受容と傾聴、クライエントさんの言ったことを大事に投げ返してあげるのが、カウンセラーの共感的理解の基本だからといって、それを形だけやっていても、クライエントさんの役に立たないことが多いのは確かです。
カウンセラーが、その時のクライエントさんの応答が、体験過程尺度上でどの段階にあるかを、刻々とスキャンするつもりで聴いていくと、それだけで面接過程は深まると、先日の記事で書きましたが、それはどういうこととかについて、今回は具体的に書いてみたいと思います。
それは一言で言うと、クライエントさんの体験過程のstageが停滞したまま堂々巡りし続けたり、むしろ低下しそうな「タイミング」を感受して、その瞬間に、ほんの少しだけ、示唆的なさりげない質問や、提案や、応答の上での工夫によって促進されます。
前回も使った架空実例を材料に、説明してみます。
「母と姉が喧嘩をはじめたんです。姉は『私の買って来たジュース、勝手に飲んだでしょ』と母に言いました。母は最初、『そんなジュースあったっけ?』とか言ってたのに、そのうちに『飲んだかもしれない』とか言い出し、『でもあなた』.....あなた、って姉ですね.......『このジュース、私が買って来たものだから、飲むな、とか、私に言った?』と言い出した。そしたら、姉は「どうしておかあさんはそうやっていつも自分を正当化するのよ!!」と言って突然キレたんですね。それからが大げんかになりました」
このまま話し続けたら、いつまでたっても、お姉さんと母親の喧嘩の実況中継が果てしなく続く危険もあったと思います(^^;)[stage 1]
「......なるほど、それで、あなたはその時どうしてたの?」
そのように一声かけてあげてもいいタイミングかもしれませんね。すると、
「え、私? ......... 私は、その喧嘩のようすを、喧嘩がはじまる前から最初そばで観ていました。喧嘩が激しくなった時点で、何もいわないまま、2階の自分の部屋に昇り、しばらく座っていたあと、ヘッドフォンで音楽を聴き始めました」
という話が自然と始まるかもしれない。
体験過程尺度で言うと、stage 2ですね。「話の主人公は、クライエント自身」
もちろん、クライエントさんによっては、こうした話へと自然と転換していく人もいるわけです。そういう気配があると判断したら、そのままクライエントさんの言うことを傾聴していていい。
逆に、「あなたはどうしていたの?」と問いかけても、
「そして、お母さんは.....(と言ったor....をした)」、
「お姉さんは.....(と言ったor....をした)」
「しばらくして、お父さんが家に帰ってきて、そしたらお姉さんがお父さんにその冷蔵庫の件を告げ口して、今度はお父さんと、お姉さんが喧嘩になって.....」
などと、家族の喧嘩の実況中継が続き、クライエントさん自身はなかなか話に登場しないかもしれません。
つまり、体験過程尺度的に、stage1のままをクライエントさんは維持するということです。
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こうした場合に、無理に介入して、stage2に引き上げようとするのがいいとは限りません。
むしろ、カウンセラーの中で、
「こうやって自分以外の家族の顛末を延々と物語らずにいられないクライエントさんなりの心情が、何かあるのだろうなあ」
.....などと、カウンセラーが連想しながら継承するスタンスを自覚的に取れ始めると、それだけで、クライエントさんは、その時の自分の振る舞いや気持ちを少しずつ話すモードにいつの間にか転じることが結構あります。
でも、場合によっては、切れ目のいいタイミングを身計らって、意識的に、
「....あの、ちょっと聴いてみたくなったんだけど、いいかな? (クライエントさん、うなづく)
....あなたは、その喧嘩の中で、どこにいて、何をしていたのかなと思って。」
と再度さりげなく水を向けてみることもできるでしょう。
ほんの少しだけカウンセラーの側から話の腰を折ることについて、クライエントさんの承諾を得た上で、控えめな言い方で水を向けていることに注意してください。
タイミングを外さなければ、ここでいきなり、
「先生は私が喧嘩を止めないのが悪いっていいたいんですか?」
などといきなり問い返されることはあまりないでしょう。
仮にそういわれても、
「あなたの中に、喧嘩を止めない自分が悪いという気持ちがあるの?...それとも、喧嘩の被害者は私、とんだどばっちり食らったという思いとかがあるのかな?」
などと、クライエントさんの気持ちを汲み、しかも、クライエントさんが、カウンセラーからのそうした発言を容易に払いのけて、自分なりの「第3の」感じ方を物語れるような状態になるように配慮しなから、控えめに言葉を返すと、クライエントさんの話は、それはそれで、予想もしない、有意義な方向に発展する可能性があります。
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こうした時、クライエントさんの話を、まるで映画やドラマを観るようにイメージしながら聴くセンスもあっていいかと思うんです。
画面は、ひたすら、お母さんとお姉さんを交互にクローズアップ、あるいは二人が対峙するシーンを、短いカットでつないでいく......そうなると、「物語の主人公(面接に来て、話をしているのはクライエントさんですから!!)」であるはずのクライエントさんが画面に現れて来ないのが次第に気になるのが自然なところでしょう。
1.一瞬でも、「ああ、またはじまった!!」みたいにうんざりした表情のクライエントさんへのゆっくりとしたパンした短いカットが、残り二人の登場人物の背中のあたりに映るだけでも、あなたは納得するでしょう。
2.あるいは、いきなり勉強部屋にシーンが飛び、階段の下の方からのくぐもった音として母と姉の会話が聞こえ、勉強机で本を読んでいたクライエントさんが、バシン!! と本を閉じて、苦虫をかみつぶした表情で、ベッドに寝っ転がるまでの短いクロスカットが途中から幾つか挟まれても、あなたは納得しますよね。
3.あるいは、全く別の家の外の住宅街の昼のシーンに飛び、主人公と父親が歩いているシーンになって「そうだったんだ」と本人がつぶやくシーンになって、その後、父親が喧嘩のそばで新聞を見ながら知らないフリしているシーンが一瞬目に入り、再び家の外での父と彼女の対話のシーンに戻れば、、彼女はそこにはいなくて、「実はそういう喧嘩があった」と、父から聞いたことがわかります。
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私が、今の映画の比喩で、何をお伝えしたいか、おわかりでしょうか?
ただ漫然と、クライエントさんの言うことを頷きながら聴いているだけだと、カウンセラーの側は、容易に、一番ありがちなケースを勝手に想定して、クライエントさんを「理解したつもり」になってしまっていることって、実はたいへんありがちだと思うんです。
例えば、
「学校の先生は、私が国立を受験することには反対なの」
という話を漫然と聴いていると、それが、
1.実際に進路指導の場で教師に言い渡されたことなのか
2.彼女が教師はそういう考えに違いないと思いこんでいるだけなのか
3.先生がそのように考えていると彼女が思っも仕方がないとカウンセラーにもすぐに納得できる、教師と彼女との間のエピソードがあるのかないのか
4.実は彼女自身が国立受験をしたくないのに、親にそれを求められていて、教師を、むしろ、自分が国立を受験したくない気持ちの補強証拠、代弁者として持ち出している可能性
....などが全く考慮されないまま、「教師は国立受験に反対した」だけが面接記録に残る可能性があります。これではカウンセラー側の体験過程尺度がstage 1だったということになります(マジだよ^^;)。
こうして、事例研究発表は、カウンセラーの側の理解したストーリーのみが、あたかもクライエントさんが語った「事実」、あるいは、クライエントさんの関わる相手が語った「事実」であるかのようにのみ、並んでいく....という形になることがある。
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そうした意味で、実際に、カウンセラーがそれを実際に口に出してクライエントさんの話の流れに介入するかどうかは別として、その段階でクライエントさんがどういう体験過程水準の話をしているかどうかをスキャンしながら話を聴いていくことは、役に立ちます。
「あれ、この話の中に、クライエントさん自身はいつまでたっても登場しないな」(stage1)
「あれ、この話の中で、クライエントさんは、自分の気持ちについては直接言及しないままだな」(stage2)
「あれ、この話の中で、クライエントさんは、自分の気持ちについて時おり断片的に言及するだけだな」(stage3)
.....のようなことに、カウンセラーが気がついておくだけでも、面接の流れは自然と異なって、深まってくるのです。
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今回は、残りの部分で、stage2 からstage3に向かうかどうか、という場面のみに絞り込んで、この前の仮想事例に基づき、具体的に観てみましょう。
「私はその喧嘩のようすを、喧嘩がはじまる前から最初そばで観ていました。喧嘩が激しくなった時点で、何もいわないまま、2階の自分の部屋に昇り、しばらく座っていたあと、ヘッドフォンで音楽を聴き始めました」
ここに、クライエントさんの心情が、暗々裏に語られていると推察できても、体験過程尺度の評定では、自分の感情についてはっきり言葉にしていないということにこだわります。
このへんは、この尺度について学ぶ初心者が、最初につまづきやすいポイントのようです。
「喧嘩にうんざりして、独りになりたくて、自分の部屋への階段をを登ったのなんて、みえみえじゃないの。どうしてこれが感情の表明に当たらないのか」
と。
そうでしょうか? そのように理解して済ませた瞬間、クライエントさんの話と気持ちを表面的にだけ「わかった」モードにカウンセラーは入っていないでしょうか?
ここで、
「そういうのって、うんざりするよねえ」
としかカウンセラーが応答しなければ、カウンセラーは、彼女の「愚痴を聞く友人たち」と同じ水準にとどまるわけですね。
最低でも、
「.......うんざりしたの?」
という、問いかけの言葉として発した方がいいでしょう。疑問文はそれだけで、クライエントさんに、そこから
”No,I did not feel......but,.......
と口にしやすくなる関係性を喚起します。
こうした時、クライエントさんが「そう」とうなづいたとたんに、カウンセラーの側で同意が得られたと早合点しないことが大事です。むしろ、カウンセラーの側から口にした言葉を、クライエントさんが、カウンセラーの語る言葉をあまりにあっさりと受け入れる場合にこそ、クライエントさんの気持ちを語れなくしている可能性を疑ってもいいくらいでしょう。
この前の別の記事でも書いたとおり、カウンセラーの予想通りにのみクライエントさんの話が進むことの方が実はその面接が停滞している指標なのです。
まずはクライエントさんの反応をじっくりと待つことが大事です。すると、
「ウン、うんざり...........うーん、うんざりなんだけどねえ.....」
などとした言い方までクライエントさんは言い添えるかもしれません。
この「なんだけど」をしっかり受け止めて、クライエントさんが沈黙して何か言葉を捜している姿勢を汲めるか否かが面接の流れを左右することは珍しくありません。必要があれば、
「うんざりではあるけど......何?」
ぐらいの促しをさりげなく間合いを見てはさんでもいいかもしれません。
私だと、
「その時、何か独特の思いというか、心境だったろうねえ.....」
というふうに、応答していることが少なくないかもしれません。
場合によっては、話の流れが、カウンセラーの促しとはまったく別の方向に飛んだっていいわけです。
「実は本当は自分の部屋で過ごしたかったのに、母親が「おやつあるわよ」といったら一緒にコタツに入ってテレビ見てないと母親が不機嫌になるの。ほんとは一人で自分の部屋にいて彼に携帯でメールしたかったんだ。その時うっかり携帯下に持って行くのを忘れていたの。そしたら、私がいない間にメール入っててさ。お誘いだったの。それにすぐに応えられなかったら、彼は私の家と反対方向に男友達と電車で出発していてね。だから、母親につき合わされたのに一層むかついたの」
......などというふうにして、そもそも、それまでの数回の面接では語られなかった、「彼氏がいる」ということが、さりげなくも唐突に語りだされる展開だってあり得るわけです。
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ただ、最後に言い添えます。
こうした、ただ漫然とクライエントさんの話を聴くことから半歩だけ踏み込んだ介入は、カウンセラーが、クライエントさんから「情報を集めたい」だとか「わからないとことを正確に理解したい」という思いからなされるべきではないのではないかと私は感じています。
クライエントさんが漠然と感じつつも、言葉にならないまま通り過ぎようとしていた事柄や気持ちや感覚を、クライエントさんなりに、日常よりも細やかに味わい、吟味する機会をホンの少しだけアシストする援助です。
そこから何をどう、汲み取り、どのように面接の場で語るのかは、クライエントさんの世界に属する事柄だと思っています。
なお、ここで述べつつある、体験過程を推進する応答については、ジェンドリンの「体験的応答」という古い論文が参考になります。日笠摩子さんと田村隆一さんの労訳で、TFIのウェブサイトの日本語のページに翻訳が掲載されています。
今回のアフィリエイトは、ちょっと意外性があるかも。でも、なぜ映画の「映像文法」のことを引き合いに出して「カウンセリングにおける理解」のことを語りたくなったか、という観点からすると、ここでこの2作をご紹介したくなる心境の一端は伝わるかもしれません。
どちらも、映画史に残る、非常に巧みなカメラワークによって、登場人物が、この場面で、実際にはどういう心境でいるのかな? というあたりを、画面での様子からだけでは単純には決めつけられないあたりの含蓄にこそ、持ち味がある映画の代表作でしょうから。
「市民ケーン」(オーソン・ウェルズ 監督・主演)
「裏窓」(アルフレート・ヒッチコック監督)
【追記】:後に書いた、この記事も、私の問題意識のその後の展開として併読下さると幸いです。2つを読み合わせると、ちょうどいいバランスになるかと思います。
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