では、

 「嫉妬」、というより、「妬(ねた)ましい」
 「羨望」、というより、「羨(うらや)ましい」
 「愛情」、よいうより、「愛(いと)しい」、「愛(いと)おしい」
「退屈」、というより、「つまらない」
「後悔」、というより、「悔(くや)しい」、「口惜(くちお)しい」
「脱錯覚(disillusion)」、というより、「醒(さ)める」
「無力感(helplessness)」、というより、「拠(よ)る辺(べ)ない」(=依存できる相手や場所がない=助けが得られないこと=”help-less-ness")

 後者の言い方を面接の中で自然と言葉にできる人の方が、自分の気持ちに実感のレヴェルで深く触れながら話していることが多いわけですね。

 私は面接初期から、そういう話し方の傾向が強いクライエントさんだと、それだけで安心します(^^)


 これらのうちの前者の言い方は、仮に中国語そのものにそのままの熟語がなくても、少なくとも読みは、いわゆる「呉(ぐ)音)」か「漢音」に大半は遡れる「音読み」系列なわけです。

 しかし、時代的に意味は変容しても、日本土着の身体的言語感性は、後者、「やまとことば」の系列の「訓読み」文化の中にこそ、現在も、多くの人にあると思います。

 「訓読み」の世界の独特なところは、それは「万葉仮名」のように、漢字の音に「やまとことば」を単に当てたものではなく、むしろ逆に、その漢字の中国語の発音にはまったく存在しなかった音を、漢字の意味にあてはめて「意訳」したという点かと思います。おかげで、表意文字性を強く持つ漢字を細かく使い分けることによって、「やまとことば」は、更にデリケートなニュアンスを使い分けられる表現型になったわけですね。

たとえば、

「降る」
「経る」
「振る」
「古」い

......みんな

「ふる」

なわけです。

「生きて」
「活きて」

(いきて)

も 同じようでいて、違う。

 この前使った、

「住む」
「棲む」

では、同じ

「すむ」

でも、かなりニュアンス違いますよね。

 自分の気持ちを言い表す時に、「熟語」を使うのではなくて、それをもう一度「やまとことば」に置き換えて「訓読み主体」で更に言い換える習慣をつけるだけでも、人とのコミュニケーションは深いものになる可能性は十分あると思います。

 このブログでも、私のそうした「訓読み」=「やまとことば」用法への「言い換え」のこだわりは、実はあちこちで発揮されているわけです(^^)


*****


「愛している」
「好きだ」

というより、

「君のことを『愛(いと)おしく』感じるんだ」

の自然に口にできたら、告白の言葉としては「効く」かもしれない!!


「自己愛」とかいうとネガティヴに響くけど、

「自分のことを『いとおしめる』か」

と言ってしまうと、あまり嫌な響きはないと思います。

薬剤関係の通信販売のサイトからのトラックバックもお受けしません

  当サイトの方針としてご理解ください。

 (このようにして、どんどん明示していく方がいいかと思いましたので)

2007/03/22

自分を「商品」であるとみなすこと

 これは、資本主義社会を生きる限り、社会的存在である限りは不可避な自覚であるかと思います。

 ただ、その「商品」の「プロデュース」の権限を自分が握るという領域に「実態的に」踏み込めるかどうか? それを可能にするのは何かは絶えず自覚し、検証し続ける必要がある気がします。

 更に言うと、「マネージメント」の権限は、最終的には「プロデュース」権限よりも上位にあるのが資本主義社会であること。

 敢えて言うと、純粋に現実主義的に言えば、私の「事業」の「経営的実権」を左右しているのは私の父以外の何者でもない。

 しかし、父は「経営者」ではなくて、「マネージャー」(日本語における、この2つの語の意味のニュアンスの違いは興味深い)としてのスタンスしか取ろうとしない。

 これが、これまで「家老」「剣術指南役」はやっても、「領主」にはならなかった父のライフスタイルの、恐らく最後の貫徹なのだと思っています。

****

 これ、私のことだけではなくて、浜崎あゆみのおかれた状況としてとらえるとおもしろいかも。

 未だにayuの「過去」を虚実とりまぜてネットで流通させることにばかりかまけている人たちに申し上げたいのは、同じやるなら、現在のavexの経営的『内部抗争』における浜崎あゆみの位置」ぐらいのネタをやってみたらどうかと思う。

 現実のavexの株価を左右するつもりでこの領域を極めるくらいでないと、面白くないのでは?

 .......そっか、あなたたち自身が「株主向けコンサート」観るための「株主」だから困るんだね(爆)

 ........もとより、『内部抗争』なるものが実在するか否か、ということは別ですが(^^;)

IMAGEnet

2007/03/21

今日は映画三昧じゃ!!(あるいは,今朝みた夢の話)

 今日が祝日(基本的に絶対に休業。ただし日曜が祝日の場合には日曜営業、月曜のみ休業)、木曜日が定休の「休業日」ですから、私にとってはたいへんに希少価値の「連休」ということになります。

 我ながら、こうして「連休」というものが普段の生活の中にないということ自体、結構ストレスになっているなとは感じています。

 来週になると、春休み期間なので、教員関連の人たちのための、ちゃんと講師料が出る地方出張が立て続けに入るモードにもなる。

 それで、とりあえず今日は、レンタルとAmazonの中古セルでかき集めた、観たかった映画のホームシアター三昧で過ごそうかと思ってます(^^) ayuやマドンナのライヴも観なおすかもしれませんが。音楽はともかく、映像作品となると、平日のオフの時間に繰り込む気持ちの余裕はなかなか取れなくて。

***

 昨日は、茂木さんの威光を借りたせいか(すみません、失礼でぶしつけだったら)、ayuに特化した当サイトの「ガイドライン」を公開したせいかわからないけど、このブログの文章記事だけで予想をかなり超えた375アクセスを頂きました。ありがとうございます(^^)

***

 ちなみに、私はayuのパンチラとかには欲情もしなければ嫌悪も感じない人間なのだ。そりゃ、「女性は」パンティはいてるでしょ、ってぐらいで。

 一度女性と一つ屋根の下に暮らした男とはそんなものでありますよん。それより、Popteenのお写真(現在Amazonに入ると表紙拡大画像「入手」可能!!)で「この人、どうしてこんなにかわいくもなれるわけ?」ということにひたすら「敬意と感動と共に」ときめいてしまう「快感」の方がよほど大きいのである(^^)

***

 今朝の夢。

 夢の中では私は単車の免許を持っている十代の少年である。いつの間にか、有料でレース場で走ることを「趣味」にしている。そのレース場で、「兄貴分」とか、年下の、なぜか私を慕う、私より腕が更に未熟な弟分までできている。

 どころが出来心から、カートレースみたいなののコースをカートに乗って爆走することにも手を出す。

 なぜか、この段階で、私が(カートではなくて)「単車を」趣味にしていることが久留米の父親にはじめてばれます。

 私は、「無駄遣い」をしているのではないかと責められるのかと覚悟しましたが、私の子供の頃はいつもバイクで外回りをしていた父は、「私にそれだけの単車の運転技量があるのか」という点のみに関心を持ち、レース場までやってきて(!)実地検分をはじめる......というもの。

 .......あまりにも私らしく、
 なおかつ私の父親らしく、
 そして今の私の状況と見事に「交差(crossing)」している、
 痛快な夢であった。

 そして、交通事故で入院したのをきっかけに、ぷっつりとバイクをやめ,経費がかかるのに,タクシーでの外回りしかしなくなった、父親の思いはどんなものだったかな.....と、連想をふくれませ、味わうだけで十分なのでした(^^)

Apple Store(Japan) Apple Store(Japan)


 実は昨日、父親と、「経営上の」重大な話し合いを電話でしたのも引き金になっているだろう。
 ......モチ、いい話です。

 経済的・事務的経験値のすこぶる高い父親が「経営参謀」というのは、幸せなことだと肝に銘じております(^^)

 

2007/03/20

日本人にとって、漢字文化の受容のほうが、西洋文化の受容以上に大きなハードルだったのでは?(第2版) -茂木健一郎さんの記事によせて(2)-

「ココログセレブ」の茂木健一郎さん特集、今回は後編についてです。

 現地の学者が欲しいのは、引用でつながる仲間意識ではなくて、日本発の発想や思想なんです。日本からしか出ないような、他とは異なる強烈な贈り物を欲しがっているというわけ。ならば僕は、贈り物を海外に届ける"輸出業者"に徹しようではないか、と思うようになりました。


 ここで茂木さんは「もののあはれ」のことを語り始められるんだけど、私はもはや「日本発の」という時に、「日本土着の」というニュアンスを帯びさせることそのものが不必要だと感じています。

 私たち戦後世代は、もはや欧米文化をある意味で空気のように受容して生きてきた。もちろん、それは、「本場ものの」欧米文化とは異質な、日本化されたものなのだと思うけれども、そういう「日本的欧米文化」というバックグラウンド自体ををしなやかに受容していい時代が来ているのではないかとも思えます。もう今更「切り分けられない」と思うんですよ。

 思わず、ベストセラー史に残るこの本(中学時代に読みました)のいう「日本教」のことを思い出したけど、ここで書かれていることを「前提としつつ」、同時にそれを「踏み超えて」もいい時代という気もするのです。

 どっちみち、日本人だけではなくて、アメリカ人だって、「アメリカ教」的日本理解しかしないという前提に立ったらどうだろう?

*****

 海外に行った人ならご存知のように、ファーストフードやファミレスにしたところで、外国では、日本と同じチェーン店の同じメニューでも、サイズも違えば味もまるで違う。

 外国でも、日本人からすればびっくり仰天するような、「似非『日本食』」ブームが広がっているらしい。

 そういう「欧米的『日本文化』」と、「日本的『欧米文化』」が、まさに茂木さんの言われる、『対称にした』関係で向き合うというのでいいではないか。

 早い話、中日にテスト生として入り、年収400万で契約した中村選手がスタメンに入れるかどうかということを応援するより、桑田投手がマイナーではなくてメジャーでベンチ入りできるかどうかを応援することで、前者より後者のほうが「格が上」なんだろうか?

 もう、「アメリカで」活躍していることがそれだけでステータスとして高いというより、たまたま活躍の場が「アメリカで」開けた、ぐらいの感覚でもいいような気すらする。

 「国際人」であることを気負う時代でなくなることこそが「国際性」という逆説もある気がして。

 「たまたま自分が相手をしたい人たちが、英語しか話せないので、英語も学ぶ」ぐらいの感覚のほうがいいのかもしれない。


*****

 いつも書きますけど、「英語力」と「読解力」って、全然別なものだと思ってます。翻訳書を通してだって、原書を読みこなす人よりも、英語圏の著作を深く理解していることなど、ありふれていると思う。そうでないと私はこの世に存在しない(爆)。

 フォーカシングの国際メーリングリストを読んでたりすると、

 「あ、あの、そんなことなんて、ジェンドリン、すでに1960年代に『主著(人格変化の一理論)で』書いてますけど?」

という域のことについて、少し前のジェンドリンのレクチャーで聴いて、まるでジェンドリンの新機軸のように感心していたりする書き込みがあったりもする。

 そうすると私は結構拍子抜けしたりもするんですね(^^;)

 思わず、

 「ああ、今の私が英作文自在に操れたら、ネット経由で海を越えて、いらぬ興ざめの横槍を入れていそうだな」

.....と。

*****

 まあ、それでも、フォーカシングの領域でも、アルタイ語族である日本語の文法(異説もあるが)だからこそ容易に表現できるフォーカシングの世界がある気がする。

 実は、「和漢混淆文」を平安時代に確立した時点で、日本人は、「訓読み」の「やまとことば」の世界と、「音読み」の「漢語」の世界を統合し、行き来するということによって、二つの「脳みその使い方」になじんでいた気がする。

 近代における西洋文化と西洋的な概念の受容と言うのは、実はその、平安時代にすでに体験した日本語の「革命」の「応用問題」に過ぎなかったという見方もできる気がする。

 むしろ、「漢語」的思考法と、「やまとことば」的思考法の間にこそ、脳の使い方にある基本的な飛躍があるのだというのが私の考えである。

 このあたりのことを、フォーカシングにおける、日常的な言語使用を題材として、ほとんどhow toの次元でまとめてみようというのが、私の今週構想している新記事の内容である。

 それは、記事として別立てにして、もう少し練りこんでからにします(^^)


*****


 このへんについての、茂木さんの見解をまるで知らない次元でのものなので、「トホホ、私の独り相撲か」に終わるかもしれない(^^;)


私の浜崎あゆみ関連 サイト上のガイドライン

1.歌詞の全文掲載はしない(部分引用でも、できるだけ大意にとどめる)

2.ファンクラブ会報およびTeam ayuサイトのクローズド・ページ「だけ」の情報を、少なくともその段階では「明示的には」掲載しない。

3.浜崎あゆみのavex以前の時代の画像や映像・録音に直接リンクがあるページにリンクしない。

 肖像権は原則尊重です。(私の「本部」サイトで、「ただ1箇所だけ」例外がありますが。私の携帯の待ち受け画像にも使わせてもらってます。何かすごくボーイッシュにかっこいいものだから)


 これは、トラックバックの受諾の場合にも適用します。

 ayuファンとしての交流を求めて、あるいは善意で送って下さる方のためにも、この点は明示することにしました。


 送ってくださった方、ありがとうごさいます(^^)v


TSUTAYA online

老いてはやさしく(第2版)

 実は私はアニメの「ゲド戦記」(←やっとはじまったDVD予約注文)観ないままなんですが、msn=毎日のこの記事には少し苦笑(^^;)


 吾朗氏が昨年、「ゲド戦記」で映画監督デビューしたことを、宮崎監督は自分への反抗ととらえ、「こんなことになったのは吾朗が5歳の時、仕事ばかりで付き合っていなかったからだ。二度と吾朗みたいな子をつくらないために」と反省の気持ちを込めているという。


 私は、村瀬孝雄先生、都留春夫先生という、壮年期までは厳しかったけど、老いては優しくなり,私のことをニコニコ観て下さる師に恵まれました。

 そのせいかもしれないけど、この逆のパターンをたどる老い方をする人って,苦手なんです。

 もっとも、宮崎さんは、壮年期にもすでに「やさしく、かつ、きびしい」方だったと思いますから、それを全うなさることとは思います(^^)


 私?

 これからは「角が取れて」いくだけと思いますが........(^^)


.....というか、人に傷つけられないための「やさしさ」ではなくて、もうひとつの「やさしさ」が身に付いて来ると思うのです。

(←楽譜だから、勘違いしないでね!!)

 「やさしさ」については、もはや古典というべき著作ですが、

 この本についての、エゴグラム・テストと関連させた拙論がこちらにあります。

 思うに、日本の「全共闘」世代以上の人たちって、戦後、実はほんとうの個人の権利や自由のことがわかっていなかったのかなと思うことがあります。

 だから、中年期を過ぎること、それまでの自分たちがやってきたことへの後悔から、性急に「自己否定」=「現在の壮年期世代のあり方の否定」に「転向」することがある。

 でも、ほんとはそこまで心配しなくてもいいとも思うんですよね。

 かつて日本代表を背負って自死を遂げた陸上選手がいました。

 しかし、今や、野球やサッカーやフィギュアをはじめとして、国際的に、たくましい、したたかな生き方をするスポーツ選手も、昔よりずっと増えてきました。

 ayuも海外に満を持して飛び出すし(^^)

 上の世代が思っているより、今の20-30代前後って、「したたかな強さ」を持ち始めているとも思うんですが。

 (その少し上の世代は、どうなんだろう????)


2007/03/19

みんなみんな生きているんだ友だちなんだ!! -茂木健一郎さんの記事によせて(1)-

 しばらく前に、たまたまWikipediaで見つけた「クオリア(Qualia 感覚質)」概念とフェルトセンスとの関連についての、とりあえずの私見を書いたが、この「クオリア」の研究者である茂木健一郎さんが、この@niftyココログの著名ブロガーのお一人とは、「ココログセレブ」で特集が組まれるまで存じ上げていなかった。

 ここでは、「クオリア」概念いついては、興味深いのだが、まだ不勉強なのでさておき、茂木さんのこの特集での発言の興味深かったところについて述べてみたい。

*****

 のっけから、

> 「固定リンク」。それがブログの大発明!?

という小見出しが立てられている。もうこれだけでうれしくなってしまうこういちろうであった。


 つまり、各記事ごとに個別のURLがつくかつかないか、ということです。掲示板で日記を公開しても固定リンクがないのでどんどん記事が流れていってしまう。アーカイブ性がないっていうのかな。つまり、それまでは僕自身も読者もどこに何が書かれているのかわかりにくかったんですよね。

 ブログにはコメントやトラックバックといった機能もありますが、一番の大発明は『固定リンク』という機能にあると思います。要するに、記事単位で互いにリンクを貼ることができるようになったということですね。その機能があったからブログに移行したんです。 


 そう、この「アーカイブ(書庫)」性というのが、ブログのひとつの持ち味なのだ。

 私は、ご覧のとおり、ayuからトムとジェリーからiPodオーディオからフォーカシングから現場臨床カウンセラーのあり方への愚痴まで、まったくノンジャンルに気ままに記事を書いている。ひとつの記事の中でayuとフォーカシングとアニメとオーディオ関連と歴史の内容が混在してしまうことなどザラである。

 もう少し細かく整理して述べた方が読者にわかりやすいとは時々思うし、

「いっそのこと再構築して、カウンセリングとフォーカシング関係のサイトとしてわかりやすく整理したほうがアクセスも伸びますよ」

.......と、あるマスコミ関係のプロの方から再三アドバイスいただいていたりもする(^^;)

 しかし、私は、確かにあるわかりやすさは必要だと思うし、余裕があれば、ジャンルごとに記事を分割して書こうと「これでも」努めているつもりなのだけれども(^^;)、それでも、

ayuとフォーカシングが同居しているからこそこのサイトなのだ!! 

という基本スタンスを変えるつもりはまったくない。

 私は、カウンセリングが、世間の日常と切り離されて論じられるのが嫌いだ。

 ましてや、フォーカシングが他流派や現場カウンセリングや独立開業カウンセリングの経営的現実と切り離されて論じられることなど、「論外」と思っている。

 なぜなら、カウンセリングは、ごく普通の社会の中で具体的に生を享けたひとりひとりの人が、その人なりに社会に「棲息する」(中井久夫先生ふうにいえば、「世に棲む」)あり方への援助以外の何者でもないからである。

 (中井先生の名作論文のひとつ、「世に棲む患者」は、中井久夫著作集(岩崎学術出版)第5巻収録だが、現在古書市場でも稀観本のようである。たいていの大学の心理臨床系大学院のある図書館に在庫とは思いますが)

 今、「棲息する」という言い方をしたが、これは決してカウンセリングの対象になる人たちを差別しているつもりはない、私なりの用語法である。

 それこそ、私自身もまた、地球に「棲息」し、「寄生」している一個の生命体に過ぎないという認識の上で用いているつもりだ。

 そういう「棲息物」全体への大いなる連帯と共感と同族意識の上に成り立つものなのである。

 つまり、私は、野良猫や溝鼠やボウフラにも、浜崎あゆみやマドンナに対するのと同じ連帯意識を持つ(^^)

 それは「どっこい生きてる」ということなのである。

 これを読んでいて、

こっちではなく、

こっちを連想してほしいのだけれども(.......ああ、いつもながらのひねくれた衒学的なマニアック変化球( ^ ^;A

 ちなみに、私はかつて「ぽんぽこ」の舞台になっていた町田市町田回廊の山の中の某大学に勤務し、裏道で実際に行き返りに狸ばかりか狐や(恐らく捨てられた)フェレットとも遭遇していたのだが(最近は猪がでるそうで)、それは置いといて。


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 実はこの「どっこい生きてる」ネタは、まさにこの記事を書き出してから思いついた「即興」である。

 こうした「即興」で、当初書こうとしていた内容とはまったく別の方向に思考が膨らみ、タイトルまで変えてしまったりすることは、私の記事ではごくありふれている。しかもそれが、当初書きたかったことを見失ってしまう(missing)のではなく、たいてい当初の構想を統合しつつ、より進んだ内容に再統合することへと現在進行形で結びついていく。

 この種の、ハプニングをすべて生かしてしまう「ライブ性」こそが、どうも私の発想には欠かせないことのようである。

 そもそも、そういう「ライブ感覚」がなければ,現場カウンセリングは成り立たない。


 その意味で、ブログという媒体の即時性は、私にとっても重要だ。

 そして、頭の中のアーカイブの検索が自動的に始まり、

「そうか、このことについては関連事項もすでに書いたな」

.......と思い出し、茂木さんの言われるがごとく、とっさに「相互リンク」を張ってしまうわけである

(.......こうして、ちゃんと話の脈絡は見失わないのであった.....(^^:A


 それをフォーカシングでは「体験過程の推進(carry forward)」というのだが、これまた脇に置いといて。


*****


 コメントを読んだり、トラックバックをたどっていくと自分の勉強になることが多いんです。10人が僕のブログを読んだとすれば、その10人それぞれの異なった読み方になるんですよね。たとえば作家の村上春樹さんは、『読者が自分の作品を読んで誤読されたものの総体が自分の作品なんだ』と言っています。ブログの場合は誤読とまでは言いませんが、自分の日記がさまざまな形で読まれることを知ることにより、刺激を受ける。

 
 私のayu関連記事について、

「ここまでくるとayuへの片想いのラブレターだ。関係者や本人に取材してみようとしたことがあるのか」

.......というご意見もいただいた(^^;)

 しかし、私はそういう「片想いの思い込み満載」の文でどこまでいけるかにチャレンジしている(爆)

 ....というか、もし仮にayu自身(ないしayuスタッフ)がこのブログの記事を読んで下さっても(最もラディカルなayuサイトの一つを自負してますから、少なくともavexの「ネット監視担当者」の探索網には引っ掛かってると思う)、まさにそのような「勝手な思い込み」が書かれていることこそ、ayu(スタッフ)は面白がってくれるだろう確信しているからである(きっぱり)

 だって、

(.....この、「だって、」の時点でこの先を予想できた読者は、かなりのayuファンですが、きっと何人かいるよね)

ayuは、

「自分が絶望を歌ったつもりのところに、
君(聴衆)はきれいな花を見つけたりする」

高らかに歌い上げているからである!!

浜崎あゆみ - I Am... - Flower Garden"flower garden"

 思い込みの危険を冒さないところに理解の糸口などない。こちらも参照)

 思い込みを避ける人は、実は「知ったかぶり」に「安住」しているだけだ。

 「脱錯覚(disillusion)」のスリルこそ、生きることの醍醐味である!!


 もとより、それが自分が傷を受けるだけならともかく、相手に傷を追わせないように努めるだけの思いやりは必要と思ってますが(^^;A

↑この脈絡でこの作品を紹介すな!! という声が聴こえて来るかもしれませんが、原作、傑作だと私は思ってます。まだアニメ版は観てないのですが。この作品を「マジに」けなす人より、「アブナいなあ...」と言いつつも、「心から」爆笑できる人の方が、私はオタクとして好きだなあ.....)


****


「もし夏目漱石が生きていたら、彼はブログを使って小説を書いていたのでは?」

「ブログというのは『不特定多数の読者への贈り物』であり、誰もがそういう意識で書くべきだと僕は考えています。有名人のブログなどでよく見られるのは、片手間に書いているような文章だけど、『もっと本気で書いてほしいな』と僕は思いますね。多くの人はブログというものを甘く見ている気がします。そんなに甘いもんじゃないですよ、ブログというものは」

 全面同意!!


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 .......と、ここまででかなりの長さにもなったし、茂木さんについての記事の前編と後編でトラックバックを分割するとちょうどいいので(^^)、こちらも前編と後編にしてしまいましょう。

 まだ、未読なんですが、茂木さんの著作や関連グッズ(監修されたもの)もここで紹介させていただきます:

脳とクオリア -なぜ脳に心が生まれるのか-

脳を鍛える!パソコンでできるみんなの脳力トレーニング

「やわらか脳」

脳に快感 アハ体験! (PSPゲームの監修)

「ひらめき脳」

茂木健一郎のモーツァルト・モード (CD監修)

プロフェッショナル仕事の流儀(6)


 私の専門とももろにかぶりますので、寄り道せずに、これから、まずは「脳とクオリア」を読んでみようかと思っています。

2007/03/18

再び、菊川玲とayuと宇多田ヒカルに登場いただくと.....

 先日菊川玲と浜崎あゆみの類似性について書いたばかりだが、msnの見出しで、菊川玲が、連載「何しろ仕事好きなもので」の第3回に登場していたことを思い出させてもらった。読んでみたら、すでに読んだ記憶がしっかりあった(^^;)

自分に課すハードルをあまり高くせずに、そのときどきの自分に合わせて頑張ればいいんじゃないかな。

 結局、自分の心をどれだけ満足させられるのかってことに目標って直結してるんですよね。だから、周りの人から見たら「どうして?」って思うことでも、達成したときに本人が気持ちよくて、幸せならばそれでいいんです。それが、生きるってことなんですから。

......これだけ読むと、ありふれたインタビューの応答にも見えたが、今の時点で読み返すと、少し違うニュアンスで読み込める気がしてきた。

 なるほど、彼女はものすごく要求水準が高く、現時点では男性と恋愛する心の余裕もないままなのかもしれない。

 それを、傍から「そんなことだから彼が出来ないのだ」とばかりいうのは、余計なおせっかいかもしれない.....とも思えてきたのだ。

 彼女は、理想が高いといっても、性急なのではない。非常に長いスパンでものごとの成り行きを捉え、自分が出来る範囲のことを、自分が納得がいくように積み上げることに関心があるのだろう。その結果、「いつ」「何が」「どのような形で」結実するかは神のみぞ知るでいいではないかと。

 恐らく、男性との出会いに関しても、そのように自然な流れに任せているのだろう。その時の自分が、今の自分とどのように変化していて、何が出来るようになっているかもわからない。それならば、その時になって何が「縁」で、誰と、どういう出会いになるかどうかもわからないではないかと。

*****

 そういえば、宇多田ヒカルと紀里谷明氏の離婚に関して、msn=毎日の記事で、


「(紀里谷氏が)孤独みたいな私の像を救おうとしてくれた。でも結局、私は救われようとしなかった」

「彼の理想は(公私ともに)一体化することで、でも私はそうじゃなかった」


という彼女の雑誌での発言が引用されているのが印象的だった。

 
 私はどっちのタイプかといえば、「公私共に一体化」することを望むタイプではないかもしれない。ヒカルと同じ「一人っ子」でもあるが。

 過去を振り返るにつけ、実はこの点がひとつのポイントだったのかなあと、思わず思い返してしまう(--;A

 ただ、ひとつだけ以前の私と今の私が違うのは、もはや昔のような意味での劣等感のとりこではなく、自分のありかたと路線にそこそこの自負を持ち、手ごたえを感じているということだろう。

 もちろん現状のままでいいとはまったく思っていないのであるが、それはもっぱら「稼ぎがまだまだ」という非常に現実的な視点からの課題であるに過ぎない。それも、1年前に比べると倍以上のお客様においでいただくペースは安定した。それでもまだ採算ペースに届いてはいないのだが、なぜ1年前よりお客さんがぐっと増えたのかは、自分なりにその理由に気がついているつもりである。

 はっきりいうと、「コネクション」や「宣伝のあり方」とは無関係である!! このブログを読んだことがある人すらお客様の半分未満なのだ。

 では、その「理由」とは何か? ......これは、ここで言葉にしないままの方が、自分への戒めとして、ふさわしい気もするので、今は敢えて明言しないでおきたいが。


*****


 あとは、片意地にならず、自分の視野に入ってくる、別の領域を含めた、さまざまな人たちの生き様へに刺激を受けることにオープンでいられるかだろうかと思う。

 再び菊川さんのインタビューに戻ると、

 でも、ドラマや番組で共演した出演者の方はもちろんですが、裏方で働いているスタッフの皆さんはいつも輝いて見えるんですよ。充実感が顔に出ているっていうか、仕事をすごく楽しんでいるのが見て取れる部分があって。

 カメラマンさんだったら、どのアングルで撮ろうかって話し合いながら、それぞれの役割をキチンと果たしているでしょ。そうやって、年齢も性別も関係なく、仕事に真剣に取り組んでいる姿を見ると、すごく素敵だなって感じます。

 これ、社交儀礼ではないと思います。

 それこそメイキングなどでみられるayuのふるまいをみていても(madonnaもそうなのだが)、自分を支えるスタッフたちからの刺激と支えがあっての自分だということに驚くほど謙虚な面がある。

 「自分にないもの」を持つと感じた他者について、素直に「うらやましく」思え、何らかの意味であやかりたい、あやかれなくても協力や受けた刺激に心から報いたいという思いを失わなければ、人とのつながりも自然と広がる。そんな気もする。

本日はアクセスカウンターの反映が遅れています。

 おそらくココログ管理サイト側が何らかのメンテナンスを行っているものと思いますが、現在私のブログでは、アクセスカウンターの反映が約4時間遅れています。

 本日は17時台までに178アクセスいただいております。誠にありがとうございます。

先週の人気記事ベスト20!!(07/03/11-17)

「カウンセラーこういちろうの雑記帳」週に一度の恒例、@NIFTYココログの、日曜日-土曜日の「週ごと先記事別アクセス解析機能を使っての、先週の記事アクセス「ベスト20」の発表、36回めです。

 固定リンクでのアクセス率の順位から集計しています。アクセス数が同じ場合には、訪問者実数上位の記事を上位とし,訪問者実数も同じ場合にのみ、同じ順位として掲載します。
 7×24時間、つまり3/17日(土)24:00の時点での集計です。

 それでは発表!!

 先週の一週間の総アクセス数、延べ2,288(前回2,056)。(一日平均アクセス326.86。前回297.31)と、一気に、久々の一日平均300アクセス回復!! ありがとうございます!!

 訪問者実数は、1,666名様(前回1,565名様)と、これも大きな伸び!!

 「サイト内移動」、前回406(33.2%)に対して今回561(39.8%)。
 「トップページへの外部からのアクセス」、前回523(42.8%)に対して、今回563(40.0%)。

全体としての上昇傾向は十分維持です(^^)

 そして、当ブログの「一限さんでない率」、これは同じ人が一度に「何ページ」記事をお読みになったかと無関係な訪問者「実数」比に基づくもののようですが、7回連続8.2%。

 「訪問周期」は、毎日おいでになる「完璧常連様」は前回10名様、今回は11名様。この数値は最近10名様と11名様の往復状態。小数点以下の攻防でしょう。

 それでは記事別ランキングの方の発表!!
 やっと山が動きました!!


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1.「カウンセリング」と「身の上相談」の違い NEW!

2.欝とは、自分が無理をしていることを認識できなくなる時期にすでに始まっている(→)30週連続

3.インシュレーターは使わないに越したことはない(↓) 29週連続

4.自分を見つめ、味わい直すために携帯写真を撮る.......「投影法」ならぬ、「風景取り入れ法」? NEW!

5."cord of love" -ストーカーの加害者と被害者の間の相互作用的悪循環- (第4版) NEW!

6.先週の人気記事ベスト20!!(07/03/04-10)

7.私のピュアオーディオシステム(そこに更にiPodをどう繋ぐか) (↑)8週連続

8.今週の「地上の星」候補? NEW!

9.「退屈」こそが生きるエネルギーの源である。 NEW!

10.オーディオにおける接点復活剤について(↓) 12週連続

11."The Best of Best"="part of Me"(↓)

12."Is anyone listening?"(Madonna:"The Confessions Tour") NEW!

13.「ケーススーパーバイズ」とは何だろう ~入門編~(↓)10週連続

14.「2007年3月」のバックナンバー NEW!

15.最近、何かayuへの心の動きが.... NEW!

16."Ayuは「スゴうす」"って...... (↓)

17.「臨床」 NEW!

18.私のスーパーバイズ ~実践編~ COME BACK!!

19.浜崎あゆみと菊川怜の共通項(↓)

20.君に出逢えたことは、きっと最初の奇跡 NEW!


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 今回の「予想外の、やっとランキング入りした、なつかしの初期記事」......ベスト20入りに「年単位」の雌伏が必要だった記事=「今週の『地上の星』」は、自分でプッシュして情報操作した甲斐があり(^^;)、5位に入賞しました。

 今回は、先週のこの連載記事で予告したすべての内容について記事に書けてしまうという,たいへん消化率のいい週で、しかも狙った記事がみな期待に応える成果をだせたことにほっとしています(^^)


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 ただ、正直に言って先週は、浜崎あゆみの"A BSET 2"発売時効果みたいなもののピークは週前半で終わり、週後半にはすでにアクセス数がじり貧になってはいます。しかし、平均200アクセスから300アクセスへの短期での増加の効果は十分持続し、容易にこの水準は落ちそうにない状況です(17日土曜289アクセス)。

 .....先程述べたように、これで記事はほぼ「予定消化」となりました(え? ayuのコンサートの分析の最終回がまだだって? 一応あそこまででも,私のいいたいことはほぼ伝わっているとは思うけど......気が向けば完結させます)。

 カウンセリング系では、9位の「退屈論」系の新作がもうひとつ週末に来るかもしれません。そして、フォーカシング関連で初心者の援助的専門家向けの「あっと驚く徹底how toもの」を構想中。映画は、DVDで観た、少し前の歴史物とSFものが候補になるかもしれません。

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 これを書いている「今、この瞬間」(3/18 AM 02:10)までの当ブログ文章記事の延べ総アクセス数)は、139626、フォトアルバムを含めると160770、ブログの通算記事数はこの記事で731本めです。

 今後とも、「カウンセラーこういちろうの雑記帳」を、よろしくご贔屓(ひいき)に、お願い申し上げます。

HMVジャパンApple Store(Japan)

2007/03/16

ベートヴェンの「運命」交響曲にもろに影響を与えたフランス革命期の作曲家がいた!!

 随分先延ばしになっていた、マリー・アントワネット関連の最後のネタです。

 ウェルサイユの調べ ~マリー・アントワネットが書いた12の歌 [池田理代子(ソプラノ・朗読・ライナーノーツ) 蒲谷昌子(ピアノ) KKCC-3010]

 「ベルばら」の原作者、漫画家の池田理代子さんが、1995年に音大に入りなおして声楽を学び、今はオペラやミュージカル、コンサートの舞台にも立つソプラノ歌手としても活躍していることをどのくらいの方がご存知だろうか? 

 完全に「余芸」の域を超えているのである。漫画家として功なり名を遂げた後の第2の人生の歩み方として、きわめて興味深いものがある。虚構の世界を超えて、現実の世界でステージに立つというところまで突き抜けるのは、並大抵の努力ではなかったはずである。

 彼女は、2005年末に出したこのCDで、マリー・アントワネット自作とされる歌曲12曲の歌唱と、ボヘミア出身で革命直前のフランスで活躍した作曲家、ドゥセクの、朗読つきピアノ組曲「マリー・アントワネット処刑」の朗読を担当している。

 マリー・アントワネットの歌曲は、すでに海外にも多少の録音はあったが、12曲もまとめてというのは世界初だったらしい。池田さん自ら執筆のライナーノーツによれば、不慣れなフランス語の歌唱の習得を含めて、さまざまな協力者を得て、万全の体制でこの企画に臨んだようである。協力者・指導者への丁重な謝辞が個別に列挙されているのも、慎ましい謙虚な姿勢で、たいへん好印象である。


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 さて、マリー・アントワネット「自作の」歌曲といっても、メロディから伴奏まですべてアントワネット自身が作ったというわけではなく、お付きの音楽教師による「大幅な補作(^^;)」を経ているのは間違いないようである。もとより宮廷でこれらの曲の何曲かを歌手として披露した可能性はあるらしい。

 もとより、アントワネットの「音楽教師」というのが半端ではない。グルックという、古典派を代表するオペラ作曲家である。グルックはアントワネットのオーストリア時代から、フランス時代にまで親交があり、何と、母マリア・テレジアとマリーの間の往復書簡の伝達者として頼まれたこともあるらしい。そして、フランスの歌劇界を巻き込んだ「ブフォン論争」といわれる、様式上の対立に、当然グルックの後ろ盾となったアントワネットが与えた影響は芸術史上に残るものとなった。

 ひょっとしたら、マリー「自作の」歌曲の中のどの曲かが、グルックの補作を受けていることは大いにあるだろう。今日、2,3のオペラとその序曲、バレエ音楽、そして、そうした挿入曲のひとつだった、フルートをソロとする「妖精の踊り」以外はほとんど聴かれなくなった作曲家だが、私の手元にあったバレエ音楽集(↓)の様式と比較しても、その可能性は結構ある気がした。

(追記:ちゃん今も売ってた!!)

 そこには、モーツァルトからベートーヴェン初期のころの、古典派の音楽語法が、実に「堅実に」反映されている気がするのである。裏を返すと、そこには、モーツァルトやベートーヴェンのような天才的な閃きはない。でも、古典派様式に熟達した「音楽教師」なら、当然こういうスキルを習得していたはずと感じさせる「堅実さ」はあるわけである。

 だから、確かに歌詞はフランス語なのだか、ちょっと聴くと、むしろドイツ古典派のような様式感の曲が多いことになる。しかし、モーツアルトがパリへの演奏旅行で、フランスの音楽様式に大いに触発されていたり、ハイドンがロンドンに渡って成功を収め、オペラとなればイタリアの作曲家がドイツ・オーストリアでもフランスでも大きな影響を振るった時代である。この前書いたように、ヨーロッパに民族主義と国家主義の潮流が鮮明になるのはまさにフランス革命を通してである。ヨーロッパの王室や貴族社会はみんな「親戚同士」みたいなものだった。その後イメージされるような「フランス的な」音楽というものは、当時まだ成立していないともいえる。

 ただ、ここに収録されている「マリー・アントワネット自作」とされる歌曲の中に、何曲か、アントワネット自身まったく「感知しない」、それどころか彼女の処刑後の時代の作品としか思えない様式のものも含まれているのも確からしい。つまり、「贋作」されたか、あるいは「この曲はアントワネットが作った」という「伝説」が自然発生的に後から形成されたものもありそうとのこと。そういわれると確かにそのようにも聴こえてくる。

 私はフランス語歌曲は苦手なので、十分な評価ができる立場にないかもしれないが、池田さんが十分すぎるくらいの下準備の元に周到に録音したであろうことは伝わる演唱の水準だとは思える。一部、歌いにくそうな部分があるが、曲そのものにぎこちない無理があるためとも思える。

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 さて、後半は、ドゥセクの朗読つきビアノ組曲だが、アントワネットが投獄されてから処刑されるまでの9つの情景を、ナレーションをはさみながら9曲つなげたものである。(ドゥセクは革命前の、アントワネットを含む王室との親交を理由にフランスには居づらくなり、イギリスに活動の拠点を移し、アントワネットの処刑の直後にこの曲を作曲している。つまり典型的な「王党派」とみられていたということになる)

 だたしこの録音では、ナレーションをすべて「ベルばら」原作の該当シーンに置き換え、池田さん自らがアントワネットに扮して朗読している(当然日本語)点に特徴がある。池田さんの朗読は、むしろアニメのオスカル役の田島令子さんの声に近いタッチとも受け取れるが、なかなかうまい気がする。

 こうした、標題音楽的な器楽曲は、当時決して珍しいものではなかった。ベートーヴェンの「田園」交響曲からして、実は類似の「田舎の生活」をテーマとした表題音楽がすでに山のように作られていた中で作曲されたので、発表当初「ああ、またこのパターンの曲か」と、さほど人々の注目を引かなかっただけである。

 曲想は、まるでベートーヴェンの頃の古典派音楽を「堅実に」学んだ作曲家なら、このように表現するだろう、といいたくなる、古典派的であり、適度にドラマチックな書法である。ベートーヴェンやモーツァルトが「超Aクラスの」somethingを持った大作曲家として歴史に残るには、このような類似の書法の「Aクラスの」作曲家.....ただし、後世はあまり聴かれなくなる.......が、同時代にはたくさんいて、人気を博していたとみる方が自然なことのようにも思う。

 つまり、すべてをモーツアルトやベートーヴェンが作り上げたわけではなく、同時代の曲から多くを吸収し、さらに時代を突き抜けた「何か」をそこに含ませられるかどうかの違いが、後の時代にまで「天才」と呼ばれるかどうかの違いであろう。

 モーツァルトのピアノ協奏曲第24番ハ短調の終楽章の変奏曲には、明らかにロマン派の先触れのにおいがして、変奏のひとつが、「ラ・マルセイエーズ」に似ていることはよく知られている。そしてこの曲は、20番の二短調協奏曲とともにベートーヴェンにも愛され、自身のビアノ協奏曲第3番ハ短調(私の大好きな曲である)に深い影響を与えている。彼らもフランス革命時代の空気を吸っていた時代の子であり、なおかつそれを超えていたという「だけ」のことともいえるだろう。


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 しかし、そうした「Aクラス」どまりだった同時代の、今日ほとんど演奏されない作曲家の中にも、

 「あ、あの。この人がベートヴェンにもろに影響を与えたということぐらい、もっと振り返られてもいいでしょ?」

という域の人が確かにいるようだ。

 フランスの作曲家、メユール(Méhul)がそうである。

 1763-1817の生涯であるから、ベートーヴェンの1770-1827からすると、わずか数年の「先輩」である。1756-1791のモーツアルトからすると、わずかに後輩。

 特に、この作曲家の交響曲第1番と第2番が、ベートーヴェンに「もろに影響を与えた」可能性というのは、たいへん興味深いテーマである。

 こういうマイナーな作曲家となるとレパートリーが豊富な、上記の香港ナクソス・レーベルのCDを今回初めて聴いてみたのだが(わずか1000円!! ただ、入荷に時間がかかった。それがこの記事の遅れの主要な原因である)、誰もがこの2曲を聴くと唖然とするはずである。

 まず第1番。第3楽章の舞曲楽章はテンポが速めで実質スケルツォなのだが、主部がすべて弦楽のピティカートで演奏される!! トリオ(中間部)の、上昇する小刻みな音階中心の部分も、何とはなしにどこかで.....そう、ベートーヴェンの交響曲第5番「運命」第3楽章である。

 さらにショッキングなのがこの曲の第4楽章である。あの「ミミミドー」の「運命の動機」そのものが聴こえるどころか、それが執拗に繰り返されて展開されていくあたりは、「運命交響曲」の第一楽章をどうしてもイメージさせる

 ただし、それが、まるでモーツァルトのト短調交響曲(第40番)のような、やや女性的な、「疾走する悲しみ」として、「なで肩」でセンチメンタルに展開され、ベートーヴェンのような「剛性のあるダイナミックな伸縮体」としての性格を持たないだけである。

 この第一交響曲そのものが、ソナタ形式として非常に構成的にしっかりした第一楽章をはじめとして、ハイドンやモーツアルトの古典派様式を非常に「堅実に」身に着けた上で、革命期のフランスにしかなかったであろう、ある独特の情緒性とロマンチックさが匂いたつという点では、むしろ少し後のウエーバーやメンデルスゾーンの先取りとすらいいたくなるところがある。

 実際、この曲を再発掘して「再初演(?)」したのは、ゲバントハウスでメンデルスゾーン指揮によるものであり、メンデルスゾーンと朋友シューマン自身が、ベートーヴェンの第5交響曲との類似に注目する発言をしている。

 交響曲第2番の方が、明朗な曲想で、ハイドンあたりとの近縁を感じさせるが、第1楽章の冒頭の序奏の音階上昇は、それこそベートーヴェンの、第7交響曲の第一楽章の序奏の先取りにも聴こえ始める。更に、終楽章の冒頭が、ティンパに独創による4つの音の連打で幕を開ける際の響きは、ベートーヴェンのバイオリン協奏曲の第一楽章の冒頭を髣髴とさせる......といったぐあい。

 ただし、ベートーベンの第五交響曲とメユールの第1交響曲は、何と同じ1808年に作曲されている!! どちらかかどちらかに影響を与えたというには作曲時期があまりに近すぎるので、共通の音楽背景のもとで独自に発展させていった結果、「結果的に似てしまっただけ」という可能性は否定できないらしい。

 でも、第3番、「英雄」交響曲にみるように、ナポレオンのことをあれだけ意識していたベートーヴェンである。すでにフランスの音楽院で大物教授の一人として名声を博していたメユールについての最新のいろんな情報が、フランス革命の進展の情報とともに、どんどんベートーヴェンのもとに入っていた可能性は、決して低くないだろう。

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 しかし、メユールの交響曲は、少なくとも国際水準でいうと、ウェーバーやメンデルスゾーンの地味目の管弦楽曲曲以上に演奏会のレパートリーに乗らないままである。シューベルトの初期交響曲(←愛聴版)ほどにも知られていない。なぜそうなったのか???

 私には、メユールが「あまりに堅実すぎる作風だったから」としか言いようがない。シューベルトの初期交響曲のほうが構成力という点では弱い曲もあり、学生やアマチュアオーケストラでの初演などという地味な形でしか生前は知られていなかったのは確かだが、ちょっと凝った前期ロマン派の管弦楽曲好きには、なくてはならないチャーミングで魅力的な作品群であることは確かだ。メユールはそこに「何か」が届かない。シューベルトだと、いうまでもなく、メロディーのはちきれんばかりのチャーミングな「歌う」魅力で勝ってしまうということになる。

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 繰り返すが、今日も演奏されるレパートリーに残るか残らないかを決めるのは、"something"の有無というしかなく、実は同時代には評判が高かった、似たような作風の、非常に熟練された作曲の腕を持つ「Aクラス」作曲家がたくさんいるという背景がなければ成立しなかった、ということは、音楽に限らず、さまざまな歴史を振り返る上で忘れてはならないことだとつくづく感じたしだいである。

2007/03/15

"Is anyone listening?"

「みんな口だけじゃないの!!」

彼女は叫ぶ。

背後には世界中の政治家たちの映像が、「話し続けるのをとめられた形で」映し出される。


"Don't....... speak........"


そして、"Sorry"が歌われる時、

彼女のメッセージは明確に、これ以上明確さがありえないほどに、ステージから伝わるのだ。


映し出される、

"Is anyone listening?"

の字幕。


これには参った。


彼女の繰り返し誇示する、あの猛々しいまでに魅惑的な美しさの恥丘以上に(^^)


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「私、いつも友達の中で、話の聞き役、相談を受ける役にまわっていて、自分でも聞き上手だと思うんです。だから、カウンセラーに向いていると思うんですけど」

.....ああ、この20年、何回聴かされたことだろう.......


........違うんだけどなあ。

 天性の聞き上手は、カウンセラーに「向かない」と言わないまでも、本当の、カウンセリング的な人の話の聴き方を身につけるのに、実はすごく苦労する運命を荷なっているのに。

 逆に、私のように(爆)、実は人に話を聴いてもらいたくてしかたがない人間の方が、「カウンセリング的な聴き方」をすごく意識的に学ばないとならないので、一度break throughすると、ことの本質に気づきやすいのではないかと思う。


 私は、人に「気を使って」話をしてもらわないと、すぐに「傷ついて」しまうような、日本のカウンセラー集団の、得てしてありがちな現実が、はっきりいって大嫌いである。

 自己主張的な文化をベースに持たなかった日本人のカウンセリングが、すぐに何か変な矮路(わいろ)にはまり込むのも、仕方ないのかなと思う。

 カウンセラーに、クライエントさんの方が「気を使っている」という、変なありように。


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 その点、Madonnaは見事だ!!

自己主張的でないと生きて行けないアメリカ社会で、


  "Is anyone listening?"


と訴えるのだから!!


Madonna : The Confessions Tour(DVD+CD)


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 これが、この前の記事の、私なりの、答えなんですが(^^)

 ちなみに、msn=毎日のこの記事も参照(意外なリンク?)


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 ちなみに、Madonnaについて私がこのブログで言及するのは確かはじめてですが、実は私、ayuよりずうーっと早く、Madonnaには親しんでいたりして。ほぼ「同時代」でしょうね(^^)

 この人も、ayuと同じで、声が随分「胸声」から「腹声」に移行していたんですねえ.....しかも、アンコールでやっと、昔の「胸声」に近い声使って、観衆を喜ばすなんて、もう、余裕というしかない。

 でも、若いよ!! 昔よりも素敵でないかい?

 そして、圧倒的なショーマンシップと、メッセージの直裁な訴えの強さ。ダンサーと演出のクオリティ。観ていて呆然とします。

ただ、この3枚で止まってました。だから,ブランク大きかったんですけどね。

 なお、"Sorry"は、このアルバムに入ってるみたいですね。未聴ですが。

iPodにも、「初號饑」からすでに,入ってます(^^;)

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 ayu様、今頃、騎手のカッコして、男にまたがってたり、よっちゃんに代わってステージの中央でギター弾いてたりしませんよね(^^)

 偉大なる「おばさま」ですよね。


(みゆきを「お姉様」にしたので,今後こう呼ぶことにします。

結婚歴も

「日米恐怖の年齢不詳女性シンガーBig3」

のなかでだたひとりあるから、これでいいでしょ?)

HMVジャパン

「きょうはもう一発いくぜエ!!」

.......これじゃayuのライブのアンコールのノリみたいになってしまうが(^^;)


 皆様、今日は経理にかけては筑後随一だった私のお父様の「年に一度の稼ぎ時」、私を食べさせて下さる収入の大半がこの日までの怒濤のようなハイパーエネルギーの事務処理能力を駆使した「決戦」にかかっていた「確定申告」の日でした。

 私は、もちろん父に早くから催促されるまま書類や会計データを整理・作成し、久留米の実家に送りまくり、ほんとうにささやかな(ささやか過ぎるってンだ、まだ)還付が確定しております(^^)

 こんなことではならないのだと、身の程をわきまえております m(_ _)m

 (.......などど書いておかないと、森進一のご師匠さんみたいに「変節」されても困る)


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 ......というわけで、この後に「大物」記事を、あと2,3時間で掲載できるでしょう(^^)


「みんな、私の歌、もっと聴きたいイ?」


......これ、ヒントですが。

こうして、「隠し球」が登場する。


当然、ここまで予告しても、前の記事並みの「ジャイロボール」でまいります(^^)

「退屈」こそが生きるエネルギーの源である。

msn=毎日の「日本ファッション・ウィーク:タイクツは幸福だ」を読んだ。

.........などと、私がファッションネタを書き始めると、驚く人もあるかもしれないが、まあ、読んでみて欲しい。


 退屈はいいことだ−−。東京コレクション注目ブランドのひとつネ・ネット(高島一精)が、今シーズンも”キモカワ“ワールド全開のショーで魅せた。仕事に学校に家事……繰り返される「退屈な日常」も、裏を返せば幸せな証し。そんなメッセージをネ・ネット流のユーモアにくるんで表現した。

 ネ・ネットの会場は、顔のない不気味な人形「タイクツくん」がずらり。モデルが歩くのに合わせて首を振る凝った仕掛けだ。服には「退屈」のモチーフが満載。体が前傾するようなケープは、つまらなそうに下を向くポーズから。パッチワークは、四角や三角のピースを組み合わせて形を作る暇つぶしゲームの柄だ。袖に量感と丸みをもたせたジャケットなどしっかりトレンドのシルエットもおさえ、巧みに高島が目指す「日常着」に仕立てている。


.......これだけ私らしからぬ「用語」が並ぶと、それだけで、ネット検索で、偶然私のブログにたどり着く新規読者層が開拓できるかなと苦笑したが、それを狙ってるわけではないので念のため。(^^;)

......それに、私はayuのファンになることによって、女性のファッションやメイクについての「審美眼」を急速に鍛えられたようにも思わなくはない。

それは置いといて。


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 私は「退屈」という言葉が好きなのである。

 「つまらない」という言葉は、やまとことばであり、より感性にヴィヴィッドに響くので、更に好ましいと思う。

 このように思うきっかけは、次の通りだった。


 若い頃、私は、自分のことを「無気力で怠惰な」人間だと思っていた。ものごとをはじめるのが億劫で、やらねばならない課題に手をつけるのが遅い。

 ずるずると始めるのが遅れ、ぎりぎりになってとりかかると、今度は、手抜きしたり、程よいそこそこの水準で、あっさり仕上げるということができない。もの凄い熱中とのめりこみで、自分のイメージした通りの仕上がりになるまでやらないと、私の中の「何か」が決して私を許してはくれないのである(^^;)。それは、苦しくはあるけれども、異様な充実感に満ちたひとときとなる。

 私は、自分の中の、「熱中」「没頭」と「怠惰」「無気力」「億劫」の落差に振り回されていた。

(その点からすれば、このブログ、記事を書くペースがよくもまあここまでコンスタントに安定して来たなとも思う)


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 ところが、ある時......恐らく、24,5歳の頃である。

 無気力と怠惰と億劫さの泥沼の中で、私はある日忽然と気がつくのだ。

 「私は『退屈』だったんだ」

と。

 この時から、私の中の何かが変わり始めた。

   要するに、
   ものごとを、
   「退屈にならない」やり方でやればいいい。

   あるいは、

   「退屈だ」ということは、
   今はこれを、
   少なくともこのままのやり方では
   やりたくないということ。
   
   そのことを今、
   無理して始めるのではなく、
   「退屈に感じない」事柄からはじめれば、
   それでいいではないか。

  「退屈」という感覚そのものの中に、
  ものごとを、
  自分が納得いく、
  充実感のある形で、
  自分にとっておもしろくなるような形で
  進めたいという
  「秘めたる思い」と、
  それをどうすれば実現できるかの方向性についての
  「嗅覚」のようなものが、
  すでに
  暗黙のうちに含まれて(imply)いる。


......そのことに気がついたのである。


「好きなことしかやらないでいいのか?」

という声もあるかもしれない。


 しかし、私には、この段階で、ある確信があった。


  好きなことから徹底的にやって行けば、
  じきに、それに「退屈する」時が来る(爆)
  
  そうなると、それまで興味がなかったことが、
  順送り式に(^^)
  「興味深く」感じられて来る筈だ。


.........こうして、今の私が形成されたわけですね(^^;)

 ものごとへの関心領域の幅がむやみと広くて、思いもよらないジャンルを次々と関連づける才と蓄積に恵まれた、理論にも技法にも強く、しかも自分の流派にとらわれない、「現場」カウンセラー

.......なるものが(^^)

 残りは、英会話力だけだが、恐らく、これから2年後の日本での国際会議という「締め切り」が迫って来たので(爆)、私の中の「何か」が私を許さなくなるはずである。

 気がついてみたら、もともと潜在力があった、世界史への関心を「再賦括」することによって、要するに「世界の人たちが何に関心を持って、どのようにとらえ、具体的にどう生きて来たか」についての網羅的関心の方を先に高めたというのは,私の場合は全く無理のないステップの戦略(といっても,仕組んだものではないが,結果的に)だったろう。

 要するに、英語使って、何を話題にして、何話すの? という点で、動機づけが必要ではないか?

 (こういちろうが現段階で国際会議招聘することに一番積極的なひとりだったというのは、実は自分の英会話力を高めざるを得ない状況を引き寄せたかったがための「壮大なわがまま」なのかもしれぬ)


*****


 それはそうと、「退屈」の話に戻ろう。

 すでに先ほど書いたことを意識的に繰り返そう:


  「退屈」という感覚そのものの中に、
  ものごとを、
  自分が納得いく、
  充実感のある形で、
  自分にとっておもしろくなるような形で
  進めたいという
  「秘めたる思い」と、
  それをどうすれば実現できるかの方向性についての
  「嗅覚」のようなものが、
  すでに
  暗黙のうちに含まれて(imply)いる。

  だから、

  自分の中の「退屈感」を受容できれば、
  その人は、
  その人なりに、
  人生に前向きに生き始める

  のである。


*****


 考えてみたら、


「無気力で怠惰な日々」


という言い方はよくするけど、


「無気力で退屈な日々」


という言い方は、あまりしないと思う。


  「退屈」と感じる人は、
  すでに、
  「目覚め始めて」いるのではないか?

 
「つまらない」

とおもうから、

「つまる」

ようにしたくなる(?)

のである。


そして、


退屈を本当の意味でまぎらわせてくれるものを、

他人が与えてくれることはありません。

*****


BGMは、浜崎あゆみの

浜崎あゆみ - LOVEppears - Trauma"trauma"(アルバム"Loveppears"収録)、


そして、私の溺愛する、
浜崎あゆみ - Duty - Surreal"SURREAL"(アルバム"duty"収録)

......歌詞を諳(そら)んじている方には、意図伝わるでしょう(^^)


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 ちなみに、2曲を両方収録しているのは、"A BEST"("A BEST 2"じゃなくて)のみ。

 HDCDなんですけどね。私はLINNという、HDCD本来の音を聴ける装置を持ってますので。

 あとMicrosoftのMedia Playerが、一カ所設定変えるとHDCD対応していることと(だから,実は「誰でも簡単に」HDCDエンコードをデコードした場合とそうでないまま聴く場合の音の違いを「比較」できることは意外と知られていない。多くの皆さん、パソコンででも,この違いを聴くと、絶望感にとらわれます、きっと。Dolbyやdbx処理したテープを対応してないカセットプレーヤーで聴いてたみたいなものですからね!!)。

 更に、DVDも観れる安めのシスコンの中にHDCD対応機種が少なくないことは意外と知られていない。

 あと、単体のこれとかこれみたいな、比較的安めの(携帯)DVDプレーヤーも結構対応してます。

 HDCD対応については、ヨドバシカメラクラスになっても、店員さんは知らないことがほとんどなので、対応機種をネットで事前に調べること。

2007/03/13

「カウンセリング」と「身の上相談」の違い

2つ前の記事で、

  自分の(自分との)写真をあまり進んで撮ってくれないということだけでもめはじめるカップルとか、実は結構あるのではなかろうか。

 一方は、いつもとなりにいてくれる「その人」をそんなに頻繁に撮らなくても、相手への思いは当然あると思っていて、要所要所で一緒に写真を撮れば、それで十分、むしろ、「二人で行った場所」そのものの風景写真だけでも、二人がその時どんな思いでそこにいたのかを思い出せる記念となると思っていたりする。その写真を見ている「二人」は、写真の中ではなく、その写真を見る「となりに」いることにこそ価値があるわけである。

 ところが、他方は、極論すれば、「自分を撮ってくれない」=「自分を愛してくれていない」、「ツーショットを撮らない」=「ホントは二人でいるのが楽しくない」にすら突っ走る。そして、「風景写真なんて、絵はがきやガイドブックやパンフにあるではないか」とまで言い始めたりする人すらあるかもしれない。

 でも、もうひとりにとっては、テレビや雑誌でよく知られたその風景を「自分のカメラ」で撮っていないと、そこに「現実に」ふたりが行った記念にならないではないか、と感じるわけである!!

という例を書いてみたが、ふと、この「カップル間にはありがちな」例を元にふくらますと、「カウンセリングとは何か」についての基本問題についてピンと来ていただける気がしてきたので、もう少し書いてみたい。

*****

 これを読んで、

 「要するに、一方は、他方の、甘えたい気持ち、愛情を(自分が、あるいはカップルで映っている写真という)「形に残して」欲しいという気持ちを汲めていないのだよ。そこまで汲むのが愛情ってものだ」

と感じた方は少なくないかもしれないし、もし皆さんが誰かから「身の上相談」されたら、そのように答えるかもしれない。

 なるほど、このことをアドバイスするだけで状況が変わる場合も多いだろう。

******

 しかし!!

現実というのはそれほど生やさしいものではない場合がある(^^;)

 .........その後、彼は、ちょっだけ意識的に、彼女もフレームに入った写真や、ツーショットを撮るように心がけてようとしたつもりだった。時には肩を抱き寄せてあげないとな.....とすら。

 どころが、彼女は、

「ざーとらしい!! 私の方にカメラを向けるな」

と凄い剣幕で怒り出すようになった.......

 ......と、ここまで次に相談されたらあなたはどうしますか?

A:「君、彼女に対する愛情が基本的に足りないんだろう。だから小細工だと思われるんだ」

B:「彼女、何かひねくれた形で、あなたへの甘えを持ってるね。.......そんな人、めんどくさいだけだから、別れた方がいいんじゃない?」

.......この2つのパターンではない形で答えてあげられますか?

*****

 ここから先が、ただの「身の上相談」と、「カウンセリング」の違いの領域なのだと私は考えます。

 つまり、ここから先につきあいきれるのが、専門家としてのカウンセラーのあるべき姿だ、と個人的には確信します!!

******

 では、私なら、どう答えるのかのですって?

 ひとつの答えはないかもしれない。

 でも、例えば.......次の対応を、その場でカウンセラーが「全く自然に、自発的に、ライブで」思いつける心の余裕があればですが。

(......ということは、これを読んだ読者やカウンセラーの方が、以下の文言を「まねしても」既にそれだけではかなり効果が落ちるだろう.....という前提で書きますね)

「.......でさ、君は、どうすればいいと思うの?」

****

 なぜ、これが適切な対応なのか?

 それをまずは皆さんが考えてくださいね(^^)。

 ......さほど間を置かず(まる1日か2日ぐらい置いて)、この件についての私見の続き書くことはお約束します(^^)

2007/03/12

今週の「地上の星」候補?

こうなったら多少の「情報操作」(CM)も自分にOKにしてしまいましょう(^^)。


"cord of love" -ストーカーの加害者と被害者の間の相互作用的悪循環-

........なぜかすでに今週に入ってアクセス上位に突如踊り出しつつあります。

読み返してみたら、まるで藤子不二雄さんのSF短編みたいなペーソスある持ち味の、「佳作」記事かなと,自分でも改めて「一読者」になって読んでみて、思いました。

「臨床」

「臨床(klinikos)」とは、

1.ある人に、
何もしてあげられないという無力感(helplessness)
を感じつつも、それでも敢えてその人の「傍らにたたずむ」ことから逃げないでいることしかできない場合もあること。

2.でも、ただ「傍らにたたずむ」だけではなく、何とかしてあげたい」という自分の気持ちも、自分で「認めてあげて(acknowledging)」、「そこ」にいること。

この二つの微妙な両立を基盤にして成立しているように思う。

これ以上でもなく。
これ以下でもなく。

自分を見つめ、味わい直すために携帯写真を撮る.......「投影法」ならぬ、「風景取り入れ法」?

 私は少なくとも若い世代の人のようには携帯文化に親しんでいない。IMEの性能の良さで知られているシャープの製品を使っているが、この前も書いたように、あの文字盤だけで日本語と半角ローマ字が入り組んだ文を書くのはもの凄く苦手だ。だから、サブ携帯として、ZERO3の愛用者だったりもするのだが。

 写真にしても、プリクラがすでにある時代に青春期を送ることをなかったこともあってか(実はプリクラ流行の直前に、「身分証明書自動撮影機」でカップルが写真を撮るささやかな流行りがあったということをご存じの方がどのくらいいるだろうか?)、あの、携帯を使ってツーショットやセルフショットを撮って「送りあう」文化というものは結局自分が自然には入り込みにくい世界だと、今のところは感じている。

 でも、カメラ付き携帯の普及と、その高性能化が、特に旅行などではない、さりげない日常の中で「ひょいと取り出して、思わす写真を撮る」文化を促進したことだけは間違いないだろう。各新聞の読者報道写真コンテストの入選作に携帯写真によるものが一定の割合で含まれているのが当たり前の時代となるのも当然だろう。

 デジカメ文化の到来は、「フィルムがもったいない」という感覚を希薄にした。失敗はすぐに消去できるからである。更に、カメラ付き携帯のSDカードなどのメモリー容量の圧倒的増大は、まる1日、数十枚以上、高画質の写真をとること程度では、全くもってへこたれない水準のものとなった。数日間の旅行で、かなり高画質でめいっぱい写真を撮り続けても、1GB-2GBのSDカードがいっぱいなどにはまずはならないわけで、私など、それこそ、SDカードに撮りためた写真を整理するのが億劫なまま放置してしまいかねないくらいである。むしろ、観光旅行などでは、充電が残っているかどうかの方に気をかけないとならないことは、皆様お感じのことと思う。

*****

 そうやってバリバリ写真を撮るようになると、自分が被写体として何を選ぶ傾向があるのかということを再確認するだけで、自分という「人間」そのものが自分なりに何となく見えてくることがある気がする。

 自然風景写真がむやみに多い人もあるだろう。建物のデザインが気になると思わず撮る人もいるだろう。通りがかりのお店の看板そのものや、店先に出してあるさりげない装飾が気になる人もあるかと思う。

 別にそれをねらって探し回っていなくても、猫(私のサイトでもやってますが、msnの関連記事はこちら)や鳥が視野にたたずんでいたら思わず撮る人もあるだろう。

 先日、クライエントさんと話していてたまたま気がついたのは(この内容、ご本人のご承諾を受けて書いています)、私には、店で出された料理の写真を撮るということがないということだった。あれだけ自分のフォトアルバムだと鉄道車両はあるのに。

 そこから振り返ってみて、私の中に、食に関しては、執着に乏しいところがあることに、改めて気がついた。毎日同じとまで行かなくても、3日間でメニューをローテーションできれば、お決まりの場所で、お決まりのメニューが3食(実はたいてい「2食」だが)続いても、滅多にそれでフラストレーションにはならない。せいぜいおかずと主食のローテを少しずらせば、十分変化と感じられる。

 お酒にしても、例えば、ビールとなると、「普通のビール」「黒ビール(好き)」「バドワイザー」「オリオンビール」......これ以上細かく識別する必要を感じない(^^;)......ドライ系、生系、などという区別すら味覚だけでしているかどうかすらも怪しい。

 なのに、音楽を聴くとなると、iPodとヘッドフォンにあそこまで執着を燃やすのである。それこそ付属ヘッドフォン以外にお金を使うことなど思いもよらない人たちがたくさんいるのは承知である。

 こうして、

「私は、料理の写真をそもそも『撮ったことがない』

でも

「この世の中には、自分のする食事の写真を撮る人たちが山のようにいる」

ということに気がついた時、私は自分の性格を、自分で、改めて再点検できた気がしたのである。

*****

 少し観点を変えると、旅行に出て、風景の写真を「そこに自分や同行者の背景としてでない形で」撮ることがほとんどない人たちがいる。風景の写真ばかりで、自分の(自分との)写真をあまり進んで撮ってくれないということだけでもめはじめるカップルとか、実は結構あるのではなかろうか。

 一方は、いつもとなりにいてくれる「その人」をそんなに頻繁に撮らなくても、相手への思いは当然あると思っていて、要所要所で一緒に写真を撮れば、それで十分、むしろ、「二人で行った場所」そのものの風景写真だけでも、二人がその時どんな思いでそこにいたのかを思い出せる記念となると思っていたりする。その写真を見ている「二人」は、写真の中ではなく、その写真を見る「となりに」いることにこそ価値があるわけである。

 ところが、他方は、極論すれば、「自分を撮ってくれない」=「自分を愛してくれていない」、「ツーショットを撮らない」=「ホントは二人でいるのが楽しくない」にすら突っ走る。そして、「風景写真なんて、絵はがきやガイドブックやパンフにあるではないか」とまで言い始めたりする人すらあるかもしれない。

 でも、もうひとりにとっては、テレビや雑誌でよく知られたその風景を「自分のカメラ」で撮っていないと、そこに「現実に」ふたりが行った記念にならないではないか、と感じるわけである!!

*****

 ここでは、どちらがどんなタイプの「性格の」人間で、どちらが「好ましい」か、などという議論はするつもりはない。

 たとえそこに映っているのが本人ではなく、風景であっても、食べ物や動物や同行者であっても、自分が撮った写真を媒介にするだけで、自分なりに「自分」というものが、一層「味わい深く」見えてくる可能性がある。

 ......そういう、あたりまえのことを、写真を普段あまり撮らなかった人が、敢えて携帯という媒体で、少しだけ積極的にやってみるだけでも、自然といろんな気づきのきっかけになるのではないか????

 ......そう、カウンセラーに見せる必要もないのである。

 これを生活の中での小さな「行動ステップ」として、クライエントさんに提案したらどうなるか?

******

 私はこれを、心理テストにおける「投影法(projective method)」 および、中井久夫先生の「風景構成法」をモジって、「風景取り入れ(introjective)法」などと仰々しく名付けようかと思った。

 しかし、.......まてよ、こんなシンプルなことなら、とっくに実践されて来ている方々の団体すら存在しておかしくない筈.....と思ってネットで調べたのです。

すると、

●日本フォトセラピー協会

●日本写真療法家協会

という2つの組織が活動されていることを、不勉強ながら、はじめて知りましたので、ご紹介させていただきます。

*****

 なお、デジカメや携帯は、あくまでも「ツールの選択肢」に過ぎない。

 それを、どんな瞬間に、どんな形で、クライエントさんに提案したり、カウンセラーの自己点検・自己修養のために活用するか、その臨機応変なセンスと、その前提としての、クライエントさんとの関係性構築のセンスの中で、はじめて意味を持つことは言うまでもないだろう。

 すべての「技法」はそのようなものに過ぎない。

 私の考えでは、例えば、「技法としてのフォーカシング」も、携帯と同じような「ツール」であるに過ぎないとすら思う。

 .......そのことを伝えたくて、この記事を,、こんな形で書いています。

2007/03/11

先週の人気記事ベスト20!!(07/03/04-10)

「カウンセラーこういちろうの雑記帳」週に一度の恒例、@NIFTYココログの、日曜日-土曜日の「週ごと先記事別アクセス解析機能を使っての、先週の記事アクセス「ベスト20」の発表、35回めです。

 固定リンクでのアクセス率の順位から集計しています。アクセス数が同じ場合には、訪問者実数上位の記事を上位とし,訪問者実数も同じ場合にのみ、同じ順位として掲載します。
 7×24時間、つまり3/11日(土)24:00の時点での集計です。

 それでは発表!!

 先週の一週間の総アクセス数、延べ2,056(前回2,019)。(一日平均297.31アクセス。前回288.43)と、僅かですが、更に増加です!! ありがとうございます!!

 訪問者実数は、1,565名様(前回1,576名様)と、これは若干低下。

 「サイト内移動」、前回379(34.5%)に対して今回406(33.2%)。
 「トップページへの外部からのアクセス」、前回466(42.5%)に対して、今回523(42.8%)。

全体としての上昇傾向は十分維持です(^^)

 そして、当ブログの「一限さんでない率」、これは同じ人が一度に「何ページ」記事をお読みになったかと無関係な訪問者「実数」比に基づくもののようですが、6回連続8.2%。

 「訪問周期」は、毎日おいでになる「完璧常連様」は前回11名様、今回は10名様。この数値は最近10名様と11名様の往復状態。小数点以下の攻防でしょう。

 それでは記事別ランキングの方の発表!!


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1.インシュレーターは使わないに越したことはない(→) 28週連続

2.欝とは、自分が無理をしていることを認識できなくなる時期にすでに始まっている(→)29週連続

3.浜崎あゆみと菊川怜の共通項 NEW!

4."Ayuは「スゴうす」"って...... NEW!

5."The Best of Best"="part of Me" NEW!

6.心のファイアーウォール、あるいは、「骨伝導」ヘッドフォンの今後の可能性(および、当ブログにおける、トラックバック受諾の基準について NEW!

7.JASRAC:改変版「おふくろさん」の使用不可を通達 NEW!

8.大人の態度 NEW!

9.オーディオにおける接点復活剤について(↑) 11週連続

10.ディック・ミネ、「瀬戸の花嫁」を叱るの巻 NEW!

11.とにかくおめでとさんです。("A Best 2 "2枚、オリコン1位2位同時獲得) NEW!

12.「ケーススーパーバイズ」とは何だろう ~入門編~(→)9週連続

13.「誠意がない」=究極の「いじめ」と「支配」の言葉?(↓)

14.三ノ宮の高速バス乗降場の位置関係の英語表示対応について改善望みます(......の話の筈が、何度道に迷ったのだろう......) NEW!

15.私のピュアオーディオシステム(そこに更にiPodをどう繋ぐか) (→)7週連続

16.「♪生きるってのは常に自分の手で洗濯をし続けること♪」 NEW!

17.「モバイルオーディオ」カテゴリーへの直接リンク COME BACK!!

18.浜崎あゆみの"momentum"プロモーションビデオを、もう一段深く掘り下げて味わえる方法 NEW!

19.POPTEEN4月号のayu様はたいへんラブリーでよろしい(^^) NEW!

20.さらば青春、もとい、さらばCPAP NEW!


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 ちなみに、今回のランキングでも,前回に引き続き、前回のランキング記事そのものが、何と32位にならないと登場しないのです(^^;)

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 今回の「予想外の、やっとランキング入りした、なつかしの初期記事」......今後、この種のベスト20入りに年単位の雌伏が必要だった記事を

「今週の『地上の星』」

と名付けましょう......は、10位の記事です。

 私の観た、ディック・ミネさんが出て来る夢をサカナにして、夢フォーカシングの解説を総合的にしている、代表記事なんですよね。森進一さんの「おふくろさん」騒動を2回記事にしたので(7位/13位)、思いもよらない波及効果が出たのでしょう。

 こうなったら「演歌」のカテゴリーを増設するしかないか!! .....何か、いよいよジャンル越境性の高い、わけの分からん「音楽サイト」(を超えた「音楽サイト」)になってきたか?

 更にいうと、私が「時事ネタ」に走ると、かなり過激だけどウケる内容になることも手応えでてきたので,今後も思いもよらない「週刊誌ネタ」でチャレンジするかも!!

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 先週は、"A BSET 2"発売にちょうど一致させられる形で、浜崎あゆみの、しかも今回こそ、「周回遅れにならない」、ホットな記事を速攻で連発できました。この私がN君ネタをやるとか、菊川怜の下着CMまで引き合いに出すというのは、この私も想像しなかった(^^;)。おかげで普段テレビ観ない私が菊川怜のワコールのCMを観ることになったが、確かにあれくらいが「あ,結構かわいいとこあるかも」でむしろ「お茶の間の好感が上がる」ラインですよね。

 あと、ネット界最大のタブー(爆)、ayu様ネタをちょっと「エッチに書いて、しかも下品にならない」記事の書き方にチャレンジして成功したのも,我ながら予想外の新記事でした。

(あのさー、コンサートでayuの衣装の下の○○が見えたとか何とか記事にして、何がおもしろいのさ? 中学時代に「となりの女の子の下着がチラリと見えてドキドキした」次元ぐらい、そろそろ卒業したらどうかね?)

 .....その効果もあり,非常に華々しいベスト20の入れ替わり......つまり、「ayu系新作記事のほぼ全部ランクイン」が実現できました。

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 この、「周回遅れを取り戻せた時に、はじめて自分の抱いていたような理想の状態が『あたりまえのように』生じる」という問題については、いろいろ思うところがあるので、この後幾つかの記事でこの問題について、

ayu系、

本格的なカウンセリング系(今週の予定には、この「周回遅れの克服」問題とも関連する、ふたを開けてみたら、ある意味であまりにも「コロンブスの卵」の、新たな「性格測定法(ひょっとしたら「心理療法」でもある?)の提案が大きな目玉として含まれます。これはかなり心理臨床家の皆様にとってトピックとなる自信がありますよ!!)。

更には、クラシック音楽系(先延ばしになっている、「マリー・アントワネット自作の歌とフランス革命期の音楽」.....ベートーヴェンも出て来るのだ......についての記事!!)

.......として多角的に書いてみたいと思います.お楽しみに!!


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 また、6位の記事において、当ブログにおける、トラックバック受諾の基準について公開しています。このことの効果は絶大で、次から次へ、我も我もとトラックバックして下さる皆様が増えています。

 結果的に、単なるいやがらせや、アクセス数を延ばすためのただのリンク集に留まるトラックバックの「相対的比率」が下がってしまい、かなり著名なブログを含めて、現状において多くの方に良識的と感じていただける水準のブログからのトラックバックをコンスタントに掲載させていただける形になりました。この種の「基準公開」って、やってみるものたったんだんだなあという感慨に浸っております。

 現在「審査中」扱いが3つほどあります。これからも、「自分のところのは、ただのアクセス数稼ぎのリンク集ではない!!」という自負をお持ちの方、どしどしご応募下さい!!


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 これを書いている「今、この瞬間」(3/11 AM 08:56)までの当ブログ文章記事の延べ総アクセス数)は、137888、フォトアルバムを含めると158223、ブログの通算記事数はこの記事で722本めです。

 今後とも、「カウンセラーこういちろうの雑記帳」を、よろしくご贔屓(ひいき)に、お願い申し上げます。

HMVジャパンApple Store(Japan)

最近、何かayuへの心の動きが....

まるで「娘」に対する「父親」としての思いみたいなものに急激に変化して来ていたのだな....

.....と、自分の書いた記事を読み返していて、つくづく感じたこういちろうであった。

えらく「出来過ぎた」娘なので困るのだが(^^;)


※現実のayuとの「年齢差」は19歳ですが。

口では自立、自立と言いながら

結局、人に「甘えてもらえる」というのは、気持ちのいいことだし、自分を生き生きとさせてくれること、自分に自信を与えてくれることなのかな?

......と、あっさり受け止めたい心境のこういちろうなのであった(^^)

こういう点では、もう少し柔軟に日本人的になっとくぐらいでいいのかなと。

2007/03/10

君に出逢えたことは、きっと最初の奇跡

 私がフォーカシングとの出会いの中でつくづく感じるのは、

「人が自分自身と出会うことがいかに大変か。
しかしその『奇跡』の鍵を
フォーカシングが握っていた」

いわんや、

「人が他者と通じ合うことがいかに大変か。
しかしその『奇跡』の鍵を
フォーカシングが握っていた」

ということに、総括できるとも感じています。


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BGM(BGV)は、

(もう、いうまでもないでしょうが)

浜崎あゆみ/
momentum"momentum"(プロモーションビデオ)
(アルバム"Secret"収録)

2007/03/09

さらば青春、もとい、さらばCPAP

 この記事で最初に紹介した、睡眠時無呼吸症候群(SAS)の治療装置、CPAPと、ついにお別れの時が来ました。

 もう、つけてなくても何も問題なくなりました。体脂肪率もそれなりに順調に低下して来たことで、のどが周囲の脂肪で圧迫されにくくなってきたことが大きいと思います。

 ひたすら動物性脂肪(バター、牛肉、豚肉。魚のみ許容)から逃げまくったこと、パン食の全廃の和食中心主義への切り替えが、私の場合、結局決定打でした。

 どうしても「おやつ代わりに」お腹いっぱい食べたくなったら、マジ、「飯を炊いて」海産物系や無機質系,野菜系のおかずで腹を満たすわけです。カロリー表示を細かく気にすることも習慣化したし。室内ですが、毎日最低限の運動は習慣化してきました。

 チョコレートも、ほんとうに特別な時に少々、以上の関心なくなったし。

 集中力は、ここ10年ぐらい(いや、思春期以降)一番高くなってるかもしれない。

 そのへんは、このブログの安定した多方面の量産性にすべてが現れている(?)。映画ネタも、現在「充電中」なだけ。ある意味でこれだけの「起きている時間の生産性」はかつてないかもしれない。お金は以前より不自由でも、面接時間以外、読みたい時に読みたいものを読みたいだけ読むし、書きたい時に.....(以下同文)、聴きたい時に......(以下同文)、観たい時に........(以下同文)。

 疲れたらあっさり眠ってしまっている(面接中でない限り、誰も居眠りをとがめる人はいないわけでして。ちゃんと、面接椅子以外の居眠り専用折りたたみ椅子を「隠し持って」おります)。

*******

 こういう20代を送れていたら、人生違っていたかもなあ.....

 でも、青春時代の真ん中は、胸にトゲさす(お腹に皮下脂肪貯める)ことばかり.....ってか?

 私の場合は、かなりおたくな青春時代で、いまもある意味ではそうだけど,今のそれは、みんな仕事の肥やしにもなるし。


 最近思わずこのブログでも、時々もらすけど、

私の中には、

自分が、子供世代、後続世代のために、「ほんとうに」何を遺せるのか

.......ということを張り合いと生きがいにしているところって、かなりあるかなと思う。

 まだ40代ですけどね。
 かなりしょってる言い方だとは思いますけど。

今日の16時、ayuと「あるもの」の意外なコラボがはじまる!!

.........とまでしか、「その時間までは」書かないのが、ファンのお約束!!

わたしには、この「安直なまでのアイデア」こそ、意味がありそうに思える。


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追伸:定刻を過ぎたので公開します(^^)

これで、いいのだ!! ayu!!

2007/03/08

"The Best of Best"="part of Me"

これでいい尽くせてしまう。

ベスト盤に新曲を入れて、しかもベスト盤最後の曲として入れても、ただの新曲追加にならないで、むしろ、これまでのayuの集大成的な新曲として、しかも、どうも締め切りが過ぎた頃から作り始めて(爆)、それがまんまと成功するから、ayuなのさ!!

 これでayuの最後の曲になっても、ayuファンが納得しそうな、そういう水準。

 PVも、色彩やデザインの感覚が、「時代の少し先のセンス」に踏み込んでいる気がする。家電店のデジタルハイビジョンのデモにうってつけの作品。

 ayu様の締め切り間際の気まぐれにつきあわされると、ayuスタッフは、こうしてまたもや普段以上の実力を出します(^^)

 ミニアルバム"JEWEL"の、土壇場でのフルアルバム"Secret"への格上げの時も、こういうayu様の土壇場での思いつきの結果、むしろ実にいいアルバムになったわけで。

 でも、もう、ayuも,今回のベスト盤作成過程では気がついたみたいですね。「自分が思っていたより、これまでの自分も捨てたものではない」と。

そういう感じ方しかしない人なの!! さもないと、レコード大賞3回続けて取った後も、全然自分を見失わないで一線を走るなんていうことにならない)

 でも、ここで、またayuはひとまわり大きくなってしまったのだと思う。

 それからどうするのか?

 .......結局、"Secret"アジアツアー終わってからそれ考えるんだよね。この人はそれを。

 しよーがねー奴だよ、全く!!

 (この一言、ファンとしての最大の「愛」をこめての一言のつもり)



浜崎あゆみ - A BEST 2 -BLACK- - part of Me"part of Me"

 ちなみに、"part of Me".....と、最後の単語だけ大文字というあたりもこだわってのことと思う。

"We"と読み替えられる"Me"なんだろうと思う。

HMVジャパン

JASRAC:改変版「おふくろさん」の使用不可を通達(第2版)

msn=毎日版より。

やっと、この件もまさに「日本の最高決定機関」が「公式に注意」したことで、収まる形に収まりそうだけど(このようにしか収めようもない)。

ただ、それでも、私は敢えてこれを機会に、繰り返して言いたい。


ある時期まで、

「親心」とか何とか称して

「許容」していたことを、

ある時点から突如撤回して「正論」に立ち返るということだけは、

人を育てる者は、絶対にやってはならない!!


先達とは、最初から厳しくて、晩年には優しくなることは自然だ。
また、最初から晩年から一貫して厳しいのもありだ。

 でも、最初は猫かわいがりに育てておいて、最後になって「その分借金返せ」だけはなしです。

晩年になって、突如「恩を売る」ことをはじめるくらいなら、最初から「恩を売って」欲しいものである。

 少なくとも、古今の政治の世界では、この種の「途中から恩着せがましくなる」君主は、確実に臣下に滅ぼされる運命にあった。

 一度、後続世代に自分の身を捧げる覚悟をしたら、生涯、そのことの「見返り」が自分に返ると思ってはならない。

それは、あくまでも、「順送り」に、未来の世代に支払われるのみである。

 さもなければ、生命は連鎖を紡げない。

 私は、今後、膨大化した老人世代が、数少ない若い世代に対する「たかりの構造」の中で生き延びる方向に豹変したら、もう日本の未来はないと信じる。

 生涯、後続世代のために、身を捧げてください。

 その時、こころある後続世代は、はじめて、先達の「恩」を忘れず、自ら進んで中島みゆき - 転生 - 命のリレー「命のリレー」をつなぐ、「先達」としての人生を、自ら歩むでしょう。

 人は、先行世代を自分が「犠牲にした」ことを自覚し、その「加害者性」を生涯十字架として背負った場合に、はじめて、「人の道」を生きるのです。

(精神分析的対象関係論に置き換えると、親を自分の攻撃性で「破壊して」しまった、という、「抑うつポジション」のファンタジーの超克として、「償い」という、創造的な活動が人間の中に生じる。でも、これが機能するには、親世代は子供の中のファンタジーのようには「破壊されてしまわず,生き残っている」ことを示し続ける必要がある。その意味では、川内氏の更なる長寿を心からお祈りします。今回の件で体調とかを崩されたら、逆に森さんに与えるダメージ大きくなるので、むしろしぶとく「憎まれ親父」で生き続けてもらう方が、ここまできたらむしろ,日本の歌謡界のために「必要」でしょう)


 でもねえ......まるで、「おふくろさん」が、生涯の終わりになって突然「これまでの恩に報いろ」とわめき出したみたいで、その点では、かっこ悪すぎるんです。川内氏は。

 「おふくろさん」への感謝は、おふくろさんから「強制された」ものでないから「こそ」、深いものになるのでしょう。

 これからの老齢化社会の「悪い見本」の先駆けに終わらないで。

 これからの若い世代には、あなたたちを食わせる余力なんてないのです。

*****

 BGMは、もちろん
浜崎あゆみ - A BEST 2 -BLACK- - part of Me"part of Me"

iconicon

浜崎あゆみと菊川怜の共通項

 さて、そろそろ、私が敢えて書かないことにしていた、「一般にはあまりにもフツーのayuネタ」も解禁しておこうかと思う。

"part of Me"はまだかって? ......私が書かないわけないでしょ? 待ってなさい!!)


 この記事読んで思ったんだけど。

 なぜかayuのことが思い浮かんだ。

 ayuには、「東大卒」にあたる障壁は、ないといえばない。でも、性格的には結構似ていそうだなと。

 少なくとも、デビュー当時から、実際にはavexの現社長さんは「プロデューサーとは名ばかり」だったのは間違いない。ayuが相談したい時に相談する相手ではあったろうけど。

 驚くような仕事の鬼、「私生活」というものがあるようでないも同然、というのがayuの日常だと思う。avexのayuチームって、ほとんど「疑似家族」集団化してしまってて。......だから、ayuは、まるで子供みたいに、おんぶされたりとか平気なのだ。ayuを「異性」として意識しないだけの力がある男のスタッフしか身近にいられないと思う。

 なぜ、ayuに、avex以前の時代を除くと、いわゆる「男性誌アイドル」的扱いがあり得なかったか、ということも、このことと関連する。

 ayuは男には「女としては」甘えられなくて、何でも結局自分で抱え込んで、責任を背負い込むタイプだったのは確かだと思う。

 ではなぜ、ayuは男に「オンナとしては」甘えられないの?....って? それは、ayuファンの中で、わかってる人はとっくに察してると思うから(ayuもそのへんについては繰り返し暗黙のサインだしてるので、それでもわからん人にはわからんということで)ここでは書かない。

 N君は結局、「若い頃からのダチ」であっても(今もそうなんだろう)、恋愛の対象としては、何回かそうなろうとしうたけど、結局うまくいかない人だった(と敢えて「過去形」で書きます)と思う。

 (コンサートとかの会場に行くと、未だに「Nは」「Nは」って声がまわりからどこからともなく聞こえて来るので、敢えて断言してしまおう!!)

 N君は、プレイボーイかもしれないけど、根はやさしい、いい男だとは思うよ。でも、某サイトでの連載とかを読むうちに「あ、この人とじゃ、ayu、男と女として関わろうとするとなると関係うまくいかない『宿命』にあるね」とあっさり思ってしまった。

 ......なぜなの? 

 という人には、「この私ほどにも」オトコとオンナのこと、わかってません!!.....というしかないンだけどさ。

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.......ああ、やっとこのことについての、永年のホンネ、書いて、スッキリした!!

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 しかし、そうなると、アフィリエイトはこの系列にしないとならなくなる(^^)

後知恵BGM:宇多田ヒカル - Utada Hikaru: Single Collection Vol. 1 - Traveling宇多田ヒカル/"travelling"..........敢えてayuネタで、この曲をぶつける気になった意図は、この曲をよーく聴いてるファンの皆様ならおわかりかと。今日偶然聴きなおしまして(^^)

2007/03/07

三ノ宮の高速バス乗降場の位置関係の英語表示対応について改善望みます(......の話の筈が、何度道に迷ったのだろう......)

 さて、ちょっとayu様ネタを従来の枠を更に外す方向にまで突っ走らせたので、このへんで、私が5日の月曜日に何を「お仕事」としてしていたかを公開します。

 少し前の記事「途中から旅行そのものが仕事となる」という、謎掛けをしましたが、これがどういう意味かというと。

 2009年5月にフォーカシング国際大会が兵庫県の淡路島ウェスティン=兵庫県立国際会議場で開催されることは、すでにこのブログでも速報を流しましたが、実行委員会有志による「会場見学会」が実は5日に開かれたわけです。

 実はその会場の「お忍び先行視察」をしたのが他ならぬ私だったわけです。ですから、実は今回営業の人が実行委員会有志に紹介して回った施設の大半を、私はすでに2年前に営業の人に私ひとりのために見せていただいて、日本のフォーカシング関係者に結果報告していたわけです。

 でも、実は、関西の人ですら、ホテルを私用や小会議で多少利用したという人はいても、「全施設見学ツアー」という域の情報量をもっていた点では、私ひとりが突出した状態だったわけですね。

 私たちのようなカウンセラー、特にクループワークも行うタイプの専門家というのは、特に数日かけた宿泊型ワークショップ、ましてや200名以上、しかも参加者・講師陣が欧米や中南米を含めて国際的、分科会も同時に十幾つも開催、パーティもあれば、余興の会もあるし、ベジタリアンの人もいれば、喫煙にうるさい人もいるとかになれば、場所についての数字や紙やネット上での情報などだけで、使い慣れていなかった新たな会場を使おうとか、考えにも及ばなくなる。まさに「臨床的」「体験的」感性が賦括します。

 つまり、「現場」に実際に出向き、場の空気から部屋の居心地、周辺施設とかまで実際にある程度自分の目と耳と身体で味あわないと、何につけてもイメージが膨らまない

 ましてや、それこそサッカーでいえば「ワールドカップ世界大会日本初開催」のような立場になったらどうなるか? ......ど、どえらいプレッシャーなわけです。

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 もちろん、施設見学が終われば、それに基づく営業の人への質問や、取りあえずの感想交換、そしてそれに基づく、今後の計画についての会議となります。ですから、すでに見学している私も参加する意味はある。

 「ちゃんとあれも見せて!!」とか、前回の経験に基づき、「ほら、ここはこうなってる」と、私なりの注目ポイントも即興で示唆できる。

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 ここで私は、2回めである以上、他の人と違った情報収集活動も加えようと思ったのです。

 それは、

関西空港から淡路島の現地まで、日本語がわからない外国人の立場に立ってみたら、交通アクセスがどのように実感されるかのシミュレーション」

 ということでした。これは、

1.関西の地元の人だと当然のように思って見過ごすことに気づきやすいということ。

2.2年前のトロントでの国際会議の時に、海外2度目、英会話力中学生並みなのに、トロント郊外、百数十キロの、どの観光ガイドにも乗っていない小さな街(Barrie)の更にはずれの国際会議場まで、ひとりで、しかも公共交通機関のみでたどりついた時の体験の正反対の状況に、外国からの参加者が置かれると理解して「感情移入」しやすい私の立場

を活用して、自分から買って出たのですね。

 つまり、大船停車の急行「銀河」で早朝大阪入り、正確には、新大阪で「はるか」に乗り換え、関西空港に移動、「国際線到着ロビー」から「外国人になったつもり」のシミュレーションを自分の中で開始したわけです。

 ただし,私は、ここから、「淡路夢舞台」という、関空からの直接アクセスのない土地に移動する上での、最低限「英語情報」の対応度のチェックを、案内所に少なくとも英語へのどれくらいの対応力があるか、英語版の地図とか、インフォメーションの冊子があるかとかからチェックしていったわけですね。

 関西空港構内そのものは、もちろんこの点で全く問題なし。

 問題は、意外にも、三ノ宮でした!!

 ここは、高速バスセンターが大別して2カ所に分散、実際の乗り降りの場所もその内部でだけにきれいにおさまらない。

 そして、「英語による」、高速バス乗降場の「位置関係」についてのマップ,看板としても、ペーパーとしてもなし!! (中国語はあった) 

Sannnomiyabustable

(要は↑これの「英語版」がなぜないの? ということです)


 更に、(ミシュラン調査員は書いてしまうぞ!!)バスセンター案内所職員の英語対応力期待できず!!

 フォーカシング関係者っていうのは、欧米でも一番進歩的な層,バリバリのニュー・レフトを経て来た人たちが多い。

 戦後、60年代や70年代をどう生きて来たかを聴くと、日本の学生運動の比ではないすごい生き方の末にフォーカシングにめぐりあった人が少なくない。公民権運動、ベトナム反戦、性解放運動の元闘士,その中で夢と理想は破れ.....とか。もう、日本人が消し飛ぶくらいの生き方です。

 関空からリムジン借り切って移動、みたいな無用に贅沢なことは嫌う人が多いだろうと想像できました。

私のトロント体験は、そういう人たちの肉声やライフスタイルの一端に「接してしまった」、まさに「咸臨丸」経験になってしまった。

 カナダには当然、フランス出身のケベック州(例えばモントリオール)在住の人がいて、

「『革命』の頃とは、ニースの街の風景も変わったわ。あの頃は三色旗が.はためく街の城門はすすけていたけど,私たちはそこで...」

などとさりげない感慨で話が進むと、

 「この人にとっては、『革命』=1968年の「5月革命」→ドゴール政権をゆさぶった、あの熱い日々の『当事者』で当たり前なのだ!!」

 .....意外と、語学力があってちょちゅう欧米に行ってる筈の日本参加者常連の人たちの方が、この「レボリューション」と、普段話していないであろう、少しなまった英語でさらっと語られた言葉を、単なる「一般名詞」ぐらいでうけとめていたことに,私は拍子抜けしたりもした。

(私は、語学力には乏しいけど、外国暮らしがない人間としては、相当世界史に関しては受験学力を超えたsomethingの関心が豊富という点では、フォーカシングの領域での「国際貢献」の潜在力はあると信ずる)、

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 ......こうして、「三宮で淡路夢舞台行きに乗り換えるくらいなら、関空から「徳島行き」高速バスで淡路島に渡ったばかりの「東浦IC」の停留所からタクシーに乗り換え」が、実は一番確実で安い方法」

 という点にインフォメーションはしぼりこめ!!(日本人向けにも、「新神戸駅」「関西空港」からのアクセスだけを推薦すること).....というのが、あっさり実感できた。

 すると,その会議のようすをみていたホテル会議場の営業の人は,苦笑しながら

「国際会議で外国からおいでの皆様は、そこまで自分で事前に調べるみたいで、おいでいただいた皆様からその種の苦情は普段いただきません。特別なチャーターバスも出さないままのことが普通なんです。チャーターバス代なんて、国際会議を運営する際の「経費」を増やすだけと思いますし」

と逆にアドバイスされる始末。

 ああ、結局、日本人向けインフォメーションの方が実はやっかいなんだ!!  

 私以外の今回の「見学会」参加者は、みーんな関西在住の人に、梅田か新神戸駅でピックアックしてもらって会場にとどりついていた。私のような、中途半端に「非=日本人的」個人主義者だけが取り越し苦労をするのである。しかし、その分濃い経験もしているとは自負するけど。損な役回りに生まれついてるな.....だから、「プライベートな幸福」に関しては、今後シンプルにあっさり、むしろ「一番ありがちなスタイルに無理なく」とすら思っているのだが。

 だいたい「歌手と言えば浜崎あゆみ」という,「超メジャー」で安直に済ませる(爆)なんて、親父が森進一と島倉千代子で十分なのと同じ、なんともシンプルなライフスタイルの筈だ!! 

 それを「小難しくして楽しんでる」のは......みんな私のせいなのよ!!


******

 でも、まさに、そういう、「典型的にメジャーな生き方」でもないし、「典型的にマイナーな生き方」では済まなくて、その間の袋小路にはまる人たちこそ、いいカウンセラーと出会いを必要としているものである。

 つまり、

「自覚的に、特異な、ありがちではない形で、ありがちな平凡さに自然となって行く」

という,「外野」からみたら一番見ていていらいらする「廻り道」をするから、はじめてそうなれる人たちというのはやはり居るのだし,そういう人に「つきあえる」人間も必要
なのだ。

すっと、「飽きもせずに、共に歩む」

人たちが。


浜崎あゆみ - A BEST 2 -WHITE- - Voyage

 浜崎あゆみに平凡に幸せになってもらう「ためには」、私がまず平凡なまでの幸せをつかむことが「ささやかな貢献である」、というくらいには、感じているのであるが。

 
*****

 
 話がまたayuへの求心力を結果的に持ってしまう。うううう.....でも,一番メジャーな曲の一つでまとめた分だけよしとしよう。何のかのといって、やはり歌謡史に残る名曲である。「ファン」にはまると、普段聴かなくもなるし、ayuもステージで歌わないんだけどね。

 そろそろ、その意味では,今のayuの声で、ステージでの"Seasons"や"Dearest"やこの"voyager"曲を聴いてもみたいかなとも思う。

 私の予感では、この、あまりにも「平凡な」選曲が、今度のツアーのアンコールか何かで、ある程度唐突に舞い戻るかもとも予感してます。.......というか、一ファンとして、そろそろ、「その方がいい」とも思うんですけど。


*****

 ともかく(どーこーが!!)、

 神戸市よ、少なくとも三ノ宮駅前に関しては、私が今住んでる鎌倉市の、(今は住んでないけど)旧市街中心部の方が、交通への英語対応はいいぞ!! ......とはやはりいいたくなったことは,最後に忘れないで付け加えて置こう。

 ※神戸(兵庫県)についてはmsnのこちらもどうぞ。

2007/03/06

"Ayuは「スゴうす」"って......

生理用品のCMじゃないのが残念である......

Panasonic Lumix FX30

......というか,恐らく一瞬そのように「え?」と思わせるあたりが、このCMの「狙ってる」あたりだと思う。

(この商品の公式HP)

(.....と、"something more"の、一見「深読み?」のようでいて、「いや、結構そういうあたりなのかもしれない」と最大公約数の人に感じさせるあたりの一言を、コンスタントに付け加えられるのが,いまのこういちろうの熟練の境地であろう.....)


******


 更に付け加えますとね。

 私の考えでは、

女性のクライエントさんとの面接場面で、「生理」に関する話題のやり取りが、全く自然に、その後の面接展開での「反作用」なく、生じ「ている」くらいの関係が築けている男性カウンセラーは、いわゆる「転移」の問題に関して、いい塩梅(あんばい)にある関係を、その女性クライエントさんとは築けているのだと思いますよ。

 .....ただし、ホントは、このことを、今、記事として読んじゃったカウンセラーやクライエントさんが「意識して」しまうと、たいてい失敗しますので、念のため。

 もう少しキャリアを積んで、2,3年後ぐらいに、ふとふりかえって、私がここで書いたことが「思い出された」くらいがベストの『旬』でしょうね(^^)

*****


 これを男性クライエントと女性カウンセラーとの関係としてとらえると何にあたるのか。....「包茎」問題あたりだろうか? それでも強過ぎるか? 

 思春期の男の「生理」って、たいてい「自分で処理するもっとも身近なストレス解消策」になってしまうので、比較のものさしが立てにくいかも。


*****


 ちなみに、女性の皆様、もし何かのはずみで、すで深くつきあい続けている関係にある筈の男性や夫が、今でも「自分で」欲望を処理している時があることに気がついても、深く悩まないように。

 つまり、

「自分はもう愛されていないのだろうか」

とか、

「したければ私といつでもできるはずなのに.....」

と「ムカついたり」しないであげていただきたい。できれば。


 .......これは、我らが偉大な先達のひとり(?)、故・奈良林祥先生(私の高校時代に講演においででしたので、それこそ、もう30年前にしか「ライブ体験」がない)が、古典的名著「HOW TO SEX」で書かれていたことだと記憶します。


*****


 .........以上、ayu様にサカナに(「この話題の」サカナという意味!!)になっていただいたことに、一方的にネットを通して、届かなくても、一応、感謝しときます(^^;a

 まあ、「♪切り売りしてかまわない♪」と公言されてますから、いいでしょけど(^^)

浜崎あゆみ - Secret - until that Day..."until that Day...""Secret"所収。

POPTEEN4月号のayu様はたいへんラブリーでよろしい(^^)

 思わすコンビニで買ってしまった(^^)。

 私、ayuの写真に関しては好みの要求水準無茶苦茶高くて、滅多に満足しません。今回のこの号のは、皆文句なくいいではないか。

 ホントに、この人、年齢10歳サバ読めることが、今、絶好の「旬」な時期にいるのではないかと思う。

 この雑誌のayuと無関係な記事のモデルさんの写真が、みんなayu似の顔だちに見えてしまうのが苦笑した。目のメイクだけでそう感じさせるんだよね。

 ただ、DVDのメイキングとか観ている限り,明らかに今のayuは、非常に控えめなメイクであの顔立ちになれているんだと思う。若い子だとかなり高度のメイク術にしないと、逆にayuよりオバさん顔に見えると思う。

 先日、私はayuのインタビュー記事を「同時代的に」読むのをむしろ避けるてきたみたいに書きましたけど(後追いですけど、デビュー以降のayuの主要なインタビューは掌握してます)、この号のインタビューは、なーーーんにも違和感なし!! 
 

本音でしゃべって、こうなるだろうなと素朴に信じられる。

「いまの可愛いっていうのは、可愛さだけではない『何か』をしっかり持ってると、ビジュアル的にはピンクやリボンやフリルでも自分でも抵抗ないし、生えるのではないか」

みたいなことをayuは言ってるけど、本人がそれを「体現」しているのだからエラい説得力ある発言である。

 「私は人に対しては嘘はつかない。自分には嘘をつくことがあるけど」

と言うあたりも、さもありなんという言い方で、なかなかグッドである(^^)

 自分に嘘をついている自分をはっきり自覚して、
 自己嫌悪しないで受け入れられている、
 というあたりが、
 実は人が一番「輝ける」塩梅(あんばい)だ

と私も思います(^^)

(......などと、「期待されるであろう水準」の「カウンセラーによる、ネット上での一般向け発言」モードに、さりげなーく戻る私である)


*****


 もっとも、以前にも思ったけど、私は"ViVi系"には違和感感じるみたいである。今の号もそうかもしれない。

 .....ということは、私は、性別は別として、ついでにビジュアルも別にして(爆)、メンタルな面では、よりによって30歳もサバを読める感受性なのかもしれない(^^;A

 でも、最近何となく思うんですよね。
 やっと自分が18歳頃にそうでありたかった自分に、
 肩の力を抜いても,
 なろうと思うと気楽に「なれている」自分に。


 自分のなりたかった「大人」に、
 ようやく「手が届いて」来たと。


......以前のこの記事参照。

とにかくおめでとさんです。

msn=毎日の記事より。

浜崎あゆみ:ベストアルバム1、2位!36年ぶり快挙

とにかくおめでとさんです。

 ayuの場合、新曲でも、フルアルバムでも、ベストでもオリコン1位の期間が1週のみで、またたくまにベスト10圏外に去って行くあたりを、いくら連続記録を作っても「そりゃ、ayuファンが発売時に一気に買うだけでしょ?」と揶揄する向きがあるかもしれないけど、それだけのayuファンを維持し続けているだけでも、今の時代には勲章なのだと思う。


"A best 2"に関しては、オーディオマニアでない人でも(ここが大事)、私に当然のように期待されているネタ「3つ」をまだ記事にしてないのは重々承知。少なくともその中の一つは今日の日付で書きます(P.S.......間に合わなかった)。

 「3つ」といっても、みーんな、ひとつの同じ「曲」というか、「CDのトラック」をめぐるものですが。......とまでいえばayuファンならおわかりでしょうが.....

 その代わり、このあとにいくつかayu関係の小ネタ、連発します。

2007/03/04

心のファイアーウォール、あるいは、「骨伝導」ヘッドフォンの今後の可能性(第2版)

 どうも私が神奈川県臨床心理士会に参加させていただこうとする際には、何か「悪霊」が取り憑くようで、今回は、私がパソコンの予定表に書き込んだ場所とは異なる開催場所だったようです(^^;;;;;)。

 うっかり、臨士会から頒布いただいた案内を持たないまま家を出たもので。

 私が神奈川に移住して、初期の頃「一回だけ」しかその建物に足を運んことがない場所が会場だったと、大船に帰ったあとで気がつきました。その場所である可能性をシミュレーションすることは、私にも全くなかったのです。「日付そのものを間違えた」可能性も感じましたし。

 臨士会事務局自体って、実は電話番号ネットでも104でも検索できないようになっているみたいでしたし。

 私は、東京の臨士会からの移転組で、実は携帯に連絡先まで入れているお知り合いはまだいませんでしたし、心当たりのある臨床心理士の方は、全員フルネームまでは覚えていないか、覚えていても、ご家族をお持ちの奥様の方ばかり!!

 「某ウェブメールサイト」lさえ開ければ連絡取れる可能性のある知り合いの方々がいたのですが、一時間以上、回線の遅いウィルコムZERO3と携帯のネットでも試行錯誤した(WEB2.0にブラウザ非対応の一世代前のZERO3!! ソフトバンクの方も、携帯を普段は「電話」としか思ってないので、あまりにも長いパスワードを携帯キーで入力することに失敗し続けた)時点で精も根も尽き果ててしまい、例えばインターネット喫茶に行ってまでその「わずかの可能性」(だって、その方々がメールをすぐに開いてくださる保証もない)に賭ける気力も喪失。

「またもや」参加を見送らせていただきました。スミマセン!!

......これもきっと、何か神様が仕組んでくださった運命の摂理(試練)なのでしょう。

 私はフロア参加の一聴衆に過ぎませんので、どなたにご迷惑をかけるというわけでもないし、実際に参加しないことで損をするのは私だけですし。会費も、「参加したら払う」システム。1000人に迫る会員を抱えた日本第2の規模の臨士会です。

......では、私が完全に勘違いして行ってしまった会場はどこか?......それは、この後最後まで読んでいただけると、地元の臨床心理士さんにはだいたい見当をつけていただけることでしょう(^^)

*****

 ここで、一見別の話題にまた飛びます。

 私のサイトは、トラックバックもコメントも掲載許可制にしています。@niftyのココログには、掲載前にエントリーから削除する際に、@niftyにそのトラックバックの情報をボタンひとつで送信できる装備があります。

.....もっとも、実は、私、頂いたコメントをこのブログ上での告知なしに削除したことは、過去にほんの2,3しか記憶がないのですよ(^^;;;;)

 何と言いますか、「心のファイアーウォール」(昔は「ATフィールド」とか呼ばれたものかもしれぬ)が強烈なサイトなのかな? と感じたりもしています。

 私がトラックバックをお断りする際の基準は、主として

1.「安易な金儲け」系、アダルト系のサイト(アダルト系サイトへの直接のリンク、および、トラクバック認可をしているサイト)

2.「ただリンクを機械的に寄せ集めているだけのサイトで、そこにマスターなりの目利きやポリシーがない、つまり単に「サイトアクセス数を自己目的的に伸ばすことだけしか考えておられないのでは?」 とお疑いするしかなかったサイト


です。

1.アダルト系サイトなるものがこの世の中にあることは、何も批判的に考えません。もっとも、子供を性的対象にするものは、写真サイトでも法的に厳罰で臨むべきと考える。「盗撮」を「フィクションとして」売り物にしているのは問題なしと考えるけど、ホンモノの盗撮は当然刑事罰の対象になると思う。あと、公正な料金支払いシステムを持つこと。ウィルスや悪質なスパイウェアの仕掛けがなければ。

 だけど、自分が直接リンクを這ったりトラックバックもらう「サイトに」アダルトサイトへの直接リンクやトラックバック許容があったら、そのサイトに書かれている内容に「よほどの固有の価値」があると私が認めないとトラックバック許可しない、すっごくハードル高いでしょう。これは私のポリシーというしかないですが。

2.より一般論としていえば、私がトラックバック認可の際に番こだわってるのは、「二次情報を利用するからには,そのサイトに何らかのポリシーが明確にあること」

3.例えば、ある商品を販売している会社「それ自体」からのトラックバックだった場合、私がその商品に相当の関心が持てたり、実際使用してその価値ありと認めたら、喜んで認可いたします。場合によっては、その商品の信頼性についての直接・間接の裏付けをとるまでに、かなり長期間「認可ペンディング」状態で、「審査」させていただく場合もありますので、何回も送っていただかなくて結構ですよ。

もとより、私個人の判断であるに過ぎないことをお許し下さい。

 最近補聴器関係のブログからのトラックバックをお受けしたのは、私の父がさすがに耳が遠くなりましてね。私のような息子の父のことだから(^^;)、「いかなる補聴器が望ましいか」について、「独自の」果てしのない研究調査試行錯誤の結果、納得いく結論に達するまで、燃えに燃えた探求心を発揮した経歴があったりしますから。それこそ、インナーイヤーのオーダーメイドの凝ったのを装着して、それで「音楽も楽しんで」いるようです。眼鏡や入れ歯と同じで、しっくりくる器具に慣れてしまうと身体の一部、という域に達するのだろうと思います(^^) 

.....幸い、今の「私の」部分入れ歯は、生まれてこの方出会ったことがないという域の、見事な歯ぐきへの吸い付きのものを、保険診療で難なく生み出す「達人」歯科医の先生によるもの。何しろ最初っから「調整不要」のまま!!(2カ所やってますが、型を取る際の、特に「外す」瞬間の技術に、年輪のたまものとしかいいようがない、「超職人テク」があるように感じました)

 それこそ、30年後の私は、「iPod向けヘッドフォン」ならぬ、

「歳を取って耳が遠くなったカウンセラーにふさわしい補聴機」

についての、実体験に基づくレビュー記事をネットで売りにしているかもしれない(^^)

*******

 これも実は「飛び入り」記事の前振りなのです。

 結局今日は、そうやって一度沈没して復活した後、まだ入ったことがなかった横浜ヨドバシの新しい「マルチメディア館」に、やっとはじめて行ってみました(私が普段、いかに長距離旅行以外は近場にすら出向かないかの証明みたいなものである)。

 ここのヘッドフォンの品揃えはたいへん豊富。何しろインナーイヤー型まで含めて試聴できる幅がたいへん広い。主要なヘッドフォンメーカーやヘッドフォンの種類についての解説のプレートまで何枚も出しているあたり、お客さんに親切な配慮である。

 そういう中に、「骨伝導ヘッドフォン」も、2機種だが、試聴できるようになっていたので聴いてみた。

 自分でもこの前の記事で、「聴覚とは耳で聴くだけのものではない」とたまたま書いたばかりだったことも、関心をそそりました。

 どうも現時点では、Filltune(フィルチューン)という会社のBCHS-FT001という製品が最前線の技術水準の製品のようである。
 

 「骨伝導」というのは、私の情報範囲では、携帯電話にそれを生かすというあたりのことが最初に私が得た話題でした。

 でも、内耳までは侵されていない、外耳・中耳性の難聴の補聴器としての開発も、大きなウエイトを占めていると後で知りました。

 このタイプのヘッドフォン、あるいはヘッドセットのもうひとつの利点は、外耳は全くオープンに開かれていますから、通信業務をしながらも、接客やまわりの社員からの声かけや異変への反応、対話などに支障を来たさないということを生かそうともしているようです。

 だから、当然、パソコン用ヘッドセットの領域でも期待されているし、あと、忘れてならないのは、自動車を運転しながらの電話連絡を安全に行える装置としての可能性の探究のようですね。

 骨伝導を「どこで」伝えるかというと、耳の横の頬骨のあたりに硬い振動板が来るようにするというのが今のところ一般的みたいです。

*****

 更に気になるのは、果たして、この骨伝導ヘッドフォンが、何かをしながら、楽しみのために「音楽を聴く装置」といえるところに、どこまで現状で肉薄できているかということです。

 この点では、他の試聴できた製品に比べると、確かにこの、BCHS-FT001は、音の細やかさというか、分解能は遙かに高いです。

 しかし、骨伝導ヘッドフォンは、ちょうどアクティヴノイズキャンセリングとは対極のことをめざし
ているわけです。

(そうそう、マクセルのHPNC22OHBK、私のiPodで試聴しましたが、恐らくBoseの、もはや旧製品となったQuiet Confort"2"の「技術供与」を受けていると思います。さもなければ「ここまで」構造や材質が似ていて許されるはずがない。しかも、コードが短くなり、インピーダンス切り替えをなくし、Bose臭さのかわりに、日立伝統の、いい意味での「四角四面さ」で音決めしているので、これはアクティヴノイズキャンセル型の日本製ヘッドフォンとしては最高級の水準が1万7000円の相場という,画期的な製品です)


 さて、Filltune BCHS-FT001という製品、ヨドバシカメラの店頭という、騒音が大きいところで聴くためというのも大きいでしょうが、私のように、音楽の「ながら聴き」は、読書か歩行中か乗り物の中でしかできないタイプにとっては、この、「外部の音が主で、ヘッドフォンの音はそれと判然と聞き分けられる「従」というあり方には違和感がどうしてもありました。

 私は、実はデスクワーク中や、こうやってブログの記事を書いている時は、たいてい音楽を聴いていないのです。つまり、どんな好きな曲でも、ムードミュージックですら、集中の妨げになるとしか感じなくなるタイプ。

 早い話、私の行きつけの外食の店に、浜崎あゆみの曲をオルゴール
でよく流してくれる店がありました。

これが私にはたいへん困った状態を生む。

 箸が止まって、オルゴールの音色をしっかり味わい、もちろん声は出しませんが、心の中で歌い出し、イメージにはプロモーションビデオが浮かび始める!!(^^;)

 おかげで、今やたらとayuの"A Best 2"との遭遇率が高い「旬」そのものなので、今日のヨドバシカメラでも、

「......ええっと、私は何を今探していたのだろう」

状態に頻繁に陥りました。

「トムとジェリー」にありましたね。サーカスを逃げてきた熊が、音楽が鳴り出すとすぐにトムとダンスを始める話が.......

 ayu様の曲は、今の私にとっては今はそういう存在......というだけではなくて、たとえそれがELTであっても、クラシックであっても、お店の微かなBGMに過ぎなくても、私が好きな曲だともうダメ。すべての他の作業が止まります。

 こういう点では、マルチタスクが全く効かない!! 

 読書であっても、ちょっと本の方に熱中し出すと思わず曲を止めるか、あるいはiPodつけていることの方を完全忘却!! 曲が終わっても(寝てなくても)しっかりヘッドフォンしたまま2時間ぐらいは本を読む場合もある(^^) ひどい時には、ヘッドフォンをつけたまま、「ヘッドフォンはどこに置いたんだ?」と探し出す(^^)

 音楽と完全に両立し、両方をしっかり堪能しているのは、そう......中・長距離の鉄道で景色を眺めながら味わっている瞬間だけでしょう(ああ、もう2時間でまたその「至福の時」が.....)

 私には「ながら」は存在しない。むしろ、ひとつの特定のことをやりながら、同時にその内容に関連してマルチタスクに連想ををめぐらし続けるという状態が「没頭」なんですね。

 ......だから、この「骨伝導型」ヘッドフォンを装着しないとならない環境って、きっと私には凄く苦手な状況設定だと思います。

 私は運転免許を生涯とらないかもしれません。なぜなら、音楽を聴きながら「自分で」運転しつつ、両方に身を委ねて。しかも注意力を保つ自身は今のところないですから。

 もっとも、それは私が、現段階では

「なぜ、運転する人って、みんな、対向車線の車とすれ違う瞬間に怖いと感じないのか?」

.....としか想像できないくらいに「身体的習熟スキル」の典型である、車の運転というのが、見当もつかない領域だからかもしれない(^^)

 逆に言えば、多くのフォーカシング関係者にとっては、私が何をテーマとして書いている時でも、フォーカシングの話に自然と移行したり、逆にフォーカシングの話題の自然な流れとして、ayuも「トムとジェリー」も同列でひょいひょい泳ぎ渡ることの方が、了解を超えた現象らしいので(^^;)

 だから、私も、車の運転をしながらayuを堪能しながら注意力も失わない、ということが、習熟すれば、きっと可能なのであろう。

******

 いつもより話が逸脱しやすくなっているのは、あと2時間後にせまった「デンシャ!! デンシャ!!」という、私のどうしようもない、3歳児並みの嗜好のなせる技だろう。

(ち、ちゃんと、国際問題に発展しかねない重要な任務を背負って(陰の声:勝手に「請け合った」んだろが全く)、「仕事」で行くんですけど。今回は途中から完璧に「仕事」=「旅行することそのもの」に一度なるもので.....)

*****

......さて、何が何でもあと十数分ぐらいで、「骨伝導」ヘッドフォンの話題をまとめよう(^^)


 現段階では、BCHS-FT001は、会話・通信用ヘッドフォンとしては、発音も聞き取りやすい域に達していると思います。

 しかし、"2chステレオ音場で”音楽を聴くという点では、未解決の問題も多い。

 まず、頬骨のあたりに振動板を当てるといっても、この当て方の微妙な加減で右チャンネルと左チャンネルの音質がまるで変わったり、音が一方に偏ったり、というのがいとも簡単に生じる。 

 これは、耳たぶという支点に明快に支えられ、しかも耳たぶそのものが「ずれないひっかっかり」として機能する通常のヘッドフォンの安定感がない装着になることが大きいだろう。

 ある意味では、誰もが、最初はシェアーE5c型のインナーイヤー型ヘッドフォン、特に耳び「引っかける」というより「耳栓」的にの奥深くに差し込むタイプの装着のバランスに戸惑うのと共通で、「慣れれば最適ポジションにさっと取り付けられる」となっていくのかもしれないが。

 もう一点は、頬骨のあたりって、結局声に出して話をすれば、かなり筋肉や軟骨や関節がが動く。だからどんどん場所がずれたりもするし、何より、ステレオの音の広がりの場の大きさが、まるでアルミでできたシートをパッコンパッコン歪めたら、「鏡」というには画面の凹凸が刻々と万華鏡のように変化しすぎるのとた似た現象が生じる。

 更に言うと、現行製品では、頬から骨に伝わる音と、それでも、振動板から空気を通して耳たぶに伝わってしまう音との間に、一種「こだま」的な「干渉」現象というか、音の混濁が生じることがまだまだ放置されている。

 というわけで、上記の機種、ステレオ音楽用ヘッドフォンとして、私もお奨めしませんし、もちろん買ってもいません。まあ、「2千円で」この音質なら、いろいろ実験すると面白そうなので、買ってるかもしれないけど。

****

 人間の耳の構造というのも頭の形というのもみんな違うのに、それでも基本的に同じように聞こえるところまで、ヘッドフォンというものの構造についての音響工学的・製品構造的・材質的・デザイン的な経験値が積み上がるまでにも長い歴史がかかった。

 値段もむやみと高いことでもあるし、現状では、「骨伝導型」ヘッドフォンは、まだまだ、それこそライト兄弟の飛行機の次の段階ぐらいの「開発実験」性があるのではないかとも思う。

 しかし、この前も書いたように、実は、ヘッドフォンの耳道と鼓膜だけをターゲットとして音を伝送するということそのものが、ある意味で人間の現実世界での音の体験としては「特異な」あり方であるとも言える。その点ではスピーカーの方が、「耳以外の身体にも響きが届いているという点では「自然」なのだ。一時期流行った、安楽イスそのものに低域の振動を伝える装置を組み込むというのも、ある意味では「自然な」音の体験に迫るひとつの方向性だったろう。

 「骨伝導」を、バーチャルな音楽体験のリアリティを高める為に考慮する装置は今後どんどん発展し、恐らく「頬骨を通して伝導する」必然性すらない形で、いわば人間の身体内部に、「電子レンジ」的な形で振動を体験させる装置とかもできるかも。

(ちょっとブラックな表現だったら許して下さい。.....でも、酸素も薄くて極寒、地上10キロの成層圏の空の上を、音速の半分近いスピードで、一日何十万人の一般の人が、狭い葉巻みたいな空間に数時間押し込められてのんびりくつろいでいる.....というのが「文明」です)

 あるいは、それこそ「千年灸」みたいな部品を身体の一角に貼り付けるだけで、目を閉じるとそこにはコンサートホールのオーケストラの響きが感じられる、という時代も来るかも。

 それを、「ちょっと恐ろしい」と感じつつ、しかし、まさに人間はそうやって「人工的な」環境を作ることで進化し、生き延びてきた現実と向き合いながら、どこをどう折り合わせるのがいいのか、矛盾に対峙し、絶えず悩み苦しんでいくのが、「人間として、あるいは自然の一部として生きる」ということの宿命なのだろうと思います。

*****

ラストでいきなり話が大きくなりました(^^)
 

「♪生きるってのは常に自分の手で洗濯をし続けること♪」

..........既に絶対、多くのファンの人たちが「サムい!!」と言いあいつつ、飛ばしているギャグだろうなあ...

...と思いつつ、

本当に洗濯機(←自宅の機種)の前で浮かんできて来てしまったから仕方ないではないか!! と開き直るこういちろうであった。

 これからは、条件反射的に(?)、当面歌詞をこのようにしか「聴けなく」なるだろう.......

浜崎あゆみ"1 Love"浜崎あゆみ - Secret - 1 LOVE(アルバム”Secret”所収)

*****

 ......あ、"A BEST 2"絡みのayuネタ、本格的なの、もう一つ書きたいのだが、今後のスケジュールがとっくに「押し」過ぎているので、2日ぐらい後になるかも。お許しを。

大人の態度

 もし、相手と意見がどうしても相容れないときに、相手に礼を尽くしつつも、自分の気持ちを偽らないにはどうしたらいいのだろうか?

 「あなたに意見を言っていただけたことについては、私が自分のやり方や考え方ついてもう一度じっくり吟味させていただく機会をいただけることになりましたのでで、心から感謝します」

と、「本気で」相手に伝えられるかどうかかもしれない。

 それが、皮肉だとか、「政治的答弁」と誤解されないように気をつけながら。

 .....今、うまく整理して言葉になったけど、

 実はこれを成り行きで、しかし冷静に、思わず口にできた時に、私はいつの間にかひとつひとつステップを刻んできた気がします。

 

先週の人気記事ベスト30スペシャル!!(07/02/25-3/3)

「カウンセラーこういちろうの雑記帳」週に一度の恒例、@NIFTYココログの、日曜日-土曜日の「週ごと先記事別アクセス解析機能を使っての、先週の記事アクセス「ベスト20」の発表、34回めの「筈」ですが、今日、明日はこちらから出向いての「営業/広報活動」も入るし(^^)、最近、実は、読んでいただける記事が分散しつつも増加する傾向あり、20位-30位ラインあたりが僅差の接戦で、ウェブマスター個人としてはおもしろい展開なので、久々にベスト「30」スペシャルバージョンやりましょう!!(^^)

 固定リンクでのアクセス率の順位から集計しています。アクセス数が同じ場合には、訪問者実数上位の記事を上位とし,訪問者実数も同じ場合にのみ、同じ順位として掲載します。
 7×24時間、つまり3/3日(土)24:00の時点での集計です。

 それでは発表!!

 先週の一週間の総アクセス数、延べ2,019(前回1,999)。(一日平均アクセス288.43。前回ス285.57)と、久々に週2000アクセス回復達成です!! ありがとうございます!!

 訪問者実数は、1,576名様(前回1,540名様)と、これまた上昇。

 「サイト内移動」、前回355(34.31.%)に対して今回379(34.5%)。
 「トップページへの外部からのアクセス」、前回456(44.0%)に対して、今回466(42.5%)。

すべての数字が上昇です(^^)

 そして、当ブログの「一限さんでない率」、これは同じ人が一度に「何ページ」記事をお読みになったかと無関係な訪問者「実数」比に基づくもののようですが、5回連続8.2%。

 「訪問周期」は、毎日おいでになる「完璧常連様」は前回10名様、今回は11名様に再度回復。

今回はこの訪問周期の実態を少し詳しく公表します。

毎日:11名様
2日に一度(以下略):18名様
3日:20名様
4日:14名様
5日:22名様
6日:21名様
7日:13名様

一番めに多い訪問頻度:一ヶ月に1度 119名様
2番目に多い訪問頻度:二週間に一度 110名様

だいたいこのラインで、「3か月に一度」まで100名様弱です。

 それでは記事別ランキングの方の発表!!


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1.インシュレーターは使わないに越したことはない(→) 27週連続

2.欝とは、自分が無理をしていることを認識できなくなる時期にすでに始まっている(→)28週連続

3.「誠意がない」=究極の「いじめ」と「支配」の言葉? NEW!

浜崎あゆみの"momentum"プロモーションビデオを、もう一段深く掘り下げて味わえる方法 NEW!

5.「今が一番いい時」(通算700番目の記事) NEW!

6.ストーカー「加害者」の心理 (↑)

7.映画「マリー・アントワネット」「女王フアナ」、あるいは浜崎あゆみの「成熟」について(↑)4週連続

8.いいカウンセリングとは NEW!

9.ほどよい「違和感」こそ宝となる NEW!

10.処世術の常識 NEW!

11.受験生の受難は必至だって、わかる人には聴かなくてもわかるのにな.....(および、「モスキート・トーン」「オーディオ機器のエージング」について) NEW!

12.「ケーススーパーバイズ」とは何だろう ~入門編~(↓)8週連続

13.オーディオにおける接点復活剤について(↓) 10週連続

14.「神田橋條治」カテゴリーへの直接リンク(↓)6週連続

15.私のピュアオーディオシステム(そこに更にiPodをどう繋ぐか) (↓)6週連続

16.きょうの定休日ははなぜか掃除の日になってしまった。(ayu2006-7カウントダウンDVDの感想付き ) NEW!

17.「2007年2月」バックナンバーへの直接リンク NEW!

18.不眠?鬱?.....いえ「睡眠時無呼吸症候群(SAS)」の場合 COME BACK!! 

19."Focuser as Teacher"論 続編(2) -セッション実例編 下の巻-  (↓)

20.民族主義・ユートピア主義の超克(第5版) NEW!

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(以下、参考順位)

21."Focuser as Teacher"論 続編(2) -セッション実例編 上の巻- (↓)

22."↑↑"や"→→"ではなくて、"→↑"か、"↑→"で3ステップ深めましょう。 (↓)

23.弁護士や政治家的弁論術も、使おうと思ったら使えるくらいでないと、カウンセリング・マインドに満ちた対応はできないのでは? NEW!

24.ほとんど「オーディオの奇跡」という領域のヘッドフォン!!(+ 私の20余年におよぶヘッドフォン選定のさまよえる歴史)

25.グスターボ・ドゥダメル指揮、ベネズエラ・ユース・オーケストラのベートーヴェン交響曲第5番/第7番 NEW!

26.「モバイルオーディオ」カテゴリーへの直接リンク

27.ドヴォルザークの交響曲第4番(コシュラー/スロバキア・フィル)との再会(第3版) NEW!

28.Vistaの最初の印象(↓)

29.シェークスピアはラブコメの古典でもあるのだ。そして...... NEW!

30.「共感的に」人の話を聴くとは?(入門編)


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 ちなみに、今回のランキングでは、前回のランキング記事そのものが、何と40位にならないと登場しないのですね(^^;)

 今やどれくらい読まれる記事の範囲の広がりと平準化が進んでいるかという目安かと思います。


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 これを書いている「今、この瞬間」(3/4 AM 02:04)までの当ブログ文章記事の延べ総アクセス数)は、135292、フォトアルバムを含めると155865、ブログの通算記事数はこの記事で706本めです。

 今後とも、「カウンセラーこういちろうの雑記帳」を、よろしくご贔屓(ひいき)に、お願い申し上げます。

****

 それでは、神奈川の臨床心理士の皆様、今日はどうかよろしくお願い申し上げます。

 明日お会いする、日本のフォーカシング関係者の皆様もどうかよろしく(どこでお会いするのかは、関係者以外にはサプライズにします(また、「よーやるよ、こいつは!!」 と思われそうなので......^^)


HMVジャパンApple Store(Japan)

2007/03/03

私、最近の特撮ものとは全く縁が薄いのですが

 話題を一気に唐突に変えてしまえる、とんでもねえこういちろうであるが。

 私、「ウルトラQ」から「ウルトラマンエース」までは観てたし、「マイティジャック」の富田勲さんのメインテーマはでたらめにかっこいい曲だと思うし、「キカイダー」や「バロム1」、そして「アイアンキング」(オープニングとエンディングは傑作だと信じる。かっこいいよねえ)とかは観てましたけど、なぜかに「仮面ライダー」シリーズを観たことがない変な少年です。

 いわゆる「戦隊もの」ともずっと無援で、唯一はまったのがアニメの「セーラームーン」であることは過去の歴史と記録に燦然と残っております(今を去ること13年前、学会発表してるもんね。あの、幾原邦彦さんの才能が最初に爆発したと言える異端の傑作劇場版”R”の。)

 ちなみに、実は「好き! 好き! 魔女先生」に小学校5年生の時にときめきまくった恥ずかしい事実も告白しておこう(「コメットさん」ってったら九重佑三子さんでしょ? 大場久美子さんのなんて知らないやい!! の世代)


*****:

 .....という伏線を張ったら、だいたい何を書こうとしているか、わかる人には見え見えでしょうけど。

ヒロインは、東京都杉並区在住の主婦、由美子。高校時代、神様の命でスーパーヒロイン「美少女戦士フローレンス」として活躍していた過去を持っていた。スーパーヒロイン生活に疲れ、高校卒業と同時に普通の女の子に戻った由美子は、その後外資系企業に勤める夫健介と結婚、ごく普通の生活を送っていた。そんな由美子の前に再び神様が現れ、「美少女戦麗舞(=セ・レ・ブ)パンシャーヌ」になるように命じる。奥様兼スーパーヒロインとして、宇宙とご町内の平和を守る生活が始まる……という物語。

.....ともかく、msn=毎日の記事で、この設定だけ読んで大爆笑してしまったのである。

 さすが「浦沢さん」的センスだな(.....これだけでついて来れる読者層がどれくらい私のブログにいらっしゃるやら).....と、思う一方、「セレブ」という言葉を別としても、この設定そのものが、いかにすでに、旧オタク文化が実は「普遍的」な領域に入っているかの象徴とも思ったのだ。つまり、今やいわゆる「ヤマト」ブームの頃の世代が「おじいさん」「おばあさん」になりだす可能性が出てきた時代ということ!!

 もとより、浦沢さん、まずは子供たちが喜び、

「ひょっとしたらうちのドジなお母さんも実はすごくかっこいいのかもしれない」

と思えるような、日本の家族崩壊を救うような作品にして下さいませ。

*****

 残念ながら、「日本一のスーパーセレブ歌手(のもうひとりの方)」は、離婚という形で再び宇宙の平和、もとい、POPSシーンの中での次の戦いのステージに進まれるようですが、何か、あんまりどろどろとした別れ方の雰囲気ではないところが宇多田さんらしいのかもしれない。

 彼女なら、何回結婚したり離婚したりしても大丈夫でしょう(^^)。

弁護士や政治家的弁論術も、使おうと思ったら使えるくらいでないと、カウンセリング・マインドに満ちた対応はできないのでは?

 前の記事を「おっかねえカウンセラーだ」と感じた読者の皆様のために(^^)

 もう寝ようって時に、即興で、ああいう「弁論術」もつかえるくらいの臨機応変な表現スキルを持ちつつも、場をわきまえてそれをコントロールできるくらいじゃないと、クライエントさんにも本当に信頼してもらえるやさしいカウンセラーになれないと思う。理想論だけど。

 これであと、武道(護身術)のひとつでもたしなめたりしたら、ベストかもしれない(^^)

 護身術といえば、次のようなサイトもあることを「敢えて」「私が」インフォメーションします。

●女性のためのセルフ・ディフェンス Wen Do

 このサイトの運営者の方もフォーカシングと「二足のワラジ」なんですよ。

 Fさん、ご迷惑ではないですよね?

「誠意がない」=究極の「いじめ」と「支配」の言葉?(第2版)

 あまり時事ネタやらないタチだけど。

 1.もし、「おふくろさん」に前奏をつける際に、川内氏の了承を得るプロセスを踏まないままだったというのなら、それはレコード会社とプロダクションの手落ちである。

2.川内氏が、森さんがコンサートでこのバージョンを既に前から使っていたことを紅白歌合戦の時以前に掌握していた、と、私は報道で理解してますが。なぜその段階で川内氏は抗議しなかったのか。

3.あのバージョンを「紅白で歌ったから」問題にしたのだとすれば、紅白歌合戦という番組を「神聖視」しずぎていることにならないか。紅白で歌った歌手とそうでない歌手は別の「階級」であるという法律的根拠でもありますか?

4.森さんは紅白以外のテレビ出演であのバージョンを歌ったことがあるのかないのかの情報を私は知りませんが、もし、著作権上、「コンサートで歌う権利」と「テレビ放送で歌う権利」は、別ものという法律的根拠があるのかしら? あるとすればそれが論じられるべき。

5.「おふくろさん」をはじめとする川内氏作詞の森さんの曲を聴けなくなることを歓迎する日本の歌好きなどどこにもいないでしょうに。

6.早い話、契約上の段取りに過去問題があったとして、今後前奏付きの「おふくろさん」は歌わない、という約束と若干の慰謝料で問題解決する以上のことは法律的にも考えられないのでは?


7.著作権問題という「正義」のため?

「権利ノ濫用ハ是ヲ許サス」

と民法第1条第3項にもあります。

(私の「紙の」六法全書は大学学部生時代のだから古い表記のままとします)。

実は、民法典が健全に機能するためには、それがどれだけいい方向に改正されようと、条文解釈と実際の適用に絶えざる議論と吟味が必要であろうと、この条文がいちばん重要なのだと思う。ないとえらいことになる条文なのだ。


8.敢えて問う。川内氏は、過去、お忍びで「自腹で」森さんのコンサートを聴きに行ったことがあるかどうか?

「誠意がない」

って言葉、凄く「危険な」言葉だと私は感じている。

人を果てしなくいじめるために使える言葉。

 逆を考えるといい。

自分が常に「誠意ある」生き方してきたって言い切れる人間ほど、信頼できない人間はいないでしょ?

 あと、似たような言葉で言うと、私がでえええっきらいなのは

「全力を尽くしたか?」

というものの言い方でして。

「私は全力を尽くしました」と言える人間は、まだ全力を尽くしていない余力がある、という論理はいくらでも立てられる。

気絶するまでがんばったら人は全力尽くしたのか?

その人が死んでしまっても「なぜ死なずにがんばらなかったのか」

という論理を使えたりするかも。


*****


この川内さんという人は、

「自分が死んだ後も他の人間は生き続ける」

ということそのものを憎んでいるのかもしれない。

自分が死ぬのが怖いだけなのかもしれない。

「生きること」に「土壇場まで追い詰められている」のは川内氏の方である。

あるいは、大往生の直前に「寛大に許す」日の自分のことを想像して自己陶酔するぐらいしか残された生き甲斐がないのかな?

あるいは、(2chふうシミュレーション)「実は森進一の人気回復のためにぐるになって『芝居』してあげている」のですか? だとすればすばらしい師匠ですね。


****


空を見上げたら、いつまでも空で暖かく見守ってくれるからこそ、先達なんですが。

「世の中の傘になる」とは、いつまでも「支配者でいる」ことだったのかしらね。


あなたがいじめているのは、森進一ではない。

森進一の「おふくろさん」を聴きたい、日本中の人たちなのだ。


あなたのような人がいるなら、みんなまねして子供のいじめが増えるよ。

これは、ゆゆしき「教育問題」である(^^;)

「師には絶対服従せよ」

というのが理想の教育であるというのならともかく。


......以上、寝ようと思ったら、この記事見つけてしまったので。


   この世界はすべてこれ一つの舞台、
  人間は男女を問わずすべてこれ役者にすぎぬ、
  それぞれ舞台に登場してはまた退場していく、
  そしてそのあいだに一人一人がさまざまな役を演じる。
..


シェイクスピアの「お気に召すまま」の、確か幕切れのセリフですね (小田島雄志訳による)。


*****


べートーヴェンが死ぬ前に最後につぶやいたとされる言葉が、

終油の秘蹟を受けたあとで、以前注文していたワインがやっと届いて、

「残念、残念、遅すぎた」

だったと思う。

(最後の秘蹟の後は、ワインもパンも口にできませんから)

 これも、シンドラーとかが脚色した伝説かもしれないけど、

これこそあっぱれな最期の言葉という気もする。


******

●追記:

BGMは、「同じ」紅白でブレイクした、新垣勉さんの、「千の風になって」
新垣  勉 - 千の風になって - Single - 千の風になって

 これって、受け取りようによれば、第2の「おふくろさん」みたいな歌のような。性別を超えてますけどね。もとより、この曲ができた時点では森さんのお母様は存命だったのは知っていますが。

「おふくろさん」へのreplyの曲として聴いてみるのもいいかも。

.....などというあたりで、お二人が「仲良く喧嘩したで終わることを祈ることには代わりがない、平均的日本国民のメンタリティの私なのであった。

2007/03/01

きょうの定休日ははなぜか掃除の日になってしまった。(第3版 2006-7ayuカウントダウンDVDの感想付き )

 なぜか朝早く起きられてしまったら勢いがついてしまい......

 というか,2年も前に買いながら開封してなかった商品とか、やっとまともに開封して実用できるようにして、過去の空き箱の整理を進めたという水準なんだけど。

 これで,自宅でも、これまでの食生活の改善の安定に加えて、決して3日坊主になりそうもない積極的ダイエット(というより,室内運動ですね)ができるだろう。

 最近、ダイエットはリバウンド決してしないスタイルが「完成期」に入ったのはいいけど(要するに脂肪分から逃げまくって揚げ物も控え、パンは決して食べずに肉と言えば魚肉中心、おやつはおにぎりで、しかも無機質系か海藻系の具一辺倒、ラーメン系やカップヌードル系全面回避、外食も徹底的な和食主義、コーヒーのノンシュガー化、それだけのことだが)軌道化したのはいいけど、体力が足りないことに少し限界を覚えていた私である。

 それでも,恐らくトロイの遺跡はシュリーマンが信じていたよりもっと下の層まで掘らないと本格的考古学的発見とはいえない......ぐらいの状況ではある。

 もとより、「地層」の上で生活はしていない。掃除機はかけられるくらいに「床は見えて」いる(爆)。まるで城壁のように立ち並ぶ、引っ越しして1年半段ボールに積まれたままの,本とCDとLDとLPの山が次のテーマである(中身の点検だいたいやったけど)。もとより、地震が来ても私の身に「全く」危険がない位置に積み上がっているが。

 明日がゴミ回収日という中、マンションの置き場まで10往復しただけで前進ではあるだろう。

*****
 おかげで、ayu様のA Best 2の「おまけ(何とも豪勢なおまけの付け方だが)」の、私もつい2ヶ月前代々木詣でをした最新のカウントダウンライブのDVDは「今から」観るところである。

 私は、ayuの曲とは「抜き身での勝負しかしない」と心に決めているので、ayu自身が曲についてどうコメントするかについての情報は決して読まないことにしているけど、たまたま、ayuが前作アルバム"Secret"を、裏タイトル"ReBorn"と呼ぶくらいに満足していることについては記事が「目に入って」しまった。

 つまり,"Secret"(の新作曲ぶん)はもはや特別なアルバム、という思いがあるので今度のベスト盤に入れてないのだ、と。

確かに、ホント、そうだろうと思います(^^)
 
 「以前の曲を聴きなおすのはしんどいかなと思ったけど、けっこうあっさり納得できた」

 という意味のこともayuのコメントにありますけど、ayuって無茶苦茶に自己評価がカラい(「低い」のではない)人で、作った端から自己嫌悪し,空しくなるするタイプ、「昔の自分の創作物は観るのも嫌」というタイプと思いますので。

(私も、結構そういうところがある)

*****


3/2に時計が回ってからの追記:

 初回ボーナス特典のカウントダウンライブDVDだけにしても、ついに「公式に」ayuのセルフプロデュースであることがエンディングでクレジットされましたね。

 .....これ、些細なことのようで、実はそうではないと思います。

 ayuとavexの関係の質というか、それが「経営面」にすら影響する「何か」が徐々に始まるのではないかという,勝手な「中期的見通し」を個人的に予感します。

 一見、過去の舞台演出の焼き直しがプログラムの半分強なわけですけど、結局、内容の質は高度になってますね。純粋に演出まで新作したといえるのは"Beautiful Fighters"だけということになります。

 ayuの歌のキーは何曲かで下がって、曲の輝きが低下したと感じる人もあるでしょうけど、歌唱力的に観ると,過去のライブ記録より、明らかにayuの円熟と、ダンサーの演技とかもちゃんとクオリティを磨き上げている。「12月30日と31日という、たった2日間」のために

 そして、この「豪華盛り合わせセット」の、いわばクライマックスを延々と続るような作りにも関わらず("flower garden"、"Hummming7/4""independent"のそろい踏み、ってこれまであったっけ???  もちろん"trauma"も"evolution"も"Unite!""Boys & Girls"歌ってるから、過去の客席からの掛け合いやフリが必要な曲が「全部」ライブで体験できていたことになる

 更によっちゃんとのトークコーナーも、それどころか、客席全体の大ウェーブ(.....過去一度特定の公演で,別の趣旨でやったとか.....)、などなど、ラストまでライブの盛り上がり具合が高水準な熱さと洗練を兼ね備えたライブDVDはこれまでないかもしれない。

 その意味で、この初回限定版を買い逃すのは、ayuファンを自認するする人ならもったいないないことかと思います。

 そろそろ、初期のCDの「焼きの質」が悪いフルアルバム3枚、そして、"A BEST""A Ballads"を含む、HDCDとCCCDの問題に翻弄さた「メモアド」までの5枚も,リマスタリング再発に踏み切ってもいい頃かな....と、ふと思いました。

*****

 ちなみに、果たして今回の"A Best"2枚のCDそのものの時点で、音質が改善されているかどうか?...この点は、明日、職場でiPodにロスレスコピーして聞き慣れたヘッドフォンで比較して聴きこんでみるまでお待ち下さい。

 今回のCDをLINN KLASSIKからKINNの用ケーブルでタンノイ・スターリングで聴く範囲でも、単なるHDCD外しだけではなく、特性的にはすごくフラットな方向、マキシ初発やHDCDをやめてからのオリジナルフルアルバム収録曲も、収録の際より更に音質をそろえてはいて、「ドンシャリのあるイコライジングではない」形のようには感じているのです。

 しかし、『リマスタリング』を公然と売りにしてもいいといえる水準が確信的にあるどうかについては、何より今や圧倒的に普段音楽を聴く態勢であるiPodで聴かないと正確に判断つかない私であります

 .....今の「うちの」装置、エージングが効きまくって、まとまりがよく「なり過ぎて」いるもので、その装置でむしろ「あんまりにも色づけなく」、素っ気なきまでに響くというのはいい兆候なんですが.....

HMVジャパン

ほどよい「違和感」こそ宝となる

 これもまた、なぜかこのブログでご紹介しないままになっていた話題のひとつなんですけど。

 昨年の10月に放送されたNHKの「プロフェッショナル 仕事の流儀」に、株式会社ウィズ社長の横井昭裕さんが登場した回を、テレビ番組を普段はほとんど観ない私が、DVDを観た後に画面で偶然始まったまま、おもしろくてしっかり最後まで見通してしまったことがあるのです。

 これから書くことは「たまごっち」をはじめとするヒット商品企画の仕掛け人として著名なこの方についてご存じの皆様には衆知の「伝説的」事柄かもしれないけど、きっと、ポイントのとらえ方に私なりのものもあると思うので、書いてみましょう。

******

 実際にある新しい商品の企画を進める段階で、その商品の「デザイン」として3つの案が出された時の、社長、横井さんの対応がおもしろかったのです。

 30名近い社員に「人気投票」をさせた。すると、票は20名人近い社員が得票したC案にかたまった。これは、いかにも最近のアニメキャラじみた顔のデザインになっていたものでした。

 ところが、横井さんはそれにもかかわらず、得票者の少なかったA案で前に進めることを社員にアピールしていくわけです。

 それは、単にそのA案を「横井さん自身が」が好んだなどという次元でのことではありません。横井さんもそれらの中のどれが売れるかわからない、だからスタッフのアンケートを採った。

 では、なぜ同じ少数派のB案は退け、A案を推したのか。

 B案の支持をする人の中には、熱烈に支持する人はいなかった。ところが、A案を推した社員の中に、2人、A案を非常に熱烈に支持した社員がいたから...ということでした。

 確か次のようなことを横井さんは取材スタッフに語ります。

 「ヒット商品というのは、誰にとっても「無難に」好印象を与える商品であることは実は少ないんですよ。むしろ、大半の人の第一印象としては多少「違和感」を覚えさせるくらいのものが多い。熱烈な支持者がスタッフの中に少数ながらいた、まさにこうしたラインの商品ががむしろ有望なんです。どこかに少しトゲがあるくらいの商品の方が、実際には大ヒットに結びつくことが少なくないのだ」

と。

 最初に紹介したNHKのホームページの資料には「トゲ」という業現はあっても、私の耳に最初耳に響いて来た「違和感」という言葉は載っていません。この回の録画は残してないのではっきり確認できませんが。

 もちろん、違和感があるので全く売れなかった商品も一方にはあると思います。でも、考えてみれば、「無難なライン」を狙って、最初からかなりの投資をして製品のストックを作り、広告に力を入れても、結局それらの投資を差し引くと、期待したほどの儲けにはならない......で、「ま、商売なんてこんなものだよ」......それを繰り返すうちにその会社はじり貧になる.....なんていうことは珍しいことではないでしょう。

  
 「猫ニャンぼー」「プリモプエル」など、横井さんのヒット企画商品は、ある意味で高級感あふれる本格的な大型商品でないものが多いと言うことはあるかもしれません。つまり、一度ブームに乗ったら、大車輪で大量生産にも持ち込める性質のものが多いとは言えるのかもしれない。


****


 もっとも「最大公約数の人には当初は違和感があったのに、その頃の歴史や記憶は忘れ去られているだけ(爆)一度大衆的な下からの人気が支え始めると、いつのまにかその商品のセンスの方が時代のスタンダードになっていた......なーんてことは、例えば後に時代の寵児となった俳優さんでも、歌手でも、映画でも、お笑い芸人の人たちでも、よくあることではないでしょうか。

 だから、その人物や商品が登場した「当初の」批評なんかでは、批判的意見ばかりを実はあの大御所評論家も書いていた.....なーんていう例は、資料を発掘すればいくらでも出てくるわけですよね。

 「熱狂的賛辞」をごく一部の無名な評論家だけがしていて、今度は、気がついてみたら、その評論家そのものが10年後には大物になっていた......みたいなことすらある。

 私の趣味の畑で言えば、クラシック音楽の世界では、初演の直後はさんざんな批評だった(ひどいのになると、初演時の批評そのものが歴史的資料としてほとんど入手しがたい、なんていう例は山のようにあるわけですね。

 ベートーヴェンの「英雄」交響曲「合唱」交響曲についての初演の時点での新聞批評なんて、言いたい放題にへんちくりんな音楽としてけなされています。

 それどころか、「2曲とも同じ日に初演された」というのが信じがたい「運命」「田園」
に至っては、初演時の批評家の発言の歴史的記録そのものがほとんどない。
 
 映画の世界とかも似た面がなきにしもあらずで、鳴り物入りで宣伝され、直後に大ヒットした映画に限って、意外と忘れ去られるのも早い。

*****

 最近何かと話題の森進一さんは、デビューの直前は「な、なんだ、こんな声の奴!!」という形であしらっていた当時の音楽業界の大御所もいたとのこと。

私は父親が完璧な森進一の同時代ファンで、デビュー曲からちゃんと同時代的に親は買っていました(和田アキ子の「デビューシングル」とかも実家にはちゃんとあるのだ。歌えますよ。おかげで私は)。

 でも、森さんの曲の多くって、森さんの「あの声」と一体化しているから名曲なんであって、実は素人がカラオケで歌っても、あるいは他の演歌歌手がカバーして歌っても、「あの味」は全然出ない。

 「襟裳岬」なんかも、吉田拓郎のオリジナルアルバムとして出ていただけだったら、少なくともここまである世代以上の人にとって、究極の「歌謡曲の名曲」としての扱いを受けているだろうか?

森進一は、実は偉大なる「異端の」演歌歌手なんである!!

 今回の「おふくろさん」事件については、ある意味で、どこかの、ネットであとになって「内弁慶」的に声を上げることしかできなかった「誰かさん」に比べると(自分の曲とファンを愛していて、パクってない自信ががあるなら、最初から堂々としてなさい)比較にならないほど「大人」ですね。

 最初はこの歌はもはや「自分の」歌、というプライドを、奥さんと別れた後という、ただでさえ世間にいろいろ言われかねないタイミングに堂々と言ってのけ。今度はその後は、2回も自分から「アポなしで」遠路作曲者を訪問して謝罪しようとして、相手が留守だったとしても、「お会いできなくても、こうやって2回謝罪にうかがったということで私の気持ちはお伝えしていることになりますから」と言ってのけられるなんて、ある意味では大人の態度を一貫しつつも、かっこいいと思う。本当のプライドとは、こういうことをいうのである。

 坂本九さんの「上を向いて歩こう」なんて、実際に録音の場面になったら、彼が楽譜と全然うリズムで歌い出して、作曲家を激怒させたらしいですしね.。

つまり、作曲家(中村八大さんでしたかね)は

「うーえをむーいて、あーるこおおお」

と譜面に書いてたのに、のっけから坂本九は

「(八分休符)うんえんうぉんむーふぅーいんてん、...っあーーるっこーうぉんうぉんうぉん」

(それだけ、当時の坂本九が、当時の洋楽やジャズのリズム・パターンに首まで浸かっていたことに、新人時代から自負があったということでしょう)

とレコーディングのリハーサルで歌い出したらしい(^^)
 

 こうして、日本の歌で、恐らく現在も、これからも、日本で、世界で果てしなくカバーバージョンを生み出し続けるであろう
、永遠の名曲は産声を上げた。


 *****

●こちらの記事も参照


イノベーティブワン~横井昭裕 氏(株式会社ウィズ 代表取締役社長)

****

※なお、「たまごっち」も育てゲーとも言えるという観点から、強引に関連づけますと、私が唯一、2時間あればノーセーブで自由自在なエンディングに導ける域に達していた「熟練」ゲームだったのが「卒業」です(^^)。「プリンセスメーカー」にはそこまではまらなかったあたりが私の性格が反映していたのか。

さすがにオリジナルはもう出ていないみたいなので、"Next Generation"のほうをを掲げておきます(^^;)

あと、オリジナルの復刻版の中古も見つけたので。

......そうか、私って、「ハーレム」落ちだけは達成できないままだった....5人とも結婚させたり、5人とも国大合格はいとも簡単にやれましたが。

 ああ、あの頃は中本静のファンだった私.....

 「タカビー」という言葉をこのゲームで知りました(^^)

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