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2007年1月

2007/01/28

「逆上がりしたい」の正体

 「どうも私はほんとうは「逆上がり」がしたかったようである(^^;)」というタイトルの記事を書いたのが、昨年(2006年)の12月8日である。

 実際の逆上がりへの挑戦は実はまだなのだが、確かに、あのひとりフォーカシングをした時から、私の中の何かが変わり始めたと感じている。以前だと、億劫がってとりかかれなかったこと、徹底してはやらなかったことを、私なりのペースと順序でだが、日常の中でもひとつひとつやってきたし、このブログでもそうだという気がする。

 その辺の変化が、果たしてこのブログを定期的に読んできて下さった皆様にも感じていただけるものなのかどうかは、わからないが。

 フォーカシングや体験過程理論についてのベーシックな書き込みを私なりに重ねてきたのもそういう脈絡の一部。以前だと、「そのへんのことまでなら勝手に勉強すれば。してないのがおかしい」と、今にして思えば「ふんぞりかえって開き直っていた」と言われても申し開きができない内容について、私なりの平易な言葉で消化した上で、何とか「伝えよう」としてきた気がする。

 もとより、現段階でも不十分なもので、例えば、面接の中でのクライエントさんの深まりを示す「体験過程尺度」の評定の基準に関しては、実はその全体を示してはいない。知的な自己分析に過ぎないものを"stage 2"とするという評定基準の識別のしにくさの問題を実は敢えて避けて通っている。しかし、敢えてシンプルで流れとして追いやすい側面について、記事で書いたような仕方で解説してみることも、この尺度を取っつきやすくするための方便として、現実にはなかなかあり得ない、一回の面接の中でstageが刻々と上がっていく架空事例なるものを創作してみたことには、意味があったのではないかと感じている。

*****

 浜崎あゆみの作品評の迅速化や、ライブについての私なりの見解について具体的にまとまった形で書こうとすることすら、そうした「逆上がりをしようとする」脈絡の一部だと思う。はじめてみたら、たいへんな労力がかかるのに、やり始めていた。恐らく、今週末福井から帰ってきた直後、来週には、あの「ライブ論」連載は完結しています。

 そして、「『逆上がり』していくこと」の、取りあえずの到達点が、正式のパンフレットの制作、その発送のための準備、そしてそこに、ほんとうに思いつきで割って入るようにして始まり、一晩で一気に達成された、職場websiteのリニューアルだったように思う。

 これほど、ずっとやりた『かった』のに、億劫がっていたことはなかったのである(^^;)

 これが、私の体験過程のステップが指し示した、「順序」だったのだと思う。

 ,,,,,,というわけで、関係者の皆様への新しいパンフとWebsiteリニューアルのお知らせの郵便の発送を明日から始めます。一気に発送ではなく、増刷しながらの発送ですからお手元に届く日にばらつきがでるかと思いますが、どうかよろしくお願い申し上げます。

******

 ちなみに、福井から帰ると、ほんとうに大人向け室内用の「鉄棒」的器具が私を待っていることになる(^^;)。「逆上がり」へのご恩返し(?)のつもりである。

先週の人気記事ベスト22!!(01/21-27)

 「カウンセラーこういちろうの雑記帳」週に一度の恒例、@NIFTYココログの、日曜日-土曜日の「先週」記事別アクセス解析機能を使っての「ベスト20」の発表29回めです(^^)

 固定リンクでのアクセス率の順位のみから集計しています。
 7×24時間、つまり1/27日(土)24:00の時点での集計です。

 それでは発表!!

 先週の一週間の総アクセス数、延べ1,767(前回1,703)。(一日平均アクセス252.43。前回243.29)と、前回より若干増。

 今週は、パンフレット作りや職場ウェブサイトの更新などのため、最近では新規記事が積極的とは言えない週であったにもかかわらず、なぜかまんべんなく幅広い記事をコンスタントにお読み続けていただけたようです。誠にありがとうございます。

 訪問者実数は、1,412名様(前回1,279名様)とこれもかなり上昇。

 「サイト内移動」、前回の366(37.7%)に対して今回324(36.8%)、それに対して、トップページへの外部からのアクセス、前回381(39.3%)に対して、今回335(38.1%)。

 そして、当ブログの「一限さんでない率」、これは同じ人が一度に「何ページ」記事をお読みになったかと無関係な訪問者「実数」比に基づくもののようですが、前回8.4%、今回8.3%。コンマ1%落ちました。

 「訪問周期」は、毎日おいでになる「完璧常連様」は前回の9名様から今回8名様にもどりました。

 それでは記事別ランキングの方の発表!!


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1.インシュレーターは使わないに越したことはない(↑) 22週連続

2.「共感的に」人の話を聴くとは?(入門編)(↑)

3.欝とは、自分が無理をしていることを認識できなくなる時期にすでに始まっている(→)23週連続

4.先週の人気記事ベスト21!!(01/14-20)

5.「ケーススーパーバイズ」とは何だろう ~入門編~(↑)

6.私のピュアオーディオシステム(そこに更にiPodをどう繋ぐか) (↑)

7.マリー・アントワネットからスコットランドへの道(?) NEW!

8.「湘南フォーカシング・カウンセリングルーム」サイト刷新!! NEW!

9.「疲れた」「つらい」筈なのにそう感じていな「かった」時の「独特の感覚」は本人にも「実感」できる(↓)

10.2/3(土)-4(日)は、日本臨床心理士会「ベテラン臨床心理士のための研修会」に参加させていただきます。 NEW!

11.オーディオにおける接点復活剤について(↓) 5週連続

12.「死にたい」と言ってもらえること (↑) 8週連続

13.浜崎あゆみと中島みゆきの共通項(↓)

14.カウンセラーは、クライエントさんの話を「受容・共感」できない方向に、徐々に追い詰められていくことも多い NEW!

15.ここ2年ほど、なぜここまでライブのayuの歌唱力は急上昇したのか -DVD"ayumi hamasaki arena tour 2006 A”(1)- (↓) 5週連続

15.コンサートは、ayuの歌唱技法の使い分けにあわせて、合理的な「ブロック化」がなされている -DVD"ayumi hamasaki arena tour 2006 A”(3)- NEW!

17.フォーカシングとトラウマについての記事がTFIの日本語版WebSiteにupされました。 NEW!

18.「浜崎あゆみ」カテゴリーへの直接リンク COME BACK!!

19.ストーカー「加害者」の心理 NEW!

19.「神田橋條治」カテゴリーへの直接リンク COME BACK!!

21.昨日は、たくさんの方においでいただき、ありがとうございます。 NEW!

21.やっと「公式」パンフレット完成!! NEW!

*****

 なお、15位、19位はアクセス数も訪問者数も同数ですので2つあります。こうした場合のこの連載の慣例として、21位までご紹介します。ところがその21位も2つあるのでベスト22になってしまいました(^^;)

 要するに、今回はもの凄く票が割れています。262位まであります。

 何か、臨床心理系が結構基礎的なのがまんべんない気もして、ひょっとして......大学生の皆様、レポートの季節ですか????

 そういう中、久々にayuのカテゴリーへのダイレクトリンクがベスト20入り。ayuの昨年のライブの連載が2つ。ayu系の特定の記事が5週連続ベスト20ランクインというのははじめてだと思います。結構やはりayu系の記事への期待は読者の方から受けているのかなとも思います。四日市からの今日の帰りも久々にアルバムの"(miss)understood"を通しで聴いて、やはりこのアルバムは奥が深いなあと思い直したところです。今週はちょっとあわただしめの週でどうなるかわかりませんけど、ともかくayu系の記事はまだまだ出ます。眼鏡が見つかれば(^^;)

 今は、カウンセリング系の方が、この前の「疲れているのに疲れを感じなかった時のフェルトセンス」の記事で、私の今の段階での集大成の見解が書けた思いも強くて、次の段階の記事が意外と出せないかもしれません。

*****

 これを書いている「今、この瞬間」(1/28 AM 12:49)までの当ブログ文章記事の延べ総アクセス数)は、 126250、フォトアルバムを含めると145622、ブログの通算記事数はこの記事で670本めです。

 今後とも、「カウンセラーこういちろうの雑記帳」を、よろしくご贔屓(ひいき)に、お願い申し上げます。

HMVジャパンApple Store(Japan)

2007/01/26

眼鏡が見つからない椿事

 昨日、朝までかけて、とりあえず職場のウェブサイトを一気にデザイン変更した後、自宅に帰って爆睡したまでは、積年の課題(?)のひとつを解決して、相当、身が軽くなった思いをした。

(もう少しデザインと文章に手を入れると思います。IEで問題なく見えるのに、FirefoxやSafariでは問題が出る場所もあるようだし)

 ところが、その後自宅で目を覚ましてからが.....

 眼鏡が見つからない。

 この問題は、結局解決しないまま、丸一日経過、本日四日市に出発するしかなくなった。

 おかげで、「マリー・アントワネット」を観るのは先送りとなりました。

 車を運転する人ではなくて助かりました。

 パソコンはフォントを大きくしてみれば切り抜けられますが。

 読書は、普段から眼鏡を外しているのでできる。

 ......ということで、今日明日は、この体制で、開いている時間は歴史の本と音楽系の「充電」に励みます。

 .....ということで、BGMは、●3000円以上購入で全国送料無料!(一部地域除)井上陽水/Best Collection井上陽水 - 夢の中へ: 井上陽水ベストアルバム - 夢の中へ「夢の中へ」および井上陽水 - 夢の中へ: 井上陽水ベストアルバム - 傘がない「傘がない」ということで......

2007/01/25

「湘南フォーカシング・カウンセリングルーム」サイト刷新!!

 やっと、デザインのメジャーアップデートに踏み切りました(^^)

Sfcnewsite

 ページも細かく分けて、随分見やすくなったのではないかと思います。

 我ながら、何と悠然としか、ここまでたどり着かなかったのだろうかと思います。

 その気になったら集中して作ってしまう私でした(^^;)

 正直に言って、「IBMホームページビルダ Ver.11」の機能に寄りかかって作ったのですが。


2007/01/24

2/3(土)-4(日)は、日本臨床心理士会「ベテラン臨床心理士のための研修会」に参加させていただきます。

 このため2日より3日間「湘南フォーカシング・カウンセリングルームはお休みとさせていただきます。

 臨床心理士のための宿泊形式の泊まり込みの催しで、「臨床心理士資格取得から10年以上」が参加条件です。100名ほど参加されます。

 ですから、「ベテラン」というより、何らかの意味でカウンセリング機関の運営に関与したり、臨床家を指導する立場にもなった、「中堅」クラスであれば十分参加資格はある、というふうにとらえていいのだと理解しまして、不肖私は、「ベテラン」というには少し早いのを承知で参加申し込みをさせていただいておりました。日本臨床心理士会初の試みとのこと。

 どういうプログラムになっているか、概略だけお伝えしますと、

第1セッション:臨床心理実践指導をめぐって―ベテランの立場に求められるもの(藤原勝紀先生)
第2セッション:臨床心理士の倫理と効率―ベテランの立場にあるものの法的責任(出口治男先生)
第3セッション:パネルディスカッション―職場の現状と後進指導、倫理問題等をめぐって(上記の2先生に加えて、澤野清志先生、竹村洋子先生、松森基子先生)
第4セッション:ベテラン臨床心理士に期待すること・伝えたいこと(成瀬悟策先生)

....等となっています。

 場所は、福井県の芦原温泉です。はっきりいって温泉旅館を団体様で借りての催し(^^)です。ただし、参加者は7名ほどずつ同室で泊まる、という形ですので念のため(^^;)。

 私としては、まだまだ先達の先生方から進んで刺激を受け続けなければならないことを肝に銘じるためにも、敢えて「飛び込んでみる」ことにいたしました。

 もし、当日お会いできる皆様がこのブログをお読みのようでしたら、どうかよろしくお願い申し上げます。

 これを機会に、近くの永平寺をじっくり(!)拝観してみたいという思いもありましたので、恐らく夜行急行「能登」で前日から現地入りさせていただきます。

 天候と体力的な余力があれば、岬マニアの私としては、東尋坊の日本海の荒波の前にたたずんで、風雪に耐えつつ(....となるかどうか?)もの思ってもみたいのですが。

(芦原温泉に安価なビジネスホテルがあるのか?....実は、あるのです。)

****

■付記■

 実際に参加申し込みをされた皆様向けの情報:

 日本臨床心理士会事務局に直接電話でお尋ねしたのですが、昨日(1/24)現在、参加者の皆様へ届くはずの「葉書」の発送が遅れているそうですが、まもなく発送されるとのことです。

 私は、切符の手配(「能登」に乗る限り、まず大丈夫なんですが)と、このブログで参加をお伝えすることのために、実際に参加できることを念のために確認いたしました。

2007/01/23

マリー・アントワネットからスコットランドへの道(?)(第2版)

 少し前の記事でご紹介した、
原聖/「<民族起源>の精神史 -ブルターニュとフランス近代-」)

を本格的に読み返すきっかけを生み出したのは、意外にも「マリー・アントワネット」なんです。順調にいけば、今週末、四日市で見るようにスケジュールを組んでいます。

(後日記:本格的なこの映画評はこちらで掲載しました)

最新映画、話題作を観るならワーナー・マイカルで!

 私は、クリント・イーストウッドの「硫黄島2部作」の時と同様に、事前に世界史の復習を始めたわけです(^^)。つまり革命前夜からフランス第一共和制のあたり。実は、プチ・トリアノンに引きこもって以降のアントワネットが必ずしも瀟洒な生活ばかりを愛したわけではない、とか、かの有名な「パンの代わりにお菓子を食べればいい」という言葉は、アントワネットに対する悪意から歪曲されて伝わった可能性があるということは知ってました。

 今回調べてわかったのは、私はずっとフェルゼンというのは、「ベルサイユの薔薇」の虚構の人物と思いこんでいたんですね(「ベルばら」のディープなファンの人、笑ってください^^;)。そしたら実在も実在で、マジにアントワネット命だった人らしいということ。アントワネットが処刑された後は、スウェーデンの外相、元帥(そこまで偉くなったとは知らなかった)として、かなり強烈な反動的な政策を行い、母国スウェーデンの政治家として民衆の恨みを買い、最後は、政治的謀略の中で見殺し同様の形で民衆に惨殺されて生涯を終えたとのこと。

 スウェーデンという国は、スカンジナビア諸国の中でも、特異な「政治的」影響力を持ち、デンマークにおけるドイツ(神聖ローマ帝国→プロイセン)、フィンランドにおけるロシアのように、大国と直接隣接していなかったために、デンマークとしょっちゅう戦争したり合体したりしながらも、バルト海の南の国々からの影響を「独自路線」で摂取し、中世から近代まで、日本で一般に知られるよりは、大きな役回りを演じた国のようです。

 ヨーロッパ主要国に張り巡らされた姻戚関係のみならず、近代的な「国軍」の創設という点でも、グスタフ・アドルフのドイツ30年戦争へのプロテスタント勢力への積極的荷担がドイツ国土を荒らし回る脅威を通して、むしろ他のヨーロッパ諸国のその後の手本となった。「傭兵」に依存する軍隊が時代遅れのものになり始める大きな転機となるのである(このへんは菊池良生/「傭兵の二千年史」 による)

 その結果、プロテスタント諸国では珍しいくらいの絶対王権を持ち、プロテスタントらしからぬ(?)壮麗な教会を含む、ヨーロッパを代表する宮殿や城を生み出してもいます(この、私のお城や宮殿についてのこだわりはまたいずれかの機会に)。

 Wikipediaによれば、そういう近代の「大国」スウェーデンの、革命前夜のフランスへの介入のためのスパイがフェルゼン(「フェルセン」と読むのが本来の発音らしい。これは納得)だったとのことです。実はアントワネットの実家、オーストリアのハプスブルグ家は、30年戦争でドイツへの覇権を争って以来の、スウェーデン王室にとって最大の目の敵だったわけです。しかし、どうも本国の「アントワネットを籠絡して操縦しろ」という意図を超えた「個人的感情」で結局動いたところもあるようです。

 日本の無条件降伏が実は「中立国」スウェーデンに打電されたことをご存じの方もあるかもしれません。「日本のいちばん長い日」でも、スウェーデンへの打電の時刻をせっつく外務省の役人が繰り返し出てきますね。

*****

 思わず最近関心が強くなったスウェーデンという国の話題に、フェルゼンのことから、寄り道してしまいましたが(私は、こうやって一国ずつヨーロッパ史を渡り歩くようである)、本題に戻りますと、あの恐怖政治を引いた、ロベスピエールらのジャコバン派
実は、ブルターニュ出身議員で作る「ブルトン・クラブ」が原型だったということを知り、フランスの中でも特異な地域性を持つブルターニュ独特のナショナリズム(民族主義)と、ジャコバン派の急進性の間にひょっとしたら連関があるとすれは、たいへん逆説的ではないかという発想が生じ、もう一度ブルターニュについて丁寧に調べ直そうという気持ちが生じたわけです。ちなみに、さっき「ブルトン・クラブ」といいましたが、ブルターニュ固有の言語のことを「ブルトン語(ブレイス語)」と呼ぶわけで、中央集権的「言語純粋主義」の権化のフランスという国の中で、ブルトン語(ブレイス語)の復権運動は、特異な政治的・文化的位置づけができるようです。

 実は、この問題に踏み込み始めると、ブルターニュから海を越えてイギリス(特にスコットランドとウェールズ)・アイルランドといった国々のアイデンティティ形成に特異な役割を果たした、「ケルト民族」「ケルト文化」の歴史的位置づけの変容の問題がどうしても絡んでくるようです。

 そのおかげで、職場のパンフレット作りが終わった途端に私が手に取った本は、ブルターニュの続きを追う前に、高橋哲雄/スコットランド 歴史を歩く」にまで飛んでしまってます(^^;;A

 我ながら、ほとんど自由連想的に横に広がる歴史的関心なんですが、「こういう」世界史の学び方っていうのが、現代日本の学校教育に一番欠けていることだと、私は感じています。

 通史的に歴史を追う知識の構造化という点では、最悪の効率なんですけど、国際関係について、現在の国際情勢にもそのまま通じる教訓と得たり、感性を養う上では、どっちが得るものと刺激が大きいだろう?....と。

 私、世界史は得意科目でしたけど、年号を覚えるとかいう点では、さほど根を詰めてやらなかった人です。スウェーデンの歴史について、私も「グスタフ・アドルフ.....30年戦争」以上の連想が半年前までまるでなかった人間ですけど、「もったいなかったな」と今にして思います。

*****

(第2版で追記:)

 なお、この記事にトラックバックを貼ってくださいましたブログ「映画で楽しむ世界史」のマスターは、すでに単行本を出しておられるようです。

 謹んで、ご著書を紹介させていただきます。

オンライン書店 boople.com(ブープル)

やっと「公式」パンフレット完成!!

 なせ今頃「公式」パンフを? と思われるかもしれません。

 これまで学会等でお配りしていたのは、国際グラフの記事とispotのWebSiteのものを裏表にして印刷したものに過ぎなかったのです(もちろん、許諾を頂いた上で)。国際グラフの記事は、角さんの「肖像権」がありますので、ネット上では公開していません。

 でも、実は連携をはじめた機関の担当者の方から、紹介して下さるクライエントさんのためにも「パンフがあればいただきたい」という申し出を受けてもいましたし、やはり自前で、しかも簡潔な、要点に絞った紙のパンフを自作しようとは前々から思っていました。

 まもなく、それを全国の同業者の先生方に手渡しでお配りできるかもしれない機会も実はありまして。

 このパンフは職場のサイトトップページからのリンクとしてPDFファイルでupしてもおりますので、印刷して頒布していただくのは歓迎いたします。

 では、本日の開業時間までおやすみなさいませ。

 

今晩は鋭意パンフレット制作中のためブログはお休みです。

 今晩(1/22-23午前様)は、面接修了後も、職場のパンフレットをやっと本気でPublisherで作り始めているので、ブログの方はお休みです。

(それにもかかわらず、おいでくださる皆様が多いままなのに、心から感謝しております(^^)

どうかお許しください。

 一度始めると、やはりこだわりまくり、懲りまくるのが私の性分のようです。

 こうやって自分のこだわりに「憑依」されるとわかっているから、億劫がって、なかなか始めないのですね(^^A

 .....あ、身体は全く持って元気です。昨日英気を養って正解でした。

 

2007/01/22

昨日は、たくさんの方においでいただき、ありがとうございます。

 久々に、記事の更新すら全くしないまま、ブログのお休みを頂きましたが、現実には、350アクセスに迫り読者の皆様においでいただいていたようです。誠にありがとうございます。

 昨日朝には、まさに典型的な「疲れてるのに疲れを感じていない」モードの兆候を他ならぬ私自身に感じました。そこで、ご予約がないのを幸い、実際には職場を臨時休業させていただいています

 もし,昨日中にご予約やご連絡をいただきました分については、本日昼過ぎ以降に折り返しのご連絡を差し上げますので、どうかお許し下さい。
 
 今日から半月ほどは、1週間ぶりに、すでにご予約の皆様が多いモードに戻ります。そしてそのまま週末に地方出張が「繰り返される」ことになります。

 一日ごろごろ過ごし、以前から読みたかったのになかなか本格的に読めないでいた、フランスのブルターニュについての歴史の本を読み進めました。

原聖「<民族起源>の精神史 -ブルターニュとフランス近代-」(岩波書店)

 この本には、まさに今の日本と世界の政治的潮流のさなかにあって、見過ごしてはならない問題提起が含まれていると思います。それは歴史認識の形成過程そのものの歴史を「歴史」としてとらえる視点です。いわゆる「ケルト・ブーム」に何とも水を差す内容なんですが。(いずれこのブログでも取り上げます)。

*****

 我ながら、自分が「やりたい」ことがいろいろ多過ぎて、それと時間と体力の折り合いをつけることの難しさをしみじみと思い返した一日でした。
 

2007/01/21

先週の人気記事ベスト21!!(01/14-20)

 「カウンセラーこういちろうの雑記帳」週に一度の恒例、@NIFTYココログの、日曜日-土曜日の「先週」記事別アクセス解析機能を使っての「ベスト20」の発表28回めです(^^)

 固定リンクでのアクセス率の順位のみから集計しています。
 7×24時間、つまり1/20日(土)24:00の時点での集計です。

 それでは発表!!

 先週の一週間の総アクセス数、延べ1,703(前回1,660)。(一日平均アクセス243.29。前回237.14)と、前回より若干増。誠にありがとうございます。

 訪問者実数は、1,279名様(前回1.316名様)とやや低下。

 「サイト内移動」、前回の431(40.1%)前回に対して今回366(37.7%)、それに対して、トップページへの外部からのアクセス、前回355(41.9%)に対して、今回381(39.3%)。

 そして、当ブログの「一限さんでない率」、これは同じ人が一度に「何ページ」記事をお読みになったかと無関係な訪問者「実数」比に基づくもののようですが、前回8.3%、今回も8.4%過去最高の数値です。ありがとうごさいます。

 「訪問周期」は、毎日おいでになる「完璧常連様」は前回の7名様から今回9名様に急上昇。この数値、過去通算の積分的数値みたいだから,たやすく動かないと思っていたのですが。ありがとうございます。

 それでは記事別ランキングの方の発表!!


*********

1.「疲れた」「つらい」筈なのにそう感じていな「かった」時の「独特の感覚」は本人にも「実感」できる NEW!

2.インシュレーターは使わないに越したことはない(→) 21週連続

3.欝とは、自分が無理をしていることを認識できなくなる時期にすでに始まっている(↓)22週連続

4.浜崎あゆみと中島みゆきの共通項 NEW!

5.オーディオにおける接点復活剤について(↓) 4週連続

6.「ケーススーパーバイズ」とは何だろう ~入門編~(↑)

7.先週の人気記事ベスト20!!(01/7-13)

8.「下野」するということ。 NEW!

9.夢の中のパラレルワールドでの問題解決 NEW!

10.「共感的に」人の話を聴くとは?(入門編) COME BACK!!

11.こういちろう、ayu様と言葉を交わしそこなう「夢」の顛末(^^;) NEW!

12.私のピュアオーディオシステム(そこに更にiPodをどう繋ぐか) (↓)

13.「死にたい」と言ってもらえること (↑) 7週連続

14.クライエントさんの真の洞察の瞬間、カウンセラーはクライエントさんに「追い越される」。 (↓) 3週連続

15.「2007年1月」バックナンバーへの直接リンク COME BACK!!

16.カウンセラーの皆様のための、「カウンセラーこういちろうの雑記帳」の歩き方(^^) COME BACK!!

17.夢の「補償」作用 NEW!

18.ここ2年ほど、なぜここまでライブのayuの歌唱力は急上昇したのか -DVD"ayumi hamasaki arena tour 2006 A”(1)- (↓) 4週連続

19.クライエントさんを勝手に「理解したつもり」になる危険を具体的にどうやって超えていくか -体験過程を深めていくためのカウンセラーの応答(1)- (↓)

19.「その感じはどんな感じなんでしょう」を濫用しないこと (↓)

21.私の中島みゆき系の代表記事は?(↓)


*****

 なお、19位はアクセス数も訪問者数も同数ですので2つあります。こうした場合のこの連載の慣例として、21位までご紹介します。

 ちなみに、1位は2位以下をダブルスコア以上、圧倒的に引き離しています(^^)

 興味深いのは、ayuのことばかりむやみに書いていた週のようでいて、実際には、以前のカウンセリング系の基本的な記事がこのランキングに復活したり、同じくカウンセリング系の記事の2週以上連続ベスト20「居残り」が多いということです。ayu記事をきっかけに、新規のカウンセリング系記事の読者においでいただいたとしか思えない展開。

 一見、皆様がずーーーーーんと引きそうな、ayu「様」ネタに「なんなんじゃあああああああ!!」と、読者離れが生じるどころか、実態は逆なんですね(^^)

(このayu「様」、のノリには、後輩のひとりがはっきりと私に危惧の念を表しました(^^;)。

 実際には、ねらい通りです。記事の読まれ方が,どんどん「まんべんない」ものになっているのですね。人間、自分に素直なのが一番???? 身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ????

*****

 これを書いている「今、この瞬間」(1/21 AM 01:04)までの当ブログ文章記事の延べ総アクセス数)は、 124500ちょうど、フォトアルバムを含めると143727です。

 今後とも、「カウンセラーこういちろうの雑記帳」を、よろしくご贔屓(ひいき)に、お願い申し上げます。

HMVジャパンApple Store(Japan)

2007/01/20

フォーカシングとトラウマについての記事がTFIの日本語版WebSiteにupされました。(第2版)

 こちらです。

 欧米のフォーカシング実践家の間では、フォーカシングのトラウマへの適用は大きなムーヴメントになっています。日本にもこの問題に真っ正面から取り組んでおられる方は少なからずおられますが。

 ここで紹介された記事は、そうした臨床実践のレビューとして有益だと思います。

 この記事の中でも、

> クライエントは、セルフ-自己-のために、『好奇心』と尊敬と思いやりをもって回復過程へと進むことができるのである。

> 相手に権限を任せること

.....と書かれていますね。

 私はトラウマの専門家とはとても言えませんし、手前味噌ですが、先日、鬱状態のクライエントさんへのフォーカシングへの適用の一般原則について私がお書きした内容に通じます。

 日本では鬱状態のクライエントさんへのフォーカシングの適用は、困難度が高く、もっぱら「距離を取る」「置いておく」技法のみが重視される流れにあります。しかし、私の経験では、フォーカサーに好奇心と能動的関心を呼び起こし、日常での小さなアクション・ステップ(行動変化を伴うステップ)をみつけだすことそのものを「ゲーム感覚で」探求してもらえる主体としてふるまってもらえる方向に導けると、結構「正攻法」でも通用する、と思うようになりました。

 「受け身でいるしかない圧倒的体験」であるという点では、鬱状態とトラウマには共通項もあるかと思います。

*****

 もう一点述べれば、今回ご紹介したレビューでも書かれていますが、トラウマ体験は「凍り付いた」体験様式の元に置かれていることが多い。つまり、以前ご紹介した、「凍結した全体(frozen whole)」.....フェルトセンスとしての「暗黙の細やかなディティール」を感じられない次元に深く根を下ろしてしまっていることが多い。

 それを、単に情動として「無理に」発散させるのではなく、

1.いわばろうそくの芯にがともった(言語化、イメージ化、ぴったりのポースなどによる「象徴化」)の結果として、徐々に液体の「ろう溜まり」(フェルトセンスとして体験可能な曖昧で微弱な感覚)が生じ、(「推進(carry forward)」

2.今度はその「ろう溜まり」の液体の蝋が暖められた結果として、少しずつ固体の蝋(「凍結」した体験)の部分が緩んでいく(=「再構成化(reconstituting)」)

.....のと同様の、地道で無理のないステップの刻みが必要なのだろうと思います。

 あるいは、セラピストとの関係性の<絆>と、安全な「抱え」の構造、クライエントさんの自発性・自立性を尊重することそのものが、暗々裏のうちに「再構成化」を進展させ、それまでフェルトセンスとして感じる潜在性がなかったものを「緩めて」、少しずつ、辺縁(edge)で「感じ」やすく、そして「そこ」に注意を向け、その存在を「認めてあげ(acknowlegde)」やすい方向に「自然解凍」して行くとも言えるかもしれません。

*****

 最後に、この記事の日本語訳をプロデュースして下さり、その訳のアップロードとをfocusing-netにお知らせ下さった、日本フォーカシング協会のTさんと、実際に翻訳されたOさんに感謝申し上げます。

2007/01/19

夢の「補償」作用(第2版)

 最近、自分の見た夢を公開するという、身も蓋もないことを敢えてやっていますが、私にとって、夢とは、正直すぎるくらいに自分の状態を見つめさせてくれるもので、ホントに自分の夢に感謝しています。

 ユング派の夢分析というのは、集合的無意識(collective unconsciousness)の「解釈」の問題になると凄い博識が必要になることを別にすれば、基本的に凄くシンプルな夢理解の原則を持っているという点で、個人的には好みです。

 一言で言えば

夢の中に登場するものは、人間であろうと、動物だろうと、植物だろうと、無生物であろうと、建物であろうと、自然であろうと、すべて自分の分身、自分の自我に十分統合されていない自分のあらわれだ」

「自我の偏ったあり方を『補償』し、再統合の機会を与えてくれ、『自己(Self)』の全体性のバランスを取るために夢は貢献している」

ということに尽きるのだと思います。

 原則同性の登場人物を『影』といい、異性の登場人物の場合を(男の人なら)『アニマ』、(女の人なら)『アニムス』ということは皆様もご存じでしょう。『影』というのはネガティヴなものではなく、むしろ個性化を進めるポジティヴな面をも持つこと。ただし、それは常にある危険性を併せ持つことも確かだということも、一般に知られているでしょう。

 だから、先日の夢の中の、ライブを抜け出して、抽選で選ばれた男性ayuファンと「謁見」することになっていたayuは、私のアニマ像の投影であると同時に、何らかの私の「影」の側面を内包するし、登場した他の男性のayuファンも、私の「影」だし、「唄うayu人形」も私の分身だし、3人の女子小学生も私の分身であることには変わりがないことになります(夢に登場したayuと謁見する男性ファンは、私を含めて3人であり、女子小学生の数と一致していることにお気づきで、「意味深」と感じた方は、すでに読者の中においででしょう)

 この夢をどう理解するかは、マジに読者の皆様におっぽり出して、好きにいじくってもらって結構ですが(^^;)、

(私は夢分析というものは、ご本人との実際の相互作用のない場での「一般論」としては語り得ないと思ってますので。そうなると、夢解釈「する」人の内面が夢解釈に「投影」される側面が濃厚になるだけのものに留まります。ですから、「どうぞお好きに」と言えちゃうのですね)

 むしろ、ここでもう一つ、私の今朝の夢を紹介しましょう。

*****

 題して、

 「親父の逆襲」

(^^;A.....やっぱりそうなるか.....ってか?)


 ......相変わらず、私は出来の悪い引き籠もり気味で鬱っぽい高校生である。3年生に進級することはできたが、父親は、今後を心配して、今度は、私を外に連れ出して、運動をさせ、鍛えようと私に迫ってくるのであった!!(星一徹モード)

 私は親父から逃げ出すように大学に向かう(え? 高校ではないの? そーなんです。ここで私は大学3年生にすり替わる)。

 通うのは、実際の母校、法政大学市ヶ谷校舎である。雰囲気からして、私が在学当時、つまり25年近く前である。

 私の「同級生」として、私と「同じ」か「少し年上」の全国のフォーカシング関係者の中の何名かがいることになっている(.....さ、さすがに名前はお控えします)。
 時期は4月。進級したばかりで、これから「履修登録」までの期間ということになっている。

 月曜日の午後の時間帯は、3コマぶっ通しで、(ここでは敢えて名前をお出しします。怒られないだろうし)日本のフォーカシング関係者にはおなじみの、村里忠之先生のフォーカシングのゼミということになっています(村里先生は、現実に東京で大学での教壇にもお立ちです。別な大学ですが)。

 みんなはそれに既に一回出たといいます。私は、関心は持ちますが、午前中に予習の必要な外国語必修科目の「英語」のひとつをとらなければならないのに加えて、このディープなゼミ(^^;)に参加するのは、ちょっとしんどいかなと逃げ腰です。

(......ほとんど業界の楽屋ネタですね。現場カウンセリングの経験も豊富で、誠実な、博識ある、日本を代表するフォーカシングの研究・実践家のひとりです。関係者の皆様、笑って許して!!

 しかし、そんなふうに迷ってばかりでいたら、科目登録前に希望する講義をひとまわり試しに聴けなくなるではないかと思いつつも、なかなか出る科目を決めて、実際に出てみる決心がつきません。

 追い詰められた私は、突如久留米の実家の父の元を訪ねて(久留米まで帰る経過なんて出てこない。時空を超えてワープしたとしか思えない)、父の前で両手をついて、次のように宣言します。

「一年間休学させてください!!
 その間、フリーターとして働いてみます!!」

 私は、夢の中で、自分の口をついて出た言葉に驚いています。

 そして、

「フリーターとして働くと先に宣言してしまえば、無理に運動させようしてとした父の機先を制したことになる。「運動」の代わりに「働く」と言ってしまえば父は文句を言えないはずだ」

と、自分のアイデアに感心したりしています。

 そして、更に、

自分からここまで決然と『働きます!!』と言い切れたことなんてこれまでないよなあ。これならホントに、明日からでもフリーターとして働きはじめてもいいかもな......

......などと連想するうちに、目が覚めます。

******

 意外かもしれませんが、私にとっては、何か凄く爽快な夢でした。科目登録から逃げ出し、父親の運動への鞭からも逃げ出すための窮余の選択のようでいて、実は夢の中の自分は、一番新鮮で、適切な、これまでのステップを踏み越えた態度を取れていると感じたのです。

(恐らく、私は夢のただ中でも、現実の日常でと同じように、フォーカシングのモードに当たり前のように入れるのでしょう。だから、一見内容と矛盾するかに見える、夢の中での「フリーターをさせてくれ!!」と言えた瞬間のさまざまな心の動きや「妙な」爽快感を、あっさりスキャンして『みとめてあげる(acknowledging)』ことができてしまうんでしょう。だから、「夢フォーカシング」でいう、「バイアス・コントロール」をあとであまりしなくていいのだと思います。そこまでやってみても、それはそれでおもしろく、ステップは更に進むはずですが.....と書きながら、すでに今「バイアス・コントロール」まではじめてますが、そっちの内容までは略。)

 明日からバイト探しはしませんが(^ ^ ;)、来年の「非常勤一日の求職活動」はとっくにしはじめているのはホントですが。これも私の独断です。すでに「結果待ち」の段階。

 でも、何か「お金を稼ぐ仕事のために」、もっと前向きにできることはいっぱいあるではないか、とは気がつきました。それがなぜか爽快だったんですね。

 なぜ、カウンセリングルームのための「本格的な」パンフレット作りにここまで億劫がって来たのか? デザインはともかく、文章は、既にウェブサイトに掲げたものを整理すれば十分とわかっているし、写真は十分あるし、高速プリンタと、少し上質の用紙も、とっくに安価で手に入れている。Publisherだってとうにインストールしているのに?

 できていて当然のこと、まだやってないでしょうか?....と。

******

 相変わらず、普通なら悪夢っぱくなりそうなな夢を、最後の最後に、夢の中で、むしろ「起死回生の転換点」にできてしまう印象的な夢にできてしまうパターンが続いていることには変わりがありません。

 これはこれで、私の、自分の無意識とのつきあい方が、ある円滑さを持ち、普段から、フォーカシングで、自分の内なる声を確認しながら、毎日の「一切のこと」を決めているがゆえの、無意識との「友好関係」ゆえの、無意識からの「はからい」のような気がします。

 夢が、適切なタイミングで、次のステップを導いてくれるのです。

おととい、昨日のayu3連作、補遺

 一気にayu系の記事が3本続きましたが、おとといの晩に関しては、次のライヴのチケットの席運が良かったのに気を良くして,ブログで公開するつもりがまるでなかった、こっ恥ずかしくすらある実際に観た夢をネタにして、勢いで気軽に仕上げたもの。

 この「開き直り」が、効を奏して(?)、昨日は何も新規書かなかったのに、おいでいただく皆様がまた増えたようであり、しかも、カウンセリング系の古い記事まで幅広く読んでいただける新規の読者の方がそこそこ来てくださったとしか思えないアクセス状況。ありがとうございます。

 この次に予定している記事は、まじめな「臨床的」ユング心理学のお話ですので、ご心配なく(^^)

 ayupan人形の写真まで載せるというのは、書きながら思いついて,早速携帯で写真を撮ったものです(ハハ、....だから、普段持ち歩く革製の紳士用ショルダに、ほんとにぶら下げて歩いてますよん!!)。接写モード、しかもかなりローアングルにして、まるで「巨大な煙草がそそり立つ」みたいに錯覚させる「特撮的カメラワーク」にしたところまでは、何枚か撮った上でセレクトした、私なりの計算です。私の観た夢のラストは、ほんとうに「ゼンマイ仕掛けの『踊るayu人形』でしたので,念のため)。

******

 昨日の、コンサートの構造と歌唱法の解析についての連載第3回は、昨日の定休日に、ひさびさに丸一日自宅で映像三昧。おかげで予定になかったいろいろなものを見てしまい(飛ばしていた、ayuのプロモの制作風景等のおまけ映像を延々回してしまった。これはこれで発見が多く、今後の記事に生きるだろう)、昨年のayuのツアーのDVDの観直しをしながら以前のメモを増補改訂する時間が夜にずれ込んだために、またもやブログ上では未完に終わりました。このシリーズは、休みの日中心に、ゆたっと続きをやりますので。

 ayuがライブで【腹声モード】全開は、実はたったの2曲で、その前後を「演劇的ブロック」が挟んでいることは今回観なおして気がつきました。
 ayuのライブの演出について、

曲が変わっても過去の自分のライブですでに使った演出の焼き直しが多い」

ことを批判的にとらえる向きがあるかと思いますが、私は、むしろ、新機軸が、新しいツアーで3つぐらいしかないという形で、慎重に過去の遺産を使い回して改良しているあたりが重要だと思います。

 単に過去の「大仕掛けを」そのものリサイクル活用できるのみならず、ayuとダンサーズと裏方さんたちにとって、すでに経験値を積み上げ、「身体で覚えている部分」を,形を変えつつも生かし続けるからこそ、ayuのライブの密度は上がり、ツアー中は地方を移動しながらの週2公演というペースを維持し、事故や機器の故障が生じないまま、安定した水準を維持しつつ、新鮮な印象を与えられるわけです。
 現在のライブの水準を、1から数ヶ月で作れと言われたら、そりゃ、もう、ayuとスタッフのみならず、恐らく「誰にも」できないでしょう(^^;) 



コンサートは、ayuの歌唱技法の使い分けにあわせて、合理的な「ブロック化」がなされている -DVD"ayumi hamasaki arena tour 2006 A”(3)-(第2版)

 ここからはじまった、"ayumi hamasaki arena tour 2006 A"の、主としてayuの歌唱の「2つのモード【胸声】/【腹声】)」の使い分けが合理性に生きるプログラム構成になっていることに力点を絞った分析の続きです。

 1曲目から5曲目までの具体的な流れの分析(第2回)はこちらをどうぞ。

◆なお、以下の部分には、具体的なストーリー、および物語の結末が含まれています◆
(^^;)

*****

6.浜崎あゆみ - (miss)understood - alterna"alterna"
 ayuは宙づりの、細胞核を連想させる、赤いジャングルジム的な円形の籠のようなものに、男性ダンサー二人と入り、先述の張り出し円形舞台の上空までその籠が移動する中で歌って行く。真下に客席が来ない配慮は見事である。
 命綱は目立たぬようにつけているのは間違いないが、長野2日めに比べると、代々木最終日の、ayuのこの「籠」から身を乗り出して張いろいろなポーズを次々ととるあたり、ずっと大胆で官能的になっていた。私は最終日はスタンド席、身を乗り出すayuを「真横から眺める」には最良のポジションから双眼鏡で細かく見ていたのだが、「プロの芸人」とはいえ、よくここまでできるなあと、冷や冷やしつつも感心して観ていたのを覚えている。怖がっている空気はなく、完全に演技に没頭して、即興で「ここまでやっもイケル!!」とチャレンジしている印象だった。DVD収録の映像は間違いなくその時と同じポースである。
 歌は、この、立つことはできない狭い宙づりの檻の中で、いろいろポースをとりながら、時にはお腹で身体をパイプに支え,身を乗り出しながらな、ヘッドセットのマイクを通して歌うものだから、必然的に【腹声モード】はとれない。しかし、【胸声モード】としては低域に重心をかけた声である。ayuの曲としては、低域中心の曲ではあるが。"Hey,...."というデジタル処理された声の部分は録音を使っているにしても、よくもまあ,あの姿勢でこれだけ声が出るものだと思う。
 アルバム"(miss)understoood"の中で、私が特異な共感を抱く曲のひとつだが、長野ではじめて見た時、「この曲でこうくるか!!」というあたり,鮮烈な印象があった。長野ではこの曲のあたりから、完全にライブに引き込まれたのをよく覚えている。

7.浜崎あゆみ - (miss)understood - is This LOVE?"is This LOVE?"
 宙づり舞台が引き上げた後、よっちゃんのギターの即興演奏タイムにつながる。こうして5,6分は自然と間合いを稼いだところで舞台中央に、ロック向きのキンキラだけど軽装のayuが現れるということになる。
 ダンサーも周囲で踊るが、ここではあくまでもayuがひたすら曲と歌唱に没頭することが優先の演出。この曲と次の曲が、このコンサートプログラム「本編」の「心臓」というべき、一番ディープなayuのライブ熱唱が聴ける部分である。
 この曲、CDでの歌い方とまるで印象が異なる。内気な女性の悶々とした心情を歌う叙情性すら感じられるのがCDだが、ayuはライヴ歌唱で、それを完全に外側に向けて表出するエネルギーに転化して、白熱のダイナミズムの熱唱にしてしまうのだ。
 これは、ツアー初期の長野2日めにおいてもすでにそうであり、この時、私は、この曲に対する認識が完全に変わったと同時に、ayuのライブ歌唱力が以前と異次元になってきたという驚きに圧倒され、感慨を強くしたのである。
 これこそまさにayuの【腹声モード】全開の、ダイナミックな、ライブでないと味わえない凄い燃焼度。特に後半が凄い。
 テレビのayuしか知らない人は、ayuが大舞台でここまで圧倒的な凄みのある歌唱ができるということはきっと知らないであろう。
 しかし、これは単に力任せなのではない。ayuはこの曲と次の曲だけで【腹声モード】の自分を表現し尽くすことを最初から射程に収めて歌っているように思う。これをもっと後ろに持って来たり、3曲やろうとすると、不発に終わる危険が大きいだろう。ayuが「本格的ロックミュージシャン」できるのは、この、プログラム本編の中央の場所、この2曲に絞り込んでいてこそである。
 
8.浜崎あゆみ - (miss)understood - (miss)understood"(miss)understood"
 前の曲からほとんど間を置かずに、まさにアルバムの最深部にある,一見シンプルだが、実は強烈そのもののプロテストソングであるこの曲に入る。メロディーの前半の弱音での部分は抑制された表現だが、メロディー後半(「中途半端で....」以下)に入った途端に【腹声モード】に見事に完全ギアチェンジ、強烈な外部へのエネルギーを炸裂させる。この表現のダイナミックレンジの広さとテンションの高さは、CD版ではここまでは味わえない。1万6千名の大会場の空間をひとりで圧する鳥肌立つ響き。ここにいるのは、間違いなく、「日本を代表する(すでに半分世界に手をかけた)女性ライヴロックシンガー」としてのayuなのである。前の曲とこの曲、ayuの歌唱という点で、「一方の極」のおすすめである。長野でもコンサート「本編」ではこの2曲の水準は水際立って高かったので、ayuがすでにかなりコンスタントにライブツアーで出せる実力だろう。
 ayuの声は、最初からボイストレーニングを重ねた、美しくて効果的な「声の質の良さ」ではない。そのような「最初から訓練された」声独特の美しさはあるけど、意外と内面が空疎で、蒸留水のような響きになることがある気がする。
 ayuの場合は、常に数千人以上収容の会場でしか歌わないという自分なりの経験を重ねた上で、魂のこもる【腹声モード】を、コンサートの盛り上がりに自分のコンセントレーションのタイミングを一致させられる限局した場面で全開させるプログラミングを経験知的に設定できてこそ可能な、「特別なハイテンション」のブロック化がなされていることになる。


9.浜崎あゆみ - (miss)understood - Pride"Pride"
 ayuは暗転の中で舞台を去り、CDにも収録されている、Gen Ittetsu Stringsをフューチャーした(ただし、録音によるものと思える)弦楽四重奏中心の"tasking"に入るが、これはCDよりも長いバージョンのされているようである。ここでは、遠目にはすぐにはホンモノのayuと区別がつきにくい女性ダンサーがまずは舞台の移動スクリーンの格子の向こう側で逆光を受けてさりげなく踊りだし、その人数が増し、最後に、まるでその装束の女性の「代表」がayuであるかのようにayu自身が現れるというあたり、次の曲のメッセージの伏線とも言えるし、「影武者」を使ってうまく時間をつないだともいえる。
 ここで舞台は更に次のブロックに入る。4.-5.が、コメディータッチの軽快な演劇的部分だったとすると、ここからの9.-10.は、今度は、むしろ「古典劇」を思わせるシリアスで静かな演劇的部分である。このプログラムの本編の「ドラマとしての」クライマックスは、この2曲の部分に置かれているとも言えるだろう。
 その1曲目で、ayuは、黒を基調とした、古いヨーロッパ調の裾野広がったシックな衣装で現れる。"Pride"は、メロディックでメランコリックだが、独特の暗い色調のある曲だが、ayuはもうこの曲では前の曲までのような【腹声モード】全開はやらない。基調は、あの少しハスキーな【胸声モード】に戻してしまう。そして重心が低い歌い方になるように配慮しながらも、繊細な歌い回しで聴かせる方向に一気にギアチェンジしている。ここで【腹声モード】を続けたら、ayuの声の限界を超えるし,この曲が必要以上に暗くなって、暗さの中にこれからへの願いを込めたこの曲のメッセージが伝わりにくくなるだろう。装束が重い筈と言うこともあるだろうが、ayu自身はほとんど動かず、周囲を静かな群舞が包む形となる。

10.浜崎あゆみ - (miss)understood - rainy day"rainy day"
 ここでayuは黒い装束を脱ぎ捨てる。すると、今度は一転して清楚な白い装束、ギリシャ神話の乙女のようでもある。そして、ステージに実際に「雨のカーテン」を振らせるという舞台の上で、ひとりの男性ダンサーとの繊細なやりとり、そして、確かライヴでははじめての筈の、ayuの○○シーンという、観客が思わず「キャッ♥」と声を出しそうになる幕切れへとドラマは進むわけですが(^^)
 この"rainy day"という曲、シンプルな中に、さりげない日常を舞台とした静謐な曲の終わりなのだが、こういう曲をアルバムのラストに持って来たというのは、それまでのayuのアルバムにはなかったパターンで、新境地を感じたのですが。
 そのシンプルな構成の静かな曲を、演技をしながら、繊細な語り口でしみじみと聴かせることを、プログラム本編のクライマックスの位置にもって来れるあたり、これは実力がないと不可能であろう。声は【胸声モード】で繊細感が強いが,ヴィヴラートは多用し過ぎず、熱唱し過ぎて演劇的進行をかすませないバランスをとれている。
 二人がステージの奈落に消えた後、エンディングは引き延ばされ、舞台の上では予想外の方角からの大仕掛けなラストシーンになるわけですが、うーん、このノリは古典劇、あるいは古典バレエの幕切れにやはり近いのかなと思います。

11浜崎あゆみ - Secret - Startin'"Startin'"

 そこまでの空気を断ち切るように、この曲のプロモビデオの最初にもある、ビデオショップを舞台にした二人の外人の日常的なやりとりがスクリーンに写る。多少省略された形ではあるが、それが曲の前奏の前フリとなる。
 前奏は、原曲よりも少し眺めになってるかもしれない。
 再び舞台に現れたayuは、もはや劇中の人ではなく、ステージの上で観客に声をかけながら一緒に歌うayuである。華やかではあるが、日常回帰のフィナーレの部分だとも言えるだろう......

うわ!!もう零時回ってる!!......お,思ったよりメモから起こして書くとなると時間かかるんだな。......仕方ないので、更に次回に続く!!)

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2007/01/17

こういちろう、ayu様と言葉を交わしそこなう「夢」の顛末(^^;)

 もうここまで来たら、

 それが「ベテランカウンセラー」の書くことか?

といわれようとどうしようと、

> はさむなら口でも何でもご自由にお気の済むまで
> そんなものに揺らいだりはしない

浜崎あゆみ - Secret - 1 LOVE"1 LOVE" (アルバム"Secret"所収)

でまいりましょう!

(え? とっくにそうやってるじゃんか!!...って?)

*****

夢ネタの続きです。

.....私は、ayu様と直接お言葉を交わすことを許されるひとりに抽選で選ばれます。

 それはなぜか代々木体育館前の歩道橋の下あたりとなっております。

 ayu様は、コンサートの最中に、神宮球場にかつて存在し、来年度の東京6大学の早稲田戦で復活するとかしないとかの噂の"荒木トンネル"ならぬ"斎藤トンネル"ならぬ、"ayuトンネル"を使っているのかどうかしらないけど、ご苦労様なことに、幕間ごとに現れて、園遊会のごとく、ひとりひとりとお言葉を交わすことになっているようでした。

 だいたい、私より若い、20代、30代の男性のみがなぜか選ばれているようでした

(現実にはあり得ん。幕間はayu様にとって一秒の隙もない気持ちの切り替えと衣装替えタイムだし、今のayuだと、十代向け女性誌のタイアップ企画とかで、万が一、あり、ぐらいだろう....)

私は「3番目」ということになっています。

1巡め。この時にayu様に会釈だけはします。えらく緊張してシャイになっている自分に気がつきます。

(.....最近こんな感覚で、素面で人に会うことって、なくなったよなあと、夢の中のこういちろうは自分の緊張し具合に驚いています。半年ほど前、元巨人・ヤクルトの角さんと対談させていただけた時(これは現実)も、全く平常心だったのに....と)

(私は、今は人前では随分社交的で、そつがなくなってきたなと思いますが、酒が入るとハイになるか、シャイになります)

1人目は、全く紳士的に言葉を交わしています。

2回目にayu様が現れる前に、2人目の男性は、

「やっぱり、こうやってayuと直接言葉を交わすなんて、他の多くのファンに対して失礼な抜け駆けだ。たとえ抽選に当たったとはいえ。僕はやはり客席から応援します」

と語ると、代々木体育館の方に向けて歩み去ります。

妙に感心な奴だなあ、と思って私はそれを見送ります。

 2巡めのayu様は、それを知ってか知らずか、数十メートル先の地下鉄の入り口か何に、唄いながら忽然と現れ、再び忽然と姿を消します(それが会場のスクリーンにも中継されているらしい。どういう「奈落」、もとい、「地下要塞」、もとい、「ayuトンネル」の構造になっているのやら)。

 私は、3巡めにほんとうにayu様が私の前に言葉を交わしに現れるかどうかにたいへんな不安を覚えます。

 その時が来た!!

 ところが、ayu様は、突然、私の背後から、唄いながら(!)現われ、怒濤のダッシュをしながら私を通り過ぎ、私はayu様が横断歩道を走り去る後ろ姿を呆然と見送る形になります(^^;)。

 ayu様が横断歩道を渡リ去る時、向こう側から、小学校4-5年生と思われる、通学帰りの小学生の3人組の女の子たちがやってきていて(.....おい、こんな夜中に下校は危ないんでないかい?)、その3人の間を突き抜けるようにしてayu様は唄いながら横断歩道で交差するのですが、

 小学生たちは、

「あ、ayuだ、ayuだ」

「えーっ!! ayuってこんなに小さいんだ!!」

と叫びます。

その小学生たちより身長が少し低いんですね。

 私は、その小学生3人組に対して、
実はここ3年のファンに過ぎないのに、図々しくも、

「そうだよ、ayuの身長は、実際には156cmくらいなんだよ」

と、知識をひけらかします。

(この身長サイズは、ほんとうにそうらしいです。もっと低いという説すらある。とてもそこまで小さいとはステージでは見えませんが)

 しばらくすると、ayu様が再び代々木体育館の方から(どういう「奈落」の構造になっているのやら)駆けてまいります。

 しかし、近づいてくるはずのayu様の「見かけのサイズ」がいつまでたっても大きくならない

 え? これじゃ90cmもないことになってしまうではないか????

....と思った次の瞬間、

 目の前にたたずむayu様は、

Ayupanningyo
.....これよりは2倍ぐらいのサイズでしたが(^^;)、

ゼンマイ仕掛けの「唄うayu人形」

...に、なっていましたとさ!!


フィギュアではない、断じて!! .....木か何かでできている、昭和30年代末のおもちゃ風だったと思う。デザインは写真のayupanのように目が大きくはなかったですが)。

(なお、上の写真のayupan人形は、ayuの卓上カレンダーのおまけのひとつです。購入はミュウモ・ショップでどうぞ。今年のは卓上カレンダーサイズの方にしないと、迫力ありすぎるサイズで、と、とても職場では飾れなかった。なお、卓上カレンダーのayuの写真は標準版と同じものです)

******

.......これが数日前のであります。

 読者の皆様、
 どうかご自由に、
 こういちろうの深層心理をご解釈下さい!!

****

ひょっとして。

> ねえちょっと微笑んで 言葉を交わしただけ
> そんなんでまるで全て わかったような気に
> なってるそこの人 大きな間違い

(浜崎あゆみ - Secret - until that Day..."until that day...")

.....ってか?

 夢の中で、実の父親には負けなくなっても、ayu様には、まだ完全に「気合い負け」している、
こういちろうのようではある.....

 まあ、今度は、「双眼鏡なし」で、ご尊顔を間近に仰げそうだから。

*****

(.....あ、↑このアフィリエイトは、ジャケットデザインではなくて、アットマークジュエリーさんの「仮の映像ファイル」です。もちろん)

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ayu様とのご拝謁5回目にして....

 2回連続スタンド席前半分で、舞台の全容を見通せる快感を味わいましたが、「そろそろアリーナに戻るくじ運だろう」と開き直っていたところ.....

 横浜アリーナがよほどひねくれた席の配列番号でない限り、こ、これは.....

 どうみても、ステージ寄り一番前から「一ケタ以内」の列数だ.....

 双眼鏡がいらないではないか。

(私の双眼鏡はCANON 10×30 ISです)


 ayu様、浜崎あゆみ - LOVEppears - Trauma"trauma"はやらないで下さい。
 "trauma"踊りだけはまだできないのが目立ちます....

*****

 なお、宿題になってるayu系記事の続きは、定休日の明日の予定です。


「下野」するということ。

 オリックスの中村紀洋内野手の「新天地決まらず」問題がスポーツ誌を賑わせているようですが、ご本人のプライドの問題、本人の腕の故障回復への危惧、代理人交渉が裏目に出たのでは、などどいろいろ言われています。

msnでのサンスポよりの記事:
記事眠れぬノリ、新天地見えず…「ユニホームさえ着られればいい」

 中村氏は、「代打でいいからプレーできればいい。そこから競争して這い上がればいいのだから」ということすら言われているらしい。

 その一方、こうした事実もあるとのこと。

msnの日刊スポーツよりの記事
ノリ、交渉期間中にスピード違反で検挙

 19キロの速度違反で切符を切られることなど、ありふれた事実であり、このことが報道されるということ自体、中村選手の「性格」についてのネガティブ情報としてながされてはいまいかという思いもあります。少なくとも、何人かの有名人が過去思わずやらかしたように、警官の静止を振り切って発進してしまうという「やぶへびな」ことをしていなければ、それを取り出して性格云々を言われるほどのことではないでしょう。

 (この辺、運転免許持ってない人間なので、推測ですが。彼が警察無線傍受機等で「普段なら」警戒している、という根拠でもあれば別)

 代理人交渉というのは、本人が感情的だったり、言わずもがなの一言を言ってしまうあたりを、専門家がクールで現実的な交渉にするためにプラスの場合もあれば、逆に代理人が成果を収めんがために強気に出過ぎ、余計マイナスになる場合等、いろいろでしょう。

 いずれにしても、第3者を仲介とする場合というのは、代理人(弁護士等)を含めて、相互の意思疎通と連携がよほどとれていないと、「間接交渉」の弊害の方が強く出ることも少なくないものだと思います。特別の場合を除けば、代理人によって「更なる成果を上げよう」というより、「最低限譲れない点(最後の落としどころ)を代理人と明確に合意して、感情的にならない穏便かつ現実的な妥協点をみつけよう」というスタイルが無難でしょうが。

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 いずれにしても、プロスポーツ選手は、30代中盤になれば、年齢と身体の限界、そして自分が一度到達したピーク時の業績と収入へのこだわりと一年一年戦いながら、自分の去就を決めねばならないわけで、そういう意味でのメンタルの自己管理というのはほんとうにたいへんだろうと思います。

 珍しく、先日たまたま、横浜FCのF2優勝への貢献を花道に引退した城選手のドキュメンタリーをTVで観ましたが、そこで描かれている内容によれば、FC横浜で荒れたプレーが増えていた奥様が敢えて素朴な感想でプレーに口出しするようになってからの影響が大きいみたいですね。

*****

 カウンセラーには、幸い、年齢の限界というものはありません(^^)。ある意味では、その年齢相応の経験値と共に、「心の若さ」を失ってはならない仕事と思いますが。

 私は、開業カウンセラーに一年半前になりましたけど、少なくとも「下野(野に下る)」という意識はありません。自分の収入とカウンセリングの成果がダイレクトに直結するという状態に、むしろあるプライドとやりがいを感じています。生活がなりたてばいいとしか思わず、「儲けよう」などとは思ってませんしね。

 部屋代、光熱費を除けば、面接料金、即収入ということになります。

 もし、今、突然に、大学からのお誘いがあったらどうするか? 非常勤の週一日以内で済む仕事で、カウンセリングの指導に関わることなら喜んでお受けするでしょう。

 カウンセリングそのものに関する非常勤のお仕事でも、週1日の原則でなら。

 私もまだまだ、自分の経験領域を広げ、その場の中で、これまでの経験値で何かお役に立てることをしていくということは必要と思っています。

(これらについて、私がすでに単に受け身で待っているわけではないことはお伝えしておきます)

 でも、開業カウンセリングに週4日は関われる体制、という点では、譲れないのではないかしら?

*****

 一度開業カウンセリングという形態に取り組んで、幸い、クライエントさんにある程度以上おいでいただける体制が整い始めると、クライエントさんへの援助のためのカウンセリングのまさにその時に最良のエネルギーを発揮するために自分の生活のリズムをコントロールするという、「何が自分にとって優先か」非常に明快な日常の心身の組み立てができることのシンプルさのメリットを強く感じてしまいます。

 すでに、宣伝等の投資で何が役立ち、今後何を新年度に継続すべきかについても見通しがでて来ていますしね(...あ、ispotさん、新年度も続けるつもりです)。

 (今月中に、頒布用のパンフレットを新作し、PDF化し、職場のwebsiteからもダウンロード可能にし、確実に波及効果が期待できる関係者にのみ郵送でお送りしますが、全部自作で、印刷用のインクのストックは山のように溜め込んでますから、必要経費は、ほとんど郵便代だけです)

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 独立開業という方針に、2年前、支持をはっきり表明してくれた人は限られていました。2つ返事でgoを出したのが私の父でした。その後も、父のアドバイスは大事にしてますが、父に何でも相談してそれに従う、という状態ではありません。「経営方針」に関しては、父はそこまで私を甘やかさず、結構突き放して見守っている印象ですし、父が慎重論を唱えても、自分で動いて答えを出したら、父は「それでいいのだ」という反応しかしませんし(^^)

 でも、今から振り返ると、この2年間に関しては、結果的にベストの戦略だったという思いしかありません。マジ、一度も、その選択そのものが誤っていたのではという危惧を感じたことは「ゼロ」です。

 他の道を選んでいたら自分は行き詰まっていたとしか思えませんし、この2年間に学んだこと、過去の経験値が真に役立ち出し、「応用力」を開花させ始めたことは、「社会勉強」を含めて、非常に効率と密度が高かったと思います。生活が極めて健康にもなりましたしね(。これは内蔵脂肪ではない!!「腹筋」に触われる....なんて20年なかったぜ)。
 
 もともと、私の中に、「個人経営者」向きの資質と「血」があって、「勤め人」向きではなかったということを、安心して信じていられます(^^)。

 私が大学に「全面的に」戻る時は、「個人開業での現場臨床経験」を評価していただける「確信」が得られてからでしょう。

 控えめに見ても、それは50代に入ってしまってからのことで、その際にも、個人開業の場の確保は、手放さないでしょうね。

 でも、まだまだ、大船という「土地」に根付いた潜在的可能性は、少なくとも5年間は更に開花していくと思っています。
 

2007/01/16

次に生身のayu様にご拝謁するのは....

5月10日(木)、横浜アリーナと決定いたしました。

 横浜アリーナでのayu様ははじめてであります。そもそも横浜アリーナには行ったことありません。

 今度は、アルバム"Secret"の「アジア」ツアーの一環ですね。

 アルバム"Secret"は、最初からライブ映えする曲が多く作られている気がするので、楽しみである。

2007/01/15

夢の中のパラレルワールドでの問題解決

 私は、最近、わざわざ「夢フォーカシング」まですることが減っています。

(何か、夢フォーカシングするのが普通みたいな言い方ですが、私の場合は文字通りそうです。夢を覚えていたら、片っ端から一日のどこかで自分でやるのが通常です)

 夢を見るプロセスそのものの中で、夢が悪夢に終わらず、夢の中の私が、それまでにないがんばりを示した結果、夢の中の相手の態度が変化してしまう、という、結構エネルギーはいりますけど、達成感のある夢見を、1,2週に一度、コンスタントに見ることができているんですね、なぜか(^^;)

 夢の中でだけ出てくる、夢の中でだけ行き着ける「お決まりの場所」や、夢の中では自明の前提となっている「状況設定」というものがあり、夢の世界に入ると、「あ、いつものこと」と当然のように認識してしまうという、夢の中の「パラレルワールド」といいたくなる世界を持っている人は少なくないのではないか、という話題は、本部サイトのこの記事で書きました。

 このような現象があるからこそ、夢を見ているのは「私」なのか、現実の「私」は、夢の中で自分がなった蝶の夢なのか、という「胡蝶の夢」の故事が著名なのでしょうが(こちらのサイトに原文があります)。

*****

 私の場合に「夢の世界」でまだ「卒業」していない「状況設定」は、

「高校時代の私は、一時間目と最後の時間の数学と体育の授業を休んでしまう(その時間が終わって登校したり、その時間になると勝手に下校してしまう)クセがあるが、普段はそのことを思い出さないようにしている。だが、教師はそのことについて時々警告を発して、このままでは進級できないことを思い出させて来る」

という状況設定でした(^^;)。.....そりゃ、体育と数学は大の苦手でしたけど、現実にはそこまではしていません。

 昨晩の夢では、その現実が、まだ税理士事務所をきりもりしている(高校時代は実際にそう)父親にバレてしまい、税理士事務所の、約30人の職員の前でそのことを告発され(あの....現実の事務所は、久留米市一大規模で顧客数ナンバー1でしたど、6人以上事務員さんがいたことはありません....)、このブログの活動を停止しろと要求されるのです(^^;)

 高校生であり、なおかつ現在の私だったりするわけですね(^^;)

.....で、父は、久留米市内に外出する私の後をつけまわっては、「ブログやめろ(そうすれば勉強する時間があるはずだ)」を説教してくる。

 私は断固として父を無視して父を巻いてしまおうとする(こんな、父を無視するなんて、現実の私はやったことないです.....)。

 この追っかけっこが延々と久留米市内で繰り広げられた挙げ句、私は激蒿して、父に

「私はやりたいようにしかやらない!!」

という意味のことをはっきり言葉で宣言します。

 .....その翌日現れた父は、私を許すような調子に一変していて、

「まあ、時には勢い余って言い過ぎたことも(ブログでは)あるのではないか」

などという言い方で、私に理解を示します。

*****

 .....で、今日目覚めて、しばらくゆったりして、その夢を徒然なるままに回想するうちに、「忽然と」、今日、大増補改訂した、鬱の記事の改訂のアイデア(吉良先生の「主体感覚」の考え方と結びつけられるではないかということ)が思いつき、空き時間に怒濤の作業をしてしまった......ということになります。

 何か、最近の私って、夢の中のこういう「大勝負」で、底力を発揮して、それまで「夢の世界でも、現実にも」その相手に言ったことがないことを言い遂(おお)せる、というパターンの夢を、月に一度ぐらい見ます(^^) そのたびにリフレッシュしているのですね、何かが。

 そういう時というのは、ほんとうに現実の対人関係が大きく変化したのと同じくらいの影響が、私自身に残るようです。

*****

 私の中に、まだまだ実態と見せかけが解離していることへの不満と罪悪感があるのだろうかとも思います。

 確かに、おかげさまで、以前より繁盛していて、一日あたりの「現金での」収支では黒字になってます。つまり、銀行には「預金」の方がかろうじて多くなってきてます。

 しかしお忘れなく。現金収入にほぼ依存する「自営業者」は、自動引き落としの料金をすべて「預金」できるようになった時こそ、黒字だ、ということ。ATMは、出金ではなく、預金のためにこそ存在する筈。

(ちなみに、楽天で、アフィリエイトしてもいない高額商品をこのブログを窓口にお買い求め下さる皆様(楽天のシステム上、それでもアフィリエイト料金は発生します)、誠に感謝申し上げます m(_ _)m ネットショップに特化しないでブログやらせていただいている割には、コンスタントに、そこそこのポイントを獲得させていただいているほうに入るみたいですので)。

.....そうした中、たまたま今週は先週までより少し予約が少ない。(来週以降になると既にご予約コンスタントにいただいています)。

 これでは久々に週あたり赤字になるではないか!.....そのことが夢にかなり影響していた気がします。


*****


 ちなみに、現実の私の父親は、いくら私がネットのことについて吹聴しても、インターネットそのものを使おうとしません(^^)。パソコンは、今も細々と続けている経理の仕事(私と同じで、誰にもパソコンの基礎は学んでおりません)と、ゴージャスな一眼レフデジタルカメラを使った写真の印刷のためにのみ存在します(だから、プリンタは、私の手が届かない、Canonの最上クラスの機種です)

 ....まあ、「このブログをいつ突然読まれてもいい」、というつもりでしか書いてはいませんが。

*****

.....というわけで、今回のアフィリエイトは、こういうテーマの場合の、私の世代のアニメファンのお約束(?)

劇場版「うる星やつら 2 ビューティフル・ドリーマー」(押井守 監督・脚本)

2007/01/14

浜崎あゆみと中島みゆきの共通項(第5版)

 このブログの読者の皆様はご存じのように、私は、浜崎あゆみと中島みゆきを別格的に「溺愛」しつつ、「ふたまたかけて」いる(^^)

 こういう人は、決して例外的ではないとは思っている。.....この2人の世代差はたいへん大きいにもかかわらず。

 でも、私はこのブログで、軽率に二人の共通項や比較論をする気は全くない。

 なぜなら、そんなことをしたら、ayu様みゆきお姉様の目が怖いからである。

特に、ayu様のご機嫌を損ねるのがこあ~~~い......

 だって、浜崎あゆみ"1 LOVE"7th.アルバム"Secret"収録)で、

> 前になんてならっていられない

.....と、歌っておいでですので.....

  わ、私めは、
  別にみゆきさんを見習え!! 
  なんて申し上げるつもりは、
  毛頭、
  毛頭、
  ございません!!

  ayu様は、
  ayu様の信じるままの道をこそ、
  お進みになることを!!m(_ _)m


 まあ、みゆきお姉様は万が一この、一日あたり200と数十のアクセス数のささやかなブログ(でも、独演会に近い、ひとつの文が長いブログなのに、この数をコンスタントに保てる点では、あるささやかなプライドもあります)をお読みになっても、

「.....好きにすればあ~」

でしょうけど。

*****

 ........などという、

私の勝手な思いこみの世界は置いといて.....(^^;)


*****


 客観的に見ても、ayuとみゆきにはちゃんとひとつの接点があります。

 それは、小林信吾氏という音楽スタッフを抜きに語れないということです。

 ayuの場合には、アルバムでいうと、3rdの"duty"、正確にいうと、ライブでいう、"ayumi hamasaki concert tour 2000 A 第2幕”から、5thの"Rainbow"を経て、ミニアルバム”Memorial address”までの時期、ayuのいわゆる「我らがボス」、小林信吾氏は、いつもステージのバンドの中央のキーボードの席にでんと座っていました。

 この、小林信吾さんが直接関与した時期を真ん中において、その前、その後と、都合3つの時期に分けてとらえると、ayuの音楽性の変化をとらえる上で、ひとつの指標になるように私は感じています。

 ayuの場合には、一枚ごとの変化がたいへん激しいので、このことだけを大きく取り上げれば済むということはありませんし、それぞれの時期のayuとその音楽チームにそれぞれの魅力はあり、しかもその音楽チームの渦中でayuは変化し続けるので、ayuの歌に親しむ私としては、軽率にどの時期が「良い」という言い方だけは避けたいと感じていますが。

 小林氏は、それ以降は、後進に道をゆずり、確か"teens"のカバーの際のピアノ担当を最後に表舞台には現れなくなりましたが、昨年(2006年)の"(miss)understood"ツアーの最終日の楽屋には、小林さんは顔を出しているのがDVDにきちっと映っていますね(^^)。スーパーバイザーとまではいえなくて、もう何も具体的アドバイスはしていないかもしれないけど、暖かく見守っている、というポジションなのだろうと想像します。

(後日記 07/01/18):
 昨年大晦日の紅白での浜崎あゆみ - Secret - JEWEL"JEWEL"では、ayuはバンドもダンサーも連れて来ていませんでした(控えめなシンセは録音では? あの後のカウントダウンライブが、ayuが最近ライブで歌わなかった曲と演出の再現であった以上、これは全く賢明な選択です)。ひとり伴奏のピアノを弾いていたのが....小林さんみたいでしたね。HDレコーダーで改めて確認しました。こういう時は駆けつけるわけですね)

*****

 さて、みゆきの場合には、小林さんは、瀬尾十三さんをプロデューサーに迎えて以降、バンドのキーボード担当としてしばしばクレジットされているばかりか、L.A.でのスタジオライブのDVDのキーボード担当者であり、そして、「夜会 Vol.13 午後24時着 午前0時発」では、生演奏の大がかりなオーケストラ(....と、思わずいいたくなります)の指揮をしています)。

 もともと、編曲者・キーボード担当者として、豊富なキャリアがある方のようですし、歌手のバックではないバンド活動もされているようですが、私とそんなに歳は離れていないお方で、結構、意外なアイドルやアニメ声優の歌にも関与された経歴があるみたいですね。

****

 もうひとつ、ayuとみゆきの音楽上の接点。小林信吾氏の他に、現在もayuとの接点があるのが、弦楽奏者のグループである、Gen Ittetsu Stringsという団体です。 

 ayuの最新アルバム"Secret"でも「不可欠」の重要な彩りを添えていますが、先述の、みゆきの「夜会 Vol.13 午後24時着 午前0時発」にも出演しています。

先週の人気記事ベスト20!!(01/7-13)

 「カウンセラーこういちろうの雑記帳」週に一度の恒例、@NIFTYココログの、日曜日-土曜日の「先週」記事別アクセス解析機能を使っての「ベスト20」の発表27回めです(^^)

 固定リンクでのアクセス率の順位のみから集計しています。
 7×24時間、つまり1/13日(土)24:00の時点での集計です。

 それでは発表!!

 先週の一週間の総アクセス数、延べ1,660(前回1,689)。(一日平均237.14アクセス。前回241.29)と、前回の水準ほぼ維持。誠にありがとうございます。

 訪問者実数は、1.316名様(前回1,185名様)とこちらはかなりの増加。過去の記事を読んでいただいていることを考えると、むしろこちらの増加を喜ぶべきかもしれません。

 「サイト内移動」、431(40.1%)の前回に対して今回302(35.7%)、それに対して、トップページへの外部からのアクセス、前回395(36.8%)に対して、今回355(41.9%)。

 そして、当ブログの「一限さんでない率」、これは同じ人が一度に「何ページ」記事をお読みになったかと無関係な訪問者「実数」比に基づくもののようですが、前回も今回も8.3%。あいかわらすこのブログ過去最高維持です。

 「訪問周期」は、毎日おいでになる「完璧常連様」は前回の8名様から今回7名様にまたもや転落(;;)。この数値は、四捨五入ギリギリのところで行き来しているのでしょう(^^;)。

 それでは記事別ランキングの方の発表!!


*********


1.欝とは、自分が無理をしていることを認識できなくなる時期にすでに始まっている(↑)21週連続

2.インシュレーターは使わないに越したことはない(→) 20週連続

3.オーディオにおける接点復活剤について(↓) 3週連続

4.クライエントさんを勝手に「理解したつもり」になる危険を具体的にどうやって超えていくか -体験過程を深めていくためのカウンセラーの応答(1)- NEW!

5.「その感じはどんな感じなんでしょう」を濫用しないこと NEW!

6.クライエントさんの真の洞察の瞬間、カウンセラーはクライエントさんに「追い越される」。 (↓)

7.やっと封印を解く ―ayumi hamasaki ARENA TOUR 2005 A -MY STORY- ― NEW!

8.序章:めぐり会うまで -中島みゆき「夜会 Vol.13 24時着 0時発」(1)- NEW!

9.私のピュアオーディオシステム(そこに更にiPodをどう繋ぐか) COME BACK!!

10.「ケーススーパーバイズ」とは何だろう ~入門編~ COME BACK!!

11.先週の人気記事ベスト20!!(06/12/31-07/01/06)

12.ここ2年ほど、なぜここまでライブのayuの歌唱力は急上昇したのか -DVD"Ayumi Hamasaki Concert Tour 2006 A”(1)- (↓)) 3週連続

13.三日月湖と、止まった時間 -中島みゆき「夜会 Vol.13 24時着 0時発」(2)- NEW!

14.やはり、耳栓型イヤフォンの名機、SHURE E5cについて書きます COME BACK!!

15.「ヘッドフォン」カテゴリーへの直接リンク NEW!

16.次の記事はみゆきです。 NEW!

17.「死にたい」と言ってもらえること (↑) 6週連続

18.私のスーパーバイズ ~実践編~ COME BACK!!

18.「オイルヒーター」カテゴリーへの直接リンク (↑)

20.私の中島みゆき系の代表記事は? NEW!


*****

 なお、18位はアクセス数も訪問者数も同数ですので2つあります。

 最上位2つの「超常連」が固定化した記事を別格にすると(そもそも2位の記事がどうしてここまで恒常的アクセスがある記事になるとは全く予想していなかったのですが、こうしてトップ20の上位に常に常駐となると、果てしなくバンドワゴン効果の連鎖は続くでしょう....)、先週は、ベスト20はじめて以来初の「みゆき記事」のシェア大爆発!!となりました。

 ayuの場合は、記事書いた直後に上位に入るのはこれまでも普通でしたが、これまではみゆきはそこまで反応良くなかったんですよね。先週は、ayuと同じように、以前の書き方より踏み込んだ書き方にしたということもあるかと思います。次回記事の数行告知までランクインするのには驚きました(^^;) 以前よりは「音楽サイト」としての認知度も上がってきたのなら嬉しいのですが。いわゆる「音楽をやる人」の書き方とは全く異質ですし(^^)

 ayuの「歌唱力」についての記事、粘りますね。第一回はついに3週目ですか。意外とこの観点から細かく分析した記事はないのかもしれない? ちゃんと続きを書きますからお待ち下さい(実は、もう一回見ないと書きたくないという、完全主義に陥っているだけです。

 見たい映画(DVDでにしろ、映画館でにしろ)もいっぱいあるのに、こだわりが深い故にayu系記事は悠然としてしか進まないと思ってください。

 ....あ、最新映画、話題作を観るならワーナー・マイカルで!「マリー・アントワネット」(msnの記事はこちら)、私の知る範囲では、「中身はうすい、ファッションだけが見所」みたいな声も聞こえますけど、観るスケジュールをすでに「組んでいます」ので(ま、また、四日市で!!)。ここ半年ぐらい、私は、行ったこともないのに、結構ヨーロッパの城と宮殿に興味が深まってます。そっちの方からもかなり視聴覚含めて情報増えてますので。

*****

 これを書いている「今、この瞬間」(1/14 AM 00:52)までの当ブログ文章記事の延べ総アクセス数)は、 122789、フォトアルバムを含めると141736です。

 ちなみに、直前の「HTMLミスのお詫び」で、通算650番目の記事になりました。600番目からがやたらと早かった気がする(^^;)


 今後とも、「カウンセラーこういちろうの雑記帳」を、よろしくご贔屓(ひいき)に、お願い申し上げます。

HMVジャパンApple Store(Japan)

2007/01/13

直前の記事のHTMLミス、失礼いたしました。

 直前の記事、終わりの方でHTMLタグにミスがあり、それがトップページ全体の表示に反映し、トップページ全体が罫線だらけになってしまい、2時間ほど、お見苦しかったことをお詫び申し上げますm(_ _)m

 (面接の合間に大車輪で記事を書くとこういうミスに気がつかなくなる。反省)

「疲れた」「つらい」筈なのにそう感じていな「かった」時の「独特の感覚」は本人にも「実感」できる(第5版)

 「欝とは、自分が無理をしていることを認識できなくなる時期にすでに始まっている」

 ......この記事は、このブログの個別記事別で、通算最多アクセス記録を現在も更新し続けている記事であり、週ごとの「ベスト20」でも20週連続ランクインを続け、たいへん多くの皆様にお読みいただいて来ています。

 それが、

> 少しでもこれが世間の「欝」についての著作より「新鮮に」響けば幸いです。

と、私がその記事の最後に記した思いが伝わった結果であるとすれば、たいへん光栄なことと感じています。

*****

 ただ、最近。

 この記事について、次のようには誤解されたくないなあ、という思いも生じてきました。

「鬱の人は自分が無理していることを自覚できない人なのだから、まわりが無理してでも本人にそのことを自覚させるしかない」

 私は、カウンセラーとして、このように受け取っていただきたくはないのです。

****

 その理由は、大きく分けて2つあります:

1. 私は、およそどのような場合でも、

  「自分自身の感覚や判断を信用するな、
  なぜなら、あなたは『こころの病気』だからである」

というふうに、クライエントさんに受け取られる危険のあるメッセージを発することは治療的ではないと考えます。

 もとより、クライエントさん本人が、自分が病気なのではないか、病気故にこうなっているのではないか、と感じて悩んでいる場合には、それを受容的・共感的に受け止めて、その「悩み」とどう向き合うかについて一緒に考えて行くことをしてまいります。

 しかし、それはあくまでも「病気」という現象を「括弧に入れて」、「病気」であるかないか、「病気」故に現状から抜け出せないのか、というクライエントさんの苦悩とおつきあいするということに他なりません。このスタンスを失うと、実はほんとうのカウンセリングにはならないと考えています。

 例えば医者からはっきり『鬱病』と診断された人がいたとします。これは告知された診断名が『鬱状態』であろうと、『感情障害』であろうと『適応障害』であろうと、本人にとっては大差なく、これらの告知は、ご本人に最初「ある衝撃」を伴います。たとえ「やっぱりそうか」とご本人が受け止めたつもりの場合ですら!!

 「これが、世間で言う『鬱』ということなのか?」

 たいていの人は、自分が思い描いていた『鬱』というものとの違いに驚きます。

 たとえ、カウンセラーであっても、自分が実際に鬱になってみたら、習い覚えていた知識だけではとらえきれない「何か」を実感として感じます。そして、学んだ事柄が「こういうこと」だったんだ、と、今更のように新鮮に少しずつ気がつきます。

 その一方で、一般に流通している、「鬱の人にはこのようにかかわるべき」という、専門家向けのマニュアルめいたものが、いかに表面的で、ひとつ使い方を誤ると、本人をいかに傷つけ、それこそ「鬱を悪化させる」危険すらある「際どさ」を秘めているかに気がつきます。

*****

 例えば、

「がんばれ」というな

という、皆様も恐らくご存じの、鬱状態の人への接し方の「基本的なドグマ」みたいなものがあります。

 このことを、鬱状態とされるその人の、以前のように思うように活力を持ってものごとをできないことへの、ほとんど衝撃的な絶望感と無力感、ふがいなさを汲んだ上でない形で、表面的にだけ伝えると、クライエントさんにとってはほんとうに行き場のない思いを呼び起こす場合があります。

 「がんばらなくてもいいよ(You may...)」
→「がんばってはならない(You must.....)」
→「自分は社会的に有意義な活動ができない無能者とみられている」

あるいは、

 がんばろうとすると、カウンセラーの人は、苦虫をかみつぶしたような表情で、私(クライエントさん)に、「拒否的」になる。カウンセラーの先生に「嫌われない」ためには、「がんばらない」ようにしないとならないのがつらい

 実は、単に「がんばらなくていいよ」といわれたら、このように感じてしまうのが、まさに、いわゆる「鬱的な」人の「発想法」らしいのではないかと私は思いますが.......。

 自責感が強く、「周囲に」存在意義を受け止められ、友好的に溶け込んでいられることこそ、鬱的な人が自明としていることなのですから。

 その意味では、鬱状態の苦しさの本体は、心身のエネルギー低下そのものではない(これ自体は生物として、全く自然な生体恒常性の営みである)とも言えます。

 神田橋先生ふうにいえば、「元気がない」状態で、かなりペースを落として生活することに、もしご本人が全く違和感や抵抗感がなければ、それは「こころの病」とは言えないことになります。

 「心身のエネルギーが低下すると、それまで周囲に認められていたような活動ができなくなる」=「自分は存在意義の根幹を喪失する」

という根源的恐怖こそ、鬱状態の「苦しさ」の本体だといってもいいのではないかと思います。

 あるいは、「がんばらなくていい」といわれて持て余す、時間をどう過ごしたらいいかという空虚感と焦燥感にこそ苦悩するのが鬱状態の人である。

 逆説的にいえば、人は「鬱」になったこと自体で二次的に鬱になることにこそ苦しむ。

 このようにクライエントさんが受け止める可能性への「想像力」を持ち、以前のように全力を出したいのに出せないことへのふがいなさ気持ちを十分過ぎるほどに汲んで、その上で、クライエントさんがいつの間にか無理をしていないかに目配りする姿勢こそが必要です。

 極論すれば、自分が多少は無理をしようとしてみないと、自分が現在それが「無理」だということには、その人なりに実感としては気がつけないという逆説がある気がします。クライエントさんに、ほんの少しだけacting outする自由を与え、ちょっとだけ無理をしてみる自由を保障することが必要だとすら言えるかと思います。

 これは「試行錯誤(try and error)の自由の保障」とも言えるでしょう。もとより、それを安全な形で許容できるには、すでに治療者とクライエントさんの信頼関係の《絆》が、『抱え』の構造を生み出している場合に限定されますが。

 その結果、

 「やっばり以前ほど踏ん張りが効きませんね。くやしいことですが」

といったことを正直に打ち明けても、

だから私の言ったとおりでしょ? 今のあなたには無理なのよ!!」

と、あきれるように、あるいは勝ち誇るように(と、敢えていいますね!)言葉を返してくるのではない対応をしてくれる、医者やカウンセラーでないと、信頼の絆は生まれないし、治療もはかどれない(たとえ薬物治療中心でも)筈です。

 単に「治療者に嫌われたくないからそうする」というのを超えた治療者との関係性が築かれていないことには、鬱的な状態にある人は、自分なりの節度をまきまえたライフスタイルにたどりつくことはないと私は考えます。

*****

2.別な観点からすると、実は、

鬱的な人に「自分が『無理をしている』『疲れている』と自覚する能力がない

というのは誤りなのです。

「無理をしていた筈なのに無理をしていたという実感がなかった
「疲れていた筈なのに疲れていたという実感がなかった

などという場合、実は、何の実感もなかったし、その時の「実感」を、、呼び起こせないということではないのですね。

 つまり、「無理をしていたはずなのに無理していると感じなかった」時の「独特の感じ」というのは、本人も実感可能なことが多いのです。

 「疲れていたはずなのに疲れを感じなかった」時の「独特の感じ」というのは、本人も実感可能なことが少なくないのです。

 それらは、ほんとうに「無理をしていない」時、「疲れていない時」の「実感」とは、別の「感触」や「感覚」であることを、本人が実はかなりの程度弁別できることを期待していい場合が、実はほとんどだと思います。

 「あの時は、普段よりも宿題が多くて、思わずピッチをあげてしまった。でも、数日後、疲れていた、無理をしていたのだと突然気がついたことがあった。でもそれをお医者さんには言わないままだった。そしたらその直後に学校を1週間休むしかなくなった」

などと通院中のクライエントさんが語る時、

「その、無理をしていると気がつかなかった時の、独特の自分のノリというか、気分、調子」というのがあったんじゃないですか。その時の感覚を今も少しだけ呼び覚ますことはできるかしら? 簡単に言葉にならないかもしれないけど、実感それ自体としては?

と尋ねると、少なからぬクライエントさんは、そのクライエントさんなりに「その『独特の』感覚」を、感覚そのものとして「思い出せる」のです。

「それなら、今後、『その』感覚が出た時点で、少し注意信号かな、と自覚できる(acknowledging)だけでも、すでに少しセーブが効き出していると思うから、大事にしたら?」

などと伝えると、

「そうですね。もう、あんなふうに、直後に寝込んでひどい思いはしたくありませんから。今度『ああいう』感じになったら、すぐにお医者さんに打ち明けます」

などと、あっさりと受け止めてもらえる場合があります。

 これは、サリヴァンが言い出し、中井久夫先生も強調する、「辺縁的身体感覚」の賦活というのと、基本的に共通のことだと思います。

 私が、フォーカシングで言う、言葉にならない曖昧な心身未分化の感覚それ自体としての「フェルトセンス」と重ねていることにお気づきのかたは少なくないかと思います。フォーカシング指向心理療法的な「認知行動療法」的アプローチとも言えます。

 結果的に、その人が悪循環に陥る際の認知と行動のパターン細かく振り返っていただき、そこに「ピンポイント的」な認知と行動の修正の「提案」をしていますから。 

 しかし、言葉で表現しにくい微弱な心身未分化な感覚それ自体その人固有の味わい="taste"を直接指標にできるという点では、より繊細なアプローチの可能性を開くともいえるかと思います。

 そして、認知行動療法において決定的なのは、クライエントさん自身が自分の内部感覚と認知と行動の連鎖の細やかな「観察者」になることへの内発的な興味と関心(=好奇心!!)を喚起できるかどうかにこそ成功のポイントがあると思います(行動療法の山上敏子先生の「暴露反応妨害法」ですら、ある意味でそうだと思いますが)。

 つまり。自分の日常の堂々巡りを生じさていた「感覚」→「認知」→行動」→「感覚」→.....という連鎖に、クライエントさん自身が更に探索し、気がつき、できるところからピンポイントで修正していく「ゲーム」の主体となることに興味と好奇心を持ち、その結果生活が円滑になり、ストレスも減り、以前よりも快適で、実は真の意味で「効率がよく」て(悪循環の無駄な繰り返しがなくなるから、実は時間もエネルギーも「浪費」されなくなるのである。休息の意味も生産的に自然ととらえられるようになる)、余裕感を感じられるようになる。

 そうした、生活そのものの中での「成功報酬」を得られ更なる動機付けとして、自発的に(オペラント!!)そうした自分の中の悪循環をち切る小さなステップを探していくことそのものが、ある意味で楽しくすらなった時こそ、認知行動的アプローチの真の成功のはずと思います。

(「治療者に褒められるから」、だけではまだ悪循環の火種がある。治療者が、それらがクライエントさんに「摂り入れ」られ、「内在化」されることだけを予定調和的に期待するだけでは、また落とし穴にはまると思います)

*****

 こうして、自分の「つらいはずなのにつらくない」「無理しているはずなのに無理をしていない」時の、その人なりの独特の曖昧な感覚自覚してもらい、クライエントさん自身がセルフコントロール上での指標とする状態が学習されていった時にこそ、いわゆる「鬱状態」の人は、自律性の回復という最大の課題を少しずつ消化できていく。

 カウンセラーは、それをサポートする存在でこそあるべきと思います。

*****

 なお、ここでいう「自律性の回復」とは、私と同じTFIの国際資格認定資格者(コーディネータ)である、九州大学の吉良安之先生の提唱された、最大の業績のひとつ、「『主体感覚』の賦括」というテーマにもつながるものだと思います

(ネット上では、吉良先生ご自身の「臨床経験にもとづく体験過程療法の再吟味」という論考が、日本フォーカシング協会のサイトで一般の皆様にも公開されています)。

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私の中島みゆき系の代表記事は?

 何か、この種のご紹介をジャンル別に繰り返しやっている気もしますが....(^^;)


●安易に共感されると人は自分自身でいられなくなる 〜中島みゆき「エレーン」「異国」「空と君のあいだに」に寄せて〜

 これは、このブログの初期のものなんですが、その後の私のカウンセリング論の方向性にも大きな影響を与えたものです(ayuもちょっとだけ出て来ます)。

 私のカウンセリング系の記事の代表作として自薦した「受容・共感と自己一致の相克シリーズ」は、もとをたどると、実はみゆきの中島みゆき - 生きていてもいいですか - エレーン「エレーン」 中島みゆき - 生きていてもいいですか - 異国「異国」(アルバム「生きていてもいいですか」収録)から触発された、ということになります。

 この記事の発展したものとして、私の開業の際のポリシー宣言文書、

●プロ・カウンセラーの6つの条件("7.11 Asega Doctrine")

が生まれたくらいです。

*****

 もうひとつは、

●「巌」となりて

でしょうか。

 ここに、直前の記事とは、また別なアングルからの、中島みゆき - 親愛なる者へ - 小石のように「小石のように」論があります。

(アルバム「親愛なる者へ」収録)

 私の「小石のように」論は、直前の記事と、この記事の両方を読んでいただいて、はじめて全容が示される?

 iTunes Music Store(Japan)

2007/01/12

三日月湖と、止まった時間 -中島みゆき「夜会 Vol.13 24時着 0時発」(2)-

 鮭の遡上。
 三日月湖。

 もう、これだけで、いかにも札幌出身の、中島みゆきの肌に染みついた光景なのかもしれない。

 石狩川は、かつては石狩平野に出ると、標高差の少ない石狩平野を、ほんとうに蛇のようにうねうねと、くねくねと、折れ曲がりながら河口へと向かう川だった。その頃は、信濃川すら抜き、日本一長い川だったのである。

 ぎゅうぎゅう詰めに蛇行した石狩川は、洪水になると、自然と、その近接した折れ曲がった地点どうしがショートしてつながり、自然に放水路が生じた。結果的に、取り残された蛇行部分は、上から流れ下る土砂で堰き止められ、自然堤防で切り離され、「河跡湖」、あるいは「三日月湖」と呼ばれる湖を各所に生み出した。

 それは明治時代に入り、石狩平野が農地として本格的に開拓され、洪水防止の目的で、人間が人工的に放水路を作るようになって、数多くの「人工の」三日月湖を生み出したことだろう。

*****

 私の故郷の、福岡県の筑後平野の筑後川もまた、かつては蛇行する川だった。今もあちこちに、古い川筋が、細長いため池のようにして残っている。久留米近辺は、大和時代から栄えた土地だったから、人工的に放水路を作り、洪水防止と農地の合理的灌漑のための放水路の建設は、江戸時代の初期から繰り返され、今や川底が農地となったところも少なくないが、地図を見れば、昔の川筋がどこだったか、一目瞭然でわかる。

 古い堤防の跡と思われる盛り上がった細長い土地の上を、道路が走っていて、その内側の田畑の区画と、小さな道だけが、その周囲と全く別な方向に区画され、伸びていたりするので。

 小学校上学年の頃の私は、そういう、すでに細い川筋と、その脇のこんもりと草木が茂る古い堤防の跡と思われる小さな道を、地図の筑後平野じゅうの道筋をサインペンで塗りつぶすかのようにして自転車であちこちさまよう少年だった。

 時には、思いもよらないところで道が行き止まりになった。目の前は河原や藪になっていた。そういう時に襲い来る孤独と、一抹の恐怖に近い何か。私は川筋をずっと引き返して、橋があるところまで戻れて、やっとほっとしたのをよく覚えている。

*****

 中には、川を遡(さかのぼ)り、故郷へと帰る魚たちの中に、そういう古い川筋に迷い込み、右往左往するうちに、気がついたら、放水路との間の水門が閉じられていたということもあるかもしれない。

 取り残された魚たちは、そこでどういう時間を過ごし、どうなったのだろう?

*****

 みゆきは、時々川の流れと人生を重ねる。

 私にとって、今でも大好きな、忘れがたいみゆきの歌のひとつが、アルバム「親愛なる者へ」(初期のみゆきのアルバムの中で私が格別の思い入れがあるアルバムだが)に収録された、中島みゆき - 親愛なる者へ - 小石のように「小石のように」である。

 転がり出す石。故郷を振り返ることもなく。
 子離れできない親の心配を振り捨てて。

 そこには、ロックの世界ではおなじみの、"like a rollin' stone"という一句からの反映もあるだろう。みゆきの歌の中でも、「らいかろーりんすとん」と、ひらがなに翻訳されて(?)だか、この言葉が、アルバム「予感」中島みゆき - 予感 - ばいばいどくおぶざべい「ばいばいどくおぶざべい」という歌の中に出てくる。

 しかし、みゆきのこころはどこまでも日本人だと思う。山間の谷間にある田舎から上京して夢をかなえたいと願う少女は、同じアルバム、「予感」の中の、今やメジャーになった名曲、中島みゆき - Singles 2000 - ファイト!「ファイト!」にも登場するではないか。

 (ちなみに、あの歌詞は、決して「オールナイト・ニッポン」に届いた葉書をそのまま引用したものではなく、「詩的創作」であることは、みゆきも、自分のエッセイの中で明言している)。

 それは戦後の高度成長期の若者の思いの残映だろうか? .....いや、今だって,本質は変わらないではないのか?

*****

 さて、「小石のように」に戻る。

 転がりだした石は、川の幅が広がり、流れが緩やかになる地点まで来た時には、当初の勢いと,尖った「角」は切り崩され、今や小さな小石となり、更に砂となり、目に見えない泥粒となり、「淀み」の中で、「自分を見失い」、時間が止まったかのように眠り込む。

みゆきは唄う。

「海まで百里、座り込むにはまだ早い」

と。

*****

 だが、一転して、みゆきの唄で、海から川を遡(さかのぼ)って故郷の谷に向かう魚たちの群れが唄われはじめる。

 「遡上する鮭」のテーマは、すでに、先ほど述べた、アルバム「予感」の「ファイト!」の中に現れている。

 なぜ、そんなにまで「痩せこけて」でものぼっていくのか。
 行って、卵を産んで、死ぬだけではないか。

 でも、みゆきは「ファイト!」と叫ばずにはいられない。

****

 その延長線上に、「夜会 24:00着 0:00発」のストーリーは、中島みゆき - 転生 - サーモン・ダンス「サーモン・ダンス」(アルバム『転生』収録)は、来る。

 みゆきは、三日月湖への水門を、鉄道線路のポイントの「転轍機」に見立てる。

「ひとつの軌道に誰かが入っている限り、
その出口は、
必ずその誰かの為にしか開かない作りになっていた」

......みゆき演じる主人公、「あかり」のこのセリフを聞いて、

「閉塞装置」

の仕掛けまですぐに連想できるのは、鉄っちゃんだけでしょうが(^^;)

(そもそも、この時の「夜会」の「午後24時着 午前0時発」というタイトルが、「列車の到着時間の場合には24:00と表記し、発車時間の場合には0:00と表記する」という、時刻表に明記されている決まりを知る者にとっては、思わず(^^)な事柄でもある。もとより、みゆきはそこに固有のメッセージを込めているのだが).


******

 迷い込んだ三日月湖の「淀み」から脱出し、止まった時間の流れを超えて、もうひとつの時間に飛ぶために必要だったのは何なのか?

......ここでは、はっきりとは言葉にすまい。

 ヒントは、アルバム「恋文」の中の「ある曲」にあり.....と、言うに止めよう。


*****

中島みゆき「夜会 Vol.13 24時着 0時発」

使い勝手がよくて音もいい、iPod用リチウム充電地内蔵式追加電源(第2版)

リンケージ L1 04LW

 この製品は、折りたたみ式AC電源プラグと一体化したリチウム充電池(取り出し不可)に、USBの巻き取り式のiPod本体へのケーブル(Dock コネクタ)が付属している。(miniは可。nano,shuffleは不可)。
 iPodへの追加補助電源に、単に本体側の充電が切れた場合の緊急充電や、長時間再生だけではなく、音質向上の効果が期待できることはこれまでも書いてきた。

 この種のものは今やiPodを売っている店だと、スーパーやコンビニですら置いてある場合がある。電池式のものの場合だと、別に充電器がいるのを承知で、ニッケル水素充電池を使うこともできる。

BRIGHTON BI-B3

BELKIN Backup Battery Pack for iPod
(このBERKINの製品は、ケーブルも短く堅牢だが、iPodの裏側に吸盤で吸い付ける方式になっているため、iPodにこのようなカバーを被せて持ち歩く人には向きません(;;) 私も、iPod首から下げる派だし、万一落とした時の故障率にかなり差が出そうな気がするので、銀座のApple Storeで実物の仕掛けを見て以降、買わないままです)。


 しかし、電池2個で駆動するもの、あるいは、リチウム充電池であっても、容量があまり大きくない薄型のものの場合、補助電源をOFFにしないまま放置すると、何と、iPod本体の側から補助充電池の方に充電されてしまう、つまり、iPod本体の側から放電されてしまうという現象が生じる。放電の過程で当然エネルギーの消耗は生じるので、補助電源をつないだのに、むしろ全体としては電源が消耗するという、困った現象が生じるということは、あまり知られていないかもしれない。リチウム充電池内蔵型でも、容量が1,500mAぐらいまでのものだと、同じ「逆流消耗」現象が生じるようです。 

 電池収納式の補助電源は、単3を4個(2個を直列で2個並列)のものでないと、ニッケル水素電池を使った補助電源としてはこの問題に対処できません。

 最初にご紹介した製品、リンケージ L1 04LWは、この点では十分な電池容量があるばかりか、家庭用電源プラグを折りたたんで内部収納できるようにしてある点で、スペースの無駄がありません。
Ipod0701c

 充電池からの電源出力が、通常のUSB端子(メス)になっていることは、iPodへの一番普及しているUSB端子(オス)のDockケーブルならどれでも使い回せるということになり、汎用性の点で優れていることになります。

 ただ、この製品に最初から付属している巻き取り式の薄型皮膜のUSBドックケーブルは、音質という点からすると、巻き取り部分にコイル状のものが形成されていることになるし、薄いケーブル皮膜そのものが、音質的にはマイナス要因であることは間違いないようです。さすがに今も「これだけは」別売りではなく、iPod本体購入の際に付属品として同梱される(^^;第2世代の昔は電源コネクタも同梱だった!!)、USBオス端子を持った、120センチのiPod純正Dockケーブル(Apple M9569G/B) に取り替えてしまうだけでも音質は向上します。

 更にいうと、これまでApple純正の家庭用電源アダプタ(MA592J/A)を使って来た人は、それをこのプラグ付き充電池に「取り替えて」、普段から電源供給するということも可能になるわけですね。

 apple純正の家庭用電源アダプタは、音質的にも出来がいいものとこれまで評価してきたのですが、このL1-04LWに置き換えたら.......私には、いい音に聞こえました。ハイ上がりだった音のバランスが、平坦になり、クリアーになり、深みが出るのです。敢えていえば、角がほんの少しだけ丸くなったかまぼこ形というべきでしょう。

 充電池そのものが電源に内在するノイズを濾過する、コンデンサー的な効果を持ったのかな?と素人なりに考えています。このことによって充電池本体が発熱するという現象も見られないので、充電池の消耗が早まる危険はあるかもしれませんが、安全性は一応保たれていると思います。

 更に、iPod本体と補助電源を接続するケーブルを、先ほどご紹介した純正の120cmの長さのものから、サードパーティから出ている25cmのもの(例えばBird USB-250D)に置き換えるとどうなるか?

 音が更にクセがなくなり、解像度と瞬発力が増すのですね。

 これはAC電源から外しても基本的には同じ音質傾向です。

Ipod0701a

 私は、この補助電源とiPod本体を、「だばねて」持ち歩いています。

Ipod0701b

 なお、ここでご紹介したリンケージ L1 04LWは、ヤマダ電器大船店のポイントで買いました。ヤマダ電器の他の店舗にあるかどうかは不明ですが、恐らく確率は高いでしょう(^^)

※なお、この接続法は、興味のある方が、あくまでも個人の責任で試してみて下さい。充電池は、爆発の危険が皆無と言えないものですから、異種の充電池の直列使用となれば、なおのこと、絶対の安全はありませんので。

Apple Store(Japan)

 

2007/01/11

序章:めぐり会うまで -中島みゆき「夜会 Vol.13 24時着 0時発」(1)-(第2版)

 実は私の中島みゆきファンとしてのキャリアには大きなブランクがある。

 中島みゆき - 私の声が聞こえますか - 時代「時代」は発表当時から知っていたし、ファーストアルバム「私の声が聞こえますか」(このアルバムについての拙論はこちら)から、「予感」までは、アルバムによっては少し時間をさかのぼりながらであるが、LP時代に「同時代的に」親しんでいる。
 ところが、アルバム「はじめまして」を聴いた段階で、デジタル録音をアナログ盤で聴くという形になったことが災いして、音がたいへん硬いものに感じられたのがきっかけだと思う。一度関心が離れてしまうのだ。アナログ録音の最後の2枚、「寒水魚」と「予感」が、アナログ録音の秀作で、カートリッジをおごっていくと、絶妙なまでに香り立つ繊細さと、ベースやドラムスの鋭くて重量感のあるインパクトが共存する名録音だったのである。この2枚のアナログ録音への愛着が、その後のみゆきへのこだわりそのものを断ち切ってしまったのである。

 (一方、今から振り返れば、初期のCDプレーヤーは何とも音か硬くて荒れて聴こえたものだ。これは、アナログプレーヤとCDプレーヤー以外のオーディオ機器そのものが、このアナログからデジタルへの変換に伴う音作りの抜本的な変更に追従しきれていなかったためだろう。今では、いわゆるシスコンのCDの音ですら、当時の単体製品のコンポーネント(合計価格は今のシスコンの10倍近くだったろう)よりはずっと「バランスよく」は聴こえる)

 もっとも、「はじめまして」は、みゆきにおける作風の転換を明らかに示し始めたアルバムで、当時の私の感性が、それについて行けなかったためとも思える。このアルバム前後から、後のみゆきが「ご狂乱の時代」と自ら振り返る転換期に入ったと知ったのは最近のことである。

 私は、中島みゆき - Singles 2000 - 空と君のあいだに「空と君のあいだに」、の大ヒットすら、曲そのものは何かの機会に耳に入ってもそれ以上の関心を持たなかった。

 私の中でのみゆきへの関心の復活は、NHKの「プロジェクトX」の開始である。私は、この番組の最初からいきなり「番組全体への」ファンになったひとりである。その証拠としての、この番組開始一ヶ月後の段階での、某メーリングリストの書き込みがある。

 NHKの火曜21:15の「プロジェクトX」は毎週ホント楽しみにしてます。どこか「戦後しばらくの日本人にはこんなに素晴らしい気骨ある人たちがいたんだよ! 私たちも頑張ろう!」と高度成長期を懐かしむようなノリがありますけども、ともかく何かで賞をとってしかるべきと思うくらいに毎週の粒が揃い、元気が出る番組です。コンセプトとフォーマットの勝利と感じます。これに比べると同じ時間帯の水曜の歴史物は、何か生ぬるく、以前の同じ時間帯の歴史番組よりかなり微温的と思っています。

([focusing-net: 1660] Thu, 12 Oct 2000 23:36:16 +0900より転載)

 番組放送開始が2000年4月ですから、半年後に書いているということになりますね。まだこの番組について大ブーム化するよりは前です。

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 みゆきの中島みゆき - 短篇集 - 地上の星「地上の星」中島みゆき - 短篇集 - ヘッドライト・テールライト「ヘッドライト・テールライト」もテレビで聴いた段階ですぐに好きになった。そして"Singles 2000"で近年のみゆきの代表曲に接した段階で、みゆきが現在たどり着いている境地の深みに圧倒されることになる。特に中島みゆき - Singles 2000 - 瞬きもせず「瞬きもせず」に鳥肌が立った。

 こうして、私は、その途中の十数年というブランクを、徐々に埋め始めることになる。曲はすでにすべてて手元にあるが、丁寧に聴きなおす段階に至っていないアルバムも実は多いままである。

 (みゆきにしても、浜崎あゆみにしても、アルバムそのものを「ひとつの統合的な『作品』として聴いた時にはじめて感じられる持ち味が実に明晰にある。埋め草のような意識でシングル発売曲以外を「寄せ集めて」作っているに留まるケースは皆無である。私はそれこそ交響曲やソナタの各楽章を聴いて行くような意識で二人のアルバムに接する)

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 最近のみゆきのオリジナルアルバムでは、まず最初に「恋文」が全体としてしっくりくるアルバムとなった。続いて、「はじめまして」の再発見、その後で「歌でしか言えない」、「転生」という順になる。

 既に一度この時の記事で、敢えて暗示的に示唆したけど(^^;)、アルバム『転生』が、宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」へのみゆきなりのオマージュというコンセプトを鮮明に持っていることは、「銀河鉄道の夜」を溺愛する人なら、一聴してわかることのはずだ。そしてそれが表面的な借り物などでは決してないことも。
 中島みゆき - 転生 - 命のリレー「命のリレー」一曲取り出しても、宮沢賢治の世界観へみゆきの深いシンパシー、みゆき自身の世界観との「高次元での共振作用」がなくては生まれない曲である。

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 ところがどっこいぎっちょんちょん、私のみゆきへの十数年のブランクは、最近のみゆきのファンなら「当然の常識」すら知らないままでいる状態を生み出していた。つまり、私は、『ダ・ヴィンチ』2007年1月号でのみゆきへのロングインタビューを読むまで、アルバム「転生」が、そもそも、みゆきの、ミュージカルともコンサートともつかない特異なライブ、「夜会」のVol.13、「午後24時着 0時発」のCDアルバム版であるということそのものに「気がつかないままでいた」のである!!

 「夜会」については、数年前にNHKBS2で放送されたドキュメンタリーで、その特異な舞台世界に気づかされてはいた。でも、「夜会」の各回がどういう内容かについては全然情報収集しないままだったのである。「夜会」のDVDの全容まで体験して堪能するとなると、とても今の私の時間と資金力(^^;)では消化しきれないので、全面的に先送り、と、かなり前から決断していたのである。

 ところが、「ダ・ヴィンチ」のみゆきのインタビューでその事実を知ってしまったらどうにもならない。小説が苦手な私にとって、宮沢賢治の童話集は、すでに中学時代から、例外的な溺愛の対象だったのである。アルバム「転生」にも十分なじみ、聴き込むうちに「命のリレー」以上に中島みゆき - 転生 - サーモン・ダンス「サーモン・ダンス」にぞっこんになってきていた私にとって、これは中古市場で探して、ダイエットの励みにしてでも(爆)入手せずにはおられなくなったわけである。

 その結果、私は、

「そうか、あの曲が『こう』使われていたのか!!」

ということに、たいへん新鮮な感動を覚えつつ、このDVDを堪能できた。

 歌詞の字幕OFFのままでも、いきなりDVDと一緒に口ずさめるのが嬉しかったりして。

 「夜会」のストーリーを全く知らなくても、アルバム「転生」には自立した音楽的な深さがある。中島みゆき - 恋文 - 情婦の証言「情婦の証言」(これのみアルバム「恋文」の方に収録)や中島みゆき - 転生 - ミラージュ・ホテル「ミラージュ・ホテル」中島みゆき - 転生 - 無限・軌道「無限・軌道」そして何より「サーモン・ダンス」は,アルバムの中ですら、見事なイマジネーションを喚起する名曲なのだ。

 その「アルバムだけで」喚起できるイマジネーション深い味わいから予想できる期待を、「夜会 Vol.13 24時着 0時発」は全く裏切らなかった。そして、そこでのみゆきの存在感ある演技と歌唱に圧倒された。何より、お気に入りになっていた「サーモン・ダンス」が、ああいうふうに歌われ、演じられるようになって「いた」ということを体験できたのは、知らなかったがゆえにこそ、何とも感慨深いものがあったのである。

*****

 この連載(!)、次回は、この「24時着 0時発」を、ひとつの演劇作品としてとらえ、この作品の背景になっているみゆきの思想と、その背景についても迫る内容にしたい。

同時連載何本抱えるんだと思われそうですが、こういうやり方の方が、今の私の場合には、発想の「促成栽培」にならず、内容の密度を上げられるということに、最近の私は確信が出て来ましたので。以前とは異なり、ちゃんと続きは遠からず書かれます。)

Apple Store(Japan)

2007/01/10

次の記事はみゆきです。

ayu系、お待ちの方はスミマセン。

ああ、ついに「あの世界」を観てしまった........

中島みゆき/夜会 Vol.13 24時着 0時発

2007/01/09

「その感じはどんな感じなんでしょう」を濫用しないこと

 フォーカシングのセッションで、フォーカサーへの援助として、

「その感じはどんな感じなんでしょう」

という教示を、ガイド(リスナー)が数多く使いたくなる誘惑というものがある気がします。

 これ、いったい、誰のためのもので、誰が誰に求め、誰に答える問いかけなんでしょうか?

 少なくとも、リスナー(ガイド)の側が、「フォーカサーがどんな感じか」を知りたいがための問いかけではないはずです。

 本来は、フォーカサー自身「が」、自分の中に感じられている漠然とした感覚そのもの「に」、どんな感じでいるのか、虚心に注意を向け、じっくり感じてみて、感じそのものからの返事を受け止めていこうとすることをサポートするための教示なんですね。

 つまり、本来、フォーカサーの意識的主体と、フォーカサーの中に感じられた感じそれ自体(フェルトセンス)との内的対話です。

 しかも、ここで、「対話」と言っていますが、フェルトセンスというのは、そう簡単にはっきりと言葉で返事を返してくれるものではありません。

 フェルトセンスは、そうやって、注意を向けてもらうことだけで、いわば「態度の変化」のようにして、微妙な身体の感覚の変化として、反応を返してくれることも多い。

「その感じ、私周囲を向けられることに、少し怯えているかのようです」

「その感じ、私注意を向けても、私のこと無視しています」

「その感じ、私対して不信と警戒心を抱いているようです」

「その感じ、私注意を向けてもらえたことで、少しほっとして、感謝しているようです」

などという発言をフォーカサーからいただくことは、結構あるパターンだと思います。

******

 時として、フォーカサーのプロセスに、リスナー(ガイド)がついて行くことができなくなった場合に、リスナー(ガイド)の側が、そのプロセスを「理解したく」なって、フォーカサーに、「その感じはどんな感じでしょうか」を多用し始める場合があると思うのです。

 得てして、そういう時は、フォーカサーの中にすでに小さなステップが生じたということを、リスナーの側が見逃したことを引き金として生じる、というのが、最近、私が他の方がリスナーをなさっているセッションについて助言を求められた際に、気づかされることです。

 実は、フォーカサーの中に小さなシフトか生じ始めた瞬間、フォーカサーは、それまでの脈絡からすると、独特に飛躍した形で、言葉を使い始めることが多い。この瞬間、リスナー側は、フォーカサーに一歩先を行かれてしまうことになる。これは、この前書いた、「カウンセラーがクライエントさんに『追い越される』」という現象と、基本的には同質のものです。

 またもや、体験過程尺度の説明で使った架空事例を持ち出します。

「まてよ....私は『悲しい』のかな?『怒ってる』のかな?......ちょっとまって下さい、先生...(沈黙38秒)...『そうやって、悲劇のヒロイン演じてな!』って冷たい視線を送る、もうひとりの自分がいる気もする。...(沈黙20秒)...私が私に誰より残酷なのかな?....(沈黙18 秒).....でも、親も姉貴もあの程度のことで喧嘩するな!! って言いたい私もいる。でも、『それを二人に言ったの? 悪いのは結局言わないお前自身だよ』、で済ませれるのも嫌!! .........(沈黙47秒)..........待って!! それも私自身が自分で自分に言ってるよね。『結局言わないお前が悪い』って....(沈黙29秒...)...結局一番自分に冷淡なのは、私、ってことなのかな?[ため息」...(沈黙40秒)....でも、それだけで済ませるのでいいのかな..........」

.....この段階で、クライエントさんは、自分の中にいるもうひとりの自分のことを、

「冷たい視線を送る」
「残酷な」
「冷淡な」

と表現しています。

ところが、次の部分になると、


「........(1分06秒沈黙)........そうか、そうだよね.......そうなんだ。(カウンセラー:「.......何? どうしたの?」)「おせっかい」過ぎるんだ、私って。バカだね。(カウンセラー:「おっせかい過ぎる」.......何?)........自分自身に誰よりおせっかいなんだよ。バカ、『自分で自分をそうやって追いつめるなっつーの!!』 アホ!! .......私の中に、恐怖の『おせっかいババア』が住んでるの(笑)。いつのまにか、そうだったの。今頃気づいた。........(36秒沈黙)..........そいつ、『千と千尋』の大浴場のボスのババアみたいな顔してる(笑)。美輪明宏だったっけ? あの声やったの。........怖えーよ、そんな顔してたら。てめーが、そんな怖い顔してたら、お前の焼いたおせっかい、誰にもその真意、つたわんねーよ。......バカだこいつは。バカ.....(涙ぐむ).....」

 ....こちらでは、

「おせっかいな」

という言い方に変わっています。

「冷たい視線を送る」→「残酷な」→「冷淡な」

という言葉の流れからすると、

→「おせっかいな」

という言葉になった時点で、微妙な意味の飛躍が含まれているということ、実感していただけますでしょうか?

 少なくとも、このクライエントさんは、この瞬間、「おせっかいを焼く」もうひとりの自分の身になって、共感すらし始めている

 「おせっかい」とは、もはや単にnegativeなニュアンスを持つものではないのですね。

 そこには、もうひとりの自分の、

「相手(=「私」)のことを心配するあまり、思わず口を出す」

心情への共感と思いやりすら含まれてきています。

 だから、今度はその内なる「おせっかいばばあ」に対する思いやりを込めて、

怖えーよ、そんな顔してたら。てめーが、そんな怖い顔してたら、お前の焼いたおせっかい、誰にもその真意、つたわんねーよ。......バカだこいつは。バカ

忠告している.......「おせっかいがえし」をしている(?).......わけですね(^^)

 ......ひょっとしたら、この人の中では、あの「千と千尋」の銭湯の経営者の婆さんが、実は悪人ではなかった、という物語の後半の展開すらどこかで思い出されているかもしれません。

(今回、この説明を読んで、やっとこの事例の持つ意味が理解できてきたという方もあるかもしれません)

 この人にとって「おせっかい」という言葉は、必ずしも否定的なニュアンスではない、もっと複雑な心情として、この話の脈絡では、意味の再構築が、パーソナルになされていく過程がステップとして生じたのです。この瞬間、この人にとっての「おせっかい」という言葉の個人的意味内包そのものが化学変化を起こしたのです。

 もちろん、ここでいう「化学変化」というのはひとつの比喩です。しかし、ユングが「錬金術」と比較する形で、人の心の変化を論じた時にも、こうした意図が含まれていたと私は判断しています。

 ちなみに、こうした「化学変化」という比喩として用いることは、ジェンドリン自身「人格変化の一理論」の中で既にやっています。ジェンドリンの体験過程理論の用語としていうと、

「過程の局面(phase)としての『内容(content)』の変化」

ということを言い表すために。

 (例によって、これらの用語を「ページ内検索」で探してみてください。......こういちろうのの頭の中はこの論文をいつでも自由検索して引き合いに出せるデータベースがあるのか? と思われそうですが、「この論文についてだけは」あるみたいです.....大学院に入ったばかりの時点で、自分でジェンドリンの英文から訳しなおして比較検討して、恩師・故村瀬孝雄先生に細かく「ご注進した」次元ですからね)

*****

 いずれにしても、上記のようなクライエントさんの発言を聴いた後で、

「その『おせっかい』ってどういう感じ?」

「その『おせっかいババア』ってどんな感じ?」

.........としか問いかけられないリスナーやガイドやカウンセラーは、もはやフォーカサー(クライエントさん)の足を引っ張って、せっかく生じかかったクライエントさんの中の小さな気づきをだいなしにする側の役割を果たしている可能性があります。

 しかし、自戒を込めていいますが、フォーカシングのセッションやカウンセリングの膠着状態が、こうした、変化のきっかけのステップになるまさにその瞬間に、リスナーやガイド、カウンセラーの側の反応の鈍さが生じた場面から、刻々とはじまることなど、逐語記録を検討しなおすと明白になることは決して稀ではありません。

 (だから私は、自分のセッションの録音(湘南フォーカシング・カウンセリングルームでは録音は取りません。自分が四日市とかでの勉強会に出て、勉強会でのセッションを振り返る時ですね)を逐語記録に起こして自分で検討することすら、憂鬱になります(^^;)。検討する側に自分がまわると、とたんに「岡目八目」になれてしまいます(^^)。すでに記録に起こしている最中に、すでに自分のミスに気がつき始め、果てしなく落ち込むことが多いからです(^^;)。ガイドとしての私のミスにもかかわらす、クライエントさんやフォーカサーが、それをものともせず、セッションを自分で立て直しているのでうまくいって「いた」だけだと思い知らされたりします)

*****

 では、こうした時にリスナー・ガイドとして取るべき姿勢は?

 まずは傾聴です。フォーカサーが語る言葉を大事に投げ返しながらの。

 フォーカサーは、自分の気づきを自分で受け止めて行くにつれて、リスナー(ガイド)の声の調子やうなずき方などから、リスナーに自分の言ったことが「伝わって」いるかどうかを、ある程度察する余裕を回復し、「リスナーに『伝わる』言い方に翻訳する作業をある程度自発的にはじめてくれるものです(^^)

 もし、無理のない間合いができたら、アン・ワイザー風なら、

「あなたの中のその「お節介婆さん」に、もう一度、そのことを言ってあげて、受け止めてくれるかどうか、様子をみてみてはいかがでしょうか?」

「おせっかい婆さん」なりの、意外な感慨を、返してくれて、フォーカサーもそれに驚き、更に深い気づきが生じることすら稀れではありません。

 ジェンドリンや池見陽先生だと、

「しばらくそこにちょっとどどまって、もういちど身体の感じに戻して感じてみたらどうでしょう?(どうやろ?)」

というあたりでしょうか?(^^)


2007/01/08

やっと封印を解く ―ayumi hamasaki ARENA TOUR 2005 A -MY STORY- ―(第3版)

 昨年(2006年)のツアーのDVDについての連載記事をここから書いている最中ですが、敢えてここで一昨年(2005年)のツアーについての記事を挟ませていただきます。

 私のブログの浜崎あゆみ関係の記事やアフィリエイトを探されると、ブログ開設以来、実はこの2005年のツアーについてだけ、何の言及もないことにお気づきの方があったかもしれません。2004-5のツアーでは,代々木の中日に、初の「生あゆ」してますし、2005-6のカウントダウンのDVDについても以前ご紹介しています。

 なぜ「今」書くのか?

 単純に、今まで何と(今日まで)観ていなかっただけなんですね(^^;)

発売時(2005年08月24日)に購入していたのは確かなんです。

 今日、購入以来15ヶ月以上を経て、やっと「開封」しました。

 つい先日、私のフェルトセンスから、連載を更に書き進める前に「あれ(=2005のツアーのDVD)を観なさい」というご宣択が下ったわけです(^^;)
 「ayuの歌唱力は伸びている」ということを論じつつ、2005年のツアーのライヴを、DVDにしろ、観ないままというのは,何か無責任と言う気もしたし、何となく、そろそろ無理なく観れるというタイミングとも感じたし、観ても何も失望しないという確信もあったし。

 今にして思うと、私がアルバム"My Story"が出た時点で、特にアルバムでの新曲にすっと入れなかった理由は、よくわからなくなってます(正直にリンクしますと、当時は、こんなことも書いてるんです)。この時点では、何回か聴き返してみても、ayuの歌詞の意図は十分理解できる気がしても、「曲が」自分の中にすっと入って来なかった

 この現象は、"STEP you”/ "isThis LOVE?"のマキシを発売後に聴くまで後を引きます。このマキシアルバムを最後に、私はayuのアルバムやDVDを買っても封印したまま(まさに表面のシールそのものを開封しない)に陥ります。
 約7ヶ月、「ayuと距離を置く」時期になります(もちろん、一リスナーとしての私が、一方的にですが(^^;))。

 一昨年(2005年)の12月後半ぐらいにもなって、7月には出ていた"fairy land"/"altrena"のマキシをやっと開封し、そこでやっと曲とも完璧に波長が合い出した。

 あとは一気に、でした。2005年の大晦日の紅白直前までかけて、"heaven"/"Will"マキシ"Bold Delicous"/"Pride"まで一気に3枚、マキシを聴いて「追いつく」わけですね。そこでの3枚は、一枚聴くごとに新鮮なayuに出会えたという、たいへんな手応えを感じました。その勢いでこそ、この「代表作」を書けたと思ってます。

 そして、フルアルバム"(miss)understoood"は、聴く前から成功して当然という手応えで待つことができました。そして実際、その期待も全く裏切られなかったのです。

*****

 この、アルバム"My story"発売時の躓き、ひとつには、私個人が、休職から療養、退職、そして独立開業に実際に踏み切るまでという、個人的に一番厳しく、波乱の多い時期で、私が余裕を見失っていたためとも言えるかと思いますが、私の中で、アルバムでいうと"Memorial address"以降のayuが、音楽的な過渡期に入ったという思いがあり、それがほんとうに軟着陸できるかどうかに、すごい不安を感じていたのです。

 "My story"に収録されるに至った先行曲の中では、私は浜崎あゆみ - Inspire - Single - Game"GAME"の詞とメロディ、編曲の、シンセ重視の音響のバランス、曲が「横に流れる」という印象の、独特の流動感、そして、ギターのパートとドラムスが以前と音色が違い、タイトで軽量級だけどでしゃばらないあたりに、ある新鮮なものを感じていました。

 このサウンド傾向の変化についての未来予測は、今から振り返ると、結果的には,長期的にみて、外れてはいなかったなという思いは感じています。最新アルバム、"Secret"は、まさにこの"GAME"で予見できた路線を全面採用し、更に"something"を目指しているというのが,私の感性の判断です。

 "GAME"について更に言うと、そして、歌詞に、非常に赤裸々な生身の女の心情を感じ、何かayuの殻がやぶれつつあると予感していました。それは、その発売の数ヶ月後、2004-5のツアーの最後の日を収録したDVDが発売された際確認できた、MCでayuが語った、「人間くさくいたい」という言葉とも響き合うものでした。

 ところが、アルバム"My Story"ではじめて聴けた新曲は、当時の私には、ギターが重々しくて、詞にあわせてメロディをつけるのが精一杯で、何か鈍重な印象を感じたのでした浜崎あゆみ - MY STORY - Walking Proud"walking proud"のメロディーと詞の調和の中にきらめく切なさにはっとした瞬間はあっても、浜崎あゆみ - MY STORY - About You"About You""、浜崎あゆみ - MY STORY - My Name's Women"my name's WOMEN"あたりが耳にすっと入って来ない。浜崎あゆみ - MY STORY - Honey" Honey"の明るさを、何かわざとらしくて無理して明るくしているように感じる.....といった具合。

 ところが、"Bold & Delicious"を一聴めから大絶賛せざるを得なくななった後の時点で聴きなおすと、「いや、これらはこれらでいい曲ではないか」と「聴こえ始めた」。そして、浜崎あゆみ - MY STORY - Happy Ending"HAPPY ENDING"が、実はメロディと詞が卓抜に調和した、何とも切々たるayu入魂の名曲に聴こえ始めたのである。

 今では"My Story"の曲はみな好きになっている。こうなると説明しようがなくなる。

 でも,私個人の経験として、クラシックを聴く際にも、出会いの時点で全くピンとこなかった曲が大好きな曲に豹変し、しかも「ピンとこなかった最初に聴いた時と同じ指揮者や演奏家の録音」が30年を経て、今では愛聴盤になっている......などという事態はいくらでも経験して来たので,これ以上詮索しないでおこう。

Mahrersoltis6_1(例えばこれ。マーラーの交響曲第6番への私の思い入れは半端ではないのですが。最初ピンとこなかった時の演奏は間違いなくこのChicago Symphony Orchestra & Sir Georg Solti - Mahler: Symphony No. 6ショルティ/シカゴ交響楽団盤です)

 一つだけ間違いなく言えるのは、私自身が、独立開業後の自分のスタンスに、ある地に足がついた手ごたえが出てくればくるほど、ayuの新曲を喜んで新鮮に迎え入れられる感性に私自身が変化していた気がするということである。

******

 さて、何しろ2006年だけで3回もayuのライブを聴いた私である。この2005年の"My Story"ツアーについても、DVDを観れば、代々木の最終日の現場の空気を彷彿と自分の中に「擬似的に」呼び寄せられる。

 そして,このツアーが、2006年のツアーを実際に2回体験している私が「後から」観る形になっても、まるで更に新しいツアーをDVDで観るかのような新鮮さで体験できた。

 確かに、演出上の工夫として、ステージの上から吊るした数枚の反射スクリーンの活用はまだだし、水は「下から」吹き出すだけだし(^^;)、よっちゃんとayuのアンコール後のSEは、2006年のツアーの方が更に凝ったものになっている。

 しかし、ワインレッドを基調にした全体の色バランスのこだわりは、明白に"My story"らしさを生み出しているし、この段階でも、先日から指摘している「ayuのライブにおける胸声と腹声の使い分け」を、プログラムと演出の流れの中で合理的に生かす」流れにすでに十分なってきている。ヴィヴラートは2006年のツアーの方が更に使い込んでるなとは思うが。

 そしてこのDVDののっけから引き込まれたのが、冒頭にいきなり"HAPPY ENDING"を持って来て、それが、ayuの歌のみならず、ayuとダンサーの舞台上の演技を含めて、この曲を最高に引き立たせる絶品になっていたことである。特に、メロディーのラスト直前の、一瞬の「間(pause)」の生かし方。このラスト直前の「間」の意味深さに。曲を聴き込むうちに惚れ込んで来ていた私にとっては、これ以上の名演出は想像できない。

 我が溺愛する浜崎あゆみ - Duty - Surreal"SURREAL"は、このライヴが一番ライブ録音としては完成度が高いかもしれない。浜崎あゆみ - MY STORY - Carols"CALROLS"、"HONNEY"は、アルバムの時より、ずっと幅と内容の奥行きがある曲に感じられた。

*****

 最後に。

 最終日が終わってからのスタッフを前にした挨拶で、ayuが、

「皆さんの、すべてをプラスに変えてしまう力に助けられた」

というような発言をして、感謝を表しているのは、全くの本音ではないかと私には思える。

2007/01/07

クライエントさんを勝手に「理解したつもり」になる危険を具体的にどうやって超えていくか -体験過程を深めていくためのカウンセラーの応答(1)-

 受容と傾聴、クライエントさんの言ったことを大事に投げ返してあげるのが、カウンセラーの共感的理解の基本だからといって、それを形だけやっていても、クライエントさんの役に立たないことが多いのは確かです。

 カウンセラーが、その時のクライエントさんの応答が、体験過程尺度上でどの段階にあるかを、刻々とスキャンするつもりで聴いていくと、それだけで面接過程は深まると、先日の記事で書きましたが、それはどういうこととかについて、今回は具体的に書いてみたいと思います。

 それは一言で言うと、クライエントさんの体験過程のstageが停滞したまま堂々巡りし続けたり、むしろ低下しそう「タイミング」を感受して、その瞬間に、ほんの少しだけ、示唆的なさりげない質問や、提案や、応答の上での工夫によって促進されます。

 前回も使った架空実例を材料に、説明してみます。

「母と姉が喧嘩をはじめたんです。姉は『私の買って来たジュース、勝手に飲んだでしょ』と母に言いました。母は最初、『そんなジュースあったっけ?』とか言ってたのに、そのうちに『飲んだかもしれない』とか言い出し、『でもあなた』.....あなた、って姉ですね.......『このジュース、私が買って来たものだから、飲むな、とか、私に言った?』と言い出した。そしたら、姉は「どうしておかあさんはそうやっていつも自分を正当化するのよ!!」と言って突然キレたんですね。それからが大げんかになりました」

 このまま話し続けたら、いつまでたっても、お姉さんと母親の喧嘩の実況中継果てしなく続く危険もあったと思います(^^;)[stage 1]

 「......なるほど、それで、あなたはその時どうしてたの?」

 そのように一声かけてあげてもいいタイミングかもしれませんね。すると、

え、私? ......... 私は、その喧嘩のようすを、喧嘩がはじまる前から最初そばで観ていました。喧嘩が激しくなった時点で、何もいわないまま、2階の自分の部屋に昇り、しばらく座っていたあと、ヘッドフォンで音楽を聴き始めました」

 という話が自然と始まるかもしれない。

 体験過程尺度で言うと、stage 2ですね。「話の主人公は、クライエント自身」

 もちろん、クライエントさんによっては、こうした話へと自然と転換していく人もいるわけです。そういう気配があると判断したら、そのままクライエントさんの言うことを傾聴していていい。

 逆に、「あなたはどうしていたの?」と問いかけても、

「そして、お母さんは.....(と言ったor....をした)」、
「お姉さんは.....(と言ったor....をした)」
「しばらくして、お父さんが家に帰ってきて、そしたらお姉さんがお父さんにその冷蔵庫の件を告げ口して、今度はお父さんと、お姉さんが喧嘩になって.....」

などと、家族の喧嘩の実況中継が続き、クライエントさん自身はなかなか話に登場しないかもしれません。

 つまり、体験過程尺度的に、stage1のままをクライエントさんは維持するということです。

****

 こうした場合に、無理に介入して、stage2に引き上げようとするのがいいとは限りません
 むしろ、カウンセラーの中で、

 「こうやって自分以外の家族の顛末を延々と物語らずにいられないクライエントさんなりの心情が、何かあるのだろうなあ

.....などと、カウンセラーが連想しながら継承するスタンスを自覚的に取れ始めると、それだけで、クライエントさんは、その時の自分の振る舞いや気持ちを少しずつ話すモードにいつの間にか転じることが結構あります。

 でも、場合によっては、切れ目のいいタイミングを身計らって、意識的に、

「....あの、ちょっと聴いてみたくなったんだけど、いいかな? (クライエントさん、うなづく)
....あなたは、その喧嘩の中で、どこにいて、何をしていたのかなと思って。」

 と再度さりげなく水を向けてみることもできるでしょう。
 ほんの少しだけカウンセラーの側から話の腰を折ることについて、クライエントさんの承諾を得た上で、控えめな言い方で水を向けていることに注意してください。

 タイミングを外さなければ、ここでいきなり、

先生は私が喧嘩を止めないのが悪いっていいたいんですか?」

などといきなり問い返されることはあまりないでしょう。

仮にそういわれても、

あなたの中に、喧嘩を止めない自分が悪いという気持ちがあるの?...それとも、喧嘩の被害者は私、とんだどばっちり食らったという思いとかがあるのかな?」

などと、クライエントさんの気持ちを汲み、しかも、クライエントさんが、カウンセラーからのそうした発言を容易に払いのけて、自分なりの「第3の」感じ方を物語れるような状態になるように配慮しなから、控えめに言葉を返すと、クライエントさんの話は、それはそれで、予想もしない、有意義な方向に発展する可能性があります。

****

 こうした時、クライエントさんの話を、まるで映画やドラマを観るようにイメージしながら聴くセンスもあっていいかと思うんです。

 画面は、ひたすら、お母さんとお姉さんを交互にクローズアップ、あるいは二人が対峙するシーンを、短いカットでつないでいく......そうなると、「物語の主人公(面接に来て、話をしているのはクライエントさんですから!!)」であるはずのクライエントさんが画面に現れて来ないのが次第に気になるのが自然なところでしょう。

 1.一瞬でも、「ああ、またはじまった!!」みたいにうんざりした表情のクライエントさんへのゆっくりとしたパンした短いカットが、残り二人の登場人物の背中のあたりに映るだけでも、あなたは納得するでしょう。

 2.あるいは、いきなり勉強部屋にシーンが飛び、階段の下の方からのくぐもった音として母と姉の会話が聞こえ、勉強机で本を読んでいたクライエントさんが、バシン!! と本を閉じて、苦虫をかみつぶした表情で、ベッドに寝っ転がるまでの短いクロスカットが途中から幾つか挟まれても、あなたは納得しますよね。

 3.あるいは、全く別の家の外の住宅街の昼のシーンに飛び、主人公と父親が歩いているシーンになって「そうだったんだ」と本人がつぶやくシーンになって、その後、父親が喧嘩のそばで新聞を見ながら知らないフリしているシーンが一瞬目に入り、再び家の外での父と彼女の対話のシーンに戻れば、、彼女はそこにはいなくて、「実はそういう喧嘩があった」と、父から聞いたことがわかります。

*****

 私が、今の映画の比喩で、何をお伝えしたいか、おわかりでしょうか?

 ただ漫然と、クライエントさんの言うことを頷きながら聴いているだけだと、カウンセラーの側は、容易に、一番ありがちなケースを勝手に想定して、クライエントさんを「理解したつもり」になってしまっていることって、実はたいへんありがちだと思うんです。

 例えば、

 「学校の先生は、私が国立を受験することには反対なの」

という話を漫然と聴いていると、それが、

 1.実際に進路指導の場で教師に言い渡されたことなのか

 2.彼女が教師はそういう考えに違いないと思いこんでいるだけなのか

 3.先生がそのように考えていると彼女が思っも仕方がないとカウンセラーにもすぐに納得できる、教師と彼女との間のエピソードがあるのかないのか

 4.実は彼女自身が国立受験をしたくないのに、親にそれを求められていて、教師を、むしろ、自分が国立を受験したくない気持ちの補強証拠、代弁者として持ち出している可能性

....などが全く考慮されないまま、「教師は国立受験に反対した」だけが面接記録に残る可能性があります。これではカウンセラー側の体験過程尺度がstage 1だったということになります(マジだよ^^;)。

 こうして、事例研究発表は、カウンセラーの側の理解したストーリーのみが、あたかもクライエントさんが語った「事実」、あるいは、クライエントさんの関わる相手が語った「事実」であるかのようにのみ、並んでいく....という形になることがある。 

*****

 そうした意味で、実際に、カウンセラーがそれを実際に口に出してクライエントさんの話の流れに介入するかどうかは別として、その段階でクライエントさんがどういう体験過程水準の話をしているかどうかをスキャンしながら話を聴いていくことは、役に立ちます。

「あれ、この話の中に、クライエントさん自身はいつまでたっても登場しないな」(stage1)
「あれ、この話の中で、クライエントさんは、自分の気持ちについては直接言及しないままだな」(stage2)
「あれ、この話の中で、クライエントさんは、自分の気持ちについて時おり断片的に言及するだけだな」(stage3)  

.....のようなことに、カウンセラーが気がついておくだけでも、面接の流れは自然と異なって、深まってくるのです。

****

 今回は、残りの部分で、stage2 からstage3に向かうかどうか、という場面のみに絞り込んで、この前の仮想事例に基づき、具体的に観てみましょう。

 「私はその喧嘩のようすを、喧嘩がはじまる前から最初そばで観ていました。喧嘩が激しくなった時点で、何もいわないまま、2階の自分の部屋に昇り、しばらく座っていたあと、ヘッドフォンで音楽を聴き始めました」

 ここに、クライエントさんの心情が、暗々裏に語られていると推察できても、体験過程尺度の評定では、自分の感情についてはっきり言葉にしていないということにこだわります。

 このへんは、この尺度について学ぶ初心者が、最初につまづきやすいポイントのようです。

 「喧嘩にうんざりして、独りになりたくて、自分の部屋への階段をを登ったのなんて、みえみえじゃないの。どうしてこれが感情の表明に当たらないのか

と。

 そうでしょうか? そのように理解して済ませた瞬間、クライエントさんの話と気持ちを表面的にだけ「わかった」モードにカウンセラーは入っていないでしょうか?

 ここで、

「そういうのって、うんざりするよねえ

としかカウンセラーが応答しなければ、カウンセラーは、彼女の「愚痴を聞く友人たち」と同じ水準にとどまるわけですね。

最低でも、

「.......うんざりしたの?」

という、問いかけの言葉として発した方がいいでしょう。疑問文はそれだけで、クライエントさんに、そこから

”No,I did not feel......but,.......

口にしやすくなる関係性を喚起します。

 こうした時、クライエントさんが「そう」とうなづいたとたんに、カウンセラーの側で同意が得られたと早合点しないことが大事です。むしろ、カウンセラーの側から口にした言葉を、クライエントさんが、カウンセラーの語る言葉をあまりにあっさりと受け入れる場合にこそ、クライエントさんの気持ちを語れなくしている可能性を疑ってもいいくらいでしょう。

 この前の別の記事でも書いたとおり、カウンセラーの予想通りにのみクライエントさんの話が進むことの方が実はその面接が停滞している指標なのです。

 まずはクライエントさんの反応をじっくりと待つことが大事です。すると、

 「ウン、うんざり...........うーん、うんざりなんだけどねえ.....」

などとした言い方までクライエントさんは言い添えるかもしれません。

この「なんだけど」をしっかり受け止めて、クライエントさんが沈黙して何か言葉を捜している姿勢を汲めるか否かが面接の流れを左右することは珍しくありません。必要があれば、

「うんざりではあるけど......何?」

ぐらいの促しをさりげなく間合いを見てはさんでもいいかもしれません。

 私だと

「その時、何か独特の思いというか、心境だったろうねえ.....」

というふうに、応答していることが少なくないかもしれません。

場合によっては、話の流れが、カウンセラーの促しとはまったく別の方向に飛んだっていいわけです。

「実は本当は自分の部屋で過ごしたかったのに、母親が「おやつあるわよ」といったら一緒にコタツに入ってテレビ見てないと母親が不機嫌になるの。ほんとは一人で自分の部屋にいて彼に携帯でメールしたかったんだ。その時うっかり携帯下に持って行くのを忘れていたの。そしたら、私がいない間にメール入っててさ。お誘いだったの。それにすぐに応えられなかったら、彼は私の家と反対方向に男友達と電車で出発していてね。だから、母親につき合わされたのに一層むかついたの」

......などというふうにして、そもそも、それまでの数回の面接では語られなかった、「彼氏がいる」ということが、さりげなくも唐突に語りだされる展開だってあり得るわけです。

*****

 ただ、最後に言い添えます。

 こうした、ただ漫然とクライエントさんの話を聴くことから半歩だけ踏み込んだ介入は、カウンセラーが、クライエントさんから「情報を集めたい」だとか「わからないとことを正確に理解したい」という思いからなされるべきではないのではないかと私は感じています。

 クライエントさんが漠然と感じつつも、言葉にならないまま通り過ぎようとしていた事柄や気持ちや感覚を、クライエントさんなりに、日常よりも細やかに味わい、吟味する機会をホンの少しだけアシストする援助です。

 そこから何をどう、汲み取り、どのように面接の場で語るのかは、クライエントさんの世界に属する事柄だと思っています。


 なお、ここで述べつつある、体験過程を推進する応答については、ジェンドリンの「体験的応答」という古い論文が参考になります。日笠摩子さんと田村隆一さんの労訳で、TFIのウェブサイトの日本語のページに翻訳が掲載されています。


今回のアフィリエイトは、ちょっと意外性があるかも。でも、なぜ映画の「映像文法」のことを引き合いに出して「カウンセリングにおける理解」のことを語りたくなったか、という観点からすると、ここでこの2作をご紹介したくなる心境の一端は伝わるかもしれません。

 どちらも、映画史に残る、非常に巧みなカメラワークによって、登場人物が、この場面で、実際にはどういう心境でいるのかな? というあたりを、画面での様子からだけでは単純には決めつけられないあたりの含蓄にこそ、持ち味がある映画の代表作でしょうから。

「市民ケーン」(オーソン・ウェルズ 監督・主演)

「裏窓」(アルフレート・ヒッチコック監督)

【追記】:後に書いた、この記事も、私の問題意識のその後の展開として併読下さると幸いです。2つを読み合わせると、ちょうどいいバランスになるかと思います。

先週の人気記事ベスト20!!(06/12/31-07/01/06)

 恒例、「カウンセラーこういちろうの雑記帳」恒例、@NIFTYココログの、日曜日-土曜日の「先週」記事別アクセス解析機能を使っての「ベスト20」の発表26回めです(^^)

 今年最初のベスト20発表ですね。

 固定リンクでのアクセス率の順位のみから集計しています。
 7×24時間、つまり1/6日(土)24:00の時点での集計です。

 それでは発表!!

 先週の一週間の総アクセス数、延べ1,689(前回1,556)。(一日平均241.29アクセス。前回222.29)と、この年末の、皆様が帰省・ご旅行等でネットをお離れになる可能性が高い時期に、むしろ更なるかなりの増加。これは完全に過去2年を覆した動向で、誠にありがとうございます。

 訪問者実数は、1,185名様(前回1,289名様)とこちらは若干低下。

 「サイト内移動」、391(42.8%)の前回に対して今回431(40.1%)、それに対して、トップページへの外部からのアクセス、前回274(30.0%)に対して、今回395(36.8%)と急上昇。全体的には、新規の方と、定着して下さっている皆様が、バランスよくゆっくり伸びている印象です(^^)

 そして、当ブログの「一限さんでない率」、これは同じ人が一度に「何ページ」記事をお読みになったかと無関係な訪問者「実数」比に基づくもののようですが、前回8.2%、今回8.3%。と回復。あいかわらすこのブログ過去最高水準維持です。

 「訪問周期」は、毎日おいでになる「完璧常連様」は3回連続、過去最低の7名様でしたが、そして今回8名様に回復。この点でも緩やかな上昇の安定傾向が伺えます。

 それでは記事別ランキングの方の発表!!


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1.オーディオにおける接点復活剤について(↑)

2.インシュレーターは使わないに越したことはない(↑) 19週連続

3.クライエントさんの真の洞察の瞬間、カウンセラーはクライエントさんに「追い越される」。 NEW!

4.「経験した者にしかわからない」? COME BACK!!

5.「オモテ」技法と「ウラ」技法 または収穫逓減の法則 NEW!

6.秘密は曲順と歌唱「モード」の切り替えの絶妙さにある?-DVD"Ayumi Hamasaki Concert Tour 2006 A”(2)- NEW!

7.欝とは、自分が無理をしていることを認識できなくなる時期にすでに始まっている(↓)20週連続

8.体験過程尺度入門 -カウンセリングが「深まっている」とは、どういうことか?- NEW!

9.明けましておめでとうごさいます....をやっとはじめてayuのカウントダウンで迎えました。 NEW!

10.「2006年12月」のバックナンバー COME BACK!!

11.ここ2年ほど、なぜここまでライブのayuの歌唱力は急上昇したのか -DVD"Ayumi Hamasaki Concert Tour 2006 A”(1)- (↓)

11.ものごとを、一番しなやかに現実に生じ得るような方向で、じっくりと理解しようとすること。 NEW!

13.私の浜崎あゆみ系の記事の代表作はどれか? NEW!

14.ほとんど「オーディオの奇跡」という領域のヘッドフォン!!(+ 私の20余年におよぶヘッドフォン選定のさまよえる歴史) (↑)

15.クライエントさんに逆転移を起こすまい、起こすまいとだけしたら...... COME BACK!!

16.「2007年1月」のバックナンバー NEW!

17.佐治先生だけが言ってくれた(↓) 3週連続

18.ただ今大晦日のayuのTV出演分を確認 NEW!

19.「死にたい」と言ってもらえること (↑) 5週連続

20.「オイルヒーター」カテゴリーへの直接リンク COME BACK!!


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 なお、11位はアクセス数も訪問者数も同数ですので2つあります。

 先週のように、一度に大量の新規記事を上げますと、それらをトップページで一気にお読みになれてしまうので、トップページへのアクセスを除外するこの集計では、アクセス数の票が割れて、むしろ昔からのしぶとい常連記事(今回1位、2位取った奴です)ばかりが並ぶ傾向が、従来ありがちだったのですが、先週に関しては、新規記事の記事ごと直接アクセスの票の割れ方(?)が、20位圏内に絶妙に分散してくれまして、新規記事も見事に並び続けてくれました。2位と3位の差も僅少です。

 そして「先週の記事ベスト20」の前回分が今回ベスト20にランクインしなかったというのは、はじめての現象です(^^;)

 なお、お正月に際して、クリスマスバージョンからお正月バージョンにデザインを移行していたのですが、今週から、「ベスト20カムバック」と「連続ベスト20入り」の表示を観やすいようにオレンジ(#ff6600)に変更しました。背景が白になると従来の黄色(#ffffcc)ではほとんど見えなくなるのですね(^^;)

 松の内が過ぎたら、新たな冬バージョンにデザイン変更の予定ですが、春バージョンの予定等を含め、今後当面差し障りが出そうもない配色にしました。ベスト20前回分だけはこの後配色を置換して差し替える作業をしますが、20数回の過去のベスト20すべてにさかのぼって配色変更するのは作業量の割には効果が期待できず、しんどいので、どうか皆様、「目を凝らして」探して下さい。

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 これを書いている「今、この瞬間」(12/30 AM 01:18)までの当ブログ文章記事の延べ総アクセス数)は、 121118、フォトアルバムを含めると139971です。

 さすがに新規のフォトアルバムを掲載しはじめると、そちらにかなりアクセスが増えますね。あれから写真サイズをみな一回り大きくアップしなおして、コメントを加えている段階で、枚数の方は増やしていません。そっちの作業はボチボチ進めます。

 2007年も、「カウンセラーこういちろうの雑記帳」を、よろしくご贔屓(ひいき)に、お願い申し上げます。

HMVジャパンApple Store(Japan)

2007/01/06

グスターボ・ドゥダメル指揮、ベネズエラ・ユース・オーケストラのベートーヴェン交響曲第5番/第7番

 この演奏についての何の予備知識がなくても、私は次のように書いているだろう。

「現代楽器でのベートーヴェンで、こういう、どこまでも正攻法な、衒(てら)いのない、真っ正直な演奏って、聴けるようで、実はそう容易には聴けない」

......と。

 この指揮者と演奏団体についての情報なんて、この演奏を味わう上で余計なバイアスをかけて、本人たちを堕落させるだけである(^^)

 日本盤は2月28日発売なので、安価でもある輸入盤で手に入れ,演奏に納得した上で、英文の解説文に目を通した。

 あの「凄い」英語力の私ですらも、恐らく全文の和訳をして100点満点の70点は取れそうな、読みやすい文章だったが、ここで書かれている事実と引き比べてこの演奏を論じる方が、この連中に失礼だと思う。

 ともかく、「こういう」演奏をできる人たちがいて、それがグラモフォンという老舗からデビューアルバムとして発売される限り、人類の未来はきっと切り開かれて行くであろう....そんな気がする。

 それこそ、ayuファンの皆様を含めて、普段クラシック音楽をお聴きでない皆様にも、お勧めしたいと思います。

 (浜崎あゆみの曲を深く愛し、なおかつクラシック音楽を深く愛する人は、決して珍しくない筈と私は思っていますが)
 

●ユニバーサル・クラシック 公式サイト

●msnにおける紹介

2007/01/04

だいぶ「ダイエット」できてきた

 ネットの時間別アクセス解析を観たら、久しぶりに13時台にピークが来ていました。読者の皆様に中に、今日が仕事始めだった方が少なくないためとお察し申し上げます。

 私の職場での仕事始めは、明日(5日)でして、すでにお客様の予約は入っています(^^)

 数日ぶりにおいでいただいた方は、こういちろうがネット上では、ほとんど暮れ正月返上の勤勉さ(?)を発揮し、たくさんの記事を書いていたことに開いた口が塞がらなかった方もあるかもしれませんが、確かに、私のこれまでの人生を振り返っても、この年末年始ぐらい、日常モードがそのまま維持された年はなかったかもしれません(^^;)ayuのカウントダウンがあったから新年になったはず、という感じと言いますか。

 それ以外は、結構、この4日間、職場に出勤しなくていい分、眠れた、ぐらいの違いしか感じてません。でもいい休養になりました。

 (もっとも、2日には数時間自主出勤して、職場サイトのトップページ正月バージョン化したついでに、延び延びになっていた、島根への旅行記の写真を整理してアップし始めたのですね。でも一度に無理してやらないあたりが最近の私の、完全主義過ぎない、無理のないエネルギー配分です)

 この数日、記事は単に多いだけではなく、一つの記事あたりの凝集力はアップしているという実感はありますので、脂肪分は少ないけど見かけより高カロリーかもしれません。かなり筋肉質の文章になってきたかと思います。

 どうかおせちの消化不良に輪をかける形にならないように、少しずつ読んでいただけると幸いです(^^)

*****

 何となく、3週間ほど前に予感した通り、私の心身の「逆上がり」=正攻法で、「原点への回帰」を徐々に進めることは、かなり順調に進んで来ているようにも思います。

 この数週間の食生活の節制は日に日に徹底して行きましたので(徹底した牛肉豚肉,バター回避と、パンを食べない徹底的米食主義に加えて、更に、いわゆる「おやつ」が食生活から消えただけです....あ、そうか、これ、私には随分助かりました。コストパフォーマンス、いいです)、身体もかなり引き締まってきてます。

 でも、ayuのカウントダウン、最大の衝撃(^^;)の、バンドのギタリスト、よっちゃんの、観客全員からのたいへんな「贈り物」をいただくことになる「快挙」に比べると、半分ぐらいでしょうか(^^;)。

 そういえば、まだ、鉄棒には向かっていませんが......

*****

> ほんとに大切で 必要なものなんて
> ほんのちょっとだけで
> あとはたいてい飾りだった


浜崎あゆみ - HEAVEN - EP - alterna("alterna")

 ここでは、敢えてマキシ"heaven"収録のアコースティックバージョンにリンクを張りました。

 この"alterna"自体,私が最近のayuの曲で、
浜崎あゆみ - HEAVEN - EP - HEAVEN
"heaven"
と並び、思い入れが深い曲なのです(この曲のツアーでのライブが更に絶品です)が、この"alterna"アコースティックバージョンは、オリジナルの開き直った強さとはまた別の、この曲の中に秘められた静かな悲しみがしみじみと伝わって来る名編曲でしょう。

 このマキシアルバム全体が、全く静謐な完成度を持つ構成と編曲になっていると思いますので、アルバム"(miss) understood"はお持ちでも、こちらのCDではお聞きでない方も、一聴の価値はあるかと思います。

(私は原則CD/DVD版でしかこのブログで紹介しないのです。「曲だけ」と「ビデオあり」で、全く別の視覚から曲を味わえるのがayuのアルバムの本質と信じていますので。ここでは珍しく、フルアルバムを既にお持ちの方向けに、単独CD版にアフィリエイトしておきます)

2007/01/03

クライエントさんの真の洞察の瞬間、カウンセラーはクライエントさんに「追い越される」。

 このタイトルの意図を説明するには、もう一度、体験過程尺度について書いた記事の、私の仮想実例を読んでみていただくのが望ましいのですが。特にstage 6ですね。

 再引用します:

「........(1分06秒沈黙)........そうか、そうだよね.......そうなんだ。(カウンセラー:「.......何? どうしたの?」)「おせっかい」過ぎるんだ、私って。バカだね。(カウンセラー:「おっせかい過ぎる」.......何?)........自分自身に誰よりおせっかいなんだよ。バカ、『自分で自分をそうやって追いつめるなっつーの!!』 アホ!! .......私の中に、恐怖の『おせっかいババア』が住んでるの(笑)。いつのまにか、そうだったの。今頃気づいた。........(36秒沈黙)...
[以下、略]

 ......この部分で、今太字でご紹介したカウンセラーの発言からわかること。それは、クライエントさんの中では、すでに自分のあり方の核心に関わる気づきが生じているのに、カウンセラーの方は、その展開に全然ついて行けていないということです。

 だから、

「.......何? どうしたの?」

「『おっせかい過ぎる』.......何?」

と、クライエントさんに問い返すはめになるのです。

......仕方ありませんよね、クライエントさんは、

そうか、そうなんだよね、そうなんだ」

......と、「そう」としか言っていないのに、「何か」がわかった、という態度をいきなり取ってくるんですから(^^)

 実は、この瞬間、クライエントさんの中でも、その「何か(something)」が「何なのか」,具体的な言語化は、まだ思い浮かんでいないことが多いと思います。

 でも、すでに漠然と感じられた心身の感じそのものとしては、すでに以前と全然変化してしまっている。いわば「心像風景」ががらりと変わったことは認知されている。

 この瞬間が、ひらけ(unfolding)とか、シフト(shift)と呼ばれるものです。その心象風景が「どのように」変わったかの具体的な説明は、カウンセラーという聴き手に向かって話そうとする過程で、はじめて少しずつ、整理された、具体的な言葉がクライエントさんの中で思い浮かんで行くわけですね。

 一般には、こうやってクライエントさんが言語化した後の「再体制化された(reconstructed)認知」の言語化のことを、「洞察」と呼んでいますが、実は、これは、すでに「そうか、そうなんだ」と感じた瞬間の心身感覚の基本的な変化の「随伴現象」、「副産物」に過ぎないわけです。

 このことを明らかに指摘したのが、ジェンドリンの体験過程理論最大の功績のひとつです。

(試しに、上記のリンク先の論文(全文ひとつのファイルになっています)を、ブラウザの「ページ内検索」で「副産物」、あるいは「心像風景」と入力してみて下さい。該当箇所にあっさり出ますから)

******

 これは、精神分析認知行動療法ですら同じことのはずです。

 精神分析においても、いわゆる「解釈」とは、実は、クライエントさんの無意識の深層心理について,クライエントさんより早く「洞察できていたことを意味しません。
 「早過ぎた解釈」は、それだけでは、クライエントさんの『抵抗』に遭うか、単なる頭での『同意』=『知性化(intellectualization)』しか引き起こさす、本人に真の変化は生じない、とよく言われます。

1.「解釈」がクライエントさんに真に通用するには、どうも適切な「タイミング」というものがあり、そのタイミングは、その場で生じる相互作用の場の雰囲気からカウンセラーは直感的に感受するしかないこと。

2.仮に解釈がクライエントさんに受け止められなくても、カウンセラーは、その後のクライエントさんの反応をまずは受容的に傾聴すること

 ......これらのことは,現場経験の深い精神分析系のカウンセラーの皆様にとっては、経験知的に気づかれ、身についていることではないかと思います。

 そして、

3.カウンセラーの「解釈」が「適切な」場合には、クライエントさんが、単にその解釈を受け入れるばかりでなく、それをきっかけに、カウンセラーにとっても思いもよらず、クライエントさん自身もそれまで意味があるとも考えず、思い出してもいなかった過去や現在の体験や感情を、生き生き語り出す場合である。

4.仮に、カウンセラーの解釈が否定されても、「いえ、そうではなくてですねえ....(....not....,but....)」という形で、クライエントさんが、カウンセラーの発言を修正する過程を受容的に傾聴する中で、カウンセラーにも思いもよらず、クライエントさん自身もそんなことを話すのに意味があるとも感じていなかった事柄が、意味を持つ形で,はじめて生き生きと具体的に語り出されるとすれば、その『間違った解釈』をしたことには意味がある

 このことをも、臨床的な経験値としている分析系のカウンセラーだけが、クライエントさんに自分の見解を押し付けようとし、クライエントさんは、それに『抵抗』し、さらに『症状化』し、時には面接に来なくなるという『受動的攻撃性(passive aggression)』の泥沼にはまる、というだけにならない面接の進展を喚起できているでしょう。

 確か、北山修先生だったと思います、

「解釈は否定されるためにある」

という逆説を述べられたのは。
(...間違って違っていたらすみません)

 .....つまり、結果的に自分のクライエントさん理解に不十分なところがあったと気づかせてくれることをクライエントさんが言い出してくれてこそ、そのカウンセラーは「的確な解釈」をしていたということになる、という、大逆説が現場臨床にはあるはずです。

*****

 これは,認知行動療法も同じでしょう。例えば、時間軸に沿って詳細な形で過去の行動とその時の感情の連鎖を振り返る時点で、クライエントさんが、カウンセラーにとって事前に予想もできない事実や、その時の感情を具体的にいきいきと語り出してくれないことには、この療法はまるっきり成立しないわけですね。クライエントさんに、その領域についてかたくなに口をつぐまれたら、もうおしまいということになります。


*****

 こういうわけで、クライエントさんの心と現実について、自分はまだ知らないことが多かったことに謙虚にふるまえるかが、カウンセラーの「専門性」である、という逆説が、どの流派でも成立します。

 逆に言えば、私たちの日常での対人関係が、いかに、お互いの,相手への「決めつけ」と自分の「判断の誤りを認めない」態度によってこそ不幸を生み出しているかということでもあります。

私の浜崎あゆみ系の記事の代表作はどれか?(第3版)

 そろそろ、浜崎あゆみのライヴ歌唱の変化についての連載記事の「第3回」(第1回はこちら)も書き進めたいんだけど、私のフェルトセンスが、

 「その前に『あれ』を観なさい」

....というご宣択を下したので、

 そこまでのつなぎです(^^;)。

 ここ数日のアクセス解析の結果、かなりの数のayuファンの皆様に、はじめて当ブログにおいでいただいたのは間違いないようです、感謝申し上げます。今後ともよろしく。これからも、皆様のご期待に背かない、独自の視点からのayu論を展開していく所存です。

 実は、先日のカウントダウンライブを意識して、このブログを"ayuサイト”として盛り上げなおしたいという思いもあって、記事の構成を半分意識的にayuと関連づける方向に持ち込んで行ったところもあります。もとより、それを、私自身にとっても新鮮な、これまでayuについて書いて来たのとは少し異なる「新境地」として、全く無理なく自然に書ける流れを私自身の中に呼び起こせねば、こういう記事の流れになっていません。

 つまり、カウンセリングのディープな記事とayu記事との間の、唐突なまでの話題転換の繰り返しという記事配分戦略は「計画」であったと同時に、その時の私に思いつくままの「ライブ」としての、成り行き次第に任せることもあってはじめて生じているのですね。

 カウンセリング系の記事すら、まるで暗示的なayu論のようにも読める読者の方もあるかもしれないと想像します。
 一方、新規のカウンセリング系の読者の皆様にも、「なぜこの人は、唐突に浜崎あゆみのことを差し挟むのだ?」と感じさせつつも、ayuについて書いていることが、まるで暗示的なカウンセリング論を意図して書いたかのようにも読めてしまう読者の方もいらっしゃるかもしれない(^^;)

「すべては偶然なんかじゃなく、すべては必然なことばかりなのかものかもしれない」(^^)
浜崎あゆみ - I Am... - Daybreak"Daybreak"

******

 このへんは、私なりに、ブログという媒体の記事配列特性を最大限に経験知的に生かせているからでもあるかと思います。

1.トップページおよび月別バックナンバーの掲載順の記事配列
2.カテゴリーのジャンルごとの記事配列
3.検索エンジンの用語検索から直接個々の記事においで下さる皆様、
4.私が個々の記事の語句から張る縦横無尽の記事間相互リンク(これ、wikipediaほどには強迫的に作っていないで、記事によっては敢えてほとんど作らないのも意識的です)、
5.「先週の人気記事ベスト20」の毎週公表、
6.「web上のカウンセリング論集index」を別建てで持つこと

 これらが、このブログの記事相互間の意外な形での「潜在的意味」を新鮮に読者の皆様ごとに「発見」していただける、「意味の『交差(crossing)』が生じるように、仕組まれたラビリンス(迷宮)構造なのであります(^^;)

******

などという蘊蓄(うんちく)はこのくらいにして、最近このブログにはじめておいでいただいたayuファンの皆様のために。

 もうすでにお読みいただいたかもしれませんが、私の当ブログにおけるayu系記事の代表作を自薦しろと言われれば、ひとつは

●浜崎あゆみの"Bold & Delicious"

だと今でも思います。
 なぜこの記事を書いたかの意図は、お読みいただければ、普段からネットでayu関連記事をさがしておられるayuファンの皆様には何となくおわかりでしょう。一種のパロディです。
 .......もっとも、内容はすべて私のシミュレーションによる「創作」ですので、念のため。


【第3版追記】 あと、浜崎あゆみのライヴ論としては、未完のままですが、

●ここ2年ほど、なぜここまでライブのayuの歌唱力は急上昇したのか -DVD"ayumi hamasaki arena tour 2006 A”(1)

にはじまり、現段階で3回連載した記事は、意外とここまで強迫的なayuのライブ分析は他にはないかもしれません。


 そして、むしろayuのあり方とayuファンのあり方の相互作用に特性についての考察として、

●なぜayuファンはayuについての風説報道に傷つくか

が、実は私の浜崎あゆみ観について、一番客観的で総合的なものかもしれません。アルバム"Secret"論としても読めます。

*****

......あと、"vs.シリーズ"と銘打った、意外な歌手と意外な曲の比較論のうち、2本が浜崎あゆみの曲も登場!! 意外と、そこで私に「対決」させられた曲との両方を聴いている人は少ないのではないかと思います(^^)。仮に両方聴いていも、こういう観点から比較するという発想は新鮮かもしれない。 

******

 ちなみに、本部サイトの方では、ayu系としては、次の記事が、私自身"こっ恥ずかしい"けど、代表作だと思う。

●タイタニックとayuと三船敏郎 〜浜崎あゆみ new album "MY STORY"に寄せて〜

....これまた、


どうして内容がこういう方向に「飛躍」するの?

......ひょっとして、何か最初から計算されていた「意味」が込められているのかな?

と感じていただけるかもしれません(^^)

......ホントに計算ではないんですけどネ!!

2007/01/02

フォトアルバム「神有月の出雲路2006」部分仮開業

 11月の勤労感謝の日の連休に、日本フォーカシング協会の「フォーカサーの集い」のために島根県の松江に旅した時の旅行記です。

左サイドバーに常設の入り口を設けていますが、こちらからも入れます。

 ご存じの方は多いでしょうが、出雲の国には日本全国の神様が10月に全員集合することになってまして、「神無月」と呼ばれるわけですが、島根でだけは、「神有月」ということになります。(後日記:「神無月」は10月でしたよね(^^;A ........旧暦なら11/23前後は10月でせう....ということでお許しを.....)

 ちょうど紅葉の時期と見事に重なり、車窓も徒歩もひたすら紅葉の山づくしでした。

*****

 ......という書き出しで始めていますが、写真のアップそのものがまだ半分弱でしょう。一枚一枚への蘊蓄コメントも、このあと少しずつ手が空いた時に追加していきます。

 部分開業仮営業の段階ですが.....

20061122161205nezumiotoko_1

 ネズミ男も、

「現段階では許して欲しい」と、

擦り切れんばかりに握手を繰り返してきた手を差し出しておりますので,,,,,

ものごとを、一番しなやかに現実に生じ得るような方向で、じっくりと理解しようとすること。

 私の経験では、このスタンスを崩さないでいると、いわゆる「重い」クライエントさんとも、絆を無理なく作るタイミングがどこからともなく自然と、「思わぬ瞬間に」やって来ます。

 同様にして、世間一般の、みかけだけのデマやプロパガンダや謀略(?)焦らず見抜くセンスも少しずつ上がる気がしなくもない。

 これは,単に常識論を「頭で」考えて納得したつもりになることとは、実は一番遠い、似て非なる態度だと思います。

 

「オモテ」技法と「ウラ」技法 または収穫逓減の法則 (第5版)

 ある特定の流派の技法だけでどんなクライエントさん相手にも対応できるものではないと思う。

 また、あるタイプのクライエントさんにはこの技法がふさわしいということすら、一般に思われているほどには決定的でもないとも思う。

 同様に、同じクライエントさん相手に、毎回同じやり方で面接を繰り返すことも実はできないのだと思う。

 もし、これらにはまると,必ずといっていいほど、「収穫逓減の法則」に直面する気がする。一回あたりの面接の密度が下がり始めるのですね。

 もちろん、当初は、余計な力みが治療者側にあって、見かけの成果は一見大きいけど、それは結果的にクライエントさんにもいつの間にか、治療してもらうという「大仕事」において無理をさせている場合もあると思います。

 ですから、ある意味では、治療者から見ても「腹八分目」の対応が出来るくらいで、実は一番成果が安定してくる(治療の副作用が生じにくくなる)。

 しかし、ここで私がいいたい「収穫逓減の法則」とは、それとは似ていて異なる。

 むしろ、「成功例」に気をとられるばかりになって、いつの間にかセラピーのやり方が型にはまり、細やかな配慮を喪失して、機械的にルーティン・ワーク化した場合の弊害のことです。

 面接場面において、治療者側も、同じクライエントさんに毎回ごとに「ある新鮮さ」をもって接することが出来なくなるのはやはりひとつの危険信号ではないかと思うのですね。


*****


 もちろん、最低何かひとつの心理療法の技法について、厳密に理解し、しかも、その本質的エッセンスを、単に教科書的ではないパーソナルな次元で「掌握」できていることは大事だと思う。これは偉い先生の講義とかを漫然と聴いているだけでは決して生じないと思う。

 亡き恩師、村瀬孝雄が研究室でしばしば口にされていた言葉を借りれば、「著作と格闘する」努力を惜しまないということ「にも」あたる。

しかし、それだけに留まらないsomethingでもあると思う。


****


 「パーソナルな次元で掌握できる」とは何か。それは、私なりに定義をすれば、「その技法を自分自身に自分で適用して、明らかにそれまでの自分の長年の問題が変化して行くのをしみじみと実感できる」ということである。

 (もちろん、クライエントさんに適用する臨床経験の蓄積でも十分であろうが、例えば、身体障害者や発達障害者向けの技法や行動療法ですら、その技法を自分が受ける立場になってみて、その味わいにある手応えを感じたという経験がない人のことを、私は信頼できそうにない)

 そうなって来ると、次第に、別な流派の考え方やそのエッセンスについて、以前よりも開かれた耳を持ち、自分なりに納得できるように、少しずつなりはじめる気がする。以前は「字面」だけで「わかったつもりでいたことが、いかに浅薄であったかに気がつき始め、突如、「脈絡が読めて」来た感じがするのである。

 そういう経験を重ねるうちに、実は、各流派の現場の「達人」、いや、現場精神科医療の「達人」と言われる人たちがやっていることが、本質的な部分ではみな共通のエッセンスを持っているかのように感じられ始める。

 わかりやすい例でいうと、行動療法の山上敏子先生(2007年まで久留米大学文学部心理学科教授。2008年から福岡市・早良病院)の「暴露反応妨害法」が効果を上げるのは、先生の、クライエントさんへの、いわゆる「共感的理解」のセンスが半端ではないことと、クライエントさんとの「いい関係性」を維持する上での抜群のセンスによって支えられているから、というのは、先生の事例の紹介のライブに接した臨床家の間では,結構知られていることだろう。

 むしろ、行動療法内部での、「山上先生命!!」で技法を学んで来た人の事例発表の方が、何か面接過程がぎこちなくて、「共感的理解」と「関係作り」の点で物足りないと感じたことがある。

 逆に、まだ経験が浅くて、「とりあえず行動療法してみました」という人あたりの方が、行動療法としては荒削りでも、相手への共感と関係作りのセンスによってむしろクライエントさんとの関わりに好ましい展開が生じたのではないかと評価したくなることなど、学会やセミナーで経験したことがある。

 更にいうと、私が参加した場では、それらの発表者にコメントする山上先生のスタンスそのものが、まさしく「受容的・共感的」で、決して批判的な発言にはならないのにも、ちょっと驚かされた。

*****

 私は、いうまでもなく、フォーカシングを自分のベースラインにしているし、そのことを公言するし、私が少しでもカウンセリング業界で知られているとすれば、実際、「フォーカシングの先生」としてである。そして、自分の開業した、常設相談機関の名称に、日本ではじめて「フォーカシング」という言葉を含めた時点で、まさにエリクソンのいう意味での、臨床家としての「アイデンティティ」の確立は一定の段階に達したと言える。「自他共に認める」というのは、アイデンティティの重要な側面だからである。

*****

 ところが、そういう私は、現実には、面接現場でフォーカシングをクライエントさんに技法として学んでもらうことで成果をあげることの難しさに、誰よりも数多く直面して来たひとりではないかという思いもある。

 学生相談の常勤カウンセラーを務めた数年間で、守秘義務を守る範囲で、ご家族や教職員との連携や、コンサルテーション、大学の他部署や内部機関や外部機関との適切な「分業」と連携、カウンセラー間のチームプレー、相談業務を円滑化する事務的なシステムの重要性、組織全体、学生の皆さんへの広報活動、あるいは相談室運営についていかに意見を聞くかの意味など、いろいろ学ぶ中で、とても、面接室の中で「心理療法としてのカウンセリング」をするカウンセラーでござい、だけではやれない現実を身にしみて体験した。

 キャリアコンサルタントであり、ケースワーカーでもあり、プロデューサーであり、広報担当者でもあり、他の部署の大学職員の「同僚」であり、上司に「従う」存在であり、学内政治家でもあり、事務処理のコツもわきまえるということを、「現場カウンセラー」の分をまきまえつつも,少しずつは身につけないとやっていけないことに気がついた。

 .....その頃には一度体調を崩して、その職場を離れることになるのだが、「独立開業」という、全く別の条件の中で、実はこの頃の経験値がみんな,真の意味で生きているのである。何しろ、ひとりで、「組織としてのすべての機能」を果たす必要があるわけでして。こういう多様な経験値の「一身具現」は、大組織には不可能な、たいへんな「小回りの良さ」を効率的に発揮できることにも、殊に最近、気がついている。

*****

 そうした中で、「一般カウンセリングコース」において、「フォーカシングをこちらからお勧めすることはありません」と最初から宣言して開業するという、たいへんに逆説的な選択をした。

 面接場面の中で、フォーカシングし続けているのは、他ならぬカウンセラーとしての私というのが現場臨床としては適切というベースラインに立ったのである。

 私のフォーカシングに対する基本姿勢は、

「生涯一フォーカサー」

の一言に集約できる。

(南海の野村捕手兼監督ではないけれども....などという言い方からは、時代はあまりに遠くへ来てしまったが)

 私の人生における日々の出来事や、危機の解決にフォーカシングが役立つというベースラインを見失ったら、それは通常のカウンセリング場面での臨床家としてのセンスの伸びが止まるその時だと思い定めているのである。

******

 もとより、学会発表や講演等で接してみると、現場の実力が高いと感じられる臨床家の方は、結果的に、「フォーカシング的」と私にはかんじられる姿勢で面接の場全体を感じ、適切な応答や反応や提案をリアルタイムで吟味しているという点では、見かけのアプローチの違いや用語の違いを超えて、共通のエッセンスを感じる経験が、すでに私の中で蓄積されていた。

 私はそういう時に「それが自分の中でフォーカシングするということです」などとフロアから発言することは、たとえ知り合いだった座長に「フォーカシングの立場から見たらどうですか」などと振ってもらえても決してしない私は、学会で、自分の流派に引きつけるようなコメントの仕方をフロアから「自分で」するのも、なぜかすごく気が乗らないし、ほとんど嫌悪すらしているのである。

 まずは、その人の発表の趣旨に沿ったフレームワークの中で理解しようとした上で、何か釈然としない点について具体的に「追加説明」を求めていくというスタイルがフロアからの質問の作法として正しいと思っている。そのようにしていくと、その発表者の発表内容の問題点があるとすれば、おのずから浮かび上がり、会場全体でシェアできる議論になる筈である。


*****


 よくいわれる喩えだが、

「登山口は別々でも、結局同じ山の頂きに達する」

とは感じている。
 
 これは、最初から、何でも同じくらいにバランスよく学び、それらの中から自分に向いた技法を「選ぶ」とか、「場面場面で使い分ける」とか、「折衷」する、ということと似ていて、まるで違う、それはひとつの、その治療者における、「パーソナルな」統合に至る過程なのだと思う。ユングのいう意味での「個性化」とはまさにこのことであり、むしろその人の壮年期までの「灰汁(あく)の強さ」は次第になりを潜め、いわゆる「個性」がむしろ消えて行くかのようにすら見える現象である。

 厄介なのは、多くの心理療法流派の創始者は、今日に伝わる業績の、技法化として「一目を置かれる」部分を、たいてい人生の前半期に確立してしまっていて、それだけが教科書的に流布していることが多いということである。例えば、「フロイト個人に取って、フロイト個人のために」、精神分析はあのような「終わりなき分析」そのものの発展過程をとるしかなかった筈なのにである。

******

 ここでやっとこの記事のタイトルに引きつけられるまとめの言葉が書ける。

 私もそういう「個人的統合」の中途の段階にあるひとりに過ぎない。こうした段階では、自分が主たるオリエンテーション(拠って立つ基盤)にしている「オモテ技法」を「現場で支えて」いるのは、実はすでに、他の流派でもすでに言われ尽くしている個々の事柄の臨機応変な活用だったことに気がつくプロセスが、少しずつ具体的に実感できる形で進んで行くように思う。

 こうして、自分なりの「ウラ技法」体系が徐々に自覚されて行くのではないか。

 「オモテ技法」は、無数の,得てして治療者自身ですら部分的にしか自覚していない、無数の「ウラ技法」と表裏一体のものなのではないか。

 とりあえずの、仮説です。


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2007/01/01

ただ今大晦日のayuのTV出演分を確認

 あれから爆睡の寝正月となり、思わず朝青龍の樽放り上げがどうなるかを見入ってしまって(といえばわかる人にはわかるだろう)、昨日、大晦日の番組におけるayu様の活躍ぶりをHDレコーダー録画分で観るのが遅くなりましたが。

 ちなみに私は今、普段テレビをまったく見ない生活をしてます。トリノのオリンピックどころか、2年前のアテネのオリンピックも観てないくらい。テレビとは、どこまでも「DVD再生用画面」なんですね。だから、現在持ってるHDレコーダーの留守録機能も使ったこともないままで昨日の大晦日を迎えました。

 ayu出演のテレビ番組もラジオも普段は全然チェックしてません。さもなければ,いくら「思いついたら最後」、集中して一気に早書きできる私とはいえ、このブログでここまで水準そろえて記事量産するだけの余裕捻出し続けられるわけがありません

 msnのトップページをブラウザのホームページにして、そこから拾い上げた情報と、Team ayuからのメールニュースを別にすると、およそ何のジャンルについても、受け身な情報収集が皆無に近いのです(おかげでみゆきの新アルバム"ららばいSinger"、12月はじめにとっくに出ていることになかなか気づかなかった。「でじなみ」のメールニュースレターは Team ayuのほどきちんと読んでないのだ。Wikipediaのリンクを思いつくままに果てしなくたどっていくのは,もはや毎日のすきま時間の趣味に近いことになってますが。

 ついでにいうと、ファンクラブの会報も、Team ayuサイトのクローズドページでのayu自身のメッセージも読んでない(その内容をここで書くのは御法度というのが私のポリシー)。だから時々とんちんかんなこと書いてるかもしれないけど、私はayuの「作品」(DVDのPV含む)および「ライブ」と感性を賭けた勝負をしながら記事書いてるつもりだから、それでいいのである。

 でも、2年前のavexお家騒動の時の急迫した状況下でのayuのメッセージ書き込みの展開は「ライブ時間で」体験したひとりです。あの時は、ayuのマスコミ各社への緊急声明以前に珍しくFCサイトからayu向けのファンレターまで出したものな(ファンクラブ会員にしかできません。返事ももちろん来ないシステム)

 何と書いたかって? 

「40代になってayuファンになった中年おじさんです。MTV AWARD授章式の日の"Because of You"のライブはすばらしかった。今、いろんな人からいろんな意見来ているでしょうけど、どうか浜崎あゆみさんの心の命じるままに決断して下さい

 ........要約すればこんな内容で、カウンセラーの「カ」の字も書かなかったのはよく覚えてます。

****

 テレビを普段観ないばかりか、新聞も、「自宅では」取ってないのです。部屋の肥やしにしたくないし(職場ではとってるのですけど、そうすると、ワンルームでやってるお客様商売ですから、否応なしに「こまめに処分する」必要が出てくるので、無精な私には合理的である)。

 しかし、カウントダウンの日の紅白は、ayu様の出演ぶんのためにだけでもと思い、はじめて予約録画機能を使いました。あと、TBSのCDTVは、0時15分以降は回してました。そして出演した部分まで早送りして飛ばして観ました。

 紅白の浜崎あゆみ - Secret - JEWEL"JEWEL"は、シンブルなピアノのみの伴奏。それが生える曲である。衣装も生えたし、歌も、昨年に続いてたいへん安定したもの。私の分類でいうと、典型的な「胸声モード」
 CDTVの方のは、浜崎あゆみ - Secret - 1 LOVE"1 LOVE"でしたけど、これは典型的な「腹声モード」。これまた安定度高い。

 放送局と収録状況の違いがあるとはいえ、この2曲でayuがまるで違う声の出し方をしていて、前者が高域ピーク型、後者はプレーンな周波数特性の声になっているはずというのが,比較するとよくわかる例だろう(こっちは、ろ、録画だよねえ。違う???? 紅白とCDTV、完全に同じ髪の切りそろえ方だけど。ライブだったら、「カウントダウンのあの熱唱の」後ということになり、もう人間じゃねえよ全く! このあたりのことは,明日職場に行って新聞のテレビ欄でチェックかけることにする)

 ともかく,今のayuは全く安心してライブの歌を聴ける印象を再び強くしたのだった。

******

 それはそうと、紅白でayuの直後だったおかげで、噂には聞いていた(というか、ネットで「読んでいた」)、スキマスイッチ スキマスイッチ - ボクノート - EP - ボクノート"ボクノート"という歌の実物をやっと聴けた。いい曲だと思う。この歌詞は非常にフォーカシング的だと思う。

明けましておめでとうごさいます....をやっとはじめてayuのカウントダウンで迎えました。

 皆様、明けましておめでとうございます。

Countdown20067a_1
Image005_1

 今、代々木のカウントダウンから自宅に帰り着きました(本数の稀な湘南新宿ラインを除くと、下り京浜東北線しか東京方面からの終夜運転はないのである。鎌倉・逗子方面横須賀線の大晦日終夜運転は原則横浜駅との間の折り返し。「大船行き」で、蒲田で座れたのをもっけの幸い、根岸線でそのまま終点まで乗ってしまった。結果的にはこれが一番早かったように思う。....実は、疲れていて、大船で乗り過ごしそうで、そのまま小田原や逗子まで絶対に行きたくない時には、都心からの帰りに普段も使う方法だが)。

******

 わーい、もう私は浜崎あゆみ - A Song for XX - A Song for XX" A Song for ××"をライブで聴けないままになると思っていたのに。しかもあの「中国拳法バージョン」のチャイナ服ふうの、りりしいお姿で。

 わーい、もう私は浜崎あゆみ - I Am... - Never Ever"Never ever"をライブで聴けないままになると思っていたのに。しかもあの「檻ぶち破りバージョン」で。

 わーい、もう私は浜崎あゆみ - Rainbow - Free and Easyfree and easy"をライブで聴けないままになると思っていたのに。しかもあの「銀の輪っかにすわるキラキラ空中バージョン」で。

 前回に引き続き、全舞台への見通し最良の2階スタンド席前半分側でしたから、ステージの全景が見えました(奈落に降りた途端に衣装替えで「大慌てモード」で駆け出すayu様含めて)

 ......というわけで、今回のカウントダウンライブは、これまでと趣向を変えて、過去のライヴで名場面といわれた舞台演出を敢えて今のayuが再演する、というコンセプトでした。

"Best of Countdown Live 2006-7 A"と銘打たれるわけである。

(上記の3曲のライヴ演出のオリジナルのは、確か"ayumi hamasaki Arena Tour 2002 A"に収録のものです)

 おかげで、

私のような、ここ3年のファンにとっては、「あの」曲を実演で、しかも「あの」舞台演出でナマで見ることなんて完全に諦めていたものばかりではないか。

 結果的に、最近のライブで歌わなくなっていた、浜崎あゆみ - No Way to Say - EP - No Way to Say"No Way to Say"浜崎あゆみ - LOVEppears - Trauma"trauma"浜崎あゆみ - Rainbow - Independent"independent"浜崎あゆみ - I Am... - Flower Garden"flower garden"なども登場。

 新アルバム"Secret"における純粋の新曲からは、浜崎あゆみ - Secret - until that Day..."until that Day..."だけとなりましたが、この曲、ライブのはじめの方で歌ったらすごく映えるよな.....と感じていた曲を、しかもアンコールに入って(だったと思う)歌って、このかなりの難曲を、期待通りの効果で歌いきる余力があったのはすごいことである。

 ともかく、静かな曲がほとんどないという、何とも体力勝負の曲が続くのに、よくもまあこのパワーで2時間近く押し通したという点では、やはり最近のayuの歌唱法だからはじめて可能なことだろう。

 もっとも、ayuも人間である。しばらくレパートリーから外していた"independent"と"trauma"をアンコールで歌うと、「まさか」の勘違いが生じる。
 特に、"trauma"から浜崎あゆみ - Duty - Audience"audienceへと、中間部で、一番でも二番でもメロディごとayuだけ「乗り換えて」しまうなどということは、珍しいミスだが、この前のツアーで最終的に"trauma"は外し、"audience"だけ歌い続けた以上、仕方ないと思う。
 確かに、この2曲、私たちが鼻歌で歌っていても「いつの間にかすり替わる」危険がある。

 ......まあ、浜崎あゆみ - LOVEppears - Boys & Girls"Boys & Girls"の歌詞を間違うのはライブでいつものことですが(^^;)。

 特定のアルバムをライブとしていかに完成度の高いものに昇華するのかに、最終日に向けてとことん静謐で緻密な練り上げをしていく最近のコンサート・ツアーとは異質なスタイルだが、逆に言うと、ここまで「豪華盛り合わせセット」をかなり即席で作っても、最後までほとんどへこたれないだけの歌唱力が今のayuにはあるということだろう。"No way to say"なんて、2年前より絶対うまいと感じてしまった。声の芯が強くなってるから。

 直前の記事でもとりあえず書きましたが、さすがに以前の曲のキーは随分落とし始めた。しかし、転調の際にさりげなく移調するなど、できるだけ違和感を感じないように工夫はしている。

 引き続いて、春から夏のアジアツアー2/28の"A BEST 2"の発売も控えている。(ayuがステージで語った以上、もうネットでも公開していいだろう)。

 アルバム"Secret"のツアー=「日本各地を含む」アジアツアーのようなのだ(だから"Secret"の諸曲の本格的ライブはそれまで待つとしよう。冬に聴きたい曲が多いのは確かなのだが....)が、恐らく日本以外のアジアの各国では、古くからなじまれた歌も取り混ぜて歌う必要も出て来るだろうし、「予行演習」として、これでいいのではないかと思う。

 ともかく,何か予想外の「お年玉」めいた、豪華絢爛のカウントダウンであった。

*******

 ということで、今年も浜崎あゆみをよろしく。

 そして、「カウンセラーこういちろうの雑記帳」、どうかよろしくお願い申し上げます。

(おいおい,その順序でいいのかね [←内なる批評家の声])


追記:ちなみに、CDによる新曲録音はともかく、少なくともライブのギタリストとしては、よっちゃんとエンリケ続投みたいですね。しばらく前の記事、私の思い込みのバイアスで誤解を与えたていたらすみません そっちの記事、少し手を入れましたm(_ _)m 

※今回の獲物は、例によってこれ↓です。これだけに自粛(^^;)。
Ayucdl20067penlight_1
.......だって、あとは太りそうなものしか目に留まらなくて...

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