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2006年4月16日 - 2006年4月22日

2006/04/22

不眠?鬱?.....いえ「睡眠時無呼吸症候群(SAS)」の場合 

体調は回復し、予約のクライエントさんがある日には昼から夜まで職場に詰めていられる日がほとんどとなってきていたのですが、頭脳はここ何年もなかったくらいに明晰な時間が多いのに、どうも眠りが浅い。そのせいで、数日はもっても、必ず反動がくる。

検査の結果、重度の「睡眠時無呼吸症候群(SAS)」との診断を受けました。

居眠り運転などの事故をきっかけにはじめて発見されることも多いとのことです。JRの山陽新幹線の停車駅通過事件で有名になりましたが。

これだと、8時間寝たつもりでも酸欠のため4時間分の熟睡にもならないとのこと。

これから、喉を広げるため寝る時にはCPAPという携帯呼気加圧コンプレッサーのようなものをマスクとしてつけ、旅行にも携帯した方がいいとのこと。

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実は、私の「居眠り癖」「疲れやすさ」中学時代に始まります。念のためにいいますが、中学・高校時代の私は親に「痩せ過ぎ」とまで言われていました。

私が公的な会議の場所ですら居眠りすることは少なからぬ人には以前から顰蹙を与えていて、申し訳ないと思っていたのですが、これは意思の力ではどうにもならないものだったのです。

でも、これでもし疲れやすさとおさらばできるとすれば、今後の私の人生は変わります(^^)

業務には差し支えないどころか、今よりもっと仕事量を増やせるかもしれないということですから(^^)

****

一般のカウンセラーや、精神科医の方々に、不眠や鬱状態、アパシーなどとの鑑別診断のシミュレーションの際にどれくらい現在認識されているかどうか、気になります。

結果はこのブログでもレポートして行きます。

続きはこちら

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2006/04/21

イベリア半島におけるキリスト教国家と「北アフリカの」イスラム王朝との関わりについて(第6版)

仕事が休みの昨日、また「LOVE!シネマ2500シリーズ」第2弾エル・シド<デジタルニューマスター版>映画「エル・シド」を通して見てしまったこういちろうです。

スペイン関係の本は何冊か読んだのですが、やはりElcidbookエル・シッド・カンペアドルの密度が圧倒的なので、

Spanishnithehistory
現在、同じラモン・メネンデス・ピダルの書いた「スペイン精神史序説」という本を読みました。

Spainnnorinen_1
更に、橋本一郎/西澤龍生 編/訳「スペインの理念」(ピダルとガニベー、ライン・エントラルゴの別々に刊行された論文をまとめたもの 新泉社)も今読んでまして、もっと巨視的・通史的な形で、スペインと周辺諸国の関わり全体をとらえてみるつもりでいます。

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後ウマイヤ朝の滅亡後、当時のイベリア半島北部は、キリスト教国家ですが、レオン・アストゥーリアス・カスティーリア・ナバーラ・アラゴンなどの地域別に、いくつもの国・伯領に分立し、統合しようとし始めているくらいの段階でした。

イベリア半島中部・南部は、タイファと呼ばれるイスラム教君主の小国家乱立状態。

レオン=カスティーリア・ナバーラがひとつに統合しようとすると、「全スペインの皇帝」を称する国王が死んだら分割相続された王子たちの争いになったりとか、なかなか求心力が高まらない。このへんはウィキペディアのこのページの説明読んで下さい

タイファ諸国は、お互いに抗争し、キリスト教国家のそれぞれと戦ったり、貢ぎ物を差し出すことで和平を結んだり、キリスト教国家の重臣すら「裏で」タイファと通じていて、故国の政敵をつぶすために利用したりとか、この辺、むやみに込み行った駆け引きを繰り返したようです。

しかし、領地争いをめぐって、「キリスト教徒が内輪揉めして無駄な血を流すくらいなら」と、双方の国の王がが公認した国内ナンバー・ワンの騎士(「軍旗護衛将」とよばれた)同士を、国の命運を背負わせて、両国王族と観衆の見守る競技場で、カトリック教会の祝福の元に一騎打ちさせて決めるなどという、中世の騎士道物語物語そのもの紛争解決も、まだ実際に行われていたようです

Chuuseiknight
(映画には、ブルフィンチの「中世騎士物語」(岩波文庫)で語られているのと細部まで手順がそっくりの、こうした「国をかけての決闘」戦いの際の作法が再現されています。この本、アメリカではよく読まれていた歴史教養書だそうなので、歴史考証の上で参考にしたのではないかと思われます)。

タイファ諸国の南、ジブラルタル海峡の向こう側では、ベルベル人の「ムラービト(アルモラビト)朝」が勢いをつけ、モロッコからマリ・ガーナのあたりまで征服して、地中海から大西洋まで縦に貫く、北西アフリカの大帝国となっていた。そして今度はイベリア半島の「奪回」を狙っていたわけである。このムラービト朝というのは、同じイスラム教徒でも、地中海東側のアラブ人のアッバース朝とは異なり、むしろ「北アフリカの王朝」というべき性格が強かった。

この北アフリカの王朝の当時の国王ユースフは、国土膨張への野心が強く、好戦的なので、必ずしもタイファ諸国にとっても歓迎すべき存在と映ったわけではなく、純アラブ系の「後ウマイヤ朝」の文化の末裔たちのもとで育まれたタイファ諸国の中には、絶えず、「スペイン側につくか」「北アフリカ側につくか」というあたりで、王室レヴェルだけではなく、イスラム教徒もキリスト教徒(モサラべ)も混在する同じ国内でも、宗派を越えて「スペイン民族派」「アフリカ派」が入り交じり、葛藤し、日和見し、という状態。

この辺、映画「エル・シド」はきちんと歴史考証していて、海を渡ってきた「ムラービト朝」側の兵士の装束って、アラブ的というよりアフリカ的。打ち鳴らすドラムも、「トルコ=中央アジア的」というより、アフリカの先住民の響きがするように思います。このへんは、数百年後のオスマン・トルコの軍楽隊とは全く異質な描き方をしています。

この太鼓の音、この映画を最初にテレビで見た子供の頃も、大変不気味なものを感じたことはよく覚えています。史実でも、エル・シドを追放した「主君の方の」軍隊の兵士たちは、この太鼓の音色だけで恐慌状態になり、雪崩式の敗走をしたそうですから、タイファのイスラム教徒国家の軍隊にはなかった心理戦術なのでしょう(自分たちの居場所を敵に教えるような物ですから、単に軍隊の秩序を守るための行進曲ではなく、イスラム側の兵士を一種トランス状態に置き、敵軍を恐れさせる、一種呪術的な意図はあったのではないかとも感じますが。

「ベン・ハー」や「十戒」のように、欧米人なら常識の聖書の物語ですらないので、特に、かなりのスペイン好きを除けば、日本人とかには、話の筋がとらえにくいかも。同じ人が敵になったり味方なったりがかなり込み入ってますので。でも、この「装束」「文化」の違いに注意すれば、この3つの陣営の区別がつくと思います。

*****

史実のエル・シド(ロドリゴ・ディアス・デ・ビバール)も、兵糧を調達するためなら、タイファ諸国の大きめの町に「ちょっと立ち寄って」、武力で圧倒し、敵兵士ばかりか住民をも殺したり、町の手前に陣を張り「『あの』エル・シドの軍だぞ」と威圧するだけで降参させたりして、残った住民との『取引』として金品食糧を得た場合もあれば、残った町の住民をまるごと人質にして、その人質たちを別の都市でまたもや金品兵糧と交換の上で釈放したりなどしているのですが、ともかく「自国でも政敵は暗殺する」のが普通の時代です。

国王にカスティーリア国外に追放され、「彼への援助をした者は目をくり抜く(映画では「手首を切り落とす」だか)」との王のおふれの中でもついてきた少数の「私兵集団」に過ぎない以上、国境を越えた『敵地』で、ひたすら『現地調達』で当座を切り抜けるしかない中では、兵を失わず生き延びるためにできるだけ戦わず、敵味方にもできるだけ死人を出さないままのやむをえない「駆け引き」だったとも言える。

これでも、戦利品のために住民皆殺しもいとわなかったキリスト教徒側の「普通の武将」よりは、無駄な殺生を避けるかたちで、ことをできるだけフェロ(キリスト教国とタイファ諸国の個々の国別の慣習法)に基づく「契約」として、穏便に済ませることが多かったらしいです。法律に詳しく、アラブ語の読み書きにも不自由しなかったらしい。

まあ、映画ではそのへんの「イスラム教徒への分け隔てない態度」をかなり誇張していますけど、タイファ諸国の中には、サラゴサのイスラム宮廷では賓客として迎えられるとかは、史実だそうです。

おそらく、時と場面によっては、「恐ろしい殺戮者の頭領」であり、時には王の命令を無視してすら政治的にも軍事的にも活動し続け、兄弟を殺して国位に就こうとしている新しい王にすら、宣誓式のその場で臣従を拒否し、法的根拠に基づき逆に王の「言質」をとって、公衆の面前で王に屈辱を味あわる「政治的な権謀術数家」であり、政敵に嫉妬されたり、タイファ諸国の君主や住民にも尊敬されたりと、いろんな面を見せ、いろんな評価をされていたことでしょう。

しかし、エル・シドが、国王にどれだけひどい仕打を受けようと、国王への5分の1の献納は果たし続け、ほんとうなら自分が受けてもいい、征服した土地の王位をカスティーリアの「皇帝」に献上し続けた。

結果的に、志半ばに死して後も、キリスト教文化とイスラム教文化を融合させる形で「スペイン」という「国家単位」での統合の象徴となり、文化的にも、本人のまだ「生きている」時代から、スペイン側の文書のみならずアラブの年代記にもその名が讃えられた。

"el Cid"という、存命中からのあだ名(現代スペイン語の発音からすれば「エル・シード」が近いそうです)そのものが「頭領、主人」を意味する"sayyid(サイード)"というアラブ語由来で、彼を畏敬するイスラム教徒の間からはじまり、キリスト教圏でも使われゆようになったとのこと。elはカスティーリア語の定冠詞なので、英語でいえば"The Boss"ということになる?

Elcidbunko
そして、武勇と人格については、本人が生きている間に吟遊詩人に歌われ始め、死後わずか数十年から百年の間に、今日に写本が伝わる武勲詩が成立する過程で、アラブ語と古代ロマンス語が融合した、スペイン語の原型になる最初の「国民文学」ともいえる『我らがシドの歌』となったのは確かのようです。

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人間とは矛盾に満ちたもの。

カウンセラーとて同じことだと思います(^^)。

自分がどんなつもりで発言しても、行動しても、結局最後の判断はその人と関わった「相手が」判断するのは止められない。

それをみんな「引き受けて」、相手との関係樹立に「役立てて」しまえてこそ、カウンセラーでしょう(^^)

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今現在、午前中でないと記事の反映は困難?

どうもここ1週間ぐらいは、午前中の10時台ぐらいまでにアップ(再アップ)しないと、新規にせよ、更新にせよ、記事の表(おもて)側への反映を全く受け付けない場合があるようです。

コントロールパネル側から見ると、とっくに記事はココログサイトに届いているようですが。

読者の皆様にはご迷惑をおかけしています。

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2006/04/20

GRADO SR325Iについての記事、「第5版」が容易に反映せず、ご迷惑をおかけしていますので

この記事の第5版で増補した部分のみ掲載します。大変ご迷惑をおかけしております m( _ _ )m

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ブラグもステレオ標準ブラグのみですから、ステレオミニプラクへの変換プラグは自分で買って下さい。

その場合、

プラグアダプターSONY PC-233Sこの機種のような、表面がプラスチック製やビニール製ではない、金属削り出しのものがお勧めです。

更にその筒状の表面にフチルゴムを2、3重くらいに巻き、表面がそのままではべたつくので、ティッシュを一巻きして余分をちぎってしまうと、しばらく使っているうちに、ティッシュの白さがフチルゴムの黒さに同化して、べたつかなく見栄えもそこそこに仕上がります。

こうすると、金属の鳴きが止まり、しかもプラスチックやビニール皮膜のものよりずっと音が澄んだものになります。

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2006/04/19

My Policy

「善良なる者或いは凡庸なる人の前方へ、より優れた人に道を開けてやるだけの見識や自己犠牲の気持ちを持たない者は誰でも『悪しき目で見る者』即ち妬む者である」

ラモン・メネンデス・ピダル

Elcidbook「エル・シッド・カンペアドル」安達丈夫訳 p.329より

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2006/04/18

本日はネットもお休みします。

どうも、少なくとも私のブログは、現在、今みたいな、ネット全体のトラフィックが空いている時間を除くと、新規や更新した記事の画面への反映がかなり遅くなっているようです。

本部ページカウンセリングルームサイトでの告知と掲載内容がズレていることが多いのはそのせいなんですが(そちらの方でのアップロードは瞬時なので)

恐らく、カテゴリーがやたらと多い私のブログの「重厚すぎる」(^^;)特性と、ブログの最大手、機能的にも最高水準と言っていい、@niftyココログの、日々刻々と新規増設されるブログのトラッフィクに@niftyサーバーが後手後手の対応でアップアップしているのでしょう。


いずれにしても、皆様にはご迷惑をおかけいたしております m( _ _ )m

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左上の「バックナンバー」(今で言えば「2006年4月」)の方にだけ新規記事や更新が反映していること「も」あります。

そこにすら反映していない場合も、「固定リンク」だけはすでにできていることもあり、その場合には本部ページ職場のサイトから直接リンクを張ってあります。

しかし、「新規」はともかく、「更新」の方は固定リンクにすら反映していないことも多いです(^^;)

「コントロールパネル」側ではすでに「掲載」されている(つまり@niftyサーバーには届いている)のに、こういう「空いている」時間帯に「全く同じ内容のままでいいから」更新しなおさないと、掲載されないみたいです(^^;)

どうかお許しください。

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ちなみに今日は面接の予約ありません(私は、ご連絡を受けたその日にお会いすることはしておりません)し、年度はじめを意識しての、連日の怒濤のブログ書きにも少し疲れたので(これで並行して目一杯の面接で埋まっていたら、人間ではありません(^^;))、

カウンセリングルームはお休みにさせて頂きます。

電話・FAX等での、本日のご連絡、お申し込みは、明日のお返事となりますことをどうかお許しください。

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2006/04/17

カウンセラーが「前に-いる」ということ(第2版)

ホールボディ・フォーカシング「ホールボディ・フォーカシングの臨床適用についての現段階でのとりあえずの私見」その2です。

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自分ひとりだけで、もの思う(reverie))ことと、

目の前に他者がいて、思っていること、感じていることを話すことの間には、雲泥の差があります。

そこに他者がいても、自分の世界に没頭できることとなると、さらにすごいことです。

母親が炊事洗濯をしている背後で、母親の存在を忘れて、おもちゃ遊びの中で、自分の空想の世界に浸っていられる子供でいられような状態ですね。

Abilitytobealone
これを、

イギリスの精神分析家、

ウィニコットは、

「ひとりでいられる能力(ability to be alone)」

と呼びます。

(↑ここで掲げた本に、そのものズバリ、このタイトルの論文が収録されています。精神分析系に限らず、カウンセラー必読の本のひとつかな)


これは決して「自閉」ではなく、

母親という「環境」に対する基本的な安全感と信頼があってできることです。

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さて、カウンセリングは、たいてい椅子に座ってなされています。

カウンセラーとクライエントさんの椅子の配置として、

「一番無難な角度は90度」

ということは誰が言い出したか忘れました。

これだと、それぞれが真正面を向けば、視線をそらさなくても、相手と視線を交わさなくて済むし、

逆に、相手と「距離を詰めて」話し込もうとすれば、お互いちょっとだけ内側を向けばいいわけですね。

(どうかデートの時にもご活用を)

もちろん、90度でも、2つの椅子が近すぎると、相手に不安を与えるでしょう(^^)

間に小さめの、背の低いテーブルがあるといいかも。

背もたれや肘掛けも、ある程度しっかりしたものがいいでしょう。

カウンセラーは、開業するとなれば、椅子をどう選ぶかにも気を使います。

私のカウンセリングルームのはこれですが、

現在のdefault(^^;)の配置は、120度くらいにしてます。

実は回転椅子でして、クライエントさんも、カウンセラーも、その時の気分で身体の向き全体を無意識にも変えられるわけですね。

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なぜこんなことを前フリとして長々と書くのか?

それは、ホールボディ・フォーカシングを1対1でやる場合、ガイド役とフォーカサーは、1メートル前後離れて向かい合わせに「立って」いることが基本形みたいだからです。

これって、特に日本人にとっては、かなり非-日常的な、他者との対峙のしかたでしょう。

本気でけんかするか、愛の告白をするか、とか(^^;)

*****

もちろん、フォーカサーが望むなら、180度正対でなくてもいいとは思いますが、両者が立っているという基本は崩せないと思います。

なぜなら、ガイド役の人も、「立っている」フォーカサーの人の「身になって」、自分の身体の感覚を「通して」、フォーカサーが感じていることを受け止め、言葉を返す必要があるからです。

そして、実はこうしてガイド役立ってくれているということが、

フォーカサーの「環境」を形成する、場の「守(まも)り」の「枠組み」でもあることは、ある程度体験されると、感じられることも少なくないかと思います。

*****

中には、ガイドの「前に立って」、内面に注意を向けることそのものが、どうにも苦痛という人もあるでしょう。

そういう場合には、

「身体のすみずみの感じに、じっくり聴いてあげましょう。『どういう向きや、どういう姿勢をとりたがっているのかな?...と」

などとガイドは声をかけるかもしれませんね。

この際に、フォーカサーの身体の内側の感じのベクトルが求めている方向に、少しずつ姿勢や向きやポーズが変わりたがっているのを、少しずつ自分に「許していく」というスタンスを取ってもらえるように導ければいいでしょう。

そして、フォーカサー自身の「身体が」

「こういう感じでとりあえずOK」

という反応を返してくれたところで、そのまましばらくその姿勢で内側から味わってもらう。

それは、たとえば、ほんの少しだけ身体の重心を後ろ寄りにする程度でいい場合すらあります。

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実は、ある程度通常のフォーカシングに慣れた人ですら、これだけで、思いもよらないことが自分の内面と身体の感じに生じはじめることに驚く場合もあるはずです。

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この項、更にシリーズ化されるかどうかは、

それこそ、

私の「フェルトセンス」の命じるままに決めます。

*****

ただ、

「最小限、今、このブログで書いておきたかったことは、書いたんじゃないの?」

という「返事」は、今、私のこの世における最高権威から返ってきますので。

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「ジャングル大帝」は、今でもネットで鑑賞できる

「ジャングル大帝」は、Biglobe総合動画サイトで、今、いつでも観られるんですね。いい時代だ!!

もちろん、アニメ史上に残る、シンフォニックなあの富田勲のメインテーマと共に。

しかし、今聴いても、BGMが何と贅沢なんだろう(^^)

エンディングは弘田三枝子で(これも名曲)、後に「人形の家」とかで表舞台に出た頃の彼女(?)が、テレビで歌ってくれと言われて歌詞が出てこなかったのを手塚治虫先生に怒られたというのは、結構知られた伝説かも。

もとより、弘田三枝子は、現役のジャズ・シンガーです。

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2006/04/16

ホールボディ・フォーカシングの臨床適用についての現段階でのとりあえずの私見(1) [第3版]

またまたホールボディ・フォーカシングホールボディ・フォーカシングについてです(^^;)

ちょうど4月で、臨床心理系の大学や大学院に入ったばかりの、あるいは臨床現場に出たばかりの人に、フォーカシングとはどんなものかを、意識的に入門的なあたりから、このブログでも書いてみたいという思いもあるのですが、

(この約束は必ず果たします。当面は「日本フォーカシング協会」サイト『フォーカシングって何?』私の本部サイト『フォーカシング入門』を読んでください)

どうしても私はその時熱中していることから書かないと”clearing a space”できないタチなので、いきなり応用編の話ばかり書いてるとしたらお許しください。

ただ、これから書くことも、

フォーカシングのみならず、

およそどんな流派の心理療法や、心理テストを『実際の心理臨床現場で』適用する際にも共通する、普遍的な問題意識と絡めた次元で書いていくように努めるつもりです。

*****

ホールボディ・フォーカシングをワークショップ等のワークとして進めるにあたっての最初の教示としては、

ますは集団の参加者に向かって(どうも円陣を組む形が無難のようです)、経験豊富な「ガイド」の人が、

みんな立ち上がった状態で、

「まずは、自分の身体全体が周囲の環境(大地)に支られているという感じをじっくり味わってみましょう」

という実習からはじめることが多いようです。

集団でやっている時には、何となく周りと同じように、身体を楽にして、内側に注意を向けて、何となく味わっていたら、

「あ、こんなあたりでいいのかな?」

と、場の雰囲気に支えられて味わえたような味わえなかったような(?)気分になれる皆さんが多いかと思います。

少なくとも、足の裏が、靴を通してでも床についてる感じを「足の裏で」感じることは無理なくできる方が多いでしょう。

そして、そうやって足から太もも、腰、おなか、背中、肩、首筋、頭というふうに徐々に身体内側の感覚に注意を少しずつ上げていくつもりで向けてみれば、それでけで、

実は人間が『立っている』ということが、それだけでどれだけすごいことか

今更のように、実感を通してお気づきの方も少なくないかと思います。

いかに重力に逆らってバランスを維持するために、身体のあちこちの部分に「負荷」がかかっているか。

筋肉や内臓、関節や首筋など、身体のいろんな部分に、

普段は意識しなかったけど、

いざ実際に感じてみようとすれば、いろんな緊張や無理や痛みが、いろんな質感で、からだのあちこちに感じられていることに気がつける方が少なくないかと思います。

*****

極論すれば、まずはこのことを身体で実感することが、ほんの2,3分でもできて、

思わず「身体のあちこち」に向けて、

「『お前ら』、それぞれ結構しんどい思いして、『俺』を支えてくれとるんだな」

とか、

「でも、しっかりした床の上に『立ててる』時に、『床』はこんなに『私』安心感を与えてくれているんだな」

とかを味わえるなら、

あなたはすでに、ホールボディ・フォーカシングをしていたのです。

この記事の最後の方で、技法としてのフォーカシングの創始者、ジェンドリンが、著作『フォーカシング』で書いてることを私なりに訳し直した部分の表現をわざと借りています)

このような、日常気がつかない内側の微細な感覚への気づきやすさという点で、ホールボディフォーカシングは、座ってやるのが普通の通常のフォーカシングに導入する場合よりも平易かなとすら思います。


座ったままで椅子と接する背中やお尻、膝や足元の感じを内側から感じるよりやりやすい場合が多いばかりか、

通常のフォーカシングの熟練者でも、

「座ったまま」の時とは全く異なった、予想もしない身体感覚に、

「立ったまま」味わうと気がつけることが多いかと思います。

(もっとも、「感じ易(やす)い」ということは、その分体験が「強烈」であるということにも繋がります。「害がないことが一番の治療である」というのはヒポクラテス以来言われ尽くしていることで、神田橋條治先生や中井久夫先生も繰り返されている通りです。この件については次回も触れます)

*****

ところが、そういう集団のワークの中でも、

中には、

立ってしばらく身体の内側に注意を向けてみても、

本音の本音としては、

「自分の身体全体が周囲の環境(大地)に支えれれているという感じをじっくり味わってみよう」????

何なんじゃ、そりゃあ???

という方があるでしょう(^^)

こういう時、欧米での国際ワークショップの参加者だと、

”I can’t understand what you say!!

How may I do?"

とか何とか、集団のワークでも声を上げる人がいるでしょう。

(私の英語の水準だと、とっさに言えるのはこの程度のぎこちない英語でしょう、笑って許して!!)

しかし、欧米人でもシャイな人、まして日本人だと、

指導者が指示したとおりに「感じられない」自分をまずは「責める」か、

何となく「感じられたフリ」をしてしまうんですよね(^^)

おそらく、

”If you ever need help with something, feel free to ask.”

(さすがにこれはネットで調べました)

とか「言って」もらえても、更に心苦しく思い、萎縮したりして(^^)。

*****


広い意味でのカウンセリングの場の中で、

わからないこと、ピンとこないことをクライエントさんが「遠慮しながらも」口にできる、

というだけでも、

実は「すごい」ことなのです!!

それができたら悩み相談には来ない!!」

という来談者の方が多いことをお忘れなく!!

カウンセリング経験を少し積んだら、話し過ぎたり、カウンセラーに不平を言うクライエントさんより、黙ったままだったり、何でも「はい、はい」うなづくばかりのクライエントさんの方が、会っていて「しんどい」ことに、否応なしに気づきます(^^)

******

この種の問題について、

九州大学の田嶌(たじま)誠一先生(名前知らない若い臨床系の学生さんは、これを機会に、この名前を決して忘れず、九大以外の人も、この先生の「ライブの」集中講義やセミナー、ワークショップは見逃さないように!!)は、

クライエントさんの

「注文をつける能力」

と命名しています。

フォーカシングでも、フォーカサーは、ガイド役の人に受身に従うだけではなくて、

「すみませんが、そのように言われても私にはピンと来ないんですが......」

「今言われたこともう一度言ってください」

「私が何を言いたいのか、私の内側ではっきり言葉になるまで、しばらく黙って、待っていてもらえませんか?」

などといろいろ注文をつけてもいいのです。

そして、ガイド役たるもの、むしろこういう言葉が出てきたら、動揺したり、しどろもどろでいろいろ説明するのではなく、むしろ、

「ほう、この人はちゃんと私に『注文つけて』くれるんだ。よかったよかった」

なでと「内心」「静かに」思えるくらいでないと!!

*****

これ、クライエントさんの相手をするカウンセラー一般に求められることです。

というか、

「そのように言われたらむしろ『ラッキー』なんだ。歓迎すべき事態なんだ」

というくらいのつもりで、普段からクライエントさんの相手をしていたら、

なぜか、

クライエントさんが、そういう不平や苦情や注文を「いつの間にか」口にしやすい「場の雰囲気」が生まれます。

*****

実際、カウンセリングの「現場」で、

クライエントさんの少なからずに、

ここで問題にしている「ホールボディ・フォーカシング」を体験してもらおうとすれば、

「自分の身体全体が周囲の環境(大地)に支えられているという感じをじっくり味わってみてもらう」

という最初の段階ですら、

いかに「高度な」課題であるかに治療者は気づくはずです。

「足が地に付いて、支えれているいる感じって、先生がどう喩(たと)えをあげて説明して下さっても、わかんないです。申し訳ないんですが」

と言ってもらえたら、カウンセラーとしてのあなたはクライエントさんに、心の中で、自然と感謝できるくらいになってから、現場で「ホールボディ・フォーカシング」を試してみてください。


*****

この件、次に、「ガイド役がフォーカサーの『正面に立っている』ことの意味」という観点から続きを書きます(^^)

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冷たい雨の多い4月。(第2版)

昨日は私のカウンセリングルームは定休日、

都心に非常勤のフォーカシング・トレーニングの仕事に行った帰りに、

銀座のApple Storeに立ち寄ってしばらく前に修理依頼していたiBook(動かなくなって何ヶ月放置していたことか!)の引き取り、

そしてアフィリエイトしていて、他の人も全く同じ動作不良を起こしているのに気づいた以上、パケット通信上でのトラブルではなく、、また、映像ファイル側の問題とも限らず、iTunesのソフト側の問題の可能性もある点についての注意喚起までやっていたので、

起きるのが遅れました(^^;)

*****

もとより、ご相談の予約者がない時間帯であることは掌握した上でです。

これから「朝昼食」とって職場に移動しますので、ご予約等のFAX・お電話をする伝に頂いた方は、更にお返事が遅れますことをお許しください。

****

それにしても、今日も雨。

4月下旬にしては、冷え込む日が多い気もしますが。

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